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2015年12月11日金曜日

食欲がでてきました。小食の効果?

 小食をこころがけるようになってから,なんだか食欲がでてきました。これが,小食の効果なのかはよくわかりません。が,小食の結果,どうやら胃腸がフル回転することなく,いくらか休めるようになったことが功を奏し,胃腸が元気をとりもどしたのではないか,と勝手に想像しています。

 これがほんとうだとしたら,とても嬉しいことです。

 なんと言っても,わずか1年5カ月の間に,胃は三分の二切除,肝臓は三分の一切除したのですから,胃腸に相当のダメージがあったことは間違いありません。

 それにもまして,最大のダメージだったのは,抗ガン剤による副作用で味覚が麻痺してしまったことだ,とわたしは感じています。最初の胃の切除手術をしたあとの経過はきわめて順調でした。味覚も大丈夫でした。食欲もありました。しかし,抗ガン剤を服用するようになってから,あっという間に味覚が麻痺してしまいました。なにを食べても味がしません。ご飯にいたっては「砂」を噛んでいるような感覚でした。ですから,まずは食べたくない,拒否です。でも,少しでも食べなくてはという強迫観念にとらわれ,必死で食べました。が,多くは食べられません。かろうじて「梅干し」や味の強い「漬け物」は味がありましたので,それを頼りにしていました。

 抗ガン剤の服用をやめたあとも,味覚の麻痺はつづきました。それは,二回目の肝臓切除手術後も,ほとんど変わりませんでした。仕方がないので,あれこれ試してみた結果,ご飯に「寿司酢」をたっぷりかけてやると,いくらか味がすることがわかり,もっぱら,この方法でご飯を食べることにしました。が,それが,ようやく最近になって,「寿司酢」がなくても,ご飯本来の味が少しだけもどってきました。これはいいな,とおもっていましたら,こんどはなんと「空腹」を感ずるようになりました。

 もちろん,健康だったころの空腹感に比べればまだまだ弱いものにすぎませんが,それでも,たしかに「なにか食べたい」という欲望が湧きはじめていることは間違いありません。おやおやと驚きながらも喜びでいっぱいです。でも,食べすぎないように気をつけなくてはなりません。やや控えめに食べておくと,すぐにまた空腹感がやってきて,気分をよくしています。

 なぜなら,からだが空腹を訴えているということは,なにかが足りないから補給せよというからだからのサインだかです。そのサインを無視して我慢すると,その不足分を,からだのなかに備えてある予備分で賄おうとします。これが,むかし習った「生体防衛反応」というやつで,いざとなるとここにスイッチが入ります。ここにスイッチが入ると,当座の命を維持するためのからだのあらゆる機構が働き始めます。

 広い意味での「恒常性(ホメオスターシス)維持」機構が総動員されるというわけです。ということは,「免疫」に関する機能もフル回転をはじめます。その結果,免疫力も高まることになります。つまり,生命を維持する機能のレベルがアップすることになります。

 ですから,むかしから,一日に一度は胃腸を空っぽにして空腹を味わえ,そういう人は健康そのものだ,といわれてきました。これは,単なる経験知ですが,それには立派な根拠があったという次第です。

 小食の効果は,この空腹感を引きだし,食欲をもたらし,かつ,免疫力を高める,というところにあったとしたら,これは一石三鳥です。

 もうしばらくの間,様子をみてみたいとおもいます。
 楽しみが増えました。

2015年8月6日木曜日

ようやくエアコンが入りました。これでようやくこの猛暑を無事にやりすごすことができそう・・・・。

 昨日(8月4日)で,猛暑日が観測史上最長の5日連続を記録しました。熱帯夜も同じ。なにせ頼みのエアコンが壊れてしまったので,取り替え工事にきてくれるまでの一週間をどうやりすごすか,ありとあらゆる智恵を駆使して,今日(8月5日)を迎えました。

 昨夜は12時すぎたころから,西風が吹くようになり,部屋のなかを涼しい風が通り抜け,久しぶりに熟睡することができました。その西風が今日の午前中も吹いてくれましたので,まずは快適。午後から,この頼みの西風が南に偏るようになり,部屋のなかは無風状態。仕方がないので,とりあえず,安物の扇風機をまわすことにしました。

 猛暑日の5日間の,昨日の夕刻までは,南風が吹いていて,部屋のなかは扇風機をまわしても,ほとんどサウナ状態。熱風がかき回されるだけの話。必死になって水分を補給し,暇さえあれば横になる,という対策をとりました。とうとう,水分補給も胃腸が拒否しはじめ,困ったことになりました。もういらん,というのです。しかし,背中は汗が運動会をやっています。汗がでなくなったらたいへんです。ですから,なんとかして水分を補給しようとするのですが,水もポカリスエットもコーラもサイダーもジュースもいらないとからだが拒否します。困った,と頭をかかえてしまいました。

 しばらくぼんやりと考えていたら,スイカが食べたい,モモがたべたい,ブドウが食べたいと胃腸が言いはじめました。あっ,そうか,果物で水分を補給しようと気づき,すぐに近くのスーパーに走りました。いずれの果物もシーズンを迎えていますので,比較的安く買えることがわかりました。とりあえず,ひととおり購入してきて,冷蔵庫の野菜室に保管。さあ,大丈夫だ,と一安心。

 この作戦は功を奏し,からだが喜んで受け付けてくれました。ありがたい。でも,一度に食べすぎると,弱っている胃腸が騒ぎだします。だから,その直前でやめなくてはなりません。つまり,ちょびちょびと,少しずつ回数を分けて食べることに。これでなんとか生き継ぐことができそうだ,と目処が立ちました。

 昨夜の電話での約束どおり,午後4時に,エアコンの取り替え工事の業者がやってきました。西日の当たる猛暑の真っ盛りでの工事です。業者は汗だくになって一生懸命,やってくれました。なかなかいい人で,気持よく作業が進みました。たった一人でとりかかって約2時間。休む間もなく働いて,ようやく完了。早速,試運転。いろいろなところをチェックしながら,順調に動くことを確認して,業者は帰りました。

 それからずーっとエアコンをつけていますが,汗もかかない快適温度にセットしてありますので,なによりからだが楽をしています。これで夏バテから脱出できそうです。胃腸のはたらきも回復してくることでしょう。

 ということを見届けた上で,明日(6日)から神戸市外大の西谷修さんの集中講義(途中からですが)を聴講しに行ってきます。退院後,初の遠出です。新幹線のなかはゆっくり休むことができますので,大丈夫だろう,とタカをくくっています。

 取り急ぎ,わたくしごとながら,ご報告まで。

2015年7月30日木曜日

この猛暑。ついに壊れたエアコンを買い換えることに。でも,取り付けは一週間後。

 連日の猛暑のなか,とうとう耐えきれずに,長年使わずにきたエアコンにスイッチ・オン。電源は入るもののエアコンとしての作動はせず。暖房にもならず。近くの量販店で相談したら,使用年数から判断して修理はむつかしい,という。仕方がないので,買い換えることに。

 もともとエアコンは嫌い。暑さは平気。汗もほとんどかかない体質。でも,水分だけは補給。もっとも原始的な方法で夏の猛暑もやりすごしてきた。しかし,ことしはそうはいかない。入院生活の後半は快適な環境に守られ,暑さも知らずにすごしていた。二度目の手術ということもあって,体力はさらに低下。ついていた筋肉の大半はそげ落ちてしまい,みじめな姿。

 そこに退院後の連日の猛暑。汗とともに体重がどんどん落ちていく。これはいけない,と反省。太極拳の稽古のあとのランチの折に,それとなく相談。異口同音に「それは駄目ですよ。体力が落ちているのだから,熱中症でやられてしまいますよ。すぐに買い換えて,猛暑に備えるべし」と厳しいおことば。そのとおり,と納得。

 ランチのあと,すぐに近くの量販店に行く。すでに,数日前にそれとなく相談し,ある程度の情報はえていたが,いまひとつ納得できなかったので留保。つまり,応対してくれた店員さんがなんとなく頼りない。が,今回,応対してくれた店員さんは適切に応対してくれ,信頼ができそうだったので,ここで決めようと腹をくくる。

 でも,いまはエアコンの取り付け工事が満杯で,今日(29日)頼んでも工事は一週間後だという。このあとになればなるほど,工事待ちの期間は長くなる,とか。それではなんの役にも立たなくなってしまうので,とりあえず,夕刻に出直して,購入手続をする。

 今朝も朝から高曇。薄日がさしたり隠れたりを繰り返している。風はほとんど無風。気温は鰻登り。朝から汗びっしょり。仕方がないので,扇風機で当座のところをしのぐことに。でも,首も振らない安物のサーテュレーターなので,あまり長いこと風に当たっているわけにもいかず・・・・。随時,つけては切ってを繰り返している。

 外からの風はときおり吹いてくる。マンションの9階なので,とても涼しげな風で気持がいい。が,すぐに止んでしまう。窓は東西にあるので,どちらからでも吹いてくれれば快適。しかし,最近のこの猛暑つづきの風は,ほとんど吹かない。そよそよと吹いていたかとおもうと,パタリと止んでしまう。情け容赦もないとはこのことだ。

 8月5日(水)の朝,工事の電話が入ってきて,時間の確約ができるとのこと。それまではじっと我慢の子。そのうち猛暑も終わるのではないか,と微妙な気分。でも,それまではひたすら耐えるのみ。なんとか体力を温存して,この猛暑を乗り切るしか方法はない。

 早く来い。8月5日。いまはその一念のみ。

2015年7月25日土曜日

悔しい。デモに行く気力・体力がもどらない。明日は事務所往復にチャレンジを。

 今夜の「7・24」国会前集会には,日比谷公園と合わせて7万人が集まったという。今日はなんとしてもデモに参加しようとこころに決めていましたが,最後まで迷ったあげく,ついに諦めてしまいました。気力も体力もまだもどってはいない,と判断したからです。

 仮に,電車に乗って国会議事堂前駅に降り立ち,その場にほんの少しの間だけでも立って,一声,二声,叫んですぐに引き返してもいい・・・・とそこまで考えました。が,やはり駄目でした。どうしても,その気にならないのです。やはり,まだまだ,病の途中にあって,どうしても防衛反応の方が強いということがよくわかりました。

 そこで,まずは,明日(25日),鷺沼の事務所往復を試みてみようとおもっています。しばらく,事務所には行ってませんので,郵便物やらなにやらいっぱいたまっているはずです。その処理だけでもしておかないと,ひょっとしたら,重要な郵便物が届いているかもしれません。冷蔵庫の中のものも,処分しなくてはならないものがたくさんあるはず・・・・。

 第一,部屋の空気を入れ換えてやらないと,妙な匂いが定着してしまいます。

 もちろん,以前のように,パソコンをリュックに入れて担いで往復するのは無理だとおもいますので,一番小さなリュックを背負って,まずは「往復」することをめざして・・・・。それもできないようでしたら,これは重症ということになります。

 最大のネックは,筋力の低下です。からだに力が入らない。二回の手術の前までは,有り余るほどの筋肉が残っていたのに,二度の手術で,すっかり底をついてしまいました。こういうからだの状態というものは,初めての体験で,なにからなにまで試行錯誤しながらの模索状態です。

 とりわけ,背筋力の低下が激しい。それとなく手を背中にまわして探ってみますと,いままであったはずの筋肉がそっくりそげ落ちてしまっていて,直に,あばら骨が指先に当ります。もう一点は,腰のまわりの筋力の低下です。椅子に座っていても,長い時間は駄目です。すぐに,ベッドに行ってからだを伸ばしてやらないと,腰のまわりの筋肉が文句をいいます。少しだけでもいい,休ませてくれ・・・と。

 ですから,暇さえあればベッドで横になっています。毎食後,からだを横たえて休み,パソコンを少しいじっては横になり,散歩に行ってきてはベッドに横たわる,そんなぐーたらな生活を送っています。やはり,病人なんだなぁ,と自覚せざるをえません。

 このあたりのところは前回の術後とは大いに違う点です。前回は,まだ,体幹を支える筋力が,かなり残っていました。ですから,退院したその日の夕刻には夕食用の食材を買いにいそいそとでかけました。そして,どっさりと買った食材を,それほど重いともおもわずに持ち帰ることができました。今回はそうはいきません。小分けにして,何回も,スーパーを往復しています。

 とはいえ,鎮痛剤を飲まなくても痛みをやり過ごすことができるようになってきましたので,からだは大分楽になってきました。あと一週間もすれば,パソコンを背負って事務所に通うこともできるようになるでしょう。そこが,一つの目安です。

 そうなったら,金曜日の夜のデモにも参加できるようになるだろう,と希望をもっています。これから正念場を迎える参議院での審議に向けて,微力ながら,わたしも「7万分の1」(今夜の場合であれば)に加わりたいと切望しているところです。

 まずは,焦らず,じっくりと腰を据えて,社会復帰をめざしたいとおもっています。そして,その第一歩は,鷺沼の事務所往復から・・・・と。

2015年7月21日火曜日

自分の「からだ」を取り戻すということについて。

 点滴によって守られ,医科学的に管理された「からだ」から,経口食物によって栄養を補給し,自立(自律)する「からだ」への移行過程の考察。

 あるいは,歩行運動と胃腸の機能回復についての考察。

 歩くことが人間の基本運動であることを再認識するための考察。

 人間の脳はあとから取って付けた程度のものでしかなく,生命維持ということに関しては,ほとんど無能である,このことを実証するための考察。

 あるいはまた,本来の自己を取り戻す(道元禅師)ということの意味内容を明らかにするための考察。

 以上,本論考を完成させるためのサブタイトルをつけてみたら,全部で5本の論文が必要であることがわかった(笑い)。と同時に,これらのサブタイトルをつけてみたら,もう,この論考は完了したも同然であることも明らかとなった(笑い)。

 したがって,本論考は以上で終わり。

 以下は,後産的異物の排泄作用にすぎない。がしかし,この中にこそ本質的なことがらが含まれているのではないかと本気で考えているので,ぜひともご笑覧のほどを。

 医科学,恐るべし。患者本人の意思も意欲もなんのその,患者本人の肉体を完全に自家薬籠中のものとして,自由自在に操作し,ひたすら患部を除去したあとの肉体の機能回復をめざす。それはそれはそれはおみごととしか言いようのないものである。

 患者本人は,ただひたすら「激痛」との闘いだけで,あとはすべて医科学にみずからの肉体を委ねているだけ。その肉体は,ほぼ完璧にコントロールされ,栄養も満点なのであろう。「激痛」さえなければ快適ですらある。顔色はいいし,顔の皮膚もしっとりとしている。不思議なことに術後4日目には性欲すら湧いてくる。なんなんだ,これは?と考えてしまう。ひょっとしたら,生命体の最後の「悪あがき」?だとしたら,やばいぞ,と。でも,そうでもないらしい。翌日も,そのまた翌日も,同じように性欲が頭をもたげてくる。

 ところがである。おかゆからはじまる経口食物をとりはじめ,点滴が一つずつはずれていくにしたがって,この性欲は収まってしまった。完全に点滴が終わり,全粥からご飯になるころには,性欲は陰もなく消え去り,あれこれ想像力をたくましくしてみたところで「ピクリ」とも反応しない。あれれっ?

 ところがである。いよいよ本格的に歩行運動をはじめたころから,徐々に,食欲が湧いてきて,同時に,わたしのからだに「軸」のようなものが蘇ってくる。これはいいぞ,とばかりに距離をのばしていく。一日に2000mを超えたころから,なんと,ふたたび,性欲が立ち現れたではないか。「ナヌッ?」

 執刀医が回診にこられたときに,この話をむけてみる。大笑いして「そんな話は聞いたことがない」と執刀医。そうなんだ。患者には「とくに変わったことはありませんか」と問うだけで,あとは,パソコンのなかにデータ化された血液成分の状態や,レントゲン撮影の画像や,CTスキャンの画像とにらめっこなのだ。患者の病状は,データ化されたものだけで把握され,処方がされていく。

 しかし,生命体にとって性欲は重要である,とわたしは考えている。とりわけ,オスにとっては。健康状態がすこぶる良好なときには,毎朝のようにその「きざし」が立ち現れる。たとえ,一瞬のこととはいえ,これは健康のバロメーターのひとつとして,わたしにとっては重要であると長年,信じてきた。しかも,その性欲が朝だけではなく,読書中にも突然,立ち現れるようになれば,もう完璧である,といまでも信じている。

 だから,いまも,その日がくることをひたすら待ち望んでいる。もはや,ありえないことかもしれない。しかし,不可能ではないはずだ。しかも,ほんとうの意味で,自分の「からだ」を取り戻す,ということはこういうことなのではないか,と密かに期している。

 そんな日が,早やかれ遅かれ,かならずやってくるに違いないと信じて。
 これは,儚い夢,まぼろしなのだろうか・・・と半信半疑ながら・・・・。

2015年7月10日金曜日

ガスか抜けました。ホッ。

下腹がはってきて,もうすぐガスが抜けますよ,と言われていてなかなか抜けなくて困っていました。下腹がパンパンに張ってきたのになかなか抜けません。おしまいには座っているのも耐えられないほどになってきました。腹をさすったり、深呼吸をしたり,あ、い、う、え、おと声に出して言ってみたり,ありとあらゆる手を使ってみましたが,どうにもなりません。

そのうちにガスが暴れ出してきました。あっちへ動いたりこっちへ動いたりしはじめたのです。そのたびに痛い。これは駄目だと観念して,ベッドの中に入り,からだ全体を温めてやり,全身の力を抜いてリラックスにつとめました。するとガスが軽快に動きはじめ,ほどなく「ポコッ」と卵でも生んだように大きなのが一つ。そのあとは断続的にちいさなのが連発。それがまたクサイので驚いてしまいました。

ああ,これですっきりしたとおもっていたら,そのあとも何回もでます。それはそれは不思議なほどの数でした。

これで気分がすっきりしましたので,7,8,9日の三日間に「100通」をこえるフェイス・ブックをよみはじめました。これはさすがに多くて手に負えません。仕方がないので,途中であきらめてしまいました。こんなことをはじめたら,なんきためにここにきているのかわかりません。それこそわたしのことを気遣ってくれていく人たちに申し訳ない,とおもって断念しました。

あとは,ひたすら眠ることに専念。そうして少しでもはやく元気をとりもどすこと。
奏して,神戸市外大でおこなわれる西谷さんの集中講義を受講したいのだが,無理かなぁ・・・・・・。  

というところで,今日のところはここまで。                       

2015年6月12日金曜日

からだの「知」・その4.内臓の感受性が鈍くては世界は感知できない(三木成夫)。

 もうずいぶん前になるが,神戸市外大の丹生谷貴志さんから『胎児の世界』(中公新書)という本をプレゼントされてから,その著者である三木成夫さんの語る世界にすっかりはまってしまった。その後,だれかの本を読んでいたら,三木成夫の『海・呼吸・古代形象』(うぶすな書院,1992年刊)という名著があるということを知り,急いで取り寄せた。取り寄せたというのは,もはや,ふつうの書店では売っていないので,古書を探して購入したからである。しかし,名著に違いないとおもったので,「新品」を指定した。正解だった。

 以後,この本は,わたしの秘密の「座右の書」となった。秘密のというのは,わたしが人間を考え,からだを考え,生きるということを考え,生まれるということを考える上で,これほどわかりやすく,ふんだんに発想のヒントを与えてくれるテクストはほかにない,とおもわれたので,このテクストだけは「秘密」にしておこうと姑息なことを考えたからである。とりわけ,このテクストが仏教経典の一つである『般若心経』や,道元の『正法眼蔵』の読解にもとても役に立っているだけでなく,ジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』読解にもじつに多くのヒントを与えてくれたことは,あえて特筆しておきたい。三木成夫のいう世界とは,そういう世界なのである。

 名著というものは,みんな,ある一点に論点が集まってきて,そこには普遍的なある共通の「土俵」があるということを教えてくれる。そのことをとてもわかりやすく教えてくれたのが三木成夫さんのこの著作である。もはや,いっときも手放すことのできない,わたしにはなくてはならない秘密の「座右の書」である。

 なにをおいても,まずは,「文章」がいい。簡潔で平易。解剖学や発生学の専門家にもかかわらず,そうしたテクニカル・タームはほとんど用いることなく,ごくふつうの日常語で,わたしたちの「からだ」の成り立ちとその機能のそもそものはじまり(始原)について,するりとわかるように語り聞かせてくれる。じつに自然体で,読んでいてここちよい。こんなテクストも珍しい。

 こんなことを書き始めると,肝心要のテクストの内容に踏み込んでいくことができないほど,三木成夫さんについての話題はつきない。が,ここは禁欲的にがまんしておくことにしよう。また,そのことについては述べる機会もあろう。

 さて,表題の「内蔵の感受性が鈍くては世界は感知できない」という論文は,わずかに8ページほどの小論である。だから,読みたくなれば,いつでも,すぐに開いて読み返すことができる。しかも,読むたびに,いつも新鮮な発見があり,気づきがあるのだから不思議だ。それだけ含蓄のある深い真実に近い世界を描いているということだろう。

 この小論の全体は以下の三つの小見出しでまとめられている。
 〇私たちの行動は内蔵の声に突き動かされる
 〇内蔵の機能は四季の移り変わりに沿って動く
 〇あらゆるものを心ゆくまで舐め回す幼児の行動が内蔵感覚を鍛える

 ある感性の鋭い人であれば,この小見出しをみただけで「ウヌッ!」「これはなにごとか!」とピンとくるものがあるに違いない。そう,そのとおりなのだ。この小見出しに,すでに,結論がそのままストレートに表出しているのだから。

 たとえば,最初の小見出し「私たちの行動は内蔵の声に突き動かされる」の冒頭の書き出しは以下のようだ。

 赤ん坊が大声あげて泣き叫ぶのは,つぎの三つの場合ときまっている。一,おっぱいが足りない。二,おしめが汚れた。三,眠りが不十分。だから,この三つさえ満たされておれば,もうご機嫌でニコニコだ。しかし,よく考えてみると,こうした問題は赤ん坊の時代に限られるというものではない。乳離れしておしめがとれて大人になっても,この,いわば”三つ子の魂”は,依然として変わることがないのだ。さすがに”大声あげて泣き叫ぶ”といったことだけはなくなるだろうが・・・・。以下,この問題について考えてみよう。

 というようにして,各論に入っていく。それがまた,一つひとつ,まことに説得力があって,こころの底から納得させられてしまう,みごとな展開となっている。それらの一つひとつをここで紹介することは不可能に近い。なぜなら,前提に前提を積み重ねながら,「内蔵の感受性」の謎が語られているからだ。だから,紹介するとなると,おそらく全部を転載することになりかねない。そこで,強烈なメッセージを発信しているとおもわれるいくつかのセンテンスを紹介しておくので,あとは,想像力をたくましくして,あれこれ思い描いていただければ・・・・とおもう。

 ・内臓系にかかわる出来事というものは,人びとの意識のおよそ届かぬ生命の最深奥にまで,それは及ぶものだから・・・。
 ・内臓は,本来,天体の運行に乗っかって,その機能を営む。
 ・内臓系は,悠久の進化の流れの中で,ただひたすら宇宙空間の「遠」と共振を続けてきたことがうかがわれる。
 ・卵巣は暗闇の腹腔内で月齢を知っている。
 ・内臓に起こるすべての出来事は肉体の奥底に蠢く無明の情感として,ただそこはかとなく意識の表に姿を現わすにとどまる。内臓の不快が思考の不快に”化ける”ゆえんは,ここにあるのではなかろうか・・・・。
 ・豊かに育った内臓の感受性というものは,ものの「すがたかたち」いいかえれば,その「こころ」を感じとるための,隠されたつっかい棒になる。

以上。

2015年5月15日金曜日

子どもたちのからだに異変?筆圧の低下,しゃがめない,立ち上がれない・・・。退化現象か。

 NHKの「所さん!大変ですよ」(5月14日22時55分より23時20分)という番組で,「HB鉛筆を使わない!?小学生に何が起きた?薄すぎる字・・・10B登場」というタイトルの放映があった。ちょっと気になったのでみてみた。そこには驚くべき実態が描き出されていた。これが事実なのかとわが眼を疑った。ほんとうなのだろうか,と。

 かいつまんで要点をまとめてみると以下のようだ。
 1.こどもたちの筆圧が弱くなっていて,HBの鉛筆で書いた文字が読めないので,入学時にB,2Bの鉛筆を用いるように学校では指導している,という。
 2.この現象は,1990年代の後半から現れ,鉛筆はB,2B,4Bを用いるよう指導をはじめた,という。
 3.6年生になっても,2Bを用いている児童が34人中25人もいる,という。残りの9人がHBを使っている,と。

 この現象について宮崎大学医学部の某教授はつぎのようにコメントしている。
 1.筆圧が弱くなっているのは日頃から手を使っていないことが原因である。とくに,指の力を用いる経験が少ないために指に力がない。ゲーム機やスマホに慣れているので,触れるスピードは早くなるけれども,指に力を入れる経験が圧倒的に少ない。
 2.手の指の力と脳の前頭葉の発達とは深い相関性をもっているので,ものごとを総合的に判断する能力の発達が遅れていると考えられる。

 さらに,某教授は,小学校の児童を対象にいろいろの実験をとおして調査した結果について,映像とともにつぎのように指摘している。
 1.瓶の蓋をひねって開ける力がいちじるしく衰えていること。
 2.体育座りの姿勢から手を使わずに立ち上がることができない(6年生で8割)。
 3.しゃがむ姿勢が保てない(うしろに転んでしまう)。足首が固くなってしまっているのが原因。
 4.足腰の力が弱いので,長い時間,歩くことができない。ロコモティブ・シンドロームが急速に増えている。大人にもみられる。

 某教授によれば,小学校の低学年の方が1.2.3.4.のすべての項目において優れているのに,高学年になるにしたがってできなくなる率が高くなる,という。これは,どう考えてみても,「老化」現象としかいいようがない,と。この状態がつづくとすれば,下半身の運動器が発達しないまま大人になるので,ほとんどまともには歩けない大人が激増する,という。

 所さんならずとも,「これは大変だ」とおもわずにはいられない。

 某教授の考えでは,生活が便利になりすぎて,からだを使わなくて済むようになってしまった結果だという。つまり,からだ全体をバランスよく発達させることができなくなってしまった結果である,と。低学年でできていた運動が高学年になるとできなくなるという不思議な現象だが,これは「老化現象」だ,と。

 この映像をみながら,わたしが感じたことは,老化現象というよりは,退化現象ではないか,ということだ。つまり,生物としての退化現象ではないか,と。老化現象というのは,厳密にいえば,幼児から児童・生徒となり,青年期を経て成人するまで,ひととおり発育・発達をとげた上で,徐々に「老化」ということがはじまる。しかし,下半身の運動器が発育・発達をとげないままで成長してしまうとなれば,それは「退化」現象ではないか,とわたしは考える。

 となると,ことは重大だ。生活環境があまりに「便利」になりすぎて,からだを使う必要がなくなり,ついには「退化」現象を引き起こしている,としたら・・・・。これから大人になる人たちがどんな状態になってしまうのか・・・・予測もつかない。たとえば,男性が「草食化」しているというのも,このあたりに遠因があるのでは・・・と考えてしまう。

 少なくとも,このような現象が1990年代の後半から起きているとしたら,もう20年が経過している。とすれば,20代の大半の大人が,鉛筆は「2B」経験者だ。パソコンの普及ということもあって,ほとんどの若い人は,手で文字を書くという経験が圧倒的に少なくなってしまっている。だから,まともに「文字」が書けない人が多い。圧倒的に「稚拙」だ。文字をみて驚くことが多い。

 文字を書く「力」を軽視してはならない。そこには深い意味がある。このことについては,いずれ詳しく私見を述べてみたいとおもう。結論は,書道の薦め,である。

2015年4月27日月曜日

WHOが抗ガン剤の全面使用禁止を決議(2014年5月),加盟各国に勧告。日本政府はこれを封印。なぜ?

 「抗ガン剤を用いるガン化学療法は,極めて危険性が高く,加盟国政府に全面禁止を勧告する」と,2014年5月に開催されたWHO理事会で決議されました。考えてみれば,わたしが抗ガン剤治療をはじめたのも,同じ2014年5月。偶然の一致とはいえ,妙なご縁。

 それはともかくとして,日本政府(厚生省)はこのWHOの勧告を封印してしまいました。ですから,いまでもこの事実を知る人はほとんどいません。わたしもその一人でした。ですが,わたしは,友人がアップしたFBをみて,初めてこの事実を知りました。あわてて,WHOと抗ガン剤に関連する情報をチェックしてみました。

 驚いたことに,アメリカでは30年も前に,すでに抗ガン剤による化学療法は「無力である」ということが議会で報告され,確認されていました。それによると,アメリカ国立ガン研究所(NCI)の所長が,議会で詳細な報告をし,それが承認されていた,というのです。そして,いまでは,「抗ガン剤は,ごく一部の腫瘍は除去されるが,ガン細胞はみずからの遺伝子を変化させ,より凶暴なガン細胞になる」ということが広く認識され,共有されている,といいます。

 にもかかわらず,日本では抗ガン剤を用いる治療法は立派なセオリーとして承認され,医療の現場では大手を振って歩いています。ただし,患者が抗ガン剤治療に同意することが前提となっていることは,かなり広く知られています。けれども,一般的には,あまりしっかりとした認識もないまま,また,十分な説明もないまま(抗ガン剤治療とはどういうものであるのか,ということを説明した数ページの手引き書を渡され,よく読んでおくようにといわれ)同意書にサインをさせられる,というのが現状のようです。

 ですから,癌になると,当たり前のようにして抗ガン剤治療がはじまります。患者の方も,詳しい情報もないまま,そして,しっかりとした自覚もないまま,抗ガン剤治療を受けざるを得ないというのが現状だといっていいでしょう。

 わたしの場合は,一応,抗ガン剤治療を受けるかどうかは患者の側に選択権があるということは承知していましたし,主治医からもきちんと説明がありました。それでも,雰囲気としては,抗ガン剤治療を受けるのが,ごく当たり前のことのように,わたしには聞こえてきました。つまり,切除手術はうまくいったので,あとは,抗ガン剤を飲みながら転移・再発を予防しましょう,という流れでした。わたしは,やや疑問をいだきましたが,人によってはほとんど副作用はない,ということばに期待を寄せることにしました。

 しかし,その結果は惨憺たるものでした。そのお蔭で,わたしの決断も早く,抗ガン剤治療を放棄することができました。

 ですから,いまにして思えば,正解だったことを知り,ほっとしています。

 問題は,いまも厚生省は,WHOのこの勧告を公表していない,という事実にあります。そして,抗ガン剤治療が,いまも,ごく当たり前のように行われている,という事実にあります。

 なぜ,そういうことになるのか,ここには深い病根があるようです。あまり詳しいことは知りませんが,医薬共同体のようなものががっちりとできあがっていて,その癒着ぶりはひどいものだという情報はかなり広くしられているとおりです。その実態については,もう少し精確に調べた上で,書いてみたいとおもいます。

 一説によれば,抗ガン剤が大量に製造・保有されているので,抗ガン剤治療を放棄するわけにはいかないのだとか,抗ガン剤治療を否定してしまうと,大きな病院などは経営できなくなってしまうからだとか,言われています。これらの説が事実だとしたら,それはそれで恐ろしいことだ,と鳥肌が立ってきます。

 いずれにしても,WHOの勧告を,いつまでも秘密のままにしておくことなどできるわけがありません。だとすれば,そのうちに大きな議論が立ち上がってくることは間違いないでしょう。ひと波瀾ありそうです。

2015年4月25日土曜日

からだの「知」・その3.抗ガン剤を拒否するわたしのからだ。

 昨年の5月22日(木)から胃ガンの再発・転移予防のための化学療法,すなわち抗ガン剤治療に入りました。まず,最初は比較的弱い抗ガン剤(錠剤)から入り,様子をみることに。つまり,抗ガン剤の副作用は個人差が大きいので,まずはどんなものかテストするというわけです。飲み始めはそれほどでもなかったので,それならばということで,途中で,点滴による強い抗ガン剤注入(入院・2泊3日)治療が組み込まれました。が,これが強烈でした。あまりに効きすぎて(?),さすがのわたしも参りました。正直言ってへこたれてしまいました。三日目には食事も拒否するほどの強烈な副作用がでました。

 このとき,はっきりと抗ガン剤はわたしのからだには受け入れられない化学療法だと知りました。しかし,主治医が,もうしばらくつづけましょう,かならず,ぴったり合う抗ガン剤がみつかるはずだから,と丁寧に説明する。相性のいい抗ガン剤と出会えば,ほとんど日常生活に影響はでないから,ともいう。

 ならば,ということで相性のよさそうな抗ガン剤を試みることに。3週間飲んで,2週間お休み。これをワンクールとして,繰り返すことになる。こんごの見通しを聞いてみると「数年かかります」という。数年とは,1,2年のことか,それとも2,3年のことか,あるいは,それ以上か,とわたしは聞く。すると,やってみないことにはわからない,という。それもそうかなぁ,とおもう。

 かくして,一番弱い抗ガン剤で,2クール,3クール,4クール,とつづけてみる。最初のうちはまずまずでしたが,次第にからだの拒絶反応がきびしくなってきました。これはまずいと判断し,内緒で,朝晩2回飲むところを,朝をはずして晩だけにする。そうすれば,日中はいくらか仕事もできるからです。晩は早めに寝てしまえばいい。しかし,それでもからだは徐々に抗ガン剤を受け付けなくなる。飲まない日が次第に増えてくる。

 しかし,面白いことに,頭(理性)は飲め,と命ずるのに,からだ(知にあらざる知)は拒否します。この両者のせめぎ合いをじっと観察する,第三のわたし。不思議な光景ではある。が,なんといっても断然強いのはからだの拒絶反応。すなわち,自然に備わったからだの「知」。頭(理性)がいくら説得しても,からだは「NO!」を連発。

 これはいったいどういうことなのだろうか,と考えました。これほどまでに拒否するからだとはなにか,と。薬を飲まなくてはいけない,と理性が命令しても,からだはどこ吹く風とばかりに「横を向いた」ままです。最後は,強権を発動して,脳が手に命じて薬に手を伸ばさせます。すると,こんどは胃袋が吐き気を催します。いま食べたばかりの食べ物が,一気に逆流をはじめそうです。これをひとまずぐっと堪えて,しばらく様子をみることにしました。ところが,一向に改善される様子はありません。こんなことの繰り返し。

 そこで,とうとう,主治医にことの顛末を話し,抗ガン剤を中止することにしました。抗ガン剤をつづけるかどうかは患者の選択権だということは承知していましたが,こんなにあっさりと了解してくれるとはおもってもみませんでした。が,逆に助かりました。もし,主治医がNoと言ったらどうしようか,と。それが昨年の10月のことでした。

 以後は,抗ガン剤の呪縛から解放され,徐々に,からだが楽になってくるのが手にとるようにわかりました。が,抗ガン剤というものは不思議なもので,飲まなくなっても,その前に飲んだ抗ガン剤がからだの中に蓄積されていて,なにかと妙な症状が顔をみせます。いままで経験したことのない,不思議なからだの現象です。このことについては,また,いつか詳しく書くことにします。

 とにもかくにも,抗ガン剤から解放された,わたしのからだはほっと一息でした。そして,明らかに,からだが喜んでいるのがわかるのです。こんな体験は初めてでした。そうか,からだはいい条件が整うと喜ぶんだ,と知りました。以後,わたしは,なにごとも,みずからのからだに問いかけながら,その是非を判断するよう努めることにしました。このことの具体的なことがらも,これから書いていくことにします。

 いまにして思えば,このときのからだの拒絶反応が,いまのわたしをあらしめている,という以外にはありません。理性の命ずるがままにしていたら,いったい,わたしのからだはどうなっていたのだろうかと考えると,ゾッとしてしまいます。わたしのなかの,からだの「知」がわたしを救ってくれたと,いまも信じて疑いません。なんだか妙な気分ですが・・・・。

2015年4月21日火曜日

からだの「知」・その2.免疫力=自然治癒力に秘められた「知」。

 赤ん坊や幼児は,興味・関心をいだくとすぐにそれを手にとり,口にもっていく。清潔であるか,汚れているかは問題ではない。とにかく手で触れて,口で確認する。これはもう遺伝子に刷り込まれたからだの「知」としかいいようがない。知や意識がはたらく以前のからだの,素のままの反応だ。いわゆる純粋経験。

 しかし,そのお蔭で,幼児は母親からもらった免疫力から自立して,自分の免疫力を獲得していく。その功労者は「汚れたもの」だ。つまり,非衛生的なものだ。ありとあらゆるからだにとっての「異物」,つまり,バイ菌を筆頭とするさまざまな「異物」(抗原)がからだの中に入り込むことによって,それに対抗する「抗体」をつくる。これが免疫力を高める基本原理だ。だから,一定の「異物」がからだの中に入ることによって,免疫力は維持され,さらに高められていく。

 いわゆる「抗原抗体反応」は,人間の理性とは別物だ。つまり,からだの自律的なはたらき以外のなにものでもない。これを,わたしは,からだの「知」と名づける。からだは理性とは関係なく,みずからの原理原則をもっている。そうして,その原理原則にもとづいて,その機能を高めたり,低めたりしている。だから,かんたんに言ってしまえば,一定の「汚れたもの」(異物)が,周期的にからだの中に入り込むことが免疫力を維持し,高めていく上では不可欠なのだ。

 にもかかわらず,世はあげて衛生管理主義が徹底している。つまり,「衛生的」ということばに弱い。衛生的によくない,と言われるとすぐにそれに従う習性が身についてしまっている。科学万能主義や科学神話が徹底した結果なのだ。だから,世の中の組織や制度も「衛生的」に構築されてしまっている。その最先端に学校教育が大きな役割を果たしている。

 外出から家にもどったら,すぐに「手を洗い」ましょう,「うがい」をしましょう,と教えられる。母親もそのように教える。だから,子どもたちは,みんな条件反射のようにして,なんの疑問もいだくことなく,「言われたとおり」に手を洗い,うがいをする。こうして,バイ菌をからだの中に入れないようにしているのだ。とても清潔で,衛生的で,よろしい,ということになる。

 名づけて「衛生帝国主義」。しかしながら,この結果は,免疫力の低下だ。だから,一年中,ちょっとしたことですぐに体調を崩す人間が激増している。というよりは,医療依存症というべきか。なにか,からだに少しでも変調がみられるとすぐに病院にいく。そして,医師に診てもらって処方をしてもらい,薬をもらって帰ってくる。医師も診療点数を稼ぐためにせっせと薬を処方する。患者の多くは,ただ,それだけで安心立命している。

 からだの異変が尋常ではない場合には,医師に診てもらう必要がある。しかし,ちょっとからだがだるい,その程度の異変でも,すぐに医師のところに行って薬を処方してもらって,それを飲む。あるいは,自分でそれらしき薬を買ってきて飲む。流行性感冒でもはやろうものなら,予防注射までしてもらうご時世だ。食品関係を直接扱うような特殊な職業の人であればともかくも,ごくふつうの生活をしている人も列をなして予防注射をしてもらう。

 これでは,折角の「抗原抗体反応」のしくみを稼働させる絶好のチャンスを,みずから放棄するに等しい。その結果は,免疫力の低下だ。だから,ますます風邪を引きやすくなる。そして,常時,医者のお世話になる,という悪循環に陥る。このことに気づいていない人は意外に多い。

 ここには多くの問題が隠されている。一つは,自分のからだと向き合って,考える機会をみずから放棄していること。つまり,「思考停止」。もう一つは,からたの「知」力を高める機会,つまり,免疫力を高める機会を放棄していること。もっと言っておけば「自然治癒力」の放棄である。その結果が,医師・薬依存症への道だ。すなわち,人間が人間であることを放棄して,人間ではなくなる,「事物化」への道だ。そして,医療費の高騰だ。ここからさきのことは,いずれまた機会を改めて書くことにしよう。

 いま,必要なのは,ひとりの人間として自立/自律して考える力だ。その基準は,医療の助けが必要かどうかの判断力だ。つまり,免疫力を高めるためのチャンスとみるか,あるいはその限界を超えていると判断するか,を見極める力だ。そうして,自分のからだの「知」力を高めていく心構えをしっかりともつことだ。つまり,免疫力=自然治癒力を高めていくために。

2015年4月17日金曜日

からだの「知」・その1.幼児は触覚をとおして学習する。

 熱いものに触れるとからだは条件反射的に反応して,その危険を回避する。脳に伝える前に,からだが反応する。そのあとで,脳に情報が伝えられ,なにが起きたのかの判断がなされる。つまり,脳が判断する前に,からだは独自の判断をし,いちはやく危険を回避する仕組みをもっているということだ。すなわち,意識以前のからだの反応。身体知。からだの「知」。

 どうやら皮膚感覚(触覚)の方が脳よりも先行して,さまざまな情報処理をしているらしい。だとしたら,この皮膚感覚(触覚)を上手に伸ばすことが肝要である。そのためにはどうしたらいいのか。たぶん,それは経験知とでも名づけるべきものなのだろう。

 あまり大きな声では言えないが,娘がまだはいはいをしているころに,我が家では石油ストーブのアラジンを使っていた。娘がはいはいをしながらアラジンに近づくと家内はあわてて抱き起こし,危ないから近づいては駄目だよ,と話しかけていた。しかし,何回も何回も同じことを繰り返し注意しても,興味のあるものには近づいていく。そして,触りたいのだ。幼児は,なにごとにつけ,まずは皮膚感覚でまわりの事物を学んでいく。だから,納得がいくまでは,どうしても触りたいのだ。だから,わたしは,「触らせてやればいい」と言っていたが,家内は「そんなことをしたら大火傷をしてしまう」と主張。

 ある日,わたしが留守番をしているとき,娘がアラジンに近づいていくことがあった。もちろん,わたしは止めはしない。どうするのだろう,とじっと観察する。そして,もし,危険だと判断されたときには,すぐに止めに入る体勢をとっていた。4~50㎝くらいの距離まで接近したところで,娘はじっとアラジンをみている。つまり,確実に暖かさを感じている。それから,しばらくして,さらにその距離を詰めていった。が,それでもじっとみつめている。なんだか熱いなぁ,とでもおもっているように。そして,とうとう意を決したかのようにさらに接近して,手を伸ばした。赤く炎が燃えているのがみえるところに手が触れた瞬間,のけ反りかえって横転した。それから一呼吸したところで烈火のごとく泣きだした。すぐに触れた手を確認。少し赤くなっているが,たいしたことはなさそうだ。それでも,一応,やけどの初期手当てとして,水道水で冷やしてやる。

 しばらくして泣き止んだ。手をみると,どうということもなさそうなので放置した。そして,娘はいつものようにはいはいをしながら,あちこち興味のあるところに移動していっては,面白そうなものをみつけると,それに手を触れ,口にくわえたりして,遊んでいる。いや,学習をしている。

 その後,娘はアラジンには4~50㎝の距離で折り合いがついたらしく,それより近くには寄っていかない。たぶん,ホワッとした暖気を感ずるだけで,熱かった記憶がよみがえり,それ以上は近づかない。これでよし,とわたしは大満足。家内はなにも知らない。自分が教えたから近づかなくなったと確信している。わたしは黙って見過ごす。それでいい。

 成長してから娘にそっとこの話をしてみたら,なにも覚えてはいない,という。そして,アラジンが危険なものだともおもってはいない,という。それでも「熱いもの」だから,「触れてはいけないもの」だ,とはおもっていた,という。やれやれ安心。

 一度,記憶したからだは,きちんと危険を回避させる能力を身につける。そして,やがては無意識のなかにしまい込まれていくようだ。このようにして,考える以前にからだが反応するという身体知が構築されていくらしい。

このシステムはなにも危険回避のためだけではなく,日常的な立ち居振る舞いといった所作もまた,同じようにして積み重ねられ,無意識のうちに構築されていく。あるいはまた,さまざまなお稽古ごとや遊び・スポーツなども同じだ。

 このような,からだの「知」とはいったいどういうものなのか,これから一つずつ事例を挙げて考えていってみたいとおもう。今回は,その第一回目。これからどんな話題が登場することになるのか,わたし自身も楽しみだ。乞う!ご期待!

2015年3月29日日曜日

エスカレーター功罪論。堕落する身体の一因。

 エスカレーターがみるみる普及し,いまや,いたるところにエスカレーターが設置されている。まことに便利になったものだ。が,便利なものには落とし穴がある。堕落する身体。脚力の低下。

 老いも若きも,エスカレーターがあれば,まず,間違いなくみんなエスカレーターに乗る。エスカレーターを横目に歩く人はごくわずかだ。広々とした階段はがら空きだ。なにか,あの空間がもったいないようにもおもうことがある。

 新幹線に乗るときに利用する新横浜駅にも,いたるところにエスカレーターがある。わたしの場合には,地下鉄から新幹線に乗り換える。このとき,深い地下から地上の新幹線のプラットフォームまで,118段の階段がある。ビルでいえば,3階から4階分ほどの階段だ。この階段は,よほど大きな荷物でももっていないかぎり,歩いて登ることにしている。しかし,ときどき恥ずかしいときがある。だれひとりとして階段を登る人がいなくて,全員がエスカレーターに乗り,ちらちらとたったひとりで階段を登っているわたしがみられているとき。まるで奇人変人あつかいだ。そういうときは,できるだけエスカレーターから距離をとって登ることにしている。

 大阪方面から帰ってきたときも同じである。こんどは,もっぱら下り階段。これが,とてもいいトレーニングになる。ここでも,いい歳をした老人が,ザックを背負ってとぼとぼと階段を歩いて下りていくのだから,奇異な眼でみられる。最近は,もう,すっかり慣れっこになってしまったので,平気だが,はじめのころは参った。

 まあ,ことほど左様に,階段があったらとにかく歩くことにしている。こんなことを,もう長年つづけているせいか,脚力に衰えはない。いな,階段を歩くことをはじめる前,ということは10年以上前よりも,いまの方が脚力は強い。同時に,息も上がらない。かつては太っていたこともあって,階段の上り下りはたいへんだった。しかし,あれから「10年」。その効果たるや,驚くべきものがある。嘘だとおもったら実行してみていただきたい。

 最近のわたしの周囲の人びと(同年配者)は,みんな足・脚が痛い,膝が痛い,股関節が痛い,腰が痛い,長くは立っていられない,歩くのがつらい,という。もっとも,わたしは77歳になったばかりだが,80歳前後の人は,ほとんどの人がそういう悩みを抱え込んでいる。そして,医者通いをしている。でも,ほとんどの人は効果が感じられないという。お気の毒に。

 最近は,若い人にも足腰に悩みをかかえている人が少なくないという。

 藪井竹庵(やぶいちくあん)先生の見立てでは,歩行運動不足,エスカレーター依存症が主たる原因だという。

 若者よ。せっせと歩こう。せっせと階段を歩いて登ろう。エスカレーターや駅のエレベーターに依存するな。足を使え。そうして,老後に備えよ。

 文明の利器・エスカレーターは,老人・幼児・弱者のためのものであって,健常者とは無縁のものだ,と考えよう。

 どこか勘違いをしている人が多い。甘えの構造。

 せっせとエスカレーターに乗って,スポーツ・ジムに通っている。このことの矛盾に気づいていない。ここからすべてがはじまる。文明化社会の「狂気」が。その延長線上に「原発」がある。このことにも気づいていない人が多い。

2015年3月2日月曜日

「胃袋が喜ぶ」食べものがわかってきました。

 今日も朝から晴れ。気分よし。太陽の日差しも元気がいい。鷺沼の駅を降りると,さらにまわりの景色が明るくなり,日差しのぬくぬく感が心地よい。パソコンを背負って歩く足どりもいつもよりは軽い。たんなる気持の問題だが,それが重要。

 「消化器系の内臓は脳より賢い」と,なにかの本に書いてあった。それを読んだときには「へーえ,そんなもんなの?」という程度の認識だった。

 しかし,今回の経験で,そのことの意味がよくわかった。

 抗ガン剤治療は体質的に合う人と合わない人とがあり,その個人差は大きいという。わたしは,合わない側の人間だったらしく,まことに苦労した。それも,極端に合わない人だったらしい。いまになって,冷静に考えてみると,からだが徹底的に拒否していたようだ。最初から猛烈に拒否反応を示していたということ。しかし,経験がないので,こんなものなのかなぁ,という程度の認識しかない。だから,しばらく様子をみることに。

 しかし,5カ月を経過したところで,決断した。これはいけない,これ以上つづけていたら,健全なからだの本体までやられてしまう。それではもとも子もないではないか,と。

 それから5カ月が経過。抗ガン剤はしつこくからだの中に残留していて,なかなか抜けてくれない。でも,わずかずつではあるが,抜けていくのがわかる。なぜなら,からだが喜んでいるからだ。とくに,今朝のように天気がいいと,はっきりわかる。もう,鷺沼に行きたくて行きたくてうずうずするのだ。元気だったころのあの感覚。あの鷺沼の高台から東京方面を見渡しながら坂道をくだる,この快感がたまらない。

 そのもっとも顕著な兆候は「胃袋」である。気分がいいと胃袋さんもご機嫌である。

 そのむかし,学生時代に杉靖三郎先生から「ストレス学説」なるものを教えてもらった。そのときに,ストレスと胃袋は直結している,脳がストレスを感知するよりずっと早く胃袋は反応している,と。つまり,胃袋はこころの映し鏡である,と。

 今回の胃潰瘍から胃ガンへの進展の主要因も,ストレスだったらしい。しかし,わたしの脳は気づかなかった。背中が痛い,変だなぁ,という程度のものでしかなかった。しかし,胃袋さんはとっくに悲鳴を挙げていたのだ。それに気づかなかったわたしの脳はアホだった。

 つい,最近になって,胃袋さんが元気をとりもとしてきた,と気づく。その基になっているのは,どうやら「味覚」さん。まだ,完璧ではない。自己観察では7割くらいはもどってきたようだ。それとともに胃袋さんも,なにかと情報を発信てしくれるようになってきた。

 第一に,下痢をしなくなった。その最大の理由は,食べ過ぎをコントロールできるようになったことにある。胃袋さんが,もう十分だよ,というサインをはっきり出すようになった。つい,この間までは,満腹なのか,まだ,足りないのか,その区別がつかない。だから,いくらでも食べてしまう。つまり,胃袋さんもマヒしていたのだ。ところが,そのマヒという呪縛から徐々に解き放たれてくると,胃袋さんも「もう十分」というサインをくれるようになった。

 ところが,脳はまだ食べたいと言ってきかない。あるいは,眼が食べたいと言う。一瞬の葛藤があるが,いまは,胃袋さんの判定にしたがうことにしている。その方が間違いなく調子がいい。

 と同時に,胃袋さんが喜ぶ食べものもわかってきた。

 いま,定番にしている朝食。リンゴとにんじんのミックス・ジュース。どんぶりに一杯。ジュースといっても,ふつうの水分たっぷりのジュースではない。ジューサーでこなれる程度の,最小限の水を加えただけの,ドロドロのもの。だから,飲めないので,スプーンで食べる。これを,わたしの胃袋さんはことのほか喜ぶ。それが手にとるようにわかる。

 食べ終わったときには「これで十分」というサインがくる。しかも,スッキリ感がさわやかだ。ただし,すぐに空腹感がやってくる。そこで,間食を少しだけつまみ食いをする。いま,一番気に入っているのが,赤ちゃんの離乳食用のビスケット(できるだけ,プレーンなものがよい),あるいは,むかしからある「乾パン」。こちらは山を歩いていたころ,いつも,ポケットにしのばせておいて,空腹を感じたら食べることにしていた。胃袋さんの負担にならずに,空腹感をごまかすことができる。

 いま,一番いけない,つまり,胃袋さんが喜ばない間食は油系のもの。こちらは見た目には食べたがる。味覚的にも悪くない。しかし,胃袋さんは喜ばない。しかも,食べすぎると気持が悪くり,すぐに下痢をしてしまう。それはみごとなほどだ。

 ことほどさように,いまは,胃袋さんのいうなり。

 夕食もごはんと梅干しと豆腐の味噌汁が一番。おかずは,野菜なり,肉なり,魚なり,ともかく現物を自分で調理したもの。加工食品は駄目。これもみごとなものだ。たぶん,加工食品のなかに含まれている化学添加物が駄目らしい。

 からだは嘘をつかない。

2015年1月30日金曜日

アートを学ぶ人たちの前に立つことになりました。驚きと歓喜。

 ある日,突然,小澤慶介さんという方からメールが入ってきました。原則的に知らない人からのメールは開かないことにしています。ですから,このお名前をじっと眺めて,どうしようかと考えました。しかし,そのときの直観は「開け」でした。そこで恐る恐る開いてみました。そうしたら,とても丁寧な文章で,まずはお詫びからはじまり,ご相談の主旨が的確に書かれていて,ほっとしました。意外に直観というものは当たるものだ,とわれながら驚きでした。

 さて,その小澤さんとお会いしてお話を詳しくお聞きしているうちに,ああ,これは断れない,いや,喜び勇んでお引き受けしなくてはいけない,と途中から立場が逆転していました。そこが,まさに小澤さんの炯眼のなさしめるワザでもありました。

 まずは,わたしのブログを追跡して読みました,と切り出しました。そして,読めば読むほどに,この人に講演をしてもらいたいと強くおもうようになりました,と仰る。もう,ここで勝負ありです。その上で,テーマは「東京オリンピック1964と2020」という二つのオリンピックの間に日本人の身体はどのように変化したのか,というもので,それをスポーツというアングルから話してほしい,と仰る。もう,ここまで聞いた段階で,わたしは嬉しくてたまらず,早速,こんなことが言える・・・・というような話をはじめていました。

 小澤さんは聞き上手で,ひとしきり話が盛り上がったところで,そういうお話をぜひともお願いします,となりました。もう,あとには引けません。前にでるしかありません。面白そうなので,ぜひ,やらせてください,ということになりました。

 そんな話が終わったところで,じつは・・・と言って,西谷修さんのお話がでてきました。学生時代に西谷先生のゼミに入りたかったのですが,どうも敷居が高いと自分で判断して,遠くから羨望のまなざしで眺めていました,とのこと。でも,その思いを忘れることができないまま,その後もずっと西谷先生のお仕事は追っかけています,と。そして,いまもなお多くのことを学ばせていただいています,と。で,勇気を出して西谷先生とコンタクトをとって,西谷先生にも講演をお願いしています,とのこと。

 なるほど,そういうことであったか,と。これですべてが瓦解しました。なーんだ,それならそれと最初から言えばいいのに・・・と。でも,小澤さんの偉いのは,やはり,まずは自分で努力をして自分の眼で確かめた上で,自分の意思でわたしとの接触をはかったことです。ますます,小澤さんという人物が好きになってしまいました。

 話が前後してしまいましたが,小澤さんは,NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ〔AIT/エイト〕のMADプログラム・ディレクターをされている方です。MADとは,現代アートの学校:Making
Art Different (アートを変えよう,違った角度で見てみよう)の略称です。

 
そして,NPO法人アーツイニシアティヴトウキョウ〔AIT/エイト〕とは,現代アートを考えるさまざまな「場」をつくるため,2001年に設立したNPO。アーティストやキュレーター,美術館やギャラリーのほか,企業,財団,行政と連携しながら,現代アートの複雑さや多様さ,驚きや楽しみを伝えています,とこのリーフレットには説明されています。

 現代アートの学校MADは5つの「ジェネラル・スタディーズ」,3つの「アドバンス・スタディーズ」,3つの「ゼミ」およびす「MADフェンバーガー」から構成されています。その詳細は下の写真のとおりです。読んでみますと驚くべき内容が提示されています。思わず,わたしが受講してみたくなるようなプログラムになっています。

 
わたしの出番は「アドバンス・スタディーズ」の中にありました。それによりますと,テーマ①「二つのオリンピックの間で変容するカラダ」(2015年4月~6月)という通しテーマで3人の講師が,それぞれのスタンスから話をすることになっています。わたしに与えられたテーマは「オリンピックの変容からカラダを考える」というものです。こうなってきますと,いまから,もう,どんな話をしようかと胸が高鳴ってきます。このワクワク感がたまりません。

 なぜなら,この「アドバンス・スタディーズ」の中の「アートの存在論へ──3.11以後から考える」のテーマのもとで,西谷修さんも「破局に向き合い,創造を思考する」というお話をされることになっているからです。まことにもって光栄です。ありがたいことです。

 
講師一覧をみますと,それぞれの専門の分野で大活躍されていらっしゃる方たちばかりです。そんな中で,たとえアイウエオ順だとはいえ,わたしの名前がトップにでてきますと,これでいいのかなぁ,といささか腰が引けてしまいます。と同時に,ちゃんと責務を果たすべく頑張らねば,という気持にもなってきます。まあ,いまさらどたばたしても仕方がありませんので,少なくとも自分に納得のいくお話ができるように準備をしたいとおもいます。

 
いずれにしましても,アートはスポーツからも養分やエネルギーを得ようとする,このアイディア/姿勢に接し,こういう時代になってきたんだなぁとおもうと同時に,こういうアイディアを展開させる小澤慶介さんは凄い人だなぁ,と感心してしまいます。その小澤さんの期待に応えるべく,わたしも頑張らねば・・・とますます考えてしまいます。

2014年10月23日木曜日

自然現象に反応する,わたしたちのからだ(五感)。文明化とともに衰退。

 御嶽山のふもとの住民の間では,この夏に昆虫や鳥たちが激減していたことに気づき,大いに奇異感をいだいた人たちがいた,という。だからと言って,この人たちは大騒ぎをするわけでもなく,じっと静観していたらしい。そして,あとになって考えてみれば,やはり,昆虫や鳥たちは異常を察知していたようだ,と。

 自然界の掟は侮りがたし・・・。それにひきかえわれら人間は・・・・。

 話はこれだけで終わってしまってはもったいない。

 異常を察知した昆虫や鳥たちの仲間のなかにも,なにも感じないままそこに居残った者たちがいた,というもうひとつの事実にも注目したい。

 なまずは地震を予知する,という話はよく知られている。しかし,すべてのなまずがみんな地震を予知するのかといえば,そうでもないらしい,ということ。

 ひるがえって,われら人間のほとんどは地震を予知する能力を失っている。それでも,ごく少数だが,地震を予知することのできる人たちがいることも事実だ。わたしの知人にもひとりいる。彼の場合は100%ではないが,かなりの確率で予知している。本人の言うには7割くらいは予知している,と。しかも,強い地震になると,からだ全体が騒ぎだす,という。

 つまり,生物界には二種類の存在がある,ということ。そして,異常を察知する能力の高い種が生存競争を生き抜いてきたらしい。ということは異常を察知する能力の低い種は淘汰されていく,ということだ。だとしたら,原則的には人類,すなわち,わたしたち人間はいずれ淘汰されてしまう,ということになる。

 実際にも,その兆候が近年,顕著になってきた,と警告する研究者は少なくない。

 その最大の敵は急速な「文明化」現象。裏返せば,人びとの自然からの乖離。

 たとえば,スマホ依存症。歩きながらもスマホから眼が離せない新人類たち。わからないことはスマホに聞けばいい。なにからなにまでマニュアル化したスタンダードな情報を提供してくれる。それらを鵜呑みにし,わがバイブルのようにして生きている人たち。スマホがあれば困ることはないかのように・・・。その代わり,スマホがなければ生きてはゆけない新人類。

 自分ではなにも考えない,考える必要も感じない,いわゆる「思考停止」状態の人間の誕生。すべてが「受け身」。みんながすることに無意識のうちに右へ倣え。そこから脱落することだけにはいたって敏感。なぜか,女性たちの顔もみんな同じようにみえてくる。つまり,お化粧が同じ。そして,小顔。

 「赤信号,みんなで渡れば怖くない」(たけし)・・・・この調子だから,戦争も辞さない若者たちが増えているという。もちろん,その背景はいささか異なるが,その一因にスマホ依存症もおおいに貢献しているのでは・・・?とわたしは考える。ポピュリズムの温床のひとつ。

 人間は基本的に「自然存在」である。もって生まれた人間の「内なる自然」を,つぎからつぎへと登場する最先端科学技術という名の文明化の浪が襲いかかる。そして,その「内なる自然」を無用の長物であるかのようにマヒさせてしまう。そのことに気づきもしない新人類。

 この文明化の進展とともに衰退していくわたしたちの身体感覚(五感)。この五感を,しっかりと守り,さらに研ぎすませていくことによって,本来の人間の生き方をとりもどすこと。そして,やがては自然現象にも素直に反応するからだをとりもどすこと。

 この意味でも,わたしたちはいま大きな岐路に立たされている。

 このことは,「命よりも金」という生き方に決別することと同根である。

 そんなことを,御嶽山のふもとの昆虫や鳥たちが教えてくれている。

2014年10月21日火曜日

10歳児の味覚に異変。31%が「甘い」「辛い」の区別がつかない,とNHKニュース。

 衝撃的なニュースでした。昨夜(20日)のNHK・ニュースウォッチ9でのことでした。わたしはしばし呆然としてしまいました。とうとう,ここまできたか,と。

 いまから,かれこれ15年も前のことでしょうか。大学院のゼミのなかで,たまたま食文化の話になり,中華の専門店のラーメンとカップ・ラーメンとは,どちらが美味しいか,という議論になりました。そのとき,数人の院生がカップ・ラーメン派でした。わたしは思わずわが耳を疑いました。最初は冗談だろうと思って聞いていましたが,本気でそう思っているということがわかったとき,天を仰いでしまいました。

 まったく新しい人類の誕生である,と。

 その当時,すでに,味覚のコントロールが食品メーカーによってなされているという話題がもちきりでした。主役は,即席ラーメンと即席カレー。一年ごとに味を変えることによって売り上げを伸ばそうという戦略が,密かに練られ,実践されている,と。

 理屈はこうです。即席系の食品は一年も食べると「飽きる」。その飽きがきたタイミングを見計らって,飽きた味覚に対して,ちょっとだけ味付けに手を加え,これは美味しいと感じられる方向に味覚をコントロールする。これを毎年,繰り返し,12年計画で,もとの味に戻すのだ,というのです。12年経過すれば,かつての子どもたちは大人になり,世代交代がなされ,だれにも気づかれることもなく,味覚をコントロールすることができる,というのです。そして,もちろんのこと,売り上げ増を達成することができる,というわけです。

 テレビでも盛んにコマーシャルが流れましたので,わたしも釣られて試食してみたことがあります。が,味が強烈で,たまに食べるにはいいけれども,常食する気にはなれませんでした。しかし,子どもは飛びつきました。とても美味いという。これはいけないと気づき,徹底的に薄味の野菜の煮物をつくり,食材そのもののもつ味を,徹底的に教え込みました。これは功を奏し,いまではわたし以上に味覚に鋭く反応する大人になっています。

 それが,ちょうど10歳前後のことだった,と記憶しています。

 ニュースによれば,味覚がもっとも鋭敏に反応するようになるのが10歳児と言われ,このころの食習慣によって,その子の味の好みは決まる,と考えられているとのこと。その10歳児の味覚に異変が起きている,というのです。東京医科歯科大学の先生たちが調査した結果(実際に味覚テストを実施している映像が流れる),31%もの児童が「甘い」「辛い」の区別がつかない,ということが明らかになった,と。

 わたしは考え込んでしまいました。すでに,「思考停止」人間が激増していることが話題となり,考える必要のない利便性が人びとの生活を支配しはじめた結果ではないか,と言われています。考えてみれば,この10年ほどの間に,世の中は驚くほど「便利」になりました。その主役は携帯電話であり,iPHONEだと言われています。いまや,財布をもつ必要もない時代に突入です。

 各種のIT機器を使いこなすことさえできれば,必要なことのほとんどはIT機器が教えてくれます。つまり,マニュアル時代のはじまりであり,「知」の平準化(受け身)の時代です。出産から育児まで,みんなマニュアル化された情報にしたがっていれば安心という時代です。ですから,そのマニュアルから少しでもはずれると,大騒ぎになります。例外を受け入れ,考える力がまったく欠落しているからです。

 言ってしまえば,人間は,いつのまにか情報によって自在にコントロールされる「機械」になりはててしまった,というわけです。つまり,機械によってコントロールされる「機械」の一員になってしまった,ということです。

 かつて,ジョルジュ・バタイユは「有用性の限界」ということを主張していました。その理由は,人類は道具を発明し,その「有用性」に気づいたときから,人間性に目覚め,動物性を否定するようになりますが,それをやりすぎると人間もまた単なる「道具」になりはててしまう,と考えたからです。

 このバタイユの警告が,いまや,わたしたちの現実となってしまっています。しかも,もはや,完全に道具の虜になりはててしまって,そこにどっぷりと浸りこんでしまい(居心地がいいので),そこから抜け出すことすら忘却してしまっています。そういう人が圧倒的多数を占めてしまいますと,それが当たり前になってしまいます。そして,自分たちが狂っているということすら気づかず,それどころか自分たちこそ「正しい」と信じて疑いません。

 現代の病根はここにある,と言っても過言ではないでしょう。

 10歳児の味覚の問題だけではありません。おそらく,大人もふくめて,人間が本来持ち合わせているはずの「五感」のすべてに「異変」が生じているに違いありません。第六感を働かせることのできる人間は,いまや,風前の灯火でしょう。それどころか「非科学的」という名のもとに断罪されかねません。

 「明日は雨が降る。だから,今日のうちにやるべきことをやっておかなくては・・・」とわたしの母はよく言っていました。そして,それがほとんど間違いなく的中していました。気圧の変化をからだのどこかで感じ取っていたようです。こういう人が,わたしの子どものころにはたくさんいたように思います。ですから,運動会や遠足が近づいてくると,母親に何回も何回も天気の様子を確認したものです。当時の天気予報は,よく「はずれ」ていましたから。ですから,母親の天気予報の方がはるかに信頼がおけた,という次第です。

 御嶽山のふもとの住人の間では,ことしの夏,虫や鳥たちが激減したことが話題になっていたといいます。どこかに移動して,姿を消してしまった,というのです。よく知られていますように,野性の動物たちが「移動」をはじめると天変地変が起きる前兆だ,と言われています。そのとおりのことが御嶽山では起きたわけです。

 10歳児の味覚の異変。この衝撃的なニュースに触れ,一晩中,何回も目覚め,そのたびにこんなことを考えていました。恐ろしい時代になったものです。

2014年9月15日月曜日

NHKスペシャル「臨死体験の謎に迫る・死ぬ時こころはどうなるか」からみえてきたもの。結論は「思い込み」。

 最近のNHKのニュース番組は腹立たしいことばかりですが,その他のドキュメンタリーにはなかなかの傑作があります。NHKスペシャルもその一つで,テーマによっては真剣にみることにしています。

 そんな中で,「臨死体験」の謎を追った立花隆の久しぶりの,渾身の取材・レポートに感動しました(9月14日21:00~22:15,NHKスペシャル。臨死体験の謎に迫る・死ぬとき心はどうなるか,先端科学が挑む”死”。立花隆が徹底取材!体外離脱を自ら検証,臨死体験を生む脳の働き)。立花隆ががんを患っているということは知っていましたが,意外や意外,お腹はみごとなほどの太鼓腹。頭が白くなり,足どりがやや不安定にみえましたが,顔はさらに丸くなり,元気そのもの。この人は大丈夫だ,と確信しました。

 さて,人間は死ぬとき心はどうなるのか,あの世はあるのかないのか,という立花隆の長年にわたる素朴な疑問にして,根源的な問いに,現代の最先端科学はどこまで答えられるのか。その謎解きのために世界を股にかけて,それぞれの専門家であるサイエンティストたちを立花隆が直撃インタヴューしています。

 その中のいくつかのトピックスについて感想を書いておきたいと思います。

 まずは,あの世はあるのかないのか。その結論は「思い込み」だ,というのです。つまり,あると思う人にはある,ないと思う人にはない,そういうことだ,と。現代のサイエンスはそれ以上のことは解明できません,というのです。科学とは,因果関係を明らかにするものであって,存在が確認できない死後の世界については手も足も出せません,と。さすがにトップ・クラスのサイエンティストたちは自分たちの役割をきちんと理解している,と感動してしまいました。

 いま,売れに売れている東大医学部救急医療センターの某教授の本(同じ内容の焼き直し本がこのところ立て続けに刊行されている)が,科学的な根拠とはなんの関係もないものである,ということが明確になり,わたしなりに安堵しています。そして,立花レポートの結論から言えば,某教授のたんなる「思い込み」にすぎない,ということになります。ですから,某教授はそのように「思い込み」,「信念」をもって自分の見解を主張しているのであって,そこには科学的根拠はなにもない,というそれだけの話です。

 しかし,この「思い込み」が人間を人間たらしめているのだ,と立花レポートは結論づけてもいます。人間が生きるということは,人それぞれに「思い込み」に支えられ,それがその人の「信念」となるからなのだ,と。つまりは,科学もまた「思い込み」の一つであり,つぎつぎに新事実の解明によって,それまでの理論仮説はくつがえされていきます。思想・哲学も同じであり,つぎつぎに新しい思想・哲学が誕生しています。その最たるものが宗教である,ということになります。ということは,人は宗教によって救済される生き物だ,とも言えるようです。もちろん,死後の世界を否定する科学者は少なくありません。

 立花隆レポートによれば,スウェーデンの著名な某科学者は,若いころには死後の世界の存在を否定していましたが,最近では,死後の世界を信じるようになった,と述懐しています。その理由は,これまで生きてきた情報の総和がそうさせるのであって,確たる根拠はなにもない,と。つまりは「わたしの思い込み」です,と。そして,その方が気持が落ち着きます,とも。その方は奥さんが敬虔なクリスチャンで,いまは余命いくばくもない重い病気にかかっていて,その介護をしているうちに,死後の世界はない,と奥さんに言うことはできなくなってしまった,とも述懐しています。

 このほかにも,たくさんのトピックスはありますが,ここでは残念ながら割愛。

 ただ一つだけ。立花隆が自らの臨死体験や,リアルとヴァーチャルが簡単に入れ代わってしまうという実験の被験者となったときの体験,そして,最新の科学者たちの主張などをトータルに推理した結論が,それらはみんな「思い込み」ではないか,というところにたどりついたこと,このプロセスは重大な意味をもっているように思います。つまり,この立花隆の結論もまたかれ固有の「思い込み」にすぎないからです。

 パスカルの謂いにならえば,「死後の世界はあるか,ないか」と問われたら,まずは「ある」と答えるべきだ,ということになります。パスカルは「神は存在するか,しないか」と問われたら,「存在する」と答える,と明言しています。なぜなら,存在しないと答えたら,話はそこで終わりです。夢も希望もなくなってしまいます。しかし,存在すると答えれば,なぜ?どこに?どのように?・・・という具合にさまざまな議論が展開していきます。この謎解きこそが「生きる」ということの証なのだ,とパスカルはいいます。ですから,パスカルは,人間にとって「賭け」は不可欠なものだ,と主張します。これもまた,パスカルの「思い込み」にすぎませんが・・・・。

 こうなりますと,ありとあらゆる人間の思考の到達する結論部分は,みんな「思い込み」ではないか,ということになります。あとは,どれだけ多くの人とその「思い込み」を共有できるか,という問題になってきます。

 となると,人間が生きるという営みの結論部分は,よくもわるくもみんな「思い込み」,すなわち「ブートストラップ」(『ほら吹き男爵の冒険』)ではないか,ということになってしまいます。

 さてはて,とんでもない知の地平に飛び出してきたぞ,というのがわたしの正直な感想です。と同時に,なぜか,ほとんどなんの違和感もなく納得してしまう自分自身に驚いてもいます。これはとういうことなのだろうか,と。その一つは,近代アカデミズムに対するわたし自身の深い疑問と共振するものがある,と感ずるからなのかもしれません。これもまた,わたしの「思い込み」にすぎませんが・・・・。しばらく考えてみたいと思います。

2014年9月5日金曜日

「けんちく体操」世界へ。『東京新聞』8月30日夕刊トップ記事よ

 数年前のある日,突然,見知らぬ人からメールが入ってきました。わたしの知らない人(女性名)がわたしのメール・アドレスを知っているのはどうしてか。しかも,メールの見出しは「お願い」とある。これはよくある「ピッキング」か,危ない系の女性からのメールではないか,と疑う。しばらく考えたのち,女性の名前がごくふつうにあるものだったので,思い切って開いてみた。

 すると,「けんちく体操」を考案し,その普及に務めている人たちをサポートしているあるイベント屋さんからのメールだった。内容は,「けんちく体操」の考案者とその普及に携わっている人たちとのトーク・イベントとワークショップに参加してほしい,とのこと。しかも,相当に詳しくわたしのことを調べたようで,体操の専門家という立場だけではなく,スポーツ文化論の専門家としても発言していただきたい,とある。おやおや,である。

 それから慌てて「けんちく体操」を検索して,ことの次第のあらましを把握。なるほど,そういうことであったか,と納得できたので,OKの返信メールを送信。すると,すぐに応答があり,さらに詳しい情報を送ってくれた。それによると,東京江戸博物館に勤務する米山勇さんという建築史家が,博物館にやってきた子どもたちに建築の面白さを知ってもらい,関心をもってもらうためのなにかいい方法はないものかと考えた末にこの「けんちく体操」を思いついた,ということでした。なるほど,なるほど,と納得。

 そのときの情報によれば,「けんちく体操」にかかわっているメンバーは以下のとおりです。

 チームけんちく体操
 米山 勇:けんちく体操博士,建築史家,東京都江戸東京博物館研究員
 高橋英久:けんちく体操マン1号,東京都江戸東京博物館学芸員
 田中元子:けんちく体操ウーマン1号,ライター/mosaki
 大西正紀:けんちく体操マン2号,編集者/mosaki
 以上の4名。


 上の写真は,イベント会場で売っていたDVDの表紙です。「けんちく体操」なるものがどういうものなのかが,一目でわかると思います。そうなんです。自分のからだで建築の形態を模写するという,ただそれだけのものです。複雑な建築は何人もの人が集まって,それらしき形態を人間のからだで模写します。とても簡単なものです。しかし,実際にやってみると,人に見られているということと,一定時間静止してそのポーズを保たなければなりません。すると,意外にからだには大きな負担となって跳ね返ってきます。場合によっては,ふだんすることのないポーズをとらなくてはならないこともあります。場合によっては,翌日には筋肉痛が起きたりします。

 トーク・イベントはまずまず楽しく展開。ただ,体操の本来の目的からすれば,やや逸脱しているが,結果的にからだの発育・発達に役立つという点では体操の範疇に入れてもいいのではないか,と思います,と発言したときは「どん引き」されてしまいましたので,あわてて「しかし,体操というこれまでの概念に風穴を開けるという意味では画期的な試みであり,21世紀の新しい体操の道を開いていく可能性を秘めているように思います」ととなりして,なんとかその場をとりつくろいました。が,わたしの認識が甘く,博物館にやってくる小中学生相手のアトラクションのようなものとしてこれが行われていると思っていたら,当事者たちは「これを学校現場でやってもらえるように,すでに,巡業に歩いていて,どこに行っても好評です」と仰る。ああ,そうなんだ,と再認識したことを記憶しています。

 

 その「けんちく体操」が,8月30日の東京新聞夕刊の一面トップの記事になっているのを見て,びっくり仰天。えーっ?!そうか,海外で人気を集めているんだ・・・・と。日本国内では,一時,話題になったことはありますが,その後,とんと耳にしませんでしたので,どうなってしまったのかな,とは思っていました。それが,突然,こういう見出しで復活です。


 驚いて記事を読んでみますと,なるほど外国では受けるんだ,とこれまた納得。しかし,たぶん,「けんちく体操」としてではなく,その場の余興やものまねや一発芸の類として受け入れられたのではないか,とこれはわたしの類推。いずれにしても,わかりやすく面白いことは間違いありません。加えて,けんちくウーマン1号の田中元子さんの英語能力の高さも大きく貢献しているのだろうなぁ,とこれもわたしの推測。田中さんのあのはきはきとした性格と,相手を引きつける力は尋常ではありません。きっと,行くさきざきで人気者になっていたのではないか,と思います。

 さて,世界に飛び立った「けんちく体操」の行方やいかに・・・・といったところ。意外にも海外で大きな人気を博し,ふたたび日本に逆輸入なんてことが起きるかもしれないなぁ,と思ったりしています。いずれにしても,とてもメデタイことです。

 こんごを楽しみにしたいと思います。

『食べない健康法』(石原結實著,東洋経済新報社,2008年刊)を読む。説得力に拍手。

 2007,8年ころに,この石原結實さんの本が立て続けに出て,本屋さんに平積みされていたことを覚えています。そのころは70歳になるかならないかの頃で,からだの調子は絶好調でした。ですから,本屋さんで手にとってペラペラとめくってみる程度で,こんな本が売れる時代なんだなぁ,とまるで他人事でした。つまり,住んでいる世界が違うという感じでした。

 しかし,胃癌を患って,胃の三分の二を切除し,転移予防のための抗ガン剤治療に入ったいまは,これまたまるで別世界を生きているように思います。からだに対する意識がまるで違います。つまり,抗ガン剤治療とどのように折り合いをつけながら,これからの生活を考えていけばいいのか,ということが終始頭のなかにちらついているのです。それほど副作用はきついということでもあります。

 そんなとき,末期ガンで医者から見放された患者さんが,友人の紹介でこの石原結實さんの食事療法を受けることになり,完治したという情報がFacebookをとおして入ってきました。それはまるでファンタジーの世界を彷彿とさせるような美しい絵とともに,石原式食事療法の要点が,きわめて簡単明瞭に書かれていました。しかも,そこには抗ガン剤治療(化学療法)と並行して食事療法をする方法も書かれていました。

 これだ!という直感がはたらき,すぐに石原結實さんの本を調べてみました。すると,驚くほどの多くの本がでているではありませんか。これはたいへんだと思いながら,いまのわたしにとって役立ちそうな本をピックアップして,まとめ買いをしてみました。それが,以下の本たちです。

 なかでも,その総集編といっていいと著者の石原結實さんがみずから書いている本が『食べない健康法』(東洋経済新報社,2008年刊)です。


 この本には難しい医学的な話はほとんどなく,きわめて簡潔に医学的根拠を提示して,その考え方にもとづく方法論を展開した,とてもわかりやすい本です。いまのわたしには切実な課題でしたので,一気に読んでしまいました。その骨子を以下のようです。

 著者の石原結實さんは白血球の研究に専念したことのある血液の専門家です。そして,その研究をとおして,ある結論に到達します。それは,白血球は血液の中の栄養がたっぷりあるとそれらを食べて,外から侵入してきた病原菌や体内を流れている癌細胞には手を出さなくなる,というものです。したがって,血液の中の栄養がやや足りない状態の方が,白血球が活発にはたらき,病原菌や癌細胞をやっつける力が増大する,というわけです。すなわち,免疫力が高くなる,と。だから,食べ過ぎは健康の「敵」,飽食を捨てて,可能なかぎり「食べない」小食を薦めます。

 なぜか,わたしの頭脳は,この石原結實さんの理屈にコロリとまいってしまいました。というか,まことにすんなりと納得してしまいました。

 そして,自己観察・自己管理の三つの要件を提示してくれます。
 1.排便・排尿が順調か。
 2.からだが温かいか。
 3.気分がすっきりしているか。
 たったこれだけです。これはわかりやすいし,横着者のわたしでも,この三つだけならなんとかやれそうだ,と直感しました。

 さらに,抗ガン剤治療と同時進行でお薦めの食事の方法も,きわめてシンプルなものでした。
 朝食:にんじん+リンゴのジュース(コップに2杯)。
 昼食:そば。適量で。
 夕食:自分の好きなものを食べてよい。お酒も適量なら可(からだを温めるから)。
 これがまたわたしの気に入りました。なぜなら,ジュースも大好き,そばも大好き,お酒も大好き,なにも文句はありません。こんなんでいいの?と逆にいぶかってしまったほどです。これは,まるで,わたしのために準備されたメニューではありませんか。

 よしっ!これならできるっ!と確信しました。
 で,早速,この第四クールの開始と同時にはじめました。
 いまのところ,うまくいきそうな予感がしています。


 これも偶然なのですが,にんじんはわたしの好物のひとつ。子どものころから大好きでした。みんなが嫌いだというので,ますます好きになってしまいました。親にも褒められ,先生にも褒められ,得意満面でした。ですから,なんの抵抗もありません。それどころか「待ってました」とばかり飛びついてしまいました。これは難なくつづけられる,と。

 これもまた偶然なのですが,しょうが紅茶は,つい最近になって飲み始めていたものです。わたしの場合には別にダイエットというわけではなくて,胃癌を患ってからはからだが冷え気味でしたので,これでからだが暖まると思ってはじめました。それもたまたまお店で,コーヒーの代わりに生姜紅茶を飲んでみたら,ことのほか美味しいということに気づき,そのお店の特製のものを手に入れて飲んでいました。

 この本では,自分で生姜をすりおろして紅茶の中にいれる方法が書いてあります。いまのところは,まだお店で買ったしょうが紅茶が残っていますので,それがなくなったら,本に書いてある方法でチャレンジしてみようと思っています。こんなことをぼんやり考えていたら,これまた偶然,デパ地下で紅茶の試飲・販売のお姉さんにつかまってしまいました。飲んでみたら,これまた美味しいので,ついつい買ってしまいました。これで準備OKです。

 まずは,これだけ偶然が重なれば,きっといいことがあるに違いない,とこれまた確信,いやいや妄信です。これでしばらくは楽しもう・・・・と。

 最後の一冊はまだペラペラめくっている程度です。が,どんな食べ物が,いまのわたしにはいいのか,というひとつの目安にはなるなぁ,と思っています。それが,これです。


 まずは,慌てず,騒がず,のんびりと楽しみながら,自分に合った方法をみつけてみたいと思っています。そのためには,なかなか楽しめる本になりそうです。
 

 以上,近況のご報告まで。