毎年恒例になっている多摩川の花火大会が8月17日(土)の夜に開催されました。いつも,このころなので,お盆過ぎの最初の土曜日に開催されるらしい(あまり,しっかりとした記憶がない)。時間も午後7時から8時までの約1時間ほど。なかなか豪勢な打ち上げ花火や仕掛け花火が連続して夜空を彩り,みる者を楽しませてくれます。
18日の新聞をみて,なるほど,この花火大会はこういうものであったか,とはじめて認識しました。それによると,「6000発に28万人が歓声」という見出しとともに大きく写真が載り,「川崎市制記念多摩川花火大会」(市などが主催)というのが正式名称で,ことしで72回目を迎え,テーマは「川崎から世界へ!子どもたちの夢」をテーマに未来を託す子どもたちの夢や希望を光と音で表現した,とあります。
さらに,新聞記事をそのまま転載しておきますと以下のとおりです。
「ドラえもん」の主題歌などアニメソングや童謡が流れる中,色鮮やかな花火が川面を照らした。
今年も対岸の東京都世田谷区で「たまがわ花火大会」が同時開催され,両岸で競い合うように打ち上がる花火に,会場を埋めた28万人の観客は盛んに歓声と拍手を送っていた。(栗原淳)
わたしの住んでいる溝の口は多摩川まで歩いて10分。マンションの9階からは丸見え。ここに住むようになってから,ほぼ毎年,この花火を楽しんできました。大きな音が鳴りはじめて,ようやく花火大会?と気づくていどの関心しかなかったのですが,それでも打ち上げ花火は子どものころから大好きだったので見はじめると熱中しています。
そんな程度のわたしにも,ことしの花火大会の様子がいつもと少し違うと感じられましたので,そのあたりのことを書いておこうとおもいます。この日は,午後7時に鷺沼の事務所をでて家路に向かい,鷺沼から溝の口まで田園都市線に乗り,あとは徒歩。そして,約15分ほどマンションの回り階段のところで花火を見物。ちょうど,終盤のいちばん盛り上がるところを,ひとりで立って見物。みごとなものでした。久し振りに花火を堪能しました。
その間に感じたことは以下のとおり。
ひとつは,人出が多かったこと,ふたつには,ゆかたを着た若い男女のみならず中高年の人が多くなってきたこと,みっつには,田園都市線の駅周辺から花火を見物している人も多くなったこと,よっつには,わたしの住んでいるマンションでも例年になく大勢の人が見物していたこと,いつつには,その人びとが大きな歓声をあげたり,拍手をしたり,ときには子どもの元気な声で「たまや~っ」とあちこちで叫んでいたこと,など。
順番にどういうことなのかといいますと,以下のとおりです。
ひとつめの,人出が多かったこと・・・・まずは,鷺沼の駅に向かって高台まで登ってくると歩道に人がいっぱい。こんなことは初めて。ベビーカーを引いた家族もいました。老若男女,家族とおぼしき人たちの集団です。いくら高台とはいえ,高い建物の影になってみえないところもたくさんあります。が,ビルの谷間からちらりとみえるようなところにも人がいっぱい。最後は,鷺沼駅の北口に登っていく坂道(歩道)にもいっぱい。振り返ってみると,ここは絶好の場所でした。人をかき分けるようにして駅改札口へ。この現象はことしが初めて。これまでもいくらか人は立っていましたが,ほんのちらほら。みんな数秒立ち止まって花火を眺めるものの,すぐに歩きはじめていました。わたしもそういう仲間のひとりでした。しかし,ことしは歩行者の邪魔になるほどの見物人。
溝の口の駅を降りると,こんどはコンコースのところどころに人だかり。花火がほんの少しちらりとみえるところに人が集まって携帯で写真を撮っています。こんな人の集団がコンコースのあちこちにできていて,こんなことはこれまでになかった風景でした。あとは,マンションに近づいてきたら,あちこちから歓声があがっており,びっくりしました。エレベーターを降りて通路から回り階段にさしかかると,人がいっぱいです。去年までは,ほんのちらほら人影がみえる程度で,ほとんど話し声も聞こえませんでした。ほとんどの人は窓を少し開けてそこから眺めていたようです。ところが,ことしはうって変わってにぎやかなもの。オーバーに言えば,花火が上がるたびに「おーっ」「キャーッ」と反応し,花火の演出がいいと拍手まで生まれます。まるで,マンション全体が一体化したかのような,おやおや?という雰囲気。
このところ,ゆかたを着た人たちが年々増えつづけていることは承知していました。が,ことしの特徴は中高年の人たちがゆかたを着て仲良く手をつないで歩いている光景でした。
明らかに,去年までとは,なにかが変わったと感じました。この変わり方はなにに起因するのだろうか,といまも気になっているところです。まあ,ふつうに考えれば,このところの異常な猛暑つづきにうんざりしていた気分を,花火の力を借りて一気に吹き飛ばしたいという欲求の表れ,ということなのでしょう。でも,それだけではなさそうです。なにかがわたしたち自身のなかで変わりつつあるのでは・・・・。しかも,無意識のうちに変化を求めているらしい。その無意識を動かしている「力」はなにか。
こういう変化に気づくということは,わたし自身の無意識にもそういう欲求が起きているのだとおもいます。それが那辺にあるのか,とくと考えてみたいとおもいます。花火にはやはりそういう「力」があるのだと,わたしは素直に認めたいとおもっています。
抽象的にひとことだけ。世の中が,大事な箍がはずれてしまったかのように,このところ急速に変化をはじめていることはよく知られているとおりです。しかも,その変化がどことなく「不気味」な雰囲気をもっていることも確かです。そして,この不気味さへの欲求不満の解消法が個々人に押しつけられたままです。要するに黙って我慢しろ,と。こうした事態はますます悪化の一途をたどっています。もはや,歯止めもきかない状態です。
こういう事態とどこかでリンクしているとしたら・・・これは相当に慎重に考えなくてはならない,新たな事態の発生ではないか,というのがわたしの現段階での懸念です。なぜなら,「川崎市制記念多摩川花火大会」,しかも第72回目だった,ということを知ったからです。写真をみると,多摩川の土手にはまだ隙間があるようですので,来年はぶらりとでかけてその場でいろいろと観察をしてみたいとおもっています。
このあと「花火贈与論」まで書くつもりでしたが,長くなっていますので割愛。また,機会をみつけて書いてみたいとおもいます。
取り急ぎ,今日のところはここまで。
18日の新聞をみて,なるほど,この花火大会はこういうものであったか,とはじめて認識しました。それによると,「6000発に28万人が歓声」という見出しとともに大きく写真が載り,「川崎市制記念多摩川花火大会」(市などが主催)というのが正式名称で,ことしで72回目を迎え,テーマは「川崎から世界へ!子どもたちの夢」をテーマに未来を託す子どもたちの夢や希望を光と音で表現した,とあります。
さらに,新聞記事をそのまま転載しておきますと以下のとおりです。
「ドラえもん」の主題歌などアニメソングや童謡が流れる中,色鮮やかな花火が川面を照らした。
今年も対岸の東京都世田谷区で「たまがわ花火大会」が同時開催され,両岸で競い合うように打ち上がる花火に,会場を埋めた28万人の観客は盛んに歓声と拍手を送っていた。(栗原淳)
わたしの住んでいる溝の口は多摩川まで歩いて10分。マンションの9階からは丸見え。ここに住むようになってから,ほぼ毎年,この花火を楽しんできました。大きな音が鳴りはじめて,ようやく花火大会?と気づくていどの関心しかなかったのですが,それでも打ち上げ花火は子どものころから大好きだったので見はじめると熱中しています。
そんな程度のわたしにも,ことしの花火大会の様子がいつもと少し違うと感じられましたので,そのあたりのことを書いておこうとおもいます。この日は,午後7時に鷺沼の事務所をでて家路に向かい,鷺沼から溝の口まで田園都市線に乗り,あとは徒歩。そして,約15分ほどマンションの回り階段のところで花火を見物。ちょうど,終盤のいちばん盛り上がるところを,ひとりで立って見物。みごとなものでした。久し振りに花火を堪能しました。
その間に感じたことは以下のとおり。
ひとつは,人出が多かったこと,ふたつには,ゆかたを着た若い男女のみならず中高年の人が多くなってきたこと,みっつには,田園都市線の駅周辺から花火を見物している人も多くなったこと,よっつには,わたしの住んでいるマンションでも例年になく大勢の人が見物していたこと,いつつには,その人びとが大きな歓声をあげたり,拍手をしたり,ときには子どもの元気な声で「たまや~っ」とあちこちで叫んでいたこと,など。
順番にどういうことなのかといいますと,以下のとおりです。
ひとつめの,人出が多かったこと・・・・まずは,鷺沼の駅に向かって高台まで登ってくると歩道に人がいっぱい。こんなことは初めて。ベビーカーを引いた家族もいました。老若男女,家族とおぼしき人たちの集団です。いくら高台とはいえ,高い建物の影になってみえないところもたくさんあります。が,ビルの谷間からちらりとみえるようなところにも人がいっぱい。最後は,鷺沼駅の北口に登っていく坂道(歩道)にもいっぱい。振り返ってみると,ここは絶好の場所でした。人をかき分けるようにして駅改札口へ。この現象はことしが初めて。これまでもいくらか人は立っていましたが,ほんのちらほら。みんな数秒立ち止まって花火を眺めるものの,すぐに歩きはじめていました。わたしもそういう仲間のひとりでした。しかし,ことしは歩行者の邪魔になるほどの見物人。
溝の口の駅を降りると,こんどはコンコースのところどころに人だかり。花火がほんの少しちらりとみえるところに人が集まって携帯で写真を撮っています。こんな人の集団がコンコースのあちこちにできていて,こんなことはこれまでになかった風景でした。あとは,マンションに近づいてきたら,あちこちから歓声があがっており,びっくりしました。エレベーターを降りて通路から回り階段にさしかかると,人がいっぱいです。去年までは,ほんのちらほら人影がみえる程度で,ほとんど話し声も聞こえませんでした。ほとんどの人は窓を少し開けてそこから眺めていたようです。ところが,ことしはうって変わってにぎやかなもの。オーバーに言えば,花火が上がるたびに「おーっ」「キャーッ」と反応し,花火の演出がいいと拍手まで生まれます。まるで,マンション全体が一体化したかのような,おやおや?という雰囲気。
このところ,ゆかたを着た人たちが年々増えつづけていることは承知していました。が,ことしの特徴は中高年の人たちがゆかたを着て仲良く手をつないで歩いている光景でした。
明らかに,去年までとは,なにかが変わったと感じました。この変わり方はなにに起因するのだろうか,といまも気になっているところです。まあ,ふつうに考えれば,このところの異常な猛暑つづきにうんざりしていた気分を,花火の力を借りて一気に吹き飛ばしたいという欲求の表れ,ということなのでしょう。でも,それだけではなさそうです。なにかがわたしたち自身のなかで変わりつつあるのでは・・・・。しかも,無意識のうちに変化を求めているらしい。その無意識を動かしている「力」はなにか。
こういう変化に気づくということは,わたし自身の無意識にもそういう欲求が起きているのだとおもいます。それが那辺にあるのか,とくと考えてみたいとおもいます。花火にはやはりそういう「力」があるのだと,わたしは素直に認めたいとおもっています。
抽象的にひとことだけ。世の中が,大事な箍がはずれてしまったかのように,このところ急速に変化をはじめていることはよく知られているとおりです。しかも,その変化がどことなく「不気味」な雰囲気をもっていることも確かです。そして,この不気味さへの欲求不満の解消法が個々人に押しつけられたままです。要するに黙って我慢しろ,と。こうした事態はますます悪化の一途をたどっています。もはや,歯止めもきかない状態です。
こういう事態とどこかでリンクしているとしたら・・・これは相当に慎重に考えなくてはならない,新たな事態の発生ではないか,というのがわたしの現段階での懸念です。なぜなら,「川崎市制記念多摩川花火大会」,しかも第72回目だった,ということを知ったからです。写真をみると,多摩川の土手にはまだ隙間があるようですので,来年はぶらりとでかけてその場でいろいろと観察をしてみたいとおもっています。
このあと「花火贈与論」まで書くつもりでしたが,長くなっていますので割愛。また,機会をみつけて書いてみたいとおもいます。
取り急ぎ,今日のところはここまで。
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