2011年12月6日火曜日

岡本太郎の父親はだれ?瀬戸内寂聴が推理。

『かの子繚乱』で作家としての地位を築いた瀬戸内寂聴さんが,いま,『東京新聞』で「この道」という自伝風の連載を書いている。「青踏社」の話からはじまって,なかなかスリル満点の秘話がつぎつぎに登場する。もはや,怖いもの無しの境地にある寂聴さんは,自由闊達に過去の記憶を書き記す。こんなことまで書いてしまっていいのだろうか,と思われるものまで・・・。

昨日の夕刊(12月5日)では,「太郎さん2」で,岡本太郎の出生にかかわる秘話を披瀝している。ほんまかいな,と訝りながらも,でも,ひょっとしたら,と想像したりしている。

岡本太郎の両親は,よく知られているように父は岡本一平,母は岡本かの子。二人とも,当時にあっては超売れっ子の漫画家と作家である。岡本太郎はこのお二人の間に生まれた一人っ子。子どものころからあふれんばかりの才能に恵まれ,その情熱の捌け口がときにはとんでもない方向に向かうことも多々あったようである。そのため,小学校だけでも,何回も転校している。

その岡本太郎の父親は,岡本一平ではなくて,伏屋某という男だったかもしれない,という話を寂聴さんは書いている。その話がまたまた凄まじい。ある日,突然,岡本太郎から直接,寂聴さんのところに電話が入ってきて,すぐに来い,という。寂聴さんが大急ぎででかけてみたら,どこかの週刊誌の記者が3人,太郎さんの前にすわっていた。聞くところによると,この週刊誌の記者たちは,伏屋某という人に頼まれてここにきたという。その伏屋某の依頼は「太郎はわたしとかの子の間にできた子だ。わたしは余命いくばくもない。生きている間に一度,会わせてほしい」というものだった。それを聞いた太郎さんは,ちょうどそのとき『かの子繚乱』を書いている最中の寂聴さんを呼びつけて,ことの次第の立会人になってもらおうとした,というのである。そして,太郎さんが,いまから言うことをよく聞いておいてくれ,と寂聴さんに念を押した上で,つぎのように啖呵を切った。

「伏屋何とかいう死にぞこないが,何を言っても自分とは関係ない。二子の大貫家で,かの子の腹から生まれるところは,何人も見た者が証明するから間違いない。母はかの子だ。物心ついた時から一平が父として二階に暮らしていた。育ててくれたのは一平だ。尊敬できる芸術家で,一平を父として今も誇りに思っている。伏屋に言ってくれ。逢う必要はないと」

こういう修羅場に寂聴さんを呼びつける太郎さんも太郎さんだが,それをまた,この自伝的連載に書きつける寂聴さんも寂聴さんである。まあ,二人の傑出したとてつもない感性ならではのこととはいえ,空恐ろしいような話である。

しかも,寂聴さんは,その後,伏屋某という人の写真を手に入れて,その顔が太郎さんにそっくりだった,とまで書いている。これまた,なんと大胆な,思い切った書きっぷりではないか。どう読んでみても,寂聴さんは,太郎さんの父親は伏屋某だろう,と推理していることが丸見えである。

しかし,寂聴さんは,かの子の実家である大貫家の人たち,つまり,かの子の兄弟たちの写真は確認しなかったのだろうか。大貫家は,二子新地の旧家で,代々,医者の家系だった。わたしがいま住んでいる溝の口から歩いても10分ほどのところに大貫家がある。わたしが溝の口に住みはじめたころには,まだ「大貫医院」は開業していた。つまり,かの子の甥(兄の息子)が医業を継いでいたが,高齢になって廃業し,いまは,その跡地に大きなマンションが建っている。田園都市線のすぐ近くなので,いつも,電車から眺めている。

この医業を廃業にして,マンションを建てるというときに,いろいろと近隣の住民との間に意見の違いがあって,新聞記事になったことがある。そのときに,かの子の甥である大貫某という人の顔写真が新聞に掲載された。わたしは,その写真をみた瞬間に,あっ「岡本太郎だ」と思った。瓜ふたつということばがそのまま当てはまるほどに,いやいや,同一人物そのものの顔なのだ。だから,わたしは岡本太郎の顔は大貫家の血筋を引き継いだものなのだ,と納得していた。

だから,寂聴さんのこの連載を読んで,えっ,ほんまかいな,と思った次第である。

しかし,それにしても,岡本太郎の啖呵はみごとなものである。いかにも太郎さんらしいというか,なにをたわけたことを言っているのか,と大向こうに向かっての大口上である。ひょっとしたら,自分自身に向けての大口上であったのかもしれない。しかも,この事実を『かの子繚乱』の作家に知らしめておこう,と。そして,それは,作家がこの事実をいかように創作の中に取り入れようと自由だよ,というアーティストとしてのサーヴィス精神の表出であったのかも・・・。

ちなみに,岡本太郎には子どもはいなかった。ただひとり,養女にした敏子さんという女性と生涯をともに暮らした。太郎さんの書いたものによると,執筆中の母の背中には鬼気せまるものがあって,子どものころは恐かった,という。その代わりに,父一平は太郎さんをやさしくつつむようにして可愛がってくれた,という。

岡本太郎という人のもうひとつの深淵を覗き見るような思いがした。寂聴さんもまた凄まじい人生を歩んだ人だ。だから,平然と太郎さんの秘密を語ることもできるのだろう。いやはや,驚くばかりである。

この連載,しばらくは楽しめそうだ。

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