2015年12月5日土曜日

見たか,あの鬼の形相を。羽生結弦の「陰陽師」。世界最高点を叩き出した演技を。

 見たか? 演技の終わった瞬間にみせた羽生選手のあの鬼の形相を! もう,ぎりぎりいっぱい! これがおれのすべてだっ!というあの迫力満点のあの顔を。

 いつもの小学生の優等生といった童顔はどこかに消え失せていた,あの一瞬に,羽生選手のこころの強さのすべてが表出している,とわたしは感動した。

 演技内容のすべてが素晴らしかった。そして,感動した。しかし,わたしのこころを捉えていつまでも離さない感動は,4回転のジャンプでもなく,あの柔らかなスピンでもなく,軽やかなステップでもなく,美しいスケーティングをみせるシークウェンスでもなかった。

 あの演技が終わって静止した瞬間にみせた,あのいっぱいいっぱいの鬼の形相だった。もはや,この世の人の顔ではなかった。そう,あの世に一歩も二歩も踏み込んでしまった「鬼」になってしまった人の形相だった。ひとつ次元の違う世界に踏み込んだ人にのみ許された特権のような顔だ。非日常のさらにその上の神の領域に一歩踏み込んだ人の顔だ。

 そして,その2、3、秒あとにみせたガッツ・ポーズ。このポーズをとることによって,ようやくあの世からこの世に引き戻されてくるような,羽生選手の顔。それでもなお,まだ,この世の人の顔ではなかった。神の子の顔の余韻をまだ引きずっていた。そして,徐々に,徐々に,この世の日常の顔にもどってくる。とてもいい瞬間だ。わたしはこの瞬間,瞬間が好きだ。

 得点が発表されたときに見せた羽生選手の顔が,これまた素晴らしかった。大きく眼を見開き,口まで開けて,一瞬,まさかという顔をした。あわてて口を両手で覆い,眼だけが大きく見開いたままだった。予期せざる高得点に,われながらびっくり仰天,という顔の表出。そして,これまた長い時間をかけて徐々に,徐々に,日常の笑顔にもどってきた。このときの顔の表情もとてもよかった。いい顔だったとおもう。

 この二つの顔の共通点は,自己を超え出たときにみせる人間の顔だ。理知的な抑制などとは無縁な,まったく別の世界に飛び出したときに瞬時にして表出する顔の表情だ。つまり,人間としての全存在を賭けた顔だ。理知を超えた「いのち」の顔と言ってもいい。生命そのものが表出したときの表情と呼ぶべきか。いずれにしても剥き出しの「いのち」をそこに読み取ることができる。わたしは,その瞬間に感動を覚える。

 スポーツにはなぜ人を感動させる力があるのか,という永遠のテーマがある。
 そして,その答えもさまざまだ。

 わたしの答えのひとつは,「人間を超え出る経験」に立ち合ったとき,である。別の言い方をすれば,「神の降臨」に立ち合ったとき,となる。

 羽生結弦選手の,あの日常の「童顔」が,瞬時にして「鬼の形相」に変化する。その瞬間に立ち合うことのできた喜び,感動,それはもはやなにものにも代えがたい,大きな宝物である。

 羽生選手の,あの演技終了の瞬間にみせた鬼の形相をみて,すぐに思い出したのは,大相撲の貴乃花が千秋楽で曙とがっぷり四つに組み合って,勝負が長引き,もつれた末に死力を振り絞って寄り切り,優勝をもぎとった瞬間の「鬼の形相」である。大横綱・貴乃花が生涯に一度だけ,土俵上でみせた「鬼の形相」である。このときも,全身が震えるほどに感動した。力士というものは凄いものだ,としみじみ感動したものだ。やはり,力士はふつうの人ではない,と。神と人間の間にいて,その両者を取り次ぐ存在なのだ,と実感した。力士につけられる醜名は戒名のようなもので,ふつうの人間ではなく,死者の世界の人を意味するという。

 そういう人がこの世に降臨してくる。そこが「土俵」という「場」であり,「聖域」なのだ。力士は,醜名を呼び上げられることによって,初めて土俵の上に立つことができる。呼び出しとは,そのための重要な儀礼でもある。

 広島カープの前田投手は,一球ごとに魂を籠めて投げる。そのときの顔もまた,この世の人の顔ではなくなる。あの世の世界の「力」を借りてきて,投球にそのすべてを賭けていく。だから,三振を奪ったときの感動も大きい。ファンに好かれる所以だ。

 これらの人たちに共通していることは,人並み外れた恐るべき意思の力の強さだ。羽生選手が,一皮もニ皮も剥けて大きく飛躍した背景には,この精神的な成長があったことを見逃してはならないだろう。羽生選手が試合後のインタヴューに答えたひとことが,わたしには強く印象に残った。「血のにじむような厳しい練習を積み重ねてきた結果です」。

 練習がすべて。スポーツは嘘をつかない。才能のある選手が,さらに,人並みはずれた努力をする。だから,驚くべき結果が生まれてくる。突然,生みだされるものではない。努力に努力を積み重ね,その結果として,あるとき突如として「花開く」。その瞬間に立ち合うことの喜び・・・・それがスポーツを鑑賞する人間の楽しみのひとつなのだ。

 その意味で,久しぶりに,大きな大きな「感動」を経験することができた。
 羽生選手! あなたのお蔭です。ありがとう!

 まだまだ神の領域に接近していく余力を残しているようにおもう。その意味で,これからのますますの成長を期待したい。そして,ふたたびの感動を。

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