スポーツ・遊び・からだ・人間
人間の「生」にとって「スポーツとはなにか」を問う。それは「儀礼」なのか,それとも「贈与」なのか。はたまた「宗教」なのか。この問いはどこまでも広く,かつ深い。
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2016年1月21日木曜日
「玄之又玄、衆妙之門」(『老子』第1章)。「あらゆる微妙なものが生まれてくる」ところ。
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予告どおり,第1章を読んでみたいとおもいます。 まずは,テクストの第1章をそのまま転記しておきましょう。 これが道ですと示せるような道は,恒常の道ではない。これが名ですと示せるような名は,恒常の名ではない。 天地が生成され始めるときには,まだ名は無く,万物があら...
2016年1月20日水曜日
「玄牝之門、是謂天地根」(『老子』第6章)。性・生殖の思想・哲学。
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まずは,見出しに引いた「玄牝之門,是謂天地根」の大意をつかんでおきたいとおもいます。読みくだし文にすれば「玄牝の門,これを天地の根という」であり,その大意は「女陰,これがすべてのはじまりだ」となります。これにはおもわずびっくりしてのけ反ってしまいます。しかし,老子は本気です。...
2015年10月5日月曜日
いま,目の前で歴史が「つくられ」ていく。瓦礫の山を目の前にして。この国の行方やいかに。
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政権の舵取りが狂うと,国民の意識も狂ってしまうらしい。もともと「長いものには巻かれろ」的な,権力に従順な国民性も加味して,政権のやりたい放題の政治が,まかりとおっている。まさに,恥も外聞もない,とはこのことだ。ほんとうに,でたらめな政治がまかりとおっていく。しかし,いかに権力...
2015年7月6日月曜日
スポーツの歴史を叙述するということについて。東ドイツを事例として(船井廣則)。
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1990年,東西ドイツが統合(Reichsgruendung )されたのち,東ドイツのスポーツの歴史をどのように叙述すべきか,という論争がつづいている。断るまでもなく,第二次大戦後,ドイツは東西の二つの国家として分断された。西ドイツは西側の資本主義や自由主義を標榜する国家と足...
2015年5月29日金曜日
まだまだあるある「ご当地ラジオ体操」。津軽三味線ヴァージョンも。
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いわゆる「ラジオ体操」がらみの情報について,こんなのもある,あんなのもある,という具合にSさんから五月雨式にご指摘がつづくものですから,ならば,わたしも少し調べてみようとおもいたちました。で,初心者らしく,まずは,Wikipedia で「ラジオ体操」を当たってみました。そうし...
2015年5月28日木曜日
「背伸びの運動やるまいかん」。「方言ラジオ体操」だって? そんなのもあるんだ!とびっくり。
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老人になると世の中に疎くなる,とむかしから言われています。わたしも,とうのむかしに老人の仲間入りをしています。ですから,世の中の常識からは遠のくばかり。もっと,若い人たちとの交流を大事にし,確保しておかないといけない,と反省。 昨日のブログに,ラジオ体操のことを書きまし...
2015年5月27日水曜日
ラジオ体操ってなんだ? 号令ひとつで日本人がみんな同じ動きをはじめる,世にも恐ろしい文化装置?
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締め切りのきてしまっている原稿をいくつも抱え込みながら,悶々としながら無為の日々を送っています。そんなときは,街中を歩きながらも原稿のことが頭から離れません。 そんな原稿のひとつに,「ポスト・グローバル化社会におけるスポーツ文化を考える」というのがあります。仮のタイトル...
2015年2月13日金曜日
人間は自然存在(Naturwesen)であると同時に文化的存在(Kulturwesen)です。すなわち,絶対矛盾的存在。
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この稿は,いま,少しずつではありますが,書きついでいるシリーズ「スポーツ学」とはなにか,を始める前の書きかけのものでした。もう棄ててしまおうとおもっていましたが,なんだか棄てきれず,残しておいたものです。しかし,いま,読み返してみますと,これはこれで面白かろうとおもいま...
2015年2月7日土曜日
「スポーツ学」とはなにか。その10.スポーツとはなにか。Ⅱ.スポーツは「贈与」である。
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このシリーズ,少し休んでしまいましたが,再開したいとおもいます。これからも,とびとびになるかも知れませんが・・・・。 マルセル・モースの名著である『贈与論』は,わたしの考える「スポーツとはなにか」という問いに対して,じつに多くのヒントを提供してくれるとてもありがたいテク...
2015年1月26日月曜日
ダブル・ダッチ。競技化の壁=人間の<事物化>,とどのように折り合いをつけるか。
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1月24日(土)に開催されたISC21・1月奈良例会で,思いがけない収穫がありました。若い院生さんが,ダブル・ダッチの競技化をめぐる問題について,研究発表をしてくれたお蔭です。 その要旨は,以下のとおりです。ダブル・ダッチはもともと遊びでした。それがいつしか競い合うよう...
2015年1月18日日曜日
「スポーツ学」とはなにか。その9.スポーツとはなにか。Ⅰ.スポーツの始原について。
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このブログでは,「スポーツ学」とはなにか,と問いかけながら,最初に「学」としての可能性を考えました。つづいて,その「学」は「人間」とはいかなる存在なのか,そして,その「人間」をどのように理解しようとしているのかを考えました。さらに,具体的に,では「スポーツする人間」とはどうい...
2015年1月17日土曜日
「スポーツ学」とはなにか・その8.スポーツする人間とはなにか・Ⅱ。
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その7.「スポーツする人間とはなにか」(Ⅰ)のつづきです。すなわち,(Ⅱ)。 前回の結論は,「スポーツする人間」は,西田幾多郎がめざした「絶対矛盾的自己同一」のひとつの実現形態である,ということでした。この結論は大急ぎでくだしたものですので,大いに飛躍がありました。そこ...
2015年1月7日水曜日
野見宿禰の怨霊が塚に封じこめられている・・・?出雲国造家の千家によって。
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1月3日のブログ「野見宿禰とは何者か。塚が発信しているもの」を読まれた,『穂国幻史考』の著者で古代史研究者の柴田晴廣さんから,とても重要なコメントをいただきました(のちほど紹介)。その真意は,どうやら,わたしに「なぜ,気づかないのか」と婉曲にヒントを与えてくれることにあったよ...
2015年1月6日火曜日
「スポーツ学」とはなにか。その7.スポーツする人間とはなにか・Ⅰ。
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人間とはいかなる存在なのか。これが前回(その6.)のテーマでした。そして,その結論は,人間とは,生身のからだを生きる「生きもの」であり,しかも本能と理性に引き裂かれた宙づり状態で存在する「生きもの」である,というものでした。 では,この本能と理性に引き裂かれた宙づり状態...
「スポーツ学」とはなにか。その6.人間とはいかなる存在なのか。
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「人間とはなにか」。この問いは永遠のテーマです。「わたし」という存在ですら謎だらけです。人間が存在するということは,いったいどういうことなのか。たんにモノ(物質)が存在するのとは意味が違います。もちろん,動物の存在とも違います。わたしたち人間には,ことばがあり,そのことばをと...
2015年1月5日月曜日
「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」(『修証義』より)。
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生(しょう)を明(あき)らめ死(し)を明(あき)らむるは仏家(ぶっけ)一大事(いちだいじ)の因縁(いんねん)なり,生死(しょうじ)の中(なか)に仏(ほとけ)あれば生死(しょうじ)なし,但(ただし)生死(しょうじ)即(すなわ)ち涅槃(ねはん)と心得(こころえ)て,生死(しょうじ...
2014年12月31日水曜日
「スポーツ学」とはなにか。その5.研究方法について。
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「スポーツ学」には三つの固有の研究領域があることは,すでに述べたとおりです。すなわち,「スポーツ実践学」「スポーツ科学」「スポーツ文化学」の三つです。これらのうち,研究方法がまだ十分には定まってはいない領域があります。それは「スポーツ実践学」です。 それ以外の「スポーツ...
「スポーツ学」とはなにか。その4.固有の研究対象(スポーツの中心と周縁)について。
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「スポーツ学」という新しい学を成立させるためには,三つの条件をクリアしなくてはなりません。その条件とは,スポーツ学に固有の研究領域,研究対象,研究方法,の三つです。研究領域については,その3.で説明したとおりです。 ここでは,スポーツ学に固有の研究対象について考えてみた...
2014年12月30日火曜日
「スポーツ学」とはなにか。その3.三つの研究領域について。
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総論で書きましたように,「スポーツ学」には三つの研究領域があります。すなわち,スポーツ実践学,スポーツ科学,スポーツ文化学,の三つです。総論では,スポーツ学を学ぶ学生さんを想定して書きましたので,わかりやすくするために,この三つの研究領域を,スポーツ実践学⇨スポーツ科学⇨スポ...
「スポーツ学」とはなにか・その2.総論について(試論)。
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これから記述することがらは,「スポーツ学とはなにか」のごくごく基本的なラフ・スケッチです。そこで,まずは,「スポーツ学とはなにか」という問いに対する「総論」(試論)に挑戦してみたいと思います。 「スポーツ学とはなにか」。その総論について(試論)。 スポーツ学とは,...
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