10月6日(土)に藤沢市で,「みんなで決めよう『原発』国民投票 神奈川」が主催したイベントに参加し,ドイツのドキュメンタリー映画『シェーナウの想い』をみてきました。とても大きな衝撃を受け,こんな市民運動がはたして日本で可能なのだろうか,と帰る道筋,ずっと考えていました。
シェーナウのあの美しい山村風景のもとで生をうけ,みんなが顔見知りという,古きよき時代の共同体のなかで育った人たちのような郷土愛が,いまの日本のどこで育っているのだろうか,ということがわたしの最大の気がかりでした。日本の都会はもとより,郊外も崩壊寸前,農村社会も徐々にその共同性が弱体化しつつある現状を考えたとき,ドイツのシェーナウのような市民運動ははたして可能なのかどうか,その点が気がかりでした。
ところが,今日(10月8日)の『東京新聞』朝刊には,「エネルギー再考」という大きな【コラム】記事があり,日本も捨てたものではない,ととても勇気づけられました。その記事の冒頭のつかみの文章は以下のとおりです。
太陽光や小水力なと,再生可能エネルギーを利用した発電を地域内で強力に進めようとする動きが,全国各地で目立ち始めている。自治体が関わるパターンが目立つが,相模原市緑区藤野地区の「藤野電力」は純粋な市民運動で異色。脱原発や再生可能エネルギー推進の各地の市民運動に刺激を与えている。(白井康彦)
さらに記事はつづきます。
市民グループ「藤野電力」は昨年五月にスタート。中心メンバーは十人ほどで,活動拠点は地元アーティストらが使っている「牧郷(まきさと)ラボ」。03年に廃校になった小学校の建物だ。
この廃校となった小学校に「太陽光」の拠点をつくろう,まずは使われなくなったプールに太陽光発電パネルを並べることからはじめよう,というところから藤野地区の市民運動が立ち上がります。そして,やがては小水力発電の装置を地区内に設置する予定だという。いまは,その資金集めのための寄付を募集中。これがうまくいけば「市民発電所」となる予定。
その一方では,パネルやバッテリーなどの発電セットを自作して,増やしていく。そして,「ミニ太陽光発電システム」セットの組み立て方を伝えるワークショップの開催,藤野地区の個人宅へのセットの設置,などを柱として活動を展開している,という。これ以上の詳しいことは新聞の記事でチェックしてみてください。
この記事の末尾には,つい二日前にみてきたばかりのドキュメンタリー映画の舞台,シェーナウ市の事例が紹介されています。そして,再生可能エネルギーを推進しようとしている日本各地の市民運動も,このシェーナウの事例に勇気づけられている,という。そして,着実に市民運動をとおして,「大量消費型社会システムから,環境に優しい持続可能な生き方に移行」しようという英国生まれの「トランジット」の試みが,日本の各地に浸透しつつある,といいます。
シェーナウの事例を知らなかったのはわたしだけで,すでに,再生可能エネルギー推進に取り組んでいる市民運動家たちの間では常識だったようです。こういう情報が,これから少しずつ一般市民の間にも浸透していくにつれ,やがては大きな運動に展開していくことを期待したいと思います。遅ればせながら,わたしもその一助になれればと考えています。
政府はもとより,ありとあらゆる細部の組織までからめ捕られてしまった「原子力ムラの支配」から抜け出すためには,自分たちの手で,具体的に,地域分散型の再生可能エネルギーを確保していく以外には,いまのところ方法はないようです。
毎日,毎日,憂鬱になる情報ばかりが駆けめぐっているなかで,このような小さな努力が,着実に立ち上がっていることに,わたしは大きな希望を託したいと思っています。そして,できることなら,わたしもまた,その一員になっていきたいと考えています。まずは,できることからはじめる,そのようにみずからに言い聞かせながら・・・。
今日はこれから代々木公園に行ってきます。のちほど,その報告も。
シェーナウのあの美しい山村風景のもとで生をうけ,みんなが顔見知りという,古きよき時代の共同体のなかで育った人たちのような郷土愛が,いまの日本のどこで育っているのだろうか,ということがわたしの最大の気がかりでした。日本の都会はもとより,郊外も崩壊寸前,農村社会も徐々にその共同性が弱体化しつつある現状を考えたとき,ドイツのシェーナウのような市民運動ははたして可能なのかどうか,その点が気がかりでした。
ところが,今日(10月8日)の『東京新聞』朝刊には,「エネルギー再考」という大きな【コラム】記事があり,日本も捨てたものではない,ととても勇気づけられました。その記事の冒頭のつかみの文章は以下のとおりです。
太陽光や小水力なと,再生可能エネルギーを利用した発電を地域内で強力に進めようとする動きが,全国各地で目立ち始めている。自治体が関わるパターンが目立つが,相模原市緑区藤野地区の「藤野電力」は純粋な市民運動で異色。脱原発や再生可能エネルギー推進の各地の市民運動に刺激を与えている。(白井康彦)
さらに記事はつづきます。
市民グループ「藤野電力」は昨年五月にスタート。中心メンバーは十人ほどで,活動拠点は地元アーティストらが使っている「牧郷(まきさと)ラボ」。03年に廃校になった小学校の建物だ。
この廃校となった小学校に「太陽光」の拠点をつくろう,まずは使われなくなったプールに太陽光発電パネルを並べることからはじめよう,というところから藤野地区の市民運動が立ち上がります。そして,やがては小水力発電の装置を地区内に設置する予定だという。いまは,その資金集めのための寄付を募集中。これがうまくいけば「市民発電所」となる予定。
その一方では,パネルやバッテリーなどの発電セットを自作して,増やしていく。そして,「ミニ太陽光発電システム」セットの組み立て方を伝えるワークショップの開催,藤野地区の個人宅へのセットの設置,などを柱として活動を展開している,という。これ以上の詳しいことは新聞の記事でチェックしてみてください。
この記事の末尾には,つい二日前にみてきたばかりのドキュメンタリー映画の舞台,シェーナウ市の事例が紹介されています。そして,再生可能エネルギーを推進しようとしている日本各地の市民運動も,このシェーナウの事例に勇気づけられている,という。そして,着実に市民運動をとおして,「大量消費型社会システムから,環境に優しい持続可能な生き方に移行」しようという英国生まれの「トランジット」の試みが,日本の各地に浸透しつつある,といいます。
シェーナウの事例を知らなかったのはわたしだけで,すでに,再生可能エネルギー推進に取り組んでいる市民運動家たちの間では常識だったようです。こういう情報が,これから少しずつ一般市民の間にも浸透していくにつれ,やがては大きな運動に展開していくことを期待したいと思います。遅ればせながら,わたしもその一助になれればと考えています。
政府はもとより,ありとあらゆる細部の組織までからめ捕られてしまった「原子力ムラの支配」から抜け出すためには,自分たちの手で,具体的に,地域分散型の再生可能エネルギーを確保していく以外には,いまのところ方法はないようです。
毎日,毎日,憂鬱になる情報ばかりが駆けめぐっているなかで,このような小さな努力が,着実に立ち上がっていることに,わたしは大きな希望を託したいと思っています。そして,できることなら,わたしもまた,その一員になっていきたいと考えています。まずは,できることからはじめる,そのようにみずからに言い聞かせながら・・・。
今日はこれから代々木公園に行ってきます。のちほど,その報告も。
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