スポーツ・遊び・からだ・人間
人間の「生」にとって「スポーツとはなにか」を問う。それは「儀礼」なのか,それとも「贈与」なのか。はたまた「宗教」なのか。この問いはどこまでも広く,かつ深い。
ラベル
人と思想
の投稿を表示しています。
すべての投稿を表示
ラベル
人と思想
の投稿を表示しています。
すべての投稿を表示
2013年9月1日日曜日
「子ども時代がとりわけ長いサルが突然変異で現れた」=<横滑り>(バタイユ)の内実?
›
(31日)の『東京新聞』の「筆洗」に面白い話が紹介されていました。『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』(福岡伸一著,日経BP社刊)という本のなかにつぎのような話がある,というのです。わたしは読んだ瞬間に,あっ,これはジョルジュ・バタイユが仮説として提示した<横滑り>の...
2012年11月19日月曜日
東慶寺の西田幾多郎,鈴木大拙,和辻哲郎,ほかのお墓詣でをしてきました。
›
11月18日(日)は,前日の雨があがって,快晴無風の素晴らしい青空がひろがりました。以前からお招きのあった北鎌倉に住む友人Oさん宅でのバーベキューの集まりには,申し分のない絶好の天気に恵まれました。小春日和を思わせるようなポカポカした温かい日差しを浴びてのバーベキューには最高...
2012年8月14日火曜日
「バタイユ没後50年」『週刊読書人』が特集。
›
『週刊読書人』(8月10日刊・第2951号)が「バタイユ没後50年」を特集している。精確にいえば,ことしの6月3日に日本フランス語フランス文学会春季大会(東京大学本郷キャンパス)が開催され,そのときのワークショップ「バタイユ没後50年:これまでとこれからを考える」に参加した5...
2012年2月23日木曜日
「哲学のはじまり」について。ソクラテスの毒杯と西田幾多郎の『善の研究』。
›
太極拳の稽古場が大岡山から溝の口に移ってからは,稽古のあとのハヤシライスもまた変化して,こんどは稽古のあとのカキフライ・オムライスになりつつあります。メンバーも,そのときの都合で変化しますが,どうやらNさん,Kさんにわたしが加わって3人で定着しつつあります。 そんな情況...
2010年12月3日金曜日
目取真俊の小説に注目したい。
›
目取真俊の小説は,わたしの虚をついてくる。つまり,沖縄ということを考え,人間ということを考えるときの,わたしの中にある盲点といえばいいだろう,その虚である。もう少しだけ踏み込んでおけば,わたしがこれまで沖縄問題に関して,無関心を装ってきた虚,すなわち,知らぬ勘兵衛を決め込んで平...
2010年11月23日火曜日
藤永茂の『トーマス・クーン解体新書』について
›
『アメリカ・インディアン悲史』という,おそらく藤永茂さんの最初の著作であろうとおもわれる名著に接して,わたしのアメリカという国家をみる眼が変わったことを,つい昨日のように思い出す。その藤永さんのブログ(「わたしの闇の奥」)は注目に値する,と教えてくれたのは西谷さんであった。以後...
2010年11月20日土曜日
三井悦子さんの書評『レッスンする人』が素晴らしい。
›
書評するということは,じつは,とても恐ろしいことなのだ。なぜなら,書評をするこちら側がいやおうなく丸裸にされてしまう営みだから。そこに果敢に挑んだ三井さんに拍手を送りたい。 毎週金曜日に発行される「週刊読書人」の最新号(11月19日号)に,三井悦子さんの書評『レッスンする人...
2010年11月7日日曜日
荒川修作は「天才」なのか。それとも単なる「キチガイ」なのか。
›
昨日は一日,荒川修作の本を積み上げて,その一つひとつとにらめっこしながら過ごした。にらめっこをした,というのは読んで理解することを放棄したということだ。 もう少し精確にいえば,読んでもほとんど理解不能だ,ということ。つまり,読むという行為は,少なくとも,近代的理性によりかか...
1 件のコメント:
2010年11月4日木曜日
innewerden ということについて。その4.ヴィジョナリー・スポーツの根拠の一つとして。
›
innewerden ということについて,3回ほどこのブログで書いた。しかし,その反応が芳しくない。なぜだろうか,とずーっと考えつづけている。が,わからない。 マルチン・ブーバーは「対話」のもっとも根源的なところで起きている現象として,ことばを発することなくお互いのこころの...
2010年11月3日水曜日
色川大吉さんの考える「自分史」はインスクリプション。
›
昨日の朝日の夕刊に,色川大吉さんの「自分史」が取り上げられている。そして,「自分史」とはなにか,ということについて色川さんがみごとな見解を提示している。それは,まさに,インスクリプションそのものだ。 『昭和へのレクイエム──自分史最終篇』(岩波書店)が完成し,「自分史」を提...
2010年10月28日木曜日
innewerden ということについて。その3.サッカーのピッチに神の降臨をみる。
›
ちょっとしつこいと言われるかもしれないが,innewerden ということについて,少し違ったアングルからのわたしの考えを述べておきたい。 これは,わたし自身の反省点でもあるのだが,innewerden について書いたブログに対して,「おもしろい」にクリックしてくれた読者が...
2010年10月26日火曜日
innewerden ということについて。その2.「純粋経験」「遊戯三昧」の世界
›
マルチン・ブーバーのいう innewerden の概念について,わたしなりの解釈と訳語について考えてみたいと思う。昨日のブログで引いたマルチン・ブーバーのテクストからの長い引用文を手がかりにして。 まず,最初に結論というべきか,わたしなりの「訳語」を提示しておくことにしよう...
2010年10月25日月曜日
innewerden ということについて。その1.無言の対話・こころが通い合う。
›
マルチン・ブーバーのいう,innewerden ということについて考えてみたい。植田重雄訳の岩波文庫『我と汝・対話』の中では「会得」という訳語が与えられている。 翻訳の問題はとてもやっかいである。どこまで問い詰めていっても完全に一致する訳語というものはありえないからだ。し...
2010年10月22日金曜日
「観察」と「観照」の違いについて(マルチン・ブーバー)。
›
マルチン・ブーバーの『我と汝・対話』のなかに,「観察,観照,会得」という見出しの短文が登場する(P.184)。このなかにはっとさせられる指摘が少なからずある。 まずは,ブーバーのいうところを引いてみよう。 「観察者は,観察すべき人間をよく記憶し,記述するために緊張してい...
2010年10月20日水曜日
竹内敏晴さんとマルチン・ブーバーの『我と汝』について。
›
23日(土)の「ISC・21」10月名古屋例会が近づいてきたので,そろそろ準備にとりかからなければと気持ちだけが焦っている。しかし,ほとんどなにも準備ができていない。 それでも,なんとかマルチン・ブーバーの『我と汝・対話』(岩波文庫)だけは読んでおこうと思い,あちこち拾い読...
2010年10月18日月曜日
宇沢弘文さんは竹内敏晴さんの3年後輩(一高時代)
›
宇沢さんは1945年4月に一高理科乙類に入学。竹内さんは1942年4月に一高理科甲類に入学。したがって,竹内さんが4年生で宇沢さんは1年生,ということになる。 しかし,竹内さんの自伝(『レッスンする人』語り下ろし自伝,藤原書店)によれば,弓術に打ち込むあまり「落第につぐ落第...
2010年10月17日日曜日
人間・宇沢弘文と「Bitte!」
›
「制度は人間のためにあるものであって,人間が制度の犠牲になってはいけない」,と宇沢さんはおっしゃる。そして,「Bitte !」というとてもいい制度が一高にはあった,と目を細めながら楽しそうに回想される。 宇沢弘文さんは,一高・東大とラグビーの選手として活躍された。しかも,自...
2010年10月16日土曜日
「宇沢弘文と語る」を聴講して
›
西谷修さんが仕掛けた「宇沢弘文と語る」経済学から地球環境,日米安保・沖縄まで,というこれは対談なのか,独演会なのか,よくわからない不思議な,でも,じつに刺激的な会を聴講してきた。なぜか,とても満ち足りた時間をすごすことができて,大満足。 「嘘をつきなさい。人びとを幸せにする...
›
ホーム
ウェブ バージョンを表示