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2016年1月1日金曜日

謹賀新年。本年もよろしくお願いいたします。

 あけまして,おめでとうございます。
 旧年中はいろいろお世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 ことしもまた年賀状を書く暇もないまま,歳が明けてしまいました。
 失礼の段,お許しください。

 暇がないというのは間違いで,そのための時間をつくることが下手になってしまった,というのが正直なところです。時間など,いくらでもあるのに,つい面倒なことはあとまわし。そうこうしているうちに,忘れてしまう・・・・。要するに加齢にともなう老化現象。

 言ってしまえば,社会生活能力の低下。ひとしなみの生活ができなくなり,自分の好きなことしかしない,わがままが増長,つまり,自分勝手。マイペース。

 これがほんとうに加齢による自然な現象なのか,それとも大病を経過したことによる後遺症なのか,そのあたりのことはどうもよくわかりません。お医者さんに相談してみても,にこにこ笑っているだけで,要領を得ません。なんともいいようのないグレイゾーンであるらしい。

 そのグレイゾーンをいま生きているというのが実感としてもよくわかります。意識がはっきりしていて,頭脳も冴えている時間がどんどん短くなってきて,なんだかぼんやりした意識のままの時間だけが長くなっていきます。ですから,一日のうちでも,そんな意識の間を行ったり来たりしているうちに,あっという間に,その日が暮れていきます。

 その結果,年賀状もあっちへふらふら,こっちへふらふら・・・,まあ,いいかっ・・・,というような具合です。サクセスフル・エイジング。なりゆきまかせ。というわけで,ことしの賀状も欠礼させていただきます。その代わりにこのブログを書いています。お許しのほどを。

 この2年間,大きな手術を2回も受けることになり,たいへんな経験をしてしまいました。ことしは,どうか,そんなことにならなくて済むように,天の神さまにお祈りしたいとおもいます。それが第一の願い。

 第二は,選挙で少しでもいい結果が得られるよう,微力ながら努力してみたいとおもいます。こんな政権がいつまでもつづくようでは,日本の未来はありません。なにがなんでも,とりあえずは,「ストップ・ザ・アベ」で動きたいとおもいます。このブログの読者の方々も,たぶん,同じ気持ちだとおもいます。身近なところから一人ずつ同志をつくっていく,そういう地道な努力の積み重ねしかありません。一人が二人に,二人が四人に・・・・。

 政治の主権者はわたしたち一人ひとりです。政治家ではありません。

 今回だけは,政治家任せにはしないで,自分の意思を貫きましょう。

 「民主主義を守ろう」というまっとうな主張が批判される政治はごめんです。
 「憲法を守ろう」というまっとうな主張が批判される政治はごめんです。

 そして,なによりも原発を推進する政治はごめんです。
 「フクシマ」を放置する政治はごめんです。

 経済よりも「いのち」を大事にする政治を。
 戦争よりも「いのち」を大切にする政治を。

 人の「いのち」を犠牲にする政治はごめんです。

 ことしが「いのち」元年になりますように。
 みなさまの「いのち」が安全でありますように。

 そう祈りながら,新年のご挨拶とさせていただきます。
 お互いによい年になりますように。

2015年6月29日月曜日

癌転移の治療計画が決まりました。もう一度,復帰をめざします。

 6月29日(月)午前9時。予約どおり主治医さんとの面談。第一声。局所的なものでした,と声に力がある。そこから始まって縷々,細かな説明がありました。その上で,どうします?と。わたしとしては,局所的なものであれば,切除手術,全身転移であれば,少し時間をかけて考える,と方針を決めていましたので,その場で即決。切除手術をお願いします。

 そうとなれば,早速,その準備をしましょう,ということで現場の担当者たちとの打ち合わせ・段取りに入る。つまり,執刀医,麻酔医,その他のスタッフの手配,手術室の予定,病室の確保,などなど。その間,わたしは廊下のベンチで待機。

 ということで,一気に入院・手術に向けて始動。主治医さんが院長さんでもありますので,その手際のよさは抜群。どんどんことが運んでいく。その間,待っている時間に採血,レントゲン,心電図,と済ませ,さらに,問診票への記入をしたり,とこちらの方も忙しい。

 やがて執刀医の先生との面談,麻酔医の先生との面談,いずれもとてもいいお人柄であることがわかり,大いに安心。よし,この人たちにすべておまかせしようという気持になる。ここのところが,じつは,とても大事。ここに不安があったら前へは進めない。わたしの気持がほぐれたのを察知してか,だんだんと表情が柔らかくなり,しまいには笑顔も。わたしもつられて饒舌になってしまう。これで,すっきりした気分で手術を受けることができる。これがなにより。

 そうして,最後にふたたび主治医さんとこんごの具体的な治療計画(スケジュール)の詰め。その結果,以下のように決まりました。

 7月2日(木)午前9時。血液検査。手術に向けての特別の検査らしい。
 7月4日(土)午前9時。CT検査。患部の詳細についての最終チェック。そのまま入院。
 7月7日(火)午前9時。切除手術。

 順調にいけば3週間ほどで退院できるでしょう,とのこと。

 たしか,前回の手術のときも,順調にいって「約3週間」と言われた記憶がある。それを「10日」で退院した実績がある。ならば,このたびも,あわよくば予定よりも少しでも早い回復をしてみようと,すっかりその気になる。気持が前向きになることは,この際,大事だ。よし,あの痛みに耐えて,必死で歩いたことが功を奏したとすれば,痛みなどなんでもない。ぐっと耐えればいい。

 ここで,前回の経験が生きてくる。息が止まるほどの痛さは3日ほど。あとは,徐々に痛みは軽くなっていく。その3日を耐えればいい。なんだか自信満々。夢よもう一度。

 とまあ,そんな前向きな気分で帰宅しました。

 というようなわけですので,どうぞ,ご安心ください。取り急ぎ,ご報告まで。

2015年5月20日水曜日

『スポートロジイ』第3号が書店に並びました。リーフレットもできました。

 待望の『スポートロジイ』第3号が書店に並びました。感無量。

 そして,宣伝用のちらしもできあがってきました。
 ご覧いただければわかりますように,発行はみやび出版,販売は星雲社です。書店でみつからない場合には,星雲社にFAXして注文してみてください。あるいは,わたしに直接ご連絡ください。著者割引をさせていただきます。

 
このちらしをみれば内容もわかるようになっています。ぜひ,チェックを入れてみてください。特集が2本と研究ノート,それに西谷修さんの講演録:「破局」に向き合う思想──ジャン・ピエール・デュピュイ『聖なるものの刻印』を読む,という構成です。とてもいいバランスで全体が連動し,共鳴・共振し合っています。ぜひ,手にとってご覧いただけると幸いでず。


第3号が出ましたので,これから何回にも分けて合評会を開催することになっています。その第一回目は5月30日(土)午後1時から,奈良教育大学で行います。詳しくは,「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)のHPの「掲示板」をご覧ください。どなたでも参加できますので,お近くの方はどうぞ遊びにいらしてください。終了後は懇親会もあります。とてもいい雰囲気で会話を楽しむことができます。初めての方でもすぐに溶け込めるアットホームな雰囲気です。

 ようやくにして第3号を刊行したとおもったら,もうすぐに第4号の構想にとりかかっています。いまのところ,第4号の特集は一本は「東京五輪2020を考える」,もう一本は「舞踊論」を考えています。「東京五輪2020を考える」は,すでに,4月の東京例会で,西谷修さんとわたしとの「対談」という形式で口火を切りました。これにつづけて,各地の例会で小刻みに議論を積み重ねていきたいと考えています。また,「舞踊論」の方のターゲットは,ジャン・ピエール・ルジャンドルの「舞踊論」を日本に紹介することです。ルジャンドル読みの名手に登場していただこうと考えています。これから交渉です。こちらも,各例会で前哨戦となる議論を積み上げていきたいと考えています。

 なお,研究ノートや原著論文は随時,受け付けていますので,どしどし投稿してみてください。採否は,できあがりの善し悪しではなく,キラリと光る魅力的な内容であるかどうか,を重視しています。さらに,スペースが空いていればできるかぎり,全部掲載するというのが基本的な考え方です。投稿資格は問いません。いつでも,どなたでも,どうぞ。

 最後に,『スポートロジイ』第3号についてのご感想などお聞かせいただけると幸いです。厳しい忌憚のない批判も歓迎です。みなさんに揉んでもらって,少しでもよいものになれば・・・と祈っています。お力添えのほどを。

2015年1月1日木曜日

めでたさもちゅうぐらいなりおらがはる。まったりと再スタートのつもり。本年もよろしく。

 明けまして,おめでとうございます。
 昨年はいろいろお世話になりました。
 本年もよろしくお願いいたします。

 かっこよく年頭のご挨拶をしたいところですが,残念ながら,それほどの馬力もなくなってきました。加齢にともなう老化現象なのか,それとも病による衰えなのか,あるいは,その両方なのか,ともかく二年前までの馬力はどこかに消え失せてしまいました。この一年で,身もこころも,大きく様変わりをしてしまいました。

 人間というものは不思議なものです。自分のことは自分がいちばんよくわかっているつもりでしたが,どっこいそうではありませんでした。いまや,自分というものがどこにあるのか,その面影すら霞んできて,どことなくもやのなかをさまよっているような感じです。しかし,二年前まで見えていたつもりのものの方が,じつは幻であって,いま,見えているぼんやりしたもの,これがおのれのほんとうの姿なのかもしれません。

 徐々に自己というものの存在が遠のいていく,この感覚こそが自然の摂理であって,それに逆らってはいけないのではないか,と最近は考えるようになりました。といいますのは,その原因が加齢にあるにしろ,病にあるにしろ,間違いなく幕引きに向けての,きわめて自然な流れにすぎない,とよく納得できるようになったからです。

 生まれたときもひとり。死ぬときもひとり。どこから生まれてきたのかもわからないままこの世に生を受け,たぶん,どこともわからない無の世界に帰っていく,この連鎖の鎖のひとつの輪にすぎない,わたしの命。そう思えば気持は軽くなります。命がつきたときこそ,まさに,自然への回帰が完了するとき。自然と一体化すること,これぞ禅仏教の教えるところ。そして,無に帰すること,これもまた『般若心経』が繰り返しくりかえし説く教え。

 正月早々,めっそうもない話,とお叱りを受けそうですが,じつは,そうではありません。これは浄土の世界に接近していくためのまっとうな王道なのですから。そして,その心境が,徐々に,徐々に,現実のものとして感じ取られるようになってきた,というわたしにとってはとてもめでたいお話なのですから。

 お釈迦様の説いた原始仏教は「死のすすめ」でした。いかに「きれいに」死を迎えるか,これがもともとの仏教の教えです。他者を傷つけたり,うしろめたさを残すことなく,ただ,あるがまま,清く,美しく生きること,これが浄土への道です。死はその通過点。みずからの生と死を肯定的に受け止めること,これぞ哲学でいうところの真・善・美の「善」なるもののほんとうの姿なのではないか,そんなことを考えています。

 思い返せば,昨年一年は(精確には2月4日から),突然の大病にはじまり,でも驚異的な回復をみせましたが(主治医の話),その後の抗ガン剤治療に悩まされ,身もこころも大きなダメージを受けることになりました。その結果,ものの見方・考え方も大きく変化し,上に書いたような心境に達することとなりました。

 ことしもその延長線上にあります。これからさき,どのような心境の変化が起きるのか,それをじっと見守りたいと思っています。まあ,焦らず,騒がず,おのれのからだとこころに素直に向き合い,マイペースで淡々と生きてみたいと思っています。気張ってみたところで脳のはたらきは間違いなく下降線をたどるだけなのですから。その下降線に逆らうことなく,うまく折り合いをつけていこうと思います。

 しかしよくよく考えてみれば,大病をした割には,いいことも多々ありました。これまでに経験したこともないようないい仕事もいただきました。また,思いがけずも,わたしなどには縁の薄い世界で活躍された素晴らしい人との出会いもありました。さらには,これまで思い描いていても叶わなかったいい仕事の依頼もいくつかありました(これから取り組む予定)。ですから,ことしは予想外に楽しみがいっぱいです。

 そんなわけですので,まだまだ,そんなにかんたんに惚けているわけにもいきません。いえいえ,神様は惚け防止のためにいろいろと励ましの仕事を授けてくださっているのかもしれません。一度,落とした命だと思って,生き延びられた幸運をこころから言祝ぎ,みずからの励ましにしたいと思っています。

 どうぞ,本年もこれまでにも増して,ご鞭撻くださいますよう,年頭にあたりこころからお願い申しあげます。

 みなさんも,どうぞ,よい年をお迎えください。そして,充実したいい年になりますように。

 ではまた,お元気で。

2014年7月28日月曜日

抗ガン剤治療のための3回目の診断を受けてきました。まずまずというところか。

 7月28日(月)午前9時。お世話になっている病院へ,抗ガン剤治療のための3回目の診断を受けてきました。今回はいつもにも増してとても丁寧な応対をしてくださり,なにごとか,とちょっとだけ心配になりましたが,それも杞憂であることがわかり,安心しました。

 いつものように,まずは採血。そして,血液検査の結果を待つ。その間に,問診表をわたされ,この一カ月の間の体調についての問いに「あり,なし」の二項択一の応答をし,とくに不都合を感じていることについて記入する欄がありました。「あり」と答えたのは,下痢が2回,味覚の減退,の二つのみ。特記事項への記入は,味覚がもどらないことの不都合,不快を書いておきました。

 すると,間もなく,抗ガン剤の選択を担当している薬剤師のO先生が面談をしてくださるとのこと。診察室とは別の面談室で,看護師も立ち会いの上で,O先生と面談。副作用が少しきつくでているようですが,もう少し頑張ってほしい,とのこと。いまやっている抗ガン剤治療はもっとも軽いレベルのものなので,これ以下のものはありません。そして,少なくとも一年はつづけないと効果は期待できないので,なんとかなりませんか。どうしても不快感があって無理だというのであれば,主治医のN先生と相談してください。という具合に,やんわりと激励されてしまいました。

 わたしとしては食べるものに味がないのは,以前の食欲旺盛だったころには考えられないことで,これはどういうことなのか驚いているという程度のことであって,抗ガン剤治療を一時中断する,というようなことまでは考えていません,と応答。O先生も安心した様子で,では,もうしばらくいまのレベルの治療をつづけながら,様子をみることにしましょう,ということで一件落着。

 で,ここでちょっとだけO先生にチョッカイをだす。顔は細面の若くてイケメンの男性。それにしては二の腕が太い。よくみると上半身のガタイもしっかりしていらっしゃる。そこで,空手でもやってらっしゃいますか,と。O先生は意表をつかれたかのように驚き,顔は真っ赤。立ち会っていた中年の女性看護師は,なぜわかるの?という不思議そうな顔。O先生は「剣道を少しだけ・・・」「なぜ,わかるんですか?」と。じつは,わたしは・・・・ということで少しだけ自己紹介。すると,「また,いつかお話を聞かせてください」とO先生。抗ガン剤を飲まなくてよくなったら,一献傾けながら・・・・と提案。楽しみにしています,とO先生。

 それから30分ほど待って,ようやく主治医のN先生の診断。先に済ませたO先生との面談は全部伝わっていたようで,いきなり先生の方から切り出す。そうですか,味覚がもどりませんか。これは考えようによっては薬が効いている証拠でもあります,とつれない。それよりも,免疫力が予想よりも下がっていないので,こちらの方が安心材料です,と褒めてくれたつもりらしい。それとマーカーによるチェックもしていますが,こちらも大丈夫。ただ,一部の血液成分の回復が遅れているようなので,こちらの動向を注目していきたい,とのこと。全体的な判断としては,いまのこのレベルの治療をもうしばらくつづけながら様子をみるのがいいと思います。次回は,もう一度,血液検査をして,ついでにCTをとって胃腸のその後の様子を確認したいと思います。術後6カ月になるので,どんな納まり方をしているか確認しておきたいので・・・とのこと。すべて了解しました,ありがとうございました,で診断は終わり。あとは,軽いジョークの応酬。今日は早めに切り上げ。

 全体的な印象としては,まずまず良好というところかな,というものでした。薬剤師のO先生の説明と主治医のN先生の説明には若干の温度差があり,O先生の方が楽観的,N先生は慎重派。まあ,今回はお二人の先生のお話が聞けたという点で,わたしの判断材料が複眼的になりました。これは得がたい収穫だったと思います。

 かくして,第三クールも第二クールと同じ抗ガン剤を2週間飲んで,2週間休息ということになりました。8月1日から2週間抗ガン剤の飲用。ここでの副作用が少ないことを祈るのみ。まあ,ほかのことに熱中していればなんとか紛れる程度のことですので,あまり過剰な心配はしないことに。それよりも生きがいの感じられる密度の濃い時間を過ごすことに全力をあげて専念すること。これがなによりの妙薬と心得よ,とわが身に言い聞かせています。

 ということで,以上,ご報告まで。

2014年7月15日火曜日

抗ガン剤治療のセカンド・クール(2週間)が昨日(14日)で終わりました。さてはて・・・・。

 抗ガン剤治療のセカンド・クール(2週間)が昨日(14日)で終わりました。このあとは月末まで休息期間となり,8月1日からサード・クール(2週間)がはじまることになっています。

 今回は錠剤(TS-1)を朝晩2回,食後に2錠ずつ飲む,それを2週間というメニューでした。第一回めのときの3週間の錠剤+第2週目の入院・抗ガン剤の点滴注入というメニューにくらべれば,かなり楽にやりすごすことができました。それでも第2週目に入ると,さまざまな副作用が表れました。

 わたしの場合には,外胚葉系にダメージがでているように思います。もっとも,これは素人の自己判断でしかありませんが・・・。一つは,消化器系のはたらきが低下すること。二つには,顔がまだらに黒っぽくなること。三つには,手のひら,手の甲から異様な匂いを発すること,四つには,錠剤を飲んで30分後くらいから眠くなること,五つには,味覚がマヒしてきて食欲がなくなること,など。つまり,粘膜や皮膚に集中してダメージがきているように思います。

 まあ,この程度の副作用で済んでいるのはラッキーな方ではないか,と自分に言い聞かせています。そして,とにかく眠くなってきたら素直に横になる,を心がけています。それでも第2週目に入ると相当にからだに負担がかかっているのか,体重はみごとに落ちていきます。といっても,1㎏程度の減少ですから休息期間に入れば,また,徐々に増えていくものと楽しみにしています。新しく,100g単位で計測のできる体重計を購入して,毎日の微妙な体重の変化をチェックしながら一喜一憂しています。

 太極拳の稽古をした日(週に1回)は,からだの調子がとてもいいので,このメニューを加えてみようと考えてはいるのですが,やはり,ひとり稽古というのは甘えがでてしまってつづきません。が,まあ,軽いメニューでいいから,と自分に言い聞かせ,適当に気の抜けたような稽古を思い立ったときにやることにしています。それでも,なんとなくからだの調子はよくなるような気がします。太極拳はやり方次第で,こころとからだのバランスをとりもどし,ことばにならない不思議な「力」が蘇ってくるように思います。あとは,わたしの心がけ次第。

 セカンド・クールで一番のダメージは味覚のマヒだったように思います。徐々に味覚が鈍麻し,昨日あたりはなにを食べても「おいしい」とは感じません。ただ,義務感で食べているだけ。味がしないものを食べることのむなしさ・・・これは意外にきびしいものがあります。これさえなかったら,つまり,以前のようになにを食べても「おいしい」と感じられたら,このレベルの抗ガン剤治療は乗り切れると思っています。そして,無理して食べると(食欲もなくなっていますので,どれだけ食べても満腹感をそれほどに感じない),ついつい食べ過ぎになり,一過性の下痢を誘発してしまいます。

 なんとか休息期間中に味覚が回復して,おいしく食事ができるようになることを祈るばかりです。ちなみに,今朝の体重は52.4㎏でした。これを53.5㎏以上まで,月末までにとりもどして,8月からのサード・クールに臨みたいと考えています。

 今日から錠剤から解放され,気分も晴れやかです。これから週末に予定されています研究会の準備に専念したいと思います。昨日までにたまっていた原稿(短いものばかりですが)もなんとか書き上げて送信しましたので,しばらくは解放されて,ジャン=ピエール・デュピュイの著作に専念したいと思います。

 以上,セカンド・クール完了のご報告まで。

2014年6月17日火曜日

「IWJ」で集団的自衛権に反対する記者会見(山口二郎,小森陽一,西谷修さんほか)を視聴することができます。

 少し前の話になりますが,6月13日に「立憲デモクラシーの会」(代表・山口二郎)が東京都内で記者会見を行ったときの映像が「IWJ」を検索すると視聴することができます。

 冒頭で,山口代表が集団的自衛権のどこが問題なのかということについての総論を展開,そのあと,西谷修さんを筆頭に,着席の順番にひとことずつコメントがありました。こういう記者会見のときのコメントの仕方というものは難しいものだなぁ,とあとになって気づきました。というのも,数日するとだれがどんな話をしたのか,ほとんど忘れてしまうからです。

 ところが,西谷修さんと小森陽一さんのお話は,とても鮮烈に記憶に残るものでした。やはり,役者が違うという印象を受けました。ものごとの本質をずばりと見抜く力,それを伝える弁舌の切れ味,情熱的な魂,などさまざまな要素が組み合わさって,聞く人のこころを捉え,動かすものなのだということがよくわかりました。そんなことも兼ねてぜひ視聴してみてください。

 さて,集団的自衛権容認・行使のなにがいけないのか。

 トップを切ってお話された西谷修さんの論旨のなかで,わたしの脳裏に深く刻まれたのは以下のような内容でした。

 第二次世界大戦の敗戦国日本が,国際社会から高く評価され,信頼される国となりえたのは,ひとえに戦争をしない国としての姿勢を貫いてきたことにある。つまり,憲法第9条の精神をしっかりと受け止め,守り,いかなる戦争にも参加しないという強い決意が国際社会のすみずみにまで浸透したからである。しかし,集団的自衛権の容認・行使ということになれば,これは憲法9条の精神を無視して戦争ができる国家へと大きく転身することを意味する。となれば,この世界に類をみない国家としての貴重な財産を,一夜にして失うことになる。そして,これまでの威信を失い,アジアの片隅に位置するごくふつうの俗なる国家へと転落していく。となれば,もはや世界から無視され,近隣諸国からも敵対視され,孤立化への道をたどるしかなくなるだろう。
 もう一点は,近くに友人をつくらないで敵にまわし,遠くの友人のために戦争をするという愚挙をどんなことがあっても排除しなくてはならない。地理的にもっとも近くて,歴史的にももっとも交流の深い韓国・中国をなぜ敵にまわさなくてはならないのか。集団的自衛権の容認・行使は,その姿勢をより鮮明にするものでしかない。しかも,そのことをアメリカは望んではいない。むしろ,危惧している。にもかかわらず,安倍政権は戦争のできる国家への道をまっしぐらである。
 そうではなくて,これまでどおり憲法9条を護持し,近隣の友人を大事にする外交努力を展開していくことこそが喫緊の課題ではないか。
 この集団的自衛権という考え方そのものが本末転倒もはなはだしい,とんでもないものであり,戦後の日本の歴史を一気に逆転させる暴挙としかいいようがない。したがって,なにがなんでもこの暴挙を認めるわけにはいかない。

 というような内容にわたしの耳には聞こえました。あとは,「IWJ」でご確認ください。

 もう一人の小森陽一さんのお話もインパクトの強いものでした。こちらは残念ながら割愛させていただきます。どうぞ「IWJ」でご覧になってみてください。時間は全体でほぼ1時間です。

2014年4月14日月曜日

「なにを食べてもよろしい」,術後の回復は驚異的と褒められました。

 今日(14日)は診察の日でした。3週間ぶりでした。いつものように採血をして血液検査,その結果にもどづく診察。今日から担当医が代わって(執刀医は3月末で退職し,母校の大学に復職・栄転),院長先生がそのあとを引き継いでくださいました。入院のときから,ずっと見守っていてくださいましたので,とても安心です。

 「やあ,お久しぶり。元気そうですね。とてもいい顔をしてらっしゃる」。これが院長先生の第一声。「お蔭さまでもうすっかりよくなった気分です」とわたし。で,すっかり打ち解けた雰囲気のまま,すぐに診察に入りました。

 「血液検査の結果は驚くべき回復ぶりです。ただ,若干,貧血気味なところが残っていますが・・・。でも,徐々に数値はよくなってきているので心配はいりません。で,その後の様子はいかがですか」と問われましたので,自分で感じているからだの具合をできるだけ精確にお伝えしました。そして,最後に,「4月に入って食欲がでてきて,一回に食べる量も増えてきました。そのせいか,体重も1キロちょっと増えてきました」と伝えました。

 すると,「それはいい傾向です」と言ったあと,やおらカルテになにかを書き始め,うん,うん,とひとりでうなづきながら熱心に記録を残していらっしゃる。かなり長い時間,パソコンで過去のデータなどを確認しながら,カルテを書き続けていらっしゃる。それが終わると,「じゃあ,ちょっとお腹を診せてもらいましょうか」となり,ベッドに横になりお腹を出しました。

 「いやーっ,お腹、しわだらけになりましたねぇ」と笑う。そして,手術の傷を中心にあちこち手で押さえながら,「ここも大丈夫,ここもいい具合,ああ,もうどこも心配ないですねぇ。術後の回復は驚異的です。もう,なにを食べてもいいですよ」というお墨付きをいただきました。そのあと,「体重が落ちた理由は筋肉細胞のエネルギーが胃の回復のために消費されたのであって,皮下脂肪ではありません。だから,体重がもどるには相当の時間がかかります。慌てないでじっくりと構えてください。まだ,多少の体重のアップダウンは繰り返すでしょう。なかなか体重がもどらないからといってがっかりする必要はありません」とのこと。

 このお話はわたしにはとてもいいヒントとなりました。なるほど,と納得できるものがありました。体重の増減は一筋縄ではないということを経験的に熟知していたからです。健康なときでさえそうなのですから,ましてや,病後となればもっともっと複雑な要因があるはずです。これからじっくりと向き合ってみようと思います。

 そして,椅子にもどってから,つぎのようなお話がありました。
 「体力がもどってきましたので,つぎの治療計画を検討したいと思います。最終ゴールに達するには数年を要すると思っていてください。次回までにこれからの治療計画を立てておきますので,そこでまたご相談をということにしましょう。」

 つぎの治療計画とは,要するに「抗ガン剤治療」ということです。院長先生はなぜか「薬剤による治療です」という表現をされました。いやいや,これは長距離レースになるぞ,と覚悟せざるをえない状況になってきました。次回の診察は5月12日(月)。それまでに,わたしの方もそれなりの覚悟を決めておかなくてはなりません。

 が,まあ,今日のところは「なにを食べてもよろしい」というお墨付きをいただいただけで充分。そして,「驚異的な回復」のおかげで,つぎの治療計画に手がとどくようになった,といい方に頭を切り換えることにしましょう。折角,院長先生に褒められたのですから・・・。

 朝,曇っていた空が,帰りには晴れ上がり,ポカポカ陽気。気分がよかったので,あちこち眺めながら最寄りの駅まで歩きました。厚着をしてでかけましたので,うっすらと汗をかきました。この暖かい日差しはなにものにも代えがたい快感です。太陽の力は偉大です。ときどき立ち止まっては,顔を太陽に向けて「ジワーッ」とくる熱に身を委ねたり,手のひらで太陽の熱を受け止めたり,しながら散策気分を楽しみました。

 その気分に浮かれて途中で書店に立ち寄りました。突然,わたしの目に飛び込んできたのは宮武外骨の『アメリカ様』(ちくま学芸文庫)。大きな声で「買ってくれ」と言ってます。ですから,即,購入。そして,電車のなかであちこちめくっていたら,おやおや,という発見がありました。この話はまた,このブログで書くことにしましょう。

 とりあえず,今日のところは「なにを食べてもよろしい」という主治医のお墨つきをいただきました,というご報告まで。もちろん,お酒もOK。これがなにより。
 

2014年2月13日木曜日

恥ずかしながら,闘病中。なんとか,峠を越えました。

 鬼の霍乱?と友人たちにひやかされています。まったくもって健康には自信があったのですが,なんと生まれて初めて救急車なるものに搬送されました。こんなことは恥ずかしくてあまり言いたくはないですね。でも,事実ですので,とりあえず報告させていただきます。

 ブログが中断したのは,まさに,この理由です。このブログの読者にはわたしの知人も多くいらっしゃるようですので,その人たちに向けてことの顛末をかんたんにご報告したいと思います。

 2月5日の午後,突然の吐血。慌てて古くからの友人たちの力をお借りして病院を手配してもらいました。そして,すぐに搬送。応急手当てと内視鏡による検査。しばらく日にちが経ってからの病院長の話では「古典的な,典型的な胃潰瘍」だと笑われてしまいました。吐血の量がはんぱではなかったので,すぐに輸血を開始。輸血を三日間,もちろん,点滴も。ある程度落ち着いてきたところで,10日に再度,内視鏡による精密な検査。このなかには組織検査も含まれていました。同時につづけてCTによる検査。など,さまざまな検査を済ませました。その結果は13日に判明するとのこと。

 それが今日でした。その結果によると,組織検査はとりあえず「白」でした。ひとまず安心です。が,その他のデータに疑わしき点が多いので,慎重を期して,もう一度,組織検査をしたいということで,今日の午前に内視鏡検査をし,6体のサンプルをとりました。その結果は土曜日(15日)にわかるとのことです。

 いずれにしても,病院長さんの最初の予想以上に胃潰瘍の状態が悪いそうで,これからも慎重に見極めながら治療を進めていくとのことです。どうやら,長期入院になりそうです。

 かなり長期にわたって胃潰瘍があったはずで,よくもまあこんなにひどくなるまで我慢をしたものだ,と病院長さんにはあきれられてしまいました。要するに,早期発見早期治療が肝腎だということです。わたし自身ははっきりとした自覚症状もないまま,どこか変だ,どこか変だ,と思いながら,だましだまし生活をしていました。これがいけなかったようです。

 なにはともあれ,ストレスを受けやすいやわな人間であるということが,これではっきりしました。人はみかけによらないようです。これからはストレスをため込まないようにくれぐれも留意して生活したいと深く反省しています。

 いましばらくは闘病生活がつづきそうです。
 ですから,このブログも病室から発信することになります。
 とびとびになるかもしれませんが,どうぞよろしくお願いいたします。
 取り急ぎ,ことの顛末のご報告まで。

 

2014年1月6日月曜日

寒中お見舞い申しあげます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 寒中のお見舞いを申しあげます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 松の内が過ぎてからご挨拶をと考えていましたが,小寒に入りましたので,遅ればせながら「寒中のお見舞い」を申しあげます。

 じつは昨年12月中旬に,義姉を見送りました。長年,闘病生活がつづいていましたが,薬石効なく,残念ながらとうとう旅立っていかれました。

 というわけで,ことし一年は少し自重した生活を送りなさい,という天の声と受け止めたいと思っています。考えてみれば,50歳のときに「確率二分の一で癌」と診断された以外は,なに不自由なく過ごしてきました。いささか健康に対して自信過剰なところがありました。が,そろそろ気をつけなさい,という反省の契機と考えたい思います。

 けして無理をすることなく,できるだけ自然の流れに身をゆだねるよう努めたいと思います。つまり,加齢とともに,身心ともに下降線をたどるのは当然のことだ,ということをはっきり自覚したいということです。素直になだらかな下降線に従うこと,これがわたしにとっての「サクセスフル・エイジング」。

 しかし,最大の敵は「欲望」。とりわけ,「食欲」と「飲酒欲」。どこまで自律(セルフ・コントロール)できるかが問題。すべては自分自身の意志の問題。さりとて「欲望」は手ごわい。一筋縄では済まされません。さて,この最大の難題と向き合いながら,わたし自身がどのように対応するのか,その進み行きを存分に楽しみたいと思います。

 思い起こすことは,わたしの尊敬していた大伯父のこと。大伯父は,いつものとおり朝食をとって,大伯母がちょっと裏の畑に行ってくる間に,ひとりで布団の中に入って大往生をとげていた,といいます。それはそれはみごとなものだった,と聞いています。そのことが,いまも,強烈な印象として残っています。

 そういう晩年に尋ねていきますと,「お迎えがくるまじゃあ,生きとるだぁあやれ」と言って笑っていました。そして,「おしんとうはまだ若い。まっと飲め」と言ってコップ酒を薦めてくれました。ご本人もちょっとだけ嘗めるようにして飲み,真っ赤な顔になって,ご機嫌でした。つねに泰然自若。禅僧として「一道清浄」を貫きました。すごい人でした。

 この大伯父の座っているうしろの床の間には「平常心是道」という掛け軸がかかっていました。この書がまた,そのまま達観した世界を伝えてくれる,みごとなものでした。詳しくは,2011年11月08日のブログ「一道清浄妙連不染・考」をご覧ください。

 この大伯父の生き方には,とてもとても足元にも及びませんが,わたしにとっては大切な人生の指標であり,大きな目標です。ことし一年は,「般若心経」を唱えながら,大伯父を中心とした懐かし人びとの顔を思い浮かべてみたいと思います。

 取り急ぎ,寒中のご挨拶まで。
 

2013年12月4日水曜日

コメントが書き込めるようになりましたのでよろしく。設定を修復。

パソコンのことがよくわかっていないのに,あちこち触っているうちにこのブログの設定が奇怪しくなっていました。そのため,コメントを書こうとしても拒否されてしまう,という苦情が寄せられていました。なんとか直そうと必死になってやってみましたが,どうにもならないので半分あきらめていました。

が,チャンスの神様は偶然やってきて,やはり,わけもわからないまま「エイッ!ヤッ!」と気合でキーを叩いていたら,もとどおりになっていたようです。どうして,そのようになったのかわたしにはわかりません。しかし,ちゃんともどったようです。

その証拠に,今日,コメントが入っていました。そのコメントをみて,あっ,直っている,とはじめてわかりました。早速,アップしておきました。なんだか夢見心地のままで,寝起きの悪い,ぼんやりした頭のままです。でも,やはり,コメントが入ると嬉しいものです。

よほど意地悪なコメントでないかぎり,できるだけそのままアップしようと思っていますので,どうぞよろしくお願いいたします。そして,くださったコメントには,これは必要だろうと感じたときには,できるだけ応答するよう努力したいと思います。できるだけ,活発な意見の交換ができれば・・・・といまのところ考えています。

ということで,こんごともよろしくお願いいたします。
取り急ぎ,今日のところはここまで。
 

2013年11月17日日曜日

特定秘密保全法に反対する署名活動にご協力を。

 以前,このブログでも取り上げましたが,「特定秘密保護法案」の全文を熟読してみて,これは戦前の「治安維持法」の現代版ではないか,と空恐ろしくなりました。ふたたび,第二次世界大戦の時の戦時体制への備えを,いまから始めようという意図が丸見えです。いったい,この国の憲法第9条はどうなってしまったのか,そして,それよりなにより「国民主権」の憲法の精神を真っ向から否定するものにほかなりません。そんな恐ろしい法案が十分な審議もなされないまま,多数の暴力で押し切られようとしています。

 諸般の事情で,街頭デモには参加できない人も,せめて「署名」運動をとおしてその意志を表明することはできます。国民としての,ささやかな意志を,しかし,決然たる意志を国会議員に伝えたいと考えています。

 以前,「特定秘密保全法への反対を国会議員に請求するキャンペーン」が知人より送信されてきて,それに「賛同」しました。そして,「電子署名」をいたしました。が,それでは署名として認められないとのこと。そこで,本人の手書き署名をして,郵送して欲しいという依頼がありました。もう,残り時間もありませんが,緊急のお願いをみなさんにもいたしたいと考えました。まことに恐縮ですが,こころある人は,ぜひ,下記の方法で署名・郵送をしてくださるよう,お願いいたします。

 いろいろの経緯がありますが,現段階では,下記の団体が署名を国会議員のところに届けてくれることになっています。
NGOs Civilian Platform Japan
http://www.sonegoro.jp

 署名は以下のURLから署名用紙をプリントアウトして,本人の手書きで,名前・郵便番号・住所を記入してください。
https://drive.google.com/file/d/18HkglYx-eJEMjz8b8TqdGDzj84HquZs3cL5Q3ZTgw00IGoxGFgfs48S-hA09/edit?usp=sharing

郵送先は以下のとおりです。
〒279-8799
浦安郵便局留
千葉県浦安市富岡1-19-7
藤原節男様

 以上です。
 お手数をおかけしますが,よろしくお願いいたします。
 わたしも,ささやかではありますが,可能な範囲で,こんごもみずからの意志表明をしていきたいと考えています。重ねて,よろしくお願いいたします。

 取り急ぎ,お願いまで。

※〔追記〕署名用紙をプリントアウトできない場合には,その上に書いておきましたNGOs Civilian Platform Japan のURLを開いてみてください。ホーム・ページの下の方に,署名用紙のファイルを請求することができるようになっています。お手数ですが,よろしくお願いいたします。

2013年9月24日火曜日

「幕引き」への助走開始。蔵書,600㎏余を「T文庫」に寄贈しました。

 そろそろ「幕引き」のことを考えなくてはいけません,と数年前の有馬温泉でNさんに教えられ,ハッとしたことを昨日のことのように記憶しています。しかし,身心ともにどこも違和感がなかったものですから,まだまだいいのでは・・・・?とあまく考えていました。それでも,ことしの3月には75歳となり,自分の年齢を他者化してみてびっくり仰天。そうかぁ,お前ももう75歳かぁ,と。74歳と75歳では大違いだということを実感しました。つまり,単なる数字以上の違いがそこにはあるということです。言ってしまえば,四捨五入すれば80歳,というそんな感覚です。

 そこで,なんとか「幕引き」のことを具体化しなくてはなるまい,と覚悟しました。で,まずは,以前から考えていた蔵書を,もう,おそらく二度と開くことはないだろうと思われるものだけでも,どこかに寄贈しようと決断しました。そこで,以前から,かれなら喜んで引き受けてくれるのではないかと心づもりをしていたTさんに相談してみました。予想どおり,大きな声で「喜んで!」と言ってくれました。よし,以心伝心。これが一番。

 その実行を済ませて,いま,なんとも清々しい気分です。もっと寂しさがくるのでは・・・と密かに心配していましたが,そんなことはありませんでした。むしろ,どの部屋も廊下もあらゆる隙間は本に占拠されていましたので,それがなくなったお蔭で,あちこち,余白ができました。その余裕といえばいいでしょうか,遊び空間に救われて,ほっとした気分です。長年の,本に占拠された生活から開放された喜びです。

 今朝(24日),10時30分に日通(以前から頼んであった)がやってきて,あっという間に運び出しました。段ボール箱(やや大きめ)にして27個。コンテナー一つに約30箱は入ると聞いていましたので,安心して出しました。ところが・・・・・です。日通の人の言うには,コンテナー一つの計算は,段ボール箱一つで約20㎏,それが30個で,合計600㎏,なのだそうです。ところが,わたしの出した段ボール箱はやや大きめのサイズ。しかも,箱の内容によっては30㎏を優に超えてしまうものもいくつかあることは,わたしが一番よく承知しています。日通の人は,申し訳なさそうに,一つのコンテナーに600㎏以上を詰めてしまうと,途中で事故を起こす可能性があるので,コンテナー二つでお願いしたい,と。とても感じのいい若い男性でしたので,わたしは素直に了解することにしました。しかも,愛着のある大事な本ばかりですので。

 この本の箱詰めのために,娘夫婦に応援にきてもらい,しかも,Tさんにも手伝ってもらいました。Tさんには,どこの運送屋が安上がりで,仕事内容の評判がいいかまで調べてもらい,予約の交渉まで全部してもらいました。おんぶにだっこ,とはこのことです。合計3人の若者(いや,中年?)が,21,22,23日の三日間,いっぱいいっぱい働いてくれました。お蔭さまで,無事にこの作業を終えることができました。

 Tさんには,「T文庫」として受け取ってもらい,あとは,どのように処分しようと好きなようにしてください,とお願いをしました。かれは律儀にも,文献リストを作成して,どんな本があるのかわかるようにしたい,と言ってくれました。それは大変なことですので,あまり無理しなくてもいい,と話した次第です。いずれは,いま,手元にある蔵書も,すべて「T文庫」に寄贈することになっています。ので,もし,目録をつくってくれて,親しい人たちだけにでも配布し,閲覧できるようにしてくれたら,こんな嬉しいことはありません。

 あとはTさんのアイディアで,これらの本が近所の子どもたちの手垢にまみれるようにしていただけたら,もっともっと嬉しいかぎりです。もっとも,子どもたちには見せられない本もなかには混じっていますが,それもそっと潜ませておくといいのでは・・・などとわたしは勝手に想像しています。どの本もすべて「身体文化」にかかわる本ですから。とりわけ,動物性への回帰願望を充足させることは,これからの時代はとくに大事です。などと理屈をこねて合理化することにしましょう。

 こうして,まずは,Nさんに忠告された「幕引き」の第一歩を踏み出しました。どこかでそのきっかけを作らなくては・・・・と思ってきましたが,これが一番いい方法だったように思います。さて,かくなる上は,つぎなる方法をこれから考えようと思います。もう,いい加減,惚けてきていますので,ものごとがある程度きちんと判断できるうちに「幕引き」は完了させたいと思っています。なにかいいアイディアがありましたら,教えてください。

 今回は,「幕引き」の第一歩を踏み出しました,というご報告まで。
 

2013年9月21日土曜日

8年間,愛用したパソコンがクラッシュしてしまいました。

 20日締め切りの原稿があって,この原稿をどのように書こうかと18日の真夜中まで考えていました。そうして,だいたいの方針が決まり,よし,明日(19日)の朝から集中して一気に書こうと思って眠りました。粗削りでもいいから,とにかく書き上げておけば,20日,一日かけて推敲すればなんとかなるだろう,と考えていました。20日締め切りとは,わたしの頭のなかでは,20日の深夜12時前までと了解しています。

 19日朝,気合十分に,さあ,原稿を書くぞ,と自分に言い聞かせてパソコンに向かいました。ところが,です。パソコンがいつものようには立ち上がりません。ブルーの画面に白抜きの文字がでてきて,パソコンが壊れている,Ctrl+Alt+Delを押して,Restartせよ,と書いてある。指示どおりにこれをやってみる。しかし,何回やってみても,すぐに同じ表示がでてきます。その繰り返しだけ。

 時間がどんどん過ぎていきます。なんとか早く回復させて,一刻も早く原稿にとりかかりたい。でも,どうにもなりません。わずかしかないパソコンの知識を総動員して,あれこれ試してみますが,埒があきません。そういえば,最近になって,「パソコンが危険な状態です」という表示がしばしば現れて,「おやっ?」とは思っていたのですが,無視して使いつづけていました。が,とうとう,動かなくなってしまった,というのが実情です。やはり,パソコンの指示にはしたがって,早めに直しに出さなくてはいけなかったようです。

 そんな反省もこめ,とうとうあきらめて,新しいパソコンを買おう,と決心したのは昼近くでした。わたしの場合は,Fujitsuの親指シフト,という特殊事情があります。ですから,ふつうの量販店には置いてありません。それに,すでに生産は中止していて,特注だということも聞いていました。でも,たった一軒だけ(たぶん,そうだと思います),Fujitsuと特約して,わたしが愛用している「親指シフト」を特注して扱っている店があります。それは表参道の駅近くです。以前にも,持ち運びのできる小型のノートを買ったことがあります。

 もう,迷うことなく一直線にその店(Access)に向かいました。若い男性の,とても親切な店員さんが応対してくれました。壊れたパソコンも持っていきましたので,みてもらいました。よく使い込んでありますねぇ,キーボードの文字が消えていますねぇ,この型のパソコンは近頃見かけたことがありません。ああ,2006年の製品ですねぇ。いや,これだけ使ってもらえたら,パソコンも喜んでいるでしょう。などといいながらコードをつなぎ電源をいれたら,すぐに見慣れた画面が現れました。店員さんは,「あっ,これはハード・ディスクの寿命ですね。直りません。」という。

 じゃあ,新しいのを買います,とわたし。幸いなことに3台ほど店に置いてありました。機種も機能も選択肢はなし。これでよければ・・・と店員さん。もちろん,発注すればいろいろの機種があります。が,お急ぎであれば,この機種だけになります,と店員さん。わたしの方は,すぐに帰って仕事をしなくてはならないので,ここにあるもので結構です。セットアップして使えるようにしてください,とお願い。

 壊れたパソコンのハード・ディスクから,どのくらい修復できるかどうかはわかりませんが,やれるだけのことをやってみます。2時間ほど時間をください,と店員さん。

 時間をみたら午後1時。久しぶりだから,スパイラルで昼食でもしながら,原稿のメモでもとっていれば,2時間はすぐだろう,と考えながら歩きはじめました。青山通りを挟んで向かい側です。目的のスパイラルに入ってみましたら,内装が変わって,以前の,あの天井が抜けるような空間がありません。わたしからすれば,余分としかいいようのない吊り天井がぶら下がっていて,照明もやや暗くなっています。

 これは違うと直感。すぐ近くに青山学院大学があります。ここは,しばしば研究会で使わせてもらっているので,学生食堂の空間もメニューもよく知っています。この時間ならたぶんすいているだろう,と考え直行。予想どおり。一番奥の四人掛けのテーブルを独占して,食事をし,メモをとりました。とても静かで,空間も広くて,快適です。

 午後3時に,店にもどりましたら,もう,しばらく時間をくださいとのこと。で,そのパソコンに仕事をさせながら,別の画面を開いて,いろいろ説明をしてくれました。わたしの知りたかったことをいろいろと教えてくれましたので,とても助かりました。これからちょくちょく訪ねてくるので,よろしくとご挨拶。店員さんが名刺をくれました。

 店をでたときには午後4時を過ぎていました。大急ぎで帰宅して,すぐに原稿にとりかかろうとしましたが落ち着きません。いつもチェックするメールをみると,こういうときに限ってよくあることですが,大事なメールが入っていました。その応答をしたり,ブログをチェックしたりしているうちに,落ち着いてきました。

 まあ,とにかく原稿を書かないことにははじまりません。一区切りつくところまで,と書き始めたら止まりません。気がついたら夜中の12時を過ぎていました。慌てて,夕食を済ませて,とにかく眠ることに。

 翌日(20日)も朝から奮闘。まあ,とにかく書けたところを推敲しては,つぎを書く,全体の流れを確認しながら推敲しては,つぎを書く,これの繰り返し。なんとか結末まで書けたのが夜の9時。そこから,最後の推敲(事実確認のための校閲もかねて)を終えたのが夜の12時直前。ここで目をつむって,直ちに,編集者宛に送信。

 それから,夕食(好物の麻婆豆腐)。ビールを少々。
 なんとか責任をはたすことができて,やれやれ。熟睡でした。いや,バク睡でした。

2013年8月12日月曜日

連日,各地で40℃を超える記録的な猛暑,お見舞い申しあげます。

 この連日の猛暑のなか,みなさんはいかがお過ごしでしょうか。それもただの猛暑ではありません。75歳になるわたしの記憶にもない,まさに記録的な猛暑です。連日,熱中症注意報が呼び掛けられています。かと思えば,局所的な集中豪雨。こちらも大きな被害が各地ででています。狂っているのは人間だけだとおもっていたら,とうとう自然現象まで狂いはじめています。こころなしか,蝉の鳴き声もいつもよりは弱々しく聞こえます。

 そんななかお盆休みの帰省ラッシュです。自動車にしろ,新幹線にしろ,家族での大移動,たいへんなことです。どうやら,お盆すぎまでこの猛暑はつづきそうです。そして,甲子園では高校野球が真っ盛り。あのグラウンドの上は40℃ははるかに超えているだろう,といつもの年でも聞いています。ということは,ことしのこの猛暑ではどのくらいの暑さになっているのでしょうか。気が遠くなりそうです。でも,そんな猛暑をものともせず,連日,熱戦を繰り広げています。鍛えられた球児たちの元気な姿に勇気づけられます。

 その一方では,こんな記録的な猛暑のなかで甲子園大会を開催すべきではない,という意見もあります。みなさんは,この意見をどのようにお聞きでしょうか。この議論はいつか,きちんとしておきたいとおもいます。

 お盆といえば,あちこちの店でお盆用品をセールしています。驚いたのは,どの店もほとんど同じような商品を並べているということです。そういえば,しばらく前からお墓の前のお供えが,どうも変だなぁ,とおもっていたら,こういう商品が多く出回っているということが一因のようです。ことしはとくに顕著だ,とわたしには感じられます。それは,お花もお供えもみんなプラスチック製だということです。せめて,お花くらいは生花を供えたいところ。そして,故人の好きだったお酒の瓶もビール缶もプラスチック製の小型の模造品。ご飯や煮物,そして,お饅頭もみんなプラスチック製。まことに合理的。衛生的。後片付けも,つぎに来るときまでしなくていい。

 でも,近代合理主義の考え方がここまで浸透してしまったのか,とわたしなどは気持ちが滅入ってしまいます。寺で育ったわたしは,敗戦直後の食べ物もままならなかった時代に,仏様へのお霊供だけは白米のご飯(われわれはサツマイモの混ぜご飯)に季節の煮物(できれば初物)を炊いて,まっさきにお供えするのが,当たり前のことでした。そのあとで,わたしたち家族の朝食でした。そして,夕方にはお霊供をさげてきて,家族で等分に分けていただくのです。白いご飯が食べられなかった時代には,それだけで,ご馳走であり,嬉しかったものです。

 ですから,この時代のお墓やお位牌の前に供えられるものも,みんな農家で採れた野菜や果物でした。それも一番,立派なものが供えられました。つまり,ご先祖様への感謝や祈りの気持ちがつよく表れていたのだとおもいます。その信仰心の強さ,深さは,いまとくらべたら問題になりません。朝夕に祈る老人の姿は,どこの農家でも日常的にみかけたものです。

 が,アメリカの占領軍という名の戦後民主主義は,日本の伝統的な生活様式の「合理化」を強制しました。農村にも「生活合理化運動」なるものが浸透して,日曜日に農作業をしてはいけないとか,夜なべをしてはいけないとか,まさに,キリスト教国アメリカのスタンダードの押しつけでした。こどもたちには,方言をしゃべることが禁止されました。

 この話ははじめてしまいますとエンドレスですので,今日のところはここまで。いずれにしても,アメリカン・スタンダードの押しつけは敗戦直後から,じつにきめ細かく行われたことは間違いありません。そうしたキリスト教的・科学的・合理的な生活改善運動が,日本人の伝統的な信仰心を著しく破壊したことは間違いありません。いわゆる儀礼廃止という名のもとに。

 そのゆきついた典型的な事例が,プラスチック製のお供えものです。わたしが死んだら(もうすぐの話),そんな供え物なら要らない,と断ります。沖縄では,亀墓の前で,立派なお供えものを並べたあと,親族一同で小宴会を催す,とも聞いています。これなら大歓迎。こうした信仰心の深さと,人間のこころの優しさとは無縁ではない,とわたしは考えています。

 お盆のお参りに帰省もしない親不孝者であるわたしは,遠く離れた,この場所から般若心経を唱え,気持ちだけをご先祖さまと両親に送り届けたいとおもっています。

 みなさんは,どのようにこのお盆休みをお過ごしでしょうか。
 いずれにしても,この猛暑,こころからお見舞いを申しあげます。

 あと一週間もすれば涼しい風が吹きはじめるのではないか,とひそかに期待しています。エアコンをもたないマンション生活は,窓から入ってくる風のみが頼りです。早く,秋の気配を感じたい,と首を長くしているところです。

 この猛暑,お互いに無事に乗り切ることができますように。

2013年7月16日火曜日

『スポートロジイ』第2号,まもなく刊行。ちらし広告がでました。

 21世紀スポーツ文化研究所編『スポートロジイ』第2号のちらし広告が送られてきました。まもなく見本誌がとどくとのことです。楽しみです。予定では,来週の後半には書店に並ぶとのこと。いまのところ順調にきていますので,間違いないでしょう。

 詳しい内容については,このちらし広告を拡大して確認してみてください。もし,このちらし広告が必要だと仰る人はコメント枠を利用して住所をお知らせください。住所の記入してあるコメントは非公開にしますので,ご安心ください。

 なお,同じちらし広告を,21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)のホーム・ページにも掲示しておきましたので,そちらもご覧ください。こちらには表紙のPDFも掲示してあります。


 ついでですので,創刊号のちらし広告も載せておきます。こちらもご笑覧いただければ幸いです。もちろん,残部がありますので,星雲社にFAXしてみてください。

取り急ぎ,コマーシャルまで。


2013年7月2日火曜日

『スポートロジイ』第2号,表紙の色校正がでる。


 『スポートロジイ』(「ISC・21」=21世紀スポーツ文化研究所紀要)第2号の表紙の色校正がとどきました。写真ではうまく撮れませんでしたが,シルバーの,つやのあるなかなかおしゃれな表紙になりました。キャデックの井上登志子さんにお願いしました。創刊号の「水色」を,こんどは「シルバー」にしてみました。

 コンセプトは「水のなかに水がある」と「舞い躍る」と「無頭人」。頭の部分にはうっすらと八つの水玉。こんなやっかいなわたしの注文に井上登志子さんが応答してくださったのが,創刊号の作品。それの色違いということで第2号のシルバー版です。

 夜の写真撮影でしたので,シルバーが反射してしまって,ずいぶんと苦労しました。電灯の光をそらすような角度に被写体であるこの表紙をセットすると,反射が少なくなるということも初めて知りました。いろいろとやってみるものです。

 さて,それはともかくとして,特集 I グローバリゼーションと伝統スポーツ,特集 II ドーピング問題を考える,の二つの特集が眼に飛び込んできます。以前にも書きましたように,特集 I には、今福龍太,竹村匡弥,松浪稔,井上邦子,西谷修氏の玉稿がならびます。そして,特集 II には,伊藤偵之,橋本一径の両氏による,ドーピング問題を考えるためのとっておきの情報が上梓されています。おそらく大きな話題になること必定と確信しています。

 このほかにも,西谷修さんの手になる「書き下ろし」原稿が掲載されます。ナオミ・クラインの『ショックドクトリン』を俎上に乗せて,「自由主義」の由来について徹底的に論じています。眼がくらむような論の展開のなかに,わたしたちのスポーツ史・スポーツ文化論を考える上での重要なヒントも無数に埋め込まれています。

 そして,最後に,拙稿の「バタイユ読解」が研究ノートとして掲載されます。創刊号に書いたものと連動するものですので,ぜひ,読んでみてください。

 このままの進行でいきますと,7月16日(火)に見本が,そして,7月23日(火)には書店に並ぶとのこと。ぜひ,書店で手にとってみてください。発行・みやび出版,発売・星雲社。定価・本体2,400円+税。

 いよいよ現実味を帯びてきました。どうぞ,よろしくお願いいたします。
 とりあえずのご紹介まで。

2013年6月28日金曜日

柴田晴廣さんからのコメント,とても魅力的。夢が広がります。

 今日(28日),柴田晴廣さんからたて続けに2本のコメントが入りました。いずれも,とても魅力的で,夢が広がっていきます。こういうコメントは大歓迎です。わたしのちょっとした思い出や感想をもとに,史実にもとづく新しい知見を提示してくださり,ありがたいかぎりです。

 こういうコメントには,きちんとわたしからの応答をすべきところですが,いま,ちょっとタイミング的に時間がありませんので,いずれ,チャンスをみつけて応答してみたいとおもっています。今回は,とりあえず,ご紹介だけにとどめたいと思います。みなさんにも読んでいただいて,感想なり,ご意見なりを寄せていただければと思い,このブログを書くことにしました。

 ひとつは,6月26日のブログ:「サツマイモ畑に花が咲く,という話」。このブログに対して柴田さんは,東三河に甘藷をひろめたのは「牛窪村の喜八」(河合喜八)だと菅江真澄が書き残している,と指摘してくれました。菅江真澄が東三河の人であることはわかっているのですが,じつは,その出身地を特定することはできないままになっています。柴田さんも必死で追求していらっしゃるようですが,どうも牛窪(現・牛久保)のあたりだったのではないか,と推定。わたしは,牛久保の近くの大村町の「白井家」のどこかではないか,と推定。問題は,菅江真澄が最後までみずからの出自を明らかにしなかったという事実にあります。なぜか,隠す必要があったようです。

 そこからはじまって,芋切干の起源は御前崎という説を紹介してくれています。さらに,御前崎がらみの話を展開させて,「かんかんのう」や「かんかん踊」のもうひとつのルーツも御前崎だったという話を三田村鳶魚の記述から引いて紹介してくださっています。この博識ぶりに感服です。じつは,「かんかんのう」や「かんかん踊」にもいささかわたしは興味をもっていましたので,ありがたい情報提供をいただきました。詳しくは,柴田さんのコメントで確認してみてください。いやはや,その博識ぶりは驚くべきです。

 もうひとつのコメントは,同じく6月26日のブログ:「日本は尖閣諸島を国有化したときから戦時体制に入ったのか?河野洋平親子,鳩山由紀夫,野中広務は国賊?恐るべき言論統制」。できるだけ中味がわかる方がいいと考え,長ったらしいタイトルになってしまいました。が,このブログに対して柴田さんは,「支那」という呼称について取り上げ,つぎのように論じています。昭和21年6月21日に外務省が「『支那』は中国の蔑称なので,使用は極力避けるように」という通達を出しているにもかかわらず,どこぞの御仁はこの「禁句」を好んで用い,あまつさえ,寝た子であった「尖閣諸島」をわざわざ過激に挑発して,とうとう大変な事態を引き起こしているにもかかわらず,維新の会の共同代表をつとめて平然としている,と。しかも,「維新」の語源まで引いて,その精神に反する,というなかなかサビの効いた論を展開してくれています。

 どちらも長いコメントになっていますが,なかなか味のある論考を展開されていますので,ぜひ,柴田さんの原文にあたって,存分に堪能してみてください。

 というわけで,とりあえず,柴田晴廣さんのコメントのご紹介まで。
 できれば,柴田さんのコメントに,さらに応答するようなコメントを寄せていただけるとありがたいのですが・・・・。これは,読者のみなさんへのわたしからのお願いです。よろしくお願いいたします。

2013年6月24日月曜日

4日間,部屋の片づけと格闘していました。久し振りの体力勝負。疲労困憊。全身,筋肉痛。でも,いたって元気。

 今週の木曜日(20日)から4日間,ぶっ通しで部屋の片づけをしていました。片づけといっても,ただの片づけではありません。築30年を経過した古いマンションですので部屋の下をとおっている給排水管を全部,新しいものと取り替える工事が7月中旬に予定されていて,その工事のためのスペースをつくらなくてはなりません。

 簡単に言ってしまえば,四つある部屋のうち二つの部屋を空っぽにしなくてはなりません。ですから,四つの部屋にびっしり詰まっていた荷物(そのほとんどは書籍と古くなった書類,雑誌類,など)を二つの部屋に移動させなくてはりません。が,そのスペースはまったくありません。では,どうするか。すべての部屋に分散しているすべての荷物を総点検して,必要最小限のものを残し,あとはすべて廃棄処分にする,そうして,絶対量を半分に減らす,というところからとりかからなくてはなりません。そこで,まずは,そのための区分けがたいへんだ,というわけです。

 しかも,この区分けは他人さまにお願いできる仕事ではありません。ただ,ひたすら,わたしの決断ひとつで「えいやっ!」と決めるしか方法はありません。この決断がたいへんでした。残すか残さないかの判断の基準などというものは,そんなにかんたんには決まりません。少しずつ作業をしながら,このあたりが選別のラインかな,というところが少しずつみえてきます。それでもなお,その日の気分によって,午前と午後では変わってきてしまいます。まあまあ,そんな具合でもっぱら自分自身と葛藤していました。「捨てる」ということはとてつもなく勇気の要る仕事だ,とあらためて知らしめられることになりました。

 その上で,区分けして残すものを段ボール箱に詰めて,ビニール袋をかぶせて,ベランダに積み上げる仕事と,廃棄処分にする書類や書籍・雑誌などを縛ってリサイクル資源にまわすものと,一般のゴミ処分にするものとを区分けしなくてはなりません。

 ですので,後者の仕事は,沖縄から二人の助っ人を依頼して,強引に呼び寄せ,手伝ってもらうことにしました。が,終ってみれば,この二人の助っ人が大活躍。一人はわたしの区分けしたもののうち,廃棄処分にしたものを再チェックしながらロープで縛る仕事をしてくれ,もう一人は保存する書籍を段ボールに詰めて,ヴェランダに積み上げる仕事(その前に,すでにヴェランダに出してあった大量のゴミを処理して,大掃除をする仕事がありました)に取り組んでくれました。この二人がみごとに獅子奮迅の大活躍をしてくれ,大助かりでした。

 沖縄からやってきた助っ人は身内の若い二人で,気力も体力も集中力もすっかり衰えてしまったわたしなどとは比べ物にならないほど,長時間にわたり,じつに内容のある仕事をしてくれました。若さはすごいなぁ,とあらためて感心してしまいました。

 それでも,最終ゴールまでは到達できませんでした。が,全体計画のほぼ7割は終わりましたので,あとの3割の仕事はわたしがひとりでこつこつとやることになります。でも,あと少しと,そのゴールはみえていますので,なんとかやり切れるのではないか,とほっと一息です。

 今日(23日)の午後5時で仕事を打ち切り,助っ人は羽田に向かいました。最寄りの駅まで見送って,戻ってきたら,どっと疲れがでてきたので,とりあえず,シャワーを浴びて,ひと眠りしました。それから夕食の支度をして,泡盛を少々。またまた,眠くなり,またひと眠り。ふたたび起きてきたら,こんどは早くも全身筋肉痛。おやおや,ず。久し振りの体力勝負で精根つきはて,筋肉まで音をあげているようです。

 少しからだを休ませて,また,残りの作業に取り組みたいとおもいます。
 病気をしていたわけではありませんので,どうぞ,ご安心ください。
 取り急ぎ,ブログを休んでしまったいいわけまで。

2013年6月19日水曜日

スポーツのグローバル化とドーピング問題にどう向き合うか。

 「スポートロジイ」(Sportology=スポーツ学)と銘打つ新たな「学」を立ち上げ,その実績を世に問うために,われわれはどこから手をつければいいのか,と考えつづけてきた。当然のことながら,しかるべき手順を踏んで,一歩一歩前に進むべきではないか,と悩み考えた。しかし,そういう近代的なアカデミックな方法論の呪縛にとらわれているかぎり,モダニティに取り囲まれたフィールドの内側でのリング・ワンデルングから抜け出すことはできない,と気づく。ならば,モダニティの呪縛の外に飛び出し,まずは,隗より始めよ,である。

 われわれ「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の研究員が,ここ数年にわたって取り組んできた研究テーマのひとつは「グローバリゼーションと伝統スポーツ」であり,もうひとつは「ドーピング問題」であった。前者のテーマについては,2012年8月に開催された第二回日本・バスク国際セミナー(神戸市外国語大学主催)で議論され,一応の成果をあげえたと考えている。そして,後者のテーマは「ISC・21」が主催する月例研究会でたびたび議論を積み重ねてきたものである。そこで,この二つのテーマを第二号の特集テーマとして設定することにした。

 第一特集・グローバリゼーションと伝統スポーツには,国際セミナー開催時に特別ゲストとして参加していただいた今福龍太,西谷修の両氏による基調講演が収められている。お二人とも,「ISC・21」の月例研究会にも何回も足を運んでくださり,わたしたちの意とするところを充分にくみ取ってくださった上での基調講演である。「スポートロジイ」の新たなる可能性に道を切り開く貴重な示唆に富んでいて,わたしたちを大いに勇気づけてくれる内容になっている。また,それに呼応するようにして若手研究者による原著論文三本がつづく。これまでの閉塞的な研究方法論の枠組みを悠々と乗り越え,伸びやかな感性のもとで魅力的な論考を展開している。


 第二特集・ドーピング問題を考える,の二本の論考もまた鮮烈をきわめる。一本は,これまで門外不出とされてきたドーピング・チェックの世界にメスを入れた元ドーピング・ドクター伊藤偵之さんによる研究報告である。眼からウロコが落ちる,そういう情報に圧倒されること間違いなし,の論考である。もう一本は,フランスの哲学者パスカル・ヌーヴェルによるドーピング問題の核心に触れる論考である。アンチ・ドーピング運動の正当性が根底から揺さぶられる問題提起になっている。橋本一径さんの手になる気合の入った翻訳紹介。いずれも本邦初公開であり,ドーピング問題に関心をもつ人にとっては必見・必読の論考である。

 これらの特集に加えて,もう一本の貴重な論考を上梓した。わたしたちの月例研究会では,ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン──惨事便乗型資本主義の正体を暴く』上・下(幾島幸子・村上由見子訳,岩波書店,2011年)の読書会を積み上げ,議論を重ねてきた。そして,最後にその仕上げの意味で西谷修さんを囲む「合評会」を開催した。そのときのメモリアルとして西谷修さんが書き下ろしの論考を寄せてくださった。わたしたちの熱意に応答する西谷さんの渾身の力作といっていい。グローバリゼーションとはどういうことなのか,を考えるための重要な礎を得た思いである。いまも加速しながら進展をつづけるスポーツのグローバリゼーションの問題系を考える上で,これからますます重要視される論考になることは間違いないだろう。

 最後に,「スポーツとはなにか」という根源的な問いをつねに内に秘めつつ,その問いに応答しうる思想・哲学的な根拠を求める「研究ノート」(スポーツの<始原>をさぐる──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして)を掲載した。なぜ,ジョルジュ・バタイユの思想に注目するのか,なぜ,「スポートロジイ」の根拠をそこに求めようとするのか,を明らかにしようという意欲作である。

 以上が第2号の概要である。

 21世紀のスポーツ文化を模索する「ISC・21」の研究紀要『スポートロジイ』の第2号が,西谷修,今福龍太,橋本一径,伊藤偵之の四氏の力強い後押しによって,無事に世に送り出されることをこころから感謝したい。そして,これを励みに,毎月開催している月例研究会により一層の情熱をそそぎたいと思う。さらには,今日から,第3号の発行に向けて準備に取りかかりたい。

 併せて,読者のみなさんの忌憚のないご批判をいただければ幸いである。

 2013年6月15日 ようやく梅雨らしくなってきた空を見上げながら
             21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)主幹研究員 稲垣正浩

 これは『スポートロジイ』第2号の「巻頭のことば」の全文です。今日(19日),初校ゲラがでてきて,再度,読み直してみたら,第2号の概要を簡潔に紹介していることがわかり,これは早速に,このブログでも紹介しておこうと考えた次第です。編集を担当してくださっているみやび出版の伊藤雅昭さんも「とてもいい内容になりましたね」と応援してくれました。わたしも,そう思っています。ちょっとした話題になるのではないか・・・と楽しみです。

 ということで,『スポートロジイ』第2号の前宣伝まで。