スポーツ・遊び・からだ・人間
人間の「生」にとって「スポーツとはなにか」を問う。それは「儀礼」なのか,それとも「贈与」なのか。はたまた「宗教」なのか。この問いはどこまでも広く,かつ深い。
2010年7月31日土曜日
「身体の叛乱」ということについてのメモ・その2.
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昨日のブログは途中で腰砕けになってしまい,失礼しました。やはり,この猛暑で相当にからだは疲れているようです。こういうときは無理は禁物。眠るにかぎる,ですね。 今朝の新聞によれば,熱中症で200人以上の死者がでている,という。ちょっと,びっくりニュースである。梅雨明け以後のこ...
2010年7月30日金曜日
「身体の叛乱」ということについてのメモ・その1.
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ここ数日来,ある必要があって「身体の叛乱」ということについて考えている。いろいろの様態があって,概念として整理する上で手を焼いている。 とりわけ,薬物使用による「身体の叛乱」をどのように考えればよいのか,いまも決断がつかない。そう,スポーツでいえば「ドーピング」の問題である...
2010年7月29日木曜日
「静坐する身体」と格闘するわたし・その2.
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つづきを書くと予告しておいて,さぼってしまった。というか,やんごとなき理由はあるのだが・・・。さて,今日は早速,具体的な話から入ることにしよう。 わたしのいう静坐の方法は少し変わっている。もちろん,我流だから,どんな方法でもかまわないのだが・・・。まず,両膝を肩幅ほどに開い...
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2010年7月27日火曜日
「静坐する身体」と格闘するわたし。
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「静坐」ということに,しばらく前から取り組んでいる。世間では「正座」というらしいが,「正」と「座」という文字がどうも気になって,わたしとしては「静坐」の方がしっくりくる。 いきなり,いささか余談めいた話になるが,最近,気になっていることに「正しい姿勢」「正しい歩き方」「正し...
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2010年7月26日月曜日
横綱白鵬の「涙」。
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優勝インタビューで,横綱白鵬が「涙」を流した。不思議な感動を覚えた。この「涙」は,いまの日本人がどこかに置き忘れてきてしまった,日本人の「古層」に触れるものだったようにおもう。 今日の午後,たまたまテレビをみていたら,大相撲名古屋場所を総括する番組をやっていた。何人かのコメ...
2010年7月25日日曜日
『物質的恍惚』を読みはじめる。
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ル・クレジオが27歳のときに書いたといわれる『物質的恍惚』(豊崎光一訳,岩波文庫)を読みはじめる。なんともはや,驚きの連続である。 まずは巻末に収められている今福さんの解説「ル・クレジオの王国を統べるもの」が抜群で,ちょっとものが申せない,という状態である。この部分だけで立...
2010年7月24日土曜日
「1日1万5000歩」子どもは歩こう・・・・だって?!
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昨日の朝日の夕刊に,こんな見出しの記事が載っていた。そして,「体力低下に危機感」都教委,歩数計配る,という小見出しがつづく。 記事を読んで,唖然としてしまった。子どもたちに歩数計を持たせれば,歩数が増えるだろう,その結果,体力低下を防止できるだろう,という考えのなんというい...
2010年7月22日木曜日
マルチン・ブーバーの「対話」について
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これまで何回もとりあげてきたテクスト『我と汝・対話』(植田重雄訳,岩波文庫)の後半部分に収められている「対話」について,少しだけ触れておきたい。 有名な「夢」の話からはじまる。ブーバーはみずからの体験として,自分のみる夢,それもくりかえしみるおなじみの夢のなかで,なにか遠い...
2010年7月21日水曜日
『アマゾン』民族・征服・環境の歴史,の紹介。
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ジョン・ヘミング著,国本伊代+国本和孝訳『アマゾン』民族・征服・環境の歴史,東洋書林,2010年5月刊。 新聞広告をみた瞬間から食指が動いた。でも,いま,この本に手を出すわけにはいかない。それまでに片づけなくてはならない仕事が山ほどある。それらの仕事に一区切りついたら,この...
2010年7月20日火曜日
虚実皮膜の間(あわい)に漂うもの
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近松門左衛門は,芸は「虚実皮膜の間」にある,と言ったそうだ。皮膜とは「ヒニク」とも読むそうなので,「皮肉」,つまり皮と肉の「間」にある,ということでもある。 それがやがて敷衍して,「事実と虚構との中間に芸術の真実がある」とする論になっていったという。事実と虚構との中間,とい...
2010年7月19日月曜日
日本の教育現場は「我とそれ」(ICH UND ES)に占拠されてしまったのだろうか。
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今朝の朝日新聞に「いま,先生は」という特集記事の第一回目「孤立,命絶った教師」が掲載されている。読んでいて情けなくなってしまった。涙が止まらない。 2004年9月,静岡県磐田市の市立小学校に採用されて半年後,24歳の女性教師は絶望の果てにみずからの命を絶った,という。わずか...
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2010年7月18日日曜日
「ISC・21」7月東京例会「竹内敏晴さんとわたし」,無事に終了。
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昨日の土曜日,「ISC・21」7月東京例会が無事に終わり,ほっと一息。北は札幌から西は神戸からと,遠くから13名の仲間が集まって「竹内敏晴さんとわたし」というテーマで語り合った。 会場は青山学院大学総研ビル3階第11会議室。プレゼンテーターは,河本洋子(青山学院大学):呼び...
2010年7月16日金曜日
竹内敏晴さんとマルチン・ブーバーと禅の思想の関係について(その3.)
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昨日のつづきから。「ICH UND DU」と「ICH UND ES」の「DU」と「ES」にこだわる理由から入ることにしよう。 上田閑照は『十牛図』のなかでは「我」と「汝」と「それ」という訳語を当てて説明をしている。一方,マルチン・ブーバーの『我と汝・対話』(岩波文庫)の訳者...
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2010年7月15日木曜日
竹内敏晴さんとマルチン・ブーバーと禅の思想の関係について(つづき)
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いよいよ上田閑照のテクストに導かれながら,マルチン・ブーバーの『我と汝』の世界に入っていくことにしよう。しかも,それが「十牛図」との対比が目的なので,これ以上のテクストはない。 まず,上田閑照はつぎのように切り出す。 「・・・・ブーバーの『我と汝』と十牛図第十の人『間』...
2010年7月14日水曜日
竹内敏晴さんとマルチン・ブーバーと禅の思想の関係について
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上田閑照の『十牛図』の読解のなかで,マルチン・ブーバーが登場するとは夢にもおもっていなかった。だから,正直言って,驚いた。しかし,わたしにとっては「恩寵」そのものであった。 時間が経過するのは早いもので,竹内さんをお見送りしてもう一年が経過する。あんなにお元気だった竹内さん...
2010年7月13日火曜日
うどん供えて,母よ,私もいただきまする(山頭火)
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標題にかかげた俳句は,「自己ならざる自己」になりきった種田山頭火の境涯を示す傑作だといわれている。 山頭火は,生涯の後半を放浪の旅ですごしていた人なので,まさか母上のお位牌を持ち歩いていたとは考えにくい。だとすれば,「うどん供えて」は,どこに向けて供えたのだろうか,とわたし...
2010年7月12日月曜日
「自己ならざる自己」が立ち現れる「絶対無」という「場所」
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さきを急がないと,マルチン・ブーバーを語ることなく,17日の研究会がきてしまう。それまでに,できるだけのことはしておこう,という次第で,今日2つ目のブログに挑戦。 「自己」でもなく,「真の自己」でもなく,「自己ならざる自己」とはどういうことなのか。そして,それが立ち現れる「...
「悟など云う無調法いたしたる覚え之れ無く候」(一休)
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「十牛図」の第八図空円相(「人牛倶忘」)については,以前,このブログでも書いたことがあるので,そこと重複しない話題を取り上げてみたい。 第七図「忘牛存人」が,いわゆる「悟り」の境地を描いたものだと一般的には理解されているのだが,では,この第八図の空円相(たんなる〇が描いてあ...
2010年7月11日日曜日
第27回全日本武術太極拳選手権大会・2010をみる。
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午前中に参議院議員選挙を済ませて,午後から表記の「第27回全日本武術太極拳選手権大会・2010」を見物する。 会場は例年どおり東京体育館。全部で三日間開催され,今日が最終日。つまり,決勝が多く組まれていて,もっとも盛り上がる日。今回は「第16回アジア競技大会日本代表選手選考...
2010年7月10日土曜日
「第六騎牛帰家」と「第七忘牛存人」をどのように読み取るか。
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昨日のブログの「見牛」(第三),「得牛」(第四),「牧牛」(第五)につづく図が,今日これから考えてみようとしている「騎牛帰家」(第六)と「忘牛存人」(第七)である。 「騎牛帰家」(きぎゅうきか)は,「十牛図」のなかではもっとものどかな雰囲気があって,わたしの大好きな図柄であ...
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