2013年8月16日金曜日

戦争はしません,軍隊ももちません,で,敵が攻めてきたらどうするんだ,と主張する主戦論者にひとこと。

 1945年8月15日。この日を,わたしは愛知県渥美半島の僻村の寺で迎えました。小学校2年生でした。いや,精確にいえば国民小学校の2年生でした。いまも,この日のことは忘れもしません。もう,明日からはアメリカのB29や艦載機や艦砲射撃がなくなる,と聞いたときの安堵感はまだ幼いこどものこころの奥深くにしっかりと刻まれました。いってしまえば,戦争という恐怖からの解放でした。

 戦争はいかなる理由があってもしてはなりません。この考えは,あの日から70年を生きてきていまも変わりません。不動のものです。戦争は,勝とうと負けようと,無駄な命を犠牲にするだけのことです。ですから,戦争をしない国にすることが,敗戦直後の日本人の多くが望んだことでした。そして,偶然にも,戦争をしない国をめざす憲法を占領軍であるアメリカが用意してくれました。ですから,歴代政府も,憲法9条を大事に守りつづけてきました。なのに,ここにきて突如として憲法を改定して,戦争ができる国にしようという動きが顕著になってきました。それに影響されてか,日本国民の多くも「国を守るための軍隊は必要だ」と考える人が増えつつあるようです。わたしの近辺にもいます。

 今日(8月15日)のNHKスペシャル(午後7時30分~8時45分)を,たまたまわたしの夕食の時間と重なったのでみていました。途中から腹が立って仕方なくなり,いつものようにテレビに向かって「吼えて」いました。議論をする前提がぱらばらで勝手な意見(そのほとんどは自分の考えを合理化するためのものでしかない,うすっぺらなものでしかない)を声高に言った方が勝ちのような,こんな番組は二度と流さないでほしい,と強烈におもいました。いよいよ,受信料契約を破棄することも考えなくては・・・と。

 新聞の番組のキャッチをみますと,以下のようです。
 激論!ニッポンの平和▽終戦の日を知らない人が〇%!?戦争の風化▽どうする日中・日米▽今,右傾化している?▽戦中世代VS若手論客 本音で語り合う日本・・・。

 ご覧になられた方も多いとおもいますので,だれがどう言ったとか,だれがバカなことを言ったとかはここではやめにしておきます。わたしが,不毛の議論だと思ったのは,議論をするための前提がひとつも確認されないまま,勝手に個々人の意見を披瀝するだけの場に終始していたということです。

 たとえば,日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏をした敗戦国である,ということすら確認されませんでした。ですから,このポツダム宣言の五カ国の戦勝国のなかには中国(毛沢東)がふくまれていたということすら確認されませんでした。こんな,きわめて基本的な事実確認もしないまま,中国批判の議論が展開していきます。そんな資格は日本にはありません。無条件降伏したのですから。しかも,40年前の日中国交正常化の条件のひとつに「尖閣諸島は棚上げ」にしておきましょう,という約束があったにもかかわらず,それを一方的に破棄して領土化宣言をしてしまったのは日本だという事実についても伏せたままでした。このことを確認しないまま,中国の船が領海侵犯を繰り返しているのは許せないとか,中国人の90%が日本人に対して悪い感情をもっているとか,日本人も90%近くの人が中国に対して悪い感情をもっているとか(NHKの調査によるデータらしい),そんな議論をしていました。あきれ返ってものも申せませんでした。

 日本という国家は,「棚上げ」論を主張すると「国賊」扱いにされてしまいます。ですから,みんな黙ってしまっています。中国で,このようなことが起きたとしたら,それこそ「暴動」が起きるでしょう。なのに,中国にはきびしい言論統制がしかれているので,もっと民主化すべきだ,そのために日本は手を貸すべきだ,などというまことにノー天気な,馬鹿げた意見を平然と述べる人もいて,おやおやでした。明らかなる上から目線。

 つまり,尖閣諸島は日本の固有の領土であるという前提に立つからこそ,敵が攻めてきたらどうするのか,国を守るべき軍隊が必要なのだ,アメリカ軍を支えるための集団的自衛権が必要なのだ,という議論にすすんでしまいます。そうして国を守るための戦争のどこがいけないのか,という議論になってしまいます。これが安倍首相がもっとも得意とする詭弁というものです。それに近い詭弁を弄するみごとな論者もひとりいました。

 中国との問題は,尖閣諸島を「棚上げ」にもどすだけで,軍隊は必要なくなります。韓国の主張する「竹島」も同じです。こんな小さなことで喧嘩してそっぽを向き合って,もっと重要な国益を損なっていることの方がはるかに重大です。こちらも「棚上げ」にして,平和的に解決できる時期を待つことの方がはるかに賢明です。にもかかわらず,双方ともに目先の利益に目を奪われてしまっています。日本と韓国などは,古代史を少し繙くだけで,ほとんど同族であることは明白です。天皇ですら,それを認めています。にもかかわらず,そうではないという神話をでっちあげて,そういう人たちがいまも大通りを歩いています。おまけにヘイト・スピーチにうつつを抜かす信者までいます。わたしは,個人的には,わたしのからだのなかには韓半島から渡来した人びとの血が色濃く流れていると考えています。そして,事実,そうだと信じています。そうでなければ,説明のてきないことが多すぎますし,その方がはるかに友好的になれます。

 この地平に立つことができるようになれば,隣国はみんな「友達」です。中国も同じです。日中の交流がどのようなものであったかは,長い長い歴史をふまえて巨視的に考えれば明らかです。そこから出発しないことには,なにもはじまらないとわたしは考えています。

 こうした友好を前提にした国交を回復し,深めていけば,なにも敵をつくることもありません。
 敵をつくらなければ,攻められることもありません。
 ましてや,戦争はしません,軍隊ももちません,という「憲法」をしっかりと保持しているかぎり,そして,それを長年にわたって維持しているかきり,だれも日本を敵対視することはありません。

 北朝鮮からの驚異を語る人がいますが,その理由のひとつは横須賀に強力なアメリカ艦隊が常駐しているからです。ボタンをひとつ押すだけで,北朝鮮の国家が全滅するだろう,といわれるほどの戦力がアメリカには備わっています。ですから,その驚異を取り除くことが日本の役割でもあります。アメリカはこれまでもことあるごとに,強力な軍事力で解決しようとしてきましたが,なにひとつとして成功した例はありません。西部開拓時代の西部劇と同じ誤りをいまも繰り返しています。そして,すべて,禍根を残しています。

 もうひとつ,今日の議論のなかで欠落していたのは,沖縄の問題です。とりわけ,「日米地位協定」なる不平等条約がいまも厳然として存在し,絶対的な支配を余儀なくしている,という事実です。この条約が存在するために,日本がアメリカの属州になるよりも,もっとひどい扱い方をされている,という事実を確認しないで議論をスタートさせています。ほかにもありましたが,そろそろ終わりにします。

 こういう議論の前提となる事実確認なしに,あれこれ語り合ったところで,声の大きい人が有利になるだけの話で,なにも新しい共通認識は生まれてはきません。時間の無駄です。もっといえば,公共放送の無駄遣いです。いな,NHKには隠されたしたたかな計算・打算があって,この番組を仕掛けた節もないわけではない,とも感じました。メディアは世論を動かす恐るべき武器です。

 「国を守ることは重要である」ということだけが全面にでてきますと,みんな,「それはそうだよなぁ」ということになってしまいます。その結果は,いともかんたんに集団的自衛権を擁護することになりますし,固有の軍隊をもつことにもなんの疑問をいだくこともなく,議論が一人歩きをしながら進んでいってしまいます。しかし,それは大いなる間違いです。

 アメリカの西部劇ですら,どんな悪党であろうと丸腰の相手を撃つことはご法度であり,許されてはいませんでした。それを無視して撃った人間は完全にその社会から孤立してしまいます。日本は,「戦争はしません,軍隊ももちません」といいつづけているかぎり,どこからも攻めてはきません。国際社会がそれを許しはしません。もし,それでも,どこかから攻めてくるようなことがあったら,国民全員が海岸線に並んで「白旗」を振りましょう。そして,黙って無抵抗・不服従を貫くことです。そんな国を支配したところでなんの得にもなりません。

 馬鹿げた絵空ごととお笑いになる人も多いかとおもいますが,無駄な戦争をして多くの人が命を落とす(敵も味方も,そして,その周囲も)よりも,はるかにいい方法だと確信しています。たとえば,第二次世界大戦のときには,日本だけで300万人,アジア全体では2000万人以上の人びとが犠牲になったといいます。この数を一度でもいいですから,リアルに想像してみてください。ですから,わたしは戦争するよりも,無抵抗・不服従を貫くつもりです。

 若手論客と紹介されたひとりが,番組の最後に「憲法改定に反対するだけの議論しかしない左翼の人たちは,もっとポジティブな提案をすべきだ。それが圧倒的に不足している」と言い切ったことを受けて,わたしは「不戦・無抵抗・不服従」を提起します。そして,これ以上にポジティブな提案があったらご教授願いたいと考えています。ことばの正しい意味での「自己否定」ほどポジティブな生き方はないと,75歳のいま,確信しています。

 最後に,「戦争とはなにか」「人間が生きるとはどういうことか」,どうか若手論客とされる人たちにはもう一度,「原点に立ち返って」よくよく勉強していただきたい,と注文を出しておきたいとおもいます。あなたも,違う使い方で「原点に立ち返って」(たしか,現実としっかり向き合って,という文脈のなかでの言い方だったと記憶します)しっかり考え直すべきだ,と仰いました。しかし,それは,大いなる勘違いです。それではアメリカの「テロとの戦い」と同じになってしまいます。アメリカは「9・11」という現実から出発して,それ以前の過去をすべて蓋をしてしまいました。それがアメリカのいう「正義」です。とんでもないことです。

 戦争がいかなるものか,人間が生きるということの原点はなにか,そして,戦争と人間はどのようにクロスするのか,もっともっと深く考えてほしいのです。そうしないと,議論するための前提に大いなる「誤認」が生じてしまいます。その結果は,不毛な議論のみが積み上げられていく,そこから政治家たちは自分たちに都合のいい議論だけを拾いだして,国を動かそうとします。そして,その犠牲になるのは若者たちです。

 このように考えてきますと,なんだか,こういう番組を制作するNHKのホンネの意図を垣間見たおもいがしました。やはり,不愉快です。こうして世論が操作されている,と感じるからです。NHKはほんとうの意味での「国益」とはなにか,と問題提起をすべきです。若者たちを戦場に送り込むだけが国益ではありません。それはかえってほんとうの意味での「国益」をそこねるものです。

 目隠しをしてゾウをさわった人が,「太い丸太のようでした」といい,またある人は「ざらざらした土壁のようでした」といい,「意外に細い紐のようでした」と言っているのと同じです。ゾウの全体をみんなで確認した上で,「ゾウとはなにか」を議論したいものだとおもいました。

2013年8月15日木曜日

第149回芥川賞作品『爪と目』(藤野可織)を読む。なんとも不可解な作品。

 14日(水)午前中の太極拳の稽古が終って,5人で昼食を済ませ,鷺沼の事務所に向かいました。その電車の中の吊り広告に『文藝春秋』9月特別号・芥川賞発表・受賞作全文掲載とあるのをみて,早速,いつもの書店に立ち寄り購入しました。わたしが『文藝春秋』を購入するのは年に一回,このタイミングのときだけです。

 いつものように,芥川賞選考経過,芥川賞選評(ここがとびきり面白い),受賞者インタビューを読み,そして,受賞作「爪と目」を読みました。わたしの感想をひとことで言ってしまえば,「駄作」。二度と読む気はしません。しかしながら,島田雅彦委員は作者藤野可織の「最高傑作」だと「選評」で絶賛しています。そして,もうひとり,小川洋子委員がこの作品を高く評価しています。が,あとの委員はだれひとりとして強く推した痕跡が「選評」のなかにはみとめられません。わたしの好きなあの山田詠美委員ですら「不気味なおもしろさ」とは書いたものの,いろいろと問題のある作品だと注文をつけています。

 昨年までだと,石原慎太郎委員がいて,受賞作のどこがいいのかわたしにはさっぱり理解不能といいつつ,とんちんかんな選評を書いていて,これはひとつの楽しみでした。が,ことしは辞退してしまいましたので,ちょっとつまらない。やはり,わけのわからない人もひとりくらいいた方がおもしろい。そのくらい,芥川賞というものは評価がわかれるものだということが,素人にもよくわかって文学が身近なものになってきます。

 ところで受賞作の「爪と目」についてのわたしの感想をもう少しだけ書いておきたいとおもいます。母の突然の死によって,父が,以前からの恋人を招き入れ,3人で生活をともにすることになった3歳のわたし(女の子)が,父の恋人である「あなた」を主人公にして描いた作品。つまり,3歳の「わたし」が大人になってから,3歳のときに起きたことがらを「あなた」に託して回想する,という構造になっています。

 わたしは,この小説の冒頭の書き出しで,まずは躓いてしまいました。それは,つぎのような書き出しです。

 はじめてあなたと関係を持った日,帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。あなたは驚いて「はあ」と返した。父は心底すまなそうに,自分には妻子がいることを明かした。あなたはまた「はあ」と言った。

 いきなり,こんな風に書かれてもなんのことかさっぱりわからず,何回も読み返してしまいました。「はじめてあなたと関係を持った日」が,だれが「あなた」と関係をもったのか,それが父なのか,この小説の話者である「わたし」(まだ,登場もしていません)なのか,が特定できないからです。ですから,何回,読み返してみても,なんのことかさっぱりわかりませんでした。なぜなら,これを語っている「わたし」が,どういう人物なのか,この段階ではまったくイメージがえられなかったからです。それが,ようやく,そういうことだったの?と納得するのは,3ページもあとの「わたしは三歳の女の子だった」という文章に出会ってからです。

 しかし,同時に,「三歳の女の子」が経験したことを大人になってから「わたし」が回想しているわけ?という根源的な疑問がわいてきました。そして,小説がどんどん佳境に入るにつれて,じつに微妙な「あなた」の心理を「三歳の女の子」の「目」をとおして回想し,それを描写していきます。ますます,わたしは,そんなバカな,と拒絶反応を繰り返します。これが最後までつづきます。

 そして,最後には,この「三歳の女の子」である「わたし」がスナック菓子の食べ過ぎで肥満児になっていたとはいえ,ベッドで眠っていた「あなた」の両腕を「わたし」の両膝で抑え込んで,「あなた」の両眼に異物を入れるという描写がでてきます。そして,「あなた」はこの「わたし」をどうすることもできなかったので,なすがままにされていた,という描写にいたっては,思わず「嘘だ」と声に出していました。文学の世界のことですので,多少の非現実的な場面が描かれていたとしても,とくに驚きはしません。しかし,この場面での描写はリアリティが要求されます。でないと,読者は,まさか,と懐疑的になってしまいます。となると,作品全体がぶち壊しになってしまいます。このわたしがいい例です。

 この点については,もっと別の表現の仕方で,それぞれの選考委員もやんわりと指摘しているところです。ですから,積極的にこの作品を推したのは島田,小川のふたりの委員しかいなかった,というわけです。繰り返しになりますが,島田雅彦が「最高傑作だ」とまで書いた,その根拠を知りたいとおもいます。

 かつて,島田雅彦が若かったころに書いた小説が大好きだったわたしが,最近の島田作品に共感しないのは,このあたりに理由があるのかもしれません。芥川賞の選考委員に島田雅彦が加わったのは去年からだったとおもいます。人は地位をえると変わることがあるといいます。つまり,地位がことばを発しはじめる,というわけです。まさか,そんなことはあるまい,とおもいたいところですが・・・。

 というところで,ことしの芥川賞作品は,わたしにとっては「失望」でした。この作家がこんごどんな風に成長していくのか,しばらくは追跡してみたいとおもいます。

 みなさんのご意見をお聞かせいだだければ幸いです。

2013年8月14日水曜日

「成長崇拝」の地獄から抜け出す。西谷修によるセルジュ・ラトゥーシュへのインタビュー(『世界』9月号)に注目。

 セルジュ・ラトゥーシュについては,すでに,『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社,2010年)が日本で翻訳され,大きな話題になりましたので,ご存知の方も多いこととおもいます。最近では,ことしの5月に『<脱成長>は,世界を変えられるか?──贈与・幸福・自律の新たな社会へ』(作品社)が刊行されて,ふたたび大きな話題になっています。

 そのセルジュ・ラトゥーシュが,雑誌『世界』9月号に「豊かな社会」の欺瞞から「簡素な豊さ」という逆説へ,というショート・エッセーを寄せ,それを西谷修が翻訳し,その上で,インタビューを試みています。わたしにとっては,西谷修によるこなれた翻訳のわかりやすさにつづき,インタピューがセルジュ・ラトゥーシュの思考のど真ん中にピン・ポイントのように鋭く突き刺さっていて,とても助かりました。というのも,わたし自身は翻訳本に手こずっていただけに,西谷修のこなれた訳文がすんなりとわたしの理解を誘ってくれただけではなく,インタピューによって,さらに,そのポイントをみごとに明るみに出してくれたからです。なるほど,そういうことだったのか,と。

 これを読んで勇気づけられましたので,これから,再度,セルジュ・ラトゥーシュの翻訳本に挑戦してみようとおもっています。と同時に,何年も前(1994年)にわたしが提唱した「コンビビアル・スポーツ」の考え方が,基本的には間違いではなかったことがわかり,勇気百倍というところです。これもまた大きな収穫でした。

 それはどういうことかと言いますと,ヨーロッパ近代が生み出した近代競技スポーツの時代はすでにその使命を終え,いまや,それに代わって「コンビビアル・スポーツ」(=共生スポーツ)に移行していくべきときではないか,ということを主張したものです。この論文は,いろいろのいきさつがあって,中国で翻訳紹介され,かなりの話題になったと聞いています。しかし,日本ではほとんど省みられることもなく,消し去られてしまいました。当時の研究者仲間からも,あまり,受けはよくなかったようです。とりわけ,近代競技スポーツが「上昇志向のスポーツ」であるのに対して,それに代わるべき後近代のスポーツは「下降志向のスポーツ」をめざすべきだ,という表現がうまく受け入れてもらえなかったようです。

 わたしとしては,当時も,そして,いまも,まことに時宜をえた表現であると信じています。ですから,この表現にはこだわらないで,別の言い方をしながら,コンセプトをより明確にする努力をつづけてきました。

 たとえば,ヨーロッパ近代が生み出した近代競技スポーツの世界各地への普及は,まさに,ヨーロッパ産のスポーツ文化による世界制覇であり,それはヨーロッパの近代合理主義の考え方による世界の植民地化運動そのものであった,と。すなわち,自由競争の無条件の容認,優勝劣敗主義の奨励,ルールの絶対化,キリスト教精神に支えられたスポーツマンシップの推進,マナーの厳守,など。別の言い方をすれば,これはヨーロピアン・スタンダードの世界への「押し売り」にも等しい,と。さらには,資本主義の精神に支えられた「経済帝国主義」が,スポーツにおける優勝劣敗主義と表裏一体となり,スポーツの「金融化」への道を余儀なくしている,といった具合です。

 こんなことを考えていましたので,セルジュ・ラトゥーシュが「コンヴィヴィアリテ」という概念をもちだして,「脱成長」を語るくだりが,わたしには強烈なインパクトがありました。ならば,再度,この「コンヴィヴィアリテ」の概念を,スポーツ史・スポーツ文化論の立場から練り直して,近代競技スポーツを超克するためのひとつの重要なコンセプトとして定置し,「21世紀スポーツ文化」(すなわち,後近代のスポーツ文化)の展望を描いてみたいとおもっています。

 現代のスポーツが,経済原則に絡め捕られて,すでに久しいことは衆知のとおりです。わたしたちもまた,スポーツの小さな領域に閉じこもって蛸壷型の批評を繰り出したとしても,それはいまやほとんどなんの意味ももたなくなってしまったことを強く自覚しなくてはなりません。そして,「経済の帝国主義」から抜け出し,新たなる展望に立つスポーツ文化論を打ち出していかなくてはならない,と強くおもいました。

 そのためには,セルジュ・ラトゥーシュのテクスト『<脱成長>は世界を変えられるか?』に付されたサブ・タイトル「贈与・幸福・自律の新たな社会へ」に籠められたキー・ワードが,そっくりそのままこれからのスポーツ文化論のキー・コンセプトとして,きわめて有効だと考えています。

 また,ひとつ,広い知の地平に飛び出すことができそうな予感があって,この『世界』9月号の特集に感謝したいとおもいます。

2013年8月13日火曜日

鳥見山(とみやま)に鎮座する等彌(とみ)神社(奈良県桜井市)の不思議。(出雲幻視考・その8.)

 村井康彦さんの名著『出雲と大和』(岩波新書)を片手に,鳥見長髄彦(とみのながすねひこ)の事跡をたどるフィールド・ワークに行ってきました。その第二日目(8月9日)に等彌(とみ)神社の境内に足を踏み入れました。それも,偶然のできごとでした。なぜなら,この等彌神社のことは村井さんの著書にはひとことも触れられてはいませんでしたので,わたしの視野のなかに入ってはいませんでした。しかも,これまで聞いたこともありません。

 では,どうして等彌神社にたどりついたのか。村井さんの著作には「外山(とび)」という地名の謎解きにも似た描写がでてきます。それによりますと,この外山(とび)を鳥見(とみ)の当て字(別字)とみるか,それとも八咫烏のトビの当て字と読むか,二通りの解釈が成り立つ,とあります。そして,村井さんは鳥見の「とみ」説を支持します。で,まずは,わたしもその地に立ってこの眼で確かめてみようということででかけました。地図でみるとかなり広い地域が「外山」と呼ばれていることがわかります。そういう名前のバス停もありました。

 が,それ以上の情報をえる手掛かりがありません。ならば,すぐ近くに桜井市図書館があるから,そこで『桜井市史』などを繙けば,なにか新たな手掛かりがえられるかもしれない,ということでそこに向かいました。が,運悪くというか,運良くというか,微妙なところですが,休館日(書庫の入れ換え作業のための臨時の休館日)でした。

 がっかりして,しばらくこの周辺の景色を眺めていました。すると,道路表示に「等彌神社」という文字が眼に飛び込んできました。ふーうん,不思議な名前の神社があるんだなぁ,とぼんやり眺めていました。なぜなら,このままではなんと読むのかわかりません。読めないのです。すると,その下にちいさくローマ字で「Tomijinjya」と書いてありました。えっ!「とみ」神社だって?なんということか,とわたしは跳び上がってしまいました。外山(とび)=鳥見(とみ)という村井さんの解釈に同意しているわたしとしては,この「等彌(とみ)」はとんでもない「幻視」をするための有力な手掛かりではないか,と一瞬にして確信しました。

 入り口こそ,どこにでもある神社でしたが,予想外に長い参道を歩きはじめたときから,この神社はただものではないと予感していました。なぜなら,連日の猛暑で,この日もすでに昼過ぎでしたので、38℃は間違いなく超えていたのではないかとおもわれるほどの暑さです。にもかかわらず,参道を歩いていくとなんとも涼しげな風が吹いてきます。木が鬱蒼と繁っていることもあるのでしょうが,山から吹き下りてくる風が,なんとも心地よいのです。ここは気の流れが違う,風水的に最高の立地条件にある場所だと確信しました。

 等彌神社の境内はとても広く,参道の両側にはさまざまな神社が点在しています。たとえば,猿田彦大神社,金比羅社,愛宕社,恵比寿社,下津尾社(右殿は八幡社・祭神は神武天皇,左殿は春日社・祭神はアメノコヤネ),上津尾社(祭神はオオヒルメムチミコト),以下省略,という具合です。そして,上津尾社は,もともとは鳥見山の山中にあり,天永3年(1112年)に現在地に遷された,ということです(神社発行のパンフレットによる)。

 このパンフレットにはつぎのような文章があって,わたしの眼を釘付けにしました。
 「聖地鳥見山は,桜井駅の南東に位置しております。標高245メートルのなだらかな山容を誇るこの聖地は,橿原宮で即位されました初代天皇である神武天皇が,霊〇(田編に寺=まつりのにわ)を設けられました。霊〇(まつりのにわ)は国で採れた新穀及び産物を供えられ,天皇御自ら皇祖天津神々を祭られ,大和平定と建国の大孝を申べ給うた大嘗会の初の舞台です。いわば,我が国建国の聖地と言えるでしょう。」

 その他の文章も併せて熟読してみますと,この神社は神武天皇を祀った神社である,と宣言していることがわかります。しかし,その文章は,さきの引用でもお分かりのように,とても捩じれていて複雑怪奇です。しかし,最終的には神武天皇を全面に押し出した神社であることは間違いありません。が,このねじれ具合に,わたしは大いなる疑問をいだくと同時に納得もしてしまいます。なにゆえに,こんなにもってまわった言い回しをしなくてはならないのか,もっと,単刀直入に,わかりやすく神武天皇の神社であると言い切ればいいのに・・・・。しかし,それができないところに大きな謎が隠されているのではないか,とわたしは「幻視」してみました。

 その謎を解く手掛かりのひとつは,「鳥見山の山中にあった神社を1112年に,現在の場所に遷した」という記述です。神武天皇が大和朝廷を開いてから,ずいぶん長い年月を経ていることか(精確には計算できない)と考えてみれば,容易にその間の事情が推測できます。かんたんに言ってしまえば,それまでは山中にあった社を現在地に遷すことができなかった,ということです。なぜ?そんなに長い間,大和朝廷の支配下に治めることができなかった聖地だったのか,とわたしは推測します。

 ここからは,わたしの独断と偏見に満ちた「幻視」です。しかし,お断りしておきますが,わたしにとっては真実そのものです。

 さて,どこからお話しましょうか。
 まずは,鳥見山。この山を「とみやま」と読ませることの根拠はなにか。この鳥見山は,こんにちの地図で確認してみますと,なんと「外山(とび)」地区に位置しています。ちなみに,等彌神社の位置は桜井です。等彌神社の裏側から山を登っていき,大きく左折したさきの尾根の頂上が鳥見山です。この鳥見山のロケーションを地図でよく確認してみますと,この頂上(つまり,「まつりのにわ」(霊〇)のある場所は「外山」に属しています。ということは,「まつりのにわ」をむかしから管理していた人たちは「外山」の住民だったのではないか,とわたしは幻視します。

 さらに,鳥見山という名前から連想することは,一直線に,鳥見長髄彦の名前です。しかも,ここが鳥見長髄彦軍と神武軍が二回目に対戦した激戦地でした。ここでも鳥見長髄彦軍は神武軍を追い返しています。言ってしまえば,この地を神武軍はなんとしても突破して大和平野に突入したかったのです。しかし,それはなりませんでした。それほどに,この地は鳥見長髄彦の側からすれば絶対に譲れない軍事的な拠点でした。

 なぜなら,鳥見山の頂上からは,360度,あらゆる方向を見渡すことのできる軍事上の絶好の場所だったからです。初瀬川をはさんで対岸の向こうには三輪山が聳え,初瀬川の上流や大宇陀から大和平野に入る交通の要所であると同時に,軍事上の要塞でもあります。ここを支配していた豪族が鳥見長髄彦であったことは,ほとんど間違いありません。

 ついでに言っておけば,鳥見山という名前からして,神武東征以前からの名前であったことは明らかです。この鳥見山と三輪山が初瀬川の上流からやってくる武力に対して,いかに重要な要塞であったかは,素人が考えてみても明らかです。ここを見逃すことなく鳥見長髄彦が,しっかりと支配していたことは明々白々です。

 繰り返しになりますが,富雄川沿いにある下鳥見の「登弥神社」も,表向きは神武天皇が大和を平定した折に作られた社だと名乗りつつ,祀ってある祭神は,すべて出雲系の神々です。その代わり,いまはさびれた小さな社にすぎません。しかし,その参道の長さといい,そのロケーションから醸しだされる雰囲気といい,とてもシックな落ち着いた神社です。それに比べると,桜井の等彌神社は,同じ「とみ」神社でありながらも,1112年の遷宮を経て,完全に神武系の神社に鞍替えし,出雲の神々は,わずかに「恵比寿社」が残るのみです。それでもなお,そのねじれ現象はいまも厳然と残存しており,わたしにはとてもわかりやすい構造になっています。

 しかし,それにしても,村井康彦さんは「外山(とび)」の名前の出自の確認までしていながら,なにゆえに,この等彌神社のことについてはひとことも触れなかったのでしょうか。のみならず,このあたりに神武の軍勢が多く滞在したことの根拠として「磐余(いわれ)」という地名が残っていることまで指摘していながら,この等彌神社を忌避しているかのように読み取れてしまうのは,なぜか,わたしには大いなる疑問です。

 もうひとこと。村井康彦さんは,桜井市出雲という集落があることにもひとことも触れていません。そして,当然のことながら,いまも出雲の人たちの聖地である「ダンノダイラ」についても,ひとことも触れてはいません。知らないはずはないのに・・・,なぜか。ついでに連想することは,出雲の「ダンノダイラ」と外山(とび)の「マツリノニワ」はどこかで通底しているようにおもうことです。ということは,外山(とび)も出雲系の人びと,つまり,「トミ」の系譜の一族。このさきのことは,このあたりで止めにしておきます。

 どうも,いまも,アンタッチャブルな世界がある,と考えざるをえないようです。古代史の謎解きはかくも面白いのに,核心部分になると,きちんと活字にして残す人がほとんどいません。わたしもあまり深入りしない方が無難かもしれません。が,わたしの書くものはあくまでも「幻視」ですので,くれぐれもお間違いのないように。

2013年8月12日月曜日

連日,各地で40℃を超える記録的な猛暑,お見舞い申しあげます。

 この連日の猛暑のなか,みなさんはいかがお過ごしでしょうか。それもただの猛暑ではありません。75歳になるわたしの記憶にもない,まさに記録的な猛暑です。連日,熱中症注意報が呼び掛けられています。かと思えば,局所的な集中豪雨。こちらも大きな被害が各地ででています。狂っているのは人間だけだとおもっていたら,とうとう自然現象まで狂いはじめています。こころなしか,蝉の鳴き声もいつもよりは弱々しく聞こえます。

 そんななかお盆休みの帰省ラッシュです。自動車にしろ,新幹線にしろ,家族での大移動,たいへんなことです。どうやら,お盆すぎまでこの猛暑はつづきそうです。そして,甲子園では高校野球が真っ盛り。あのグラウンドの上は40℃ははるかに超えているだろう,といつもの年でも聞いています。ということは,ことしのこの猛暑ではどのくらいの暑さになっているのでしょうか。気が遠くなりそうです。でも,そんな猛暑をものともせず,連日,熱戦を繰り広げています。鍛えられた球児たちの元気な姿に勇気づけられます。

 その一方では,こんな記録的な猛暑のなかで甲子園大会を開催すべきではない,という意見もあります。みなさんは,この意見をどのようにお聞きでしょうか。この議論はいつか,きちんとしておきたいとおもいます。

 お盆といえば,あちこちの店でお盆用品をセールしています。驚いたのは,どの店もほとんど同じような商品を並べているということです。そういえば,しばらく前からお墓の前のお供えが,どうも変だなぁ,とおもっていたら,こういう商品が多く出回っているということが一因のようです。ことしはとくに顕著だ,とわたしには感じられます。それは,お花もお供えもみんなプラスチック製だということです。せめて,お花くらいは生花を供えたいところ。そして,故人の好きだったお酒の瓶もビール缶もプラスチック製の小型の模造品。ご飯や煮物,そして,お饅頭もみんなプラスチック製。まことに合理的。衛生的。後片付けも,つぎに来るときまでしなくていい。

 でも,近代合理主義の考え方がここまで浸透してしまったのか,とわたしなどは気持ちが滅入ってしまいます。寺で育ったわたしは,敗戦直後の食べ物もままならなかった時代に,仏様へのお霊供だけは白米のご飯(われわれはサツマイモの混ぜご飯)に季節の煮物(できれば初物)を炊いて,まっさきにお供えするのが,当たり前のことでした。そのあとで,わたしたち家族の朝食でした。そして,夕方にはお霊供をさげてきて,家族で等分に分けていただくのです。白いご飯が食べられなかった時代には,それだけで,ご馳走であり,嬉しかったものです。

 ですから,この時代のお墓やお位牌の前に供えられるものも,みんな農家で採れた野菜や果物でした。それも一番,立派なものが供えられました。つまり,ご先祖様への感謝や祈りの気持ちがつよく表れていたのだとおもいます。その信仰心の強さ,深さは,いまとくらべたら問題になりません。朝夕に祈る老人の姿は,どこの農家でも日常的にみかけたものです。

 が,アメリカの占領軍という名の戦後民主主義は,日本の伝統的な生活様式の「合理化」を強制しました。農村にも「生活合理化運動」なるものが浸透して,日曜日に農作業をしてはいけないとか,夜なべをしてはいけないとか,まさに,キリスト教国アメリカのスタンダードの押しつけでした。こどもたちには,方言をしゃべることが禁止されました。

 この話ははじめてしまいますとエンドレスですので,今日のところはここまで。いずれにしても,アメリカン・スタンダードの押しつけは敗戦直後から,じつにきめ細かく行われたことは間違いありません。そうしたキリスト教的・科学的・合理的な生活改善運動が,日本人の伝統的な信仰心を著しく破壊したことは間違いありません。いわゆる儀礼廃止という名のもとに。

 そのゆきついた典型的な事例が,プラスチック製のお供えものです。わたしが死んだら(もうすぐの話),そんな供え物なら要らない,と断ります。沖縄では,亀墓の前で,立派なお供えものを並べたあと,親族一同で小宴会を催す,とも聞いています。これなら大歓迎。こうした信仰心の深さと,人間のこころの優しさとは無縁ではない,とわたしは考えています。

 お盆のお参りに帰省もしない親不孝者であるわたしは,遠く離れた,この場所から般若心経を唱え,気持ちだけをご先祖さまと両親に送り届けたいとおもっています。

 みなさんは,どのようにこのお盆休みをお過ごしでしょうか。
 いずれにしても,この猛暑,こころからお見舞いを申しあげます。

 あと一週間もすれば涼しい風が吹きはじめるのではないか,とひそかに期待しています。エアコンをもたないマンション生活は,窓から入ってくる風のみが頼りです。早く,秋の気配を感じたい,と首を長くしているところです。

 この猛暑,お互いに無事に乗り切ることができますように。

責任を回避しようとする世の中,このままでいいのか。

 具体的な例をあげると際限がなくなるのでやめておくが,世の中,上から下までみんな責任を回避して,だれも責任をとろうとはしない。まことにもって不思議な世の中になったものだ,と最近とみに感じている。つまり,明治以後に構築された近代のシステムや考え方が,根底から崩れてしまって,まったく通用しない時代に入ってしまった,ということだ。もっと言ってしまえば,組織そのものが上から下までもはやまともには機能していない,ということは人間も壊れてしまった,とんでもない社会になってしまったということだ。

 そのむかし,教員養成大学に勤務していたころの教え子たちの会に招かれて,たのしいひとときを過ごした。そんな話のなかのヒトコマを紹介しておこう。こんなことが教育の世界でまかりとおっているのか,と開いた口が塞がらない。

 今回,集まった卒業生たちはみんな現職の小中学校の教員で,40代半ばの中堅の教員ばかり。そのかれらが教員免許の更新をするために(この制度そのものが奇怪しいのだが,ここでは割愛),夏季講習が行われている真っ最中だ,という。なかには,もうすぐ管理職というところまできている優秀な教員もいる。たとえば,授業研究の講師として,教育委員会から依頼されて教育委員会が主催する特別講習会に招かれている人もいる。それも,もう,ずいぶん前から引っ張りだこのようにして,教育現場の先生たちを相手に,何回もの指導を積み重ねている,という。

 こういう先生は,特例として,教員免許の更新のための講習会を受ける必要はない人として,特別に免除されている,という。だから,事前に,あなたは免除される対象のひとりだと教育委員会から言われていたとのこと。しかし,その年がきて蓋を開けてみたら,教員免許更新の講習会を受講するように,という通知がきたという。驚いて,教育委員会に問い合わせてみたら,事務の間違いでそうなってしまった,いまから取り消すわけにはいかないので,このまま講習を受けてほしい,と言われたという。

 ほんとうなら,それは奇怪しい,と言って抗議すべきところです,とご本人。しかし,これまでの教育委員会との関係やこれからのことを考えると,まあ,おとなしく講習を受けて済ませておく方が無難だと判断した,という。講習料も安くはない。でも,それでも泣き寝入りしておいた方が面倒がなくていい,と。

 こんな事案(このことば,大嫌いだが)は,よくよく聞いてみると,学校の教員会議でもよくあることだという。波風を立てるよりは,おとなしくしていた方が楽なのだという。つまり,多少のことは「泣き寝入り」。これが慢性化している,という。つまり,教員たちは身をけずってまでも保身に走る。その結果は,臭いものには蓋。みんな貝のように黙ってしまって,なにもなかったことにしてしまう。最近の教育現場の不祥事は,こんなところが大問題なのだ,と現場の教員たちは充分にわかっている。にもかかわらず,現状でばどうにもならない,ともいう。

これは,なにも教育界だけの話ではない。企業にいたっては,もっともっと秘守義務が徹底していると聞く。学会・学界でも同じ。官僚の世界はもっと徹底しているという。報道も同じ。もう,日常生活の隅から隅まで,保身のための責任回避体制は徹底していると言っていいだろう。いつも言うように,原子力ムラの住民はみんなそのための仲良しクラブを形成している。既得権益を守るためには保身の手立てを先手,先手と打ってくる。

 と,そんなことを考えていたら,今日の午後,親しくしている友人から珍しく電話が入ってきた。なにごとかとおもって聞いてみると,つぎのような事態が起きているのだが,どうにも腹が収まらないので,お前の意見が聞きたいという。

 かれの住んでいる大型マンションの理事会があって(毎月1回),マンションの敷地内にある児童公園の鉄棒(低鉄棒)を撤去することに決まった,と。その理由が,すでに30年を経過しているので,危険だから事故が起きる前に撤去することになった,と。かれは,元体操競技の選手だった人だから,散歩の途中で懸垂したり,腹筋運動をやったり,前まわりをしたり・・・と楽しんでいたが,とてもがっしりできていて,どこも悪くない。だから,撤去する必要はない,と主張したとのこと。しかし,管理防災センター(マンションが委託している管理会社)の職員が,同じようなマンションで鉄棒による事故があって裁判闘争になっているから,早めに手を打った方が無難だ,と主張。しかし,その事故が,鉄棒の老朽化が原因の事故なのか,それとも子どものミスによる事故なのかを友人が質問をしたが,その内容まではわからない,という。ただ,遊具のメーカーが「30年を経過した遊具はいつ,なにが起きても不思議ではないので,新しくした方がいい」と言っている,とのこと。そこで,かれは,今日,ここで是非を決めないで,来月までにそれぞれ理事が確認をしてみて,もう一度,議論してから決めたらどうか,と提案したが,それも無視され,結局,多数決で撤去が決まってしまったという。

 わたしは,この話を聞いて唖然としてしまった。ただ,遊具のメーカーの話を鵜呑みにして(それも具体的な事故の内容をきちんと確認もしないで),管理防災センターの職員の一存で,鉄棒に「老朽化・危険」と張り紙をしてしまった,という。それだったら,もう引き返すわけにはいかないから,撤去しましょう,という人が多数だったという。でも,かなり多くの人が残すことに賛成してくれた,ともいう。

 ことの根源には,面倒なことは避けたい,裁判沙汰になりそうな根は早めに摘んでおく,大人の都合が最優先,子どもたちの安全のために・・・という安易なポピュリズムに絡め捕られていくいまの世相をそのまま写し出している,とおもう。なぜ,もっと専門家の意見を大事にしようとしないのか,しかも,なぜ,一ヶ月の猶予が待てないのか,自分の眼で,からだで,鉄棒の安全性を確認しようとしないのか(徹底した責任回避,つまり,無責任),とうとう他人事ながら腹が立ってくる。こんな安易なポピュリズムは家庭のなかにも浸透しているに違いない。

 しばらく前のコマーシャルを思い出す。子どもひとり(小学校3年生くらい)の家族会議。こんどボーテスがでたら,父:車を買いたい,母:ハワイへ旅行,をそれぞれ提案。はい,多数決,で子どもは母親を支持して,それで決定。周囲の人たちはこのコマーシャルをみて笑っていたが,わたしは,なぜか,笑えなかった。冗談じゃない,必死になってはたらいている人間の意見をもっと尊重しろよ,と。このころから,父親軽視の風潮が強くなり,家庭崩壊へ,そして,いまや,そのなれのはて。

 日本の社会の根源が崩壊しつつある,と「3・11」以後,ますます憂鬱になっている。管理組合の財産の一部である児童公園の鉄棒を,理事がみんなで(あるいは有志で)確認をして,その上で決定するという手続すら否定する,かれのマンションの住民の意識が,日本のいまの世相をそのまま写し出しているようにおもう。世も末である。

2013年8月11日日曜日

大和一宮・大神神社のご神体・三輪山に登る。全国各地で40℃を超える猛暑日の10日。(出雲幻視考・その7.)

 前回のブログに書きましたように,8月8日から10日までの三日間,鳥見長髄彦の事跡をたどるフィールド・ワークに行ってきました。その最後のプログラムであった三輪山山頂の磐座を確認する登山の報告から,このブログを再開したいとおもいます。

 大和平野の東南端に位置する三輪山はむかしの修行僧が被った編笠を伏せた形の,どっしりとした落ち着いた山です。この三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社には,立派な拝殿がありますので,ここが祭神(オオモノヌシ)を祀る社殿だと勘違いする人が多いのですが,じつはそうではありません。いわゆる社殿を建ててご神体を祀る,わたしたちになじみの神社信仰が成立する以前の,自然存在である磐座そのものに神を感じ取り,磐座そのものに祈りをささげる,古い信仰形態が大神神社のはじまりですので,ご神体は三輪山の頂上にある磐座です。

 言ってしまえば,大和朝廷が成立するはるか以前から,この土地に住む人びとの信仰のシンボルが三輪山であり,その遥拝所が大神神社だった,という次第です。もっと厳密に言ってしまえば,大神神社も,祭神をオオモノヌシ(大物主)と定めて,拝殿を建てたときから,はじまります。それ以前は,三輪山そのものに向かって祈りをささげていたはずです。それは,どこからでも,三輪山の方向に向かって祈りをささげればそれでよかったはずです。その信仰形態のもっとも原初のものは,おそらくは三輪山の山頂にあるひとかたまりの磐座の前にぬかづき,祈りをささげたものだ,とわたしは考えています。

 ですから,今回の三輪山登山は,磐座信仰の原初の形態を,現代に生きるわたしのからだをとおして体験してみようというこころみでした。

 8月10日(土)午前11時,登山開始。登山口からつづら折れになった急坂がつづきます。三輪山は遠くから眺めると滑らかな曲線を描く,やさしい雰囲気の山ですが,山に入って歩きはじめてみますと急坂つづきの,なかなか厳しい山道ばかりです。いわゆる尾根筋をたどるようにして登山道はつけられていますが,その尾根がいくつもの尾根にこまかく枝分かれしていて,それぞれの沢は足元から一気に谷底に崩れ落ちていくような,きわめて急峻そのものの沢筋です。おそらく,この沢に登山道をつけることはほとんど不可能と思われるほどの急峻さです。

 ですから,尾根筋の登山道も,杭と丸太を多用して,一歩ずつ階段を登るようにステップが規制されています。そこから数歩横に入れば,そこはもう急峻な沢筋で谷底に一直線です。ですから,わたしたちはいやでも指定された登山道とそのステップを刻むしかありません。逆に言えば,この階段を登るからこそ,いわゆる素人の人(いわゆる一般の観光客)でも三輪山登山は可能となります。もし,この参道が整備されていなかったら,相当の登山の経験のある,つまり,登山技術をもった人でなければ登れない,そういう険しい山だということです。

 ですから,むかしの信仰登山の時代には,参道がこんなに丁寧に整備されてはいなかったはずですので,そうとうに修練をつんだ行者か,あるいは,ベテランの先達に導かれる信仰集団でなければ,この三輪山の山頂の磐座を眼前にして祈ることはできなかっただろうとおもいます。その点,いまの参道はみごとな整備のされ方をしていて,感動すら覚えました。が,多少とも登山に通暁している者からすれば,これほどまでに人工の手を加えないで,できるだけ自然の地形を残しておいて,一人ひとりが歩を運ぶ道筋を選びながら山を登る楽しみをのこしておいてほしい,とこれはないものねだりです。ごくごく歩行が難しくなるところだけに,救いの手をさしのべる,その程度でもいいのではないか,と考えたりしました。

 しかし,いまでは,500円の入山料をとって,営業しているわけですので,だれでも容易に,安全に登下山できるようにする必要があるのでしょう。(富士山の入山料のことが,ちらりと脳裏をかすめていきました)。

 磐座については,写真撮影禁止になっていますので,残念ながらその姿はわたしの脳裏に残っているだけです。登山の途中でいろいろ気づいたことですが,磐座には辺津磐座,中津磐座,奥津磐座というように三種類の磐座があるということです。大神神社から登山口のある狭井(さい)神社の参道あたりにある磐座は辺津(へっつ)磐座と呼ばれているようです。そして,三輪山の中腹あたりにかたまってみえている磐座を中津磐座と呼び,山頂の磐座を奥津磐座と,それぞれの案内板をみると書いてありました。

 これらの磐座をみるかぎりでは,この三輪山につづく尾根のさきにある巻向山の周辺にみられる磐座の方がはるかに迫力があって,仰ぎみる人を圧倒する力をもっています。三輪山山頂から健脚なら30分も歩けば,その地に立つことができます。しかし,三輪山の奥津磐座の,その奥へ進む山道には縄が掛けてあって侵入禁止となっていました。

 これは,まったくのわたしの推測にすぎませんが,古代の磐座信仰の古い形態は,三輪山から入山して,辺津,中津,奥津の磐座を拝み,そして,さらにダンノダイラ周辺にある巨大な磐座を順番に拝し,最後に驚くべき迫力をもった超巨大な磐座を仰ぎみながら,特別の祭祀を行っていたのではないか,それも何泊も野宿をしながら謳い・踊りをささげていたのではなかったか,と。しかも,そこから最短距離のふもとの集落が「出雲」です。ここに住む人たちにとってはダンノダイラは特別の聖地だと聞いています。そして,いまでも特別の祭祀を行っているとも聞いています。ちなみに,この集落には「十二柱神社」が祀られています。

 三輪山の磐座信仰は,どうやら,とてつもなく奥の深いものだったのでは・・・・とわたしは「幻視」しています。この仮説は,蛇,竜神,水の信仰とも深く結びついていて,わたしの「幻視」はますます楽しさがいや増すばかり,という次第です。

2013年8月7日水曜日

鳥見長髄彦(とみのながすねひこ)の事跡を尋ねる旅へ。まずは菅原天満宮から。(出雲幻視考・その6.)

 毎年8月には,奈良教育大学時代の教え子が集まる会があり,それを楽しみにいそいそとでかけることにしています。1月の山焼きの日と8月の年2回は,奈良に帰る約束になっています。これまでも,かなりまじめに出席させてもらっています。

 ことしは8月9日の夕刻に集まるということですので,一日前の8日に出発して,三日間,奈良の古代史にまつわるフィールド・ワークをしてこようと考えています。数日前から,そのための下調べにとりかかっていますが,なかなかはかどりません。今日になって,ようやく,初日のプランのイメージができあがってきました。

 幸いなことにわたしが頼りにしている奈良在住のT君が車を出して案内してくれることになっていますので,少しばかり欲張ってみようかという次第です。

 まずは,西大寺駅を振り出しにして,すぐ近くにある菅原天満宮から。断るまでもなく,ここは菅原道真生誕の地。代々,優れた学者を輩出した菅家の拠点となったところです。このあたり一帯は,そのむかし菅原・伏見という地名で呼ばれていたところで,いまも菅原町,伏見町という地名が残っています。この菅原・伏見の土地は,そのむかし垂仁天皇に仕えた野見宿禰が拝領した土地です。そして,この土地に移り住むことになった野見一族はこの機会をとらえて,野見姓を捨てて,菅原姓を名乗ることになります。その末裔に菅原道真が登場するという次第です。

 この菅原・伏見のなだらかな丘陵地帯に垂仁天皇の立派な前方後円墳があるのも故なしとしないとわたしは考えています。奈良の西大寺から南に下って,唐招提寺や薬師寺のある少し手前の右手にあって,電車からも眺めることができます。野見宿禰一族がこの墳墓を守ったことは間違いないでしょう。そして,いまさら断るまでもなく,野見宿禰は「出雲の人」です。すなわち,オオクニヌシの「国譲り」のあと,出雲族としては最初に歴史上に名を残した人が野見宿禰というわけです。

 しかし,この野見宿禰の出自については,なんの記録も残っていません。とつぜん,当麻蹴速との決闘の相手として垂仁天皇によっ召し出されるだけで,それ以前のことはなにもわかりません。それ以後も,学者となった菅原一族のことは比較的よく知られていますが,土師氏として,あるいは,奴婢として,あるいはまた,無名の人非人や河童として,全国に散っていった野見宿禰一族の末裔のことは,ほとんどなにもわかっていません。

 このことと,もうひとつの疑問である長髄彦(ながすねひこ)の子孫が,神武天皇との戦いのあと,どのような命運をたどったのか,こちらも記録がなにもありません。が,相当に大きな勢力であったことはたしかです。おそらくは,その子孫は大和朝廷の眼を逃れて,これまた全国に散っていったことは容易に推測することができます。

 この長髄彦の拠点であったところが,菅原・伏見の西側の丘陵地帯でした。地理的にいえば,富雄川に沿って大和から難波に抜けるためのむかしの幹線道路である磐船街道がとおっています。そして,この幹線道路の要所を押さえていた豪族が長髄彦だと考えられています。その痕跡を残すかのようにこの長髄彦にゆかりのある神社が,この磐船街道沿いに三つ残っています。この地域一帯は鳥見(とみ,あるいは,とりみ),登美,冨,富雄,と呼ばれていました。いまでも,これらの文字を用いた地名が残っていて,町名や字や学校名としてたくさん用いられています。ですから,長髄彦はトミノナガスネヒコと呼ばれていて,表記する文字も文献によってさまざまです。

 すでに述べたように,この長髄彦にまつわる重要な神社が,この磐船街道(つまり,富雄川沿い)に三カ所あります。それぞれ上鳥見,中鳥見,下鳥見と呼ばれ,そこには,それぞれ伊〇諾(いざなぎ)神社,添御県坐(そうのみあがたいます)神社,登弥(とみ)神社があります(この「登弥」の表記は初見です)。この富雄川を遡っていった最上流に,磐船神社があります。ここがニギハヤヒノミコトの祀られている神社です。しかも,このニギハヤヒノミコトが,長髄彦が仕えた天神(天下った神)であり,神武天皇といっときは対峙しますが,のちに国を譲り渡してしまいます。「国譲り神話」の実態は,どうやらこのあたりの話がもとになっているのではないか,とわたしは勝手に推測しています。

 となりますと,長髄彦とはいかなる人物であったのか。そして,この子孫はどうなったのか。なぜなら,ニギハヤヒノミコトの子孫は,海部氏となり,物部氏となり,という具合にその名を残すことになります。が,長髄彦の系譜は,なにも語られなくなってしまいます。やはり,神武天皇に最後まで抵抗したことが,のちの子孫のあり方に大きく影響したのでしょうか。

 最近になって,われわれはこの長髄彦の子孫だという話を祖父から聞いた,という人に出会いました。やはり,秘伝として言い伝えられているようで,滅多なことでは口外できないことだ,とも聞いています。しかも,この話をしてくれた人は,わたしの生い立ちとも無関係ではありません。となりますと,この長髄彦の存在が,急に身近な存在に思えてきて,ますます興味が湧いてくるという次第です。しかも,この問題は,大和朝廷が成立するときの,きわめて重要な,根幹にかかわる問題を内包しています。言ってしまえば,歴史のひかりとかげの問題です。

 ここでは,充分に議論を展開することはできませんでしたが,このニギハヤヒノミコトも長髄彦も,じつは出雲族と深い関係がある,あるいは,同族である,という説を立てている人がいます。詳しくは,村井康彦著『出雲と大和』(岩波新書)をご覧ください。ことしの3月に刊行された名著だとわたしはおもっています。

 まずは,この本を片手にもって,8日からのフィールド・ワークを楽しんできたいとおもっています。
もちろん,ここに書けなかったところにも足を運ぶ予定です。また,なにか新しい収穫がありましたら,このブログで報告をしたいとおもいます。

 というところで,今日はここまで。



2013年8月6日火曜日

「ホーイ,コウゲツへ行ってくるでのん」。小学校4年生の夏休みの仕事=寺の境内の掃除と川遊び。

 久し振りの夏の日差しを浴びたら,古いからだの記憶が蘇ってきて,一気に,子どものころの夏休みをリアルに思い出してしまいました。からだに刻まれた記憶というものは,いつまでも古びることなく鮮明に思い出すものです。

 門前の小僧であったわたしは,夏休みに入ると午前中は寺の境内の大掃除。お墓の草取りから本堂の縁の下の掃除,周囲を囲んでいる生け垣の刈り込み(細葉垣根)や仏具磨き(真鍮でできた仏具を年に一回,磨き砂でごしごしこすってピカピカにします),本堂の畳を干して叩く,畳の下の新聞紙の取り替え,障子の張り替え(古くなった紙をはがして,洗って,乾かして,新しい紙を張る),便所の掃除,などやることはいっぱいありました。家族全員が総出で頑張ってもなかなかはかどりません。が,とにかく午前中の涼しいうちに,これらの仕事をこなし,お盆の法事(盂蘭盆会・うらぼんえ)までにきれいにしなければなりません。

 午後は本堂で昼寝。これがとても涼しくて気持ちがいい。食後にはみんな横になって休みます。ちょっとうとうととしたころに,友達が呼びにきます。あらかじめ用意してあったフンドシ(六尺褌)をもって,そうっと本堂の外にでてから,両親に向かって「ホーイ,コウゲツへ行ってくるでのん」と声をかけて,いそいそと川遊びにでかけます。これが小学校4年生の夏休みの愉悦のときでした。なぜなら,小学校3年生までは泳げなかったので,必ず,だれか大人か,上級生の信頼の篤い人と一緒でなくては許されませんでした。が,小学生3年生の夏休みの終わりころには,完全に泳ぎを会得したことが認められ,自分たちだけで川遊びにでかけることが解禁されたというわけです。

 わたしが育った豊橋市大村町は,豊川(とよがわ)という水量の豊富な川が,ほぼ半円を描くように蛇行して取り囲んでいました。川遊びの場所はどこでもよかったのですが,大きな砂浜(三角州)のあるところが人気で,ほぼ二カ所に限定されていました。ひとつは渡船場(橋がないので船で向こう岸に渡るための渡船が,いまもあるそうです)。ここは人が大勢きていてにぎやかなところでした。親子づれが多かった。もうひとつの場所が「コウゲツ」。ここは子どもたちだけの秘密の遊び場。各学年ごとに集団をつくって遊んでいました。が,上級生は,それとなく下級生の遊びを監視していました。そして,危ない遊びをはじめると,かならずやってきてきびしく叱られました。やっていいこととやってはいけないことの区別を,かなりきびしく教え込まれました。中学生になると,もはや,川遊びにこなくなります。したがって,6年生が見張り番の役割をしていました。こうして,順番に,川遊びのルールやマナーを伝承していたようにおもいます。

 川遊びでの最高の栄誉は,大きな石を抱えて,一息で川底を歩いて向こう岸にたどりつく技量でした。そのつぎが泳力。川の真中あたりの急流を上流に向かって泳ぎつづけること。流されないで,最後まで残ったものが勝ち。つぎが,急流を横切って,まっすぐに対岸にたどりつくこと(途中で流されて斜めに対岸につくと笑われる)。つかれると,冷やしておいたスイカを割って食べます。それぞれ順番に自分の家の畑からスイカをとってきて石で囲った水に冷やしておきます。そのあとは,砂浜で甲羅干し。このときに,ジリジリと太陽に焼かれる快感をからだで覚えます。そうして,黒くするのも栄誉のうちです。ですから,夏休みには2回から3回は,全身の皮膚が焼けて剥けてしまいます。夏休み明けにはみんな真っ黒な顔で学校にやってきました。ここでも一番黒いのが栄誉。2回剥けたあとの3回目の皮膚は黒光りしていました。それはそれはみごとなものでした。自分より黒いのがいるとくやしくて仕方がなっかたことを思い出します。

 さて,川遊びをした場所の名前の「コウゲツ」は漢字で書くと「向月」だということを,じつは,このブログを書いている途中で調べて初めて知りました。グーグルの地図はまことに便利で,いつも新しい発見の連続です。なぜ,こんな名前がついているのか,これも不思議。それよりも驚いたのは,わたしたちが子どものころに遊んだ砂浜(三角州)が見当たりません。航空写真をどんどん拡大していくと,痩せ細った砂浜がほんの少しだけもうしわけ程度にしかありません。しかも,大きく蛇行していたはずの川がほとんど直線に近くなっています。水の流れが変わってしまい,砂浜も流されてしまったのかもしれません。それは,もう一つの渡船場も同じでした。あるいは,建築ラッシュの時代に砂はせっせと運ばれてしまったのかもしれません。

 しかも,集落の様子も大きく様変わりしています。わたしの子どものころには人の住むところではなかった低地に,いまは家がいっぱい建っています。豊川放水路ができてから,たぶん,この地域の名物であった「大水」もでなくなったのでしょう。でも,上流で大雨でも降って,堤防が決壊したら,間違いなく水没してしまうところです。むかしのことを知らない人たちは,なんの恐怖も覚えないのでしょう。しかし,自然災害は忘れたころにやってきます。何百年に一回といわれる大地震と同じで,いつかはかならず大雨が降ります。そのときにはどうなることか,とわたしは心配です。

 豊川はむかしから暴れ川として知られています。川の流れも,何回も変化した,と古い記録をみると書いてあります。いまの川の流れも,あるところで鋭角に曲がっています。これはどうみても不自然です。ある,なんらかの特別の意図があって,川の流れを人工の手を加えて変えたのではないか,とおもわれます。こんど,いつか,その場に立って,この眼で確かめてみたいとおもうほどです。そのことと,後世になって松原用水を引く大事業と,大村町に鎮座するハ所神社(この名前からして不思議)の由来は関係しているようです。

 このところ,なにかと子ども時代のことを思い出すと同時に,わたしの育った大村町とはいったいどういう歴史を刻んだ集落だったのだろうか,と考えることが多くなってきました。ものの見方,考え方も大きく変化していることに気づきます。これもまた不思議な体験ではありますが・・・。でも,とても面白いので飽きることはありません。その意味でも,グーグルの地図検索は,老後の道楽にはもってこいのツールだと,いささかあきれ果てながらも,楽しんでいます。

 この「コウゲツ」という地名にも,なにか大きな謎が隠されているのかもしれません。そのとなりには眼鏡とか褌とか,わけのわからない地名が並んでいます。しかも,これらはすべて河川敷(これがとてつもなく広い)で,ここにはいまも家は建っていません。首吊りの名所だった深い森もあります。かつて,その森のなかに入っていくには勇気が必要でした。生まれて初めて首吊り現場に立ったときには,血が逆流しました。小学校5年生のときでした。

 またまた,とんでもない記憶が蘇ってきます。際限がありません。今日のところはここまで。

2013年8月5日月曜日

紺碧の空,ヒロシマ,ナガサキ,玉音放送。そして「後近代」,「破局」,「スポートロジイ」。

 昨日(4日)まで連日靄がかかった(山ことばで言えば「ガスっている」)ような,いつ,雨が降り出しても不思議ではない,それでいてときおり日が射したりして,湿度の高い蒸し暑い日がつづいていました。が,今日(5日)は午後から青空がひろがり,いまは紺碧そのものの空がひろがっています。真夏の強い日差しがもどってきました。外を歩くと皮膚に針がささるような感覚があり,チクチクと痛みを感じます。しかし,わたしにとってはある種の快感とともに,こどものころの記憶がよみがえってきます。

 なにより強烈な記憶は玉音放送。これまでにも何回も書いたネタですが,1945年8月15日正午にラジオの前に正座して聞かされました。ちょうど,母の実家(寺)に疎開していたときでした。いとこたちも全員集められて,ラジオを囲みました。大人たちは涙を流していました。もちろん,なんのことかわかりません。小学校2年生。あとで,聞いたら,「戦争が終わった。もう,カンポウシャゲキもカンサイキもビー29も飛んではこなくなる」とのこと。嬉しかった。ただ,ひたすら嬉しかった。というか,恐怖感から解き放たれた,そういう安心感が強かった。その日が,今日と同じ紺碧の空でした。チク,チクと針が刺さるような快感。

 以後,8月15日といえば,わたしの頭のなかにはいつも「紺碧の空」がひろがっています。その連想からでしょうか,ヒロシマ,ナガサキの日もまた,わたしの頭のなかは「紺碧の空」です。もちろん,ヒロシマ,ナガサキのことは,小学校2年生のわたしには理解不能でした。ただ,大きな爆弾が落ちたそうだ,わけのわからない新型爆弾だとか,という程度の認識しかありませんでした。

 それが原子爆弾という恐ろしい爆弾であった,ということを自分で調べて知るのは中学1年生。1950年,朝鮮戦争勃発を知らせる『中学生新聞』の記事が廊下の掲示板に貼りだされたとき,恐怖に駆られて図書館に走りました。戦争が日本にまでひろがって,また,原子爆弾が落ちるようなことがあったらどうしようと考えたからです。当時の百科事典に書かれていた原子爆弾関係の項目を探し出して,全部読みました。以後,朝鮮戦争の記事をみつけると,ドキドキしながら新聞を読むようになりました。

 ですから,ヒロシマ,ナガサキは,その後もいろいろの本をとおして啓発されることになりました。そして,とうとう,これが人類史上に刻印されるべき大事件であった,とからだの中心で納得するようになりました。それとともに,初めて「後近代」ということばがわたしの頭に浮かんできました。つまり,ヒロシマ,ナガサキに「近代」論理の破綻をみてとったのでした。つまり,人類が所有してはならない「核」を手にしてしまったかぎり,もはや,自由競争はありえない,と。

 ということは,自由競争が美化され,優勝劣敗主義が称賛されてきた近代競技スポーツもまた同罪ではないか,と。だとすれば,近代競技スポーツを無条件に礼賛し,無邪気にその発展史を語るそれまでの「スポーツ史研究」は,いったいなんだったのかと考えるに至りました。ここから,わたしのスポーツ史研究の第一歩がはじまりしまた。その後,いろいろと試行錯誤を繰り返しながら,最近の「スポートロジイ」の提唱までは一直線です。

 そして,とうとう「iPS細胞」です。わたしの頭では,「核」と同じで,人類が所有してはならない,自然界の秩序を乱す背神行為(背信行為ではない)にもひとしい「大事件」だと認識しています。未来のアスリートたちの姿がどんなものか,透けてみえてきます。人類はとうとう「破局」への道をまっしぐら,というシナリオがまたひとつ増えてしまいました。

 こうなってきますと,やはり,ジャン=ピエール・デュピュイのいう「破局」について,真っ正面から向き合って考えていかなくてはなりません。『ツナミの形而上学』『経済の未来』など,熟読玩味しなければならないテクストが山ほどあります。それらと向き合いながら,今日も「スポーツ批評」のことを考え,これからのスポーツ史研究,スポーツ文化論の展開の仕方を考えてしまいます。

 わたしにとっては,ヒロシマ,ナガサキがすべてのはじまりでした。ここが,わたしにとっての「批評性」の<始原>でした。ですから,原発再稼働に向う政府自民党の政治は,まさに狂気そのものとしか考えられません。こんなことをする政府自民党に,原爆慰霊祭で献花をする資格はありません。これこそ「背信行為」です。そして,いまごろになって,とってつけたように「原爆症を認めます」という安倍発言の,そらぞらしさ。「沖縄のみなさんに思いを寄せて・・・」と発言する裏でオスプレイをどんどん沖縄に送り込む,この詭弁・虚言をこれ以上許してはなりません。こんなことは狂人のやることです。まともな小市民には理解不能です。

 しかし,この詭弁・虚言に乗せられてしまうわたしたちもまた悪いのですが・・・。でも,最近になって,ちょっと待て,このまま自民党に政権をゆだねておいてはまずい,それに代わるべき政党の出現を心待ちにしている人が80%を越えていると聞き,そこにわずかな救いを見出すしかないか,とほのかな期待を寄せています。

 外は紺碧の空。美しい空。焼きつくような暑さ。わたしの机上の温度計は32℃。わたしのからだは火照り,背中を汗が運動会。そのせいか,頭も熱くなってしまいました。やはり,ヒロシマ,ナガサキを考えるにふさわしい「紺碧の空」。核廃絶に向けて。そして脱原発にむけて。さらには「iPS細胞の凍結」に向けて。8月5日(月)午後4時30分,記す。

オスプレイの搬入に猛抗議するウチナンチュ。「もう,いっそのことアメリカの属州になった方がましだ」と。

 米軍普天間飛行場(宜野湾市)へののオスプレイ配備がなしくずし的にどんどん増えていく。アメリカは日本政府に事前に相談することもなく,ましてや沖縄の住民の意志を確認することもなく,まったく「無断」のまま,オスプレイ搬入の事実だけがつぎつぎに構築されていく。そこにあるのは,アメリカの一方的通達のみ。まさに,アメリカのやりたい放題だ。それに対してなにもできない日本政府とはいったいなんなのか。

 まずは,「日米地位協定」なるものの存在を,わたしたちはもっともっと糾弾していかなくてはならないのだ。日本は国家としての主権をどこかに置き忘れてきている(1951年締結のサンフランシスコ講和条約以後)。そして,そのまま長期にわたって放置してきた自民党政府の責任には蓋をしたまま・・・・,しかも,いま,また,アメリカにすり寄ろうとしている。自発的隷従。

 ウチナンチュがいくらオスプレイ反対を唱え,からだを張った抗議行動をくり返しても,事態は少しも改善されないままだ。「こんなことなら,いっそのこと,沖縄だけでいい,アメリカの属州にしてほしい。そうすれば,オスプレイを配置することはできないはず・・・・」と沖縄の友人からメールがとどいています。もはや日本政府は当てにしないで,みずからの生きのびる道を模索するしかない,という意志表示であり,その後をいきる覚悟です。そして,最近になって,こういう考え方をするウチナンチュは増えつづけている,ともいいます。この事実は軽んじるわけにはいけません。

 まったく,そのとおりだとわたしもおもっています。オスプレイは,あまりに危険なので(アメリカで墜落事故が多発),アメリカ本土での飛行訓練はできなくなってしまったために,それを沖縄に配備し,しかも,その飛行訓練の範囲を日本本土までふくめて自由に飛べるようにしようという次第です。それどころか,じつは,すでに,日本本土の上空を自由自在に飛び回っています。そのことに,ヤマトの人間はあまりにも鈍感にすぎる,そこが大問題です。

 このことをよく知っている沖縄の人びとは,自分たちのやり方で,猛烈な抗議行動を展開しています(『東京新聞』8月4日朝刊に写真入りで大きく報道)。しかし,本土のテレビ局はほとんど関心を示さず(意図的に無視しているとしか思えない),とってつけたような報道をほんの少しだけ流す,それでお茶をにごしています。もっと,沖縄の住民に寄り添う取材をして,問題の本質がどこにあるのかをつきつめる,そうして,本土のわたしたちも真剣に考える,そういう報道をしてほしいものです。しかし,それはNHKもやりません(あるいは,NHKだからやりません,というべきか)。他の民法には望むべくもありません。理由は,スポンサーどのが一斉に引いてしまうからです。そんなレベルで,じつは,報道というものはコントロールされているということをわたしたちはしっかりと認識しておく必要があります。

 この問題は,じつは,原発と同じで,権力支持者にとっては,都合のわるいものはすべて「蓋」をして,「弱者」に押し付けておく。そして,おいしいところだけを「強者」がいただき,都市文明の欲望を思う存分に満たすことに奔走。つまり,経済のため,金儲けのため,ただそれだけ。人間が生きる喜びがいかなるものかは度外視しています。ただ,自分たちだけの利益しか考えてはいません。。圧倒的多数の貧乏人(99%といわれている)とほんのわずかな金持ち(1%)という典型的格差社会に向かってまっしぐら。その典型的なモデルともいうべきアメリカに追随するのみ。こういう構造がいま日本の社会のすみずみにまで浸透しつつあります。

 オスプレイを無条件に沖縄へ搬入するという現実そのものが,まさに,日本という国家のありのままの姿を写し出しています。この現実をもっともっと重く受け止めていかなくてはなりません。しかし,多くのヤマトンチュはなんの自覚もないまま,ウチナンチュにオスプレイを押しつけて平然としています。自分たちにとって都合の悪いことはすべて眼を瞑って,見て見ぬふりをする,いわゆる自己中心主義がこういう形で浮き彫りになっています。

 ここに,じつは,とてつもない近代論理の矛盾が凝縮されているとわたしは考えています。この問題については,もっと根源的なところから精密に考えていかなければならないと考えています。いずれ,その問題についても考えてみたいとおもっています。

 さて,わたしが痛く反応した『東京新聞』の見出しは以下のとおりです。
 オスプレイ追加配備
 沖縄の声 政府顧みず
 県民「あきらめない」
 写真キャプション:米軍普天間飛行場の野嵩ゲート前で,飛来したオスプレイ(右上)に怒声を上げ,追加配備に反対すく市民ら

 この記事の書き出しは以下のとおり。
 「昨年十月の第一次配備に続き,米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に三日,新型輸送機MV22オスプレイ二機が到着した。この間,仲井真弘多知事や県内全市町村長が配備反対の声を上げ,多数の違反飛行を指摘したが,政府には「一顧だにされなかった」(県幹部)。「沖縄に思いを寄せる」との掛け声と裏腹な政府の冷淡さに,沖縄では「これ以上何ができるのか」と無力感が漂う。」

 ヤマトンチュのひとりとして重く受け止め,自分のできる範囲で,とにかく行動に移していかなくてはならない,と痛切に考えてしまいます。オスプレイをウチナンチュに押しつけたままでそれでいいとはだれもおもってはいないとおもいます。しかし,実際に行動を起こす人はごくわずかな人でしかありません。にもかかわらず,そういう人をひとりでも多くすること,わたしたちの希望はそれしかありません。

 この問題については,また,機会をみつけて書いてみたいとおもいます。今日のところはここまで。

2013年8月4日日曜日

『談』編集長の佐藤真さんがBlogで『スポートロジイ』第2号をとりあげてくださいました。ぜひ,ご覧ください。

 現代の最先端のテクノサイエンスとアートと思想・哲学がクロスする領域を切り開く若手研究者の発掘・紹介に主眼をおいた季刊誌『談』編集長の佐藤真さんが,『スポートロジイ』第2号を,ご自分のブログで紹介してくださいました。かなり好意的に気合を入れて書いてくださっていますので,ぜひ,ご覧ください。

 雑誌『談』編集長のブログ,で検索すればみつかるとおもいます。なお,佐藤真で検索すると同姓同名の人が複数で登場しますので,混乱する可能性があります。ですので,『談』編集長というのが間違いないとおもいます。

 雑誌『談』は,公益財団法人たばこ総合研究センター〔TASC〕が発行している季刊誌です。制作はアルシーヴ社で,佐藤真さんはここの専務取締役社長です。いくつもの雑誌の編集に従事しておられ,そのうちのひとつである雑誌『談』の編集長でもあるというわけです。毎回,雑誌の巻頭を飾る「editor’s note 」が抜群です。つまり,佐藤真さんの執筆になるものです。

  この雑誌は,かつての「たばこ専売公社」のイメージとはまったく関係なく,まことにおおらかに時代と人間に向き合い,いま旬の研究者に時代の最先端の話題を自由奔放に議論してもらう場として,ひそかに注目されている雑誌です。

 全国の指定書店にしか置いてないので,あまり広く知られているわけではありませんが,それぞれの分野の時代のパイオニア的な仕事をしている人びとには以前から注目されており,必携の雑誌だとおもいます。毎回,きわめて刺激的なテーマを立てて,魅力的な論考が掲載されています。ぜひ,バックナンパーもふくめて,一度,ご検討されることをお薦めします。www.dan21.com で内容を確認してみてください。

 わたしも,もうずいぶん前になりますが,佐藤さんにお世話になりました。そして,『談』には二度ほど取り上げていただきました。いま,ふたたびスポーツが大きな話題になってきていますので,そろそろ出番がきてもいいのかな,とひそかに期待しているところです。とりわけ,3・11以後のスポーツ情況はいちじるしく変化してきており,それ以前のスポーツ界独特の,保守的なロジックが通用しなくなり,まったく新たなロジックが求められるようになってきています。

 ついでに宣伝をしておけば,そういう近代スポーツ競技の世界に偏りすぎた,閉塞的なロジックを超克するための,つまり新しい時代を切り開くための,まったく新しいロジックを見出すための基礎的な作業として『スポートロジイ』が存在する,と位置づけています。その意味では,雑誌『談』からかなりの影響を受けながら,『スポートロジイ』の編集のコンセプトが考えられているといっても過言ではありません。

 当然のことながら,『スポートロジイ』第3号の特集のコンセプトをどのように設定するか,すでにいくつもの候補が立っています。それに向けて「ISC・21」の月例研究会も積み上げられていくことになります。すでに,そのスタートを切っているといっても過言ではありません。
 
 いずれにしても,まずは,雑誌『談』編集長のブログをご確認ください。
 取り急ぎ,お知らせまで。

グーグルの地図の功罪やいかに。この「空恐ろしき」仕掛けに絶句。

 もうすでに多くの人たちがご承知の話なのだろうとおもいますが,わたしにとっては初めての体験でしたので,はたしてこんなことがあっていいのだろうか,といささか身動きができないほど驚いています。いったい,世の中はこれからどうなっていくのだろうか,と空恐ろしい思いをすると同時に,茫然自失してしまい,自分の生き方をどうすればいいのか,ということを真剣に考えさせられてしまうほどの驚きです。

 じつは,この間から,わたしが少年時代の重要な時間を過ごした故郷が,大雨が降ると大水がでて学校がお休みになるという不思議なところだった,ということが気になりはじめ,いったいあの地域はどういう集落だったのかと考えはじめていました(その一部は,このブログでも書きました)。そうして,なぜ,あの地域は大雨が降ると大水がでるのか,地図であの地域のロケーションがどのようになっているのか,その謎解きをして確かめるという方法でした。そこで,まずは,いま,評判のグーグルの地図をインターネットで開いてみました。その結果,驚くべき発見がつぎからつぎへとあって,なるほど,そういうことであったのか,と納得することばかりでした。

 結論から言ってしまえば,大水が出るということは,もともと,人の住める場所ではなかった,ということです。にもかかわらず,そういう地域に,なぜ,人は住みつかなくてはならなかったのか,ということです。そこには,こんにちのわたしたちからは想像もできない,さまざまな理由があったに違いありません。つまり,日の当たる場所には住めなかったということ,では,その理由とはなにか,というところに分け入っていくしかありません。

 わたしの親しい友人のひとりに,河童を研究している人がいます。この人とはもうずいぶん長い間,河童とはいかなる存在だったのか,という議論を積み重ねてきています。ですから,この人の書く論文には大きな影響を受けています。そのこととの関連でいえば,わたしが少年時代を過ごした集落は,河童と呼ばれても仕方のない人たちがいっぱい住んでいた,ということになります。はたして,そうだったのか。

 誤解を防ぐ意味でお断りをしておきますが,この河童にも等しいとおもわれる人びとのなかから,じつは,とてつもなく立派な人物が,つぎからつぎへと輩出しているとうい事実です。詳しいことについては,いつか,機会をみつけて書いてみたいとおもいますが,今回は割愛。ただし,あの菅原道真もまた河童族の出身だ,ということだけはここに書いておきたいとおもいます。もうひとことだけ。大和朝廷の意に沿わなかった人びとの多くが河童に仕立て上げられていった節がある,ということです。中上健次の小説ではおなじみのように,いわゆる被差別部落である路地に住む「おリュウのおばあ」が語るように,「世が世ならば天皇家ともあろう者が・・・」というセリフが,ここでも彷彿とさせられます。

 たとえば,わたしの小学校時代の同級生(男女合わせてたった48人)のほとんどは河童族です。その出自があまりに複雑怪奇なために,ほんとどの人がその事実を自覚していません。しかし,いま,会って話をしてみると,みんなそれぞれに立派な生き方をしていて驚きます。最近は,つとめて同級会に出席するようにしていますが,ああ,こういう人たちだったのか,といつも会うたびに感動ばかりしています。ついでに言っておけば,あの菅江真澄(本名・白井秀雄)もこの集落の出身ではなかったかという説があります。わたしは半分以上,信じています。この集落のなかには白井姓は多く,しかも,優秀な人がいまも輩出しています。ですから,その白井姓のどこかが菅江真澄の実家であったとしてもなんの不思議もない,と。

 勘のいい人なら,すでにお気づきでしょうが,菅原と菅江は,「菅」という漢字と音で共通しています。どこかでつながっている,とわたしは考えています。この菅原姓の出どころは,奈良県の菅原地区です。垂仁天皇を祀った前方後円墳のある地域が,菅原地区です。あの菅原寺のあるところ一帯をいいます。そこが,垂仁天皇に取り立てられた野見宿禰の第二の本拠地であったことも銘記すべきでしょう。そして,菅原道真は,この野見宿禰の子孫であり,この地で生まれ成長しました。

 本名白井秀雄がわざわざ菅江真澄を名乗ったというところに,わたしは深い意味があると考えています。菅江真澄は,なぜか,西に向かわずに東北から北海道に向かって歩を進めました。これもまた,謎多き行動ではあるのですが,むしろ,そこにこそ菅江真澄の本領があったのではないか,とわたしは考えています。そして,もっと,驚くべきことは,菅江真澄はみずからの出自について死ぬまでひとことも語らなかったという点です。わたしは,ここに菅江真澄の謎のすべてが秘められていると考えています。

 さてはて,地図の話にもどしましょう。このわたしの少年時代を過ごした重要な地域を,グーグルの地図でたどってみましたら,腰を抜かすほど驚きました。まさに,浦島太郎のような,どう説明したらいいのかわからないような,摩訶不思議な体験をしてしまいました。こんなことがあって,はたしていいのだろうか,と。

 わたしは若いころ山歩きをしていましたので,いわゆる5万分の1の地図(国土地理院発行)をいつも携帯して,磁石とにらめっこをしながら,現在地を確認し,向かうべき方向をさぐるということに,ある程度慣れています。つまり,地図をみることに慣れています。そのわたしがインターネット上に流れているグーグルの地図を開いて,これはなにごとかと驚いてしまいました。ほんとうに,現代という時代はいったいどうなっているのか,と。

 その第一は,5万分の1の地図には書いてないことがいっぱい書いてあるということです。たとえば,飲み屋さんや食べ物屋さん,コンビニから田舎の小さな有限会社の名前まで書き込んであります。しかも,むかしは大水がでる低地に,いまでは,家がいっぱい建っているという事実です。ということは,豊川放水路が作られてからは,大水はでなくなった,ということなのでしょう。その変貌ぶりに呆気にとられてしまいました。

 それだけではありません。平面図をクリックすると,航空写真で撮影した映像で,その集落のすみずみまで写し出してくれます。ズームアップすれば,一軒一軒の家の屋根の瓦まで,そして,庭に停車してある自家用車まで,まるみえです。さらに,驚くべきことに,ストリート・ヴューをクリックすると,人の歩く視線からの映像が自由自在に写し出されてきます。場合によっては洗濯物まで映っています。これには,もはや,言うべきことばもありません。

 たとえば,わたしが少年時代を過ごした寺が,いま,どのような状態になっているのかは,ここ川崎市に居ながらにして一目瞭然となります。それも,俯瞰写真,横からの映像,寺の周囲を一回りしてみるとどうなるか,というところまでパソコンのディスプレイに写し出されてきます。これは,実際に,そこを尋ねるよりも詳しい情報が,パソコンをとおして入手することができる,ということです。こんなことがあってもいいのだろうか,とわたしはじっと腕を組んで考えてしまいます。

 便利であることはいうまでもありません。しかし,この便利さが,なにか人間が生きていく上でとてつもなく重要なものを,どこかに置き忘れてきてはいないだろうか,と。この空恐ろしき機械仕掛けに支配されている人間とはいったいなになのか,と。

 つとにバタイユが危惧したように,人間はみずからの動物性からどんどん逸脱してしまい,いつのまにやら「事物」(ショーズ)と化し,ついには,みずからが生み出した機械によって制御されてしまうという,まったく違う意味での,新しいタイプの「事物」になりはててしまっている,という次第です。この現実と向き合うことになって,わたしはなすすべを失っています。と,同時に,ひょっとしたら,ここを突き抜けていくことによって,避けがたい破局のさきの展望がえられるのかもしれない,とも考えています。

 個人情報がこんなにとりざたされている一方で,住所さえわかれば,その家屋敷の実像がリアルにディスプレイの上で再現できてしまうという現実があります。だからこそ,住所を伏せておかなくてはならないという事態も必然なのかもしれません。わたしは,自分の住所を書き込んで検索してみて,建物はおろか,窓やヴェランダの状態まで写し出されてくる事実を前にして,絶句しています。いったい,世の中,どうなっていくのでしょうか。

 この問題,また,いつか,取り上げて考えてみたいとおもっています。で,今日のところはこのあたりで。

2013年8月3日土曜日

8割以上の国民が自民党に対抗できる勢力を待ち望んでいる,という。わたしもそのひとり。

 こんどの選挙結果を受けて多くの報道は自民党圧勝と報じた。たしかに,獲得した議席の数の上ではそうなった。しかし,得票率は有権者の4分の1にも満たなかった。つまり,4分の3はアンチ自民党だったのだ。この数字は,なによりも支持したい政党がどこにもなかったという人が圧倒的多数を占めていた,という事実を示している。

 しかし,圧倒的多数の議席を確保して,ねじれ国会を解消した自民党は,もはやなんでもやろうと思えばできる,そういう政党となった。しかし,国民のホンネはそうではない,ということを自民党はしっかりと認識しておくべきだ。だが,どうやらそうではなさそうだ。ここにきて,自民党の奢りともいうべき言動が一気に吹き出している。これから3年間,よほどのことがないかぎり,選挙による禊ぎはない,と踏んだのだろうか。それを見越したかのように自民党はやりたい放題ではないか,という印象がここにきてとくに強くなっている。

 その第一は,原発の再稼働だ。わたしの好きな『東京新聞』の報道によれば,原子力規制委員会に対しても事務局長を呼びつけて圧力をかけつづけているという。そして,なしくずし的に原発再稼働に向けてまっしぐら。なにがなんでも再稼働という姿勢を露骨にしている。しかし,参院選の間,首相は原発再稼働についてはほとんど口を閉ざしていた。これを言うと選挙に不利だと計算したからだ。終ってみたら圧勝だった。ならばもういい。それいけ,とばかりに動きはじめた。なんともいやらしい,姑息なやり方か。

 そして,とうとう,そのホンネの表出ともいうべき言動が麻生太郎だ。これはどう考えてみても失言ではない。ナチス・ヒトラーのように,選挙で多数を占めてしまえば,あとはやりたい放題。原発再稼働も憲法改定もTPPも,なんでもできる。議会を制してしまえば,ナチスと同じようにやればいい。民主主義の手続を踏んでいる。なにが悪いのか,と麻生太郎は本気で考えているに違いない。そのホンネが,まことに彼らしくちらりと露呈してしまっただけの話。

 しかし,それは大きな間違いだ。
 ダイヤモンドオンラインの2013年8月1日(木)配信の情報によれば,以下のとおり。
 朝日新聞の調査によれば,こんどの参院選で,自民党に票を投じた人のうち,自民党が評価されたと思っている人は,たったの27%とのこと。同じく自民党に投票した人のうち,野党に失望したという人が57%だったという。つまり,自民党が強い支持を受けたというよりも,野党があまりに弱すぎたために票が流れただけのことだ,というのだ。

 そして,驚くべきことに,自民党に票を投じた人のうち,8割以上が対抗勢力の台頭を待ち望んでいるという。この調査結果はほかの報道機関の調査結果とほとんど同じだという。しかも,この前の衆院選のときの調査結果と変わってはいないという。ということは,国民の8割以上の人が,わたしと同じ考えでいるということ。にもかかわらず,議席数は自民党の圧勝(このことばは使いたくない)という結果。選挙による数字のマジックとしか言いようがない。でも,現実の政治はこれで動いていく。だれ憚ることなく。

 ということは,わたしたちはこんごの政治に対する監視の手をゆるめてはならないということだ。これまで以上にきびしくチェックしながら,みずからの声を挙げていかなくてはならない。まずは,原発の再稼働に対しては断固,反対の意志表明をしていかなくてはならない。これは待ったなしだ。金曜日の首相官邸前の集会には,可能なかぎり通うことが不可欠。なんとしても原発の再稼働だけはストップさせないことには,日本の未来はない,とわたしは考えている。

 フクシマの汚染水をみろ。このまま海洋汚染が広がっていけば,海が駄目になる。海が駄目になってしまったら,日本の漁業も海水浴も駄目になる。海水浴は川で代替するとしても,少なくとも,太平洋側の魚は食べられなくなってしまう。これはこれまでの世界史にも類をみない一大事だ。しかも,この汚染水は世界中を駆け回ることになる。その責任をだれが,どのようにしてとるのか。もはや,倫理的な責任どころの問題ではなくなってしまう。いつ,どこから,賠償請求がきてもなんの不思議もない。その責務はわたしたち全員が負わなくてはならない。

 活断層がいたるところ縦横に走っている日本列島に原発を設置すること自体が間違っていたのだ。しかも,世界に名だたる地震国である。いつ,大きな地震がやってきても不思議ではない。むかしから繰り返してきたことだ。富士山もいつ爆発しても奇怪しくないという。そういう統計的なデータもはっきりしているのに,政府自民党は再稼働ありきで動きはじめている。

 それも,きわめて陰湿な方法で。どうせやるなら,国会決議でもして,正々堂々と再稼働に踏み切るべし。それができないのなら,国民の声に素直に耳を傾けるべし。すなわち,8割の国民は自民党に代わる対抗勢力の台頭を待ち望んでいる,というこの声に。

 自分にとって都合のいい声はよく聞こえるが,不都合な声はほとんど聞こえない。これは,わたしたちとて同じだ。しかし,政治家はそうであってはならない。声なき声まで聞き取って,それを政治に反映させること,それが政治家の仕事だ。が,その当たり前のことができなくなってしまった。そういう政治家をわたしたちは選んでしまったのだから。

 あまり言いたくはないが,やはり,自民党に一票を投じた人たちは責任をもっていただきたい。我が意に沿わないことを自民党がやりはじめたら,ただちに「反対」を表明してほしい。それも大きな声で。そんなつもりで一票を投じたのではない,と。そうして,少なくとも,つぎの選挙までには,自信をもって反原発でものごとを考えることができるように,いまから備えていただきたい。でないと,ほんとうの「破局」がきてしまう。

 先見性のある思想家・哲学者たちは,すでに,その「破局」のさきを見届けようとしている。そういう本も,ここにきてたくさん出版されている。このブログでも,これから可能なかぎり取り上げていきたいとおもっている。

 それにしても,自民党に対抗できる勢力を一刻もはやく台頭させないことには,もはや打つ手はなにもないのが現状だ。情けないことに・・・・。いまや,無党派層を結集する絶好のチャンスだとおもうのだが・・・・。ごくふつうの良識をもつ人で充分だ。経済よりも命だ,と覚悟を決めていうだけでいい。その声をあげる人がでてきてほしい。あとは,優秀なブレインを集めればいい。

 8割の日本人の声が政治に反映しないで,死んでいる。こんなオカシナことがあっていいのだろうか。本気で考えなくてはならない喫緊の課題である。山本太郎君のような,真っ正直な人の登場を待ち望む。円形脱毛症になることも覚悟して。

2013年8月2日金曜日

「スポーツ批評」ノート・その6.シモーヌ・ヴェイユの『根をもつということ』の示唆するもの。

 フランス革命によってフランス人は「根こぎ」にされてしまった,とシモーヌ・ヴェイユは嘆いています。「根こぎ」にされてしまったとは,つまり,大地に根をはった生き方ができなくなってしまった,ということを意味します。つまり,根なし草になってしまったということです。ですから,強い風が吹けば,なんの抵抗をすることもなく,ただ流されていくだけの生き方しかできなくなってしまった,というわけです。

 フランス革命によって誕生した近代国民国家を生きる「根なし草」となりはててしまった国民は,外敵に対して国を守る気概もなくなってしまった,とヴェイユは嘆きます。その結果,フランス国民はナチス・ドイツに徹底抗戦する力もなく,いとも簡単に国を明け渡してしまった,と。だから,なんの大義名分もないまま,土足で乗り込んできたナチス・ドイツに,フランス人としての意地をみせることもなく,なすすべもなく支配されてしまった,と。

 彼女自身は,1936年に勃発したスペイン内乱のおりには,人民戦線政府を支持して率先して国際義勇軍の一兵士として参加しています。しかし,痩せぎすの弱々しいインテリ女性は,戦争の前線に立たせてもらうことができず,大いに悔しがります。そして,戦線の裏方として,彼女なりの全力で奉仕します。そして,わが身を犠牲にしてでも戦うことが,いま困っているスペイン人民を救うためのわたしの「義務」だと主張しています。

 そして,驚くべきことに,彼女は『根をもつこと』という著作の冒頭に「義務は権利に先立つ」と書いています。一瞬,わたしはわが眼を疑いました。なんということを・・・・,と。しかも,彼女は,権利は,義務をはたした人間に与えられるものであり,義務をはたした人間が,その恩恵を受けた側から承認されることによって,はじめて発生し,成立するものだ,と主張しています。

 しかも,この義務は「魂の欲求」に支えられているものであり,そのためにはみずからを「犠牲」にすることも辞さない,といいます。「魂の欲求」とは,たとえば,目の前に食べるものがなくて飢えて困っている人がいたら,自分のもっている食べものを無条件に差し出すことだ,といいます。この「魂の欲求」にしたがうことが,人間が生きていく上で,ほかのなによりも優先されねばならない「義務」だ,と彼女は主張します。そして,彼女自身は,みずからの信ずる道を最優先させて,まっすぐに歩みます。

 しかし,いろいろの事情で,アメリカを経由してイギリスに亡命したわが身の振り方をひどく悔やみ,フランスに残って抵抗運動をつづけている同志の苦労をこころから慮り,食を絶つようにして文筆活動に精力をそそぎ,ついには餓死してしまいます。その遺書ともいうべき著書が『根をもつこと』という次第です。

 わたし自身はシモーヌ・ヴェイユの全著作を丹念に読み込んだわけではありませんが,それでも彼女の生き方,そして,残された著作に大きな影響を受けずにはいられません。なぜなら,彼女の生き方そのものが,「犠牲」そのものであり,ことばの正しい意味での「供犠」であり,それはまさにマルセル・モースがいうところの「贈与」そのものではないか,とストレートに感じてしまうからです。ですから,シモーヌ・ヴェイユの思想の根底にはキリスト教的な「犠牲」の精神が色濃くやどっていますが,それでもなお,わたしのような仏教徒にも強烈に訴えかけるものがあります。

 それはいったいなんなのだろうか,とわたしは深く考えてしまいます。そうして,朧げながら浮かび上がってくるものは,人間として生きる上での,もっとも根源的な「生の源泉」に触れるものをシモーヌ・ヴェイユの生き方や著作をとおして感じ取ることができるからではないか,とわたしは考えています。つまり,それがヴェイユのいうところの「魂の欲求」ということなのでしょう。

 ここまでくれば,あとは「スポーツ批評」との接点を見いだすのみです。スポーツは,はたしてシモーヌ・ヴェイユのいう「魂の欲求」と,真っ正面から向き合っているでしょうか。あるいは,「魂の欲求」という「根」をしっかりと保持しているでしょうか。スポーツもまた,シモーヌ・ヴェイユ風に言ってしまえば,前近代のスポーツ文化から近代競技スポーツに移行する段階で,もののみごとに「根こぎ」されてしまった,ということになります。別の言い方をすれば,根なし草になってしまったものだけが近代競技スポーツとして世界に普及していくことになります。

 わたしたちが,いま,現前しているスポーツ文化は「根こぎ」にされ,「根なし」にされてしまったものばかりです。では,この「根こぎ」にされ,「根なし」にされてしまったスポーツ文化を,もう一度「根づけ」するにはどうすればいいのか,というのがわたしたちのこれからの課題になってきます。すなわち,「魂の欲求」に根づくスポーツ文化はいかにあるべきなのか,と。このことをシモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』はわたしたちに教えてくれます。

 いささか飛躍しますが,あらゆるものが経済原則に支配され,つまり,市場原理にさらされ,金融化されていく現代の進みゆきのなかで,わたしたちは身もこころも,あるがままの「魂の欲求」にゆだねていくための生き方の方途を見いださなくてはなりません。21世紀のスポーツ文化もまた,ここに「根づけ」しなくてはなりません。

 こんなことを,シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』は,わたしに強く訴えかけてきます。そして,それに素直に応答したいという「欲求」が,素直にわたしのなかにも芽生えてきます。このことを,わたしとしては大事にしていきたいと考えています。わたしの「スポーツ批評」の「根」のひとつは,間違いなくここにあるといっていいでしょう。

 と,まずは,ここまで。

2013年8月1日木曜日

8月1日(木),『東京新聞』朝刊の見出しを拾ってみると・・・・。世も末か。破局への道をまっしぐら。

 しばらく前から街ゆく子どもたちの姿が目立つようになり,「あっ,夏休みか」と気づく。教育現場からはなれて6年目に入ると,もう,夏休みも忘れてしまっている。そして,75歳をすぎたいまも,以前にも増して本を読んだり,原稿を書いたりする日々に追われている。もう,そろそろ「幕引き」をしなくては・・・と考えながらも,面白いことはやめられない。

 しかし,世の中(日本も世界も)をみるかぎり夢も希望もない時代にまっしぐら。いやはや,暗い話ばかり。わたしの周囲には,全柔連はいったいなにをやってんだ,スポーツ界全体がどうかなってしまったのではないか,ときびしく批判する人が多い。しかし,わたしもくやしいので言い返す。全柔連だけじゃないだろう。世の中全体が狂ってしまったんだよ。人間の思考回路の肝腎な部分が壊れてしまったことに,多くの人が気づいていないんだよ,と言い返す。

 8月1日(木),わたしの愛読している『東京新聞』朝刊の見出しをひろってみるだけで,どれほど世の中が狂ってしまったかは,よくわかる。一面から順に,わたしの眼についた「できごと」を拾ってみると以下のとおり。

〇虚偽捜査報告 田代元検事再び不起訴 最高検 嫌疑不十分で終結
 ※これでは小沢一郎も黙ってはいないだろう。国民も黙ってはいまい。これでは東京地検特捜部はなにをやっても不起訴になる。その判例となってしまうのだから。

〇もんじゅ 規定違反新たに65点 「検査済み」点検時期超過
〇冷却水喪失 「燃料問題なし」 敦賀2号機,原電
〇「土の壁」越え汚染水流出 福島第一

〇復興庁,3.4兆円使い残し 事業精査し概算要求

〇東電,原発頼み変わらず 「大幅コスト削減は困難」 あくまで再稼働強調
 ※コストのことしか考えていない東電。税金から莫大な助成金をもらっておいて,なお,再稼働しか考えていない。東電に勤務しているまじめな人びとが哀れにみえてくる。肩身の狭い思いをしているのか,退社する人があとを絶たず。引き止めのために,特別手当てを支給している,としばらく前の新聞にあった。そうして,電気代値上げ。全部,国民にツケをまわす。まずは,会社として自立できていないということを,どう考えているのか,そのことを知りたい。

〇8月値上げ 夏休み直撃 円安,原価高騰 それに猛暑 8月以降に値上げされる主な品目(電気,ガス,冷凍食品,牛乳,自転車,魔法瓶・水筒,調理器具,ファイル,玩具,格安航空運賃,海外旅行)

〇ネット飛び交う震災デマ 拡散ツイッターで瞬時 反論伝えるシステムを

〇論文データ操作 学術研究への裏切りだ(社説)・・・・医療品研究などの論文にデータ操作や捏造の不正が相次ぎ発覚した。公的研究費の架空請求事件で,東大教授も逮捕された。科学者の不祥事は社会の信頼を揺るがす。
〇全柔連改革 未来が問われている(社説)・・・・国の介入に追い詰められて会長らの退陣前倒しとなった全日本柔道連盟(全柔連)。最後まで自浄能力さえ示せなかったその姿は,競技団体に見られがちな根深い問題体質を象徴している。

〔こちら特捜部(『東京新聞』の話題のページ)から〕
〇失業率3.9%に改善というが・・・・ ●「非正規」が増加 ●低賃金化も進行 ●就職断念含めず 労働組合「雇用の質は劣化」
〇捏造,改ざん 相次ぐ科学者の不正 研究費には業績 競争モーレツ 成果主義でプレッシャー
〇「結果」出したい構造,閉鎖的な研究室 絶対的なトップ 口閉ざす若手 「悪質なら追放」意識を まず倫理,監視機関必要

〇虚偽報告書元検事再び不起訴 結論ありき 疑念 最高検「身内」捜査甘く OB指摘 第三者関与必要だった
〇令状なしで車にGPS付け尾行 兵庫県警

〇ブラック企業から救え 弁護団が支援へ
〇カネボウ被害 対応の遅れ批判 消費者庁 症状申し出8631人に
〇投資詐欺被害31億円に 新たに4容疑者逮捕 30人を再逮捕

 とまあ,こんな具合である。途中で書いていていやになる。なぜなら,いっぱいあるぞと思ってはいたが,じつはこんなに多いとは思わなかったからである。これを書き写しながら,情けなくなってしまった。しかし,これらが少なくとも8月1日の『東京新聞』朝刊が伝える,困ったできごとのニュースの実態なのである。

 こんなところでいい訳はしたくないが,全柔連のできごとなど「小さい,小さい」。柔道問題は,いざとなったら,公益法人の認可を国が取り消せばいいのだ。そして,むかしのように0(ゼロ)からやり直せはいいのだ。それが一番の薬。ここで助けてしまうと,ますます甘くなる。

 それに引き換え,原発の事故処理の不手際や,もんじゅの点検のずさんさ,これらは人間の命にかかわることだ。また,東京地検特捜部の虚偽調査報告書の作成が不起訴になるということは,裁判制度の根幹にかかわる重大事だ。検察の提出する取り調べ書そのものを疑ってかからなくてはならなくなる。ボイスレコーダーの持ち込みが拒否される「取り調べ」の方法もまた,わたしには理解不能である。これでは,最初から「犯人はお前だ」の取り調べだ,としかいいようがない。

 それと同じことが,科学者や学者の間でも起こっている。論文の改竄,捏造,研究費の不正請求,などまことにお粗末。人間として「自立/自律」できていない。こういう人を雇った各機関の人事委員会はなにをやっていたのか,猛省とお詫びをすべし。ここもまた形骸化していることを,一部,わたしは知っている。

 人間が,根源的なところで壊れてしまっている。経済,経済で押し切った安倍政権も,やはり,根源的なところで壊れてしまっている。人の命よりも経済を重視するとはどういうことなのか。経済学のはじまりは,もともと人の命を守る,つまり,人の生存を守る,すなわち,暮しを守る(家政)が起源だった,と西谷修さんから教えてもらったことがある。その経済が一人歩きをはじめ,人間の生存どころか,カネという数字が一人歩きをはじめ,とうとう,人間の身体までが「金融化」され,売買の対象にまでなってしまった。

 ジャン=ピエール・デュピュイは「わたしたちは破局を生きている」と喝破している(『ツナミの形而上学』嶋崎正樹訳,岩波書店,『経済の未来』世界をその幻惑から解くために,森元庸介訳,以文社)。西谷修は「破局は未来にあるべきはずなのに,すぐ目の前にある」と書いている。わたしたちは,いま,まさに「破局」を視野に入れてものごとを考えなくてはならない,としみじみおもう。その第一歩が「脱原発」以外のなにものでもない,とわたしは考える。そこから,すべてを出発させないことには,人類に未来はない。  

2013年7月31日水曜日

全柔連につける薬なし。評議員会,お前もか。

 開いた口が塞がらない,とはこのことだ。内閣府公益認定等委員会から前代未聞の「勧告」がくだされて,いよいよ全柔連の理事会も評議員会も待ったなしの決断を迫られ,それなりの「腹」のくくり方をするものだとわたしは信じていた。しかし,そうではなかった。この人たちはまだまだことの真相がなにもわかってはいない,病重篤の人びとだと知った。

 昨夜,あちこち飛び交っていた情報によれば,了徳寺評議員が提案する予定の動議(前理事の辞任,ゼロからの再出発,など)を支持する評議員が圧倒的多数を占めるにいたった,ということだった。しかし,一夜明けた今日になってみると,がらりと様子が変わり,またまた現執行部支持の票決となった。この一夜のうちになされたらしい「工作」がどのようなものであったのかは,わたしたちの知るよしもないところだ。しかし,なにかがあったな?とはおもう。でなければ,こんな結果にはならなかったはずである。

 理事会の自浄能力が低下したときにこそ,評議員会が冷静に,客観的に,良識ある判断をしてその組織を守らなくては,その存在理由はない。その最後の頼みの綱である評議員会までもが「毒」で汚染されてしまっていた。もはや,全柔連につける薬はない。

 上村会長が8月末までに辞任する,と表明したとか。前にもそんな話を聞いた覚えがある。しかも,まもなく撤回された。そして,発したことばは「改革の目処が立ち次第」辞任する,ということだった。こんどもまた同じ「改革の目処をつけて」辞任するという。それも前倒しして,とか。わたしは信じない。一度,辞任というような重大な決意表明を撤回した人間は,また,同じことをやるだろうとおもっている。世の中の多くの人たちは,また,嘘をつくのか,また,騙すのか,そのための時間稼ぎか,とわたしと同じように受け止めているはずだ。それは,盗みの常習犯と同じだ。

 しかし,それにしても,全柔連はことの重大さをなにもわかってはいない。「思考停止」してしまった多くの日本人と同じレベルの人たちが,全柔連の理事会,評議員会を構成していることが,もののみごとに露呈してしまった。

 30日には,公益認定等委員会を所管する稲田朋美・行政改革担当相が「執行部が自発的に辞めただけでは勧告書どおりのガバナンス再構築とは到底言えない」と述べ,会長辞任にとどまらない抜本的な改革に取り組むよう求めている。そして,評議員会が解任案を否決したことについては「勧告書の趣旨を,果たして理解されているのか」と不快感を示し,8月末までに提出を求める報告書をもとに改革が不十分と判断した場合には「(公益認定を)取り消すこともあり得る」とくぎを刺している(31日の『毎日新聞』朝刊による)。

 すでに,わたしたちが知っている範囲でも,さきに出された「勧告」に対して全柔連は「反論書」を提出している。しかも,その書式ならびに文章がまるで中学生以下のレベルのものでしかなかった,ということも新聞をとおして知っている。全柔連の現執行部はそんな稚拙な対応しかできない集団だということも衆知のところだ。その集団が,あと残り一カ月という段階にさしかかって,どれだけの改革案を練り上げ,監督官庁に対して,文書として提出することができるのか,わたしはきわめて懐疑的である。

 日本の柔道をこよなく愛している人間のひとりとして,まことに残念の極みである。だから,あえてここに書いておきたいことがある。上村会長は8月末までに講道館館長の職も辞すべし,と。ここが上村会長の最終的な命綱だとおもっている。だから,講道館館長を辞任する考えはない,とすでに記者会見で述べている。それでは元も子もないではないか。

 内閣府の公益認定等委員会の眼は節穴ではない,とわたしはみている。こんどこそ襟を正して,柔道界を再生させるためにも,勇断をくだしていただきたい。評議員会までも「毒」がまわってしまった組織は一度,解体して,ゼロから出直すしか方法はない。つまり,つける薬はもうなにもない。残る方法は,外科的な解体という大手術のみだ。そのとき,はじめて,理事会,評議員会のみならず,純粋に柔道を愛好する人びとの眼が醒めるだろう。そこから,もう一度,やり直すしか方法はない。変な妥協をしてしまうと,かえって柔道界のためにならない。

 この問題については,じつは,もっともっと多くのことを語る必要がある。が,今回はこのあたりで,ひとまず終わりにしておこう。また,いずれこのつづきを書くことにして。いずれにしても,問題の根は深い。

「スポーツ批評」ノート・その5.ニーチェの『悲劇の誕生』が示唆するもの。

 ニーチェをどのように評価し,かれの思想・哲学からなにを継承するかという点については,いまでも議論の多いところだとおもいます。ハイデガーは,ニーチェはわたしの師匠である,といいました。それに対して,ジョルジュ・バタイユは「ニーチェを生きる」と断言しました。当時,ニーチェの思想・哲学を高く評価する哲学者のなかでも,バタイユのそれは異色だったとおもいます。わたしはバタイユのこの発言に刮目しました。「ニーチェを生きる」とはどういうことなのか,とわたしはかなり深刻に考えたことがあります。なぜ,バタイユはこんな言い方をするのか,と。そうして,考えていくうちに,ますますバタイユの世界にのめりこんでいくことになりました。

 いったい,バタイユに「ニーチェを生きる」と言わしめた理由はなにか。その全貌を語る資格はわたしにはありません。しかし,ニーチェのどこがバタイユを惹きつけたのか,その一端をスポーツ批評という観点から見出すことは可能だろう,と考えています。結論をさきどりしておけば,「ニーチェを生きる」ということばに,じつは,バタイユの「批評性」のすべてが籠められている,とわたしは考えています。つまり,「批評」とは,そういうことなのだ,と。以下には,その点に限定して,わたしの見解を述べておこうとおもいます。

 そのキー・ワードは,ニーチェがそのデビュー作である『悲劇の誕生』で提示した「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」のふたつです。ギリシアの古典を徹底的に分析した古典文献学者としてのニーチェが,その結論として導き出した概念がこの「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」のふたつでした。つまり,ギリシア悲劇が誕生するもっとも大きなきっかけは,理性的合理主義的な考え方(アポロン的なるもの)と情動的な快楽主義的な考え方(ディオニュソス的なるもの)との,真っ向からの対立,亀裂にあった,とひとまず整理しておきたいとおもいます。もう少しだけ補足しておけば,実際に生きる人間はこの両方の考え方につねに呪縛されていて,この両者の葛藤のもとに「生」を営んでいる,というのが実態であるわけです。ということは,人間が生きるとは,つまり「宙づり」状態を生きるしかないというわけです。しかし,このことをなかなか認めようとはしない人びとが多数を占めているのも事実です。ここに,じつは,現代の「悲劇」が待ち受けているという次第です

 もともと,ディオニュソス的なコスモロジーを生きていた古代ギリシアの人びとが,あるときから,「アポロン的なるもの」を優位に立たせて,ものごとを考え,生きるようになります。そして,情動的な「生」の喜び・快楽を徐々に蔑むようになってきます。そのようにして誕生した悲劇のひとつがエウリピデスの『イフィゲネイア』です。トロイア戦争に勝利するためには,ギリシア軍を率いるアガメムノンの娘イフィゲネイアを供犠にささげなくてはならない,という託宣がくだります。しかし,父アガメムノンとしては,その情において,それを実行するわけにはいきません。妻のクリュタイムネストラは娘イフィゲネイアを犠牲にささげることに徹底的に反対し,抵抗します。つまり,トロイア戦争に勝利しなければならないという目的(アボロン的なるもの)をなし遂げようとすれば,娘イフィゲネイアの命を救うことはできません。ここに「悲劇」が誕生するというわけです。

 ニーチェが抽出した概念「アポロン的なるもの」は,こんにちの時代に置き換えれば「科学的合理主義」です。それに対して,「ディオニュソス的なるもの」とは「生の源泉」に触れる喜びを重視する「生命中心主義」(あるいは「快楽主義」)に相当します。この情況は,じつは,古代ギリシアのむかしから,こんにちの現代文明社会を生きるわたしたちに至るまで,基本的には少しも変わってはいません。もっとはっきり言っておけば,科学的合理主義に信をおく原発推進派か,命を守ることを最優先させる脱原発派か,という分裂現象がじつによくこのことを表しています。ここに,現代の「悲劇」の誕生をみることができます。二者択一しかありません。しかし,よくよく考えてみれば,わたしたちは「科学」のみで生きることはできないということは,だれの眼にも明らかです。しかし,お金の魔術にひっかかってしまった人びとには,その可笑しさすらわからなくなっています。お金よりも「命」が大事という,こんな単純な論理すら理解できない人が多数を占めるようになった世の中をどのように考えればいいのでしょうか。

 ここに,「批評」が成立する根拠がある,とわたしは考えています。ということは,「スポーツ批評」もまた,このことと無縁ではありえません。スポーツにとって「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」をどのように考えるべきか,わたしのスポーツ批評を支えるひとつの重要な根拠はここにあります。

 スポーツにとって「アポロン的なるもの」とは,ルールであり,管理・運営する組織であり,経済的合理主義などによって絡め捕られる側面のことです。それに対して「ディオニュソス的なるもの」とは,スポーツをする喜びであり,フロー体験であり,エクスターズに接近していく快感のようなものを意味します。近代競技スポーツは「アポロン的なるもの」に大きく傾斜していきました。そのために「ディオニュソス的なるもの」を,ルールによって徹底的に排除していきました。そのために,スポーツのあるべき姿が極端に偏ってしまい,勝つことだけが唯一・最高の価値をもつにいたってしまいました。つまり,スポーツは,経済の市場原理に絡め捕られ,さらにはメディアの格好の餌食にされてしまい,形骸化・事物化(ショーズ化)し,金融化へとますます傾斜しつつあります。その結果,子どもの遊びにも等しい,素朴なスポーツをする喜びが軽視され,抑圧され,排除されるという経過をたどりつつあります。

 ニーチェの思想・哲学からは,スポーツ批評をする上において,もっともっと多くの重要な示唆をえることができます。それらについては,また,別の機会に触れてみたいとおもいます。今回は,とりあえず,「アポロン的なるもの」と「ディオニュソス的なるもの」という,ニーチェの重要なふたつの概念装置について考えてみました。

 いかがでしたでしょうか。こんなことを,とりあえず,わたしは「スポーツ批評」を立ち上げるために必死で考えています。

 とりあえず,今日のところはここまで。

2013年7月30日火曜日

富士山に登山鉄道だってェーッ?! 

 富士山が世界文化遺産に決まったことを契機にして,またまた,一儲けしようという輩が動きはじめているという。なんでもかんでも儲かればいいというホモ・エコノミクス族の考えそうなことではある。その情報によれば,この登山鉄道をJRにつなげて,成田空港と直結して,外国人観光客をストレートに富士山に呼び込もうというのである。いやはや,儲かればいいという人たちの考えることは,わたしのような小国民とはケタが違う。そんなことをしたら,富士山が富士山ではなくなってしまう,などとは考えない。それよりも世界中の人が一人でも多く富士山にやってきて,日本にカネを落していってくれればそれでいい,ということらしい。

 ここまで書きながら,「それはもはや柔道ではない」という名セリフを思い出している。つまり,柔道がグローバル化した結果,世界に広まり,柔道人口が桁外れに多くなった。そのこと自体はまことに結構と歓迎され,日本もまた柔道の世界的普及のために力を注いだ。そして,オリンピック競技種目となり,世界選手権大会まで開かれるようになる。が,気がついてみると,「それはもはや柔道ではない」という結果を招来してしまうことになった。

 この謂いにならえば,「それはもはや富士山ではない」というときがやってくるのは明々白々である。苦労して富士山の頂上に立ってみたら,そこにいる人たちの顔のほとんどが外国人であった,ということもありえないことではない。ひょっとしたら,富士山の頂上が「外国」になってしまうこともありえないことではない。となると,霊峰富士は異教徒のマナーに占領されてしまう,ということだってありえないことではない。

 富士山の頂上に立つ,ということはわたしたち日本人にとっては,いわゆるふつうの山の頂上に立つこととはまったく異質のものだ。いまでは,もはや,信仰登山を意識して富士山に登るというような人はごくまれでしかないだろう。そんなことはまったく意識していなくても,無意識の底のどこかには霊峰富士という意識が生きているように思う。しかし,富士山に登る人の意識は,ほかの北岳や仙丈ヶ岳に登るのとほとんど変わらないだろうとおもう。それでも,こころの底のどこかには「富士山」という特別の意識があるようにおもう。それは,やはり,つきつめていけば,霊峰富士というところにゆきつく。

 富士山が世界文化遺産に指定されたとき,わたしは,なぜ,世界自然遺産ではないのか,とつよい疑問をいだいた。しかし,いろいろの情報を集めてみると,日本人はむかしから富士山を信仰の対象として仰ぎみ,みそぎをし,白装束に身を固めて登山する,という長年の慣習行動が高く評価された結果だと知った。しかし,いまでも,富士山の麓でみそぎをし,白装束で登山をする人がいるにはいるが,ごく少数にすぎない。このことはだれもが知っていることだ。にもかかわらず,富士山は他の山々とは別格であり,こころのどこかに「祈り」のようなものを抱いてしまうのはわたしだけであろうか。

 もちろん,穂高岳に登る人たちのなかには,穂高神社のご神体に「登らせていただく」という意識をはっきりともつ人もいることは間違いない。しかし,そういう人たちは,穂高神社の氏子さんか,あるいは,穂高にまつわる伝承に共鳴する人たちに限られるだろう。だから,数からしたら,ほんのごく少数にすぎない。しかし,穂高岳に登山鉄道を敷設するなどというプランが立ち上がったら,この人たちは黙ってはいないだろう。そして,それこそからだを張って,反対の意思表明をするだろう。なぜなら,自分たちの信仰の拠り所が,不特定多数によって独占されてしまうからだ。それは,耐えられないことだろう,とわたしはおもう。

 このことは富士山とて同じであろう。しかし,残念ながら,わたしは富士信仰の実態をほとんど知らない。コノハナサクヤヒメを祀る浅間神社のご神体が富士山である,という程度のことしか知らない。だから,どのような信仰形態がこんにちにも伝承されているのか知らない。つまり,具体的な信仰の形態はなにも知らないのに,わたしたちのこころのどこかに富士山を特別視する,不思議なものがあることは間違いない。

 さて,そこに登山鉄道を敷設する案が持ち上がっているというのだから,ことは単純ではない。この計画の詳しいことについては,http://www.nikkei.com/でご確認ください。この情報によると,富士山に登山鉄道やケーブルカーや地下ケーブルカーを敷設するプランは過去にも何回ももちあがり,そのつど,それぞれの理由があって実現にはいたらなかったという。その情報もじつに面白いのだが,今回は,割愛。さらに詳しく知りたい方は,村串仁三郎著『国立公園成立史の研究』(法政大学出版局)をご覧ください。

 ところで,今回の登山鉄道敷設計画は,はたして成功するのだろうか,とわたしは少なからず関心をもっている。なぜなら,あらゆるもの(人間の身体までも)が金融化されていく時代にあって,とうとう富士山までもが資本の論理に絡め捕られ,金融化していくのか,となかば呆れ果てて眺めている。と言いつつも,はたまた,ほとんど死んだも同然の富士登山の信仰が息を吹き返すのか,その行方にひとかたならぬ興味・関心をいだいている。

 結論を言っておけば,日本人としての「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)が問われている,と。すなわち,わたし日本人とっての「根」をもつことのひとつは,霊峰富士を共有することではないか,と。だから,富士山を可能なかぎり自然状態のままで維持・保存し,そこはかとなくこころの拠り所として大事にしておきたい,と考える。この点については,じつは,相当に詳しくそのロジックを明らかにしておかなければならないだろうとおもう。いずれ,機会をみつけて,とことん論じてみたいとおもう。が,今回は,ここまでとする。

2013年7月29日月曜日

部活の先生は教祖さま? 生徒を「洗脳」せよ,とか。

 第74回「ISC・21」7月大阪例会で盛り上がった話題のひとつは「洗脳」でした。体罰の問題について聞き取り調査をしたNさんが出会った部活の先生の口から飛び出したことばが「洗脳」だったというのです。つまり,部活の生徒たちを指導する理念は,まずは生徒たちを「洗脳」することだ,と語ったというのです。しかも,実際に,その部活の現場をみせてもらったら,驚くべき光景がそこでは繰り広げられていた,というのです。

 たとえば,女子のバスケットボールの部活での話。先生の指導したとおりに生徒たちが動かないとなると,先生はプイと顔を横に向け,椅子から立ち上がり,体育館からでていこうと歩きはじめます。すると,生徒たちは全員で先生のあとに追いすがり,土下座して,頑張りますから指導をお願いします,と謝るのだそうです。しかし,それでも先生は無視して,歩きはじめます。すると,さらに追いかけていって,ふたたび土下座して謝り,お願いをするというのです。こんなことを何回も繰り返して,先生は生徒たちに絶対服従を誓わせるのだというのです。

 なにか信じられないような光景ですが,現実には,いわゆる強豪校といわれるチームを育てている部活ではこのようなことは当たり前のことだそうです。もし,これが事実だとすると,強豪校で展開されている部活とはいったいなんなのだろうか,と首をかしげてしまいます。これは,どう考えてみても,学校教育の「教育活動」の範疇から大きく逸脱している,といわざるを得ません。しかし,こんなことが「教育」の名のもとで,学校の部活として美化されているというのです。

 これは恐るべきことです。しかも,こんな現実が,素晴らしいチームを育てている優れた指導者として褒めそやされ,尊敬を集め,美化されているというのですから,もはや,いうべきことばもありません。常時,県大会のベスト4以上の成績を収めている強豪校の指導者たちは,まるで教祖さまのように,生徒だけではなく,父兄や同僚の先生たち,さらには校長先生の上に君臨している,とも聞いています。

 大阪の桜宮高校のバスケットボール部の事件は,そうした風潮のなかから生まれた必然の結果であり,しかも,氷山の一角にすぎない,というのです。

 そうして,ひとたび「事件」となると,そういう先生の独断偏向を許した学校の校長はなにをしていたのか,そういう強豪校の現実を知っていながら,みてみぬふりをしていた教育委員会が悪い,父兄もなにをしていたのか,同僚の先生たちはなにをしていたのか,生徒たちもなぜ黙っていたのか,などとマスコミは喧しく騒ぎ立てます。そして,それらしき処分をして,その場しのぎの問題の解決をはかろうとします。つまり,氷山の一角が「事件」を起こしたために問題が表面化しましたが,それ以外の学校では自粛しているとはいえ,ほとんど変わることなく,これまでどおりの指導が展開しているといいますし,さらに,指導者が責任をとらなくてもいいように姑息な約束ごとが事前に文書で交わされているとも聞きます。

 問題はここからです。はたして,マスコミはもとより,それを他人事のように傍観しているわたしたちに,そのような学校現場を批判する資格があるのか,ということです。

 「洗脳」ということばを聞くと,わたしたちは思わず吹き出して笑ってしまいます。しかし,その資格がはたしてわたしたちにあるのだろうか,というのがわたしの疑問です。

 恥ずかしながら,わたしたちは自民党に圧倒的多数の議席を与える選挙行動をとってしまいました。はたして,自民党こそ信頼に足る政党であるとこころの底から信じて投票した人がどのくらいいたのでしょうか。自民党に一票を投じた人の多くは,ほかの政党よりはましだから,という判断だったと新聞なども報じています。つまり,ほかの政党よりはましだ,という判断はどこからきたのかといえば,それはまぎれもなく「洗脳」の結果です。

 「洗脳」されなかった人は,野党のどこかに次善の策として一票を投じ,息を潜めてその結果を見守ったはずです。ひどい場合には,夢も希望もないと失望し,棄権しています。ことの是非はともかくとして,各政党の教祖さまは陣頭指揮をとり,いかに多くの有権者を「洗脳」するかに全力投球をしました。その姿は街頭演説をみれば明らかです。そこに,マスコミがニュースの名のもとに便乗して,「洗脳」に参加しています。

 わたしたちはあの手この手で「洗脳」された結果として,安倍晋三教祖さまを選出してしまいました。これから3年間は,よほどのことがないかぎり,この教祖さまのもとに平伏して,絶対的な服従を強いられることになります。

 それとこれとは問題が違うと仰る方も多いかとおもいますが,わたしには,問題の本質においてまったく同じ現象だと受け止めています。つまり,教祖さまを生み出す土壌は,なにも学校現場の特殊事情によるものではなく,企業でも同じだと見聞きしていますし,官僚の世界ではもっと徹底しているとも聞きます。わたしのよく知っている大学という組織も同じです。たとえば,教授昇任の人事にいたっては,目に余るほどの「洗脳」が繰り広げられています。

 あるいは,家庭のなかの幼児虐待も同根だとわたしは考えています。さらには,DVも同じです。そこからさらに逸脱していくと,こんどは無差別殺人というところに飛び出していきます。

 ですから,学校現場はどうなっているのか,と批判する前にわたしたち自身にそれを批判する資格があるのか,と問うことが先決ではないか,と考えます。つまり,学校現場は社会の映し鏡にすぎない,というわけです。そこまで,わたしたちの思考をもどして再スタートを切らないかぎり,現状は単なる「モグラ叩き」のゲームをしているだけにすぎません。つまり,この「もぐら」を生み出す土壌を「除染」しないかぎり,半永久的にこのゲームはつづく,という次第です。

 まずは,わたしたち一人ひとりがなにものにも「洗脳」されることなく,みずからの思考を深め,しっかりとした思想・信条にもとづく生き方をしないことには,問題は解決しないと,とりあえずは言っておきたいとおもいます。

 なぜなら,「洗脳」の問題は,じつはそんなに単純ではありません。たとえば,公教育もまた,理想とする日本国民に仕立て上げるための「洗脳」にほかなりません。優れた哲学書を読み,考え,みずからの思考を深めていくこともまた広義の「洗脳」です。あえて申し述べておきますが,わたし自身もじつに多くの人の考え方によって「洗脳」された産物にすぎません。ですから,ここではひとまず,自立(自律)してものごとの判断ができる人間になること,そのベクトルに向けて努力すること,そうすることによって一過性の「洗脳」に対する抵抗力をわがものとすることが肝要である,というところに落しておきたいとおもいます。

 というところで,ひとまず,終わりとします。

2013年7月28日日曜日

新幹線の車窓からみえるソーラー・パネルが多くなっているのでは?

  毎月1回開催している「ISC・21」の月例会が,今月は,大阪学院大学を会場にして行われました。今回もとても充実した議論ができ,また,一歩積み上げができたかな,と大満足です。どんな議論がなされたのかということについは,いずれ整理しておきたいとおもっています。が,その前に,新幹線の車窓からみえるソーラー・パネルの数が徐々に増えているのでは・・・・,ということに気づき,それからあとは夢中になってソーラー・パネルの姿ばかりを追い求めていました。

 むかしから,汽車に乗ると,じっと車窓からみえる景色を眺めるのが好きでした。ですから,いまでも新幹線に乗るときは可能なかぎり窓側の座席を確保することにしています。そして,ほとんどなにも考えないようにして,ぼんやりと景色を眺めています。そうすると,意外な景色が眼に飛び込んでくることがあります。いままで,とことん見慣れてきた新幹線からの景色であるはずなのに,ときおり予想外の発見をすることがあります。そして,そこから,いろいろの発想が生まれてきたりします。しかも,あくことなき想像力をはたらかせていくと,ふだん思ってもみなかった思考の地平がどんどん広がっていって,恍惚となることがあります。つまり,わたしにとっての新しいオブジェの発見というわけです。

 今回のオブジェは,ソーラー・パネルでした。もちろん,これまでにも新幹線の車窓からソーラー・パネルは眺めていたはずです。ですから,それは見慣れた当たり前の風景のひとつだったはずです。つまり,ソーラー・パネルが他の森や山や街並みと同じように,ただ,みえているだけのことであって,その存在が意識にまでのぼってくることはありませんでした。が,今回は,そのソーラー・パネルがわたしの意識にのぼってきて,おやっ?と気づかされることになりました。つまり,車窓からみえていたソーラー・パネルが,今日,初めてとくべつの意味をもちはじめたというわけです。

 そんなことを仰々しく取り上げなくても,みんな承知していることだよ,といわれるかもしれません。しかし,単なる風景であったソーラー・パネルが,特別の意味をもつ存在としてわたしの意識にのぼってきたのですから,これはわたしにとっては看過するわけにはいきません。

 そうだよ,ソーラー・パネルだよ・・・・,とひとりごとをいいながら,注意して眺めていると,家の屋根にソーラー・パネルがいくつもみえてきます。そして,こんなにたくさんのソーラー・パネルがあったかなぁ,と考えたりしています。よくよくみると,新築の家にソーラー・パネルが多い,ということに気づきます。そうか,新築のときに一緒にやってしまえば,電気代は不要となり,余れば売ればいい。ということは,これから新築する家にはソーラー・パネルが増えていくことになる。つまり,脱原発などといわなくても,みずから行動で意思表明をしているのだから。この方法はなかなかスマートでいい。お金のある人はぜひこの方法を採用してください。

 つぎに眼についたのは,学校の屋上,役所の屋上,病院の屋上にソーラー・パネルが増えているということでした。さらには,町工場の倉庫の上,空き地,休耕田,などにもちらほらとソーラー・パネルが設置してあります。これまでにも,時折,みかけることはありましたが,その数は微々たるものでした。それが,いつのまにか,かなりの数になっているのを知って驚いた次第です。

 これはいい。まだまだ設置する場所はいくらでもある。なにも,メガ・ソーラーのような大規模な発電装置にとらわれている必要はありません。国民ひとりひとりができるところからはじめればいい。それはたしかに微々たるものでしかありません。しかし,この微々たるものの総和となると,メガ・ソーラーの発電量をも凌ぎ,超えていくことは容易に想定できます。

 一昨年,訪れた中国雲南省の昆明市の光景を思い出してしまいます。高層ホテルの上階の部屋から眺めた昆明市の家々にはびっしりとソーラー・パネルが設置してありました。ビルの屋上にも,間違いなくソーラー・パネルが張ってありました。道路の信号機の一つひとつにも小さなソーラー・パネルが張ってありました。このことは,このブログにも書きました。詳細はそちらに譲ることにしたいとおもいます。

 日本も,原発にこだわり,そこにカネをかけつづけていることを考えれば,それだけの国家予算を,個人でソーラー・パネルを設置する人のために支援することなどいともたやすいことであるはずです。なのに,なんともはや腰の重いことか,とあきれ返ってしまいます。みるにみかねた城南信用金庫(理事長)は,中小企業主や商店主や地域住民を対象に,ソーラー・パネルの設置のための特別融資をかってでています。しかも,業者の推薦から,その後の管理・運営に関するいっさいを含めて支援することに全力を注いでいます。

 それにしては,国も地方自治体もフットワークが重すぎます。それにじれた国民が,率先垂範するようにして,自宅の屋根にソーラー・パネルを設置しはじめています。それに後押しされたのか,学校や病院や役所の屋上にソーラー・パネルが設置されるようになってきているようです。そして,さらには倉庫の屋根や空き地や休耕田などへとその動きが拡大しつつあるんだなぁ,とそんなことを新幹線の車窓からぼんやりと考えていました。

 ドイツの再生可能エネルギーへの取り組みは,こうした市民の小さな運動からはじまって,それらをつなぐ全国的なネットワークを構築して,膨大な電力を確保できるようになってきている,と聞いています。まもなく電力を輸出できるようになるだろう,とも。

 日本もドイツと同じようなことをやろうと思えばできます。しかも,そのキャパシティはドイツよりも有利です(日照時間の長さが圧倒的に違います)。なのに,政府はそこには手をつけようとはしません。なぜかは,もう,お分かりのとおりです。そうです。既得権益をなんとしても手放そうとはしない人びとが大きな壁になっているからです。この壁を,いかにして突き崩すか,まずは,ここからはじめるしかありません。

 とまあ,こんなことを新幹線の車窓から景色を眺めながら,考えていました。これからも,どんどん,ソーラー・パネルが増えつづけることを期待したいとおもいます。そして,気がついたら原発は不要の長物であった,という時代を早く迎えたいものです。単なる夢物語に終わらせたくない話ですね。

2013年7月26日金曜日

「スポーツ批評」ノート・その4.ベンヤミンの『暴力批判論』の示唆するもの。

  ヴァルター・ベンヤミンの『暴力批判論』が,とりわけ「批評」の世界でさまざまに論じられ,いまも大きな存在であることは,衆知のとおりです。しかしながら,スポーツの世界では「スポーツ批評」が未熟なままであったために,ベンヤミンの『暴力批判論』をベースにした議論は,残念ながらほとんどありません。

 いわゆる「スポーツ評論」の分野はとても活発で,各競技種目ごとに専門家がいて,とてもにぎにぎしく「評論」が展開されています。しかしながら,腰のすわった本格的な「スポーツ批評」はほとんどみられません。ここでいう「評論」と「批評」の違いについては,とても重要な問題が秘められていますので,ぜひ,どこかでしっかりと論じてみたいと考えています。ので,ここでは「スポーツ批評」にとってベンヤミンの『暴力批判論』がどういう点で重要であるのか,というところに焦点をあてて考えてみたいとおもいます。

 スポーツ批評にとって,スポーツの「ルール」の問題を論ずることはきわめて重要な眼目のひとつだと,わたしは考えています。その点で,ベンヤミンが提示した「法措定的暴力」と「法維持的暴力」の二つの概念装置と,「神話的暴力」と「神的暴力」の二つの概念装置は,スポーツ批評にとっては不可欠な,きわめて重要な意味をもっている,といっていいでしょう。なぜなら,スポーツにとって「ルール」はその命運を決するきわめて重要なファクターであるからです。つまり,スポーツを成り立たしめている命綱であると同時に,アスリートたちのパフォーマンスを決定づける上で,きわめて大きな力となっているからです。

 ここではあまり深入りすることはできませんが,大急ぎでベンヤミンの『暴力批判論』の示唆するところを概観してみたいとおもいます。

 まずは,法措定的暴力。スポーツのルールはいつ,だれが,どのようにして決めるのか。少なくとも近代スポーツ競技にあっては,きわめて重大な意味をもっています。しかも,しばしば「ルール改正」(はたして「改正」であるかどうかを判断する基準・コンセプトが大問題)が行われます。そのときに働く「力学」がどのようなものであるのか,そして,それが,だれに利するものであるのか,つまり,アスリートにとってか,観衆にとってか,あるいは,競技の管理・運営者にとってか,さまざまです。こうして,なんらかの形でルールを措定するということは,まぎれもなくそれはひとつの「暴力」として機能することになります。

 つぎには,法維持的暴力。一度,定めたルールを維持しようとするときに働く力もまた,ルールを改正したいとする側からすれば,とてつもなく大きな暴力として機能することは明らかです。ここでは,激しい論争が展開することになります。そして,最終的には,特定の委員会での多数決に委ねられることになります。この多数決原理もまた,立派な「暴力」装置であることも見逃してはなりません。

 こうした法措定的暴力と法維持的暴力の二つの概念装置を,もう少し違った角度から焦点を当てたものが「神話的暴力」と「神的暴力」の二つの概念装置です。

 で,まずは,神話的暴力。ごく大づかみにわたしの理解しているレベルで書いてみますと,以下のようです。ルールを決定(措定)するときにはたらく暴力と,ルールを維持していこうとするときにはたらく暴力の二つを合わせたものが神話的暴力ということになります。つまり,ルールを決めることも,ルールを維持することも,確たる根拠はどこにもありません。ある,なにか,偶然のような「力」がはたらいて,ルールが決められたり,維持されたりしている,というのが実態です。そういう状態の暴力のことを,ここでは「神話的」とベンヤミンは言っているようにおもいます。

 つぎは,神的暴力。こちらは神話的暴力とは正反対で,神話的暴力を根底から引っくり返すような暴力のことを意味している,とわたしは解釈しています。つまり,ルールを決定したり,維持したりする,いわゆる権力に対して,徹底的に抵抗し,最後は「エイヤッ!」という決断しかないという暴力のこと,というわけです。言ってしまえば,ジャック・デリダが言った「力の一撃」に近い概念だとおもいます。ですから,それは「神話的」(世俗的)でもなんでもなく,神がかった理念のもとでの「暴力」とでも言えばいいでしょうか。ですから,「神的暴力」というわけです。ベンヤミンの頭のなかには,たぶん,革命がイメージされていたのではないか,とわたしは類推しています。

 このような,ベンヤミンの提示した「暴力批判」をどのように受け止めるかは,それこそ論者の思想・哲学上の問題であり,思想・信条の問題です。あるいは,広義の信仰,つまり,宗教の問題でもあります。ちなみに,ベンヤミンの立場は,マルクス主義とユダヤ教的救世主待望論とがミックスされた独特の歴史哲学にもとづいている,といわれています。

 スポーツ批評が未熟なままであるのも,じつは,このような確たる歴史哲学に立脚した「批評」を展開する論者が現れない,という一点につきます。批評とは,まったなしに論者の思想も哲学も歴史観も,みんな剥き出しにされてしまう行為にほかなりません。そういうスポーツ批評家を,できることならめざしてみたい,とわたしは考えています。

 ちなみに,ベンヤミンはナチスのユダヤ人狩りを逃れて亡命する途中に,ジョルジュ・バタイユに会って,遺稿をすべてバタイユに託しています。そして,フランスからスペイン国境にさしかかったところで自殺しています。

 というところで,今日のところは終わりとします。

2013年7月25日木曜日

「スポーツ批評」ノート・その3.マルセル・モースの『贈与論』が示唆するもの。

 マルセル・モースの『贈与論』をどのように読むかということについては,おそらく,専門家の間でもいろいろと議論が分かれているように聞いています。なのに,そこに,なぜ,スポーツ史家を名乗るわたくしごときが参入しなければならないのか,不思議におもわれる方も少なくないでしょう。とりわけ,勝利至上主義や優勝劣敗主義に色濃く染め上げられた近代スポーツ競技だけを「スポーツ」だと信じて疑わない人にとってはそうだろうとおもいます。

 しかし,スポーツという文化は時代や社会とともに大きく変化・変容してきました。そして,時代をさかのぼればさかのぼるほど,スポーツの競技性や競争原理は希薄化していきます。さらに,さかのぼると,スポーツは「儀礼」にゆきつきます。その儀礼の根幹にあるものは,人間を日常性から非日常性へと,つまり,祝祭の時空間へと「移動」させる文化装置であることがわかってきます。もっとつきつめていきますと,人間の内なる動物性への回帰願望を実現させる文化装置ではなかったか,というところにいたりつきます(このあたりのところは,わたしの到達した理論仮説です)。

 このような考え方は,すでに,何回も書いてきましたように,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』(および,『呪われた部分 有用性の限界』)から導き出されたものです。しかし,ジョルジュ・バタイユにこのような著作を書かせる引き金になったテクストのひとつが,じつは,マルセル・モースの『贈与論』だったわけです。わたしが,この『贈与論』に惹きつけられ,そこからなにか特別なものを感じとるとすれば,それはバタイユ的視点からである,といってよいですし,またそれ以上のものでもありません。

 では,わたしはこの『贈与論』からなにを示唆されたのか,といえばそのもっとも大きなポイントは以下のとおりです。

 ものを与えたり,それを受け取ったりするいわゆる「贈与」行為の根幹にあるものは,ひとことで言ってしまえば「互酬性」であるということです。マルセル・モースは,かれの時代までに知られていた世界中の人類学的な調査研究の成果を丹念に読み解き,そこで展開されているさまざまな形態の「贈与」に注目し,それらについて整理し,考察を加えていきます。その結果,得られた結論は,それらの「贈与」の形態や性質は,それぞれの地域によってかなり違うということでした。しかし,最終的に到達したことは,それらが「互酬性」という概念でくくられる,ということでした。しかも,この「互酬性」という考え方は,なにもものの贈与・交換だけにかぎられたものではありません。それは,かれらの日常生活の隅々にまで浸透していました。のみならず,「贈与」にもとづく人生観や世界観も形成しているということがわかってきました。つまり,いつの時代や社会にあっても,人が生きる根幹の原理となっているものは「互酬性」ではないか,とわたしは読み取っています。

 ですから,この「互酬性」という概念を,たとえば,こんにちのスポーツを構成し,支えている文化全体に当てはめてみますと,また違った風景がそこに忽然と立ち現れることになります。いささか意外におもわれるかもしれませんが,この「互酬性」という概念は現代社会にも立派に生き続けているということがはっきりしてきます。それは,スポーツにおいてもまったく同じです。

 たとえば,野球の攻防。1イニングずつ,攻守交替しながらゲームを進めていく,このゲームの構造そのものが「互酬性」そのものです。そして,その結果として得点差による勝敗の判定があるだけです。この勝ち負けにこだわる見方と,そのプロセスである「互酬性」を楽しむかによって,野球というものの楽しみ方も変わってきます。これなどは,まさに,「互酬性」のもっともわかりやすい事例ではないでしょうか。あるいは,テニス。あの精神分析学の権威S.フロイトは,テニスをこよなく愛していて,このゲームのことを男女の性愛行為そのものだ,と断定しています。そして,それを立証するために,じつにきめ細やかなテニス・ゲームにおける「互酬性」について記述しています。もっとも,このことを記述したといわれるテクストは偽書ではないか,という批判もあることを申し添えておきます。が,それが偽書であれ,そこに記述されている内容は,性愛の「互酬性」であり,素直に納得させられるものでもあります。

 こうして,スポーツ種目をひとつずつとりあげて,「互酬性」について分析していくと,とても面白い世界が開かれてきます。それは,「賭け」の世界や「八百長」の世界とも,微妙につながっているということです。ヨーロッパ近代は,スポーツのもつこの「負」の側面を徹底的に抑圧し,排除・隠蔽していった経緯をもっています。その結果が,こんにち,わたしたちが立ち会っている近代スポーツ競技の世界だというわけです。

 この「互酬性」という概念を前面に押し出して,サッカー批評を展開した今福龍太氏の名著に『ブラジルのホモ・ルーデンス』があります。このテクストにはサブ・タイトルがついていて「サッカー批評原論」とあります。わたしは個人的には,サッカーをこのレベルで「批評」したテクストに,いまだにお目にかかったことがありません。それは,何回,読み返してみても驚くべきことばかり,その発見の連続です。いずれ,このブログでもとりあげてみたいとおもっています。

 が,マルセル・モースの『贈与論』との関連でいえば,『ブラジルのホモ・ルーデンス』の「プロローグ」に,これまで述べてきたことを集約するような素晴らしい記述がありますので,それを最後に引用しておきたいとおもいます。

 「最近は毎年数ヶ月サンパウロに住んでその社会の内奥をのぞきこみ,人々の日々の喜びと畏怖の感情に触れ,自分をそんなブラジル的日常のなかに投げ出して,ブラジルが与えてくれるものを刺戟と共に受け取ってきた。そのなかで,フチボール(サッカー)への愛がブラジル人の魂のもっとも深い部分で彼らの日常的な感情の統合を創りだしていることに気づいた。フチボールを単に娯楽として消費するのではない,それに支えられそれを支えながら生きる互酬的な「サッカー文化」の深い消息を発見して心打たれた。
 サンパウロに住むブラジル人の友人は,優勝が決まってすぐ私に思索的な電子メールを送ってきた。ロナウドとロナウジーニョが終始喜びを全身にあらわしながらプレーしていたこと,これがチーム全体に伝染し,結果やミスへの不安や恐れをぬぐい去り,遊戯的な快楽に満ちたプレーと勝利への深い確信とを合体させた,と彼は書いていた。そして『ブラジル人はその合体を信じ,勝敗という結果への拘泥を乗り越えたうえでブラジルの勝利を疑わなかった』と。
 友人が,ここでの『合体』という意味をポルトガル語の「結婚」(カザメントゥ)という言葉であらわしていることに,私は深く心揺さぶられた。フチボールを語る言葉が,こんな語彙によって修飾されることを,ここでは男女の愛を日常に結びつける結婚という現実がはらむ複雑な機微のなかでフチボールが想像されている。フチボールが,人間のひたむきで真摯な日常の感情と倫理をまっすぐに受けとめる。そしてそうした現実を,私が胸いっぱい呼吸していたからこそ,ブラジルチームへの私の没入は深い内実を与えられて輝かしく燃えたのにちがいなかった。」

 これはわたしの個人的な受け止め方にすぎないのかもしれません。が,マルセル・モースの『贈与論』の延長線上に,今福龍太氏のこの地平が待ち受けている,とわたしは信じて疑いません。わたしたちがメディアをとおして日常的に受け止めている近代スポーツ競技の世界のなかにも,いまも立派に「互酬性」に立脚したスポーツ文化が生き残っているという,この事実に注目したいとおもいます。しかも,その「互酬性」こそがスポーツをスポーツたらしめている本質ではないか,といまさらのように思いいたる次第です。

 スポーツを批評することの,つまり,現代社会に生きるわたしたちにとって「スポーツとはなにか」と問うときの,ひとつの重要な拠点が,ここにあるとわたしは信じて疑いません。その意味で,マルセル・モースの『贈与論』は,これからの「スポーツ批評」を展開していく上で不可欠のテクストである,と考えている次第です。

 というところで,今日のところは終わりにしたいとおもいます。

2013年7月24日水曜日

気持ちを楽にすれば,からだの力みが抜けます(李自力老師語録・その33.)。

 今日(24日)の稽古に,ひょっこり,李老師が現れました。久しぶりのことです。今日は弟子の出席率が低く,わたしとNさんのふたりだけ。ふたりだけでおしゃべりをしながら準備運動をやっているところに,ドアが開いて,にっこり笑顔の李老師。Nさんは,思わず「あっ」と声をあげる。わたしはびっくりして振り返る。すると,李老師は「つづけて,つづけて」と指示。

 毎回,おもうことですが,李老師が稽古に顔を出されると,かならずなさることがあります。それは,ごく基本的な腕の上げ下げにはじまる初歩の初歩の注意,股関節のゆるめ方,腰のまわし方,腕・肘・肩の力の抜き方,目線のおき方,などなど。それと,いつのまにか身についてしまった我流の修正。

 こんな基本中の基本が,いまだに,できないのですから情けない話です。でも,考えてみれば,これらの基本ができれば,あとは自然にできるようになっていく,それが太極拳というものだ,という次第です。頭ではわかっているのに,それができません。だから,稽古をするのだ,という理屈。それも,ひとりではできない,みんなと一緒でないと稽古にならない,というのも不思議なことです。人間はひとりではなにもできない,やはり,他者からのそれとない働きかけが必要なのだ,としみじみおもいます。

 さて,そこで,如是我聞。今日の稽古中の李老師のことばのなかで,わたしの印象に残ったものを書き留めておきたいとおもいます。

 「気持ちを楽にしましょう。そうすれば自然にからだの力みが抜けていきます」というもの。これまでも,何回も,何回も聞いてきたことばです。なのに,いまごろになって,これまでとは違った,こころの底にすとんと落ちるように,そして,からだの隅々にまで浸透していくように「わかる」,不思議な体験でした。「わかる」にはいろいろの階層があるようです。

 たぶん,この「わかる」のレベルに応じて,個々人の稽古の質は違ってくるのだろうとおもいます。これは,なにも,太極拳にかぎったことではありません。わたしの経験したテニスや体操競技でも同じです。それはスポーツにかぎったことでもありません。新聞や雑誌を読んでいても,映画をみていても,あるいは,むつかしい専門書を読んでいても,「わかる」という経験は日常的にしているはずです。しかし,そこにも,「わかる」のレベルはさまざまに現象しているはずです。

 「気持ちを楽にしましょう。そうすれば自然にからだの力みが抜けていきます」などということは,だれでも知っているし,わかっているはずです。しかし,重要なのは李老師の口からでてくることばである,ということなのでしょう。つまり,一定の緊張感をもった師匠と弟子の関係ということが重要なのでしょう。そして,なにより李老師を太極拳の名人としてだけではなく,ひとりの人間としても尊敬できる人だと,信じて疑わないことが前提になるでしょう。ですから,稽古ごとにはいかによい師匠に恵まれるかがなによりも優先されるというわけです。李老師に稽古をつけてもらっている,わたしたち弟子は幸せというものです。

 こうして今日の稽古では,いつもにも増して丁寧に,基本中の基本の動作を一つひとつチェックしてくださいました。至福のひとときです。

 稽古が終わってからの昼食のときも,このつづきの話がありました。
 「太極拳は武術なのだから,仮想の相手を想定して,きびしいまなざしで眼を光らせて表演すべきだ,と考えている人が少なくありません。しかし,それは間違いです。むしろ逆です。仮に敵が目の前に現れたとしても,いつもと変わらず平然として,飄々と応対することが武術家として大事です。その段階ですでに勝負は決まっています。つまり,こころの昂りも,からだの緊張もない,まったくの自然体であることこそが武術としての太極拳の<わざ>が冴えわたり,生き生きとしてくるのです。気持ちが昂ってしまったり,からだが過剰に緊張してしまったら,もはや太極拳の<わざ>は死んだも同然です。ですから,太極拳の表演をするときも,自然体であること,そして,こころとからだの緊張を解き放ち,静かに集中していることが大事です」と。

 今日の稽古では,このほかにも,わたしのこころに響くことばがたくさんありました。いずれ,整理して,このブログでも紹介していきたいとおもいます。
 とりあえず,今日のところはここまで。

NHKスペシャル『封印された原爆報告書』について考える(聴講生レポート・その12.)

 1回(先々週)はわたしの都合でお休み,もう1回(先週)は大学のスケジュールの関係で休講。3週間ぶりの聴講生体験でした。N教授もお元気そうで,肩の力の抜けたゆったりとした態度で,とても内容のある授業をしてくださいました。今日で前期の授業は終わり。つまり,最終の授業。その締めくくりは「メディア」のお話。そのサンプルとして,ドキュメンタリー・NHKスペシャル『封印された原爆報告書』(NHK広島局制作,2010年8月6日放映,その後,何回も放映されているとのこと。ただし,視聴率はきわめて低いとも)を鑑賞しました。

 そのための前ふりのお話と,鑑賞したあとのショート・コメントが,どきりとさせられる素晴らしいものでした。

 結論から入ります。視聴覚メディアは,最近になってインフラに大きなコストがかかりすぎるために(たとえば,スカイ・ツリーの建設など),いつのまにか国家事業として取り組む必要が生じ,報道機関のもつ公共性との関連もあって,いまでは政府のコントロールのもとに位置づけられることになってしまったこと,ここに大きな問題がひとつ存在すること。もうひとつは,「市場の力」がメディアに強く働くようになってしまったこと,その結果,コマーシャル映像を流すスポンサーの影響をもろに受けることになってしまったこと,そのために,どうでもいいバラエティや食べ物・料理番組や紀行・旅ものがゴールデン・タイムを占有することになってしまったこと,その結果,国民としてしっかり考えなくてはならない重要な時局の報道はすっかり影をひそめてしまったこと,等々,これらの問題をとう考え,克服していかなくてはならないのか,という問題提起が最初になされました。

 そうしたことを考えるためのサンプルとして,表記のようなドキュメンタリー番組をみんなで鑑賞することになりました。これは文字どおりヘビーで,深刻な問題提起をふくんでいました。その概要をかんたんに触れておけば以下のとおりです。

 1945年8月6日,ヒロシマに新型爆弾が投下された直後に,陸軍省医務局のスタッフが現地に入り調査を開始します。そして,延べ1,300人もの日本の医師や科学者が,2年以上もかけて,181冊の報告書(全部で1万ページを超える)を作成します。その内容は,たとえば,200人の遺体を解剖した結果であったり,2万人以上もの人を対象にした聞き取り調査であったり,被爆者の日記であったり,と多種多様です。あるいは,旧陸軍病院・宇品分院には,約6000人もの被爆者が収容され,ムシロのようなふとんに寝かされたまま,治療の手も薬も間に合わず,ほとんど放置されていた,というような映像がつぎからつぎへと,これでもかというほど流れてきます。この段階で,みている者は圧倒されてしまいます。

 こうして原爆の被災国の医師・科学者がまとめた,原爆投下の直後からのきわめて貴重な調査結果をまとめた報告書が,なんと,そっくりそのまま加害国であるアメリカに提出された,というのです。しかも,この報告書はワシントンにあるアメリカ公文書館に,65年間にわたって厳重に保存されていた,といいます。そのため,被爆者のその後の救済に役立つためならばと死を目前にした被爆者たちの献身的な協力もむなしく,その人たちの善意も無視されたまま,放置されていた,というわけです。

 そのため,たとえば,原爆投下直後に広島市に肉親を探しに入って被曝したいわゆる「入市被爆者」が,国によって原爆被爆者として認められないまま放置されることになりました。が,65年後に,アメリカの公文書館に保管されていた『原爆報告書』のなかに,「入市被爆者」の日記(当時,医学生)があることがわかり,それによって初めて国は「入市被曝」を認めることになった,という話が登場します。しかも,その日記を書いた元医学生は,いまは84歳になり,闘病生活を送っています。映像は,その元医学生へのインタヴューも映し出しています。頭脳はまだ明晰なのに,からだは横たわったまま動けない状態です。なんとも,痛ましいとしかいいようがありません。

 このようにして,当時の生き証人を(すでに,90歳を超える高齢者ばかり)訪ね歩き,一つひとつ証言をとりつけていきます。痛々しいばかりの映像がつづきます。みていて耐えられないほどの息苦しさを覚えます。

 しかし,問題は,このさきにあります。
 原爆の被爆者をはじめ,医師や科学者たちが,みんな一致協力して原爆被害の『報告書』をまとめたにもかかわらず,その『報告書』が被爆者救済のためには用いられないまま「封印」されていた,という事実です。つまり,敗戦国日本は,2年以上もかけて必死になって作成した『報告書』を,率先してアメリカの調査団に提出してしまいます。それが国益につながると考えたのですが,結果的には,そのまま「封印」されてしまい,なんの役にも立たなかったという事実です。その結果として,被爆者はなんの恩恵も受けられないどころか,被爆者の認定もごく限られた人だけに限定されてしまい,あとの被爆者は国家から無視されつづけてきた,という事実です。そうした矛盾した実態がもののみごとに描かれています。

 日本という国家は,いまもなお,弱者を切り捨て,犠牲にしたまま省みることをせず,権力に近い強者のための政治しか行わない,というこの情けない実態のひとつの原点がここにも確認できる,という次第です。この姿勢は,そのまま,フクシマにも引き継がれ,国は可能なかぎり蓋をしたまま無視しつづけようとしています。フクシマの事故処理はまだまだこれからが正念場なのに,国ははやばやと終結宣言をして,なにもなかったかのように振る舞っています。しかも,だれも責任をとらないまま,傍観者を装っています。

 それが,こともあろうに,選挙が終った翌日には,東電がフクシマの汚染水が海洋に垂れ流しになっている事実を公表しました。こんなことは,もう,とっくのむかしからわかっていたはずなのに,ひた隠しにしたまま,詭弁・虚言を弄してきました。が,自民党圧勝の選挙結果を見届けるようにして,汚染水の海洋垂れ流しの事実を認めるという,このタイミングしかない,といわぬばかりのやり口の汚さには呆れ果てるほかはありません。が,これが日本の権力のやり口であり,情けないことながら,現実です。

 こういう体質は,むかしもいまも変わってはいない,ということをこの秀逸なドキュメンタリー『封印された原爆報告書』は,もののみごとに教えてくれています。

 いま,メディアが流す情報のほとんどは,政治権力と市場の力によって,管理され,コントロールされているといっても過言ではありません。だからといって,では,すべてのメディアの存在を否定してしまっていいのかといえば,そうではない,とN教授は仰います。なぜなら,メディアと人間との関係は,水と魚の関係にあって,お互いになくてはならない関係にあるからだ,というわけです。つまり,人間が生きていくにはメディアは必要不可欠なものなのだ,と。そして,なかには,このドキュメンタリーのようにきわめて秀逸なものも産出される可能性を秘めているのだ,と。だから,わたしたちは,このような優れたドキュメンタリーを擁護することによって,よりよいメディアを育てていくことが重要なのだ,とN教授は言外にほのめかしていたようにおもいます。

 以上,ことば足らずのレポートになってしまいました。が,これで,前期のN教授の授業を聴講させていただいたレポートはお終いです。次回は,後期の授業からになります。しばらく,お休みです。

 前期の授業を聴講させていただいた結論的な感想を少しだけ。大学の授業は,世の中の経験を積み,いろいろと悩み,考えたのちに,もう一度,聴講すべきだ,と痛切に思いました。なぜなら,学生時代にこのようなN教授の授業を聞いたとしても,その理解度はどれほどのものなのか,たかが知れています。が,いまは,N教授のお話が,もののみごとにストンと腑に落ちてきます。そして,新たに考えるべきヒントがつぎつぎに見いだされます。聴講していて,毎回,毎回,とてもエキサイティングでした。

 みなさんもリタイヤしたら,ぜひ,もう一度,大学の聴講生になることをお薦めします。ただし,いい先生を見つけ出さなければいけません。わたしにとってのN教授のように。

2013年7月23日火曜日

「スポーツ批評」ノート・その2.バタイユの『宗教の理論』が示唆するもの。

 すでに,これまで何回もこのブログで書いてきたように,「スポーツとはなにか」とわたしが問うときの思考の源泉はジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』にある。もちろん,『宗教の理論』を読み込むためには,バタイユの他の著作はもとより,『バタイユ伝』などという伝記を筆頭に,西谷修などのバタイユ研究者の論考などは不可欠の文献である。

 これらの文献の詳細については,このブログで検索していただければ,ほとんどすべて確認することができるとおもう。また,活字で確認されたい方には,『スポートロジイ』の創刊号と第2号に,ブログに書いた論考のなかから抜粋して「研究ノート」として掲載しているので,そちらを活用していただきたい。

 もうひとこと付け加えておけば,『宗教の理論』と『呪われた部分 有用性の限界』はある意味でセットになっているので,併せて参照していただきたい。

 その上で,『宗教の理論』から導き出される「スポーツ批評」のポイントについて,ここでは触れておきたい。

 まず,第一点は,「スポーツとはなにか」と問うことが「スポーツ批評」の原点にある,とわたしは考えている。しかも,この場合の「スポーツとはなにか」という問いは,その根底に「生身の生きる人間にとって,スポーツとはなにか」という根源的な問いをふくんでいる。その問題意識が,このブログのタイトルにもなっている。すなわち,「スポーツ・遊び・からだ・人間」というキー・ワードの羅列はこのことを強く意識してのものである。つまり,「人間とはなにか」という普遍のテーマから出発し,「スポーツとはなにか」に至り,ふたたび「人間とはなにか」というテーマに回帰してくるものだ,と考えるからである。

 その点で,『宗教の理論』は,まさに,ヒトが人間になる,そのときになにが起きたのかについての深い洞察からはじまる。だから,わたしの思考を展開する上では格好のテクストなのである。バタイユはそのこと(ヒトから人間になること)を<横滑り>という概念でくくる。そして,この<横滑り>によって出現した人間の困難から語りはじめる。その困難とは,人間は,ヒトの時代の「動物性」をひきずりながら人間としての「人間性」を生きなくてはならない,まさに「宙づり」状態を生きることを余儀なくされた困難である。そして,その困難は,いまを生きるわたしたちの困難でもある。

 この困難との葛藤のなかから,人間は人智を超越する存在に気づき,それへの「祈り」をささげるようになる,とする。そして,その「祈り」の形態のひとつが「舞い踊り」であり,「スポーツ的なるもの」(これはわたしの命名)ではないか,とバタイユは示唆している(ようにわたしは読み取る)。別の言い方をすれば,ヒトと人間との境界領域に出現する文化のひとつの形態が,わたしの考える「スポーツ的なるもの」だということになる。もっと踏み込んでおけば,全体重を人間性の世界だけに依拠して生きていくことに困難や行き詰まりを感じた人間は,どこかで動物性の世界へと回帰したい衝動に駆られることになる。そして,その衝動を実現させる場として祝祭という時空間が創出される。言ってしまえば,祝祭とは,抑圧され鬱積した人間の動物性への回帰願望を表出させる場である,ということになろうか。

 このように考えてくると,「スポーツ的なるもの」の<始原>もまたこの祝祭的な時空間のなかに求めることができる。だとすれば,スポーツの<始原>は,人間の動物性への回帰願望を実現するところにあった,と考えることができる。ここが,わたしの「スポーツ批評」の原基となる。

 しかし,<横滑り>を起こした人間は,やがて,文化や文明をわがものとするようになる。それは,同時に動物性からの乖離を意味することになる。近代に入ると,人間の内なる動物性をいかにして抑制し,隠蔽・排除していくかということが大きなテーマとなる。つまり,人間の内なる動物性(呪われた部分)を近代社会の定める「法律」(スポーツでいえばルール)によってコントロールすることになる。近代スポーツ競技の誕生の背景にはこうした根源的な自己矛盾が内蔵されている。この問題と真っ正面から向き合うこと,これがわたしの「スポーツ批評」の当面の課題となる。

 こうして,人間は呪われた部分,すなわち,内なる動物性を封じ込めることをとおして,みずからをも「事物化」させる道をたどることになる。そのきっかけとなったのは,人間にとって都合のいいように(役立つように,つまり,有用性にもとづいて)動物を飼育したり,植物を栽培することによって周囲の自然存在を「事物化」したことにはじまる。こうして,本来,自然存在であったはずの人間もまた,動物や植物と同じように「事物化」していく。その究極の姿のひとつが,ドーピングされるアスリートたちの身体である。つまり,スポーツをするために「飼育」された人間の身体である。

 バタイユは,こうしたことを見据えた上で,「有用性の限界」という指標を提示する。そして,その根源にあるものは経済についての考え方の誤りである,と指摘する。たとえば,資本主義経済ではなく贈与経済に注目する。そのための哲学的な根拠として「消尽」という概念を提示する。自然現象の根源にある機能はすべて「消尽」による,と。この「消尽」を「有用性」の考え方で絡め捕り,文化・文明の管理下におくことには「限界」がある,と主張する。こうしたバタイユの主張はそのまま,こんにちのわたしたちが当面している近代スポーツ競技の管理・運営に内蔵される諸矛盾にも当てはまるのではないか,とわたしは考える。

 と同時に,バタイユのいう「消尽」こそが,「スポーツ的なるもの」の源泉になっている,とわたしは考える。したがって,スポーツ文化を,もう一度,バタイユのいう「消尽」の次元まで遡って,とらえ直すことが喫緊の課題である,と位置づける。すなわち,<現代>の「スポーツ批評」はここまで触手をのばすことが求められているのである。そして,ここが<近代>の「スポーツ批評」と袂を分かつ,最大のポイントである,と考える。

 以上が,とりあえず,バタイユの『宗教の理論』が示唆するものとして指摘しておきたかった主要なポイントである。大方のご批判をいただければ,幸いである。

大相撲・名古屋場所雑感。千秋楽,最後の二番に相撲の醍醐味。

 千秋楽の翌日は近くの区立図書館に立ち寄って,各社の新聞をチェックするのが,わたしの長年の習いとなっている。ところがあいにくの参院選の翌日にあたり,珍しく新聞の奪い合い。仕方がないので,じっくり時間をかけて待つことにしました。

 わたしの狙い目は,昨日の千秋楽の最後の二番をどのように新聞(記者)は書くのだろうか,というただその一点のみ。つまり,稀勢の里と琴奨菊の取組みと,白鵬と日馬富士の対戦。わたしはテレビで観戦していて,「うーん」と唸ってしまうほどに,相撲好きにとってはなかなか味のある相撲内容だった。そして,そのあともあれこれ想像をめぐらせて,存分に堪能した。これぞ,大相撲の醍醐味だ,と。

 しかし,この二番は興ざめだった,と書く新聞が圧倒的に多かった。関心事は勝負の結果のみ。だから,相撲内容についての吟味はほとんどなし。あんな負け方をする稀勢の里には失望した,とか,横綱になる資格はない,などと書き立てている。つぎの横綱対決についても,あんな相撲をだれも期待していない,もっと熱戦を繰り広げなければ千秋楽の結びの一番には相当しない,といった塩梅である。それでいて白鵬には同情的で,日馬富士にはきびしいコメントをつける。わたしの眼からすれば,今場所ではもっともいい,芸術的ですらある,眼の覚めるような立ち合いをみせたというのに。そのことにはなにも触れようともしない。そして,9勝や10勝では横綱とはいえない,とこきおろす。つまり,勝率だけが新聞(記者)にとっては重要なのである。しかし,大相撲のほんとうの楽しみ方はそんなものではない,とわたしは考えている。あの,久し振りにみせた日馬富士の,もう失うものはなにもない,という覚悟の立ち合い。

 だから,わたしは存分にこの一番を堪能した。文句なく「大相撲は面白い」とおもった。うーん,相撲は奥が深い,と。では,この二番,わたしはどのように鑑賞したのか。

 まずは,稀勢の里と琴奨菊の大関対決。稀勢の里がつっかけたとき,あっ,負けだ,とわたしは直観。前日の白鵬と同じ。つまり,心技体のバランスがくずれている。気持ちがはやるとからだが自在には動かなくなる。案の定,琴奨菊はそこを狙っていた。後の先。一呼吸遅らせて,下から低く当たった。立ち会った瞬間に稀勢の里の上体が棒立ちになってしまい,あとは防戦一方。琴奨菊はしめた,とおもったはず。下から下から攻めた。棒立ちのままの稀勢の里のからだはなにもなすすべもなく,もたもたしているだけ。素早い反応ができないのだ。いつもなら,あそこからからだを左右に振って,組み手を振りほどくようにして,つぎの策に転ずるはず。なのに,なにもできないまま,諦めるようにしてあっけなく土俵を割ってしまった。これが稀勢の里の悪いときの典型的な相撲。つまり,いい,悪いの波が大きすぎるのだ。その最大の理由は,相撲の型がまだできあがってはいないからだ。そのため,こころの集中にも波がある。悪いときは悪いなりに体勢を建て直して,自分の充分な型に持ち込む。そういう工夫が足りない。自分充分でないときには,ほとんど抵抗らしい抵抗もなしに,あっさりと相撲を諦めてしまう。悪いクセである。ここを克服しないかぎり綱への夢は実現しないだろう。日本相撲協会も全国の大相撲ファンも,それをこころから待ち望んでいるというのに・・・・。

 この一番,もう少しだけ踏み込んで鑑賞してみよう。稀勢の里は,前日の一番で白鵬に土をつけ,連勝をストップさせた。これで一気に注目を集めることになり,最高に気分が乗っているはずだ。前にも白鵬の連勝を止めたことがある。が,これで波にのるかと期待されたとたんに,気負いすぎてしまう。こころが弱いのだ。つまり,立ち合いの呼吸を自分の方に引き寄せられないのだ。乱れてしまう分だけ,相手の呼吸になってしまう。

 稀勢の里の初日の立ち合いを思い起こしてほしい。二度もつづけて稀勢の里の呼吸が整わなくて立てなかったのである。平幕を相手に,いや,平幕が相手だからこそというべきか。「負けてはならない」という気持ちが先行する。とたんに,からだとこころが引き裂かれたような状態に陥る。稀勢の里は焦ったはずだ。ここが立つタイミングだとわかっているのに,からだが反応しない。負ける原因はここからはじまる。でも,初日はなんとか苦戦しながらも勝ちを拾った。それをみて,わたしは,ああ,今場所はダメだ,とみた。あとはご覧のとおり。前半で三つも取りこぼした。強い日と齢日の波が大きすぎるのだ。つまり,みずからのこころを律する力が足りないということ。したがって,横綱にはまだほど遠い,ということ。

 日馬富士が横綱に昇進したときには,二場所連続の全勝優勝だった。あのときの日馬富士の相撲は美しく輝いていた。心技体がひとつになり,多少,相手につけ込まれてもなんとか凌ぐ力をもっていた。その日馬富士も,横綱になってから苦しむことになる。その最大の理由は両足首のケガにある。そのケガが癒えた場所には,またまた,全勝優勝をはたしている。今場所もまた,その足首に泣かされた。どちらの足首が悪かったのかは不明である。本人も周囲の者も口を割らないからだ。親方ですらも知らないかも。ということは足首が悪いのか,悪くないのか,それもじつはまったく不明。しかし,今場所の,とりわけ立ち合いの乱れをみれば,明々白々だ。日馬富士本来の,まともな立ち合いをしたのは数番しかない。なんとか楽をして(足首に負担をかけないで),勝ちを拾おうとした。そういう相撲はことごとく失敗に終った。相撲はそんなに甘いものではない。

 その日馬富士が,千秋楽になって今場所,最高の立ち合いをした。千秋楽ならではの,覚悟の立ち合いだ。また,それくらいのことをしてでも,最後に「いい相撲」をとっておかなければ,自分が許せなかっただろう。日馬富士とはとういう力士なのだ。しかも,相手は横綱・白鵬だ。かりに,はたき落とされたとしてもかまわない,と覚悟を決めて。だから,その立ち合いの前に出るスピードはすさまじいものだった。立った瞬間に白鵬のからだが撥ね飛ばされた。こんなことは珍しいことだ。いかに体調が万全ではないとはいえ,白鵬を一発で,あそこまで後退させた力士はこれまでにはいなかったはずである。もし,あったとしても,そのつぎの瞬間には白鵬の体勢は,予想される攻防に備えて万全の体勢で構えているはずだ。しかし,その余裕を与える隙もみせずに,日馬富士の二の矢が飛んだ。それで勝負あり。

 この立ち合いのみどころは,この一番で,足首の古傷を痛めてもいいと覚悟した日馬富士と,この一番で,右脇腹の肉離れをこれ以上悪くしたくはない,と考えた白鵬との,みごとなまでの対照的な差がでた,とわたしはみる。吹っ切れた日馬富士と,ほんのちょっとした気の迷いがはからずも表出してしまった白鵬。これが勝負の行方の明暗を大きく分けることになった。が,これはあくまでもわたしの勝手な推測である。このような事実のわからない,実態が不明な,ひたすら想像力と推測に頼るしかない,まさに虚実のあわいに,じつは大相撲の醍醐味が隠されているのである。この微妙な心理状態と,置かれた立場によって,相撲内容は大きく変わる。また,そこには眼にみえない力士同士の気魄をとおしての駆け引きもある。もっと言ってしまえば,これまでの対戦成績の貸し借りもある。そうしたものがトータルになって,その日の土俵の上での勝負が繰り広げられる。それは,もはや,神のみぞ知る,そういう世界なのだ。そういう領域にどこまで接近できるのか,それが相撲を鑑賞する能力の問題だ。そこでは,もはや,熱戦であろうがなかろうが,関係はない。一瞬,一瞬の,瞬間に垣間見せる,力士同士の気と気のぶつかり合いのようなもの,その交換,交流,交信,駆け引きであり格闘,生身の身体が表出するなにか光を帯びたようなもの,そうしたすべてのものがトータルとなって,土俵下の控えにいるときから始まっている。このあたりのことは,場所に行って,じかに,自分の眼で確認するしかないのだが・・・・。それでも,テレビの映像をとおして,かなりの部分はみえてくる。

 大相撲の醍醐味とはこういうことなのだ。
 だから,千秋楽の横綱対決は,立ち会う前に勝負はついていた。白鵬は勝てそうにないと負けを意識した。その瞬間に日馬富士は勝ちを確信した。その結果,迷わず一直線に飛び込んで行くことができた。そこには一瞬の迷いもなかった。そうしたトータルが,この日の日馬富士の爆発的な威力とアーティスティックな美しさを秘めた,みごとな立ち合いを実現させえた,とわたしには見えた。だから,わたしは大満足だった。

 大相撲は奥が深い。わたしがみえているものは,まだまだ,その序の口にすぎないのだろうとおもう。なぜなら,たとえば,舞の海の解説を聞いていると,言外に含みをもたせた不思議なニュアンスを感ずるからである。そこを手がかりにわたしなりに想像力をたくましくしてみると,また,別の世界が開けてくるからである。その世界は,もはや,勝ち負けを度外視した,幽玄の世界に接近していくような,芸能者としての力士が遊ぶ,神がかりの世界にも等しいようにおもう。髷を結った異形の身体が放つ,この世にあらざるあの世を彷彿とさせるような,あるいは,そことの交信を楽しんでいるような相撲の世界である。

 ああ,本場所の砂かぶりの席で,力士の息遣いが聞こえる至近距離から,名力士の勝負をじっくりと鑑賞してみたいものだ。いつの日にか,これを実現させてみたい。死ぬ前に一度でいいから。

2013年7月22日月曜日

山本太郎さん,おめでとう。今回の選挙での唯一の朗報。

 いかなる既得権益からも無縁の,まったき一匹狼で初志を貫いた山本太郎さん,おめでとう。こころから言祝ぎたいとおもいます。これからも初心を忘れず,どこまでも反原発・反被曝を訴えつづけてください。あなたの言うとおり,人の命が第一です。

 ばんざいはしない,茨の道へのスタート点に立ったのだから・・・・という心意気やよし。勝ってかぶとの緒を締める,といいます。当選すればそれですべての目的が達成されたと勘違いする政治家がおおいなかで,この発言はひときわ異彩を放っています。どこまでも政界の「悪」と真っ正面から向き合い,政界浄化のために愚直に,そして,どこまでも純なこころで闘ってください。わたしは東京都民ではありませんが,となりの県から応援しています。

 かつて,評論家の田原総一郎氏が,山本太郎さんに向って,お前に原発を語る資格などない,と叱りつけたことがあります。一夜漬けの勉強くらいで偉そうなことを言うな,ということだったのでしょうが,わたしはこの映像をみていて,まことに不快でした。なんと上から目線で,と。いつからそんなに偉くなったのか,と。いつ,いかなる事情があろうとも,人間はあるとき,ある瞬間に目覚めることがあります。そして,そのことのために全身全霊を傾けて,命懸けで取組みはじめることがあります。王族の御曹司で,妻も子どもいて,なに不自由なく暮らしていたお釈迦さんの突然の「出家」がそうでした。「気づいたとき」が吉日。山本太郎さんは,これは変だ,と気づいたのです。

 以後,山本太郎さんは,この「変だ」を信じて一本道。俳優活動もままならなくなり(四面楚歌),とうとう所属事務所からもみずから身を引いて,反原発,反被曝への道をまっしぐら。その誠意と努力がようやく報われました。そして,多くのボランティアにも支えられ(全国から若者たちがやってきた,と聞く),ネットワークも広がったことでしょう。これからも,せっせと全国行脚をして,直接,みずからの主張を広げてください。そして,その上で,さらにネットを活用して,反原発,反被曝の主張を展開してください。この序例を間違えないように。つまり,直接,街頭に立って演説をぶつこと,その上で,ネットです。

 あなたのような志しをもつ同志が,ひとりからふたりへ,そして,さんにんへ,と少しずつ輪を広げることにも力をつくしてください。いま,必要なのは,純粋無垢の,つまりは,既得権益とは無縁の,まっさらな政治理念と理想をかかげる若い政治家の出現す。そういう人たちが現れないと,日本の政治は半永久的に既得権益のしがらみから抜け出すことはできません。つまり,「命」よりも「経済」が大事という政治です。これが間違っていることは小学生でもわかります。

 今回の自民党の「圧勝」は,メディアによってつくられた「虚構」だ,とわたしは考えています。選挙運動がはじまるやいなや,すべてのメディアが「自民党圧勝」を謳いあげました。政治のことにあまり関心をもたない人びとの無意識に働きかけるには,これが一番です。無意識を操作する。まことに卑劣な方法です。しかし,いつも,いつも,こういう報道がくり返されてしまいますと,それが当たり前のことになってしまいます。みんな慣れてしまうのです。そこに大きな落とし穴があるということさえ気づかなくなってしまいます。そして,予想どおり圧勝しました。しかし,これはどう考えてみても「虚構」にすぎません。

 たとえば,原発再稼働に関するアンケート調査では,過半数の国民が反対と答えているのに,結果は,再稼働推進派の自民党圧勝です。つまり,意識すれば「反対」なのに,無意識では「賛成」にすり替えられてしまう,という次第です。選挙というものはこういうものなのでしょうが,どう考えてみても民意が精確に反映しているとは考えられません。投票率もほぼ50%。自民党の得票率も,そのうちの半分強。つまり,有権者の約四分の一強の支持による自民圧勝です。

 もちろん,選挙に行かず,棄権した人が悪いのです。棄権をするということは現政権を承認することと同じ(山口二郎)です。しかし,棄権した人の多くは,反自民だけれども,ほかに受け皿となる政党がないから,行かなかったという人ではないかとわたしは推測しています。でも,それは反自民の意志表明にはなりません。最善の政党も候補者もみつからない場合には「次善の策」を講ずるしかありません。そして,少なくとも,自分の意に反する政党が独走しないように歯止めをかける必要があります。しかし,「棄権」はその「独走」を承認するのみならず,後押しをすることと同じになってしまいます。

 それにしても,今回の選挙は,まことにお粗末。ほんとうの「争点」をどの政党もぼやかしたまま,都合のいい,まことしやかな売り言葉,つまりは「虚言」「詭弁」ばかりでした。その点,その「虚言」「詭弁」をもっとも上手に,厚顔無恥にも使い切った安倍晋三君が勝利したのです。嘘つきの名人でした。

 その点,真っ向勝負の「直球」一本で,最後まで投げきった山本太郎さんは偉い。嘘つきや詭弁は許してはいけません。愚直なまでに,誠実に,ほんとうの気持ちを,有権者のみなさんに投げかけた山本太郎さんの声が,東京都民のみなさんのこころを打ったのだとおもいます。

 今回の参院選の唯一の収穫,朗報でした。
 山本太郎さん,茨の道にも負けず,全力で突き進んでください。
 いつまでもエールを送りたいとおもいます。
 これからも,金曜日の官邸前に,顔をみせてください。
 公務がないかぎり,愚直に,顔をみせてください。
 あの笑顔を押し殺した山本太郎は,政治家の顔になってきた,とわたしの友人は語っています。
 官邸前の集会で会いましょう。

「スポーツ批評」ノート・その1.思想・哲学的スタンスの問題について。

 「スポーツ批評」に関する著作をものするよう,某出版社からの依頼があり,この半年の余,考えつづけている。しかも,その原稿の締め切りが8月末。何人かの共同執筆なので,なんとかなるとたかをくくっている。が,その序章に「スポーツを批評するとはどういうことなのか」をわたしが書くことになっている。それを見届けてから執筆にとりかかる,と共同執筆者たちは待ち構えている。わたしは序章など待つ必要なく,それぞれの立場から「批評」を展開すればいい,と言っているのだがなかなか許してはくれそうもない。

 依頼を受けたときには,編集担当者に,その場で思い浮かぶ「スポーツ批評」のツボの部分について即興でお話をさせてもらった。すると,即座に,その話を序章にもってきましょう,と即決。そして,読者が大学の教養の学生という前提でわかりやすく書いてください,とのこと。はい,わかりました,と安請け合い。これがそもそもの間違いのもとだった。

 根が真面目なものだから,すぐに思い当たる「批評」「文学批評」「芸術批評」「スポーツ批評」などに関する文献をかき集めてポイントを整理しはじめた。ここからドロ沼にはまることになってしまった。つまり,各論者の主張に振り回されてしまうのである。いささかオーバーな表現をすれば,ピンからキリまで無限大の様相を呈している。そうか,「批評」というジャンルのひろがりはかくも多種多様なのか,と知る。

 どういうことかと言えば,「批評」とは,そもそも論者の主義主張をまるごとぶっつける行為であって,一人ひとりその思想・哲学のよって立つ基盤が異なるために,厳密に言えば,一人一家言という世界が可能であるからである。つまり,「批評」とはかくあるべし,などというマニュアルは存在しない,ということなのだ。だから,このことを前提にして「スポーツを批評するとはどういうことか」を大学の教養部の学生向けに書くということは至難の業と言わねばならない。まずは,ここでいきなり躓いてしまった。

 もう一つの困難は,「スポーツ批評」という分野がほとんど未開拓の分野で,これぞ「スポーツ批評」といえるようなテクスト,または前例が見当たらない,ということだ。もちろん,あることはある。しかし,きわめて少なく,その議論はまだまだその緒についたばかりというのが現状である。つまり,まだ,手さぐりの段階にあって,これから大いに議論していかなくてはならない,しかも,それがきわめて重要な分野であるということである。したがって,そういう,ある意味では未知の分野に分け入っていかねばならないという,初手から蛮勇が求められている。これは容易なことではない。そのためには相当に腹をくくらなくてはならない。

 しかし,少しだけ冷静に考えてみると,これらのもの言いは一種の逃げであって,問題はきわめて単純で明解なのだ,ということがわかる。つまり,「批評」とは論者の思想・哲学がもろに曝け出される行為にすぎない,というただそれだけのことなのだ。したがって,みずからの思想・哲学が確たるものであれば,その信念にもとづいて「批評」を展開すればいい,ただ,それだけである。しかし,その思想・哲学なるものがしっかりとわがものとなっていないが故に,みずからのスタンスを決めることができないだけの話である。その結果として,なんらかの権威に頼ろうとしてしまう。だが,それは大いなる間違いだ。どんなに権威に頼ろうとも,最後は論者の思想・哲学のレベルに応じて「批評」がなされるだけの話である。

 したがって,論者の思想・哲学がいかなるものであるかが「批評」の中核をなす,ということが了解されれば,いまさら序章の「スポーツを批評するとはどういうことか」を待つ必要はない。最初から,それぞれの論者が,みずからの「批評」を展開すればいい。確たる思想・哲学をわがものとしている論者はそのレベルでの「批評」を展開するであろうし,そうでない論者はそれぞれのレベルでの「批評」を展開するだけのことである。

 ただし,共著であるので,各論者の主義主張がまったくのばらばらでは困る。そのために,長年,ともに研究会で議論を積み重ねてきて,お互いに,どのような主義主張をしてきたかは,とことん知り尽くしている仲間を共同執筆者として選んでいる。したがって,どんな書き方をしようとも,大方の主義主張のベクトルが同じ方向に向っているはずである。だとすれば,それでよしとする,ここが落としどころである。

 ここまで書いてきて,はたと気づくことは,わたしがここ数年の間,書きつづけてきたこと,研究会で語ってきたこと,あるいは,このブログである議論を展開してきたこと,それらのすべてが「批評」そのものではないか,ということである。もっとわかりやすく言えば,「スポーツとは何か」という根源的な問いに対するみずからの応答,この行為そのものが「スポーツ批評」そのものである,ということだ。

 では,お前の主張する「スポーツ批評」の原点になる論考はなにか,と問われるむきには,つぎのように応答しておくことにしよう。

 繰り返しになるが,「スポーツ批評」とはとどのつまりは「スポーツとは何か」と問うことであり,その解を求める行為である。そのための議論をするための共通の土俵のひとつとして提示した論考が『スポーツ史研究』(スポーツ史学会学会誌)に総説論文として投じた「スポーツ」とはなにか──新たなスポーツ史研究のための理論仮説の提示(第23号,P.1~12.2010年)である。ここには,わたしの思想・哲学的なバック・グラウンドのほぼ全容が提示されている。ここが,とりあえずは,わたしの「スポーツ批評」の原点となる。

 もちろん,その後の思想・哲学的遍歴も加わっているので,いまは,それなりに「スポーツ批評」のスタンスも進化しているつもりである。しかし,とりあえず,公開されたもののうちで,いま一定の信を置いて確認できる根拠は,この論考ということになる。これを,このまま,別の語り口で書き直せば,それで序章・スポーツを批評するとはどういうことなのか,は出来上がる。

 わたしが「スポーツ批評」を展開する根拠は,とりあえずは,ここに集約されている,と断言しておこう。

 もう少しだけ補足をしておこう。この『スポーツ史研究』に投じた総説論文の骨子は,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』を軸にして展開したものである。しかも,そこから導き出される思考の淵源は,西田幾多郎の提示した「純粋経験」や「行為的直観」などとも通底するものであるし,さらには道元の『正法眼蔵』で展開されている思想・哲学とも共振するものである。もっと言っておけば,仏教の『般若心経』の世界にもつながっていく。

 このあたりのことは,21世紀スポーツ文化研究所の紀要である『スポートロジイ』の創刊号(2012年刊)と第2号(2013年刊)の研究ノートとして,拙稿が掲載されているので,参照していただければ幸いである。創刊号のタイトルは「スポーツ学」(Sportology)構築のための思想・哲学的アプローチ──ジョルジュ・バタイユ著『宗教の理論』読解・私論(P.148~274.)。第2号のタイトルは,スポーツの<始原>について考える──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして(P.190~279.)。

 これだけでは無責任の誹りをまぬがれそうにないので,もう少しだけ踏み込んで,「スポーツ批評」ノートの各論を展開してみたい。その2.以下はそういう内容になる予定。かなり多岐にわたる予定であるが,お付き合いいただければ幸いである。

2013年7月20日土曜日

NHKの選挙運動報道にひとこと。自民党に肩入れしすぎではないか。

 いよいよ明日(20日)は参議院議員選挙。なんとも手応えのない気の抜けた選挙運動も幕を閉じて,あとは,あすの投票結果を待つのみとなった。

 それにしても,この選挙運動期間中のNHKの選挙報道には,納得しがたいことが多々あった。どう考えてみても自民党への肩入れが強すぎる,そういう印象が強く残ったからだ。もちろん,NHKとしては,公平中立をめざしていたはずである。にもかかわらず,無意識のうちにそのような結果になったとしたら,それこそが恐ろしいことだ,とわたしは考える。なぜなら,だれの責任でもない,という虚の世界が広がっていくからだ。

 たとえば,今日(19日)の午後8時からの「参院選特集 あす決戦9党党首の選挙戦密着 何を訴え戦ったのか」はその典型的な例だった。この報道でも踏襲されたが,取り上げる政党の順番がいつも同じ。自民党,民主党,日本維新の党,公明党,みんなの党,生活の党,日本共産党,社民党,みどりの党。この順番はこの選挙運動期間中,ほぼ,例外なく決まっていた。ほとんどの番組でこの順番が踏襲されていたことが,非常に気になっていた。なぜなら,視聴者もまた無意識のうちに,この順番がいつのまにか政党間の優劣の序列として刷り込まれていく可能性があるからだ。もっと,シャッフルして,そのつど,順番を変えるべきではなかったか。中立公平の立場をとるのであれば・・・・。政権放送の順番にあれほど神経をつかっていたのだから。

 のみならず,この番組では,幸福実現党と新党大地は除外されていた。完全に,政党としては無視されてしまったのだ。あすの選挙のことも考えながら,この番組を視聴していた人は少なくないはずである。にもかかわらず,この二つの政党は排除されてしまっていた。なぜ?この政党を支持している人たちにとっては,断じて許されないことだ。わたしは支持者ではないが,この二つの政党がどのような主張をし,どのような選挙運動を展開したのか見たかった。

 NHKがなんの考えもなしに,この二つの政党の選挙報道を排除したとは考えられない。なんらかの理由があってのことでなければならない。だとしたら,その理由・根拠を知りたい。NHKの恣意的な都合で勝手にそのような操作はすべきではない。国会の監視下に置かれている公共放送であるかぎり,だれにも説明できる理由がなくてはならないはずだ。

 こんなことが近頃,多すぎる。しかも,ごく当たり前のようにしてやり過ごされていく。NHKの番組制作が,最近とみに偏向しているのではないかと疑念をいだく人は少なくないはずだ。これまでだったら断じて許されなかったことが,当たり前のごくふつうのことになりつつある。その傾向がますます加速しているのでは・・・・とわたしは疑念をいだいている。なにか変だ,とおもうのはわたしだけなのだろうか。

 いつもの,どうでもいい番組ならまだしも,今回は,国の命運をかけた参議院議員選挙だ。あすの投票行動にも大きな影響を及ぼしかねない大事な選挙報道だ。そこに,このような偏見が紛れ込むことは許されない。この報道から排除されてしまった幸福実現党と新党大地は黙ってこのまま見過ごすのだろうか。

 わたしの印象では,この報道はNHKの確信犯的な振る舞いにみえて仕方がない。もし,そうだとしたら,これは犯罪にも等しい。しかし,自民党に守られているかぎり,NHKも,番組制作者も,みんなお咎めなしで済まされてしまうのだろう。が,それは違うのではないか。幸福実現党と新党大地がどのような行動をとるか,わたしは密かに楽しみにしている。やはり,おとなしく黙ってやり過ごすのか,それとも,裁判に打ってでるのか。

 ささいなことかも知れないが,わたしにはどう考えても重大な問題がその背景に潜んでいる,としか思えない。どこか,とんでもないところで日本全体が狂いはじめているのではないか。このことは,以前からわたしが感じていることであり,このブログでも繰り返し主張してきたことだ。

 選挙をメディアが操作しているのでは・・・・それも次第に露骨に・・・・自民党圧勝,などという具合に・・・・。ならば,そうはさせまいとする国民を増やすことを,自衛のためにも考えなくてはならない。報道の「自由」の名のもとでの,世論操作に対抗するためにも・・・・。とりわけ,NHKには厳しいまなざしを向けてかなくては・・・・と。

 こんな,ある意味では,意図的・計画的に仕掛けられた重大な問題も,あすの選挙結果報道に掻き消されていくに違いない。そのことも計算に入れた上での「確信犯」ではないか,と。だとしたら,事態はますます深刻だ。善玉の顔をしたNHKに仕掛けられた「悪」の装置,そこから放たれる「毒矢」がますますわたしたち国民の意識をマヒさせていくことになる。つまり,慣れっこになってしまうからだ。困ったものではある。が,なんとかしないことには・・・・。

 どなたか,いい智慧を貸してください。

高橋健夫君の死を悼む。よく頑張った,と遺影に。

 希代のプレイ・ボーイ。才能豊にのびのびと人生を謳歌した君。なにをやっても一流だった君。素晴らしい人生だったではないか。ひとは「早すぎる」と言う。しかし,ひとの3倍もの仕事をこなしてきたのだから,これはこれで仕方がないとわたし。「よく頑張った」,ほんとうに「よく頑張った」と遺影に向かって声をかける(19日(金)午後6時~,通夜式)。

 でも,ホンネを言えば,わたしよりも若い人がさきに逝くのは許せない。いまの時代,少なくとも80歳までは生きていてほしかった。そして,余生の馬鹿話のひとつもともに楽しんでみたかった。その最良の話し相手をうしなった。残念の極みである。

 思い返せば,走馬灯のように,さまざまなことが蘇ってくる。そのうちのひとつ,ふたつを,全国に散らばっている高橋健夫ファンに伝えておきたい。

 君は大阪大学を振り出しに,奈良教育大学,筑波大学,日本体育大学で,それぞれ大きな足跡を残した。わたしも,じつは,君の後追いのようなかたちで,大阪大学から奈良教育大学へと移った。そして,奈良教育大学では約10年間,同僚として,若き良き時間をともに過ごした。この時代は,いま振り返ってみても,まことに密度の濃い時間だったとしみじみおもう。お互いにとてもいい意味で牽制し合い,切磋琢磨していた。

 そんな時代のひとこまを。午後5時を過ぎると,テニスをやろう,と君はわたしを誘った。わたしにテニスを教えてくれたのも君だった。終って研究室にもどると,こんどは大先輩のN教授から「ちょっとだけビールを飲みにきなさい」と電話。もちろん,高橋君も一緒。そこにひとり,ふたりと学生たちも加わる。N教授のお話をしばらくは拝聴しているのだが,途中から九州弁がつよくなり,なにを言っているのかわからなくなる。退屈なので,高橋君とわたしはふたりで,当時の体育界の著名な偉い先生をひとりずつ俎上にあげて,徹底的に批判をはじめていた。しばらくその話を聞いていたN教授が,突然大きな声で「お前らはなにを偉そうなことを言っているのか。まるで天下国家をとったような話をしおって・・・。生意気だッ!」と怒鳴る。わたしもビールの勢いを借りて「生意気でなかったら生きてはいけません。天下国家をとるくらいの気概をもつことは悪いことではありません」とやり返す。さすがのN教授も開いた口が塞がらないという顔。そのあと,わたしと高橋君はふたりで顔を見合わせて「いつか,かならず天下国家をとるつもりだもんね」と固い約束。

 それ以前も以後も,お互いに,おれがやってやるという野心を胸の奥深くに秘めて,密かに猛烈な勉強をしていた。それは,お互いのほんの短い会話ですぐにわかった。たとえば,テニスをやっている最中でも,チェンジ・コートでスレ違いざまに「やっぱり,ヘーゲルを読まなきゃ駄目ですよね」と言ったりする。わたしの方は,ライジング・ボールをどこまで前にでて打つことができるか,と必死になって考えているときに。じつは,その当時,内緒でわたしはヘーゲルの『精神現象学』と格闘していた。そのことが,だれか学生から伝わったらしい。びっくりして,かれのの眼を見据えてしまう。そうなると,わたしは,もはや,テニスどころではなくなってしまう。でも,かれはテニスはテニス,ヘーゲルはヘーゲルと,瞬時に頭を切り替える才能をもっていた。わたしは,分裂症的才能と名づけていた。つまり,頭の切り替えがじつに早いのである。わたしは,ひとつのことをのんびりといつまでもいつまでも考えつづける粘着質的性質。だから,このふたりはぶつかることがない。

 わたしが50歳になろうとするとき,待ちに待った在外研究員の順番がまわってきて,ウィーン大学に遊学する。高橋君が45歳だったと記憶する。そのときに,ウィーンの自宅に高橋君から電話が入る。なにごとが起きたのかとびっくりする。話を聞いてみると,筑波大学からお誘いがきているが・・・,という。わたしは即座に「君の夢が叶うことなのだから,行きなさい。その代わり,天下国家に向かって号令をする人間になる,と約束してくれ」「約束はともかくとして,頑張ります」とかれ。帰国後,漏れ伝わってきた話によれば(虚実は不明),「稲垣がいない間に高橋を筑波に引き抜け」という密談があったとか,なかったとか。それを聞いて,なんと器の小さな人間とわたしが見られていたことか,とそのことを恥じた。よし,高橋君がいよいよ天下に向かって号令を発することになった。ならば,わたしは研究者としてその名を残す人間になろう,と決意。

 以前にもまして勉強に熱が入った。フランス現代思想の勉強に急激に傾斜していったのが,ちょうどこのころだった。研究者としてのスタンスを明確にし,高橋君がめざす道とは完全に袂を分かつことになった。その後の君は素晴らしい活躍ぶりをみせてくれた。『体育科教育』には毎号のように原稿を投じ,現場の体育教師に向かって進むべき道筋を提示しつづけるようになった。奈良から眺めていて爽快だった。よし,これでいい,と。

 しかし,義理堅い高橋君は,わたしのためにも『体育科教育』に原稿を書くチャンスを何回もつくってくれた。まあ,わたしが希代のプレイ・ボーイと高橋君のことを呼ぶ,その気配り,心遣いの細やかさが,こんなところにも発揮されていたのである。以後,直接,議論をすることはなかったが,折にふれ電話での相談はあった。それとなくわたしの仕事も遠くから見守っていてくれたのである。これがタケチャンマンの本性なのだ。

 わたしが60歳を迎えるときに,日本体育大学から,大学院博士課程を増設するので,来てほしいというお誘いがあった。そのときの条件は,大学院の授業だけやればいい,というものだった。わたしの夢の実現である。ならば,と勇んで日体大に移る。一年の準備期間をおいて博士課程がスタート。日体大での10年間は,こんにちのわたしの研究者としてのスタンスを確立する上で,かけがえのない濃密な時間であった。いい意味でも,悪い意味でも。

 ご縁というものは不思議なものである。わたしが定年で日体大を辞める一年前に,高橋君が大学院のスタッフとして着任。断っておくが,わたしが声をかけたわけではない。まったく別の力学がはたらいての人事だった。だから,たった一年だけ,日体大の同僚として過ごすことになった。でも,かれの忙しさを目の当たりにして,これはたいへんだと直感した。いかに頭の切り替えが早いとはいえ,それなりの責任のある地位で(たとえば,文部科学省の仕事),一定の成果を残していかなくてはならない。これではからだがいくつあってももたない。だから,わたしは仕事の量を少し減らした方がいい,と助言したこともある。でも,お人好しのかれは頼まれると断ることができない。それ以外にも,困った人がいれば全力で助けようとする。立派なものだ,と感心していた。あとは,からだがどこまでもつか,ただその一点のみ。

 だから,「よく頑張った」のひとことを遺影に向けて語りかけるのが,わたしとしては精一杯のことだった。あとは,浄土の世界でのびのびと羽を休めてください,と。でも,いらっちの君のことだ。一時もじっとしていることなく,あちこち駆け回っていることだろう。でも,それも仕方のないこと。それが面白くて仕方がないのだから。

 君がわたしに言ったことばを思い出す。「ぼくは商人の子だから,カメレオン的適応をして,だれにも好かれるように応対するように生まれついている。先生は,禅寺の坊主の子だから,来るものは拒まず,去るものは追わず,と淡々としていればいい。そして,言うべきことだけを言う,そういう生まれつきですね。」これはまことに言いえて妙。そうか,そんな風に考えていたのか,とそれを聞いたときはそうおもった。いま考えてみると,そこにはもっと深い意味が隠されているのだが・・・・。でも,基本的にはとてもうまい表現だとおもう。

 このブログがエンドレスになりはじめている。
 このあたりでとりあえず,終わりにしておく。
 また,折に触れて思い出すこともあるだろう。そのときに,追加をしていきたいとおもう。

 高橋健夫君,浄土の世界で安らかにお過ごしください。いずれ,わたしも参ります。そのときには現世よりももっと楽しいことをしましょう。それまで待っていてください。

2013年7月19日金曜日

スポーツのグローバル化とドーピング問題にどう向き合うか。『スポートロジイ』第2号・巻頭のことばより。

 待望の『スポートロジイ』第2号が,今朝(7月19日)の10時に配達されました。大急ぎで梱包を開いてじかに手にとりました。やはり,感動でした。落ち着いた渋いシルバーの表紙がいい感じです。ベージをめくりながら,あれこれの感慨が一気に押し寄せてきました。からだを張った仕事が世にでるということの喜びはなにものにも代えがたいものです。これから取り次ぎを経て書店にも並ぶ予定。ただし,発行部数が多くないので大型店のみだと思います。どこかで手にとってじかにご覧いただければ幸いです。


 このブログでは,第2号の「巻頭のことば」を紹介させていただきます。第2号の概要を把握するには便利だと思いますので。

●巻頭のことば
スポーツのグローバル化とドーピング問題にどう向き合うか。

 「スポートロジイ」(Sportology=スポーツ学)と銘打つ新たな「学」を立ち上げ,その実績を世に問うために,われわれはどこから手をつければいいのか,と考えつづけてきた。当然のことながら,しかるべき手順を踏んで,一歩一歩前に進むべきではないか,と悩み考えた。しかし,そういう近代的なアカデミックな方法論の呪縛にとらわれているかぎり,モダニティに取り囲まれたフィールドの内側でのリング・ワンデルングから抜け出すことはできない,と気づく。ならば,モダニティの呪縛の外に飛び出し,まずは,隗より始めよ,である。

 われわれ「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の研究員が,ここ数年にわたって取り組んできた研究テーマのひとつは「グローバリゼーションと伝統スポーツ」であり,もうひとつは「ドーピング問題」であった。前者のテーマについては,2012年8月に開催された第2回日本・バスク国際セミナー(神戸市外国語大学主催)で議論され,一応の成果をあげえたと考えている。そして,後者のテーマは「ISC・21」が主催する月例研究会でたびたび議論を積み重ねてきたものである。そこで,この二つのテーマを第2号の特集テーマとして設定することにした。
 第一特集・グローバリゼーションと伝統スポーツには,国際セミナー開催時に特別ゲストとして参加していただいた今福龍太,西谷修の両氏による基調講演が収められている。お二人とも,「ISC・21」の月例研究会にも何回も足を運んでくださり,わたしたちの意とするところを充分にくみ取ってくださった上での基調講演である。「スポートロジイ」の新たな可能性に道を切り開く貴重な示唆に富んでいて,わたしたちを大いに勇気づけてくれる内容になっている。また,それに呼応するようにして若手研究者による原著論文3本がつづく。これまでの閉塞的な研究方法論の枠組みを悠々と乗り越え,伸びやかな感性のもとで魅力的な論考を展開している。
 第二特集・ドーピング問題を考える,の2本の論考もまた鮮烈をきわめる。1本は,これまで門外不出とされてきたドーピング・チェックの世界にメスをいれた元ドーピング・ドクター伊藤偵之さんによる研究報告である。眼からウロコが落ちる,そういう情報に圧倒されること間違いなし,の論考である。もう1本は,フランスの哲学者パスカル・ヌーヴェルによるドーピング問題の核心に触れる論考である。アンチ・ドーピング運動の正当性が根底から揺さぶられる問題提起となっている。橋本一径さんの手による気合の入った翻訳紹介。いずれも本邦初公開であり,ドーピング問題に関心をもつ人にとっては必見・必読の論考である。
 これらの特集に加えて,もう1本の貴重な論考を上梓した。わたしたちの月例研究会では,ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン──惨事便乗型資本主義の正体を暴く』上・下(幾島幸子・村上由見子訳,岩波書店,2011年)の読書会を積み上げ,議論を重ねてきた。そして,最後にその仕上げの意味で西谷修さんを囲む「合評会」を開催した。そのときのメモリアルとして西谷修さんが書き下ろしの論考を寄せてくださった。わたしたちの熱意に応答する西谷さんの渾身の力作といっていい。グローバリゼーションとはどういうことなのか,を考えるための重要な礎を得た思いである。いまも加速しながら進展をつづけるスポーツのグローバリゼーションの問題系を考える上でも,これからますます重要視される論考になることは間違いないだろう。
 最後に,「スポーツとはなにか」という根源的な問いをつねに内に秘めつつ,その問いに応答しうる思想・哲学的な根拠を求める「研究ノート」(スポーツの<始原>をさぐる──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして)を掲載した。なぜ,ジョルジュ・バタイユの思想に注目するのか,なぜ,「スポートロジイ」の根拠をそこに求めようとするのか,を明らかにしようという意欲作である。
 以上が第2号の概要である。

 21世紀のスポーツ文化を模索する「ISC・21」の研究紀要『スポートロジイ』の第2号が,西谷修,今福龍太,橋本一径,伊藤偵之の4氏の力強い後押しによって,無事に世に送り出されることをこころから感謝したい。そして,これを励みに,毎月開催している月例研究会により一層の情熱をそそぎたいと思う。さらには,今日から,第3号の発行に向けて準備に取りかかりたい。

 併せて,読者のみなさんからの忌憚のないご批判をいただければ幸いである。

 2013年6月15日  ようやく梅雨らしくなってきた空を見上げながら
         21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)主幹研究員 稲垣正浩

 以上です。これからどんな反響が返ってくるのかワクワクしています。みなさんもご覧になっての感想やご意見などお聞かせいだだければ幸いです。
 取り急ぎ,第2号がとどきました,というご報告まで。そして,ちょっと凄いことになっています,という予告まで。

2013年7月18日木曜日

「尖閣諸島を死守する」と安倍首相。石垣島で。冗談じゃない,「棚上げ」にもどすことこそ国益。

 石垣島の遊説で,安倍首相が「尖閣諸島を死守する」と訴えたそうな。これでは半永久的にお隣の大国・中国との「友好平和」をとりもどすことはできなくなってしまう。この40年間にわたる「日中友好平和条約」と両国の努力はなんだったのか,わけがわからない。

 このブログでも何回も書いてきているが,国際社会はすでに「棚上げ」にもどすことが,東アジアの平和のためには必要不可欠だという点で,大方の合意ができている,という。アメリカも基本的にはこの姿勢を貫いている。だから,中国はあわてず,騒がず,日本が勝手に決めた「領海侵犯」という示威行為を,意図的・計画的にくり返すにとどめている。そして,日本を飛び越えて,アメリカとの新しい関係づくりにつとめ,さらに大きな可能性を切り開こうと努力している。こういう情報を日本のメディアはほとんど無視している。

 こんなことを政府自民党は知らないはずはない。それどころか,自民党内にも,河野洋平のように,「棚上げ」にもどすべきだとう主張する議員も少なくない。にもかかわらず,「尖閣諸島は日本固有の領土」だと,一方的に宣言して,「実効支配」から一気に「領土化」してしまった。そして,これが既定の事実であるかのごとくメディアが騒ぎ立て,中国バッシングの情報ばかりを流しつづける。なにも考えようとはしない,つまり,「思考停止」してしまった国民の多くは,テレビも新聞も「領土」だと言っていることを鵜呑みにして,いまや,確信になってしまっている。

 これを先取りするかのように,石破自民党幹事長は,とんちんかんな再軍備論をぶち上げる。それも極端だ。おもわず正気か,と声に出してしまう。たとえば,兵役を拒否する国民は軍法裁判にかけるという。それも,非公開で判決を言い渡し,そのまま実行に移す,と。その多くは「死刑」。あるいは懲役300年,という。恐るべき「暴力」装置を構築しようというのだ。つまり,国の意志で国民をいかようにも裁くことができる国にする,と。

 これが政権党の幹事長の「ホンネ」らしい。もはや,つける「クスリ」もない。そんな政権党が,こんどの参議院議員選挙で圧勝する,とこれまたメディアが書き立てる。はたして,本当だろうか,とわたしは首を捻る。もし,メディアの言うことがほんとうだとしたら,いったい,この国はどこに向かおうとしているのか。

 安倍首相が「尖閣諸島を死守する」という背景には,石破幹事長の,こんな国民皆兵,軍法裁判構想があるらしい。そんなにまでしても「尖閣諸島」を「領土化」したいらしい。これまでの40年間のように中国も認めてきた日本の「実効支配」でいいではないか。そして,しかるべき時がきたら,両国で話し合って,最終的な結論を出せばいい。これが「日中友好平和条約」を結んだときの両国の了解事項だったはずである。

 この「事実」を鳩山由紀夫氏が語ると「嘘つき」と言って,メディアが囃し立てる。いつのまにか,鳩山由紀夫は「嘘つき」の代名詞になりつつある。今日(18日)の新聞に広告を出している某「週刊誌」は,またまた,大きな見出しで鳩山由紀夫は「嘘つき」と書き立てている。「嘘つき」は,いったい,どちらなんだ,とわたしはいいたい。こういう「嘘」ど「詭弁」がメディアを支配してしまっている。困ったものだ。

 いまの日本は,既得権益を守る集団(日本の中枢を占める政・官・財・学・報の五位一体=原子力ムラの住人たち)の発信する「嘘」と「詭弁」によって世論が操作され,恐るべき方向に向かって「暴走」している。これが,現段階での,わたしの現状認識である。こういうことを言う人間はすべて「国賊」として世の中から排除・隠蔽されてしまう。当然のことながら,わたしは正真正銘の「国賊」である。

 いまや,ヒトラーの率いるナチス・ドイツが選挙で多数党を構築して,独裁体制を布いた時代とそっくりそのままな状態が,いまの日本に再現されつつある。こんどの選挙はその天下を決する「関ヶ原」の戦いだ,とわたしは位置づけている。

 いまも支持政党なし,支持候補者なし,という国民が4割もいるという。この「4割」の国民は,いま,息をひそめて,困り果てていると思う。かく申すわたしがそうだから。しかし,この「4割」が存在するということは,逆に「救い」でもある。なぜなら,この「4割」は,少なくとも,現在の政権党には投票したくない人たちだ,と読めるからだ。だとすれば,わたしも含めて,みんな総動員をかけて選挙に行こう。そして,国民皆兵をめざそうという政党の議席獲得を阻止しよう。まずは,そのことだけを考えて投票に行こう。この際,こころを鬼にしてでも,最低限の意志としてのみずからの「一石」を投じよう。

 某新聞の報道によれば,自民党を支持する女性は13%だ,という。刮目すべき数字ではないか。女性は偉い。命の尊さをからだで知っている。その点,企業に全身全霊まるごと絡め捕られてしまったサラリーマンは「甘い」。それどころか,「思考停止」をして,「自発的隷従」をしないことには,企業のなかでのポジションは維持できないのだろう。そして,カネ(経済)のことしか考えない。それこそが,既得権益を守るボスたちの思うつぼだ。そこから,一歩,勇気ある一歩を,こんどの投票で行動に移そう。

 このまま政権党を盲信して,身をゆだねてしまうと,日本という国家はあっという間に奈落の底に転げ落ちてしまう。わたしはそれが怖い。だから,「国賊」の汚名をもあえて甘受する覚悟を決めている。いな,いつの日か,いま「国賊」と呼ばれることが名誉となる日がやってくる,と確信している。また,そうでなくてはならない,と信じている。

 みなさんは,どのようにお考えなのでしょうか。おそらく苦しみ,悩んでいる人が多いのでは,と推測しています。どうか,この際,勇気ある投票行動をとることにしませんか。とりあえず,今回の選挙にかぎり・・・・という条件つきで。戦争だけは回避しましょう。

2013年7月17日水曜日

「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)事始め。『スポートロジイ』創刊号のことばより。

 明日(18日)か,遅くとも明後日(19日)には『スポートロジイ』第2号が印刷所からわたしのところにとどく予定,とみやび出版の伊藤さんからメールが入りました。「よっしゃっ!」とひとりガッツ・ポーズ。昨年出した創刊号はどこか自信がもてないまま,手さぐり状態でしたが,第2号は腹をくくって編集方針を絞り込み,すっきりしたものに仕上がったと自負しています。もちろん,それに応えてくださった著者があってのことですが・・・・。

 まもなく書店にも並ぶということですので,今回のブログでは,なぜ,「スポートロジイ」なる研究紀要を刊行するにいたったのか,確認の意味で,創刊号のトップに書き込んだ「創刊のことば」を紹介しておきたいと思います。これを読んでいただければ,『スポートロジイ』第2号が,どの方向に向って第一歩を踏み出したのかも,おおよそのところはおわかりいただけると思うからです。ご笑覧の上,ご意見・ご批判などいただければ幸いです。

●創刊のことば
「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)事始め

    「動物は世界の内に水の中に水かあるように存在している」(ジョルジュ・バタイユ)

 幼い子どもが遊びに熱中したり,大人でも遊びに忘我没入したりするとき,自他の区別がなくなっている。スポーツもまた,面白くなってくるとわれを忘れて夢中になっている。つまり,自他の垣根が取り払われて,他者と渾然一体となって溶け合ってしまう。これらは,自己を超えでていく経験であり,「生」の全開状態,すなわちエクスターズ(恍惚)そのものである。その経験は,ひたすら「消尽」であり,「贈与」である。
 スポーツ,あるいは,スポーツ的なるものが立ち現れる源泉はここにある,とわれわれは考える。スポーツの中核には,このようなエクスターズ(恍惚)への強い欲望がまずあって,その周縁にさまざまな文化要素が付随して,それぞれの地域や時代に固有のスポーツ文化を生成してきた,と思われる。だとすれば,スポーツとは「動物性への回帰願望の表出」そのものではないか,ということになる。
 そこで問題になるのは,スポーツを成立させることと理性のはたらきとの関係性であろう。このときの理性とは,ヒトが動物の世界から<横滑り>して,ヒトから人間になるときに新たに獲得した能力のことである。したがって,理性を人間性と置き換えてもいいだろう。いうなれば,理性(すなわち,人間性)は最初から,動物性を抑圧し,排除・隠蔽する力として働いてきた。しかし,理性がどこまで頑張ってみたところで人間の内なる動物性を消し去ることはできない。したがって,「生きもの」としての人間にアプリオリに備わる動物性と人間性とを,どのように折り合いをつけて,その「生」を最大限に発露させるか,という大きなテーマがそこに立ち現れる。
 スポーツは,いうなれば,その両者のはざまで揺れ動く,微妙な文化装置として登場したとも考えられる。だとしたら,「生きもの」としての人間にとってスポーツとはなにか,という根源的な問いがそこから立ち上がることになる。
 しかしながら,現代社会に君臨している「理性」は,いつのまにやら「テクノサイエンス経済」(ピエール・ルジャンドル)なる狂気と化して,「生きもの」としての人間の存在を脅かしはじめている。「3・11」後の原発事故による脅威は,その典型例といってよいだろう。いまこそ「生きもの」としての人間にとっての<理性>をとりもどし(西谷修),人間が生きるとはどういうことなのか,ということに思いを致すべきだろう。
 「21世紀スポーツ文化研究所」もまた,同じ立場に立ち返り,スポーツの側からこの根源的な問題に取り組むことが不可欠であると考える。そのためには,これまでの体育学やスポーツ科学のパラダイム・シフトが喫緊の課題であると考えた。その結果,スポーツにかかわるあらゆる題材を研究対象とする新たな「学」として,「スポートロジイ」(Sportology=「スポーツ学」)を提唱することにした。
 「生きもの」としての人間にとって「スポーツ」とはなにか。
 すなわち,「3・11」後を生きるわれわれが,スポーツとはなにかを問うことは,まさに「生きもの」としての人間とはなにかを問うことだ。そのための最優先課題は,スポーツにかかわる思想・哲学的なバック・グラウンドを固めることにある。

 われわれの試みはまだその緒についたばかりである。つねに「スポートロジイ」がなにを課題としているかを忘れることなく,一歩ずつその地歩を固めていきたいと考えている。大方の忌憚のないご批判をいただければ幸いである。

 2012年4月30日 ことのほか美しい新緑に眼を細めながら
        21世紀スポーツ文化研究所主幹研究員 稲垣正浩

 以上です。
 これ以上に簡潔に言うことはできないというところまで切り詰めてのことばですので,この種の思考に慣れていない人びとにとっては,いささか難解であるかもしれません。が,少しだけ近代合理主義的な思考から「離脱」し,前近代的な非合理的な思考の方向に,立ち位置を「移動」させていただければ,その意とするところは,意外にすんなりと理解してもらえるのではないかと思います。

 この精神を深く胸に刻んで,『スポートロジイ』第2号の編集に取組みました。そして,その思いをこめた第2号にはどのような巻頭のことばを書き込んだのか,その内容については,明日,ご紹介してみたいと思います。

 それでは,今日のところはここまで。

2013年7月16日火曜日

『スポートロジイ』第2号,まもなく刊行。ちらし広告がでました。

 21世紀スポーツ文化研究所編『スポートロジイ』第2号のちらし広告が送られてきました。まもなく見本誌がとどくとのことです。楽しみです。予定では,来週の後半には書店に並ぶとのこと。いまのところ順調にきていますので,間違いないでしょう。

 詳しい内容については,このちらし広告を拡大して確認してみてください。もし,このちらし広告が必要だと仰る人はコメント枠を利用して住所をお知らせください。住所の記入してあるコメントは非公開にしますので,ご安心ください。

 なお,同じちらし広告を,21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)のホーム・ページにも掲示しておきましたので,そちらもご覧ください。こちらには表紙のPDFも掲示してあります。


 ついでですので,創刊号のちらし広告も載せておきます。こちらもご笑覧いただければ幸いです。もちろん,残部がありますので,星雲社にFAXしてみてください。

取り急ぎ,コマーシャルまで。