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2015年8月12日水曜日

とうとう見切り発車。川内原発再稼働。危険がいっぱい。いったいだれのために。

 フクシマの大惨事はいまもつづいている。しかも,情況は悪化の一途をたどっているという。というか,手も足も出せないまま,じっと見つめているだけだ。メルト・ダウンした核燃料の行方は杳としてわからないままだ。一説によれば,すでに,臨界点に達していて,数回にわたって水蒸気爆発が起きている,ともいう。その証拠写真もネット上で流れている。が,いずれにしても,いつ,なにが起きても不思議ではない状態がいまもつづいている。そのエネルギーは,広島原爆の500個分に相当するという。巨大な地震に揺さぶられれば,それらが一気に爆発する可能性はきわめて高いとも。

 そうなったら,すべてはおしまいである。

 こんな危機的な状態にあることには蓋をしたまま,川内原発再稼働に踏み切ったアベ政権。いったい,だれのための再稼働なのか。なにを考えているのか。

 これほどまでに再稼働にこだわるには,それなりの理由があるはずだ。しかし,それは口が裂けても言えない理由だ。つまり,まったく不純な動機にその端を発した理由だ。時代劇でよくあるシーンと同じ理由だ。「越後屋,お主も悪よのう」のあれだ。こんなことをアベ政権は,ひた隠しにしながら,やろうとしているのだ。

 アベ政権は,やはり,退陣願う以外にはない。

 原発再稼働も,安保法案同様,それを「正当化」する論理的根拠はどこにも見当たらない。もし,あるのなら,アベ政権は責任をもって,文書にして提示し,国民的議論を経たのちに,再稼働に踏み切ればいい。当然のことながら,再稼働にともなう利害得失を一覧にして,その収支決算を明確にした上で,再稼働というのが筋である。

 しかし,それはできないのだ。それをやればやるほど,根拠のなさが露呈してしまうからだ。だから,原子力規制委員会に丸投げにして,アベ政権は責任逃れをはかる。それでいて,「世界でもっとも厳しい規制基準」で審査された結果であるから,それを信じて再稼働に踏み切る,と大見得を切る。しかし,その規制基準とて,IAEA(国際原子力機関)の基準に達しているかとうかは疑わしい,という。にもかかわらず,「世界一,厳しい規制基準」だとアベ・ソーリーは嘯く。こういう根拠のない嘘をつくのは,すでに,常習化している。

 これほど,みえみえの嘘が平気でつけるソーリーも珍しい。

 今回もまた,嘘で塗り固められた「原発再稼働」に踏み切った。こんな無茶苦茶な,民意を無視した強引なやり方をすれば,アベ政権支持率はまたまた激減するだろう。なぜなら,国民の「命」がかかっているのだから。この国民の「命」を軽視する発想の杜撰さは安保法案と同じである。けしからん。国民の「命」を,まるで将棋の駒とでも考えているらしい。

 原発再稼働は,なにがなんでも許されない。最低でも,国民的合意がえられるまでは「棚上げ」にしておくべきだ。使用済み核燃料の処分方法もみつからないままの見切り発車は,断じて許されるべきではない。

 こうなったら,安保法案を廃案に追い込み,アベ・ソーリー退陣のための「花道」を用意する以外にはない。そのためには,全国ネットでひろがりつつある抗議行動で,みずからの意思を表明することに全力を傾ける以外にない。そういう,強い決意を,いまこそ。

2015年2月21日土曜日

じわじわと広がっている放射能汚染。それでも原発再稼働なのか。

 あれからまもなく丸4年になろうとしています。

 
手も足も出せない放射能汚染。空に向かって拡散しつづけ,山林や平地に積もった放射能汚染は雨に流されて河川へ,そして沼や海洋に流れこむ。ただ,これあるのみ。必死になって掻き集めた汚染物質も行き先不明なまま,山積みにされ,放置されるのみ。

 
時間の経過とともに,わたしたちの記憶が徐々に,徐々に薄れていく間にも,放射能汚染はまぎれもなく蓄積され,新たな事態へと進展をつづけています。

 千葉県の手賀沼といえば,東京都からもすぐそこ。その手賀沼の底土が放出セシウムによって高濃度に汚染されている,といいます。ということは,濃度の差こそあれ,東京都の河川や湖沼もそこそこ汚染されている,と考えていいでしょう。

 しばらく前の東京新聞の報じたところでは,東京都新宿区の測定ポイントの放出セシウムが驚くほど高くなっている,とのこと。そのときの測定では,遠く離れた三重県でも高濃度が検出された,といいます。もはや,放射能汚染国家の態をなしつつあります。

 この進み行きに対して政府・自民党は手を拱いているだけ。まるで,「under control」と言わぬばかりに・・・。のみならず,原発再稼働ありきの政策を推し進めつつあります。いったい国民の命をどのように考えているのでしょうか。

 口を開けば,「国民の生活と安全を守るために」とアベ君はまるで「お題目」のように繰り返します。それでいて原発再稼働であり,原発輸出をめざしてまっしぐら。

 いったい,どういう知性と情動の持ち主なのでしょう。そのアベ君を一丸となってサポートする自民党議員たちとは,いったい,どういう「生きもの」集団なのでしょうか。わたしの辞書にはそのための語釈はありません。困ったものです。

 いま,政府自民党のセンセイたちに必要なものは,幼い子どもをもつ母親の「目線」でしょう。そんなにむつかしいことではありません。素直な眼とこころで,この子どもたちの未来を考えるだけでいいのです。政治とはそういうところから出発するものではないですか。アベ君。

2014年4月12日土曜日

とうとう「原発稼働ゼロ」方針を撤回した安倍政権。原子力ムラのいいなり。

 どさくさに紛れて矢継ぎ早に「閣議決定」というカードを切り続ける安倍政権。国民は「猫だまし」にあったように,一瞬,あっと驚くが,翌日にはまた新たな「閣議決定」。これが繰り返されると,それが日常化してしまい,国民の多くは「思考停止」してしまう。テレビは「首相談話」だけを一方的に繰り返し垂れ流す。国民の圧倒的多数は無意識のうちに「操作」され,いまや,官邸のいいなり。いや,官邸を動かしている原子力ムラのいいなり。

 その結果は,なにより「国民不在」。いや,「国民無視」である。いやいや,国民は虫けら同然。使い捨て自在の道具でしかない。原子力ムラと官邸は一心同体となって,国民の命を犠牲にして,みずからの利益を守ることに猛進。その姿勢が,恥じも外聞もなく,露骨にでてきた。ただ,それだけの話。それが自分たちの首を締めることに等しいということも知らずに・・・・。

 「政府は11日,国のエネルギー政策の指針となる新たな『エネルギー基本計画』を閣議決定した」。これが今日(12日)の東京新聞一面のトップ記事の書き出しである。つづけて「原発を『重要なベースロード電源』と位置付け,原子力規制委員会の基準に適合した原発を再稼働させ,民主党政権が打ち出した2030年代の『原発稼働ゼロ』方針を撤回することを正式に決めた」と報じている。

 そこで,この基本計画をチェックしてみる。そこには,再生可能エネルギー導入をも最大限加速させ,その後も積極的に推進する,というようなとってつけたような文言も入っている。実際にも,テレビで流れた首相談話でもこのことを力説している。だから,このことばの影に「原発再稼働推進」の主張がかすんでしまう。また,それを意図した談話の発表の仕方であり,メディアの編集の仕方である。それを計算に入れた安倍首相の得意技(めくらまし談話)である。

 しかし,その一方では,「計画案の了承に向けた与党協議が大詰めを迎えた3月下旬。経産省資源エネルギー庁の担当課長は,再生可能エネルギー導入の数値目標の明記を求められ『できません』と拒否した。『その態度はなんだ』。要求した自民党の長谷川岳参議院議員によると,課長は椅子に反り返り,足を組んだまま受け答えしたという。長谷川氏の激怒で協議は中断した」という実態がある。

 要するに,再生可能エネルギーの導入は,国民の目を欺くための,たんなる文言だけの話であって,原子力ムラも官邸も本音はまったくやる気はないということだ。その実態は,いまも遅々として進まぬ再生可能エネルギーの推進状況をみれば明らかだ。音頭だけは推進のボーズだが,実際にはなにもしない,むしろ,足を引っ張っているのが現実だ。

 かくして,安倍首相の「ごまかし」戦略が日毎に顕著になっている。つい最近では,全面改定された「武器輸出三原則」は,この表現の代わりに「防衛装備移転三原則」を用いることになったという。こうして,内実が見えない文言に変えることによって,国民の目を欺こうというのである。しかし,よく考えてみると「防衛装備」とは「武器」を意味することになり,「移転」とは「輸出」をも意味することになる。となると,国語辞典に新しい「語釈」を追加する必要がある。

 こんな愚かなことまでして,国民の意識を「操作」しようとする政権を,若者たちが支持しているというのだから不思議である。若者たちが,この暴走をはじめた政権を面白がって追随していこうとする心情はどこからくるのだろうか。それは若者だけではない。支持率がいっこうに下がらないという事実の背景にあるものはなにか,本気で考えなくてはならないところにきている。

 鬱屈した国民感情,一向にさきが見えてこない絶望感,ますます生きにくくなる人間関係,日常の凡庸化・空疎化,コミュニケーションの「機械化」「モノ化」,などなど。どこか,1930年代のドイツ・ヒトラーが選挙によって多数を独占し,一気にファシズム化していったときの雰囲気に似ている気がしてならない。これがわたしの単なる杞憂に終わればいいのだが・・・・。

 日本国はいま「カタストロフィ」に向かってまっしぐら。にもかかわらず国民の多くは「茹でカエル」。無反応。

2014年4月4日金曜日

原発戯画「氷山の一角」(本田亮)に拍手。

 今日(4日)の東京新聞に新企画「原発戯画」(本田亮)が掲載されています。これから毎月第一,第三金曜日に掲載されるということです。いまからとても楽しみです。

 なぜなら,政府自民党はなし崩し的に原発再稼働に向かってまっしぐら。もはや,歯止めのきかなくなった暴走車のようです。となれば,国民がもっともっと目覚めて,声をあげるしかありません。そのもっとも分かりやすい覚醒のさせ方,それが「戯画」という方法です。戯れと見せかけてほんとうのことをずばりと言ってのける,そのもっとも秀でた方法です。しかも,わかりやすい。文章にくらべたら,はるかに簡単です。

 今日,第一回目の戯画のタイトルは「氷山の一角」。戯画はこのブログの最後のところに乗せていますので,ご確認ください。作者は本田亮さん。この戯画の下にはキャプションに相当する文章が載っています。山川剛史という名前入りの記名記事だとすれば記者の方でしょうか。この文章がまた簡潔に問題の所在を明らかにしてくれています。

 まずは,戯画の方に注目してみましょう。
 自然エネルギーと原発を「氷山」に見立てて,「あのねおっさん」(ひとむかし流行したおっさんの名前)のようなとぼけた顔のおっさんがボートの上に立ち,「発電コスト高いヨ!」と自然エネルギーの氷山の頂上を指さしています。こちらは氷山に見立ててはいますが,これは氷山ではありません。こんなに高く水面にそびえるには水面下の氷がもっともっと大きくなければなりません。が,そうは描かれていません。それは,まさに,政府自民党が「自然エネルギー」の方がコストは高いヨ,と言っていることの,とんちんかんな間違いをそのまま表現しているからでしょう。それに引き換え,原発の方は正しい氷山の絵になっています。

 原発の氷山の水面下には「地元への寄付金」「核燃料税」「核のごみ処分費」「損害賠償」「除染費用」「事故収束費」などが隠されていることを描いています。ほんとうは,もっともっといくつもの費用がかかっているのですが,あまりに多すぎてとてもこの氷山の上に書き込むことはできません。それらは省略されています。

 それを補うようにして,山川剛史さんのキャプションが生きています。原発のコストは安くて,自然エネルギーのコストは高い,というのは完全なる「神話」であって,実際はこうだという裏付けの証拠をあげています。たとえば,文末に書かれていることばを引いてみましょう。

 「福島事故の現時点の被害額は,事故収束(廃炉)の費用が一兆五千億円,賠償費用が三兆五千億円,除染費用が三兆五千億円の計八兆五千億円。まだ増えるのは確実。こうした真のコストは水面下に隠れている。」

 この単純明快さがいい。問題の核心がわかりやすく提示されるのがいい。

 原発再稼働の動きに対しては,再稼働対象原発をもつ地方自治体ではなく,そこに隣接する地方自治体(交付金対象にはならない自治体)が市長の名前で訴訟を起こす動きが活発化しています。これは当然のことで,反原発運動は東京の市民運動だけではなく,各地の再稼働対象原発の周辺自治体を中心とした運動に拡大・拡散されていくことは必定でしょう。この動きがこんごのゆくえを左右するとわたしは考えています。

 「カネと命」のどちらが大事なのか,子どもにもわかる理屈をひた隠しにして,原発がなければ生きてはいかれないかのような詭弁を弄して,経済最優先を掲げて国民を欺こうとする政府自民党,経済通産省,原子力ムラの魂胆がどれほど悪意に満ちたものであるか,そして,それらに「自発的に隷従」するメディア,アカデミックな学界も同罪です。そういう厚顔無恥な輩が百も承知の上でひた隠しにしている諸矛盾をこの「原発戯画」が解きほぐしてくれることを期待したいと思います。

 まずは,この「原発戯画」がはじまったことを言祝ぎたいと思います。

 
新聞の切り抜きです。
新聞紙が薄いのでシワシワ。
これもまた東京新聞の重要な主張の表出。

2013年10月20日日曜日

山本太郎議員,たった一人,東京五輪国会決議に反対。信念を貫く。立派。

 「お前なんかに原発問題を語る資格はない」と頭ごなしにした著名な評論家にたいして,「一人の国民として語る資格はある」と反論し,ついにその信念を貫いて参議院議員となった山本太郎さん。どんな政治活動を展開するのかと注目している。「今はたったひとりの党」の党首。つぎの選挙で何人に増えるか,いまから楽しみ。

 その山本太郎さん。去る15日に衆参両議院で行われた,東京五輪開催に向けての政府の努力を求める国会決議に,敢然と「反対」の意思表明をした。全国会議員のなかで,たった一人。衆議院では全会一致。山本太郎さんを除くすべての国会議員は東京五輪に万歳なのだ。空恐ろしい「なにか」(「力」としかいいようのない「なにか」)が国会には蠢いているようだ。山本太郎さんの言い分は,「うそで固められた五輪開催には賛成できない」というもの。

 例によって10月18日の『東京新聞』で確認してみると,以下のようである。

 山本氏は,国際オリンピック委員会(IOC)総会で「(東京電力福島第一原発の)汚染水は完全にコントロールされている」と訴えた安倍晋三首相の演説内容が事実と異なると批判。「原発事故は収束していない。汚染水問題など,お金を使うべきところに使わず,はりぼての復興のために五輪をやろうとしている。うそまでついて招致したのは罪だ」と主張した。

 国会決議の内容は,五輪開催がスポーツ振興や国際交流に意義があるとし,競技場などの施設整備や震災復興の推進を求める,というもの。この決議内容については,もう少し詳しくチェックする必要があるが,いずれにしても,東京五輪開催に異議を申し立てる国会議員は山本太郎さんたったひとりだ,という事実に唖然としてしまう。なんだか,アベノミクスの登場以来,1936年のオリンピック・ベルリン大会のころのような「全体主義」化の匂いがしてきて,薄気味わるい。

 山本太郎さんは,こういう「空恐ろしい」感覚に鋭敏な人らしい。

 IWJ(Indipendent Web Journal:岩上安身責任編集)によれば(2013/10/14),山本太郎さんの直近の政治活動は以下のようである。

 9月22日渋谷駅前でスタートした,山本太郎参議院議員による「反秘密保護法 全国街宣キャラバン」。約3週間をかけて全国を回り,臨時国会招集の前日となる10月14日は,東京に戻り,銀座数寄屋橋交差点前で行われた。

 『沖縄タイムス』(2013/10/14)は,山本太郎議員が辺野古視察「新基地は不要」,と報じている。そして,その記事を抜粋してみると以下のとおりである。

 ・秘密保全法の危険性を訴える全国キャラバンを展開している山本太郎議員は12日,日本政府が米軍普天間飛行場の移転先としている名護市を訪れた。
 ・新基地建設に反対し座り込みが続くテント村で,ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表から説明を受け,周辺海域を視察した。山本議員は「原発と根底は一緒。新しく基地を造る必要はまったくない」と話した。
 ・名護市役所も訪れ,稲嶺進・名護市長と意見を交換した。

 特定秘密保護法(秘密保全法)に盛り込まれている「特定有害活動」は政府の裁量で指定できてしまう可能性がある,と危惧する山本太郎さん。たとえば,2013/10/13抗議行動が,特定有害活動に指定されてしまう可能性もある,というわけだ。ひょっとすると,原発も「秘密」指定される可能性だって皆無とはいえない。となると,脱原発活動そのものが大きな打撃を受けることになりそうだ,という次第。だから,山本太郎さんは黙ってはいられない。そこで,全国街宣キャラバンを組んで,沖縄にまで足を伸ばしている。

 その上での「東京五輪に関する国会決議」への反対表明である。

 ゲンシリョクムラというファシズム勢力が,真っ暗闇のくらがりのなかで,もぞもぞとうごめきはじめているのだろうかと思うと「空恐ろしい」。まさに「力」としかいいようのない「なにか」が,そこには存在している。しかも,その「なにか」に国会議員の圧倒的多数が怯え,からめ捕られているとしたら,世も末である。

 その意味で,山本太郎さんの「たった一人の反乱」はきわめて重要だ。
 しかし,この勇気ある政治家としての活動を,ほとんどのメディアは「無視」している。ネコの首輪に鈴をつける勇気と決断が,いま,わたしたち国民に問われている。「一人の国民として発言」する権利を行使しなくてはならない。山本太郎さんのように。アホな評論家の言動に惑わされることなく,わが道を進むべし。

 そうしないと「デモ」もできない社会になってしまいそうだ。
 それこそ「空恐ろしい」ことが現実になってしまう。もう,すでに起きているのだが・・・。
 

2013年7月28日日曜日

新幹線の車窓からみえるソーラー・パネルが多くなっているのでは?

  毎月1回開催している「ISC・21」の月例会が,今月は,大阪学院大学を会場にして行われました。今回もとても充実した議論ができ,また,一歩積み上げができたかな,と大満足です。どんな議論がなされたのかということについは,いずれ整理しておきたいとおもっています。が,その前に,新幹線の車窓からみえるソーラー・パネルの数が徐々に増えているのでは・・・・,ということに気づき,それからあとは夢中になってソーラー・パネルの姿ばかりを追い求めていました。

 むかしから,汽車に乗ると,じっと車窓からみえる景色を眺めるのが好きでした。ですから,いまでも新幹線に乗るときは可能なかぎり窓側の座席を確保することにしています。そして,ほとんどなにも考えないようにして,ぼんやりと景色を眺めています。そうすると,意外な景色が眼に飛び込んでくることがあります。いままで,とことん見慣れてきた新幹線からの景色であるはずなのに,ときおり予想外の発見をすることがあります。そして,そこから,いろいろの発想が生まれてきたりします。しかも,あくことなき想像力をはたらかせていくと,ふだん思ってもみなかった思考の地平がどんどん広がっていって,恍惚となることがあります。つまり,わたしにとっての新しいオブジェの発見というわけです。

 今回のオブジェは,ソーラー・パネルでした。もちろん,これまでにも新幹線の車窓からソーラー・パネルは眺めていたはずです。ですから,それは見慣れた当たり前の風景のひとつだったはずです。つまり,ソーラー・パネルが他の森や山や街並みと同じように,ただ,みえているだけのことであって,その存在が意識にまでのぼってくることはありませんでした。が,今回は,そのソーラー・パネルがわたしの意識にのぼってきて,おやっ?と気づかされることになりました。つまり,車窓からみえていたソーラー・パネルが,今日,初めてとくべつの意味をもちはじめたというわけです。

 そんなことを仰々しく取り上げなくても,みんな承知していることだよ,といわれるかもしれません。しかし,単なる風景であったソーラー・パネルが,特別の意味をもつ存在としてわたしの意識にのぼってきたのですから,これはわたしにとっては看過するわけにはいきません。

 そうだよ,ソーラー・パネルだよ・・・・,とひとりごとをいいながら,注意して眺めていると,家の屋根にソーラー・パネルがいくつもみえてきます。そして,こんなにたくさんのソーラー・パネルがあったかなぁ,と考えたりしています。よくよくみると,新築の家にソーラー・パネルが多い,ということに気づきます。そうか,新築のときに一緒にやってしまえば,電気代は不要となり,余れば売ればいい。ということは,これから新築する家にはソーラー・パネルが増えていくことになる。つまり,脱原発などといわなくても,みずから行動で意思表明をしているのだから。この方法はなかなかスマートでいい。お金のある人はぜひこの方法を採用してください。

 つぎに眼についたのは,学校の屋上,役所の屋上,病院の屋上にソーラー・パネルが増えているということでした。さらには,町工場の倉庫の上,空き地,休耕田,などにもちらほらとソーラー・パネルが設置してあります。これまでにも,時折,みかけることはありましたが,その数は微々たるものでした。それが,いつのまにか,かなりの数になっているのを知って驚いた次第です。

 これはいい。まだまだ設置する場所はいくらでもある。なにも,メガ・ソーラーのような大規模な発電装置にとらわれている必要はありません。国民ひとりひとりができるところからはじめればいい。それはたしかに微々たるものでしかありません。しかし,この微々たるものの総和となると,メガ・ソーラーの発電量をも凌ぎ,超えていくことは容易に想定できます。

 一昨年,訪れた中国雲南省の昆明市の光景を思い出してしまいます。高層ホテルの上階の部屋から眺めた昆明市の家々にはびっしりとソーラー・パネルが設置してありました。ビルの屋上にも,間違いなくソーラー・パネルが張ってありました。道路の信号機の一つひとつにも小さなソーラー・パネルが張ってありました。このことは,このブログにも書きました。詳細はそちらに譲ることにしたいとおもいます。

 日本も,原発にこだわり,そこにカネをかけつづけていることを考えれば,それだけの国家予算を,個人でソーラー・パネルを設置する人のために支援することなどいともたやすいことであるはずです。なのに,なんともはや腰の重いことか,とあきれ返ってしまいます。みるにみかねた城南信用金庫(理事長)は,中小企業主や商店主や地域住民を対象に,ソーラー・パネルの設置のための特別融資をかってでています。しかも,業者の推薦から,その後の管理・運営に関するいっさいを含めて支援することに全力を注いでいます。

 それにしては,国も地方自治体もフットワークが重すぎます。それにじれた国民が,率先垂範するようにして,自宅の屋根にソーラー・パネルを設置しはじめています。それに後押しされたのか,学校や病院や役所の屋上にソーラー・パネルが設置されるようになってきているようです。そして,さらには倉庫の屋根や空き地や休耕田などへとその動きが拡大しつつあるんだなぁ,とそんなことを新幹線の車窓からぼんやりと考えていました。

 ドイツの再生可能エネルギーへの取り組みは,こうした市民の小さな運動からはじまって,それらをつなぐ全国的なネットワークを構築して,膨大な電力を確保できるようになってきている,と聞いています。まもなく電力を輸出できるようになるだろう,とも。

 日本もドイツと同じようなことをやろうと思えばできます。しかも,そのキャパシティはドイツよりも有利です(日照時間の長さが圧倒的に違います)。なのに,政府はそこには手をつけようとはしません。なぜかは,もう,お分かりのとおりです。そうです。既得権益をなんとしても手放そうとはしない人びとが大きな壁になっているからです。この壁を,いかにして突き崩すか,まずは,ここからはじめるしかありません。

 とまあ,こんなことを新幹線の車窓から景色を眺めながら,考えていました。これからも,どんどん,ソーラー・パネルが増えつづけることを期待したいとおもいます。そして,気がついたら原発は不要の長物であった,という時代を早く迎えたいものです。単なる夢物語に終わらせたくない話ですね。

2013年7月9日火曜日

原発再稼働はありえない。なのに5原発10基再稼働申請(プラス2原発も近々)。

 東電社長と新潟県知事の交渉の一部がテレビで流れ,みていてものの哀れを感じてしまった。いわゆる他流試合となると,東電社長という人間の器の小ささばかりが目立ち,新潟県知事の怒りをにこやかな笑顔で抑え込んだ人間の大きさが,強烈な印象となって残った。いわゆる既得権益者集団のなかで立身出世してきた人間は,なるほど右を見,左を見,上を,下を見ながらみずからの才覚で身の振り方を考え抜いてきた「優等生」には違いないだろう。しかし,既得権益集団の一歩外にでて,他流試合となると,相手の度量の大きさに飲まれてしまって,とたんに顔は凍りついてしまう。とても,とても相手を説得するなどという気魄もなにもない。ただ,伝えるだけ。説得とはほど遠い。

 ということは,同情したくなる点もないわけではない。なぜなら,自分たちの主張を相手側が飲んでくれるということは,最初から不可能だと承知しているからだろう。なぜなら,みずからの言い分が,既得権益集団(=原子力ムラ)の中では「常識」であるが,一歩外にでたら「常識はずれ」であるということがわかっているからだ。

 ということは,世間の「常識」は既得権益集団にとっては「非常識」,既得権益集団の「常識」は世間の「非常識」,ということだ。このギャップを埋める努力もしないで,原発再稼働ありきで突き進もうとする。なぜなら,政府自民党が後押しをしてくれるから。いまの自民党人気に乗っかれば押し切れる,という甘い判断がみえみえだ。だが,あれほど元気のいいふりをみせている安倍首相は,この「再稼働」の問題については「沈黙」を守っている。なぜ?票の増加につながらないからだ。だから,原発に関してはなんとか蓋をして「経済一本」で押し切ろうという作戦にでる。

 しかし,原発再稼働に踏み切ると最終的に日本の経済は破綻をきたすことはだれの目にも明らかだ。使用済み核燃料をとのようにして最終処理を行うのか,その方法すらまだみつかってはいない。一説によれば「不可能」だ,と専門家たちはいう。だとしたら,半永久的にこの使用済み核燃料の子守を子々孫々にいたるまで引き受けなくてはならない。この費用はだれが負担するのか。そこまで計算して「採算」を考えているのか。だとしたら,原発は「安上がり」だという根拠をもっと明確に提示してほしい。わたしたちが知らされている「採算」の積算の基礎は「単位時間」当たりのコストの比較でしかない。それは違うだろう。

 原発再稼働しか考えない政府自民党と,いちはやく原発廃止を決めたドイツ政府とでは,その思考回路が真反対だ。日本国政府は一度,手にした既得権を手放そうとはしない。権力の中枢にいる人びとが寄ってたかって既得権益を守ろうとする。多くの国民を犠牲にしてでも,わが身の保身のために盲目的に突き進む。ドイツ政府は「国民」にとって原発エネルギーと再生可能エネルギーのどちらが「幸せ」につながるかを熟慮した上で,再生可能エネルギーを選択した。国民の圧倒的多数がこれを支持し,政府と国民とが一丸となって再生可能エネルギーを確保するために,ありとあらゆる智慧を出し合って,その実現に向けて邁進している。しかも,それが驚くべき早さで進んでいて,近く「電力輸出国」になるという。

 やればできる。ドイツにできることが,なぜ,日本ではできないのか。その最大のネックになっているものが既得権益集団である。政・官・財・学・報の「五位一体」となったこの既得権益集団(またの名を「原子力ムラ」という。そういえば,近頃,この「原子力ムラ」ということばが消えつつある。なぜか。どこかから圧力がかかったことは間違いない)が,いまや,日本の中枢を占め,一致団結して国を動かそうとしているからにほかならない。この集団に対して日本国民は甘い。上意下達,寄らば大樹の陰,という江戸時代からの悪しき慣習行動が,いまも生きている。情けないことこの上ないが,その甘えの構造は間違いなく存在している。

 ドイツ国民には,自分たちが国を動かしているという自覚と自負がある。賢明なるドイツ国民は「フクシマ」を教訓にして,脱原発を「即決」した。そのときの決断の最大の根拠は「人の命」を最優先するという考え方である。そして,そのことのためなら国民は一致団結して行動を起こす。それには立派な実績ももっている。

 たとえば,西ドイツ時代(1960年代)の「ゴールデン・プラン」がある。国民の多くが過食・運動不足のために肥満体となり,成人病が多発した。そのため労働力の低下,医療費の増大,など連鎖的に国力の低下をもたらすという結果にいたる。その対策として考えられたのが「運動の促進」「健康の保持増進」運動であり,そのための「施設づくり」であった。国民一人あたりの運動施設面積を割り出し,それを実現しようという遠大な計画であった。そして,そのための金を国が半分,あとの半分は国民が負担する,ということを決めて,国民は募金運動を展開した。

 ところがである。目標としていた募金が,期限前に倍以上も集まってしまった。そこで,急遽,「ゴールデン・プラン」をさらに大きな規模に練り直すことになった。そうして,さらに「10年計画」を立て,「第二次ゴールデン・プラン」を実行に移していった,という実績をもっている。それが,こんにち,ドイツのどこに行っても見られる立派なスポーツ施設だ。

 日本でも,ひところ,各地方自治体が中心になって「ゴールデン・プラン」の日本版をめざしたが,さしたる成果はあがらなかった。なぜなら,市民が「募金」に応じなかったからだ。笛吹けども踊らず。こういう箱ものは国や自治体がやるものであって,国民・市民はそれをありがたく頂戴する,という受け身の姿勢から抜け出ていない。残念ながら,江戸時代からの慣習行動から,いまも抜けきれていないのだ。

 しかし,いつまでもそんなことではいけない。スポーツ施設ができなくてもいい,橋が架からなくてもいい。しかし,国民の「命」にかかわる原発だけはなんとしても回避しなくてはならない。このことに関しては,若いお母さんたちはみんなわかっている。そして,若い世代の人びとも関心は高い。なぜなら,まだまだ,未来に向けて「生きて」いかなくてはならないからだ。

 一番,鈍感なのは,既得権益に身をすり寄せることによって甘い汁を吸うことを覚えてしまった世代から上の世代だ。困ったことに,こういう世代が国の中枢を占めている。この人たちに目覚めてもらうしかない。

 こんどの参院選は,この原発問題だけは自分の選挙行動の起点においてほしい。つまり,選挙の「争点」から外してはならない。その意味で,日本の未来を決する重大な選挙だ。慎重に,慎重に。そして,一大決心を。

2013年6月29日土曜日

「原発再稼働ありき」で動きはじめた既得権益集団。「脱原発」を参院選の最大の争点のひとつにして対抗しよう。

 既得権益集団(原子力ムラの住民たち)が露骨に動きはじめた。もう,なにも怖いものはないとでもいうように。完全に国民は舐められている。ひとかたまりの,圧倒的少数の特権階級が,自分たちの権益をどこまでも死守するために,圧倒的多数の国民の「命」を犠牲にしてでも,原発を再稼働させようとしている。

 6月19日(水)には「6原発再稼働申請へ」「新規制基準来月8日施行」「免震拠点未完成のまま」という大見出しが『東京新聞』の夕刊トップの紙面に躍っている。翌6月20日(木)の『東京新聞』朝刊一面には,「規制委 大飯運転継続容認へ」「9月まで,新基準,一部満たさず」と報ぜられ,6月27日(木)の『東京新聞』朝刊には「『再稼働ありき』総会」「電力9社,株主の『脱原発』すべて否決」と報じられている。

 もはやとどまるところを知らぬ暴走列車はますます加速されていく。国民であるわれわれは,黙って傍観しているときではない。きっちりとタッグを組んで,なにがなんでも「原発再稼働」を阻止しなくてはならない。われわれ一人ひとりの「命」を守るために。

 7月21日には,いよいよ参院選の投票が行われる。主権者であるわれわれ国民の意思を,直接,表明することのできるチャンスはこのときしかないのだ。ここではっきりと決着をつけないことには,なにもはじまらない。これから各党がかかげる「選挙公約」を徹底的にチェックして,「原発再稼働」を高らかに宣言する政党はどこなのか,そして,表現を和らげつつもそれを匂わせる政党がどこなのか,しっかりと見極める必要がある。

 参院選は都議選とはまったく別物である,とわたしは考えている。都議選は,ほとんどの都民は候補者の人柄も政策も思想もなにも精確には知らない。だから,なんとなくこの人,なんとなくこの政党,くらいのところで投票する人が多い。わたしが,かつて都民だったときがそうだった。恥ずかしながら・・・。だから,あとは組織票。今回は,その浮動票が棄権してしまった。浮動票の受け皿となる政党がなかったからである。争点もはっきりしなかった。

 しかし,参院選は違う。地方には,それぞれ長年の政治活動をとおしてしっかりとその土地に根をおろした立派な候補者がいる。住民もみんなよく知っている。その人たちの中から,今回はどの政党,どの人に投票するかを決める。だから,たとえ弱体化してしまった政党であろうとも,人間としての信頼関係がしっかり保たれているかぎり,その候補者は票を獲得することがある。政党よりも人物という人が,地方の選挙にはしばしばみられる現象である。

 その点では,「原発再稼働」派か,それとも「脱原発」派か,という争点はとてもわかりやすくていい。ここを見分けるだけで,あとの問題もみごとに仕分けていくことができる。だから,あまりたくさんのことを考える必要はない。まずは,「原発」をどうするのか,そこだけを見極めていけばいい。そうしないと,あれもこれもと考えると目先をごまかされてしまう。

 「原発」を廃止しても「経済」はやっていける。その実験国家がドイツだ。いちはやく,国を挙げて「脱原発」宣言をし,着々と代替エネルギーの確保に全力を上げ,すでに大きな成果を挙げている。このことを日本のメディアはほとんど報道しない(あるいは,ごく少ない)だけのことだ。ドイツに較べたら,日本の代替エネルギー資源ははるかに恵まれている。にもかかわらず,既得権益集団は「原発」にしがみつき(この方がはるかに「おいしい汁」を吸うことができるからだ),代替エネルギーの開発政策に圧力をかけてくる。

 なにゆえに,ひとかたまりの特権階級の人びとの利益のために,われわれ圧倒的多数の国民の「命」が犠牲にされなければならないのか。

 もう,これ以上は言うまい。あとは,われわれ一人ひとりの投票によって,われわれの「命」を守るべく,その意思をしっかりと表明することだけだ。

 ここで選択を間違えたら,既得権益集団にわれわれの「命」を預けるしかないのだ。そうならないように,これから気持ちを引き締めてかからねばならない。時間はもうない。待ったなしだ。

 いまこそ,嘘と詭弁に騙されない,確かな眼力で武装しよう。

2013年6月3日月曜日

反原発デモに6万人(東京)。「痛みへの想像力を」(落合恵子)。

 昨日(6月2日)の日曜日,どうしてもはずせない用事があって,昼中の芝公園にも,夕刻の国会前にも行くことができませんでした。どんな風だったのかなぁ,と気がかりになっていましたが,わたしが確認できた範囲のテレビはなにも伝えてはくれませんでした。ああ,無視される程度の人しか集まらなかったのか・・・・といささか失望していました。もう,このまま原発事故は過去のものにされてしまい,人びとの記憶からも遠ざかってしまうのだろうか,とそのことだけが気がかりでした。なぜなら,最近のテレビのニュースをみているかぎりでは,反原発運動などは眼中になく,どうでもいいスキャンダラスな情報ばかりが垂れ流されているからです。

 が,今朝の『東京新聞』をみて安心しました。一面の中程にかなり大きく写真入りの囲み記事になっていました。
 迫る参院選 「痛みへの想像力を」
 原発反対6万人 国会を囲む
 という見出しの文字が大きく躍っていました。

 毎週金曜日の夕刻,首相官邸前で抗議集会をつづけている首都圏反原発連合が主催した「反原発国会大包囲」という抗議デモです。それにしても全国から6万人(主催者発表)の市民が集まってきたというのですから,これは久しぶりの快挙です。これを弾みにして,夏の参院選に向け,もっともっと大きな輪になっていけば・・・・,そして,首都圏だけではなく,全国の主要都市はもとより,地方の市町村単位でも,「反原発」の意思表示をする集会がひろがっていけば・・・といまは祈るような気持ちです。

 その記事のなかには,日中に,芝公園と明治公園の二カ所で抗議集会が開かれ,こちらにも合わせて2万5千人超が集まった,とありました。芝公園では,大江健三郎さんや落合恵子さんらが演壇に立ち,反原発を訴えたとありました。

 こういう抗議集会はこれまでにも何回も開かれています。が,わたしが不思議におもうのは,テレビなどで「哲学者」や「社会学者」を名乗り,さもものわかりのよさそうな話をしている若手の研究者・評論家たちの姿を,こういう抗議集会でみたことがない,ということです。もちろん,わたしがでかける抗議集会やデモはごくかぎられたものでしかありませんが,それでも,一度もみかけない,演壇に登壇しない,というのはわたしにしてみれば不思議です。

 あれだけ立派なことをおっしゃるのであれば,自分たちで運動を組織して,自分たちの主張を世に訴えてしかるべきではないか,とわたしなどは単純に考えます。が,その裏はわかっています。そういう街頭に立って演説の一回でもぶてば,もう,二度とテレビには出演できないということを十分すぎるほど承知しているはずだからです。ということは,テレビに出演する哲学者・評論家の多くは,単なる売名行為であって,確たる思想・信条の吐露をしているわけではない,ということになります。もっと言ってしまえば,基本的には原発推進派だ,ということです。それをさも中立主義者のような玉虫色にみせかけて,「推進派でも,反対派でもない」と平然と言ってのける,まことに破廉恥きわまりない連中です。反対派ではない,ということは結果論としては推進派以外のなにものでもありません。

 しかし,そういう若手がもてはやされるのはほんの一瞬でしかありません。すぐに馬脚を露にしてしまうために,マス・メディアは使い捨てにしてしまいます。突然,テレビに現れたかとおもうとあっという間に消えていった,あの人たちはなんだったのか,そして,そういう人たちを使い回すテレビというメディアはいったいなんなのか,と考えてしまいます。

 そこにいくと大江健三郎さんは偉い。若いときから終始一貫して,みずからの思想・信条を訴えつづけています。ノーベル賞作家というおまけまで付いてしまいましたが・・・・。でも,この大江さんですら,最近は,ときおり妙なことをおっしゃいます。それほどに,いま,日本の社会で起きていること,そして,世界で起きていることの見極めをつけることは困難なのだ,ということなのでしょう。しかし,落合恵子さんが訴えるような「痛みへの想像力」を軸にしてものごとを考えていけば,おのずから道は開かれてくるのではないかとおもいます。いま,求められているのは,こうした女性の眼,女性の感性,感受性なのでしょう。その意味では,いまは,男がダメになってしまった最悪の時代といってよいでしょう。

 ここにも「近代」(男)の終焉,「前近代」(女)の蘇生が見え隠れしています。「後近代」(両義性,両性具有)を切り開くための論理がそこから透けてみえてくるようにおもいます。これからは文化人類学者たちが持ち合わせている「複眼的」な思考回路が,ますます重要な意味をもつようになってくるのでは・・・とわたしは考えています。

 反原発は,経済や政治の駆け引きのレベルで考えるのではなく,生身の生きる人間としての「痛み」の次元から,その思想を立ち上げていくべきでしょう。

 そんなことを,昨日の抗議集会にも,国会大包囲デモにも参加できなかった懺悔の気持ちを籠めて,いま,このブログを書いています。他者の「痛み」に鈍感になってしまった男たちのひとりとして,深く反省しつつ・・・・・。

2013年3月11日月曜日

「3・11」から丸二年。「0310」集会とデモに行ってきました。

 昨日(3月10日)は,ポカポカ陽気に誘われるようにして,早めに家をでて日比谷公園に向いました。奈良からやってきた若い友人と一緒に。時間がたっぷりあったので,地下鉄を少し手前で降りて道路にでてきたら,いきなり右翼団体の街宣車が隊列をなしてとおりすぎてゆきます。その数の多さにまずは圧倒されてしまいました。それぞれの車から大音響の音楽やアジテーションの演説が流れ,お互いに反響し合って,結局はなにも聞き取れません。というか,伝えるべきメッセージはなにも印象に残りませんでした。

 そんな光景に度肝を抜かれながら,「国を愛するということはどういうことなのか」と,まずは,考えてしまいました。郊外に住んでいると,こういう光景からも縁遠くなっています。ですから,なんともいえぬ摩訶不思議な,新鮮な刺激でした。そうか,こういう人たちも相変わらず元気なんだ,こういう人たちの存在も現代日本の社会を考える上では不可欠なのだ,としみじみ考え,思いを巡らせていました。

 その隊列を見送ってから,自民党本部を左手にみやりながら,国会議事堂前に。その前にある公園のなかに入り,「日本水準器」の設置してある建物を過ぎて,時計塔の下のベンチに座り,一休み。ここには灰皿もセットされていて,愛煙家の若い友人は一安心。国会議事堂と皇居方面とを交互に眺めながら,二人で「この二年」を振り返る話をしました。

 お互いに確認できたことは,わたしたちの住んでいたこの国が,これほどまでにお粗末な国だったとは気づかなかった,ということでした。「3・11」以後,これまでうまく隠蔽されてきたことがらが,一挙に露呈するはめになってしまい,おまけに,ことごとく収拾がつかなくなってしまっている,というみじめな現実でした。

 なかでも,メルトダウンしてしまった核燃料棒がどこに,どういう状態で存在しているのか,その在り処もわからない,という事実。そして,その存在を確認するためのロボットをこれから開発しなければならない,という事実(このために10年くらいはかかるとか),もし,かりにこのロボットを開発することができたとしても,こんどはメルトダウンした核燃料棒をとりだすための機械・道具をこれまた新たに開発しなければならない,という事実,そのために,また,さらに何十年とかを要する,という事実,そして,さらには,とりだした核燃料棒をどのように保管するのか,そのための・・・・・,という具合に気の遠くなるような現実がいまも,そして,これからも半永久的につづく,という事実。終わりのないストーリーは,いま,はじまったばかりです。

 そういう現実が日ごとに明らかになってくる,これがわたしにとっての「この二年」の重く,息苦しい日々の実態でした。それに加えて,この気の遠くなるような現実に蓋をすべく,早々に「収束宣言」をして,はちゃめちゃな政治を展開した民主党政権。それを国民は見逃してはいませんでした。敵失というか,自滅の民主党をしりめに,漁夫の利をかすめ取るようにして浮上してきただけの自民党が,さも国民に支持された正義であるかのような顔をして,一気呵成に強行路線を突っ走ります。しかも,それが国民の多くの人たちに支持されているという現実(70%を越えるという)に,これまた,わたしは呆然としてしまいます。この国はいったいどこに行こうとしているのだろうか,と。フクシマのことをほったらかしたままにしたまま・・・・。

 おまけに,つい先週までは,東京にオリンピックを招致しようという,まやかしの「正義」の名のもとに,またまた,国民に「めくらまし」をかまして平然としている政府自民党,そして,都知事。都合の悪いことには「蓋」をしておいて,都合のいいことのみを声高に喧伝する利害打算の政治ばかりが横行してやまないこの国の現実。「めくらまし」政治。「ねこだまし」政治。

 こんな,ふだんからのたまりにたまった鬱憤を,若い友人と語り合いました。そこから,ぶらぶらと皇居のお掘りをわたって皇居前広場に向かいました。その手前の広場には,障害者のマラソン・ランナーと伴奏者,そして,家族の人たちでごった返していました。まもなく,スタートを切る,そのための準備におおわらわの様子が伝わってきました。なるほど,こういうイベントも今日は組まれているんだなぁ,と思いながら・・・。でも,ポカポカ陽気に恵まれましたので,みんなとても楽しそうな顔をしていました。

 そこから,少し早いけれどもそろそろ日比谷公園野外音楽堂をめざすことにしました。日比谷公園に入ると,もう,すでに大勢の人でごった返していました。ああ,今日は,さすがに大勢の人が集まってきているなぁ,と思いながら野外音楽堂に到着。そこはもう立錐の余地もないほどの人です。なんで,みんな立ち止まったままでいるのだろうと不思議に思いながら,人をかき分けて入り口をめざします。すると,すでに満員で入場できません,という突然のアナウンスが響く。エッ!? こんなことは初めてのことでした。野外音楽堂に入れなくて,その外で待機している人たちがこんなにもあふれているとは・・・・。しかも,集会がはじまる30分前だというのに・・・・。

 仕方ないので,別のイベント広場を散策しながら昼食をとることに。タコライスなるものを初めて食べました。ああ,こういうものであったか,と新しい学習でした。どこかで音楽が聞こえてきましたので,そちらに向う。ちょうど,つぎのステージに変わるところに出くわしました。すると,なんと,加藤登紀子さんが登場です。短いスピーチ(当然,「3・11」後とこれからに向けての熱の入ったご挨拶)につづいて歌がはじまりました。加藤登紀子さんの生演奏を聞くのは初めてでしたので,感動しました。選曲もすべて東日本大震災,フクシマに触発されての新曲ばかりでした。

 ですが,あまりにも暑いので,日陰に入ろうとしたそのときです。北東の方角の空の色が茶色がかったねずみ色になっているではありませんか。頭の上は,真っ青な空。風もないポカポカ陽気。なんだろうと思っている間もないほどの速さで,その変色した空がこちらに押し寄せてきました。猛烈な突風が吹きはじめ,日比谷公園の木の葉や砂が渦を巻いて空に舞い上がっていきます。これはえらいことになったと覚ったわたしたちは,急いで松本楼の陰に隠れました。雨がパラパラときたように思いましたが,手を伸ばしてみるとそうでもありません。

 が,この砂嵐が襲ってきたころには,デモに出発する14:00になっていました。わたしたちも出発口に向かいました。人でいっぱいです。いくつものグループに分かれて,つぎつぎに出発していきます。わたしたちは「サウンド・グループ」というところにもぐり込んで,ラッパーの囃子詞を聞きながら歩きはじめました。が,相変わらず砂嵐は止まりません。眼が開けられないほどの砂嵐です。そして,あっという間に冷え込んできました。こんどは寒いということばがふさわしいほどの冷え込みでした。国会議事堂の前の坂道にさしかかったときに隊列の長さがどのくらいあるのだろうか,と確認してみました。が,前も後ろもまったく見極めがつかないほどの長蛇の列です。

 今日の新聞によれば,国会周辺に4万人がデモ,とあります。砂嵐は「煙霧」ということも新聞で知りました。

 長くなってしまいましたので,このあとのことは,また,後日。
 取り急ぎ,昨日のレポートまで。

2012年12月7日金曜日

ミサイルで自民か,地震で未来か。さてはて,どうなることやら。

 日本の未来の命運を分ける大事な選挙が,これから佳境に入ろうかというときに,北朝鮮では長距離弾道ミサイルを打ち上げると予告(10日から22日の間)。こうなると,憲法を変えて国防軍をもつという自民党に風が吹くことになり,困ったなぁ,と思っていたら,こんどは震度4というかなり大きな揺れの地震が関東・東北の広域にわたって起きた。いまのところ原発に異常はないと報道されているが,やはり,心配なのは津波とそれに合わせて原発事故という東日本大震災の教訓である。このことを考えると,日本未来の党に風が吹くのかな,と勝手な想像をしている。

 このところ,毎日のように選挙に関する世論調査結果(わたしは,これを世論操作結果と呼んでいる)に関する情報が新聞やテレビを賑わしている。まだ,選挙運動がはじまったばかりで,しかも,新党が乱立するという前代未聞の選挙なのに,すでに世論調査(操作)を,いままでと同じ手法で行っている。このこと事態がまったくとんちんかんなことであるという認識もなく,メディアは大まじめに世論調査(世論操作)に取り組んでいる。こんどの選挙は,これまでと同じ方法の調査ではその実態はまったくつかみきれない選挙だ,という認識が欠落している。それで平気でいるメディアの人びとの無神経ぶり,不勉強ぶりは眼を覆いたくなるほどだ。まさに,自分たちが「思考停止」のままでいることに気づいていない。

 こんどの選挙は,これまでとはまったく違う情況にあることを,しっかりと考えるべきだろう。まず,第一に,こんどの選挙に関心があるという人が80%を越えているという。この人たちが選挙に行くとしたら,前代未聞の投票率の高さになる。わたしは,今回に限って,みんな投票にいくだろうと思っている。とりわけ,若い子どもをもつ母親を中心にその夫,そして,それぞれの両親(おじい,おばあ)が動く,と。可愛い子どもや孫のためには,黙っているわけにはいかない,という強い意志のようなものが感じられる。少なくとも,わたしの身辺から聞こえてくるのは,この人たちがこれまでとはまったく違う選挙への関心の高さを示しているということだ。このことをメディアは,知ってか知らずにか,まったく無視している。いつもの頬被り。しかも,ネットでは,日本全国各地で「脱原発」をかかげた市民運動が熱心に展開していることが流れている。このことは,かなり以前から意図的に,マス・メディアは無視である。

 80%の人が選挙に関心をもちつつ,そのうちの60%の人はまだどのように投票するかは決めていないという。にもかかわらず,自民が200議席を越える勢い,とメディアは報じている。よくよく読んでみると,投票行動が決まっているという40%足らずの人びとのうちの半数近くが自民を支持しているというのだ。言ってしまえば,20%にも満たない人びとが自民を支持しているにすぎない。この人たちは,おそらく,どんな情況になってもずっと自民を支持してきた人たちだったのだろう。まだ,60%の人が意志を決めていないことを無視して,自民圧勝,民主苦戦,のような報道がまかりとおっている。その他の党は眼中にない。これを「世論操作」といわずして,なんと呼ぼうか。

 まだ,意志決定をしていない60%の人びとが,じつは,こんどの選挙のキャスティング・ボートを握っているのだ。この人たちは,おそらく雨後の筍のごとく乱立した新党の,ほんとうの姿を見極めるべく,これからの選挙運動をとおしてなにを訴えようとしているのか,なにをしようとしているのかを,じっと注視しているに違いない。この人たちのこれからの意思決定いかんによっては,選挙結果に大きな影響をもたらす,いな,キャスティング・ボートを握っているのは,この人たちだとわたしは考えている。

 そして,ポイントになっているのは,脱原発,反原発,卒原発,などのさまざまな主張の違いの内実をさぐりつつ,最終的に原発を廃止することの本気度を見極めることにある,とわたしは受け止めているのだが・・・・。はたして,どうだろうか。

 こういう情況のなかにあって,北朝鮮は長距離弾道ミサイルの実験をやるという。その一方では,尖閣諸島海域の中国船の動きもある。こうなると,自民党の「国防軍」設置が,にわかに現実味を帯びてくる。それに反応している人たちも少なくないだろう。困ったことになってきたなぁ,と危惧していたら,こんどは,地震ときた。震源地の関係で,驚くほどの広域で震度4を記録している。かく申すわたしも,この震度4の揺れのさなかで,自分の身の危険よりもさきに,原発は大丈夫かな,と考えていた。そして,祈っていたのは,これ以上に大きく揺れるな,ということだった。第二のフクシマが起きたら日本は終わりだと考えているので,自分の身の安全と同時に,原発の安全を祈っていた。いまのところは異常は報告されていないというが,これも信用できない。都合の悪いことは報告しないという実績が,すでに明らかになっているからだ。

 これだけ揺れると,わたしと同じように考えた人も少なくないだろう。だとすると,この地震は日本未来の党に風を呼び込むことになるのだろうか,と考える。それほどに,いまの日本人は原発のことに思いをいたしている,とわたしは思っている。だから,北朝鮮のミサイルと今日の地震は,日本の行方に大きな影響を及ぼすことになるのでは・・・・,とあれこれ想像をたくましくしている。政治姿勢よりは,外圧に大きな影響を受けやすい日本国民のことだ。意外に,こんなことから選挙の帰趨が決まったりするのではないか・・・と。

 さて,残り8日間の選挙運動に,この二つのできごとがどのように影響するのか,わたしは胸をドキドキさせながら,このブログを書いている。

 わたし自身の立場は変わらない。尖閣もミサイルも「人為」の問題だ。これからの努力(外交,など)によっていかようにも対応は可能だ。あとは,選択肢の問題だ。しかし,地震は人為をはるかに超えた自然の活動である。地球のごくあたりまえの活動のひとつだ。これに逆らうことはできない。その地震と折り合いをつけるのは,原発を止めること以外にはない。これは自明なことだ。これはシモーヌ・ヴェイユのいう「義務」だ。自己中心主義的な「権利」を主張する人たちには,このことの意味を理解することはできないのだろう。

 情けないことに文明人は「権利」しか主張しなくなってしまった。しかし,その「権利」とて,他者の承認がえられなければ,なにほどのものでもない。つまり,あってなきがごときものなのだ。それに引き比べ,シモーヌ・ヴェイユのいう「義務」は「永遠で普遍的で無条件的なるもの」なのである。このことの意味については,追ってこのブログで書く予定。

 わたしの結論は,原発を廃止することはシモーヌ・ヴェイユのいう「義務」である,というものだ。詳しくはのちほど。

 今日のところは,ひとまずここまで。

2012年11月28日水曜日

ほんとうの第三極の誕生か。日本未来の党。嘉田由紀子党首に期待。

 「卒原発」を旗印に,「原発ゼロ」をめざす党派を結集して,みんなで大同団結し,新しい日本の未来を築こうと呼びかけた嘉田由紀子滋賀県知事の決断にこころからの拍手を送りたいと思います。いまこそ,小異を捨てて大同につく,つまり,なによりもまずは「卒原発」という大同のためにその他の小異は捨ててでも団結し,そこを出発点にして新しい日本の未来を構築して行こうという嘉田さんにこころからの敬意を表したいと思います。

 その「日本未来の党」に,「国民の生活が第一」を解党して合流する決断をした小沢一郎にも,こころからの敬意を表したいと思います。これに河村たかしと谷岡郁子と阿部知子の「原発ゼロ」派が合流すると聞いているので,これこそ正真正銘の「第三極」の誕生である。

 これまでメディアが喧伝してきた「第三極」は,完全に宙に浮くことになる。つまり,石原+橋下の日本維新の党である。もはや,存在理由がなくなってしまった。なぜなら,日本維新の党が石原と組むことによって,脱原発を放棄してしまった以上,日本維新の党も自民党も基本的にはなにも変わらなくなってしまったからだ。違うのはTPPくらいのものだ。人間の「命」のかかった原発のことを考えれば,そして,「命」を最優先させる政治を考えればTPPの問題をどうすべきかはおのずから「NO」という答えがでてくる。

 こんな簡単なことが,民主党もわかっていない。今日のマニュフェストの発表で「原発ゼロ」を30年を目処にめざすという。それでいて,TPPは積極的に参加するという。国民の反発をかわして,アメリカのご機嫌をとるという,なんとも依怙地な情けない党になったものだ。日和見主義などということばは使いたくもないが,こんな稚拙な対応で国民を抱き込むことができると,ほんとうに思っているのだろうか。もし,そうだとしたら,あの一見,賢そうにみえる民主党の若手リーダーたちは,単なる計算と打算の世界を泳ぐだけに専心する,たんなる水泳の名手であるにすぎない。

 今日(27日)の,この段階でのわたしの眼には,自民党と日本維新の党とは,それこそ大同小異。原発推進という点では同じ。橋下君は「原発ゼロ」は不可能だと街頭演説で断言した。そんなできもしないことをやろうとする野合が,いま進んでいる,と吐いて捨てた。わかりやすくていい。はい,よくわかりました。それで結構です。自民党と同じ。バツ(×)。

 民主党は「原発ゼロ」実行,と宣言した。ならば,いますぐ大飯原発を止めて,活断層の調査を優先すべきではないか。活断層の有無が「グレイ」なら,「即停止」がルールではなかったか。それすらしようとはしない。やはり,「原発ゼロ」は票集めのための見せかけでしかない。わたしは信ずることはできない。まずは,行動で示してほしい。やろうと思えばできるのだから。その上での選挙ではないのか。そんな有力な武器を使わないでいる。その気がないからだ。国民を舐めている。こんどの選挙での国民は,これまでの国民とはまったく違う覚悟をしている,ということがまるでわかっていない。

 社民党と共産党も,こんどの選挙の意味がわかってはいない。福島君などは,嘉田さんの決断は立派だと思います,と持ち上げた上で,にっこりわらって,でも,わたしたちは同調しません,と断言した。そのなんとも間抜けた表情が印象に残った。志位君も,けんもほろろという対応だった,と記憶する。全然,問題外だと言わぬばかりの・・・。いま,問われているのは「日本の未来」をどうするか,ということだ。そのことがわかっていない。これまでどおりの選挙の闘い方しか考えていない。その意味では,この両党とも「思考停止」の状態から抜け出せていない。「3・11」以後は,もはや,それ以前の論理はなんの役にも立たない,ということすらわかっていない。

 その点,国民の方がはるかに先に進んでいるように思う。もはや,党派などは考えても無駄だ,と。そして,日本の未来図を描くときに,まずは「原発」をどうするのか,推進するのか,ゼロにするのか,その決断いかんによって,その他の政策もおのずから決まってくる,と覚悟を決めている。たとえ,生活が苦しくなろうとも,それを耐え忍ぼう,と。そして,まずは「命」を守ろう,と。そこから,できることを始めよう,と。そのくらいの覚悟は決めている。

 とくに,幼い子どもを育てている母親は,まずは,なによりも,我が子の「命」を考えている。自分は仕方がないとしても,なんの罪もない子どもにだけは,可哀相な思いをさせたくはない。そのためにはからだを張ってでも守る。それが母親というものだ。この切実な思いを,政治家のみなさんはわかっているのだろうか。この母親の切実な思いは,当然のことながら,若い父親にも伝わる。当然のことながら,ジジ・ババにとっても可愛い孫のために・・・・・と切実な問題だ。そして,これはなんとかしなくては・・・と考える。最近は,我が子の運動会で一生懸命に走る父親が増えてきているとも聞く。

 マネーのために「命」を犠牲にしてもいいと考えるバカはいない。

 しかし,これまでの既成政党に所属する議員さんの多くは,「命」を忘れてマネーの魅力にとりつかれてしまっている。経済最優先。マネーの亡者となりはてている。そして,そこから抜け出せないでいる。情けないことだが・・・・。

 そこに「一撃」を加えようとして立ち上がったのが嘉田由紀子さんだ。まずは,なにがなんでも「卒原発」に舵を切ろう,と。それを前提にした政治を,これからは目指そう,と。日本が生まれ変わるための絶好のチャンスが,いまであり,こんどの選挙なのだ,と。そのためには「卒原発」で手を結び合おう,と。

 正真正銘の「第三極」が,忽然と,その姿を明らかにすることによって,投票する党派がみつからなくて,絶望に打ちひしがれていた国民の前に,明るい希望に満ちた日本の未来がみえてきた。選挙も,じつに,わかりやすくなってきた。さあ,これからだ。

 まだまだ,政局の行方は予断を許さないが,つまり,このさきなにが起こるかわからないが,選挙告示直前になって,ひとすじの光明がみえてきた。その意味で嘉田由紀子さんにこころからの拍手を送りたい。そして,それに応えられるような,多くの国民が納得できるような,大同の道筋を示してほしい。そのプロセスを,わたしはしっかりと見極めてみたい。そうすれば,ひょっとしたら,大きな「雪崩現象」が起こるかもしれない。

 いまこそ,国民の一人ひとりが,みずからの良心に問いかけ,本気で日本の未来を考え,選挙にみずからの意志を表明しようではないか。

2012年11月20日火曜日

「小異を捨てて大同につく」とは「原発ゼロを捨てて原発推進につく」ということでした。正体みたり。

  イシハラ君とハシモト君がとうとう手を組んだ。その記者会見では「小異を捨てて大同につく」とイシハラ君が大見得を切った。イシハラ君は数さえ集まればいいという無節操ぶりを曝け出し,減税のタカシ君もみんなのヨシミ君も抱き込もうとした。が,ハシモト君があくまでも政策で一致することが大事と主張してこの二人のことは先送りとなった。が,一方でそのハシモト君はみずからの政策まで変更してイシハラ君と手を組むことにした。

 すなわち,「原発ゼロ(小異)を捨てて原発推進(大同)につく」という選択だった。

 なんという無節操な・・・・。要するに権力への近道を選んだだけのこと。その一方でライバルは切り捨てておく,というハシモト君の根性もまるみえとなった。

 これで「原発推進」の自民党を筆頭に,軒並み「原発推進」を声高らかに宣言することになった。これで選挙が戦えると思っているらしい。国民をバカにするのもいい加減にしてほしい。民意の80%は「原発ゼロ」を希望しているというのに(政府発表の調査結果)。ただし,最近の東京都民の意識調査では56%だという。東京都民だけの異常現象なのか(都知事選に向けての調査なので,原発への意識は低くでたかも),それともあっという間に「原発ゼロ」の民意は薄れてしまったとでもいうのだろうか。それにしても,過半数は「原発ゼロ」を望んでいる。

 この数字とはうらはらに,政党支持では自民党がトップ,第二位に民主党,第三位に維新,第四位に国民の生活が第一,とつづく(新聞社によって調査結果が異なる)。このうち,「原発ゼロ」をはっきり謳っているのは国民の生活が第一だけ。民主党の「原発ゼロ」は口先だけで行動は再稼働,だから,わたしは信用しない。意外なのは,「原発ゼロ」を鮮明に打ち出している社民党や共産党への政党支持率が上がらないことだ。なにゆえに,こんなに支持率が低いのか。政党を代表する看板の印象がわるいのか,それともほかに理由があるのだろうか。

 でも,ここはワン・ポイント・リリーフでもいい。とにかく,政党のこれまでのイメージよりも,「原発ゼロ」をしっかりと掲げている政党,あるいは無所属の人を見極めるべきではないか。そして,民意をしっかりと反映する政治に向けて舵を切ることだ。その絶好のチャンスがこんどの選挙だ。その鍵はわれわれが握っている。このことを忘れてはいけない。

 ここを間違えるとたいへんなことになる,とわたしは考えている。かりに,自民党が政権党に返り咲いたとしたら,アベ君はすぐにイシハラ君,ハシモト君と手を結んで,巨大な権力を構築することになるだろう。そして,ノダ君のところの再選議員も雪崩をうって離党し,政権党に鞍替えすることになるだろう。あるいは,その前に雪崩現象が起きるだろう(誓約書を書かない候補は公認しないという異常ぶりに注目)。

 こうなると,55年体制よりももっとひどいことになっていく。長年かかって構築してきた原子力ムラの住民たちが一気に活性化し,かれらの思うままに日本が作り替えられていくことになる。ふたたび,全国の原発が再稼働され,つぎの大震災で日本列島は沈没していく。まさに,金に眼がくらんだ亡者どもの意のままだ。

 近隣諸国のもっとも恐れている日本の右傾化が,ますますはっきりしてくる。それこそ,この流れでいくと,憲法を改正(改悪)して,再軍備へ一直線,となりかねない。その結果は「ドンパチ」のはじまりである。しかし,それだけはなにがなんでも回避しなくてはならない。つまり,原発推進派がひた隠しにしているほんとうの意図は,いつでも原爆を製造可能な能力(最先端の科学技術)を保持することにある。もう一点は,原発を輸出して一儲けしようとする経済効果である。わたしたち国民の命を犠牲してまでも,いやいや世界中の人びとの命と引き換えに,恐ろしい道を突き進もうとしているのだ。

 そうしたすべての分岐点が,「原発ゼロ」か,「原発推進」か,なのである。ここさえ決まれば,つぎなる政策の選択肢が決まってくる。TPPも増税も沖縄問題も,なんの迷いなく意志決定することができるだろう。だから,ほんとうに今回の選挙は日本の未来の命運を賭ける大事なわれわれの意志決定なのだ。

 「小異を捨てて大同につく」などと立派なことを言っているが,じつは,下心がまるみえなのだ。繰り返しになるが,権力への近道を選んだだけで,たんなる利害/打算の結果にすぎない。こういう輩の言動に幻惑されないように,ご用心,ご用心。

2012年11月16日金曜日

政界サル芝居のはじまり,はじまりぃっ。メディアも一緒にサルしばーいっ。下心まるみえ。

 衆議院を解散する,と大見得を切ったドジョウ君。この啖呵は政界サル芝居としてはおみごと。政界一座の座長としては大向こうを唸らせる立派な演技。解散しろ,解散しろと言い続けてきた,敵役のアベ君も度胆を抜かれ,しばし茫然としたあきれ顔。シナリオのある,約束ごとの演技ではとてもできない迫真の演技。政界サル芝居としては立派な山場をつくって,ドジョウ君もスッキリしたことだろう。

 大山鳴動して鼠一匹どころか,何十匹もの鼠が騒ぎはじめた。もう,すでに15日だけで,二つの新党結成が伝えられている。まだまだ,いろいろの新党が生まれ,新党までいかなくとも新会派が生まれることだろう。驚いたのは,社民党まで鼠が騒ぎはじめて,阿部知子が新党を結成するという。おやおや,である。加えて,高齢者議員がつぎつぎに政界引退を表明していることも,おやおや,である。こちらは,もはや,自分たちが馴染んできた政界ではなくなったという絶望がにじむ。こうして,若い鼠も,年老いた鼠も,身の振り方に四苦八苦というところ。これからしばらくは鼠の右往左往芝居がつづくだろう。

 長生きはするものだ。長年,日本の政界をそれなりに眺めてきたが,こんなに面白いサル芝居をみせてくれるのは生まれて初めてのこと。千載一遇のできごとのはじまりだ。あまりの面白さで,嬉しいというよりは悲しい,いや,情けない。しかし,これが日本の政界の現実だ。立派な議員バッヂをつけてふんぞり返っていると,なんとなく立派な人に見えていたが,なんのことはない,大山が鳴動したら,この人たちの多くは単なる鼠だった。たかが解散と言われただけで,とたんに,わが身の保身に走りまわり,どこに身を寄せようかと必死だ。みっともない話だ。国を挙げて自己中心主義の大流行。自分の利害のことしか考えてはいない。

 その一方で,なにを勘違いしたのか知らないが,もうすでに政権党になることが確約されたかのような顔をするどさ回りの一座もいる。この一座は,座長選びのときに5人もの座長候補が名乗りを挙げたが,揃いも揃って,みんな「原発推進」を高らかに明言した。それで平気なのである。いったい,だれに向かって宣言していたのだろうか。「原発ゼロ」を望む国民が80%に達しているというのに・・・・。かれらの顔は日本国の国民の方を向いてはいない。明らかに太平洋を越えたはるか東の国の方を向いて,ご機嫌をうかがっているようにみえる。

 考えてみれば,もう,ずいぶん長い間,この一座の人たちは代々政権を担ってきて,東の方の米のなる木が生い茂る国の傀儡政権としての役割をはたしてきた実績をもっている。だから,そこに戻れば日本国は安泰だと信じて疑わないらしい。なぜなら,考える必要がないからだ。すべては,ご指示どおりに実行していれば,自分たちの身は保全される。その方が楽でいい。しかし,日本国民のことなど眼中にはない。沖縄をみれば一目瞭然だ。じかし,じつは,沖縄だけだと思っていたら大間違いだ。気がつけば,日本全体が,遠からず沖縄化するだけの話。それに気づいていても,気づいていないふりをする,もっとも質の悪い一座なのだ。

 このサル芝居を,側面から演出しているのがマス・メディアだ。かれらもまた保身に走り,どの一座に身を寄せているのが一番安泰なのかと必死で計算している。それは報道の姿勢をみていればよくわかる。NNKに似たテレビ局を筆頭に,みんな東の国の方を意識しているかのように,わたしには見える。新聞も同じ。売り売り新聞などはその典型だ。その他の新聞もあっちに転んだり,こっちに転んだり,たいへんだ。

 それは「第三局」をめぐる報道の仕方に如実に表れている。なにゆえに,第三局はハシモト君やイシハラ君の動きに集約されているかのような報道をするのか。いずれも,右側路線の,第三番目の政党にすぎないではないか。もっと,はっきり言っておこう。自民党は原発推進を明言しているし,民主党は脱原発をいいつつ,原発再稼働に踏み切っている。第三局も,どうみても原発推進派だ。ということは,みんな原発推進ではないか。

 なにゆえに,原発ゼロを主張している社民党や共産党などの動向を,メディアは無視するのか。現状では,原発ゼロをはっきりと主張している政党が,どことどこなのかを正確に答えられる国民はほとんどいないだろう。そのようにメディアが仕掛けているからだ。もっともひどいのは,小沢一郎潰しに,どこもかしこも一致団結している姿だ。国民の生活が第一が,原発ゼロを主張し,TPPに反対しているからなのだろうが,その事実すら報道しようとはしない。この暴力はどこからくるのか。それほどに小沢潰しに躍起になっている集団がどこかに存在するということは確かだ。小沢裁判はそのための仕掛けだったことも,いまにしてみれば明らかだ。検察が偽証までして起こした裁判だというのに,お咎めなし,というのもわたしには納得できない。いしめられると人は強くなる。小沢一郎がどういう戦略で,こんどの選挙を闘おうとしているのか,わたしは注目している。

 こんなに手の込んだ,執拗なまでの小沢潰しの元凶は,やはり,東の方の米のなる木が生い茂る国にあるらしい。しかし,これは,ほとんどわたしの確信に近い。そのための傍証も挙げろといわれれば,いくつも挙げることができる。そういうことを裏付け,実証している名著もたくさん出版されている。わたしは,そちらに「信」をおく。

 そういう名著の何冊かを読むと,日本の占領政策はいまもつづいている,と考えざるをえない。なにも考えない,新聞・テレビの報道を丸飲みにしてなんの疑いももたない,のみならず週刊誌の「・・・らしい」という記事までまるごと信じてしまう,そういう国民がいつのまにか圧倒的多数を占めるようになってしまっている。それもまた占領政策の一環だったのではないか,とわたしの頭の中は不信感でいっぱいだ。だとしたら,AIC?は恐るべし。

 こんどこそ,わたしたちが目覚めるときだ。これからはじまる「天下分け目の関ヶ原」という演目の政界サル芝居をとことん見極めて,みずからの命を託することのできる政党を探し出すこと。そのポイントはただ一つ。「原発ゼロ」か,「原発推進」かの二者択一だ。

 なにはともあれ,これから佳境に入っていくであろう政界サル芝居を見物しながら,問題の本質がどこにあるのか,しっかりと見極めることにしよう。そこでは,いいことも,悪いことも,なにもかもが,みんな丸見えになってくるはずだから。しかも,そこにメディアというバイアスまでかかってくるのだから。いったい,なにが本当で,なにが嘘なのかすらわからないような情況が生まれてくる。その虚実の皮膜の間(あわい)にこそ真実は宿るという。つまり,問われているのはわたしたちの眼力だ。

 さあ,これからはじまる政界サル芝居をとおして,われわれ自身の眼力を養うことにしよう。そして,しっかりと見極めることにしよう。その結果が,よくもわるくも,日本の将来を決するのだということを覚悟して。

2012年11月15日木曜日

「原発ゼロ」をめざす絶好のチャンス到来。われわれ国民の出番だ!

 とうとうドジョウ君が投げ出した。遅きに失した感もあるが,そんなことはどうでもいい。しっかりと前を見据えて,「原発ゼロ」(脱原発/反原発もみんなふくめて)を熱望する80%の国民の意志を,選挙行動で明らかにすること,そのための千載一遇のチャンス到来と受け止めたい。だから,わたしたちの責任は重い。

 これからの一ヶ月,なにが起こるかまったく予測ができない。政界再編があちこちで起こるに違いない。どうせ,みんな自分勝手な保身のための利害・打算で行動する安っぽい政治家たちばかりだ。そんなものに眼を奪われる必要はない。

 争点はただひとつ。「原発ゼロ」に向けての「やる気」のみ。

 復興はみんな言うに決まっている。そして,やって当たり前だ。なにがなんでもやらなくてはならない。これは争点にはならない。みんな共有/必須だから。

 問題は,「原発ゼロ」を玉虫色に見せかける政党がわんさとでてくることだ。この玉虫色に【ご注意】を。ことばの綾にごまかされないように。きちんと「原発ゼロ」に向けての政策(実現計画)がマニュフェストに書き込まれているかどうかを見極めること。

 そうして,これからの日本の行方を、わたしたち国民の側から指し示すこと。つまり,昨日(11月14日)までの日本(原発を止めるといいつつ,動かす,この支離滅裂)に決別し,新しい日本の姿/かたち(原発ゼロに向けての着実な行動計画)を模索していくこと。いうならば,天下分け目の「関ヶ原」の決戦である。ここでわれわれ国民が判断/選択の間違いを犯すとしたら,もはや,この国に未来はないだろう。まさに,原発列島沈没論が,現実になってしまう。

 だから,原発列島沈没論だけはなんとしても回避させなければならない。

 ほかにも論点は多々ある。しかし,原発ゼロの姿勢を毅然と示すことのできる政党であれば,おのずから,沖縄の基地問題もTPP問題も,間違いなく裁くことができる。消費税増税,憲法改正(じつは改悪),定数是正,などなど。すべて同根/同源だから。つまり,「人が生きる」という点を最優先させるかどうかということだから。もちろん,復興も同じだ。すべては,この「人が生きる」というところからの仕切り直しなのだ。それをこそ,こんどの総選挙の争点にしなくてはならない。そして,その指標が「原発ゼロ」だ。

 言いたいことは山ほどある。各論については,これから議論することにしよう。とりあえずは,昨日(14日)のドジョウ君の発言,そして,明日(16日)の衆議院解散に向けて,現段階でのわたしの「思い」をひとこと。

2012年11月13日火曜日

城南総合研究所調査報告書 No.1.をもらってきました。

 今朝(12日),城南信用金庫に立ち寄って「城南総合研究所調査報告書 No.1.」をもらってきました。いつも鷺沼の事務所に行くときに通る道筋にありますので,ちょっと立ち寄っただけです。もちろん,とても親切に対応してくれて,「今朝の便でとどいたばかりです」とすぐに渡してくれました。「いつも,応援してますよ」と声をかけたら,にっこり笑顔で「ありがとうございます」と元気のいい声がかえってきました。たったこれだけの会話でしたが,気持が明るくなり,とても元気がでるものです。

 気分爽快でしたので,事務所に到着してすぐに読みました。A4サイズで4ページ。まあ,リーフレットのようなものですが,大事なことが,わかりやすい文章で書いてありました。問題のポイントを,だれが読んでもすぐにわかるように,上手に説明しています。いっそのこと,全文を転載したいところですが,それはやめておきましょう。これまで,わたしがこのブログで書いてきたことと,ほとんど同じ論旨になっていますので,書かなくてもわかっていただけると思うからです。

 その代わりにといってはなんですが,城南総合研究所名誉所長・加藤寛(慶応義塾大学名誉教授)の挨拶文が掲載されていて,それがとても簡潔で,秀逸だと思いますので,こちらを全文,転載させていただきます。それは以下のとおりです。

 ただちに原発をゼロに!
 国民の手に安全な電気を取り戻し,日本経済の活性化を実現しましょう!!

 原発はあまりに危険であり,コストが高い。ただちにゼロにすべきです。原発がなくても日本経済は問題ないことは今年の原発ゼロですでに実証されています。火力発電だけで電力は十分に供給可能です。
 燃料費がかかると言いますが日本の経常収支は黒字です。仮に赤字になっても,為替レートで収支は調整されるので全く問題ないのです。それに為替レートが円安になれば国内企業にとっては輸出競争力が高まり,かえって経済の活性化につながるのです。
 松永安左エ門のつくった9電力体制は,地域分割で独占の弊害を是正しようとしたものですが,今では,政府と癒着し,利用者,国民を無視し,さらに原子力ムラという巨大な利権団体をつくってマスコミ,そして国家をあやつるなど,独占の弊害が明らかになっています。これを公共選択論という経済学では,レントシーキング(たかり行為)といいます。かつての国鉄は,独占を排除し分割民営化により,利用者や国民を向いた経営に転換しました。
 太陽光や風力,地熱,バイオマスなどの発電技術,LED,エコキュート,スマートグリッドなどの節電技術,さらには蓄電池などの技術などにより,電力の技術革新も急速に進み,地産地消や水素を用いた新たな配送方法が発達することが予想されます。こうした技術革新の中で,そもそも,原発に依存したこれまでの巨大電力会社体制も,近い将来は,時代遅れになり,恐竜のように消滅するでしょう。
 このまま「古い電力である」原発を再稼働しても,決して日本経済は活性化しません。むしろ脱原発に舵を切れば経済の拡大要因になります。中小企業などものづくり企業の活躍の機会が増えます。新しい時代の展望が開ければ新しい経済が生まれます。脱原発は新産業の幕開けをもたらし景気や雇用の拡大になります。経団連が雇用減少といいますが,むしろ脱原発は雇用拡大につながるのです。
 その意味でも,ただちに原発をゼロにすべきです。そしてかつての国鉄改革のように,電力の独占体制にメスを入れて,発送配電分離はもちろん,官庁の許認可に頼らない,真の自由化を実現し,国民の手に安全な電気を取り戻し,日本経済の活性化を実現しましょう。

 以上が名誉所長・加藤寛氏の挨拶文です。もはや,なんのコメントも必要としないみごとな論旨の展開です。こういうコンセプトのもとで,城南総合研究所が,これから個別のテーマに沿って,調査研究に取組み,報告書をまとめていくというのですから,とても楽しみです。大いに期待したいと思います。

 なお,この調査報告書の内容は,城南信用金庫のHPを開いていけば,読むことができると思いますので,ご確認ください。

 いつもの繰り言になりますが,政府の世論調査でも「原発ゼロ」が80%を越えているというのに,政府も官僚も財界も学界もメディアも,足並み揃えて「無視」しようとしています。これが日本の民主主義の実態です。エリート集団であるはずの,この人たちの「理性」はいまや完全に「狂気」と化しているとしかいいようがありません。しかも,この狂った人たちの考えが野放しにされたまま,しかも主流を形成しつつある,まさにいま,「選挙」が行われようとしています。いまこそ,わたしたちが目覚めなくてはなりません。そして,なにがなんでも,狂ってしまった人たちの「理性」を糾すための選挙にしなくてはなりません。関が原の戦いは,すでに火蓋を切って落とされました。これから問われるのは,わたしたち一人ひとりの曇りなき「魂の欲求」の要請にこたえる「理性」です。

 それも簡単なことです。命を守ることを最優先にする考え方に立つこと。つまり,生きることの基本を取り戻すこと。ここからのやり直ししかありません。

 この「生きる」人間にとって「スポーツとはなにか」,これを考えることがわたしのスタンスです。ようやく,その道すじも朧げながら見えてきました。これらはすべて一つの「根」に立ち返っていくように思います。原発の問題はそのことを,わたしたちに強く訴えているように思います。



2012年11月11日日曜日

「原発廃炉 経済的にも正しい」・城南信金シンクタンクにエールを。

  11月9日付けの『東京新聞』朝刊一面に,「原発廃炉 経済的にも正しい」という見出し記事が報じられています。情報の出どこは城南信用金庫のシンクタンク「城南総合研究所」(9日付けで本店企画部内に設立)。

 城南信用金庫といえば,「3・11」後に,いちはやく「脱原発」宣言をした金融機関として一躍有名になりました。正確にいえば,吉原毅理事長の強力なリーダーシップのもと,昨年4月に,「原発に頼らない安心できる社会」を目指す,という基本方針を発表しました。金融機関が「脱原発」を経営のコンセプトに据えて,全面展開をしているのは,おそらく城南信用金庫のほかにはないでしょう。寡聞にして,聞いたことがありません。

 この心意気に感動して,わたしもささやかながら口座を開設して,支援することにしたことはこのブログにも書いたとおりです。

 ですので,今回のシンクタンク「城南総合研究所」の立ち上げは,わたしにとっては大きな朗報でした。しかも,その第一報が「原発廃炉 経済的にも正しい」というリポートだったことも,大いに力づけられるものでした。といいますのも,原発推進派の動きが,最近になってふたたび活性化を始め,なし崩し的に原発再稼働に向って一直線・・・・ついには「もんじゅ」までもが息を吹き返しそうな勢い・・・になってきていたからです。

 民主党は自滅の道をまっしぐら,それを見届けながら,自民党はすでに次期政権に向けて手ぐすねを引いています。第三極も行き先不明・・・。もし,あるとすれば選挙の仕掛け人小沢一郎がどのようなわかりやすい選挙スローガンをかかげるか,だけでしょう。小沢一郎が,思い切って「原発の即時廃止」「再生エネルギーの推進」「日米地位協定の見直し」「尖閣問題の仕切り直し」「TPP拒否」等々の,日本の将来を決する懸案について決然と覚悟を決めるかどうか,ここだけを現段階では注目しています。でも,選挙の小沢は最後まで「だんまり」を決め込んでおいて,最後の最後で「切り札」を使うのだろうなぁ,と勝手な想像をしています。

 こんどの選挙は,なにがなんでも「原発」をどうするのかということについての決着をつけなくてはなりません。そのためには,国民の意志がきちんと反映される受け皿が必要です。その受け皿となるべき政党がいまのところ見当たりません。今日の『東京新聞』の世論調査結果がそれをみごとに映し出しています。つまり,投票したい政党がない,が圧倒的多数です。ここが大問題です。ここを小沢一郎が見逃すはずはない,とこれはもう妄想に近いものがわたしのなかに蠢いています。困ったものではありますが・・・・。ほかに,なにも打つ手がないのですから・・・。

 こういう情況のなかで,城南信用金庫のシンクタンク「城南総合研究所」の設立は,わたしにとってはタイミングのいい朗報だったというわけです。もちろん,ほとんどのメディアが無視するでしょうが,地域経済や中小企業にはそれなりの大きな役割をはたしていることを考えると,このシンクタンクのこれからのリポートには注目したいと思います。

 これまでに公表されてきた原発のコストは,国が支払う交付金も,使用済み核燃料の処理や保管に掛かる費用も含まれていません。これらを原発コストの計算のなかに加えるべきでしょう。そうすれば,原発コストが恐ろしい金額になることはだれの眼にも明らかです。そういうデータを,城南信用金庫のシンクタンクが,これからつぎつぎに提示してくれることを期待したいと思います。

 恐るべき原子力ムラの勢力に対抗して,ひとり孤軍奮戦する城南信用金庫を,これからもささやかながら応援していきたいと考えています。

2012年10月18日木曜日

選挙の小沢が「脱原発」でドイツと連帯。面白いアメリカ対策。

小沢一郎がようやく重い腰を挙げて,最後の大勝負にでたようです。「選挙の小沢」が「脱原発」をどのように打ち出してくるのかと思っていたら,やはり,練りに練った「奇策」で打ってでました。世界でもっとも早く,明確に「脱原発」を宣言して,再生エネルギーへと舵を切ったドイツと連帯しようというのです。矛盾だらけの原発政策を展開して,国民の意志を完全に無視しつづける政府・民主党をはじめ,原発推進で固まっている自民党の無能ぶりを見届けた上で,この逼塞した政局を打破するための選挙戦略としては抜群のアイディアとしかいいようがありません。これで,国民の7割に達しようという「脱原発」を望む選挙民の関心が一気に小沢一郎に向かっていくことは,ほぼ,間違いないでしょう。それほどに,他の政党がだらしないというだけの話ですが・・・・。しかも,この小沢一郎の戦略には,さまざまな伏線まで引かれているようです。とりわけ,アメリカ対策という点では,世界を視野に入れた絶妙な妙手としかいいようがありません。

昨夜(17日)の22時の共同通信の配信として,以下のような記事がネット上に流れていました。紹介しておきましょう。

〔ベルリン共同〕新党「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は,17日午後,ドイツのアルトマイアー環境相とベルリンで会談し,脱原発を進めるべきだとの認識で一致した。小沢氏は「『生活』は期限を切って10年後の脱原発を主張している」と強調。これに対しアルトマイアー氏は「福島の事故後『このままでは駄目だ』と,ドイツ国民の8割とすべての政党が脱原発を支持した」と国内状況を説明した。

この情報を,さて,18日(木)の新聞・テレビはどのように報道するのでしょうか。わたしは興味津々です。またぞろ「小沢つぶし」の圧力がどのようにかかってくるのか丸見えになるからです。小沢裁判も,まさに検察と司法とが手を組んで(だれが組ませているのかが問題),ひたすら茶番を繰り返しているにすぎません。すでに政治家としての小沢は瀕死の状態に追い込まれています。が,ここは不死身の起死回生,政治家としての最後の,とっておきの「一手」を繰り出して,間近に控えた選挙に臨もうと覚悟を決めたようです。

「国民の生活が第一」と名乗りを挙げた新党としては,ここはなにがなんでも「脱原発」を前面に打ち出して,流れを変えるしか方法はありません。自民党を除くどの政党も蚊の鳴くような声でしか「脱原発」がいえない(電力各社の労働組合に気兼ねしてか)腰砕けに,国民は嫌気がさしています。この逼塞状態から脱出するためには,世界的な視野に立つ戦略が不可欠でした。囲碁好きの小沢一郎らしく,盤面の戦況をしっかりと見据えて,ここで打つべき「手」はこれしかない,という選択をしたようです。

長年にわたる自民党とアメリカとの「裏約束」も十分に承知している小沢一郎が,その「腐れ縁」をどこまで断ち切ることができるか,そして,「国民の生活が第一」をどこまで徹底することができるか,少なくとも,ここしばらくの間はしっかりと見届けていきたいと考えています。ついでに,「沖縄県民の生活が第一」という看板も高くかかげて,OSPREYの配備撤回と日米地位協定の破棄,そして,基地の国外移転を,声高らかに謳ってほしいものです。

どの既成政党も,蓋を開ければ「派閥争い」ばかり。船頭多くして船進まず(民主党も自民党も同じ),その他の政党も似たようなもの。党内の空気を読むことばかりに追われていて,大局を見極める力量をもった政治家が現れません。ここは独断と偏見といわれようと,あるいは,限りなくクロに近いグレイといわれようと,「国民の生活が第一」を徹底させて,「脱原発」へと明確に舵を切る,豪腕を期待したいと思います。お断りしておきますが,他の政党があまりにだらしないが故の,わたしの窮余の選択です。ついでに言っておけば,小沢一郎という人物そのものは,むかしから好きではありません。その上での,限定つきの支援表明です。

日本という国の行方を決する最大の山場が,来るべき総選挙です。こんなことはもうみんなよく承知していることです。そして,こんどというこんどこそ,国民の本音をありのまま叩きつける以外には方法はありません。

その意味で,これからの小沢一郎の言動と,これに少なからず影響されるであろう他の既成政党の動向を見極めていきたいと考えています。

取り急ぎ,心情の吐露をさせていただきました。もちろん,これからの動向いかんによっては,わたしの気持も変わるでしょう。ただ一点でけ。小沢一郎のこの動きに,しばらくは注目していきたいということです。それ以上の他意はありません。

2012年10月8日月曜日

異色の市民運動発電,相模原の「藤野電力」に注目。

 10月6日(土)に藤沢市で,「みんなで決めよう『原発』国民投票 神奈川」が主催したイベントに参加し,ドイツのドキュメンタリー映画『シェーナウの想い』をみてきました。とても大きな衝撃を受け,こんな市民運動がはたして日本で可能なのだろうか,と帰る道筋,ずっと考えていました。

 シェーナウのあの美しい山村風景のもとで生をうけ,みんなが顔見知りという,古きよき時代の共同体のなかで育った人たちのような郷土愛が,いまの日本のどこで育っているのだろうか,ということがわたしの最大の気がかりでした。日本の都会はもとより,郊外も崩壊寸前,農村社会も徐々にその共同性が弱体化しつつある現状を考えたとき,ドイツのシェーナウのような市民運動ははたして可能なのかどうか,その点が気がかりでした。

 ところが,今日(10月8日)の『東京新聞』朝刊には,「エネルギー再考」という大きな【コラム】記事があり,日本も捨てたものではない,ととても勇気づけられました。その記事の冒頭のつかみの文章は以下のとおりです。

 太陽光や小水力なと,再生可能エネルギーを利用した発電を地域内で強力に進めようとする動きが,全国各地で目立ち始めている。自治体が関わるパターンが目立つが,相模原市緑区藤野地区の「藤野電力」は純粋な市民運動で異色。脱原発や再生可能エネルギー推進の各地の市民運動に刺激を与えている。(白井康彦)

 さらに記事はつづきます。
 市民グループ「藤野電力」は昨年五月にスタート。中心メンバーは十人ほどで,活動拠点は地元アーティストらが使っている「牧郷(まきさと)ラボ」。03年に廃校になった小学校の建物だ。

 この廃校となった小学校に「太陽光」の拠点をつくろう,まずは使われなくなったプールに太陽光発電パネルを並べることからはじめよう,というところから藤野地区の市民運動が立ち上がります。そして,やがては小水力発電の装置を地区内に設置する予定だという。いまは,その資金集めのための寄付を募集中。これがうまくいけば「市民発電所」となる予定。

 その一方では,パネルやバッテリーなどの発電セットを自作して,増やしていく。そして,「ミニ太陽光発電システム」セットの組み立て方を伝えるワークショップの開催,藤野地区の個人宅へのセットの設置,などを柱として活動を展開している,という。これ以上の詳しいことは新聞の記事でチェックしてみてください。

 この記事の末尾には,つい二日前にみてきたばかりのドキュメンタリー映画の舞台,シェーナウ市の事例が紹介されています。そして,再生可能エネルギーを推進しようとしている日本各地の市民運動も,このシェーナウの事例に勇気づけられている,という。そして,着実に市民運動をとおして,「大量消費型社会システムから,環境に優しい持続可能な生き方に移行」しようという英国生まれの「トランジット」の試みが,日本の各地に浸透しつつある,といいます。

 シェーナウの事例を知らなかったのはわたしだけで,すでに,再生可能エネルギー推進に取り組んでいる市民運動家たちの間では常識だったようです。こういう情報が,これから少しずつ一般市民の間にも浸透していくにつれ,やがては大きな運動に展開していくことを期待したいと思います。遅ればせながら,わたしもその一助になれればと考えています。

 政府はもとより,ありとあらゆる細部の組織までからめ捕られてしまった「原子力ムラの支配」から抜け出すためには,自分たちの手で,具体的に,地域分散型の再生可能エネルギーを確保していく以外には,いまのところ方法はないようです。

 毎日,毎日,憂鬱になる情報ばかりが駆けめぐっているなかで,このような小さな努力が,着実に立ち上がっていることに,わたしは大きな希望を託したいと思っています。そして,できることなら,わたしもまた,その一員になっていきたいと考えています。まずは,できることからはじめる,そのようにみずからに言い聞かせながら・・・。

 今日はこれから代々木公園に行ってきます。のちほど,その報告も。