2013年11月29日金曜日

日展・書道の部をみてきました。奮い立つような「書」なし。楷書作品がひとつもないのはどうして?

 書道は好きではないのですが,「書」は好きです。たとえば,良寛さんの書などはたまりません。その筆頭は「天上大風」。なにも書いてない白紙のままの凧をあげていた子どもがいじめられていたので,良寛さんがその凧に書いた文字。童心そのままの天衣無縫の文字が躍っています。ついで,良寛さんの写経「般若心経」。こちらは般若心経の経文をそのまま2回,つづけて書いてあります。しかも,一回目の写経と2回目の写経とは,まるで,コピーしたかと思われるほど,そっくりそのまま同じです。最初の書き出しのときの精神状態と,2回目の写経を終える最後の1文字まで,まったく変わってはいない,ということをストレートに伝えてきます。良寛さんのこころの奥の深さをかいま見る思いです。これなども,何回,繰り返し眺めていても飽きるところがありません。それどころか,ますます,その味のよさがつたわってきます。そして,ときには,「えっ!」と驚くような発見があったりして,奮い立つことすらあります。

 焼酎「いいちこ」のコマーシャルでよく知られるようになった榊莫山さんの書も心地よい。まるで酔っぱらった老人のイメージのまま筆を動かしたのではないか,と思わせるほどに無駄な力みのない,さらりとした書風はよく知られているとおりです。しかし,この榊さんが日展に初入選した作品は「楷書」でした。しかも,小学校6年生。それも,いきなり文部大臣賞でした。この書などは,一目みただけで奮い立ちます。凛とした端正な文字は,身のひきしまる思いがします。そんな文字を小学校6年生のときに,すでに書いていたという事実が,なにものにも勝る重要なことだとわたしは考えています。

 その榊莫山さんは,戦後まもなく,若くして日展から身を引いてしまいます。そして,いっさいの展覧会への応募をやめてしまいます。それからあとは,みずからの道を暗中模索しながら歩みます。審査を受けて権威づけられるシステムを,自分の方から拒否したという次第です。以後,榊莫山さん独自の世界である自由奔放な書法を編み出します。そして,いかなる流派にも身を寄せることなく,みずからの道を歩みます。それこそが書芸の本道ではないか,とわたしは本気で考えています。楷書の榊莫山でなくては果たせない芸だと思います。

 もう一人,紹介しておきましょう。東大寺の管長さんとして親しまれた清水公照さんの書。いまも,奈良の商店街を歩いていると,この人の手になる看板をあちこちに見つけることができます。観光気分でぶらぶら歩いていても,この人の手になる看板が眼に入った瞬間に,わたしの足が止まります。ピタッと止まってしまいます。そして,眼が点になっています。その数秒後には,全身が奮い立ってきます。そして,なんともいえない至福の時が流れます。

 ですから,わたしは奈良に住んでいたころ,街中をぶらぶらと歩くのが好きでした。そして,いたるところに清水公照さんの文字を見出すたびに,なにか大きな得をしたように思ったものです。それはなんでもない板ッペらに書かれていたり,手拭いであったり,ごくふつうの家の表札だったり,観光案内所のちらしだったり,選ぶところがありません。清水公照さんは,頼まれればどこにでも書いたようです。まるで,良寛さんのようです。

 まだまだわたしの好きな書,つまり,奮い立たせてくれるような文字を書くひとはたくさんいらっしゃいますが,ここらあたりで止めにしておきましょう。

 そこで,今日(29日)の日展・書道の部。みなさん,おしなべて上手。間違いなく上手。とりわけ,万葉仮名で書かれた和歌の類が,ひときわ上手だなぁ,と感心しました。それでも,奮い立つものが伝わってきません。ガクンッとスウィッチが入る,そういうものがありません。たぶん,お師匠さんについて長年にわたって指導を受け,上手な文字を書くことがてきるようになった人たちなのだろう,と想像しながら鑑賞させていただきました。しかし,それ以上のものがわたしには伝わってはこないのです。

 これはどういうことなのだろうなぁ,と考えながら眺めて歩きました。そこで,はたと気付いたことがありました。それは,気迫の籠もった「楷書」の作品が一つもない,という事実でした。じつは,わたしは「楷書」が大好きなのです。楷書が,それもみる人を圧倒するような楷書が書けない人は,草書も行書も隷書も書けるはずもない,ましてや創作の書などはありえない,と考えています。榊莫山さんの例をみれば歴然としています。

 にもかかわらず,不思議な創作が紛れ込んでいます。とてもみるに耐えないような作品もちらほら,いや,かなり多くちらほらです。わたしのような素人に見破られてしまうような作品が,なぜ,日展入選になるのか,故無しとはしないのもよくわかります。そして,この人たちの楷書がどのような書になるのか,みなくてもわかってしまいます。それは,たぶん,見るに耐えないと思います。そんな作品も眺めながら,あれこれ考えてしまいました。

 やはり,書は,みる人のこころを打ち,奮い立たせる「力」がなくてはならない,とわたしは勝手に考えています。どんなに上手であっても,こころを打たない書というものはざらにあります。上手の上に,「力」と「美」を感じさせる書,そういう書に出会いたくて日展に通っているのですが,そういう作品は年々少なくなってしまって,とうとうことしはひとつもありませんでした。残念。

 こうなったら,やはり,自分で筆をもつしかないか,と少しずつ思いはじめています。でも,筆をもつということは,平常心とはまったく別次元の,想定外のエネルギーを必要とするものです。そのことがわかるだけに,いまも,躊躇しているという次第です。でも,そろそろ取りかかっておかないと永遠に筆はもてなくなるのでは,と案じてもいます。

 でも,今日の日展見学はとてもいいきっかけになったと思います。まずは迷わず筆をとること。かまわほず書いてみること。そして,まずは,楷書から。カミソリのような切れ味鋭い楷書から。それができれば,あとは風の吹くまま,気の向くまま。自由自在の世界が待っているはず。そう,榊莫山さんのように。

 新年の書き初めから始めるとするか。鷺沼の事務所をアトリエに変えて・・・・。

 今日の日展見学はとてもいい勉強になりました。

〔追記〕じつは,今日は知人の知人の油絵作品を見せていただくことが第一の目的でした。そして,期待どおり,この作品からいろいろと考えることが多くありました。このことについては,いずれ機会をあらためてわたしなりの感想を述べてみたいと思います。とてもいい作品でしたので。

セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」全4巻(藤原書店)の刊行がはじまる。「月報」2,にエッセイを書く。

 竹内敏晴さんが亡くなられて,もう4年が経過している。竹内さんの年譜によれば,2009年8月29日に東京・武蔵野芸術劇場で生涯最後の構成・演出作品「からだ2009 オープンレッスン八月の祝祭」を上演。9月7日,膀胱癌のため名古屋の病院で死去する,とある。ああ,もう,あれから4年も経過しているとはとても思えない。いまでも,にこやかな笑顔で「稲垣さん」と言って声をかけていただけそうな錯覚に陥る。

 わたしは,8月29日の生涯最後の上演に誘ってくれる人がいて,一緒にでかけている。そして,幕開けの,車椅子に座ったままの竹内さんのご挨拶を,なんとも悔しい思いで聞いている。なぜなら,声に張りがなかったからだ。竹内さんの声は「生きて」いた。感情豊かに,おのずから声に強弱が表出し,心地よい間の取り方が,わたしたちのこころをとらえて,ぐいぐいとひきつけていく。しかし,残念ながら,その声ではなかった。すでに,違う声になっていた。ああ,これはいけない・・・・と直感した。

 上演が終わったあと,ロビーで車椅子に座って竹内さんが,一人ひとり握手しながらことばを交わしていらっしゃる。いつか,長い列ができている。わたしたちもその列のうしろに並んで順番を待った。ずいぶん時間がかかったが,わたしも手を握りながら,例の「竹内さんを囲む会」をこれからもつづけたいので,お元気になられるのを待っています」と声をかけた。竹内さんは,にっこり笑って,「ぼくも楽しみにしているよ」と仰った。ああ,まだまだ大丈夫だ,とそのときは思った。

 が,しかし,事態は急転直下。この上演から一週間後には他界されてしまった。あっけないお別れだった。お話をうかがいたいことは山ほどあった。竹内さんが見据えておられた「からだ」は,わたしが必死になって追っていた「からだ」とは,まったく次元の違うところにあった。だから,なぜ,そうなるのか,深いところのお話を伺いたかった。マルチン・ブーバー,メルロ・ポンティ,ジョルジュ・バタイユ,道元,禅,道教,などなど。話がかみ合いそうでいて,じつは,かみ合ってはいない,そのズレがもどかしかった。なぜ,そういうことになってしまうのか。もちろん,その原因はわたしの勉強不足と経験不足にある。

 竹内さんは,つねに,現場を重視された。実践をとおしてみずからの思考を掘り下げ,その上でその思想・哲学的根拠を模索されていた。だから,いかなる思想・哲学であろうとも,みずからの「からだ」と共振・共鳴するところを,徹底してみずからのものとして咀嚼し,血肉化できたもののみを信じておられた。竹内さんにとって,他人の評価などはどうでもよかった。みずからの「からだ」をとおして,わがものとしたものに絶対的な「信」を置いていた。その意味で,不動の境地を切り開いておられた。だからこそ,その世界にもっともっと接近してみたかった。

 が,それも叶わぬままのお別れだった。残念の極みである。

 ことしの夏だったろうか,藤原書店から原稿の依頼が入った。全4巻のセレクション・竹内敏晴の「からだと思想」を刊行することになったので,それにともなって「月報」を発行したい。そこに短いエッセイを寄せてほしい,と。

 竹内さんにはずいぶんお世話になっている(その詳細ははぶくが)。その上,セレクションの「月報」に原稿を書かせていただけるなんて,まことに光栄なこと。喜んで書かせていただいた。いま,書店に行けば並んでいるので,手にとっていただければと思う。セレクションの第2巻「したくない」という自由,にわたしの書いたエッセイが掲載された「月報2」が挟まっているはず。

 エッセイのタイトルは,竹内さんの大音声「にんげんっ!」に震撼。

 竹内さんが全体重をかけて追求された「からだ」論が,ひろく巷間に理解されるようになるには,まだ,しばらくの時間が必要だろうと思う。しかし,間違いなく,時代が追いつくときがくる,とわたしは確信している。そういうお仕事をなさった方だと,その程度にはわたしにも理解できる。

 セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」全4巻が刊行された暁には,わたしたちの研究会でも「竹内敏晴さんをしのぶ会」をもちたいと思う。そのときにはちょっとした趣向をこらしてみたいと思う。
 

2013年11月28日木曜日

『原発ホワイトアウト』(講談社刊)の著者(現役キャリア官僚)のこんごの行方は?

 機密を漏らした公務員らへの罰則強化を盛り込んだ特定秘密保護法案が衆議院を通過して,参議院にそのステージが移った。政府自民党はなにがなんでも,この法案を今会期中に成立させるべく全力を挙げている。こんな情況のなかで,さまざまな団体が,この法案の「廃案」を求めて,必死の運動を展開している。

 というのに,この特定秘密保護法と一体とみなされているNSC(日本版「国家安全保障会議」創設関連法が,参議院本会議で可決・成立した。どこが賛成したのか。与党はともかくとして,民主党,みんなの党,日本維新の会,新党改革の4党が賛成。おやおやである。またぞろ,「右へならへ」である。政治家としての見識はどこにいってしまったのか。民主党はいったいなにを考えているのか。これではますます与党のいいなりだ。

 国会の外では,大反対が起きているというのに,政治家はこぞって「自発的隷従」の道をすすむ。寄らば大樹の陰だ。国民をあなどってはいけない。「いつまでもあると思うな,支持と権力」(斎藤美奈子)。

 NSCが成立したので,こんごは「4者会合」で国家の安全保障にかかわる「特定秘密」も指定することができるという。4者会合とは,首相・外相・防衛相・官房長官の4者である。ここで重要な決定をすることができるようになる。しかも,ここでの議事録は残す必要がない,という。おやおや,である。こうなると闇から闇へと,なんでもできることになる。

 そこで,前から気がかりになっていたのは,友人からまわってきた『原発ホワイトアウト』(講談社刊)の著者のことである。著者略歴によれば,東京大学法学部卒業。国家公務員Ⅰ種試験合格。現在,霞が関の省庁に勤務。とある。

 もう,すでに大きな話題となっているので,内容については割愛するが,いずれにしても高級官僚でなければ知り得ない政・財・官の癒着の構造をみごとに暴きだした小説となっている。そこに登場する人物もすべて架空の名前になっているが,よくよくみれば本名がなにで,だれのことを表象しているかはまぎれもなくわかる仕掛けになっている。だから,最初から小説ではなくて,ノン・フィクションを読んでいるような錯覚に陥る。

 たとえば,こうだ。関東電力(わたしには,東京電力と読める)の発注する事業は,相場の二割増になっていて,その二割のうち一割五分は業者の取り分とし,のこりの五分を法人登録のない関東電力のなかの「東栄会」という組織にキックバックする。年間の発注が約4兆円なので,この五分は800億になる。これだけの額が東栄会に入り,この金が政治家・官僚を動かすための資金になっている。この小説を読むかぎりでは,関東電力の思うままに政治家も官僚も操れるようになっている。みんな「金」と「女」には弱い。

 もちろん,これらの話は小説上のフィクションではあるのだが,それでもなお,これぞ現実と思わせるほどの説得力をもっている。このあと,つぎからつぎへと,わたしたち国民の知らない,遠く及ばない世界を暴き出してくれる。

 この本の帯には,つぎのようなコピーが躍っている。
 現役キャリア官僚のリアル告発ノベル!!
 「原発はまた,必ず爆発する!」
 日本を貪り食らうモンスター・システム!!

 そうして,田中森一(元大阪地検特捜部検事)の推薦文が載っている。
 「私は『闇社会の守護神』などと呼ばれたが,本書が明かす日本の裏支配者の正体は,全く知らなかった・・・・。著者の勇気を讃えたい」

 このコピーはとてもわかりやすいので,紹介したが,内容はもっともっとリアルで,空恐ろしい秘密が暴露されている。読んだわたしですら唖然としてしまったほどだ。そんなこんな,いろいろ総合的に判断して,この本の著者のこんごの行方はどうなるのだろうか,と心配になってくる。もちろん,ペンネームで書いているので,だれであるかはわからない。しかし,講談社は知っているはず。印税が発生するので,税務署でもわかるはず。だとすれば,権力から圧力がかかったときに,この著者を守りきることができるのだろうか。まことに不安である。

 特定秘密保護法が,実際にどのように適用されるのかは,まだ未知数だが,すでに明らかにされている範囲でも「特定秘密」は40万項目にのぼるといわれている。

 ほんとうのことを言うと罰せられてしまう国になるのである。この姿勢はお上から下々まで,あっと言う間に浸透していくことになるのであろう。とくに,日本という国はそういう歴史をもっている。お上の言うとおり,と。

 知っていても「知らない」というんだよ,親も教師も,子どもたちにそう教えなくてはならなくなる。見ても見ぬふりをするんだよ,と。余分な口出しはしてはいけません,と。もう,すでに,そういう社会になっているが,もっともっと徹底されることになる。

 当然のことながら,小説もまた,まともな社会問題などをテーマにしては書けなくなる。したがって,どうでもいい馬鹿げた小説ばかりが氾濫することになる。文化の堕落である。

 わたしが,これから展開しようと思っている「オリンピック批判」もまた,ほんとうのことを書くと危ない,という事態もおきかねない。ほどほどに手加減しなければならないことになる。もちろん,そんなことはしない覚悟はできているが・・・・。

 それにしても,あなおそろしや,である。
 

2013年11月26日火曜日

特定秘密保護法案,今日(26日)午前に強行採決,午後の本会議へ。福島の公聴会で全員が反対の意見表明だったのに。

 今朝の『東京新聞』一面に大きく報じられたのは,特定秘密保護法案に関する福島での公聴会だった。そこでは,自民党が推薦した委員もふくめて全員が慎重審議を求め,そのうちの多くの委員は反対の意志を表明した,という。これが国民の意志だと受け止めたい。

 にもかかわらず(あるいは,これに危機感をつのらせたのか),政府自民党は今日の午前の衆院国家安全保障特別委員会でこの法案の強行採決を実施,午後の衆院本会議に持ち込んだという報道がネットで飛び交っている。

 強行採決の現場にいたジャーナリスト・玉木雄一郎氏はつぎのように書いている(11月26日13時57分配信)。
 「あまりにひどい対応に唖然とした。安倍総理の退席に合わせてNHKのTV中継も終わって強行採決のシーンは放映されませんでした。こうした対応もふくめ,こんご,国民の知る権利や我が国の民主主義にとって大きな禍根を残す法案になることを強く懸念します。」

 かくして,強行突破のシーンは国民の眼にふれることもなく,質疑だけが垂れ流されることになる。そして,さも,充分に質疑がなされたかのように演出をして。そこに,NHKが加担する。この法案が通過してしまえば,NHKは間違いなく政府御用達の「特定放送局」となる。いや,その前からリハーサルまでやっている。やはり,受信料は拒否しよう。

 このままいけば,衆院本会議でも強行採決が行われ,参議院へとまわされることになる。絶対多数を確保してしまった政府自民党のやりたい放題である。しかも,そのやりたい放題の自民党に公明党,維新の会,みんなの党が追随していく,この姿が情けない。

 こんな重要な法案をたった一回の公聴会にかけただけで,しかも,その翌日には強行採決に突入するという,責任ある政治家とはとても考えられない行動を平気でとる。すでに,特定秘密保護法案を「廃案」にすべきだとする署名運動が広く展開されており,各種の団体がとりまとめて衆院議長宛てに提出されているのに,一顧だにしようともしない,この横暴ぶり。新聞各社も,こんどばかりは,圧倒的多数の国民がこの法案に不安を示し,そのうちの多くが,はっきりと反対の意志を表明している,と報じているというのに。

 こういう国民の意志を無視して,政党の党利党略に邁進する野党の情けなさ。いまこそ国民の声に耳を傾けて,その意志を代弁する政党が現れるべきなのに・・・・。そういう政党が存在しないということが,いまの日本の悲劇だ。

 このさきのことは,また,機会をあらためて書いてみたいと思う。重要な問題なので。

 とにかく,もっとも危惧していたことが,それも予想どおりに「強行突破」という数の暴力のもとで,繰り広げられた。これからさきも,超重要法案が目白押しであるが,つぎからつぎへと「強行突破」してゆくのだろう。「強い日本を取り戻す」どころか,日本を「地獄の底」に叩きつけるような法案ばかりではないか。安倍総理のいう「強い日本」とは「強い国家」,すなわち,「独裁国家」のことらしい。

 だから,まずは,戦前の「治安維持法」にも匹敵する「特定秘密保護法」をとおしておいて,それからあとはやりたい放題へ。しばらくの間,強行突破で頑張れば,それが日常化して,多くの国民は,それが当たり前と思うようになる。そうすれば,いつしか,おとなしく「隷従」するようになる。そのうちに,黙っていても,いや,圧政をつづければつづけるほど,権力にすり寄ってくる輩が増えてくる。「自発的隷従」(エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ)の実現である。

 もう,すでに,公明党も維新の会もみんなの党も,みごとなまでの「自発的隷従」になりさがってしまっているではないか。いちはやく「思考停止」してしまった政治家集団から,「自発的隷従」がはじまる。しかも,本人たちはなにも気づかずに・・・。

 こうして,ますます安倍・ヒトラーの実現が現実味を帯びてくる。あなおそろしや,アナオソロシヤ,anaosorosiya.

〔追記〕
 強行採決の様子は,インターネット上で流れています。
 その陳腐な光景をしかとご確認ください。
 わたしたちは,こんな人たちを選んでしまったのです。
 あなおそろしや。



2013年11月25日月曜日

猪瀬東京都知事に市民団体が告発状。いよいよ本格的な検証がはじまる。東京五輪に暗雲。

 共同通信が配信した情報によれば(11月25日13時22分),東京都知事(67)が徳州会グループから五千万円を受けとっていた問題に対し,市民団体「市民連帯の会」(代表・三井環元大阪高検公安部長)が猪瀬知事と徳田虎雄・前徳州会理事長(76),徳田毅衆院議員(42)に対する告発状を東京地検特捜部に送付したことが,25日,分かったという。告発状の容疑は,公職選挙法違反(虚偽記載など)。

 告発状によると,虎雄氏と毅氏は共謀し,昨年11月19日ごろ,議員会館で都知事選に立候補予定の猪瀬氏に五千万円を渡し,猪瀬氏は選挙運動費用収支報告書に記載しなかったとしている。

 さて,この告発状を受けた東京地検特捜部がどのように判断し,動き始めるのか,いよいよ本格的な検証がはじまる。

 他方,時事通信の配信した情報によれば(11月24日22時16分),猪瀬知事と徳田虎雄前理事長(76)の面会を仲介したのは政治団体「一水会」の木村三浩代表(57)だという。木村氏は,24日(日),取材に応じてつぎのように語った。

 猪瀬直樹氏と徳田虎雄氏の両者を引き合わせたのは「一水会」代表の木村氏だった。木村氏はこの両者と顔見知りだったので,猪瀬氏に徳田氏に会って挨拶したらと持ちかけた。そこで,入院している鎌倉の病院へ2人で行き,「選挙に出馬するのでよろしく」と猪瀬氏は挨拶をした。そこには徳田氏の妻も同席したという。金額のことについては,あとで木村氏が電話で徳田毅氏に「一億円くらい」という金額を提示したかもしれない。それを受けて毅氏と虎雄氏が相談して,ひとまず「五千万円」を渡すことになったらしい。猪瀬氏が一億円を要求したとする報道については「ありえない」と木村氏は語った,と。

 まあ,いずれにしても「一水会」代表の木村氏が金銭の授受の仲介役をつとめたことが明らかになった。問題は,この金が猪瀬氏の単なる個人的な「借り入れ」ではないことは明らかであること,そして,なによりも選挙運動費用収支報告書に記載されていなかったということ,この2点が明らかになったことだ。この2点がこれからの大きな争点となってくることは間違いない。

 いずれにしても,マフィアにも等しい驚くべきことが選挙の裏側では展開していたのだ,ということが表出してしまった以上,その結末を一刻も早くはっきりさせるべきだ。一番早いのは,猪瀬氏が辞任することである。白黒を争うのはそれからでもいい。

 そうしないと東京五輪が危なくなってくる。なにより,国際社会に対する信用問題がある。加えて,新国立競技場をめぐる諸問題のリーダーシップもとれなくなる。ただでさえ,都庁内での職員の都知事に対する評判はすこぶる悪い,と聞いている。あからさまに五輪を拒否する都庁幹部も少なくないとも聞く。そこにもってきて,この不祥事の発覚である。もはや,なにをかいわんや,である。

 まずは,これからの推移を注意深く追っていくことにしたい。とりあえず,都知事に対する告発状の提出と「一水会」代表の仲介という大きなトピックスが浮かび上がってきたことを,わたしたちは銘記しておこう。

 とりあえず,情報の提供まで。
 

おめでとう!日馬富士!怪我が癒えて,ようやく本来の姿に。

 日馬富士が絶好調のときには白鵬に負けたことがない。立ち合いで跳ね返されても,一瞬のスキをついて勝機をつかむ。その反応のすばやさは天才の領域にある。いや,アートというべきか。これが日馬富士の相撲である。

 今日のこの大事な相撲に,かれのもっとも得意とする一瞬の勝負技を繰り出した。わかっていても食ってしまう,あの忍者技である。真っ正面から当たるとみせておいて,頭と頭が当たるその瞬間に,からだを右に開いて,そのまま左上手をとって,即座に出し投げを打つ。

 今日の相撲は,わたしにとっては,とびきりに美しかった。わたしはその美しさに酔いしれた。

 日馬富士が花道の奥に陣取ったときから,すでに一幅の絵をみるようだった。半眼を閉じて,静かに出を待つ日馬富士の顔がアップで映し出される。まるで仏像の顔だ。これから世紀の大勝負に向かう人の顔ではない。もう,すでに次元の違う世界に自在に遊んでいるような,それでいてものすごい緊張感が周囲を圧倒しているような,しかも,自信に満ちあふれた顔にみえる。

 ときおり細く開く眼は,モンゴルの青き狼の眼。その眼が怪しく蒼い色を発しているようにみえる。人間であるというよりは,限りなく「動物」の次元に踏み込んでいるようにみえる。それは狂気の世界と呼んでもいい。すでに,この世の人ではない。

 これぞ,異界の人,ちから人,異形の人,力士の顔。この世とあの世の架け橋に立つ力士の顔。こういう顔になれる力士は,これまでにもそんなに多くはなかった。白鵬の「にらみ顔」とはまったく次元が違う。

 他方,白鵬はまったく対称的だった。テレビに映った最初の顔は,なんと鳩の眼をしている。おやっ?と思う。花道の奥で出を待つときから,その鳩の目線が,いつもと違って,あちこちにせわしなく動く。これまでにみたことのない白鵬の眼の動きが,どこか落ち着かない。まるで別人をそこにみる。昨日の取り組み(稀勢の里に上手投げで裏返しにされてしまった)のショックの大きさが,まだ尾を引いているな,とわたしはみた。その瞬間,あーっ,勝負あった,と。

 控えに入ってからも,白鵬の眼は「鳩の眼」のまま。いつもなら,ここから眼を閉じて,瞑想に入る。そして,ときおり半眼に開く眼は細く,鋭い。相手を威圧するような,激しい闘志をむき出しにする。なのに,今日はそれが感じられない。瞑想もしない。鳩の眼のまま土俵上を見上げ,対戦相手を見,観客席に眼をやる。どこか,目の置き所を忘れている。昨日の取り組み前までの,あの鋭い鷹の眼はどこかに消えてしまっている。

 最後の仕切り直しを終えて,塩に戻ってきて,いつもの所定の所作を終えて「ハッ!」と声を発して気合を入れた瞬間の眼も,いつもよりも優しい眼だ。どうしたことかと,わたしは息を飲む。

 日馬富士は,いつもとまったく同じだった。控えに入ってからも半眼に眼をつむり,瞑想をし,気持を集中させている。時折,細く開く眼は蒼く光り,遠く深いところに向かっている。土俵に上がって,仕切りに入っても,いつもと同じ。むしろ,なにか大きなものを超えた,達観した人の眼にみえる。これはいける,とわたしは確信する。

 わたしの予想はつぎのようなものだった。日馬富士はいつものように低い姿勢から突き上げるように相手をはね上げておいて,すぐに右のど輪,相手をのけぞらせておいて,それを外した瞬間に左にまわって上手をつかみ,そのまま出し投げ。相手の体がくずれたところを横から攻めて,寄り切り。

 しかし,実際は違った。最初の手順をすべてはぶいて,いきなり左上手をとりにいった。それでも,右手は相手の胸のあたりを突いている。その瞬間に,日馬富士は相手の正面から姿をくらませてしまう。この手があることを白鵬は百も承知である。それでも食ってしまう。この瞬間芸。これが名人技であり,アートとわたしが呼びたい日馬富士の「芸」なのだ。

 この「芸」を見せるために,14日間の相撲があったと言っても過言ではない。この14日間の日馬富士の相撲を白鵬はすべて目の前でみてきている。だから,この「芸」が生きてくるのだ。わかっていても食う,というのはそういうことだ。

 優勝インタヴューでは,一転して,赤い眼だった。赤く充血した涙目だった。でも,必死で涙をこらえ,「ファンのみなさんのお蔭です」「これからも頑張ります」と大きな声を張り上げた。笑顔一つみせない,全身全霊のインタヴューだった。どこかで,朝青龍のハートにつながっているような,そんな錯覚を覚えたほどだ。立派なインタヴューだった。

 苦しんだ4場所を通過して,日馬富士はまたひとまわり人間として大きくなった。強さも,以前の絶好調のときとは違う,味がでてきた。立ち合いで相手をはね飛ばすあの瞬発力はこれまでになかったものだ。この立ち合いは,これからの大きな武器となる。大横綱となるためのもっとも大事な武器となる。これがあるかぎり,変幻自在の立ち合いが,さらに有効になってくる。

 なにはともあれ,日馬富士,おめでとう。この一年間,初場所で優勝してから,四場所つづけて足首の怪我に泣いた。超スランプで,メディアにも叩かれ,相撲解説者からも叩かれ,ファンからも叩かれた。それでもじっと我慢して,ことし最後の締めくくりの場所で優勝した。これで,安心して正月を迎えることができるだろう。

 時限爆弾の足首の怪我を,じっくりと時間をかけて,さらに回復させ,初場所に臨んでほしい。つぎなる標的は,稀勢の里だ。苦手意識を払拭できるだけの実のある稽古を積むこと。そうすれば,日馬富士の黄金時代がやってくる。来年はそういう年になると信じている。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。
 

2013年11月24日日曜日

仏教伝来は天地がひっくり返るほどの大事件だった?どうも,そんな気がしてならないのだが・・・・。出雲幻視考・その14。

 だれもが知っている仏教伝来(公伝)の話。538年(元興寺縁起)とも,552年(日本書紀)とも言われている。が,年号のことは多少,どちらでもいい。百済の聖明王が使者を立てて大集団を,すでに同盟関係にあったヤマトに派遣してきた,という。このときの主役は仏教を伝えるための金銅の釈迦如来像と経典とその教えを説く僧侶の集団だった。のみならず,死者を弔う葬式の方法や,それを支える職能集団も一緒だった。この他にも鉄を製造・加工する技術者や利水を得意とする土木の専門家や,その他もろもろの技術者集団を引き連れて,百済から大挙してヤマトにやってきた,という。

 こんな仏教伝来の話をまとめた番組がNHK・BSプレミアムで放映されていた(11月21日,午後8時~9時,「歴史館 仏教伝来!異国の神がやってきた 古代日本の文明開化!?」)。わたしは,いつものように,この番組に向かって大きな声で「吼えて」いた。「嘘をつくな!」「なにを根拠にそんなことを言うのか!」「ディレクターのめん玉はどこについてるんだ!」という具合に。そのうち,解説者が3人,順番にあれこれ解説をはじめた。これがまた,もっとひどかった。もう,チャンネルを切り換えて,別の番組でもみようかと番組表に手をのばしかけたとき,アナウンサーが妙なことを言った。

 「仏教伝来は古代日本の文明開化ととらえることはできませんか」と問いかけたのである。ここから,急転直下,話はじつに面白くなった。でも,具体的な事例を取り上げて,得意気に解説する先生方の話は,つまらなかった。もう聞き飽きたアカデミズムが「でっちあげた」話ばかりだったから。ただ,録画で登場した古代史の専門家のなかに,「ああ,この人の説は面白い」と思う発言がいくつかあった。この話はわたしを興奮させた。

 いつもなら,ノートをとるのだが,最初から腹が立っていたので,ただ,吼えることに専念していたために,なにも記録がない。だから,これから書くこと(上にすでに書いたことも含めて)は,そのときに耳にした記憶を頼りにしたものなので,記憶違いも多々あることをお断りしておく。それよりも,そのときに,わたしのからだの中を「電撃」が走った。そして,そのときにわたしの頭のなかに妙な発想が浮かび上がり,これはこれは・・・・いかなることか・・・,と自分で興奮してしまった。そのときに思い浮かんだことのうち記憶に残っているものをいくつか書きとめておきたいと思う。

 仏教伝来・・・?これは百済によるヤマト支配のはじまりだったのではないか?

 こんなことが突然,わたしの脳裏に浮かんだ。
 いうならば,百済がヤマトを植民地化する,そのはじまりだったのではないか。仏教は,百済とヤマトの文化水準の圧倒的な差をみせつけるための最高の武器ではなかったか,と。

 その当時のヤマトの人びとの信仰の中心にあったものは,磐座信仰であった。つまり,山の頂上に鎮座する大きな石や,あちこちに点在する巨岩や奇岩に神の宿りを感じとり,なにかのおりには祈りを捧げ,安心立命することを習わしとしていた。その典型的な例が奈良・三輪山の磐座であり,三輪山の奥にひろがる「ダンノダイラ」の磐座である。ついでに言っておけば,ここは出雲族の拠点でもあった。

 そういう自然崇拝ともいうべき磐座信仰の世界であったヤマトに,仏教が伝えられたのである。しかも,金ぴかの仏像とともに。その仏像はお釈迦さまの如来像だから人間の姿をしている。つまり,神が人間の姿として目の前に出現したのである。その上に,人間・仏陀(お釈迦さま)が教え説いた思想,つまり経典が目の前に置かれ,これを熟読玩味し,それを日夜唱えると,仏教の教えが自然につたわってくる,というのである。さらに,その経典の読解の仕方,その意味・思想を説いて教える僧侶も目の前にいる。

 自然崇拝という眼にみえない神さまの代わりに,目の前に,仏像として眼にみえる神さまが出現したのである。これは,当時の人びとにとっては天地がひっくり返るほどの大事件だったのではないか,とわたしは直感した。それも単なる大事件ではない。

 ヤマトの素朴な磐座信仰に比べれば,仏教は立派な思想・哲学をもった体系的な,立派な世界宗教である。僧侶集団も,その修行や解脱(さとり)や学識に応じてきちんと組織されている。そして,仏教の説く教えのもとに,さまざまな儀礼もきちんと整備されている。とりわけ,多くの人びととのこころを捉え,惹きつけたであろう葬儀の方法は,だれの眼にも納得できる説得力をもった儀礼であったに違いない。

 この文字を読み,その教えを説く僧侶たちの存在は,もはや不動の地位を築いたに違いない。ヤマトのリーダーたちは,百済王の差し遣わした使者や僧侶,そして,さまざまな技術者集団(職能集団)に驚異の眼を向けて,羨望のまなざしを向けたに違いない。そして,これらの高文化をもたらした人びとに恐るおそる接近し,その教えを乞うたに違いない。こうしてヤマトの豪族たちは,ことごとく百済の使者たちに敬意を表し,帰依し,弟子入りすることになったのではなかったか。

 そして,そのことにだれよりも早く対応し,百済文化をわがものとした豪族が,のちに名を残す有力豪族になっていったのではなかったか。このように考えてくると,聖徳太子という偶像を立ち上げて(実在しなかったという説をわたしは支持している),仏教をめぐる諸矛盾をマニピュレートし,まったく事実に反する物語(記紀)をでっち上げることに成功した,権力側のその間の事情もなんとなくわかってくる。大和朝廷は,いかにして,この仏教伝来を「きれいごと」のうちに収め,合理化するか,ということに相当に腐心してきたのではなかったか。つまり,百済とヤマトとの関係を,それぞれ別個のものとして切り離しておくこと,もっと言ってしまえば,いっとき,ヤマトは百済の植民地であった,という事実隠しのために「記紀」の作文が必要であった,と。

 いま,わたしの頭のなかは,ニギハヤヒとジンムの関係(国譲り)の話にまで飛躍していて,ジンムとスジンは同一人物説をとるとすると,そのつぎのスイニンとノミノスクネの関係も,おやおや?と思うある閃きがわいてくる。そして,一気にトミノナガスネヒコの存在がクローズアップされることになる。そして,全部「トミ」つながりになっている奈良県の登美が丘,富雄川,鳥見山,外山,等彌神社,の事跡をさらに追求する必要があるのでは・・・・?とわたしの想像力は飛翔する。

 最後に,ノミノスクネが葬送儀礼にたずさわる職能集団の出身(しかも,出雲の人)であったということが事実だったとすれば,この人の存在をどのように考えるか。そして,その子孫である菅原道真と藤原一族との対立抗争も,まったく新たな地平からの,つまり,教科書的記述とはまったく異なる,意外な日本古代史の裏面が浮かび上がってくるのだが・・・。

 いよいよ,わたしの妄想はエンドレスにつづく。そして,この妄想のなかに,なんだか真実のかけらが潜んでいるのではないか,とも期待しているのだが・・・・。
 

2013年11月23日土曜日

東京五輪(2020年)は大丈夫か。はやくも軋みはじめた舞台裏も舞台表も。

 猪瀬東京都知事の不祥事(かぎりなく黒に近いグレイ)が突然,表出し,あっと驚いています。テレビの会見をみるかぎりでは,すでに,眼はうつろ,鬼の泣き顔,涙目,声は小さい,など明らかに犯罪者の顔でした。その意味では,この人は正直な人だなぁ,と思いました。全部,顔に表れる,わかりやすい人だと。

 しかし,こんな情けない顔になってしまった都知事のもとでの五輪開催は,なんともはやおぼつかない,というのがわたしの第一印象。こんなうしろめたさを背負って,平然とリーダーシップを発揮することはまず不可能ではないかと思います。せめて,安倍首相のように,さも当然という顔をして,堂々と「 under control」と嘯くくらいの心臓(晋三)の強さと無知蒙昧さを持ち合わせないと,政治家はつとまらないようです。

 まあ,冗談はともかくとして,当然のことながら,都知事の進退問題がこれからしばらくはつづくことになるのでしょう。猪瀬知事が,いさぎよく,さっと身を引けば立派。そうなれば,クリーンな知事を押し立てて,すっきりとした五輪の理想を実現すべく,ほんのわずかでもいい軌道を修正し(巨大化ではなくこころの籠もったおもてなし),その方針を明確にして・・・・という希望的観測も可能となるでしょう。しかし,一度,味をしめてしまった権力という美酒・美食を,そうそう簡単にあきらめることはできないでしょう。あの権力大好き人間にみえる猪瀬知事のことを考えると・・・・。となると,東京五輪は泥沼化してしまうことになりかねません。

 第一に,五輪施設の工事を請け負いたくてうずうずしているゼネコンが待ち受けています。しかし,こんな問題が浮上してくると,手慣れたはずのゼネコン各社も,いささか躊躇してしまうのではないか,と思われます。落札につきものの,妙術が,いつものようには使えないというジレンマが後追いしてくるはずだから,です。

 加えて,新国立競技場デザイン審査会をめぐる,信じられないスキャンダルが報じられています(22日)。新国立競技場のデザインがコンペ方式で選定されたことは,よく知られているとおりです。その審査委員会は安藤忠雄氏を委員長に日本人委員が8人,そこにイギリスの委員が2人,計10名で構成されたということです。なのに,イギリスの委員2人は一次審査のときには来日することもなく欠席。二次審査は「必要な情報を提供して審査してもらった」とJSC新国立競技場設置本部の高崎義孝運営調整課長が説明。しかし,情報提供の仕方などの詳細は明らかにしなかった,ということです。

 このイギリスの委員2人は,明治神宮外苑の景観など,現地を見ることもなく二次審査を「与えられた情報」だけで判断した,というのです。さらにはイギリスの2人の委員以外に欠席者がいたかどうかも回答しなかった,と新聞は報じています(『東京新聞』11月22日朝刊)。ということは,欠席者があった,ということの証左。

 この記事がでるしばらく前の新聞記事によれば,安藤忠雄委員長は一切の取材を拒否している,ということです。これが事実だとしたら,もはや,疑う余地はありません。取材を拒否しなければならない,なんらかの「うしろめたさ」を感じている,なによりの証拠です。

 どうやら審査委員会は,審査員同士の十分なディスカッションも行われないまま,なあなあか,あるいは鶴の一声で,新デザインを選定してしまったようです。これは「コンペではない」と,応募した建築家が批判しています。つまり,審査員全員が出席してディスカッションをした上で決するのがコンペであって,そうでないものはコンペとはいえない,というのです。ごもっとも,としか言いようがありません。

 ただでさえ,あまりに巨大すぎる,景観を損ねる,維持管理(メンテナンス)が大変である,建築の構造上の問題がある,建築技術が追いつかない,などなど問題点が続出しています。これらの問題を解決するだけでも大変なのに,選定のプロセスまで疑念が生まれてしまい,その問いに対して「ノー・コメント」,あるいは,取材拒否では,この船は前に進めません。

 そこに,猪瀬知事のスキャンダルです。船頭さんがふらつきはじめ,JSC(日本スポーツ振興センター)の不透明な応答がつづくかぎり,これはしばらくの間,相当に揺れ動きそうです。つつけばつつくほどボロがでてきそうです。まるで,崩壊寸前の日本丸の現状の典型的な縮図をそこにみる思いがします。

 すでに,建築家の槙文彦さんら100人の識者が修正を求める要望書を文部科学省やJSCなどに提出していることは,よく知られているとおりです。加えて,作家の森まゆみさんらも神宮外苑の景観などの保存を求める活動を始めています。この輪は静かに都民の間にも広がりつつあります。

 そこに猪瀬知事の不祥事です。火に油を注ぐようなことになってきました。総事業費1800億円という巨額な資金をどこから捻出するのか,結局は,国民の税金にふりかかってくるのは明々白々です。ただでさえ,フクシマをかかえ,除染問題をかかえ,避難住民の救済問題をかかえ,いくら金があっても足りない現実を無視して,なにゆえに「<超>巨大な新国立競技場」を建造しなくてはならないのか,わたしには理解不能です。

 みなさんは,どのようにお考えでしょうか。ご意見をお聞かせください。

2013年11月22日金曜日

『般若心経は英語で読むとよくわかる』(竹村日出夫著,みやび出版,2013年11月27日第一刷発行)がとどく。お薦め。

 この本を諸手を挙げてお薦めします。こんなに単純明快に『般若心経』を読み解いた本はこれまでみたことがありません。わたしは自信をもって,そう断言します。嘘だと思って,読んでみてください。かならず納得していただける,とわたしは信じて疑いません。それほどに,みごとに,『般若心経』の真髄を読み解いてくれるからです。

 なにより意表をつかれるのは,「英語で読むとよくわかる」という,この仕掛けです。実際に,この経文の英文を読むと,なるほど,そういうことだったのかと納得してしまいます。つまり,英訳するという工程が一つ加わることによって,経文のややこしさが一気に捨象されて,むき出しの本質が立ち現れるからです。翻訳とは言語の壁をジャンプすることでもあります。ジャンプすることによって,不要なしがらみから抜け出して,透明な世界に飛び出すことが可能となります。そうして,子どもにもわかる,むき出しの『般若心経』が立ち現れることになるのでしょう。

 もう少し,きちんと説明しておく必要があります。著者の竹田日出夫さんは,原典のサンスクリット語から掘り起こし,玄奘三蔵法師の漢訳と対比しながら,独自の日本語訳を導き出し,それをさらに英語に翻訳するという作業をとおして,これまでだれも経験したことのない『般若心経』の「こころ」に接近しようと試みているのです。そういう意味で,類書は存在しない,とわたしは断言します。言ってみれば,竹田さんの長年にわたる研鑽の結果が,ここに凝縮しているといっても過言ではありません。ですから,この本に書かれている文章そのものも,余分なことばはひとつもなく,ここがぎりぎりの簡潔文である,というようにわたしには読み取れます。

 さらりとした,それでいて含蓄のある名文がつづきます。一気に最後まで読むことができるでしょう。とにかく,『般若心経』の「こころ」とはこういうことであったか,といとも簡単にわからせてくれる,まことにありがたい本です。

 とまあ,こんな風にわたしが断言口調で書けるのには理由があります。この本のもとの原稿は,みやび出版が季刊で出している「みやびブックレット」『myb』に連載されていて,それを毎号,わたしは真っ先に読むことにしていたからです。それほどに惹きつけられるにも理由があります。わたしは,じつは,禅寺に育ちました。ですから,『般若心経』は毎朝の父の読経を,夢現の状態で聞いていました。そして,あるきっかけがあって,わたしは『般若心経』のマニアックなファンになりました。以後,『般若心経』読解本をみつけるとすぐに購入して,読みふけりました。ですから,わたしの書棚にはこの手の本がずらりと並んでいます。

 これらの本を読むたびに,『般若心経』は,いかようにも解釈可能な経典なのだと思いながら,さまざまなことを考えてきました。ですから,いつか,かならず『般若心経』読解・私家版を書こうと密かに考えていました。そこに,この竹田日出夫さんの「英語で読むと」が登場しました。わたしは,最初のうちは,なんという冒涜的な試みを,と半分は反感をいだいていました。が,何回か,回を重ねていくうちに,「うぬっ?この明快さはいったいどこからくるのだろうか」,と考えるようになりました。そのうちに,気がつけば,すっかりとりこになっていました。

 意表をつく本ではありますが,英訳することによって初めてみえてくる『般若心経』の世界があるのだ,ということを知りました。これは,とてもいい勉強になりました。

 ちなみに,『myb』2013 Autumn No.45 秋号の特集は「般若心経を繙こう」というものです。三田誠広/芹沢俊介/竹村日出夫,という錚々たるメンバーにわたしも加えていただいて,拙稿を寄せています。そして,この号が,竹村さんの連載の最終回にもなっています。興味をお持ちの方はぜひ手にとってみてください。(有)みやび出版のメール・アドレスは「books.miyabi@abelia.ocn.ne.jp」です。たぶん,まだ,在庫があると思います。定価は本体320円+税。とても瀟洒な,それでいて内容は文句なしのレベルの高さと豊かさ,おしゃれなブックレットです。

 なお,単行本となったこのテクスト(定価1,600円・税別,発売・星雲社)には,補講「般若心経」のことば,が加えられていて,キーワードとなっている重要なことばを抽出して,英語と日本語で解説がしてあります。ここも,まことに面白く,「空」や「苦」というようなことばを英語と日本語で説明してくれています。そして,最後に「般若心経の全文とその英訳」が掲載されています。

 とにかく,文句なしの絶品ですので,ぜひ,手にとってご覧になってみてください。

 というところで,今日はここまで。
 

一票の不平等。最高裁「大法廷14裁判官の判断」の一覧表を切り抜いて保存しておこう。来る選挙に備えて。

 最高裁の存在がぐらついているのでは?・・・,と今日(21日)の新聞をみて心配になってきた。「三権分立」ということの重要性とその意味について,戦後民主主義教育のはじまったばかりの中学生のとき(1950年~52年)に教えられた。そして,司法の独立ということがいかに重要であるかということを,そのときの社会科の先生は情熱をこめて語ってくれた。鈴木栄二先生。その姿がいまも彷彿とする。

 一票の不平等について,高裁判決では「違憲」「選挙無効」の判断が続出して,いよいよわたしたちの望む「一票の不平等」が解消される方向に進むのだと確信していたのに,最高裁では一転して「違憲状態」に後退してしまった。昨年の衆院選の「一票の不平等」をこのまま持続させてはならない,と「選挙無効」を訴えた二つの弁護士グループの最高裁での判断の結果に,わたしは愕然としてしまった。まさか,の後退である。これでは,またまた「一票の不平等」の解消が遠のいてしまったと,わたしだけではなく多くの国民が失望したに違いない。とうとう,最後の砦として期待していた司法まで・・・・,地に堕ちたものだ・・・・と。

 ショックである。昨年の衆院選が,これで正当化されてしまった。そうなると,ずるずるとこのままの状態がつづくことになってしまうのか,と思うと気が遠くなってしまう。一票の不平等は,もう,ずいぶん前から指摘され,議論され,裁判でも,何回も奇怪しいのではないかと訴えられ,その判断が求められてきた。しかし,「違憲状態」という判断が長くつづき,ようやく昨年になって,国会の無責任を業を煮やした高裁が「違憲」「無効」という判断をくだすようになってきた。それだけに,今回の最高裁の判断ですべての決着がつく,とわたしは楽しみにしてきた。しかし,そうはならなかった。残念。というより,情けない。最高裁の良識というのは,この程度のものでしかなっかたのか,と知って。

 もとをたどれば,国会の怠慢,以外のなにものでもない。国会議員の利害だけが最優先されて,国民の意志は無視されてきた。つまり,国会議員によって国民の基本的人権が無視されてきたのである。もっと言ってしまえば,わたしたち国民は一人の人間とは認められない,と国会議員に宣告されてきたのだ。こんな馬鹿げたことが,もう,何年もつづいているのである。都会に住むわたしたちは,一人前の人間として扱われてはいないのである。

 今日の新聞によれば,つぎのようである。
 「昨年衆院選の一票の最大格差は,千葉4区と高知3区の2.43倍で,09年選挙の2.30倍から拡大。今年3月の高裁判決は,違憲・無効2件,違憲12件,違憲状態2件と判断が分かれた。」

 わたしの1票が,千葉4区と高知3区では「2.43票」になる,という。そんなバカな話があってたまるか,とふつうの神経の持ち主なら必ずそう思うに違いない。しかし,これが現実に昨年の衆院選では行われたのである。にもかかわらず,最高裁は,これを「違憲」とは判断せず,「違憲状態」としてはぐらかした。

 小学生でもわかるのに・・・・。なぜ? 最高裁の「14裁判官」は小学生以下の判断しかできなかった,というこの事実をわたしたちは重く受け止めなくてはならない。それでも救いがまったくないわけではない。14裁判官のうち,3人の裁判官は「違憲」であると判断している。わかる人にはわかるのだ。にもかかわらず,わからない人にはわからないのだ。あるいは,わからないふりをしているだけかも。こんな単純な理屈がわからないはずはない。どこかで裁判官としての判断がゆがめられる力学がはたらいているに違いない。そして,そういう「力学」(「圧力」ともいう)に屈してしまう裁判官が最高裁に存在しているということは,われわれ国民にとっては不幸である。ならば,われわれの手で糺さなくてはならない。

 したがって,次回の選挙では,最高裁裁判官の信任投票で,わたしたちの意志をしっかりと表明することだ。適当な,無責任な妥協をしたと思われる裁判官には「×」をつけるべく,今日の新聞に載っている「大法廷14裁判官の判断」という一覧表を切り抜いて保存しておこう。そして,つぎの選挙のときには,きちんとわたしたちの意志を表明することにしよう。

 このことをわたしたちはあまりにないがしろにしてきたのではなかったか。

 最後のよりどころである最高裁裁判官の良識がぐらついてしまっては困る。われわれ国民がその姿勢を糾すべく,きびしく投票行動で示す以外にはない。わたしたちは「主権在民」という憲法のもとに生きているという自覚をもっともっと強くもつべきであるし,その責任をまっとうすべきではないか,と自省を兼ねて表明しておきたい。

 やはり,最後はわたしたち自身の問題なのだ。

 こういう,わたしたちの意に反する最高裁判決を導き出したのも,国会議員がてきとうに問題を「先送り」して平気でいるのも,すべてはわたしたちの責任なのだ。その責任をまっとうできる唯一のチャンスが選挙なのだ。選挙をとおしてわたしたちの意志表明をする以外には方法はないのである。そのことを肝に銘ずべし。

 ということで,今日はここまで。
 

2013年11月21日木曜日

特定秘密保全法案,修正協議中も国会審議。担当相は「ノー・コメント」連発。なのに,週末には採決?

 さみだれ式に野党が修正協議に加わり,その協議中も国会で審議が行われている。だから,森担当相は「協議中のことですので,コメントは差し控えたい」を連発(21日の「東京新聞」朝刊)。これは審議ではない。なのに,そこにのこのこと出かけていって質疑に加わる野党議員がいる。与党の時間稼ぎ以外のなにものでもない,ということを承知の上で政府与党に積極的に加担しているというこの醜悪さ。もう黙ってはいられない。

 ここは審議を一旦中止して,修正案がまとまるまで待って,その上で審議をゼロからやり直すのが筋ではないのか。しかも,その修正案がどのように合意されたのか,全文を国民に提示することが先決である。それもしないで,宙づりのまま,なにを,なんのために議論しているというのか。こんなことが国会でまかり通っている。

 しかも,今週末には採決されるらしい。となると,実質的な審議はほとんどなされないまま,強行突破をめざすことになる。これは政府自民党としては折り込み済みで,修正協議に応じつつ審議をつづけるという,とんでもない演出まで用意して・・・。

 いま,国会の外では,法律の専門家をはじめ,ジャーナリストや学者・研究者たちはもとより,多くの市民団体も声をあげて「反対」を叫んでいる。わたしもそのひとりだ。現に署名活動にも参加している。そして,なによりも,なんでもありの,どのようにも解釈可能な,法案としての整合性を著しく欠いているこの「特定秘密保全法」を成立させてはならない。

 わたしは再度,新聞に掲載されたこの法案の全文を熟読玩味してみた。読めば読むほどに腹が立つ。条文の末尾のいたるところに,「その他」とある。ということは,条文に明記されていないことも,権力の解釈によっていかようにも運用が可能であることを意味している。つまり,国家の側のやりたい放題になっていて,国民の側にはなんの保障もない。「主権在民」という憲法の精神もどこかに消し飛んでしまっている。これは,どうみても戦時中の「治安維持法」そのものである。

 疑わしきは闇から闇へと消されていった,あの暗い過去の記憶がよみがえってくる。憲兵隊がやってきて,有無を言わさず拉致していく・・・・そして,二度と帰らぬ人に・・・・。あの光景がふたたび現代によみがえるのかと思うと,ぞっとする。これは明らかに歴史の逆行である。

 敗戦後,ひたすら再軍備に反対し,平和を希求してきた日本人の努力は,いまやはかなくも費え去ろうとしている。このままいけば,数の暴力による採決がなされ,この「でたらめな」法案が成立することになるのだろう。そう思うと夜もおちおち眠れない。これはどうあっても「廃案」に持ち込まなくてはならない。あらゆる手段を駆使して・・・・。

 それでも駄目だった場合には,この悪法成立のために,どの政党が主導し,どの政党がそれに加担したのかを銘記しておこう。そして,少なくとも,自分の選挙区のどの議員が,どのように動いたかを監視しておこう。そして,最後の手段は,選挙だ。そのときに,迷わず選挙ができるよう,いまから覚悟を決めておこう。これだけが国民に付与された最後の切り札なのだから・・・・・。斎藤美奈子さん流にいえば(20日の「東京新聞」の「本音のコラム」),「生殺与奪」の権利はわれらにあるのだから・・・・。

 いま,このように書いている,たった一人による「呼掛け」のブログにすぎないものも,解釈によっては「煽動」となり,そのように「判定」されれば有無を言わさず闇から闇へ消されないとも限らない・・・・それが,いま国会で「空回り」の審議をしている「特定秘密保全法」である,ということもここで釘を差しておきたい。

 この悪法を支持する国会議員は,たった一度でもいい,この法案の全文を,自分の眼で通読し,自分の頭で考えたことがあるのだろうか,とわたしには不思議である。少しでも「自律」して考えることのできる議員であれば,みずからの意見を堂々と提示できるはずだ。それもしない/できない多くの議員は,ただ,政局に身を委ねているだけの存在,すなわち,単なる政治ロボットにみえて仕方がないのだが・・・・。

 だからこそ,われわれ国民が目覚めていなくてはならない・・・・と強く思う。世の中にはどうでもいいこともある。しかし,この悪法は,われわれ国民の生活の基本をひっくり返すほどの,大きな影響力をもつものだ。だから,黙っていてはいけない・・・・と。

 いま,スポーツ界に起きている不祥事も,そのステージが違うだけで,その本質は同根であると考えるからこそ,わたしは黙ってはいられない。そういう悪の連鎖を断ち切るのは,われわれ国民の責任でもあるから・・・・。

 

野見宿禰と当麻蹴速の相撲は死者の鎮魂儀礼だった?(森浩一説)。出雲幻視考・その13.

 考古学者の森浩一さんが,近著『敗者の古代史』(中経出版,2013年刊)のなかで,わたしにとっては考えてもみなかった仮設を提示していて,びっくりしました。森さんの説によれば,野見宿禰と当麻蹴速の相撲は,垂仁天皇の妃(サホヒメ)の死を悼む鎮魂儀礼であった,というのです。しかも,奈良・若草山の山頂にある鶯塚は,このサホヒメを埋葬した古墳ではないか,と推定しているのです(P.52~65.)。これには驚きましたが,考古学のオーソリティが言うのですから,これからはこの説も視野に入れて考えないといけないのかな・・・・と考えています。

 森さんの仮設は,『古事記』(『日本書紀』よりも,こちらの話の方が面白いという理由で)の記述をよりどころにして,そこに最新の考古学研究の成果を重ね合わせながら,独自の推理を展開したものです。専門的なことはわたしにはわかりませんが,なるほど,そういう推理も可能なのかとなんとなくわかったような気にさせられてしまいます。

 まあ,古代のことは,少なくとも文書資料に関しては,ときの権力の都合のいいように改竄されていることは間違いないわけですので,そこに考古学という補助線を引いて,検証するという方法はとても魅力的です。そこに,最近では,その地域に古くから伝承されてきた祭祀儀礼や民話・伝説なども重ねていき,多面的に謎だらけの古代の秘密に迫ろうということが盛んに行われるようになり,古代史はいままた新たなブームを呼んでいるようです。

 いささか脱線してしまいましたが,話をもとにもどしましょう。
 サホヒメといえば,天皇である夫を捨て,兄・サホヒコとともに戦って命を落とした悲劇の主人公としてもよく知られているとおりです。このサホヒメを夫である垂仁天皇はこよなく愛していたと言われています。にもかかわらず,兄・サホヒコが天皇に謀叛を起こすことを知り,しかも,その兄から「兄と夫といずれが愛しき」と問われ「兄ぞ愛しき」と答えて,天皇の子を身ごもった身でありながら,兄のもとに馳せ参じて籠城してしまいます。そして,籠城中に男の子を出産,その子がホムチワケで,成人しても口が聞けなかったというあの王子です。ところが,出雲のオオクニヌシを祀る神社を天皇にも等しい立派なものに修復すれば,口が聞けるようになる,という夢見があって,そのとおりにしたら口を聞くようになった,という次第です。

 とまあ,この話をしはじめますと長くなりますので,あとはテクストで確認してみてください。いま,流行りの『古事記・現代語訳』(何種類も本屋さんに置いてあります)にも当たってみると,もっと面白いと思います。が,いずれにしても,天皇は悩み苦しんだのち,サホヒコ・サホヒメの兄妹を殺すことによって決着をつけます。そして,皇后であったサホヒメの葬儀の折の鎮魂儀礼として,垂仁天皇は野見宿禰と当麻蹴速を呼び出して相撲をとらせたのだ,というのが森浩一さんの仮設です。それの補説として,つぎのような有名な話を引いています。

 皇極元年(642年)に,百済(くだら)の大使〇〇(ぎょうき)の前で健児(ちからびと)に命じて相撲をとらせた(『記』)。この相撲は,大使の児と従者が死に,児を河内の石川に葬ったとする記事に続いている。葬儀にさいしての鎮魂のためとみてよかろう(P.61.)。

 さらに,森さんはつぎのような話も紹介しています。
 昭和六〇年(一九八五)八月,日航機が群馬県上野村の山中に墜落して大勢の人が亡くなり,犠牲者のなかに大相撲の伊勢ヶ浜親方の家族も含まれていた。数日後に部屋の力士が土少々を背負って山に登り,墜落現場にミニ土俵をこしらえ,四股(しこ)を踏んだ。鎮魂のためにおこなったのである(P.61.)。

 死者の鎮魂のために相撲をとるという古くからの慣習は,中国,朝鮮半島を通過して日本にも伝わっていた,ということもよく知られているとおりです。ですから,百済からの大使の子どもや従者の葬儀に相撲をとったとしてもなんの不思議もありません。

 しかし,森浩一さんの仮設とはいえ,若干の疑問が残ることも事実です。一つは,よく知られるように野見宿禰は当麻蹴速を「蹴り殺して」います。いうなれば,決闘のようなものです。というより,決闘そのものと言ったほうがいいでしょう。もう一点は,勝った野見宿禰は当麻蹴速が支配していた土地をそっくり頂戴しているということです。純粋な鎮魂儀礼であったとすれば,なにも「蹴り殺す」必要はないはずですし,まして,報償として土地を譲り受けるというのも妙な話です。さらには,サホヒメのための鎮魂儀礼だったとしたら,なぜ,『古事記』にそのように記述しなかったのか,そして,鶯塚のことも,なぜ,記述しなかったのか,という疑問が残ります。もっとも,森さんの推理が事実だったとしたら,それをそのまま記述して後世に残すことにはなにか禁忌に触れることでもあったのかもしれません。

 が,それでもなお,このあまりに有名な両者の相撲が「鎮魂」のための儀礼であったとする森さんの推理は捨てがたいものがあります。もう少し考えてみたいと思います。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年11月20日水曜日

能面の撮影現場に立ち会う。カメラマン,デザイナー,編集者の絶妙のチーム・プレイを知り,感動。

 友人の能面アーティストの本の刊行がいよいよ軌道に乗り,仕事が動きはじめました。そのためのひとつの大きな山場の仕事であるすべての能面作品の撮影が今日(19日)の朝からはじまりました。わたしもお預かりしている能面作品(4面)を持って,撮影現場に馳せ参じました。場所は,能面アーティストのご自宅。全部で130面以上もの作品を撮影するというのですから,大変なことです。

 カメラマン,デザイナー,編集者の3人が揃ったところで撮影開始。わたしの興味は,友人の能面アーティストの全作品が一度にみられることと,プロのカメラマンがどんな風に撮影するのかということと,さらには,デザイナーという人の役割がどういうものなのかということ,の以上3点でした。もちろん,編集者は本の刊行までの全体のマネージメントをしていくわけですので,こういう撮影現場でどのような働き方をするのかということも,大いに関心がありました。

 いよいよ撮影がはじまりましたら,その瞬間からピンとした緊張感がその場にみなぎります。まず驚いたのは,撮影方法でした。一つは作品への光の当て方。ちょっとした光の当て方の違いによって映像がいかようにも変化するということ。カメラマンはデジタルカメラのディスプレイをみながら,矢継ぎ早にシャッターを切っていきます。そして,カメラマンのイメージに近い映像が得られた段階で,こんどは,その映像をパソコンで確認していきます。映像を大きく拡大して細部のチェックをしたり,色の出方を微妙に調整したり,明暗のバランスを確認したりしていきます。その上で,再度,カメラの位置や光の加減を調整しながら,撮影をつづけます。そうして,これでよし,というところまでカメラのディスプレイで確認し,それをパソコンでチェック。最終的な微妙な調整をしていきます。そして,カメラマンは「これだ」という画像を保存していきます。一つの能面の写真の画像が決まるまでに,これほどの手続きを経ていくのだということを知り,驚きつつ感心してしまいました。その間,カメラマンは真剣勝負です。

 その間,デザイナーと編集者は,画像を覗き込みながら,「あっ,いいですねぇ」とか,「もうちょっとアクセントをつけてみて」とか,「優しい表情がいいですねぇ」とか,「この能面は恐さを強調しようか」とか,カメラマンに声をかけながら被写体となる能面をセットしたり,片づけたりしています。そんな作業をしながら,さらに,これらの能面の画像がきれいに印刷できる紙質の相談をしたり,本の大きさ(サイズ)を決めたり,表紙の能面をどれにするか,というような話をしています。さらには,正面アングルからの映像だけではなく,能面によっては横から,上から,下から,あるいは,部分のアップ,という具合にカメラマンに注文をつけていきます。カメラマンはそれらの注文に応じて,驚くような画像を生みだしていきます。それを見たデザイナーと編集者は,誌面の構成の仕方や,能面の種類による分類の仕方や,この画像はこんな風に使おうとか,その瞬間瞬間のアイディアを出し合いながら,本の全体のイメージが共有されていきます。この三者の絶妙な呼吸が,みているわたしにはとても刺激的でした。そして,この三者の阿吽の呼吸がかみ合っているかぎり,この本はいい本になる,と確信しました。

 昼食をはさんだ雑談をとおして,この人たちが「ただ者」ではない,ということが次第にわかってきました。30代から40代の,どちらかといえば若い人たちです。しかも,3人とも,フリーランサーで,独立して立派な仕事をしている人たちです。しかも,話題の質のレベルがとても高いのです。無駄なことは言わず,ポイントを外さない話術を身につけています。ですから,とてもいい雰囲気をかもしだしています。ああ,やはり,どの世界でも一流といわれる人たちは,そのできが違う,と納得してしまいました。

 と同時に,カメラマンの仕事はたいへんなものだ,ということを肌で知ることができました。まず,なによりも体力勝負であること,そして,集中力,持続力,忍耐力,その上に「この画像で決まり」と見極める「眼力」(アーティスティックなセンス)が必要だということです。これは並大抵の仕事ではありません。そして,そのことを熟知しているデザイナーと編集者は,それとなくカメラマンを元気づけることばを発しています。この人たちもすごいものだ,と驚くことが多々ありました。しかも,この人たちに機嫌よく仕事をしてもらえるように,そこはかとなく気配りをする友人の能面アーティストも,いつもながらの,いや,それ以上の気持の籠もった振る舞いをみせ,すごいものだとあらためて認識し直しました。

 やはり,一流は違う,これが今日の撮影現場での体験から得られた結論です。そして,いい本はこのようにして生まれるのだ,と。
 まだまだ,勉強しなくてはならないことは山ほどある,と思い知らされた次第です。

 本が刊行されましたら,実名を挙げて,カメラマンさん,デザイナーさん,編集者さん,そして能面アーティストさん,みなさんのすごさについて,もう一度,語ってみたいと思っています。本は,来年2月刊行の予定だそうです。乞う,ご期待!
 

2013年11月18日月曜日

新国立競技場問題・その1.五輪開催基準を満たすため?とか。

 現在の国立競技場では,オリンピックを開催するためのメイン・スタジアムとしての基準を満たしていない,という。だから,建て替える必要があるのだ,という。単に,老朽化が進んでいるからだけではない,と。今日(17日)の新聞で初めて知った。

 わたしの記憶では,現在の国立競技場もスタンドを増築して,5万人以上の観客を収容できるようになっているはず。それでもなお,オリンピック開催のための基準を満たしていない,という。いったい,何万人の観客を収容せよ,とIOCは言っているのだろうか。そして,その基準をどのようにして定めたのだろうか。新しい付属施設になにを要求しているのだろうか。このあたりの精確で,詳しい情報がほしい(あとで,調べてみたいと思う)。

 もし,この話がほんとうなら,現状のままでオリンピックを招致できるだけのスタジアムをもっている都市はどれほどあるのだろうか。ロンドンですら,新しく建造したし,リオ(ブラジル)もいま新しく建造中という。たぶん,世界中のどこの大都市といえども,ほとんどの都市はIOCの要求する基準に合う競技場を新しく建造しなければならないだろう。ということは,どこの都市で開催することになるにせよ,メイン・スタジアムはすべて新しく建造するしかないのではないか。

 となると,もはや,これからの五輪招致は,大都市の,経済力のある豊かな都市以外は不可能だということになる。どう考えてみても,五輪開催可能都市は,相当に限られてしまうことは間違いない。だとしたら,これからのオリンピック開催都市は一定の基準を満たす,いわゆる先進国の都市の間を順番にまわっていくしかなくなる。五大陸を,可能なかぎり平等に,というオリンピック憲章の理念に反することになる。

 もっと,別の言い方をすれば,途上国で「小さなオリンピック」を小じんまりと開催するなどというコンセプトはもはや通用しなくなってしまった,ということだ。しかしながら,大きいことはいいことだ,自由・平等に競争をして,無限の進歩発展を夢見たヨーロッパ近代の考え方が,いまもそのままIOCを支配しているらしい。この考え方そのものが,とうのむかしに破綻しているというのに・・・。重厚長大という近代の価値観から,むしろ,軽薄短小の小回りのきく価値観が見直されつつあるというのに・・・。

 たとえば,原発問題がそうだ。ドイツではさっさとあきらめをつけ,それに代わる各家,各集落,各事業所,各村,各都市,という具合にできるだけ小さな単位で代替エネルギー(再生可能なエネルギー)の調達に取り組み,すでに大きな成果をあげていると聞く。

 かつてマンモスは,そのからだの大きさのゆえに生物界に君臨したが,逆に,からだの大きさのゆえに環境に適応できなくなり,絶滅してしまった,と聞く。オリンピックも,このままの路線を進むかぎり,その巨大で盛大なるがゆえに人気を博したものの,その巨大・盛大なるがゆえに維持・管理が不可能となり,やがては破綻していくのではないか,とそう思う。

 新国立競技場は,その規模といい,内部施設といい,出来上がれば「世界一」だそうな。その「世界一」の競技場を建設するためには,多少のこと(歴史的景観,やすらぎ,など)は犠牲にしてもいいと考えているらしい。どこぞの首相が考えそうな,経済発展のためなら人命も少々犠牲になるのもやむなし,その部分は「特定秘密」にすればことは済む,などという発想とどこかで通底しているようだ。新国立競技場建造構想が抱え込んでいる問題は,相当に根が深く,複雑怪奇なものであり,けして単純なものではない。その錯綜した力関係については,これから執拗に追求してみたいと思っている。

 その最大のポイントは,だれが得をするのか,だれのために建造するのか,というところにある。

 今日のところは,とりあえず,五輪開催基準を,いまある,あの巨大な国立競技場が満たしていないという事実にびっくり仰天した,というところにとどめておきたいと思う。そして,IOCという組織はいったいなにを考えているのだろうか,と疑問がいっぱい・・・・。

 こういう事実に対して,きちんとした批評をしない/できない土壌の方が,あるいは,もっと大問題ではないか。なぜなら,ここにも「自発的隷従」の陰が潜んでいる。それが当たり前である,それが自然なのだ,と勘違いするIOCを取り巻く不思議な(貴族的な)日常(常識)が,スポーツ界を牛耳っているらしい。われわれ庶民にはとうてい理解不能であるが・・・・。だからこそ,われわれのサイドからの厳正なる批評が重要な意味をもってくるはずだ。また,そうでなくてはならない,とわたしは信じている。
 

2013年11月17日日曜日

日馬富士,絶好調。千秋楽,横綱全勝対決を期待。中日8日目の取り組みの明暗。

 最後の4番だけでも,と無理に時間を空けて,息をこらして見つめました。どの相撲も,わたしの目には強烈な印象が残りました。

 まずは,日馬富士の相撲。この三日間の相撲のなかでは,もっともよかった。相手にすきをみせず,終始,攻めまくった一方的な相撲。こういう相撲がでるようになれば,もう安心。日馬富士の自信がもどってくる。さあ,こい,と。昨日の低い姿勢からの槍で突き刺すような立ち合い。そして,のど輪攻め。残るところを,はたき込み。前々日は,当たった瞬間に右に体を開いて左上手をとり,すぐに出し投げ,寄り切り。そして,今日の相撲。三つのパターンの日馬富士の相撲を白鵬に見せつけた,というべきか。まだまだ得意のヴァリエーションはいくつも残っている。が,そこに至る前に勝負をつけている。絶好調のなによりの証。なにより,足首の状態がいいようだ。だから,思い切った相撲をとることができる。これでこそ日馬富士の相撲だ。後半戦が楽しみになってきた。

 それに引き換え,今日の白鵬の相撲はいささか手順が狂っていた。押しても下がらない,はたいても落ちない,そこでややあわててドタバタした。そのあと,はじめて気合を入れなおして,突き放しにでる。これは強烈だった。ここで勝負あった。勢いあまって土俵下に落ちた白鵬が,呆然として中空をにらんでいる。納得がいかない,という顔。いや,どうしてこんな相撲になってしまったのだろう,といぶかしんでいるようだ。昨日までの,無駄のない,流れるような相撲とはまるで違っていた。豪風を褒めるべきか。今日の相撲をみるかぎりでは,どことなく白鵬に不安が残る。稀勢の里戦あたりがひとつの見極めとなるか。

 稀勢の里が首投げで豪栄道に投げられてしまった。立ち合いすぐに得意の左が入って,ここで勝負あった(と本人も思ったに違いない)と思ったら,とんでもない落とし穴が待っていた。左を差されて右腕が上に上がってしまった豪栄道は,窮余の策で,そのまま右を相手の首に巻いて投げにでる。これは無理だろうと思ってみていたら,首が決まってしまったのか,途中からあっけなく稀勢の里の体が一回転して落ちていった。こんなこともある。が,ほんのわずかな予感がわたしにはあった。豪栄道が最後の塩を握ってそん居しているとき,かれの眼は「狼」のように青白く光ってみえた。あっ,この眼はなにかある,と直感した。いつもの眼ではなかった。

 鶴竜と高安戦。相撲は鶴竜の一方的な相撲だったが,いまひとつ冴えがない。大関に上がってきたときの,あのキラリと光る冴えが,まだ戻ってこない。そろそろスランプから脱して,もうひとまわり大きくなっていいと期待しているのに。どこか怪我をしない相撲を意識しているかのように,やや,相撲が縮んでしまっている。小さい相撲になっている。もっと,攻めるときは思い切って攻めるべきではないか。どこかできっかけをつかめば,また,以前の冴えのある相撲がもどってくると期待している。わたしは,むかしから,この力士はただ者ではない,とにらんでいる。まだ,どこか目覚めないまま低迷しているようだ。今場所は,久しぶりに日馬富士が冴え渡っているのだから,尊敬する横綱の相撲をみて目覚めてほしいものだ。

なぜか,順番が真逆になってしまったが,今日,わたしのみた相撲の感想まで。
今日の相撲をみるかぎりでは,白鵬にやや不安,日馬富士が波に乗るか,という印象。まあ,白鵬が取りこぼすことはありえないので,このまま波に乗った日馬富士と,千秋楽全勝対決となることをこころから期待している。そうして,歴史に残る大一番を展開してみてほしい。

 大いに期待しよう。
 

圧政者の詐術(1)──遊戯(『自発的隷従論』,P.52.)

 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』は,しばらくは手放せないほどにのめり込んでいます。どのページを開いても,すぐに惹きつけられていく,不思議な本です。ですから,これからしばらくは繰り返しこのテクストの内容をとりあげることになりそうです。

 たとえば,P.52以下で,「圧政者の詐術」という見出しを立てて(1)から(5)まで論じています。つまり,圧政者は意図的に詐術を用いて民衆を誑かしているといい,以下の5項目をあげています。すなわち,(1)遊戯,(2)饗応,(3)称号,(4)自己演出,(5)宗教心の利用,の五つです。

 そこで,今回は,その(1)に相当する「圧政者の詐術(1)──遊戯」を取り上げてみたいと思います。ラ・ボエシによれば,圧政者が民衆を誑かす詐術の筆頭が「遊戯」だというのです。ここでいう「遊戯」は,日本語でわたしたちがふつうに理解しているものとはいささか意味が違います。ホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』でもちいられた「ルーデンス」の意味だ,とひとまず言っておけばいいでしょうか。

 「ルーデンス」とは広い意味での「遊び」のこと。ですから,「ホモ・ルーデンス」とは「遊ぶ人間」というほどの意味になります。つまり,人間の存在規定を「遊び」に求めたホイジンガの思想を象徴することばでもあります。

 ラ・ボエシはこのホイジンガが用いた「ルーデンス」(ludens)というラテン語の ludeの語源になったとされる歴史上の話題を紹介しながら,ludus  を用いています。このラテン語に訳者の山上浩嗣さんが「遊戯」という訳語を当てたという次第です。ですから,ひとまず,ありとあらゆる人間の「遊び」「娯楽」「享楽」「遊楽」「スポーツ」などを総称して「遊戯」としたと考えることにしましょう。そして,その「遊戯」が,民衆を誑かすための圧政者の都合のいい道具として用いられた,とラ・ボエシは指摘している,と考えればほぼ間違いはないでしょう。しかも,圧政者の詐術の「筆頭」に「遊戯」が挙げられている,というわけです。(なお,この点については,訳者による詳しい訳注がついていますので,そちらもご確認ください。)

 となりますと,スポーツ史やスポーツ文化論について考えてきたわたしとしては聞き捨てにするわけにはいきません。ラ・ボエシはつぎのように述べています。

  「芝居,賭博,笑劇,見世物,剣闘士,珍獣,賞牌(しょうはい),絵画,その他のこうしたがらくたは,古代の民衆にとって,隷従の囮(おとり),自由の代償,圧政のための道具であった。古代の圧政者は,こうした手段,こうした慣行,こうした誘惑を,臣民の軛の下で眠らせるためにもっていた。こうして民衆は阿呆になり,そうした暇つぶしをよきものと認め,目の前を通り過ぎる下らない悦びに興じたのであり,そんなふうにして隷従することに慣れていったのだった。そのありさまは,彩色本の目にも鮮やかな挿絵を見たいばかりに読みかたを習う小さな子たちとくらべて,愚かさの点では同じくらいであったが,罪の点からすればより深刻であった。」

 この『自発的隷従論』が書かれた1546年(16歳とする説と,18歳・1548年とするのふたつの説がある)当時のフランスという時代や社会のことを,まずは念頭に置いてこの文章を読む必要があります。それともう一点は,ラ・ボエシが16歳(あるいは18歳)のときに書いたという事実です。つまり,「若書きの荒っぽさ」も散見されるということ,ただし,それでもなお問題の核心ははずしてはいないという点も合わせて考える必要がある,ということです。

 おそらく,このような文章を書いた当時のラ・ボエシの念頭には,古代ローマの「パンとサーカスを!」と叫んだ民衆と皇帝の関係があったに違いないでしょう。だからこそ「こうしたがらくた」である「遊戯」は,まぎれもなき「隷従の囮,自由の代償,圧政のための道具」でしかない,とラ・ボエシは考えたのでしょう。つまり,圧政者(皇帝)による愚民化政策の一貫として「遊戯」は大いに役立ったという点に注目し,そういうくだらない「遊戯」が日常化することによって民衆は「思考を停止」し,いつのまにか民衆は「隷従することに慣れていったのだった」とラ・ボエシは指摘します。

 この隷従のからくりを古代の話としてラ・ボエシは語っていますが,これを読むわたしには,これはこのまま現代日本の情況とほとんど同じではないか,と読めてしまいます。その典型的な事例は,こんにちのテレビの番組をみればわかります。いわゆる夕食時のゴールデン・アワーの番組は,まさに,ラ・ボエシがいうところの「がらくた」番組ばかりです。こういう「がらくた」番組がもっとも視聴率をとるというのですから,現代日本人も,「パンとサーカス」を求めた古代ローマ人となんの違いもありません。

 こういう「馬鹿番組」(このなかにはスポーツ番組も含まれます)をひたすら垂れ流すことによって,国民の眼から「脱原発」論を遠ざけ,「沖縄基地問題」を忘れさせ,いま,もっとも議論されなくてはならないはずの「特定秘密保護法」や「TPP」にも蓋をしてしまう・・・・・この恐るべき「暴力装置」に,わたしたちはもっともっと批評の眼を向けるべきでしょう。そうしないかぎり,わたしたちは,無意識のうちに,つまり,まったく自覚のないまま,「隷従することに慣れて」しまい,それが日常化し,気づいたときには立派な「自発的隷従」の軛にはまっている,というわけです。

 わたしたちは,いま,まさに,そういう情況のなかで生かされている,ということです。

 2020年東京五輪の話題もまた,こうした「自発的隷従」を推進していくための立派な「道具」であり,国民をマヒさせるための圧政者にとってはまことに都合のいい劇薬である,ということを私たちは忘れてはなりません。もう,すでに,その劇薬が効き過ぎていて,完全なるマヒ状態を生かされているといっても過言ではありません。少なくとも,そういう「自覚」をもつことから始めなくてはなりません。

 そういうことを,このテクストは,わたしの胸に突きつけてきます。もっともっと深く思考を練り上げていきたいと考えています。今日はここまで。
 

特定秘密保全法に反対する署名活動にご協力を。

 以前,このブログでも取り上げましたが,「特定秘密保護法案」の全文を熟読してみて,これは戦前の「治安維持法」の現代版ではないか,と空恐ろしくなりました。ふたたび,第二次世界大戦の時の戦時体制への備えを,いまから始めようという意図が丸見えです。いったい,この国の憲法第9条はどうなってしまったのか,そして,それよりなにより「国民主権」の憲法の精神を真っ向から否定するものにほかなりません。そんな恐ろしい法案が十分な審議もなされないまま,多数の暴力で押し切られようとしています。

 諸般の事情で,街頭デモには参加できない人も,せめて「署名」運動をとおしてその意志を表明することはできます。国民としての,ささやかな意志を,しかし,決然たる意志を国会議員に伝えたいと考えています。

 以前,「特定秘密保全法への反対を国会議員に請求するキャンペーン」が知人より送信されてきて,それに「賛同」しました。そして,「電子署名」をいたしました。が,それでは署名として認められないとのこと。そこで,本人の手書き署名をして,郵送して欲しいという依頼がありました。もう,残り時間もありませんが,緊急のお願いをみなさんにもいたしたいと考えました。まことに恐縮ですが,こころある人は,ぜひ,下記の方法で署名・郵送をしてくださるよう,お願いいたします。

 いろいろの経緯がありますが,現段階では,下記の団体が署名を国会議員のところに届けてくれることになっています。
NGOs Civilian Platform Japan
http://www.sonegoro.jp

 署名は以下のURLから署名用紙をプリントアウトして,本人の手書きで,名前・郵便番号・住所を記入してください。
https://drive.google.com/file/d/18HkglYx-eJEMjz8b8TqdGDzj84HquZs3cL5Q3ZTgw00IGoxGFgfs48S-hA09/edit?usp=sharing

郵送先は以下のとおりです。
〒279-8799
浦安郵便局留
千葉県浦安市富岡1-19-7
藤原節男様

 以上です。
 お手数をおかけしますが,よろしくお願いいたします。
 わたしも,ささやかではありますが,可能な範囲で,こんごもみずからの意志表明をしていきたいと考えています。重ねて,よろしくお願いいたします。

 取り急ぎ,お願いまで。

※〔追記〕署名用紙をプリントアウトできない場合には,その上に書いておきましたNGOs Civilian Platform Japan のURLを開いてみてください。ホーム・ページの下の方に,署名用紙のファイルを請求することができるようになっています。お手数ですが,よろしくお願いいたします。

2013年11月15日金曜日

戻ってきた尾車親方の名解説。顔も声も調子も違うが,力士への鋭いまなざしと思いやりのことばは以前と同じ。嬉しいかぎり。

 初日の日馬富士の相撲をみて,よし,今場所はいけると確信しました。全体重をかけてわたしはそう思いました。ですから,毎日,最後の取り組みの二番だけはこの眼でみておきたいと心がけています。今日は少し早めに帰宅して(小雨が降っていたので),すぐに大相撲をみました。午後5時20分ころからのいい取り組みに間に合いました。

 テレビを点けてみたら,実況中継のアナウンサーの声もわたしの知らない人だったし,解説の人の声も聞き覚えがありません。あれっ?今日はどういう人が大相撲中継をやっているのかな,と思いながら画面を見入っていました。が,聞こえてくるのは,いつもの元横綱の解説とはまるで違う内容になっていました。しかも,内容がいつもとはまったく違います。

 期待していた豪栄道の取り組みについて,今日の解説者は,みごとに勝負の分かれ目を分析した上で,「今日は負けたけれども,まだまだ,これからです。豪栄道は力があるのだから,自分の相撲を建て直して,内容のある相撲をとることです。そうすれば,大関への道は見えてきます」と言っている。おやっ?と思いました。この物言いは,どこかに記憶がある,と。

 そう,こういう思いやりのある解説は,その昔,尾車親方の語りでした。ですから,わたしは尾車親方の語り以外には記憶がありません。こんな話は尾車親方以外にできるはずはない,と思いつつ,半信半疑でした。やはり,尾車親方かな?と思いめぐらせていました。ところが,声が違う。しゃべる調子も違う。だれだろう?と思いながら耳を傾けていました。

 稀勢の里と豊ノ島が土俵に上がったとき,この相撲は面白いとわたしは密かに期待していました。場合によっては,一波瀾あるぞ,と想定しながら。そして,稀勢の里がしっかりと豊ノ島を自分の正面に組止めて,落ち着いて裁けば,このあとの稀勢の里の相撲が決まる,とふんでいました。そうしたら,まったく同じ内容のことを尾車親方が丁寧に説明していました。わたしは大いに自信を得て,テレビに見入りました。

 その直後にアナウンサーと解説者の顔が画面に登場。おお,この顔はこの間,別の番組でみた病み上がりのままの,尾車親方の顔ではないか。アナウンサーの顔はわたしが初めてみる人。それにしても驚きました。これまで聞いていた解説は尾車親方だったのだ,と。ならば,すべて納得。それにしても,あの語り口はかつての尾車親方のそれとは違います。

 尾車親方のしゃべりは,まだまだ半開くらいか。それにしても,大病後の語りとしてはできすぎ。こんな解説ができるまでに復活しているとは夢にも思っていませんでした。ですから,思わず尾車親方が戻ってきた,と大きな声でテレビに向かって吼えていました。

 しかし,以前のような元気のいい,そしてテンポのいい,それでいて舌がややもつれるような愛嬌のあるおしゃべりではない。全開ではない。しかし,もう,ほとんどそれに近い。それだけでわたしは嬉しくて,琴風,いいぞ!j吼えていました。

 でも,尾車親方は,ことばを選び,慎重に,落ち着いた語りになっていました。以前のような舌がもつれるような,ちょっとばかり愛嬌のある語りをほんのわずかだけのこして,あとは,ごくふつうの人の歯切れのいいしゃべりになっています。全体的には痩せて,顔の肉も落ちています。ふたまわりほど痩せたのだろうと思います。たぶん,口の中の形(口腔)も変わったのだろう,とおもいます。もう,ごくふつうの人と同じ,すっきりしたものの言い方になっています。

 ですから,とても,同一人物がしゃべっているとは思えませんでした。しかし,相撲をみる鋭さとその分析力,それを語るときの理路整然とした語り口,そして,いつも忘れない,負けた力士へのエール(おもいやりのことば),は健在そのものでした。ああ,いいなぁ,としみじみ尾車親方(わたにとっては大関琴風のあの雄姿の方が強い)へのリスペクトが大きく膨らみました。この人とは一度,直に,会って話をしてみたいといまさらながら思います。それは,わたしにとっては「人間的魅力」そのものです。わたしと会ったとき,このひとはいったいなにを語るだろうか,とそれだけがわたしの興味の中核です。

 今日の,最後の取り組みとなった日馬富士と隠岐の海との対決を,尾車親方はどのようにみているのだろうか,とわたしの胸は高鳴りました。しかし,ここでも尾車親方とわたしの見方はほとんど同じ。低い姿勢からの相手の胸元に突き刺さるような鋭い立ち合いが戻ってきたこと,これが戻ってくれば,あとは持ち前の相撲勘とスピードに任せて,自由自在に相手を翻弄することができます。そして,このまま白星を重ねていって,優勝争いはもとより,千秋楽の全勝対決がみてみたいですね,と尾車親方。

 この両者の相撲内容は,日馬富士が真っ正面からいくと見せかけて,体を右にやや開き,すばやく左上手をとって,そのまま出し投げを打って,残るところを寄り切り。これも日馬富士が得意とする相撲の一つ。これを決めるには,鋭い立ち合いあるのみ。このことの重大さを尾車親方も,縷々説明がありました。わたしは嬉しくて,尾車親方と,ほぼ同じようにつぎの取り組みを予想できることに,もう,万歳しかありません。

 さて,これからしばしば尾車親方がテレビ解説に登場して,徐々に,かつての名調子をとりもどしてくれることを,いまから祈っています。この人の相撲解説は,天下一品,アートにも等しいとわたしはこころからのエールを送りたいと思っています。

 大相撲の醍醐味を,わかりやすく,教えてください。尾車親方こそ,その最適任者。 
 わたしはわたしなりのやり方で,大相撲の奥義に迫ってみたいと思います。


島倉千代子,逝く。75歳,寅年。死ぬ3日前までスタジオで吹き込み,とか。 おみごと,万歳。

 この人の声と,あのコロコロところがる節回し,そして,歌に籠められるこの人の深い情感がわたしのからだに,わたしの人生とともにしみこんでいる。突然の訃報を聞いて涙した。なんだか知らないが,涙した。わたしにとってはそういう歌手だった。

 「東京だよ お母っさん」をラジオで聞いたのが最初だった。まだ,高校生だった。なんという歌手なんだろう,とびっくりした。こんな歌い方をする歌手は初めてだった。それまで聞いてきた演歌歌手とはまったく異質のなにかを直感した。すごいっ!と思った。上手・下手を超越したなにかがつたわってきた。それ以後,この人の歌はじっと耳を傾けて聞いた。いい。とても,いい。ことばにならない「なにか」が間違いなくとどいてくる。からだの芯まで,ビリビリと「なにか」が響いてくる。いつも,いつも,いいなぁ,と思いながら聞いていた。ラジオで。

 その翌年に大学受験のために上京した。父の知人の家にお世話になった。その初日に,試験会場を確認しに都心にでた。その帰り道に,東京駅から歩いて皇居前に行き,「東京だよ お母っさん」を口ずさみながら,初めて二重橋の前に立った。その記憶がいまも鮮明に浮かんでくる。いまでも,お千代さんの声が頭のなかで鳴り響く。いいなぁ,といまも思う。

 わたしとお千代さんとは同じ寅年生まれ。一つ年上の丑年生まれに美空ひばりがいて,江利チエミがいて,雪村いずみがいた。こちらは「三人娘」というキャッチ・フレーズで歌に映画で大活躍をしていた。しかし,島倉千代子だけは,ひとり,別個の道を歩んだ。だれとも気軽に馴れ合ったり,馴染むことを拒否するような,孤高の道を歩んだ。つまり,個性がまるで違うのだ。歌の質も違う。どこか孤独感を漂わせる,深い響きがあった。そこが好きだった。

 大学一年生の秋に,島倉千代子ワンマンショウのチケットがあるが,一緒に行かないかと同級生の女の子に誘われた。えっ,おれでいいの?とかいいつつ,いそいそとついて行った。その彼女は,わたしが島倉千代子の熱烈なファンであることを知らないまま,誘ったらしい。わたしは着席するなり,入り口でもらったパンフレットに読みふけり,一緒に行った彼女とはほとんど口もきかなかったらしい。そして,歌がはじまったら,もう,全身全霊を傾けて島倉千代子に聞き入っている。わたしにとっては,初めてのライブである。島倉千代子の歌に生で触れる,初体験。

 終わったあと,彼女は食事に誘ってくれたように思う。が,わたしは田舎からでてきたばかりの木偶の坊。ただ,島倉千代子の歌の余韻に浸りたくて,食事を断り,ひとりで夜の町をさまよっていた。それっきり,彼女との縁は切れた。当たり前である。あまりに,わたしは「ウブ」だった。

 それからしばらくして,テレビが電気屋さんの店頭に並ぶようになり,デモ用のテレビで島倉千代子をみかけると立ち止まって聞き入った。同じ歳の女の子が,それも天才歌手が,輝いていてまぶしかった。すごいなぁ,とひとりで感心していた。なによりも,島倉千代子の純粋なあどけなさというか,おちゃめな可愛らしさというか,いちずな思いというか,彼女の素のこころのようなものが歌をとおして伝わってくるのが,そこはかとなく嬉しかった。

 同郷の出身者ばかりが生活する学生寮で暮らしていたが,わたしが島倉千代子が好きだということは,だれにも言わないで内緒にしていた。その方が日々,充実した生活がてきるように,その当時はまじめに思っていた。たったひとつの秘密を抱え込みながら生きるのは,なんとも楽しかった。というか,ときめきがあった。まだ,初恋も知らないウブな大学生だった。

 島倉千代子はつぎつぎにヒット曲をとばした。そのつど,わがことのように嬉しかった。順番も,もう定かではないが,「この世の花」「からたち日記」「人生いろいろ」など,それぞれに忘れられない思い出がある。それを語りだしたらエンドレスになる。

 それにしても,阪神タイガースの中軸バッターだった藤本選手と結婚したときはショックだった。それは違うだろう,と。やはり,この結婚は長くはつづかなかった。ここからお千代さんの苦難の人生がはじまる。そういう苦難を一つひとつ乗り越えながら,そのたびに,あたらしい歌の境地が開かれていったように思う。

 島倉千代子の個人的な苦難のつづく人生には同情もしたが,それ以上に歌のできばえに意識を集中していた。たとえば,「人生いろいろ」がでてきたときには驚いた。それまでの歌とはまったく雰囲気の違う歌の出現に,大丈夫か,と思ったほどだ。が,そんなことは杞憂だった。歌い込まれるほどに,こちらの耳も馴染んできたのか,しだいに味がでてくる。今夜も久しぶりに聞いたが,いいなぁ,とほんとうに思う。うまい,というより味がある。

 ことしは,気のせいか,なじみの有名人がばたばたと逝ってしまう。まだ,わたしより年上の人なら順番だから仕方がない,とあきらめもつく。しかし,島倉千代子はわたしと同じ歳だ。これは辛いものがある。

 でも,お千代さんは自分の部屋にシタジオを作ってもらい,亡くなる3日前まで歌の吹き込みをやっていた,という。もちろん,死期が近いことを承知の上で。おみごと。立派。お千代さんに万歳を捧げたい。そして,たくさんの思い出をありがとう,とひとこと。

 明日は,DVDを買いに行こう。そして,もう一度,お別れにじっくりと聞いてみよう。あの,だれにも真似のできない「お千代さん節」を。
 

2013年11月14日木曜日

「股関節を緩める」こと,「沈する」こと,「腰を回転させる」こと,「曲線を描く」こと,「尾てい骨を巻き込む」こと。李自力老師語録・その39。

 「股関節を緩めなさい」,とこれまでどれほど言われてきたことか。それはつぎの動作で「力を導き出す」ための準備局面として不可欠です,と。つまり,それは「力を溜める」ことであり,「力強さ」を表出するための最大のポイントです,と。

 じつは,「股関節を緩める」という表現ほど奥が深く,理解が困難な動作はない,とわたしはかねがね考えてきました。なぜなら,なにを,どのようにすれば「股関節を緩める」ことになるのか,自分のからだで感じ取ることができないからです。つまり,膝の屈伸運動や伸脚運動は随意運動ですので,頭で考えて命令すればからだは,それなりに動きます。しかし,「股関節を緩める」という動作はそうはいきません。

 ですから,わたしは,「それらしきこと」を見よう見まねでやってきました。しかし,今日(13日)の稽古で,「腰が回転していない」という厳しい指摘を受けました。そして,それは「股関節を緩め」ていないからだ,と李老師は仰るのです。そして,いつものように「悪い見本」と「正しいお手本」とを実演して見せてくださいました。「悪い見本」は,みごとなほどの「ものまね」で,自分のことながら爆笑してしまいました。その上で「正しい見本」を見せてくださいました。眼で見れば,なるほど,とこころの底から納得です。

 しかし,「股関節を緩める」ということが自分の体感としては,いまひとつ,ピンときません。そこで,勇気を奮い起こして(というのは,質問することが恥ずかしかったので),「股関節を緩める」ということがまだよくわかっていません,それはどういうことなのか詳しく教えてほしい,と聞いてみました。すると,李老師の眼がキラリと光り,やや間があって,つぎのようなお話をしてくださいました。それを精確にここに記述することはきわめて困難なのですが,いつものように「如是我聞」という前提で書いてみますと,以下のとおりです。

 「股関節を緩める」ということばは中国語では「沈する」と言います。それは膝の関節を曲げて「沈する」のではなくて,股関節の部分をほんのわずか「沈する」のです,と。そうして,さまざまなスポーツでも,力強い動きを発動させる寸前には必ず「股関節を緩め」ています,つまり「沈して」います,と。そして,上手,下手の分かれ目は,この「股関節を緩める」というところにある,つまり「沈する」ことが自然にできているかどうかにある,と。

 この「沈する」ことがわかれば,自然の流れとして「腰の回転」運動が,意識しなくても起こります,と。そして,その動作は間違いなく「直線」ではなくて,「曲線を描き」ます,と。そう言って,立ってたばこを吸っている人の「ものまね」をしてくださいました。そして,その横にいる友人に話しかけると,その友人もまた無意識のうちに「腰を回転」させて向き合いますと仰り,その声をかけられる役をわたしに与えました。そして,やってみますと,わたしのからだはなにも考えないのに「腰を回転」させて向き合っています。このとき「沈する」が無意識のうちに起きている,つまり,「股関節を緩め」ている,と仰います。

 そして,それは直線運動ではなく,かならず「曲線を描く」ことになります,と仰ってイエマーフォンゾンの動作を何回も繰り返しやってみせてくれます。わたしたちも一緒に,必死になって,そのあとを追います。が,やはり,どこか違います。さらに,わたしは勇気を奮い起こして質問をしてみます。すると,意外なことに「尾てい骨を巻き込む」ときにも「沈する」のだ,と仰る。「えっ?!」とわたし。李老師はわざわざその部分だけをやってみせてくださいます。なるほど,言われてみれば「沈して」いることがわかります。

 さあ,これは大変なことになった,と初めてわたしは気づきました。なぜなら,力を表出させる動作のとき以外は,つねに「沈して」いる,と気づいたからです。これまでにも「余分な力は抜きなさい」とつねづね言われてきたのですが,つねに「沈する」ことによって,あの李老師の滑らかな,流れるような動作が生まれているということに気づいたからです。

 さあ,こうなったら,稽古あるのみ,です。
 今日の稽古は薄皮を一枚はがしたように,「沈する」世界が見えてきました。これはとてつもなく大きな前進だと受け止めています。李老師に感謝あるのみです。「老師,謝謝!」。これから気持を入れ換えて稽古に励みますので,こんごともよろしくお願いいたします。
 

2013年11月13日水曜日

老人は肉を食え,だどっ?! NHKクローズアップ現代の制作者のみなさん,大丈夫ですか?

 老人は肉を食べてはいけない,とかつて栄養学の権威者といわれる人がテレビで声高らかに仰った。そのとき,わたしは「ヘエッ,そんなもんかねぇ」と半信半疑。でも,その後に登場した多くのテクストも同じように,老人は肉を食べない方がいい,と書いてありました。わたしは大いに疑問を感じながら,栄養学の権威者がそう仰るのなら,そうなのかなぁ,といぶかしげに考えていました。でも,そのころのわたしは(60歳),どういうわけか肉がとても好きで,美味しくて,一週間に2,3回は肉を食べたいと思っていました。ですから,栄養学の先生方のいうことを無視して,「食べたいものは食べる」という原則のもとに,食べたくなったら肉を食べる,を実行していました。そして,魚が食べたくなったら魚を食べる。野菜が食べたくなったら野菜を食べる。つまり,そのときのからだがなにを食べたいと言っているか,そのときのからだの「声」に耳を傾け,それに従うことにしていました。そして,こんにちまで生きてきました。

 まあ,いまさら断るまでもありませんが,わたしは徹底して栄養学などの知見は無視して,いま,なにが食べたいか,というその日,その時のからだの声に忠実にしたがうことを心がけてきたつもりです。それがよかったか,どうであったかは,いまのわたしにはわかりません。が,いまのわたしは,絶好調で,なにも言うことはありません。間違いなく,絶好調です。

 正直に言っておきますと,栄養学を,半分は徹底的に勉強した成果であると思いますが,あとの半分は徹底的に栄養学を無視した結果なのだろう,と思っています。つまり,科学を半分信じて,あとの半分はわたしのからだの声に比重を置きながら,生きてきたということです。

 ところが,今日(12日)のNHKクローズアップ現代の番組をみていて,「冗談じゃあない」とまたまた大きな声でテレビに向かって怒鳴っていました。たぶん,このマンションのとなりの部屋の人ばかりではなく,上下左右すべての人たちに,わたしの怒鳴り声が響きわたっていたと思います。申し訳ありませんでした。お許しください。

 でも,どうしても抑え難い思いを声にすることは,その瞬間くらいは許してもらえるのではないか,とみずからの甘えの気持にもたれかかりながら,本音の気持を声にして思いっきり吼えていました。ご迷惑をおかけしました。もし,よろしければ,こんご,わたしが吼えているときには,どうぞ,押しかけてきてください。いったい,なにごとですか,と。その代わり,あとは,わたしの,Der getrunkener Mensch (単なる酔っぱらい)と成り果てた,もう一人のわたしという人間とお付き合いをしていただきます。

 でも,酔っぱらってからの発言は意外とことの本質をとらえているように思います。そこには,嘘も,計算も,打算もなにもありません。むしろ,わたしの正直な本音が露呈しています。ですから,わたし自身としては,酔っぱらって,夢中になって話していることのなかに,むしろ,真実があるのではないか,と思っています。ですから,どうぞ,ご心配なく。

 今日のテレビで「むかっ」ときた最初は,以下のとおりです。
 冒頭で,三浦雄一郎を紹介しながら,肉をもりもり食べている姿をアップで強調します。そして,すぐに,老人は肉を食べましょう,というキャプションがつづきます。そして,三浦雄一郎さんが元気な秘密は「肉をもりもり食べることにあった」という,まことしやかな,じつにいい加減なコメントをつけて,そこから話を展開していきます。

 このやり方に最初の異議申し立てです。なぜなら,三浦雄一郎さんという人は,並のひとではありません。言ってしまえば,一種の化け物です。平均値から大きくはみ出した,異常に丈夫な人間です。その桁外れな異常な日常を生きている三浦雄一郎さんを,歳をとっても元気でいられるんですよ,というサンプルとして冒頭に提示していることです。

 しかも,そのすぐあとに,88歳でカメラを片手に元気に写真を撮って歩いている関屋さんという女性が紹介されます。そして,元気なことはこれまでと同じように変化していないけれども,歩くときの歩幅が狭くなった,と関屋さんは嘆きます。自宅から駅まで歩くのに,これまでよりも時間がかかるようになって困る,と言わせています。

 映像をみるかぎりでは,とんでもない,年齢不相応に元気一杯です。なのに,関屋さんの一日の食事のメニューを紹介して,これでは栄養不足である,とコメントしています。しかし,どう考えてみても,わたしの一日のメニューよりもはるかに栄養価のあるものを食べていらっしゃいます。なのに,関屋さんの衰えは栄養不足にある,と断定しています。

 ですから,わたしは吼えてしまいます。おれよりいいものを食っているぞっ!,と。じゃあ,おれも栄養不足なのかっ!,と。

 でも,番組では,こういう人は体内の「アルブミン」という蛋白質が少なくなっていて,筋肉が衰え,血管が脆くなっていて,免疫力も低下している,と科学的な根拠を提示し,だから,歩くスピードが低下するのだ,と説明します。そして,その理由を,関屋さんが肉を食べないから栄養失調となり,筋力が低下するのだ,というところにもっていきます。しかも,たった一日だけのメニューを取り上げての説明です。せめて,一週間のメニューを提示してから結論づけてほしい。

 ですから,「えっ?冗談じゃない!」と思わず大きな声をだしてしまうわたし。

 しかも,ご丁寧に,その根拠として,実験データを提示しながら,名古屋大学名誉教授の蔦谷さんが説明してくれます。老人とはいえ,4,50歳代と同じ肉を食べてほしい,と。仰る。ほんまかいな,とわが耳を疑ってしまいます。まさに,木をみて森をみない,そういうサイエンス偏重の典型的な例をみる思いがしました。蔦谷さんは,たぶん,もっと丁寧な説明をしたはずです。問題は,こんなレベルの低い編集をして平気でいる番組制作者の横暴にある,とわたしは考えています。

 しばらく前までのクローズアップ現代は,もう少しきめ細かな分析をした上で,それなりの結論を導き出していたように思います。ここにきて,急速にレベル・ダウンしているように思えて仕方がありません。粗製濫造というべきか,なんともお粗末としかいいようがありません。

 NHKさん,ほんとうに大丈夫でしょうか。
 こんな番組を垂れ流しているようでは,受信料を拒否するしかありません。
 本気でご一考のほどを。


 

2013年11月12日火曜日

NHKクローズアップ現代「「日本スタイルを世界へ 銭湯や健診を輸出」をみて,おやっ?と思う。

 ちょうど我が家の夕食どきとNHKのクローズアップ現代の時間が重なるので,この番組はよくみています。むかしは,いつも感心してみていたものですが,最近,どうも,ちょっと奇怪しいのではないかと思うことが多くなってきたように思います。その理由は三つあります。一つは,話題への光の当て方,批評性がわたしとは大いに異なるからです。もう一つは,ゲスト・スピーカー(専門家と言われる人たち)の人選が偏っているから(つまり,NHK好みの人ばかり),というのがあります。三つ目は,問題の本質を意識的にか無意識的にか隠してしまう傾向がつよいから。

 今日(11日)のテーマは「日本スタイルを世界へ 銭湯や健診を輸出」。かんたんに言ってしまえば,日本の生活文化をアジア諸国に輸出して金儲けをしよう,というお話。取り上げられていたエポックは,銭湯(中国),健診(チベット),食文化(インドネシア)。一見したところ,文化的で平和的で,なんの問題もない,長い将来にわたって採算の合う,とても健全な輸出産業という,ごくふつうの話に聞こえます。しかし,ただ,それだけの話だろうか,とわたしにはザラザラしたなんとも後味の悪い印象が残りました。なぜだろうか,と考えてみました。

 日本の銭湯が中国でいま人気だ,とのこと。映像をみるかぎりでは,日本でもひところ流行した「スーパー銭湯」。それよりもワン・ランク・アップした上等の銭湯のようです。値段は,日本円にして約2000円。けして安くはありません。ところが,家族連れで,続々とおお客さんがやってくるという。中国もお金持ちが多くなったので,それもわからないではない。お客さんは,とても衛生的で,お湯も透き通っていて,気分は最高,と絶賛です。まあ,このあたりの映像をみているかぎりでは,別に問題もなさそうなので,いいとするか,と余裕。たかがお風呂の話ではないか,と。

 つぎは,健診。日本でいう健康診断用のバスをチベットの奥地にまで送り込んで,健康診断をするという話。日本の徳島県の医療機関がチベットと提携して,この健診バスを送り込み,健診結果を日本の医療機関に送り,日本で診断して,その診断結果をチベットに送る,というシステムです。映像をみるかぎりでは,わざわざ病院にまで行く必要がないので,とても助かる,という声が多い。僻地医療としては,まことに便利で,しかもインターナショナルな医療システムとしても注目に値する,と。まあ,そんなものなんだろうなぁ,とまだ余裕。

 三つ目の食文化の話題になったときに,おやおやっ?とわたしのなかに疑問が一気に頭をもたげてきました。インドネシアの食生活は栄養管理が不十分なので,栄養のバランスのとれた日本の食文化を産業として売り込み,成功しているというのです。その手始めとして学校給食の日本システムを持ち込み,十分な栄養管理と食・味覚のインターナショナル化を計る,というのです。つまり,子どもたちの味覚をコントロールしておけば,将来的に日本の食文化や味覚が確実に定着する,というのです。だから,じつに儲かる産業だ,とコメントされます。

 このあたりから,わたしの頭のなかに,なんとも空恐ろしい構図が浮かんできて,いらいらとし始めます。なぜなら,わたしたちの世代は敗戦後のアメリカの占領政策のなかで小学校生活を送っています。そのもっとも大きな影響は,学校給食です。それも,いまの学校給食ではありません。アメリカからの支援物資として大量の脱脂粉乳が配給され(戦争産業の一つとして生産されていた脱脂粉乳が終戦とともに大量に余ってしまったので,その処分として持ち込まれたものだ,という話がある),毎日,昼食は脱脂粉乳とパンでした。

 その基本的な考え方は,日本の食文化は栄養不足だから,脱脂粉乳を飲んで栄養を確保しよう,というものでした。少なくとも,そのように教えられ,むりやり脱脂粉乳を飲まされました。わたしは,意外にも,脱脂粉乳を抵抗なく飲むことができましたが,なかには,どうしても飲めなくて泣いている子も少なくありませんでした。先生は,絶対に残すな,と厳命です。

 いま,考えてみれば,アメリカの食文化の押しつけです。そして,それはもののみごとに成功し,アメリカ産の食品がつぎからつぎへと日本に押し寄せてきます。戦後民主主義教育は,わたしのからだに刻まれた記憶によれば,食文化のアメリカ化からはじまりました。その結果,日本の食文化は大きく変化することになりました。つまり,食文化のインターナショナル化です。いまでは,世界中の食文化が日本を席巻しています。そして,伝統的な日本食の文化は片隅に追いやられてしまっています。

あれほど栄養価が低い,と批判された日本食が,いま,アメリカではもっともバランスのとれた食文化であるとして推奨されているといいます。そんな話を耳にするにつけ,栄養学という学問を,わたしはあまり信じられなくなっています。栄養は科学で計算できる,という神話はわたしの中では崩れつつあります。それと同じことが,いま,インドネシアで日本が行おうとしているのです。

 つまり,欧米コンプレックスの裏返しとして,東南アジアを上から目線で支配しようという,戦前の大東亜文化圏の構想と,わたしにはそっくりそのまま二重写しに見えてきます。言ってしまえば,日本の食文化・味覚による植民地化です。

 もっと言ってしまえば,銭湯も健診バスも食文化・味覚も,日本発のグローバル・スタンダードの押し売りでしかない,ということです。「科学的」,「医学的」というスローガンにもっとも弱い「健康,栄養」という領域に,脅し文句とともに乗り込む新手の植民地主義をそこに見届けることができます。しかも,これらが「平和的」で長期的展望に立つ「採算のとれる」ビッグ・ビジネスではないか,とこの番組では結論づけていました。

 NHKさん,ほんとうに大丈夫ですか。もっと問題の所在を掘り下げて,しっかりとした番組を制作してもらわないと困ります。制作担当者が,なにも知らないで,こういう番組を制作したとしたら,それはそれで問題ですが,知っていてこのように番組を制作したとしたら,もっともっと大問題です。どうも,そんな匂いがしてならないのですが・・・・。
 

2013年11月11日月曜日

絶好調の日馬富士が戻ってきたか。気迫が違う。立ち会いが違う。今場所の活躍を期待したい。

 絶好調の日馬富士が戻ってきた。と,今日の土俵をみてそう確信した。低い姿勢からの鋭い立ち会い。その圧力だけで,相手の松鳳山をはね飛ばした。戻ってきたか,あの絶好調のときの相撲が。今日の立ち会いの一瞬にそのすべてをみた思い。よし,これでいける。この立ち会いを15日間,押し通せるかどうか。

 花道の奥で,出番を待つ日馬富士が,低い姿勢からの立ち会いを何回も何回も繰り返している姿が,たまたま,テレビに映った。わたしは,この姿をみて,そこにいつもとは違う気迫を感じ取っていた。そして,出番を待って,花道の奥で立っている姿をみて,その太ももの太さに驚いた。これまでの日馬富士のそれとはまるで違う,筋肉もりもりの太ももをみて「アッ」と思わず声を出していた。この太ももはこれまでみてきた日馬富士のそれとはまるで違う。これは「いけるっ !」,とことばにはならないなにかとてつもないものを感じ取っていた。

 時間がきて,花道を歩いて入場してくる歩き方が,もう,以前の歩き方とはまるで違う。どっしりとした,地に足がついた,力量感たっぷりのしっかりとした,力のみなぎった足どりだ。これでなくてはいけない,とわたし。よし,これはいけるっ,今場所はいけるっ,ともうこの時点で日馬富士の絶好調をみてとる。久しぶりにみる日馬富士の充実した太ももである。この太ももが戻ってくれば,あとは怖いものはなにもない。

 おまけに,日馬富士の足首に「巻きもの」がなにもない。よほど足首の状態がいいに違いない。そのすべてが今日の立ち会いに出ていた。あの真っ向勝負の松鳳山が逆に吹っ飛ばされた。この恐るべき圧力の源泉は,日馬富士の低い姿勢からの立ち会いとあの太ももの充実ぶりにある,とわたしはみた。この立ち会いが健在であるかぎり日馬富士は大丈夫だ。この相撲をみていた白鵬はなにを思っただろうか,とわたしは興味津々。今場所の千秋楽の横綱対決の一番は,こんごの大相撲の流れを占う,大一番になるのではないか,と気の早いわたしは,もう,いまから楽しみで仕方がない。

 だからこそ,日馬富士に注文をつけておきたいことが一つある。ことしの初場所で全勝優勝をしたときの,あのがむしゃらな気持を取り戻してほしい。なりふり構わず,自分の相撲をとりきること。低い姿勢からの鋭い立ち会いと,そのあとの自在の変化わざとそのバリエーション。一つは,右のどわ。相手をのけぞらせておいての変化。これはきわめて効果的。もう一つは,張手。びしばし張っていい。ルールとして公認の相撲の「手」の一つなのだから。そして,真っ向勝負の頭から当たる立ち会い,一気の押し。相手が,あっと驚き,ひるんだ瞬間の,そこからの変化わざ。あるいは,一直線の押し。

 メディアはアホの塊のようなものだから,横綱ともあろう者が,そんなえげつない手を使って・・・と無責任な批評をする。とんでもない。それこそが日馬富士の相撲なのだ。かつて,栃の海という横綱がいた。日馬富士と同じように小兵であったが,スピード感あふれる相撲で横綱に昇りつめた。しかし,横綱相撲ではない,とアホなメディアが叩いて,あっという間に引退してしまった。わたしの大好きな力士だったので,忘れもしない。

 日馬富士よ。メディアなどは無視していい。あの朝青龍をみろ。あなたの尊敬している朝青龍を。メディアのいかなる批評も無視して,ひたすら自分の相撲をとりきった,あの朝青龍を。あの迫力ある相撲は,わたしの全身全霊を震撼させた。これこそが相撲である,とわたしは確信していた。そして,場合によっては,わたしの眼にはアートに見えた。

 わたしのからだのすべての細胞が,血湧き肉躍る,そんな世界にあっという間に連れていってくれる,そういう相撲を見せてくれた。勝っても負けても,朝青龍の相撲は,見ていて息詰まるほど面白かった。それは素晴らしいアートだった。いやいや,芸能,と言うべきか。

 そういう相撲を,わたしは日馬富士に期待したい。また,そういう相撲をとって日馬富士もまた横綱になった。横綱に登りつめた道(プロセス)を忘れてはいけない。低い立ち会いから相手の胸元めがけて真っ正面から当たり,突っ張り,右のど輪,張手,左からのいなし,左上手からの投げ,あとは,そのときの相撲の流れにのったスピード感あふれる,変化わざに任せる相撲を展開する。これこそが日馬富士よ,あなたの相撲ではないか。そうやって,とにもかくにも「全勝優勝」を重ねて,横綱の地位を獲得したではないか。

 横綱という地位をわがものとしたときの相撲を,日馬富士ファンはみんな待っている。メディアはアホだから,横綱相撲はこうでなくなはならない,とほざく。相撲のなんたるかもわかっていないアホなジャーナリストが。そんなジャーナリストの声は気にする必要はない。まったくない。日馬富士の相撲はこういうものである,と堂々と胸を張って,取り切ればいい。それしかないのだから。

 日馬富士ファンの多くはそれを待ち望んでいる。全身全霊を傾けた,あなたの相撲から,多くのパワーを,わたしもいただいているのです。わたしもかくありたい,と願いつつ。小兵と言われつつ,あるいは,幕内,最軽量力士と言われつつ,ありとあらゆる智恵をふりしぼって,みずからの相撲を作り上げ,横綱となった日馬富士よ。自信をもって,なりふり構わずみずからの相撲を展開してほしい。それこそが,アホなメディアを黙らせる唯一の方法なのだから。

 そして,それこそが,大相撲の醍醐味を多くの相撲ファンに知らしめる唯一最高の方法ではないのか。

 そんなことを,今日の初日の相撲をみて,嬉しくて嬉しくて・・・・,その余韻に浸りながらわたしの勝手な思い入れをありのまま巡らせた次第。

 このあとの14日間の日馬富士の相撲に注目してみたい。その奥にとてつもない世界が広がっているから・・・・。それも,想像を絶するとてつもない世界が・・・。勝っても負けても・・・。日馬富士の相撲とは,そういう相撲なのだから。

 接近せよ,朝青龍の相撲に,そして,超えよ,朝青龍の相撲を。そのとき,日馬富士の相撲がさん然と輝き,浮かび出てくるだろう。わたしは密かにその日がやってくることを心待ちにしている。だれにも負けない日馬富士ファンとして。
 

2013年11月10日日曜日

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著『自発的隷従論』(西谷修監修,山上浩嗣訳,ちくま学芸文庫,2013年11月刊),名著です。お薦め。

 11月8日に発売,と西谷さんから聞いていましたので,8日に近くの本屋さんに行きました。溝の口の地方の本屋さんでしたが,たった1冊だけ置いてありました。ラッキーとばかりに即購入。

 まだ,現段階では全部を読み切っているわけではないのに,ここで書くのは気が引けますが,そんなことは言ってられないほどの衝撃を受けましたので,ありのままの感想を中間報告として,とりあえず,ここに書いておきたいとおもいます。

 いま,感じていることを,できるだけ正直にそのまま書いておきたいとおもいます。
 いつものように,まずは,西谷修さんの「解説」から読み始めました。なぜなら,本の内容の核心がどこにあるのかを,西谷さんは,いつもわかりやすく,しかも手抜きすることなく,深いところまで道案内をしてくださるからです。そして,いつも大満足する内容になっています。場合によっては,内容を読まなくても,なんだか全部わかったような気分にさせてくださるからです。

 しかし,今回のこのテクストでの解説は,わたしの想定をはるかに超える,とんでもない内容になっていて,鳥肌が立つ思いをしながら読みつづけました。そして読み終わったときには,あまりの衝撃の強さに唖然としてしまい,完全に「震撼」してしまいました。なぜなら,「自発的隷従」とは,なんのことはない,わたしのこれまでの生き方そのものではないか,と思い知らされたからです。情けないことにそう思わざるを得ませんでした。時折,偉そうに,さも権力に抗うようなポーズをとったり,人前で挑発するような言説を発してみたり,そして,ときにはデモにもでかけたりしているものの,なんのことはない最終的にはわが身可愛さに「自発的隷従」に逃げ込んでいることに気づかされたからです。そして,最終的には,つまり,トータルでみたときには,現体制支持とみなされても仕方がないではないか,と気づかされたからです。

 毎日,新聞を読みながら,文句たらたら,政府自民党はなにをやっておるか,と吼えまくり,テレビのニュースをみながら,これまた吼えまくっています。なのに,なにをやっているかと問われれば,せいぜい,このブログで憂さを晴らしている程度のことでしかありません。つまりは,自己満足にすぎません。ということは,現体制を支持していることとほとんどなにも変わってはいないではないか,ということになります。そのことを,西谷さんの「解説」を読んでいて,冷や汗たらたら,いやというほど思い知らされました。

 「自発的隷従」。これまでに,西谷修さんの書かれた論文のなかにしばしば登場してきたことばですし,西谷さんから直接,エティエンヌ・ド・ラ・ボエシについてもお話を聞いていました。ですから,ほとんどわかったつもりでいました。が,それは大間違いであることを,今回,この「解説」を読んで思い知らされました。

 それによれば以下のとおりです。
 一人の独裁者は,その一人の力によってそれ以外の人びとを支配しているわけではありません。一人の独裁者が選ばれると,その独裁者ににじり寄って,その利益のおこぼれを頂戴しようという人間が現れます。これが「自発的隷従」のはじまりです。つまり,一人の独裁者のまわりに,われもわれもとその利益を分けてもらおうという人間がにじり寄ってきます。そして,独裁者が喜びそうな言動をふりまき,実行します。そうして,独裁者の覚えめでたくなるためにはいかなることも辞さずという姿勢を示します。これが「自発的隷従」のはじまりです。

 こうして,一人の独裁者を支える地位を確保すると,そのまた部下になるための「自発的隷従」者が現れ,つぎつぎにその連鎖が広がっていきます。こうして,一人の独裁者のまわりには,その支持者たちが大勢集まってきて,それらが大きな組織を構成します。この組織が,実は,大きな力を発揮することになります。権力はこうして構築されていく,というわけです。

 ああ,もどかしいかぎり。どうも,うまく説明できません。こうなったら,西谷さんの「解説」から,名文を引いた方が早いとおもいますので,その部分を引いておきます。

 「一人の支配者は独力でその支配を維持しているのではない。一者のまわりには何人かの追従者がおり,かれらは支配者に気に入れれることで圧政に与(あずか)り,その体制のなかで地位を確保しながら圧政のおこぼれでみずからの利益を得ている。そのためにかれらはすすんで圧政を支える。かれらの下にはまたそれぞれ何人かの隷従者がいて同じように振る舞い,さらにその下にはまた何人かの・・・,という具合に,自ら進んで隷従することで圧政から利益を得る者たちの末広がりに拡大する連鎖がある。その連鎖が,脆弱なはずの一者の支配を支えて不動の体制を作り出している。そう見てとって,圧政を支えるその鎖の一つひとつのあり様をラ・ボエシは「自発的隷従」と呼ぶのである。」

 このあとに,驚くべき論の展開が,つまり,西谷読解が,めくるめくほどの勢いで深化し,問題の本質に迫っていきます。そうして,その論の運びに,わたしは完全に「震撼」させられてしまいました。それは,わたしが批判してやまない世の中の構造が,じつは,わたし自身のなかにも立派に存在しているではないか,ということを知らされてしまうからです。「自発的隷従」とは,一人ひとりの人間の存在様態の根源にまで根が降りていく,つまり動物的な防衛本能にも通底する,恐るべき概念装置であるからです。とても一筋縄ではいかない,思想・哲学的な大問題がその背後にあることを知ったとき,わたしは立ち往生してしまいました。

 西谷さんの「解説」はもののみごとにその根底にまで触手が伸びていきます。それが,わたしを「震撼」させる理由です。そのあたりのことは,ぜひ,手にとって西谷さんの「解説」を確認してみてください。

 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの「自発的隷従論」はそんなに長い論文ではありません。しかも,とてもわかりやすい文章です。が,その本文に膨大な訳者注がついています。それをとおして,さらにこの論文が一筋縄ではないことを知ることができます。そして,訳者による懇切丁寧な「解題」があります。さらに,「付論」があって,そこにはシモーヌ・ヴェイユの「服従と自由についての省察」と,ピエール・クラストルの「自由,災難,名づけえぬ存在」が収められています。しかも,「付論収録に寄せて」という西谷さんの短い文章があります。そこには,エティエンヌ・ド・ラ・ボエシとシモーヌ・ヴェイユとの関係,ピエール・クラストルとの接点が語られています。

 もう,これ以上のことは書く必要はないとおもいます。あとは,どうぞ,手にとって読んでみてください。世の中がひっくり返るほどの,新しい発見が随所にあるはずです。わたしも,これから時間をかけて精読してみたいと思っています。そして,いつか,これをテクストにして,いつもの研究者仲間と議論をしてみたいとおもっています。もちろん,西谷さんにもきていただいて・・・・。

 というところで,今日はここまで。
 

2013年11月9日土曜日

東京五輪招致のしわ寄せか。明大のスポーツパーク計画中止。

 2010年から計画していた明大のスポーツパーク計画が中止になった,と11月7日の新聞で知った。もう少し精確にいえば,明大の八幡山グラウンド(世田谷区)が手狭になったので,日野市にあった多摩テックの跡地への移転を計画していた。当初の予定では来年4月にはオープンすることになっていた。しかし,それが東日本大震災の被災地復興のために建設資材や人材が不足し,思うように計画を進めることができなくなっていた。そこに,東京五輪招致が決まった。ますます建設資材も人材も不足することが予想され,事業費も当初計画の1.7倍に膨らみ,こんごますます事業費の高騰が見込まれるために,この計画を中止することにした,と明大広報課が発表。日野市は「地元の大きな期待を裏切る決定だ」と非難し,事業継続を求めているという。

 記事をまとめてしまうとこれだけの話。明大としては東日本大震災がまずは最初の誤算。これはだれの責任でもない。自然災害だから仕方のないこと。そこに大手ゼネコンが大移動して,被災地復興に全力を傾けるのも自然の成り行き。その段階で,すでに建設資材も人材も不足する事態が起きた。当然のことながら,事業費も高騰していく。そこに,東京五輪招致が決まった。向こう7年間にかなり大規模な施設建設ラッシュがつづく。となると,ますます建設資材も人材も不足し,事業費は雪だるま式に膨らんでいく。それは素人にもわかる。明大としては,これ以上の事業費を負担することは不可能と判断した。期待していた日野市はずっこけた。

 面白いのは,新聞の報道の仕方だ。大きな見出しの順番に書いてみると以下のとおり。
 一方的にノーサイド
 明大が計画 スポーツパーク
 多摩テック跡地への移転中止
 震災,五輪・・・事業費膨らみ

 写真も「八幡山グラウンド」と「多摩テックの跡地」を並べて掲載し,かなり大きな記事になっている。しかも,記者の記名入りの記事である。

 この記事を読んだ最初の印象は,明大が日野市との約束を一方的に破棄した,というものだった。だから,日野市は怒っている,と。

 しかし,よくよく考えてみると,明大の決断は仕方のないことだと思う。すでに,事業費が1.7倍になっていることを考えると,これからさき,どれほどの事業費に膨らんでいくかはまったく予測もつかないだろう。二の足を踏むのは当然だ。日野市の気持もわかるが,それほど単純なものではないだろう。

 にもかかわらず,新聞は「一方的ノーサイド」と大きな見出しをつけた。これでは明大が悪い,という印象を与えて当然だ。とはいえ,記事の内容を読んでいくと,仕方がないではないか,ということがわかってくるようになっている。あとは,読者がどう判断するか,だけの話。

 わたしの関心は,東京五輪のための施設建設は大丈夫か,というところに向かう。すでに,新国立競技場の建設費用が,当初の予定を大幅に上回り,その費用をどのようにして捻出するかと苦慮しはじめている。しかも,それ以後の維持費をどうするのか,というところまで議論が広がっている。この問題は,一度,あらためて取り上げてみたいと思っているが,いずれにしても,東京五輪開催のための施設づくりは難航しそうだ。すでに,外国からも,計画があまりに杜撰すぎる,という批判が噴出しているという。

 となると,この問題は明大だけでは済まされない,もっと重要な問題が隠されていることに気づく。つまり,東日本大震災の被災地復興もままならないのに,被災地を元気づけるために東京に五輪を招致しようという理念そのものが,矛盾していることに気づいていない。つまり,東京五輪招致による東京での建設ラッシュは被災地復興を妨害することになり,ますます復興が遅くなってしまうからだ。

 ここまで考えてくると,明大の決断は立派なものである,ということがわかってくる。自分のところはひとまず我慢して,被災地復興を優先させるべきだ,という筋のとおった理念が浮かび上がってくる。

 ここからみえてくることは,東京五輪の施設もできるだけ縮小して,被災地復興の邪魔をできるだけしないように配慮する,という新たな理念の必要性である。ところが,新国立競技場は「世界一」を目指すと河野事務局長は声高らかに宣言している。このノーテンキぶりにはあきれるしかないが・・・・。なんでもかんでも自分の手柄にしたい,そういう了見の狭い人たちが東京五輪招致に結集しているようにみえて仕方がない。

 こうなってくると,東京湾(葛西臨海公園)に人工の激流を起こすカヌー競技場(スラローム・コース)を新たに建設する,などという計画は狂気の沙汰としかいいようがなくなってくる。困ったものだ。

 これからみんなで声を挙げていく以外にはない。すでに,建築家集団がいろいろのシンポジウムや研究会を開いて,異議申し立ての文書を提出したりしている。この動向については,また,いつか書いてみたいと思う。

 今日のところはここまで。

 

2013年11月8日金曜日

「特定秘密保護法案」の全文を読む。おどろきもものきさんしょうのき。なにをかいわんや。

 今日(8日)の『東京新聞』朝刊に「特定秘密保護法案」の全文が掲載されていたので,なにはともあれ赤線を入れながら,最後まで読み通してみた。この種の法文には慣れていないとはいえ,これが同じ日本語の文章なのか,とまずはあきれ返ってしまった。法案の体裁としてはこれで完璧なのかもしれない。しかし,わたしのようなふつうの国民には意味不明。

 なぜなら,片手に『六法全書』でも握りながら,一つひとつ解読していく必要があるからだ。手ぶらではなんのことやらさっぱりわからない。この法案そのものが,ひょっとしたら,国民にわからなくするために「特定秘密」事項に指定され,「保護」されているのではないか,と思うほどだ。とにかく難解で,一通り読むだけで,とんでもなく長い時間を要した。ちかごろ,こんなに苦労して日本語の文章を読んだことがないほどだ。

 たとえば,こうだ。第一章 総則 (目的)第一条,(定義)第二条,とある。(定義)と見出しがついているので,わたしはてっきり「特定秘密」とはなにかという定義が書いてあると思って気合が入った。しかし,とたんにこけてしまった。そのまま引用してみる。

 (定義)
 第二条 この法律において「行政機関」とは,次に掲げる機関をいう。
 一 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関(内閣府を除く。)及び内閣の所轄の下に置かれる機関
 これを読んだ瞬間に,えっ?内閣府は行政機関ではないの?とびっくりしてしまう。しかし,そうではない。つぎを読むとわかる。
 二 内閣府,宮内庁並びに内閣府設置法第四十九条第一項及び第二項に規定する機関
 ちゃんと内閣府は入っているではないか。「一」の条文のなかからは「除く」というだけの話。なんで,こんなにややこしい区分けをしなくてはならないのか,素人にはわからない。しかも,この「二」の条文も,これまたわけがわからない。内閣府,宮内庁,まではいい。「並びに内閣府設置法第四十九条第一項及び第二項に規定する機関」とは,なにを指しているのか,どういう機関のことなのか,この条文を読むだけではわからない。しかも,この「二」の条文の末尾にもかっこ書きの注がつけてあって,それが長々とつづき,しかも最後に,それらの機関を除く,とある。こうなると『六法全書』を片手に,一つひとつしらみ潰しに確認していかないことには,なんのことやらさっぱりわけがわからない。
 これが法案の実態だとすれば,これらの条文をどのように「解釈」するのか,というつぎなる議論が立ち現れることになる。憲法ですら,どのように解釈するか,どう読むか,という長年の議論があって,何回も再燃し,いまもなお繰り返されている。

 この摩訶不思議な法案を国会で審議・議論するという。しかも,短時間で。だから,政府与党は,議会で失言さえしなければ,たいていの法案は通過していってしまう。今国会は,政府が圧倒的多数を占めているので,よほどの失言が飛び出さないかぎり,なんなく通過してしまう。だから,なおのこと恐ろしい。

 しかも,議会での審議は国民の意志などはほとんど無視されてしまい,党利党略が最優先してしまう。さらに恐ろしいことに,野党が野党としての機能マヒを起こしていて(「思考停止」),もはやなんの役にも立たないということだ。少なくとも,「特定秘密保護法案」に反対する議員は,時間をみつけて,首相官邸前で繰り返されている市民デモにも参加して,演説をぶつくらいの根性をみせてみたらどうか。それすらしない。なぜ? 国会ファシズムが徹底していて,そこでのマナーにはずれると「処罰」されてしまうことを恐れているからだ。ヤマモト君やイノキ君は,その犠牲となり,血祭りにあげられようとしている。

 これが,じつは,特定秘密保護法案の内実の一端でもあるのだ。しかし,わたしたちがもっとも恐れなくてはならないのは,特定秘密事項の指定は,「行政機関の長」が「必要」を認めれば,即座にそれができる(第二章第三条)と明言されていることだ。しかも,その「必要」には厳密な規定がない。いくら読んでみてもない。ただ,「別表」(第三条,第五条-第九条関係)にその一覧表があるのみだ。その「別表」は,大きくは四つの事項に分類されている。それは以下のとおり。
 一 防衛に関する事項(イ,ロ,ハ,ニ,ホ,ヘ,ト,チ,リ,ヌ)
 二 外交に関する事項(イ,ロ,ハ,ニ,ホ)
 三 特定有害活動の防止に関する事項(イ,ロ,ハ,ニ)
 四 テロリズムの防止に関する事項(イ,ロ,ハ,ニ)
の四つで,それぞれに(イ,ロ,ハ,ニ,・・・・・)という具合に具体的にそれぞれの事項が指定されている。たとえば,わたしなどにも直接,その手が伸びてきそうな「三 特定有害活動の防止に関する事項」がある。この事項には,とことん注意が必要だ。そのトップの項目には「イ 特定有害活動による被害の発生若しくは拡大の防止のための措置又はこれに関する計画若しくは研究」とある。これが「特定秘密」に相当するというのである。となると,「特定有害活動」であると行政機関の長が判断すれば,それによる「被害の発生」も「拡大の防止」も闇から闇へと葬り去られる可能性がある,と読める。もっと言ってしまえば,「特定有害活動」であるという段階で,それを闇から闇へと「措置」することができる,ということになりかねない。となると,いま書いているこのブログも「特定有害活動」になりかねない,という意味で危ない。

 もっとも,わたしのような「へなちょこ」が書くブログなどは大した影響力もないので,大丈夫だとは信じているが,知名度の高い人たちのブログは,そうはいかない。いつもネトウヨなどに炎上させられているブログなどは,とくに危ない。

 そのなによりの証拠は,知名度の高い芸能人は,政治にはいっさい口出ししない。ときどき勇み足をしてしまうと,こっぴどく叩かれる。その典型的な例が,ヤマモト君だ。ところがかれは,逆に居直って,芸能界を飛び出し,政治家に転身した。

 日本という国家の存亡にかかわる重大な時期なので,芸能人も,少なくとも国民的な目線での声は挙げてほしい。いまの,テレビ・メディアで活躍している芸能人の影響力ははかりしれないものがある。だからこそ,声を挙げてほしい。しかし,だれも声を挙げようとはしないだろう。みずからの身の安全を守るために。いや,それ以上に,積極的な「自発的隷従」。こうして,労せずして,権力は維持されていく。そのために芸能人は大いに貢献しているということだ。しかし,世阿弥や利休はそうではなかった。

 ということは,わざわざ「特定秘密」にしなくても「公然の秘密」として,そのようなプレッシャーがすでにかかっていることを国民の多くが承知している。だから,逆に,圧倒的多数の国民が「自発的隷従」の姿勢をくずそうとはしない。わたしなども根性なしなので,ある程度のところでコントロールしながら,あまりに「過激」になることを避けている。でも,ときおり,我慢ならなくなって,このブログでも声を荒らげることになるのだが・・・・。

 でも,こんなのは「特定有害活動」には遠く及ばない。知名度が低いから。それでも,こんどの「特定秘密保護法案」が通過すると,どことなく火の粉がふりかかってきそうで居心地が悪い。

 いやいや,こんなことはきわめて個人的なことで,恐ろしいのは,もっとそのさきに待ち受けている。もうすでに多くの論者が声を挙げているとおりである。つまり,戦前の「治安維持法」そのものの復活である。もう,すでにアベノミクスはその方向に向かってまっしぐらである。そのための法案の連発である。一気呵成に全体主義に突き進もうとしているかにみえる。1930年代のナチスの動きとそっくりだ。さすがのアメリカも,このところのアベ君の言動には,いささかいぶかりはじめている,という。

 思いがけずも,長くなってしまった。みなさんも,ぜひ一度,「特定秘密保護法案」の全文をチェックしてみてください。その上で,みずからの行動を決してください。取り急ぎ,今日のところは,ここまで。
 

元大関・琴風(尾車親方)の「いま」に衝撃。変わり果て,まるで別人。

 元大関・琴風。と言ってもいまの若い人たちにはなじみがないかもしれない。あの「がぶり寄り」を懐かしく思い出せる人は,すでに,みんな中高年になっていることだろう。56歳。まだまだ働き盛り。だが,巡業の土俵づくりの作業中につまづいて土俵下に頭から転落。頸椎捻挫。全身マヒで手術・闘病生活。そして,復帰。

 昨日(7日)の昼食が,いつもよりも遅くなって午後4時。そうめんを茹でて,すすりながらテレビを点けたら,「突撃!アッとホーム」の再放送で,「名大関琴風,奇跡の復活劇に密着」をやっていた。現役時代の大関琴風も,引退後の尾車親方になって登場する解説者としても,わたしは熱烈なファンであった。だから,琴風・尾車親方が頸椎捻挫をしたあとのことを,まったく知らなかったので,この番組をみて涙した。

 なぜ,涙したか。テレビ画面に顔がアップで写っている人が,あの琴風であることに気がつかなかったからである。いったい,いつまで,この見知らぬ人がアップになっているのだろうといぶかりながら耳を傾けていたら,どっこい,この人が元大関の琴風その人だったのである。まるで,別人。どこにも,その面影がない。ただ,痩せただけではない。表情がまるで別人。たぶん,身もこころも大きく変わったのだろう,と推測。それほどの大怪我であり,大手術であり,きびしい闘病生活であり,奇跡の復活だったのだろう。

 尾車親方は三重県出身。中学生のときに相撲部屋に入門。そこから墨田中学に通いながら相撲の稽古にはげんだ。成績優秀で,墨田中学を一番で卒業。そのとき二番だった親友は,その後,東大に進学している。四つ相撲で,寄り身を得意とする型を身につけるのだが,両膝に弱点があり,怪我に苦しんだ。エレベーター力士の異名をもらうほどに,幕内と十両を上下した。膝を痛めるたびに大きく負け越し,治しては這い上がってきた。その間,何回も相撲をあきらめかけた。が,やれるところまで頑張ろうとみずからを励まして,ついに,名大関として讃えられる出世をした。この経験が,今回の闘病生活でも役に立った,と本人は語る。あきらめない気持が大事だ,と。

 ちょっとマンガちっくな顔をした,愛嬌のある顔が,一生懸命に土俵をつとめる,その姿が多くのファンを惹きつけた。まじめな,ひたむきさが土俵にみなぎっていた。得意の型に組止めるやいなや,即座にがぶり寄る。みていてもわかりやすい。その自分得意の型にもちこむために,相手得意の差し手をおっつけてしのぎ,一瞬のすきをついて自分十分の組み手になる。あとは,一気のがぶり寄り。見ていても爽快だった。

 引退後は尾車親方として,しばしばテレビの解説者としても登場した。舌がもつれるようなしゃべり方と愛嬌のある顔にごまかされることなく,話している内容に耳を傾けていると,じつに理路整然としたみごとな解説を展開していることがわかる。勝った力士を褒めるだけではなく,負けた力士へのこころのこもった思いやりのある激励を尾車親方は忘れなかった。ああ,この人は心根のやさしい,人情の厚い人だと,いつも感心しながら耳を傾けていた。そして,相撲の奥深さを教えられた。相撲の攻防の技の展開に興味のある相撲ファンにはたまらない解説だった。頭の回転の速さと人情の機微の両方を兼ね備えた人だ。なんとかリハビリに成功して,ふたたび,解説者として復活することをいまから楽しみにしている。

 NHKのこの番組は,ご存じのように「サプライズ企画」だ。尾車親方には極秘のまま,娘さんが一生懸命にあちこちお願いして回り,多くの協力者を確保していく。部屋の力士は,嘉風が中心になってまとめ,本番に備えて準備を進めていく。最後には,現役時代のライバルだった元大関・若島津(現・松ケ根親方)とその夫人(元歌手の高田みづえ)も参加して,大同団結。尾車親方をびっくりさせる,という番組。

 いまは,別人になってしまった尾車親方が感動のあまり,大きな眼(病気の前までは細い眼)からポロリと涙が流れる。わたしも思わずもらい泣きし,ティッシュに手が伸びる。尾車親方は,ままならぬからだにもかかわらず,付き人の助けを断り,ひとりでよろよろと立ち上がり,しっかりとみんなを見据え,感謝のことばを述べる。このシーンが一番印象的だった。

 もちろん,まだまだ歯切れが悪く,舌ももつれ気味ではあったが,しっかりとした口調で「これからも一生懸命に生きていく。今日はほんとうにありがとう」と言い切った。余分なことは言わない,しかしツボは外さない,印象に残る挨拶だった。完全復帰の日も遠くない,とわたしはこころのなかでエールを送りながら拍手していた。

 そして,インタビューでは,「稽古場では口をきかないことにしている。黙ってみているだけだ。なぜなら,口を開くと,注意をするよりさきに『ありがとう』と言ってしまいそうだから」と笑わせるユーモアもみせていた。この調子なら,きっと復活する。そして,あの名調子の解説を聞かせてほしい。相撲の面白さをこの人ほどわかりやすいことばで,理路整然と話してくれる人は,少なくともわたしが聞いてきたかぎりではいない。

 頭で考える前に「からだが勝手に動く」,そういうからだをわがものとするために稽古がある。しかも,いい加減な稽古をしていては,そういうからだは得られない。稽古の一瞬一瞬も気持を引き締め,全力を傾けることによって「からだが覚える」のだ。こんな趣旨のことを言っていたことを,いまも鮮明に思い出す。とにかく,力士はひたすら稽古を積むことだ,と。それも質のいい稽古を,と。

 あの別人になった顔で,相撲の奥義を語ってほしい,といまから切望している。もし,その夢が実現したら,わたしはノートを片手にテレビにかじりつくことだろう。

 頑張れ,尾車親方!
 

2013年11月7日木曜日

大手銀行も「誤報告」だって? 監督官庁を相手に。嘘つけ! まだ,責任逃れをしようというのか。

 もう,この国の箍のゆるみ具合は尋常ではない。大手銀行が軒並み,監督官庁に「誤報告」をしていただなんて?! そんなことをだれも信用しない。最初から意図的,計画的に「偽装」「虚偽」を装うための「誤報告」と言い訳をしているだけではないか。いよいよ,監督官庁もがまんならじとばかりに,もう一歩踏み込んだ調査に入るらしい。遅きに失している,というのが一般の受け止め方ではないかと思う。

 これからさき,どのような「トカゲの尻尾きり」という演劇が展開されるか,みものである。もう,だれもが熟知しているように,長年にわたって元大蔵官僚や財務官僚が天下って,大手銀行の役員に成り下がっている。だから,大手銀行と監督官庁とは「なあなあ」もいいところ。もちつもたれつの関係を,阿吽の呼吸で保ってきた。だから,少々のおとがめが監督官庁からあっても,大手銀行はあわてることなく,あの手この手で対応しておけばいい,という暗黙の了解があった。が,今回は,あまりにも眼にあまるので(あるいは,暴力団相手ということで世間の眼が厳しいので),それなりの対応をしなければならない,ということのようだ。

 かつて,大手銀行が赤字で焦げついたときも,政府が率先して,わたしたちの税金を惜しげもなく拠出し,救済したことがあった。日本の銀行は,いつから国立銀行になったのだろうか,と首を傾げたことがある。いやいや,それどころか,日本国がいつから社会主義国に成り代わったのか,と本気で考えたことがある。その流れは,いまも,東京電力をみればよくわかる。東京電力に,なぜ,あれほどの税金を注ぎ込まなくてはならないのか。もう,とっくのむかしに一企業としては「破綻」「破産」していることは明々白々なのに。にもかかわらず,政府はなんの手も打とうとはしない。むしろ,癒着しつつ,原発を維持することにまっしぐら。

 腹立たしさを通りすぎてしまって,もはや,情けないというしかない。日本国の政府といえども,なんとも,落ちぶれたものだ。だから,監督官庁も右へならえ,だ。言ってしまえば,同じ穴の虫だ。だから,似たようなもの。官庁の箍が緩んできたとなれば,国家の骨格にかかわる一大事だ。その官庁にてこ入れをする必要がある,という名目のもとに,とうとう「特定秘密保護法案」が今日(6日),審議入り。そのお膳立てをするかのように「国家安全保障会議」(NSC)を可決した。しかも,与党自民党と民主党までもが賛成した。なにを考えているのやら・・・。

 「主権在民」という憲法の大本の考え方を,ことごとく否定するような法案がつぎつぎに提出され,十分な議論をする時間もなしに,議決されていく。圧倒的多数を確保した政府自民党のやりたい放題だ。この姿は,どう考えたって1930年代に登場したナチス・ヒトラーの政権奪取と,その後の議会の運営の仕方とそっくりそのままだ。アベノミクスという名の,経済政策にその名を借りた,まさに歴史の主役に躍り出た「経済」を旗印にした,まったく新たな全体主義国家が,恐ろしい足音とともにその姿を現しつつある。

 プロ野球の楽天が日本一になって,結果よければすべてよし(勝てば官軍,負ければ賊軍)とばかりに,美談ばかりが報道されているが,ホシノセンイチという独裁者がその陰でどれだけの恐慌政治・恐慌指揮をとってきたか(ビンタなどは当たり前),これから徐々に明らかになるとわたしはにらんでいる。もう,すでに,そのような情報が流れはじめているが・・・・。

 世の中,「無責任」と「自発的隷従」が蔓延。だから,「倍返し」とかなんとかの妙なテレビ・ドラマが話題となる。自分では不可能なことの投影でしかない。そんなドラマで昇華してしまってはなんの役にも立たない。そうして,グスグスに緩んでしまった現代社会を生きる人間の士気は,もはや,とどめようがない。

 そんな日本国が,あるいは,東京都が2020年にはオリンピックを開催するという。はたまた,長野オリンピックと同様に,金の収支に関する重要書類が抹殺されてしまっても平気で済まされるような東京五輪が待ち構えている。どこもかしこもやりたい放題。すでに,東京五輪招致でどれだけの金がどのように使われたのか,秘匿の方向にまっしぐら。

 東京五輪もまた,特定秘密保護法に守られて(テロ対策という名のもとに),さらに,やりたい放題になる可能性が大である。かくして,権力側には金が無制限に吸い上げられ,圧倒的多数の弱者は貧困にあえぐことになる。そのためのお膳立てが,TPPを筆頭に,つぎつぎに現実化されようとしている。そして,気がつけば「主権在民」という憲法の根幹にかかわる思想も骨抜きにされ,有名無実になっているだろう。

 今回の大手銀行の不正融資の問題は,たまたま暴力団という融資先が明るみにでてしまっただけの話。すると,急に正義の味方よろしく,政府はその弾圧に乗り出す。しかも,大手銀行という隠れ蓑のもとで。ならば,なぜ,暴力団という組織を,いつまでも放置,あるいは温存しておくつもりなのか,政府与党に聞いてみたい。そころが,これまた,検察も政府も裏で手を結んでいるという噂もないわけではない。

 そして,困ったときの神頼み。「誤表示」「誤報告」。その実態は「偽装」「虚偽」。そして「無責任」。と,ここまで書いてきて気づくこと。これは,まるで,「わがごと」ではないか,と。冷や汗がたらり。


 

2013年11月6日水曜日

「誤表示」と「パソコンの変換ミス」との類似性。無責任の源泉。

 連日「誤表示」ニュースがつづく。もう,いい加減にしてほしい。
 どこの,だれが,いつから使いだしたのか。「誤表示」ということばを。
 メディアは,なんの考えもなく,このことばを垂れ流す。

 一度,よく考えてみよう。
 「誤表示」?

 誤った表示・・・表示が誤っている・・・表示が悪い?・・・表示を正しくすればいい?・・・無責任。
 誤った表示・・・だれかが表示を間違えた・・・間違えたのはだれだ?・・・責任問題。
 誤った表示・・・だれかが違う表示を指示した・・・意図的に・・・犯罪である。

 こんなことを考えていたら,よく似た前例を思い出す。
 「パソコンの変換ミス」ということば。
 わたしが現役だったころ,ゼミや会議のレジュメに「誤字」を指摘されると,「パソコンの変換ミスです。訂正してください」という。学会の発表資料でも同じことが,いまも繰り返されている。いちいち言うのも面倒なので黙っているが,とんでもないことがまかりとおっている。

 パソコンの変換ミスです・・・パソコンが間違えた・・・パソコンのせい・・・責任転嫁・・・無責任。

 パソコンは,指定されたとおりに応答するだけだ。だから,変換ミスをしたのはパソコンの使用者だ。使用者が指示した熟語を正しく見分けることができなかっただけの話だ。つまり,使用者のうっかりミス,使用者の能力不足,使用者は正しいと信じて疑わなかった,といろいろのレベルの違いがそこにはある。それらを全部,覆い隠して「パソコンの変換ミスです」と言い訳をする。明々白々の責任転嫁。無責任。

 近くのスーパーに買い物にいくと,「白身の魚」と表示されたフライが「激安」で売られていることがある。たまたま眼にしたときに,背筋が寒くなった。あッ,ナイル・パーチだっ!まだ,流れてくるのか?それとも,また,新たなナイル・パーチのような魚が別のルートで流通しているのだろうか?いずれにしても「激安」である。

 なにも知らない人は買っていくだろう。あるいは,知っていても買わなくてはならない家政の都合の人もいるだろう。わたしも食指がちらりと動く。以前,食べたことがあるが,ほとんどなんの違和感もない。知らなければ,まったくない。むしろ,とても美味しい。いずれにしても,みごとに消費されていく。だから,そのルートは健在だ。

 「白身の魚」は誤表示なのか,そうではないのか。みごとなグレイ・ゾーンの用語だ。ちかごろの魚売り場の鮭などは,きちんと産地が表示されていることが多い。それによって値段に大きな差がある。が,わかりやすくていい。ここに「誤表示」をされたら,よほどの人でないかぎり見分けはつかない。それをうっかりミスでした場合と確信犯的にやった場合との区別がつかない。つまり,確たる証拠が見つけにくい。

 こうして,無責任体制がどんどん拡大している。そんな社会にだれがしたのか。われわれである。この際,消費者は声を大にして怒るべきである。あるいは,購入拒否/レストラン利用拒否をすべきである。とりあえずは,手っとり早いところから実行していくしかないだろう。

 諸悪の根源の一つに「誤表示」というメディアの垂れ流し的用法があり,それを無批判に受け入れているわれわれの無責任もある。このことをこんごも注視していきたい。そして,できるところから行動を起こすべし,とひとりで怒っている。

 とりあえず,ひとこと,まで。

〔追記〕
※今日(6日)になって,近鉄系旅館の北田社長が「誤表示」ではなく,「偽装表示」であったことを認め,辞任する見込み(YOUTUBE)。内部告発から明白になった模様。さて,他のホテル系の「誤表示」はどこまで頑張るつもりなのだろうか。もはや,だれもがかぎりなく「偽装表示」「虚偽表示」であると信じて疑わないところにきているというのに・・・・。はやり,「責任」をとってけじめをつけてもらいましょう。それとも,ホテル系のレストランでは食事をしないボイコット運動でもはじめますか。とはいえ,その他のところも怪しいかぎりだが・・・・・。

2013年11月5日火曜日

『敗者の古代史』(森浩一著,中経出版,2013年9月刊)を読む。出雲幻視考・その11.

 鳥見山登山を終えて,八木駅で近鉄に乗り,京都に行こうと思ってホームに入っていったら,目の前を京都行き急行が発車していく。まあいいや,つぎの急行を待とうと思って時刻表を確認したら,30分も待たなければならないことがわかる。仕方がないと覚悟を決めて,ホームのなかをうろうろしていたら,本屋さんがあることを知り,ここで時間をつぶそうと入る。

 レジのそばに特別コーナーがあって,そこには奈良の歴史に関する書籍が集めてある。これ幸いとばかり片っ端から本をめくり,ずいぶんいろいろの本が出ているものだと感心していたら,一冊の本が買ってくれと呼びかけてくる。いつものシグナルだ。タイトルは『敗者の古代史』(森浩一著,中経出版,2013年)。そういえば以前に,広告をどこかでみた記憶がある。これがご縁というものなのか。

 目次をみてびっくり。
 いきなり,第一章がニギハヤヒノミコトとナガスネヒコ,とある。あわてて中味を確認する。そこにはとんでもないことが書かれている。

 まず第一に,宗像神社のことが写真入りで紹介され,この神社はニギハヤヒの天降りのときに一緒にやってきた神社ではないか,と森浩一さんは書いている。

 なにを隠そう,この日の鳥見山登山のために等弥神社に向かう途中で,車のなかからわたしが叫びました。「いま,通過したあの神社はなにっ?」と。運転しているTさんが「以前から気になっているんですが,まだ,確認はしていません」という。じゃあ,確認しに行こう,ということになり車を引き返す。そんなに大きな神社ではないが,どことなく独特の雰囲気がある。近づいてみると,鳥居のところに「宗像神社」と書いてある。

 そのときには,まだ,森浩一さんの推測を知らない。ウーン,なぜ,こんなところに九州の神様が祀られているのか,とわたしは考える。いつ,だれが,どんな理由でここに宗像神社をもってきたのか。しかも,地政学的にみれば,まことに複雑な勢力がせめぎ合った場所に。境内をぐるりとめぐって戻ってくると,鳥居の外の右横に「能楽の碑」が立っている,とTさん。しかも,「宝生流発祥の地」とあそこに書いてあります,とTさんがいう。

 えっ!と思わず声を発してしまいました。なぜ,この宗像神社の場所が宝生流の能楽の発祥の地と重なるのか。これはまぎれもなく宗像神社が宝生流の発祥に背後から後援したに違いない。能楽の原形は朝鮮半島にあると記憶しているので,これはまた調べなくてはならないことがひとつ増えてしまった。

 しかも,森さんは,この宗像神社のすぐ近くにある茶臼山古墳は,ニギハヤヒの古墳ではないか,と推測している。このあたり一帯の地名は「外山(とび)」という。なにゆえに「外山」と書いて「とび」と読ませるのか,このことが以前からわたしは気がかりになっていた。そして,だれかの書いた本のなかに(村井さんの本か?),ジンムが苦戦しているときに道案内に現れたという金鵄,すなわち,トビにちなむ地名ではないか,と書いてある。それにしても,なぜ,「外山」なのか。

 ところが,森さんはいとも簡単に「外山(とび)」と「鳥見(とみ)」は同じ意味だと,このテクストのなかで書いている。そして,そこには深入りしていかない。なぜか? 読み方によっては,意図的に避けている。それどころか,完全に忌避している,と思われる。その理由をいくつか挙げておこう。

 一つには,総じて,この地域一帯をニギハヤヒの側から思考し,分析している姿勢が強いことがある。それはこのテクストの題名「敗者の古代史」からくるとも考えられるが,それだけではなさそうである。たとえば,ジンムの記録はニギハヤヒに比べたら,まことに貧弱なものでしかない,ともいう。第一,ジンムに関する古社はどこにも見当たらない,とも。それに引き換え,ニギハヤヒの古社はいたるところに点在している,という。ジンムへの基本的な懐疑が森さんのなかにはあるのかもしれない。
二つには,桜井茶臼山古墳と一般的には呼ばれている巨大古墳を,わたしは「外山茶臼山古墳」と呼ぶことにしている,とわざわざ断り書きをしていることがある。つまり,「桜井」では意味がない。「外山(とび)」と冠を載せることによって,よりこの古墳の実態や性格が浮かび上がってくるからだ,と強調している。
三つには,森さんは鳥見山という表記を用いてはいない。国土地理院の地図でも「鳥見山」と書いてある山を指して「鳥見白庭山(とみしらにわさん)」と,一貫して書いている。そして,ここがニギハヤヒが二度目の天降りをした「大和の鳥見の白庭山」であると,なんの躊躇もなく断定している。この記述をみて,わたしはあっけにとられてしまった。根拠も推理もなにも示すことなく,ここがニギハヤヒが降臨した「鳥見白庭山」だと言い切っているのだから。こんなことは当たり前のことだと言わぬばかりに。

 わたしが,ようやく,この鳥見山こそ「鳥見の白庭山」ではなかろうか,と当たりをつけているというのに,森さんはすんなりとこともなげに断定している。言外には,考古学的ななにか確信があるとでも言わぬばかりに・・・。少なくとも,そんな雰囲気も感じられる。このあまりの自信に圧倒されてしまうほどだ。

 四つには,宗像神社を取り上げ,外山茶臼山古墳をニギハヤヒの古墳と推理し,鳥見白庭山を断定し,これだけの確信的な持論を展開されているのに,なぜか,等弥(とみ)神社についてはひとことも触れていないのはなぜか。森さんともあろう人が等弥神社の存在に気づいていないはずはない。いな,鳥見白庭山の頂上にはみずから登っているはずだし,そのためにはいやでも等弥神社を通り抜けていかなくてはならないのだから。では,なぜ,等弥神社を無視するのか。そこには,現段階では触れることのできない,森さんなりの意を決するところというか,かなり強い意図が感じられる。それは,なにか。

 なぜ,森さんがそのような,一見したところ,優柔不断な姿勢をとるのか,わたしなりにわからないでもないことがある。それは,どう考えてみても天皇制批判につながっていくこと以外のなにものでもないからではないか。

 鳥見(とみ),外山(とび),等弥(とみ)の不思議な連鎖と記憶の問題,あるいは,そこにみられる「詩と真実」については,一度,わたしなりの仮設を展開してみたいと思っている。なぜなら,そこにこそ古代史の謎を解く,ひとつの大きな鍵が隠されているのではないか,と考えているからだ。

 ということで,今日のところはここまで。








 

奈良・桜井の鳥見山に登ってきました。ニギハヤヒとトミノナガスネヒコの拠点はここだったのではないか。出雲幻視考・その10。

 10月4日(月)の午後,霧のなか鳥見山(とみやま)登山を決行しました。Tさんファミリーと一緒です。標高的には高い山ではありませんので,楽しい散策というところ。

 地理を確認しておきますと,三輪山の南,初瀬川を挟んだ対岸に鳥見山があります。ちょうど,山間を流れてきた初瀬川がヤマト平野に流れ出る出口になっています。しかも,伊勢街道の出口でもあります。言ってしまえば,三輪山と鳥見山とが,この初瀬川と伊勢街道に睨みを効かせる上での,むかしからの交通の要所である,と言っていいでしょう。

 しかも,この鳥見山から西南にかけてジンムがヤマトに進出したときに陣営を構え,激戦が展開されたといわれる磐余(いわれ)という地名がいまも残っています。イワレとはよく知られていますようにジンムの別称でもあります。この戦でも,ジンムはニギハヤヒとトミノナガスネヒコの軍に敗退しています。

 その鳥見山の麓に等弥(とみ)神社が祀られています。しかも,この神社はジンムが建立したことになっています。そして,こんにちもなお,皇族たちの篤い支援がつづいていることは神社の境内に立っている碑をみればわかります。つまり,ここには等弥神社の「とみ」と,その背後にある鳥見山の「とみ」だけが,口に出したときの音として「オヤッ?」という「なにか」を感じ取ることができる,そういう関係がみえてきます。

 もっと言ってしまえば,新しい権力が,それ以前の権力の残滓をことごとく消し去り,みずからの権力のシンボルを建造して,その「力」を庶民にみせつける,そういう典型的な事例をここにみることができる,とわたしは考えています。

 そんな意図もあって,まずは,等弥神社の境内を通り,本殿まで進み(このアプローチがなかなかいい雰囲気です),本殿の左手にある稲荷社の赤い鳥居をくぐって,その途中から山道に入っていきます。なんの表示もありませんので,このあたりは直感力に頼るのみです。最初の祭祀場のある所までは幅の広い立派な道が整備されています。一瞬,あっ間違えたかな,と不安がよぎります。が,あとは,そのむかし山歩きをしていたときの,感覚に頼るしかありません。周囲の地形から判断して,ここがもっとも具合のいい登山道に違いないと判断して進みました。

 そんな想定を楽しみながら,直進。その突き当たりにかなり立派な祭祀場があり,そこから奥は,ごくふつうの山道になりました。これで一安心。あとは,なだらかな傾斜地を楽しみながら登っていくことができます。急な坂道は最後のところにあるだけで,あとはほとんどありません。

 わたしが,まず,どこよりもそこに立ってみたかった所は「白庭」と呼ばれている聖地でした。ここでは毎年,いまも等弥神社の重要な祭祀が営まれている,と神社のパンフレットに書いてあります。しかし,その「白庭」とは,ニギハヤヒがヤマトの拠点としたといわれている「白庭山」(しろにわさん)のことではないか,というのがわたしの仮設です。そうなると,わたしの考えている話がとてもすっきりしてくるわけです。

 

 しかし,『出雲と大和』(岩波新書)の著者・村井康彦さんは大和郡山市にある矢田坐久志玉比古神社の伝承をもとに,ここがニギハヤヒが天降った白庭山と書いています(もっと,詳細に書いています)。が,はたして,そうなのだろうか,というのがわたしの疑問でした。村井さんも書いていますように『先代旧事本紀』によれば,「大和国の鳥見の白庭山に降り立った」と書いてある,というわけです。「鳥見の白庭山」という以上は「山」でなくてはならないはずです。そして,ヤマトを見下ろすロケーションであることは不可欠な条件だとわたしは想定しています。なのに,なぜ,村井さんは神社の伝承をそのまま信じてしまったのでしょうか。このことについては,また,別の稿を起こして,考えてみたいと思っています。

 この鳥見山の尾根つながりの「白庭山」を確認できたことで,わたしは大満足。そして,鳥見山の三角点のある「霊〇(田偏に寺)」に向かいました。そこは,すぐ近くにあって,「白庭山」からほんの少し下ったあと最後の登りをつめたところにありました。いまは,木が生い茂っていますが,たぶん,櫓でも組んで,ヤマトの平野が一望できるようになっていたに違いないと思いました。木立の隙間から三輪山がすぐそこ,手にとることができそうな距離にありました。そこから,右に視線を移していけば,巻向山があり,「ダンノダイラ」はあのあたりだなぁ,と眺望を楽しみました。

 
霧だった天気は,途中で雲が切れて青空がみえてきたと思っていたら,また霧につつまれ,ときおり小雨も降るようなあまりいい天気ではありませんでした。でも,下に降りてきたら,雨は止んでいました。天気も回復するきざしがみえていました。

 今日の午後は晴れるという,わたしの「観天望気」はもののみごとにはずれてしまいました。

 Tさんファミリーに八木駅まで車で送ってもらって,そこでお別れしました。が,電車に乗るまでの待ち時間に,偶然というにはあまりにできすぎたハプニングがありました。そのことは,つぎのブログで書いてみたいと思います。

 とりあえず,今日のところはここまで。

※写真提供:竹村匡弥氏。

 

2013年11月3日日曜日

「観天望気」って知ってますか,と問われて・・・・。

 明日(4日),奈良の鳥見山(とみやま)に登りたくて,いま桜井市のホテルにいます。さっきまで,奈良在住のTさんファミリーと一緒に食事をしていました。その席で,Tさんファミリーの小5のMちゃん(お嬢さん)から,「カンテンボウキ」って知ってますか,と問われ慌ててしまいました。こんなときは躊躇してはいけないと判断し,正直に「知りません」と答ました。

 すると,ヒントを出すので,考えてみて,という。「カンテン」は漢字で書くと「観天」,では,その下につく「ボウキ」はどんな漢字でしょう,という。

 さて,困ったことになった,と真剣に考えました。わたしの頭のなかにはなんの予備知識もありません。まっさらです。そこにTさんが「四字熟語」です,とヒント。そこからスイッチが入りました。「観天」の下につく「ボウキ」の漢字を,つぎつぎに当てはめてみました。どれもぴったりする二字が浮かんできません。しかし,何回も口のなかで「カンテン,カンテン」と繰り返しているうちに,「観天」という以上は「ボウキ」の「キ」は「気」に違いないと見当をつけ,ならば「ボウ」にはどんな漢字を当てればいいのか,とあれこれ考えました。ここにくる「ボウ」は「忘」ではないだろう,ならば「望」に違いない,とひらめきました。そこで思い切って「望気」と答えてみました。すると,なんと,それで正解だといいます。応答したわたしの方がびっくり仰天でした。

 「観天望気」は,小5の理科の教科書のなかの「気象・天気」を学ぶ単元のなかの囲み記事として書かれていたとのこと。そこには,太陽に二重の傘がかかると明日は雨になるとか,つばめが低く飛ぶと雨になるとか,の事例が書いてあって,科学的根拠はないけれども,むかしから言い伝えられてきた,天気を予想する言い習わしのこと,と書いてあったそうです。

 Mちゃんは,そのことにとても興味をもち,もっと詳しいことを知りたいと思い,本屋さんを探してみたが,その種の本はみつからなかった,とのこと。

 こんな話を聞きながら,わたしは三橋美智也の歌を思い出していました。
 「夕焼け空はまっかっか,とんびがくるりと輪を描いた,ホーイのホイ,そこから東京が見えるかい,見えたらここまで降りてきな・・・・・」
 そうだ,「夕焼け空がまっかっか」も「とんびがくるりと輪を描いた」も,みんな「観天望気」だなぁとひとりむかしのことを懐かしく思い出していました。

 と同時に,「夕焼け空がまっかっか」と歌ってみると,もうそれだけで気分がよくなり,明日はいいことがあるに違いない,と楽しくなったことも思い出していました。「とんびがくるりと輪を描いた」とくれば,これまた明日は今日よりももっといいことがあるに違いない,とそんな気分になったこともこころを過(よぎ)りました。ということは「観天望気」とは,たんなる天気予報だけではないぞ,と思い至ります。むしろ,天気のことを考えつつ,明日はなにをしようかというほのかな「希望」や「望み」のようなものを抱かせることも含んだ四字熟語ではないか,と気づきます。つまり,天を仰ぎ見(観)ながら,みずからのこころが動く,そのことを言っているのではないか,ととっさに考えました。そうです。天の「気」と我の「気」との微妙な関係性のことではないか,と。

 だとしたら,天気(観天)という宇宙のマクロ・コスモスと,望気という人間のミクロ・コスモスとが接する境界領域(「時空間」)に起こるトータルな現象のことを意味していることになるではないか,と。それは,おそらくは,アートの世界も同じで,そんなマクロ・コスモスとミクロ・コスモスとの境界領域に無限に広がる「時空間」こそが,アートがひろがる根源的な「場」ではないのか,と。このことは,スポーツの世界にも通底しているではないか,と。そんな思い,連想がつぎつぎに生まれ,いやはや「観天望気」とは単なる天気予報の言い習わしでは納まらない,人間の存在論にもかかわる無限のひろがりがそこにあることがわかってきます。

 とまあ,こんな話をしながら大いに盛り上がりました。今夜は小5のMちゃんのクイズに触発されて,とんでもない無限の世界に遊ぶことができました。ありがたいことでした。Mちゃん,謝謝。

 

2013年11月1日金曜日

「<医>における<信>」ということについて。ヒポクラテスにみる二つの<信>の問題。医療思想史・その3.

 N教授の医療思想史のゼミがますます佳境に入ってきました。と書きましたが,それは同時にかなり込み入った内容になってきたということでもあります。ノートをとりながら,何回も鳥肌の立つ思いをしながら聞かせていただいているのですが,家に帰ってからノートをみると肝心要の部分が抜け落ちてしまっています。つまり,聞くことに集中してしまって,聞きほれてしまっているのです。そのためにボイス・レコーダーを用意していくのですが,それをセットすることまで忘れてしまっているという情けなさです。

 というわけで,これから書くことは,わたしのわずかな記憶と印象を頼りに書くことですので,間違っていることもお含みおきください。でも,わたしにとってはどうしても書いておきたい重要な内容を含んでいますので,あえて,そこに挑戦してみたいというわけです。つまり,いま,文章化しておかないと,また,きれいに忘れてしまいかねないからです。

 そのテーマが表題に書きましたように「<医>における<信>」というものです。この関係が,ヒポクラテスをとおして浮き彫りになってくる,しかも,ヒポクラテスの<医>の問題を考えるときの核心部分に相当する,とN教授。そして,ヒポクラテスは二重の意味で<信>の問題と深くかかわっていたというわけです。

 それを,わたしが理解しえた範囲で整理しておくと以下のようになりましょうか。

 医師であるヒポクラテスは全知全能ではないことを自覚しています。しかし,病者からは全面的な信頼を受け,身を投げ出すようにして命を信託されてしまいます。すると,さすがのヒポクラテスといえどもたじろいでしまいます。ですから,そのたじろぎを支えるための装置が必要になってきます。そうして,当時,広く知られていた医神アスクレピオスに助けを求めます。そして,アスクレピオス神に絶対的な<信>を置くことによってヒポクラテスは安心立命し,<医>に専念します。つまり,ヒポクラテスの時代の<医>は,こういう意味で,ある種の「特別の職能」であった,というわけです。

 いったい,ヒポクラテスの時代の<医>とはなんだったのか,微妙な問題がその周辺には漂っていたように思います。つまり,論理的な<医>と,人知を超越するところの<医>との狭間で揺れ動く,そういう意味での微妙さの問題です。

 そのもっとも分かりやすいポイントは,ヒポクラテスの<医>はアスクレピオス神殿で行われていた,という事実です。しかも,ヒポクラテスはアスクレピオスの末裔であると名乗り,父祖代々医業を引き継いできたと主張します。ということは,ヒポクラテスの始祖はゼウス神ということと同じことを意味します。すなわち,アスクレピオスの父はアポロン神,そのアポロン神の父はゼウス神ですから,ヒポクラテスの始祖はゼウス神というわけです。

 ここから,もう一つの知見が開けてきます。アポロン神は「神と人間の中間」にある神だとされています。そのアポロンがみずからの太股を切り裂いて,死んだ妻の体内にあった未熟児を埋め込んで育てます。そうして誕生したのがアスクレピオスだといいます。しかも,アポロン神は,このアスクレピオスをケンタウロスに預けて育ててもらいます。ケンタウロスはご存じのように半人半獣です。いわゆる冥界に住む魔物ですが,同時に,ケンタウロスは「癒しの力」をもっていました(このあたりのことは,じつは,とてつもなく深い,動物と人間の関係を考える上で,重要な内容を含んでいます。その点については別稿で考えてみたいと思っています)。この「癒しの力」をアスクレピオスはケンタウロスから伝授されます。こうして医神アスクレピオスが誕生することになります。

 つまり,アスクレピオス自身が神の世界から人間の世界に限りなく近いところにありながらも,なおかつ,神の世界に片足を残しているというわけです。その末裔であると名乗るヒポクラテスもまた,人間の世界に誕生しますが,こころのどこかにゼウス神を始祖とするアスクレピオス神への信仰心(信頼・信託・委託)がしっかりと根付いています。

 ですから,ヒポクラテスはアスクレピオス神殿に身をおき,そこで<医>を営むことになります。そして,冒頭に書いたように,ヒポクラテスは病者の<信>を引き受け,こんどはアスクレピオス神への<信>にすがって,みずからの<医>を展開したというわけです。

 このような位置に立ちながら,ヒポクラテスは「死にゆく病者」と「生命力を残している病者」とを区別して,「死にゆく病者」は聖職者の仕事,医師は「生命力を残している病者」を支援することだ,と考えました。それでも,病者を支援する仕事は「禍々(マガマガ)しい仕事」であり,穢れ(ケガレ)に触れる仕事ですから,そこから救済されるためにもアスクレピオス神を信ずることによって<医>に取り組んだというわけです。ここのところはきわめて重要なことだと,わたしは受け止めています。<医>は,こんにちのわたしたちが考えるような単純なものではない,つまり,科学合理主義で片づけられるような問題ではない,という意味で。

 もう一点だけ,触れておかなくてはならないことは,つぎのような神話です。アスクレピオスは,ケンタウロスから冥界に通ずる「癒しの力」を引き継いでいましたので,あるとき,死者の前で嘆き悲しむ親族に請われて,不本意ながら,死者を生き返らせてしまいます。このことを知ったゼウス神は,怒り狂ってアスクレピオスに雷を落として感電死させてしまいます。孫を殺したのです。理由は,医は地上の生命を支援するためのものであるのに,地下の死の世界に踏み込んで,死者を生き返らせるという領域侵犯をなした,これは許せない,というわけです。

 もちろん,この神話はゼウス的コスモロジーのもとでの話です。しかし,それだけの問題で済ませてしまっていいのでしょうか,とN教授は暗示しているように,わたしには聞こえました。

 この神話がヒポクラテスの頭のなかには避けがたい大原則として刻印されていたと言っていいでしょう。ですから,<医>は生命力のある病者を支援することであって,死にゆく病者に手を出してはならない,というヒポクラテスの掟(誓い・医の倫理)を徹底させることになります。

 この問題は,現代医療の問題を考える上で,ある根源的な示唆を含んでいるのではないか,とわたしは受け止めています。まだまだ,考えなくてはならない問題が山のようにあります。今日のゼミは,わたしにとっては忘れられない,記念すべき日であったように思います。

 というところで,今日のレポートはおしまい。