依頼された原稿の締め切り日が迫ってくると,きまって関係のない本を読み始める悪い癖が,いまも直ってはいない。困ったものである。しかし,この悪癖が意外に役に立つこともある。著者にはほんとうに申し訳ないのだが,今回はこの本に助けられた。感謝あるのみ。
『カキフライが無いなら来なかった』,せきしろ,又吉直樹共著,幻冬舎文庫,平成25年10月10日刊。
又吉直樹の芥川賞受賞作『火花』(文藝春秋)を読んでから,なんとなく気になる作家として,わたしの脳に定着している。時間があったら,ほかの作品も読んでみようと,こころの片隅にあった。だから,書店で又吉直樹の本をみつけると,自然に手が伸びていって買ってしまう。そんな本が何冊かたまっている。別に急いで読まなくてはならない本ではないので,いつか,なにかの折にでも,とおもい書棚に放置してある。
この種の本はほかにもある。だから,どれを取り出してきて読んでもいいのだが,今回は,なんの理由もなくこの本に手が伸びた。ひょっとしたらタイトルがよかったのかもしれない。「カキフライが無いなら来なかった」。開いて,読み始めて,おやおやと驚いた。この本のタイトルそのものが,なんと俳句だというのだ。そして,これが自由律とよばれる俳句なのだ,と。
たしかに自由律俳句というものの存在は知ってはいた。たとえば,荻原井泉水とか,河東碧ご桐などの名前はすぐに浮かんでくるし,尾崎放哉や種田山頭火の作品は強烈な印象を与えたものとして記憶している。とくに,山頭火の自由律俳句は好きで,ひところ,夢中になって読んだこともある。だから,自由律俳句というものの,ある程度の輪郭はわたしの頭のなかにはあった,はずだ。
が,その前提がひっくり返されてしまった。
その代表作が本のタイトルにもなっている「カキフライが無いなら来なかった」(又吉直樹)だ。そして,このブログの見出しにとりあげた「急行が徐行している」(又吉直樹)だ。
山頭火の自由律俳句で固まっていたわたしの感覚からすると,この二作とも,どこかかったるい。そんなことどうでもいいではないか,というのがわたしの感覚。「急行が徐行している」の方はちょっぴり笑ってしまったが,それ以上のものではない。つまり,パンチが効いていない,というのがわたしの不満のようだ。
せきしろ氏の作品も同じだ。
後半のバラードは早送りした
ラブホテルの前にサイドカー
温室の匂いがいつかの記憶にかるく触れる
照葉樹の葉を取り折り曲げては捨てるだけ
やはり,どこかかったるい。だから,なんだというのだ,という気になってくる。
このせきしろ氏の俳句に見開きページで反対側に置かれている又吉直樹の俳句をみると,
このままでは可決されてしまう
あの青信号には間に合わないゆっくり行こう
俺も酔ってここに座る日が来るとは
予想以上にあいこが続いてしまった
という具合である。
この二者の作品でいえば,わたしのフィーリングは又吉直樹に近い。かったるいながらも,わずかに共鳴するものがある。わたしと似た感性がほのかにあるとおもう。この感覚は小説『火花』を読んでいるときに感じたものとよく似ている。どうやら,わたしの本性は又吉直樹のどこかに通じているらしい。小説家では太宰治が好きだという点でも似たようなところがある。
そんなわけで,原稿に詰まったときの気分転換には,又吉直樹の自由律俳句がまことに役立つということがわかった。しかも,あまりパンチが効いていない,というところも助かる。原稿が書けなくて張りつめた神経を,ホワッと緩めてくれる効果という点では,まことに好都合なのである。とことん追い詰めないのがいいようだ。ふわっと,さりげなく風が吹いて,通りすぎていったなぁ,という程度の感触がいつのまにか快感になってくる。
自由律というのだから,どんな風に「自由」であってもいいわけだ。又吉直樹は自分の感性に合わせて,そこに対してとことん自由を楽しんでいるらしい。そこに,読むわたしが,ふわっと反応する。そして,ガチガチになっている気分をそこはかとなく和らげてくれる。こんなのも「あり」なのだ,と途中で気づく。
すると,肩の力が抜けて,徐々に,徐々に,気持ちが和んでくる。いつのまにか,ふんふん,ふんふん,とうなづきながら読んでいる。ひととおり読んでしまってからも,適当にページを開いて,拾い読みをしてみる。それもまたそこはかとなく快感を覚える。なんだろう?この感覚は?でも,気持ちを解きほぐしてくれる特効薬としては,又吉直樹の自由律俳句は,わたしには合っているようだ。
お蔭で,この本と戯れているうちに,原稿の方もなんとか締め切り日ぎりぎりで仕上がった。
そうか,自由律俳句というのは,まさに自由なのであって,自分の感性に合わせてとことん遊べばいいのだ,と知る。ならば,気が向いたときに遊んでみようか,とそんな気にもさせてくれる,わたしにとってはありがたい本であった。
同じような本がもう一冊ある。
『まさかジープで来るとは』,せきしろ,又吉直樹,幻冬舎文庫,平成26年4月10日刊。
こちらは,つぎの原稿で詰まったときのためにとっておこう。
少しは禁欲的な方が喜びは大きいはずだから・・・・。
『カキフライが無いなら来なかった』,せきしろ,又吉直樹共著,幻冬舎文庫,平成25年10月10日刊。
又吉直樹の芥川賞受賞作『火花』(文藝春秋)を読んでから,なんとなく気になる作家として,わたしの脳に定着している。時間があったら,ほかの作品も読んでみようと,こころの片隅にあった。だから,書店で又吉直樹の本をみつけると,自然に手が伸びていって買ってしまう。そんな本が何冊かたまっている。別に急いで読まなくてはならない本ではないので,いつか,なにかの折にでも,とおもい書棚に放置してある。
この種の本はほかにもある。だから,どれを取り出してきて読んでもいいのだが,今回は,なんの理由もなくこの本に手が伸びた。ひょっとしたらタイトルがよかったのかもしれない。「カキフライが無いなら来なかった」。開いて,読み始めて,おやおやと驚いた。この本のタイトルそのものが,なんと俳句だというのだ。そして,これが自由律とよばれる俳句なのだ,と。
たしかに自由律俳句というものの存在は知ってはいた。たとえば,荻原井泉水とか,河東碧ご桐などの名前はすぐに浮かんでくるし,尾崎放哉や種田山頭火の作品は強烈な印象を与えたものとして記憶している。とくに,山頭火の自由律俳句は好きで,ひところ,夢中になって読んだこともある。だから,自由律俳句というものの,ある程度の輪郭はわたしの頭のなかにはあった,はずだ。
が,その前提がひっくり返されてしまった。
その代表作が本のタイトルにもなっている「カキフライが無いなら来なかった」(又吉直樹)だ。そして,このブログの見出しにとりあげた「急行が徐行している」(又吉直樹)だ。
山頭火の自由律俳句で固まっていたわたしの感覚からすると,この二作とも,どこかかったるい。そんなことどうでもいいではないか,というのがわたしの感覚。「急行が徐行している」の方はちょっぴり笑ってしまったが,それ以上のものではない。つまり,パンチが効いていない,というのがわたしの不満のようだ。
せきしろ氏の作品も同じだ。
後半のバラードは早送りした
ラブホテルの前にサイドカー
温室の匂いがいつかの記憶にかるく触れる
照葉樹の葉を取り折り曲げては捨てるだけ
やはり,どこかかったるい。だから,なんだというのだ,という気になってくる。
このせきしろ氏の俳句に見開きページで反対側に置かれている又吉直樹の俳句をみると,
このままでは可決されてしまう
あの青信号には間に合わないゆっくり行こう
俺も酔ってここに座る日が来るとは
予想以上にあいこが続いてしまった
という具合である。
この二者の作品でいえば,わたしのフィーリングは又吉直樹に近い。かったるいながらも,わずかに共鳴するものがある。わたしと似た感性がほのかにあるとおもう。この感覚は小説『火花』を読んでいるときに感じたものとよく似ている。どうやら,わたしの本性は又吉直樹のどこかに通じているらしい。小説家では太宰治が好きだという点でも似たようなところがある。
そんなわけで,原稿に詰まったときの気分転換には,又吉直樹の自由律俳句がまことに役立つということがわかった。しかも,あまりパンチが効いていない,というところも助かる。原稿が書けなくて張りつめた神経を,ホワッと緩めてくれる効果という点では,まことに好都合なのである。とことん追い詰めないのがいいようだ。ふわっと,さりげなく風が吹いて,通りすぎていったなぁ,という程度の感触がいつのまにか快感になってくる。
自由律というのだから,どんな風に「自由」であってもいいわけだ。又吉直樹は自分の感性に合わせて,そこに対してとことん自由を楽しんでいるらしい。そこに,読むわたしが,ふわっと反応する。そして,ガチガチになっている気分をそこはかとなく和らげてくれる。こんなのも「あり」なのだ,と途中で気づく。
すると,肩の力が抜けて,徐々に,徐々に,気持ちが和んでくる。いつのまにか,ふんふん,ふんふん,とうなづきながら読んでいる。ひととおり読んでしまってからも,適当にページを開いて,拾い読みをしてみる。それもまたそこはかとなく快感を覚える。なんだろう?この感覚は?でも,気持ちを解きほぐしてくれる特効薬としては,又吉直樹の自由律俳句は,わたしには合っているようだ。
お蔭で,この本と戯れているうちに,原稿の方もなんとか締め切り日ぎりぎりで仕上がった。
そうか,自由律俳句というのは,まさに自由なのであって,自分の感性に合わせてとことん遊べばいいのだ,と知る。ならば,気が向いたときに遊んでみようか,とそんな気にもさせてくれる,わたしにとってはありがたい本であった。
同じような本がもう一冊ある。
『まさかジープで来るとは』,せきしろ,又吉直樹,幻冬舎文庫,平成26年4月10日刊。
こちらは,つぎの原稿で詰まったときのためにとっておこう。
少しは禁欲的な方が喜びは大きいはずだから・・・・。
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