このブログでも,すでに紹介しましたように(5月14日),このETV特集は必見です。そのETV特集が,今夜(20日深夜)に再放映されます。見逃された方はぜひご覧ください。
西谷修さんのナレーションが,沖縄問題の闇の部分を,抑制の効いた,落ち着いた声で解きほぐしながら,次第に明らかにしてくれます。ナビゲーターをつとめた知花くららさんとの呼吸もぴったり合っていて,重いテーマにもかかわらず,さらりと沖縄問題の深部に分け入っていきます。深夜の再放映ですが,ぜひ,ご覧ください。
「復帰40年」とはいえ,喜ばしきことはなにもなく,事態はますます悪い方向へ進展していることも明らかになってきました。そこに見切りをつけた若者たちの新しい感性のうちに,ウチナンチューとしての,新たなスタートにほのかな希望を見出すところで,この番組を終っています。
どういうことかと言いますと,あの忌まわしい沖縄戦で,多くの肉親や隣人・友人を死に追いやられたウチナンチューは,敗戦後も米軍の統治下におかれ,米軍基地に多くの土地を奪われ,厳しい生活強いられてきました。ですから,なんとかして米軍の統治下から抜け出し,平和憲法で守られた本土に「復帰」したい一心で,それを願い,それを達成しました。しかし,その期待の本土は,米軍に代わってウチナンチューに救いの手をさしのべるどころか,「日米」が一体となって,これまでと同じ統治を継続することになってしまいました。ですから,ウチナンチューにとっての「復帰40」年は,いよいよ,日本政府に見切りをつけて,まったく新たなスタートを切る,そういう決断の年にもなりそうだ,というわけです。
今日(20日)の東京新聞の「筆洗」につぎのような詩が掲載されていましたので,それ以外の新聞購読者のために紹介しておきます。
吹き渡る風の音に 耳を傾けよ
権力に抗し 復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 波濤の響きを聞け
戦争を拒み 平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ
祖国復帰は実現した
しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された
この詩文を刻んだ碑は,沖縄本島最北端の辺戸岬に立っているそうです。しかも,「復帰」から4年後に建てられたといいます。ウチナンチューの憧れた「平和憲法」の下に守られるはずだったのに,現実はなにも変わらなかった,それどころか「軍事強化に逆用された」というのです。そのなんとも許しがたい憤りが,「直に」伝わってきます。そして,それは,いまも,なにも変わってはいないのです。
こんな詩文を読むと,それらしき努力をなにもしてこなかった自分が恥ずかしくなってきます。それは,原発推進に対して,ほとんど「なにも知らない」まま,なにもしてこなかったことと二重写しになって,わたしの脳裏を駆け巡ります。「知らなかった」はたんなる「無知」ではありません。それは「無視」であり,「抑圧」であり,「排除」なのだ,ということを奈良教育大学に勤務していたころに「同和」の問題に触れたときに教えられました。
残念ながら,わたしたちは,沖縄について,ほとんど「知らない」状態にあります。それが,米軍基地から沖縄がいまもなお解放されないままに「捨て置かれて」いる,最大の原因です。もう,これ以上,沖縄に米軍基地を据え置くことは許されません。
そういう沖縄問題を考えるための根源てきな疑問を,イデオロギーを超えた,一般市民の目線から,もう一度,振り返ってみようというETV特集です。ぜひ,ご覧ください。
〔お詫びと訂正〕
わたしの勘違いで,この再放映は,5月20日0時30分から。つまり,5月19日(土)の深夜,20日(日)の早朝ということでした。精確な日時を確認しないで,記憶だけで書いてしまいました。こころからお詫びして訂正させていただきます。
読者からのメールで知り,びっくり仰天です。ご指摘くださったSさん,ありがとうございました。
西谷修さんのナレーションが,沖縄問題の闇の部分を,抑制の効いた,落ち着いた声で解きほぐしながら,次第に明らかにしてくれます。ナビゲーターをつとめた知花くららさんとの呼吸もぴったり合っていて,重いテーマにもかかわらず,さらりと沖縄問題の深部に分け入っていきます。深夜の再放映ですが,ぜひ,ご覧ください。
「復帰40年」とはいえ,喜ばしきことはなにもなく,事態はますます悪い方向へ進展していることも明らかになってきました。そこに見切りをつけた若者たちの新しい感性のうちに,ウチナンチューとしての,新たなスタートにほのかな希望を見出すところで,この番組を終っています。
どういうことかと言いますと,あの忌まわしい沖縄戦で,多くの肉親や隣人・友人を死に追いやられたウチナンチューは,敗戦後も米軍の統治下におかれ,米軍基地に多くの土地を奪われ,厳しい生活強いられてきました。ですから,なんとかして米軍の統治下から抜け出し,平和憲法で守られた本土に「復帰」したい一心で,それを願い,それを達成しました。しかし,その期待の本土は,米軍に代わってウチナンチューに救いの手をさしのべるどころか,「日米」が一体となって,これまでと同じ統治を継続することになってしまいました。ですから,ウチナンチューにとっての「復帰40」年は,いよいよ,日本政府に見切りをつけて,まったく新たなスタートを切る,そういう決断の年にもなりそうだ,というわけです。
今日(20日)の東京新聞の「筆洗」につぎのような詩が掲載されていましたので,それ以外の新聞購読者のために紹介しておきます。
吹き渡る風の音に 耳を傾けよ
権力に抗し 復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ
打ち寄せる 波濤の響きを聞け
戦争を拒み 平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ
祖国復帰は実現した
しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま 軍事強化に逆用された
この詩文を刻んだ碑は,沖縄本島最北端の辺戸岬に立っているそうです。しかも,「復帰」から4年後に建てられたといいます。ウチナンチューの憧れた「平和憲法」の下に守られるはずだったのに,現実はなにも変わらなかった,それどころか「軍事強化に逆用された」というのです。そのなんとも許しがたい憤りが,「直に」伝わってきます。そして,それは,いまも,なにも変わってはいないのです。
こんな詩文を読むと,それらしき努力をなにもしてこなかった自分が恥ずかしくなってきます。それは,原発推進に対して,ほとんど「なにも知らない」まま,なにもしてこなかったことと二重写しになって,わたしの脳裏を駆け巡ります。「知らなかった」はたんなる「無知」ではありません。それは「無視」であり,「抑圧」であり,「排除」なのだ,ということを奈良教育大学に勤務していたころに「同和」の問題に触れたときに教えられました。
残念ながら,わたしたちは,沖縄について,ほとんど「知らない」状態にあります。それが,米軍基地から沖縄がいまもなお解放されないままに「捨て置かれて」いる,最大の原因です。もう,これ以上,沖縄に米軍基地を据え置くことは許されません。
そういう沖縄問題を考えるための根源てきな疑問を,イデオロギーを超えた,一般市民の目線から,もう一度,振り返ってみようというETV特集です。ぜひ,ご覧ください。
〔お詫びと訂正〕
わたしの勘違いで,この再放映は,5月20日0時30分から。つまり,5月19日(土)の深夜,20日(日)の早朝ということでした。精確な日時を確認しないで,記憶だけで書いてしまいました。こころからお詫びして訂正させていただきます。
読者からのメールで知り,びっくり仰天です。ご指摘くださったSさん,ありがとうございました。
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