第27回スポーツ史学会大会が,11月30日(土)・12月1日(日)の二日間にわたり,東洋大学(朝霞キャンパス)で開催されました。参加者も例年よりも多く,若い研究者の質疑が盛んに展開され,これからが楽しみな会になってきたと思いました。言ってみれば,世代交代がはじまった,という印象でした。これはとてもいい傾向だと思いました。
考えてみれば,スポーツ史学会を立ち上げるために研究者仲間の同志と情熱を傾けたのが,わたしが40歳代の終わりころのことでした。そのころのわたしはまだ若造の部類で,生意気盛りでした。ですから,大先輩たちを差し置いて,スポーツ史学会を立ち上げるなどということは暴挙にも等しい行為でした。しかし,恩師の岸野雄三先生のご尽力をいただき,なんとか軌道に乗せることができました。
あれから,もうまもなく30年が経過しようとしています。大先輩たちの参加も年々減少し,ついにことしは,わたしより先輩の先生はたった一人になってしまいました。この先輩は80歳のはず。かく申すわたしも75歳をすぎました。しかも,わたしより若い人も激減していて,10歳ほど離れた人たちが,もはや長老クラスです。この人たちも定年退職とともに研究から離脱する人が多い前例からみると,あっという間に,もっと若返っていくことになりそうです。
これは,ある意味では世代交代ですから,自然のなりゆきです。しかし,わたしより上の人たちに元気な人が多く,学会での質疑はこの人たちが牛耳っていました。その元気な人たちが,あっという間に激減してしまい,気がついたら,もはや65歳以下の人たちの会になっていたという次第です。その結果として,中堅どころの40歳代の人たちが元気に発言するようになりました。しかも,この人たちに触発されるようにして30歳代の人たちも立ち上がるようになりました。とてもいいことだと喜んでいるところです。
しかし,世代交代だといって喜んでばかりはいられない側面も表れてきたように思います。それは,スポーツ史研究に取り組む姿勢にも,微妙な変化が表れてきている,と感じるからです。たとえば,研究内容の希薄化。問題意識の薄さ。先行研究批判の欠落。近代歴史学の手法への懐疑の欠落。もっと言ってしまえば,これまでのスポーツ史研究を超克しようという意欲の希薄化。つまり,これまでのスポーツ史研究を批判的に乗り越えていく,という自覚の欠落です。
スポーツ史学会を立ち上げたときの,わたしたちを支えたパッションは,形骸化した体育史研究を批判し,それとは一線を画する新たな研究領域・方法・対象を切り開いていく,というものでした。ですから,熱く燃えていました。そして,そのつもりで意欲的に研究に踏み出しました。ですから,当初の,少なくともわたしのスポーツ史研究の主眼は,「いま,なぜ,スポーツ史研究なのか」を問い続け,その答えを導き出すことにありました。しかし,残念ながら,最近のスポーツ史研究は当初の問題意識が消滅しつつあるように思います。
その根源にあるものはなにか。それは思想・哲学の不勉強につきる,とわたしは考えています。まずは,なによりも,「いま」を生きる人間としての危機意識が不足している,と。だから,研究テーマも内容も,薄っぺらなものになっていく傾向にある,と。
たとえば,「特定秘密保護法」の案文の全文を読んだことがあるか,と会場でわたしに語りかけてきた会員の多くに問うてみました。残念ながら,読んだ,という人はほんの数人しかいませんでした。それも,必死になって考え,考えしながら,ノートをとりながら読んだという人は,たった一人でした。あとの人は,メディアの報道をとおして,なんとなく不安です,と答える程度でした。
なかには,スポーツ史研究と「特定秘密保護法」案を熟読することとどのような関係があるのか,とまじめに聞いてきた会員もいました。その瞬間に唖然としてしまいました。が,まじめそうな会員には,できるだけ丁寧に説明をするよう努力しました。すると,何人かの若者は素直に理解してくれたように思いました。
たとえば,「特定秘密保護法」が成立すると,権力にとって都合の悪い情報はすべて「特定秘密」に指定されてしまい秘匿されてしまうから,歴史は権力に都合のいいように,自由自在に改竄されてしまうことになる,という説明はすんなりとわかってくれました。そして,こんな法律がなくたって,これまでも,権力にとって都合のわるい情報はすべて秘匿されてきたのだ,そして,公開され・保存されてきた資料だけが資料実証主義歴史学(近代歴史学)を支えてきたのだ,だから,これまでの歴史の中核部分は改竄されたものでしかない,このことを忘れてはならない,と。これもわかってくれたように思いました。
そして,もっと言ってしまえば・・・・,と言って日本の古代を語るときの基本となる「記紀」こそ,大和朝廷を正統化するための,改竄の歴史なのだという話をしました。その典型的な例は,聖徳太子の存在ですら,すでに,いまの教科書から消えている,と。この聖徳太子は存在しなかった,というような研究こそが,歴史研究の醍醐味なのだ,と。そういうスポーツ史研究のあり方を模索していくことが,これからの喫緊の課題なのだ,とも。
まあ,最終的にどのように理解してくれたかどうかは心もとないかぎりではありますが,少しは「気付いて」くれたかなぁ,と期待しているところです。
来年は,富山大学が当番大学として,第28回スポーツ史学会大会を準備・開催してくれることになりました。来年の日本がどんなことになっているのか,いまから不安だらけですが,また,若い研究者たちと歓談できることを楽しみにしたいと思っています。
取り急ぎ,学会雑感まで。
考えてみれば,スポーツ史学会を立ち上げるために研究者仲間の同志と情熱を傾けたのが,わたしが40歳代の終わりころのことでした。そのころのわたしはまだ若造の部類で,生意気盛りでした。ですから,大先輩たちを差し置いて,スポーツ史学会を立ち上げるなどということは暴挙にも等しい行為でした。しかし,恩師の岸野雄三先生のご尽力をいただき,なんとか軌道に乗せることができました。
あれから,もうまもなく30年が経過しようとしています。大先輩たちの参加も年々減少し,ついにことしは,わたしより先輩の先生はたった一人になってしまいました。この先輩は80歳のはず。かく申すわたしも75歳をすぎました。しかも,わたしより若い人も激減していて,10歳ほど離れた人たちが,もはや長老クラスです。この人たちも定年退職とともに研究から離脱する人が多い前例からみると,あっという間に,もっと若返っていくことになりそうです。
これは,ある意味では世代交代ですから,自然のなりゆきです。しかし,わたしより上の人たちに元気な人が多く,学会での質疑はこの人たちが牛耳っていました。その元気な人たちが,あっという間に激減してしまい,気がついたら,もはや65歳以下の人たちの会になっていたという次第です。その結果として,中堅どころの40歳代の人たちが元気に発言するようになりました。しかも,この人たちに触発されるようにして30歳代の人たちも立ち上がるようになりました。とてもいいことだと喜んでいるところです。
しかし,世代交代だといって喜んでばかりはいられない側面も表れてきたように思います。それは,スポーツ史研究に取り組む姿勢にも,微妙な変化が表れてきている,と感じるからです。たとえば,研究内容の希薄化。問題意識の薄さ。先行研究批判の欠落。近代歴史学の手法への懐疑の欠落。もっと言ってしまえば,これまでのスポーツ史研究を超克しようという意欲の希薄化。つまり,これまでのスポーツ史研究を批判的に乗り越えていく,という自覚の欠落です。
スポーツ史学会を立ち上げたときの,わたしたちを支えたパッションは,形骸化した体育史研究を批判し,それとは一線を画する新たな研究領域・方法・対象を切り開いていく,というものでした。ですから,熱く燃えていました。そして,そのつもりで意欲的に研究に踏み出しました。ですから,当初の,少なくともわたしのスポーツ史研究の主眼は,「いま,なぜ,スポーツ史研究なのか」を問い続け,その答えを導き出すことにありました。しかし,残念ながら,最近のスポーツ史研究は当初の問題意識が消滅しつつあるように思います。
その根源にあるものはなにか。それは思想・哲学の不勉強につきる,とわたしは考えています。まずは,なによりも,「いま」を生きる人間としての危機意識が不足している,と。だから,研究テーマも内容も,薄っぺらなものになっていく傾向にある,と。
たとえば,「特定秘密保護法」の案文の全文を読んだことがあるか,と会場でわたしに語りかけてきた会員の多くに問うてみました。残念ながら,読んだ,という人はほんの数人しかいませんでした。それも,必死になって考え,考えしながら,ノートをとりながら読んだという人は,たった一人でした。あとの人は,メディアの報道をとおして,なんとなく不安です,と答える程度でした。
なかには,スポーツ史研究と「特定秘密保護法」案を熟読することとどのような関係があるのか,とまじめに聞いてきた会員もいました。その瞬間に唖然としてしまいました。が,まじめそうな会員には,できるだけ丁寧に説明をするよう努力しました。すると,何人かの若者は素直に理解してくれたように思いました。
たとえば,「特定秘密保護法」が成立すると,権力にとって都合の悪い情報はすべて「特定秘密」に指定されてしまい秘匿されてしまうから,歴史は権力に都合のいいように,自由自在に改竄されてしまうことになる,という説明はすんなりとわかってくれました。そして,こんな法律がなくたって,これまでも,権力にとって都合のわるい情報はすべて秘匿されてきたのだ,そして,公開され・保存されてきた資料だけが資料実証主義歴史学(近代歴史学)を支えてきたのだ,だから,これまでの歴史の中核部分は改竄されたものでしかない,このことを忘れてはならない,と。これもわかってくれたように思いました。
そして,もっと言ってしまえば・・・・,と言って日本の古代を語るときの基本となる「記紀」こそ,大和朝廷を正統化するための,改竄の歴史なのだという話をしました。その典型的な例は,聖徳太子の存在ですら,すでに,いまの教科書から消えている,と。この聖徳太子は存在しなかった,というような研究こそが,歴史研究の醍醐味なのだ,と。そういうスポーツ史研究のあり方を模索していくことが,これからの喫緊の課題なのだ,とも。
まあ,最終的にどのように理解してくれたかどうかは心もとないかぎりではありますが,少しは「気付いて」くれたかなぁ,と期待しているところです。
来年は,富山大学が当番大学として,第28回スポーツ史学会大会を準備・開催してくれることになりました。来年の日本がどんなことになっているのか,いまから不安だらけですが,また,若い研究者たちと歓談できることを楽しみにしたいと思っています。
取り急ぎ,学会雑感まで。
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