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2016年1月21日木曜日

「玄之又玄、衆妙之門」(『老子』第1章)。「あらゆる微妙なものが生まれてくる」ところ。

 予告どおり,第1章を読んでみたいとおもいます。
 まずは,テクストの第1章をそのまま転記しておきましょう。

 これが道ですと示せるような道は,恒常の道ではない。これが名ですと示せるような名は,恒常の名ではない。
 天地が生成され始めるときには,まだ名は無く,万物があらわれてきて名が定立された。
 そこで,いつでも欲がない立場に立てば道の微妙で奥深いありさまが見てとれ,いつでも欲がある立場に立てば万物が活動する結果のさまざまな現象が見えるだけ。
 この二つのもの──微妙で奥深いありさまと,万物が活動しているありさまは,道という同じ根元から出てくるものであるが,(微妙で奥深いとか活動しているとかいうように)違った言い方をされる。同じ根元から出てくるので,ほの暗く奥深いものと言われるが,(そのように言うと道の活動も万物の活動も同じになるから,)ほの暗く奥深いうえにも奥深いものが措定されていき,そのような奥深いうえにも奥深いものから,あらゆる微妙なものが生まれてくる。

 道(みち)の道とす可(べ)きは,常(つね)の道に非(あら)ず。名の名とす可(べ)きは,常の名に非(あら)ず。
 名無きは天地の始め,名有るは万物の母。
 故に,常に欲無くして以(もっ)て其(そ)の妙(みょう)を観(み),常に欲有りて以てその〇(きょう)を観る。
 此(こ)の両者は同じきより出(い)でて而(しか)も名を異(こと)にす。同じきを之(これ)を玄(げん)と謂(い)う。玄の又(ま)た玄,衆妙の門。

道可道、非常道。名可名、非常名。
無名、天地之始。有名、万物之母。
故常無欲以観其妙、常有欲以観其〇。
此両者同出而異名、同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。

 以上です。
 〇(きょう)の文字は,「激」の「さんずい」の代わりに「ぎょうにんべん」。

 さて,これをご覧になっていかがでしょうか。ちょっとだけ偉そうなことを言ってしまえば,この訳文と読みくだし文と原文とを比べてみますと,読みくだし文のリズムの良さばかりが目立ち,やはり,訳文がもたもたしていていささかもの足りない気がします。もっと簡潔にわかりやすく訳文にすることはできないものか,とおもってしまいます。そこで,恥ずかしながら,思い切って拙文を提示してみたいとおもいます。

 これが道です,と言えるような道は,ほんとうの意味での道ではありません。これが名です,と言えるような名は,ほんとうの意味での名ではありません。
 天地が始まるときには,まだ名などありません。いろいろの物の存在が意識されるようになって初めて名がつけられるのです。
 だから,名にとらわれない人は道のほんとうの姿を見てとることができますが,名にとらわれてしまう人はものごとの眼に見える現象を見ているにすぎません。
 この二つの立場は,同じ道から出てくる立場ですが,そこに見えているものはまったく別のものです。この二つの立場を産み出す道のことを玄といいます。玄は奥が深く,その玄のまた奥の玄はほの暗く混沌としていますが,そこがありとあらゆる微妙なものが生まれるところなのです。

 どうでしょうか。いくらか鮮明になったのではないか,と自讃していますが・・・(笑い)。もっとも,これがわたしの理解の範囲にすぎないことは,白状しておかなくてはなりません。著者の蜂屋さんが,各章の終わりに付してくれている訳注は,その該博な知識に裏打ちされたほれぼれするほどの内容に満たされています。ぜひ,テクストを手にとって確認してみてください。その訳注をわたしなりに受け止めて,試みてみたのがこの拙文です。

 で,問題の第6章との関係です。第1章の最後の章句,「玄之又玄、衆妙之門」(玄のそのまた奥の玄はありとあらゆる微妙なものが生まれてくるところ・門)は,第6章でいう「玄牝之門、是謂天地根」をも包括していて,共振・共鳴している,とわたしには読めてしまいます。すなわち,「衆妙之門」と「玄牝之門」とは,概念の大小の差異があるものの,イコールで結ぶことができるのではないか,と。

 もっと思い切って言ってしまえば,道(タオ)とは「衆妙之門」であると同時に,性や生殖を営む女性器や男性器をも包括し,その思想・哲学の中核に位置づけているのではないか,と。老子はそのことを強く意識して「道」(タオ)を説いているのではないか,と。

 ここに至りついたとき,「生」の源泉のイメージが透けて浮かび上がってくるようにおもいます。そして,第1章の冒頭の「道可道,非常道」の意味もからだに染み込んできます。さらには,老子が説く「無為自然」の意味も,「一」の思想も,あたまではなく,からだでわかるレベルに移行していきます。

 もっと拡げておけば,『般若心経』に何回も繰り返し登場する「無」の意味も,チベット密教の修行の一つとしてプログラム化されているという「男女和合」の行も,剣術の極意として説かれる「男女和合」の術も,そして,ジョルジュ・バタイユの『エロチシズム』や『エロチシズムの歴史』での主張も,みんな「玄之又玄」での「微妙なもの」(「妙なるもの」の方がわたしとしてはすっきりします)が生まれる「ところ」に連鎖・連動しているのではないか,とおもいます。

 これらのことについては,また,つぎの機会に考えてみたいとおもいます。
 今回はここまで。

2016年1月20日水曜日

「玄牝之門、是謂天地根」(『老子』第6章)。性・生殖の思想・哲学。

 まずは,見出しに引いた「玄牝之門,是謂天地根」の大意をつかんでおきたいとおもいます。読みくだし文にすれば「玄牝の門,これを天地の根という」であり,その大意は「女陰,これがすべてのはじまりだ」となります。これにはおもわずびっくりしてのけ反ってしまいます。しかし,老子は本気です。そして,道家思想の根源はここにある,と主張しているように読み取ることができます。なぜ,そういうことになるのか,姿勢を低くして,まじめに考えてみたいとおもいます。

 『老子』(蜂屋邦夫訳注,岩波文庫)は,いわゆる道家思想の原典に訳注をつけたテクストです。言ってしまえば,広い意味での思想・哲学の書です。思想と哲学は,厳密にいえば違います。しかし,道家思想の立場では,思想も哲学も同じです。というより,区別することを,むしろ無意味である,という立場に立ちます。つまり,思想も哲学も全部ひっくるめて,ものごとを総体としてとらえ,その真理を語ろうとしています。人間や世の中のことを考えるということは,ものごとの総体をすべて視野に入れて考えるべきだ,というわけです。

 どこか,「チョー哲学」(西谷修)の立場につうじている,とわたしは受け止めています。

 つまり,ヨーロッパの伝統的な形而上学からすれば,性や生殖を考察の対象とすることは忌避されてきたのに対し,道家思想では性や生殖を忌避するどころか,むしろ,考察の真っ正面に据え,しかも,そこを出発点とする,毅然たる姿勢を示している,と言っていいとおもいます。

 その典型例が,第6章として登場しています。全部で81章ある中での第6章です。言ってしまえば,序章にあたる部分です。もっとも,厳密にいえば,第1章に,すでに,予告的な言説が現れています。このことについては,のちほど,触れることにします。

 まずは,テクスト(『老子』)の構成を逆にして,原文,読みくだし,訳文の順に,第6章を,ここに書き写してみます。
 それは以下のとおりです。

 谷神不死、是謂玄牝。玄牝之門、是謂天地根。綿綿若存、用之不勤。

 谷神(こくしん)は死せず、是(こ)れ玄牝(げんぴん)と謂(い)う。玄牝の門、是れを天地の根(こん)と謂う。綿綿として存するが若(ごと)く,之(これ)を用いて勤(つ)きず。

 谷の神は不死身である。それを玄妙なる牝(めす)という。玄妙なる牝の陰門(いんもん)を、天地の根源という。ずっと続いて存在し続けているようであるが、いくら働いても尽き果ててしまうことはない。

 以上が第6章の原文と読みくだし文と訳文です。このあとに,著者である蜂屋邦夫による訳注が,こってりとした内容を盛り込んで,つづきます。その重要な部分だけを引いてみますと以下のとおりです。

 1.谷神不死  「谷(こく)」は,たに。空虚で奥深く,低く窪んで水が流れる場所。「谷神(こくしん)」は谷に宿る神のことで,女性器を暗示している。
 2.是謂玄牝  「玄(げん)」は,うす暗くて,測り知れぬほど奥深いありさま。「牝(ひん)」は母性、生殖性。
 3.玄牝之門  女性器そのものを指す。
 4.是謂天地根  「根(こん)」とは,男根・女根の根(こん)と同じで,万物を産み出す生殖器。万物の根源のこと。
 5.綿綿若存  「綿綿(めんめん)」は,ほそぼそと,ずっと続いて絶えないさま。「存するが若(ごと)く」は,存在はしているが,はっきりとは見えないさま。
 6.用之不勤  「勤(きん)」は「労(ろう)」や「尽(じん)」の意味。「労」と「尽」は,疲労して止まってしまうこと。ここは天地の生成作用が限りなく続くことを表わしているので,いま,「尽」の意味に解した。

 この訳注は,じつは,もっと詳細な説明がなされているのですが,長くなりますので,短く要約しました。が,これだけの訳注だけでも,原文の意味するところを深く理解する手助けにはなっているとおもいます。これらの訳注をしっかりと読み込んでみますと,蜂屋邦夫の訳文も,やや淡白になっていて,どこか腰が引けているように感じます。原文を書いた老子は,いろいろの含意をもたせつつも,単刀直入にそのものずばりを言い切っているようにおもいます。

 すなわち,生殖行為そのものである性行為(セックス)も,天地の生成作用と同じで,尽きることなく,限りなく続くのだ,と。この生殖という営みがあるからこそ,人間は絶えることなく永遠に存続していくことができるのだ,と。生殖こそ万物の母である,と。「玄牝之門」とはそういうことなのだ,と。ものごとのはじまりは,すべてここにある,と断言しているのです。

 このように読んできますと,この第6章と第1章とは,みごとに共鳴し合っていることがわかってきます。すなわち,第1章の末尾にある章句「玄之又玄、衆妙之門」は,第6章の「玄妙之門」(玄妙なる牝の陰門)とみごとに響き合っています。

 ここまできますと,では,第1章をどのように読むのか,ということがまったく次元の違う新解釈として提示されなくてはならない,とわたしは考えます。つづけて,次回は,第1章を取り上げてみたいとおもいます。

〔追記のメモ〕
 このような『老子』解釈を可能としたきっかけは,森元庸介さんのプレゼンテーション「ジャン=ピエール・ルジャンドルの舞踊論」と,西谷修さんが,このところ繰り返し主張されている「生きもの」としての人間,そこから思考を立ち上げなくてはいけない,といういわゆる「チョー哲学」があったからだ,と正直に告白しておきます。
 なお,『老子』に書き込まれている「道家思想」は,太極拳の思想の原典にもなっていることを付け加えておきたいとおもいます。

2015年10月5日月曜日

いま,目の前で歴史が「つくられ」ていく。瓦礫の山を目の前にして。この国の行方やいかに。

 政権の舵取りが狂うと,国民の意識も狂ってしまうらしい。もともと「長いものには巻かれろ」的な,権力に従順な国民性も加味して,政権のやりたい放題の政治が,まかりとおっている。まさに,恥も外聞もない,とはこのことだ。ほんとうに,でたらめな政治がまかりとおっていく。しかし,いかに権力に従順な国民性とはいえ,憲法を無視して戦争のできる国への大転換だけは許せない,と多くの国民が目覚めた。にもかかわらず,議会の多数にものを言わせて,国会のルールを破ってまでして法案を押しとおしてしまう。

 こうして,日本国は,まったく新しい歴史の扉を開き,70年の貯金をすべてはたいてしまうという大きな博打に打ってでた。大博打を打ったアベ君は,戦争法案を手土産にアメリカに渡り国連で演説をし,積極的平和主義を貫く,と見得を切った。しかし,その会場の席はがら空きで,アベ君の演説に耳を傾ける外国の首脳はほとんどだれもいなかった。おまけに,オバマ大統領との会談も叶わなかった。なんたる体たらく。

 政権の生命線を賭けてわがものとした戦争法案が,国際社会ではなんの勲章にもならなかった。むしろ,立憲デモクラシーを否定し,国民の意思を無視してまで強引に押し切った政治手法が顰蹙を買うところとなってしまった。もはや,国際社会はアベ君を相手にはしなくなってしまったのだ。戦争法案をごり押ししたあのたった一夜にして,日本国は世界から軽んじられる国家になりはててしまった。

 この事実を,日本のメディアはひた隠しにしている。日本のジャーナリズムは自死にも等しい道を歩みつづけている。だから,国民の大多数はなにも知らないままだ。逆に,アベ君が派手に立ち回っているかのような錯覚を起こすような報道をしている。意図的計画的に。その結果,とんでもない錯覚に陥っている日本人は少なくない。

 たとえば,戦争法案は日本の安全を守るために必要不可欠な法案である,と信じている。事態はまったくの逆だ。戦争法案をもったことによって,日本は安全な国家から危険な国家へと舵を切ってしまったのだ。なぜなら,日本は「戦争をしない国」として70年の実績を残した。だから,国際社会はこの「70年」を奇跡として高く評価してきた。「戦争をしない」と憲法で宣言している国を,一方的に攻撃することはできない。しかし,いつでも戦争ができる国になったとたんに,日本に対する評価は一変してしまったのだ。

日本国は単なるアメリカの属国にすぎない,と。

 そのアメリカからも総スカンを食ってしまった。それどころか,アベ政権はなにをはじめるかわけがわからない,という根底的な不信感を募らせることになってしまった。むしろ,アベ政権に反対する国民の民意の動きに注意を払い,沖縄の辺野古の基地問題にも,沖縄県民の意思を尊重して,議会の議決に気配りをする姿勢まで示した。アベ政権(戦争法案)に反対する国民の意思や,米軍基地に反対する沖縄県民の意思は,日本国政府にではなく,アメリカ政府にとどいている。こんな珍現象が,いま,粛々と進行している。

 いま,わたしたちの目の前で,これまでとはまったく違った日本国の歴史が「つくられ」つつある。立憲デモクラシーを否定するアベ政権と,それによって目覚めた国民の護憲精神との闘いが,アメリカ政府や国際社会の注目するところとなりつつある。しかも,日本のジャーナリズムは死んだふりをして,政権党のいいなりになっている。その結果,政権党にとって都合のいい情報だけが大手をふってまかりととおっていく。気がつけば,国民の一割にも満たない支配層の利益だけが優先され(冨を独占),それ以外の国民は使い捨てにされる(貧困化)。そういう法案がつぎからつぎへと提出され,成立している。こういう現実のなかで,ことの本質を見極めることができないまま,多くの国民が路頭に迷っている。

 それでもなお,憲法違反だけは許せない,という声だけは生きている。そして,戦争だけはいやだ,という感性も生きている。この,たった2点だけでもいい,野党連合を構築てしていくことはできないのか。共産党の志位委員長の提案が際立つ。にもかかわらず,日本会議に片足を突っ込んでいる民主党の腰が引けている。ならば,さっさと政党を再編して,大所高所から大勇断をすべきではないか。小沢一郎が,とうとう,ここにきて「吼えた」。

 その行方やいかに。

2015年7月6日月曜日

スポーツの歴史を叙述するということについて。東ドイツを事例として(船井廣則)。

 1990年,東西ドイツが統合(Reichsgruendung )されたのち,東ドイツのスポーツの歴史をどのように叙述すべきか,という論争がつづいている。断るまでもなく,第二次大戦後,ドイツは東西の二つの国家として分断された。西ドイツは西側の資本主義や自由主義を標榜する国家と足並みを揃えて,戦後の再建に立ち上がる。一方,東ドイツはソ連を宗主国とする国家としてスタートを切る。つまり,マルキシズム(あるいは,史的唯物論)を旗印にした国家づくりである。言ってしまえば,イデオロギーを最優先する考え方が,あらゆる分野にわたって浸透していった。

 当然のことながら,東ドイツのスポーツは,ソ連を手本にした振興策が展開する。そして,スポーツ史を叙述する場合にもマルキシズムのもとでの理想的な共産主義社会建設をめざすことが大前提となった。だから,いかに厳密に史的唯物論の指標に立つ叙述がなされているかどうかが,評価の対象となった。他方,西ドイツはこれまでどおりの資本主義社会を前提とする自由競争の原理を是とするスポーツ史の叙述が展開された。そして,それぞれの国家がお互いに切磋琢磨して,スポーツ競技の世界でも,スポーツ史叙述の分野でも,激しい議論が展開されてきた。

 この両国が統合されて一つの国家となった(1990年)。当然のことながら,さまざまな分野で軋轢が生ずることになった。その一つが,スポーツ史の分野での「叙述」をめぐる論争である。つまり,史的唯物論をいかに超克して,ドイツ・スポーツ史を叙述するか,という問題である。

 この重い問題をテーマにして,船井廣則さんが定年退職を機に,長年の研究成果のエキスを注ぎ込む気合の入った研究発表をした。(日時:6月27日(土)午後2時より。場所:神戸市外国語大学。主催:「ISC・21」6月神戸例会)。補足をしておけば,2年前のスポーツ史学会大会シンポジウム(東洋大学)のシンポジストとしても登壇し,同じ問題を取りあつかった詳細な問題提起をしている。さらに,それをもとにした論考を『スポートロジイ』第3号にも寄稿している。今回は,この論考についての合評会という形式をとったものである。

 詳しいことは,当日の船井さんの発表抄録にゆずることにして,ここでは,その核心部分と,そこから派生してくる重大な諸問題について触れておきたいとおもう。それはわたしたちスポーツ史研究に携わっている者全員が背負わされた十字架のようなものでもある。

 核心部分とは,史的唯物論というイデオロギーはもとより,政治性や社会性にいたるまで,すべて排除して,スポーツを純粋なる「文化」として叙述すべきだ,という主張に対して,それはあまりにもやりすぎだろうという立場の論争である。旧東西ドイツの当事者にとっては大問題であることは間違いないのだが,遠く日本という立場から考えてみると,不思議な議論をいまも大まじめにやっているんだなぁ,と感心してしまう。しかも,「文化」という概念をそんな風に用いてしまっていいものかどうかももあやしいのに・・・。

 とはいえ,この問題は他山の火事ではすまされない。つまり,東西ドイツ統合という「大事件」が引き起こした必然の結果でもあるということを重視すれば,これと同様の,あるいは,もっと大きな問題が,わたしたちにも迫ってきているからである。しかも,それがたいした論争にもならないことの方が大問題かもしれない。

 たとえば,「9・11」という大事件が起きた。これはそれまでの世界秩序を根底からひっくり返すほどの,世界史のターニング・ポイントともなるべき大事件であった。つまり,それ以前と以後とでは,世界というものを考える認識の大前提を大きく揺るがすことになった。歴史家はいちはやくこの問題に対応すべきなのに,黙して語ろうとはしなかった。管見ながら,西谷修さんがいちはやく『世界史の臨界』(岩波書店)を投じて,歴史家たちの反論を待ったが,やはり沈黙のままだった。

 この西谷さんの問題提起を受けて,わたしたちの「ISC・21」月例研究会では,しばしば議論を積み重ね,それぞれの研究テーマに則して,再度,スポーツ史とどのように取組み,いかに叙述すべきかを模索してきている。たとえば,「グローバリゼーション」という世界的趨勢がスポーツ(文化)にいかなる変容を余儀なくしつつあるのか,については何年にもわたって,いまもなお継続して取り組んでいる。

 もう一つの問題は,「3・11」という未曾有の事態に対して,わたしたちのスポーツ史叙述はこれまでどおりでいいのか,という議論である。すでに,わたしたちは遠い未来にあるべきはずであった「破局」を迎えてしまった,という認識に立つJ.P.デュピュイの警告の書『ツナミの小形而上学』(嶋崎正樹訳,岩波書店,2011)を手にしている。その他にも,『経済の未来──世界をその幻惑から解くために』(森元庸介訳,以文社,2013年),『聖なるものの刻印──科学的合理性はなぜ盲目なのか』(西谷修,森元庸介,渡名喜庸哲訳,2014年)がある。そして,それらの訳者のひとりである西谷修さんもJ.P. デュピュイに鋭く反応して,この「破局」をいかにして「先送り」するか,その手立てについて多くの論考を明らかにしている。

 東西ドイツ統合によるイデオロギー論争とは違って,「9・11」も「3・11」もそのよってきたる原因を考えると,気の遠くなるような深刻な問題を内包している。それというのも,ざっくり言ってしまえば,資本主義経済やそれを支える自由競争の原理そのものがすでに「破綻」をきたしているにもかかわらず,それを隠蔽し,現体制を維持しようとする,いわば,国際社会を支配する主要国(G7,など)が居座っているからである。その結果,貧富の格差はますます拡大し,「3・11」のようなどうにもならない「破局」を迎えているにもかかわらず,旧態依然たる秩序体制を維持しようとやっきになっている。

 この問題は,あえて指摘しておけば,近代スポーツ競技の論理とまったく同根であり,その事象そのものが二重写しになっている。スポーツは善なるものだという神話を信じて疑わない人が圧倒的多数であって,このことに気づいて警鐘を鳴らす人はまだ希少である。しかし,近代スポーツ競技がすでに「臨界点」に達していることはだれの眼にも明らがだ。にもかかわらず,その発想から離脱し,移動し,新たな地平に立ち向かおうとする主張もまだまだ希少である。

 当然のことながら,スポーツ史研究の分野でも,真っ正面からこの問題を論ずる者は現れていない。わたしたちの「ISC・21」の研究会は,その希少な事例の一つなのだ。

 このような連関のなかに位置づくものとして,わたしは船井廣則さんのこの間のプレゼンテーションを受け止めている。だから,その意味できわめてセンセーショナルな問題提起だったのだ。そして,わたし自身に突きつけられた宿題も大きくて重い。が,それを避けてとおるわけにはいかないのだ。これを契機にして,これからも折あるごとに,この問題は議論していきたいとおもう。

 本来ならば,東京五輪2020を目前に控えて,こうした議論が熱く語られるべきだと考えているが,そうはならない。そこに,日本国の大きな病根が宿っている,とわたしは考えている。が,この問題はまた別のテーマを立てて論ずることにしよう。

 ということで,今日のところはここまで。

2015年5月29日金曜日

まだまだあるある「ご当地ラジオ体操」。津軽三味線ヴァージョンも。

 いわゆる「ラジオ体操」がらみの情報について,こんなのもある,あんなのもある,という具合にSさんから五月雨式にご指摘がつづくものですから,ならば,わたしも少し調べてみようとおもいたちました。で,初心者らしく,まずは,Wikipedia で「ラジオ体操」を当たってみました。そうしたら,あるわ,あるわ,こんなにもあるのか,とびっくりするほど情報満載でした。

 逆にいえば,よくぞ,こんなにたくさんの情報を調べ上げたものだと感心してしまいました。驚くべき情報量です。興味のある方はどうぞ調べてみてください。それはそれはたいへんなものです。一度にラジオ体操博士になれます。

 ここでは,前回,前々回からのつづきで,いわゆる「ご当地ラジオ体操第一」に限定して,Wikipediaから引いてみました。題して,まだまだあるある「ご当地ラジオ体操」。北は青森から南は奄美,沖縄本島,宮古島にいたるまで,じつに多くの「ご当地ラジオ体操」が存在することがわかりました。以下はその抜粋です。

 Wikipedia(2015年4月7日11:30更新)
 「各地の方言や言語によるラジオ体操」
 2010年前後から,各地の日本語の方言や言語による掛け声や,和楽器・琉球楽器を用いたローカル版が盛んに制作されるようになった。これらは掛け声や伴奏が異なるだけで,曲や体操はNHKが放送しているラジオ体操と同じである。CD制作又は商業配信されているものを以下に挙げる。
 ※以下,末尾の〇印は『ラジオ体操第一お国言葉編』(2013年6月19日にテイチクエンタテイメントが発売したアルバム)に収録されているもの。▽印は『ラジオ体操第一ご当地版』(2013年7月17日に日本コロムビアが発売したアルバム)に収録されているもの(稲垣・注)。

 ラジオ体操第一津軽弁(テイチク版)〇,(日本コロムビア版)▽
 ラジオ体操岩手弁▽
 ラジオ体操〔遠野弁〕版~今日もがんばっぺな~(CD発売)
 おらほのラジオ体操(石巻市)(CD)
 ラジオ体操第一山形弁〇
 鶴岡版おらほのラジオ体操(CD)
 ラジオ体操第一茨城弁▽
 ラジオ体操第一名古屋弁〇
 ラジオ体操第一関西弁〇
 ラジオ体操第一京都弁▽
 ラジオ体操第一大阪弁▽
 ラジオ体操第一広島弁▽
 ラジオ体操第一土佐弁▽
 ラジオ体操第一博多弁(テイチク版)〇,(日本コロムビア版)▽
 ラジオ体操第一熊本弁▽
 ラジオ体操第一鹿児島弁(テイチク版)〇,(日本コロムビア版)▽
 奄美島口ラジオ体操(CD)
 ラジオ体操第一(うちなぁぐち)(CD)
 ラジオ体操第一ウチナーグチ▽
 ラジオ体操~宮古島バージョン(CD,DVD)
 新川スマムニラジオ体操(CD)〇
 ラジオ体操第一英語編〇
 ラジオ体操第一イタリア編〇
 ラジオ体操第一ギニア編(オスマン・サンコンによるスス語の掛け声)〇

 とりあえず,以上です。
 なお,Wikipedia には,それぞれのご当地ラジオ体操についてかんたんな解説がついています。たとえば,掛け声をかけている人,演奏している人,などの名前や,制作年,などです。

 こうして眺めてみますと,2010年前後から,この種の「ラジオ体操版」が全国各地で盛んに制作されるようになったようです。その因果関係は定かではありませんが,どうやら,2011年3月11日の東日本大震災が大きなきっかけになっているようにおもわれてなりません。近代合理主義,あるいは,近代科学主義のシンボルともいうべき「原発安全神話」がもろくも崩れ去ったことの反動ではないか,というのがわたしの見立てです。この点については,もう少し慎重に,詳しく分析していく必要がありますが・・・。

 少なくとも,東日本大震災を契機にして,日本人のこころになにか大きな変化が生まれたことは間違いないとおもいます。とりわけ,ふるさと納税といった,税制改革によって「ふるさと」というものの概念が,それ以前とは少しばかり変化してきたこともたしかでしょう。たとえば,このふるさと納税の制度をつかって,本土に生まれ育った人の中から,そして,本土で仕事をしている人の中から,沖縄県にふるさと納税をするという人が,最近になって激増しているという現象があります。ここでいう「ふるさと」は,明らかに国語辞典的な意味からははずれています。

 こうした動向とはま逆な現象が「ご当地ラジオ体操」なのかなぁ,とぼんやりと考えています。つまり,もっと郷土愛を培っていこう・・・というような・・・・。このあたりのことは,もう少し,具体的な事例を詰めていってから結論を出したいとおもいます。が,なにやら,近代的な意味での「ふるさと」とは違った,新たな「ふるさと」感覚が生まれつつあるようにおもわれてなりません。なにか,こころがほのぼのとするようなことばのイントネーションだとか(つまりは,お国訛り,方言),山や川や森などの景色だとか,朝夕の空の色模様の変化だとか,小鳥の鳴き声だとか,そんな自然との対話に似たような感覚が,わたしの中にはあるようです。

 ふるさとを喪失してしまって(つまり,三河弁がしゃべれなくなってしまって)根なし草になってしまったわたしのような人間は少なくないのではないかとおもいます。地方を転々としたり,故郷を離れて都会に長く暮らしている人の中には,わたしのような人間がかなりいるのではないか,とおもいます。とってつけたような「絆」などということばが,宙に浮いたまま多用される社会は,その裏返しではないかともおもったりしています。

 こんなことがらと,「ご当地ラジオ体操」の流行とはどこかで連動しているのではないか,とあてもなく考えています。

 というようなことで,今回はどどめておきたいとおもいます。

2015年5月28日木曜日

「背伸びの運動やるまいかん」。「方言ラジオ体操」だって? そんなのもあるんだ!とびっくり。

 老人になると世の中に疎くなる,とむかしから言われています。わたしも,とうのむかしに老人の仲間入りをしています。ですから,世の中の常識からは遠のくばかり。もっと,若い人たちとの交流を大事にし,確保しておかないといけない,と反省。

 昨日のブログに,ラジオ体操のことを書きましたら,早速に,わたしの数少ない若い友人のSさんから「方言ラジオ体操」というのがあるのを知ってますか,というメールが入りました。親切に,方言ラジオ体操に関するURLをいくつも書き添えてくださったので,それを端から開いて,一生懸命に勉強しました。

 いやはや,ラジオ体操も,いまや,そこまできたかと正直,驚いています。
 Sさんから教えてもらった情報によりますと,以下のとおりです。

 わたしの出身地である愛知県豊橋市が「豊橋弁ラジオ体操」のスタジオ録音を5月21日に終えて,6月1日から市役所本庁舎内で放送する予定。さらに,これをCDにして市内の学校や福祉施設などに送る,という。

 このCDをなんとか手に入れて,内容をチェックしてみたいとおもっています。その上で,論評を加えてみたい・・・と。でも,このニュース・ソースであるYOMIURI ONLINE(5月22日)によれば以下のようなアレンジがされたということです。
 腕をまわします⇨腕をまわすまい
 ねじる運動⇨ねじりんよー
 といった具合です。その他にも,「調子いいじゃん」「目がまわりそうだら」「背伸びの運動やるまいかん」,など。

 なんともはや,くすぐったくて,想像するだけで笑ってしまいます。これを聞きながらラジオ体操をする豊橋市の市役所の職員や学校の子どもたちはどんな気分でやるんだろうか,とわたしには想像できません。ぜひ,現場で拝見したいものです。

 このご当地「ラジオ体操」なるものは,すでに,あちこちで行われているという情報もSさんから教えてもらいました。たとえば,震災を機に,宮城県石巻市で始められ,つづいて宮崎県都城市でもやっているとのことです。石巻市は「おらほのラジオ体操」,都城市は「みやこんじょ弁ラジオ体操第一」。いずれも,YouTubeでみることができます。

 また,毎日新聞・5月13日配信のネット情報によれば,「秋田弁ラジオ体操」なるものを大館市のまちおこし団体「大館市まるごと体験推進協議会」が作成。5月30日に,札幌市の中学生に披露する,とのこと。こちらは観光資源のひとつとして開発したものであることがわかります。

 Sさん情報によれば,沖縄バージョンもあるとのこと。「うちなーぐち朝のラジオ体操」(2012年3月7日配信,YouTube・Camploo Okinawaさんのチャンネル)がそれ。早速,動画をみてみましたら,びっくり仰天でした。なぜなら,「うちなーぐち」はともかくとして,ラジオ体操そのものが本土のそれとは違うのです。全部ではないですが,かなりの部分が,本土のわたしたちが馴染んでいるラジオ体操とは違います。わたしの目からは,沖縄風に「進化」しているようにみえます。手足の所作が体操であると同時に舞踊的なのです。

 これは意図的にアレンジした結果なのか,それとも自然にそのように変化してしまったのか,わたしの感触としては後者のような気がします。いかにも沖縄的なのです。言ってしまえば,空手の要素と舞踊の要素がミックスされているようにみえるのです。それらの要素がおのずからラジオ体操のなかにしみこんでしまった,というようにみえるのです。そして,この方がやりやすいのではないか,とおもいます。からだに合っているというか,沖縄のリズムに合っているというか,ともかくも沖縄の雰囲気がつたわってくるのです。

このように考えてきますと,こちらは,文化複合の典型的なサンプルになりそうですので,ちょっと真剣に考えてみたいとおもいます。とりあえずは,実際に,現場に立って,この目で確かめてみたいとおもいます。ラジオ体操という味もそっけもない体操が,島から島へと渡っていくうちに文化変容を起こすのはなぜか,文化の伝承とはどういうことなのか,を考える上での貴重なサンプルになることは間違いありません。

 この問題についての思考の結果については,また,いつか,このブログで書いてみたいとおもいます。とりあえずは,Sさんから教えてもらった「方言ラジオ体操」なるものの紹介まで。

2015年5月27日水曜日

ラジオ体操ってなんだ? 号令ひとつで日本人がみんな同じ動きをはじめる,世にも恐ろしい文化装置?

 締め切りのきてしまっている原稿をいくつも抱え込みながら,悶々としながら無為の日々を送っています。そんなときは,街中を歩きながらも原稿のことが頭から離れません。

 そんな原稿のひとつに,「ポスト・グローバル化社会におけるスポーツ文化を考える」というのがあります。仮のタイトルは「スポーツ文化の脱構築」となっていますが,同じ趣旨であればタイトルの変更は可能です。大きなタイトルが与えられていますので,その中でなにを主題にするかが迷いのもとになっています。

 抽象論をもっともらしく論じたところで,そんなものはほとんどなんの意味もない,といまは考えるようになっていますので,新たな手法をみずから見出さなくてはなりません。なぜなら,ポスト・クローバル化社会の問題を考える上では,近代のアカデミズムの手法はもはやなんの役にも立たない,いな,むしろ,その呪縛から脱却しなければならない,と考えるようになったからです。つまり,グローバル化という現象そのものが,まさに,ヨーロッパ近代の論理の諸矛盾の帰結にすぎないということがはっきりしてきたからです。ですから,それに代わるべき新たな論理が必要になってくるというわけです。

 ついでですので,もう少しだけ踏み込んでおきましょう。ヨーロッパ近代の論理とは,別の言い方をすれば,理性中心主義であり,近代合理主義ということです。もっと違う言い方をすれば,科学的合理性を最優先させる考え方です。その結果,人間の「命」の問題がどこかに棚上げにされたまま,科学技術と経済的合理性(とくに,フリードマンの新自由主義)が,社会を国家を,そして世界を支配することになってしまいました。そして,とうとう「命」よりもお金が大事という支配階層が圧倒的な力をもつことになってしまいました。

 この結果が,まあ,言ってしまえば,グローバル化社会というわけです。そのグローバル化社会を超克するポスト・グローバル化社会を想定するには,グローバル化社会をもたらした論理を,一度,御破算にして,初手から論理を組み立て直す必要があります。その論理はどのようなものなのか,そして,それをスポーツ文化論という土俵で語るとしたら,どうなるのか,ここが大問題となります。これをことばで言うとしたら,金よりも「命」を大事にする考え方,ということになるでしょう。

 この視点から,近代スポーツ競技というものをもう一度,初手から見つめなおしてみますと,とても面白い世界が浮かび上がってきます。それらを一つひとつ,具体的な例を挙げて語っていけば,近代合理主義という考え方が含みもつ諸矛盾についてとてもわかりやすく,説得力のある文章が書けるはずです。では,なにを,その具体例として取り上げればいいのか,ここがポイントとなります。

 こんなことをぼんやりと考えながら街中を歩いていましたら,ひょいと,いいアイディアが浮かんできました。それがラジオ体操でした。

 ここでは詳しいことは省きますが,ラジオ体操は,号令をかければ,あるいは,伴奏音楽を鳴らせば,日本人であれば,みんななんの矛盾を感ずることもなく一斉に同じ運動をはじめます。このラジオ体操という文化こそ,近代合理主義が生みだした典型的な産物のひとつです。しかも,日本人であれば,小学校に入学と同時に教えられ,体育の授業の準備運動として,全国津々浦々にいたるまで浸透しています。ですから,大人になってからも,伴奏音楽がなり始めれば,もう自動人形のように体操をはじめます。

 ラジオ体操の歌にもありますように,朝早く起きて,新鮮な空気を胸いっぱいに吸って体操すれば,みんな笑顔になって元気がよみがえる,と信じて疑いません。子どものときから長年にわたってそのように「刷り込まれて」いますから,なにも考えることなく(思考停止のまま),無批判に,そのすべてを容認しています。そして,ラジオ体操のすべてが「善」なるものだと信じて疑いません。つまり,上意下達のための,みごとなまでの優れた文化装置になっています。

 そして,すぐにわたしの頭に浮かんだことは,権威ある人の発言にはきわめて従順に従う国民性の根幹を構築しているのは,ひょっとしたら,ラジオ体操ではないか?ということでした。少なくとも,日本近代の時代精神を構築し,それを支える上で大きな貢献をしてきたことは間違いない,と言っていいでしょう。

 このことにはたと気づいたとたんに,わたしの頭はフル回転をはじめました。そうだ,ポスト・グローバル化社会におけるスポーツ文化を考えるとは,ラジオ体操を批判的に超克し,それに代わるべきまったく新たな体操文化を構築することに他ならない,と。それは,純粋に近代の合理性,すなわち,科学的合理主義や数量的効率主義に支えられたラジオ体操ではなく,そこに「命」を吹き込むための「非合理」性をどのようにして復権させるか,それが問われることになる,と。

 もっと,わかりやすく言ってしまえば,ピノキオのような「関節人形体操」(Gliederpuppenturnen )に,「命」を吹き込み,生きた人間のための運動(Bewegung )を復権させること。

 このさきは,依頼されている原稿の方で展開してみたいとおもいます。今日のところは,そのアイディアの一端のご披露まで。

2015年2月13日金曜日

人間は自然存在(Naturwesen)であると同時に文化的存在(Kulturwesen)です。すなわち,絶対矛盾的存在。

 
 この稿は,いま,少しずつではありますが,書きついでいるシリーズ「スポーツ学」とはなにか,を始める前の書きかけのものでした。もう棄ててしまおうとおもっていましたが,なんだか棄てきれず,残しておいたものです。しかし,いま,読み返してみますと,これはこれで面白かろうとおもいましたので,少し手を加えて,公開することにしました。

 その稿は,つぎのような書き出しではじまっています。

 まことに唐突ですが,かねてから構想中の「スポーツ学」の骨格について,そろそろ世に問うてみたいと考えるようになりました。そこで,まずは,「スポーツ学事始め」の先鞭をつける意味で,「スポーツ学宣言」のためのラフ・スケッチをしてみようと思い立ちました。まだまだ,ほんとうに荒っぽくて,素朴なラフ・スケッチにすぎません。が,まずは,どんなものになるのか,その全体像を明らかにしてみたい,という程度のものです。ご一読の上,忌憚のないご意見や感想などをお聞かせいただければ幸いです。以上が前置き。

 「スポーツ学とはなにか」

 人間は自然存在(Naturwesen)です。と同時に,人間は文化的存在(Kulturwesen)でもあります。ということは,人間は自然存在でありつつ文化的存在である,という相矛盾した存在であるということです。つまり,絶対的矛盾を内に秘めた存在である,というわけです。

 別の言い方をすれば,人間は本能的で情動的な動物であると同時に,情緒的で理性的で知的な生を営む生き物でもある,ということです。もっと言ってしまえば,動物であると同時に人間であるという,股裂き状態,あるいは宙づり状態を生きる生き物である,ということです。

 わたしたちが生きることの困難,悩み,苦しみ,矛盾,苦悩をはじめとする苦難や,折にふれて泣いたり笑ったりする喜怒哀楽の感情が表出する源泉はここにあります。

 この厳然たる事実を確認したところで,まずは,結論のもっとも重要なところをさきどりしておけば以下のようになります。

 スポーツは,動物的な闘争本能を,人間的なルールによって止揚し,成立する文化です。つまり,動物性と人間性という人間存在の根源的な矛盾をそのまま引き受け,理性的なルールによってバランスをとり,コントロールすることによって初めて成立する,文化の一つの様式です。ですから,人間が内包するあらゆる能力を全開にしつつ,止揚することが要求される,人間存在のすべての要素が動員されるきわめて重要な文化なのです。したがって,スポーツに精通するということは,心技体の総合的な能力を錬磨し,そのレベルを高めると同時に,ひとりの人間としての完成をめざすことになります。スポーツ学はその道を極めるための根幹となる学問領域なのです。

 このことを確認した上で,さらに,思考を深めていってみたいとおもいます。

 人間は,自然の中にあって,その中で生を営む生き物です。つまり,海や川や山や平野の中にあって,それらが生みだす恵みをいただくことによって,わたしたちは生きているのです。つまり,きれいな水や空気に守られ,植物や動物のいのちをいただくことによって,わたしたちは生きているのです。ですから,こうした自然環境や動植物のいのちを無駄にしてはなりません。そのことに気づくところから,おのずからなる「もったいない」というこころが芽生えてきます。

 これが自然存在である人間のありのままの姿です。わたしたちは,まず,この事実をしっかりと銘記しておきましょう。

 この自然存在であると同時に文化的存在である人間にとって,スポーツとはなにかと問う学問,それが「スポーツ学」(Sportology)です。この学問は,これまでにはなかったまったく新しい視座に立つ学問です。日本中,いや,世界中を探してみてもどこにも存在しない画期的な学問です。そのなによりの根拠は,Sportology という英語そのものもわたしの発案になる和製英語です。この英語を日本から発信しようというわけです。

 では,なぜ,いま,「スポーツ学」なのでしょうか。それは,21世紀という時代や社会や世界が要請しているからです。なかでも,「9・11」と「3・11」は現代という時代のかかえる諸矛盾をまるごと映し出す象徴的なできごとでした。このできごとを契機にして,わたしたちは好むと好まざるとにかかわらず,ありとあらゆるものの見方や考え方を根源から問い直す必要に迫られることになりました。〔この点については,のちほど,もっと詳しく説明をする予定です〕。その結果,スポーツの世界もまた例外ではありませんでした。そうして,熟慮に熟慮を重ねた末に到達した結論が「スポーツ学」という発想でした。

 その意味でも,「スポーツ学」は日本から世界に向けて発信する,まったく新しい学問である,といっていいでしょう。その新しい学問を立ち上げる現場にいま,わたしたちは立ち会っているのです。世界の最先端に立つ新たな学「スポーツ学」の構築に向けて。ですから,この新しい学をどのような方向に導いていくのか,その内容をいかに構築するのか,ということについては関連するあらゆる分野の専門家の叡知を結集することが必要です。

 その具体的な作業はこれからです。そのためには多くの人たちの情熱的な協力が不可欠です。

 そのためには,まずは,議論のための「たたき台」が必要です。そこで,以下には,そのたたき台となる「スポーツ学」の具体的な骨格について提案してみたいと思います。

 「スポーツ学」は三つの柱を想定しています。
 一つは,スポーツ実践学。
 二つ目は,スポーツ科学。
 そして,三つ目は,スポーツ文化学。
 この三つです。

 まず最初のスポーツ実践学から,順に,いま考えていることを,ごくかんたんに触れておきますと以下のようになります。

 スポーツ学の目玉は「スポーツ実践学」です。基本的には,スポーツ科学とスポーツ文化学とを車の両輪とし,具体的なスポーツ実践の学の構築をめざします。ここには,大きく分けて三つの分野があると考えています。一つは生涯スポーツ,二つには競技スポーツ,三つには学校体育です。これらの分野には,すでに多くの「実践」の叡知が蓄積されています。しかし,初心者からベテランに至る「実践」のノウハウは,個人的な名人芸であったり,ある特定のグループのトップ・シークレットであったりして,そのスタンダードを共有するところには達していません。そのスタンダードを共有し,さらにブラッシュ・アップしていくこと,それがスポーツ実践学のめざすところです。

 二つ目のスポーツ科学については,すでに,多くの実績を積んできており,しかも公開され,共有されてきています。ですので,それらのもつ可能性と限界を見極めつつ,いかなる専門領域がこんごも有効かどうかを検討し直して,再構築していくことになろうかとおもいます。そこにこそ多くの議論と叡知が求められることになるでしょう。

 三つ目のスポーツ文化学の中核になる学問は,スポーツの思想・哲学とスポーツの歴史です。つまり,哲学と歴史を中核に据えないスポーツ文化学は,ゆくさき不明の迷い舟となってしまいます。この二つは「スポーツ学」の根幹をなすと言っても過言ではありません。このスポーツ文化学のなかで,きわめて重要だと考えている学は「スポーツ人間学」です。まずは,人間とはなにかを問い,そして,スポーツをする人間とはなにかを考える領域です。この「スポーツ人間学」に,さらにどのような学を加え,スポーツ文化学の全体を構想するかは,これからの議論に委ねたいと思います。

 さて,最後にもう一度,スポーツ実践学にもどって,この稿のまとめをしておきたいとおもいます。

 スポーツを実践するのは,生身の生き物,すなわち自然存在である人間であると同時に,社会的なルールやマナーを身につけた文化的存在である人間でもあります。最初に書きましたように,この絶対的矛盾を内に秘めた人間がスポーツを実践すること,このことの意味はどこにあるのかということを明らかにしておきたいとおもいます。

 長くなっていますので,手短に結論部分だけを書いておきますと以下のとおりです。

 西田幾多郎のいう「絶対矛盾的自己同一」を実現すること,この一点にあります。人間の内なる動物性と,後天的に身につけることになる人間性とを「自己同一」させること。大相撲の世界では「心・技・体」ということがよく言われます。スポーツ実践においても同じです。日々の練習をとおして「技能」を高めていくこと,そのことによって「心」と「体」とが一つに結びつくことになります。トップ・アスリートとは,この理想を体現することができた人,と言っていいでしょう。このことは,生涯スポーツや学校体育についても同様です。

 これらの各論については,また,稿をあらためて論じてみたいとおもいます。それは,いま,展開していますシリーズ「スポーツ学」とはなにか,のなかで試みてみたいとおもいます。その一部は,すでに,論じておきましたので参照していただければ幸いです。

2015年2月7日土曜日

「スポーツ学」とはなにか。その10.スポーツとはなにか。Ⅱ.スポーツは「贈与」である。

 このシリーズ,少し休んでしまいましたが,再開したいとおもいます。これからも,とびとびになるかも知れませんが・・・・。

 マルセル・モースの名著である『贈与論』は,わたしの考える「スポーツとはなにか」という問いに対して,じつに多くのヒントを提供してくれるとてもありがたいテクストです。現代社会で用いられている「贈与」ということばはどこかうさんくさい匂いがしますが,マルセル・モースの言う「贈与」はそれとはまるで別世界の用語です。

 かんたんに触れておけば,近代経済学(資本主義経済)が確立する以前の,前近代までの経済の根本原理は「贈与」にあった,ということを人類学的手法を用いて明らかにしたもの,それがマルセル・モースの『贈与論』です。この『贈与論』のなかで展開されている一つの重要な概念に「ポトラッチ」という前近代社会の習俗があります。

 たとえば,ポリネシアの島々では,島から島へと「贈与」が行われていた時代があります。それは,ある島で冨(財産)が蓄積されると,その冨をあまり豊かではないとおもわれる島にプレゼント(贈与)します。それを受けとった島は,そのプレゼントにさらに冨を加えて,また,別のあまり豊かではないとおもわれる島にプレゼントします。こうして,つぎからつぎへとプレゼントを繰り返しているうちに,とてつもなく大きな冨となって,もとの島にもどってきます。すると,この冨をみんなのみている前で惜しみなく海に棄ててしまったり,火を放って燃やしてしまいます。そうして,一旦,冨をゼロにしてしまいます。こうした「贈与」行為を「ポトラッチ」と呼びます。

 こうした「ポトラッチ」は,個人のレベルでも行われます。たとえば,ある島の中で,ある特定個人が必要以上に冨を蓄積した場合,この冨を近所の困っている人にプレゼントして,自分はゼロからスタートし直します。このプレゼントを受けとった人は,この冨に少しでも上乗せをして,これをまた別の困っている人にプレゼントします。こうして,巡り巡ってふたたび最初にプレゼントした人のところにもどってきます。すると,そのとき自分が所有していた冨と併せて,みんなのみている前で海に棄ててしまったり,火を点けて燃やしてしまいます。そして,一旦,ゼロの状態にもどします。

 あるいは,一年一度,必要以上に冨がたまってしまった人は,その冨をみんなに分け与えてしまい,ゼロにもどして,再スタートを切るということも行われていたことが知られています。

 こうした個人のレベルでの「ポトラッチ」は,「男らしさ」の証とされ,人びとの信頼をえることになり,みずからの住み心地をよくするための文化装置だったのではないか,と考えられています。島から島への「ポトラッチ」は,一種の平和外交と考えられ,敵愾心はありませんよ,戦争をする冨はもっていませんよ,という証として行われたのではないか,と考えられています。

 こうした,個人,または,集団がもっている冨を「贈与」する行為は,貧富の格差の解消を目指すと同時に,つねに身の潔白を証明する行為として考えることもできます。言ってみれば,無償の「消尽」と同じような意味をもっていたのではないか,と。つまり,冨を溜め込まないで,公衆の面前で「消尽」する,そして,ゼロにして再スタートを切る,これが「みんな仲良く暮らしていく」ための智恵の所産だったのではないか,という次第です。

 このもっとも典型的な文化装置のひとつが「祝祭」(日本で行われてきた「お祭り」)です。年に一度,蓄積された冨を「消尽」することを,集落全員で言祝ぐための文化装置,というわけです。こんにちでも,お祭りの「寄付」をけちると,その家の屋敷の中で,神輿が暴れたり,獅子舞いが暴れたりして,それなりの見せしめが行われることはよく知られているとおりです。

 さて,前置きが長くなってしまいましたが,この「ポトラッチ」という「贈与」の話をひととびにスポーツにつなげてみたいとおもいます。

 たとえば,古代ギリシアで行われていたオリンピアの祭典競技(古代オリンピック競技)で繰り広げられた「祝祭」は,まさに,この「ポトラッチ」の精神,すなわち「消尽」が重要な役割をはたしていたと考えていいでしょう。それぞれのポリスを代表して出場する選手たちは,それぞれにゼウスの神殿の前で生贄の牛を捧げ,祈ります。そして,殺した牛の血を祭壇に塗り,肉は焼いてみんなで分け合い,共食します。その上で,選手たちは,それぞれの競技で全力を出し切り,全エネルギーを「消尽」します。そうすることによって,ゼウス神の神判を受けるわけです。古代ギリシアの人びとは,勝敗は神の意思によって決まると信じていました。ですから,競技は人間(ポリス市民)から神への「贈与」として行われていた,と考えることができます。

 これが近代オリンピック競技になりますと,すっかり様変わりをしたかにみえますが,その骨格の部分はほとんど変わってはいません。たとえば,ゼウス神が,別の「神さま」に変わっただけの話です。選手たちはそれぞれの信仰のレベルで「神さま」に祈っています。いわゆる必勝祈願です。あるいは,古来からの神さまの代わりに,「科学」や「経済」という新しい「神さま」に祈りをささげています。つまり,新しい「神話」(「科学神話」,「経済原則」,「自由競争」,など)の世界に,こんにちのアスリートたちの身体はからめ捕られ,もはや,そこから抜け出すことは不可能になってさえいます。それは,日々のトレーニングからしてそうです。

 近代のスポーツ競技は,こうした新しい神々への「贈与」ではないか,とわたしは考えています。つまり,自己を超越するものへの「贈与」というわけです。

 このあたりのことも書きはじめますと,際限がありませんので,ここではこの程度にとどめおきたいとおもいます。しかし,もう一点だけ触れておきたい重要なことが,「スポーツ贈与論」としては不可欠ですので,その点については書いておかなければならないとおもいます。

 が,すでに,長くなっていますので,この稿はここで一旦,カットして,この稿の「つづき」として書いてみたいとおもいます。
 ということで,今日のところはここまで。

2015年1月26日月曜日

ダブル・ダッチ。競技化の壁=人間の<事物化>,とどのように折り合いをつけるか。

 1月24日(土)に開催されたISC21・1月奈良例会で,思いがけない収穫がありました。若い院生さんが,ダブル・ダッチの競技化をめぐる問題について,研究発表をしてくれたお蔭です。

 その要旨は,以下のとおりです。ダブル・ダッチはもともと遊びでした。それがいつしか競い合うようになりました。そして,ついには競技化することになって,近代スポーツ競技の仲間入りをはたそうとしています。しかし,そのためには,だれもが納得するきちんとしたルールが必要になります。そこで問題になるのが,ダブル・ダッチのパフォーマンスの優劣を決める基準づくりと,その採点方法です。

 現段階では,二つの競技の方法が模索されています。一つは「技の得点を競う大会」,もう一つは「パフォーマンスを競う大会です。前者は「規定演技+スピード+フリースタイル」の合計点,後者は「技術力・構成力・表現力・完成度・オリジナリティー」の5項目を採点した合計点,という違いがあります。

 共通する問題点は,演技を採点する,つまり,点数化することによって,ダブル・ダッチがもともと持っていた「遊び」の楽しさがそぎ落とされてしまい,形骸化していく傾向があること,採点基準の根拠があいまいなこと,観客の印象(できばえ,採点)と審査員の点数との間にギャップがあること,などです。

 この発表を聞いていて,わたしもまたいろいろと考えることがありました。とてもいい勉強をさせてもらったとおもっています。その要点を記しておきますと,以下のとおりです。

 この問題は,体操競技やフィギュア・スケート,新体操や太極拳などと同じで,いわゆる採点競技に共通する問題です。そして,その問題の中核をなしているのは,「人間の<事物化>」という「思想・哲学」上の問題だ,ということです。その概要は以下のとおりです。

 遊びを点数化することはできるのか。あるいは,遊びのパフォーマンスを点数化することはできるのか。あるいはまた,技術や表現を点数化することはできるのか。結論をさきに言っておけば,それは不可能です。しかし,遊びであったダブル・ダッチを競技化し,その優劣を決するということになれば,それを無理矢理「できる」ことにしなければなりません。ここに大きな「飛躍」があります。では,その「飛躍」とはなにか。

 採点競技の最大の難点は,採点の基準を「ことば」で表現しなければならない,ということにあります。つまり,だれもが納得できる「ルール」は,まずは,「ことば」で表記しなければなりません。「ことば」で表記するということは,だれの眼にもみえていることだけに限定されてしまいます。つまり,言語化し,それを点数化する,という篩にかけることによって,ダブル・ダッチのもつ魅力の多くの要素が抜け落ちてしまいます。そこに立ち現れるものは,ダブル・ダッチの形骸化したものだけ,ということになります。

 つまり,客観化できる要素だけが残って,客観化できない要素は点数化の対象にはならない,ということです。すなわち,楽しさや心地よさといった主観的な要素は,すべて点数化の対象からは外れてしまう,ということです。

 このことはなにを意味しているのでしょうか。結論から言っておきますと,それは「人間の<事物化>」です。生身の人間を<事物>としてとらえることになる,ということです。すなわち<モノ化>です。

 もう一歩踏み込んでおきましょう。それは「人間の生の否定」です。「生きもの」としての人間の存在を否定するということです。

 「人間が生きる」ということを擁護する,これが<善>だとすれば(西田幾多郎),競技の点数化は<善>に反する行為だということになります。

 しかし,ダブル・ダッチの競技化には点数化は不可欠です。このとき,数量的合理主義の考え方は採点基準を定めたり,点数化する上でとても役に立ちます。多くの人びとを説得し,認識を共有する上では,大いに威力を発揮します。つまり,「有用性」が高いということです。しかし,この「有用性」には<限界>がある(バタイユ),ということを忘れてはなりません。つまり,一定の歯止めが必要だということです。

 ということは,数量的合理主義の考え方をどこまで取り入れて,客観的に数量化(点数化)できない主観的な要素をどの程度まで残すか,この両者のバランスをとること,つまり<折り合い>をつけることが大事な課題である,ということになるでしょう。

 ダブル・ダッチの競技化の壁=人間の<事物化>。この壁とどのように折り合いをつけるか,すなわち<絶対矛盾的自己同一>をはたすか。いま,ダブル・ダッチが問われている問題の核心はここにある,と言っていいでしょう。

2015年1月18日日曜日

「スポーツ学」とはなにか。その9.スポーツとはなにか。Ⅰ.スポーツの始原について。

 このブログでは,「スポーツ学」とはなにか,と問いかけながら,最初に「学」としての可能性を考えました。つづいて,その「学」は「人間」とはいかなる存在なのか,そして,その「人間」をどのように理解しようとしているのかを考えました。さらに,具体的に,では「スポーツする人間」とはどういう存在なのか,そして,「スポーツする人間」とはなにを目指しているのかを考えてきました。

 その結論は,抽象的な言い方になりますが,「絶対矛盾的自己同一」の実現にある,というところに到達しました。となりますと,では,この「絶対矛盾的自己同一」を実現させるための「スポーツとはなにか」が,わたしたちが考えなくてはならないつぎなるテーマとして登場します。

 「スポーツとはなにか」。このテーマはある意味では無限です。ですから,この永遠のテーマを総合的に追求する「学」こそが「スポーツ学」なのだ,と言っていいでしょう。「スポーツ学」とは「スポーツの学」です。したがって,「スポーツ学」が研究対象とする「スポーツ」とはなにか,それがこれから考えていこうとする課題です。

 しかし,この課題にたいして真っ正面から応答しようとしますと,何冊もの本が書けるほどの分量になってしまいます。そこで,このブログでは,これまであまり光が当てられてこなかったテーマに絞って考えてみたいと思います。それも詳細にではなく,ごく重要だと思われる中核部分に光を当ててみたいと思います。ですから,これから書かれることは,多くの人びとにとっては意外なこと,想定外のこと,と思われるかもしれません。が,しばらくお付き合いください。

 最初のテーマは「スポーツの始原について」です。別の言い方をすれば,スポーツ,あるいは,スポーツ的なるもの,がどのような情況のなかから出現してきたのか,すなわち,スポーツの起源はなにか,を考えてみようということです。

 この問題は,このブログでいえば,「人間とはいかなる存在なのか」という問い(その6.)と連動することになります。それは,ヒトが動物の世界から離脱し,人間の世界へと移動したとき,なにが起きたのかという問題です。すなわち,ヒトから人間になるとき,なにが起きたのかという問いとリンクする,ということです。

 ここでは,繰り返しの議論はできるだけ回避して,その骨子だけを以下に述べておきたいと思います。

 ヒトが動物の世界から<横滑り>(バタイユ)して離脱したとき,ヒトははじめて「理性」(思考,記憶)を獲得し「人間」となります。つまり,「なぜ?」という理由・根拠(reason )を問うようになります。そのときの最大の難関は「他者」の存在に気づいたということです。それと同時に「自己」が意識されるようになります。こうして,「わたし」とその周囲に存在する「他者」との関係を考えるようになります。

 こうして,「わたし」の意のままになる「他者」(自然)をわがものとし,生活の基盤を確保していきます。しかし,どうしても意のままにならない「他者」(自然)が存在することに気づきます。なかでもわけのわからない「雷」のような自然現象の前では,原初の人間は,ただ,ただ,怯え,震えるだけです。そして,人間の意のままにはならない,とてつもなく大きな「力」が存在する,と考えるようになります。つまり,畏怖の念の誕生です。

 そのうちに「雷」が鳴りはじめたら怯えながらからだを丸めて「祈る」という所作をする人間が登場します。「雷」は一定の時間が経過すると納まります。こうして「祈り」と「雷」との関係が意味をもちはじめます。つまり,祈るとそれに応答する存在(=神)を意識するようになります。こうして「雷」は「神が鳴る」(=かみなり)のだから祈ればいい,という因果関係が定着してきます。

 つまり,人間にはどうしようもない,人間を超える「力」をもった存在を意識するようになり,これらを「超越神」としてひとくくりに考えるようになります(合理化)。そうして,これらの「超越神」には「祈り」を捧げればいい,と考えるようになります(儀礼の誕生)。こうして,祈りの儀礼が定着するようになります。と同時に,祈りの儀礼がさまざまに進化していきます。さまざまな礼拝の仕方,舞い踊り,即興詩の吟唱,楽器の演奏,歌唱,相撲(素舞い,力くらべ),祈祷,呪術,祝詞,など。

 こうした「祈りの儀礼」のひとつが,古代オリンピアの祭典競技です。古代のギリシア人は,神々の頂点に立つゼウス神を喜ばせる「祈りの儀礼」のひとつとして「スポーツ競技」を取り上げました。これが古代オリンピック競技のはじまりです。

 ついでに補足しておきますと,古代ギリシアの四大祭典競技のうち,ピュティアでは即興詩の朗詠(音楽)の競技が,ネメアでは即興舞踊の競技が行われていました。これらは,いずれも「祈りの儀礼」として進化をとげたものばかりです。こうした歌舞音曲(芸能)の起源はすべて「祈りの儀礼」が進化したものです。その中に,人並みはずれた身体能力を発揮する「スポーツ」(古代ギリシアでは「競技」)も加えられていたということです。

 つまり,歌も舞踊もスポーツも,古代にあっては芸能であり,いずれも「祈りの儀礼」から進化したものだ,ということです。そして,忘れてはならないことは,これらの芸能のめざすところは「自己を超え出る」こと,つまり「トランス状態」(エクスターズ/憑依状態)に入ることによって,「神」と共振・共鳴することにあった,ということです。こんにちもなお,時折,現出する「スポーツによる熱狂」の源泉はここにあるというわけです。

 サッカーのピッチに「神が降臨した」・・・・このスーパー・プレイが出現したときの決まり文句も,じつはこうした背景と通底している,現代の神話です。

 スポーツの始原をこのように考えてみますと,こんにち,わたしたちが享受しているスポーツがいかに特殊な文化として変化・変容してきたものであるか,ということが歴然としてきます。となりますと,「スポーツとはなにか」という問いの意味がますます重くなってきます。

 というわけで,これからしばらくは「スポーツとはなにか」について,さまざまな断章を切り取ってきて思考を深めていく努力をしてみたいと思います。

2015年1月17日土曜日

「スポーツ学」とはなにか・その8.スポーツする人間とはなにか・Ⅱ。

 その7.「スポーツする人間とはなにか」(Ⅰ)のつづきです。すなわち,(Ⅱ)。

 前回の結論は,「スポーツする人間」は,西田幾多郎がめざした「絶対矛盾的自己同一」のひとつの実現形態である,ということでした。この結論は大急ぎでくだしたものですので,大いに飛躍がありました。そこで,今回は,その飛躍の部分をもう少しだけ立ち入って考えてみたいと思います。

 西田幾多郎は『善の研究』という本のなかで,「純粋経験」という概念を提示しています。わたしたちは,生まれてから死ぬまでの間にいろいろの経験をします。それらの経験の多くは,ある事象の進展と思考とがフィードバックしながら脳やからだに刻まれていきます。そして,それらが経験知となって蓄積されていきます。

 しかし,西田幾多郎が提示した「純粋経験」はそういう経験のなかでもきわめて特殊なものを意味しています。それは,わたしたちの意識が立ち現れる前の「経験」を意味しています。たとえば,気がついたらからだが動いていた,というような経験です。無意識のレベルでからだが反応する,といえばいいでしょうか。こういう経験を西田幾多郎は「純粋経験」と名づけました。

 もう少し具体的に考えてみましょう。たとえば,「転ぶ」という経験。これはだれもがしたことのある日常的な経験です。しかし,この「転ぶ」という経験は,よく考えてみますと不思議な構造になっていることがわかってきます。

 なにかに躓いて,からだが投げ出され,重心を失って倒れ,勢いあまって転がる,という場面を想定してみましょう。なにかに躓いた瞬間は,なにが起きたのかわかりません。「ハッ」とするだけです。しかし,からだは無意識のうちにすでに身構えています。この身構えるからだが「純粋経験」です。意識が立ち現れる以前に起こる行為(=経験)というわけです。そして,からだが投げ出されて宙に浮いたころになって,なにが起きたのか朧げながらわかってきます。ここからさきは徐々に意識の世界に入っていきます。最後に転がるときには,きちんと意識がもどってきて,とっさに受け身をとったりします。

 つまり,「転ぶ」という経験は,ほんの一瞬のできごとですが,最初の瞬間には自己を見失います。見失いつつもからだは勝手に反応します。そのあとに,自己が立ち現れ,意識的に対応をしようとします。この自己が自己ではなくなる経験,これが「転ぶ」という経験のポイントとなります(荒川修作・「養老天命反転地」)。別の言い方をすれば,「自己を超え出る経験」です。これが純粋経験の核心です。

 ここまで考えてくれば,この「純粋経験」がスポーツの場面ではいくらでも表出する,わたしたちには馴染みのある経験だということがわかってきます。お相撲さんがよく口にする「からだが動く」も純粋経験です。調子がいいときには,頭で考え,命令をする前に,からだが勝手に動く,ということです。しかも,この「からだが勝手に動く」ことの背景には十分な「稽古」があることは当然です。稽古を積み重ねた結果として,お相撲を取るからだができあがってきます。そして,絶好調のときには「からだが勝手に動く」という状態になる,というわけです。

 こんな経験はどのスポーツにもあります。むしろ,スポーツはこの「純粋経験」の冴え方を競い合っていると言っても過言ではないでしょう。西田幾多郎は,この「純粋経験」をさらに追求していって,そのさきに現れるからだの反応を「行為的直観」と表現しました。つまり,からだの動き(行為)となって表出する直観,ということです。ふつうに直観と言った場合には,からだの動きは伴わない「静的」なものを意味します。しかし,それとは異なる,からだの動きを伴う「動的」な直観が存在すると西田は考えました。それが「行為的直観」です。

 たとえば,剣道の試合を考えてみましょう。相手の竹刀が打ち込みにかかった瞬間に受け手は無意識のうちにその打ち込みにもっともふさわしい構えをとります(稽古の賜物ですが)。そして,つぎにどのように裁いて,どのように打ち返すかも瞬時にからだが反応していきます。この反応は意識とは無関係です。そして,お互いが打ち合ってすり抜けたあとになって意識が蘇ってきます。ですから,打ち合った瞬間のことはほとんど記憶に残っていないということがよく起きます。このとき働いているのは「行為的直観」だ,と西田は考えました。

 気と気が触れ合って共振し,からだとからだが反応し合って共鳴し,瞬時にして打ち合いすり抜ける・・・この一連の動作が無意識のうちに繰り広げられる。こういうことが,時として起こる場合があります。これが「行為的直観」の出現の「場」です。言ってしまえば,からだのひらめきの「場」,ということになります。

 しかし,からだがひらめく,という事態を詳細に,あるいは,論理的に説明することは不可能です。なぜなら,「行為」と「直観」とは相容れないものであるからです。つまり,ふつうに考えれば,あるひらめき(直観)があって,その上でからだが動く(行為)という順序を踏みます。しかし,「行為的直観」は,からだがさきに反応することによって成立する「直観」,あるいは,両者が同時に反応することによって立ち現れる「直観」です。つまり,矛盾したことが,瞬時にして同時に起きる(起きている)と西田は考えました。

 人間の行為,日常の所作というものも,よくよく考えてみると,そのほとんどが無意識のもとで行われています。考えるともなく動いたり,動いてしまってから考えたり,というようなことはいくらでも起きています。このとき,わたしたちは「行為」も「直観」も意識してはいません。むしろ,無意識のうちにこの矛盾する両者を連動させています。そして,みごとに調和させています。わたしたちの生活(生きる営み)はこの矛盾する両者のみごとなバランスの上に成り立っているということがわかってきます。こうした調和状態のことを西田幾多郎は,ひとくちで,「絶対矛盾的自己同一」と表現しました。

 もちろん,厳密にいいますと,西田幾多郎のこの「絶対矛盾的自己同一」という概念はもっともっと深い意味と広がりをもっています。たとえば,わたしたちは「動物」であると同時に「人間」でもあります。この両者も「絶対矛盾」です。しかし,この両者を「自己同一」させないことには,現実の生活は成り立ちません。この問題をもっと解いていきますと,本能と理性,情動と知性,感情と思考,こころとからだ,という具合に,「絶対矛盾」を抱え込みながら「自己同一」することによって,わたしたちの「生」が成立していることがわかってきます。

 このように考えてきますと,「スポーツする人間」というものは,こうした「絶対矛盾的自己同一」を,一定の条件(ルール,場所,観衆,用具,施設,など)のもとで,いかにしてより高いレベルで実現させるか,ということを日夜,考え,努力している「生きもの」だ,ということがわかってきます。すなわち,スポーツは人間を,その内なる動物性をも含めて,トータルに鍛え,発現させる文化である,と言っていいでしょう。

 以上から明らかなように,「スポーツ学」は,「人間」や「スポーツする人間」について,さまざまな角度から理解を深めていき,最終的には,「スポーツとはなにか」を探求していく新しい「学」の成立をめざします。

 その9.では「スポーツとはなにか」について考えてみたいと思います。

2015年1月7日水曜日

野見宿禰の怨霊が塚に封じこめられている・・・?出雲国造家の千家によって。

 1月3日のブログ「野見宿禰とは何者か。塚が発信しているもの」を読まれた,『穂国幻史考』の著者で古代史研究者の柴田晴廣さんから,とても重要なコメントをいただきました(のちほど紹介)。その真意は,どうやら,わたしに「なぜ,気づかないのか」と婉曲にヒントを与えてくれることにあったようです。感度の鈍いわたしは,なぜ,このようなコメントを書いてくださったのか,しばらく考えてしまいました。が,突然,「ハッ」と気づきました。その気づきが正しいかどうかはわかりません。が,わたしとしては「なるほど」「そうだったのか」と納得のいくものでしたので,ここに書き記してみたいと思います。

 
もしかして,野見宿禰はこの塚の中に「封印」されていのでは? これがわたしの気づいた核心です。まずは,写真をご覧ください。この石でできた門扉をじっと眼を凝らして眺めてみてください。なんとも不思議な形態であることがわかります。

 一見したところ,鳥居に似ていますが,つくりはまるで違います。鳥居のようであってそうではない。しかも,門扉のようであって単なる門扉ではない。なぜなら,この門扉は開け閉めができません。二本の石柱に組み込まれている門扉の外見からして,かなり厚い石の門扉であることがわかります。つまり,がっちりと固定されていて不動の構えをした門扉です。にもかかわらず,その「開かず」の門扉に向かって石段が組まれています。登りつめてみますと,石段と門扉の間にスペースはありません。つまり,拝所も存在しないということです。では,いったい,この石段はなんのために作られているのでしょう。世を憚る偽装・・・?

 
このように考えてきますと,なんとも奇妙な建造物であることがわかってきます。この門扉をデザインした人はなにを考え,なにを表現しようとしていたのでしょう。あるいは,依頼人の出雲大社千家氏は,なにを考え,どのような注文を出したのでしょう。そんなことを考えながら,じっと眺めているうちに,いくつもの不思議がみえてきました。

 そういえば,野見宿禰神社と称しながら,この神社には鳥居がありません。ここにあって当然と思われる場所にも鳥居はありません。ただ,だらだらとした長い参道が山の中にあるだけです。しかも,最後の詰めの登りのところは長くつづく立派な石段があって,一直線に塚に向かっています。ここの入口にも鳥居はありません。

 
ですから,どこからどこまでが野見宿禰神社の境内になるのか,つかみどころがありません。せめて,鳥居でもあれば,ここが神社の入口だということがはっきりします。なんともはやつかみ所のない神社という印象は否めません。

 というように考えてきますと,やはり,千家氏の家紋の彫り込んである「開かず」の門扉が,大きな鍵を握っているように思います。まるで,野見宿禰を塚の中に封じこめるための装置,それが「開かず」の門扉の意味するところ,であるかのように。しかも,そこには千家氏の家紋まで彫り込んである・・・・。千家氏の相当に強い意思のようなものが透けて見えてきます。

 さて,そこで,冒頭に書きましたように,柴田晴廣さんからのコメントが大きな意味をもってきます。そのコメントの要点を以下に紹介しておきましょう。

 柴田さんの説によれば,出雲国造家である千家氏は出雲族を裏切った「裏切り者」の家系だ,というのです。その根拠は『日本書紀』巻5崇神60年条の記載にある,と。もう一つは『古事記』垂仁条の記載を挙げています。その核心部分は「出雲神宝献上」事件である,と。その経緯は以下のとおりです。当時の出雲のリーダーであった出雲振根に対してヤマト朝廷は出雲の神宝を献上するようにと要請します。しかし,振根はそれを拒否します。すると,振根は誅殺されてしまいます。その後,振根の弟の子が出雲の神宝をヤマト朝廷に献上してしまいます。そして,この振根に反旗を翻した弟の子孫が,出雲国造家となった,と考えられる,というのが柴田さんのお考えです。そして,野見宿禰は振根の系譜に連なる人物だったのではないか,と柴田さんは推理されています。

 じつは,ほんとうの柴田さんのコメントはもっと精緻なものですが,わたしが簡略化して,わかりやすく書き直しています。お許しのほどを。

 もしも,柴田さんのお考えのように,千家氏が出雲の「裏切り者」であったとしたら,千家氏が野見宿禰の怨霊に怯えるのは当然です。そのように考えれば,野見宿禰の塚に,千家氏が奇妙な「門扉」を建てて野見宿禰の怨霊を封印してしまおう,という発想がでてきてもなんの不思議もありません。こういう経緯があるからこそ,野見宿禰は出雲大社にも合祀されているのだ,と柴田さんは指摘されています。

 こうなってきますと,かつて,梅原猛さんが書いて話題となった『隠された十字架』の謎解きを彷彿とさせます。それによりますと,法隆寺の山門は5本の柱で作られているが,これは聖徳太子一族の怨霊を封じこめるための仕掛けである,と言うわけです。

 かくして,野見宿禰のイメージが少し豊かになってきました。やはり,古代史の謎解きは面白くて,止められません。困ったものですが・・・・。

2015年1月6日火曜日

「スポーツ学」とはなにか。その7.スポーツする人間とはなにか・Ⅰ。

 人間とはいかなる存在なのか。これが前回(その6.)のテーマでした。そして,その結論は,人間とは,生身のからだを生きる「生きもの」であり,しかも本能と理性に引き裂かれた宙づり状態で存在する「生きもの」である,というものでした。

 では,この本能と理性に引き裂かれた宙づり状態で存在する「生きもの」としての人間であるわたしたちは,どのようにして本能と理性を統合し,ひとりの人間としての全体の調和をとればいいのでしょうか。このテーマは古今東西,宗教家や哲学者,そして文学者をはじめ,あらゆるジャンルの専門家が向き合い,格闘してきました。ピカソが好んで描いた「ケンタウロス」(半人半獣)の絵はその典型的なものの一つです。しかし,このテーマはいまもって確たる結論にはいたっていません。なぜなら,時代も社会も人びとの感性もどんどん変化していくからです。

 ですから,わたしたちは,いま,ここ,を生きるひとりの人間として,それぞれの必要や制約に応じて,個別にその調和をめざすしかありません。そのため,わたしたちは「わたし」とはいったい何者なのか,という問いをつねに内に抱え込むことになります。これはごく当たり前のことなのです。こうした問いを繰り返しながら,みずからの生き方を模索し,徐々に成長し,人生を構築していくことになります。それが「生きる」ということです。

 そんな人生の探求者のひとりに,西田幾多郎という哲学者がいます。生涯にわたって人間が生きるとはどういうことなのか,人間が存在するとはどういうことなのか,を考えつづけた人です。その西田幾多郎のたどりついた結論が「絶対矛盾的自己同一」です。かんたんに説明しておきますと,以下のようになります。

 本能と理性とは相容れないもの同士であって,けして「自己同一」することはありえません。そのありえないことを,西田幾多郎は「絶対矛盾」と表現しました。しかし,この「絶対矛盾」を自己の内で「同一」化しないことには,平穏に日常を生きていくことはできません。そこで,この「絶対矛盾」の壁を超越するにはどうしたらいいのか,とみずからに問いかけ,その答えを見出そうと考えつづけました。したがって,「絶対矛盾的自己同一」とは,人間が存在することのひとつの理想像として西田幾多郎がゆきついた結論だったというわけです。言ってみれば,人間が生きるということを肯定する(=「善」)ための,最後の砦がこれであった,と言ってもいいでしょう。

 この西田幾多郎の考え方が,じつは,「スポーツする人間」を考える上でとても役に立つのです。そこで,この西田幾多郎の哲学をささえる重要な概念である「純粋経験」「行為的直観」「絶対矛盾的自己同一」をてがかりにしながら,「スポーツする人間とはなにか」というテーマに迫ってみたいと思います。

 いささか前置きが長くなってしまいましたが,この前置きはきわめて重要です。といいますのは,「スポーツする人間」とは,まさに本能と理性の「自己同一」なしには成立しないからです。わたしたちがスポーツに熱中しているとき,本能的に動くとか,理性的に考えるとか,はすっかり忘れています。しかし,結果的には,間違いなく,本能的な衝動的な動きも表出しますし,瞬間的に的確な判断をくだしたりしています。つまり,無意識のうちにそれらがみごとに調和して,瞬時にスーパー・プレイが表出する,というわけです。このとき,わたしたちは考える余裕などありません。厳しい練習をとおして脳やからだに刻まれた記憶が無意識のレベルでふかく蓄えられ,潜在している,これが鍛え上げられたスポーツ・ヒューマンの理想の姿です。この「潜在的なるものが,突如として表出する瞬間」(蓮実重彦)こそがなにものにも代えがたいスポーツの醍醐味です。わたしたちは,この「瞬間」に邂逅したくて,スポーツに熱中するといっても過言ではありません。

 では,いったい「潜在的なるものが表出する瞬間」とはどういうことなのか,もう少し詳しく立ち入って考えてみることにしましょう。

※かなり長くなりそうので,ここでいったん切って,このつづきを「Ⅱ」として,「その8.」で展開してみたいと思います。

「スポーツ学」とはなにか。その6.人間とはいかなる存在なのか。

 「人間とはなにか」。この問いは永遠のテーマです。「わたし」という存在ですら謎だらけです。人間が存在するということは,いったいどういうことなのか。たんにモノ(物質)が存在するのとは意味が違います。もちろん,動物の存在とも違います。わたしたち人間には,ことばがあり,そのことばをとおしてものごとを考える力とそれらを記憶する力があります。にもかかわらず,動物と同じ本能的な衝動を一番深いところに宿しています。言ってしまえば,理性(人間性)と本能(動物性)の両方を持ち合わせた二重構造の存在,それが人間です。

 そして,ここが,わたしたちが「人間とはなにか」を考える上で,もっとも重要なポイントとなります。

 もともと人間は動物一般と同じ動物性の世界に生きていました。つまり,たんなる動物として生きていました。そこでは,自分と他者の区別がありません。動物性の世界とは「水のなかに水が溶け込む」ように,自他の区別のない世界のことです。ですから,他者が存在することも,自分が存在していることも意識していません。あるのは,動物としての生存競争だけです。それはひたすら生き延びるための本能といっていいでしょう。

 このような動物性の世界から,人類は,あるとき<横滑り>(バタイユ)を起こし,他者を意識すると同時に自己を意識するようになります。つまり,突然変異が起きました。しかし,このときなぜ人類に突然変異が起きたのかはわかっていません。しかし,そのとき以来,人類は自他の識別をすることができるようになり,自己が生き延びていくために役立つもの(有用性)はなにか,と考えるようになります。こうして,人類は動物性の世界から離れ,人間性への扉を開きます。

 ここからさきは一直線です。まずは,ことばをわがものとし,死者を悼み,道具を考え出したりします。そして,より精確に他者(対象)を識別するために名前をつけることをはじめます。こうして原初の人間はいろいろのことを考えながら行動するようになります。つまり,本能的な行動から,次第に理性的な行動へと軸足を移していきます。

 しかし,このとき大きな問題が新たに発生します。一つは,本能と理性の折り合いのつけ方です。もう一つは,理性では捉えきれない自然の「力」の存在です。前者の本能と理性との折り合いのつけ方については,こんにちもなお大きな問題として存続し,わたしたちを悩ませつづけているとおりです。もう一つは,原初の人間には想像もつかない自然の驚異ともいうべき不思議な「力」と向き合うことになります。つまり,自己を超越する大自然の「力」の存在とつねに向き合うことになります。それは,やがて,「存在不安」となって自己に跳ねかえってくることになります。

 こうして,原初の人間は,自己をはるかに超える絶対的な他者として「神」を見出します。これが「超越神」です。やがて,原初の人間は,この「超越神」に救いを求め,祈るようになります。ここが「宗教」的なるものの起源です。こうして人間は困難に出会ったり,幸運に恵まれたりすると,この「超越神」に祈るということをはじめます。こうして「祈り」の儀礼(身体技法)が徐々に高度化し,複雑化していきます。やがては呪術的な儀礼もここから派生してきます。

 それらの儀礼を支える身体技法の根幹をなすものが,歌と舞い踊り(歌舞音曲)です。歌と舞い踊りは神との交信のためのもっとも重要な手段となります。ときを経て,神への祈りを捧げるための祝祭空間や場が確保されるようになります。最初は歌と舞い踊りが主役です。そこに,たとえば,狩猟や戦闘などで磨き上げられた驚異的な身体的パフォーマンスが加わります。さらには,さまざまな生業形態を背景にした驚異的な身体技法が参入します。この点については,「その7.スポーツする人間とはなにか」で,もう少し詳しくふれることにしましょう。

 ここでは,原初の人間とは「超越神」に祈りを捧げることによって「存在不安」の解消をはかろうとし,安心立命する存在であった,ということを銘記しておきましょう。

 さらにもう一点だけ重要なポイントを加えておけば以下のようになります。
 人間とは「有用性」を追求する存在である,という視点です。「有用性」とは文字どおり「役に立つ」ということです。その技法の中心になるのは「火」の制御であり,狩猟・採集であり,動物の飼育であり,植物の栽培であり,道具の創意工夫です。つまり,自然の領域への人間による積極的な介入です。人間が自然の土を耕すことに起源をもつ「文化」のはじまりです。

 こうして,原初の人間は大自然と闘い,その多くを思いのままに支配することに成功していきます。そのプロセスについては,ここでは割愛させていただきます(ずいぶん前のブログで詳細に論じていますので,そちらを参照してみてください)。この間,人間はこの「有用性」という考え方を前面に押し立てて,自然を制服していきます。そして,次第に大自然への畏敬の念が希薄化し,自然のあらゆるものを人間にとって役立つものとして利用しようという野望をいだくようになります。そうして登場するのが近代科学です。

 この近代科学は飛躍的な発展を遂げ,さまざまな利便性を人間にもたらしました。その結果,わたしたちの生活は一変してしまいました。そして,近年の最先端の科学・技術は,自然界に存在しないモノまで開発し,とどまるところを知りません。たとえば,核エネルギーであり,iPS細胞です。これらの開発がもたらす功罪は評価が分かれるところです。しかし,わたしたちはもはやこうした科学の力と無縁では生活ができないところにきています。しかも,科学者たちの興味・関心は未知なる世界の開発に向かってまっしぐらです。

 いまでは,最先端の科学・技術は新しい時代を生きる人間にとって,かつての「宗教」にとって代わる,まったく新たな「宗教」と化している,と言っても過言ではありません。すなわち,「科学・技術」に無条件に依存する生き方のはじまりであり,それは新たな信仰とでも呼ぶしかありません。ということは,わたしたちは,ふたたび,自己を見失い,新たな「存在不安」に脅かされている,そういう時代を生きているということでもあります。

 同時に,気づいてみれば,自然環境が恐ろしいほどに破壊され,もはや,人間の棲息をも脅かす時代にも突入しています。いま,わたしたちは,この最先端の科学・技術と環境との折り合いをどのようにつけていくべきか,という大きな壁にぶち当たっています。ここを,どのように通過していくべきかが,いまを生きるわたしたちの喫緊の課題となっています。

 そして,いま,もっとも求められている考え方は,人間は,血の通った「生身のからだ」をもった存在であるという認識です。これからさき,どこまで進化して行ったとしても,「生きもの」であることからは逃れられない,ということです。しかも,この「生きもの」は,本能と理性に引き裂かれた存在であるということです。人間とは,このような存在である,ということをしっかりと認識することが肝要です。

2015年1月5日月曜日

「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」(『修証義』より)。

 生(しょう)を明(あき)らめ死(し)を明(あき)らむるは仏家(ぶっけ)一大事(いちだいじ)の因縁(いんねん)なり,生死(しょうじ)の中(なか)に仏(ほとけ)あれば生死(しょうじ)なし,但(ただし)生死(しょうじ)即(すなわ)ち涅槃(ねはん)と心得(こころえ)て,生死(しょうじ)として厭(いと)うべきもなく,涅槃(ねはん)として欣(ねが)うべきもなし,是時(このとき)初(はじ)めて生死(しょうじ)を離(はな)るる分(ぶん)あり,唯(ただ)一大事(いちだいじ)因縁(いんねん)と究尽(ぐうじん)すべし。

 『修証義』の冒頭の部分です。つまり,第一章総序の第一節に相当します。

 2014年は想定外のできごとがあり,一年間,人生についていろいろと考えることが多くありました。からだの大きな変化は,当然のことながら,心にも大きな変化が生じました。その所為でしょうか,『般若心経』の読解・私家版を書いてみたいという思いが強くなってきました。いつかは書いてみたいとは,以前から思っていたことではあります。しかし,これほど強い願望となってきたのは,やはり,昨年の思いがけない体験があったからでしょう。

 そんなことを年初から考えているうちに,ふと,『修証義』のことが脳裏に浮かび,こちらの方が気がかりになってきました。そして,久しぶりに経本を取り出して読んでみました。その冒頭(第一節)を読んだだけで,ガツンと頭をハンマーで叩かれたような衝撃を受けました。こちらの感度の研ぎすまされ方によって,響き方がまったく違ってしまいます。驚きました。若いころから馴染んできた章句なのに・・・・。まったく違う世界が目の前に開けたからです。

 ちなみに,『修証義』は,「しゅしょうぎ」と読みます。意味は,修=修行とはなにか,証=悟りとはなにか,ということを説いた経本,ということです。禅仏教の曹洞宗がとても大事にしているお経です。もともとは,道元さんが書いた『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)があまりに難解なので,その中で説かれている教えの要点を抜粋し,だれが読んでもわかるように書き改めたもの,それが『修証義』だと言われています。このお経は,全部で5章31節から成っています。

 道元さんは『正法眼蔵』の中で「修証一等」(しゅしょういっとう)ということを説いています。このことばの意味は「修行することと悟ることとは一つのことであって,そこに区別はなく,まったく同じことなのだ」ということです。別の言い方をすれば,修行がそのまま悟りであり,悟りがすなわち修行なのだ,ということになります。つまり,修と証は表裏一体だということです。言ってしまえば,無理をしてむつかしい修行をしてもなんの意味もないですよ,修行は悟りのレベルに合わせて行えばいいのですよ,ということです。ああ,こんな世界がみえてきたなぁ,と思うことがそのまま修行なのだ,と。それを裏返せば,修行に入ると,たとえば,坐禅をするとふっと浮かび上がってくる世界が現れる,それがそのまま悟りなのだ,とも。「修証」とはそういうものなのでしょう。ですから,道元は「只管打坐」(しかんたざ)と説きました。「ただ,ひたすら坐禅をしなさい」,と。それが,そのまま修行であり,悟りなのだ,と。

 ですから,『修証義』の冒頭の経文(第一章・第一節)は,「修証一等」にならって,「生死一等」と説いていると解釈していいのではないか,と思います。あとは,この章句を読み取るレシーバーの感度の問題です。このポイントだけはずさなければ,いかように受け止めようと読む人の自由だと思います。それが,すなわち,読む人の「修証」のレベルでもある,ということなのでしょう。

ことしは,折にふれ,『修証義』の世界に遊んでみようと思っています。

2014年12月31日水曜日

「スポーツ学」とはなにか。その5.研究方法について。

 「スポーツ学」には三つの固有の研究領域があることは,すでに述べたとおりです。すなわち,「スポーツ実践学」「スポーツ科学」「スポーツ文化学」の三つです。これらのうち,研究方法がまだ十分には定まってはいない領域があります。それは「スポーツ実践学」です。

 それ以外の「スポーツ科学」はすでに長い歴史をもっており,学として広く認知されています。しかし,「スポーツ文化学」ということばはまだ新しく,馴染みの薄い学といってよいでしょう。しかし,「スポーツ文化学」そのものは,スポーツ哲学,スポーツ史,スポーツ社会学・・・・といった,いわゆるスポーツに関する人文・社会系の諸学の総称ですので,この中に含まれるそれぞれの学の研究方法はある程度まで定着しています。

 「スポーツ科学」も「スポーツ文化学」も,その中に包摂される個別の学は,じつは,先行する親科学(親学)があって,その応用学という体裁をとっています。たとえば,スポーツ生理学の親科学は「生理学」です。あるいは,スポーツ哲学は「哲学」から枝分かれして新たに成立した学です。ですから,それぞれの研究方法はその親科学(親学)からの応用ということになります。そして,この場合には,その研究対象が「スポーツ」に限定される,というにすぎません。

 問題は「スポーツ実践学」です。その2.で,この学の研究方法の概略は触れておきました。しかし,細部についてはどのようになるのかは,まだ,未解決のままです。といいますのは,この「スポーツ実践学」のなかに含まれる諸学の研究方法はまだこれから明らかにされる分野であるからです。つまり,後発,あるいは未発の学である,ということです。

 しかしながら,後発の学として,近年では徐々にその体裁が整いつつあります。たとえば,日本テニス学会とか,日本ゴルフ学会・・・といった学会がつぎつぎに組織され,つぎつぎに学問的な研究の途についているからです。その意味では明るい未来が開かれているといっていいでしょう。ですから,この「スポーツ実践学」に属する諸学は,大いに議論を闘わせて,その体裁を整えていけばいい,ということになります。

 とりわけ魅力的なのは,「野外スポーツ学」の領域ではないかと思われます。といいますのは,野外スポーツそのものが大自然をフィールドにした分野です。ですから,そこでは当然のことながら,「環境」と真っ正面から向き合うことになります。

 そこには二つの大きなテーマがあるように思います。一つは,文明化とともに「環境」が破壊されていく傾向に対して,野外スポーツがどのように対峙していくか,というテーマです。もう一つは,文明化とともに子どもたちの生育環境が自然から遠ざけられていくという現状認識に対して,野外スポーツがどのように貢献していくことができるか,というテーマです。

 後者については,これまでにも多くの実績を残してきています。が,文明化の進度の速さにくらべると野外スポーツの対応はやや遅れをとっているように思われます。もっと積極的に,子どもの遊びの段階から,自然のなかに溶け込んでいけるような環境づくり,すなわち,指導者や組織や制度の整備が求められているように思います。その意味で,野外スポーツは,21世紀のスポーツ文化を構想する上で,きわめて重要であり,大いに期待される分野でもあります。

 前者については,野外スポーツが単独でなにかを変えられるという問題ではありません。しかし,野外スポーツをとおして,環境保全の大切さを考え,環境保全のための運動を展開していくことは可能です。それどころか,野外スポーツのさまざまな活動が,いわゆる環境教育の先端に立つことも可能だと思いますし,大いに期待されるところでもあります。

 「スポーツ学」が,このような環境の分野にも深く切り結んでおり,そこでの貢献にも大いなる可能性を秘めているということは,まさに,21世紀型の新しい「学」としての条件をもっているという証しでもあります。ですから,大いに自信をもって議論を闘わし,野外スポーツの新たなる可能性に向けてチャレンジしていくべきだ,とわたしは考えています。

 ということで,この稿は終わりです。

「スポーツ学」とはなにか。その4.固有の研究対象(スポーツの中心と周縁)について。

 「スポーツ学」という新しい学を成立させるためには,三つの条件をクリアしなくてはなりません。その条件とは,スポーツ学に固有の研究領域,研究対象,研究方法,の三つです。研究領域については,その3.で説明したとおりです。

 ここでは,スポーツ学に固有の研究対象について考えてみたいと思います。

 ひとくちにスポーツ学に固有の研究対象といっても,さまざまな広がりや層の違いがあります。そこで,まずは,大きなところから考えてみたいと思います。

 「スポーツ学」にとって最大の研究対象は「スポーツ」です。このスポーツだけを取り出してきて,それを研究対象とする独立した学は,「スポーツ学」の他にはありません。その意味で,スポーツ学は,学としての重要な条件をクリアしていることになります。また,ついでに述べておけば,「スポーツ学」を新たな学として,その体系を提示した人はまだ世界のどこにもいません。したがって,ここで明らかにしようとしている「スポーツ学」とはなにか,という問いに対する応答は世界初の試みである,ということになります。

 もし,『スポーツ学概論』なるテクストが誕生するとなれば,それは世界初の,そして,世界でたった一つの試みである,ということになります。

 ところで,「スポーツ学」に固有の研究対象である「スポーツ」をひとつの文化として捉えたときには,それをスポーツの「中心」と「周縁」の二つの視点から考えることができます。スポーツという文化の中心を占めるのは,競技スポーツと野外スポーツです。そして,競技スポーツとしての具体的な研究対象はテニス,サッカー,水泳などのように,各競技種目別に細分化することができます。このことは,登山,スキー,ハイキング,などのように,野外スポーツにあっても同様です。いわゆるスポーツ文化の中心を構成する研究対象はだれの眼にも明らかです。

 しかし,スポーツ文化の周縁はいささかやっかいです。といいますのは,スポーツ文化とそうでないものとの境界領域,いわゆるグレイゾーンが存在するからです。

 たとえば,オリンピックの聖火リレーや聖火台で燃え盛る聖火は立派なスポーツ文化です。がしかし,奈良・若草山の山焼きはどうでしょう。そして,このときに打ち上げられる花火はどうでしょう。山焼きや打ち上げ花火を鑑賞する行為は,はたしてスポーツ文化と呼ぶことができるでしょうか。あるいはまた,山焼きや花火を撮影することはどうでしょうか。このあたりのところは意見が分かれるところです。

 同じように,スポーツとレクリェーションの区別も微妙です。レクリェーショナル・スポーツということばがあります。これは問題がないと思いますが,レクリェーションとして行われる歌や踊り,集団ゲームや遊び,などはどうでしょうか。

 このように考えていきますと,スポーツ文化の周縁には,じつにさまざまな問題が内包されていることがわかります。

 問題は,「スポーツ」という概念をどのように規定するか,にあります。スポーツの概念は,時代や地域や社会によって異なります。同時に,変化もしていきます。ですから,「スポーツ学」で考える「スポーツ」の概念はどういうものであるのか,これを明確にしておくことが重要です。しかし,「スポーツとはなにか」の答えを導き出すのは「スポーツ学」の最終ゴールでもあります。

 したがって,スポーツ文化の周縁については,仮説を立てて,その前提に立って研究を進めることになります。その場合,スポーツの概念をできるだけゆるやかに捉え,大きく包み込む発想が大事です。なぜなら,野外スポーツの周縁には,どう考えても,スポーツとは言い切れない要素も多く含まれているからです。

 しかし,「スポーツ学」とは,そういう議論をする場でもあるのです。つまり,スポーツ学が研究対象とする「スポーツ」とはなにか,という議論です。こうした議論をとおして,「スポーツ学」の全体像もしだいに明らかになってくる,そこにこの学の存在理由があり,この学の固有の特質がある,と言っていいでしょう。

 ※なお,学問論として,スポーツ学の固有の研究対象を明らかにすることは,きわめて重要なことです。しかし,本格的に取り組むとなると,膨大な作業が必要となります。ので,この問題については,また,機会を改めてチャレンジしてみたいと思います。

2014年12月30日火曜日

「スポーツ学」とはなにか。その3.三つの研究領域について。

 総論で書きましたように,「スポーツ学」には三つの研究領域があります。すなわち,スポーツ実践学,スポーツ科学,スポーツ文化学,の三つです。総論では,スポーツ学を学ぶ学生さんを想定して書きましたので,わかりやすくするために,この三つの研究領域を,スポーツ実践学⇨スポーツ科学⇨スポーツ文化学の順に,一つの流れとして説明をしました。

 しかし,スポーツ学を学び,研究する立場に立てば,この三つの研究領域は,かならずしも一つの流れではありません。むしろ,三位一体となっていて,お互いがお互いを支えあっている関係にあります。つまり,各研究領域の知見をお互いに比較検討し,そこから新たな問題を見出し,フィードバックして,それぞれ固有の研究領域ごとにさらなる研究を進める,そういう関係にあります。

たとえば,スポーツ実践学という研究領域を考えてみましょう。具体的には,サッカーとか,テニスとか,水泳といった競技種目別にスポーツが実践されます。それらの競技種目を研究対象として考える場合には,サッカー学,テニス学,水泳学,が成立します。

 ここでは例として,サッカー学をとりあげてみましょう。

 実際にサッカーの練習をはじめるにあたっては,まずは,練習期間とその期間に達成すべき目標を立てます。そして,その目標を達成するための練習計画を立てます。そして,その計画に従って練習(実践)をします。その結果をきちんと記録し,そのつど,感じたり考えたりしたことも記入しておきます。そうして練習期間が終わったところで,当初の目標がどの程度に達成できたのか分析し,検討します。そこからは,さまざまな反省も生まれてくるでしょう。そうした反省に基づいて,また,つぎの期間の練習目標を定め,練習計画を立てます。この繰り返しが,スポーツ実践学の重要な柱となります。

 しかし,この段階でも,当然のことながら,練習計画の具体的な内容を決めるときには,スポーツ科学の知見を参考にしなければならなくなってきます。たとえば,走力や脚筋力を高めるためのトレーニング方法を選定するときには,いまの自分の力量にもっともふさわしいプログラムを組む必要があります。あるいはまた,集中力や持続力を高めるためのトレーニング方法などについても,スポーツ科学の知見を参照することになります。

 また,同時に,モチベーションを高めるためには,サッカーの名選手の伝記を読んだり,技術や戦術に関する文献を渉猟したりします。ときには,サッカーの歴史や哲学に関する文献を読んだりもします。こうしてサッカーに関する幅広い教養を身につけていきます。

 つまり,これらのことは「サッカー」の実践をとおして,すべて同時進行していきます。ですから,サッカーの実践(練習)だけが独立して行われるのではなく,つねに,スポーツ科学の知見を参照したり,スポーツ文化学の文献を読み漁ったりしながら,サッカーの奥義に接近していくことになります。

 このようにして,サッカーにトータルに習熟していく過程を研究する「サッカー学」は,スポーツ実践学だけではなく,スポーツ科学もスポーツ文化学も,その必要に応じて同時に連動していくことになります。三位一体とは,こういうことを意味します。

 以上が,スポーツ実践学という研究領域を中心に考えた場合の事例です。

 この他のスポーツ科学やスポーツ文化学という研究領域には,さらにそれぞれの専門の細分化された研究領域があります。スポーツ科学でいえば,スポーツ生理学,トレーニング科学,スポーツ心理学,などがあります。また,スポーツ文化学には,スポーツ哲学,スポーツ史,スポーツ社会学・・・・,といった具合です。

 以上のように,スポーツ学を成立させるための三つの研究領域は,お互いに寄り添いながら,支え合うという関係にあります。そして,これら三つの研究領域のすべてが重なる領域に「スポーツ人間学」が位置づきます。

「スポーツ学」とはなにか・その2.総論について(試論)。

 これから記述することがらは,「スポーツ学とはなにか」のごくごく基本的なラフ・スケッチです。そこで,まずは,「スポーツ学とはなにか」という問いに対する「総論」(試論)に挑戦してみたいと思います。

 「スポーツ学とはなにか」。その総論について(試論)。

 スポーツ学とは,スポーツとはなにか,を明らかにする学の総称です。

 スポーツは人間が生みだした文化です。動物は人間のようなスポーツをしません。では,なぜ,人間はスポーツをするのか。もっと問えば,スポーツする人間とはなにか。なにが,人間をスポーツに駆り立てるのか。スポーツをすると人間のこころやからだはどのように変化するのか。そのゴールはなにか。こうした問いに答えを見出す学,それがスポーツ学です。

 別の言い方をすれば,「スポーツ人間学」。すなわち,スポーツと人間の関係を解き明かす学。では,スポーツをとおしてわたしたちはなにをわがものとし,最終的になにを目指すのでしょうか。それは,スポーツについての正しい知識や技術を習得し,スポーツ的に自立し,みずからを律すること,すなわち,「スポーツ的自律人間」になることです。

 では,「スポーツ的自律人間」とはなにか。

 はじめはみんなスポーツの初心者です。その初心者は,だれかに手ほどきをしてもらい,友だちと切磋琢磨しながら,少しずつスポーツに習熟していきます。つまり,スポーツの実践をとおして,知識や技術を学んでいきます。こうして徐々に生涯スポーツや競技スポーツに習熟していきます。そして,ある程度のレベルに達すると,こんどは,みずからのスポーツ実践の計画・立案をし,実践を記録し,分析し,反省点を見出し,さらなるステップ・アップを目指すことができるようになります。すなわち,スポーツ実践者として自立し,さらに,みずからを律することができるようになること,それが「スポーツ的自律人間」のイメージです。

 したがって,スポーツ学の中核をなす領域は「スポーツ実践学」です。わたしたちは,まずは,実践をとおしてスポーツにかかわるさまざまな知識や技術を学びます。やがて,スポーツ実践のレベルが上がってきますと,より精度の高い科学的な根拠を求めるようになります。

 この要求に応える学が「スポーツ科学」です。この領域では,さまざまな仮説・実験・検証を繰り返しながら,スポーツ実践のレベル・アップに役立つ知見を探求していきます。そして,この領域で得られた科学的な知見がスポーツ実践に応用されることになります。こうして,スポーツ実践学とスポーツ科学が結びつくことになります。

 そうして,さらにレベル・アップに成功した人たちは,徐々に指導者から自立し,みずからを律する力を身につけ,最終ゴールである「スポーツ的自律人間」を目指します。そして,やがては指導者への道を切り拓くことになります。その過程で必要な学が「スポーツ文化学」です。つまり,「スポーツとはなにか」という最終課題に迫っていくことになります。ですから,この領域の中心となる学は,スポーツの思想・哲学であり,歴史です。さらには,スポーツ社会学やマネージメント,経営・管理学などが加わっていきます。

 以上が,「スポーツ学とはなにか」の総論(試論)です。
 

 もう一度,整理しておきますと,まずは「スポーツ実践学」があり,それを支える「スポーツ科学」が加わり,最終的なブラッシュ・アップをするための「スポーツ文化学」があるということになります。

 イメージとしては,スポーツ実践学⇨スポーツ科学⇨スポーツ文化学,という流れとなります。

 とりあえず,ここで一端切って,次回はこのつづきの試論にチャレンジしてみたいと思います。