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2016年1月7日木曜日

いま,世界はフクシマに戦々恐々としている。

 以前にも書きましたが,フクシマ,原発,辺野古,憲法,集団的自衛権,東京五輪2020,などの政治に特化されるテーマについては,FBで展開し,このブログではそれ以外の問題に主眼をおくことにしています。が,やはり,このブログでもいくらかはこれらのテーマについて論ずることも必要だと痛感するようになりましたので,これからは折りを見ては,少しずつおもうところを書いてみたいとおもいます。

 その第一報という次第です。

 さて,見出しに書きましたように,「いま,世界はフクシマに戦々恐々としている」のです。このことを知らないでいるのは日本国民だけです。フクシマに関する精確な情報は,日本国内では,「秘密保護法」に守られているかのように,タブーとなっていて,大手メディアもみてみぬふりをしています。アベ政権は,表では報道の自由を嘯き,裏では相当にきびしく報道規制を強いていることも,よく知られているとおりです。

 その結果,アベ政権にとって都合の悪い情報はすべて秘匿されています。戦前の全体主義国家と同じになってしまいました。

 いまでは,外国人記者(特派員)に対しても,取材に関してプレッシャーをかけている,とのことです。憤慨した外国人特派員は,その事実を暴露し,ことの顛末を本国の新聞・テレビに報告をし,大問題になっています。このことも,インターネットにアンテナを張っている人たちの間では常識になっています。そして,日本という国家に対する不信感はますます強まるばかりだといいます。

 まさに,転落のスパイラルを駆け下りている,というのがわたしの印象です。

 たとえば,12月30日のドイツ在住のピアニスト,デットパイラー扶美(43歳)さんの新聞投稿によれば,フクシマの汚染水に世界は厳しい視線を投げかけていて,「世界最大のスキャンダル」だとして,連日のようにドイツではトップ・ニュースとして取り上げられている,といいます。しかも,この大問題であるフクシマを無視している日本政府と,それを許している日本国民について,まったく理解できない,とドイツ国民は強く批判している,といいます。もはや,日本は国家としてまともには相手にされなくなってきている,と。(詳細は,わたしのFBを確認のこと)

 まさに,戦後70年にわたって獲得してきた新生・日本(=平和守る,真摯で安心できる国家)の信頼を一気に失いつつあるということです。ですから,憲法がどうのとか言っている余裕などないのです。なによりも優先して取り組まなくてはならない問題はフクシマです。全知全能を傾けて,国民も一致団結して,フクシマ問題に全力投球をしなくてはならないのです。そして,世界に恐怖を与えつづけているフクシマについて,誠意ある対応を世界に示すことです。

 こんな話も忘れてはなりません。2011年10月25日付けの『Nature』誌に掲載された記事が,ヨーロッパでのフクシマ理解の根拠となり,そこからすべての発想が展開されている,という事実も。このことも,じつは,わたしたち日本人のほとんどの人は知らないままでいます。そこには,つぎのように書かれている,といいます。

 欧州連合の作成した新しい報告書には以下のように述べられている,と。すなわち「20,000平方マイルが日本・福島第一原発事故によって汚染された。これは,日本の国土の約15%が「徹底的な放射能監視地域」に入ったことを意味し,問題は東京もすっぽりと入っている」という事実を注視しなくてはならない,と。だから,外国の大使館要員も家族はすべて帰国させ,大使館員も交代勤務体勢に入っている,とも伝えています。(詳細は,わたしのFBで確認のこと)

 知らぬは日本人ばかりなり,ということです。

 1月4日の東京新聞には,ニュージーランドの詩人のことば「日本人は何もしないためなら何でもする」を紹介しています。まことに痛いところを突かれて,返すことばもありません。

 1月5日のFBには,フランスFR3放送「フクシマ・地球規模の汚染へ」という映像(約50分)がリンクされていました。急いで鑑賞してみましたら,そこには恐るべき事実が映し出されていました。フランスのジャーナリストによる決死的なフクシマ取材によって(からだを張った日本人カメラマンも協力),驚くべき事実が浮き彫りにされています。全身に激震が走りました。これはもう,筆舌に尽くしがたい世界です。ぜひとも,この映像をみて確認してみてください。(わたしのFBで映像をご覧になってみてください)

 ことほど左様に,恐るべき事実が,日本国内では秘匿されたままです。これがアベ政治の実態です。最優先して取り組まなくてはならない最大の政治課題を投げ出したまま,その眼をはぐらかすかのようにして,憲法改正を叫び,集団的自衛権の行使容認に走り,原発の再稼働,辺野古の強行突破へと,矢継ぎ早に鉄砲を撃ちまくっています。そして,まんまと国民の多くが騙されて,アベ政権支持へと流れ込んでいます。

 しかし,これらのアベ政権支持者の約8割は,半信半疑だともいいます(つい,最近の調査結果。これには政府自民党も相当の衝撃を受けているらしい)。ですから,ほんのちょっとしたきっかけさえあれば,あっという間にアベ政権はもろくも崩れ去るだろう,というのです。これは,案外,外圧によって,つまり,世界の世論(国際社会?)が,日本という国家を厳しく批判しているという事実が,日本国民に伝えられたときに,一気に雪崩現象として起こるのではないか,とこれはわたしの個人的な推測です。

 一刻も早く,そうあってほしいものだ,と願うばかりです。

2015年3月11日水曜日

「欲しがりません,勝つまでは」。フクシマ・オキナワの「戦い」に勝つまでは。

 「欲しがりません,勝つまでは」などと書くと,年配の人たちに叱られそうですが,それでもあえて書きます。若い人にはなんのことか通じないかもしれませんが・・・。

 なので,まずは,若い人たちのために。このことばは,第二次世界大戦中に国家が国民に言わせた標語です。つまり,アメリカとの戦争に勝つまでは,贅沢はいいません。我慢します,という誓いのことばです。わたしが国民学校(いまの小学校のこと)に入学したころには,毎日のように,朝礼で言わされました。家でも「わがままを言っているときではありません。戦争に勝つまでは」とよく注意されたものです。そして,防空頭巾に身を固めて,隊列を組んで通学したものです。上級生の言うことには絶対服従でした。食べものも着るものも足りません。配給でした。それでもみんなじっと我慢し,耐えていました。みんなそうだったから。そして,情報も大本営発表だけが唯一,正しい情報とされました。要するに,みんな「洗脳」されていただけの話ですが・・・。

 いま,また,そういう時代に急転回させようと政府自民党がやっきになっています。困ったものです。

 このスローガンを,まったく逆の意味で,いま一度,蘇らせたい。なぜなら,いま,日本国はたいへんな「敵」と戦っている,戦争の真っ最中なのですから。いまや,日本国はいやがおうでも二つの戦争と向き合う戦時体制にあるのですから。その戦場は,いうまでもなく一つはフクシマ。もう一つはオキナワ。いま,まさに,前代未聞の恐るべき強敵との戦闘中なのです。なのに,政府自民党は,この国家の一大事に対して「無責任」な姿勢を貫いています。その行為は,もはや,犯罪的ですらあると言っても過言ではありません。

 今日(3月11日)は,あれから4年,かたときも忘れることのできない/忘れてはならない祈念日。この日が近づくと,お念仏のように各種のメディアがほんの少しだけ,お義理のような報道をする。それが過ぎるとまた「みてみぬふり」。喉元過ぎれば熱さ忘れる,の俚言のとおり,情報がほとんど流れなくなる。だから,国民のほとんどの人も意識から遠ざかり,いつのまにか忘れてしまう。いわゆる記憶の「風化」。

 政府・東電にいたっては,意図的・計画的に「風化」させることに必死だ。臭いものにはフタ。隠しても隠しきれなかったことだけを「公表」し,あとは知らぬ顔。問題をさきのばし。しかも,明らかに犯罪ではないかとおもわれる過失・瑕疵があっても,だれも責任をとろうともしない。検察も,問題の所在を追求し,その責任をまっとうしようという姿勢も示さない。要するに,政・財・官が三位一体となって,責任逃れのタッグを組んでいる。ここに,いまや,法曹界(裁判所)も加わろうという勢いです。

 もはや,救いようのない,とんでもない国家になりさがってしまっているのです。

 政治の腐敗(アベ君の暴走を止めようとする政治家がいない。なんと情けないことか。野党もふくめて),ジャーナリズムの怠慢(あるいは,死。すなわち総右傾化。権力のいいなり),学界の頽廃(補助金欲しさに権力にすり寄り,ご機嫌とり)。

 もはや,救いようがない。

 オキナワについても,まったく同様だ。あれほど明確に「民意」が示されたにもかかわらず,政府自民党は完全無視だ。選挙という,もっとも民主主義的で正当な方法によって「辺野古移設反対」がもののみごとに表明されたのに,だ。政府自民党の執行部は,沖縄県知事・翁長氏が面会を求めても,だれも会おうともしない。「忙しい」という子ども騙しのような理由で。馬鹿にするのもいい加減にせよ。直接,会って,説得できる論理がなにもないから,まともな顔では会えないのだ。だから,ただ,いたずらに逃げ回っているだけなのだ。

 しかも,連日,辺野古や東村では住民たちによる粘り強い反対運動が展開されている。その反対運動にも無謀な「取り締まり」が国家権力の手によって展開されている。圧倒的な暴力によって。その一方では,沖縄県が認可した「計画書」にも記載されていない工事(たとえば,指定海域外でのトンブロックによる珊瑚の破壊)が,「ルールに則って粛々と」(菅官房長官発言)行われている。

 これらの情報は地元紙の『沖縄タイムス』や『琉球新報』では,連日,詳細に報じられている。そして,量・質とも落ちるものの『東京新聞』もつとめて記事を書いている。が,その他の新聞・テレビは,みんな「みてみぬ」ふりをしている。時折,お義理で,ほんの少し情報を流す程度。そこには正当なジャーナリズム精神に則った「批評」が欠落している。

 その穴を埋めているのが,インターネット情報だ。玉石混淆だと批判もあるが,身元のたしかな情報ネットワークを構築すれば,上質な情報がつぎつぎに飛び込んでくる。それらを読んでいると,空恐ろしくなってくる。つまり,権力にとって都合の悪い情報はことごとく秘匿され,国民の眼に触れないようにしている構造がまるみえになってくるからだ。秘匿された情報というものは,思いがけないところから「亡霊」のように,ある日,突然,顔を出す。それは歴史が証明済みだ。

 長くなってきましたので,そろそろ終わりにします。

 ことほど左様に,日本国はいま国内戦争の真っ最中なのです。この未曾有の戦争の決着をみるまでは,「経済」(アベノミクスなどというような眼くらましにも等しい子供騙しの稚拙な経済政策)などという甘い汁に惑わされていてはならない。いまは戦時中なのだから,「欲しがりません,勝つまでは」の精神で,ここはじっと耐えて(贅沢に),忍ぶことが先決です。そして,一つはフクシマの原発処理と復興の早期達成をめざし,もう一つはオキナワの基地移設問題を国民的議論に押し上げていくことです。

 このままでは,フクシマとオキナワという弱者にすべてを押しつけて,われ関せず,という国民が圧倒的多数を占めてしまうことになります。それこそが政府自民党が狙っているところです。すでに,そうなりつつありますが・・・。

 そうはさせてはなりません。どんなことがあっても阻止しなくてはなりません。

 少なくとも,今日「3月11日」,一日だけは,しっかりと気持をフクシマに向けることにしよう。そして,沖縄県民の多くの人びとがフクシマの被災者たちに向けて救いの手を差し伸べているという事実にも,心静かに気持を向けることにしよう。そして,ささやかでもいい。そういう意思をどこかで表明し,行動しよう。そんな一日にしたいとおもいます。今日,一日だけでも。

2014年6月3日火曜日

『美味しんぼ』の「鼻血」騒動を考える。

 こころやさしい友人のNさんが,入院生活の暇つぶしに,とにんまり笑って『美味しんぼ』の「福島の真実」23話と24話(最終回)をコピーして手渡してくださいました。世の中,大騒ぎをしているのに,わたしは読んでいなかったので,これはとても助かりました。

 作・雁屋哲,画・花咲アキラによる『美味しんぼ』は,この「福島の真実」で第604話(これだけて24回の連載)にもなる超ロングの連載であること,そして,この漫画にはしっかりとした思想・哲学の芯が一本とおっていること,さらに徹底した現場調査主義を貫いていること,こうした積み重ねの上での雁屋氏の最終的な結論=決断を導き出すという,みごとなまでの手法をとった作品であることを,まずは,念頭において考える必要があると思います。

 わたしは,ずいぶん前に(もう,何十年も前に),教え子(現在,中学校教師)から,ぜひ,これを読んで感想を聞かせてくれと段ボール箱いっぱいの『美味しんぼ』の単行本が送られてきて,そのとき,初めて大まじめに読みました。たかが漫画ではないか(当時はいまほど漫画の評価は高くなかった),くらいの軽い気持で読み始めましたら,とんでもない,きわめて重いテーマが重奏低音のように鳴り響いていることを知り,びっくり仰天した記憶がいまも鮮明に残っています。

 こうして何十年にもわたって雁屋氏が全体重をかけて取り組んできた作品を,たった一点だけ,重箱のすみをつつくようにして,「鼻血」が出た・出ないということだけを言挙げし,「風評被害」の名のもとに葬り去ろうとする,このなんともおぞましい歪んだヒューマニズムが台頭している現在の日本の風潮をこそ,恐ろしいと心底思っています。わたしは,ことばの正しい意味での「批評精神」に支えられた,しっかりとした「批評」のまなざしが欠落したまま,単なる上滑りなやすっぽい「評論」だけが一人歩きしている今回の騒動こそが,日本病という救いがたい大きな病の病根にある,と考えています。

 病室にいる間,それこそ「暇つぶし」に,何回も何回も読み返してみました。とりわけ,最終回に寄せられた識者,行政,団体などの文章をつぶさにチェックしてみました。もう,唖然とする以外にない,というのが率直なわたしの感想です。唯一,救われるとすれば,この「パンドラの箱」をひっくり返したような玉石混淆の「論調」こそが,現代日本の現実なのだ,ということを露呈させてくれた,ということでしょうか。それはそれは恐ろしいほどの「無責任」が,しかも稚拙な文章でつづられています。しかも,それが正しいと本人は信じて疑わない,この姿勢が恐ろしい。けれども,ピカリと光る識者の見解も掲載されていて,多少とも救われます。

 「鼻血」はでる人はでる,でない人はでない。線量の多寡に関係なく,低線量でも,でる人はでる,でない人はでない。たとえば,肥田舜太郎氏のいう「ペトカウ理論」や,チェルノブイリの「報告書」によれば,低線量による内部被曝の方がはるかに被害は甚大である,といいます。こういう事実を政府を筆頭に行政はひた隠しにして,年間10ミリシーベルト以下なら安全,と言い切ってはばかりません。そして,いつのまにか,わたしたちも「10ミリシーベルト」に慣らされてしまっています。しかし,この数字はとんでもない数値で,チェルノブイリでは考えられないといいます。

 一番驚いたのは,鼻血はストレスによるものであって放射能とはなんの関係もない,と言い切る識者があまりにも多いということでした。それを,わざわざ「心理的影響」とか「後づけバイアス」などということばを用いて,放射能との関係を切り離そうとしているのです。ストレスにはその原因となるストレッサーが存在します。そのストレッサーを取り除かないかぎりストレスは治癒しません。そのストレッサーこそが眼に見えない「放射能」なのですから,明らかにそこには因果関係が成立しています。ですから,それをあえて切り離そうとする識者の,意図的・計画的な「悪意」すら感じないではいられません。

 こんな事例を取り上げていくと際限がありません。一度,活字になったものは消えません。これからじっくりと時間をかけて議論していけばいいことです。

 それよりも絶対に見落としてはならないことは,雁屋氏が長年かけて,しかも全体重をかけて,「食」をとおして人間が「生きる」ということはどういうことなのかを考え,人間の「命」を守るということが,どれほど大事なことなのか,とりわけ,現代の日本において・・・,というこの視点です。そして,登場する中心人物のひとりにつぎのように言わせています。

 「福島の未来は日本の未来だ。
  これからの日本を考えるのに,まず福島が前提になる」。

 「福島を守ることは日本を守ることだ。
  であれば,俺の根っこは福島だ」。

 「風評被害」ということばは,だれかさんにとってまことに都合のいいことばなので,盛んに多用されます。なぜなら,「真実」かくしのための隠れ蓑としてまことに便利で,しかも,いともかんたんに世論を動かすことができるからです。一番大事なことは,ほんとうのことを明らかにすること,事実を確認すること,です。ここが問題解決の出発点です。ここを隠されてしまっては,どこまでいっても問題は解決しません。その最終的な被害者は国民であり,ついには,国民の「命」が犠牲になるのです。

 そこから脱出するための,一つの結論として,雁屋氏は決然として問題提起をしたのです。ですから,これだけ話題になったということは作者の思惑どおりと言っても過言ではないでしょう。問題は,それを受け止めるわたしたちの側にあります。

 どこかの雑誌が特集を組んで,さらに,議論を活性化させ,ほんとうの問題の所在を明らかにする努力をしてくれることを祈っています。そして,そこにはありとあらゆる立場の識者・経験者が登場することを。マンガ好きのアソウ君やナカザワ君も。

2014年5月23日金曜日

〔主文〕大飯原発3,4号機を運転してはならない。

 大飯原発訴訟の判決要旨を熟読してみました。何回も何回も繰り返して読み直してみました。とてもよくできた判決文で,感動しました。そこには生きものとしての生身の人間を重視する立派な思想・哲学が存在している,と感じ取りました。この判決を導き出した樋口英明裁判長にこころから敬意を表したいと思います。「司法は生きている」と心強くも思いました。

 この判決文を読んで,もっとも印象に残ったことは,「3・11」以後を生きる人間にとってなにが大事なのか,という司法の考え方が明らかにされたことでした。「3・11」以前と以後とでは,この国のあり方そのものが根源的に変わらざるをえなくなった,という良識がこの判決文に生き生きと脈打っています。まずは,そのことに,感動しました。これでなくてはいけない,とつねづね考えてきたことが,司法の場で機能していることを知り,こころから安堵しました。

 政治家の圧倒的多数が,上はトップから下は地方議会の議員にいたるまで,「思考停止」状態のまま,狂ったトップの言いなりになろうとしています。情けないことに・・・。韓国のセウォル号の悲劇はけして他山の火事ではありません。日本という国全体を巻き込んだ「日本丸」が,いま,まさに沈没しそうになっているのですから。そのことに,ようやく多くの国民が気づきはじめた「いま」,この大飯原発訴訟の判決が出されたことはとてもタイムリーで意義のあることだった,とわたしは考えています。

 「大飯原発3,4号機を運転してはならない」。これが主文です。まことに簡明で分かりやすい名文です。そして,〔求められる安全性〕の冒頭には以下のように書かれています。

 「原発の稼働は法的には電気を生みだす一手段である経済活動の自由に属し,憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。」

 なんと明快な文章でしょう。法律の世界に疎いわたしのような人間にも,すんなりと呑み込めてしまいます。原発の稼働は経済活動であって,人間の命にかかわる人格権よりも劣位にあるのだ,と明言しています。電気代と命,どちらが大事か,ということの憲法上の考え方(法的根拠)が提示されたのです。

 その上で,〔原発の特性〕を説き,〔大飯原発の欠陥〕を指摘し,〔冷却機能の維持〕についての考え方があまりに楽観的にすぎると批判し,さらに〔使用済み核燃料〕の処理方法についても,確かな展望もえられない脆弱なものだと断定。さらに〔国富の喪失〕について触れ,以下のような重要な指摘をしています。

 「被告は原発稼働が電力供給の安定性,コストの低減につながると主張するが,多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり,議論の当否を判断すること自体,法的には許されない。原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても,豊かな国土に国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失だ。」

 「被告は,原発稼働がCO2(二酸化炭素)排出削減に資すると主張するが,福島原発事故はわが国始まって以来最大の環境汚染であり,原発の運転継続の根拠とすることは甚だしく筋違いだ。」

 そして,最後に〔結論〕として,「原告のうち,大飯原発から二百五十キロ圏内の住民は,直接的に人格権が侵害される具体的な危険があると認められる。〕と結んでいます。

 以上のように,この判決文は,とてもわかりやすくて,説得力のある,みごとな見解を示してくれています。少し冷静に考えれば,だれでもわかる理屈ばかりです。にもかかわらず,「思考停止」してしまった政府(菅義偉官房長官)は「再稼働方針は変えない」と判決後の記者会見で述べて平然としています。また,原子力規制委員長の田中俊一氏も「大飯原発は従来通り,われわれの考え方で適合性審査をする」と言っています。(※原子力規制委員6名全員が,もちろん,委員長もふくめて全員が電力会社や関連会社から研究費という名のリベートをもらっている,という事実が今日・23日の新聞に報じられています。規制委員会とは名ばかり。この委員会こそが「規制」されている,という笑えない事実こそが肝要。)

 わたしたちは,この司法による,じつに明快で,論理的整合性に支えられた立派な判決文を熟読玩味して,原発再稼働に突っ走る政府自民党に歯止めをかけていくことが,まさに,喫緊の課題です。これからは,この判決文を旗頭にして,あらたな闘争の段階に入っていくことができます。ひとつの明るい灯火がえられた,とわたしはこころから喜んでいます。

 みなさんはどのようにこの判決文を読まれたのでしょうか。お聞かせください。
 ではまた。お元気で。
 

2014年3月16日日曜日

ドキュメンタリー「フクシマの嘘・第2弾」(ZDF制作)をみて驚愕に震える。必見。

 いま,フランスにいるはずのNさんから「フクシマの嘘・第2弾」(ZDF制作)のリンクを転送します,というメールがとどきました。よくみると,Nさんもどこかから転送されてきたものをわたしのところにとどけてくださったようです。そこにはつぎのような文章が付せられていました。


 ZDFのハーノ記者が,フクシマの原発事故から3周年を記念して,「事態はコントロールされていない」ことを明らかにするドキュメンタリー(45分)を放映しました。どうか,お知り合いの人たちにリンクを回してください。


http://youtu.be/m2u-9eR-hC8


 いったい,なにごとだろうと不審に思いながら早速開いて内容をみてみました。すると,国内のメディアではまず間違いなく流すことのできない「フクシマの嘘」を赤裸々に暴きだす,迫力満点のドキュメンタリーでした。わたしたちはいかに目をふさがれ,耳をふさがれ,フクシマの現実について無知のままであるかを思い知らされました。これまでも少なからず努力してフクシマの現実に関する情報は集め,ある程度まではその実態を知っているつもりでした。しかし,そんな情報はまるで子供騙しのレベルにすぎないということを,このドイツの放送局ZDFのハーノ記者が制作したドキュメンタリーは,いやというほど見せつけてくれます。恐るべきドキュメンタリーです。


 正直に告白しておけば,いっそのこと知らない方がよかった,と思うほどです。しかし同時に,事実をできるだけ多くの人が共有しないことには,問題の本質的な解決の道は開かれない,と強く思いました。みなさんも,ぜひ,ご覧になってください。そうして,フクシマの事態はますます悪化の一途をたどっているという事実にもっともっと注意を向ける努力をしましょう。わたしは自省をこめて,強くそう思いました。


 結論からいえば,安倍首相がIOC総会で,フクシマの問題に触れ「事態は完全にコントロールされている」と宣言したことを受けて,ドイツの放送局ZDFのクルーが,徹底的に検証し,その発言のすべてが「嘘」であることを突き止めた,衝撃的なドキュメンタリーです。


 ちなみに,ZDFというドイツの放送局がどういうものなのか,ちょっとだけ調べてみました。それによりますと,以下のとおりです。


 ZDFは,Zweites Deutsches Fernsehen の略称で,通称「ツェット・デー・エフ」と呼ばれています。翻訳すると「第二ドイツテレビ」となります。本部は,ドイツ・ラインラント=プファルツ州の州都マインツにある公共放送局です。ドイツには公共放送局は複数存在するそうですが,全国放送を行っているのはARD(ドイツ公共放送連盟)とこのZDFの二つだけです。つまり,日本でいえばNHKのような存在です。


 そのZDFが日本に特別のクルーを送り込み,安倍首相のいう「under control 」が事実かどうかを,徹底的に検証したドキュメンタリーが「フクシマの嘘・第2弾」というわけです。そして,このドキュメンタリーはドイツでは全国放送として流れているわけです。ということは,ドイツ人は日本人以上に「フクシマの現実」の危機的情況をかなり詳細に承知している,ということになります。だからこそ,国を挙げての「脱原発」宣言が可能であったし,還元可能エネルギーへといちはやく舵を切ることができたのだということがよくわかります。


 本家本元のわれわれ日本人が,原発の危機的情況については世界でもっとも鈍感で,無知のままであるようです。それは,原発についての真実をなにも知らされていないからです。だから平気でいられます。そして,いまでも原発がなければ日本の経済は成り立たない,という神話(これこそ「嘘」のかたまり)がまかり通っています。しかも,多くの日本人がだまされたまま,この神話を信じています。それが,安倍内閣の支持率となって顕れています。


 まずは,このドキュメンタリーをご覧になってみてください。そして,わたしたちがいかに恐るべき「嘘」の情報で丸め込まれているかを知って,愕然とすることでしょう。少なくとも,わたしは驚愕して全身が打ち震えました。国際社会は,このレベルで「フクシマ」を認識していること,そして,安倍首相の「嘘」もすべてお見通しであること,さらには日本という国家の威信など頭から信じてはいないこと,・・・等々,数え上げていくと際限がないほどです。


 最後に,みなさんにもこのドキュメンタリーのリンクを拡散してくださるようお願いをして,今回のブログを終わりにしたいと思います。
 必見です。人生観が変わります。

2014年1月31日金曜日

フクイチで高濃度汚染水がジャジャ漏れ。1時間に3.4トン。これが首相のいう「under control」の実態。

 昨夜(1月30日)のYouTubeにANNnewsCHが,東京電力の記者会見として配信した映像をみて,愕然としてしまいました。その内容が表題に書いたことです。

 東京電力によると,福島原子力発電所一号機では,毎時4.4トンの冷却水を注入しているが,そのうちの8割が漏洩していることがわかった,と言うのです。しかも,その漏洩しているのは圧力抑制室からで,高濃度汚染水である,というのです。単純に計算すると,毎時3.4トンの高濃度汚染水が漏洩していることになります。さらに,別のところからも漏洩していることがわかった,といいます。詳細はさらに調査して明らかにしたい,とのこと。

 以上が,東電が発表した内容の短い映像から知ることのできた概要です。いずれ大きなニュースになるはずなのに,いまのところはなにごともなかったかのように推移しています。メディアの関心事は,いま,都知事選とソチ五輪。こういう喧騒のさなかに狙いを定めたかのように発表された東電の戦略のようなものも垣間見えてきます。じつは,もっと前からわかっていたのに,発表するなら「今でしょ」とでもいわぬばかりに・・・・。

 毎時3.4トンもの高濃度汚染水がジャジャ漏れになっているというのに,政府自民党は「知らぬ勘兵衛」を決め込むつもりなのでしょうか。それどころではない,都知事選と国会対応で手一杯である・・・と。

 都知事選も国会も,相変わらず,確たる事実確認もないままのフィクショナルな議論が展開している。もっと言ってしまえば,嘘のかため合い。その典型的な事例が「原発がなければ経済は立ち行かない」「原発は安全で,もっともコストが安い」。もう,耳にタコができてしまった「嘘の固まり」。そのうち,それが「当たり前」,つまり,本当の話(事実)になってしまいそうだ(もう,すでに,そうなってしまった国民は少なくない)。

 憲法改定論議といい,特定秘密保護法といい,TPPといい,原発再稼働+輸出といい,靖国参拝問題といい,中韓関係といい,再軍備といい,国民の右傾化といい,いま,日本という国家は日々「メルトダウン」に向かってまっしぐら。ジャン=ピエール・デュピュイのいう「破局」論が,いまさらのように,現実化しつつある。恐ろしいことだ。

 いま,わが国にとって最優先課題であるべきフクイチと放射性廃棄物の問題をないがしろにしたまま,原発再稼働も東京五輪もあったものではない。そのフクイチがますます悪化の一途をたどっているというのに,そして,福島の少年たちは「どうせ俺たちはガンで死ぬのだから・・・」と未来のない,いや,未来が過去になってしまった情況を生きているというのに・・・・。そう,未来完了形の「生」を。

 未来完了形の人生というものがどういうものか,という想像力がいまわたしたちに問われている。そして,飛び出そう,なにからなにまでがんじがらめにされてしまった「科学的合理性」という悪夢の外に。

 こんなことを,今日も考えつづけることになる。いま,を生きるために。

〔追記〕
今日(31日)になって,もう一度,記者会見の模様を映像で確認しようと思って探してみましたが,どこにも見当たりません。昨夜のあの映像はどこに行ってしまったのでしょう。30日(木)の『東京新聞』朝刊一面トップの記事と,どこかで連動しているのだろうか,と勘繰っています。その記事によれば,NHKは,ラジオのレギュラー番組を約20年間担当してきた中北徹(東洋大学教授)氏の予定原稿にあった「経済学の視点からリスクをゼロにできるのは原発を止めること」などというコメントに対して,「都知事選中はこの問題に触れるな」とチェックをかけたといいます。中北氏は強く抗議して番組を降板した,とのことです。NHKが,安倍派の新会長を迎えて,いよいよ政府御用達しの専属放送局へと舵を切ったということなのでしょうか。これまでも陰湿に反権力に対するプレッシャーはかかっていましたが,いよいよ本格的になってきたのでしょう。ですから,YouTubeに投稿された映像が,途中で消えてしまうことは,これまでにもたびたびあったことですので,なんの不思議もありません。これが,いま,日本で起きている現実です。政権の右翼化が急ピッチで進み,そこに「自発的」に「隷従」して,美味しい汁を吸う輩がわんさと群れをなしている,ということです。その動きに国民の多くも便乗し,美味しい汁を求めて右翼化が急速に進展しています。困ったことですが,それが現実です。

こうなると,なにがなんでも,とりあえずは「脱原発」知事を誕生させることが不可欠となってきました。さて,都民の選択はいずこへ?
 

2014年1月17日金曜日

ソチの冬季五輪は大丈夫か?その1.

 ロシアはなぜ,以前から治安の悪いソチに冬季五輪を招致したのか。その理由は,このあたりに潜むイスラム過激派を徹底的に弾圧し,排除するための「口実」に冬季五輪を利用するためだったのだ,という説がある。だとしたら,五輪とはなにか。国際平和運動を旗印にかかげる五輪精神に悖る,ゆゆしき事態の出現だと言わざるをえない。

 では,なぜ,そんな事態が起きてしまうのか。
 結論を言っておこう。
 IOCは,もはや,五輪を管理・運営していく能力を持ち合わせてはいない,ということだ。

 ソチ五輪と同じようなことが,東京五輪にも言えそうだ。

 ソチ周辺の都市はイスラム過激派の巣窟になっていて,ロシア政府も以前から手を焼いていたということは,かなり広く知られていたことだ。それと同じように,東京には,すぐ北にフクイチという危険な状態に陥った原発がある,ということは国際社会もよく知っているとおりである。ソチについては,ロシア政府は,気候温暖なロシア国民の憩いの場所である,と言って売り込み,イスラム過激派については完全に「under control 」と説明していたのだ。

  日本の首相もまた,フクイチについては「under control 」と大上段に振りかぶった。しかし,これは言ってみれば詐欺のようなものである。ロシア政府が,かつて,ソチは安全である,と宣言したのも同じような詐欺である。だれに対して? 国際社会に対すると同時に,自国の国民に対して。その両方を詐欺にかけたようなものである。

 何回も言うが,いまもフクイチでは放射能を封じ込める決め手もなく,野放し状態のまま飛び散るにまかせっきり,その一方では,汚染水が海洋に垂れ流しのまま,こちらも決め手が見つかってはいない。のみならず,肝心要のメルトダウンの状態すら詳細は把握できてはいない。こんなことを百も承知の上で,わが国の総理大臣はIOC総会の最終プレゼンテーションで,のうのうと「under control 」と言ってのけたのである。

 あの,東京五輪招致決定の瞬間の,あの似非「感動シーン」は,あれから何回も何回もテレビで繰り返し流されたのである。その結果,日本国民の圧倒的多数の人びとの意識から,フクイチのことは消えてしまった。そして,わたしなどがフクイチの実情について話をすると,必ず,首相が「under control 」と言ったじゃあないか,と反論してくる。お前の言うことより首相の言うことの方が正しいのだ,と。思考停止してしまった人間には勝てない。

 東京五輪招致決定は,政府自民党にとっては思惑どおりの大成功だったのだ。これでフクイチを当分の間,世間の関心事から封じ込めることができる,と。少なくとも,2020年までは東京五輪の旗を降りつづけていれば,国民の眼はそらしておくことができる,と。

 しかし,そうはさせてはおかないとばかりに,都知事選という舞台を利用した小泉劇場の幕が切って落とされた。それでも,おそらく,議論は「脱原発」をめぐる表層的な,短期決戦で終わってしまうのだろう。本質的な重要な議論はそっちのけにして。でも,議論がまったくなされないよりはずっといい。なぜなら,東京五輪開催に向けて国民の感情を浮き立たせておけば,原発推進の道がおのずから開けてくる,と踏んでいた政府自民党のシナリオが崩れることになるからだ。少なくとも,この都知事選をとおして,多くの国民は「脱原発」がなにを意味しているかということに目覚めるはずだから。そして,東京五輪がなにを意味しているかも明らかになってくるからだ。

 つまり,東京五輪開催はフクイチ隠しのための,そして原発推進のための絶好の「口実」になる,と政府自民党はほくそ笑んでいる,という事実が。それだけではない。ここでは深追いはしないが,経済効果(だれのための経済効果であるかが問題なのだが)があり,TTP問題があり,安全確保のための国防軍編成への道があり,国民の体位向上があり・・・・,という具合に,なにからなにまで「東京五輪開催」はまことに都合のいい「切り札」なのだ。ここが大問題なのだが,これらの問題については,いつか,何回にも分けて考察をしてみたいと思う。

 さて,話を最初のところに戻すと,IOCにはこうした高度な政治・経済・外交・秩序不安定,などのあらゆる条件を,すべて総括して判断する能力はない。そのなによりの証拠の一つが,ソチの冬季五輪開催である。そして,今回の東京五輪開催の決定である。

 では,なにが,IOCの各委員たちの判断の基準になったのか。それは,いわずとしれたことだ。水面下でどれだけの〇が取り引きされたことか。噂だけでもたいへんなものである。東京都にはそれだけの備蓄があった,という(その一部については,このブログでも明らかにしてきたことだ)。しかも,これらの〇は公開する必要がないのだそうな・・・・。

 ああ,またしても脱線していく。このブログの落ちは,もう一度,仕切り直しをして,書き直そうと思う。でないと,どうにもまとまりがつかなくなってしまった。ということで,お許しのほどを。このつづきは,すぐにも書く予定。ではまた。

2013年12月29日日曜日

脱原発,特定秘密保護法廃案,などを掲げる宇都宮健児さんを都知事に。

 宇都宮健児さんが,再度,東京都知事選挙に挑戦するという。昨日(28日)の講演会で,その強い意志を表明。講演会要旨を新聞で読んで,深く感動しました。そして,なにより「いいなぁ」と思ったのは,「わたしの主張を支持してくれる政党があれば,それは断らない」という,どこまでも独立独歩「無所属」(市民派)の姿勢を貫いていることだ。こういう人にこそ,東京都の知事になっていただきたい,と。この前の選挙のときも,この人がいいと思っていたが,惜しくも次点。こんどこそ,と祈りたい。

 「脱原発」を旗印に,「安倍政権の暴走を止める」と高らかに宣言し,「東京から国政を変える」とする,いわば国政選挙の姿勢を示した。まことに時宜を得た明察に,こころから賛同の意を表したい。そして,後出しじゃんけんのような選挙を全面的に否定。市民運動はそういう利権がらみの選挙とは無縁である,と。そして,国民の命を犠牲にしてまで経済を優先させる国の政策に歯止めを打つ,と。その第一歩が「脱原発」である,と。

 ここからさきの分析は,それぞれの関心領域によって分かれていくと考えられますので,わたしは2020年の東京オリンピックとの関連で考えてみたいと思います。

 2020年の東京オリンピック開催は,まず,なによりもフクシマの安全を確保することが最優先だ,というのが宇都宮健児さんの主張。まさに,正論。いまも日々,汚染水が海に流れ出ているかぎり,この事実に蓋をするようなオリンピック開催であってはならない,と。そのためにも,脱原発をかかげ,まずは,新潟県柏崎の刈羽原発の廃炉を,東京電力の総会で,大株主である東京都が提案しなければならない,と宣言。

 フクシマが,いま,どのような情況になっているのかは,その重要なポイントについてはすでに「秘密」になったままだ。12月上旬に急遽発行された雑誌『世界』の臨時増刊号は「イチエフ・クライシス」を特集し,各専門家の声を集めている。その特集の柱は4本。Ⅰ.イチエフはいまどうなっているのか,汚染水問題の現状は,Ⅱ.福島の現在──原発事故は何をもたらしたのか,Ⅲ.東電・原子力ムラをどうするか,Ⅳ.たたかいはつづく。東京オリンピックを成功させたいと願う人は,まずは,この本を熟読することからはじめてもらいたい。でなければ,東京オリンピックは原発事故隠しのためのたんなる手段でしかなくなってしまう。

 その意味でも宇都宮健児さんの主張にわたしは大いに賛成。

 つづいて,オリンピック開催会場の建設は,復興を第一優先にして,人手不足,資材不足という深刻な現状を鑑み,可能なかぎり縮小して無駄な経費を削減する,と断言している。人として,当たり前のことを言っているにすぎないのだが,いまの政治家の大多数は「人」ではないので,こんな発言はしない/できない。すでに,悪評の高い「新国立競技場」問題も,この人の手によって一気に解消してもらいたい。

 JRの中央線を跨ぐような,とてつもなく巨大な「新国立競技場」の建設などもってのほかである。そんな競技場を東京のど真ん中の,しかも,風致地区に建造する必要はなにもない。第一,建造後の維持管理費にも,とてつもない費用がかかる,と言われている。すでに,各種競技場を含めると,東京および首都圏には巨大な競技場があちこちに建造されている。まるで,古代ローマの断末魔の風景にも等しい。「パンとサーカス」はもう不要だ。

 最後にもう一点だけ。現在の安倍政権がつづくとオリンピック開催は不可能だ,と主張。アメリカですら反対する靖国参拝を強行するかぎり,中国・韓国との緊張が高まるだけだ。しかも,軍事色をますます鮮明にしつつある現状では,オリンピックという「平和と友好の祭典」を開催する上で大きな支障をきたす,と。

 こうした事態を憂慮しつつ,安倍政権の暴走に歯止めをかけ,無駄な経費を削減して縮小オリンピックを,それも,これまでのオリンピックとは一味違う新機軸を打ち出したい,という。この新機軸を東京発の新しいオリンピック・ムーブメントとして世界に発信する,という。この考え方を,わたしは全面的に支持したい。できることなら,宇都宮健児知事のもとでオリンピックの新しい理念づくりの支援をしたい,とも思うほどだ。

 こういうことを考えはじめるとエンドレスになるので,今日のところはここまで。

 結論:東京都民のみなさん! 脱原発,特定秘密保護法廃案,などを掲げる宇都宮健児さんを都知事に。そのための市民運動に力を,そして,大きなうねりを。

2013年9月13日金曜日

五輪招致のとんだ成果?安倍首相の「大嘘」に外国のメディアが猛反発。お蔭でフクシマに光が。

 IOC総会でぶち上げた安倍首相の「大嘘」がどえらいことになってきた。まずは,お膝元の東電が,そんな情報を事実であると首相に伝えたことはいない,としどろもどろにコメント。外国のメディアは,「そんな事実があるとは聞いたことがない」と猛反発。そして,これから特別取材班を派遣して徹底的に事実関係を探査する,という。もちろん,IAEA(国際原子力機構)も近々,調査団を派遣して,その後のフクシマの実態を確認する,と声明を発表。

 安倍首相の「大嘘」が国際的な大問題となってきた。まだ,各国の首脳は口を固く閉じたままだが,シリアの問題にある程度の目処がついてくれば,その矛先は必ず安倍首相に向けてくるだろう。あるいは,すでに,この男は信用ならない,と見切りをつけているかも・・・・。

 この「大嘘」によってフクシマは一躍,世界の注目を集めることになった。こうなると無責任な東電や原子力規制委員会も,これまでのような「事実隠し」や「時間稼ぎ」といった引き延ばし作戦でごまかしているわけにはいかなくなる。これまで押し隠してきた「事実」を,どのような方法にしろ公開する方向に舵を切るだろう。

 その前に,外国のメディアがフクシマの海に船を浮かべて,独自の方法で徹底的にデータを収集するという。そして,問題の「0.3キロ」の範囲内の状態についても,自分たちの手で確認するという。要するに日本側がこれまで公開してきた情報が「全否定」されたということだ。日本のメディアも信用ならない,と。

 安倍首相の「大嘘」が,これからいろいろのところに波及していくことになるのは必定だ。これまで長年にわたって蓄積されてきた日本人のイメージ(信頼度)は一気に失墜し,ゼロからのやり直しを迫られることになる。哀しいことだが,避けてとおることもできない。愚かな男をヘッドに据えたわれわれの責任だ。覚悟するしかない。ただし,二度と,こんな愚かな男を選ばないことだ。

 国際社会がこれまで息を潜めて見守ってきたのは,フクシマの原発事故による放射能汚染がどのような進みゆきになっているのか,という事実だ。空からの汚染はもとより,海に流れ出る汚染水がこんごどのような経緯をへていくことになるのか,そして,その根源にあるものはメルト・ダウンした原発の地下がまったく手つかずのままである,制御する方法もない,という大きな不安である。しかも,その下には地下水が流れていて,海に垂れ流し状態なのだ。この事実を日本政府はまるで腫れ物に触れるようにひた隠しにしてきた。しかし,そんなことはすぐに知れ渡っていく。国際社会の眼は,いま,この一点に釘付けになっている。みんな不安なのである。いずれ海洋をとおして世界中にこの汚染水がひろがっていく。その事態に対して,手も足も出せない不安である。

 そんな折も折,「フクシマは完全にコントロールされている」「過去にも,いまも,そして未来も」と世界中のメディアが注目する大舞台で,日本の総理大臣が「大嘘」を放った。それを「鵜呑み」にして一票を投じたIOC委員が「過半数」を超えた,という事実にもわたしは腰を抜かしてしまった。IOC委員の知的レベルはそんなものだったのか,と。

 この話もじつは大問題で,わたしは迂闊だったと大いに反省している。なので,次回のブログでこの話を取り上げてみることにしよう。

 さて,少し冷静に考えてみよう。安倍首相の「大嘘」は,日本人総員が将来にわたって大きな負の遺産を背負わされることになったが,ひるがえって考えてみると,とてつもなく大きな「功績」を残すことにもなった。すなわち,フクシマを世界の百日のもとに曝け出すことになったのだから。あるメディアは「墓穴」を掘ったと書いたが,いやいや,この「墓穴」のお蔭でフクシマが世界の注視の的となり,ようやく正当な地位を獲得した,とわたしは評価したい。

 まことに乱暴な外科手術にも等しい「外圧による劈開」によって,フクシマが初めて世界の重大問題として,真っ正面から見据えられることになった,と。

 今回の東京五輪招致というとんでもない狂騒曲が演じた最大の成果は,フクシマがようやく世界の檜舞台に登場した,ということだろう。

 これからさきは,外国のメディアに負けないよう,国内のメディアも気合を入れてフクシマの行方を追ってほしい。それも国際的な視野に立つ,勇断を携えて。

 東京五輪という狂騒曲はこれからも鳴り響く。なぜなら,東京五輪は「諸刃の剣」だから。これを振りかざせば,成らぬ話も成ってしまう。安倍首相はまことに都合のいい「名刀」を手に入れてしまったのである。使いようによっては,いかようにも使える。その使いようをひとつ間違えると命取りにもなる。それをきびしく監視するのはわれわれの役目だ。

 あるいはまた,東京五輪は,安倍首相にとっては時限爆弾になるかもしれない。折角,世にも不思議な,まことに面白いおもちゃを手に入れたのに,そのおもちゃが,ある日,突然,不如意になり,みずからに襲いかかってくるかもしれない。またぞろ,突然,「おなかが痛い」病が発症しないともかぎらない。お坊っちゃまは病気に弱い。我慢がきかない。

 世界の首脳陣は,それを期待しているかもしれない。もはや,まともな話し相手ではない,と見極めをつけているはずだから。

 いささかことばが過ぎたとしたらお許しいただきたい。でも,これが,偽りなきわたしのホンネである。思い浮かぶことをそのまま素直に書いてみた。良識ある批判は甘んじて受ける覚悟はついている。忌憚なきご意見を。

2013年9月7日土曜日

”Emergency Without End” ”Neverending Crisis” 肝に銘ずべし。

 『世界』10月号がとどいた。

特集・イチエフ 未収束の危機──汚染水・高線量との苦闘,とある。
 恥ずかしながら「イチエフ」ということばを知らなかったので,一瞬とまどったが,すぐに「フクイチ」のことだとわかった。しかし,なぜ,『世界』の編集者たちは「イチエフ」というのか。

 こういうときには,すぐに調べてみるにかぎる。
 『ルポ イチエフ』福島第一原発レベル7の現場,布施祐仁著,岩波書店,2012年9月刊。
 放射能汚染のなか,原発事故の現場で作業にあたる原発作業員が「イチエフ」と呼ぶ福島第一原発。なぜ,改善されない劣悪な労働環境,横行する違法派遣・請負,労災隠し,危険手当さえピンハネされる,それでもなぜ彼らは働くのか。「誰かがやらなければいけない仕事」にあたる作業員数十名の肉声を伝える。

 東京新聞(2012年11月3日),朝日新聞(2012年12月9日)の両紙が書評で取り上げる。
 第18回平和・協同ジャーナリスト基金賞(2012年),とある。

 そういえば,ひところ話題になった本であったことを思い出す。読まなくては・・・と思いつつ,なにかにまぎれていつしか忘れてしまっていた。情けない。反省。

 『世界』がとどくのを,じつは,毎月楽しみにしている。表紙をみただけで,今月はひときわ充実していると直観。特集の他にはつぎのような見出しが表紙に躍っている。
 〇歴史認識問題と戦後補償──歴史の新しい舞台に立つために
 〇対談・あらゆる知恵で「改憲」「身売り」をしのぎ生きぬく(西谷修・小森陽一)
 〇レスター・ブラウン:ピーク・ウォーターという危機

 とっくに締め切りのきている原稿をそっちのけにして,『世界』10月号にしがみつく。
 まっさきに読むのは「編集後記」(編集長・清宮美稚子)。毎号,文体まで工夫したりして,きめ細やかな気配りと鋭い切れ味が心地よい。その清宮さんの文章のなかに,このブログの見出しのことばがでてきて,わたしのこころが凍りついた。

 もう一度,挙げておこう。
 汚染水問題は,海外でも”Emergency Without End” ”Neverending Crisis”などと大きく報じられている。──中略。国際的大問題になっていることに私たちはいまだ鈍感なのではないか。政府は,原発被災者の救済とともに,汚染水などイチエフの事故処理に全力で取り組むことが急務であり,そのための識者の提言(たとえば本号筒井氏)を真剣に受け止めるべきである。再稼働も原発輸出も「正気の沙汰ではない」のは言うまでもない。

 その「正気の沙汰ではない」人たちが,「五輪招致レース」(このことば自体に,鳥肌の立つほどの違和感を覚える)に血眼になっている。その結果やいかに,とメディアも血眼になっている。日本時間の明日の早朝(8日午前5時ごろ)には投票結果が判明するとか。徹夜で報道の構えをみせているところもあるらしい。愚の骨頂。それに躍らされる国民の多くもまた困ったものだ。

 自分の愚かさは必死で隠すし,忘れようとする防衛本能のようなものがあるので,ほとんどの人は気づかないでいる。しかし,他人の愚かさは,手にとるようにわかる。

 ピエール・ルジャンドルの本に『西洋が西洋について見ないでいること』(森元庸介訳,以文社)という書名のものがある。ドグマ人類学を説くルジャンドルらしい,まことに当を得た書名である。しかし,ルジャンドルはフランス人として「西洋が西洋について見ないでいること」という,ある意味では自己批判として,この問題を提起している。残念ながら,日本の「正気の沙汰ではない」人たちは,イチエフ隠しのために,そして,国民を目隠しにするためのまことに都合のいいツールとして「五輪招致レース」に血眼になっている。

 いずれ詳しく書くつもりでいるが,「五輪招致レース」なるまことに馬鹿げた狂想曲を演奏する管弦楽団の一員になることが,いかに「愚の骨頂」であるか,と書くとこれまた「国賊」として呼びすてにされてしまうに違いない。「正気の沙汰ではない」人たちが日本のトップに立つ,恐るべき時代を生きぬくために,では,わたしたちはどうすればいいのか。

 西谷修・小森陽一対談:あらゆる知恵で「改憲」「身売り」をしのぎ生きぬく,から読みはじめるとするか。「あらゆる知恵」に期待して。

 今夜,徹夜する人たちに告ぐ。今夜の狂想曲は,世界中の「正気の沙汰ではない」人たちによって演奏されるものであることを,じっくりと見届けていただきたい,と。

2013年9月6日金曜日

五輪招致を辞退すべし。フクイチのタンク漏水,ついに地下水に到達とか。無責任体質の成れの果て。国家の一大事。

 五月雨式につぎからつぎへと重大な事態が明るみにでてくるフクイチ(福島第一原発)。そして,後手後手にまわる対策。しかも,その対策が遅すぎる。とうとうフクイチの高濃度汚染水は地下水に達してしまい,「垂れ流し」状態に。

 このごに及んでもなお「フクシマは安全」と嘯き,五輪招致に盲進する日本のトップ(首相,都知事,など)の姿勢を,IOC委員はもとより,国際社会はどうみているのだろうか。少なくとも,わたしが感知しているかぎりでは,もはや日本の信用は地に堕ちた,としかいいようがない。にもかかわらず,日本のメディアは能天気に,国際社会の声を無視してドメスティックな情報しか流さない。だから,圧倒的多数の日本人は,メディアの「垂れ流す」情報をそのまま受け止め,あらぬ方向に意識が操作されていても気づかない。

 なにより恐ろしいのは,どれだけの放射性物質が太平洋に流れでているのかというその実態が,いまだにわかっていないということだ。あるいは,実際にはわかっていても公表していないだけかもしれない。だとしたら,もっと恐ろしい。

 なぜなら,これまで公表されてきた情報も,つねに「小出し」にして,その間隔を開け,その実態をさきのばしにしてきたからだ。そして,のちになってから,じつはそれらの事実はずっと以前からキャッチされていた,ということが多すぎる。

 「地下水」ということばの使い方にも,わたしは違和感を覚える。
 フクイチの原発があるところは,そのむかしは川だった,となにかの本で読んだ記憶がある。その川は水が枯渇して,涸れた沢になっていた,と。その上に近くの丘陵をけずって,その土をかぶせた敷地なのだ,と。その実態は,涸れた沢の下は伏流水が流れていて,いまもそれがつづいているというのだ。たしかに,伏流水は地下水の一種ではあるものの,その内実は大きく異なる。地下水なら仕方がないというあきらめもつくが,伏流水と聞けば,ちょっと待てということになる。この事実を知っていてフクイチが建造されたとしたら,ことは重大だ。

 もっとも,活断層の上に原発を建造して平気でいたという無神経さからすれば,伏流水の上に原発を建造するくらいのことは,なんでもないことなのかもしれない。こういう事前の調査からして,まことに杜撰であったとしかいいようがない。原発建造の当初から流れている無責任体質。いわゆる認可制度の盲点。官僚と企業の癒着体質。

 フクイチのタンク漏水が,伏流水に達して,そのまま海に流れていると想像しただけで気がとおくなってしまう。やはり,地下水と伏流水とでは大違いだ。

 国は500億円ほどの税金を投じて,高濃度汚染水の流出を防止するとか。それも素人にはその効果のほどが想像しにくい「凍土」作戦だという。こんな程度の「場当たり」的な手当てで地下水(伏流水)の流れを食い止めることができるのだろうか。わたしにはまったく理解できない。

 もはや,東電が悪いとか,国が悪いとか,言ってる場合ではない。国も企業もフクイチの,ことばの正しい意味での「収束」に向けて,なりふりかまわず全力を傾けるべきときだ。なのに,他方では大飯には活断層がないという判定をくだして,再稼働のための審査に入るという(これを八百長といわずしてなんというか)。とんでもない話だ。原発がなくてもこの国の電力は足りるということは,この夏の猛暑を乗り切ったという事実が証明している。

 再稼働をさせた場合の原発の最終的な収束に要する費用がどれほどになるのか,その試算もできない情況で,なにがなんでも再稼働ありきの思考しかできない頭の固さにはあきれるばかりだ。原発に依存する考え方が,いずれ行き詰まることが分かり切っているのに,なぜ,いまだに再稼働なのか,きちんと国民に対して説明してほしいものだ。

 再稼働などという邪道に走る前に,まずは,フクイチという「国家の一大事」に真っ正面から取り組んでほしい。このことの重大さをまだわかっていないのだとしたら,日本という国はまさに「破局」への道をまっしぐらということになってしまう。日本という国が,まことに無責任な国とみなされ,世界の邪魔者扱いにされてしまうことは必定だ。

 いまこそ,国内にあるすべての原発を廃絶させる方向に舵を切って,再生可能エネルギーの開発に取り組む姿勢を示すことだけが,国際社会に対する「誠意」というものではないのか。ドイツはフクイチの事故に対して素早く反応し,すべての原発を停止させて,再生可能エネルギーの開発に国を挙げて(官民一体となって)取り組んでいる。そして,もののみごとなシステムを構築しつつある。まもなく,電力輸出国になれる,という情報もある。

 五輪招致の最後のプレゼンテーションで,日本は五輪招致を辞退する,と高らかに宣言し,フクイチの収束に向けて全力で取り組むので,世界中の支援をお願いしたい,くらいのことをやってみたらどうか。世界中が拍手喝采を送ってくれるだろう。そういう,とてつもない,いささか常軌を逸していると言われるかもしれないが,それほどの決断がいま求められている。しかも,そのための最高の「舞台」が用意されているのだから。

 平和運動を標榜するオリンピック・ムーブメントの歴史に燦然と輝く「乾坤一擲」をいまこそ。


2013年8月23日金曜日

政府は「緊急事態宣言」をして,早急にフクシマの高濃度汚染水漏えい「レベル3」対策に乗り出すべし。

 二日もつづけて暗い話で恐縮ですが,再度,フクシマの高濃度汚染水対策について「緊急に」考えておきたいと思います。こんな信じられないような事態が明らかになってきたというのに,政府も東電も,この事態に対応する方策についてなにも明らかにはしていない(8月23日現在)。この国の危機管理能力はいったいどうなっているのでしょうか。

 まあ,フクシマの事故直後,精確な情報がまったく得られないために,まっさきに現場に踏み込んで行った菅直人首相を,いまごろになって検察が事情聴取をしようという国ですから,さもありなんとは思いますが・・・・。ということは,安倍首相は世間が相当に騒がしくなるまでは放置しておく考えらしい。いったい,いまの日本という国家は「国益」というものをどのように考えているのか,とくと胸に手をあてて考えてみたいと思います。それにしても,政権交代とはいえ,この負け組と勝ち組の明暗の分け方が,空恐ろしい。

 今朝の『東京新聞』(たぶん,『中日新聞』も同じだと思います)には,昨日にもましてこの問題を重視し,紙面を大きく割いて報道しています。隅から隅までじっくり読み込んでみますと,もはや頼れるところはどこにもない,というみじめな実態が明らかになってきます。情けないとしかいいようがありません。そういう政党を選んだツケが,とんでもないしっぺ返しとなって国民にのしかかってきています。ですから,いまこそわたしたちは声を大にして叫び,行動する意外にありません。

 と言いつつ,金曜日の首相官邸前集会にでかけようとしたら,土砂降りの雨と雷に圧倒されて家に引き返してしまった自分も情けないかぎりですが・・・・。その場に立つことを諦めた代わりに,いま,切実にわたしが考えていることをここに書いておきたいとおもいます。

 まず第一に,政府は,フクシマ原発事故「収束宣言」をただちに撤回し,即刻「緊急事態宣言」を発して,全国民的課題として取り組む姿勢を示すべきではないか,とわたしは考えます。
 第二に,これまでの保安院も,それを改変した規制委員会もまったく信用ならない(機能しない)ということがはっきりした以上,まったく新たな「国民」主導(超党派)の特別プロジェクト・チームを組織して,この「緊急事態」に対処すべきであること。
 第三に,この特別プロジェクトチームのメンバーは,原発推進派から半分,脱原発派から半分という構成にすること。
 第四に,賛否両論の立場から侃々諤々の議論を展開し,事態のありのままの推移を国民の前に明らかにすること。
 第五に,こうして「隠蔽」「詭弁」「虚言」「無責任」を追い出し,全国民の利益に立つ対応策を打ち出すこと。
 第六に,最終的な意志決定のためには「国民投票」も辞さない覚悟が必要であること。
 第七に,政治家は超党派で,この「緊急事態」に対処すべきであること。もはや,党利・党略や一部の企業の利益などと言っている場合ではないこと。
 第八に,この「緊急事態」に対応する,小さな「町民・村民会議」を組織すること,など。

 いま,アドリブで思いつくことを列挙するだけで,こんなにあります。もちろん,これは素人のわたしがとっさに思いつくものであった,もっと練り込んだ対応策をみんなで構築していくことが喫緊の課題でしょう。

 なぜ,こんなに焦るのか。それも箇条書きにしておきましょう。
 1.東電がタンク群周りのコンクリート製の排水弁をすべて開けていることを,保安院時代から規制委員会にも引き継がれていて,充分に承知しつつ,放置していたという事実が明るみにでたこと。
 2.この高濃度汚染水漏えいは,これまでにも4回(5回という説も)起きていること。これからますますその回数は増えることは間違いないこと。
 3.なぜなら,このタンクは臨時のものであり,耐用年数は5年とされていること。にもかかわらず,臨時のボルト締めタンクをいまもつくりつづけていること。そして,3年後の展望がいまもまったく示されていないこと。
 4.無限に増えつづける高濃度汚染水を保管する場所の確保も,現段階ではまったくその目処が立っていないこと。
 5.このままでは,高濃度汚染水がじゃじゃ漏れのまま,海洋汚染がますます拡大していく,と考えられること。
 6.この高濃度汚染水にふくまれているストロンチウムを除去する方法がまったく目処がたっていないこと(研究の途上にあること,実験も失敗していること)。
 7.このストロンチウムの半減期は29年であること。
 8.汚染された地下水をふくめて,どれほどの汚染水が海洋に流れ出ているのか,その実態はまったく把握できていないこと。


  これだけ挙げておけば充分でしょう。この他にも挙げていけば際限がありません。まじめに考えていきますと絶望してしまいます。ですから,いまのうちに国の内外にむけて「緊急事態宣言」をして,問題の本質を明確にし,抜本的な対応策を講ずる必要があります。もう,これ以上,これまでのようなルーズな「無責任体制」は許されません。そして,いま,この勇断をふるっておかないかぎり,このツケはかならずわたしたち自身に跳ね返ってきます。いな,わたしたちだけではありません。子々孫々にわたる未来永劫に,未曽有の負債を残していくことになります。
 
 以上,今日の首相官邸前に行かれなかったことの責務として,いま,わたしの脳裏をよぎることをありのまま書き出してみました。これが,いま,この時点での,わたしの偽らざる心境です。賛否両論のご批判をいただければ幸いです。

2012年3月2日金曜日

気がつけば,もう3月。「3・11」を目前にしてますます滅入ってしまう毎日。突破口はないか。

久しぶりの銀世界もあっという間に雪が溶けてしまった。この前の雪のときは,冷え込みが厳しく昼に溶けた雪が夜には氷となって,日陰には相当長く残っていた。そして,寒かった。しかし,今回の雪はあっという間に姿を消してしまった。暖かくなったのだ。

そう,気がつけば,もう3月に入っている。もう,春はすぐそこにきている。しかし,北国の春は近づいているのだろうか。仮に,桜が咲き始め,その桜前線が北上しても,北国の春はまだまだ遠いに違いない。そんなことを,昨日は一日中,考えていた。

何回もブログを書こうと思ってパソコンを立ち上げるのだが,一行も書けないまま,じっと考え込んでしまう。昨年の6月に訪れた福島,宮城,岩手の3県の被災地の記憶が,つぎからつぎへと甦ってくる。片時も消えない記憶は,南相馬市からさらに南にくだって,行けるところまで行こうと頑張ったが,「20キロ検問所」の前で車を止められてしまった。仕方がないので,そこから引き返す。だから,そこからさきの世界は,わたしにはたんなる「空白」でしかない。「空白」なるがゆえにこそ,なんとも落ち着かない。

その「空白」を埋めるための情報はすべてメディアをとおしてのものである。その情報もまことにいい加減なものばかりで,どれひとつ信用できない。そして,あらぬ噂が,いわゆる「風評」となって世に広がっていく。この風評を一刀両断のもとに断ち切って,しっかりした根拠にもどづく情報を提供すべきメディアがほとんど機能しない。それもそのはずで,政府ですら精確な情報をどれだけ把握しているのか,それすらおぼつかない。当事者である東電ですら,現場指揮に立つ所長と本社の間の意思疎通がうまく機能していない。結局,だれもほんとうのところはわかっていない。

いったい,「3・11」以後,この日本の社会の中ではなにが起きたのか。重要なポストにいる人たちが,だれひとりとして「責任」をとろうとはしない「責任回避体質」=「無責任体質」と,わが身の保全のための「思考停止体質」だけが,もののみごとに浮かび上がってきた。都合の悪い情報はひたすら秘匿する(あるいは,隠蔽・排除する)(なんと「秘匿」することを正当化する法律までつくろうとしている)。そして,あとは知らぬ勘兵衛さん。ひたすらダンマリ戦術。死んだふり。そして,都合のいい風が吹いてくると,にわかに元気を出して,あちこちに圧力をかけて,情報コントロールをはじめる。

政・官・財・学・報の五位一体となって,国民の「命」などはそっちのけだ。そして,利権がらみの魑魅魍魎ばかりが跋扈する。そういう情けない実態がもののみごとに露呈してしまった。

いまだに信用できる情報はほとんどなにもないに等しい,とわたしは深刻に受け止めている。それらをはるかに凌駕する「風評」という名の怪情報が乱れ飛んでいる。わたしたちは,それらの情報に振り回され,昨日の友を今日の敵にしてしまわなければならない,まことにみじめな情況に追い込まれてしまっている。「絆」どころか「分断」が大手を振って歩いている。下手に口をきくことすら憚られるほどだ。

とりわけ,放射性物質による汚染の問題。危険線量の規定すら,確たる根拠はないという(これすらも,たんなる風評かもしれない)。しかも,もし,身体に異常が発生したとしても,そのことと放射性物質との因果関係を証明することはきわめてむつかしい,ともいう。だから,だれも責任を問われることはない,とも。その結果なのだろうか,いつも,「場当たり的」な対応でなんとか切り抜けようと政府は必死だ。

そうして,フクシマの放射性物質の問題だけが,いつのまにか注目されることになってしまった。ついには,フクシマばかりが国際的に有名になってしまったが,なんのことはない,トウキョウも同じなのだ。トウキョウもフクシマもたいして変わりはないのだ,ということを認識していないのは日本人だけかもしれない。だから,フクシマの温泉に行くことをトウキョウの人間が忌避するという。可笑しくて笑ってしまう。同じ穴の狢(むじな)だというのに。東北も関東も,みんな危ないといえば危ない。トウキョウが安全だというなら,東北も関東一円もみんな安全だ。

そのことを,しっかり認識しているのは欧米人たちだ。「3・11」以後,ヨーロッパ系の旅行客が激減したことを考えれば歴然としている。いまや,銀座は東洋系の観光客で占拠されている。顔かたちが同じなので目立たないだけだ。スレ違いざまに聴こえてくることばの違いで,はじめて気づく。黙っていれば,だれも気づかない。それにしても,東洋系の人たちはおおらかだ。

眼に見えない放射性物質による汚染は,たしかに怖い。しかし,原発の事故処理にあたっている原発労働者のことを考えれば,怖いなどと言ってはいられない。かれらは,まさに,命懸けで仕事をしているのだ。線量計とにらめっこしながら。こういう人たちがいてくれるお蔭で,かろうじて,現状が維持されていることをよもや忘れてはなるまい。

そのことを考えれば,フクシマとトウキョウの違いなどは微々たるものでしかない。いまや,どこに住んでいようと同じだ,とわたしは自分自身に言い聞かせることにしている。そうとでも思わないことには,もはや,日本では生きてはいけない。美味しい会津のお酒は呑まずにはいられない。フクシマは温泉の宝庫だ。これまでどおりに,自由に行き来したい,と考えている。

「3・11」を目前にして,恒常的な支援の方法を考えていかなくては・・・と老骨に鞭打ちながら考えている。

三春町で頑張っている玄侑宗久さんの生きる姿勢をお手本にして。

2012年1月7日土曜日

「アセスメント」持ち込みは沖縄の普天間基地固定化のための通過儀礼にすぎない,と元外務官僚の佐藤優氏。

「東京新聞」に「本音のコラム」という枠があって,山口二郎氏や佐藤優氏が登場したときは,必ず読むようにしている。なぜなら,わたしなどの時代や社会の読みとりとは次元の違う見解を示してくれることが多いからだ。

1月6日のコラムには佐藤優氏が登場。「みじめな鼠輸送」という見出しで,わたしにとっては衝撃的な見解を述べている。その内容は,正直に言って,ショックだった。なぜなら,防衛庁が,去る12月28日未明に,普天間基地の辺野古移設に関する環境影響評価(アセスメント)を沖縄県庁の守衛室に運び込んだのは,太平洋戦争時代に夜陰にまぎれて輸送を行った「鼠輸送」と同じ方法だったといい,さらに,つぎのように断言しているからだ。

「元外務官僚であった筆者には,普天間問題を担当する外務官僚や防衛官僚が何を考えているかが皮膚感覚でわかる。沖縄の反発を考えれば,辺野古移設の可能性がもはや皆無であると外務官僚,防衛官僚は認識している。そして,それど遠くない時期に日本政府が米国政府に『沖縄の状況に鑑み,普天間飛行場の辺野古移設は不可能になりました』と伝えるようになることも織り込み済みだ。その上で,普天間基地の固定化を考えている。そのための通過儀礼として,今回,防衛官僚は,みじめな『鼠輸送』を行ったのだ。」

これを読んで,なんとも思わない人は,もはや人間ではない。もちろん,エリート官僚は,人間を人間とも思ってはいないから,こんなシナリオを平然と描き,そのまま実践に移していく。そして,最終的には,またぞろ沖縄に基地問題のすべてを押しつけて,頬被りをしようとしている。大山鳴動して鼠一匹である。元の木阿弥とばかりに。

こんなことを「なさしめている」のは,じつは,沖縄問題に無関心を装う(実際に,ほとんどなにも知らない人が多い。知ろうともしない人はもっと多い),本土に生活しているわたしたちだ。そこまで官僚は読み取って,こんなシナリオを描き,政治家を動かしていく。官僚はほんとうに悪だが,それを「なさしめている」わたしたちはもっと悪い。

沖縄に基地問題を押しつけて,「県外移設」を拒否し,知らん顔をしている全国の都道府県知事も,同じく人間ではない。自分たちの府県でも,等分の負担をすべきだし,その用意はある,と答えたのは,あの橋本君,ただひとりだった。やれ独裁者だ,やれハシズムだ,と世間は姦しいが,この人間だけが全国都道府県知事のなかでは,たったひとり「人間」の顔をみせた。あとは,計算・打算の世界で生きている「人非人」たちばかりだ。穏健派を装う,冷徹無比の,自己中心主義者だ。いやいや,こういう人は,わたしの身の回りにもうようよいる。日本人の圧倒的多数はこういう人たちなのだ。そして,そういう人たちが政治を動かしているのだ。これが現実だ。まったくもって情けない。いやいや,またまた過激になってしまった。

こんなことを書くのは,同じ日の「東京新聞」の名物記事となっている「こちら特報部」で,フクシマの汚染土壌などを保管する中間貯蔵施設を福島県双葉郡に建設する政府方針をとりあげているからだ。これを読むと,またぞろ,弱い者に汚染土壌の保管を押しつけて頬被りしようとしている,この構造がオキナワとそっくり同じだからだ。双葉町長は「被害者に責任取らすのか」「町民の使い捨て,許さぬ」と声をあげている。ただでさえ,住む土地を追われ,避難生活を余儀なくされている上に,汚染土壌などの「中間貯蔵施設」を町民がいなくなった土地に建設しようと,政府は考えているのである。なんということか。こんなことを平気でできる政府与党とは,いったい,なんなのか。これを「人非人」と言わずして,ほかになんと呼べるのか。

では,汚染土壌を引き取ってくれる都道府県はあるのか。これまたオキナワと同じで,みんな顔を横に向けて知らぬ顔だ。少なくとも,この汚染土壌は,各都道府県で応分の負担をすべきだ,とわたしは考えるのだが・・・・。いやいや,それより前に,まずは,東京電力の保有する保養施設に持ち込むべきではないのか。そのくらいの責任をとったって,なんの不思議もないのに・・・・。政府はそれすら打診することもできない。東京電力に政府が乗っ取られている。原子力ムラなる恐るべきネットワークの実態が次第に明らかになりつつあるのだが・・・・。

正月の松の内だけは,こういうブログは書くまい,とこころに決めていたが,とうとう我慢できなくなって書いてしまった。いや,書かずにはいられなかった。このまま放置しておくと,日本列島全体がこのまま沈没していくこと間違いなしだから。

ことしこそ,もっとも多難な年になりそうだ。それにしては,危機意識が足りない。その上に政府与党は大あぐらをかいている。完全に舐められている。情けないが,これが現実。



2011年12月28日水曜日

『東京新聞』の新規の購読者が増えているそうです。

数カ月前に『東京新聞』の集金にきた若いお兄ちゃんに,「『東京新聞』応援しているからね。頑張って!」と声をかけたら,「ありがとうございます」と言って,ペコリと頭を下げたことがある。その頭の下げ方が気に入ったので,「ブログでも応援してるんだよ」と言ったら,「えっ,そうなんですか?ありがとうございます」と,ふたたび,こんどはもっと深く,ペコリと頭を下げた。いまどきの若者にしては珍しいなぁ,と思っていた。

数日前,ふたたび,そのお兄ちゃんが集金にやってきた。嬉しそうに,ニコニコしている。だから,「調子はどう?購読者は増えている?」と声をかけた。そうしたら,「ありがとうございます。昨日3軒,今日も2軒,購読の申込みがありました」という。「それって,凄いことじゃないの?」とわたし。「はい,そうだと思います」とお兄ちゃん。

「最初のころにはゴタゴタがあってご迷惑をおかけしました」とお兄ちゃん。このゴタゴタとは,『東京新聞』がこれまでの新聞配達店から独立して,独自に新聞配達と集金をはじめたことに対する,それまでの新聞配達店がとった妨害行為(じつに,いやらしい「イジメ」のビラを配布したこと)のこと。「最初はなんだろう?なにごとだろう,と不思議だったけれども,すぐに,単なる「イジメ」だということはわかったよ」とわたし。そして,「そんなことは,もう,心配することはないよ」と。「それを聞いて安心しました」とお兄ちゃん。

「ところで,『東京新聞』の購読者が増えていくのは,なぜか,知っている?」とわたし。「さぁ?」と言って首を傾げるお兄ちゃん。「『東京新聞』が脱原発を宣言して,その方針に添って記事が書かれるようになったからだよ」とわたし。「ああ,そうなんですか」とお兄ちゃん。なんだ,そんなことも知らずに新聞を配達しているのか,とちょっと「ムッ」ときたわたし。折角,いい会話ができているのに・・・,そんなものかなぁ,と。

しかし,それは杞憂だった。というか,逆に驚いた。唐突に,「ぼく,福島出身なんです」という。「どこなの?」「福島第一原発から5キロのところにある村です」「えっ,じゃぁ,避難してきたの?」「そうです」「それで新聞配達をはじめたの?」「そうです」「そうかぁ,じゃぁ,大変だったんだねぇ」「ぼくらは帰ることができるでしょうか」「5キロかぁ,ちょっと大変だよねぇ」「南相馬でも,若い人たちはだれも戻っていない,と聞いています」「安心して住めるようになるまでには,ちょっと時間がかかるんだよねぇ」「もう,絶望でしょうか」。ここでちょっと詰まってしまったが,ここで怯んではいけないと自分を鼓舞して「いや,希望は捨てちゃァ駄目だよ。必ず故郷に戻るんだという希望はもちつづけていた方がいい。これを失ったら,生きがいをなくしてしまうからね」「ぼくもそう思います。でも,遠いさきのことですよね」「時間のことはわからない。でも,希望は持ちつづけようね」「ハイッ,ありがとうございます」と,またまた,ペコリと頭を下げた。そして,「済みません。自分のことをしゃべってしまって」「いやいや,そういう人に直接会って話を聞いたのは初めてだったので,とても勉強になったよ」「ありがとうございます。また,こんごともよろしくお願いします」と言って,帰っていった。

とても,爽やかな,いい青年だった。こうして頑張っている福島の若者が,こんな身近にいたということを知って,なんとなく「じーん」とくるものがあった。そして,しまった,名前を聞いておくのを忘れてしまった。こんど集金にきたら,もう少し話を聞いてみようと思う。できることなら,集金とは別に,ゆっくり話を聞いてみたいと思う。ひとりの人間として。

ほんとうに短い会話だったけれども,久しぶりになにも知らない若者と気持ちの通い合うものを感じて,ちょっとだけ嬉しくなった。こういう会話が,最近は,とみに減ってしまった。もっと積極的に,こういう会話ができる場を確保することが,これからの課題だ。やはり,被災地にでかけ,その現場に立ち,そこでの人との出会いをとおして,わたし自身にゆさぶりをかけていかなくては・・・・としみじみと思う。そうしないと,自閉したまま,自己完結してしまう。これではいけない。フットワーク軽く,ここぞと思うところにはでかけなくてはいけない。

この年の瀬に,こういう若者と出会うことができたのは,やはり,なにかの暗示とでもいうべきか。来年は,もう少しだけ「移動」することを考えてみよう。思い立ったが吉日ということばがある。そのとおりだと思う。忙しさにかまけて,自己のうちに閉じていてはいけない,と。

西谷修さんのブログをみると,じつに軽快に,動いている。有馬記念のレースもちゃんとみているし,ふっと思い立ったように仙台に1泊2日ででかけている。そして,ガンジー金田などという不思議なお坊さんとの出会いを楽しんでいる。漁民の話も書いている。人間だなぁ,としみじみ思う。わたしには,こういう素直な行動力が足りない。

来年は,「離脱」と「移動」──これは,西谷修さんの本のタイトルでもある──をテーマに,新たな人生設計をしてみようと思う。『東京新聞』の新規購読者も増えているというし,城南信用金庫も順調に伸びているというし,新聞配達のお兄さんも元気溌剌だし・・・・,こんどはわたしの順番だ。

来年に向けて大掃除でもしようか。