スポーツ・遊び・からだ・人間
人間の「生」にとって「スポーツとはなにか」を問う。それは「儀礼」なのか,それとも「贈与」なのか。はたまた「宗教」なのか。この問いはどこまでも広く,かつ深い。
2010年8月31日火曜日
『IPHIGENEIA』の原稿の締め切りについて。
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わたしが主宰している「21世紀スポーツ文化研究所」(「ISC・21」)の研究紀要『IPHIGENEIA』(通号第10号)の原稿の投稿締め切り日が,8月31日,つまり,今日でした。 いろいろの事情で,どうしても原稿が間に合わないという方が複数,いらっしゃいますので,少しだけ締...
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2010年8月30日月曜日
「贈与」は「気前よさ」の表出なのであろうか。
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『贈与論』を読んでいて,いつも気になっていることを,問題提起としてここに提示してみたいとおもう。それは「気前よさ」という表現で「贈与」が説明されることである。 たとえば,以下のような文章である(P.40)。 「シベリア北東部のすべての社会,アラスカ西部のエスキモー,ベー...
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2010年8月29日日曜日
「供犠」は死者の霊と神々への「贈与」なのか。
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マルセル・モースの『贈与論』をスポーツ文化論の視座から読み解くという作業をつづけているわけであるが,そろそろ,このあたりで,わたしの立ち位置について,とくに,マルセル・モースとの違いについて触れておく必要があろう。 テクストの『贈与論』が書かれたのは1925年。そして,この...
2010年8月28日土曜日
「贈与」された物には霊があるという・・・マオリ族の場合。
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「幽霊」は存在するかしないか,夏になればかならず一度ならず話題にのぼる。そして,最後の落ちは「みえる人にはみえる」「みえない人にはみえない」そういうものだ,となる。 科学万能の時代にあっても,幽霊の話題はつきない。いな,科学万能の時代だからこそ,幽霊なる不可解なものの存在は...
2010年8月27日金曜日
ポリネシアの「ポトラッチ」──サモアの場合。
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いよいよ,第一章 交換される贈与と返礼の義務(ポリネシア)に入っていくことにしよう。ここでは,サモアの例が取り上げられている。 サモアでのポトラッチの特徴を,モースはつぎのように整理している。 「第一に,サモア島における契約的贈与体系は婚姻の時以外にも広がっている。それ...
2010年8月26日木曜日
「贈与」とピンダロスの「オリュンピア第七歌」の関係について。
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一昨日(24日)のブログに書いた引用文のなかに,もう一つ重要な注・10が付されていて,これを取り上げることを忘れていたので,追加しておきたい。 テクストのP.17のなかほどのところに,つぎのような本文がある。 「・・・交換し契約を交わす義務を相互に負うのは,個人ではなく...
2010年8月25日水曜日
マルセル・モースのいう「ボトラッチ」について。
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マルセル・モースが『贈与論』の冒頭で,「ポトラッチ」という用語について,かなり厳密に定義をしている。このなかに,スポーツ文化論的読解のてがかりをさぐること,これが今日のブログの目的である。 テクストの18ページの後半部分から19ページにかけて,「ポトラッチ」について縷々説明...
2010年8月24日火曜日
「贈与」の対象にはどのようなものがあったのか。
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マルセル・モースの『贈与論』のなかで取り扱われている「贈与」の対象にはどのようなものがあったのか。スポーツは「贈与」の対象となりえたのか。 この問いに,まずは,答えておかなくてはならない。「スポーツ文化論演習」のテクストとして『贈与論』を取り上げる以上は。 テクストの1...
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2010年8月23日月曜日
沖縄・興南高校,甲子園春夏連覇,おめでとう!
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第92回全国高校野球選手権大会で沖縄の興南高校が,決勝で東海大相模を圧勝して,真紅の優勝旗を沖縄に持ち帰った。沖縄の人びとがどれほど喜んだことか,と涙がにじむ。 思い起こせば,1958年に首里高校が特別枠で初めて甲子園に出場。それから52年にして,ようやく夏の選手権大会で初...
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2010年8月22日日曜日
ル・クレジオの『物質的恍惚』を読み終える。
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このブログの記録によると,『物質的恍惚』を読みはじめる,という投稿が7月25日にある。ほぼ,一カ月かかってこの本を読んだことになる。 なんとまあ,のんびりと読んだことか,と思われるかもしれない。それでは間延びしてしまって,読んだことにはならないのではないか,と思われるかもし...
2010年8月21日土曜日
贈り物には毒がある=スポーツには毒がある。
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贈り物(Gift)には毒(Gift)がある。同語反復である。つまり,トートロジー。「贈り物にはお返しをする義務がある」ということには,じつは深い意味がある。『贈与論』はそのことをみごとに明らかにしてくれる。 『贈与論』の冒頭「序論)は,スカンディナヴィアの古代神話伝説詩『エ...
2010年8月20日金曜日
『贈与論』をスポーツ文化論のテクストとして読む根拠
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『贈与論』をテクストにしてスポーツ文化論を語ろうとするわたしのスタンスはなにか。これをまずは明らかにしておこう。 わたしたちは物々交換が人類の経済活動のはじまりであった,といつのまにか思い込んでいる。しかし,マルセル・モースに言わせるとそうではない,という。まずは,無償の「...
2010年8月19日木曜日
マルセル・モースの『贈与論』と格闘。
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9月13日(月)から三日間,集中講義をすることになっている神戸市外国語大学の学務課の担当者から,連絡・確認のメールがとどいた。 すっかり頭の中から消えていた集中講義のことが気になってきて,今日は一日,テクストとして用いることになっているマルセル・モースの『贈与論』を読んでい...
2010年8月17日火曜日
美ら島沖縄総体2010開催(7月28日~8月20日)。
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連日の猛暑のなか,沖縄では高校総体が開催されている。この大会をもって,高校総体は全国都道府県を一巡することになる。つまり,一巡の最後の大会というわけである。 いま,隔月に連載している「絵画にみるスポーツ施設の原風景」の掲載誌『SF』(旧・月刊体育施設)が,7月号で沖縄の高校...
2010年8月16日月曜日
沖縄の「イクサ」はまだ終わってはいない。
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1945年8月15日,第二次世界大戦の敗戦の日,わたしは7歳だった。思い出したくない記憶はどんどん風化していく。それでも消すことのできない記憶は残る。 昨日は,全国各地で敗戦記念日にまつわるさまざまな行事が行われた。このブログでも書いたように,昨日は沖縄の佐喜真美術館で「骨...
2010年8月15日日曜日
芥川賞の選評を読んでびっくり。
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昨日のブログを書いたあと,すぐに,選考委員一人ひとりの選評を読んでびっくり。わたしのような素人が「オヤッ?」とおもったことが,そのまま大議論になった,とある。 つまり,アンネ・フランクが悩んだ「ユダヤ人として生きるべきか,それともオランダ人としてか」という問題を,大学キャン...
2010年8月14日土曜日
第143回芥川賞受賞作『乙女の密告』を読む。
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赤染晶子の芥川賞受賞作『乙女の密告』を読む。『アンネの日記』を下敷きに,外国語大学ドイツ語学科の学生さんたちの虚実をテーマにした作品。 真実と嘘の噂のはざまで揺れ動く「乙女」ごころの,あるいは,「乙女」として生きることの,微妙な世界を分け入っていく不思議な作品という印象が残...
2010年8月13日金曜日
比嘉豊光さんの「骨の戦世(いくさゆ)」65年目の沖縄戦,に衝撃が走る。
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『世界』9月号の巻頭を飾るグラビア・ぺージに,比嘉豊光さんの「骨の戦世(いくさゆ)」65年目の沖縄戦,が掲載されている。しかも,招待作品として。 65年ぶりに元日本兵の遺骨が土の中からでてきた。新都心「おもろまち」の開発の延長線上にあるシュガーローフと呼ばれる,かつての激戦...
2010年8月12日木曜日
これからの大きな予定について。
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週に一回,顔を合わせている近しい友人たちが,相次いでこんごの予定をブログで公表している。それをみて,自分自身の予定がどうなっていたのか気になりはじめ,チェックしてみた。 つられる,ということはあるもので,「つれ〇〇〇」ともいう。子どものころ屋外で遊んでいて,だれかがおしっこ...
2010年8月11日水曜日
大相撲を批評することは世界を批評することである。
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昨夜(8月9日),大相撲のことについて話を聞きたいという人が現れて,ついついふだん考えたこともないようなことまでしゃべる,という事件があった。 そう,事件である。いつもは,ひとりで大相撲のことを考える。困った問題だなぁ,むつかしい問題だなぁ,でも,こんな風に考えた人はまだだ...
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