2013年7月2日火曜日

戦争の足音のする「改憲論」に女性と20代の若者たちが反対という(『東京新聞』)。納得。

 戦争はもはや過去のものとなってしまって,いまどきの若者たちはほとんど関心もなければ意識もしていない,と聞いていた。しかし,そうではない,ということが今日(7月2日)の『東京新聞』朝刊を読んで知った。ひとまずは安心である。わけても女性たちは全般的に戦争への危機意識が高いということも知って,とても安心した。命の大切さを知っているのは,残念ながら,男性よりも女性の方が上だ。

 7月4日(木)には公示される参院選に向けて,『東京新聞』が全国3000人を対象に電話世論調査を実施し,その結果が公表された。大きな見出しを紹介しておくと,「安倍政権 評価分かれる」とした上で,争点となりそうな項目別の世論の動向について,つぎのような結果がでたという。

 憲法:「96条改憲 反対多数」
 原発:「再稼働ノー 5割超」
 TPP:「賛成51% 反対32%」

 安倍政権がめざす「憲法改定」と「原発再稼働」には反対多数,「TPP」については賛成多数という結果である。「憲法」と「原発」については「争点」がわかりやすいので,多くの国民が自分の意思を決めやすいが,「TPP」については相当に勉強しないとその問題点は理解できない難点がある。それでも,これまで自民党を支持してきた農協が「TPP」に猛烈に反対していることを考えれば,日本の農業がつぶされてしまうという,きわめて危険な選択であることはわかるはず。

 この世論調査がでたからといって安心できるわけではない。
 4日からはじまる選挙戦で,流れがどのように変化するかはわからない。自民党がやや凋落気味になってきているとはいうものの,選挙は生きもの,やってみないとわからないことが多い。投票するその瞬間まで迷う人も少なくない。それ以上に「支持政党なし」の票の行方が問題だ。

 その鍵を握るのは「投票率」。これが低いと組織票が有利,高いと浮動票が生きてくる。
 しかし,現時点での致命的なことは,自民党政権の選挙スローガンに対抗する「受け皿」となる政党が存在しない,このひとことに尽きる。「96条改憲 反対多数」「再稼働ノー 5割超」「TPP反対32%」の人びとの意思を反映してくれる政党が,ほとんどないに等しい。

 そんな中での選挙である。困ったものである。おそらく前代未聞の選挙戦になりそうだ。でも,このまま政府自民党に独走を許すわけにはいかないと考える有権者はどうすればいいのか。情けないことこの上ないが,「次善の策」を講ずる以外にはなさそうだ。そして,しっかりと民意を反映してくれる政党の出現を待つしかない。

 つまり,自民党政権の暴走を阻止するための「暫定的」な政党を選んで,そこに一票を投ずること。好きとか嫌いとか言っている段階ではない。とりあえず,原発再稼働に反対し,脱原発をスローガンにかかげる政党を選ぶこと。あるいは,改憲反対の政党を軸に選ぶこと。しかし,あれもこれもと考えていると,ほんとうに支持できる政党はなくなってしまう。だから,「暫定的」にと覚悟するしか方法がない。

 そうして,支持政党なしの浮動票が,どこまで選挙に参加してくれるか,ここが最大の鍵を握っているとわたしは考える。

 こんなに重要な選挙だというのに,支持できる政党がない。既成政党の廃頽ぶりは眼を覆うばかり。いったい,民意も読めない政治家とはどういう人たちなのか。それは,明らかに「既得権益」にしがみついている政治家たちだ。つまり,自分たちの利害しか考えていない,ということ。だから,民意よりも既得権益を守ることに必死になる。そのことが原因で民意から見放されてしまった,ということに気づいてもいない。もはや,こころある選挙民は既成政党になんの期待もしていない。いでよ,手垢にまみれていない,クリーンな政党よ,と多くの選挙民が待っている。

 今回の選挙は,このことを「知らしめる」ための選挙,というようにわたしはとりあえず位置づけて,多くの人たちと語り合っていきたいと考えている。ご意見をお寄せいただければ幸いである。ただし,できることなら実名でお願いします。もし,匿名であったとしても,建設的な議論につながるようなご意見であれば歓迎します。

 取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年7月1日月曜日

神武天皇像(奈良市登美が丘)と登弥(とみ)神社(奈良市石本町)をフィールド・ワーク。(出雲幻視考・その5.)

  村井康彦氏の『出雲と大和──古代国家の原像をたずねて』(岩波新書,2013年)をテクストにして,出雲幻視を楽しもうとかねてから企んでいましたが,久しぶりに奈良にでかける用事がありましたので,そのついでに二カ所ほどフィールド・ワークを楽しんできました。案内役は奈良市内に在住のT君。車で案内してくれるので,とても助かります。

 さて,テクストの『出雲と大和』の記述のなかに,長髄彦(ナガスネヒコ)のことが「国譲り」神話との関連で,かなり詳しく論じられています。それによれば,邪馬台国の「王」ではなかったかと村井氏が推理するニギハヤヒノミコトの右腕として大活躍したのがナガスネヒコ。かれは,神武東征の折に,その楯となって,一度は神武軍を圧倒して,追い返してしまいます。武力的には対等以上の力をもっていたと考えられています。

 そのナガスネヒコが拠点としていたのが,生駒の東山麓から矢田丘陵,さらに磐船街道および富雄川流域と奈良市内の登美が丘一帯でした。この区域内に,なんと巨大な神武天皇像(台座もふくめると高さ16m)があり,そこから富雄川にでて南にくだった辺りに神武がこの地に到来したことが神社の由来であるとする「登弥(とみ)神社」が祀られています(奈良市石本町)。その二カ所を回ってきました。

 まずは,神武天皇像から。なぜか,御嶽さんの奈良本宮(里宮)の境内の一角,それもこんもりと繁った小高い森の上に巨大な神武天皇像が建てられています。もちろん,御嶽さんの所有です。その入り口の案内によれば,「橿原神宮からの御分霊を入魂。国家安泰と国運隆昌を祈り,さらには地神であった登美能那賀須泥毘古(とみのながすねひこ:長髄彦)をはじめ戦いに散った御霊を慰霊申し上げています」とあります。


 
 
ここで注目したいことは以下のとおり。「地神」であったナガスネヒコという記述と,戦いに散った御霊,という記述です。テクストの著者村井康彦氏の説によれば,邪馬台国は奈良盆地のほぼ中央に位置する唐古・鍵遺跡のあたりに宮殿があり,その周囲を北西部・南西部・東部の三つ,すなわち「イコマ」「ミマス」「ミマキ」の三官が「ナカト」と呼ばれる宮殿を守っていたのではないか,といいます。このうちの「イコマ」がナガスネヒコの拠点であった,というわけです。つまり,神武が大和に侵攻して大和朝廷をつくる以前の「イコマ」はナガスネヒコが支配していた,という次第です。ですから,最終的には神武の勢力に敗れたナガスネヒコとその一族の「御霊」を慰霊する必要があるわけです。しかし,それを前面に出すことができないので,まずは,巨大な神武天皇像を建立し,天皇制を肯定した上で,その背後にあったナガスネヒコの霊を慰めようというわけです。

 しかし,奇怪しなことに,その神武天皇像からやや南に下った丘陵の中腹に,かなり広い玉砂利を敷いた聖域(石柱と石梁で囲まれている)があります。そこには,なんと,これまた巨大な「大黒さん」と「恵比寿さん」が大きな台座の上に鎮座ましましていらっしゃるではありませんか。大黒さんも恵比寿さんも,いろいろ神仏混淆があって,姿・形を変えてはいますが,もとの姿は大黒さんはオオクニヌシ,恵比寿さんはコトシロヌシ(事代主:オオクニヌシの長男)だと考えられています。ですから,ここには,堂々たる出雲族の代表者であるオオクニヌシとコトシロヌシの像が安置されているということになります。


 

 
しかも,神武天皇は西の方(すなわち,生駒山の方角=九州方面)を向いて立ち,大黒さんと恵比寿さんは南の方(すなわち,「ナカト」:邪馬台国の宮殿方向)を向いて立っています。このことは,いったい,なにを意味しているのでしょうか。しかも,大黒さんと恵比寿さんの聖域の端っこに,木曽の御嶽山に祀られている神々のミニチュアが飾ってあります。明らかに,こちらの神々は大黒さんと恵比寿さんに遠慮しているように見受けられます。この配置もまた,とても暗示的です。御嶽信仰と出雲族とは切っても切れないなにか秘められた関係がある,とその場でわたしは直観しました。詳しいことはこれからの課題ですが・・・・・。

 つぎに,登弥神社。こちらは富雄川を南に下っていって,まもなく丘陵がなくなり奈良盆地に吸収される先端,富雄川の左岸の丘の森の中にありました。最初の鳥居から社殿までは長いアプローチがあって,ゆるやかな坂道を登っていきます。こんもりと生い茂った森がとてもいい雰囲気を醸しだしています。参道の右側には古墳かなと思われるような丸い小山がみえます。


 
この神社で気になったのは,まずは,「登弥(とみ)」という表記。なぜ,「登美」,あるいは「冨」と表記していないのか。なにゆえに,わざわざ,一字,別の当て字を用いているのか。この神社の由来にも,やはり,神武がこの地にやってきたことを祈念してこの神社ができたと書いてある。しかし,神武が祀られているわけではない。どうみても,天皇制を,まずは肯定しているようにみせかけておいて,その実態はトミノナガスネヒコを祀るのが本音ではないか,と思われてならない。

 社殿は数えてみると大小とりまぜて全部で七つある。社殿ごとに祀られている神々は以下のとおりである。

 本殿御祭神
 東本殿:高皇産霊神,誉田別命
 西本殿:神皇産霊神,登美〇速日命,天児屋根命

 摂社御祭神
 祓殿社:瀬織津比売神,速秋津比売神,気吹戸主神,速佐須良比売神,表筒男神,中筒男神,底筒男神
 山室神社:大物主神,菅原道真公
 豊穂神社:大日零命,豊受比売神,天宇受女神
 荒神神社:大山祇神,庭高津日神
 比良田神社:猿田彦神,大巳貴神,八重事代主神


 
以上です。これらの神々の名前をじっとみつめていますと,なんともはや不思議な気分になってきます。まあ,なんと多くの神々が祀られていることか,と。しかも,系譜の異なる神々が渾然一体となっていることに驚きを禁じえません。さて,これらの神々の組み合わせをどのように読み解くかはこれからの課題としておきましょう。

 でも,一点だけ確認しておきたいことは,やはりその中心には「トミノニギハヤヒノミコト」が祀られていること,そして,摂社の主役は「オオモノヌシ」と「スガワラミチザネ」であり,「オオナムチ」と「ヤエノコトシロヌシ」であることです。すなわち,出雲族がその中心に鎮座しているということです。これはわたしの単なる推理でしかありませんが,たぶん,いろいろの神々を混淆させることによって,出雲族の存在を薄めることを,意図的・計画的に仕込んだのではないか,ということです。そうしないと,この「登弥神社」を維持していくことが困難になる,なんらかの事情があったのだろう,と。もう少し踏み込んでおけば,出雲族に対する圧力が終始働いていたのではないか,ということです。それは,「ノミ」や「スガワラ」という姓が,蔑称として陰口でささやかれていたという伝承からも,容易に想像できることです。

 こうした「トミノナガスネヒコ」にまつわる秘められた神社が,やはり,この富雄川の流域や登美が丘周辺には相当数,存在しているように思われます。あるいは,最近になって祭神の名を公表するようになってきているのかもしれません。だとすると,これからもっともっと多くの神社が,出雲族との関係を公表する時代がやってくるのではないか,とわたしは密かに期待しています。そうなることによって,天皇制の陰に虐げられてきた「国譲り」神話以後の出雲族の,真の姿が浮き彫りになるのではないか,それがまた日本史の真の姿を明らかにすることになるのではないか,と考えるからです。その鍵を握るのが「河童」伝承ではないか,と考えています。そして,そのさきに,わたしは密かに「相撲」のもうひとつの顔を透視しようと企んでいます。

 歴史の実像に少しでも近づくために。スポーツ史研究はそこまで踏み込む時代がやってきた,とわたしは自負しています。奈良在住のT君のこれからの仕事に大いに期待しつつ,わたしも密かにあれこれ推理を楽しむことにしています。まさに,「幻視」を楽しんでいるふりをしつつ,じつは真実に接近することを願って・・・・。

 とりあえず,今日のところはここまで。


『スポーツする文学』(疋田・日高・日比編著,青弓社)をどう読んだか。

 このテクストの編者2名と著者1名を囲んで,このテクストをどのように読んだか,という研究会が奈良教育大学で開催された(6月29日午後1時30分~6時)。主催は「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)。世話人は井上邦子さん。

 ブログラム的に紹介をしておけば,以下のとおり。
 日高佳紀:テニス文芸のレトリック─田中純と「月刊テニスファン」×林郁子
 西川貴子:「わたし」と「わたしたち」の狭間─「走ることを語ること」の意味×松浪稔
 疋田雅昭:スポーツしない文学者─祭典の熱狂から抜け落ちる『オリンポスの果実』×稲垣正浩

 最初に各著者によるかんたんなプレゼンテーションがあって,それを受けて各コメンテーターが意見を述べるという形式をとった。それぞれのディスカッションに各1時間30分ほどが配分された。が,いずれも時間が足りないほどの意見の交換があった。その意味では,とても盛り上がった研究会になったと思う。

 しかし,わたしの個人的な感想としては,いささか物足りなかった。それは最初から予想されたことではあったが・・・・。なぜなら,日本文学を専門とする人びとが「スポーツ」を語ることと,わたしたちスポーツ史・スポーツ文化論的な立場に立つ人びとが「スポーツ」を語ることとの間には,最初から相当の乖離があると予想されたからである。実際にも,このテクストを最初に読んだときのわたしの印象は,この人たちは「スポーツ」というものをどのように考えているのだろうか,という大いなる疑問があった。その意味では,巻末に紹介されていた著者たちの「スポーツ歴」が役に立った。なるほど,こういう人たちが「スポーツ」を語るとこういうことになるのか,と。わたしたちの側は,一応は,なんらかの形でSpitzensport(世界の頂点をめざす近代競技スポーツ)に全身全霊を傾けた経験をもっている。だから,「スポーツ」というものを研究対象にするときの姿勢が基本的に違っている。かんたんに言ってしまえば,文学の側から「スポーツ」に光りをあてるのと,スポーツの側から「文学作品」を取り上げるのとでは,そのヴェクトルが真逆になっているからだ。

 このことは最初からわかっていたことであるし,それどころか,そうであるからこそこの研究会は面白くなる,と大いに期待していた。結果は,予想どおり。もののみごとに議論はスレ違っていく。その理由を考えることにこそ,この研究会の意味はある,とわたしは最初から覚悟していたので,じつに楽しくみなさんの議論を傍聴し,かつ,参加させていただいた。しかし,ついに議論をかろうじて成立させるための共通の土俵はみえないままに終った。これは初対面の若い男女の会話のようなもので,と半分は楽しみつつ,半分は苛立っていた。

 その最大のネックは「スポーツ」ということばについての理解の仕方にある,とわたしは考えていた。それはなによりもわたしたちの責任でもあるのだが,「スポーツ」ということばの概念規定がきちんとできていない,ということからくるものであるからだ。だから,あえて言ってしまえば,「スポーツ」ということばは学術用語としては,いまだ,認知されていないのだ。議論が噛み合わなくてスレ違うのも,すべてはここに端を発している。

 こういうことは以前からわかっていたことであるし,考えつづけてきたことでもある。つまり,「スポーツとはなにか」という,ある意味では永遠のテーマがそこには横たわっている。だから,わたし自身としては,「スポーツとはなにか」というこの根源的な問いに対する応答の仕方として,スポーツ史という方法を選んだ。しかし,それだけではとても応答できないと知り,その枠組みを少しだけ広げてスポーツ文化論という立場を取り込んだ。この過程で,わたしは「文学作品」や「絵画」が,「スポーツとはなにか」を考える上できわめて有効な手段になるということに気づいた。そして,いっときは相当にのめり込んで,この分野をさまよい歩いた。その余波はいまも残っていて,文学にはそれなりのアンテナを張り,絵画を中心とする美術作品の動向にも強い関心をもちつづけている。

 が,それでもまだなにかが足りないと気づく。「スポーツとはなにか」という根源的な問いを深めていけばいくほど必要なものは思想であり,哲学である,と気づく。こちらも,いまから考えれば,その情熱のそそぎ方のレベルはともかくとして,相当以前に遡ることができる。とりわけ,西谷修さんをとおして触れることになったフランス現代思想からの影響は,長くて,強い。そのお蔭で,日本の禅仏教の思想,とりわけ,道元に触れ,西田幾多郎に触れ,とうとう仏教経典にまでのめり込むことにもなった。そして,それはとても役に立っている。というよりも,みずからが寄って立つべき思想・哲学というものが次第に明らかになるにしたがって,あらゆるもののみえ方が変わってきた。つまり,登山のようなもので,高い山の頂上に立つことを繰り返しているうちに,少しずつ「見晴らし」がよくなってきたのである。

 こうした遍歴を経て,ようやく「批評」ということの意味が少しずつわかりはじめてきた。今福龍太さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス─サッカー批評原論』や蓮実重彦さんの『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』などの主張していることの意味がようやくみえてくる。となると,わたし自身の「スポーツ批評」のスタンスを明確にしなくてはならなくなってくる。いま,ちょうど,このことを考えつづけているときだったので,久し振りに読み返すことになった『スポーツする文学』は,「文学批評」に新たな「補助線」を引く,まったく新たな試みではないのか,と考えることになった。

 もし,このテクストの編者や著者たちが,このことを強く意識して『スポーツする文学』というタイトルをつけ,各論でそれぞれのスポーツ競技種目をとりあげて「スポーツ批評」を展開し,最終的にまったく新たな「文学批評」の磁場を構築しようとしているとしたら,このテクストは画期的な意味をもつものではないか,と考えた。だから,わたしはこの点にかなりこだわりをもってコメントをさせていただいた。が,残念ながら,議論はスレ違ってしまった。だれが悪いということではなくて,こういう本質的な議論をするためには,もっともっと時間をかけてしっかりとした共通の「土俵」(アリーナ)を構築しなくてはならないのだ。

 この研究会は異種格闘技のようなもので,初めての手合わせ。だから,お互いにとまどうのは当たり前。議論はこれからはじまる,とわたしは受け止めた。こんどは,わたしたちの側から「スポーツする文学」のワークショップなどとの接点をさぐっていくべきだ,とも。

 それにしても,やはり,異種格闘技はむつかしい。でも,とてもスリリング。こういう営みをとおして,わたしたちの思考回路の硬直化を防止しなくては・・・・としみじみ考えた次第。

 最後になりましたが,わたしたちの研究会にお出でくださった日高さん,疋田さん,西川さんにこころからの謝意を表します。ありがとうございました。これに懲りずに,こんごともお付き合いくださることを,このブログをとおして(失礼ながら)お願いします。

 わたしの考えた『スポーツする文学』の「批評性」について,はいずれ機会をあらためて書いてみたいと思います。取り急ぎ,今日のところはここまで。

2013年6月29日土曜日

「原発再稼働ありき」で動きはじめた既得権益集団。「脱原発」を参院選の最大の争点のひとつにして対抗しよう。

 既得権益集団(原子力ムラの住民たち)が露骨に動きはじめた。もう,なにも怖いものはないとでもいうように。完全に国民は舐められている。ひとかたまりの,圧倒的少数の特権階級が,自分たちの権益をどこまでも死守するために,圧倒的多数の国民の「命」を犠牲にしてでも,原発を再稼働させようとしている。

 6月19日(水)には「6原発再稼働申請へ」「新規制基準来月8日施行」「免震拠点未完成のまま」という大見出しが『東京新聞』の夕刊トップの紙面に躍っている。翌6月20日(木)の『東京新聞』朝刊一面には,「規制委 大飯運転継続容認へ」「9月まで,新基準,一部満たさず」と報ぜられ,6月27日(木)の『東京新聞』朝刊には「『再稼働ありき』総会」「電力9社,株主の『脱原発』すべて否決」と報じられている。

 もはやとどまるところを知らぬ暴走列車はますます加速されていく。国民であるわれわれは,黙って傍観しているときではない。きっちりとタッグを組んで,なにがなんでも「原発再稼働」を阻止しなくてはならない。われわれ一人ひとりの「命」を守るために。

 7月21日には,いよいよ参院選の投票が行われる。主権者であるわれわれ国民の意思を,直接,表明することのできるチャンスはこのときしかないのだ。ここではっきりと決着をつけないことには,なにもはじまらない。これから各党がかかげる「選挙公約」を徹底的にチェックして,「原発再稼働」を高らかに宣言する政党はどこなのか,そして,表現を和らげつつもそれを匂わせる政党がどこなのか,しっかりと見極める必要がある。

 参院選は都議選とはまったく別物である,とわたしは考えている。都議選は,ほとんどの都民は候補者の人柄も政策も思想もなにも精確には知らない。だから,なんとなくこの人,なんとなくこの政党,くらいのところで投票する人が多い。わたしが,かつて都民だったときがそうだった。恥ずかしながら・・・。だから,あとは組織票。今回は,その浮動票が棄権してしまった。浮動票の受け皿となる政党がなかったからである。争点もはっきりしなかった。

 しかし,参院選は違う。地方には,それぞれ長年の政治活動をとおしてしっかりとその土地に根をおろした立派な候補者がいる。住民もみんなよく知っている。その人たちの中から,今回はどの政党,どの人に投票するかを決める。だから,たとえ弱体化してしまった政党であろうとも,人間としての信頼関係がしっかり保たれているかぎり,その候補者は票を獲得することがある。政党よりも人物という人が,地方の選挙にはしばしばみられる現象である。

 その点では,「原発再稼働」派か,それとも「脱原発」派か,という争点はとてもわかりやすくていい。ここを見分けるだけで,あとの問題もみごとに仕分けていくことができる。だから,あまりたくさんのことを考える必要はない。まずは,「原発」をどうするのか,そこだけを見極めていけばいい。そうしないと,あれもこれもと考えると目先をごまかされてしまう。

 「原発」を廃止しても「経済」はやっていける。その実験国家がドイツだ。いちはやく,国を挙げて「脱原発」宣言をし,着々と代替エネルギーの確保に全力を上げ,すでに大きな成果を挙げている。このことを日本のメディアはほとんど報道しない(あるいは,ごく少ない)だけのことだ。ドイツに較べたら,日本の代替エネルギー資源ははるかに恵まれている。にもかかわらず,既得権益集団は「原発」にしがみつき(この方がはるかに「おいしい汁」を吸うことができるからだ),代替エネルギーの開発政策に圧力をかけてくる。

 なにゆえに,ひとかたまりの特権階級の人びとの利益のために,われわれ圧倒的多数の国民の「命」が犠牲にされなければならないのか。

 もう,これ以上は言うまい。あとは,われわれ一人ひとりの投票によって,われわれの「命」を守るべく,その意思をしっかりと表明することだけだ。

 ここで選択を間違えたら,既得権益集団にわれわれの「命」を預けるしかないのだ。そうならないように,これから気持ちを引き締めてかからねばならない。時間はもうない。待ったなしだ。

 いまこそ,嘘と詭弁に騙されない,確かな眼力で武装しよう。

2013年6月28日金曜日

柴田晴廣さんからのコメント,とても魅力的。夢が広がります。

 今日(28日),柴田晴廣さんからたて続けに2本のコメントが入りました。いずれも,とても魅力的で,夢が広がっていきます。こういうコメントは大歓迎です。わたしのちょっとした思い出や感想をもとに,史実にもとづく新しい知見を提示してくださり,ありがたいかぎりです。

 こういうコメントには,きちんとわたしからの応答をすべきところですが,いま,ちょっとタイミング的に時間がありませんので,いずれ,チャンスをみつけて応答してみたいとおもっています。今回は,とりあえず,ご紹介だけにとどめたいと思います。みなさんにも読んでいただいて,感想なり,ご意見なりを寄せていただければと思い,このブログを書くことにしました。

 ひとつは,6月26日のブログ:「サツマイモ畑に花が咲く,という話」。このブログに対して柴田さんは,東三河に甘藷をひろめたのは「牛窪村の喜八」(河合喜八)だと菅江真澄が書き残している,と指摘してくれました。菅江真澄が東三河の人であることはわかっているのですが,じつは,その出身地を特定することはできないままになっています。柴田さんも必死で追求していらっしゃるようですが,どうも牛窪(現・牛久保)のあたりだったのではないか,と推定。わたしは,牛久保の近くの大村町の「白井家」のどこかではないか,と推定。問題は,菅江真澄が最後までみずからの出自を明らかにしなかったという事実にあります。なぜか,隠す必要があったようです。

 そこからはじまって,芋切干の起源は御前崎という説を紹介してくれています。さらに,御前崎がらみの話を展開させて,「かんかんのう」や「かんかん踊」のもうひとつのルーツも御前崎だったという話を三田村鳶魚の記述から引いて紹介してくださっています。この博識ぶりに感服です。じつは,「かんかんのう」や「かんかん踊」にもいささかわたしは興味をもっていましたので,ありがたい情報提供をいただきました。詳しくは,柴田さんのコメントで確認してみてください。いやはや,その博識ぶりは驚くべきです。

 もうひとつのコメントは,同じく6月26日のブログ:「日本は尖閣諸島を国有化したときから戦時体制に入ったのか?河野洋平親子,鳩山由紀夫,野中広務は国賊?恐るべき言論統制」。できるだけ中味がわかる方がいいと考え,長ったらしいタイトルになってしまいました。が,このブログに対して柴田さんは,「支那」という呼称について取り上げ,つぎのように論じています。昭和21年6月21日に外務省が「『支那』は中国の蔑称なので,使用は極力避けるように」という通達を出しているにもかかわらず,どこぞの御仁はこの「禁句」を好んで用い,あまつさえ,寝た子であった「尖閣諸島」をわざわざ過激に挑発して,とうとう大変な事態を引き起こしているにもかかわらず,維新の会の共同代表をつとめて平然としている,と。しかも,「維新」の語源まで引いて,その精神に反する,というなかなかサビの効いた論を展開してくれています。

 どちらも長いコメントになっていますが,なかなか味のある論考を展開されていますので,ぜひ,柴田さんの原文にあたって,存分に堪能してみてください。

 というわけで,とりあえず,柴田晴廣さんのコメントのご紹介まで。
 できれば,柴田さんのコメントに,さらに応答するようなコメントを寄せていただけるとありがたいのですが・・・・。これは,読者のみなさんへのわたしからのお願いです。よろしくお願いいたします。

『「対米従属」という宿痾』鳩山由紀夫×孫崎亨×植草一秀対談(飛鳥新社,2013年6月27日,第一刷)を読む。

 6月27日(木),いつものように鷺沼の事務所に向う。駅を降りたところで,なんとなく本屋さんに寄りたくなる。そこで,いきなりわたしの眼に飛び込んできた本がこれ。なんというタイミング。孫崎亨氏が鳩山由紀夫氏と接近していることは知っていたが,そこに植草一秀氏が加わっていたとは知らなかった。これは面白い,タイミングも絶妙。即買。

 鳩山由紀夫氏の,一見したところ突飛もなくみえる言動をメディアは「宇宙人」的言動として囲い込み,奇人変人扱いすることで事なきを得る戦略にでて,それが成功しているようにみえる。そして,鳩山由紀夫氏の思い描く理想(祖父・鳩山一郎の描いた「友愛」社会の実現,など)を,さも夢物語であるかのごとく握り潰し,経済(それも「新自由主義」経済一辺倒)を支える既得権益集団(すなわち,原子力ムラを筆頭に,さまざまな分野に深く根を張っている既得権益をなにがなんでも守りとおそうという集団)の思うままに政治を動かそうという露骨な姿が,ここにきてますます強くなってきている。このことは,最近,とみに冴えてきた『東京新聞』の報道をみているとよくわかる。鳩山由紀夫の理想や言動は,そういう既得権益集団の圧力のもとで,「尾ひれ」までつけられて罵倒され,抹消されているのが現実の姿である。

 はたして,鳩山由紀夫とはいかなる人物なのか。そして,その実像はどうなのか。なにを考え,なにを根拠に,なにを主張しようとしているのか,このあたりで一度,しっかりと自分の眼で検証しておく必要があるだろう。この本は,そのための一助になるだろう。もっと知りたい人は,2011年12月,『NATURE』(科学誌)に掲載された論文(鳩山由紀夫・平智之共著)を読むといい。国賊どころか,きわめて高い理想をかかげ,日本という国家の行く末をみすえた立派な国家戦略を明らかにしている。なのに,既得権益集団は一致団結して鳩山由紀夫の主張を徹底的に排除・隠蔽することに全力を挙げている。

 その結果,鳩山由紀夫という人物は,まことに奇怪しな人だと,多くの人たちは信じて疑おうとはしない。つまり,既得権益集団の流す粉飾情報によって,わたしたちは,ほぼ間違いなく騙されてしまっているのだ。嘘と詭弁で塗り固められた大手メディアによる「情報」を一度,ひっぱがして,その裏にうごめいている恐るべき「力学」を,自分の眼で見届けることが不可欠だ,とわたしは考えている。その手始めにこの本をお薦めしたい。

 孫崎亨氏は『戦後史の正体』で電撃的デビューをはたし,いっとき,メディアも注目していろいろと話題になったとおりである。その後も立て続けに本を出版して,わたしたちが「目隠し」にされていた,まったく新しい「戦後史」を剥き出しにしてくれた。そのために,鳩山由紀夫氏と同じように,またまた既得権益集団から睨まれることになった。が,この人もまた,みずからの信念にもとづき,糺すべきことは糺す,という姿勢を貫いている。

 植草一秀氏についても,しばらく前に,いささか信じがたいような醜聞が流れ,だから,人格失格であるかのようにして既得権益集団から「制裁」を受けることになってしまった。しかし,この人の書くものは秀逸で,わたしなどはどれほど啓蒙されたかわからない。最近は,エコノミストとして金融市場の動向や政治の動向に鋭い分析を繰り広げている。そして,いまも時代の最先端に立つ言説を提示する論客として多くの読者をもっている。

 この三者による対談は,まことに刺激的である。ここでも「棚上げ」以外に日中友好の回復はありえない,という点でこの三者は一致している。しかも,その根拠までしっかりと提示されている。ここにはいろいろの論点がふくまれているが,少なくとも,日本はポツダム宣言により,無条件降伏をした「敗戦国」であるという認識に立ち返って,尖閣諸島の問題を捉え直さないといけない,という主張にわたしは賛成である。

 最後に,三者の言い分をコピーから引いておこう。
 鳩山由紀夫:既得権益の外にいる多くの国民には事実が隠蔽されている。
 孫崎亨:ほとんどすべての問題で問題を正視することなく,嘘と詭弁で事態が進行している。
 植草一秀:主権者のための政治がいま,既得権益の政治に完全に引き戻されつつある。そして,米国が支配する日本,米国に支配される日本の様相がより鮮明になりつつある。

 ぜひ,ご一読をお薦めします。

2013年6月27日木曜日

「身体──ある乱丁の歴史」(今福龍太講演録)に圧倒される。

 今日(26日),『スポートロジイ』第2号の再校ゲラがとどきました。これの編集をお願いしているみやび出版の伊藤さんから,まずは今福さんの講演録から読んでみてください,とコメントがありました。初校のときには,わたしは時間がなくて,別の人の原稿を一生懸命に読んでいました。今福さんのものは伊藤さんがしっかりみてくださるものと信じていましたので,あとまわしにしていました。ただ,今福さんからは,直接お会いしたときに,しっかり手を入れたいと思っている,とお聞きしていましたので,どんな風になったかなという密かな期待はありました。

 が,今日,真っ先に読ませていただいて,ビックリ仰天でした。これは書き下ろしではないか,と。しかも,その密度の濃さに圧倒されてしまいました。最初の第一行からわたしのこころを鷲掴みにしてしまい,夢中になって読んでいるうちに,なんどもなんども無呼吸状態になって苦しくなり,びっくりして深呼吸をする,ということの繰り返しでした。最後まで一気に読まされてしまう,恐るべき内容になっています。

 さて,この今福さんの講演録のすごさをどのように表現したらいいものか,これまた大変なことです。まあ,思いきって,わたしの受け止めたままを,ひとことで言ってしまえば,これは現代という時代・社会を生きる人間としての,こころの底からの「スポーツ批評」そのものではないか,ということです。つまり,いま,わたしたちの目の前で起きている「近代競技スポーツ」(今福さんの独特の用語)の諸矛盾について考えていくと,そのさきには身体に埋め込まれた始原の記憶が待ち受けている,だから,その身体の始原の記憶や身体の生成の記憶をいま一度探り出すことによって,これまで潜在化していた「スポーツの本質」を浮き彫りにすることができるのではないか,とわたしは受け止めました。

 「スポーツ批評」といえば,この講演録のなかで今福さんも触れているのですが,ご自身の書かれた『ブラジルのホモ・ルーデンス』が想起されます。なぜなら,この本のサブタイトルは「サッカー批評原論」となっているように,徹底した「サッカー批評」を展開されています。それを,こんどは「スポーツ批評」全体に拡大し,具体的な例を挙げて,説得力のある,明晰な分析の妙味を堪能させてくれます。そのあまりの迫力に圧倒されてしまい,ついには,なんども無呼吸に陥る,という次第です。でも,それがまた快感であり,快楽でもありました。

 とまあ,どんな風に表現してみても,表現不足。自分でまどろっこしくなるばかりですので,その触りの部分を引いておきたいとおもいます。たとえば,以下のようです。

 「・・・・いずれにしても,我々の身体と歴史の間の呼応関係,相互の干渉,紛争,そういう問題がここに出てきます。我々の身体に刻み込まれている歴史とは何か。それは,近代のスポーツを取り上げてみれば明らかになるわけですけども,そごで明らかになるのは支配的な歴史,制度的な歴史,権力によって構築されてきた歴史です。それは,われわれの近代の歴史そのものが戦争という,ひとつの強力な社会の変革力,それを軸にして語られてきたということを示しています。歴史は常に戦争という変動力をひとつの軸にして語られてきたわけですね。それとちょうど並行するように,戦争を擬似的な対抗原理として受け止めた時に「競争」という原理が出てきます。この戦争や競争あるいは勝敗原理といったものによって貫かれている歴史が,まさに近代スポーツという身体の中に深く刻み込まれている。この戦争,競争,勝敗原理という連続体が歴史として,われわれのスポーツする身体の中に深く刻み込まれているのです。」

 と述べた上で,多木浩二の「写真論」を援用して,歴史というものにも乱丁や落丁がある,写真とはその歴史の乱丁や落丁の証しであり,表現である,と述べた上でつぎのように今福さんは持論を展開されています。

 「この示唆を受けて,ここで私は身体というものも一つの歴史の乱丁の証と考えることができないであろうか,という問いかけをしたいと思うのです。これは,先ほど言ったような戦争,競争,勝敗原理といった連続体によって刻み込まれた歴史ではなくて,むしろそういう歴史の中で忘れ去られているある乱丁や落丁の痕跡です。それが身体の奥深いところに刻み込まれているのではないかということです。そこには,歴史の亀裂が封じ込まれているのではないか。支配的な歴史によっては捉えることができないような断片的な歴史が,乱丁のように,迷路のようにして身体の中に沈んでいるのではないか。正当な歴史的視点によっては見いだされないある種のリアリティが身体の中に眠っているのではないか,そういう問いかけです。」

 こうした伏線を布いた上で,さまざまな具体的な事例を引き合いに出して,詳細な考察を加えていきます。たとえば,ロンドン・オリンピックでの柔道の「ポイント制」「ジャッジ」「指導」「審判」「これは柔道ではない」「ビデオ判定」などについて。そして,最後につぎのように述べています。

 「写真が歴史の乱丁であり落丁であると多木さんは言われたわけですが,写真はその成立の初期から人間の身体を最も大きな対象としてずっと撮り続けてきたことも事実です。ですから,写真と身体は非常に深く関わっている。その写真映像が逆にデジタルな事実をつくり出してスポーツを搾取しようとしているのは,身体と写真映像の深い関係の反作用として生まれた問題かもしれない。ともかく,スポーツの探求は,歴史哲学的な探求としての歴史の乱丁や落丁を探り出すという作業につながってくるだろうと思います。身体という亀裂,空白,揺らぎ,その中に競争原理から離れた固有の美しさや快楽を探すことは,そうした思想的な探求につながっていくに違いないと私は確信しています。」

 ここで述べられている「スポーツの探求は,歴史哲学的な探求としての歴史の乱丁や落丁を探り出すという作業」という言説が,わたしには強烈な印象となって残りました。

 この今福さんの講演録が掲載される『スポートロジイ』第2号は,いまのところ7月15日発行の予定で進行しています。明日には,再校ゲラをもどすことになっています。今夜は眠れそうにありません。

2013年6月26日水曜日

日本は尖閣諸島を国有化したときから戦時体制に入ったのか。河野洋平親子,鳩山由紀夫,野中広務は国賊?恐るべき言論統制。

  日本はとうとう戦時体制に入ってしまったかのようにみえる。それもひとり芝居の結果として。つまり,尖閣諸島は日本国の固有の領土であると一方的に「国有化」宣言をしたことによって。当然のことながら,中国は黙ってはいない。毎日のように,「領海侵犯」(これもまた日本国の一方的な言い分)をくり返すことによって,中国はわれわれにも領有権を主張する根拠があるとして,みずからの意思を表明する。こうした一触即発の緊張状態を招来したのは,ほかならぬ日本国だ。

 1972年の「日中友好平和条約」締結時のいきさつを想起すべし。ここに書き記すまでもなく,田中角栄とトショウヘイの間で話し合った結果,尖閣諸島の領有権については「棚上げ」,ただし,日本による「実行支配」は認める,というところで妥結した。そして,領有権については,いつか平和的に話し合い,解決できるときがくるだろう。それまで「棚上げ」にしておこう,と。中国側のこの「おとな的」態度表明によって,念願の「日中友好平和条約」を締結するところまでこぎつけることができたのである。

 しかも,40年もの長きにわたって,両国はこの了解事項(「棚上げ論」)のもとで「友好親善」を保ってきた。そして,日中両国による「40周年記念式典」まで準備されていた。その矢先に,突如として豹変したのは日本国である。しかも,なんの「予告」も「話し合い」もなしに,突然だしぬけに,「棚上げ論」を破棄して,一方的に「固有の領土」宣言をしたのだ。これでは中国は黙って見過ごすわけにはいかないだろう。

 このことを鳩山由紀夫は「だまし取ったも同然」と発言したまでのことだ。すると,政府はもとより,メディアもこぞって,もちろんネトウヨも,声を揃えて鳩山由紀夫を「国賊」扱いにする。鳩山由紀夫はまことに素直に,みずから信ずる考えを述べたにすぎない。しかも,この発言は正鵠を射ている。あまりにもほんとうのことを正直に言ってしまうと,とたんに「国賊」扱いにされてしまう。鳩山由紀夫が「国賊」なら,このわたしも「国賊」だ,というブログを以前にも書いている。

 「国賊」扱いには参る。このことに怯えている人はたくさん居るはず。まずは,政治家たちだ。河野洋平・太郎,野中広務のような勇気ある立派な政治家を除けば,あとは,みんな「だんまり」を決め込み,野田,安倍の主張する超党派の「固有の領土」論に追随するのみだ。

 しかし,長老と呼ばれる政治家たちは1972年の条約締結当時のいきさつを,よもや忘れてはいまい。そして,いま,現役の政治家の多くは,その当時,だれかの秘書として政治家を目指していたはずだ。だから,その当時のいきさつを知らないはずはない。なのに,みんな「だんまり」を決め込んでいる。無責任。良心のかけらもない。長いものには巻かれろ族。「国賊」とはこういう人たちのことを指すことばのはず。

 なのに,財界・官僚はいうまでもない。メディアも同じ。頼みの学界もトーン・ダウンして,みんな「右へならえ」だ。こうなると,すべての情報は,政府見解の思いのままとなる。その結果,圧倒的多数の国民は,尖閣諸島は日本固有の領土だと信じて疑わなくなる。ここから大きな悲劇がはじまる。

 「物言えば唇寒し,秋の風」。これでは,まさに,言論統制そのものではないか。

 実行支配を維持していれば,いずれは固有の領土となる。これは国際法のルールでもある。なのに,わざわざ,「日中友好平和条約40周年」(昨年)のこの時期に,「棚上げ論」などはなかった嘯き,固有の領土論をぶち上げなくてはならなかったのか。そのために,どれほどの「国益」を失ったことか。そして,これからも「棚上げ論」に戻らないかぎり,半永久的に尖閣諸島をめぐって日中は「戦時体制」を維持しなければならない。こんな無駄な,国益に反することを,なぜ,いま,しなければならなかったのか,わかりやすく説明してほしい。

 できることなら,『世界』のような雑誌に実名で投稿してほしい。そして,そこを舞台にして,お互いに実名で,みずからの信ずるところを開陳し,大論争を繰り広げてほしい。そういうこともしないで,ただ,メディアを使って「国賊」呼ばわりして,切って捨てるようなやり方は,じつにアンフェアだ。正々堂々と,公明正大に,議論しようではないか。

 少なくとも河野洋平は,いちはやく,『世界』にみずからの信ずるところを,すなわち「棚上げ論」があったことを述べ,ここに立ち戻るべきだ,と主張している。が,これに対して,異を唱える論考を『世界』に投じた政治家は,わたしの知るかぎりひとりもいない。こちらもまた「無視」である。これがアベノミクスのやり口だ。自分の都合の悪いところは高圧的に蓋をして,都合のいいことだけを言挙げする。そして,世論を動かそうと企んでいる。

 しかし,そうは問屋は卸さない,とわたしは信じている。アベノミクスが破綻するのは,もう目の前にきている・・・・これはわたしの直観である。そのあとにくるのは,ふたたびの「腹痛」。政権「投げ出し」。それが非現実的な話ではないところが怖い。自民党のなかでは,すでに,次期首相候補がとりざたされている,という。

 このブログのまとめ。戦時体制からの脱却=言論統制の撤廃,すなわち,「棚上げ論」に立ち返ること。これあるのみ。これなしに日中に友好・平和は訪れない。間違っても,河野洋平・太郎,野中広務,鳩山由紀夫を「国賊」呼ばわりをしてはいけない。「国賊」呼ばわりする人間こそが「国賊」だ,と知るべし。

サツマイモ畑に花が咲く,というお話。

 子どものころ,つまり,敗戦後のまもないころ,食料確保のために,わずかばかりの畑にいろいろの作物を植えて,母親が必死になっていた。父親もまた,昼の勤務を終えてから,腰に懐中電灯をつけて畑にでかけていた。当然のことながら,子どもたちもみんなで畑を手伝っていた。生き延びるために家族が一致団結していた。兄弟喧嘩も絶えなかったが,それでも協力すべきときは仲良く力を合わせていた。その意味では深い情愛に結ばれていたように思う。

 そんな敗戦直後の食料難の時代の主食はサツマイモであった。くる日もくる日もサツマイモで飢えをしのいだ。しかし,この時代のサツマイモは当たりはずれが多く,うまいイモもあれば,まずくて食べられないイモもあった。その当時のもっとも新しくて美味しサツマイモと農林一号と呼ばれた新しく品種改良されたイモだった。その農林一号の苗(つる)を近所の農家から分けてもらって,わが家でも植えることになった。すでに,前の年に「農林一号」という名のサツマイモを一二度食べたことがあって,その味のよさは知っていた。ので,みんな必死で植えた。

 ことしの夏にはおいしいさつまいもが食べられる,と楽しみにしていた。ところがである。奇怪しなことが起きた。つるが伸びてきて,そろそろ地下には芋ができるころだ,イモ堀りも近いぞ,と思っていたら,畑のところどころに花が咲きはじめたではないか。サツマイモに花が咲くとは知らなかった。だから,なにごとか,と初めてみてびっくりした。それも,朝顔に似た清楚な花である。わたしたち家族はだれもこの異変がなにを意味しているのかを知らなかったので,ただ,ただ,傍観するのみだった。

 ところが,ある日,苗を分けてくれた農家の人がやってきて,「いもに花を咲かせちゃあダメだぞん。いもがつかんぞん。」という。なんのことかわからない母親が「どういうこと?」と聞いている。農家の人は「いもはのん,根元の方を活けて,芽の方は土の上に出して植えんと,みんな花が咲いてしまう。そうなると,いもがつかんくなるだぞん」という。そばで聞いていたわたしは「ヘェーッ」とびっくり仰天。

 そういえば,ほとんどの苗は根元と芽がはっきり確認できるものだったので,植え方を間違えることはなかった。が,ときおり,芽の方も切ってあって,どちらが根元なのか芽なのか判断できない苗があったことを思い出す。どちらが芽の方かわからないので,適当に判断して,こっちが根と考えて植えた。それが間違いのもとだったのだ。どうやら母親も知らなかったようで,だから,見分けがつかないまま植えた苗が,あちこちで花を咲かせることになったらしい。でも,それを知ってからは恥ずかしいので,家族交代で朝早く畑に行っては,花を摘むことにした。が,やはり,いもはつかなかった。

 あの花さえ咲かさなかったら,秋の収穫はもっともっと多かっただろうに,とみんなで悔しがった。が,後の祭り。それでも,みんなで苦労して世話をした農林一号の味は格別だった。収穫した当座は,蒸かし芋にして食べた。腹一杯になるほど食べた。米が配給でしか買えない時代なので,圧倒的に少なかった。だから,米のごはんにもサツマイモを角切りにして混ぜて増量した。このご飯も美味しかった。

 秋も深まり冷たい風が吹きはじめると,蒸かしたイモを薄く切って,ゴザの上に並べて干した。うっすらと白い粉が吹き出てくると完成である。これは保存食として大事に保管された。冬の間のおやつはこのイモ切り干しだった。わたしの育った地方ではイモ切り干しと呼んだが,東京にでてきたら「干しイモ」と呼ばれていて驚いた。

 いまごろになって,突然,こんな話を思い出したのは,ある人から「ジャガイモの苗木にトマトを接ぎ木すると,ジャガイモとトマトの両方ともとれる」という,とんでもない話を聞いたからだ。この話はまたいつか書くことにしよう。

 今日は,サツマイモ畑に花が咲く,という子ども時代(小学校3年生)の,なんとも笑えない懐かしい思い出話まで。 

2013年6月25日火曜日

全柔連上村会長のけじめのつけ方にひとこと。

 昨日(24日)に開催された全柔連理事会のあとの上村会長の記者会見で,つぎの理事会(10月予定)の結果をみとどけて辞任したいと発表。自分の手で「改革」をなしとげることが使命,それがうまくいけば辞める,という。ということは,うまくいかなければ「辞めない」ということだ。

 なんともはや,心根が腐っている。いま,現在の,全柔連会長としての「けじめ」のつけ方がまったくわかっていない。そのことをきちんと教えてくれる人もいない。はだかの王様と同じだ。こうなるとみじめとしか言いようがない。全柔連のほかの理事の人たちはなにを考えているのだろうか。こちらの方も硬直化してしまった組織のなかで,沈黙を守るしかないようだ。こんな組織体に「改革」ができるはずもない。自明のことではないか。

 新しく女性理事4名を加えることが「改革」だと思っているとしたら大間違いだ。これは世を憚るための単なるめくらまし(猫騙し)にすぎない。4名の女性理事を加えたからといって,先輩・後輩のしがらみで硬直化してしまった組織体にはなんの関係もない。世間がうるさいから,添え物として入れておこう,くらいの感覚ではないのか。

 もし,この4名の女性理事のなかで,比較的自由に発言できるとしたら橋本聖子外部理事だけだろう。それでも,橋本聖子氏のこれまでの言動の印象では,こころもとない。自分の役割をきちんとこなすだけの度量があるとは考えにくい。彼女はどこまでも自民党参議院議員としての立場にこだわり,その上での計算・打算で動く人でしかない。全柔連のあり方そのものを大所高所から「批判」するだけの見識も度量もあるとは思えない。それ以前に多勢に無勢だ。

 ましてや,他の3名の元柔道選手の抜擢も,現体制維持に都合のいい人材を選んだことは目に見えている。おそらく,この3名の指名された理事は,なんの疑問をいだくこともなく,すんなりと引き受けるだろう。その程度の認識しかないのだから。だが,そここそが大問題なのだ。

 もし,今回の不祥事の本質がわかっているとしたら,執行部が現体制のままでは引き受けられない,と拒否すべきだろう。それが「15名」の勇気ある女子選手たちの「直訴」への,良識ある応答の仕方というものだ。その点,山口香さんの眼力は鋭い。今日(25日)の『東京新聞』には,このことを力説する山口香さんの発言がきちんと報道されていた。この人はものごとの本質をきちんと理解している。みごとだ。

 一度,腐らせてしまった組織は,もう元には戻れない。ましてや,みずからの手で元に戻すことなどは,余程の奇跡でもないかぎり,不可能だ。新しいワインは新しい革袋に入れろ,という(『新約聖書』マタイ伝第9章)。もともとの意味は,新しいワインを古い革袋に入れると,新しいワインが発酵して(当時のワイン)古い革袋を破ってしまい,こぼれてしまうからだ,という。このことを援用して,イエス・キリストが「ユダヤ教のなかにキリスト教を入れることはできない」という比喩として「新しいワインは新しい革袋に入れろ」と言った,と辞典には書いてある。

 せっかくの4名の新しい女性理事を受け入れるのであれは,その組織体は執行部総入れ換えをしたあとの,まったく新しい全柔連でなくてはならない。そうしないと,いまの全柔連という古い組織体は恐ろしいほどに硬直化しているので,そっくりそのまま飲み込まれてしまう。つまり,朱に交われば赤くなる,を地でいくようなものだ。しかし,ことばの正しい意味で「新しいワインを古い革袋に入れる」と,この4名の女性理事が,本来の理事としての役割をはたせば果たすほどに,古い全柔連という組織体が壊れてしまう,ということになる。そんなことはこれまでの全柔連理事会をみているかぎりでは,まったく期待すべくもない。

 結論は,全柔連は一度,組織解体をして,基礎から立ち上げるしかない,ということだ。そのための蛮勇を奮うことこそ,いまの上村会長のとるべき「けじめ」ではないか。

 それを「10月を目処に辞任」だって? そうではないでしょう。「今でしょ!」

百獣の王ライオンのつもりが,ふと気づいたら山羊になっていたロック歌手の話。

  40半ばのロック歌手の知人と,久し振りに会って話をする機会があった。そのときに,そのロック歌手がとても面白い経験を話してくれた。かれの言うには,自分でもよくわからないが,どことなく快感で,どことなく空恐ろしい,そんな感覚がミックスしているようなところに,いま,おれは飛び出してきて,毎晩,ワクワクしながら真暗な森の闇のなかで練習している,という。

 中学生のときに衝撃的なロックとの出会いがあって,高校生でロックで生きていくことを決意。以後,勉強もそっちのけでロックに全身全霊で没入。それまでは優等生で両親の期待を裏切ることになった,という(この話はご両親からも伺っている)。デビューしてまもなくはそれなりに人気もあって,よし,東京で勝負と決意して上京。必死で頑張ったが,夢敗れて帰郷。その後も,郷里でアルバイトをしながら地味にロックのライブをつづけてきた。

 売れても売れなくてもいい。おれは一匹狼でかまわない。みじから信ずるロックを追求し,それを人に聞いてもらう,それだけでもいい。おれは百獣の王ライオンだ。この高みから吼えるロックはなかなか理解してもらえなくても仕方がないだろう。それでもなお,汚れきった世の中に向かって,あるいは,だらけきった人間に向かって,「それは違うだろうっ!」と鬱積する自分のこころを聴衆にぶっつけることに集中する。そういう自己と真剣に向き合うことをみずからに課してきた。それこそが理想のロッカーの生き方だと信じた。このコンセプトが自分のロックを支えてきた。それだけで,大満足だった。日々のつらいことも乗り越えることができた。

 その練習場として借りていた山羊小屋が解体されることになり,突然,その小屋から追い出されることになった。仕方がないので,近くに墓場のある森のなかの闇夜で練習をしているという。それもたった一人で。山羊小屋の解体とともに,バンド仲間もいつしか解体していた。長年の同志だったが,やはり,家庭の事情や考え方にも少しずつ差異が生まれていた。それも仕方のないことだ,と自分でも納得できた。しかし,おれは百獣の王ライオンだ。どんなことがあってもくじけはしない。最後まで自分の意思を貫くつもりだ。それで野垂れ死にしても構わない。自分の生をまっとうしたい。それが「生きる」ということだ。最後まで一本の道を貫いて生きとおしたい。

 だから,いまは,たった一人で,毎晩,その森のなかに分け入っていって練習をしている,という。そうしたある夜,闇のなかに光る眼が近くでじっと動かないでいることに気づく。どうやら猫らしい。こちらは無視して練習に集中している。猫はじっと聞いているのか,と気づく。えっ,どうして?と変な気持ちになる。この猫が現れる夜も現れない夜もある。が,現れたときにはじっと聞いているとしか思えない,そういう気配が伝わってくる,という。それが最初のきざしだった。

 そのうちに,夜の闇全体が,おれの音楽に耳を傾けているのではないか,ということに気づく。近くの木も遠くの木も,そして,その枝や葉っぱも,みんな聞いている。足元の草むらも,石ころも,みんな一体になっているような気がする。こちらが音を出すと,それにみんなが耳を傾けてくれる。その雰囲気がおれに跳ね返ってくる。それに刺激されて,いつのまにかおれも夢中になって音を出している。森全体と,闇全体と,おれとが一体化していると感ずる。

 そんな夜がつづいたある夜、突然,気づく。おれは百獣の王ライオンではなくなっている,と。これまでのように,こちらから一方的に吼えているだけではない,と。得体のしれない存在全体からの応答に自分が反応し,そこからおれの音楽がはじまっている,と。おれは,おれが音を出して,おれを取り囲む森の闇夜に音楽を聞かせてやっていると思っていたが,気づいたら,音を出せと促され,音楽をやらされている,と気づく。おれはロックをやっていると思ってきたが,そうではない,いつのまにかロックをやらされている。この感覚はなんだ?と気づいたときから,おれの音楽が変わりはじめた。いまは,どんな音が飛び出してくるか,そのときになってみないと自分でもわからない。それが,たまらなく快感であり,同時に,空恐ろしくもある。でも,明らかにこれまでとはまったく違う次元に突入したと思っている。もう,前に進むしかない,と覚悟している。

 さらに,極めつけのことばを吐いた。

 山羊小屋で練習しているときはなにも思っていなかったが,どうやら,その山羊小屋で飼育され,人間に食べられていった山羊たちの霊魂がおれに乗り移ってきたのではないか,と思う。山羊は食べられる時を知っているという。明日はいよいよ食べられてしまうという日は,一日中,「めえー,めえー,めえっ,めえー,めえっ,めえっ」と鳴きつづけると聞いている。そうして「食べられて」しまった山羊たちの霊魂があの小屋にはいっぱい宿っていたのではないのか,そして,おれたちの練習を聞いていたのではないか,と思う。

 その霊魂たちも小屋の解体とともに居場所を失った。どこに行けばいい,と路頭に迷ったはずだ。そうしたら,そんなに遠くない森のなかから,どこかで聞いたような音が聞こえるではないか。よし,あそこだ,というわけで押し寄せてきて,そこにたったひとりで音を出しているおれのからだに乗り移ったのではないか。そう思ったときには鳥肌が立った。どうしようかと思った。でも,ロックは止められない。おれひとりでもやっていく。だったら,この山羊たちの霊魂と運命共同体となればいい,と覚悟する。

 それと同時に,ある強烈なメッセージが山羊たちの霊魂から届いた。「明日は食べられてしまうと思って音を出せ」と。もう,今夜限りだと覚悟を決めて音を出せ,と。そうか,おれは甘かった,と気づく。これまでは,おれが作詩・作曲して,おれが演奏し,おれが歌うことによって百獣の王ライオンであると信じてきた。しかし,それは違うのではないか,と。明日なき「生」を生きる,ぎりぎりのエッジに立って,いま,この瞬間,瞬間に飛び出してくる音だけがすべてだ,と。このことを山羊の霊魂たちに教えられた。

 おれは百獣の王ライオンだと信じてこれまでロックをやってきたが,気づいてみたら,いまや立派な山羊になっていた。明日は食べられてしまう山羊のこころになってロックをやる。このことがなにを意味しているのか,おれにはよくはわからない。でも,この方がはるかに自然な気がする。そして,この方がワクワク・ドキドキ感があって,どこか空恐ろしいが同時に楽しい。

 最後には,もっと踏み込んだ話をしてくれた。おれはどうも自分がなくなっていくような気もする。まるで「無」の境地に近づいていくような気がする。これってなんだろうと思いながら,しばらくは仲良く付き合おうと思っている,とも。わたしは,ただ,ひたすら,感心しながら聞き入っていた。この男,いいところにやってきたなぁ,と。これからが,いよいよかれの持ち味全開のロックの表出となることだろう,と思いながら。そうして,最後は,自分の吐いたことばに,じっと耳を澄ますようにして黙り込んでしまった。これ以上はことばにすることはできない,というサインだとわたしは受け止めた。

 とてもいい話をしてくれてありがとう,とこころからお礼を述べてこの場を終わりにした。
 ほんとうは,かれの話を,わたしのことばで解説したいという欲望が強烈に湧いてきたが,ここは禁欲することにした。黙っていても,かれはかれのやり方で,もっともっといい地平に躍りだすことは間違いないのだから。

 どの世界にあっても,しっかりと対象をみつめ,地道に血のにじむような努力を積み重ねると,人間はみんな同じ「場所」に到達するんだなぁ,としみじみ思う。このロック歌手にこころからのエールを送りたい。

田中英光の短編小説『桜』を読む。

 今週末に予定されている『スポーツする文学 1920-30年代の文化詩学』(疋田雅昭/日高佳紀/日比嘉高編著,青弓社,2009年)をテクストにした研究会(「ISC・21」6月奈良例会)が近づいてきて,なんとなくわくわくしはじめています。なぜなら,このテクストの編著者たちのお話が伺えるということなので,こんなありがたい話はないと思うからです。

 以前から,この本の存在は気がかりになってはいましたが,なかなか踏み込んで読む,というところまではいかないままでじた。が,今回の奈良例会では,世話人の井上邦子さんが,このテクストの編著者のひとり日高佳紀さんと連絡をとってくださり,うまくことが運びました。ほかの編著者の方たちも2名ほど参加してくださるとのことですので,われわれとしても失礼のないように・・・・と考えている次第です。

 詳しい情報は,「21世紀スポーツ文化研究所」(ISC・21)のホーム・ページの「掲示板」にアップされていますので,そちらをご覧ください。

 で,わたしに与えられた役割は,このテクストの最後の章「スポーツしない文学者──祭典の熱狂から抜け落ちる『オリンポスの果実』」(疋田雅昭)のコメンテーター。とはいっても内輪の小さな研究会ですので,学会やシンポジウムなどとは違って,ごくアットホームな雰囲気のなかでの話題の提供。でも,一応は他流試合のような「場」になることは間違いないので,それなりのマナーは必要かと考え,できるだけの準備はしていこうと考えているわけです。

 といいますのは,このテクストの著者のみなさんは日本文学の専門家ばかり。それに引き換え,わたしたちはスポーツ史・スポーツ人類学・スポーツ文化論をフィールドにして研究をしてきたグループです。ですから,言ってしまえば,視点が間逆になっている,と言ってもいいかもしれません。たとえば,わたしたちは「スポーツ」という窓口から「文学」に踏み込んでいくのに対して,このテクストの著者の方たちは「文学」を拠点にしながら「スポーツ」を読み解く,というように。

 ですから,わたしたちに不足するものは「文学」についての基礎的な教養です。そのギャップを埋める努力はしておかなくては・・・とわたしなりに考えているところです。そんなわけで,まずは,書店で手に入った『桜・愛と青春と生活』(田中英光著,講談社学芸文庫,1992年)を読みはじめました。その冒頭に「桜」が載っています。田中英光という作家の出自を知る上では,なかなかいいテクストではないかと思いました。その冒頭の書き出しは以下のようです。

 「ぼくの家の祖先は伊予の国の住人,河野通有だということである。もちろん,系図などある家柄ではないから,確な保証はできないけれども,幼年時に,父からなんども直接聞いた話だから,間違いないことだと自分では信じている。歴史家であった父は,ぼくの十二のとしに,悲しくも,この世を去り,母は頭が古すぎ,兄はまた新しすぎて,それぞれ家系などに興味はないようであるから,いま,東京に手紙を出しても,簡単に確める方法はない。けれども,ぼくの記憶に残る父の話をいくらか思い出してみると,とあれ,伊予の国から土佐の国に移り,岩川氏を名乗ったのは,そう古いことではないようだ。
 むろん新しいと言っても戦国時代以後のことではあるまい。長曽我部氏が覇(は)を称(とな)える以前に,土佐に移り,長曽我部氏に亡ぼされた,確か豪族の遺臣であったように思う。だから,長曽我部浪人には関係なく,まして,関ヶ原以後移住してきた山内家の上士にもなれなければ,下士でもなかった訳げある。」

 少し長くなってしまいましたが,こういう家柄の出身であるということを,田中英光ははっきりと意識していたということは注目していいのではないか,とおもいます。かれの父親は長男であるにもかかわらず,家出をして上京し,苦労の末に,高級官僚としての出世街道を走ります。もう少しだけ,さきの引用のあとを書いておきたいとおもいます。

 「高知から四里ばかり離れた,土佐山村という,まったくの山の中に引っ込んで,近世は代々農(のう)をももって生活を営(いと)なんでいたらしい。しかし,まったくの農夫になり切らなかったということは,ぼくの曾祖父さんが村の神主をしていたという事実だけでもわかる気がする。曾祖父の岩川秀彬は関山と号する漢詩人で,村の寺子屋の先生もしていて,儒書(じゅしょ)をもっぱら講じていたらしいが,それより,亡父がいつも自慢にしていたのは,熱心な国学者で,したがって,その時代としては立派な尊王家であったということだ。」

 こんなことを知ると,やはり田中英光という作家も,相当の家柄の出身であることがわかってきます。土佐の山奥の出でありながらも,そのむかしは相当の名のある豪族であったこと,だからこそ,こんな山奥まで逃げのびる必要があったこと,もみえてきます。むかしから,山奥から偉大な人物が輩出することはよく知られているとおりです。

 この短編小説は,このあと,作家の記憶を頼りに「岩川家」にかかわる人脈や出来事が,かなり露骨に描かれていきます。そして,最後には,父が出奔した土佐山村の実家まで,尋ねていきます。そして,そこでの感慨がみごとな描写になっていて,読む者のこころを打ちます。

 その一端を引いて,このブログを閉じたいとおもいます。

 「山高く水清いこの土地で,父が燃やした世俗的な野心は,かえってお初さんの忍従さに負けた気さえした。いや,父ばかりではなく,当時の地方の新青年たちは,なにを追って東京市に出ていき,東京であくせく闘ってきたのであろう。政治,学問,芸術,それら純粋なるべきものの,かえって不純な姿を,お初さんの無言実践十年の婦道(ふどう)に較べてみた。ぼくは,お初さんの行き方ほど,清潔で緩みのないものをぼくは知らなかった。金のためでも名のためでも欲情のためでもなく,お初さんは日本の血と土地,そのままに生きてきた。」

 ※お初さんとは,田中英光のいとこの嫁。つまり,父が出奔してしまったために,父の弟が跡を継ぎ,その息子が跡を継いでいる。が,ここには大きな悲劇があった。父の弟が病に倒れ,その跡取り息子が発狂してしまう,という事件が起きる。田中英光の父親は驚いて駆けつけ,その場で,なにをやっていたのだと弟を叱責します。そのために弟は首をつってしまいます。病に倒れた父もまもなく死んでしまいます。残されたのは,発狂したままのいとことその嫁のお初さんと息子(12歳)だけ。お初さんは発狂したままの夫の世話をしながら,農業に勤しみ,息子と二人でこの家を守っています。このお初さんの「自然そのままに生きて」いる姿に,田中英光は感動してしまいます。その描写が,最後のクライマックスとなります。

 ※わたしにはとてもいい小説だと思いましたが,解説を書いた川村湊は,なぜか上から目線で田中英光を見下ろすような論評をしています。なにかないものねだりをしているように見受けられたのですが,これは,わたしとは立場が違うから,という単純な問題ではないと考えています。シモーヌ・ヴェイユが『根をもつこと』のなかで主張していることと,どこかで響き合うものが,わたしには感じられ,川村湊の論評には賛同しかねます。もちろん,素晴らしい指摘がたくさんあって,とても勉強になることは間違いありませんが・・・・。それでも,最終的に田中英光という作家をどう評価するのか,という点ではまったく違う結果になってしまいます。

 ※こういうところまで降りていって,『オリンポスの果実』をどう読むかという議論ができると面白いと考えています。

2013年6月24日月曜日

都議選は参院選の前哨戦,と言いくるめるメディアはいったいなにを考えているのか。

 都議選で自民党が圧勝,全立候補者が当選した,という。この勢いで参院選も自民党が圧勝するだろう,とメディアは口をそろえる。その根拠に小泉内閣のときの「連勝」神話を,もっともらしくメディアはもちだしてきて,その裏付けにしようとしている。これをくり返されると,テレビの報道に信をおいている視聴者の多くは「ああ,そうなんだ」と無意識のうちに刷り込まれてしまう。もう,すでに,メディアは選挙運動を展開しているようなものだ。

 NHKもふくめて,テレビ・新聞などのメディアのほとんどは原子力ムラの一員だといわれているので,足並みを揃えるかのようにして「都議選は参院選の前哨戦」「連勝」と言い募るのもよくわかる。そして,このままの勢いで参院選も自民党の圧勝へとつなぎたい,その気持ちもよくわかる。

 しかし,そうは問屋が卸さない。

 第一に,都議選と参院選では選挙の論争点がまったく違う。参院選では憲法改定が大論争となるはず。しかも,憲法改定に関しては,無党派層からの鋭い批判がある。とりわけ,子どもをもつ母親は再軍備などはさせない,わたしの子どもを戦争に行かせるわけにはいかない,と強く思っている。都議選には憲法改定の議論はほとんど無視された。もっと言ってしまえば,都議選で政党間の論点になったのはなにか,これにきちんと答えられる人はどのくらいいるだろうか。メディアもほとんど取り上げなかった。だから,なんとなく元気が良さ実にみえる自民党・公明党に票が流れただけの話ではないか。というか,民主党を筆頭にほかの党が自滅してしまっただけの話。その間隙を縫うようにして,漁夫の利をえたのは共産党だ。

 こうした憲法改定を筆頭に,参院選では論争となる点が目白押しである。東日本大震災後の復興に向けて法律はつくったものの,この一年間,なにも手をつけないまま無策であった,という衝撃的なニュースが流れている。被災地の人びとの参院選に向けての選挙行動はそんなに甘くはない。同じように,原発再稼働に向けて自民党が動きはじめていること,のみならず世界に向けて原発を売りに歩く「死の商人」を首相みずからが演じ,世界を飛び回っていること,などにも鋭い批判があること。これらも都議選と参院選とを同列には考えられない大きな理由である。

 TPPが日本の農業を破壊することを危惧する農協の存在もまた,参院選では大きな影響を及ぼすだろう。しかし,都議選では,農協の組織票はほとんど影響はなかったはずだ。同じように,中小企業の関係者も,都議選にはあまり大きな影響力はなかったようだ。しかし,参院選では無視できない存在となるはず。

 沖縄自民党は政府自民党と真っ向から対立している,この矛盾。

 などなど,都議選と参院選では,選挙の「土俵」が違う。なのに,都議選を参院選の前哨戦と公言してはばからない。いったい,メディアはなにを考えているのか,といいたくなる。そして,とどのつまりは,ああ,あの原子力ムラの代弁者なのか,というところに落ち着いてしまう。

 もう少し視点を変えてみると,都議選では投票率(43・5%)が史上第二位の低さだったこと,がある。その理由について考えられることは,多くの都民が自分の一票を投じたくなるような候補者がいなかったということ。その結果として,政党支持基盤の強い自民党,公明党,共産党の3党が躍進し,あとは沈没してしまった。自民党候補が全員当選したというが,その総得票数はそんなには伸びていないはず。その代わりにほかの政党の得票数が伸び悩んだだけのこと。

 参院選では,以上のようにどうしても避けては通ることのできない論点が目白押しである。したがって,その論点をめぐって激しい選挙戦が展開するはずであるし,国民の関心も高くなるはず。だとすれば,投票率は都議選よりはかなり高くなると考えられる。つまり,政党支持基盤のはっきりした組織票とは別に,無党派層の票が伸びてくるということだ。となると,都議選とはまったく違った展開が参院選ではみられることになるだろう。

 このほかにも,都議選と参院選とは決定的に違うという根拠はいろいろある。が,これだけ挙げておけばもう充分だろう。あとは,みなさんで数え上げてみてください。

 このブログでいいたいことは,以下のとおりです。
 メディアというものは,幸か不幸か,意識的にか無意識的にか,結果的には明らかに「世論を操作する」力を持ち合わせている。つまり,わたしたちは知らぬ間にメディアの情報に左右されている,ということだ。だから,都議選は参院選の前哨戦だ,などと繰り返して言ってくれては困る。そして,「連勝」は確実,などとも言ってほしくはない。視聴者の無意識を操作してしまうからだ。

 だから,わたしたちは,このことを前提にしてメディアとの対応の仕方を,戦略的に考えておかなくてはならない。これはとてもむつかしいことではあるが,選挙をするのはわたし自身なのだから。

4日間,部屋の片づけと格闘していました。久し振りの体力勝負。疲労困憊。全身,筋肉痛。でも,いたって元気。

 今週の木曜日(20日)から4日間,ぶっ通しで部屋の片づけをしていました。片づけといっても,ただの片づけではありません。築30年を経過した古いマンションですので部屋の下をとおっている給排水管を全部,新しいものと取り替える工事が7月中旬に予定されていて,その工事のためのスペースをつくらなくてはなりません。

 簡単に言ってしまえば,四つある部屋のうち二つの部屋を空っぽにしなくてはなりません。ですから,四つの部屋にびっしり詰まっていた荷物(そのほとんどは書籍と古くなった書類,雑誌類,など)を二つの部屋に移動させなくてはりません。が,そのスペースはまったくありません。では,どうするか。すべての部屋に分散しているすべての荷物を総点検して,必要最小限のものを残し,あとはすべて廃棄処分にする,そうして,絶対量を半分に減らす,というところからとりかからなくてはなりません。そこで,まずは,そのための区分けがたいへんだ,というわけです。

 しかも,この区分けは他人さまにお願いできる仕事ではありません。ただ,ひたすら,わたしの決断ひとつで「えいやっ!」と決めるしか方法はありません。この決断がたいへんでした。残すか残さないかの判断の基準などというものは,そんなにかんたんには決まりません。少しずつ作業をしながら,このあたりが選別のラインかな,というところが少しずつみえてきます。それでもなお,その日の気分によって,午前と午後では変わってきてしまいます。まあまあ,そんな具合でもっぱら自分自身と葛藤していました。「捨てる」ということはとてつもなく勇気の要る仕事だ,とあらためて知らしめられることになりました。

 その上で,区分けして残すものを段ボール箱に詰めて,ビニール袋をかぶせて,ベランダに積み上げる仕事と,廃棄処分にする書類や書籍・雑誌などを縛ってリサイクル資源にまわすものと,一般のゴミ処分にするものとを区分けしなくてはなりません。

 ですので,後者の仕事は,沖縄から二人の助っ人を依頼して,強引に呼び寄せ,手伝ってもらうことにしました。が,終ってみれば,この二人の助っ人が大活躍。一人はわたしの区分けしたもののうち,廃棄処分にしたものを再チェックしながらロープで縛る仕事をしてくれ,もう一人は保存する書籍を段ボールに詰めて,ヴェランダに積み上げる仕事(その前に,すでにヴェランダに出してあった大量のゴミを処理して,大掃除をする仕事がありました)に取り組んでくれました。この二人がみごとに獅子奮迅の大活躍をしてくれ,大助かりでした。

 沖縄からやってきた助っ人は身内の若い二人で,気力も体力も集中力もすっかり衰えてしまったわたしなどとは比べ物にならないほど,長時間にわたり,じつに内容のある仕事をしてくれました。若さはすごいなぁ,とあらためて感心してしまいました。

 それでも,最終ゴールまでは到達できませんでした。が,全体計画のほぼ7割は終わりましたので,あとの3割の仕事はわたしがひとりでこつこつとやることになります。でも,あと少しと,そのゴールはみえていますので,なんとかやり切れるのではないか,とほっと一息です。

 今日(23日)の午後5時で仕事を打ち切り,助っ人は羽田に向かいました。最寄りの駅まで見送って,戻ってきたら,どっと疲れがでてきたので,とりあえず,シャワーを浴びて,ひと眠りしました。それから夕食の支度をして,泡盛を少々。またまた,眠くなり,またひと眠り。ふたたび起きてきたら,こんどは早くも全身筋肉痛。おやおや,ず。久し振りの体力勝負で精根つきはて,筋肉まで音をあげているようです。

 少しからだを休ませて,また,残りの作業に取り組みたいとおもいます。
 病気をしていたわけではありませんので,どうぞ,ご安心ください。
 取り急ぎ,ブログを休んでしまったいいわけまで。

2013年6月20日木曜日

脱原発の報道が激減し,原子力ムラが復活する,この不気味さ。

 原発再稼働の申請が出されたとか・・・・・。原子力規制委員会が大飯原発再稼働を容認する方向だとか・・・・。死んだふりをしていた原子力ムラがふたたび機能しはじめたとか・・・・。安倍首相は「死の商人」と化して原発のセールス・ゲームに夢中だとか・・・・。

 その一方で,脱原発の声はかき消されてしまっている(『東京新聞』「社会時評」吉見俊哉・「かき消される脱原発の声」「事故の教訓手放さない」18日夕刊)。

 喉元すぎれば熱さ忘れる,という。だから人間は大きな悲劇をやり過ごして,生きていくことができる,ともいう。しかし,忘れてはいけない記憶・教訓まで忘れてはいけない。自分の首を締めたり,子どもたちの命を縮めてしまうようなカタストローフは,どんなことがあっても回避しなければいけないし,忘れてはいけない。なのに,いまの政府自民党は,すでに綻びをみせはじめた「アベノミクス」を旗印にして,そのカタストローフに向かって一直線。脇目もふらず猛進(盲進?)している,かにみえる。

 その頃合いやよしと判断したのか,しばらく死んだふりをしていた原子力ムラがふたたび息を吹き返し,表立って動きはじめている・・・・という。その顕著な例が原発再稼働への一連の流れだ。これから夏場に向かって,まざに出番だとばかりに・・・。

 そういえば,最近のデパートは以前にも増して「明るい」。どうみても過剰照明だ。その上,エアコンが過剰に効いている。老人は5分いるとからだが冷えてしまって,どうにもならない。スーパー・マーケットも同じだ。汗ばんだからだは一気に冷えてしまって,寒い。寒いから外に飛び出す。ほっとする。電車も同じ。駅舎もぐんと明るくなった。エアコンもがんがん効かせていて寒い。だから,常時,上着をもっていないと,都心にでることもできない。

 なんという矛盾。電気をもっと使え,とどこかから指令がでているのではないか。そして,電力不足を「記事」にして,やはり,原発再稼働は必要なのだ,と。みえみえの仕掛け。

 折も折,官房機密費が年間約12億円が支出されているという報道。どこに,どう使おうと一切公表する必要のないカネだという。闇から闇へ。一部の報道では選挙資金にも流れている,とか。一ヶ月約1億円。メディア対策に用いられてもなんの不思議もない。いまや政治はメディア頼みの時代だ。わざわざメディアの眼を引くような「事件」まででっち上げる時代だ。

 選挙運動で候補者に限りインターネットを利用することができる,とわざわざ法律までつくった。ついに「メディア・政治共同体」を構築し,政治が世論を積極的に操作する時代に突入してしまった。それでいて,監視の眼を張りめぐらせる,という。このときの「監視の眼」とは,だれにとっての「監視」なのか。こちらも原子力規制委員会と似たようなものになりかねない。ならば,いっそのこと選挙民にもインターネットを解放して,選挙運動を展開できるようにすればいいのに。そして,とことん「メディア合戦」をやればいい。選挙が面白くなる。若者も参入(乱入)すること間違いなし。

 それにしても,脱原発運動の報道がほとんど眼につかなくなってしまった。吉見俊哉氏が憂えるのもうなづける。わたしは吉見氏とは違ってもっと下品な「勘繰り屋」だから,原子力ムラと官房機密費が手を組んで「脱原発運動」つぶしにかかってきたか,とまことに「素直に」そう思う。こうして,いつのまにやら脱原発運動も終ったらしい,と世間に思わせれば,すべて「めでたし,めでたし」,ということらしい。

 しかし,そうは問屋が卸さない。毎週金曜日には首相官邸前での集会は絶えることなくつづいている。そして,それ以外の場所でも脱原発運動は,さまざまなやり方で展開している。ただ,メディアが無視するだけである。なぜ,メディアは無視するのか。メディアも立派な原子力ムラの一員であるからだ。

 これまでも何回も書いてきたが,原子力ムラとは,政界・財界・学界・報道界・官界の「五位一体」となった運命共同体なのだ。言ってしまえば,わたしたち「世俗界」は八方塞がりになっているということだ。つまり,完全に包囲されてしまっているのだ。それでも,原発は危ない装置なのだということが眼の前で証明されてしまうと,さすがの原子力ムラの「住民」も,一時的に「避難」して,死んだフリをしていた。ところが,頃合いやよし,ということになるとまたぞろ動きはじめる。

 これから一ヶ月。フクシマ,東北復興,沖縄基地,尖閣,TPP,ロシア,憲法,選挙の格差,原発,医療,介護,貧富の格差,正社員とそれ以外,学校教育,体罰,不祥事の連鎖,等々の多岐にわたる政治課題に,とりあえずの結論を出さなくてはならない。幸いなるかな,このところの地方選挙では自民党が大敗している。

 メディアが無視しているだけで,意外に「民意」はしっかりしているのかもしれない。

 わたしの選択の基準は簡単明瞭。いのちとカネとどちらを大事と考えるか。ドイツは「いのち」を選んだ。アメリカは「カネ」に執着している。アベノミクスは「カネ」のみ。「いのち」はいらないらしい。原子力ムラは自分の「ふところ」が温まればそれでいい,お互いの傷を舐め会う「仲良しクラブ」,人非人の集団。

 生きていてこそ「なんぼのもの」。カネが浴びるほどあっても放射能で汚染されたら「おしまい」。生身の人間として「生きる」こと,そこに「根」をはり,互助精神と情愛を軸に社会を再構築する,そのことを最優先する政治家がでてこないか。首を長くして待っているのに・・・・。新人よ,いでよ。インターネットだけで選挙運動もできる。若者の出番だ。ネットの威力を見せつける絶好のチャンスだ。

 それにしても,不気味な雰囲気が,いま,日本の社会を覆っている。この不気味さを取っ払うこと,その第一歩は「脱原発」。すべては,そこから,とわたしは考えている。断じて原子力ムラを復活させてはならない。

何回も言っておこう。「脱原発」からの世直し。出直し。原子力ムラという「妖怪」をつぶすこと。


2013年6月19日水曜日

スポーツのグローバル化とドーピング問題にどう向き合うか。

 「スポートロジイ」(Sportology=スポーツ学)と銘打つ新たな「学」を立ち上げ,その実績を世に問うために,われわれはどこから手をつければいいのか,と考えつづけてきた。当然のことながら,しかるべき手順を踏んで,一歩一歩前に進むべきではないか,と悩み考えた。しかし,そういう近代的なアカデミックな方法論の呪縛にとらわれているかぎり,モダニティに取り囲まれたフィールドの内側でのリング・ワンデルングから抜け出すことはできない,と気づく。ならば,モダニティの呪縛の外に飛び出し,まずは,隗より始めよ,である。

 われわれ「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の研究員が,ここ数年にわたって取り組んできた研究テーマのひとつは「グローバリゼーションと伝統スポーツ」であり,もうひとつは「ドーピング問題」であった。前者のテーマについては,2012年8月に開催された第二回日本・バスク国際セミナー(神戸市外国語大学主催)で議論され,一応の成果をあげえたと考えている。そして,後者のテーマは「ISC・21」が主催する月例研究会でたびたび議論を積み重ねてきたものである。そこで,この二つのテーマを第二号の特集テーマとして設定することにした。

 第一特集・グローバリゼーションと伝統スポーツには,国際セミナー開催時に特別ゲストとして参加していただいた今福龍太,西谷修の両氏による基調講演が収められている。お二人とも,「ISC・21」の月例研究会にも何回も足を運んでくださり,わたしたちの意とするところを充分にくみ取ってくださった上での基調講演である。「スポートロジイ」の新たなる可能性に道を切り開く貴重な示唆に富んでいて,わたしたちを大いに勇気づけてくれる内容になっている。また,それに呼応するようにして若手研究者による原著論文三本がつづく。これまでの閉塞的な研究方法論の枠組みを悠々と乗り越え,伸びやかな感性のもとで魅力的な論考を展開している。


 第二特集・ドーピング問題を考える,の二本の論考もまた鮮烈をきわめる。一本は,これまで門外不出とされてきたドーピング・チェックの世界にメスを入れた元ドーピング・ドクター伊藤偵之さんによる研究報告である。眼からウロコが落ちる,そういう情報に圧倒されること間違いなし,の論考である。もう一本は,フランスの哲学者パスカル・ヌーヴェルによるドーピング問題の核心に触れる論考である。アンチ・ドーピング運動の正当性が根底から揺さぶられる問題提起になっている。橋本一径さんの手になる気合の入った翻訳紹介。いずれも本邦初公開であり,ドーピング問題に関心をもつ人にとっては必見・必読の論考である。

 これらの特集に加えて,もう一本の貴重な論考を上梓した。わたしたちの月例研究会では,ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン──惨事便乗型資本主義の正体を暴く』上・下(幾島幸子・村上由見子訳,岩波書店,2011年)の読書会を積み上げ,議論を重ねてきた。そして,最後にその仕上げの意味で西谷修さんを囲む「合評会」を開催した。そのときのメモリアルとして西谷修さんが書き下ろしの論考を寄せてくださった。わたしたちの熱意に応答する西谷さんの渾身の力作といっていい。グローバリゼーションとはどういうことなのか,を考えるための重要な礎を得た思いである。いまも加速しながら進展をつづけるスポーツのグローバリゼーションの問題系を考える上で,これからますます重要視される論考になることは間違いないだろう。

 最後に,「スポーツとはなにか」という根源的な問いをつねに内に秘めつつ,その問いに応答しうる思想・哲学的な根拠を求める「研究ノート」(スポーツの<始原>をさぐる──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして)を掲載した。なぜ,ジョルジュ・バタイユの思想に注目するのか,なぜ,「スポートロジイ」の根拠をそこに求めようとするのか,を明らかにしようという意欲作である。

 以上が第2号の概要である。

 21世紀のスポーツ文化を模索する「ISC・21」の研究紀要『スポートロジイ』の第2号が,西谷修,今福龍太,橋本一径,伊藤偵之の四氏の力強い後押しによって,無事に世に送り出されることをこころから感謝したい。そして,これを励みに,毎月開催している月例研究会により一層の情熱をそそぎたいと思う。さらには,今日から,第3号の発行に向けて準備に取りかかりたい。

 併せて,読者のみなさんの忌憚のないご批判をいただければ幸いである。

 2013年6月15日 ようやく梅雨らしくなってきた空を見上げながら
             21世紀スポーツ文化研究所(「ISC・21」)主幹研究員 稲垣正浩

 これは『スポートロジイ』第2号の「巻頭のことば」の全文です。今日(19日),初校ゲラがでてきて,再度,読み直してみたら,第2号の概要を簡潔に紹介していることがわかり,これは早速に,このブログでも紹介しておこうと考えた次第です。編集を担当してくださっているみやび出版の伊藤雅昭さんも「とてもいい内容になりましたね」と応援してくれました。わたしも,そう思っています。ちょっとした話題になるのではないか・・・と楽しみです。

 ということで,『スポートロジイ』第2号の前宣伝まで。
 

2013年6月18日火曜日

『スポートロジイ』第2号,いよいよ刊行へ。巻頭言,編集後記を送信。書店に並ぶのが楽しみ。

 今日の午後から頭痛が激しくなってきて,母親を思い出していました。わたしの母親は天気予報ができる「頭痛」をもっていました。明日の天気を聞くと,しばらく頭の様子を伺ってから,いまの頭痛の具合からすると・・・・と前置きをしてから,たぶん,雨が降るとか,午前中は雨かもしれないが午後には晴れてくる,という予報をしてくれました。これが,また,不思議によく当たるので,わたしは頼りにしていました。

 その体質を遺伝的に受け継いだのか,加齢とともに母親の「頭痛」がわたしのものとなりつつあり,いつしか天気予報ができるようになってきました。しかし,残念なことに,母親の当たる確率の足元にも及びません。が,このところよく当たるようになり,傘をどうするかの判断のひとつにはなってきました。他人さまに迷惑をかけない範囲で,今日は晴れるとか,明日は雨だとか,自分で占って楽しんでいます。

 今日の午後は,突然の頭痛でしたので,前線が動いたな,そして,まもなく頭上を通過するな,ということは場合によっては,この蒸し暑さからすれば雷をともなうにわか雨がくるな,と判断しました。それで,あわてて事務所を引き揚げ,帰宅しまた。溝の口の駅を降りたら,パラパラと雨が落ちてきました。あわてて丸井に飛び込んで,少しだけ雨宿り。一雨きて,小降りになったところで,自宅に駆け込みました。自分の部屋に入り,真っ黒になっている東の空を眺めながら,さあ,来い,と雷雨を待っていましたが,それは来ませんでした。ですから,今日のところは半分当って,半分はずれ,というところ。気がついたら,頭痛もすっかり消えていました。

 昨日のうちに『スポートロジイ』第2号(「ISC・21」研究紀要)の編集業務を完了しようと必死に取り組み,予定していた「巻頭言」と「編集後記」を書き終え,みやび出版の伊藤さんのところに送信。これで,ひとまず,書くべき原稿はすべて完了。あとは,わたしの「研究ノート」のゲラ校正を終えれば,すべて完了です。そう思って,昨夜からゲラの校正にとりかかっていました。

 しかし,もともとの原稿が,このブログで書いたものですので,精粗にばらつきがあり,それを調整しようととりかかりました。が,それをやりはじめたらエンドレスだ,ということに途中で気づき,そのための時間がないので,しばし腕組みをして熟考。この「研究ノート」(スポーツの<始原>について考える──ジョルジュ・バタイユの思想を手がかりにして),よくよく読み返してみると,いいところは抜群にいい,われながら感心してしまうほどいい,しかし,駄目なところはまことにお粗末,いっそのこと全部カットしてしまおうか,と考えたり・・・・。こころが大きく右へ左へと揺れ動きます。でも,最後は,せっかくゲラにまでなったのだから,全部,掲載することにしよう,と決意。そして,時間の許す範囲で,精一杯,直しのできるところは直して,間に合わないところは眼を瞑ってそのままとすることにしました。

 これで明日,みやび出版の伊藤さんにゲラ校正を渡せば,とりあえず,わたしの仕事は完了。ほっと一息,というところで,いま,このブログを書いています。いつも思うことですが,最初の構想の段階と,最後の校正ゲラを読むときとでは,まったく違う世界がそこには広がっているということです。たとえば,最初に,どの原稿を第2号に掲載するかの目星をつけます。その段階で,ほぼ,すべては決まりなのですが,なんとなく全体がよく見えないまま,まあ,こんなものかという程度のところで見切り発車をしていきます。そうして,巻頭言を書く前に,他の人たちのゲラにひととおり眼をとおします。すると,そこには驚くべき光景が待ち受けています。ゲラになったとたんにワン・ランク,いや,それ以上にレベルアップしているのです。

 このゲラに,人によっては,さらに徹底的に推敲を重ね,見違えるような読物に仕立て直すことになります。このゲラの校正の段階で,素人の書き手とプロの書き手の,圧倒的な「差」を見せつけられることになります。これは,毎回,痛感するところです。やはり,活字になるということはたいへんなことですので,それなりにきちんとしておかなくてはなりません。話し言葉は,そんな記憶はありません,で逃げ切ることはできますが,文字は一度刻印されたら消えません。不動の証拠となります。ですから,ほんとうはしっかり校正しなくてはいけません。が,だいたいは,時間を切られていますので,充分なことはできません。その時間を無視してでも校正にエネルギーをそそぎこめるようになれば,一流というところでしょうか。なかなか,その境地に達するには,相当の修行が必要なようです。

 しかし,みやび出版の伊藤さんからの連絡では,みなさん,約束の時間内に,しっかりとゲラに朱を加えて,素晴らしい読物に変身しているとのこと。そして,どの論考も素晴らしい,とのほめ言葉。この厳しい眼力のも持ち主の伊藤さんが褒めることは滅多にありません。それを知っているだけに,えっ,ほんまですかっ?と思わずツッコミを入れてしまいました。

 ゲラを通読しただけでも,今回の『スポートロジイ』第2号は素晴らしい,とわたしは受け止めていました。それが,もっと推敲されてよくなっているとしたら・・・・,わたしは,いまから刊行が待ち遠しくて仕方がありません。

 いま,パリに滞在中の西谷さんも,超多忙の今福さんも,真っ赤になるほどの朱を入れてくださったとのこと,その気合の入れ方になみなみならぬ気魄を感じます。それに比べたら,わたしなどはまだまだ駆け出しだなぁ,と反省することしきりです。

 それでも,わたしなりの「思い入れ」は巻頭言に書いておきました。書店で,ぜひ,手にとって確認してみてください。7月20日刊行を目標に,いま,仕事をすすめています。刊行されましたら,入手の仕方など詳しい情報をこのブログでもお知らせしたいとおもいます。

 グローバリゼーションと伝統スポーツ,ドーピング問題を考える,が特集の二つの柱です。ちょっと類書をみない内容になっています。その意味では自信作です。乞う,ご期待!

「96条の会」発足記念シンポジウムを取り上げたNHKのテレビ・ニュースに,わたしが映っていたとパリから情報が入る。

 世の中は不思議なことがありすぎて,わたしなどは,もはやついてはいけないことが日々,多くなってきて困っています。たとえば,こんなことがありました。

 今日(17日),フランスのパリに滞在しているNさんからメールが入り,NHKのテレビ・ニュース(6月15日朝放映)に「ばっちり映っていましたよ」と教えてくれました。まさか,あのNHKが「96条の会」のシンポジウムを取り上げるなどとは夢にもおもっていませんでしたので,びっくり仰天です。それにしても,なぜ,パリから?

 こういう時代なのでしょうか。国内にいようが,いまいが,情報の流れはどこにいようとほとんど変わらない,ということ。つまり,こちらのレシーパーの感度の問題だ,ということ。レシーバーの感度が鈍ってしまったら,どこにいようが同じこと。情報を選びとる時代を生きるということは,こういうことなのだ,とまずは覚悟する必要がありそうです。

 ちなみに,Nさんは「96条の会」の発起人のひとり。ですから,いま,パリに滞在していても6月14日に行われた上智大学での「96条の会」発足記念シンポジウムが,どのようななりゆきであったのか,ずっと気になっていたのだとおもいます。ですから,そこにアンテナを張っていたら,必要な情報が飛び込んできた,ということのようです。いまや,世界のどこにいようとも,必要な情報を得ようと思えば,いかようにもなる,そういう時代なのだ,ということをいまさらのように知らしめられたできごとでした。いまや,情報は「受け身」ではなく,積極的に自分の意思で「探索する」時代に入ったということの典型的な事例に出くわしたという次第です。

 ちなみに,ニュースの映像を確認したい方は以下のアドレスでどうぞ。
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/2013615/k10015318441000..html

 ほんの一瞬ですが,なるほど,わたしが映っています。それを目敏く見つけたNさんの眼力に敬服です。たぶん,わたしが家のテレビでみていたとしても,気づかなかったのではないかとおもいます。なにせ,わたしの親しくしている友人たちからも,なんの連絡も入りませんでした。だれも気がつかなかった,ということなのでしょう。

 わたし自身は,最近は,NHKのニュースをほとんど見なくなってしまいました。なぜなら,腹が立って腹が立って仕方がないからです。いま,なぜ,このニュースなのか,と。もっと重要なニュースがあるだろうに。ディレクターはなにを考えているんだ,とまたまた吼えてしまうからです。ならば,見ない方が精神衛生上いい,と判断しました。その代わりに,インターネットで,こちらの知りたい情報だけを,選んで読むことの方が健全ですし,ネット検索をとおして,みずからの思考を練り上げることも可能だからです。この方法の方がはるかに世界の動向を見極めるには有効だということもわかってきました。

 こんな個人的なことを書いたのはほかでもありません。わたしたちが日常的に受け止めている情報には限りがあるということを再確認しておきたかったからです。つまり,その限られ情報にもとづいて自分の見解を構築し,行動しているという事実を,そして,それ以外には方法はないという事実を,あえて再確認しておきたかったからです。すなわち,人間が生きるということは,どこまでいっても「ドグマ的」である,ということです。

 いま,パリにいるNさんが,早くから,ピエール・ルジャンドルの「ドグマ人類学」に注目し,多くの翻訳本を世に送り出していることもよく知られているとおりです。しかも,あえて,みずから「日本ドグマ人類学会事務局」を任じていることも,こういうことをとおして納得させられてしまいます。もっとも,Nさんは,ルジャンドルのいう「ドグマ」ということばの正しい意味での解釈をした上での,独特の運動を展開なさっていることを断っておきたいとおもいます。

 ルジャンドルで検索すれば,ここで言う「Nさん」がだれであるかも自明のことです。ついでに,るじりんどるの本もぜひお薦めですので,読んでみてください。たくさんの翻訳本が,いま,書店に並んでいます。

 Nさん,いまごろは,ひょっとしたらルジャンドルとワインでも傾けながら楽しい会話がはずんでいるかもしれません。ワインもほんのちょっぴり舐める程度にしか飲めないNさんではありますが・・・。でも,一献傾けながらの雰囲気を存分に満喫する「わざ」も心得ていらっしゃるNさんです。短期の外国出張ですが,どうぞ,お元気で,パリの生活をエンジョイしてきてください。

 また,7月からの名講義をお待ちしています。

 なにか,気がつけば,Nさんへのメールの応答をしているようなブログになってしまいました。お許しのほどを。

2013年6月17日月曜日

パワー・ポイントによるプレゼンテーションについて,ひとこと。

 まだ,大学に勤務していたときから,折にふれ異議申し立てをしていたのですが,一向に相手にもされず一笑に付されたまま,納得できないでいたことのひとつにパワー・ポイントによるプレゼンテーションがありました。たとえば,大学院の修士論文や博士論文の審査会などでパワー・ポイントによる発表がなされることが多くありました。これはこれでいいとおもっていました。この方がわかりやすいという点では文句はありません。しかし,発表が終って,質疑に入ったときに手元になにも資料がありません。すると,どういうことが起きるか。ちょっと記憶を確認しようとおもってもどうしようもありません。あとは,あいまいな記憶を頼りに質問をするしかありません。これではしっかりとした「審査」はできません。ですから,このパワー・ポイントによる発表形式は嫌いでした。終ったあとには,ほとんどなんの痕跡も残らないのです。すべてが忘却のかなたに消え去るのみです。せめて,審査会なのだから,ハードのペーパーを提出すべきではないか,と提案したことがあります。が,そのときの指導教員の応答を聞いて呆気にとられてしまいました。ペーパーを残すと盗用される恐れがあるので,あとに痕跡を残さないパワー・ポイントで発表させているのです,と。国際的な権威のある学会ならともかくも,大学院の修士論文レベルの研究発表です。しかも,その場の多数の意見だったことに,またまた驚きでした。

 同じようなことが,その後,たとえば,わたしの所属しているスポーツ史学会大会でも多くなってきました。パワー・ポイントで発表しつつ,ペーパーも配布する発表者がほとんどですが,時折,パワー・ポイントで発表するだけで,なんの痕跡も残さない発表者がいます。しかも,その傾向が徐々に増えつつあります。これは困った問題だとおもっています。やはり,学会からもどって,あの発表が面白かったなぁと振り返り,そのときの資料を頼りにもう一度,記憶をたどり直すことが,わたしの場合にはよくあります。そのときに資料がなにもないのは困ってしまいます。

 企業などでなされる極秘の戦略会議などでパワー・ポイントを用いて,出席者の合意をえるためだけの目的ならば,それでいいでしょう。間違ってもペーパーの資料は残さない方がいい,という特別の場合もあります。それはそれでいいとおもいます。しかし,極秘にする必要もない,むしろ,みんなに広く周知させたい情報をパワー・ポイントで説明して,あとに手元になにも残らないやり方というのはいかがなものか,と考えてしまいす。しかも,そこでの決定に責任をもたされるということになると,話は別です。

 そういうことが,今日,起こりました。わたしの住んでいるマンションの管理組合のある部会の引き継ぎ会議でのことでした。以前にもこのブログで書きましたように,ことし抽選でみごとに理事に当選してしまいました。75歳以上は辞退することができるという規定がありますが,これまで,なにもしないでお世話になるだけでしたので,お邪魔にならない程度にできることをやってこれまでの恩義を果たすべきだとおもって引き受けました。その結果,管理組合理事会のある部会にわたしも所属して,それなりの役割を分担することになり,その引き継ぎのための会議が今日ありました。そのときの会議が,なんとわたしの嫌いなパワー・ポイントによる説明でした。手元にはなんの資料もありません。それはそれは立派な,要領を得た,とてもわかりやすい手慣れたプレゼンテーションが展開されました。

 途中で,あれっ?と思うことも何回もありました。が,そのすべてをメモすることもできないまま,終って「なにか質問はありませんか」と仰る。なんとなくわかったような気にはなるのですが,もう一度,確認しようと思ったときには手元になにもありません。ですから,及び腰のまま,どうしても気がかりだったふたつの点について,教えてください,とお願いをしました。ほんとうは,もっともっと細部にわたって教えてほしいことがたくさんありました。だって,これからたった4人のまったく経験のない新しい理事で,この部会を支えていかなくてはなりません。その上で,リーダーと書記を決めなさい,ときた。初めて顔合わせをしたばかりのどこのどなたかもよくはわからない人同士で,リーダーと書記を決めることのあまりの不自然さに愕然としてしまいました。そうか,管理組合というのはこんな風にして維持されてきたのか,と。

 で,引き継ぎ事項については,あとでメールで送信します,ということで会議を解散。しかし,いまだにそのメールは届いていません。

 で,どうやら理事会の全体会議のことを合同会議と呼び,そこが理事会の最高の意思決定機関となっているのですが,そこでの会議も,今日,確認したかぎりでは,パワー・ポイントを使って説明をし,採決をするという手続を踏むとのこと。だとしたら,リーダーはパワー・ポイントを駆使してプレゼンテーションができる人しか不適切だ,ということになってしまいます。いろいろ聞いてみますと,必ずしもその必要はないとの説明もありました。

 しかし,主流はすでにパワー・ポイントを用いてすべて処理をし,ペーパー資料のような痕跡を残さない方向に向かっているようです。でも,それは違うのではないか。パワー・ポイントを用いて説明してもいい,同時に,手元に残るペーパーの資料(パワー・ポイントの画面をプリント・アウトしたもの)も配布すべきではないか。そうしないと,あとで,確認する方法がなくなってしまう。情報が上滑りをしていく可能性が大である。

 とまあ,管理組合の理事初体験の,引き継ぎ会議で出会ったパワー・ポイントだけによる説明に,以前から感じていた不安,それも,もっともっと進化したかたちでの,そこはかとない不安を感じた次第です。まあ,どうでもいいや,と思えばこれでいいのです。しかし,いま,すでに,あの話はどうだったのかなぁ,とおもっても確認する方法がありません。この疑問をいだいたときに,すぐに確認できることが重要なのだとわたしは考えています。それがなくなってしまうと,「考える」ということができなくなってしまう,のみならず,考えるということをしなくなってしまいます。そここそが大問題だとわたしは考えています。要するに「思考停止」の始原。

 さあ,これから管理組合にどのようにコミットしていくのか,考えなくてはならない正念場に立たされることになりました。まともなことを言えば言うほど嫌われるだろうし,かといっていい加減にしておくわけにもいかないし・・・・,さて,久し振りの思案のしどころ。

 パワー・ポイント使い方の功罪については,これからも慎重に考えていく必要があることは間違いありません。わたしはそう固く信じています。まずは,隗より始めよ。そのことわざどおりに,これからも慎重に対処していくことにしたいとおもっています。

 パワー・ポイント,とんだ騒動のお粗末。今日はここまで。

2013年6月15日土曜日

日本野球機構(NPB)よ,これでは全日本柔道連盟と同じではないか。

 またまた開いた口が塞がらない話。もう,すでに大きな話題になっているので,詳しいことは省略するが,統一球変更隠蔽疑惑の取り扱いについて,日本野球機構(NPB)の代表者会議で「コミッショナーの責任を不問」に付した,というのだ。

 これでは全日本柔道連盟と同じで,「自浄能力なし」とみずから認めたようなものだ。ということはNPBも全柔連も一つの組織体として「自律/自立」していない,ということだ。人間でいえば「未成年者」。

 だから,第三者委員会に丸投げするという。一見したところ「公明正大」であるかのような錯覚を起こすが,そうではない。自分たちの犯した不祥事を自分たちの手で決着をつける自浄能力を欠いている,ということだ。だとしたら,そういう組織・団体の幹部・執行部はすでに存在する意味を失っている。自力で管理・運営する能力がない,と認めたのだから。となれば,さっさとみずから身を引く以外にないではないか。

 それも許されないなにかが,その背景にはありそうだ。とてつもない「巨悪」が。だから,第三者委員会を立ち上げて,最終的には「とかげの尻尾切り」の落としどころを探そうとする。だって,第三者委員会もまた同じ穴の狢なのだから。

 加藤良三コミッショナーは「知らなかった」と嘯いたが,それはないだろう。統一球の検査結果は,検査のつど「すぐにコミッショナーに報告する」ことになっている,のだから。こんな簡単な検査結果の「報告」義務をサボタージュするとは,とても考えられない。にもかかわらず検査結果も統一球の変更も「公表」されなかったということは,どこかに「密約」がありそうだ。

 その手がかりとなりそうな記事が,今日の『東京新聞』に,ほんの少しだけ,ちらり,と載っていたので引用しておく。

 2011年に導入した統一球は,製造したミズノ社との二年契約が終わった昨年末に契約を延長した。12球団は昨年11月の実行委員会で,延長するかどうかの判断をNPBの下田邦夫事務局長に一任していた。この日の会議では,各球団にも責任があることを確認。日本ハムの島田利正球団代表は「(下田事務局長に)一任したところで,すでに12球団にも責任が生じていると思う」と話した。

 統一球をミズノが契約を延長できるかどうか,あるいは,他のメーカーに変えられてしまうのか,という問題はミズノにとっては死活問題にもつながる大問題だ。だから,あの手この手で「契約延長」のために最大限の「努力」をしたことは,ほぼ,間違いないだろう。このときに,公にはできない,なにか特別の密約があったのではないか,とこれはわたしの推測。この問題はそのうち,優秀な新聞記者がいれば,いずれ明らかになることだろう。それを楽しみにしたい。

 さきの新聞記事で気になることは,事務局長に一任した段階で,各球団にも責任がある,という認識をみんなが共有していることだ。だとしたら,みんなで,どこが間違っていたのかを検証すべきなのに,それはやってはいない。しかし,これは契約延長手続きの一任であって,このこと自体は今回の「統一球変更隠蔽」とはなんの関係もない。にもかかわらず,「責任が生じている」と問題をすり替えているところが,納得できない。

 もう一点は,記事のほかのところで「コミッショナーはオーナー会議で任命されるため,各球団は自らの任命責任を問われることを恐れているようにも見える」という点である。これは逆ではないか。任命責任があるからこそ,コミッショナーの今回の対応についてきびしく糾弾すべきではないのか。なにかに「怯えて」腰が引けているようにみえて仕方がない。

 加藤良三といえば,外務官僚としてエリート・コースを歩み,とんとん拍子で出世し,若くしてアメリカ大使をつとめ(最長の6年間),アメリカのシンクタンクからなにやらの「賞」を受けた人と記憶している。東大法学部出身の俊才である。その実績からして,統一球変更隠蔽疑惑を起こすような人物にはみえない。しかし,それとこれとはまったく関係がない。今回は,ひとりの人間としての判断能力が問われているにすぎないのだ。

 もっと厳密に言ってしまえば,コミッショナーの「知らなかった」という第一発言が大問題なのだ。組織のトップが組織内の,それも統一球を変更するかしないかという大問題について「知らなかった」では済まされまい。もし,ほんとうに「知らなかった」としたら,そのことの方がもっと問題だ(賢明なダルビッシュ投手はみごとに問題のツボを指摘している)。

 ことの真相はいつも「薮の中」。これから,どこまで事実関係が明らかにされるのか,そこが最大の課題。たぶん,大相撲のときと同じように,なんだかわかったようなわからない,つまらない「尻尾切り」で終わりとなりそうだ。いつも責任はうやむや。

 検察がにせ調書を裁判所に提出しても,責任は問われない,そういう国にいったいいつからなってしまったのか,そのことの方がもっともっと大きな問題だ。

 でも,こういうNPBの対応の仕方のなかに,いまの,日本社会が抱え込んでしまった抜きがたい病根の典型的な例をみる思いがする。なさけないことではあるが・・・・。