中国に関する情報はいろいろの意味でバイアスがかかっていて,わたしたちは真の中国の姿をとらえるのが困難です。中国の人びとの日常生活とスポーツの関係も,おいそれと信用できる情報はよほどのことがないかぎり不可能と言っていいでしょう。ですから,ぼんやりとしたイメージを勝手に作り上げて,想像するだけで精一杯です。
そんな中にあって,この話は信用できそうだ,という記事に出会いましたので,紹介しておきたいと思います。情報源は『ひろばユニオン』(労働者学習センター刊,2014年10月号,P.49~51.)中国在住のライター・斎藤淳子さんの連載・中国便り(第7回)です。
記事の内容は,実際に中国で暮らしながらの見聞を,ことし実施した中国国家体育総局の調査結果とを比較検討したものです。これなら条件付きではありますが,かなり信頼できるものだ,と確信しました。
まずは,見出しにある「踊る中国人?」。こちらの情報は意外に多く,中国人は日常的によく踊る人たちだというイメージは多くの人が共有しているのではないか,と思います。かく申すわたしも,数少ない中国旅行での見聞にすぎませんが,「踊る中国人」という意味ではまったく同感です。早朝の公園や広場には,ごくふつうの家庭人と思われる人たちが大勢集まって,思い思いの集団をつくって踊りを楽しんでいます。その踊りも種々雑多で,言ってしまえば,なんでもありの踊りです。かなり本格的な伝統舞踊と思われるようなものから,エアロビックスのような踊り(体操?)もあれば,リーダーの即興を真似しているだけと思われるようなものもあります。しかも,みんながそろって同じように踊るのが目的ではなくて,自分が楽しいと思われる所作を即興で取り入れているのではないか,と思われる人の方が多いということです。
こういう「踊る中国人」は,昼休みの公園にも現れます。こちらは勤め人らしき人たちが多いという印象です。つまり,中年の男女が多いということです。そして,さらに,夕食後と思われる夜の時間帯にも,多くの人びとが公園や繁華街の広場に集まってきて,大音響を鳴り響かせながら,見ず知らずの人びとをも巻き込んで踊りを楽しんでいます。年齢も若者たちから老人まで,なんの区別もありません。ですから,わたしたちのような外国人観光客が紛れ込んでもなんの違和感もなく,踊り楽しむことができます。
ポイントは,ただひたすら,自分が楽しければいい,ということ。他人のまなざしなどはいっさい気にしないこと。むしろ,他人の注目を浴びるような独創的な踊りを即興で繰り出すこと,そして,拍手喝采を浴びることに主眼があるように思います。ですから,みんな熱中して踊っています。
こんな光景に出会いますと,これは現代中国が生みだした独特の文化なのだろうか,と考えたりしています。とりわけ,改革開放後の・・・などと考えたりしています。この点については,もう少し,きちんと調べてみないと・・・と思っています。
さて,思いがけず「踊り」の話に熱中してしまいましたが,つぎは「中国のスポーツ」です。こちらの情報は,わたしの蓄積してきた情報やイメージとはかなり異なっていて,驚きの発見でした。中国の「いま」を知る,とてもいい機会になりました。
斎藤淳子さんのレポートによりますと,子どもたちがスポーツを楽しむ機会は日本とくらべるとはるかに少ない,といいます。子どもたちは,とにもかくにも「勉強」することが最優先。スポーツクラブに参加できるのは,特別の才能が見込まれた子どもたちだけ。大会で入賞できそうな子どもたちだけが集められ,その他の子どもたちはオフリミット。しかも,スポーツの成績が伸び悩むと,クラブから排除されてしまうという仕組みになっているそうです。かつての,スポーツ・エリート主義の残像がいまもまだ生きているという次第です。これはちょっと意外でした。
学校体育の授業もあまり重視されてはおらず,試験が近づくと,体育の授業が国語や算数の授業に変更するのは当たり前のことだといいます。その結果,児童・生徒の体力は,日本にくらべるとかなり低いということです(05年の調査結果による)。たとえば,11歳の50m走の平均タイムは,日本は9.10秒,中国は9.50秒。0.4秒の差というのはかなり大きな差です。
これではいけないという反省に立ち,95年には中国体育法を制定し,「全民健身計画」を作成して,いわゆる生涯スポーツへの第一歩を踏み出した,といいます。そして,00年からは高校入試に体育のテストが義務づけられたとのこと。
こうした努力を積み重ねながら,一方では08年の北京オリンピックの成功をみ,09年には8月8日を「全国民フィットネスデー」と定め,遅ればせながら生涯スポーツの振興策にも着手しているとのことです。その影響でしょうか,都市部の若手会社員をターゲットにした「フィットネスクラブ」が急増している,といいます。しかも,低価格競争による大衆化の方向と同時に,エリートたちを対象にした高級フィットネスクラブの二極化が進んでいる,とも。
それでも,クラブの年会費は,安い方でも年会費約1千元(約1万7千円),高い方では約6千元(約10万円)もするとのこと。平均すると,2~3千元(約3万4千円~5万1千円)くらいだといいます。わたしの感覚からすると,こんなに高い年会費を払って,フィットネスクラブに通う会社員が急増している,という実態が理解できません。ということは,台頭しつつある中国の市民社会の活力の高さについての認識を欠いているという証拠でもあります。
ことほど左様に,日本のマスメディアが報ずる中国情報が,いかにいい加減なものでしかないか,ということを思い知らされてしまいます。そのために,多くの日本人は中国について誤解したままの状態から抜け出せないでいます。かく申すわたしも残念ながらそのひとりですが・・・・。
中国はいまや活力にあふれた立派な大国です。
斎藤淳子さんのこの連載・中国便りを読むだけでも,中国についての認識が一変してしまいます。わたしたちはもっと精確な中国情報を手に入れる努力をしなくてはなりません。そうしないと,とんでもない大きな間違いを犯しかねません。その典型例が「尖閣諸島」の一方的な国有化問題です。中国が「歴史に学べ」と大人の主張するのに対して,日本の対応はまるで子どもの主張のようにみえてきてしまいます。残念ながら・・・。
中国のスポーツ情報については,別途,あらゆる手をつくして情報蒐集をし,じっくりと考えていく必要がある,と斎藤淳子さんのレポートを読んで,深く反省している次第です。
そんな中にあって,この話は信用できそうだ,という記事に出会いましたので,紹介しておきたいと思います。情報源は『ひろばユニオン』(労働者学習センター刊,2014年10月号,P.49~51.)中国在住のライター・斎藤淳子さんの連載・中国便り(第7回)です。
記事の内容は,実際に中国で暮らしながらの見聞を,ことし実施した中国国家体育総局の調査結果とを比較検討したものです。これなら条件付きではありますが,かなり信頼できるものだ,と確信しました。
まずは,見出しにある「踊る中国人?」。こちらの情報は意外に多く,中国人は日常的によく踊る人たちだというイメージは多くの人が共有しているのではないか,と思います。かく申すわたしも,数少ない中国旅行での見聞にすぎませんが,「踊る中国人」という意味ではまったく同感です。早朝の公園や広場には,ごくふつうの家庭人と思われる人たちが大勢集まって,思い思いの集団をつくって踊りを楽しんでいます。その踊りも種々雑多で,言ってしまえば,なんでもありの踊りです。かなり本格的な伝統舞踊と思われるようなものから,エアロビックスのような踊り(体操?)もあれば,リーダーの即興を真似しているだけと思われるようなものもあります。しかも,みんながそろって同じように踊るのが目的ではなくて,自分が楽しいと思われる所作を即興で取り入れているのではないか,と思われる人の方が多いということです。
こういう「踊る中国人」は,昼休みの公園にも現れます。こちらは勤め人らしき人たちが多いという印象です。つまり,中年の男女が多いということです。そして,さらに,夕食後と思われる夜の時間帯にも,多くの人びとが公園や繁華街の広場に集まってきて,大音響を鳴り響かせながら,見ず知らずの人びとをも巻き込んで踊りを楽しんでいます。年齢も若者たちから老人まで,なんの区別もありません。ですから,わたしたちのような外国人観光客が紛れ込んでもなんの違和感もなく,踊り楽しむことができます。
ポイントは,ただひたすら,自分が楽しければいい,ということ。他人のまなざしなどはいっさい気にしないこと。むしろ,他人の注目を浴びるような独創的な踊りを即興で繰り出すこと,そして,拍手喝采を浴びることに主眼があるように思います。ですから,みんな熱中して踊っています。
こんな光景に出会いますと,これは現代中国が生みだした独特の文化なのだろうか,と考えたりしています。とりわけ,改革開放後の・・・などと考えたりしています。この点については,もう少し,きちんと調べてみないと・・・と思っています。
さて,思いがけず「踊り」の話に熱中してしまいましたが,つぎは「中国のスポーツ」です。こちらの情報は,わたしの蓄積してきた情報やイメージとはかなり異なっていて,驚きの発見でした。中国の「いま」を知る,とてもいい機会になりました。
斎藤淳子さんのレポートによりますと,子どもたちがスポーツを楽しむ機会は日本とくらべるとはるかに少ない,といいます。子どもたちは,とにもかくにも「勉強」することが最優先。スポーツクラブに参加できるのは,特別の才能が見込まれた子どもたちだけ。大会で入賞できそうな子どもたちだけが集められ,その他の子どもたちはオフリミット。しかも,スポーツの成績が伸び悩むと,クラブから排除されてしまうという仕組みになっているそうです。かつての,スポーツ・エリート主義の残像がいまもまだ生きているという次第です。これはちょっと意外でした。
学校体育の授業もあまり重視されてはおらず,試験が近づくと,体育の授業が国語や算数の授業に変更するのは当たり前のことだといいます。その結果,児童・生徒の体力は,日本にくらべるとかなり低いということです(05年の調査結果による)。たとえば,11歳の50m走の平均タイムは,日本は9.10秒,中国は9.50秒。0.4秒の差というのはかなり大きな差です。
これではいけないという反省に立ち,95年には中国体育法を制定し,「全民健身計画」を作成して,いわゆる生涯スポーツへの第一歩を踏み出した,といいます。そして,00年からは高校入試に体育のテストが義務づけられたとのこと。
こうした努力を積み重ねながら,一方では08年の北京オリンピックの成功をみ,09年には8月8日を「全国民フィットネスデー」と定め,遅ればせながら生涯スポーツの振興策にも着手しているとのことです。その影響でしょうか,都市部の若手会社員をターゲットにした「フィットネスクラブ」が急増している,といいます。しかも,低価格競争による大衆化の方向と同時に,エリートたちを対象にした高級フィットネスクラブの二極化が進んでいる,とも。
それでも,クラブの年会費は,安い方でも年会費約1千元(約1万7千円),高い方では約6千元(約10万円)もするとのこと。平均すると,2~3千元(約3万4千円~5万1千円)くらいだといいます。わたしの感覚からすると,こんなに高い年会費を払って,フィットネスクラブに通う会社員が急増している,という実態が理解できません。ということは,台頭しつつある中国の市民社会の活力の高さについての認識を欠いているという証拠でもあります。
ことほど左様に,日本のマスメディアが報ずる中国情報が,いかにいい加減なものでしかないか,ということを思い知らされてしまいます。そのために,多くの日本人は中国について誤解したままの状態から抜け出せないでいます。かく申すわたしも残念ながらそのひとりですが・・・・。
中国はいまや活力にあふれた立派な大国です。
斎藤淳子さんのこの連載・中国便りを読むだけでも,中国についての認識が一変してしまいます。わたしたちはもっと精確な中国情報を手に入れる努力をしなくてはなりません。そうしないと,とんでもない大きな間違いを犯しかねません。その典型例が「尖閣諸島」の一方的な国有化問題です。中国が「歴史に学べ」と大人の主張するのに対して,日本の対応はまるで子どもの主張のようにみえてきてしまいます。残念ながら・・・。
中国のスポーツ情報については,別途,あらゆる手をつくして情報蒐集をし,じっくりと考えていく必要がある,と斎藤淳子さんのレポートを読んで,深く反省している次第です。
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