もう何年か前に,「サーカスがやって来た」というテーマの展覧会が兵庫県立近代美術館で行われていることを新聞で知り,ちょうど神戸にでかける用事があったので,その折に足を運びました。大いに期待してでかけたのですが,その予想をはるかに上回る内容の濃い展覧会で,わたしは存分に堪能しました。
いつもの習慣で,気に入った展覧会のときには図録を購入します。ついでに言っておきますと,展覧会の図録ほど割安な出版物はない,とわたしはつねづね思っています。とても贅沢な製本で,しかもボリュームもあり,オール・カラーで,一流の執筆陣。こんな本を一般の書店で買おうとしたら倍くらいの値段になるのではないでしょうか。いつも,そんなことを思いながら,ひとり悦に入って購入しています。そして,根をつめて仕事をしたあとなどに,時折,引っ張りだしてきてはこの図録を楽しんでいます。そこには専門家の手になるさまざまな解説があって,わたしの知らなかった新しい発見も多々あるので,とても勉強になります。
こういう図録が長年の間に相当数たまっていて,退屈しのぎにはとても役に立っています。それ以上に,いま連載中の「絵画にみるスポーツ施設の原風景」の原稿を書く上で,いまやなくてはならないネタ本になっています。この連載は隔月ですが,すでに第31回目を数えるところにきています。なにかの都合で時間がないときのために,とっさに書けるネタはいくつか用意してあるのですが,この写真もそういうネタのひとつでした。
出典は,図録『サーカスがやって来た』,神奈川県立美術館/兵庫県立近代美術館編集,1996年,P,49,です。なお,掲載誌は『SF』,体育施設出版,April 2014,P.29.です。
この図像にはつぎのようなキャプションをつけてみました。
欧米からサーカス団が日本にやってきた嚆矢(こうし)は,1864(元治元)年のことでした。アメリカ人のリチャード・リズリー・カーライルが率いる「リズリー・サーカス」は,10人の団員と8頭の馬で構成されていました。以後,明治に入るとつぎつぎに欧米のサーカス団が来日します。
なかでも1886年に来日したイタリアのチャリネ大曲馬団は,その規模の大きさとライオンの登場で大評判となりました。この曲馬団は横浜,外神田で興行したあと,吹上御苑で天覧があり,さらに築地,浅草,靖国神社,再度横浜,大阪,京都と長期にわたる巡業を行いました。
各地で大人気を博し,大きな話題となりました。わけても,円形の小さな馬場を駆けめぐりながら,馬上でつぎつぎに曲芸(曲乗り)を繰り出す曲馬団の芸は,当時の日本人にとっては初めての経験であり,新鮮な驚きだったようです。その驚きがそのまま「曲馬」,「曲馬団」という日本語になって,またたく間に広まっていきました。
馬を走らせ,その上で曲乗りを見せるために必要最小限の空間は,円形の馬場でした。同じ場所をぐるぐる周りながら,さまざまな曲乗りを見せる・・・・この曲芸を欧米ではサーカスと呼びました。 その語源は,古代ローマのキルクス(circus)にありました。これを英語読みしたものが「サーカス」です。
キルクスは,古代ローマの人気スポーツ「馬車競技」のことで,観客席に囲まれた広大な楕円形の馬場を7回半,回って勝負の決着をつける競技でした。そのイメージがそのまま受け継がれ,馬場を縮小し,馬車競技に代わって曲馬・曲乗りに変容したものが「サーカス」というわけです。ですから,サーカスは「円形の馬場」で人馬一体となった芸を見せるのが基本です。
やがて,近代の機械文明の進展とともに,馬に加えて,自転車,オートバイによる曲乗りが新しい演目として人気を博すようになってきます。こんにち私たちが眼にするサーカスは,科学技術の最先端の成果を取り込んで,驚異的な性能をもつ施設・用具を用いた曲芸の世界を切り拓いています。それでも変わらないもの,それが「円形の馬場」です。
以上です。
隔月の連載で,この回が第31回となります。ので,丸5年が経過して6年目に突入という,かなりのロングランとなっています。でも,とても愉しい企画ですので,ネタのつづくかぎりこの連載は大事に継続したいと思っています。
というところで今日のブログはおしまい。
いつもの習慣で,気に入った展覧会のときには図録を購入します。ついでに言っておきますと,展覧会の図録ほど割安な出版物はない,とわたしはつねづね思っています。とても贅沢な製本で,しかもボリュームもあり,オール・カラーで,一流の執筆陣。こんな本を一般の書店で買おうとしたら倍くらいの値段になるのではないでしょうか。いつも,そんなことを思いながら,ひとり悦に入って購入しています。そして,根をつめて仕事をしたあとなどに,時折,引っ張りだしてきてはこの図録を楽しんでいます。そこには専門家の手になるさまざまな解説があって,わたしの知らなかった新しい発見も多々あるので,とても勉強になります。
こういう図録が長年の間に相当数たまっていて,退屈しのぎにはとても役に立っています。それ以上に,いま連載中の「絵画にみるスポーツ施設の原風景」の原稿を書く上で,いまやなくてはならないネタ本になっています。この連載は隔月ですが,すでに第31回目を数えるところにきています。なにかの都合で時間がないときのために,とっさに書けるネタはいくつか用意してあるのですが,この写真もそういうネタのひとつでした。
出典は,図録『サーカスがやって来た』,神奈川県立美術館/兵庫県立近代美術館編集,1996年,P,49,です。なお,掲載誌は『SF』,体育施設出版,April 2014,P.29.です。
この図像にはつぎのようなキャプションをつけてみました。
欧米からサーカス団が日本にやってきた嚆矢(こうし)は,1864(元治元)年のことでした。アメリカ人のリチャード・リズリー・カーライルが率いる「リズリー・サーカス」は,10人の団員と8頭の馬で構成されていました。以後,明治に入るとつぎつぎに欧米のサーカス団が来日します。
なかでも1886年に来日したイタリアのチャリネ大曲馬団は,その規模の大きさとライオンの登場で大評判となりました。この曲馬団は横浜,外神田で興行したあと,吹上御苑で天覧があり,さらに築地,浅草,靖国神社,再度横浜,大阪,京都と長期にわたる巡業を行いました。
各地で大人気を博し,大きな話題となりました。わけても,円形の小さな馬場を駆けめぐりながら,馬上でつぎつぎに曲芸(曲乗り)を繰り出す曲馬団の芸は,当時の日本人にとっては初めての経験であり,新鮮な驚きだったようです。その驚きがそのまま「曲馬」,「曲馬団」という日本語になって,またたく間に広まっていきました。
馬を走らせ,その上で曲乗りを見せるために必要最小限の空間は,円形の馬場でした。同じ場所をぐるぐる周りながら,さまざまな曲乗りを見せる・・・・この曲芸を欧米ではサーカスと呼びました。 その語源は,古代ローマのキルクス(circus)にありました。これを英語読みしたものが「サーカス」です。
キルクスは,古代ローマの人気スポーツ「馬車競技」のことで,観客席に囲まれた広大な楕円形の馬場を7回半,回って勝負の決着をつける競技でした。そのイメージがそのまま受け継がれ,馬場を縮小し,馬車競技に代わって曲馬・曲乗りに変容したものが「サーカス」というわけです。ですから,サーカスは「円形の馬場」で人馬一体となった芸を見せるのが基本です。
やがて,近代の機械文明の進展とともに,馬に加えて,自転車,オートバイによる曲乗りが新しい演目として人気を博すようになってきます。こんにち私たちが眼にするサーカスは,科学技術の最先端の成果を取り込んで,驚異的な性能をもつ施設・用具を用いた曲芸の世界を切り拓いています。それでも変わらないもの,それが「円形の馬場」です。
以上です。
隔月の連載で,この回が第31回となります。ので,丸5年が経過して6年目に突入という,かなりのロングランとなっています。でも,とても愉しい企画ですので,ネタのつづくかぎりこの連載は大事に継続したいと思っています。
というところで今日のブログはおしまい。
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