2014年9月30日火曜日

男性ヌードは卑猥かアートか。愛知県警の勇み足。薄い布で隠して透けてみえる方が卑猥。

 男性の性器があるがままに写っている写真を「卑猥」であるとして,愛知県警にクレームをつけられ,展示写真に薄い布をかけてカメラマンが妥協した,と話題になった「これからの写真」展が,名古屋の栄にある愛知県美術館で開催されており,9月28日が最終日であるというので,友人3人と一緒に,犬山の例会の帰りに立ち寄った。

 まず,驚いたのは愛知県美術館の壮大な建物。東京六本木にできた新国立美術館よりも立派。しかも,フロアごとに多種多様なアートの展覧会が催されていて,そのプログラムを見ただけでも圧倒されてしまうほどだ。ちなみに,愛知県美術館はこの建物(愛知芸術文化センター)の10階・11階にある。いやはや,おどろきもものきさんしょのき,おそれいりやのきしぼじん,といった塩梅である。まずは度肝を抜かれた。

 だから,「これからの写真」展も,ゆったりとしたスペースにぜいたくの限りをつくした展示になっている。なのに,なぜか,展示作品にパンチ力がなく入れ物に圧倒されてしまっている。展示をする器の方が時代を先取りしていて,展示されている写真の方が遅れをとっているのでは・・・,というそんな印象も受けた。つまり,わたしの感性に訴えるような作品はほとんどなかった,ということ。前衛アートはいつもそうなのだが,わたしにはいまひとつピンとくるものはなかった。

 話題の男性ヌードも同じだった。なんだかうっとうしい,厚ぼったいカーテンで仕切られた展示室。そのカーテンをかき分けて,この展示室に入る。入ってすぐ右側の最初の写真は男女が並んで立っている全裸写真。それもとてつもなく大きく引き延ばされている。この写真には男性の性器は写っていなかったが女性の性器(外観)はまるみえ。なのに,この作品はおとがめがなかったらしい。しかし,この写真だけが,なぜか,わたしの印象に強く残った。あとは,男性が二人並んで立ち,ごくふつうに写っているだけ。モデルも素人さん。だから,女性のヌードもごくふつうの,やや太めの外人女性。そして,すべての写真にカメラマン自身が被写体となって写っている。つまり,カメラマンが相手をとっかえひきかえしながら,自分ともうひとりとで被写体となっている。

 「これからの写真」の鑑賞ガイドによれば,以下のように説明がある。
 鷹野隆大
 写真は「写真家か/被写体か」ではない(ここだけ大きな活字)。
 どの写真にも写っている男性が,写真家本人である鷹野です。
 ふつう,写真家はカメラの背後に立ち,一方的に,被写体を見つめます。
 ところが,鷹野は被写体となったモデルと一緒に裸になって,カメラの前で肩を組んで並んでいます。
 中には,被写体となった人がシャッターを切っているものもあります。
 写真家と被写体との新しい関係性を予感させる作品です。
 また,衣服を着た人間からは職業や社会的立場などが想像されますが,
 裸になると,途端にそれらがわからなくなります。
 衣服という社会的な符合なしでまじまじと人を見るという不思議な体験ができます。

 いまは,いわゆる公衆(大衆)浴場というものが激減してしまったので,すっぽんぽんの男性の裸をみるという経験が希有なものになってしまった。残っているのは温泉くらいなもの。それもまあ,みんな前をタオルで隠しているので,まともに性器が眼に入ってくることも少ない。むかしの公衆浴場では,前を隠すこともなく堂々と歩いている人をみかけることも少なくなかった。だから,人さまざまな形態の性器をもっているものなのだなぁ,となんの抵抗もなく当たり前のように納得した記憶がある。

 だから,写真という表現の枠組みのなかで,しかも,美術館という限定された展示場で,男性ヌードが大まじめな顔をして二人並んで立っているだけの姿は,別に卑猥だとは思わない。それよりも,男女で並んで立ち,その女性のぶよぶよのからだの,どちらかといえば醜悪な姿をさらけ出し,しかも,ほとんど陰毛らしきものがない女性の性器をみせられる方が,みた経験がないだけに強烈な印象となった。しかし,それが卑猥だとは,感じなかった。いわゆる見慣れた女性ヌード写真は,プロのモデルさんの美しい肢体と,とってつけた前張りの陰毛に覆われた性器は,ワンパターン化していて,なんの変哲もないものでしかない。しかし,素人さんモデルの,ありのままの全裸ヌードは,つまり,前張りのない,生身の性器には,なにか異様なものを感じさせられた。それが,カメラマンの企み/意図だったのだろう,と思う。

 しかし,薄い布をかけて下半身だけを見えなくした問題の写真の方がはるかに違和感を覚えた。なぜなら,薄い布をとおして,男性性器がぼんやりと透けてみえているからだ。これだったら,薄い布などで隠さないで,そっくりそのまま展示した方があっけらかんとしていて,アートとしての意味もでてこようというものだ。展示場を右側から左回りでみていった最後の一枚が,この問題の写真である。それだけに,なおさら,微妙な印象を残す。しかも,その問題写真のすぐ横に椅子に座って微妙な表情をしてこちらを見ている女性がいるのも,なんとも不可思議な光景だった。もっと,あっけらかんとした,ふつうの表情でいてほしかった。眼が合うと,とまどったような表情のまま眼を逸らす。この人の存在が,かえって気がかりになり,鑑賞の邪魔にすらなっていた。

 結論から言えば,男性の性器の写っていない,肩を組んで立っているだけの写真は,海水浴場の光景と変わらない平凡なものだ。しかも,表情がほとんどない写真だ。むしろ,大まじめに構えてみえる。というか,すっぽんぽんになってカメラの前に立つ緊張感が,むきだしになっていると言った方がいいかもしれない。ただ,それだけだ。見ている途中で,全部の写真に同じ男性が写っているんだなぁ,と気づき,なぜだろう,と疑問を感ずる程度。あとで鑑賞ガイドなるものを読んで,なるほど,そういうことだったのか,と思う程度。そんな程度の写真だ。わたしの感性では退屈さだけが目立つ「駄作」。その退屈さの中に,性器丸出しの男性ヌードを織り込むこと,それこそがカメラマンの最大の企みであったはず。でも,それでも「駄作」は駄作だ。そんな駄作に愛知県警がいちゃもんをつけたばかりに,カメラマンの鷹野隆大の名が広く認知されることになってしまった。県警のやったことは,完全なる「勇み足」であり,カメラマンの名前を有名にしただけの話。なんのこっちゃ,というのがわたしの率直な感想。

 なぜか,砂を噛む思いで美術館をあとにした。いつもなら,間違いなく図録を買うのだが,その意欲もないまま・・・・。そして,アートとはいったいなんなのだろうか,という根源的な疑問すら湧いてきた。文学作品のセックス描写(たとえば,有名な『チャタレイ夫人の恋人』の裁判)も同じだ。でも,この問題は解決し,問題箇所の「全訳」版もでて,一件落着。それからすでに相当の時間が流れている。そして,第二次安倍政権の出現。これによって時代は一気に逆流をはじめた。やはり,時代が逆流しはじめた兆候のひとつがここにも現れた,ということなのだろう。いやな予感ばかりが脳裏を駆けめぐる。そのことを露呈させたという意味では,この写真展は意味があったというべきかもしれない。だとすれば,ナチズムのようなアート監視体勢が,頭をもたげた,その魁としかいいようがない。

 憂鬱な世の中になっていく。

 

2014年9月29日月曜日

第86回・ISC21・9月犬山例会から戻りました。内容のある素晴らしい例会となりました。

 第86回・ISC21・9月犬山例会が,船井廣則さんの主宰で開催されました。参加者の人数はいつもよりは少なかったですが,議論の内容はいつもにもまして充実したものとなり,レベルの高いところでの議論となりました。わたしにとっては印象に残るいい例会だったと思います。

 日時:2014年9月27日(土)13:30より。
 場所:名古屋経済大学3号館3F第一会議室。
 プログラム:
 
  林 郁子:ソフトテニスの名づけの問題
  菅井京子:『ドイツ体操』(Deutsche Gymnastik)における動きのゲシュタルトゥング  (Bewegungsgestaltung)について──O.F.ボルノーの「課題としてのゲシュタルトゥング(Gestaltung)を手掛かりにして
  船井廣則:再びスポーツ史叙述について
  稲垣正浩:近代アカデミズムの功罪について──スポーツ史研究にみるブートストラップ

 直前になって発表者のひとりが欠席ということになり,突然のプログラムの組み直しがなされたのですが,それをカバーするにあまりある素晴らしい発表が,急遽,組み込まれました。それができてしまうところが,この研究会の凄いところだと思います。つまり,だれもが,いつでも発表できる積み上げができている,ということです。こんな素晴らしい,実力者ばかりの集まる研究会はそんなにはないなぁ,と自画自賛したくなってしまいます。

 林さんの発表は,日本にテニスが伝来し,それが普及するプロセスで,テニスと呼ばれたり,庭球と呼ばれたり,あるいは,硬式テニス/庭球,軟式テニス/庭球,ロウンテニス,ソフトテニス,などとそれぞれの時代に意識的にも無意識的にも,さまざまな名づけが行われていて,その実態は意外と明らかにはなっていない。それどころか,間違った認識がいつのまにか定説となってしまって一人歩きをしている。この誤った定説を糺すための新たな資料を蒐集し,それらに基づいて,それぞれの「名づけ」のもとで行われたテニスの実態(硬式なのか,軟式なのか)を明らかにする,というきわめて意欲的な発表でした。その視点は,ひとつは用いられたボール(ゴム・ボールか,布を被せたボールか)の種類によって,もうひとつはルール(サーヴィスの方法,ダブルスの組み方,など)からの分析でした。ベンヤミンや多木浩二さんのことばに置き換えれば「歴史を逆撫でする」,あるいは「瓦礫の山のなかから真実を導きだす」,というみごとな研究のレベルを提示するものでした。このあとのまとめが愉しみです。

 菅井さんの発表は,学会発表の抄録をもとに,いま,最大の難関だと考えている「ゲシュタルトゥング」(Gestaltung)をどのように考えればいいのか,そして,とりわけ,「動きのゲシュタルトゥング」(Bewegungsgestaltung)をどのように理解し,捉えればいいのか,という問題提起がなされました。この問題は,たとえば,「ゲシュタルト心理学」とか「ゲシュタルト・クライス」などというように,日本語には翻訳できないドイツ語・Gestaltが大きな壁になっています。しかも,Gestalt, gestalten, Gestaltung, というように使い分けがなされています。それをさらに Bewegung(運動,動き)のゲシュタルトゥング(Gestaltung)となると,いったい,どういうことを意味しているのか,というのが議論の焦点となりました。こんにち,わたしたちが理解しているK.マイネルの「運動学」(Bewegungslehre)の知見にもとづけば,粗形成(Grobformung)から精形成(Feinformung)へと,動きをブラッシュアップしていくプロセスが一番近いのかな,というところに落ち着きました。しかし,それだけでは充分ではありません。このような議論が立ち上がるドイツの192,30年代の,思想・哲学上の議論がその背景にあるからです。その根は「生の哲学」(Lebensphilosophie)にあります。そことの結びつきを明らかにすることが,最終的な研究課題として残ることになりそうです。今回は,その初歩の入口の議論として,とりあえず,問題提起をするにとどめるのがいいのでは・・・・,というような議論がありました。

 船井さんのプレゼンは,昨年のスポーツ史学会のシンボジストとして「取り扱えなかったこと」(時間的な制約のために)にこだわりをもち続け,いまも,考えつづけていることを,手際よく整理して提示してくれました。よく勉強してるなぁ,と感心するほどの読書量を背景にして,W.ブス(ゲッチンゲン)とG.シュピッツァー(ポツダム)の論争をどのうよに受け止めるか,という問題提起でした。両者の主張の論点を,それぞれに紹介した上で,歴史研究者としての根本的なスタンスの違いを明らかにし,それぞれの功罪を慎重に探る,いかにも船井さんらしい深い読みが展開されました。言ってしまえば,ナチス時代と東西ドイツという,世界に類をみない,いわゆる先進国での際立ったスポーツ政策が展開され,その功罪について,「現代」という視点からどのように評価し,断罪していくべきか,を問う歴史研究者としての使命を重視する立場と,そんなことは歴史研究者の仕事ではないとする立場の論争というわけです。「単なる実証主義でも,『歴史=物語』とする相対主義でもない・・・・」そういう歴史をめぐる根源的な問いにまで触手が伸びていくことになります。この問題は,一度,プレゼンを聞いたくらいでは,そうそうやすやすと問題の本質には接近できそうにはありません。ぜひとも,文章化してもらって,何回も何回も熟読した上で,再度,議論すべき重要なテーマだと受け止めました。いまもつづく歴史学全体に漂う沈滞ぶりは,このあたりの議論がネックになり,暗礁に乗り上げてしまったからではないか,とわたしは推測しています。船井さんの読書歴を,謙虚にたどりながら,わたしたちもまっとうな議論ができる準備をしなくてはならない,と深く反省した次第です。

 というところで,時間切れとなり,わたしのプレゼンは夜の部でやることになりました。アルコールの勢いを借りながら,午前3時までつづきました。結論は,歴史研究も科学も,言ってしまえばみんな個々人の「思い込み」(立花隆)にすぎないとすれば(脳科学のゆきついた現段階での結論),では,いったい,これまでの歴史とはなにか,スポーツ史とはなにか,というところにたどりつくことになります。それらは,結局のところ「ブートストラップ」(『ほら吹き男爵の冒険』,岩波文庫)にすぎないではないか,と。そのとき,「聖なるものの刻印」というジャン・ピエール・デュピュイの提示した新たなる「知」の地平が忽然と目の前に開けてくる・・・・,というようにして,話は西田幾多郎や道元に流れたり,竹内敏晴に踏み込んでみたり,西谷修の『理性の探求』をはじめとする諸文献のスタンスに及んだり,今福龍太や真島一郎にいたったり,と縦横無尽の議論がつづきました。まあ,言ってしまえば,単なる酔っぱらいの戯れ言にみなさんを引き込んでしまった,罪深き言動にすぎない,理性中心のまじめ一辺倒の近代論理からすれば許されない「悪」を演じてしまったということになります。しかし,もうひとつの視点に立てば,つまりは,わたしの「思い込み」を語ってみた,というにすぎません。近代アカデミズムもそろそろ「かぶく」ということを視野に入れて,原点から考え直さなくてはいけないのではないか,と。

 といったところが研究会のあらましです。もちろん,この集約もまたわたしの「思い込み」にすぎません。一人ひとり,まったく違う印象をもったはずです。それをまた次回の例会でぶつけ合うことができれば,これまた楽しい限りです。

 以上,とりあえず,第86回・ISC21・9月犬山例会のご報告まで。

抗ガン剤による予防治療,第5クールへ。いまのところ順調のよし,ホッ。

 今日(29日)は,月に一回の診察の日。予約時間の午前9時30分に病院へ。とても安定しているようなので,という理由で採血による血液検査もなし。

 もっぱら面談による問いと応答。前半はお医者さんからわたしへ。後半はわたしからお医者さんへ。薬を飲みはじめて第2週に入ると,かなりしんどくなるので,2,3回,薬を飲むのをスキップしました,とわたし。夜は薬を飲んで,早めに床につくことにし,朝起きたときの状態によって,辛いときはスキップした,と。そうですか,まあ,仕方ないですねぇ,と苦笑いのお医者さん。そして,最後に,胃腸の全体をひととおり手で抑えて触診。問題なし。前回にやったCTスキャンの結果も,専門家の意見も聞いてみたが,どこにも問題はない,とのこと。ここまでで,わたしはホッ。おまけのお話はお医者さんからプライベートな,というか共通の友人たちのお話。その1.おしゃべりのY君から,入れ歯がいいか,インプラントがいいかと聞かれたので,おしゃべりの止まる仕掛けのついた入れ歯がいい,と答えておいたと大笑い。まあ,なんとなごやかな会話であること。では,来月の診察は27日の月曜日午前9時ということにしましょう。こんどは採血して血液の状態を確認しましょう,ということで終わり。

 こんな会話が終わったところで,薬剤師さんにバトン・タッチして,別室で薬の副作用のこまかな情況についての面談。抗ガン剤のTS-1による口の粘膜のねばつきと味覚の鈍麻を予防するための漢方薬が,わたしには効きすぎて,こんどは漢方薬のにが味が味覚を支配してしまって・・・と訴える。いろいろ相談の結果,あまりににが味が強くなるようだったらスキップしたりして様子をみることに。漢方薬は飲んでも飲まなくてもいいので,適当に判断してみてください,とのこと。あとは,手の指,足の指に痙攣がくることがあるが,少しマッサージをしてやれば治るので・・・とわたし。その程度でしたら,そのままの方がいい。痙攣の頻度と強度がひどくなるようでしたら,次回に処方を考えてみます,と薬剤師さん。ひととおり話が終わったところで,ボウリングの調子はどうですか?とわたし。すると,嬉しそうに,自分の所属しているクラブのキャプテンがインチョンのアジア大会で金メダルをとったと話し,その人に少しでも近づくことがいまの目標だ,と。それがうまくいけば,国体の補欠選手から正選手になれるので,頑張っている・・・などなど。

 というわけで,10月1日から2週間,いままでどおりにTS-1を飲むことになりました。そして,漢方薬は臨機応変に。第5クールのはじまり,というわけです。抗ガン剤による予防治療というものの内容がわかってきましたので,あまり無理をせず,時折はスキップするという手も用いながら,ほどほどにお付き合いをすることにしました。

 以上,今日の診察のご報告まで。まずは,順調ということですので,ご安心のほどを。

2014年9月25日木曜日

カトノリのダンス,一皮剥ける。だが,もっと「かぶく」可し。バウンダリーを超えるために。

 カトノリこと,ダンサー加藤範子。久しぶりのステージをみる。この前の公演では,妊婦のからだを惜しげもなくステージにさらして,それでもなお自己の世界を切り拓こうというひたむきな姿は一種異様でもあり,かつ,ダンスの新たな実験でもあった。つねに自己の到達したダンスの境涯を突き崩し,新たな可能性を探求するその姿勢にはこころからのエールを送りたい。

 今回の公演もまた,そうしたカトノリの新たな実験だったと思う。その表出が公演のテーマ「境界を超えて」(Beyond a Boundary )にもみることができる。そして,そのテーマを受けて,カトノリのダンスは「背中」がみせる微妙な動きからはじまった。徹底してやわらかなぐにゃぐにゃの動きを貫きながら(身悶えながら?),もっと違う自己(たとえば,内なる他者)と向き合い,かつ,外なる他者とのふれあいをとおして,もっともっと違う自己を見出し,とまどいながらも日常を超えて,非日常の世界に遊ぼうとする。しかし,突如として日常に引き戻され(痒いので掻かずにはいられない),日常と非日常の境界領域でもだえ,どうにもならない,制御不能の自己でも他者でもない,生身の生き物としての現実と向き合うことになる・・・・。これはあくまでもわたしのきわめて個人的な理解の,ひとつの側面にすぎない。しかし,わたしにこのようなメッセージを送り届ける表現にカトノリの新たな実験をみてとることができる。

 もっと別の見方も可能だ。たとえば,日常の理性の呪縛から解き放たれたくて仕方のない自己のからだの悶えに身を委ねてみると,自分でも想定もできなかったからだが表出し,その快感に酔い痴れる。そこは日常を超え出た非日常の地平だ。しかし,からだの一部が痒くなると,そこを掻かずにはいられない,もうひとつの衝動が表出する。それもまた理性とは関係のない,自己の,生身のからだの,ありのままの要求にすぎない。にもかかわらず,理性は,この野性ともいうべき生身のからだの要求に抗して,いつまでも掻いていてはいけない,と主張する。と,突如として日常を生きる自己が立ち現れる。こうして,日常と非日常との境界を往来することになる。その境界(Boundary)を超えて安寧をえることの困難が,つねにつきまとう。

カトノリが企画・構成を担当したこの公演のメイン・テーマである「境界」(Boundary )は,4人のダンサーの受け止め方によって,さまざまな顔をみせる。イタリアからやってきたクラウディオ・マランゴンは,日常の「歩く」「走る」からはじめ,次第に自己のからだの中に生じる違和感を手がかりにして,もうひとつの自己のからだに目覚め,そこに身をゆだねていく。すると,そこには日常とはまるで異なる世界のひろがりが待っている。それでもなお,日常がつねに身辺をつきまとい,からだが痒くなってくる。とてもわかりやすい「境界」を超え出ることの困難を表現してみせた。と,わたしは受け止める。

カナダからやってきたマキシーン・ヘップナーと瀬川貴子の二人のダンサーが織りなす「境界」の印象はまた違うものだった。どこか霊的な世界から抜け出してきたようなダンスをみせるヘップナーと,それに対して,ごくふつうの日常を生きている人間が,霊的世界に触れることによって,新たなからだが開かれていくプロセスを,切れ味の鋭いダンスで表現してみせた。そして,二人が互いに交信・共鳴をはじめ,ついには恍惚状態に入っていく。ヘップナーの空恐ろしい「眼力」が印象に残った。とりわけ,瀬川のダンスは秀逸で,わたしにはビンビンと響くものがあった。

 このダンスのあとでカトノリが登場し,さきほど述べたようなダンスを披露。これがプログラムの第一部。休憩をはさんで第二部へ。第二部では,これら4人のダンサーが一緒になって踊りはじめる。それぞれが,第一部でみせたまったく異なる「境界」(Boundary)を表現しながら,お互いに刺激し,挑発し合う。そして,次第に変化しながら,もうひとつ次元の異なる「境界」(Boundary)に超え出ていく。この「絡み」が圧巻だった。ときにはその場の力に突き動かされて表出するインプロヴィゼーション(Improvisation=即興)もあって,さらに「境界」(Boundary)を超える奥の深さを感じさせた。構成がしっかりしているので,もっともっとインプロヴィゼーションが表出してもよかったのではないか,とこれはわたしのないものねだり。

 感動の第二部が終わって,その余韻に浸りながら,いろいろのことが脳裏をよぎる。カトノリのダンスも一皮剥けたなぁ,と。これまでのあるがままのからだもかなり絞り込んできており,その分,表現の幅が広がってきたように思う。そして,企画・構成もしっかりしたコンセプトに支えられ,わかりやすくなってきたなぁ,と思う。しかし,・・・・?とも思う。

 それは,最後の終わり方にあるのかな,と考える。それは,一人ひとりのダンサーが,まるで線香花火の最後の小さな固まりになって,チカチカと火花を散らし,しょぼんと落下していくような,そんな印象が残ったからなのだろう。そこで思いついたことばが「かぶく」。もっともっと「かぶいて」いく勇気が必要なのかなぁ,と。どこかで理性がはたらき,コントロールしてしまっているのではないか,と。もっともっと徹底して「かぶく」こと。それは百尺竿頭出一歩(百尺もある竿の先端に立って,さらに一歩を宙に踏み出せ)という禅の世界にも通ずる,永遠の問いでもある。

 それこそが,コンテンポラリー・ダンス(Contemporary Dance)が,つねに問われてきたことではないのか,とわたしは考える。時代の風を感じ取り,世界の変化を先取りする感性が,アーティストとしてのコンテンポラリーダンサーには問われる。

 ジョルジュ・バタイユの世界に通暁していた岡本太郎が「芸術は<爆発>だっ!」と吼えたこととも通底する,とわたしは考える。「かぶく」ということはそういうことなのだ,と。出雲阿国が京都四条河原で「かぶいた」のも,やむにやまれぬマグマの「爆発」だったのではないか,と。

 そういう「マグマ」を溜め込むこと。それは,繰り返すまでもなく時代や世界と反応しつつ,みずからの思想・哲学を練り上げることでもある。そこから生まれるダンスこそ,批評性の高い,新しい時代を切り拓いていく,優れたアートになりうるのだ,と。

 カトノリよ。もう一踏ん張りだ。そして,勇気をもって「かぶく」可し。パウンダリー(Boundary)を超え出ていくために。

2014年9月24日水曜日

組体操,驚異の「10段ピラミッド」の謎。その理論と構造を読み解く。

 前日のブログのづきです。

 組体操の「10段ピラミッド」が話題になっていますが,その是非を問う前に,この「10段ピラミッド」とはどういうものなのか,その理論と構造を確認しておきたいと思います。

 なぜなら,わたしの知っているピラミッドの積み上げ方からすれば,それは不可能だからです。最初に,ネット上で「10段ピラミッド」ということばを見つけたとき,なにを馬鹿なことを言っているのか,とまったく理解できませんでした。そんなことができるわけがない,ありえない,これはわたしの確信でした。

 不審に思って,ネットをあちこち探してみました。そこでわかったことは,ひとくちに「ピラミッド」と言っても,その積み上げ方はさまざまである,ということでした。いま,行われている「ピラミッド」はわたしの知っているそれとは発想の違う,まったくの別物でした。結論的にいえば,積み上げる,というよりは「立ち上げる」と言った方が適切ではないかと思います。

 わたしたちがやっていたピラミッドは,全員が両手・両膝でウマになり,その上に,両手は下のウマの肩・肩甲骨あたりにおき,両膝は下のウマの臀部・骨盤のあたりにおき,さらに,3段目も同じようにして積み上げていきます。正面からみれば二等辺三角形ですが,横からみると単なる一枚の壁です。

 この方法ですと,5段重ねのピラミッドが高校生の,しかも鍛練をつんだ体操部部員の限界でした。5・4・3・2・1という具合に下から順に人数を減らしながら,上に積み上げていきます。5・4・3までは,それほど苦労することもなく積み上げることができました。しかし,最後の2・1は別次元の難度でした。何回も何回も失敗を繰り返しながら,いろいろのアイディアや智恵を出し合い,精度を高めていきました。そうして,ようやく成功したときの喜びは感無量でした。この達成感はえも言われぬものでした。とりわけ,運動会の本番で成功したときの充実感はなにものにも替えがたいものがありました。

 ですから,このわたしの常識からしますと,「10段ピラミッド」なんて,とんでもない,ということになります。サーカスのような特別の訓練をした人たちでも不可能でしょう。それは単純に力学的に考えてみて不可能だからです。なぜなら,一番下の真ん中のウマの上には,単純に計算しても,9人分の体重がかかることになります。仮に一人50㎏としても,450㎏の重力がかかることになります。それを両腕・両膝で支えることはできるわけがありません。

 では,いま行われている「10段ピラミッド」はどういう方法で「立ち上げて」いるのでしょうか。完成した全体の形態をみてみますと,三角錐になっています。つまり,一枚の壁ではありません。そして,よくみてみますと四方から力を中央に寄せ集めつつ,下への重力の負担を軽減する,そういう工夫がこらされた,まったく新しいアイディアから誕生した「新・ピラミッド」であることがわかってきました。

 この「新・ピラミッド」を考案したのが,よしのよしお(DVDネーム,実名は吉野義雄)さんです。かれは兵庫教育大学大学院で組体操の研究に取り組み,まったく新しい,つまり下への重力を軽減しつつ高さを求める,新・ピラミッドの立ち上げ方を編み出した,といいます。

 その原理を短いことばで説明するのはとても難しいのですが,なんとかチャレンジしてみましょう。まず,基本形になるウマの種類は2種類。ひとつは,従来のように両腕・両膝でつくるウマ(A),もうひとつは,両腕をウマの両肩甲骨の下あたりに当てて上体を前に倒し両脚で立つウマ(B)です。この2種類のウマを組み合わせて,「新・ピラミッド」を立ち上げていきます。

 まず,両手・両膝でつくるウマ(A)は最下段の第一列に横並びに置き,第二列目は両手・両脚でつくるウマ(B)が並びます。これが第二段目となります。そして,第三列目は両手・両膝のウマ(A)が並び,第四列目は両手・両脚のウマ(B)が並びます。という具合に第一段目(A)と第二段目のウマ(B)が交互に組み合わさって,まずは土台ができあがります。そして,第三段目からは,すべて(B)のウマで立ち上げていきます。

 そして,この「新・ピラミッド」を立ち上げるためのポイントは二つあります。ひとつは,(B)のウマは両手に3割,両脚に7割の比重で重さを分散させること,つまり,垂直にかかる重力を斜め下に分散させること。もうひとつは,(B)のウマの両脚の間に,最下段のウマ(A)と一段下の(B)のウマが頭を入れ,両肩で上のウマの両脚をブロックすること。

 つまり,重力の分散と負担の大きい両脚のブロック(固定化)を果たそう,というわけです。この発想そのものはみごとなもので,これによってピラミッドの高さを実現するという夢を飛躍的に可能としました。わたしの計算では,7段ピラミッドまでは,少し練習をすれば,比較的簡単に立ち上げることができそうです。しかし,8段目からは異次元の世界に一気に突入します。それは,わたしの試算では,上からの重力が飛躍的に大きくなるからです。

 この境界領域で,たぶん,ピラミッドが一気に崩れてしまい,骨折などの事故が起きているのではないか,とこれはわたしの重力試算による推測です。7段ピラミッドくらいまでは,それぞれのウマとなる位置にふさわしい体格・体重・性格を慎重に選別していけば,たぶん,事故もなく立ち上げることは可能だと,これもまたわたしの重力試算の結果にもとづく推測です。

 以上が,「新ピラミッド」の立ち上げの理論と構造と問題点の概略です。ほんとうは,もっと細かく留意点を説明する必要がありますが,ここでは割愛させていただきます。詳しくは,ネットで確認してみてください。たくさんの実践例と解説が公開されています。

 今回は,これからの議論を展開していくための,基本の確認というところにとどめておきたいと思います。つまり,「新・ピラミッド」とはどういうものなのか,そして,「10段ピラミッド」の立ち上げ方はどうなっているのか,ということの概略を確認しておこうという次第です。その上で,名古屋大学の内田良さんの「言い分」や,賛否両論の内容を分析してみたいと思います。

 ということで,今回はここまで。

2014年9月23日火曜日

運動会シーズンのはじまり。組体操の10段ピラミッドに批判。はたして,どうか?

 「穂の国」の友人・柴田晴廣さんから,「ご存知と思いますが,組体操の危険性についての記事がありました」(http://www.j-cast.com/2014/09/16215983.html)とメールがありました。うかつにも,わたしはなにも知りませんでした。早速,開いてみて,二重,三重にびっくりでした。

 ひとつは,名古屋大学の内田良准教授の主張「組体操は危険だらけで,どこが<教育>なのか。即刻,止めるべきだ」というもの。
 もうひとつは,組体操のブームの火付け役でもあった「よしのよしろう」(吉野義郎)さんの理論と実践の矛盾です。つまり,理論は立派,実践はさきを急ぎすぎ。
 そして,さいごは組体操の是非をめぐる賛否両論の,不毛の議論です。

 以下は,ネット情報をサーフした結果と,わたしの体験からの意見です。

 まずは,わたしの立場について述べておきたいと思います。
 わたしは高校時代から体操競技をはじめ,大学もそういう道に進みました。そして,いまは,体操とはなにか,と問う研究者でもあります。ですから,一通り,体操(競技)の世界(歴史もふくめて)には通暁しているつもりです。組体操は,高校時代に運動会で,体操部の昼休みのアトラクションとして,みなさんに見てもらう経験もしています。

 そのために,ずいぶん工夫をし,練習したことを覚えています。指導してくれる先生はいませんでしたので,体操部の部員がみんなで考え,アイディアを出し合いながらの試行錯誤でした。それはたいへんな苦労をともなうものでした。失敗ばかりの繰り返しで,何回も何回も痛い眼に会いました。しかし,その試行錯誤の繰り返しが,部員全体がひとつになる,とてもいい経験だったといまは回想しています。

 そして,本番でも運動場にマットを敷きつめて,その上で組体操(わたしたちのころは「組立体操」と呼んでいました)を実施していました。それは「安全」の確保のためです。ずいぶん高いところから落ちてしまった場合でも,かろうじて「安全」が確保できるからです。しかし,いま,行われている組体操は,なにも敷いてありません。グランドの土の上で,そのまま実践されています。なぜ,そんなことが平気で行われているのか,わたしには大いなる疑問です。

 さて,くだんの「事故ばかり多くて,なんの利もなし。教育に値しない」と主張する内田良さんは,すでに『柔道事故』(河出書房新社刊)という著書をとおして注目を集めている新進気鋭の教育社会学者です。とくに,学校環境で起きる事故に焦点をあてて,多くの実績を残している学者さんです。一見したところ,完璧と思われる理論武装をして,警告を発しています。柔道必修化にともなう事故多発問題についての分析は,わたしも納得できる,素晴らしいものでした。きちんとした指導者を養成し,その上で柔道の必修化を進めるべきだ,という骨子の主張でした。

 そして,今回の「組体操」についても同じような主張をされています。大筋において,そのとおりなのですが,どこか釈然としません。ひとつは「組体操」を,全否定する,そのスタンスにあります。ひとくちに組体操といっても,その内容は多岐にわたります。きわめて簡単な組体操から,二人組でも難度の高い組体操もあります。人数が増えてもかんたんな組体操もあります。それらについてきちんと斟酌しているようには見受けられません。内田さんの頭の中は,たぶん,10段組みのピラミッドだけが強烈にあって,この危険性を告発すること,そのことがすべてではないかと思われます。ならば,難度の高い「10段組みのピラミッド」は危険ばかりで「なんの教育的価値もない」と,限定して批判をすべきでしょう。それを一把ひとからげにして「組体操」=危険=教育的価値なし,という単純な図式にするところに,わたしは違和感を覚えます。

 なぜなら,この手法はポピュリズムと瓜二つだからです。

 もう一点は,組体操に対する内田さんの理解がどの程度のものか,そこに疑問を感じます。もちろん,多くの取材をとおして,見た目の「組体操」については充分わかっていらっしゃると思います。が,実際に組体操を実践する生徒たちの苦労と実感,葛藤,そして,苦労の末の達成感をはじめ,それを指導する先生の苦心(事故防止のための細心の注意,など)とそれらを克服しながら生徒たちが上達していくプロセス,その手応え,などについては想像の域をでないのではないでしょうか。ですから,いともかんたんに統計的手法を用いて「数量的合理主義」の立場に立ち,事故が多い,だから排除せよ,と単純化して,平気で主張できるのではないか,と。

 つまり,「科学的合理性」に絶大なる「信」をおき,そこに大きな落とし穴があるという自覚が欠落しているのではないか,と。教育社会学が内田さんの研究の根っこにあるのですから,ぜひとも,『聖なるものの刻印──科学的合理性はなぜ盲目なのか』(ジャン=ピエール・デュピュイ著,西谷修ほか訳,以文社刊,2014年)を視野に入れて,さらに研究のレベルを高めていただきたい,そして,その上での批判を展開していただきたい,とわたしは切望します。安易なポピュリズムから脱出するためにも。

 ついでに言っておけば,フクシマの原発事故による学校環境の危険性についても,研究の幅を広げていただければ・・・・と切望します。そういう広い視野に立って,いま一度,「組体操」をめぐる諸問題について論及していただければ・・・と切望します。

 以上,内田良さんの話題に集中してしまいましたが,いずれ,よしのよしおさんの理論と実践についても,そして,賛否両論の不毛の議論についても,書いてみたいと思っています。とりあえず,今回は,ここまで。

2014年9月21日日曜日

沖縄県民の強い意思表明。「止めよう新基地建設!9・20県民大行動」に5,500人超が参加。

 スコットランドの自決権行使という歴史的なできごとの翌日ということもあってか,沖縄・辺野古への米軍基地移設計画の阻止に向けて,沖縄県民5,500人超が行動を起こした,という。以前から「9・20県民大行動」がどのような展開になるのか,注目していた。それは,11月に行われる県知事選挙の前哨戦になる,と考えていたからである。

 5,500人超が行動を起こした,というこの事実。

 この数字にまずは驚く。5,500人。沖縄の地理にあまり詳しくない人には,別に驚くほどの人数ではないではないか,と思われるかもしれない。いまさらいうまでもなく,辺野古は名護市からさらに車で20分。那覇市からは少なくとも車で2時間を要する,交通の便の悪い,いわゆる僻地である。ご承知のように,沖縄には鉄道はない(那覇市内を走るモノレールはあるが)。でかけるには車しかない。

 わたしも参加した「8・25県民行動」のときには,県庁前からチャーターされたバスがでた。それも,先着順で3台。今回も,これと同じ方法がとられたようである。計画段階では,バス10台をチャーターする,と聞いている。しかし,これだけでは5,500人超には達しない。その他のキー・ステーションからもバスがチャーターされて出発しているようだ。

 現地には大きな駐車場はない。だから,自分の車で参加した人は,送りとどけてもらって,抗議集会が終わったら迎えにきてもらわなくてはならない。こういう困難を克服しての5,500人である。

 東京の日比谷公園や国会議事堂前や首相官邸前に5,500人が集まるのは,いずれも地下鉄・東京メトロをつかえば,かんたんだ。東京のど真ん中だから,どこからでも参加できる。それでも,5,500人を集めるのは容易ではない。そのことを考えれば,沖縄・辺野古に5,500人が集まったということは驚異的な数字である。日比谷公園に2万人,3万人が集まるよりも,もっと凄いことだとわたしは受け止めている。沖縄県民の本気度を推し量るのに充分な人数である。

 にもかかわらず,NHKを筆頭に,ほとんどのテレビ局が,この情報を無視した。それほどに報道規制が厳しくなってきていることを知るにつけ,背筋が寒くなる。その中には「自発的隷従」もある。あるいは,率先して無視するテレビ局もある。このようにして情報コントロールが,いまや,政府自民党の思いのままになりつつある。その結果,本土の人間のほとんどは,いま,沖縄で起きていることを知らないでいる。そして,この「知らない」という本土の大多数が,沖縄に米軍基地をおしつけてなにはばかることもない,無言の圧力となっている。

 こうして,ますます沖縄県民は本土との温度差に失望を募らせている。そして,とうとう,沖縄独立論までが大まじめで議論されはじめているのだ。この現実すら,知らないヤマトンチュがほとんどだ。そういう人たちに沖縄独立の話をすると「まさか,そんなことが起きるわけがない」「お前はなにを血迷っているのか」と相手にもしてくれない。こういう人たちにとっては,沖縄は単なる観光スポットでしかない。

 閑話休題。

 5,500人。この数字を政府自民党はどのように分析するか。その胸の内はおだやかではないだろう。すでに,相当の危機意識をいだいていることは,つい,先日の菅官房長官の言動からも明らかである。これから,県知事選挙に向けて,どのような飴と笞を繰り出すのか。あからさまに言ってしまえば,カネと恫喝である。

 ここで,想起されるのはスコットランドの事例だ。大きく譲歩するのか,それとも強行突破か。まさか,「辺野古,見直し」などという案がでてくるとは考えられないが(じっさいには可能であることが,最近の琉球新報では報じられている),それに近いリップ・サービスはでてくるかもしれない(アメリカ政府と再度,交渉する用意がある,とかの)。あるいは,最初から,徹底した恫喝をかけてくるかもしれない(スコットランドでは,経済的な破綻,という恫喝に怯えた節がある)。

 いずれにしても,この5,500人という数字は,県知事選への大きな指標となりうるものだ。しかも,このあと,「10,000人」規模の総決起集会が準備されつつある,と聞く。

 沖縄に米軍基地があることは「抑止力」として重要なのだと政府自民党は嘯く。いまでは,アメリカ政府ですら,「抑止力」になる,などとは考えていないことが明らかになっている。米軍海兵隊の存続は,日本政府が望んだことだ,ということも明らかになっている。しかも,沖縄県民の強い意思についてもアメリカ政府筋では,慎重な姿勢をとっている,という。ジュゴンなどの自然保護法についても,まもなくアメリカの司法が結論を出す,という。しかも,法的にはジュゴンを「守れ」という擁護論が強いともいう。これらの情報は,『琉球新報』や『沖縄タイムス』をとおして,沖縄県民には充分に伝わっている。

 沖縄のメディアは健在だ。是は是,非は非,というジャーナリズムの本来の姿勢を貫いている。ここだけは,本土とはまったく違う。健全そのものだ。そして,あくまでも「県民目線」を貫いている。そこだけが,本土に住むわれわれにとっても「希望の星」だ。

 いよいよ天王山を迎える。この秋は,フクシマとオキナワから眼が離せない。

2014年9月20日土曜日

スコットランド独立,否決。バスクや沖縄などへの影響は?

 全世界が固唾をのんで見守った「スコットランドの独立」はならなかった。しかし,大英帝国に激震をもたらしたことは間違いない。そして,300年の大英帝国の歴史が新たな道へ一歩を踏み出すことになりそうだ。それは,ブリテンという連合王国から連邦へと,国家のあり方の根幹にかかわる変更を迫るものだ,と考えられるからだ。

 と同時に,全世界の少数民族による独立志向の地域に対しても,きわめて大きな影響力をもつことになったことも間違いない。たとえ,スコットランドの独立がならなかったとはいえ,それでも「住民投票」という方法によって,自らの進むべき道を明らかにしたことの意義ははかりしれないほど大きい。つまり,自己決定権の行使だ。なぜなら,形骸化しつつあった民主主義の大原則が,立派に機能していることを照明してみせたからである。84%を超える投票率,選挙権を16歳まで与えたこと,こうして政治への高い関心が若い世代にも伝承されていく。

 その意味では,イギリスという国が培ってきた民主主義の成熟ぶりもまた称賛されるべきだろう。国民の意思を無視して「暴走」をはじめたどこぞの国は見習うべきだ。いな,世界中の国家が,いま一度,胸に手を当てて,じっくりと反省すべきだろう。とりわけ,テロとの戦いを開始した国,およびそれを支持している国々(奇しくもイギリスもこのなかにいる)は。テロとの戦いなどという「正義」はどこにも存在しないことを。むしろ,テロとの戦いこそテロリズムそのものではないか,とすでに多くの人が気づいている。

 今回の住民投票をとおして,スコットランドは自らの意思で独立を否決したけれども,その反面ではイギリス政府から自治権拡大という特大の確約をとりつけた。この成果は無視できない大きなものであった,と言っていいだろう。これは,敗れたとはいえ独立賛成派の盛り上がりがもたらした大きな成果であった。その点は,独立反対派も認め,文句なく歓迎するところであろう。

 日本のメディアの一部では,この住民投票によってスコットランドには大きな亀裂が生じ,その修復はたいへんだろう,と報じている。もちろん,少なからぬ亀裂は生じたであろうが,そこは日本人の感覚とはいささか違う,とわたしは考えている。彼らの大半はパブでビールを飲みながらYes派とNo派が,冷静に議論のできる人たちなのである。つまり,民主主義の精神をしっかりと体得している人びとなのだ。だから,ラグビーの試合と同じように,闘志を剥き出しにして議論を闘わせるけれども,闘いが終われば「ノー・サイド」となり,お互いに握手ができる人たちなのだ。つまり,成熟した大人なのだ。

 こんな憶測はさておいて,今回のスコットランドの住民投票が,独立を志向している少数民族に与える影響力ははかりしれないものがある,とさきに書いた。いま,すでに住民投票をすると宣言しているスペインのカタルーニャ自治州と,してはならないとするスペイン政府(憲法違反だと主張)の間の確執が,これまた世界の注目の的となっている。ニュースなどでみる州都バルセロナでの集会の熱気やデモの規模の大きさに,わたしなどは圧倒されてしまうほどだ。

 スコットランドの独立が否決され,やや冷や水を浴びたかたちになるが,それでも長年にわたってカタルーニャ自治州の住民の間にたまっているマグマはそんなにかんたんには収まらないだろう。しかも,住民投票をすることが,中央政府に対する絶大なプレッシャーになることだけは間違いないし,中央政府もそれなりの対応を迫られることになる。これからどのような駆け引きや戦略が展開されるのか,眼が離せない。

 スペインには,もう一つの時限爆弾が待ち受けている。バスク自治州だ。いまは,独立反対派が自治州政府を抑えているが,つい,この間まで,独立派が政権を長い間,握っていた。ふたたび,独立派が勢いづくことは眼にみえている。カタルーニャ州の成り行きいかんによっては,バスク自治州にも火が点くことは間違いないだろう。

 こうした動向は,たんに他山の火事では済まされない事情が日本にもある。いうまでもない,それは沖縄県だ。敗戦後以来,こんにちまで押しつけられている米軍基地問題をめぐる闘争の戦略上の見直しである。このブログでも繰り返し書いてきたように,最近の大きな流れは,日本政府に見切りをつけ,直接,アメリカと交渉しようという方向になっている。当然のことながら,そこには沖縄の「独立」も視野に入っている。すでに,そのための「学会」まで立ち上げ,その可能性を探る議論が熱心になされている。

 9月19日の東京新聞「こちら特報部」が,つぎのような記事を載せている。


 この記事は,少しでも沖縄事情に詳しい人間には,俄か仕込みの取材による,かなり荒っぽい記事になっていて,いささか不満ではある。しかし,いま,沖縄が直面している問題の核心の一部は抉りだしているので,まずは可としたい。わたしの推測では,いま,沖縄の人びとの関心は「自己決定権」に集中しているのではないか,と思う。アンケート調査によれば,80%を超える人びとが,米軍基地の県外移設を望んでいる,という。にもかかわらず,この県民の民意はどこにも届かないまま,日本政府によって握りつぶされている。

 ならば,交渉相手はアメリカ政府しかない,と見切りをつけ「新外交イニシアティブ」が2013年に立ち上げられ,めざましい活動を展開している。アメリカ政府と議会にむけて,直接のロビーイングを開始しているのだ。そして,かつての米軍基地問題にかかわっていたアメリカの元高官をシンポジウムに招き,「辺野古移設は見直し可能である」という発言をとりつけている。こうして,いま,着々とその威力を発揮しはじめている。名護市長によるアメリカでのロビー活動の,あらゆる支援もこの「新外交イニシアティブ」が引き受けている。

 わたしは息を殺して,その成り行きを見守っている。

2014年9月19日金曜日

嗚呼!日馬富士,右眼窩内壁骨折で休場。出血が止まらない,という。

 土俵の上には魔物/鬼が棲むという。と同時に,神が降臨する聖なる場所,女人禁制の聖域でもある。いまは釣り屋根だけになり,屋根を支える柱はなくなったが,屋根の四隅には四神(しじん)が祀られている。すなわち,東に「青龍(せいりょう)」,西に「白虎」,南に「朱雀(しゅじゃく),北に「玄武」が飾られている。四神相応ということばがあるように,大相撲の土俵はこれらの神々に守られているのである。この理念を土俵は継承している。つまり,官位・福禄・無病・長寿を併有する場であることをも意味している。

 この聖なる場=土俵上で,力士たちは命懸けで相撲をとる。立ち合いの頭と頭のぶつかり合いは,ときに脳震盪を起こしたり,頸椎に電気が走る(相撲用語で「しびれる」の意)ことがある。だから,多くの力士たちはこれを嫌がる。これを怖がり,嫌がる力士は上位には上がれない。その恐怖心を克服する強い意思・気持をわがものとした力士だけが上位に昇進していく。よほどの天賦の才能がないかぎり,少なくとも役力士にはなれない。

 そんな意地と意地のぶつかり合いが,大相撲の立ち合いだ。怖がった方が負け。稽古場で,至近距離の目の前で頭と頭がぶつかる音を聞くと,見ているこちらが目眩を起こすほどだ。初めて稽古場を訪れたときのわたしがそうだった。途中で吐き気を催したほどだ。それは,その場に立った者でなければ理解不能だと思う。それはそれはすさまじい光景だ。ぶつかり稽古や三番勝負に入ると稽古場の雰囲気は一変する。ピーンと張りつめた緊張感が漲ってくる。ここからが,本番さながらの稽古となる。迫力満点である。

 こういう厳しい稽古をとおして横綱の地位を手に入れた日馬富士と,三役経験者である嘉風が18日に対決した。小兵といわれる両者は,人一倍の厳しい稽古を経て,こんにちの地位を確保した素晴らしい力士である。わたしは,こういう小兵力士が好きだ。かれらが体格に恵まれた大型力士を倒すところに,大相撲の魅力を感じてきた。そのために磨き上げられた心技体の絶妙なバランスをわがものとした力士に,わたしは敬意を表したいほど好きだ。だから,この両者はいずれもわたしの熱烈なるご贔屓なのである。

 18日のこの両者の立ち合い。そこがすべてだ,勝負の分かれ目だ,と予想しながらじっと眼を凝らす。お互いに低い姿勢から頭と頭で当りあった。が,ほんのわずかに日馬富士の頭が左に逸れた。このとき,嘉風の頭が日馬富士の右眼窩を直撃した。このあとの展開は,これまた意外な経過をたどることになる。このことはここでは触れないでおく。

 勝負が終わった土俵下の日馬富士は右手で右目を抑えたまま動かない。すぐそばで嘉風が心配そうに見ている。しばらくその状態がつづき,やがて,日馬富士が気を取り直したようにして土俵上に上がってくる。すでに,右目が腫れ上がっている。最初,わたしは立ち合い後の激しい攻防の間に,嘉風の指が日馬富士の眼に入ったのだろう,と考えた。それにしては,こんなに早く眼が腫れ上がってくるのをみるのは初めてだ。

 しかし,その日の夜のネット情報では「右目眼窩内壁骨折」と報じられ,嘉風の頭が直撃したのが原因とあった。そうか,頭頂骨の固さに比べれば眼窩の内壁の骨は柔らかいのだ,と納得。今朝の新聞も同じ報道だった。手術をするかどうかは経過をみながら判断するという。手術をすれば全治3カ月,手術をしなくて済めば全治1カ月,という。なんとか,出血が止まって,手術をしなくても治る状態であってほしい,とわたしは祈る。

 今場所の日馬富士のアキレス腱である左足首の状態は悪くなさそうにみえた。この調子で前半戦を勝ちつづけていけば,最後の5日間の横綱・大関戦が面白くなる,とわたしは期待していた。久しぶりに日馬富士旋風を巻き起こすか,と。しかし,残念ながら,その夢はあっけなくついえさってしまった。こうなってしまった以上は治療に専念し,一刻も早い再起を待つしかない。

 日馬富士の絶好調のときの,あのアーティスティックな相撲を,いま一度みてみたい。白鵬にも鶴竜にもない,日馬富士の固有の世界だ。その再現をいまから期待し,じっと待つことにしよう。元気な姿で土俵にもどってきてくれることを。その間に,足首の治療にも取り組んでほしい。これさえ克服できれば,鬼に金棒である。新生・日馬富士の再登場を,いまから夢見ている。

 頑張れ!日馬富士!勝つことよりも「正しく生きること」を横綱の目標に掲げた人間・日馬富士にこころからのエールを送りたい。そして大学院生として学位論文にも挑戦してほしい。史上初の学位取得横綱への先鞭をつけてほしい。ひとりの熱烈なファンとして,まるごと,いまの日馬富士の努力に声援を送りたい。

2014年9月18日木曜日

「来年1月までに大きな地震が発生する可能性大」。村井俊治氏の電子基準点観測データの分析から(『週刊ポスト』)。

 日本地震学会のメンツが丸潰れ,という珍現象が起きています。年100億円もの研究助成金を分け合う既得権益にしがみつく日本地震学会は,「地震ムラ」と揶揄されるほどの閉鎖性のつよい学会といわれています。その日本の地震研究の最高権威とされている日本地震学会の「地震予想」がほとんど的中したことがありません。それでも,日本政府はこの地震学会の提供するデータにもとづいて,南海トラフ地震が起きる確率を「30年以内に60~70%」というわけのわからない予想を発表しています。

 それに引き換え,地震学者でもなんでもない,しかし「測量学の世界的権威」者である村井俊治さんの地震予想が,この5月以降,ことごとく的中していて,世の注目を集めています。その村井さんが,最近の電子基準点(全国1300カ所)から送られてくる観測データを分析した結果,「来年1月までに大きな地震が発生する可能性がきわめて高い」と予想しています。これは聞き捨てならない事態です。

 しかし,村井さんのこの予想を政府も日本地震学会も無視しています。大手メディアもほとんど無視しています。なぜか?週刊誌もそれほどの関心を示しません。ただ,『週刊ポスト』(小学館,秋の合併特大号,9.19/26)だけが,かなり念入りな取材をして,問題の所在を明らかにするなかなかいい記事をまとめています。

 この記事の中にも書かれていますが,地震という,それも差し迫った一大事にたいして,なぜ,地震学と測量学,あるいはその他の関連学会は協力して,より精度の高い地震情報を国民に提供しようとはしないのか,これが不思議です。その最大の障害になっているのは地震学会の既得権益にあるようですが・・・。だとしたら,それこそ政府が音頭をとって,あらゆる関連学会が協力するシステムを構築すべきでしょう。ところが,その政府もまた無関心です。長年にわたる癒着構造が,そのまま野放しにされているということなのでしょう。しかし,これは一刻も早く改善し,それこそ「国民の命と安全を守るために」(アベ君の常套句)しかるべき措置をとってほしいものです。ここにも原子力ムラとの癒着と同じ構造がみてとれます。困ったものです。

 さて,本題に入りましょう。
 村井俊治(東大名誉教授・元国際写真測量・リモートセンシング学会会長)は,国土地理院が94年から全国各地に約1300カ所に設置したGPSデータを測定する「電子基準点」からの情報を蒐集し,分析した結果,地震発生との相関関係がとても密接であることに気づきます。そして,この観点からの地震予想をしたところ,百発百中という成果を挙げています。しかし,村井さん自身は,まだまだ荒っぽい予測なので,その分析方法の精度をもっと上げるべく,いまも努力を重ねているところだといいます。

 その方法の核心は,各地の電子基準点で起きている地面の上下動が,一週間の間に「4㎝」以上ある場合には震度3から震度5弱の地震がおきる可能性が大であること,この上下動が「7㎝」を超えるともっと大きな地震が起きる可能性があること,を村井さんがつきとめたことにあります。そして,さらに,7月の後半から8月にかけて連続して起きている地面の上下動が日本各地の広範囲に広がっており,これだけの広範囲の変動は東日本大震災の時の前兆と酷似している,というのです。その結果,村井さんは「来年1月までに大きな地震が発生する可能性がきわめて高い」と警告を発しています。

 こうした情報の詳しいことは,メールマガジン『週刊MEGA地震予測』(http://www.jesea.co.jp/)で確認してみてください。毎週,村井さんが具体的にデータを提示しながら,その分析をし,地震予測をしています。

 『週刊ポスト』はこのJESEAのデータをもとに,詳細な「異常変動マップ」の全国版を作成し,掲載しています。このマップをそのまま転載するわけにもいきませんので,重要なポイントだけを紹介しておきます。このマップによれば,大きく分類すると4カ所で異常変動が起きているといいます。それは,「飛騨・甲信越・北関東警戒ゾーン」「首都圏・東海警戒ゾーン」「南海・東南海警戒ゾーン」「九州・南西諸島警戒ゾーン」の4カ所です。

 わたしの住んでいる川崎市にかかわるところでは,「神奈川県・静岡県の電子基準点変動の推移」(ことしの1月から8月末まで)という折れ線グラフが掲載されています。それによると,7月後半から8月にかけて7㎝,8㎝を超える大きな変動がつづいています。しかも,神奈川県の厚木,湯河原,大井といった基準点で大きな変動が見られる,と指摘しています。

 つづけてこの折れ線グラフについての村井さんの談話を紹介しておきます。
 「近年の研究では,関東大震災の最初の震源が大井近くだったとされている。首都圏全域に大きな影響を及ぼす大地震の兆候である可能性は否定できない」。

 となってくると,ことは重大です。ここまでのところ,村井予測は全部当たっているだけに説得力があります。こうなったら,少なくとも1週間分の水と非常食の備えをしておかなくては・・・と本気で考えてしまいます。日本地震学会,あるいは,政府の見解を聞きたいところです。しかし,これもまた無視することでしょう。

 いずれにしろ,これから村井予測による地震警告は,ますます大きな話題になっていきそうです。でも,そうなると,政府は水面下での強力なメディア・コントロールを仕掛けてくるでしょう。それでも「村井」情報は上記のメルマガで確認することは可能でしょう。ここも消去されるようになったら,もう日本はお終いです。しかし,その可能性も無視できません。困ったものです。

シンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権──オキナワの選択」傍聴記。

 恥ずかしながら「新外交イニシアティブ」(New Diplomacy Initiative / ND)という組織があって,沖縄問題に新たな視点からの取り組みをしているということを知りませんでした。しかも,沖縄問題(米軍基地問題)の解決は日本政府にいくら働きかけてもできない,なんの意味もないと見切りをつけ,アメリカ政府に直接訴えるロビー活動に活路を見出そう,という組織です。

 この組織の原動力となっているのが,ひとりの女性,いわゆる「でき女」。その人の名は「猿田佐世」。今回のこのシンポジウムを仕掛けたのもこの人です。


 新外交イニシアティブ(以下,NDと略称)とはいかなる組織なのか。そのときいただいたリーフレットによれば,以下のとおりです。

 NDは,日米および東アジア各国において,外交,政治に新たに多様な声を吹き込むシンクタンクとして,2013年8月に設立。国内はもとより,国境を越えて,各国政府,議会,メディアなどへ直接働きかけ,「新しい外交」を推進する。設立前より,沖縄を初めとする日本の国会議員等の訪米行動を企画・実施し,2012年2月および2014年5月の二度の名護市長の訪米行動のコーディネートを担当(名護市は2013年,NDに団体会員として加入)。

 まだ,できたてのほやほやの組織ですが,沖縄の米軍基地問題を解決するための,まったく新しい可能性を予感させる,しかも,最後の切り札にもなりうるのではないかと思われる,眼からウロコのような組織です。少なくとも,わたしは驚きました。こういう方法があったか,と。しかも,それを民間団体として成立させようというのですから。


 ついでに,その中心人物である「猿田佐世」という人の略歴を紹介しておきましょう。

 猿田佐世(さるた・さよ)〔新外交イニシアティブ事務局長〕
 2002年日本にて弁護士登録。09年米国ニューヨーク州弁護士登録。12年アメリカン大学国際関係学部にて国際政治・国際紛争解決学修士号取得。自らワシントンにてろビーイングを行う他,沖縄・日本の国会議員・地方議会議員,各団体等の訪米行動を企画・実施。大学学部時代から現在までアムネスティ・インターナショナル,ヒューマン・ライツ・ウォッチ等の国際人権団体で活動。著書に『国際人権法実践ハンドブック』(共著,現代人文社)ほか。

 冒頭にかかげたシンポジウムのプログラムをご覧いただければ,おおよそのことは理解していただけると思います。どのスピーカーのお話も熱がこもっていて迫力満点でした。なかでも,東京新聞論説兼編集委員の半田滋さんと,やはり,コーディネーターの猿田佐世さんのお話が強烈に印象に残りました。その詳しい内容については,『虚像の抑止力』──沖縄・東京・ワシントン発安全保障政策の新機軸(新外交イニシアティブ=編,旬報社,2014年刊)をご覧ください。



 シンポジウムのサブタイトルにもありますように,「オキナワの選択」という大きな視座が,この組織には組み込まれています。つまり,最終的には「オキナワの独立」もありうる,という立場です。その根は,なにか大きな力に頼る運動の展開ではなく,自立/自律した,自由で,広い視野から固有の運動を展開していこうというところに伸びているようです。その意味で,この組織のこんごの活動に大いに期待したいと思っています。

 最後にただ一点だけ。いわゆる沖縄米軍基地による「抑止力」の議論は,まったくの虚像であり,なんの根拠もない,ということでシンポジストたちの意見は一致していました。そして,その理由がそれそれのスピーカーの立場から詳細に論じられました。納得の議論でした。

 取り急ぎ,遅くなりましたが,「傍聴記」まで。

2014年9月17日水曜日

「竹内敏晴さんが問い続けたこと」についてのわたしのショート・レポート。

 9月9日に書いたブログ:シンポジウム「竹内敏晴さんが問いつづけたこと」(鷲田清一×三砂ちづる)傍聴記にかなり厳しい批判をしました。批判をした以上は,その根拠を提示すべきでした。が,それだけのスペースがありませんでしたので,そのままにして,後日,わたしのスタンスを提示する,と書きました。しかし,そのままになっていましたので,遅くなりましたが,今日こそその責をはたそうと思います。

 「竹内敏晴さんが問いつづけたこと」・・・・シンポジウムのこの問いに対するわたしの結論は,「人間とはなにか」という根源的な問いであった,ということです。その方法論が「竹内レッスン」。からだとことばをとおして,人間存在の謎に接近していくこと。つまり,人間が存在するとはどういうことなのか。その探索のために編み出されたレッスンのひとつが「じかに触れる」だった,とわたしは受け止めています。

 ひとくちに「竹内レッスン」といいますが,いわゆる世間で行われている「レッスン」とはいささか次元が違います。つまり,先生が生徒になにかを「教える」,そういうレッスンではありません。竹内さんは「先生」と呼ばれることを嫌いました。みんなひとりの人間として生きている。人間同士の関係に先生も生徒もない。お互いに人間として啓発し合いながら生きているのだから,お互いが先生であり,お互いが生徒なのだ,と。だから,「〇〇さん」と敬愛の意味を籠めて呼び合いましょう,と提案されます。

 ですから「竹内レッスン」は,みんなで試行錯誤しながら,その日のテーマの解をさぐっていきます。竹内さんはその「道案内」をする人。そして,みずからもその解を求めて必死に考え,行動を模索します。そして,その瞬間,瞬間のお互いのひらめきをとても大切にします。そして,なぜ,そのとき,そのひらめきが生まれたのか,みんなで考える。そうして,そのひらめきが生まれる前の「原ひらめき」(Urdenken)の「場」に迫っていきます。そして,その「場」こそ「じかに触れる」場ではないか,と。

 以上のわたしの理解は,「竹内さんを囲む会」を5回ほどもつことのできた,なにものにも替えがたい僥倖に恵まれた恩寵です。その会は各回とも4~5時間にわたる,緊張感のある濃密な時間でした。そして,そのあとの懇親会でも2~3時間をともに過ごすことができました。ですから,毎回,公と私の両面の会話を楽しむことができました。

 わたしたちのグループは「スポーツする身体とはなにか」というテーマを共有する仲間たちが集まって,もうすでに長い間,研究会を重ねていました。ですから,竹内さんも「スポーツする身体」にとても興味をいだかれ,わたしたちのスポーツ経験とそこから導き出される「身体」理解に耳を傾けてくださいました。しかも,竹内さん自身が弓の名手です。たしか,わたしの記憶ではこの会の話題は弓の話からはじまったように思います。そこでは,当然のことながら,オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』が話題になり,それから武術する身体に入り・・・・という具合に,一つひとつの話題がきわめて具体的でした。ですから,みんなわがことの問題として受け止めながら,お互いに参加した他者の話に耳を傾け,みずからの意見を述べる,という積み重ねができました。考えてみれば,これもまた「竹内レッスン」のヴァリエーションの一つだったわけです。

 何回か会を重ねたところで,わたしはジョルジュ・バタイユを引き合いに出して,「スポーツする身体」を考える上での一つの根拠となるのでは・・・と切り出したところあたりから,竹内さんの眼の光が違ってきたように思います。わたしのバタイユ読解(主として『宗教の理論』)については,ここでは割愛させていただきますが,このブログのなかでも膨大な量の文章を書いていますので,参照していただければ幸いです。

 竹内さんは,バタイユの思想・哲学については,かなり懐疑的でした。それは,バタイユのキー概念の一つでもある「エクスターズ」(恍惚)をめぐる理解の仕方が,わたしとはかなり違うものでした。そのポイントは,バタイユの「エクスターズ」では「意識」はどうなっているのか,という点での理解の違いでした。そして,当然のなりゆきでしたが,無意識と意識の境界領域をどのように理解するか,というところの議論にひろがり,わたしにはとても刺激的な経験となりました。そして,このテーマはこれからも議論していくことにしましょう,という約束になっていました。

 そんなこともあってか,竹内さんは,ようやくご本人の思想遍歴を語ってくださるようになりました。基本的に,竹内さんは,〇〇がこういうことを言っている,という話し方はあまり好まれない方でした。あくまでも,基本は,みずから編み出した「からだ」と「ことば」のレッスンをとおして到達した竹内さん固有の知見に基づくものでした。しかし,その知見の正さを裏付けるために,思想・哲学の本を命懸けで読んでおられました。にもかかわらず,そのことはほとんど語られることはありませんでした。わたしがしつこく食い下がるものですから,仕方なしに,メルロ・ポンティは・・・とか,マルチン・ブーバーは・・・という具合に,ほんのわずかに小出しにしながら,わたしの問いに付き合ってくださいました。

 そうした対話・議論をとおして,「竹内敏晴さんが問い続けたこと」について,わたしなりにみえてきたことは以下のとおりです。もちろん,ここでも,「じかに触れる」レッスンがわたしの竹内敏晴さん理解の手がかりになっています。(書かれた著書は当然のことです)。

 竹内敏晴さんは一度も口にされませんでしたが,竹内さんの仰る「じかに触れる」場は,わたしには西田幾多郎の「場」の理論とほとんどイコールではないか,ということでした。それは『善の研究』で提示された「純粋経験」(意識が立ち上がる以前の経験)にはじまり,やがて「行為的直観」の概念に到達し,さらに「場」の理論となり,最終的には「絶対矛盾的自己同一」にいたる,このプロセスを竹内レッスンをとおして,みんなで確認しながら,からだで経験し合うこと,そして,そこからみえてくるまったく新たな「場」の地平を共に分かち合うこと,それこそが「竹内敏晴さんが問い続けたこと」の中味だったのではないか,とわたしは考えています。これは竹内さんの信念でもあったと思いますが,自分ひとりでわかっただけでは納得しない,だれもが共有できるものでなくてはほんものではない,という姿勢を貫かれたのではないか。これこそが「人間とはなにか」を問う,竹内さんに固有の方法論であった,と。

 このアナロジーが当たっているとすれば,ならば,バタイユの「エクスターズ」の「場」とも,当たらずとはいえども遠からず,という関係にある,というのがわたしの主張です。この点についての詰めの話をする約束になっていたのですが・・・・。残念です。

 そして,ついでに触れておけば,このバタイユの話とともに,バタイユが日本の仏教に深い関心を示していたことを手がかりにして,わたしは禅仏教の話題を提示し,たとえば道元の『正法眼蔵』や『般若心経』の世界に踏み込んでみました。その瞬間から,これまでにも増して竹内さんの眼の光が一段と厳しいものになっていきました。そして,ほんとうに短い応答でしたが,あっ,竹内さんはこの問題についてもすでに相当に深い洞察をされていらっしゃる,ということを直感しました。そして,このテーマについても少しずつ,具体的な事例を取り上げながら検討していくことにしましょう,と竹内さんは提案されました。つまりは,わたしの話は「空中戦」であって,地に足がついていない,だから,そこからは建設的な知の共有はできない,ということを婉曲に指摘された,ということです。わたしはいたく恥じ入りました。が,これも宿題にして,具体的に考えることにしましょう,という竹内さんのご提案に救われました。

 こういうお約束がいくつもあって,それらを,具体的に一つひとつ,どのように対話・議論が展開していくことになるのか,わたしは期待で胸がいっぱいでした。

 しかし,残念ながら,三鷹の舞台を終えられて,ロビーで握手しながら「あの続きをやりましょうね,楽しみにしています」「はい,わかりました」と約束したのが,今生のお別れとなってしまいました。

 こういう経緯が,竹内さんとわたしの間にはありました。ですから,「竹内敏晴さんが問い続けたこと」のわたしの結論は「人間とはなにか」を問うことであり,その具体的な方法論の一つが「じかに触れる」ではなかったか,と考えた次第です。しかも,竹内さんは自分ひとりが理解すればそれでいいということではなく,その理解を他者(マルチン・ブーバー的にいえば「汝」=Du )と共有しながら,さらに深めていくこと,ここが竹内さんがこだわった重要なポイントではなかったか,とわたしは考えています。

 じつは,まだまだ書かなくてはならないことがたくさんあるのですが,今回は,とりあえず,ショート・レポートということで,ここまでとさせていただきます。

2014年9月16日火曜日

「新国立」かさむ建設費など問題山積。巨大アーチ開閉式屋根・難工事。東京新聞一面トップ記事から。

 9月14日(日)の東京新聞が一面トップに新国立競技場問題を大々的に取り上げました。それを受けて,三面にも「核心」と題して,大きく紙面を割いています。ようやく新聞がこの問題について,真っ正面から取り組む姿勢をみせたものとして高く評価したいと思います。

 ただし,今回の報道は,経済的なコストと技術的な観点からのみの糾弾に限定しています。しかし,もう一つの大きな問題があることも忘れてはならないと思います。それは新国立競技場建造をめぐる手続論(まったくの藪の中・非民主主義的)と景観論(神宮外苑の景観が台無しになるという批判)です。こちらの方は,たぶん,取材に相当の障壁・困難があって(取材拒否,その他),満を持しているのだろう,とわたしなりに想像しています。ですから,いずれ,その核心が明らかになり次第,報道されるものと期待しているところです。

 さて,新聞の切り抜きはご覧のとおりです。


 まずは,一面トップの記事には,ご覧のとおり,「建設費がかさむ」という経費の問題が取り上げられています。簡単に言ってしまえば,資材・人材ともに不足で,年々,驚くべき速さで資材費や人件費の高騰がつづいていることが指摘されています。それは鰻登りだといいます。どれほどの経費がかかるのか算出不能・予測不能とさえいわれています。

 つぎは,「巨大アーチ開閉式屋根」は難工事であり,技術的に大きな懸念が存在するということが指摘されています。わたしのところに入ってきている情報によれば,大手ゼネコンも腰が引けていて,たとえば,解体工事の入札をも忌避しているところが多いと聞きます。そういう事情があるのでしょう。「施工会社選定を前倒し」するというのです。つまり,実際に建設にとりかかるための設計段階から施工会社に参加してもらって,必ず施工を引き受けてもらおう,という戦略です。こんなことは建築界では異例のことだとこの記事は報じています。

 それに加えて,当初の計画を変更することはIOCも認めていることなので,規模を縮小し,巨大アーチ開閉式屋根をとりやめることを示唆する記事も掲載されています。この点については,デザイン・コンペの結果発表のときから,建築界では指摘されてきたことですので,すでに,多くの方が承知していらっしゃることと思います。

 より詳しくは,新聞記事でご確認ください。


 つづいて三面の記事では,その「核心」をとりあげ,詳細に問題点が指摘されています。この中で,わたしが驚いたのは,これだけ大きな規模のキールアーチを建造するのは「未知の領域」だという指摘です。一部の建築家は,現段階の技術では不可能だ,だから,設計を大幅に修正する必要がある,とも聞いています。その上,そのアーチに「開閉式屋根」を取り付けるというのです。これもまたとてつもない「難工事」だというのです。

 工事主体のJSC(日本スポーツ振興センター)によれば,日本の建築技術の高さを世界にアピールする絶好のチャンスだ,といいます。それは平時の主張としては理解できないではありません。しかし,いまの日本は平時ではありません。東日本の復興と時限爆弾ともいうべきフクシマをかかえた非常時です。東日本の復興もまた資材不足・人手不足のために遅々として進んでいません。そのほかにも理由があるようですが・・・・。つまり,二重三重に障壁があってどうにもならない情況がつづいています。フクシマに至っては,とうとう外国人労働者の導入が,大まじめに検討されているようです。が,それ以上に「技術的」な課題が大きすぎて,根本的な問題解決に向けては手も足も出せない情況が,これは半永久的につづくといわねばなりません。そういう日本全体が危機的な非常時にあるにもかかわらず,そういう認識を欠いたまま,平時の思考がのさばっています。もはや,能天気としかいいようがありません。

 三面記事の特筆すべきことは槇文彦さんによる「私案」です。開閉式屋根をやめれば,とりあえずは大きな問題は解消する,という提案です。そして,8万人収容は一部仮設にしておけば,最終的に縮小も可能だ,というのです。第一,8万人収容の施設をつくる必要はないのに,大きいことはいいことだ,という「3・11」以前の論理がまだ生きつづけていることが不可解です。IOCは「6万人」でOKだと言っているのですから。

 それに加えて,槇文彦さんは「子どものスポーツの拠点」にすることを提案しています。子どもたちの夢を大きくふくらませるための施設として活用できるよう工夫せよ,というのです。この提案にはモロテを挙げて大賛成です。

 このほかにも,伊東豊雄さんの私案も視野に入れるべきでしょう。現国立競技場の改修案です。その案でも,レーンを増やしたり,8万人収容も可能だという提案です。コストを最小限に抑えることができる,という提案です。しかし,この提案は議論にもなっていないようです。

 しかし,こうしたクリアすべきハードルがあまりに高すぎる,という現実が明らかになるにつれ,新国立競技場の建設は困難を極めることになるのは眼にみえています。これは無理だ,ということがわかった段階で(いま,すでに,そこに来ている,とわたしは思います),さっと引き返して,原点から考え直すという勇気が必要です。いま,求められているのは,その「決断力」です。猪突猛進するばかりの現状はとても危険な賭けだとわたしはみています。

 はたして,その行方やいかに・・・・。
 この問題に関するシンポジウムや集会がいくつも予定されていますので,それらに参加しながら,思考を深めていきたいと思っています。いまが正念場です。

2014年9月15日月曜日

NHKスペシャル「臨死体験の謎に迫る・死ぬ時こころはどうなるか」からみえてきたもの。結論は「思い込み」。

 最近のNHKのニュース番組は腹立たしいことばかりですが,その他のドキュメンタリーにはなかなかの傑作があります。NHKスペシャルもその一つで,テーマによっては真剣にみることにしています。

 そんな中で,「臨死体験」の謎を追った立花隆の久しぶりの,渾身の取材・レポートに感動しました(9月14日21:00~22:15,NHKスペシャル。臨死体験の謎に迫る・死ぬとき心はどうなるか,先端科学が挑む”死”。立花隆が徹底取材!体外離脱を自ら検証,臨死体験を生む脳の働き)。立花隆ががんを患っているということは知っていましたが,意外や意外,お腹はみごとなほどの太鼓腹。頭が白くなり,足どりがやや不安定にみえましたが,顔はさらに丸くなり,元気そのもの。この人は大丈夫だ,と確信しました。

 さて,人間は死ぬとき心はどうなるのか,あの世はあるのかないのか,という立花隆の長年にわたる素朴な疑問にして,根源的な問いに,現代の最先端科学はどこまで答えられるのか。その謎解きのために世界を股にかけて,それぞれの専門家であるサイエンティストたちを立花隆が直撃インタヴューしています。

 その中のいくつかのトピックスについて感想を書いておきたいと思います。

 まずは,あの世はあるのかないのか。その結論は「思い込み」だ,というのです。つまり,あると思う人にはある,ないと思う人にはない,そういうことだ,と。現代のサイエンスはそれ以上のことは解明できません,というのです。科学とは,因果関係を明らかにするものであって,存在が確認できない死後の世界については手も足も出せません,と。さすがにトップ・クラスのサイエンティストたちは自分たちの役割をきちんと理解している,と感動してしまいました。

 いま,売れに売れている東大医学部救急医療センターの某教授の本(同じ内容の焼き直し本がこのところ立て続けに刊行されている)が,科学的な根拠とはなんの関係もないものである,ということが明確になり,わたしなりに安堵しています。そして,立花レポートの結論から言えば,某教授のたんなる「思い込み」にすぎない,ということになります。ですから,某教授はそのように「思い込み」,「信念」をもって自分の見解を主張しているのであって,そこには科学的根拠はなにもない,というそれだけの話です。

 しかし,この「思い込み」が人間を人間たらしめているのだ,と立花レポートは結論づけてもいます。人間が生きるということは,人それぞれに「思い込み」に支えられ,それがその人の「信念」となるからなのだ,と。つまりは,科学もまた「思い込み」の一つであり,つぎつぎに新事実の解明によって,それまでの理論仮説はくつがえされていきます。思想・哲学も同じであり,つぎつぎに新しい思想・哲学が誕生しています。その最たるものが宗教である,ということになります。ということは,人は宗教によって救済される生き物だ,とも言えるようです。もちろん,死後の世界を否定する科学者は少なくありません。

 立花隆レポートによれば,スウェーデンの著名な某科学者は,若いころには死後の世界の存在を否定していましたが,最近では,死後の世界を信じるようになった,と述懐しています。その理由は,これまで生きてきた情報の総和がそうさせるのであって,確たる根拠はなにもない,と。つまりは「わたしの思い込み」です,と。そして,その方が気持が落ち着きます,とも。その方は奥さんが敬虔なクリスチャンで,いまは余命いくばくもない重い病気にかかっていて,その介護をしているうちに,死後の世界はない,と奥さんに言うことはできなくなってしまった,とも述懐しています。

 このほかにも,たくさんのトピックスはありますが,ここでは残念ながら割愛。

 ただ一つだけ。立花隆が自らの臨死体験や,リアルとヴァーチャルが簡単に入れ代わってしまうという実験の被験者となったときの体験,そして,最新の科学者たちの主張などをトータルに推理した結論が,それらはみんな「思い込み」ではないか,というところにたどりついたこと,このプロセスは重大な意味をもっているように思います。つまり,この立花隆の結論もまたかれ固有の「思い込み」にすぎないからです。

 パスカルの謂いにならえば,「死後の世界はあるか,ないか」と問われたら,まずは「ある」と答えるべきだ,ということになります。パスカルは「神は存在するか,しないか」と問われたら,「存在する」と答える,と明言しています。なぜなら,存在しないと答えたら,話はそこで終わりです。夢も希望もなくなってしまいます。しかし,存在すると答えれば,なぜ?どこに?どのように?・・・という具合にさまざまな議論が展開していきます。この謎解きこそが「生きる」ということの証なのだ,とパスカルはいいます。ですから,パスカルは,人間にとって「賭け」は不可欠なものだ,と主張します。これもまた,パスカルの「思い込み」にすぎませんが・・・・。

 こうなりますと,ありとあらゆる人間の思考の到達する結論部分は,みんな「思い込み」ではないか,ということになります。あとは,どれだけ多くの人とその「思い込み」を共有できるか,という問題になってきます。

 となると,人間が生きるという営みの結論部分は,よくもわるくもみんな「思い込み」,すなわち「ブートストラップ」(『ほら吹き男爵の冒険』)ではないか,ということになってしまいます。

 さてはて,とんでもない知の地平に飛び出してきたぞ,というのがわたしの正直な感想です。と同時に,なぜか,ほとんどなんの違和感もなく納得してしまう自分自身に驚いてもいます。これはとういうことなのだろうか,と。その一つは,近代アカデミズムに対するわたし自身の深い疑問と共振するものがある,と感ずるからなのかもしれません。これもまた,わたしの「思い込み」にすぎませんが・・・・。しばらく考えてみたいと思います。

2014年9月14日日曜日

東京五輪・ゴルフ会場決定の「闇」(文藝春秋・10月号・上杉隆執筆)。

 ジャーナリストの上杉隆が「東京五輪・ゴルフ会場決定の『闇』」というルポルタージュを『文藝春秋』10月号に寄せています(P.154~163.)。読んでみたら驚くべき内容でしたので,みなさんにも知ってもらいたく,以下にそのツボを書いておきたいと思います。

 2020年の東京五輪の施設利用については,さまざまな不可思議なことが明らかになっていて,とうとう舛添知事も予定されているすべての競技施設について「見直し」をすると宣言し,いま,その作業の真っ只中だとニュースは伝えています。その一つであるゴルフ会場の決定に異議あり,という声がゴルフ界からあがり,それを手がかりにしたルポルタージュが提出されたという次第です。これからゴルフに限らず,このような異議申し立てが続出してくるのではないか,とみられます。

 上杉隆が,これは?と疑問をいだいて取材をはじめたきっかけは,倉本昌弘の「告発」だったといいます。倉本昌弘といえば,プロゴルファーとしてその名をとどろかせ,いまも現役のプロゴルファーです。が,いまは,もう一つの肩書をもっています。それは「公益社団法人日本プロゴルフ協会」(PGA)会長という肩書です。そのPGAの会長である倉本昌弘が,五輪のゴルフ会場の選定方法/決定にクレームをつけたのです。そのため,いま,日本のゴルフ界を震撼させている,と上杉隆は書いています。

 最大のポイントは,ゴルフ会場が,東京都にある「若洲ゴルフリンクス」ではなくて,埼玉県にある「霞が関カンツリリークラブ」に決まったのはなぜなのか,というのが倉本会長の疑問です。

 若洲ゴルフリンクス(以下,若洲と略す)は東京都港湾局が所有するパブリックのゴルフ場です。それに対して霞が関カンツリリークラブ(以下,霞が関と略す)は名門中の名門でプライベートの施設です。したがって,若洲でやれば無料,霞が関であれば借り上げ料が少なくとも1億円はかかる,といいます。しかも,若洲は選手村にもプレスセンターからも至近距離にあります。それに対して,霞が関は車で順調に走って1時間,渋滞に巻き込まれると2,3時間を要するといいます。

 このようにして,両者を細部にわたって比較していきますと,若洲の方が圧倒的に五輪会場として条件が整っています。にもかかわらず,霞が関が選定されてしまいます。なぜなのか,ということで上杉隆の取材がはじまります。それによりますと,以下のとおりです。

 2016年東京五輪招致のときのIOCに提出された計画書には,ゴルフ会場は若洲と書いてあった。そして,2012年2月に都の東京五輪招致委員会がIOCに提出した申請ファイルにも若洲と記載されていた。しかし,半年後の8月に,霞が関が最有力候補として選定され、10月には霞が関に通知,11月には国際ゴルフ連盟(IGF)が視察,12月に承認,その直後にIOCが確認,という段取りを踏んでいる。

 しかし,さらに取材をつづけてみたら,2012年4月12日に会場選定のカギとなる会議,すなわち「2020東京招致委員会」の第一回目の会議が開かれたことが明らかになってきます。その会議の中心メンバーは日本ゴルフ協会(JGA)の幹部たちで,財界・皇族をふくむ錚々たるメンバーでした。つまり,日本最大のアマチュアによるゴルフ団体です。この人たちが,若洲を捨てて,霞が関を選定したということです。

 不思議なのは,五輪のゴルフ競技はプロゴルファーの参加に限られることが確定しているにもかかわらず,日本プロゴルフ協会のメンバーが,この重要な会議にひとりも加わってはいなかった,という事実です。なぜ,そんなことになっていくのか,ということに疑問を感じた上杉隆は,さらに取材をつづけます。そして,最後には,その当事者たちに直接の取材を申し入れます。しかし,みんな「多忙」を理由に断られてしまいます。仕方がないので,JGAの理事長の木村希一から,わかる範囲での情報を手に入れます。そのことによって,かなり詳細な傍証をえることができ,上杉の推理が冴えてきます。

 しかし,それでもなお,疑問の核心部分は「闇」の中のまま。

 最終的には,ゴルフの代表選手を選定するのは日本プロゴルフ協会のはず。なのに,その団体の関係者を抜きにして,ゴルフ会場が若洲から霞が関にすり替えられてしまう,その奇怪さはどこまでもついてきます。

 こんどの2020東京五輪招致には,このような「闇」の部分があまりにも多すぎます。そして,すべてはこのようなやり方で決まっていきます。つまり,きわめて閉鎖的で,不透明で,非民主的です。ある特定の一部の人たちの「利益」だけが優先され,税金が投入される都民や国民の「利益」は無視です。

 その典型的な事例の一つが,新国立競技場問題です。ゴルフ会場の選定についても,その組織の体質はまったく同じです。これでは,だれのための東京五輪なのか,わけがわからなくなってしまいます。日本人のこころが一つになる絶好のチャンスなのに,これでは台無しです。もっとオープンに,公明正大に,東京五輪の準備をすすめてもらいたいものです。

2014年9月13日土曜日

「スコットランドと沖縄」(佐藤優)。スペインのカタルーニャやバスクも。

 世界が液状化しはじめたのか?
 あるいは,古典的なナショナリズム(民族主義)の復活なのか?。
 それとも,近代国民国家の諸矛盾が露呈しはじめた,ということなのか?
 近代という時代を束ねてきた規範が,もはや通用しない時代に突入していることは間違いない。

 そんなことが佐藤優の「本音のコラム」を読んでいて脳裏をよぎっていった。これからなにかが起こる予兆であることは間違いない。それはわたしのことばで言えば,「後近代」的社会秩序への再編のはじまりということかも知れない。ひとつの時代の死と再生。


 スコットランドの住民投票の結果いかんによっては,大きな雪崩現象が,世界の各地ではじまるのではないか。

 佐藤優は,沖縄のこれからの動向に注目する。スコットランドの行方いかんによっては,これまで鬱積してきたエネルギーに点火する可能性がある,という。いま組織されている「島ぐるみ会議」は,沖縄独立も視野に入れている。11月の沖縄県知事選挙の結果と,その後の辺野古への米軍基地移転問題のなりゆきいかんによっては,まったく新しい展開がないとはいえないだろう。そういうマグマがすでに臨界に達している,とわたしは感じ取っている。

 岡本行夫は,昨日(12日)の報道ステーションで古館一郎の問いかけに対して,つぎのように応答している。

 沖縄に独立の機運が高まっていることは承知している。しかし,それは多く見積もっても住民の 10%くらいの主張にすぎない。だから,全然,問題にはならない。第一,同じ日本語を話す国家が二つもあること自体が奇怪しい。そんなことはありえないことだ。

 と切って捨てた。切れ者として知られる岡本行夫にして,この程度の認識でしかない。あるいは,テレビということもあって,意図的にこのような発言をしたかもしれない。しかし,沖縄にはもともと琉球語があって,かれらの母語はこれである。日本語に似て非なる言語だ。わたしには何度聞いても意味不明である。英語やドイツ語の方が,わからないなりに,なにを言っているかは理解できる。韓国語も少し耳を傾けていると,なんとなくわかったような気になってくる。琉球語は韓国語以上にわたしの耳には難解きわまりない言語として聞こえてくる。まるで,バスク語のように。

 バスクといえば,もう長い間,独立運動がつづいている。いまは過激派が少し鳴りをひそめているが,相変わらず独立の機運は高い。バスク地区の道路表示はスペイン語で統一されているが,ここかしこで,そのスペイン語を黒塗りにして,手書きでバスク語に書き換えられている。バスからその表記の訂正をみるたびに,なんとなく徒ならぬものを感じないではいられない。いまも,独立のチャンスをねらっていることが伝わってくる。一時,フランコ政権のもとでの弾圧により,途絶えかけていたバスク語教育も復活している。

 同じスペインにはカタルーニャ地方がある。やはり,この地区も母語はカタルーニャ語で,独特の文化をもっている。こちらは,いま,まさに独立を訴える運動が真っ盛りで,すでに,日本のメディアでもとりあげられ,注目されている。こここそ,こんどのスコットランドの結果次第で,さらに新たな動きをはじめることは間違いないだろう。

 このような動向は世界のあちこちの民族色のつよい地域で,伏流水のようにして脈々と生き長らえ,その機をうかがっている。

 スコットランドの結果いかんを問わず,住民投票を実施して,その意思を問うという行為そのものが,あらゆる民族色のつよい地域に大きな影響を及ぼさずにはおかないだろう。新しい世界史の展開,そんなことがしきりに脳裏をよぎる。

 井上ひさしの『吉里吉里人』が,たんなる夢物語ではなくなってくる。

 川満信一さんの「琉球共和社会憲法」(1981年)が,ふたたび光を放ちつつある。

2014年9月12日金曜日

国立競技場解体工事が暗礁に乗り上げる。さあ,チャンス到来。声を挙げよう。

 今日(12日)の東京新聞がスポーツ欄の片隅に,小さな記事「国立競技場解体,月末開始できず」を載せています。もっと大きく扱ってもいいのに・・・とやや不満。ほかの各紙はどのように伝えているのか,あるいは,無視か。と,そんなことを考えながら,メールをチェックしていたら,その中に「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」からのものがあり,9月26日に国立競技場問題のシンポジウムを開催するという。すぐに申し込みました。先着200名。

 今日は,この二つの話題を取り上げてみたいと思います。

 まずは新聞記事。


 その要旨は以下のとおりです。
 国立競技場解体工事のための第一回目の入札が成立しなかった会社から苦情申し立てがあって,有識者で構成されている内閣府の「政府調達苦情検討委員会」が,10日付けでその苦情申し立てを受理した,その結果,同委員会が審査して結論を出す期限が10月17日であるため,この審査結果がでるまでは,第二回目の入札で決まっていた解体請負業者との契約執行を一時停止するよう同委員会が要請した,そのため,国立競技場の解体工事が大幅に遅れること,場合によっては再入札もありうるということ,そうなると,新国立競技場の建設の工期が短くなってしまい,ピンチだとISCが考えている,というものです。

 ついでに,もう少しだけ補足しておきますと,第一回目の入札は,たった一社だけが応じたのですが,その入札価格がJSC(日本スポーツ振興センター)の決めていた最低価格よりも低かったために,保留となり,その後の検討の結果,入札不成立となったというのです。この入札価格が低すぎるという理由が理解できない,そこには官製談合の疑義がある,としてこの会社が「政府調達苦情委員会」に申し立てを行ったということです。

 そして,この申し立てを同委員会が受理をしたということは,審査に値する内容である,と判断したとみていいでしょう。そうなりますと,少なくとも10月17日までの結論がでるまでは,解体工事にとりかかることはできないことになります。しかも,この苦情申し立てが認められますと,再入札ということになります。となると,さらに解体工事が遅れ,新国立競技場の工期が短くなり,こんどは五輪までに間に合わなくなる,という可能性もでてくる,ということになります。

 となりますと,建築家の伊東豊雄さんが提案しているような,いまの国立競技場を改修して間に合わせる,という案も浮上してくる可能性がでてきます。

 こうした動きとはまったく別個に,「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」が,9月26日(金)にシンポジウムを開催するというのです。シンポジウムのテーマは「それでも異議あり,新国立競技場──戦後最大の暴挙を考える」。この会は,すでに,「文部科学省,日本スポーツ振興センター:神宮外苑の青空と銀杏並木の風景を守ろう!巨額の建設費をかけない,いまある国立競技場を直して使おう!」というキャンペーンを打ち出し,インターネットで賛同者を募ったところ,12日現在で30,817人の賛同を得ているということです。

 わたしも賛同者の一人としてメール・アドレスを登録していますので,経過報告とシンポジウム開催の情報がダイレクトに入ってきたというわけです。さきにも書きましたように先着200名ということでしたので,すぐに申し込みをしました。この会からの情報によりますと,9月23日には建築学会が,10月1日には景観学会が,同様のシンポジウムを企画しているとのことです。それぞれの専門家集団の学会も,すでに,これまでに何回もシンポジウムを開催しています。機運は一気に高まってきています。

 そんな中での国立競技場解体工事着手の一時停止です。しかも,場合によっては再入札ということもありうる,というのです。となると,そのさきはかなり混迷した情況が待ち受けていることになります。ひょっとしたら,大逆転もありうる,という展開になってきました。

 だとしたら,10月17日までに,可能なかぎりのプレッシャーをかけていくことが肝要となります。わたしもその一助になれればと考えています。

 今回のこの新国立競技場の建造をめぐる問題は,最初のデザイン・コンペの方法や審査過程からして,疑問だらけでした。そして,各界から多くの異議申し立てがなされました。が,すべて無視したまま,文部科学省もその事業主体であるISCも,規定の路線をひた走りつづけてきました。もはや,民主主義の精神もどこへやら・・・・,ひたすら自分たちの利益優先だけが独走しています。今日の政府・自民党とまったく同じことが,ここでも繰り広げられています。まことにもって由々しき問題です。

 かくなる上は,自分の持ち場でできるだけの意思表明をしていくしか方法はありません。その山場がようやくやってきました。チャンス到来です。いま,です。やるしかない,のは。

 このブログもそんなつもりで書いています。ご支援をいただければ幸いです。

大野慶人さんの舞踏とトークに感動。とりわけ「竹」というテーマの舞踏とトークに。

 新作ドキュメンタリー『即身仏を訪ねて──涅槃の考古学』完成記念上映とトークとシンポジウム「身体表出の日本的様相」,というイベントがあるというのででかけてきました。わたしの興味は「即身仏」と「身体表出の日本的様相」のこの二つ。

 日時:9月10日(水)14:20
 場所:草月ホール
 主催:「身体表出の日本的様相」実行委員会,アテネ・フランセ文化センター

 行ってみて驚いたのは盛りだくさんのプログラム。14:20にはじまって終わったのは20:00を過ぎていました。そんな時間になっているとはとても思えないほどに,わたしにとっては充実した時間でした。なぜなら,意外な発見と違和感が多々あったからです。結論的に言ってしまえば,映画人と呼ばれる人たちのみている世界が垣間見えたこと,その世界の不思議さと驚きと違和,というところでしょうか。それらの内容については,いずれ分割して書いてみたいと思っています。それほどの内容があるということです。

 とりあえず,今回は,その長丁場のプログラムのなかにあった,小笠原隆夫監督(今回のイベントの仕掛け人であり,上映作品の監督)と大野慶人さんとの「舞踏とトーク」をとりあげてみたいと思います。なぜなら,もっとも感動し,もっとも大きな発見があったからです。

 大野慶人さんは,断るまでもなく,舞踏家大野一雄さんのご長男。敗戦のときに6歳だったということですので,わたしとほとんど同世代。そんな年齢の方だとは知りませんでした。なぜなら,大野一雄さんの舞踏のときに脇役として登場する大野慶人さんは,じつに若々しくて,ソフトでしなやかな舞踏を展開されていたからです。それに引き換え,大野一雄さんの舞踏は動きの無駄を徹底的にそぎ落とした骨の部分を際立たせる,じつに重々しいものでした。

 その大野慶人さんの舞踏が,大野一雄さんの再来か,と思わせるほどの,じつに重々しいものでした。まさか大野慶人さんの舞踏がみられるとは思ってもいませんでしたので,まずは,驚きました。しかも,これは偶然ですが,前から二列目の席に陣取っていましたので,至近距離での舞踏に触れることができました。これはラッキーでした。

 こんな偶然もあって,大野慶人さんのからだの動きの一部始終が,しかも,その繊細な動きの微妙な震えも息遣いも,そして,少しうるんだ眼が宇宙の彼方をみやるような,えもいわれぬまなざしも,というようなありとあらゆるものが一つのかたまりとなって,そうオーラとなってわたしのからだのなかにするりと入り込んできました。

 これはいったいどういうことなのか,と不思議な感覚でした。とりわけ,「竹」というテーマの舞踏が衝撃的でした。タイトルは大野慶人さんが舞踏を終えたあとのトークで知りました。ですから,みているときはタイトルはなにもわかりません。ただ,目の前で大野慶人さんの舞踏が展開されているだけです。タイトルもなにも知らないまま,みているこちらは無心です。ぼんやりとした無意識にも似た無心です。その無心に,大野慶人さんの舞踏が,するりと入り込んできたのです。

 最初の立った姿勢から,まずは,重心をじつに時間をかけてゆっくりと下げていってかがみ込みます。その間,脚も胴体も腕も微妙に震えています。かがみ込んだ姿勢では,なぜか,かかとを浮かせたままの両脚が微細な震動を起こしています。重さと固さと震動とが入り交じった不思議な姿勢をしばらくの間,保っています。そして,その姿勢からふたたび重心を上に押し上げるようにして,じつにゆっくりと静かに,それでいて力強く立ち上がっていきます。ただ,それだけの動作なのに大野慶人さんの呼吸はすでに一杯いっぱいになっています。汗もじっとりと浮かんでいます。眼はうるんでみえます。

 そして,こんどは立位の姿勢から,さらに上に伸び上がっていきます。それも,じつにゆっくりと静かに重心をめいっぱい高くしたところで,こんどは両腕が上に向かって静かに伸びていきます。そして,最後には,ややうるんだ憂いをふくんだ眼が天上高く見上げています。ここまでで,わたしのからだは完全に硬直してしまいました。大野慶人さんのからだとシンクロしはじめているのです。これはいったいどういうことなのか,と自問しながら舞踏に集中。

 ここから大野慶人さんのからだは,ゆっくりと回転をはじめたり,なにかに押されるようにして横に揺れたり,ほんのわずかずつ横に動いたり,と舞踏がつづきます。しかし,どうみても大野慶人さんのからだが,次第にひとつの「物体」に見えてきます。大野慶人さんのからだが限りなく物体になりきっている,といえばいいでしょうか。肉体と物体の境界領域をせめぎ合っているように,わたしの眼にはみえてきました。なにか,原初の生命現象の表出というべきか,ちょっとことばでは表現不能の「なにか」がわたしのからだに入り込んできました。

 この舞踏のあと,大野慶人さんはつぎのようなトークをなさいました。やや甲高い声で,しかし,抑制された静かな声で,ことばを選びながら,こちらもゆっくりと話されました。その内容を聞いていて,なるほどとこれまた驚きました。大野慶人さんは郡司正勝さんから「竹」の話を聞き,大きな感銘を受けたというのです。竹は中が空洞である。からっぽなのだ。竹は中が「からだ」。これがわたしたちの身体を「からだ」と呼ぶようになった語源である,と。

 からだは,中が空洞なのだから,外からなんでも入ってくるし,勝手に外に出ていってもしまう。つまり,出入り自由なのだ。からだとはそういうものだ。だからこそ,なににでも「なる」ことができるし,究極的には「なる」しかないのだ。それがからだというものだ。

 こんな風に郡司正勝さんは話してくださった,と大野慶人さんは静かに語り,さきほどの舞踏のテーマはその「竹」です,バンブー・ダンスです,と仰る。なるほど,とこころの底から得心しました。身に沁みてわかる(この話もなさいました),とはこういうことなのだと,納得。

 こんな風にして,対談者の小笠原隆夫監督をそっちのけにしたまま,つぎからつぎへと惜しげもなく舞踏をし,その舞踏についてのトークを一人語りでし,息継ぐ間もないほどでした。そうして,わたしの中にあった「舞踏」というものに対する構えのようなものが,ひとつずつ取り払われていきました。「紙一重」というテーマの舞踏とトークも強烈でした。また,和紙を思いっきり引っ張りながら伸ばしていき,あるところからはふにゃふにゃな一本の長いひもになる舞踏とトークもまた強烈な印象となって残りました。指人形を使った舞踏にも驚かされました。

 これらの舞踏の一つひとつを語るのは割愛させていただきます。
それよりなにより,大野慶人さんの舞踏が大野一雄さんの舞踏に限りなく近づいていることを知り,じつに驚きました。年齢相応のからだで踊る,それ以上でもないし,それ以下でもない,あるがままのからだで「なるようになる」,そんな,かつての大野一雄さんの境地に慶人さんもまたなりつつある,と感じました。

 舞踏とはなにか・・・とずっと考えつづけていたことの核心に触れる部分に,大野慶人さんの舞踏とトークがみごとに答えてくれました。喉にひっかかっていた骨がポロリと落ちたように思います。それは,肉体と物体の関係性です。じつは,ドイツ語の Koerper はこの両方の意味を含意しています。同時に,死体の意味ももっています。つまり,肉体も物体も死体も,じつは同義なのだ,と。となると,舞踏がこの三つの世界を自在に往来するのは,なんの不思議てもない,と。むしろ,原点回帰というべきでしょう。

 そこで閃いたのが,ジョルジュ・バタイユのいう「動物性」の世界であり,「内在性」の世界です。そして,人間の深層心理には,動物性や内在性への強い回帰願望がひそんでいる,という考え方です。ここからさきのことは,これまでのブログのなかで詳細に論じてきていますので,これもまた,ここで割愛。結論的に触れておけば,人間は生の源泉に触れたいという衝動と無縁ではありえない,ということ。舞踏もまた「生の源泉」に触れたいという衝動に突き動かされている,と。別の言い方をすれば「聖なるもの」(ジャン・ピエール・デュピュイ)との交信・共鳴・共振の表出である,と。

 ここに至りついただけで,わたしは大満足でした。これから機会があれば大野慶人さんの舞踏を追ってみたいと強く思いました。舞台の上まで車椅子で登場し,そこで衣装に着替えたとたんに,ひとりで立ち,踊りはじめた大野一雄さんの舞台はわすれられません。舞踏,恐るべし,です。まさに「身体表出」そのものというべきでしょうか。「表出」とは,そういうものだ,とわたしは理解しています。ここにもひとつ大きな議論が待っています。このことは,いずれ機会をあらためて・・・・。

 とりあえず,大野慶人さんの舞踏とトークが,これまでのわたしの蒙昧な思考のもやもやを,もののみごとに晴らしてくれたことに感謝。

2014年9月11日木曜日

「トロッケンシュヴィンメン」(乾いた水泳)のための練習器具。合理的思考の落とし穴。

 トロッケンシュヴィンメン」(Trockenschwimmen)は直訳すると「乾いた水泳」,つまり「濡れない水泳」,水の中に入らない水泳,意訳すれば「空中水泳」ということになります。雑誌『SF 月刊体育施設』8月号,P.28.からの転載です。これが第33回目の連載となります。夏ということを意識して,水泳の練習器具を取り上げてみました。


 1853年のドイツでは,このような器具を用いて水泳訓練をしていたというのです。対象は海難訓練所や海軍の初年兵であったといいます。

 それにしても,こんにちのわたしたちからみると,どう考えてみてもどこかへんてこりんです。こんなことが,実際に,大まじめに行われていたとしたら・・・・。いったい,Trockenschwimmen という発想はどこからでてきたのでしょう?

 1853年のドイツといえば,ナポレオン戦争の敗戦を契機にして,ドイツ統一をはたし,ようやく近代国家としての体裁が整いつつある,いわゆるヨーロッパの後進国でした。ですから,イギリスやフランスに追いつけ,追い越せという機運が高まっていた時代です。そこで採用された考え方が「合理主義」です。そして,いわゆる「合理化」運動が展開されました。

 このTrockenschwimmen のための練習器具の考案はフランス人です。先進国フランスで考案された器具というわけで,すぐに輸入して活用したのでしょう。それより15年も前に,ドイツでも同じような器具が考案されていましたが,どうやら実用の役には立たなかったようです。それで,フランスの器具の導入となったと思われます。

 しかし,「合理的」であるという理由で,こんなことが大まじめに考えられ,実践されていたというこの事実にわたしは注目してみたいと思います。なぜなら,「合理的」という発想には大きな落とし穴があるということ,あるいは,盲目にも等しいという考え方が,つい最近の思想・哲学でも議論されているからです。たとえば,ジャン・ピエール・デュピュイ著『聖なるものの刻印──科学的合理性はなぜ盲目なのか』(西谷修・森元庸介・渡名喜庸哲訳,以文社,2014年刊)があります。

 このテクストによれば,原子力発電所の建設などはその典型的な事例ということになります。使用済み核燃料の処理の仕方も見つからないまま,見切り発車をして実用化し稼働させてしまいました。単位時間に発電する能力は抜群で,その一点だけで計算するとコストも安い,ということになります。科学的合理性に基づく発想はこの一点だけに集中していて,その他のことは軽視してしまいます。その結果,フクシマの悲劇が出来しました。しかも,手も足も出せないで,おたおたしているだけです。すべては,あとの祭りです。

 こうした発想の発端の一つが,1853年当時の水泳の練習器具の開発にも現れていて,この器具はその典型的な事例の一つです。このように考えてみますと,「へんてこりん」などと言って笑っている場合ではありません。それとまったく同じ「愚」を,いまもなお,大まじめに原発の「再稼働」に向けて,政府自民党は推進しようとしているのですから。

 そんなことを念頭に置きながら,いま一度,この Trockenschwimmen のための練習器具をじっと眺めてみてください。合理性の落とし穴が,はっきりと見えてくることでしょう。

2014年9月9日火曜日

トークイベント「竹内敏晴さんが問い続けたこと」(鷲田清一×三砂ちづる)傍聴記。

 このほど,藤原書店から<セレクション・竹内敏晴の「からだと思想」>(全4巻)が完結したのを記念してトークイベントがなされました。テーマは「竹内敏晴さんが問い続けたこと」。

 日時:2014年9月7日(日)14:00~17:00(開場13:30)
 会場:早稲田奉仕園(スコットホール)

 
ほぼ満席の盛況でした。集まった人のほとんどは竹内敏晴さんのレッスンを長年にわたって受講され,その影響を強く受けた人びとだとお見受けしました。もちろん,竹内さんの著作をとおして多くのことを学ばれた熱烈なファンも多くいらっしゃったと思います。いずれにしても,集まられた人たちは熱烈な竹内敏晴ファンの人たちばかり,と言っていいでしょう。

 竹内さんが逝かれてちょうど5年。9月7日は命日。早いものです。まだ,ついこの間のできごとだとしか考えられません。いまでも,名古屋で竹内敏晴さんを囲む会を企画して,生前5回ほどもつことのできた会のつづきをやりたいという気持で一杯です。が,残念ながら,もはやそれは永遠の夢でしかありません。

 さて,トークイベント。最初に鷲田清一さんの講演があって,つづいて三砂ちづるさんとのトークになりました。

 
正直にわたしの感想を記しておきますと以下のとおりです。
 まずは,ミスマッチ。鷲田さんは竹内レッスンを一度だけ見学,三砂さんは著作をとおしてだけで竹内さんとの面識はなし。したがって,鷲田さんの講演も,そして,トークイベントも竹内さんの著作を手がかりにした,いわば観念論的な思考ゲームに終始することになりました。それはそれで面白い話の展開ではありました。たぶん,ごく一般的な聴衆ばかりでしたら,このトークイベントは異色の組み合わせとして,大成功だったのではないかと思いました。しかし,まことに残念なことに,この会に集まった熱心な竹内敏晴ファンの期待した,肝心要の「竹内敏晴さんが問い続けたこと」の核心には遠く手がとどきませんでした。

 言ってしまえば,竹内敏晴さんの「からだと思想」の表面をかすっただけの,わたしにはなんとも歯がゆいばかりの話の展開でした。ですから,わたしの欲求不満はたまるばかりでした。たとえば,竹内さんが必死に探索され,徐々にその深みにたどりついていかれた「じかに触れる」という,竹内レッスンの核心ともいうべき重要なテーマには,お二人とも言及されませんでした。それは,マルチン・ブーバーの『我と汝』を手がかりにした思考実験であったことを,わたしは竹内さんから直接うかがっています。そして,わたしなりに『我と汝』を読み込み,竹内さんの求める「じかに触れる」世界を,あれこれ思考したことがあります。それは,このブログでも,もうずいぶん前のことですが,書いています。検索してくだされば幸いです。

 ですから,この日に集まった人たちの耳には,たぶん,失望と落胆が少なからずあったのではないか,とわたしは感じました。言ってしまえば,スピーカーよりも聴衆の方が,「竹内敏晴さんが問い続けたこと」については,みずからの「からだ」をとおして熟知していた,と思われるからです。ですから,トークイベントが終わってからの懇親会では,このゲストのお二人は孤立した状態がつづくという,一種異様な場面が表出してしまいました。「これはまずい」と思い,わたしはご挨拶だけでもしておこうかとそのチャンスをはかっていました。が,なぜか,わたしのまわりには何人かの人が入れ代わり話しかけてくださる人があって,しまいには藤原社長さんまで加わるという塩梅でした。

 と,そうこうしているうちに,ゲストのお二人の姿は消えていました。あれれっ?と思いましたが,ときすでに遅しでした。鷲田さんのお顔が少し赤くなっておられたのは覚えています。そろそろいいタイミングかな,とこちらでおしゃべりをしながら様子をうかがっていました。が,まずは,鷲田さんがお一人でドアの向こうに行かれました。それでもわたしは,なにか所要があって,またすぐに戻られるものと思っていました。が,そのままでした。それからしばらくしたら,三砂さんの姿も見当たりません。なんとも寂しいゲストの退場でした。ふつうなら,ひとことご挨拶があって,拍手をもってお送りする,というところなのですが・・・・。

 「竹内敏晴さんが問い続けられたこと」についての私見は,いつか,このブログに書いてみたいと思っています。わたしをその気にさせたのは,鷲田さんと三砂さんのトークイベントが大きな引き金になっていることは間違いありません。言ってしまえば,わたし自身の欲求不満を解消するために。

 というところで,やや辛口の傍聴記になってしまいましたが,ひとまず,この稿を閉じたいと思います。そして,この稿の補足となるべきブログを近々,書いて,全体のバランスをはかりたいと思っています。では,そのときまで。

2014年9月8日月曜日

「大相撲 八百長は悪に非ず」。『ひろばユニオン』,9月号,労働者学習センター,に投稿。

 ことしの8月号から連載をはじめた「撃!スポーツ批評」というコラムに,「大相撲 八百長は悪に非ず」を投じました。連載第2回目です。


 原稿は,わたしなりにタイトルをつけて,書き流したものを編集者に送ります。すると,編集者はこの原稿を読んで,自分の好みのタイトルに付け替えます。そして,さらに,小見出しも加えます。そうしてできあがったのが,以下のようになったという次第です。著者は自分の考えをそのままタイトルにします。が,編集者は読者と著者との間をとりもって,よりわかりやすく,あるいは,よりよく伝わりやすくするために,見出しも小見出しも付けなおす,というわけです。

 
こうして,わたしの手元を離れた原稿は,新たないのちを吹き込まれて,一人歩きをはじめます。そして,また別の作品として雑誌に掲載されます。しかも,読者は読者で,また,著者とは別の解釈をして,納得するなり,批評したりする,というわけです。一度,わたしの手元を離れたら,それは別人格。読者のいいなりになるしかありません。という意味では,原稿を書くという営みは,とても厳しいものでもあります。

 「今福龍太×中川五郎」のトーク・イベントのなかで,中川さんがポロリと語ったことばが,いまも忘れられません。

 「本は大切なものです。そして,本というものは恐ろしいものでもあります」。
 「ことばとなる前,ことば以前のこと,あるいは,本になる前の前書物の状態から,ことばはどこに 行くのか,このことを考えると気が遠くなってしまいます」。
 「ことばはどこから出てくるのか」。
 「ことばは一種の暴力です」。

 
こんなようなことを仰ったように記憶します。

 わたしのこの原稿も,わたし自身が書いたことばにわたし自身が啓発されて,わたしが考えたとは思えないようなことばが飛び出したりします。文章となると,もっとたいへんです。言ってしまえば,行き先不明です。書きながら,自分の書いた文章と相談しながら,つぎの文章が飛び出してくるのを待ちます。となると,書くというよりは「書かされている」としかいいようがなくなってきます。

 
このことは,今福さんのことばを想起させます。「そこに座る」というよりは「そこに座らされている」と言った方が真相に近いように思う,と。そして,それが「生きる」ということの意味ではないか,と。それは写真を撮るというよりは「撮らされている」ということとも通底しているのではないか,と。

 この問題系は,近代人の主体性(あるいは,人間の「主体性」)に大きな疑念を投げかける,きわめて奥の深いテーマでもあります。

2014年9月7日日曜日

「島ぐるみ会議」が主宰する月曜恒例のキャンプ・シュワブゲート前の抗議集会の参加記録。

 今夏の沖縄滞在中に,二度目のキャンプ・シュワブゲート前の抗議集会に参加したときのお話を書いておきたいと思います。一回目は,すでにこのブログでも書きましたように,8月23日(土)の「2000人県民集会」でした。このときは,予想以上の人が集まり,3600人以上の参加があったと翌日の新聞が報道していました。この反響の大きさは本土にもとどいたようで,アベ政権も相当に驚いたはずです。その反動というべきか,その後の抗議行動,とくに,辺野古崎周辺海域でのカヌーによる抗議行動に対して,とんでもない強権を発動して高圧的な態度にでていることは,現地の「琉球新報」や「沖縄タイムス」で連日,大きく取り上げられていますので,それを読んでいる人たちは知ることができます。たとえば,海の安全を守るべき海上保安庁のゴムボートが,抗議行動をしているカヌーに体当たりして転覆させている,というような具合です。しかし,これまでどおり,本土の大手メディアはほとんど無視の態度を貫いています。ですから,多くの本土の人びとはなにも知らないまま,いつもの日常を暮らしています。

 いまに始まったことではありませんが,とにかくアベ政権によるメディア・コントロールは相当に強烈なものであるということは間違いありません。もれ伝わるところによれば,アベ首相は「なにをぐずぐずしておるっ!さっさと片づけてしまえっ!」と机を叩いて担当者に指示をした,ともいいます。なにがなんでも既成事実をでっちあげておくこと,とりわけ,知事選挙前に。なぜなら,沖縄知事選挙での勝ち目はない,と判断しているからです。すでに,アンケート調査によれば,沖縄県民の80%以上の人たちが安倍政権に反対している,ということです。それならば,なおのこと「急げ!」という判断のようです。

 帰ってきてから,沖縄のその後の動向を追うにつけ,滞在中に二度もキャンプシュワブ・ゲート前の抗議集会に参加してきてよかった,しみじみ思っています。ですから,そのうちの,二度目のキャンプ・シュワブ・ゲート前での参加記録も残しておきたいと思います。

 さて,8月25日(月)の午前10時から「島ぐるみ会議」が用意するバスが出る,それも3台チャーターしていて先着順だ,と聞いていましたので午前9時30分には到着し,チケットを購入して並んでいました。もうすでに,3台目のバスの行列の中ほどでした。あと残り席はわずかです。一緒にこのバスに乗り込む予定の西谷修さんが現れません。どうしたんだろう,と心配していたらそこにから電話が入ってきました。仲里効さんが車を出してくれて,1席,空きがあるので,いま,県庁前に迎えに向かっています,という話。あわてて,チケットをキャンセル。でも,ドタキャンですので,返金はお断りして寄付しておきました。


 というようなわけで,急遽,仲里さんの案内でキャンプ・シュワブに向かうことになりました。もう一人の同乗者は中山智香子さん。この4人なら安心。和気あいあいで,車中の話も盛り上がりました。しかも,バスでは立ち寄ることもできないような農道にまで入りこんで,要所,要所に立ち寄っての道中でした。これはとてもありがたいことでした。やはり,仲里さんでなければ,というより,仲里さんが「ここだけは見せておきたい」という要所を的確に案内してくださったのだ,ということはあとになってわかったことでした。その意味でも貴重な体験でした。

 以前は海辺まで行くことができたという米軍基地周辺のゲートはことごとくすべて閉鎖され,ロックアウト。さすがに警備の人は立っていませんでしたが,なんとなく不気味な感じでした。仲里さんが仰るには,ここは,以前は出入り自由で,みんな海岸まで降りて行って,海で遊んだ場所なのに・・・とのこと。ことほど左様にどこもかしこも厳戒体制です。なにか薄気味悪い無言の圧力のようなものを感じてしまいました。



 しかし,何カ所か立ち寄った場所からの辺野古崎周辺海域の海はどこも綺麗で,しかも,ジュゴンやウミガメが棲息する素晴らしい自然環境にも恵まれている海です。すぐにでも飛び込みたくなるような海の青さがひろがっています。西谷さんは思わず「飛び込もうか」とジョークを飛ばしたほどです。それはそれは綺麗な海で,えもいえぬみごとなものです。本土では,よほどの条件のいいところでなければ,これほどの美しい海には出会えないことでしょう。そんな綺麗な海を,しかも海の資源に恵まれた素晴らしい辺野古の海を,埋め立てて米軍基地の飛行場を建設するというのです。冗談じゃない,むらむらと怒りが湧いてきました。これはどう考えてみても,むかしからこの地に住んで,海の幸をいただきながら生活を営んできた人たちの「人権」も「生命」も無視しての「暴挙」以外のなにものでもありません。とんでもないことが,いま,この地で展開されているのだ,と胸に刻みました。


 現場に立つ,ということはこういう強烈なインパクトをともなうのだ,としみじみ思いました。やはり,間接的な情報だけではなく,からだを移動させること,そして,自分の眼で確認し,その場の風を感じ,空気を吸って,五感のすべてを総動員して,第六感も働かせてトータルにものごとを考えるということ,その大切さが身にしみて理解できました。



 途中で昼食をとったレストランの「そうきそば」がこれまた絶品でした。こんなに大きな「そうき」がごろごろ入っていていいのだろうか,と注文したわれわれが気が引けてしまうほどでした。しかも,きわめて美味。これも初めての体験。そろそろ抗議集会の時間だというので,キャンプ・シュワブのゲート前に向かいました。


 到着したら,すでに,連日,座り込みをしている人たちの抗議集会がはじまっていました。わたしたちもこの座り込みの人たちの中に加えてもらって,一緒に,山城さんの抗議の演説に耳を傾けていました。そこに「島ぐるみ会議」のバスが到着し,隊列を組んで行進をはじめましたので,その行列にも加えてもらって一緒にシュプレヒ・コールをしながら行進しました。この人たちは,それが終わるとすぐにバスの方に移動していきました。わたしたちはそのまま残って,しばらく座り込みの人たちの中に入れてもらって,ふたたび,始まった山城さんの演説に耳を傾けました。新聞の報道からは見えてこない,この土地に生まれ育った人たちのこころの底からの「怒り」の声が,ストレートに伝わってきました。

とても驚いたのは,山城さんの演説は熱の籠もった素晴らしいものでしたし,途中で拍手も何回もあって,こころが一つになったところで山城さんは突如としてカチャーシーを踊りはじめ,それで演説を閉じました。その直後に,飛び入りで「歌を歌います」という若いお母さんが立ち,米軍基地移設反対の歌を朗々と歌い挙げました。これにも感動してしまいました。沖縄の芸能の力は,こんなところにも発揮されるのだ・・・と。

 山城さんの演説が終わり,飛び入りの歌が終わって一区切りついたところで,仲里さんが山城さんに挨拶に。ついで西谷さんも。すると,山城さんは西谷さんを確認すると両手で握手をし,よくぞ来てくださった,と感謝のことばを述べていました。わたしたちも紹介してもらい,握手しながら,お互いに頑張りましょうと励まし合いました。わたしたちはわたしたちの持ち場でできるだけの努力をしますので,と。

  ここでお別れをして,帰路につきました。車中では西谷さんと仲里さんの,かなり突っ込んだ本音のトークに耳を傾けていました。中山さんもそのトークに加わり,さらに盛り上がりました。そうか,この人たちはそこまで掘り下げて思考をさぐり,みずからのスタンスを構築しているのだと知り,とても勉強になりました。

 この日の夜には,新外交イニシアティブ(ND)設立一周年記念・『虚像の抑止力』出版記念シンポジウム「どうする米軍基地・集団的自衛権──オキナワの選択」が予定されていましたので,そこでまたお会いしましょう,ということでわたしはひとりわたしのホテルの前で降ろしてもらいました。

 仲里さんのご好意で,とてもいい日を過ごすことができました。ありがとうございました。ホテルで一休みして,夜に備えることができました。いまになって考えてみると,この日はビッグ・デーでした。夜のシンボジウムについは,また,のちほどこのブログに書いてみたいと思っています。

 以上,ご報告まで。

2014年9月6日土曜日

今福龍太×中川五郎,トーク・イベントを堪能。硬直化したアカデミズムを批判。

 この夏,沖縄に久しぶりにでかけ,戻ってきた日(8月26日)の翌々日(28日)に,今福さんから直々にトーク・イベントがあるので,ぜひに,とお誘いがありました。ので,喜び勇んででかけてきました。今福さんの仕掛けたトーク・イベントなので,どんな場所で,どんな展開になるのかなぁ,と楽しみでした。

 案内によりますと,場所:art & eat (馬喰町)とあります。「art & eat」 ?  韻を踏んでいて,口当たりがとてもいい。しかし,アートと食べることとがどうシンクロするのかなぁ,とまずは想像力をかき立てられました。行ってみて,その謎が解けました。 


 この写真をご覧いただければ,いくらか納得できるのではないかと思います。つまり,アート・ギャラリーとキッチンの組み合わせになっていて,壁面にアートを展示し,かつ,食べ物を提供するレストランでもある,という次第です。写真の右側は入口で,その壁面に張ってあるイベントのポスターの前で談笑する今福さん(帽子をかぶっている)と中川さん。そして,その右側では食べ物を準備している女性とその奥がキッチン。手前の椅子が,今日のトークを聞く人のための椅子。


 壁面に飾ってある写真を眺める来場者。左奥に今福さん。こうして,トーク・イベントがはじまる前には,アート(今回は今福さんと中川さんの撮影した写真)を鑑賞します。今福さんも中川さんも来場者と一緒に,展示を見ながら談笑して,楽しんでおられます。アートを実作者とお話しながら一緒に鑑賞できるというのも,いいアイディアだと思いました。鑑賞する側からすれば,まことに贅沢の極みというところです。

 日時:8月28日(木)18:00~20:00
 対談者:今福龍太×中川五郎


 こうして,時間前のアートの鑑賞を楽しみ,いよいよトーク・イベントの開始です。

 ドリンク付きなので,わたしはビールを飲みながらの拝聴。中川さんは赤ワイン,今福さんのドリンクは不明(色からすると,ビールに見えますが・・・)。つまり,アルコール付きのトーク・イベントです。もちろん,ソフト・ドリンクも用意されています。でも,奄美の焼酎も日本酒もウィスキーもオーダーできるようになっています。みなさん,それぞれにお好みのドリンクを片手に,トークを拝聴という,なんともなごやかな雰囲気でした。

 トークは,お二人の出会いから始まって,中川さんの作品(小説)をめぐる裁判の話(ワイセツ問題で,約10年闘争),今福さんのメキシコ放浪時代の話,80年代の終わりころに帰国し,フリーのライターをしていたときに安原顕さんに拾われた話,そのころ,中川さんは詩の翻訳者として登場する話,その翻訳された詩がポルノグラフィー的な描写が多くとても惹かれた話,翻訳は原作者との共感,共鳴,共振が基本,だから翻訳しているとポルノグラフィーの世界に入りこんでしまって,気づくと自分も同じことを体験してしまった話,など。

 ここでの話の骨子は,裁判所で語られることばは,日常語とはまったく無縁な,抽象的なことばでしかないこと,だから,ワイセツの定義もわけがわからない,つまり,死語にも等しいことばが,あるいは,そういうことばだけが支配している世界であること,そこには「愛」を語る力はどこにも見当たらないこと,したがって,愛とワイセツの区別もできないこと,だから,裁判所は「愛」を裁くことはできないこと,ということは生身の人間を裁くことはほとんど不可能ではないか,などが語られ,硬直化してしまったことばの無意味性の問題が熱く語られました。

 ここで,2003年のアリゾナのバンドの演奏(もちろん,録音されたもの)を聞き,つぎの話題に入っていきました。こでは,インストゥルメンタルな音楽の話となり,音の出てくる源泉に強く惹かれることの意味について考え,あるいは,歌詞があってもことばになっていない音楽・・・ひたすら単語が羅列されるだけの歌詞・・・注書きのようなもので,しかも危ない注の連続・・・このことの意味についてかなり突っ込んだ議論がなされました。

 そこから,写真の話に転じて,ある写真家の撮った写真とまったく同じ場所から,同じアングルで,30年後に撮るという試みについて,そのことの意味について考える話へと入っていきます。今福さんにはレヴィ・ストロースの写真を手がかりに,その30年後に,レヴィ・ストロースとまったく同じアングルから写真を撮る,という経験があります(著書のなかに登場します)。そのとき,何気なく「そこに座る」。しかし,それは「そこに座らされる」ことではないか,このことの意味を考えてみる。すると,それは「生きる」ということと同義ではないか,ということに至りつく,と。そこには「聖なる力」とでも名づけるしかない,ある「力」が働いているのでは・・・と。

 という具合にまだまだ面白い話がつづくのですが,ここでは割愛。


 そのあとで,中川さんの演奏(もとはシンガー・ソング・ライターとしても活躍したことがある)が入りました。ギターの演奏もじつに繊細で,歌も声に伸びがあって,どこかほっとさせてくれる響きがありました。この音楽に触れたところで,ああ,中川さんの書かれた本を読んでみようという気にさせられました。なぜなら,このとき,初めて,頭ではなく,からだがそれを求めていると感じたからです。これも不思議な体験でした。

 この歌のあと,今福さんが,最後のまとめのようなお話をされました。
 それは以下のとおりです。

 ひとことで言えば,「殻を破る」ということ。その骨子は,ファーブルの実証的な研究とダーウィンの進化論との違いはなにかというお話であった,と言っていいでしょう。ファーブルの『昆虫記』は,徹底的に観察をつづけ,一つひとつ,じつにきめ細かに分析をしながら因果関係を明らかにした,まさにアカデミックな実証的研究であった。にもかかわらず,アカデミズムからは排除されてしまい,単なる物語作家として位置づけられてしまった。他方,ダーウィンの進化論は,短期間の観察をとおして,それを抽象的な議論のまな板に乗せ,整理しただけの話にすぎない。にもかかわらず,ダーウィン的世界がアカデミズムには歓迎され,それがアカデミズムの主流をなすに至った。しかし,ファーブルに言わせれば,ダーウィンは「ちゃんと物を見ていない」,外観のみだ,と批判している。こんにちのアカデミズムはダーウィン的世界に陥ってしまっていて,現実からは,つまり生き物のほんとうの世界からは無縁なものになってしまった。一刻も早く,ファーブルの研究がアカデミズムとして評価されるときがくることを祈っている。これから求められているのは,まさに,ファーブル的学問である,と。すなわち,アカデミズムの「殻を破る」ことを希求する,と。

 この日のトーク・イベントを締めくくることばとして,これ以上のものはない,と深く感動してしまいました。この話を聞きながら,今福さんの処女作ともいうべき作品『荒野のロマネスク』を思い浮かべていました。このことは,わたしが長年にわたって疑問に思っていたことでもあったからです。生身のからだを生きる人間にとって「スポーツとはなにか」を語ること,これを実現しようとすれば,ひょっとしたら詩のような形態になるかもしれない,でもそれがもっとも本質を明らかにする方法であるかもしれない。真実を語ることは,硬直化したことばには不可能だと,ずっと考えてきました。その意味で,このトーク・イベントを聞かせていただいてよかった,と久しぶりに至福のときを過ごせたことに感謝。

2014年9月5日金曜日

「けんちく体操」世界へ。『東京新聞』8月30日夕刊トップ記事よ

 数年前のある日,突然,見知らぬ人からメールが入ってきました。わたしの知らない人(女性名)がわたしのメール・アドレスを知っているのはどうしてか。しかも,メールの見出しは「お願い」とある。これはよくある「ピッキング」か,危ない系の女性からのメールではないか,と疑う。しばらく考えたのち,女性の名前がごくふつうにあるものだったので,思い切って開いてみた。

 すると,「けんちく体操」を考案し,その普及に務めている人たちをサポートしているあるイベント屋さんからのメールだった。内容は,「けんちく体操」の考案者とその普及に携わっている人たちとのトーク・イベントとワークショップに参加してほしい,とのこと。しかも,相当に詳しくわたしのことを調べたようで,体操の専門家という立場だけではなく,スポーツ文化論の専門家としても発言していただきたい,とある。おやおや,である。

 それから慌てて「けんちく体操」を検索して,ことの次第のあらましを把握。なるほど,そういうことであったか,と納得できたので,OKの返信メールを送信。すると,すぐに応答があり,さらに詳しい情報を送ってくれた。それによると,東京江戸博物館に勤務する米山勇さんという建築史家が,博物館にやってきた子どもたちに建築の面白さを知ってもらい,関心をもってもらうためのなにかいい方法はないものかと考えた末にこの「けんちく体操」を思いついた,ということでした。なるほど,なるほど,と納得。

 そのときの情報によれば,「けんちく体操」にかかわっているメンバーは以下のとおりです。

 チームけんちく体操
 米山 勇:けんちく体操博士,建築史家,東京都江戸東京博物館研究員
 高橋英久:けんちく体操マン1号,東京都江戸東京博物館学芸員
 田中元子:けんちく体操ウーマン1号,ライター/mosaki
 大西正紀:けんちく体操マン2号,編集者/mosaki
 以上の4名。


 上の写真は,イベント会場で売っていたDVDの表紙です。「けんちく体操」なるものがどういうものなのかが,一目でわかると思います。そうなんです。自分のからだで建築の形態を模写するという,ただそれだけのものです。複雑な建築は何人もの人が集まって,それらしき形態を人間のからだで模写します。とても簡単なものです。しかし,実際にやってみると,人に見られているということと,一定時間静止してそのポーズを保たなければなりません。すると,意外にからだには大きな負担となって跳ね返ってきます。場合によっては,ふだんすることのないポーズをとらなくてはならないこともあります。場合によっては,翌日には筋肉痛が起きたりします。

 トーク・イベントはまずまず楽しく展開。ただ,体操の本来の目的からすれば,やや逸脱しているが,結果的にからだの発育・発達に役立つという点では体操の範疇に入れてもいいのではないか,と思います,と発言したときは「どん引き」されてしまいましたので,あわてて「しかし,体操というこれまでの概念に風穴を開けるという意味では画期的な試みであり,21世紀の新しい体操の道を開いていく可能性を秘めているように思います」ととなりして,なんとかその場をとりつくろいました。が,わたしの認識が甘く,博物館にやってくる小中学生相手のアトラクションのようなものとしてこれが行われていると思っていたら,当事者たちは「これを学校現場でやってもらえるように,すでに,巡業に歩いていて,どこに行っても好評です」と仰る。ああ,そうなんだ,と再認識したことを記憶しています。

 

 その「けんちく体操」が,8月30日の東京新聞夕刊の一面トップの記事になっているのを見て,びっくり仰天。えーっ?!そうか,海外で人気を集めているんだ・・・・と。日本国内では,一時,話題になったことはありますが,その後,とんと耳にしませんでしたので,どうなってしまったのかな,とは思っていました。それが,突然,こういう見出しで復活です。


 驚いて記事を読んでみますと,なるほど外国では受けるんだ,とこれまた納得。しかし,たぶん,「けんちく体操」としてではなく,その場の余興やものまねや一発芸の類として受け入れられたのではないか,とこれはわたしの類推。いずれにしても,わかりやすく面白いことは間違いありません。加えて,けんちくウーマン1号の田中元子さんの英語能力の高さも大きく貢献しているのだろうなぁ,とこれもわたしの推測。田中さんのあのはきはきとした性格と,相手を引きつける力は尋常ではありません。きっと,行くさきざきで人気者になっていたのではないか,と思います。

 さて,世界に飛び立った「けんちく体操」の行方やいかに・・・・といったところ。意外にも海外で大きな人気を博し,ふたたび日本に逆輸入なんてことが起きるかもしれないなぁ,と思ったりしています。いずれにしても,とてもメデタイことです。

 こんごを楽しみにしたいと思います。

『食べない健康法』(石原結實著,東洋経済新報社,2008年刊)を読む。説得力に拍手。

 2007,8年ころに,この石原結實さんの本が立て続けに出て,本屋さんに平積みされていたことを覚えています。そのころは70歳になるかならないかの頃で,からだの調子は絶好調でした。ですから,本屋さんで手にとってペラペラとめくってみる程度で,こんな本が売れる時代なんだなぁ,とまるで他人事でした。つまり,住んでいる世界が違うという感じでした。

 しかし,胃癌を患って,胃の三分の二を切除し,転移予防のための抗ガン剤治療に入ったいまは,これまたまるで別世界を生きているように思います。からだに対する意識がまるで違います。つまり,抗ガン剤治療とどのように折り合いをつけながら,これからの生活を考えていけばいいのか,ということが終始頭のなかにちらついているのです。それほど副作用はきついということでもあります。

 そんなとき,末期ガンで医者から見放された患者さんが,友人の紹介でこの石原結實さんの食事療法を受けることになり,完治したという情報がFacebookをとおして入ってきました。それはまるでファンタジーの世界を彷彿とさせるような美しい絵とともに,石原式食事療法の要点が,きわめて簡単明瞭に書かれていました。しかも,そこには抗ガン剤治療(化学療法)と並行して食事療法をする方法も書かれていました。

 これだ!という直感がはたらき,すぐに石原結實さんの本を調べてみました。すると,驚くほどの多くの本がでているではありませんか。これはたいへんだと思いながら,いまのわたしにとって役立ちそうな本をピックアップして,まとめ買いをしてみました。それが,以下の本たちです。

 なかでも,その総集編といっていいと著者の石原結實さんがみずから書いている本が『食べない健康法』(東洋経済新報社,2008年刊)です。


 この本には難しい医学的な話はほとんどなく,きわめて簡潔に医学的根拠を提示して,その考え方にもとづく方法論を展開した,とてもわかりやすい本です。いまのわたしには切実な課題でしたので,一気に読んでしまいました。その骨子を以下のようです。

 著者の石原結實さんは白血球の研究に専念したことのある血液の専門家です。そして,その研究をとおして,ある結論に到達します。それは,白血球は血液の中の栄養がたっぷりあるとそれらを食べて,外から侵入してきた病原菌や体内を流れている癌細胞には手を出さなくなる,というものです。したがって,血液の中の栄養がやや足りない状態の方が,白血球が活発にはたらき,病原菌や癌細胞をやっつける力が増大する,というわけです。すなわち,免疫力が高くなる,と。だから,食べ過ぎは健康の「敵」,飽食を捨てて,可能なかぎり「食べない」小食を薦めます。

 なぜか,わたしの頭脳は,この石原結實さんの理屈にコロリとまいってしまいました。というか,まことにすんなりと納得してしまいました。

 そして,自己観察・自己管理の三つの要件を提示してくれます。
 1.排便・排尿が順調か。
 2.からだが温かいか。
 3.気分がすっきりしているか。
 たったこれだけです。これはわかりやすいし,横着者のわたしでも,この三つだけならなんとかやれそうだ,と直感しました。

 さらに,抗ガン剤治療と同時進行でお薦めの食事の方法も,きわめてシンプルなものでした。
 朝食:にんじん+リンゴのジュース(コップに2杯)。
 昼食:そば。適量で。
 夕食:自分の好きなものを食べてよい。お酒も適量なら可(からだを温めるから)。
 これがまたわたしの気に入りました。なぜなら,ジュースも大好き,そばも大好き,お酒も大好き,なにも文句はありません。こんなんでいいの?と逆にいぶかってしまったほどです。これは,まるで,わたしのために準備されたメニューではありませんか。

 よしっ!これならできるっ!と確信しました。
 で,早速,この第四クールの開始と同時にはじめました。
 いまのところ,うまくいきそうな予感がしています。


 これも偶然なのですが,にんじんはわたしの好物のひとつ。子どものころから大好きでした。みんなが嫌いだというので,ますます好きになってしまいました。親にも褒められ,先生にも褒められ,得意満面でした。ですから,なんの抵抗もありません。それどころか「待ってました」とばかり飛びついてしまいました。これは難なくつづけられる,と。

 これもまた偶然なのですが,しょうが紅茶は,つい最近になって飲み始めていたものです。わたしの場合には別にダイエットというわけではなくて,胃癌を患ってからはからだが冷え気味でしたので,これでからだが暖まると思ってはじめました。それもたまたまお店で,コーヒーの代わりに生姜紅茶を飲んでみたら,ことのほか美味しいということに気づき,そのお店の特製のものを手に入れて飲んでいました。

 この本では,自分で生姜をすりおろして紅茶の中にいれる方法が書いてあります。いまのところは,まだお店で買ったしょうが紅茶が残っていますので,それがなくなったら,本に書いてある方法でチャレンジしてみようと思っています。こんなことをぼんやり考えていたら,これまた偶然,デパ地下で紅茶の試飲・販売のお姉さんにつかまってしまいました。飲んでみたら,これまた美味しいので,ついつい買ってしまいました。これで準備OKです。

 まずは,これだけ偶然が重なれば,きっといいことがあるに違いない,とこれまた確信,いやいや妄信です。これでしばらくは楽しもう・・・・と。

 最後の一冊はまだペラペラめくっている程度です。が,どんな食べ物が,いまのわたしにはいいのか,というひとつの目安にはなるなぁ,と思っています。それが,これです。


 まずは,慌てず,騒がず,のんびりと楽しみながら,自分に合った方法をみつけてみたいと思っています。そのためには,なかなか楽しめる本になりそうです。
 

 以上,近況のご報告まで。

2014年9月4日木曜日

延長戦50回の「死闘」を経て得たもの,それは人間的成長,リスペクト,思いやりの心,そして生涯の宝物。

 延長戦50回を戦い抜いた崇徳高校と中京高校の選手たち,およびその選手たちを支えた関係者各位にこころからの敬意を表したいと思います。安易なポピュリストたちが,レベルの低い同情論を楯にしてなにかと難癖をつけていますが,かれらには延長戦50回の「死闘」を耐え抜くことの本質がなにもわかっていないだけのこと。

 今日(9月4日)の東京新聞朝刊一面に囲みの記事が載っていて,そうなんだよな,と独り言をいいながら涙しました。その記事は下のとおりです。


 中京高校に惜しくも負けてしまった崇徳高校のチームが,決勝戦には中京高校の応援に駆けつけ,「優勝だ」「頑張れ」と声援を送ってくれた,その光景が忘れられないと中京高校のキャプテン後藤敦也君。優勝が決まったあと,「かれらや広島のためになにができるか」と考え,募金を思いついたとのこと。そして,兵庫からの帰りのバスの中でチーム・メイトに提案をした,といいます。そして「みんな,同じことを考えていたと思う」,と。

 ここでもう,ぐっときてしまって,涙。監督が「人間としての成長を感じます」との談話で,また,涙。集めた義援金は崇徳高校をとおして被災地に送られる。後藤主将は「ライバルを超えた仲間」宛に手紙を書いて送る,という。ここでまた,仕上げの涙。

 いいなぁ,と独り言。高校野球は一戦,一戦,チャンピオンシップを目指して闘うたびに選手たちは見違えるほど成長する,とよく聞きます。それが,記録に残る50回もの延長戦を闘ったあとでは,まるで別人になっているはずです。このことの意味をしっかりと噛みしめるべきだと思います。これぞ,なによりの「教育」。

 これが,仮に,9回を闘ってあっさり勝負がついていたら,負けたチームのために「なにかしてあげたい」という気持は起こらなかったでしょう。しかし,50回もの延長戦を闘うと,もはや,勝ち負けを超越したお互いの「リスペクト」の感情が色濃く浮かび上がってくるのだ,と思います。つまり,そこにはチームとしての優劣はつけられない世界,あとは神頼みのような世界に限りなく接近していくのだろう,とわたしは考えています。

 これが「死闘」を経たのちに到達する世界なのだろう,と。自分たちの能力の限界を超え出てしまうような体験だけが,人間を神に近い世界に誘導するのだろう,と。こういう体験が高校生の意識を大きく変化させていきます。その結果が,相手チームに寄せる「リスペクト」であり,思いやりの心であり,やがて「贈与」へと行動を起こすことになるのでしょう。この変化はたいへんなものだと思います。「人間的成長」などという単純な表現では済まされない,密度の濃い,衝撃的なインパクトをもって選手たち一人ひとりに迫ってくる,スーパー・パワーではないかと思います。

 そして,この延長戦「50回」を闘い抜いた体験は一生の宝物となるでしょう。それはなにものにも替えがたい大事な,大事な宝物になるでしょう。そして,両校の選手たちは,この体験を誇りに思って,堂々と社会の王道を生きていくに違いありません。それが「死闘」ののちに授けられる,神さまからの贈り物です。

 崇徳,中京の両校の選手たちに心からのエールを送りたいと思います。久しぶりの涙が,わたしのこころのわだかまりまで綺麗に洗い流してくれました。この贈与にも感謝。

「武術の技を意識して演ずること」・李自力老師語録・その50。

 今日の稽古はじつにきめ細かな指導が李老師からありました。それらを一つひとつことばで説明することはほとんど不可能なほどのレベルの内容でした。李老師は,いつもそうですが,まずはみずから率先垂範してから,その動作の説明をしてくださいます。ですから,その場ではなんとなくわかったように感じます。しかし,それを自分のことばで説明せよ,と言われたら困ってしまいます。ですから,今日の稽古の内容について説明することは至難の技というほかはありません。でも,思い切って,チャレンジしてみようと思います。

 たとえば,24式の冒頭に行われる腕の挙げ降ろしの動作。この動作がどういう武術の技であるかをしっかりと意識して行うこと,というご指導がありました。腕を挙げるときには両腕を捉えた相手を押し倒すイメージで行うこと,そして,挙げた腕を降ろすときには相手の手首をつかんで手前に引き倒すイメージで行うこと,と。ただ,腕を挙げ,降ろすだけなら,だれにでもできます。しかし,武術としての技が有効であるように演ずることは,ことほど左様に容易ではありません。

 李老師は,何回も何回もやって見せてくださいます。それを必死に真似てやってみるのですが,どこか基本的なところで違うことに気づきます。それを,どこが,どのように違うのかということをことばで説明することは,たぶん,不可能なのではないか,とわたしは思います。しかし,それでは意味をなしませんので,わたしの理解の範囲内でなんとかことばで説明してみたいと思います。

 李老師の示範をよくよく観察してみますと,わたしの眼にはつぎのように写ります。まず,両腕を挙げはじめる瞬間に股関節をほんのわずかに緩めているようにみえます。つまり,沈している,というわけです。沈した直後にゆっくりと両腕を挙げる動作に入ります。その瞬間に肩の力も抜け(両肩がわずかに下がるのがみてとれます),肘の力が抜け(脱力状態になる),手首へと力が伝動していくように見えます。すなわち,沈した股関節を両足でしっかりと支え,踏ん張るようにして足裏から両脚をとおして力を上に伝え,上半身から両腕に伝えるという動作をしている,というわけです。そうして,この手首まで力が伝わったときが技のクライマックスとなります。このとき,しっかりと相手を押し倒すというイメージを描くことが大事だ,と李老師は仰います。この流れるような力の伝動が,至難の技であるわけです。しかも,できるだけ力を抜きながら,なおかつ力強さを表現しなさい,と仰る。

 まるで禅問答のようです。しかし,それを実際にやってみせてくださいます。となると,納得せざるを得ません。あとは反復練習あるのみです。繰り返し,繰り返し練習をして,からだに叩き込む以外にありません。

 つづいて,両腕を降ろす動作に入ります。このときも,股関節と両肩の関節をほとんど同時に緩めているようにみえます。そうして,緩んだ両肩の力が両肘に伝えられ,両肘もまた脱力するようにして折れ曲がります。そのときに,手のひらをただ,下に抑えるのではなく,肘が折れ曲がると同時に相手の腕を手前に引き降ろす技のイメージを描くことが肝腎だと仰います。相手の両腕をつかんだ両手は,ちょうど円弧を描くようにして手前に引き降ろします。このことを意識して稽古しなさい,と李老師は仰います。それができるようになると,世界は一変します,と。まるで次元の違うからだの体験ができる世界です,とも。しかも,そのさきにはもっともっとからだの快感が突き抜けていく世界がある,とも。

 さあ,大変です。この,たった,両腕を挙げたり,降ろしたりするだけの動作なのに,その奥は無限に広がる世界が待っている,と李老師は仰るわけです。

 しかも,この両腕を挙げたり,降ろしたりする動作が太極拳の腕の動作の基本になる,と李老師は仰います。つまり,腕の動作の基本は円弧を描くようにすることだ,と。そして,太極拳の技に入るときには必ず股関節を緩めて(沈して),そこから力強さを引き出すことが肝要だ,と。

 以上は今日の稽古のほんの一端にすぎません。でも,このことがわかればあとはその応用のようなものです。太極拳のもともとの技の意味をしっかり理解して,それらをイメージしながら演ずることを,いろいろの技を例にとって稽古の指導をしてくださいました。それらは膨大な情報量で,文章にするとエンドレスになってしまうのではないか,と思うほどです。

 太極拳の技の意味をしっかりイメージして,動作の稽古を積み重ねていけば,そして,それらが理に叶ったやり方でできるようになれば,必ずそのさきにはからだの快感が待っている,と李老師は仰います。

 しかし,考えてみれば,ようやくこのようなレベルの指導を受けることができるようになった,ということでもあります。これはとてもありがたいことです。かくなる上は,こころを入れ換えて,これまでの意識からもうワンランク,アップさせて太極拳の稽古と向き合うようにしたいと思っています。でも,それは至難の技でもあるのですが・・・・。あとは,わたしの心構え一つということになるでしょう。いささかですが,意欲が湧いてきた今日の稽古でした。

 李老師に「謝謝」です。そして,これからもよろしくお願いいたします。というところで今日のところはここまで。

2014年9月3日水曜日

富士山登山客が5万人減(山梨側)。なにかが変わりつつある・・・・?

 富士山が世界遺産に登録され,ふたたび富士登山ブームが起きているとばかり思い込んでいました。現に,8月上旬にはイタリアから富士登山をしたいという友人二人がやってきて,なるほどなぁとわたしなりに納得していました。ところが数日前の新聞によると「富士登山客が5万人減(山梨側)」という。思わず「えっ?」と声をあげてしまいました。

 そういえば,富士山がちかぢか噴火する可能性がある,という報道もあります。こんなことがひょっとしたら富士山を忌避する理由にあるのかもしれません。でも,もし,その可能性が高くなってくれば,当然のことながら,富士登山を規制することになるでしょう。しかし,そこまではまだ行ってないようです。

 熟年者の間での,登山ブームは相変わらずのように見受けられます。土,日の早朝には,溝の口駅周辺で登山姿の熟年者の集団をよくみかけます。あるいは,電車の中でも登山を終えて帰ってきたと思われる熟年者に出会うことも珍しくありません。むしろ増えているのではないか,というのがわたしの感想です。

 なのに,富士登山客が減少(山梨側)している,という。
 だとしたら,その理由はなにか。

 他方,海水浴客も減少傾向にある,といいます。たとえば,逗子のことしの海水浴客は20万1300人ほどで,昨年の半分以下に落ち込んだ,といいます。その背景には,海水浴客のマナーが悪くなってきて目にあまるので,それをきびしく規制する措置をとったことが原因ではないか,と推測されています。たとえば,集団でやってきて大音量の音楽を流し,馬鹿騒ぎをする,あるいは飲酒して泥酔する海水浴客が増えている,そのために大音量禁止,飲酒場所を指定するなどの規制措置をとることにした,というのです。これはまあ一般客への「迷惑行為」として規制するのは当然といっていいでしょう。

 しかし,こんなことで海水浴客が減少するとは思えません。しかも,半分以下に。もっとほかに理由があるはずです。

 わたしの意識にあるのは,海水の汚染です。それもフクシマの汚染水の大量の垂れ流しがあります。わたしの知りうるかぎりでは,ネットなどでは,その汚染範囲が相当な海域にまで広がっている,といいます。しかも,それを図示した汚染マップまで掲載されています。その情報の出所もかなりしっかりした研究機関のものです。それをみた瞬間,わたしの脳裏に浮かんだことは「とうとう海水浴もままならない時代に入ったか」というものでした。

 ついでに触れておけば,冬のスキー客も激減していて,スキー場は閑古鳥が鳴いているとさえ言われています。スキーからスノーボードへとスキー場の風景が変わったと聞いたのは,もう,ずいぶん前のことになります。そして,そのスノーボードもブームが去り,静かなスキー場になってしまっていると聞いています。もう,リフトに乗るために長蛇の列,などというのはもはや遠いむかしの物語になってしまったようです。

 なぜ,若者たちがウィンター・スポーツに興味を示さなくなってしまったのか,この理由もまたわたしにはわかりません。遊びの多様化,などという論者がいますが,そんなのは理由にはならないとわたしは思うからです。もっと別のところに理由があるのでは・・・・?とわたしは考えています。それは若者たちだけではなく,この文明化した社会に生きている人間すべての無意識に,なにか大きな変化が起きている,という予感のようなものがわたしの中にはあります。

 しかし,それが何かは断定できないままでいます。あえて推定してみれば,自然離れ。リアル・リアリティからバーチャル・リアリティへの依存。厳しい大自然に向き合うよりは,文明の光に囲い込まれた安楽なバーチャルの世界の遊びの方が居心地がいいと感ずる人が増えてきた,といえばいいでしょうか。それでも,なお,わたしの中には疑念が残ります。もっともっと違う大きな理由があるはずだ,と。それが見えてきません。

 なぜなら,その一方で,市民マラソンのブームは相変わらずです。各地で開催される市民マラソンの大会には応募者が殺到しているといいます。たとえば,東京マラソン。募集人員(約8000人)の20倍を超える人たちが申し込みをしたといいます(8月31日申し込み締め切りの結果)。東京マラソン以外でも,毎年,応募者の数は増えつつけているといいます。

 これはいったいどういうことを意味しているのでしょうか。これはわたしの中の大きな謎の一つです。なにゆえに人びとはマラソンに向かうのか。人びとをマラソンに駆り立てる原動力はなにか。一度でもその魅力に触れてしまったら,もう,止められないとも聞いています。その麻薬のような内実・実態はいったいなんなのでしょうか。

 いってしまえば,一方では自然離れのような現象が起きているのに,他方ではマラソン・ブームがますます増大しつつある,というこの二つの関係がわたしにはいまひとつ納得できないままでいます。もう少し詰めて考える必要がありそうです。

 現代社会を生きるわたしたちの身心に,なにか大きな,根源的な変化が起きている,それも無意識のうちに。この謎解きは重大です。21世紀のスポーツ文化を考える上でのキー・ポイントと言っていいでしょう。このテーマはこれからますます重要な意味をもつことになると思いますので,これからも追ってみたいと思っています。

 というところで,今日のところはここまで。