2016年2月5日金曜日

「有為の奥山けふ越えて」=「死」が前提とか。

 ご縁とは不思議なものです。病院の待合室(と言っても廊下)で,エコー検査が終わって診察までの時間つぶしに本を読んでいましたら,あの「いろは歌」の中の一節「有為の奥山けふ越えて」の話がでてきました。そして,「有為の奥山」というのは「死」を前提としている,という説明を読んでびっくり仰天してしまいました。

 じつは,ずっと長い間,「有為の奥山」の意味がわかりませんでした。しかも,「奥山」とは「死」を意味しているとは・・・・。ほんとうに驚きでした。病院というところは,すべからく「死」と向き合っている人の来るところです。かく申す,わたしとて「死」と真っ正面から向き合っています。ですから,しばしば「死」というものを考えてしまいます。そんな折も折,「有為の奥山」の意味を教えてくれる本を読んでいたのですから,これはもうご縁としかいいようがありません。

 本の名前は『ないがままで生きる』。著者は,玄有(有に人偏)宗久さん。SB新書。2016年1月刊。久々に出会った玄有宗久さんの名著です。もっとも,最近,とみに仏教の世界に傾斜しつつあるわたしにとっては,まことにありがたい導きの書。しかも,いまの,わたしの心境にぴったり。

 この話は,第二章・無為自然の冒頭にでてくる「無為自然は難しい」というタイトルのエッセイのなかに書き込まれています。簡潔で,とてもいい文章なので,引用しておきましょう。

 「死について謳った『いろは歌』を憶いだしてほしい。前半では『色は匂へと散りぬるを我が世誰そ常ならむ』と諸行無常の儚さが美しく歌われるが,後半の『有為の奥山けふ越えて』は,死によって『有為』の世界を越えるという認識が前提になっている。当然その向こうに想定されているのは『無為自然』な,完全に自由な状態であろう。からだという窮屈な器を抜けだし,無為自然の状態になってみれば,これまでの人生がまるで浅い夢のように思え,酔っていたような気もしてくる。しかし今はすっきり全てが見えているから,これからは浅い夢など見るまい,酔っぱらいもするまい(浅き夢見じ酔ひもせず)も,と結ばれるのである。
 これはどう解釈してみても,死ななければ有為の奥山を越えて無為自然になることはできない,と言われているみたいではないか。」

 そうして「有為の奥山」についても,じつに目からうろこの話を玄有宗久さんは展開しています。それによりますと,「有為」とは,世俗の人間が「なにかのために」する行為のことで,そこには必ず計算や打算が働き,意見の衝突が起き,戦争になったりする,というのです。それに対して,無為とは,なんの意図もなく,作為もない状態のこと。なにもしないという意味ではなくて,「なにをしようという意図もなく,季節は巡り,太陽は照って雲は雨を降らし,そのなかで植物や動物が育っていくように,全てが不足なく為されていくということだ」といいます。

 しかし,世俗を生きる人間は,どうしても「有為の奥山」を越えることはできない,そういう生きものではないか,と玄有宗久さんは説いています。だから,世俗とあの世の境界ともいうべき「奥山」を越えなくては,つまり,死なないことには,「無為自然」の世界を生きることは不可能なのだろう,というのです。玄有さんのこの説にしたがえば,「有為の奥山」を越えるのも悪くはないなぁ,とどことなく安堵してしまいます。さすがに禅僧の言うことはケタが違うなぁ,と感心してしまいます。

 こんな話を枕にして,もう一つの,「無為自然」を理解するための,これまたとても面白い話題を玄有さんは紹介してくれています。この話はいささか長くなりそうですので,ひとまず,ここで切って,別のタイトルを立てて書いてみたいとおもいます。

 ということで,今日のところはここまで。

2016年2月4日木曜日

2カ月ぶりの肝臓癌の検診。着実に進行中。

 2月4日(木)午後,2カ月ぶりの検診を受けてきました。肝臓に転移した癌のその後の状態の確認と,その他の臓器への転移の確認です。やったのは,エコーによる綿密な検査でした。これまでの倍以上もの時間をかけて丁寧に行われました。その結果は以下のとおりでした。

 転移した肝臓癌は,間違いなく進行していること,他臓器への転移はなし,というものでした。この肝臓癌については,化学療法で抑えるという方法もありますが,個人差があって効果のほどはやってみないとわからない。切除手術も可能だが,かなりのリストを伴うこと。さて,どうしますか,というのがお医者さんの問い。

 わたしとしては,覚悟の上で抗ガン剤を拒否して,QOLを選んだのですから,いまさら変更する意思はありません,と。すると,わかりました,では,QOLに寄り添った支援をいたしますので,なにか不都合がありましたらいつでも診察を受けにきてください。入院しての支援も可能ですので,念頭に入れておいてください,とのこと。

 以上が,今日の検診結果のあらましです。

 このような選択が正しいかどうかは,お医者さんでも個人差があって意見が分かれるところだとおもいます。わたしの担当医も,ここはむつかしいところですね,と頭をひねっていました。まえ,言ってしまえば,だれにも判断できない神の領域のことだということでしょう。わかりやすく言ってしまえば,天(自然)から授かった寿命というものでしょう。となれば,それを甘んじて受け入れましょう,というのがいまのわたしの心境。

 さあ,これでいよいよ間違いなくカウント・ダウンの状態に入ったといってよいでしょう。その覚悟はできていますので,いまは,なんの不安もありません。あとは,残された余命を悔いのない時間にすること,つまり,授けられた寿命をまっとうすること,とみずからに言い聞かせています。

 だからと言って,このまま放置しておくわけにもいきませんので,いまからでも可能な努力はつづけるつもりです。いろいろの人に教えていただいた「これがいいそうです」と言われる方法のうち,自分でも納得のいく方法を実行に移すこと。それも,すでに,やってきているのですが,まだ,努力が足りないようです。もっと徹底してやってみようとおもいます。それもどこまで効果があるかは未知数です。とにかく,やってみる,しかありません。

 次回の受診は,4月7日(木)を予約してきました。

 というところで,とりあえず,今日の検診結果のご報告まで。