2013年3月18日月曜日

「スポーツ人,原発考えて」(新聞投書)に共感。

 3月16日(土)の東京新聞・朝刊の投書欄に,「スポーツ人,原発考えて」と題して松田まさる(76歳・家事手伝い・千葉県柏市)が下記のような一文を投じています。一瞬,ドキッ,としました。そして,深く考えてしまいました。短いので, まずは全文,引用しておきましょう。

 9,10日にあった脱原発集会で,先頭にはいつものように作家の大江健三郎さんなどの方々がいた。本当に頭の下がる思いだ。そして,そのたびに腹立たしく思うのが,なぜそこに芸能やスポーツ界の重鎮がいないのかということだ。
 万人に影響のある人々の参加こそ,こうした運動に有効である。原発は政治問題ではない。次世代の命の問題である。沈黙は許されないと思う。
 五輪招致やワールド・ベースボール・クラシック(WBC)と熱が入っているが,スポーツは別だなんて理屈は通らない。社会への関心度の低さが,体罰を温存させるなど古い体質をつくる。
 スポーツ人よ,原発のない,汚れた土地と空気のない日本にしてこそ,世界に範となる五輪を開催できるのだと思いませんか。

 投稿者の松田まさるさんはわたしより1歳上で,柏市から熱心に日比谷公園や首相官邸前に足を運んでいらっしゃる方だとわかり,頭が下がります。それに比べるとわたしなどは,今日こそ行くぞ,と自分を叱咤激励しないとなかなか足が向かいません。その意味で,この投書を読んで「ドキッ」とした次第です。

 松田さんの主張はまことにもっともな話。なぜ,「次世代の命を守る」運動だというのに,スポーツ界(ここではスポーツ界に限定しておこう)の重鎮は行動を起こさないのか。そして,アスリートたちも行動を起こさないのか。このことと「社会への関心度の低さが,体罰を温存させるなど古い体質をつくる」という松田さんの主張にこころから賛成です。

 その意味では,スポーツ界が社会と断絶した「閉鎖社会」を構成しているのは事実です。ですから,多くのアスリートたちは,その「閉鎖社会」が当たり前のこととなり,そこで通用する慣習行動が常識になってしまいます。スポーツ界にはびこる「体罰」は,その「閉鎖社会」で生まれてきた悪しき慣習行動です。

 そこを通過してスポーツ界の重鎮になった人たちのほとんどは,社会への窓口をもっていません。そうやって生きてきたのですから。

 このことの意味は重大です。つまり,野球とか,相撲とか,サッカーとかの専門家としては通用しても,日本人として,ひとりの社会人としては通用しない人がたくさんいます。つまり,ひとりの人間として「自立」していない,ということです。そういう人たちは,原発のことは,自分のかかわっているスポーツとはなんの関係もない,と信じて疑わないでしょう。

 なかには,しっかりと「自立」しているアスリートや監督・コーチもいます。重鎮にもいます。そして,個人的に話すとみんな「反原発」を口にします。しかし,この人たちもまた公的な場にでると「無口」になってしまいます。黙り込んでしまって,行動も起こさない,ということは「原発推進」に賛成しているのと同じですよ,と伝えることにしています。しかし,それでも行動を起こすことはできない,と下を向いてしまいます。

 オリンピック・ムーブメントが「平和運動」だというのなら(オリンピック憲章にそう書いてある),「反核」「反原発」を訴えるべきです。それこそがオリンピック招致運動のトップに立つ都知事をはじめとするJOCや日本体育協会,そしてスポーツ界の重鎮,監督・コーチ,さらには,トップ・アスリートたちの「責務」であるはずです。この人たちが「反原発」の先頭に立ち,デモ行進に参加するようになったら,わたしも「オリンピック東京招致」に賛成するでしょう。オリンピックは「平和運動」であるという原点を忘れてはなりません。

 しかし,そういう人たちが,みんな「われ関知せず」という姿勢をとっています。つまり,長いものに巻かれて,大樹の陰に身を寄せ,上意下達の「閉鎖社会」のなかで保身に励んでいます。そこからは「自立」した人間は育ちません。むしろ,口に蓋をして「思考停止」し,率先して「自発的隷従」をし,忠誠心を示すことが,こういう「閉鎖社会」を生き延びていくためには必要になってきます。これがスポーツ界という「閉鎖社会」の実態です。どこぞで聞いたような社会と「瓜二つ」です。

 しかし,このことは,なにもスポーツ界だけの特殊事情ではありません。わたしたちの身のまわりの「組織」「団体」,すべからく,似たような「体質」をもっています。この「体質」から抜け出すこと,そして,ひとりの人間として「自立」すること,そこを目指す以外には日本の未来はなさそうです。

 そういう日本社会の異常性が,「3・11」以後,つぎからつぎへと露呈してきました。「体罰」問題もその一環です。その意味では,日本の社会を変革させるべき絶好のチャンスです。そのためには,わたしたち一人ひとりが「自立」して,生き物として生きのびる方途を考えることが,必要不可欠だと考えます。その第一歩が「反原発」です。わたしは,そんな風に考えています。

 松田まさるさんの,こころの声に,敬意を表しつつ。

 ※この問題は,きわめて重大なことがらを含んでいますので,これからも対象を代えて論じてみたいと思っています。

2013年3月17日日曜日

三浦雄一郎さんは重さ「5キロ」の靴を履いて街中を闊歩しているとか。

 数日前のNHKテレビの朝番組に,三浦雄一郎さんが出演しているのを,ちらりと見掛けました。というのも,朝食の準備のために台所に立ちながら,手が空いたときにちらちらと眺めていたという次第。いいお爺さんになったなぁ,とある種の感慨とともに眺めていました。青森の酸ヶ湯温泉のスキー場でお会いしたときには,もっと精悍な顔をしていらしたのに・・・,と。もっとも,いまから40年も前の話ですが・・・・。

 さて,その話のなかで,加山雄三さんがビデオ出演していて(三浦雄一郎さんと大の仲良しらしい),ちょっと面白い話題を紹介していたのが耳に残っています。その話とは,三浦雄一郎さんは,いまでも5キロの靴を履いて東京の街中を歩いている,というものでした。番組の進行係はびっくりした声を挙げていましたが,わたしは「当たり前ではないか」とこころのなかでつぶやいていました。プロのスキーヤーであり,登山家なのだから,と。

 あるとき,なにかのテレビ番組で一緒に出演したあと,加山雄三さんが「このあと,どうやってお帰りですか」と三浦さんに聞いたら,「歩いて帰る」とのこと。ならば「わたしの車で送ります」と誘ったら,「わたしは歩くのが楽しいので・・・」とやんわりと断られてしまった,とのこと。あとで,三浦さんから直接聞いた話では,まだまだ現役の登山家として,また,スキーヤーとして活動するためには,日々のトレーニングは欠かせない,と。なかでも,歩くのはもっとも基本的なトレーニングで,ふだんから特製の靴を誂えて,それを履いて歩いているのだ,という。その特製の靴が「5キロ」あるのだ,と。

 三浦雄一郎さんが日頃からトレーニングをしている話は,つとに有名な話で,三浦さんを知る人はみんな知っています。たとえば,65歳でエベレスト登山を決意したとき,5年計画でからだを鍛えなおし,70歳で登頂に成功します。このときには,毎日,20キロのリュックザックを背負って,なおかつ,両足に特別の錘をくくりつけて歩くトレーニングをした,という話は有名です。

 「5キロ」の靴は,日常の歩行訓練のために,たぶん,そのあとで工夫をし,誂えたものではないかと思います。ですから,加山雄三さんとのテレビ出演のときにも,その靴を履いて自宅からテレビ局まで歩いて往復した,ということのようです。三浦さんにとっては,それが「日常性」そのものでしかありません。

 ここからは我田引水の話。2012年3月22日のブログで「ウォーキング・シューズは軽い方がいいのか? わたしは重いチロリアン・シューズの愛好者」を書きました。このブログが,その後も多くの人に読み継がれていて,いまも,今週のベスト10にランクされています。詳しくはブログで確認してください。その要旨は,ウォーキング用のシューズはみんな「軽さ」を競っているけれども,それは本末転倒ではないか,少しでも「重い」靴を履くことこそが目的にかなっているのではないか,というものです。わたし自身は,若いころに山歩きをはじめたときから,日常的にも「チロリアン・シューズ」を履いてトレーニングをしてきました。いまも,同じ靴を履いています。雨の日も風の日も,毎日,同じチロリアン・シューズです。少し値段が張りますが,10年はもちますので採算は合っています。むしろ,安いくらいです。いまも健脚でいられるのは,毎日,履いているこのチロリアン・シューズのお蔭だと,わたしは信じています。

 ですから,三浦雄一郎さんが,80歳になるいまも,「5キロ」の特別誂えの靴を履いているという話にはいたく共感できるものがありました。この話に勢いづいて,そろそろ,もう少し重い靴に履き替えようか,と意欲が湧いてきました。でも,あまり無理はしない方がいい,という声も片方から聞こえてきます。まあ,いまのまま,生涯,チロリアン・シューズ愛好者でとおすのが無難のようです。

 それにしても,三浦雄一郎さんのご活躍は,わたしを大いに勇気づけてくれますので,これからも楽しみに期待したいと思います。

2013年3月16日土曜日

玄侑宗久さんの短編「Aデール」(『四雁川流景』所収)を読む。

 「Aデール」というタイトルをみて,いったい,なんの話なのだろうと思いながら読みはじめました。読むほどに身につまされる話で,最後には,腕組みをしてじっと考えこんでしまいました。ああ,わたしも自分では気がつかないうちに,まぎれもなく「Aデール」のレベルが低くなっている,とわかったからです。しかも,この数カ月の間に顕著になっている・・・・と。

 「Aデール」の種明かしは,この作品のなかで,ユーモアとともに語られているのですが,ここでは直截に説明しておきましょう。「Aデール」とは,「ADL」のこと。つまり,Activities of Daily Living の頭文字。日本語では「日常生活動作」というわけです。この英語の頭文字を,いくぶん訛って,「D」を「デー」と発音すると「エーデール」となります。それを,わざわざ「Aデール」と表記したところに,玄侑宗久さんの文学的な工夫とユーモアが表れている,ということでしょう。

 この短編の主人公の千鶴さん(20歳)は特別養護老人ホームで働くヘルパーさん。まだ,駆け出しですが,介護福祉士の資格取得をめざして修行中。ですから,このホームにきて,所長さんたちがときおり発する「ADL」ということばが「Aデール」と聞こえてしまったので,そのままの発音で,その意味を問いただす,という場面が小説のなかに折り込まれています。

 まあ,そんな経緯はどちらでもよくて,このホームにいるご老人たちは基本的には認知症のために日常生活動作,つまりは「Aデール」のレベルが低下しています。で,その認知症の治療のために「回想法」をもちいています。つまり,むかしの若かりしころのしっかりした記憶を「回想」することによって,脳を活性化させ,日常生活活動のレベルを高めようというわけです。

 この小説を読みながら,これは他人事ではない,と本気で身につまされることになってしまった,というのが正直なところです。つまり,立派な認知症がわたしにも発症している,と自覚させられてしまったからです。もう,ずいぶん前に,ゲーテという固有名詞が思い出せないことがあって,慌てたことがありました。が,その症状はまぎれもくな徐々に徐々に進行していました。いまは,もう,加速度的に,有名人の名前が口からでなくなってきています。いよいよだなぁ,とそれなりに覚悟をしはじめていました。

 が,この短編を読みながら,「Aデール」のレベルが下がってきていることを知り,これは只事ではない,と焦りはじめています。たとえば,自分の身のまわりのものの片づけができなくなってきています。とりわけ,書斎のなかはゴミの山です。捨てればいいのに,それができません。あとで,あとで,と思っているうちに,どんどんたまってきます。気づけば,ゴミの山の隙間にかろうじてパソコンを置いて,そのわずかなスペースで仕事をしています。

 それだけならまだしも,最近は,片づけなくてはならない,締め切りのきている仕事が山ほどあるのに,平然と「あとで」と居直っています。少しも仕事がはかどらないのに,焦ることもなく平気でいます。ここが大問題です。急がなくてはいけない仕事も放りっぱなしにして,好きなことだけは忘れることなく夢中になっています。まるで幼児のようです。困ったものです。これは相当に重症だ,ということを「Aデール」という短編が教えてくれました。ありがたいような,ありがたくないような,悲しいお話です。

 いよいよこのことに気づいた以上は,この「Aデール」のレベルを上げるために「回想法」を施さなくては・・・と,こんどは真剣です。さて,どんな「回想法」がいいのだろうか,と考えてしまいます。亡父の晩年のころ,「わが生い立ちの記」を熱心に書きつづけていたことを思い出します。そのころは,とても元気で,趣味の俳句もときおり新聞に掲載されたりして,喜んでいました。そうか,「わが半生記」ならば,頼るべきはわが記憶のみ。「回想法」としては効果があるかもしれない,とたったいま思いついたところです。

 でも,それに夢中になると,頼まれた仕事は,やはり放りっぱなしになってしまいそう・・・・。それはやはりちょいとまずいなぁ・・・・,などとあれこれこれから検討しなければなりません。

 それにしても,玄侑宗久さんの「Aデール」には参りました。「Aデール」のつぎには認知症が待ち受けているというのですから・・・・・。

3月15日のブログ「春よ来い」に写真を追加,タイトルを変更しました。

 3月15日のブログ「春よ来い,は~やく来い。歩きはじめたミヨちゃんは,いずこへ。クォ・ヴァディス。」のタイトルを変更し,写真を追加しましたので,どうぞ,ご確認ください。

 新しいタイトルは「春よ来い,は~やく来い。創作能面「パンドラの箱に残る<もの>」。クォ・ヴァディス。」です。

 創作能面は,能面アーティストの柏木裕美さんの最新作品です。とてもいい作品です。というより,これまでの「小面変化」シリーズから,もうワンランク上に突き出る新境地を開く傑作だ,とわたしは受けとめています。写真だけで,これだけの迫力があるのですから,実物はもっとすごいだろうと想像しています。おそらく,ちゃんとした画廊に飾られると,いちだんとその輝きを増すことでしょう。

 「パンドラの箱に残る<もの>」,すなわち「希望」。

 現代社会は,日本だけではなく世界をふくめて,まるで「パンドラの箱」をひっくり返したような情況に陥っています。これから,いったい,なにがはじまろうとしているのか,みんな戦々恐々としているのではないかと思います。もはや,打つべき手もない,断末魔の情況に陥っている,と感している人も少なくないと思います。

 柏木さんは,そのあたりのところを感性鋭く感知して,それでもなお,最後の「希望」だけは捨ててはいけない,というメッセージをこの作品に籠めていらっしゃるように思います。

 わたしは,この作品に触発されて,「春よ来い・・・・」というブログを書きました。そして,柏木さんから写真を転送していただき,転載させていただきました。実際のところは,柏木さんのブログを読んで,この写真をおねだりした,というのがことの真相です。

 どうぞ,柏木さんのブログもご覧になってください。
 とても魅力的なブログを書いていらっしゃいます。

 以上,取り急ぎ,お知らせまで。

2013年3月15日金曜日

You Tube 「あぶない憲法のはなし・小森陽一・自民党憲法改正草案解読」に注目。必見。

 世の中の眼が,いや,国民の眼が,安倍首相のTPP参加表明に釘付けにされている間に,もっともっととんでもない話が,その裏側で堂々と進展している。つまり,憲法懇談会で憲法9条を改正することに自民,維新,みんなの3党が同意しているというのだ。そして,いよいよ「国民軍」の結成に向けて,着々とその準備に入ろうとしている。おいおい,ちょっと待った!いくら,いま,安倍首相の支持率が高いとはいえ,それとこれとは話が違う。

 新聞もテレビもみんなTPPに集中していて,自民党の作成した憲法改正草案などには眼もくれない。だから,なにも報道していない。が,インターネットでちらりと流れた。もう一度,確認しようと思ったらもう消えている。あれっ,奇怪しい。幻視かなぁ,と不思議に思っていたら,さすがに西谷修さん。今日のブログでこの問題を取り上げ,「憲法論議に備える」と題して,読者に向け,その危険性について呼びかけている。そして,そのブログの最後のところで,小森陽一さんがYou Tubeで,きわめて簡潔に「憲法論議」の問題の所在を解説しているので,必見のこととして紹介している。

 早速,拝見。じつに,わかりやすく「9条問題」を解説してくれている。ので,みなさんにも見ていただきたく,緊急にこのブログを書いている。

 題して「あぶない憲法のはなし」小森陽一自民党憲法改正草案解読,とある。現行の憲法と自民党の草案とを比較しながら,どこに,どのような危険な罠が仕掛けてあるかを,きわめて明解に説いている。時間は,27分07秒。

 小森陽一といえば,もう周知のごとく近代日本文学の研究者。東大教授。たとえば,一般向けには『漱石を読みなおす』(ちくま新書,1995年)をはじめとする「漱石論」に関する著書が多い(『漱石論 21世紀を生き延びるために』岩波書店,2010年,など)。また,『村上春樹論──『海辺のカフカ』を精読する』(平凡社新書,2006年)などでもよく知られている。そして,もうひとつの顔「9条の会・事務局長」としてもよく知られている。

 その小森陽一さんが「自民党憲法改正草案」を解読し,どこに大きな問題が潜んでいるかを解き明かしている。それをYou Tubeにアップしたのが「3日前」というのだから,このタイミングのよさに感嘆してしまう。それを,また,目敏く見つけ出して,自分のブログで紹介する西谷さんもみごと。もっとも,このお二人は,年に2回は,朝日カルチャー・センターで対談をする間柄でもあるので,お互いに密接な連絡をとりあっているとも考えられる。

 安倍首相に,このまま憲法9条改正まで突っ走られたのでは困るので,これだけは阻止すべく,緊急にこのブログを書くことにした。そろそろ,支持率を下げて,この暴走を食い止めないといけない。なんとなく「安倍支持」という人は,そろそろ眼を覚ましていただきたい。気がついたら銃を構えて戦場に立っていた,などということにならないように。

 取り急ぎ,ここまで。

体罰の禁止及び児童生徒理解に基づく指導の徹底について(通知)・25文科初第1269号,を読む。

 平成25年3月13日付けで,表記の〔通知〕が,文部科学省初等中等教育局長・布村幸彦,文部科学省スポーツ・青少年局長・久保公人の名前で出された。

 この〔通知〕の相手先は以下のとおり。
 各都道府県教育委員会教育長殿
 各指定都市教育委員会教育長殿
 各都道府県知事殿
 付属学校を置く各国立大学法人学長殿
 小中高等学校を設置する学校設置会社を所轄する構造改革特別区域法第12条第1項の設定を受けた各地方公共団体の長殿

 そして,長い前文があり,そのあとに「記」として,以下の5項目に分けて詳細な内容が示されている。
 1.体罰の禁止及び懲戒について
 2.懲戒と体罰の区別について
 3.正当防衛及び正当行為について
 4.体罰の防止と組織的な指導体制について
 5.部活動指導について

 これに「別紙」なるものが付されている。それは,
 学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例,とある。内容をみると,
 (1)体罰(通常,体罰と判断されると考えられる行為)
  〇身体に対する侵害を内容とするもの(7項目)
  〇被罰者に肉体的苦痛を与えるようなもの(3項目)
 (2)認められる懲戒(通常,懲戒権の範囲内と判断されると考えられる行為)(ただし,肉体的苦  痛を伴わないものに限る)(6項目)
 (3)正当な行為(通常,正当防衛,正当行為と判断されると考えられる行為)

 以上が,今回の〔通知〕の概要である。

 かなりの分量があり,その上,役所の文書に慣れていないので,読解するのに相当の時間がかかる。もっとも,これを受け取る各「長」の方々にとっては問題はないのかもしれない。しかし,わたしのような法令文に慣れない人間にとっては一苦労である。しかしまあ,このご時節でもあるので,頑張って熟読してみた。

 ひとことで言えば,拍子抜けがした。とりわけ,「別紙」に記載された,(1)体罰,(2)認められる懲戒,(3)正当な行為,のなかに示された具体例を読んで呆気にとられてしまった。

 まずは,(1)体罰(通常,体罰と判断されると考えられる行為),という表記につまずいた。そして,何回も読み返してみた。その結果,「体罰」の概念を明確に表記することは不可能なのだ,と理解した。だから,「通常,体罰と判断されると考えられる行為」と括弧書きすることになる。「体罰と判断されると考えられる行為」ということは「体罰と判断されないと考えられる行為」も,このなかには含まれているということらしい。

 もっとわかりやすくするために,
 〇身体に対する侵害を内容とするもの,の具体例を以下に列挙してみよう。
 ・体育の授業中,危険な行為をした児童の背中を足で踏みつける。
 ・帰りの会で足をぶらぶらさせて座り,前の席の児童に足を当てた児童を,突き飛ばして転倒させる。
 ・授業態度について指導したが反抗的な言動をした複数の生徒らの頬を平手打ちする。
 ・立ち歩きの多い生徒を叱ったが聞かず,席につかせるため,頬をつねって席につかせる。
 ・生徒指導に応じず,下校しようとしている生徒の腕を引いたところ,生徒が腕を振り払ったため,当該生徒の頭を平手で叩(たた)く。
 ・給食の時間,ふざけていた生徒に対し,口頭で注意したが聞かなかったため,持っていたボールペンを投げつけ,生徒に当てる。
 ・部活動顧問の指示に従わず,ユニフォームの片づけが不十分であったため,当該生徒の頬を殴打する。

 以上である。

 何回も何回も読み返してみた。茫然自失というべきか,だんだんと情けなくなってきた。こんなレベルの作文を文部科学省の官僚が大まじめに書いていること,そして,これを直属の局長がチェックをし(そこにいくまでに何人ものチェックがなされているはず),なんの疑問もいだくことなくみずからの名のもとに,各都道府県教育委員会教育長をはじめ,学長,知事宛てに〔通知〕として発令する,この無神経さ,無責任さがまかりとおっているという事実。

 わたしは若いころには,かなり長い間,体育教師として仕事をしていたことがある。そして,いまも,教え子たちから学校現場の実情については,かなりの情報をえている。そういう視点から,この文章を読むと,おそらくは,教育現場のことは<報告>という名の「伝聞」「絵空事」程度にしか理解できていない人たちの作文ではないか,と考えてしまう。もし,これが日本の教育行政の中枢の実態だとしたら,日本の教育に未来はない。

 教育現場の最先端で,必死になって児童・生徒と向き合っている先生たちが,この〔通知〕を読んだら,笑ってしまうだろう。なんの問題解決にもなっていないから。問題は,体罰の「グレイゾーン」を明らかにし,そこに,どのような線引きをするのか,そこが問われているのだから。

 この〔通知〕については,いいたいことが山ほどあるが,今日のところはここまでとする。
 みなさんのご意見をお聞きしたい。

春よ来い,は~やく来い。創作能面「パンドラの箱に残る<もの>」。クォ・ヴァディス。

  ことしの桜の開花は例年よりも早いといいます。東京では17日には開花。一週間後には都内の桜の名所が見頃を迎えるとのこと。この暗いニッポン国にあっては,久しぶりの想定外の朗報です。やはり,大自然は偉大です。世俗の見苦しい騒音など素知らぬ顔,超然としています。やはり,こうでなくてはいけません。

 鷺沼の事務所に通う道筋にあるいつもの植木屋さんの庭の桜は,もう,満開です。ただし,こちらは染井吉野ではなくて,河津桜です。そのすぐとなりにある赤い桜(名前がわからない)ももうすぐ開花です。しかし,さらに奥にある八重桜はまだつぼみも固く,素知らぬ顔をして,これまた超然としています。まさに,わが道をゆくです。同じ桜でも,それぞれに「自立」して,それぞれにマイ・ペースを守っています。立派なものです。


  寒くて暗かった冬が過ぎ去り,春の嵐が吹き荒れているとはいえ,吹く風はどことなく温んできています。冬の寒さから解き放たれ,春は,やはり,新しいなにかがはじまる予感に満ちた,心浮き立つ季節です。ピカピカの一年生も,もうすぐ誕生です。

 能面アーティストの柏木裕美さんが,「パンドラの箱に残る<もの>」というタイトルの作品をブログで紹介されています。わたしは,思わず,アッ,と声を発してしまいました。傑作なのです。これまでの創作能面とはいささか趣が異なる傑作です。これまでの制作のレベルから,なにかまたひとつ突き抜け出たなぁ,と思わせられる傑作です。

 この作品もまた「小面変化」のひとつです。ふつうの小面の周囲から太陽のコロナが広がっていて,しかも,それが小面のうしろに流れていくように,立体的になっています。しかも,この小面の眼が,どこか視点が定まらず,神がかった力をもっています。つまり,太陽神となった小面,というわけです。もっとも,これはわたしの勝手な解釈ですが・・・・。

 しかも,この太陽神の小面が「パンドラの箱」に残っていた最後の<もの>,すなわち<希望>というわけです。このネーミングがこれまたおみごと。ギリシア神話に詳しい人ならば,その意味の深さに感動です。

 柏木さんのブログには,「3・11」によって「パンドラの箱」のふたが開けられ,あらゆる「わざわい」が世に蔓延し,絶望の淵に立たされたいま,最後の望みは<希望>しか残されていない,と結んでいます。この最後に残された<希望>に一縷の救いを求め,そこに生きものとしての<生>のすべてを賭けるしかない・・・と。そんな柏木さんのイメージが,太陽神としての小面となって表出した,ということなのでしょう。いまのわたしたちの未来は,もう一度,人間にとっての宇宙の中心にある太陽から出直すしかない・・・と。



 は~るよこい,は~やくこい,あ~るきはじめたミヨちゃんが,あ~かいはなをのじょじょはいて,おんもにでたいとま~っている。

 そんな春が,フクシマの家・土地を追われた人びとや,津波に襲われて肉親を失った人びとや,そして,米軍基地のみならず危険なタケトンボとも闘わなくてはならない沖縄の人びとや,あるいはまた,体罰やいじめに苦しめられている人びと(体罰はスポーツ界のみならず,家庭でも,施設でも,企業でも日本中のすみずみまで広く蔓延しているという)にも,分け隔てなく,満遍なく訪れることを<希望>してやみません。

 太陽は生きとし生けるもののすべてに,あまねく光と熱を送りつづけてくれます。太陽は,自分のためでもない,だれのためでもない,ただ,ひたすら燃焼するのみです。バタイユのいう「消尽」の原イメージは,まさに,この太陽です。わたしたちの生命もまたその原点は「消尽」あるのみなのです。このことを忘れてしまったときから,生きものとしての人間の悲劇がはじまった,とわたしはバタイユから教えられました。

 生きものとしてのヒトは,内在性の世界から<横滑り>して,人間性の世界をめざしたときから逸脱をはじめました。そして,21世紀を迎えた人類は,とうとうまったき「事物」と化してしまったことにも気づかないまま,思考停止と自発的隷従の「ぬるま湯」に浸って,なんの矛盾も感じなくなってしまいました。

 こうなったら,もう一度,一からやり直しです。そこにしか<希望>を見出すことができません。それがわたしたちがいま,現在,向き合っている現実の世界なのでは・・・,と柏木さんの「パンドラの箱に残る」は,無言のうちに語りかけているように思います。

 歩きはじめたミヨちゃんは,春になったら,どこに向って歩きはじめることでしょう。ミヨちゃんは,そのままわたしたち自身の写し鏡でもあります。わたしたち自身が,あまりに「眼」と「頭」に頼りすぎることなく,「ミヨちゃん」のように,もっと耳を働かせ,匂いを嗅ぎ,皮膚で感じ,味覚を鋭くし,五感のすべてを動員し,かつ,第六感も働かせつつ,トータルに「考える」ことをはじめなくては・・・・と,これはわたし自身への警告です。

クォ・ヴァディス。主よ,いずこへ?


2013年3月14日木曜日

TPP反対緊急声明への連名,ありがとうございました(内田聖子)。

  NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC=Pacific Asia Recource Center)の事務局長の内田聖子さんから,標記のようなメールがとどきました。一昨日のブログにも書きましたように,13日にも安倍首相が「TPP参加」表明をするらしいという情報をとらえての「反対緊急声明」への連名の呼びかけがありました。そこで,早速,連名の意思表明をしました。それに対するお礼のメールというわけです。

 このお礼メールのなかに,以下のような情報が盛り込まれていました。
 米国NGO/パブリックシチズンのロリ・ワラックさんからのビデオメッセージ(12日撮影)をウェブにアップしたのでご覧ください,とありました。
 http://www.youtube.com/watch?v=fm-6DR6o3vs&feature=player embedded

 このなかで,「TPPは危険すぎる。なぜ安倍首相は参加を急ぐのか。日本は何も決める権利を持てないのに」とロリ・ワラックさんが強調しています。ぜひ,ご覧になってください。

 これをみて,なんて無謀なことを安倍首相はやろうとしているのか,ということがよくわかってきました。この内実をひた隠しにして,つまり,明白な事実(いまから参加しても,実質的にはなにも交渉はできないという事実)をひた隠しにしたまま,自民党の党員総会の了承をとりつけて,15日には正式に「TPP参加」表明をする,というわけです。自民党の党員ですら,このような事実を認識しないまま,党としての意思決定をしようとしているわけです。

 それにしても恐ろしい話しです。
 政治家ですら,いまからTPPに参加してもなんの意味もないということがわかっていないというこの現実に茫然自失するほかありません。しかし,それならばこそ,そのことを知ってしまったわたしたちが「行動」を起こすしかありません。

 偶然とは恐ろしいものです。
 そんなことを考えながら,13日の午後8時30分ころ,夕食をとりながらラジオを聞いていました。J-wave(81.3)です。そうしたら,そこに内田聖子さんが登場してきたではありませんか。それも,シンガポールで行われているTPP交渉の現場に取材にきている,その途中での電話応答でした。思わず惹きつけられるようにして耳を傾けました。そこでは,おおよそ,つぎのような話がなされていました。

 TPPの交渉そのものは極秘会議ですので,なにが話し合われているのかは,なにもわからないこと。各国の代表に体当たりで取材し,その応答のニュアンスから,あれこれ想像することしかできないこと。最終声明を発表するまでにあと4回の会議が予定されていること。日本がこれから参加することはほとんど想定内のこととして認識されているらしいこと。日本がこれから参加表明をしたとしても,手続的には,最終回に出席が可能となるにすぎないこと。その最終回には追加交渉のほとんどの議題は終わっていて,とりまとめの段階に入っているはずであること。したがって,日本はなにも交渉するチャンスはないこと。最終回の会議の議長国はアメリカなので,アメリカのとりまとめる声明文に賛成をする以外にはなにもできないこと。だから,いまさら慌てて参加してもなんのメリットもないこと。むしろ,すべての交渉条件が明らかにされるまで待った方がメリットは大きいこと。などなどでした。

 こんな話を聞いていますと,すでに参加している国々に対して,まるで無条件降伏をするに等しいような「TPP参加」になるというわけです。「聖域」など,とんでもない話です。こんなにまでして,なぜ,いま,参加表明なのでしょうか。安倍首相とオバマ大統領との間に,いったい,どのような密約が交わされているというのでしょうか。

 わたしたちは,いま,アメリカとの「密約」なるものをなにも知らされないまま,闇に向かって猪突猛進していくに等しい立場に置かれています。

 昨夜,ここまで書いておいたら,今朝には,もう新しいメールが内田聖子さんからとどいていました。15日の抗議行動についての情報です。詳しくは,PARCのホーム・ページをご覧ください。わたしは,ほんのちょっとの時間でもいいから,抗議行動の場に立ってみたいと思っています。

 取り急ぎ,情報提供まで。

2013年3月13日水曜日

春の嵐が吹きまくる。ニッポン国の未来への警告か。

 3月10日(日)の煙霧にはじまり,東京はこのところ春の嵐が吹きまくっている。今日(13日)もまた,朝から猛烈な突風が吹いている。風に向って歩くと押し戻されてしまう。後ろから吹かれると走らされてしまう。春に嵐はつきものとはいえ,いささか異常な吹き方ではある。

 こころなしか,15日にはTPPへの参加表明をする予定の安倍君への「はなむけ」の煙霧ではないか,と勘繰ってしまう。それだけではない。尖閣問題から竹島問題もふくめて,もっとも仲良くしなくてはならない燐国を敵にまわすような政策に猛進するニッポン国の,未来への警告ではないか,とすら思えてくる。

 いよいよもって救いようのない方向にひた走るニッポン国。この危機的な情況に,「思考停止」し,「自発的隷従」に慣れっこになってしまったニッポン国民は,なんの危機意識もないらしい。だから,現政権に70%もの支持率を与えてしまう。この体たらく。安倍君はますますその気になってしまう。戦争に行けと言われれば行きますよ,という若者も少なくないと聞く。幼少期に恐ろしい戦争を経験した者としては理解不能である。

 政権にべったりのメディアも,このところ連日のように「復興情報」を取り上げている。まるで,もののけに取りつかれたかのように。しかし,よくよく観察してみると,「復興」という問題の本質的な部分はうまく忌避しながら,みんな元気に頑張っている人びとの生活ぶりを追うものが多い。つまり,「情報」として取り扱いやすいものばかりが浮き彫りになっている。しかし,大事なのは,「情報」にもなりえないような,闇から闇へと葬り去られてしまうような,「復興」の陰の部分に,いかにして救いの手を差し伸べていけばいいのか,ということをみんなで共有することではないか。

 この数日間の,突然に襲ってきた「復興」情報の乱舞もまた,わたしには「春の嵐」にみえてくる。ふだんは,ほとんど「復興」情報など扱わないのに,新聞もテレビも「復興」情報で満載である。こうして,ニッポン国の国民の意識が「復興」情報に取り込まれている間隙を縫うかのようにして,「TPP」参加表明ときた。まるで絵に描いたような戦略ではないか。しかも,安倍君は「時間がない」という。なんのための?

 いま参加表明したとしても,3年前から参加した国々によってすでに決まっている取り決め内容については,3カ月後でないと開示されないという。新聞によれば「7月」にならないと,その内容を知ることはなきないという。しかも,すでに決まってしまっている内容については,一切の変更は認められない,という。つまり,なにが決まっているかもわからない条約に,眼を瞑って,参加表明をし,さらに3カ月,じっと待つのだという。

 これでは,条約の内容をなにも知らないまま「めくら判」を押すのと同じではないか。身もこころも丸投げにして,みなさんの取り決められたことに同意します,とまあこんなことをニッポン国はいまやろうとしているのだ。からだは売ってもこころは売らない,最低限の「みさお」さえ放棄して。それはないだろう,と春の嵐が吹きまくる。わたしには,そんな天の声に聞こえる。

 ニッポン国の未来によくない予兆としての春の嵐。煙霧。

 不意に,ちあきなおみの名曲「喝采」という歌が聞こえてくる。「あれは3年前,止めるあなた駅に残し,動きはじめた汽車にひとり飛び乗った・・・・」。その3年後に「あなた」からとどいた手紙は「黒い縁取りがありました・・・・」。

 こんな嵐にも負けずに自然界はいつものように粛々とことを運んでいく。鷺沼駅前のロータリーのなかに立つ白いモクレンが満開である。カメラをとり出して構えていたら,通行人の見知らぬ人が近寄ってきて携帯で撮影をはじめた。一声,二声,ことばを交わした。なぜか,その人は「ありがとうございます」と言って去って行った。一瞬,さわやかな春風が吹いたように思った。


2013年3月12日火曜日

TPPには参加しない,というのが自民党の選挙公約ではなかったのか。

 立派な選挙公約をかかげて政権与党を奪取した自民党が,はやくも選挙民をあざむく行動に出はじめている。そのことを新聞もテレビもほとんど問題視することもなく,黙って容認してしまっている。だから,国民の多くは,ちょっと話が違うのになぁ,と思いながらもそれでいいのだと思い込んでしまう。その結果が,安倍支持66%(あるいは,70%)という数字となってあらわれてしまう。それをみて,なにも考えない国民の多くはこの多数に身を寄せていけばいい,と無意識のうちに「洗脳」されていく。悪循環,悪の連鎖。いまや,とどまるところを知らず・・・・。

 安倍君はなにを血迷ったか,選挙公約でTPPには参加しないと約束していた,そのTPPに参加するという情報が流れている。それも大急ぎで「13日」にも,という話。もう,あきれてものも言えないとはこのことだ。

  詳しくは,PARC(NPO法人アジア太平洋資料センター)のホーム・ページでご確認ください。
http://www.parc-jp.org/teigen/2011/syomei201303.html

  これから十分に議論をつくして,多数の国民の納得がえられた上で・・・・・というならまだしも,「熟慮する時間がない」と安倍君はいう。冗談じゃない。国民の納得が得られなかったら,参加しなければいいだけの話。それが日本国総理大臣としての責務であろうに。なにを勘違いをしているのか,安倍君は。

 こんなに性急にことを運ぼうとするには,そうしなければならない「特殊な事情」があるに違いない。それも国民には知らせることのできない事情が・・・・。そのもっとも大事な情報をひた隠しにして,ことを運ぶ。とりわけ,「3・11」以後,日本国政府は,国民が知っていなくてはならない情報までひた隠しにする。そうして偏向独断で突っ走ろうとする。民主党政権がそれで崩壊したという教訓を忘れたかのごとくに,自民党政権も同じ轍を踏んでいる。こんなことをしていれば,いずれ遠からず,国民の多くが気づきはじめることは間違いない。それでもなお,誤魔化しきれると踏んでいるとしたら,それはとんでもない話だ。いったい,だれのための政治なのか。

 すでに,新聞などで知られているように,TPP参加のタイム・リミットはことしの10月だ。しかも,過去3年間の参加国間の交渉で合意している内容には,いかなる変更も許されない,という。にもかかわらず,カナダとメキシコは,そうした不利な条件のすべてを認めて,去年の12月に参加を決めた。日本はそれにつづこうというのである。

 これは日本国という主体の放棄であり,自殺行為に等しい。にもかかわらず「参加」する,と安倍君はいう。ことの真相をよくよく調べてみると,それはたんに農業の破壊だけの話ではない。医療制度から保険制度はもとより,わたしたちの生活のすみずみまで,グローバル・スタンダードという経済統制のもとに「根こぎ」にされ,地ならしされてしまう。そこには,もはや,日本国である根拠はなにもなくなってしまう。つまり,日本人としての存在理由もなくなってしまう。

 下手をすれば,母国語まで奪われて,みんな「英語」を話さなくてはならなくなる。すでに,見切り発車をして,某企業では英語を話すことが義務化されているという。そして,外国人役員を雇い入れて,重要な会議はすべて英語でなされているという。英語の話せない社員は,つぎつぎに窓際族にされてしまう,という。小学校に英語教育を導入しようとした意図は,こうした動向を見据えての先取りであり,それこそ「自発的隷従」そのものだ。そのうち,日本語の話せない日本人が続出するかもしれない。

 PARCのホーム・ページには,TPPが内包する問題点が詳細に述べられている。ぜひ,ご一読を。そして,TPP参加反対署名活動を展開しているので,その趣旨をよく理解した上で,署名していただけるとありがたい。署名さきのアドレスは以下のとおり。
kokusai@parc-jp.org
署名の要件は,氏名・肩書・メールアドレス,だけです。

 その上で,安倍君の動向から眼を離さないようにしたいと思います。
 いささか焦りながら,このブログを書いています。
 こころある人はお力添えのほどを。



ダン族のすもうは「人間という生き物たちが共同の生活を組み立てるその役割をになっている」(西谷修)。

 3月9日(土)の研究会は,とてもいい雰囲気のなかで展開し,まことに稔り多い成果をあげることができました。講師をつとめてくださった真島一郎先生にこころから感謝しているところです。参加してくださったみなさんも,とても喜んでくださり,わたしとしてはほっと一息というところです。

 いくつもの面白い議論があったのですが,まずは,わたしにとって特筆すべきコメントがあったこと,そして,そのコメントが強烈な印象を残しこと,このコメントはこれからのわたしたちの研究の行方にも大きな影響をもつものであること,がありましたので,その話題を記憶が鮮明なうちに記録しておきたいと思います。

 それは西谷修さんが指摘されたコメントです。結論からいいますと,
 「ダン族のすもうは,たんなる余暇の楽しみではなく,たとえば沖縄の島々の人たちにとっての祀りとか,ニガイの儀礼のように,人間という生き物たちが共同の生活を組み立てるその役割をになっているのでは・・・・?」
 という内容のコメントでした。

 実際には,もう少し長いお話をされた上で,このような結論を導き出すかたちでなされました。真島先生はこの西谷さんのコメントを受けて,さらに補強するようにして,詳細にその根拠となることがらについてお話してくださいました。そこで,はっと気づいたのですが,西谷さんのコメントは,わたしのような,近代的な二項対立的な思考法になじんでしまった人間に警告を発するためのものであった,ということです。つまり,つい習慣化してしまっている近代の二項対立的思考の呪縛から解き放ち,もうひとつ違う次元に立つ思考法を取り入れるべきではないか,という深い意味が籠められていたということです。その理由は以下のとおりです。

 ダン族のすもうは農作業のできない乾期に行われるということ,そして,雨期に入ると農繁期に入るのですもうは行われない,というわけです。これがダン族のすもうの大きな枠組みです。すると,わたしたちは,いともかんたんに「ああ,農閑期の暇なときの娯楽・楽しみとしてすもうが行われているのだ」と思い込んでしまいます。そして,労働と余暇との二項対立で整理すると,いかにももっともらしく聞こえ,多くの人が納得しやすいというわけです。こういう近代的な思考癖に対する警句として,西谷さんのコメントがなされたのでは,というわけです。

 秘密結社を組織しているダン族の人たちの「すもう」は,そんなに単純なものではない,ということです。むしろ,結社社会を組み立てるためにはなくてはならない文化要素,つまり,必要不可欠のものとして「すもう」が存在するのでは,というわけです。秘密結社の中核にあるものが仮面だとすれば,「すもう」はもうひとつの仮面に相当するのではないか,という次第です。

 ここまで考えてきますと,わたしの思考はジョルジュ・バタイユが『宗教の理論』のなかで展開した「祝祭空間」の成立の問題につながっていきます。それは,いささかややこしい議論なのですが,ごく簡単に整理してしまえば,以下のようなことになろうかと思います。バタイユは,祝祭空間は「有用性」を打破するために,つまり,事物化したものをもう一度,内在性の世界に送り返すという意味が原点にある,といいます。だとすれば,祝祭空間では,ただ,ひたすら消尽が繰り広げられるということになります。それは,マルセル・モースのいう贈与でもあります。

 こうした消尽や贈与もまた,文明の進展とともに「有用性」に絡め捕られていきます。そして,ますます事物化していきます。その成れの果てが近代スポーツ競技としての「レスリング」だというわけです。

 西谷さんは,こういう思考の枠組みを念頭におきながら,さらに,ピエール・ルジャンドルのドグマ人類学的な発想を加味して,表題のようなコメントをしてくださったのでは,というのがわたしの推測です。

 さらに,付け加えておけば,「人間という生き物たちが共同の生活を組み立てるその役割」という西谷さんの発想の含意としては,シモーヌ・ヴェイユの『根をもつこと』とも響きあうものがある,とわたしは受けとめています。つまり,結社社会を組織するということは,まさに,ダン族としての「根をもつこと」のための文化装置として仮面やすもうを共有するということでもあるからです。

 というような次第で,西谷さんのコメントは,考えれば考えるほど重い意味を帯びてきます。そして,このような視点を加えることによって,これまでのスポーツ史やスポーツ人類学やスポーツ文化論の語り口も,みごとにひっくりかえっていくことになります。それほどに大きな問題を秘めたコメントであった,とわたしは考えています。そして,これからの研究会でも,このコメントは継続して議論していきたいものだと考えています。

 以上です。

2013年3月11日月曜日

「3・11」から丸二年。「0310」集会とデモに行ってきました。

 昨日(3月10日)は,ポカポカ陽気に誘われるようにして,早めに家をでて日比谷公園に向いました。奈良からやってきた若い友人と一緒に。時間がたっぷりあったので,地下鉄を少し手前で降りて道路にでてきたら,いきなり右翼団体の街宣車が隊列をなしてとおりすぎてゆきます。その数の多さにまずは圧倒されてしまいました。それぞれの車から大音響の音楽やアジテーションの演説が流れ,お互いに反響し合って,結局はなにも聞き取れません。というか,伝えるべきメッセージはなにも印象に残りませんでした。

 そんな光景に度肝を抜かれながら,「国を愛するということはどういうことなのか」と,まずは,考えてしまいました。郊外に住んでいると,こういう光景からも縁遠くなっています。ですから,なんともいえぬ摩訶不思議な,新鮮な刺激でした。そうか,こういう人たちも相変わらず元気なんだ,こういう人たちの存在も現代日本の社会を考える上では不可欠なのだ,としみじみ考え,思いを巡らせていました。

 その隊列を見送ってから,自民党本部を左手にみやりながら,国会議事堂前に。その前にある公園のなかに入り,「日本水準器」の設置してある建物を過ぎて,時計塔の下のベンチに座り,一休み。ここには灰皿もセットされていて,愛煙家の若い友人は一安心。国会議事堂と皇居方面とを交互に眺めながら,二人で「この二年」を振り返る話をしました。

 お互いに確認できたことは,わたしたちの住んでいたこの国が,これほどまでにお粗末な国だったとは気づかなかった,ということでした。「3・11」以後,これまでうまく隠蔽されてきたことがらが,一挙に露呈するはめになってしまい,おまけに,ことごとく収拾がつかなくなってしまっている,というみじめな現実でした。

 なかでも,メルトダウンしてしまった核燃料棒がどこに,どういう状態で存在しているのか,その在り処もわからない,という事実。そして,その存在を確認するためのロボットをこれから開発しなければならない,という事実(このために10年くらいはかかるとか),もし,かりにこのロボットを開発することができたとしても,こんどはメルトダウンした核燃料棒をとりだすための機械・道具をこれまた新たに開発しなければならない,という事実,そのために,また,さらに何十年とかを要する,という事実,そして,さらには,とりだした核燃料棒をどのように保管するのか,そのための・・・・・,という具合に気の遠くなるような現実がいまも,そして,これからも半永久的につづく,という事実。終わりのないストーリーは,いま,はじまったばかりです。

 そういう現実が日ごとに明らかになってくる,これがわたしにとっての「この二年」の重く,息苦しい日々の実態でした。それに加えて,この気の遠くなるような現実に蓋をすべく,早々に「収束宣言」をして,はちゃめちゃな政治を展開した民主党政権。それを国民は見逃してはいませんでした。敵失というか,自滅の民主党をしりめに,漁夫の利をかすめ取るようにして浮上してきただけの自民党が,さも国民に支持された正義であるかのような顔をして,一気呵成に強行路線を突っ走ります。しかも,それが国民の多くの人たちに支持されているという現実(70%を越えるという)に,これまた,わたしは呆然としてしまいます。この国はいったいどこに行こうとしているのだろうか,と。フクシマのことをほったらかしたままにしたまま・・・・。

 おまけに,つい先週までは,東京にオリンピックを招致しようという,まやかしの「正義」の名のもとに,またまた,国民に「めくらまし」をかまして平然としている政府自民党,そして,都知事。都合の悪いことには「蓋」をしておいて,都合のいいことのみを声高に喧伝する利害打算の政治ばかりが横行してやまないこの国の現実。「めくらまし」政治。「ねこだまし」政治。

 こんな,ふだんからのたまりにたまった鬱憤を,若い友人と語り合いました。そこから,ぶらぶらと皇居のお掘りをわたって皇居前広場に向かいました。その手前の広場には,障害者のマラソン・ランナーと伴奏者,そして,家族の人たちでごった返していました。まもなく,スタートを切る,そのための準備におおわらわの様子が伝わってきました。なるほど,こういうイベントも今日は組まれているんだなぁ,と思いながら・・・。でも,ポカポカ陽気に恵まれましたので,みんなとても楽しそうな顔をしていました。

 そこから,少し早いけれどもそろそろ日比谷公園野外音楽堂をめざすことにしました。日比谷公園に入ると,もう,すでに大勢の人でごった返していました。ああ,今日は,さすがに大勢の人が集まってきているなぁ,と思いながら野外音楽堂に到着。そこはもう立錐の余地もないほどの人です。なんで,みんな立ち止まったままでいるのだろうと不思議に思いながら,人をかき分けて入り口をめざします。すると,すでに満員で入場できません,という突然のアナウンスが響く。エッ!? こんなことは初めてのことでした。野外音楽堂に入れなくて,その外で待機している人たちがこんなにもあふれているとは・・・・。しかも,集会がはじまる30分前だというのに・・・・。

 仕方ないので,別のイベント広場を散策しながら昼食をとることに。タコライスなるものを初めて食べました。ああ,こういうものであったか,と新しい学習でした。どこかで音楽が聞こえてきましたので,そちらに向う。ちょうど,つぎのステージに変わるところに出くわしました。すると,なんと,加藤登紀子さんが登場です。短いスピーチ(当然,「3・11」後とこれからに向けての熱の入ったご挨拶)につづいて歌がはじまりました。加藤登紀子さんの生演奏を聞くのは初めてでしたので,感動しました。選曲もすべて東日本大震災,フクシマに触発されての新曲ばかりでした。

 ですが,あまりにも暑いので,日陰に入ろうとしたそのときです。北東の方角の空の色が茶色がかったねずみ色になっているではありませんか。頭の上は,真っ青な空。風もないポカポカ陽気。なんだろうと思っている間もないほどの速さで,その変色した空がこちらに押し寄せてきました。猛烈な突風が吹きはじめ,日比谷公園の木の葉や砂が渦を巻いて空に舞い上がっていきます。これはえらいことになったと覚ったわたしたちは,急いで松本楼の陰に隠れました。雨がパラパラときたように思いましたが,手を伸ばしてみるとそうでもありません。

 が,この砂嵐が襲ってきたころには,デモに出発する14:00になっていました。わたしたちも出発口に向かいました。人でいっぱいです。いくつものグループに分かれて,つぎつぎに出発していきます。わたしたちは「サウンド・グループ」というところにもぐり込んで,ラッパーの囃子詞を聞きながら歩きはじめました。が,相変わらず砂嵐は止まりません。眼が開けられないほどの砂嵐です。そして,あっという間に冷え込んできました。こんどは寒いということばがふさわしいほどの冷え込みでした。国会議事堂の前の坂道にさしかかったときに隊列の長さがどのくらいあるのだろうか,と確認してみました。が,前も後ろもまったく見極めがつかないほどの長蛇の列です。

 今日の新聞によれば,国会周辺に4万人がデモ,とあります。砂嵐は「煙霧」ということも新聞で知りました。

 長くなってしまいましたので,このあとのことは,また,後日。
 取り急ぎ,昨日のレポートまで。

2013年3月9日土曜日

3月10日(日)の反原発集会・デモの予定が新聞の記事となる。

 「3・11」を直前にして,メディアもなにかと東日本大震災や原発のその後の話題を提供するようになってきた。しかし,反原発をかかげる市民運動をとりあげることは,これまでも,ほとんどなかった。当然のことながら,「あすデモ」という見出しの新聞記事が掲載されることも,まず,なかった。が,今日(9日)の東京新聞には三面記事ながら,記者会見の写真入りで,かなり大きく報道している。ようやく,ここまできたか,としみじみ思う。他紙については,これから確認の予定。

 東京新聞には,「3・11前に反原発連合」「事故風化させぬ」という見出しが躍る。最初のつかみの文章を引用しておこう。

 3・11を前に,脱原発を訴えるデモや抗議活動が10日,日比谷公園や国会周辺で行われる。毎週金曜日,首相官邸前で抗議活動を続けている「首都圏反原発連合」の主催。東京都内で八日記者会見した,中心メンバーのミサオ・レッドウルフさんは「原発事故のことを風化させず,記憶によみがえらせる」と力を込めた。

 このあとに,詳しい説明文がつづく。(割愛)。

 昨日のブログにも少しだけ触れたが,わたしの住んでいる溝の口の近くの中原平和公園でも集会やデモが予定されている。ネットでみると,全国各地で「0310」集会が企画されていることがわかる。

 考えてみれば,もう丸2年が経過しようとしている。なのに,この無力感はなんだろう。

 最新号の『世界』(4月号)は,特集1.で「終わりなき原発災害」─3.11から2年,を組んで,いろいろの立場に立つ多くの識者たちの意見を掲載している。そして,巻末の広告ページの最後のところに,木野龍逸(『検証福島原発事故・記者会見2』─「収束の虚妄」)の著者からのメッセージが掲載されていて,ひときわ,わたの眼を引いた。そこには,以下のように書いてある。

 「まだ何も終わっていない」
 2011年12月16日に野田佳彦首相(当時)は「発電所の事故は収束に至った」と発表しました。しかし当時はもちろん,今でも,福島第一原発ではメルトダウンした核燃料がどこにあるのか判明しておらず,貯まり続ける放射能汚染水も処理の目処が立っていません。
──中略。
原発事故は継続中であり,忘れてはいけない現実であることを,お伝えできればと思います。

 以上。

 今日は,午後から,真島一郎さんを囲む大事な研究会が控えている。珍しく,少しずつ緊張感が高まってきている。そろそろ頭をそちらにシフトしなければ・・・・。というわけで,今日のところはここまで。

 もちろん,明日は日比谷公園から首相官邸前にでかけるつもり。
 その場に立つ。そして,考える。からだに記憶を刻み込むために。

2013年3月8日金曜日

決め手を欠く「五輪東京招致」運動。運営能力だけでなく,情緒に訴えるものを。

 IOCの評価委員会による現地調査が終わった。その結果に関する精確な情報が知りたかったので,家で講読している新聞のほかに2紙を駅(溝の口)で購入して,いつものように電車に乗って鷺沼の事務所に向う。春のような陽気で,少し歩くと汗ばんでくる。

 駅前(鷺沼)では,「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」のビラが配られていた。もらって見ると「2013/3/10 SUN.川崎市中原平和公園」とあり,この日に行われる各種イベントの予定表が書いてある。スペシャルゲストに,「経済界から脱原発宣言」,城南信用金庫理事長吉原毅さんの名前もある。

 このような活動をメディアはほとんど無視しているが,ネット上では多くの情報が流れている。「3・11」以後のこの2年間はいったいなんだったのだろうか,という批判が圧倒的に多い。そして,3月10日には「0310 原発ゼロ☆大行進」が日比谷公園野外音楽堂を基点にして展開されること,それに呼応して脱原発運動が全国各地で展開されること,などもよく知られているとおりだ。

 鷺沼駅でもらったビラにも,「官邸前脱原発金曜日アクションに地域から連帯しよう!」と書いてある。こんどこそ,つまり,「3・11」から「丸2年」が経過したにもかかわらず,事態はなにも改善されないままになっていることに対する国民の苛立ちの意思表明を,メディアはきちんと報道してほしいものだ。とんでもない「アベノミクス」に躍らされないで。

 事務所にくる途中の,いつもの植木屋さんの庭の河津桜が三分咲き。根元には諸葛菜が薄紫の花を咲かせている。モクレンのつぼみも日ごとに大きくなっている。

 事務所に到着して,コーヒーを淹れて,新聞を読みはじめる。どの新聞もIOC評価委員会関連の情報を満載している。全部,読み終えたときに,なんともいえぬ虚脱感をおぼえる。読むべき内容がほとんどないからだ。もちろん,最初からそんなことはわかっている。しかし,念のために,確認したかった。やはり,予想どおり。

 ただひとつ,これは,と思ったくだりがあった。引用しておこう(『毎日新聞』)。

 東京招致委員会は「震災からの復興」を前面に出さなかった。東日本大震災に話題が向けば,原発事故など「負」の印象を与えかねないとの思惑が見え隠れする。
 東京招致委は「Discover Tomorrow ~未来(あした)をつかもう」との抽象的なスローガンの下,充実した交通体制など都市力を前面に出したプレゼンテーションを続けた。だが最後の東京招致委の記者会見で海外メディアからこんな質問が飛んだ。「運営能力があるのはわかった。で情緒的に訴えられるものは?」

 この問いにどのように応答したかは,どこにも書いてない。答えに詰まってしまって,だれも適切な応答ができなかったのだろう。

 ここに招致委員会の盲点がみごとに露呈している。「震災からの復興」を封印して,表面づらを整えて,支持率を上げれば,招致に成功すると考えていたはずだ。甘い,のひとこと。

 「震災からの復興」を封印しなければ五輪招致に不利だと考えたとしたら,その時点で,すでに勝負あった,である。つまり,最大の弱点を隠蔽したのだから。しかし,このスローガンをIOC評価委員会のメンバーが知らないはずはない。のみならず,日本国民に対する冒涜ではないか。被災者を勇気づけるためにも五輪は必要なのだ,と都知事を筆頭に総理大臣ですら主張してきたではないか。

 海外メディアの記者が問う「情緒的に訴えられるものは?」は,まさに,この点をついたはずだ。言ってしまえば,マドリードにもイスタンブールにもなくて東京に固有の「情緒的に訴えられるもの」は,すなわち,「震災からの復興」しかないではないか。この唯一のセールス・ポイントを封印してしまったのだ。ということは,もはや,東京に五輪を招致する最大の根拠はどこにもない,ということだ。「Discover Tomorrow」などというスローガンはどの都市でも言える。なにも,東京でなくてもいい。

 支持率が高かったことに招致委は大喜びをしたそうだが,ごもっとも。でも,これは前回の減点対象をクリアしただけのことで,ポイントにはならない。他の立候補都市は,昨年5月の段階で,すでに,もっと高い支持率だったのだから。

 となれば,なにが「決め手」になるのか。
 それは,2020年に,なぜ,東京で五輪を開催する意味があるのか,ということを世界に示すことだろう。その点は,マドリードも同じだ。大した根拠は見当たらない。その点で,もっともわかりやすいのはイスタンブールだ。イスラム文化圏で初の五輪開催だ。オリンピック・ムーブメントの根幹に触れる説得力をもつ。運営能力などは,無事に大会を運営する能力があれば,事足りる。そこに点数をつけて差異化するとなると,文明化の遅れた国は永遠に五輪を招致することはできなくなってしまう。だから,運営能力は最低限のレベルをクリアしていればいいのである。必要なのは,なぜ,その都市で五輪を開催するのか,というわかりやすい説得力だ。

 どの新聞も,総じて,現地調査はうまくクリアできた,という評価の高い報道だった。しかも,これからさきは「ロビー活動」にかかっている,と各紙とも口を揃える。意見を聞かれた識者たちも異口同音に「ロビー活動」が重要だ,と指摘している。しかし,そうだろうか。わたしはまったく違う受け止め方をしている。

 「ロビー活動」とはなにか? 政治や経済の世界での「ロビー活動」は,よく知られているとおりである。そこではいろいろの裏取引がなされていることもよく知られているとおりだ。その論理をそのままスポーツの世界に,つまり,五輪招致運動に持ち込んでいいのだろうか。簡単に言っておけば,ロビー活動とは「よろしく」という肩たたきだ。肩をたたかれただけでIOCの投票権をもつ委員たちがこころを動かすとは思えない。過去の事例からみても相当の金品が飛び交っている。それを封じ込めるためにあれこれ対策が立てられていることもわかっている。しかし,その眼をかすめて行われるのが「ロビー活動」だ。言ってしまえば,「八百長」工作のことだ。こんなことが,これまでも営々として行われてきたのだ。それが五輪招致運動の陰の実態だ。

 オリンピック・ムーブメントも,もはや,地に堕ちた★にすぎない。
 わたしがオリンピックのミッションは終わったという根拠のひとつは,ここにもある。だから,そろそろ「幕引き」をすべきだ,というのがわたしの基本的な考え方である。あるいは,抜本的な改革をほどこして再生をはかるべきだ。このことの具体的な提案も考えている。いつか,チャンスがあったら公表してみたいと思っている。

今日のところは,ここまで。

2013年3月7日木曜日

「裸体文化の妙」・男性裸体像の彫刻展に全裸男性客が殺到(ウィーン)。

  ちょっと記憶があいまいなので,間違いがあるかもしれませんが,お許しください。
数日前のテレビでの話です。これがニュースだったのか,なにかのびっくり番組だったのか,たぶんニュースだったと記憶するのですが,たしかではありません。つぎのような話が紹介されました。

 芸術の都・ウィーンの美術館で男性裸体像ばかりを集めた彫刻展を開催したところ,全裸で鑑賞したいという男性の申し入れが殺到し,それを許可したところ大勢の男性(映像をみるかぎり,中年から初老の太った男性が多かった)が押しかけた,というのです。さすがに下半身はボカシの入った映像でしたが,なかなかの壮観でした。「こんなとんでもないことが芸術の都ウィーンでは行われています。いったいどういうつもりなんでしょうか」という驚きの解説つきでした。

 日本では,まずは,どう考えてもおかしな話になってしまいますが,ウィーンの人びとにとってはなにも驚くことでもないし,騒ぐほどのことでもありません。そういう人たちが希望するなら,時間を指定して鑑賞させればいい,というだけの話です。ひょっとしたら,女性裸体像ばかりを集めた彫刻展をやったら,女性からもそのような希望がでてくるかもしれません。たぶん,それもなんの抵抗もなく許可されることでしょう。

 裸体に関しては,ヨーロッパの人びとは概しておおらかです。歴史的にみれば,1920年代の後半から30年代にかけて,かなり熱心に裸体主義運動(ヌーディスト・クラブ)が展開し,かなりの支持をえていたことがあります。老若男女が集団で裸体生活をともにしたりしていました。場所は山のなかだったり,あるいは,海岸だったり,あるいはまた,とこかの人里離れた湖畔だったりしています。当時の写真も多く残っています。本もたくさん出版されています。検索してみてください。日本の研究者による本も少なくありません。

 もともとヨーロッパは北半球のかなり緯度の高いところに位置していますので,日照時間がとても短い上に,冬はほとんど太陽が顔をみせません。そのため,くる病,皮膚炎などのある種の風土病がとても多く発生しています。ですから,機会があれば,かれらは日光浴を楽しむことにとても熱心です。冬のスキー場も,滑って楽しむ人と日光浴をしている人とが相半ばというところです。日本では考えられません。日光浴も,その多くは「全裸」です。その場所も,都心の公園だったり(たとえば,日比谷公園のようなところ),森のなかの野原だったり,湖の砂浜だったり,などなど。そして,男性も女性も。日本人のわたしたちは眼のやり場に困るほどです。

 ウィーンの旧市街のど真ん中にある由緒ある市営プール(屋内プール)では,一年中,水曜日の午後1時から5時まではヌーディスト・タイムがセットされていました(わたしが滞在した25年前の話ですが)。つまり,ヌーディストが集まってくる時間というわけです。それはそれは驚きの光景でした。といいますのは,プールに付設のカフェからプールの全景が見下ろせるようになっていましたので,一度だけ,後学のためにと思いコーヒーを飲みにでかけたことがあります。距離的にはかなり離れていますので,別にどうということもないのですが,わたしにとってはまことに珍しい光景でした。プールでは男女の区別もなく,みんな楽しそうに泳いだり,ベンチに坐って談笑したり,子どもたちは駆け回ったりしていました。

 そればかりではありません。春まだ浅い,風が冷たい日でも,太陽が照ると自宅の庭先にマットを布いて,全裸で日光浴をしている光景は,都心から離れた住宅地ではよくみかける光景でした。それは夏の間も,そして,秋が深まりゆくぎりぎりまでつづく,ごく日常的な光景でした。道を散歩していると,そういう光景に出あうのは当たり前のことでした。そこに生まれ育った人びとにとっては,ごくふつうのことなのです。

 「文化の妙」としかいいようがありません。

 日本でも,わたしの子どものころの田舎では,夏になると庭先でみんな行水をしていました。一仕事終えて畑から帰ってきた夕刻どきの,ごくふうつの風物でもありました。おばちゃんもおねえちゃんも,みんなすっぽんぽんで行水していました。道行く近所の人とそのまま話をしたりしていました。街中から疎開して,寺で育ったわたしにはとても珍しかったので,よく覚えています。

 田舎ののどかな光景でした。思い出はすべて美しいものです。懐かしささえおぼえます。古き良き時代のイメージというものはこうして創造されるものなのでしょう。伝統も同じです。

IOCの支持率調査は東京70%。昨日のブログを一部訂正します。

 昨日(6日)のブログでは,東京新聞の報道に触発されて,いささかポイントのずれた内容のものを書いてしまいました。やはり,きちんと情報を収集してから書くべきだったと反省しています。これから気をつけますので,お許しのほどを。

 今日(7日),ネットに公開されている「毎日jp」を読んでいたら,以下のような記事がありましたので,訂正させていただきます。記事のもとは毎日新聞2013年03月05日21時33分,藤野智成さんの記名記事です。

 IOCの支持率調査によると,東京70%,全国(東京以外)67%,という調査結果だったとのこと。この調査はことしの年明けに実施されたらしい,とのこと。この数字はIOCの評価委員会の作成する報告書に盛り込まれる,といいます。

 このIOCの調査結果をみて思うことは,わたしの周囲にいる人たちの意識と,平均的日本人のそれとはかなりの差がある,ということでした。ことの是非はともかくとして,これがことしの正月明けころの意識調査の結果だとしたら,いまはもっと高い数字がでるのかもしれません。

 去年のロンドン・オリンピックで日本選手が大活躍したことが,この数字の高さに反映しているようです。そして,例の銀座パレードには50万人が押し寄せたという関心の高さも忘れてはならないでしょう。それにしても,今回の70%という数字には驚きました。

 ちなみに,昨年5月(つまり,ロンドン・オリンピック前)に公表されたIOCによる開催立候補都市の支持率は以下のとおりです。
 東京:47%,マドリード(スペイン):78%,イスタンブール(トルコ):73%。この数字をみたときは,逆に,東京はこんなに低いのかと驚きました。

 かつて,16年開催予定の五輪招致のときの『評価報告書』には,東京の支持率は55.5%と書き込まれていました。そのときは,なるほど,東京都民の意識はこんなところなんだろうなぁ,と納得でした。この数字は,このときの立候補4都市のなかでは最低の支持率でした。これが,16年招致失敗の最大の原因だったともいわれていました。ですから,今回は支持率アップにむけて東京都も招致委員会も必死のPRを展開してきました。そのひとつが,ブログにも書きましたように,自治会連合会をとおして行われた回覧板による署名運動でした。もちろん,この方法はわたしは認めることはできません。ただ,こんなに必死になって世論操作をした結果としての「70%」の達成であったという事実はしっかりと見届けておくことが重要だと思います。

 さて,今回は70%の支持率があったとIOCは公表したわけですが,ほかのマドリードやイスタンブールの調査結果はまだ発表されていません。が,もっと高くなっているのだろうなぁ,とこれはわたしの勝手な想像です。

 取り急ぎ,昨日のブログの訂正まで。

2013年3月6日水曜日

東京五輪招致支持率73%のなぞ。調査方法のマジックか?

 IOC評価委員会の現地調査がはじまって,連日,ニュースは盛り上がっている。しかし,上滑りのニュースばかりで,東京五輪招致の是非を考えるための素材はほとんどなにもない。そんななか,東京都民の支持率が73%という数字だけが一人歩きをしている。この数字ははたしてほんものなのか。わたしは大いに疑念をいだいている。

 東京五輪招致の最大のネックは支持率だと,前回の招致失敗の反省に立ち,東京都も招致委員会もやっきになって宣伝にこれつとめてきた。そのこと自体はなんの問題もない。なんとしても五輪を東京に招致したいと考える人たちにとっては,そこが命綱でもあるのだから。しかし,支持率の高さを示す「数字」が捏造されているとしたら,これは大問題である。

 3月2日のブログ(IOC評価委員長がやってきた。都民の支持率は大丈夫か)にも書いたように,東京新聞の読者の投書に,やはり・・・・と思わせる内容が書かれていた。そして,今日(6日)の東京新聞(こちら特報部)にも,自治会が回覧板で署名をとる方法に疑念が提起されていた。つまり,となりの家が賛成して署名しているのにうちが反対で署名しないというわけにはいかない,というのだ。これは,いくら自由意志による署名活動とはいえ,回覧板をまわすという方法はどう考えてみても奇怪しい。となり近所の眼を気にする人はまだまだ多い。そして,行動の仕方もおのずから制約をされる。

 読者の投書も,そのことを指摘したもので,投書者の自治会では回覧による署名をやめにして,署名簿の置いてある場所を指示して,そこに署名にきてもらうようにしたところ,署名者は「0(ゼロ)」だったという。このことの意味は重い。少なくとも,積極的に五輪招致に賛成という人はひとりもいなかったということだ。わざわざ署名をしにでかけてまで賛成の意思表示をする人はひとりもいないということだ。署名活動をしようとした自治会の役員の人も,ひとりも署名をしていない,というのも変な話ではある。たぶん,自治会の役員の人ですら,回覧板がまわってきたら,みなさん署名しているのでわたしも署名する,ということになるのだろう。東京都や招致委員会が,それを計算の上で「東京五輪招致」の雰囲気を盛り上げようと画策しているとしたら,それはまぎれもない「洗脳」であり,「詐欺」のようなものだ。

 そして,その結果が「73%」だったとしたら恐ろしい。

 この数字は,招致委員会が1月に電話による調査の結果だと聞いている(サンプル数は400?)。ただし,その電話が,どのような問い方をしたのか,誘導尋問的なものではなく客観性がどこまで保証されるものであったのか,そのあたりのことは闇のなかだ。

 しかも,この「73%」という数字は,すでに一人歩きをしている。メディアもその路線で報道をくり返している。都民はいつのまにか,みんな五輪招致に賛成なんだ,と無意識のうちに刷りこまれてしまう。公器を用いての「洗脳」であり,世論操作である。

 こうして,五輪招致反対の立場は無視されていく。のみならず,五輪招致に向けて一致団結することが正義であって,反対するものは国賊扱いされかねない。すでに,そんな雰囲気が生まれつつある。とりわけ,この数日は顕著である。こうして押せ押せムードに乗せて都民の支持率を,この数字に近づけようとしているように,わたしにはみえる。

 いずれ,しかるべきタイミングで,IOC評価委員会が独自の方法で支持率の調査を行うことになるだろう。そのときに,はたして「73%」という数字がでてくるかどうか,わたしには大いなる疑問である。もし,このときに「50%」を切ったとしたら,招致委員会の出した数字がいかにまがいものであったかということが露呈してしまうことになる。それは逆効果ではないか。それをも無視して押し切ろうというのだろうか。

 いま大事なのは,新聞社が独自の「客観的」な手法によるアンケート調査を行い,この「73%」という数字の的確性を検証することではないのか。それを放棄して,既成事実であるかのごとくこの数字をくり返すところに,こんにちのメディアの無能ぶりが露呈している。

 その典型的なものが,今日の東京新聞「こちら特報部」の記事だ。しかも,その仕上げをするかのように「デスクメモ」が小さく掲載されている。わたしは唖然としてしまった。開いた口が塞がらないとはこのことだ。以下に引いておこう。

 「いろんな問題も承知の上で,個人的には東京五輪をやってもいいと考えている。最近,この国は意見対立だらけだ。ちょっと疲れる。2020年はもっとそうだろう。東京五輪を開催し,みんなで面白かったね,良かったねと単純に言い合える機会があってもいいんじゃないかなあ。それが幻想でも。(栗)」

 これが「デスク」のことばか?冗談じゃない。これこそ権力の思うツボではないか。こんな程度の思考しかできない人がデスクとは・・・。情けない。

2013年3月5日火曜日

三木成夫著『胎児の世界──人類の生命記憶』(中公新書)と再会。

 ふだんあまり立ち寄ることのない書店にふらりと入ってみたら,「社員が推薦する中公新書30冊」というフェアをやっていた。中公新書創刊50周年だという。そうか,もう,50周年か,といささか驚きもした。当時,岩波新書しかなかった時代に,透明のビニール・カバーをかけた中公新書が登場し,とても新鮮な気分で手にとった記憶があるからだ。

 この50周年のアニパーサリー・フェアのなかに,三木成夫著『胎児の世界──人類の生命記憶』があった。迷わず購入した。奥付をみると27版とある。やはり,名著は静かに版を重ねているものなのだ。なるほどなぁ,と納得しつつも,えもいえぬ感慨深いものがあった。

 なぜなら,数年前,三木成夫という著者の話を丹生谷貴志さんから伺い,かつ,この本の初版本の残部が研究室にあるからといってプレゼントしてくださった。1983年にでた本なので,すでに,カバーのビニールは縮んでしまっていびつになり,ページを開いてみると紙が変色して,周囲の余白の部分は茶色に近い。古色蒼然とした本になっていた。「こんなになってしまっていますが・・・」と丹生谷さんは笑いながら,気前よくくださった。嬉しかった。

 なぜ,こんな話になったのか。面白い逸話がある。三木成夫さんは東大医学部をでたお医者さん。この人が東京芸術大学の教授として勤めておられたころに,丹生谷さんは学生として在籍していて,いつも研究室に出入りしていた,という。当時は,三木先生と野口三千三先生(野口体操の創案者)が学生たちの間で人気があり,多くの学生さんが,いつもお二人の先生の研究室に入り浸っていたという。

 この野口三千三さんの話がでたところで,わたしの目の色が変わった。それを察知した丹生谷さんは,「じつは,三木先生と野口先生は大の仲良しで,いつも,お茶を飲みながらよくお話をされていました」という。そして,野口体操の発想の原点は,じつは,三木先生の研究にある,とも。そのネタになったのがこの本です,というわけだ。

 なるほど,人間のからだは水の入った革袋だと思え,という野口体操の説く根拠はここにあったのか,とわたしは納得した。そして,蛇になったり,手足を人にゆすってもらったりする,いわゆる「脱力」を基本とする野口体操の原理はここからきているのか,と。それは,わたしたちが学生時代に学んだ「体操」とはまるで別世界だった。デンマーク体操やドイツ体操などの影響を受けてラジオ体操が考案された経緯とはまるで異なる,三木成夫さんの人間学(発生学)に立脚したものだったのだ。不思議に思って,当然だったわけだ。

 この三木先生は,じつは,大のトラ吉(阪神タイガース・ファン)だったそうで,よく,大学をさぼって内緒で甲子園まで足を運んでいたという(古き,よき時代だった)。そして,ある日,いつものように内緒で甲子園にでかけてスタンドで熱心に応援をしていたときのこと,選手の名前は忘れたが,9回裏に逆転のホームランを打った。このときに大喜びをして,飛び上がってバンザイをした瞬間に心臓発作を起こして倒れ,そのまま死んでしまった,という。なんだか,丹生谷さんのこしらえ話ではないかと疑ったら,これはほんとうの話です,とまじめに駄目だしをされてしまった。

 わたしもトラ吉のはしくれのひとりなので,なんとまあ,幸せな人なんだろう,といまでも本気で思っている。人は,こんな風にして死にたいものだ,といまも憧れている。だから,三木成夫という人の人となりとともにその名前は忘れられない。

 話はこれだけでは終わらない。三木成夫さんの研究が野口体操のヒントとなり,その影響下に竹内レッスンがある。この話はまた別にしたいと思うが,こういう関係性のなかに竹内レッスンがあるということだけは,ここで指摘しておこう。こうして人間の原初の存在様態に「じかに」触れることが竹内レッスンの根幹をなすことになる。だから,竹内レッスンをより深く理解するためには,このテクストは不可欠なものだ。と同時に,21世紀のスポーツ文化を考える上でも,このテクストの存在は大きい。みなさんにもお薦めしたい。必読の書である。

 内容について触れる余裕がないので,まえがきの一節を紹介しておく。それだけで,十分イメージをふくらませることができる,と信じて。

 このⅡ章に登場する胎児たちは,あたかも生命の誕生とその進化の筋書を諳(そら)んじているかのごとく,悠久のドラマを瞬時の”パントマイム”に凝縮させ,みずから激しく変身しつつこれを演じてみせる。それは劫初いらいの生命記憶の再現といえるものであろうか。──中略。
 胎児の演ずる変身の象徴劇は,こうして卵発生の秘儀として,代から代へ受け継がれるのであるが,この,つねに生命誕生の原点に帰り,そこから出発しようとする周行の姿,すなわち「生物の世代交替」の波模様こそ,すべての「生のリズム」を包括する,まさに「いのちの波」とよばれるにふさわしいものではないか。それは生命起源の根原をなすものでなければならない。

以上。けだし,名文である。からだのこと,あるいは人間のことを考える人にとってはバイブルに等しい。

「五輪は東京」を国を挙げてアピールするが,ほんとうにそれでいいのか。否。

 今日(4日)から4日間(7日まで)の予定の,IOC評価委員会による現地調査がはじまった。安倍首相は国会決議を演出し,猪瀬知事はこの4日間のために入念なリハーサルを繰り返し,インパクトのあるお土産まで用意しているという。つまり,国を挙げて五輪招致に全力投球である。

 国会決議では「国民に夢と希望を与え,東日本大震災からの復興を世界に示すものだ」と謳い挙げている。はたして,これが全国民の意思なのだろうか。2020年に東京でオリンピックを開催する意味はなにかということについて,いつ,どこで,だれが,どのようにして,本気で考え,議論したというのだろうか。国会でも,まともな議論もないまま,突然の「決議」表明である。

 政治先行,国民不在(都民不在)の五輪招致運動がいよいよ大詰めを迎えている。スポーツはいまやその理念も理想もどこかに消えてしまって,完全に政治課題になっている。つまりは,「五輪招致」を勝ち取るためのゲームと化してしまった。こうなると,勝つことだけが意味があることになり,負けは許されなくなる。

 この雰囲気のなかで,「五輪招致」反対と意思表明するだけで「国賊」扱いされかねない。それでも,ひとこと,「五輪招致」反対,と言っておこう。国賊にされることを覚悟して。

 いま一度,国会決議文を確認しておこう。「国民に夢と希望を与え,東日本大震災からの復興を世界に示すものだ」。ほんとうにそうだろうか。わたしはそうは考えない。

 わたしの「五輪招致」反対の理由は,まず第一は,「オリンピック・ムーブメントのミッションは終わった」という歴史的な認識にある。それに加えて,日本という国家がいま現在抱え込んでいる「国難」を隠蔽する行為に与すべきではない,というのが第二の理由である。第三には,スポーツ界に深く浸透している「暴力」体質がある。第四,第五,とつづく。

 第一の理由については,『近代スポーツのミッションは終わったか』(稲垣正浩・西谷修・今福龍太共著,平凡社)に詳しいので,そちらに譲る。

 第二の理由,つまりは「国難」については,以下のとおり。スペースがないので,ごく簡単に箇条書きにしておく。
 1.フクシマは,ほんとうに終息したといえるのか。いまもきわめて危険な状態がつづいているのだ。政府もメディアもひた隠しにしているが・・・・。
 2.沖縄の基地問題をいつまで沖縄県民に押しつけて,ヤマトのわたしたちは知らぬ勘兵衛を決め込もうというのか。沖縄県民に「夢と希望を与え」ることが,「五輪招致」によって,ほんとうに実現すると考えているのか。
 3.自分の家・土地を追われてしまって,帰るに帰れない人びとにとってオリンピックはなんの意味があるというのか。
 4.原発再稼働に向かうこととオリンピック・ムーブメントの理念(より速く,より強く,より高く)とは,「同根」「異花」である。すなわち,勝利至上主義。
 5.憲法改悪,軍隊,戦争,「強い国家」をめざす思想もまた,オリンピック・ムーブメントと同根である。つまり,優勝劣敗主義。
 6.東日本大震災からの復興と五輪招致はなんの関係もない。
 7.その他(割愛)。

 第三の理由も箇条書きにしておく。
 1.全柔連柔道女子で起きた監督・コーチによる「暴力」問題は,日本のスポーツ界に潜む氷山の一角にすぎないこと。今日(4日),いみじくも監督代行の田辺勝さんとコーチの貝山仁美,薪谷翠さんが辞意表明をしている。この根は深い。いよいよクーデターか。
 2.桜宮高校で起きた暴力事件もまた氷山の一角にすぎない。
 3.高校野球も同じ。PL学園が暴力事件にからみ出場辞退,など。
 4.こうして挙げていくと際限がない。そういう「スポーツ未熟国」からの脱出が先決である。
 5.つまり,監督もコーチも選手たちも,ひとりのスポーツを愛する人間として,スポーツ的に自立・自律することが先決である。それができていないかぎり「五輪を招致」する資格はない。

 第四,第五の理由を挙げつらう意欲も萎えてきた。まとめておけば,ある特定の「だれか」が得をするために「五輪招致」運動が展開されている,ということ。この「だれか」を推論していけば,おのずからその実体は明らかになってくるだろう。つまりは,総理大臣を筆頭に,都知事,JOC会長,マス・メディア,財界,官界,学界,そしてゲンシリョクムラの住民・・・・などなど。

 すなわち,「国民に夢と希望を与え,東日本大震災からの復興を世界に示すものだ」という決議文に鮮明に表れているように,「五輪招致」運動は,まさにわたしたちが直面している「国難」の「隠れ蓑」として絶好のツールなのだ。「国難」を忘却のかなたに送り込み,排除・隠蔽するための,まことに便利な,そして扱いやすい「お道具」なのだ。権力にとって,これほど役に立つ文化装置は,ほかにはない。

 かつての古代ローマの皇帝たちが好んだ「パンとサーカスを」の現代版を,いま,日本は国を挙げて再現しようとしているのだ。国民を愚民化することのために国会まで動員して。このことの重大さに多くの国民が気づいていない。こうして「正義」が形成され,「国賊」が槍玉に挙げられることになる。洋の東西を問わず,むかしからくり返されてきた愚行ではあるのだが・・・・。

 以上が,「国賊」たるわたしの「五輪招致」反対の理由である。そろそろ,このことに多くの国民が気づいてほしいものだが・・・・・。

2013年3月4日月曜日

フランスからの柔道情報・第2報.ボルドーの道上道場。

 フランス現代思想の勉強のためにフランス・ボルドーに留学している若い友人・藤山真さんから,久しぶりにメールがとどいた。以前から,時間があったらボルドーの柔道場を訪ねて,いろいろ情報を集めて知らせてほしい,とお願いがしてあった。その第二報である。第一報は,フランスの柔道に関する国家試験制度について,でこのブログでも紹介済み。

 ボルドーといえばワインの名産地として知られる。そこの柔道場を訪ねてみたら,偶然にも日本人がつくった道場で,その名も「道上道場」というのだそうだ。道場主(フランス人)は温かく迎えてくれ,とても親切にあれこれお話をしてくれたという。そのときの話とその後に藤山さんが調べてくれたネット情報を整理すると以下のとおり。

 この道場をつくったのは,「道上伯(みちがみ・はく)」(1912年10月21日~2002年8月4日)という日本人。経歴を調べてみると,1926年愛媛県立八幡浜商業学校入学。このときから柔道をはじめる。すぐに頭角を表して,最年少初段(15歳)を取得。アメリカに渡航しようとして失敗。1933年立命館大学入学。1934年武道専門学校柔道科に入学。実技試験は1番,学科試験は2番だったという(受験生500人ほど)。1938年卒業と同時に,旧制高知高等学校助教授として赴任。1940年上海東亜同文書院に招かれる。1945年帰国。

 1953年フランス柔道連盟の要請を受け渡仏。ボルドーに定住。ここを拠点にして柔道の国際的な普及に努める。
 1953年11月,クーベルタン・スタジアムで行われた柔道の試合では,フランスを代表する強豪10名と連続して対戦。6分30秒の間に13回の技を掛け,10人抜きを達成。
 1955年,オランダを訪問した際に,当時,建設作業員だった20歳のアントン・ヘーシングに出会い,その才能を見出し,とくべつの指導を行う。
 1961年,アントン・ヘーシンクは世界柔道選手権大会無差別級で優勝。
 1964年,東京オリンピック柔道無差別級で日本の神永選手を袈裟固めで押さえ込み金メダル獲得。当時の日本人に大きな衝撃を与えた。しかし,このヘーシンクの優勝によって,柔道はオリンピックの正式競技種目として認められることになった(柔道は開催国指定種目として,東京オリンピックで初めて実施され,1回かぎりの予定だった)。

 フランスの柔道は,1935年に渡仏した川石酒造之助(1899~1969)によって指導・普及がなされ,フランスの柔道の父として尊敬を集めたこと,1950年には粟津正蔵が川石に招聘され,二人で力を合わせて,柔道の国家試験制度を整備したこと,そして,その試験制度の内容の概略までは,第一報で書いたとおりである。

 しかし,この道上伯という人の存在はわたしも知らなかった。しかも,川石,粟津の二人との関係がどのようなものであったのかも,いまの段階ではわからない。しかし,調べてみたら『ヘーシンクを育てた男 道上伯の生涯』(真神博著,文藝春秋,2002年)という本が刊行されていることがわかる。この本を読めば,もっと詳しいことがわかるはずだ。そういえば,こんな題名の本があったなぁ,というかすかな記憶はある。しかし,わたしの怠慢で買って読むことにはいたらなかった。

 ついでに,この本の存在と同時に,『世界にかけた七色の帯──フランス柔道の父・川石酒造之助伝』(吉田郁子著,駿河台出版社,2004年)という本がでていることも知った。こちらもわたしの怠慢で,まだ,読んではいない。

 なお,You Tubeを検索してみたら,「1997年柔道家道上伯(85歳)。フランス・ボルドーにて最後の夏げいこ」の映像をみることができる。見てみると,元気いっぱいの道上氏が柔道着を着て道場に立ち,実際に技の指導を実演して見せている雄姿がでてくる。驚くべしである。そして,そのお弟子さん二人がインタヴューに応じている。
 Aさんは,「柔道の技の指導だけではなく,生きる哲学も教えてくれる」といい,
 Bさんは,「まっすぐな精神,誠実さに人間としての品格を感じます」と言っている。

 藤山さんのお蔭で,わたしの眼も開かれることになった。フランスの柔道が,本家の日本を超えて,フランス人の人気スポーツとして盛んになっていることの背景にあるものがなにか,これから少し追ってみたいと思う。また,チャンスがあれば藤山さんがボルドーにいる間に一度,訪ねてみたいとも思う。藤山さんには,もっと道上道場に通ってもらって,できれば,体験入門もしてもらって,生の情報をもっともっと送ってもらいたいと思っている。参与観察だけではなくて・・・。

 取り急ぎ,フランスからの柔道情報・第二報まで。

2013年3月3日日曜日

研究会情報・真島一郎さんをお迎えして(ダン族の力士と仮面)。3月9日・青山学院大学。

 3月9日(土)に予定されています研究会についてお知らせします。
このブログにもすでに予告してきましたように(2月22日:ヤマトのアフリカにスト・真島一郎さんにお会いしてきました,2月25日:「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」),真島一郎(東京外国語大学大学院教授)さんにお出でいただいて,研究会を開催します。開催要領の詳しい情報は,以下のホームページのアドレスでご確認ください。
http://www.isc21.jp

 なお,参加申し込み期限が3月6日(水)必着ですので,お間違えのないように,お願いいたします。申し込み方法も,上記の開催要領のなかに書いてあります。そちらでご確認ください。よろしくお願いいたします。

 この研究会は,わたしの主宰しています「21世紀スポーツ文化研究所」(「ISC・21」)の月例会です。原則として,毎月1回,東京,名古屋,大阪,神戸,奈良,などを巡回しながら開催しています。公開の月例会ですので,どなたでも参加できます。そして,無料です。話や議論を聞くだけという人からプレゼンテーションを希望される方まで,多種多様です。そこで取り上げられる話題やテーマも多種多様です。ちょうど,このブログがそうであるように。つまり,スポーツの問題を掘り下げていけばいくほど,普遍の問題にゆきつくからです。ですから,言ってしまえば,なんでもあり。ただし,スポーツにはじまって,スポーツにもどってくることが原則です。

 もし,興味のある方は,上記のホームページ・アドレスで,情報をそのつどチェックしていてください。毎回の月例会の開催要領がそこに公開されています。そして,そのつど,月例会の世話人の担当が変わりますので,申し込みの方法も変わります。それに応じて,手続きをしてください。もし,面倒な方は,わたしに直接,ご連絡ください。ただし,匿名さんの参加はお断りさせていただきます。

 この月例の研究会も,こんどの3月9日(土)で70回目を迎えます。ときおりお休みの月もありましたので,年に10回開催したとして,もう7年が経過します。そして,「21世紀スポーツ文化研究所」を立ち上げてから,ちょうど満5年が経過します。4月からは6年目に突入です。その意味では,こんどの月例会はいろいろの面でアニバーサリーでもあります。

 その記念すべき月例会に真島さんにお出でいただけることをわたしは誇りに思います。しかも,長年,夢にまでみてきた「ダン族の力士と仮面」についてのお話です。つまり,わたしの立場からすれば,スポーツのルーツをたどるお話です。それは「21世紀スポーツ文化研究所」のめざす重要な柱のひとつでもあります。過剰な競争原理が支配し,勝つことだけが目的の優勝劣敗主義に陥ってしまった近代スポーツ競技が,その隘路から脱出するには,もう一度,スポーツの原点に立ち返って,スポーツとはなにか,と問い直すしかありません。

 そのための最高のステージを真島さんにお願いしようという次第です。その世界は,いわば自己を超えでていくものとの交信・共鳴・共振する世界であり,祈りにも似た無心に「舞い踊る」世界,人間の原初の姿を彷彿とさせる世界でもあります。言ってしまえば,エクスターズ(バタイユの意味で)する世界。

 そんな世界にどこまで肉薄することができるか,いまから楽しみにしているところです。コメンテーターの井上邦子(奈良教育大学)さんも,そして,三井悦子(椙山女学園大学)さんも,その点をしっかりと踏まえて,それぞれの研究テーマの立場からコメントをしてくださることになっています。こちらも楽しみです。

 というような次第ですので,興味・関心のある方はぜひお出かけください。
 真島一郎さんもとても楽しみにしていてくださいます。

 それでは会場でお会いできますことを楽しみに。

2013年3月2日土曜日

IOC評価委員長がやってきた。都民の支持率は大丈夫か。

 「3・11」以後の憂鬱の度合いがここにきてもっとひどくなってきた。もはや,うつ病と診断されてもおかしくない。毎朝,新聞を開くたびに,その病いは進行していく。落ち込んでいく記事ばかりだ。いっそのこと世俗を捨てて,どこぞの禅寺にでも飛び込んで,修行三昧の生活に入りたい,とさえ思う。もう少し若かったら,せめて,50歳前後だったら,わたしは間違いなく実行しただろう。しかし,もはや手遅れだ。それだけの体力も気力もない。仕方ないので,ときおり,「躁」を装い,明るくふるまうふりをしてごまかすことに。そうやって,なんとかバランスをとろうとしている。わたしのこころは,いま,躁と鬱の間を行ったり来たり。まさに「abさんご」状態。

 補正予算案が1票差で決まった。日本国が,いま,綱渡り状態にあることの象徴だ。つまり,aにもなり,bにも転ぶ,どちらにもなりうる,そういう状態にある。まさに「abさんご」。

 TPP問題も,自民党も民主党も党が割れるほどの賛否両論の議論がつづいている。この議論も票決してみれば,1票差くらいになりかねない。つまり,どちらに転ぶかわからない「abさんご」だ。にもかかわらず,アベノミクスはがむしゃらにTPP参加への路線を模索し,強行突破しようとしている。いやいや,それどころか,もはや,既定路線となりつつある。

 今日(3月2日)の新聞によれば,エネルギー基本計画を検討する有識者会議の新たな委員15人を経済産業省が発表し,そのうち「脱原発」を鮮明にしている委員は2人だけ,という。これまで5人いた委員のうち3人は外されたというのだ。その代わりに推進派の委員が補充された。これで推進多数で押し切る体制はできあがった。原発の最終処理の方法も確立されないままに。またぞろ,人の命は軽視される方向に舵が切られる,その準備がととのった・・・と。こちらも,いま,国民投票をすれば,どちらに転ぶかわからない「abさんご」。

 こんな情況のなか,IOC評価委員長が来日。これから4日間にわたって,競技施設や財政,輸送,宿泊施設など開催能力をチェックするという。他の立候補都市にくらべて,東京のネックになっているのは都民の支持率。前回はそこでつまずいた。しかし,1月に東京の招致委員会が電話で調査した結果では,73%が支持しているという。ほんとうだろうか,とわが眼を疑った。こんな数字がどうしてでてくるのか,いささか驚きである。

 はたして,今日(2日)の新聞の読者投書欄に,(東京オリンピック)「招致賛成」73%に疑問,が載っている。短いので転載しておくと,以下のとおり。
 昨年,中野区の町会連合会の会合で,2020年夏季五輪の東京招致支持を拡大し協力しようと,各町会ごとに署名活動を実施することになった。
 通常,署名活動は街頭や催し物会場で呼び掛ける。私たちの町会でも役員から,町民に回覧して署名を集めるのは個人の自由意思が損なわれ,少し筋が違うのではないかとの意見が出た。確かに回覧だと「あの家が署名したので」とか「あの家はしなかった」と,なってしまう。
 そこで,ポスターに「五輪招致」に賛同される方は〇〇店に署名簿がありますので〇日までに面倒でも署名にお越しください」と書き足し掲示板に貼った。ところが,署名には一人も来なかった。
 一方,東京の招致委員会が一月に電話で都民に行った世論調査では「招致に賛成」が73%に達したという。
 方法が違うので何とも言えないが,約五百人いる私たちの町会のうち,三百五十人以上が,都民約千三百万人のうち約九百五十万人が賛成した計算になる。本当か?(無職 宮沢武志・68・東京都中野区)

 この投書はいろいろのことを考えさせてくれる。ここから読み取れることは,積極的に「招致賛成」という人は一人もいないということ,署名活動を提案した町会の役員さんのなかにも一人もいないということ,それが電話による聞き取り調査では,73%が招致賛成と意思表明しているということ,つまり,積極的に反対する人もほとんどいないということ,どちらでもいいが悪いことではないので賛成という人が圧倒的多数を占めるということ,など。

 前回の招致のときのIOCの調査結果は55%だった。時代が大きく変わり,都民の意識が変わったとも思えない。違いは調査方法。つまり,この手の調査は方法一つでいかようにも数字は変化する。電話で上手に誘導尋問的に声をかけられれば,数字はたちまちよくなるだろう。アンケート調査でも,誘導尋問的な設問をしかければ,数字はよくなる。問題は,調査方法がどこまで客観的かによる。

 つまり,招致賛成(a)も,招致反対(b)も,どちらでもない(c)も,たいして意味はないのだ。そのときの風の吹きようで,どのようにも変わる。この手の調査によって導き出される数字をわたしはまったく信じるつもりはない。被調査者として受け答えをしてきた経験からの信念だ。

 ある地方都市に住んでいたときのことだ。市役所からのアンケート調査が配られ,住まいの近くにテニス・コートがあった方がいいですか(a.はい,b.いいえ,c.どちらでもない),といったような設問が並ぶ。記入していて,途中で吹き出してしまった。いつのまにか,a.はい,にばかり〇をつけている自分に気づいたからだ。が,この調査結果は集計されて,市議会に資料として提出され,「圧倒的多数の市民がテニス・コートの設置を望んでいる」と報告されたそうだ。その結果,立派なテニス・コートが設置された。しかし,半年も経たないうちに草だらけになっていた。

 aの賛成の仲間に入るのか,bの反対の仲間に入るのか,と逢う人ごとに聞かれたが,いつしか東京の隣県(c)に引っ越すことになっていた。

 まさに,日本国/日本人は「abさんご」の世界を浮遊しているようだ。

作家・稲垣瑞雄さんの思い出。多芸多才の人。

 通夜の読経を聞きながら(このときの読経は素晴らしかった),瑞雄さんの生涯とはどのようなものだったのだろうかとあれこれ推測しているうちに,いつのまにかわたしは子ども時代の思い出をたどっていた。瑞雄さんとわたしは7つ違いの従兄弟。敗戦後の混乱期に,わたしたち家族は住む家がなくて,瑞雄さん家族(父の兄家族)の住む豊橋市のはずれの禅寺・長松院(山号・堀内山)に転がり込んだ。1947年夏・わたしが小学校3年生のときのこと。瑞雄さんは新制高校の1年生だったか。このときが,瑞雄さんとの最初の出会いだった。子どもだったわたしには,もう,立派な大人にみえた。

 ほんの短い間だったが,二家族がともに暮らした。寺とはいえ,子どもが5人と4人,両親を含めて全部で13人の暮らしである。賑やかなものである。食事のときには,13人,勢ぞろいしてみんなで食べた。とはいえ,食べるものもほとんどなくて,ずいぶんと苦労していたことを思い出す。いよいよというときには,鶏のえさとなる米ぬかを捏ねてだんごにし,庭で取れる野菜と一緒に炊いて「だんご汁」と称して食べていた。だれひとりとして文句は言わない。文句を言った瞬間に食べ物をとりあげられ,その日の夕食はおあずけ。大勢のわりには静かな食事の時間だった。いつも空腹をかかえていたから,もくもくと食べた。もちろん,瑞雄さんも黙って食べていた。子どもたちの坐る席の一番の上座で。こんな大家族の食事を用意していた伯母さんもたいへんだったんだなぁ,といまごろになって思う。

 伯父と父とは年子だったから,一つ違い。だからというわけでもないのだが,瑞雄さんとわたしの長兄が一つ違い,以下,二人の兄弟ともにそろって一つ違い。下の妹たちも一つ違い。だから絶妙なバランスのもとで,みんなで仲良く遊んだ。いがみ合ったり,喧嘩したり,ということはまったく記憶にない。たぶん,瑞雄さんがうまく取り仕切ってくれていたのだろうと思う。そういう裁量のある人だった。ユーモアがあって,みんなを笑わせてくれたので,みんなから好かれていた。それでいて勉強がよくできる人だと聞いていた。だから,みんなが頼りにしていた。瑞雄さんがこう言っていたよ,というとみんな素直にそれに従った。ありがたい存在だった。

 遊びといっても,物資にこと欠く時代だったので,全部,自分たちで工夫した。つまり,お金のかからない遊びばかりだ。たとえば,釣りを筆頭に,めじろ取り,魚すくい,かぶと虫さがし,蝉とり,とんぼ取り,水遊び,等々。みんな自然を相手にした遊びばかりだった。だから,上手に遊ぶには智慧が必要だった。みんなそれぞれに面白く遊ぶための創意工夫をしていた。

 なかでも,釣りがもっとも高尚な遊びにみえた。なぜなら,釣りの極意なるものを瑞雄さんが初手から教えてくれたからだ。その教え方がまたみごとだった。まるで,マジックにかかったようにわたしは釣りに夢中になった。

 寺のすぐ裏に小さな池があったので,ここで手ほどきを受けた。まずは,浮きの動きをよく観察せよ,と。浮きはつねに微妙に動く,その動きによって,魚がえさに接近していることを察知せよ,と。それによって,魚が大物か小物かがわかる,と言って,いま目の前にある浮きをみながら解説をしてくれる。この動きは小物,なかなか食いつかない,浮きがゆらりと動いたときは大物,だから,ひといきで食いつく。すぐに,竿を挙げられるように身構えよ。という具合である。

 えさのつけ方,針の大きさは狙う獲物によって全部違う。その微妙な違いまで,ちくいち,なにからなにまで教えてくれた。まるで生き字引のように。

 同時に釣りの心得も。糸を投げて竿を固定したら,じっと動くな。ひたすら,浮きを見つめること。そして,なにも考えるな。無心になれ。そうしないと,魚は近づいてはこない。池のまわりにある木や竹藪と同じようにじっとしていろ。つまり,まわりの景色と一体化しろ,という。不思議なことを言う人だなぁ,と小学校3年生は思っていた。いまにして思えば,すでに,坐禅の心得を説いて聞かせていたのだ。釣りは坐禅への第一歩だった。

 言われたとおり,じっと浮きを見つめてみる。なるほど,少しも動かないものだと思っていた浮きは,つねに,微妙に動いている。もちろん,ほんのちょっとした風が吹いても動く。しかし,そのうちに風で動くのか,水中の魚の接近で動くのか,その違いもわかるようになる。そして,浮きの動きにあるきわだった変化が起きた瞬間に糸を挙げることもおぼえた。そして,いつのまにかまわりの自然と一体化することもわかってきたような気がした。ここちよかったことを記憶している。

 「マサ君は才能がありそうだなぁ」と褒められたから,もう,たまらない。天にも昇る気持ちで,翌日から,せっせと煉り餌をつくり,池に通った。とうとう,母親から「ほどほどにしろ」と叱られたこともある。瑞雄さんに相談したら,「そう,毎日よりも,ときおり間を空けて,距離をおいて考えることも大事だよ」とのこと。ここでも優等生の指導。

 とまあ,こんな思い出をつぎからつぎへとたどっていた。

 長じてからは,落語を聞かせてくれたり,歌舞伎役者のものまねを聞かせてくれたり(これがまた天下一品だった),絵が上手だということを知ったり,つぎつぎに瑞雄さんの新しい側面を知ることになった。もっとも鮮烈な記憶に残っているのは,瑞雄さんの毛筆の文字の冴え具合だ。
 
 父のところにきた年賀状の宛て名書きをみて,わたしは「アッ」と息をのんだ。こんな書の達人だったのか,と。切れ味鋭く,のびやかで,寸分のすきもない字配りに,わたしは眼を奪われた。そして,ひそかに「稲垣」という名字の崩し字を脳裏に焼き付けておいて,それを手本に必死で真似た。そして,ほとんどそっくりに書けるようになったころ,わたしも瑞雄さん宛てに年賀状を書いた。すると,こんどはまったく別の崩し字で「稲垣」と書いてあった。こういう崩しもあるのか,とこれも驚いた。もちろん,それもすぐに真似た。わたしがつぎつぎに真似るので,たぶん,瑞雄さんはそのヴァリエーションを増やしていったのではないか,と勝手に想像している。いつか,このことをご本人に確かめてみたいと思っていた。晩年は,たぶん,わざと筆の毛のさきの部分を丸く切り揃えて,上手そうにみえないように,ちょっと抑え気味に宛て名を書いていたのではないか,とこれまた想像していた。その字は,もはや,わたしの真似のできない書の風格をもっていた。これには参った。書を上手にみせる書き方は練習すれば,かなりのところまでは上達する。しかし,下手そうにみえて味のある書は努力して書けるものではない。良寛さんの書のように。

 こんなことを考えながら,なんと天分に恵まれた人だったのだろか,と羨ましくも思う。そんななかで作家への道を選んだのだ。それも真っ正面から対象を見据え,透徹したまなざしと思考回路をとおして,熟慮の末に独特の小説世界を切り開く,真っ向勝負の小説だった。処女作『残り鮎』を送ってもらったときの感動はいまも鮮烈である。詩の世界は,わたしには荷が重すぎた。ときおり,はっとさせられることもあったが,その多くはわたしの手のとどかない別世界だった。

 おそらくは,どの芸の道を選んでも一流になれる人だったに違いない。人を惹きつける話術にも卓越していた。こんな多芸多才な先生に教えてもらった立川高校の生徒さんたちはなんと幸せなことだったことか。
 
 こんなことを書きはじめたら際限がない。しばらくは,わたしのなかの瑞雄さんの思い出を反芻しながら,送っていただいた作品の数々を読み返してみたい。もっと違ったなにかが透けてみえてくるような予感もある。もっと接触してお話を聞いておくべきだった,と臍を噛みながら。ご冥福を祈りたい。



2013年3月1日金曜日

『abさんご』(黒田夏子著)解題。その2.

 『abさんご』。
 この小説の題名からはなんのイメージもわかない。少なくともわたしにはなんのことかわけがわからなかった。しかし,最後まで読み終えたときに,ようやく,なんともいえない感慨のようなものがそこはかとなく,しかも際限もなく湧いてくる。そうして,なるほど『abさんご』かと納得。しかも,この題名もさることながら,小説全体の構成から細部にいたるまで,よくぞここまで練り込んだものだと感心する。10年がかりで完成した作品だというだけあって,小説のそこかしこに,味わい深い仕掛けがあって,表層から深層までの奥行きの深さにしばしば立ち止まって,考えさせられてしまう。もう一度,読むとどうなるんだろうか,とそんな気にさせられる。

 しかし,それにしても,なぜ『abさんご』なのか,とみずからに問いかけてみる。

 名は体を表すという。ましてや,小説の題名はその内容を表象するものであるはずだ。だとすれば,『abさんご』とは,いったいなにを表象しているのだろうか。この謎解きは面白そうだ。芥川賞の選考委員のだれひとりとして,この問題に触れた人はいない。まさか,自明のことだ,というわけでもないだろうに。そこで,疑問に思ったわたしは,この小説をもう一度,読み直してみた。その結果の,わたしのアナロジーは以下のとおりである。

 「ab」については,小説の冒頭と末尾の話に表れているので,これは間違いないだろう。つまり,「ab」とは,「a」と「b」という二つの選択肢のこと。a君とb君,というような具合に。あるいは,aという考えとbという考え,のように。いうならば二項対立。小説のなかではもっと複雑な「階層秩序的二項対立」(J.デリダ)をまったく無意味なものとばかりに溶解させ,どちらでもあり,どちらでもない,あるいは,どうでもいい,さらには,なるようにしかならない,といういわばこの小説の核心部分をなしている。だから,この「ab」はじつに大事な暗示でもある。

 たとえば,小説の冒頭の書き出しは以下のようである。
 「aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと,会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが,きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから,aにもbにもついにむえんだった.その,まよわれることのなかった道の枝を,半せいきしてゆめの中で示されなおした者は,見あげたことのなかったてんじょう,ふんだことのなかったゆか,出あわなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして,すこしあせり,それからとてもくつろいだ.そこからぜんぶをやりなおせるとかんじることのこのうえない軽さのうちへ,どちらでもないべつの町の初等教育からたどりはじめた長い日月のはてにたゆたい目ざめた者に,みゃくらくもなくあふれよせる野生の小禽たちのよびかわしがある.」

 いま,こうやって書き写してみると,なお一層,この小説の冒頭の書き出しのなかに「abさんご」という題名のニュアンスがみごとに凝縮していることに気づく。この文体については,すでに,芥川賞選考委員の人たちが口々に論評を加えているので,ここでは触れない。が,題名の「abさんご」との関連でいえば,この文体もまたかったるくて,セピア色の情景のかなたにさまざまな情念がうごめきあっている,いわゆる近代の合理的・論理的な文章をあたまから否定してかかっていることが,じわじわとつたわってくる。そして,文末で「みゃくらくもなくあふれよせる野生の小禽たちのよびかわしがある」と結ぶ。これで完璧である。ここに,まさに,この小説を「abさんご」と題した著者の思い入れが,存分に表出している。言ってしまえば,禅者のさとりの境地のような情景が「abさんご」なのだ。そこへの誘いの文章が冒頭の書き出しである。「aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのか・・・・・,aにもbにもついにむえんだった」。世の中を生きるということは,いろいろなせめぎ合いのなかで悩まされることでもあるけれども,しょせんは「みゃくらくもなくあやれよせる野生の小禽たちのよびかわし」でしかないのだ,と。

 こうして,この小説の世界が,なんともかったるくはじまる。が,このかったるさこそがこの小説の命綱のようなもので,しだいに,このかったるさに慣れていく。そして「このうえない軽さのうちへ」誘ってくれる。そのさきに広がっている世界が「野生の小禽たちのよびかわし」なのだ,と。すなわち,中西悟堂(禅者で,日本野鳥の会初代会長)の世界そのものだ。

 こうして,小説はますますそのかったるさの世界に誘ってくれる。
 が,長くなってしまうので,ここでは割愛。
 一気に終わりに向かう。

 そして,小説の末尾のところの描写は以下のとおりである。
 「巻き貝のしんからにじりでた者は,小児をつれてしばしば長いさんぽをした.晴れておだやかな日にならいっそう長いさんぽになった。松と花木の庭庭にやぶまじりの,人と行きあうことのまれな土地で,よく知っている道も,まれにもくりこむ道も,はじめての道も,ぜんぶうれしがられた。
 道が岐れるところにくると,小児が目をつぶってこまのようにまわる.ぐうぜん止まったほうへ行こうというつもりなのだが,どちらへだかあいまいな向きのことも多く,ふたりでわらいもつれながらやりなおされる。目をとじた者にさまざまな匂いがあふれよせた.aの道からもbの道からもあふれよせた.」

 この小説を,そのかったるさのなかに身をゆだねることのできた読者には,この結末の文章は感動的である。わたしは,しばし呆然としたまま天を仰いでいた。極めの一文は「目をとじた者にさまざまな匂いがあふれよせた」である。視覚よりも臭覚を,と著者はこころの奥底から叫んでいるように聞こえる。言ってしまえば,見た目よりも,匂いの世界の方に,生の実体がある,と。もっと言ってしまえば,理性的な視覚重視の痩せた近代よりも,本能的な臭覚重視の前近代の豊穣さをとりもどせ,と。

 もはや,これ以上は言うまでもないであろう。わたしがこの小説にこれほどまでに反応する理由を。手法も視点もまるで別物ではあるが,拙著『スポーツの後近代』(三省堂)に通底するものを感じとることができるからだ。そして,「21世紀スポーツ文化研究所」(「ISC・21」)を立ち上げ,「21世紀のスポーツ文化」を模索する作業に,まったく別の方向から,深くふかくくい込んでくるものを,この小説をもっていると感ずるからである。

 最後に,辞書的な確認を。
 「さんご」に相当することばは二つある。
 「三五」と「参五」。

 「三五」は,1.(3と5の積)十五。十五歳。十五夜。2.(長さが3尺5寸あることから)琵琶の異称。3.三皇五帝。4.こちらに三つ,あちらに五つとちらばること。まばらなこと。三々五々。─・や(三五夜)。─の十八。

 「参五」は,いりまじること。

 ここからさきは,想像力の問題だ。読者の思いのままだ。この作品の奥行きは無限(夢幻,無間,ムゲン)だ。読者の感性次第。

2013年2月28日木曜日

『銀しゃり抄』(稲垣瑞雄著,中央公論新社刊)が香典返しになるとは・・・・。

 ことしいただいた年賀状には,1月末に『銀しゃり抄』が出ます,秋には二人誌『双鷲』が80号を迎えます,そうしたらお祝いをしますのでよろしく,とあった。宛て名書きの毛筆も,いつもどおりの達筆で,お元気そのものだった。

 長い闘病生活がつづいていることは『双鷲』をとおして知らされていた。が,創作へのあくなき情熱が病いを克服するさいこうの良薬である,とみずから書きつけていたように,何回もの死線をうまくクリアしては作家としての意地をみせつけていた。もちろん,その陰には奥さん(信子さん:作家の楢信子)のなみなみならぬ献身的な看護(あらゆる手だてを講じて,なんとしても救出してみせるという強い信念もみごとだった)があってのことだ。

 わたしはこの年賀状をしげしげと眺めながら,ああ,元気なんだ,久しぶりにお会いすることができるなぁ,と秋がくるのを楽しみにしていた。そして,早速,『銀しゃり抄』を購入して,その研ぎ澄まされた人間観察と文体を堪能していた。『双鷲』に連載されていた短編集なので,すでに,内容については了解していた。しかし,こうして単行本になると,また,一味ちがった新鮮なものが伝わってくる。なので,一編ずつ,丁寧に読むことをこころがけていた。そして,こんどお会いするときにはどんな話をおねだりしようかなぁ,といろいろの思い出をたぐったりして楽しんでいた。が,その夢はかなえられなかった。

 2月23日,虚血性心疾患。26日の新聞に載った訃報をみつけて,あっ,と小さな声をあげた。しばらくは,その紙面をじっと眺めていた。なぜか,次第に,これまでに感じたことのない寂寥感がわたしの全身を襲った。こんなことは初めてだった。これまでにも多くの先輩たちを見送ってきた。そのつど,なにがしかの感懐はあった。が,それらともまるで違う,別物だった。稲垣瑞雄の存在が,わたしにとってどんなものだったのか,ということが次第に鮮明になってきた。それまでは考えたこともなかった思いが次第に姿を表してきた。考えてみれば,瑞雄さんの書かれる小説は好きで,かなりまじめに読んでいた。同じ時代の同じ地方の同じ空気を,そして,同じ人情をそこから読み取ることができたから,いずれの作品も他人事ではなかった。

 なかでも『風の匠』(岩波書店)には泣かされた。この作品のなかに登場する「記憶力抜群の老婆」のところは何回,読み返したことか。そして,そのつど,わたしは嗚咽した。なにを隠そう,この老婆こそ瑞雄さんとわたしが共有する祖母がモデルとなっていた。この祖母とわたしは,一度だけ,手をつないで約1里の畑道を歩いたことがある。わたしが小学校の4年生の夏(1947年)だった。敗戦直後の,まだ,食べ物も着るものもままならないときの経験である。「マサヒロさん,あんたはいい子だねぇ。やさしい立派な人になれるよ」と言ってくれたことばがいまも記憶に鮮明である。祖母は,だれに対しても「さん」づけで呼びかけた。息子であるわたしの父にも「カイシンさん」と呼びかけていた。わけへだてのない姿勢は,じつに立派だった。

 瑞雄さんは,この作品のなかに登場する主人公たちを,ある種のとくべつのリスペクトを抱きながら,気持ちを籠めて丁寧に描いている。その感情の籠め方,豊穣さ,広がりが,わたしにはよく伝わってきた。ああ,瑞雄さんはこんな人だったんだ,とあらためて認識したこともよく覚えている。だから,わたしにとっての瑞雄さんは,いつのまにかとくべつな存在になっていたのだ。わたしの知らないうちに。無意識のうちに。だから,訃報が,眼に痛かった。

 いま,わたしの手元には2冊の『銀しゃり抄』がある。1冊は,わたしが購入したもの。もう1冊は,なかに「謹呈 稲垣瑞雄」のしおりの入ったもの。つまり,香典返し。こんな結末をだれが予想しただろう。ご本人はもとより,信子さんも,こんなに突然に・・・とは思ってもみなかったことだろう。信子さんのお話では「ぼくはまだ108編の短編を書き終えてはいない」と,まだまだ書く意欲は満々だったとのこと。

 『銀しゃり抄』。薄いピンクがかったハードカバーのおしゃれな本。その上に,川端玉章による鮨の図(明治10年)を載せたカバーが被せてある。装丁も本文レイアウトもとても神経のゆきとどいたいい本に仕上がっている。

 そして,帯に踊るコピーの文句がいい。

   舞い踊る 鮨の醍醐味
 精魂こめて紡ぎ出された色と形
  立ち昇る香り 返しの手捌き
 君はその誘惑に勝てるだろうか

 瑞雄さんの笑顔が,このコピーの向こう側から透けてみえてくる。
 瑞雄さんは,わたしのもっとも尊敬していた,自慢の従兄弟だったのだ。そのことに,通夜の読経を聞きながら,ようやく思い至った。いつまでも鈍感な,情けないわたしである。

 それにしても,久しぶりに聞く,気持ちの籠もった天下一品の読経に酔い痴れた。まるで,導師と瑞雄さんが会話しているように聞こえた。これだけが唯一の通夜の夜の救いでもあった。

 瑞雄さんのご冥福をこころから祈りたい。合掌。

『出雲と大和』──古代国家の原像をたずねて(村井康彦著,岩波新書)を読む。歴史的事件に等しい。

 雑誌『世界』に以前から広告がでていたので,刊行を楽しみに待っていた。1月22日刊行。早速,近くの比較的大きな本屋に行く。同時に刊行されたほかの岩波新書は全部並んでいるのに,お目当ての『出雲と大和』だけがない。書店に聞いてみると「そのうち届くと思います」といういい加減な返事。もう,この書店は信用しない。

 それからしばらくして,神田の三省堂に用事があったので(某編集者との待ち合わせ),ここならあると信じて探す。やはり,『出雲と大和』だけがない。カウンターで聞いてみる。すると,ちょっとお待ちください,と言って調べてくれる。「売り切れで増刷中です」とのこと。いつごろになりますか,と問う。「そんなに時間はかからないと思います」とのこと。

 こうしてようやく手に入れたのは2月8日。奥付をみると,2月5日第二刷発行,とある。なるほど,刊行と同時に,すぐに売り切れ。そして,すぐに増刷に入ったことがわかる。こんどは大増刷をしたようで,あちこちの本屋さんに山積みにして置いてある。さて,二匹目のどじょうがそんなにうまくいくとは思えないのだが・・・・。

 それにしても,この売れ方はどういうことなのか。
 たしかに,いま,日本の古代史が面白い。相次ぐ発掘の結果,驚くべき考古遺物がつぎつぎに発見され,古代史の「定説」がつぎつぎにくつがえされつつあるからだ。そして,どちらかといえば,その土地に古くから伝承されてきた物語を裏づける物的証拠が多く見出される傾向がある。だから,古代史研究者のみならず,古代を専門とする歴史作家たちが,さまざまな想像力ゆたかな仮説を展開して,新たな物語を紡ぎだしつつある(この点についても,いずれ書いてみたいと思う)。じつに多くの著作がつぎからつぎへと刊行されている。枚挙にいとまがないほどである。

 そんななかでひときわ異彩を放つのが,この『出雲と大和』──古代国家の原像をたずねて(村井康彦著,岩波新書)であろう。村井さんは,日本古代・中世史を専門とする研究者で,長くこの世界で仕事をしてこられた,いわゆる専門家である。1965年には『古代国家解体過程の研究』(岩波書店)という本格的な学術論文の刊行でデビューされ,早くからこの人の研究は多くの研究者から注目されてきた。現在は国際日本文化研究センター名誉教授。すでに83歳。言ってみれば,今回の新書はライフ・ワークの総決算にも値するみごとな作品となっている。その論旨の構築の仕方もゆるぎなく,きわめて説得力がある。

 いまも,全国各地の「出雲」がらみの伝承を頼りに,自分の足で現地をたずね,自分の目で確かめ,関係者の話に耳を傾け,そして,『魏志倭人伝』や『風土記』や『記紀』などの古代史に関する基本文献を徹底的に読み込み,そこに書かれていることの真偽を問いつつ,再読解を試み,新たな仮説を立てて,その傍証を固める,という村井さん独自の研究スタイルを踏襲していらっしゃる。そうして誕生したのが,この『出雲と大和』である。

 その結論は,「邪馬台国は出雲勢力の立てたクニであった」(P.250.)という衝撃的なものである。最初のページから丹念に読みつないで,この結論までたどりついたとき,一読者にすぎないわたしは,なんの疑念もいだくことなく,すんなりとこの結論をそのまま受け入れていた。そして,静かな,深い感動すらおぼえた。やはり,そうだったのだ,と。

 わたし自身は,まったく別の興味関心から野見宿禰の実像をさぐってきた。もちろん,あの相撲の話が直接的な引き金となっているのだが。そして,近々では,ようやく桜井市の「出雲」の地に足を運んで,その地に立ち,周辺を歩き回って空気を吸い,地形や景色を眺めながら,さまざまな推理をはたらかせることをしたばかりである(1月27日)。そして,明治になるまで存在したという野見塚の碑の立っているところにも足をはこんだ。塚をつくるのは野見宿禰が死んだあとに残された人びとだ。その人びとにとって大事な人だからこそ,そこに塚をつくる。それを土地の人たちは大事に守ってきたはずだ。それを,なにゆえに,わざわざ野見塚を取っ払ってしまったのか。碑文によれは,明治政府の農地改革のため,とある。しかし,猫の額のような面積の田んぼしかそこにはない。それを田んぼにしたからといってなんの功徳があるというのだろうか。そこには明らかに権力サイドからの強い「他意」が感じ取られる。しかも,いまも碑の前の花は枯れることはないという。地元の人たちにとっては忘れてはならない大事な「記憶」なのだ。そのことのもつ意味の大きさが,わたしにはひしひしとつたわってくる。

 そんな,多少なりとも,わたしなりの予備知識もあったので,村井さんの気宇壮大な出雲研究は,なおさらにわたしを圧倒した。その一つひとつがこころの底から納得できるものだった。

 この本の提示している,いくつかの思考のヒントをもとに,わたしも,あちこち尋ね歩いてみたいと思っている。少なくとも,大和盆地のなかだけでも・・・・。三輪山の存在がますます大きくなってくる。「国譲り」をしたとはいえ(この実態がどのようなものであったかは,いまだに不明),この三輪山には大和朝廷といえども指一本触れさせてはいないのである。そして,むかしながらの磐座信仰を,こんにちにまで伝承しているのだ。このことのもつ意味について深く考えてみたい。そして,そのことと野見宿禰伝承が関西方面に,かなり広い範囲で残っていることとは無縁ではない,とわたしは考えている。しかも,野見宿禰の直系の子孫から菅原道真が登場する。そして,あの太宰府流しという悲劇が生まれる。それを仕組んだのは藤原氏の末裔たちだという。そこには,とんでもない古代史の深い「闇」が潜んでいるらしい。

 わたしたちは,どうやら,嘘の古代史を教えられてきたらしい。その一角をもののみごとに崩す,立派な仕事のひとつとしてのこの『出雲と大和』の刊行は,歴史的事件にも等しいとわたしは受けとめた。ご一読をお薦めしたい。

2013年2月26日火曜日

東京マラソンは新しい文化,新しい祝祭空間となりうるか。

 マラソン・レースはテレビでみるものであって,沿道にでてみるものではない,とずっと思っていた。しかし,とうも,そういうものではなくなってきているらしい。それが数字で現れている。主催者発表によれば,沿道に繰り出して応援した人びとが173万5千人という。これには驚いた。この人たちは,一瞬にして目の前を駆け抜けていく選手たちを,ただ,ひたすら応援していたのだろうか。どうも,そうではないらしい。

 1964年の東京オリンピックのときのマラソンを甲州街道の歩道で応援したことを思い出す。アベベ選手がやってきたと思ったら,あっという間にとおりすぎて行った。ほかの選手たちも同じだ。本ものを見た,ということだけが自慢で,あとはなんの感懐もない。むしろ,味気なかった。もう,二度と沿道に立つのはやめておこうとさえ思った。以後はもっぱらテレビ観戦である。

 しかし,何年か経って,数年前,箱根駅伝を藤沢まで見物に行ったことがある。復路の応援をする人たちの姿がみたかった。そして,自分自身もその集団のなかに身を置いて,一緒に応援してみようと。しかし,このときも,つぎつぎに選手たちはやってくるが,あっという間に目の前をとおりすぎて行って終わりである。でも,沿道の人びとは無邪気に応援をしていた。しかし,わたしは退屈した。もう,こんご二度と沿道には立つまいとこころに決めていた。

 でも,マラソンは好きなので,テレビでは熱心に眺めている。

 こんどの東京マラソンもテレビで観戦した。お目当ては,2時間4分台で走る選手の4人。いったい,どんな走りをするのか見たかった。が,残念なことに「ペースメーカー」なる存在に邪魔されて,30キロまでは大集団のまま。なんの駆け引きも起こらない。しかも,予定よりも遅い。なんともつまらない展開。4分台選手にとってはまるでジョギングでもしているような余裕さえ感じられる。が,レースは30キロすぎて「ペースメーカー」がはずれてからはじまった。それもあっという間のできごと。一気に集団がばらけたところで,あとは,飛び出したキメットと,それを追うキビエゴの勝負となる。

 これをみて,ペースメーカーは不要だ,と思った。むしろ,記録をよくするよりも悪くすることに貢献しているではないか。なんのためのペースメーカーなのか。疑問だらけ。ペースメーカーがいなかったら,このレースはどうなっていただろうか。選手たち同士が,もっと激しいレースの駆け引きを展開して,みる者を熱狂させたのではないか。と,そちらの方に気持ちが向かう。

 テレビは,ひたすら優勝争いと,話題の選手を追いかけるのみ。あとのことはどうでもいいかのようだ。解説も平凡。なぜ,ケニアの選手たちはこんなに強いのか,とアナウンサーに聞かれた瀬古のピンぼけな応答。解説者としての勉強が足りない。それに比べれば,増田明美は事前に取材もして,下調べがしてあり,場面,場面に応じて的確な解説をしていた。立派である。それから,高橋尚子の解説も歯切れがよくなった。彼女もよく勉強しているなぁと思った。もう,瀬古の解説なら聞かない,聞くまでもない。

 気がつけば大いなる脱線。話を本題にもどそう。
 テレビにはほとんど映らないにもかかわらず,いや,それだからこそほんの一瞬の映像が強い印象を残すのかもしれない。仮装をしたランナーの即興のパフォーマンスに沿道の人たちが大喜びをしている。そのあたりのことがもう少し知りたいと思った。そこで,新聞やネット情報を掻き集めてみると,意外な(いや,もう,多くの人の知るところかもしれない)ことがわかってきた。

 それは,東京マラソンに参加しているランナーたちは,大きく三つに分かれているようだ。一つは,いわゆるエリート選手たちの競走。徹底して勝ち負けにこだわるグループ。競技としてのマラソンに真摯に向き合っているランナーたち。テレビは,このうちのトップ集団しか映さない。だから,あとのことはテレビ観戦者にはほとんどなにもわからない。二つ目のグループは市民ランナーと呼ばれる人たち。いわゆるトップ・アスリートを目指すのではなく,一人ひとりの目標があって,それを実現させるべくランを楽しんでいる人たち。三つ目は,ファンランを楽しむ人たち。いろいろに仮装をしたり,ランの途中で面白いパフォーマンスを繰り広げたり,沿道の人たちと交流することを楽しんでいる人たちだ。

 そこで,なんとなくわかってくるのは,沿道に立って応援していると,三つの性質の異なるランナーたちがとおりすぎていくことだ。エリート集団が,勝つこと,順位,記録をめざして必死で駆け抜けたあとに,走ることそのことを楽しんでいる市民ランナーが,思いおもいのランを繰り広げてくれる。そして,最後の集団はファンラン。とにかく完走すればいい。記録よりも,みずからの仮装をみてもらうこと,ついでにその仮装に見合うパフォーマンスをみてもらうこと,このことに主眼を置いたグループがやってくる。

 この三つ目の集団はお祭り集団だ。いかにして祝祭空間を演出し,沿道の人びとと一体化し,笑いをとるか,そこに参加する意味を見出している。そここそが勝負だ。受けがよければ,沿道の人たちのところに近づいて行ってハイタッチもありという。立派な市民交歓会が繰り広げられているらしい。ときおり,それらしき光景がテレビに瞬間的に映ることがある。これは,少なくとも,ここ数年の間に急激に増えてきた現象らしい。だとすれば,これは面白い。つまり,ある意味では,多数の役者たちによって延々と演劇的なパフォーマンスが繰り広げられていることになるからだ。だとすれば,沿道に出て行って,それらを楽しむ人がでてきてもおかしくはない。こういう光景が見られるのなら,わたしも出かけてみようかと思う。

 残念なことは,テレビをそういう光景を映そうとはしないことだ。これもまた東京マラソンの一つの重要な要素であるとしたら,しっかりと報道すべきではないのか。それとも主催者たちはこの手のランナーを「困った輩」とでも思っているのだろうか。ファンランはそんな雰囲気を肌で感じながら,意図的・計画的にアゲインストしているのだろう。だとしたら,それは,明らかにマラソン文化に革命が起きている,なによりの証拠となるだろう。

 いっそのこと,テレビ観戦者のために,テレビの画面を4分割ぐらいにして,東京マラソンを多面的・多層的に見せることをやってみてはいかがか。一つは,これまでどおりにトップ集団を中心にした映像を送りつづけること,もう一つは市民ランナーたちの走りをじっくりと見せること,三つ目はファンラン。沿道の人たちとのコミュニケーションがどのように展開されていくのか,これは面白いと思う。あと一つは,その他の情景を拾っていくこと。たとえば,ボランタリーの人たち(約1万人が参加しているという)の活躍ぶりを追うこと。給水や誘導,など。そうして,東京マラソンの全体像を浮き彫りにすることを考えるべきではないのか。勝ち負けだけがスポーツではないのだから。

 たぶん,いま,単なる競走・競技であったマラソンから,マラソンの全コースを祝祭空間に仕立て直して,そこでの時空間を,ランナーも沿道の人も一体となって,新たなお祭り広場を演出しようとしているかにみえる。これは「21世紀のマラソン」という名の新しい文化の誕生ではないか。主催者が仕掛けたわけでもなく,沿道のファンが仕掛けたわけでもない。マラソンに参加するランナーたちのなかから自発的に,いかにしてランを沿道の人たちとともに楽しむかという創意工夫が生み出した,まったく新しいスポーツ文化の出現ではないのか。

 ここまで考えたら,来年はどこか冷たい風が吹かない場所を選んで,沿道に立ってみたいと思い出した。ある意味では,スポーツ文化の先祖返り。そして,そこにこそ,21世紀スポーツ文化の新たな可能性が秘められているのではないか。勝利至上主義も,自立したランナーとしての自己実現も,ファンランも,そしてそれらを支える裏方さんも,そしてなによりも沿道で声援を送りつつ,ファンランをする人たちとの交流を楽しむ。そんなスポーツ文化が実現したら,なんと素晴らしいことか。これこそが,わたしが待ち望んでいたスポーツ文化のひとつの新しいモデルであり,スタイルでもある。

 よし,こんど,そのようなマラソン・レースがあったら,出かけていって沿道に立とう。そして,こちらからも声援という名のパフォーマンスを繰り出してやろうではないか。

2013年2月25日月曜日

「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」(真島一郎)。

 第70回「ISC・21」3月東京例会の真島一郎(東京外国語大学大学院教授)さんのお話のタイトルが決まりました。慎重な真島さんはまだ仮のタイトルですが,という付帯条件付きで送られてきたタイトルが「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」です。わたしは思わず膝を打って,ウーン,と唸ってしまいました。

 じつは,わたしはお節介にも,こんなタイトルではいかがでしょうかという愚案を提示して,それに手を加えて適切なタイトルにしてください,とお願いがしてあったからです。その応答がこのタイトルです。目からうろこが落ちるとはこのことでしょう。わたしが研究室にお伺いして,わたしの方の研究会の蓄積や趣旨をお話して,こんなお話をしていただけると嬉しいという注文をいくつか出させていただきました。それらのすべてをみごとにクリアするタイトル,それがこれでした。

 このタイトルを眺めながら,日本語の表現力はすごいなぁ,と感じ入ってしまいました。それは<もの>ということばです。「からだにつく<もの>」といったときの<もの>です。日本人であれば,これだけで多くの人はピンときます。つまり,「つきもの」ということばが,ついこの間まで,わたしの子どもの時代を過ごした田舎では,ごく日常的に用いられていたからです。あるとき,突然,ある人のからだに「つきもの」がつく。

 わたしの田舎では「きつねがつく」ということばをよく耳にしました。「きつねがつく」とは,要するに「気がふれる」こと。ふつうの人ではなくなること。なにかが乗り移り,もとのその人ではなくなること。そこまではっきりしないときには,なにか<もの>がついたらしい,ときどき変なことを口走ったり,奇行に走る,といいます。これが「つきもの」です。

 漢字で書けば「憑き物」。このときの「物」が,すなわち,<もの>。広辞苑によれば,「人にのりうつったものの霊。もののけ。風姿花伝『仮令(けりょう)憑き物の品々,神・仏・生霊・死霊の咎めなどは』。『憑き物が落ちる』」とあります。それらのすべてを総称して<もの>。

 大国主命は多くの別名をもつが,そのひとつに大物主命というのがあります。大物主の「物」は「魂」を意味するとのこと。「魂」とは「鬼がものを云う」と書きます。鬼とは神のことですから,神がものを云う,それが「魂」です。国魂神,葦原醜男,八千矛神,などの大国主命の別名もまた神がかった「魂」を意味するとのこと。つまり,漢字で書けば「物」,ひらがなで書けば「もの」,というわけです。

 そのような日本の社会にもむかしから馴染んできた「つきもの」=「からだにつく<もの>」。それとまったく同じとはいえないまでも,かなりの部分で重なっているであろう,コートディヴォワール・ダン族の「からだにつく<もの>」,それを「力士と仮面」をとおしてお話してくださる,というようにわたしは受けとめたわけです。ですから,ずっしりと重くわたしのこころの奥底に「するり/すとん」と落ちたのです。

 「霊力でとるすもう・ゴン」,そのゴンをとる力士のからだは,ふつうの人とは違って霊力を受け入れる能力に秀でている,ということなのでしょう。そして,「仮面」についてはもはや説明するまでもなく,ふつうの日常のからだではなくなるための,自己を超えでるための装置。ですから,これもまた「からだにつく<もの>」であるわけです。さらには,秘密結社のシンボルともなる仮面。こうして,結社社会を構成するコートディヴォワールのダン族がトータルに語られるとしたら・・・。いまから,わたしの胸は高鳴ります。

 なぜなら,いまでは遠い過去のこととして忘れられてしまったスポーツの原風景をそこに見届けることができるからです。日本の力士も,いまの力士はともかくとして,雷電為右衛門らが活躍した江戸の勧進相撲の時代には,力士はとくべつの霊力をもつ人として崇められたものです。つまり,世俗の人間と神との中間に位置づく人,神との橋渡しをしてくれる人。力士のことを「醜男」とも呼ぶのも,桁外れに強く頑丈なからだをもつ男という意味であるし,梅ケ谷などという「醜名」も,並の人ではない強い力をもつ人という意味での力士の呼び名のことです。

 日本の力士は,髷を結い,締め込み(まわし,ふんどし)を身に帯びることによって力士に変身します。ましてや,化粧まわしをつけたときには,もう,ふつうの人ではありません。言ってしまえば,もうすでに,神がかっています。これもまた仮面と同じような役割をはたしているように,わたしには思われます。

 さあ,真島一郎さんの「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」のお話はどんな展開になるのでしょうか。いまから楽しみです。

 3月9日(土)の午後3時から,青山学院大学を会場にして,第70回「ISC・21」3月東京例会が開催され,そこで真島一郎さんがこのお話をしてくださることになっています。詳しくは,「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)のホーム・ページの掲示板をご覧ください。開催要領が公開されています。一般にも公開されていますので,興味のある方はお出かけください。無料です。

2013年2月24日日曜日

11世紀・棺をかつぐ力士たち・中国遼寧省出土。

 月刊誌『SF(Sports Facilities)』(旧『月刊体育施設』)に隔月で連載しているシリーズの最新号を紹介します。題して「絵画にみるスポーツ施設の原風景」。今回は第24回目。出典は,図録『特別展 日中国交正常化40周年 中国王朝の至宝』(東京国立博物館,2012年)。

 これまで雑誌などに掲載された原稿をこのブログで紹介することはほとんどなかったのですが,今回は,いささか意図があって,とりあげておこうという次第です。断るまでもなく,「日中国交正常化40周年」を記念したイベントがあれこれ企画されていたのですが,それが一挙に消えてしまいました。たったひとつ,この企画だけはすでに「至宝」が日本に運び込まれていて,日本各地の博物館・美術館を巡回することが決まっていました。そんなわけで奇跡的にこの企画だけは実施されることになった,という次第です。

 この展覧会は,日本各地を巡回した最後,4月7日まで神戸市立博物館でみることができます。興味のある方はぜひご覧になってみてください。展示の素晴らしさはもとより,考古遺物が出土した中国の地方都市の現在の街の全景や,人びとの暮らしぶりが,各コーナーごとに上映されていて,これがわたしには強烈な印象となって残りました。なぜなら,中国の地方都市とはいえ,どこもかしこも日本の大都市とまったく遜色ありません。近代的な高層ビルが立ち並び,清潔な近代都市の街並みを,人びとは悠々と歩いています。中国はもはや立派な近代国家であって,わたしたちがイメージしている貧困にあえぐ僻地の農村はほんの一部でしかないということです。それを知っただけでも,この奇跡的に開催された展覧会の意味は十分にあったと思います。「日中国交正常化40周年」を寿ぐべき企画として,もっともっと多くのイベントが準備されていたのに残念でなりません。それらがすべて開催されていたら,わたしたち日本人の中国観も大いに変化したでしょうし,日中の関係ももっともっと親密になれたのに・・・・と。

 一昨年(2011年)の9月に,昆明から雲南省の山奥の古い街並みめぐりをしたときにも,その経済的発展に驚いたものです。まずは,あの山の中にある昆明が恐るべき大都会であることに度胆を抜かれました。翌日からの長時間かけてバスで山を越え,田園風景を走り,いわゆる観光旅行とは異なる,少数民族の人たちが多く住む土地を訪ねるという,とても地味な旅をしました。そこで眼にしたものは,中国はどこもかしこも建設ラッシュで,道路工事や鉄道建設が雲南省の山岳地帯で行われていた,という事実です。人びとはとても優しいことにも驚きました。最後に尋ねた北京は東京とどこも違いません。むしろ,道路の幅などは広く,よく整備されていて,車の数も多いのではないかとさえ思いました。

 わたしたち日本人は,中国に関する精確な情報を,ほとんど手にすることができません。なぜなら,日本のメディアが中国に関する偏見にみちた情報ばかりを流すからです。そのために,わたしたちもいつのまにか偏見だらけの中国観をもつはめになってしまうわけです。

 中国の良識ある人びとは,いまでも,きわめて冷静に日本をとらえています。そして,その子どもたちが日本に留学することになんのためらいもありません。その具体的な事例をわたし自身もいくつか知っています。市民レベルでは,いまも,お互いに信頼関係は崩れてはいません。それは「日中国交正常化40周年」という実績によるものです。その信頼関係を一挙に突き崩すような愚挙が,「棚上げ」になっていた尖閣諸島を,わざわざその約束を反故にして,突然の,しかも一方的な国有化宣言です。あきれはててものも言えません。そして,今日も,中国の船が領海を侵犯して入ってきた,とニュースが声高に報じています。日本が「だまし討ち」にしたことは,まるでなにもなかったかのように。それどころか,そんな約束はなかった,とまで言い切っています。ならば,「日中国交正常化40年」はいかにして可能だったのか,考えてみればすぐにわかることです。それすらも隠蔽して押し切ろうというのが,いまの日本の政府のやり方です。

 そんな気持ちが強くあるものですから,日中の文化交流の一端が,この険悪な情況のなかにあってなお,みごとに実行されていることは特筆に値すると考えています。本来ならば,メディアも,もっともっと大きくこの「中国王朝の至宝」展を報道するはずです。それすらも,日本のメディアは無視して,平然としています。

 そういう事態に対するアゲインストとして,わたしなりのやり方で,この連載を活用させてもらうことにしたという次第です。あっ,こんなことを書いてしまうと,この連載もストップされてしまうかもしれません。まさか,そんなことはないと信じていますが・・・・。

 さて,連載のテーマは「11世紀・棺を担ぐ力士・中国遼寧省出土」です。そして,この写真をかかげ,その下にかんたんな説明文を載せています。そのまま,転載しておきましょう。


 力士が棺を担ぐというイメージは,いまのわたしたちにはほとんどありません。しかし,時代を遡っていくと,なぜか,力士は葬送儀礼と深くかかわっていたということがわかってきます。これは洋の東西を問わず共通しています。力士は,ただ,相撲をとるだけではなく,相撲をとることによって鎮魂の役割もはたしていた,というのが実態だったようです。
 日本の古代では,野見宿禰がそうであったように,力士であると同時に葬送儀礼を取り仕切る専門職でもあったようです。天皇が亡くなると,お付きの者たちの多くが人身供犠として生き埋めにされるのが習わしになっていましたが,野見宿禰はそれに代えて埴輪を提唱しました。その埴輪のなかには力士埴輪もふくまれています。
 今回の図像は,中国遼寧省朝陽市から1992年に出土した10~11世紀の力士〇棺です。石製で,棺の大きさは縦55.5cm,幅16.5cmです。とても小さなものですので,火葬後の骨を納めたと考えられています。
 力士は上半身裸,下半身は短いパンツを穿き,長靴を履いて両手は腰帯(まわし)を掴んでいるように見えます。しかも,目を瞑って,深い瞑想のなかに入りこんでいるようにもみえます。
 詳しいことはわかっていませんが,力士は棺をかついで葬送の行列に加わり,その墳墓に棺を納めたあとに,相撲をとって鎮魂の儀礼を行ったようです。また,死後の法事の折にも相撲をとったのかもしれません。それらはすべて死者の鎮魂を目的としたものであったに違いありません。となれば,場所はいずれも墳墓や墓所の前の広場だった,ということになります。いわゆる奉納相撲です。
 この力士〇棺は,一種の骨壺ですので,力士もまた死者の骨と一緒に死後も連れ添い,死者の霊魂を守ったということを意味しています。となると,仏教的な慣習行動がこの地方にも広く普及していたということも意味します。

以上。

※この棺のなかに一刻も早く入ってもらいたい人がなんにんもいます。困ったものです。





「丹田の下のボールを回しなさい(尾てい骨を巻き込むために)」(李自力老師語録・その28.)

 「尾てい骨を巻き込むようにして・・・」と,もう耳にたこができるほど李老師から注意を受けている。しかし,李老師がやってみせてくださる「尾てい骨を巻き込む」は,たしかにそのように動いているのが目にみえる。ならば,というので頑張ってやってみる。李老師はやさしいから,少しでも似ていれば「あー,そうそう」といって励ましてくださる。しかし,鏡に写るわが姿をみて,「似て非なるもの」でしかないことが歴然としている。しかも,自分の感覚として尾てい骨を巻き込んでいるという実感もない。

 ずーっと長い間,もう8年も考え,悩んできた。どうしてもわからないのだ。人体解剖学の本をめくって,尾てい骨を巻き込むための「筋肉」はどうなっているのだろうか,と必死で探す。しかし,どう考えてみても,解剖学的にはそのような「筋肉」は存在しない。でも,なぜ,李老師は尾てい骨を巻き込むことができるのか。しかも,ぐりぐりぐりともののみごとに巻き込まれていく。不思議なことだ。ひょっとしたら,子どものころから「尾てい骨を巻き込む」稽古をしているうちに,そのための筋肉がとくべつに発達しているのだろうか,と考える。しかし,それも解剖学的にはありえない。では,どうなっているのか。なにゆえに,李老師の尾てい骨は巻き込まれていくのか。

 仕方がないので,勇を起こして李老師に尋ねてみる。
 尾てい骨を巻き込むための方法を教えてください。自分の意識をどこに置けばいいのですか。

 すると意外なことばがかえってきた。
 しばらく,わたしの眼を見据えたあとで,「下腹部・丹田よりやや下のあたりにボールがあると思いなさい。このボールを回すのです」と仰る。そして,「とりあえずは,このボールを後ろに回しなさい。そうすれば尾てい骨は巻き込まれてきます」と。

 早速,やってみる。しかし,ボールはどこにもない。ないボールはまわせない。李老師,曰く。「ボールはそのうち意識できるようになります」と。「意識できるようになると,このボールを前後にまわしたり,左右回転させたりする稽古をします。すると,次第に,自在にまわせるようになります。そうしたら必要に応じて,好きなときに,好きなようにまわせばいいのです」と。

 わけがわからない。まるで禅問答のようだ。仰ることは,なんとなく理解することはできる。そうなのか,そういうものなのか,と。しかし,体感としてはさっぱりわからない。第一,ボールの存在が確認できないのだから。仕方がないのでさらにしつこく質問をつづける。いろいろと説明してくださるのだが,どうも要領を得ない。とうとう李老師も音をあげて「これはことばで説明できることではありません。感覚で理解できたら,ひたすらそこに意識を向けて稽古するのみです」,と。

 かくなる上は・・・と覚悟を決めて,事務所でひとり稽古をしてみる。とりあえずは,肛門のあたりをギュッと締めておいて,それを前に引っ張りだすように腹筋の一番下の部分を収縮させてみる。すると,骨盤がうしろに倒れていく感覚が伝わってくる。軸足に体重をかけたまま送り出される足とともに骨盤がうしろに倒れていくように感ずる。もし,この感覚どおりに骨盤がうしろに倒れていくとすれば,尾てい骨はおのずから巻き込まれていくはずだ。

 この感覚が正しいかどうかはわからない。しばらく稽古を重ねてみて,李老師にみてもらうしかない。しかし,いままでのように闇に向って尾てい骨を巻き込む努力をしているのとは,明らかに異なる。具体的な目標がはっきりしただけでも努力する甲斐があるというものだ。

 肛門から前立腺にむけて筋肉を締め上げていって,それを腹筋の一番下につなげて,ぐいと腹筋を収縮させてみる。すると,下腹部の丹田よりも少し下のあたりに空洞があるように感ずる。この空洞に感じられる部分にボールが感じられるようになるのだろうか,と勝手な想像をしてみる。しばらくは,ひとり旅だ。試行錯誤を繰り返しながら,模索していくしかないのだから。とりあえずは,その端緒にとりついたというところか。

 この方法でいいのかどうか,つぎに李老師が稽古にきてくださるのを待つのみ。それまでに,少しでもそれらしきことができるようにしておこう。この方法が,李老師の仰る「秘法」につながるものであることを祈りつつ。

『週刊読書人』最新号(2月22日)の一面トップにシャモワゾーと肩を組む西谷修,星埜守之さんの写真をみつけて。

 「クレオールとは何か」という大きな文字の見出し語が躍る。そして,パトリック・シャモワゾー講演会in東京大学,とある。そして,かなり大きな写真が掲載されている。そのなかに,シャモワゾーを真ん中にして右側に西谷さん,左側に星埜さんが写っている。なんだか嬉しくなって,しばらく,この写真に見入っていた。

 シャモワゾーという人の写真をしげしげと眺めるのはこんどが初めて。ああ,こんな顔をした人なのか,と納得。西谷さんはいつもよりご機嫌か,とても柔和な顔で写っている。その反対側には星埜さんがいつもの表情で写っている。

 いつもの表情と書いたが,じつは,星埜さんはいつも同じような顔をしているからだ。無理して大まじめな顔をすることもなく,ごく,自然体で脱力された柔らかな笑顔である。ああ,こういうときも同じ顔だ,という意味で「いつもの表情」と書いた次第である。

 というのは,星埜さんとは,一昨年の奄美自由大学(今福龍太主宰)で初めてお目にかかった。初日の入島式(これから奄美大島の島巡りをさせてもらいます,という島の神様に許可をいただく式。島には聖なる場所がここかしこにあるので,そこに行って主宰者のご挨拶があり,島巡りの予定表を書いたリーフレットと笛(いずれも今福さんのゼミ生さんたちの手製)を分けてもらって,いよいよ行動開始)のときに,わたしは初めての参加だったので,まずは,わたしの方から星埜さんに声をかけ,これこれの者ですと自己紹介をした。が,星埜さんは,いつものにこにこした顔をして「ああ,そうですか。星埜です。よろしく」と言ったきりなにも仰らない。あれっ,と思って少し考えた。ああ,そうか,星埜さんのことは知らない人がいないとお考えかも・・・と思って,勇気を奮い起こして「失礼ですが,どういうお仕事をなさっていらっしゃるのですか」と問う。すると「大学でフランス語を教えています」とだけ。わたしは知らないから,ああ,そうか,フランス語の先生なのだ,とだけ記憶にとどめた。あとは,まったく不明。そして,奄美自由大学でご一緒した三日間,いつも,どこにいても,にこにことした笑顔で,飄々と歩いていらっしゃる。不思議な存在感のある人だなぁ,とは思ったが,それ以上のことはわからない。

 それっきりになっていた星埜さんが,突然,『週刊読書人』の一面トップの写真に現れたという次第。しかも,西谷さんと一緒だ。ええっ,と思って,急いで経歴を探した。そうしたら,東京大学教授とある。ふたたび,ええっ,である。人は見かけによらないもの。奄美大島で初めてお会いしたときには,どこで,なにをしていらっしゃる方かもわからないので,無精髭をのばしたどこかのおじさんだと思っていた。しかし,この写真をみると,いまも,その無精髭があるので,ああ,あれはおしゃれなんだと納得。そして,「クレオール」というところで西谷さんともつながっていることも納得。そうして,いまさらのように奄美自由大学に来られる人たちというのはたいへんな人たちばかりなのだ,とこれまた納得。わたしのような者がひょこひょこ顔を出していていいのだろうか,と考えてしまう。でも,今福さんから,来年また奄美で会いましょう,と言われると嬉しくなってまたいそいそとでかけてしまう。奄美大島という磁場のようなものがわたしを引きつけてやまない。なんなのだろう,あの島の発する雰囲気は。わたしが戦前の子ども時代に吸っていた空気と同じようなものをここかしこで感ずる。だから,いまでは完全に消え失せてしまった,わたしの子ども時代に味わった郷愁を感じ,懐かしくなるのだろう。そんな場で星埜さんとも出会った。そして,あの,ゆるい,なんともいえない味のあるにこにこした笑顔に。その笑顔を久し振りにこの『週刊読書人』で発見。やはり,懐かしい。いまも同じ笑顔だから。

 紙面は全面2ページにわたって,シャモワゾーの講演会が載録されている。このときの司会を星埜さんと塚本昌則さん(東京大学教授・フランス文学)がつとめていらっしゃる。講演会のタイトルは「戦士と反逆者 クレオール小説の美学」。この記事のつかみのところだけ転載しておくと以下のとおり。

 昨年11月13日,東京大学(文京区本郷)において,パトリック・シャモワゾーによる講演会「戦士と反逆者 クレオール小説の美学」が開かれた。シャモワゾー氏は,1992年に『テキサコ』(星埜守之訳,平凡社)でゴンクール賞を受賞し,国際的にその名が知られるようになった。また,ラファエル・コンフィアンとの共著『クレオールとは何か』(西谷修訳,平凡社)は世界中で読まれ,「クレオール」という言葉を定着させるきっかけを作った一冊である。この講演の模様を載録させてもらった。進行は星埜守之氏と,『カリブ海偽典』(紀伊国屋書店)の翻訳者である塚本昌則氏が担当した。

 わたしは,最初に今福さんの『クレオール主義』という本を読んだときに,なんのことかがよくわからないまま苦しんでいたが,西谷さんの『クレオールとは何か』がでて,その巻末に書かれた西谷さんの「解説」を読んではじめて「クレオール」ということの重大さを知った。そして,クレオール語ということばもそうだが,スポーツもまた民族の出会い・衝突によって新しいスポーツ文化を生み出す,その意味ではことばもスポーツも同じではないか,とあれこれ考えてきた。

 星埜さんがそういう方だったということがわかった以上は,『テキサコ』を読んでおいて,こんどお会いできるかも知れない奄美自由大学に備えておこう。星埜さんは,とくに,だれとも会話をされるわけでもなく,悠々とひとりで奄美の雰囲気を楽しんでいらっしゃる方だ。せめて,夜の宴会の折には『テキサコ』を話題にできるようにしておこう。そうすれば,奄美自由大学がもっともっと面白くなりそうだ。そして,同時に,わたしのやってきたスポーツ史やスポーツ文化論を考える上でもシャモワゾーの書いたものはとても重要なヒントを与えてくれるはずだ。その意味でも必読の書だ,とこの講演会載録を読んでますます強く感じた。

 わけても,スポーツ文化がヨーロッパ近代の呪縛から解き放たれるためにも。

2013年2月23日土曜日

久しぶりにロック・バンド Ain Figremin のライブを聞く。

  ふだんは大阪を拠点にして活動している Ain Figremin が東京でライブをするというので出かけてみた。21日(木)は高円寺で,22日(金)は府中でやるという。21日はすでに予定が入っていたので,22日に出かけた。

 もちろん,お目当てはリードヴォーカルの三井雄介だ。詳しいことははぶくが,個人的なある事情があって,かれの子どものころから,その成長過程をなぞることができるほどに雄介のことはよく知っている。だから,年々,成長していくその姿はいつも気がかりになっている,と同時に楽しみにもしている。

 今回,わたしが聞くのは,バンドのメンバーが変わってからの初めてのライブである。昨年の暮れにはこの新しいメンバーによるCDが制作されている。そして,その1枚がわたしのところにも届いていたので,すでに何回か聞いている。だから、以前とはだいぶ違う雰囲気になっているなぁ,と感じとってはいた。が,やはり,ライブはもっとその違いを鮮明にしてくれた。

 まずは,Ain Figremin というバンドが驚くほどにレベル・アップし,進化しているではないか。迫力がまるで違う。切れ味が鋭い。雄介のギター・テクニックも歌唱力も抜群によくなっている。しっかりとした目線がいい。たしかななにかをしっかりと見据えている目線だ。だから,引き寄せられる。魅力的だ。それからベースが面白かった。なにせ,裸足でステージに立ち,所狭しとばかりにギターをかかえて演奏しながらこんなパフォーマンスができるかという極限に迫る。本人は必死で,からだごと音をギターに埋め込んでいく。ときには祈っているようにもみえる。ドラムの顔がこれまた印象的だった。ときに泣いているような顔になり,ときには般若の顔になる。しかし,そのほとんどは髪の毛に隠れてみえない。能面アーティストの柏木さんの作品(創作面)に「心眼」という傑作面があり,それを思い浮かべていた。かれもまたドラムと一体化している。雄介の眼が余韻を残す。目力(めぢから)がついたというか,眼力がついたというか,眼がらんらんと輝くようになってきた。もはや,この世のものとは思えない雰囲気がでてきた。そのうち幽体離脱をするのではないか,といささか心配であると同時に楽しみでもある。

 なぜなら,ロックというのは,なにものにも束縛されることのない,そういう幽体離脱寸前の境界領域で遊んでいる音楽ではないか,とわたしは受けとめている。つまり,この世とあの世を自由に往来する音楽ではないか,と。そういうところから音が溢れ出てきて,ことばがそれに乗って天を駆けめぐる。天と地の交信・共鳴・共振。天なる存在に向かって裸足で大地からのエネルギーを吸い上げ天に送り込む(ベース)。すると,こんどは天から大地に雷鳴のごときドラムが響く。ボーカルが必死になって天と地の間に音とことばを繋ぎ止めるかのように,全身全霊を傾ける。このとき,聞く者たちとステージはひとつになる。

 以前,渋谷のライブで聞いたときよりも,はるかに骨太の,逞しいバンドに変身している。雄介も大人になってきたなぁ,としみじみおもう。この間までのひ弱さが消えた。もう,びくともしない,自分で納得のいく立ち位置が決まったという印象だ。さあ,いよいよこれからだ。

 この3人は,おそらく,まったく異なる個性の持ち主で,その音楽性も異なるのではないか,と聞きながらちらりとおもった。それでいて,不思議に噛み合っている。お互いがそれぞれの音楽性をリスペクトしつつ主張し合う,その上で,がっぷり四つに組み合っている。お互いに一歩も譲らないで個性をぶっつけ合うことによって,1+1+1=3,などという単純な和算の範囲を大きく超えでていく可能性を秘めている。3が,6にも9にもなりうる,そういう「大化け」の可能性を感ずる。

 これから面白くなりそうなバンドだ。

 Ain Figremin. 国籍不明の言語。もとをたどればドイツ語もどき。Ein とかけば立派なドイツ語になることを知っている雄介は,わざわざそれをはぐらかす。Figremin もどこかドイツ語にありそうでないことば。雄介のことだから,このことばにあるメッセージを籠めているはず。ありそうでない,なさそうだがあるような気もする,が,やはりない,怪しげなことばの創作。min で終わるところからの連想では「くすり」のイメージか。では,Figre はなにか。あるいは,Fig と re と分離するのか。ならば,こうも考えられる・・・・という具合にことば遊びも際限なくつづく。

 Ain.ひとつでもなくふたつでもない。ひとつから不特定多数まですべてをつつみこもうとでもしているのか。まさに,不定冠詞の王。かたちあるものはやがてくすりによってきえゆくのみか。きえゆくさきにこそりそうのおうこくがまちかまえている,か。

 自他の境界領域を超えでていくことは容易ではない。しかし,かつては自他の境界のない動物性(あるいは,内在性)を生きていたわれわれ人間は,どこかに動物性への回帰願望を抱え込んでいる。それはもはや人間である以上,どこまでいっても避けがたいことなのだ。不可避なのだ。だから,ひとたび,動物性(あるいは,内在性)に目覚めた人間は,動物性への回帰願望に揺さぶられながら,宙づりの「生」を生きることになる。それしかないのだ。

 こんな話を雄介をまじえて,このバンドのメンバーたちと,うまい酒でも酌み交わしながら語り合いたいものだ。その日もそんなに遠くはあるまい。楽しみにしよう。

2013年2月22日金曜日

ヤマトのアフリカニスト・真島一郎さんにお会いしてきました。

 笑顔の美しい人,これが今回お会いしてつよく印象に残った真島一郎さんのイメージでした。西谷修さんから「真島さんはまじめな人ですから」と何回も聞かされていましたので,失礼がないようにということだけはこころがけたつもりです。最初はとても緊張しましたが,真島さんの「お久し振りです」のひとことと,その瞬間に表れたさわやかな笑顔に接してどれほど気持ちが楽になったことか,はかりしれません。

 人は笑うとみんないい顔になります。が,ときには,笑ってもどこか冷たい印象を与える人もいます。しかし,真島さんの笑顔はとびきりでした。わたしの話を聞くときの真島さんの眼は鋭く光り,わたしの眼をじっとみつめて離しません。そして,わたしの眼の奥の奥まで見とおしていくような,そんな強いまなざしでした。ですから,わたしの方が目線をときおり外さないと圧倒されてしまうほどの迫力です。わたしはなにかを思い出そうとするふりをして天井に視線を向けたり,やや斜め下に目線を落してなにかを深く考えようとしているふりをしなければならないほどでした。こんな体験は久し振りでした。でも,真島さんの中でなにかが深く納得できたときには,パッと明るい笑顔に変わります。この落差なのでしょうか。それはそれはみごとな笑顔なのです。わたしの気持ちは,そのたびに,大いに救われました。

 とまあ,こんな具合にして,3月9日(土)に予定されている第70回「ISC・21」3月東京例会の打ち合わせが行われました。真島一郎さんのことを初めて知ったのは,『季刊民族学』(国立民族学博物館発行の機関誌)に掲載された,コートジボアール・ダン族のすもう「ゴン」に関する真島さんの論考でした。この論考はとても刺激的でした。なにせ,「霊」の力ですもうをとる,というお話ですから。詳しいことはここでは省略しておきますが(当日,お話をしてくださる予定),読んだ瞬間からこの真島さんという人にお会いしてお話を伺いたいとおもっていました。ところが,当時の真島さんは東京大学の大学院生で,ダン族の「結社社会」の研究のために現地に滞在中でした。そんなことで,いつか,どこかで,と楽しみにしていました。

 あれから何年になるでしょうか。その間,忘れていたわけではないのですが,そのままになっていました。が,偶然,そのチャンスはめぐってきました。それは,西谷さんが仕掛けるシンポジウムに真島一郎さんが,ほとんどレギュラーのようにしてシンポジストをつとめていらっしゃったからです。最初にプログラムで「真島一郎」という名前をみつけたときに,もしかしたら?と一瞬わたしの脳裏をよぎりました。しかし,シンポジウムのテーマは「沖縄問題」です。あるいは,もっと違うテーマであったりします。なにせ,西谷さんの守備範囲はきわめて広いので,シンポジウムのテーマは多岐にわたります。そんな中に,毎回のように「真島一郎」という名前があり,実際に発言を生で聞いてもいるわけです。しかし,真島さんの発言のなかにはアフリカのことはひとこともでてきません。ですから,同姓同名の別人だとおもっていました。

 ところが,です。目取真俊さんをお迎えしての,やはり,西谷さんが仕掛けた沖縄問題でのシンポジウムの折に,大きなチャンスが訪れました。壇上の真島さんが,発言の冒頭で「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定をかけて・・・・・」と仰ったのです。わたしのからだに電撃が走りました。そして「アフリカニスト」のひとことで,確信しました。同姓同名の人はよくあることです。しかし,「アフリカニスト」という限定がついた以上,もう,同姓同名はありえない,と。同時に,「自己否定をかけて」発言をするという真島さんの覚悟のほどが,鮮烈な印象を残しました。このあたりのことを西谷さんは「まじめな人」と仰るのだろうなぁ,と思います。

 そこで,シンポジウムが終わったときに,勇気を奮い立たせて真島さんに声をかけさせていただきました。やはり,間違いありませんでした。真島さんは,いったい,どういう人なんだろうかと真剣なまなざしです。眼が光っていました。「ダン族のすもう・ゴンを『季刊民族学』に書かれた・・・・・」というところで,パッと笑顔になられ「はい,そうです」。あとはとんとん拍子で,いつか,わたしの主宰している研究会でお話を・・・・,「はい,わかりました。喜んで」と仰っていただきました。ですから,今回は二度目のミーティングという次第です。

 3月9日(土)の会の名前は,第70回「ISC・21」3月東京例会,というものです。この会は,一般公開されていますので,どなたも参加可能です。詳しい情報は「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)のHPの掲示板に掲載しますので,そちらでご確認ください。もし,興味をもたれて参加したいという方は,以下の文献などに目をとおして,予習をしておいてくださることを希望します。そういう前提で会を進行させます。

 真島一郎さんの書かれたテクストは以下のとおりです(こんどの研究会に関連するもののみ)。
 『20世紀<アフリカ>の固体形成』,平凡社,2010年。
 「装わねばならぬ力」,『季刊民族学』,第56号。
 「呪術と精霊のうずまくすもう・ゴン」,『季刊民族学』,第58号。
 「秘密 コートジボアール・ダン族の結社社会」,『季刊民族学』,第62号。
 ※『季刊民族学』に書かれた論考のタイトルは,わたしの記憶で書いていますので,あとで確認をして訂正をさせていただきます。お許しのほどを。

 なお,わたしも真島さんの論考に触発されて,以下のような文章を書いていますので,ご参考までに。今回の会の趣旨を手軽に知るには役立つと思います。
 「霊力を競うアフリカ・ダン族の『すもう』」,拙著『スポーツの後近代』,三省堂,1995年,P.34~41.

 映像も用いて,できるだけ楽しく,わかりやすくお話をしてくださるように,真島さんにはお願いをしてきました。もちろん,快諾してくださいましたので,いまから,3月9日が楽しみです。一般の方の傍聴は自由ですので,興味・関心のある方は,どうぞ,お出かけください。

2013年2月21日木曜日

第148回芥川賞作品・黒田夏子著『abさんご』を読む・その1.

 『abさんご』が単行本で刊行されているのは知っていたが,やはり,芥川賞選考委員の人たちの選評や受賞者のインタヴューなども合わせて読みたかったので,掲載誌が書店に並ぶのを待った。そうして,ようやく出た,と思って買ってきたところに別件の飛び込みの仕事が入ってしまった。だから,昨日までおあずけのまま机の上で眠っていた。

 前評判どおりの不思議な小説だった。でも,いちど読んだら忘れられない,こころの奥底に眠っていたものがつぎつぎに呼び起こされるような,どこか時空間がどんどんぼやけてしまいそんざいすらふたしかになっいくような,それでいてそこはかとなく寂寥感がただよいはじめる不思議な小説だった。そう,ひとくちで言ってしまえば,今福龍太が『薄墨色の文法』のなかで展開した世界を彷彿とさせるような,そんな作品だと思った。あるいは,記憶というものの危うさ,つまり,aであったともいえるし,bであったかもしれないし,そういうあやういものが入れ子状態になってもやもやとうごめいているようなもの,そういうもののちくせきが記憶というもののじったいなのだ,と主張しているような・・・・。そして,それが人生なのかも・・・・。というような印象をもった。おやおや,すでに,作者・黒田夏子の文体にかぶれはじめている自分が表出している。

 とにかく,わたしのとおい記憶のそこにうずもれてしまっていて,にどとよみがえってくることはなかろうと思われるような,そんなやみよにしずんでしまっていたふかくてとおい記憶が,このさくひんをよみながらつぎつぎに浮かんでくるから不思議だ。

 それをもっともらしくせつめいすれば,作者の黒田夏子とわたしは年齢が同じだから,というのがひとつある。そのほかにもいくつも似たようなところがあって,いちいちなっとくしてしまうので,どんどんかのじょの小説世界にひきこまれていく。それらについては,これから,たぶん,なんかいにもわけて書くことになるだろう。

 つまり,同世代として,おなじじだいやしゃかいのくうきをすって生きてきた。そうしていまをいきている。だから,作品のぎょうかんにしょうりゃくされてしまっているようなことがらまでが,このまかふしぎなしょうせつをよまされる者たちのひとりであるわたしには,そのきょをつくようにしてひょこひょことおもいだされてくることになる。ああ,もう,ほとんど黒田夏子菌にかんせんしてしまっている者たちのひとりになりきっている。

 この作品はみじかいフラグメントのような記憶をとりだしてきて,それをつぎからつぎへとつみかさねていく,そんなしゅほうで書かれている。だから,ほとんどなんのみゃくらくもないようにみえるが,ふかいところにながれている通奏ていおんの音はとだえることはない。そして,その音がしだいになりひびきだすかとおもうと,つぎのしゅんかんにはするりとかわされてしまう。つまり,たしかな記憶というものはどこにもそんざいしないのだ,とばかりに。そうして,かぎりなく「む」のせかいにわたしをいざなっていく。

 たとえば,3さい児が母の死をどのように記憶し,そのご,どのように回想するのか,というモチーフがひとつながれている。ほとんど,なにも記憶していない,とさしょに書く。しかし,いろいろの記憶をたどるうちに,じょじょにそのときのふんいきのようなものをおもだす,あるいは,おもいだしたつもりになっている。それでも母のデスマスクは記憶にないとだんげんする。にもかかわらず,このしょうせつのおわりのほうでは,かなりしょうさいに葬儀のひとつひとつのばめんがかいそうとしてきじゅつされている。しかも,それらの記憶もまた,のちに,しゅういのいろいろの人たちからのはなしをつなぎあわせて,じぶんになっとくできるものがたりをこうちくしたにすぎないのかもしれない,ともいう。けっきょく,たしかなものはどこにもそんざいしない,といっているような・・・・。

 あまりかんたんにだんげんしてしまうことはつつしまなければならないが,たしかなものなどどこにもない,ふたしかなじょうたいのままちゅうづりにされて,じかんだけが流れ去っている,というていねんににたような世界にいざなっていく。こうしてじぶんのなかのたしかだとおもっている記憶をたどっていくとそんなふたしかなものしかうかんでこない。それでも,そんなふたしかな記憶をてがかりにしながら,どこかにみずからのよってたつ「ね」をさがしもとめているようにもよみとれる。

 もう,すっかり過去をふりかえるなどというせいかつからとおざかってしまっている,あるいは,ふれようとしていない,あるいはまた,てっていてきにきひしてにげているだけかもしれない,げんざいのわたしには虚をつかれたような不思議なけいけんとなった。

 そのことを,もっともしょうちょうてきに表現しているのがこの作品のタイトルである『abさんご』ではないか,と考えている。このことは「その2.」で書いてみることにしよう。

 今日のところはここまで。

2013年2月18日月曜日

グレコローマン・スタイルって? ウムッ? 史実に反するものはやめよう。

 グレコローマン・スタイルは史実に反する,と恩師の岸野雄三先生からわたしの学生時代に教わったことがある。岸野先生の古代・中世体育史という授業だった。いまから55年前の話である。岸野先生はギリシア語・ラテン語を駆使して,原著に分け入り,とくに古代ギリシアのスポーツの研究者として異彩を放っていた。大学2年生の学生を前にして,英語・ドイツ語・フランス語・ギリシア語を多用しながらの授業は一種異様な雰囲気があった。わたしは,ただ目を丸くして,呆然としながらお話を聞いていた。ノートがとれないのである。

 そんな授業のなかで,ときおり,とてもわかりやすいお話をされた。その一つが,「レスリングのグレコローマン・スタイル」という競技は史実に反する,というものだった。そうして,ギリシア時代のレスリングの仕方について,じつに詳細に話してくださった。その根拠はこれだ,と言って示されたのが,のちに先生の手によって翻訳出版されることになるガーディナーの『古代ギリシア競技史』である。そして,古代ギリシアのレスリングも,古代ローマのレスリングも,あんな形式ではやっていない,まったくのでっち上げにすぎない,と力説された。

 わたしも先生の薫陶をつよく受けて,卒業論文では「オリンピック起源論」をテーマに選んだ。当時のドイツの雑誌「Olympisches Feuer 」(直訳すれば「オリンピックの火」,すなわち『聖火』)に連載されていたUlrich Popplovの論文(Zur Ursprung der Olympischen Spiele:オリンピック競技の起源について)を翻訳し,紹介しながら,それまでのオリンピック起源論を批判したものだった。それがきっかけとなって,研究者の道に迷い込み,こんにちに至っている。ご縁というものは不思議なものである。

 こんな個人的な経緯もあって,以前からグレコローマン・スタイルなどというレスリングの方法を,後生大事に伝承していることに大いに疑問をもっていた。このレスリングのスタイルは近代になって,クーベルタンの周辺にいた人たちが捏造したものにすぎない。それをこともあろうに,古代ギリシアのオリンピック競技会に範をとった近代オリンピック競技会で営々と引き継がれてきたのだ。しかも,テレビの解説では,かならずと言っていいほどに「古代ギリシアと古代ローマのレスリングを再現したものである」と,間違った説明までしてくれる。こうしてご丁寧に,間違いの再生産まで行われ,いまでは,これが捏造された競技種目であるという事実を知る人はほとんどいない。

 こうした,もっとも本質的な議論はかけらもみられないまま,グレコローマン・スタイルという競技を面白くみせるためのルール改正に血道をあげている。ならば,男女比のアンバランスはどうするのか。女子にもグレコローマン・スタイルを加えるとでもいうのだろうか。それは無理だろう。かと言って,男子にだけグレコローマン・スタイルを残すというのもスジがとおらない。

 ここはいっそのこと,歴史上,存在したことのない、近代の捏造品であるグレコローマン・スタイルを廃止すべきだろう。そし,古代ギリシアで行われていたレスリングはこういうものではなかった,ということを国際レスリング連盟の名のもとで認めるべきだろう。その上で,世界的に広く伝承されてきた,さまざまな形式のレスリングの基本は,いま行われている「フリー・スタイル」なのだ,ということを宣言してほしい。

 そうした手続を経た上で,レスリングは男女とも4種目,と定めたらいかがか。

 スポーツ史家を名乗るわたしとしては,ぜひ,このような改正をしていただきたい。そして,レスリングを中核競技からはずすなどという愚挙には走らないでほしい。レスリングは,走・跳・投とならぶ人類の誕生以来からつづくもっとも古い競技の一つなのだから。

 オリンピックの中核競技については,この際,徹底的にその存続理由をチェックすること,このことを再度,提案しておきたい。

2013年2月16日土曜日

フランスの柔道指導者の国家資格免許について。最新情報。

太極拳仲間の若い院生さんが,いま,フランスに留学していますので,少しだけ時間を割いて調べてほしいと依頼をしました。もちろん,フランスの柔道指導者の国家資格免許の制度が,具体的にどんな内容のものであるのかを調べてもらいました。その第一報の返信がもどってきましたので,その概要をお知らせします。

フランスでは,1955年に,柔道指導者の国家資格を法律で定めたのが最初で,1972年には,具体的な国家資格制度が整備されました。それがBEES(Brevet dEtat dEducateur Sportif)〔※フランス語のソフトが入っていませんので,アクサンテギューなどの記号が抜けています。お許しのほどを〕です。

そのBEESの内容は以下のとおりです。
BEES 1級・・・18歳以上で2段以上・・・教育・組織(編成),基礎体力づくり,スポーツ活動の運営,各県やクラブでの指導。
BEES 2級・・・BEES1級を取得してから2年以上,3段以上・・・管理職としての技術の改良教育や訓練計画,運営を行う,レジョン,インターレジョン,国家レベルでの指導。
BEES 3級・・・BEES2級を取得してら4年以上・・・鑑定や研究業務,ナショナルレベルや国際大会レベルの指導。

もちろん,これだけではまだわからないことがたくさんありますが,それでも,おおよその制度の概要はわかります。きちんと組織立った試験制度になっていると思います。

この制度は2011年12月31日までで,2012年1月1日からは,BEESを改訂した新しい国家資格免許(資格試験証明書)が発行されている,とのことです。その内容は以下のとおりです。
DE JEPS(Diplome dEtat de la jeunesse,de leducation populaire er du sport)⇒BEESのレベル1.に対応。
DES JEPS(Diplome dEtat superieur de la jeunesse,de leducation populaire et du sport)⇒BEESのレベル2.に対応。
※BEESのレベル3.はフランス柔道連盟のホームページに公開されていない,とのこと。

そこで,このDE JEPSの試験内容をみてみると,大きく二種類の試験があることがわかります。
 1.formatif(一般教養試験)
 2.certificatif(能力証明試験)
の二本立てになっています。

さらに,ホームページに公開されている certificatif の参考例としては以下のような内容が示されているとのこと。
 1.「教育計画」をテーマに30ページほどのペーパーを作成し,20分で発表,その後20分の面接試験。
 2.「クラブの発展計画」をテーマに30ぺーじほどのペーパーを作成し,20分の発表,その後20分の面接試験。
 3.1時間ら1時間半の会議形式のセッションを行って,その後,20分の面接試験。
 4.技術試験。解説をしながら攻撃と防御のデモンストレーションと型の実演を行う。
というものです。

これを見るかぎりでは,さまざまな「計画」についてペーパーを作成する能力,そして,プレゼンテーションの能力,そして口頭試問に対する応答能力が,かなり厳密にチェックされるシステムであるということがわかります。

これがBEES 1級に相当する試験だというわけです。だとすると,レベル2.やレベル3.の試験内容がどんなものなのかが知りたくなってきます。いま,調べてもらったかぎりでは,ホームページに掲載されている内容はここまでだそうです。たぶん,国家資格試験を受験する人のための手引き書のようなものがあるはずなので,それを手に入れるよう依頼がしてあります。

いま,一番知りたいのは「一般教養試験」のレベルです。かなりレベルの高い内容らしく,柔道指導者の社会的ステータスが高いのも,ここに根拠があるようです。つまり,教養人としての評価が定着しているというのです。たとえば,文学や思想・哲学などの試験が,それもかなりレベルの高いものが課されているようです。

もう少し精確な情報が入ってきましたら,また,紹介したいと思います。
いまの段階で,あまり踏み込んだ論評はしない方がいいと思いますので,今回はこの程度の紹介ということで終わりにしておきます。

これだけでも,いろいろと考えさせられるものが多々ありますので,みなさんも,いろいろと考えてみてください。ではまた,次回の柔道情報まで。

2013年2月15日金曜日

オリンピック実施競技の総点検を。

 オリンピックの実施競技は時代とともに変化する。1896年以来の近代オリンピックもすでに113年を経過している。だから,実施競技もめまぐるしく変化してきている。その間に議論されてきたことの中核は,競技人口(世界的な普及度)が主たる目安になっていた。それがいつのまにか論理のすり替えが行われ,商業主義に乗っ取られてしまっているかにみえる。

 IOCの理事会が検討すべきは実施競技の精選である。すでに,時代にそぐわなくなってしまったと思われる実施競技がまだまだたくさん残っている。そこに蛮勇をふるってメスを入れることだろう。その対象が,さしあたってレスリングであったというのなら,それはそれでおみごと。ならば,レスリングを除外した理由をIOC会長は世界に向けて公開すべきだろう。しかし,それができない。やはり,公開できない理由があるのだ。だから,話はややこしい。

 レスリングを除外するなら,その前に,近代五種,馬術,射撃,などを除外対象として検討すべきではないか。とりわけ,近代五種については,相当に深く踏み込んで議論すべきではないのか。もはや,ほとんど無用の長物になりはてているのではないかとわたしは考えている。

 そもそも近代五種は1912年(オリンピック・ストックホルム大会)に新しく加えられた競技である。それも,古代ギリシアの五種競技に代わる近代の五種競技を考案してほしいというクーベルタンの意向を受けて,スウェーデン軍隊が将校の斥候を想定してつくったものである。

 競技内容は,ひとりの競技者が,射撃(ピストル),水泳(300m,女子は200m),フェンシング(エペ),馬術(障害飛越),陸上(4000mクロスカントリー,女子は2000m)の五種目を行い,その総合得点を競うというもの。当初は,一日一種目ずつおこなっていたが,1996年のアトランタ大会からは,一日で全種目を行う。2000年シドニー大会より女子種目が加わった。驚くべきことに,1948年のロンドン大会までは将校にのみに参加資格が与えられていた。

 言ってしまえば,軍隊の将校用に考案された競技を,たとえ一般男女に開いたとしても,いまも実施しなければならないとする根拠はもはやほとんどない。なのに,なんの疑問もなく,いまも安泰である。なぜなら,近代五種の国際連合副会長がサマランチ・ジュニアだから。しかも,かれはIOC理事でもある。だから,近代五種を除外するという話が持ち上がっても,最後の投票では生き残ることになる。現に,今回もそのプロセスを経ている。

 しかし,考えるまでもなく,近代五種を競技として楽しめる人たちというのは,世界広しといえども,ほんの一握りの人たちだけだ。日本では,皆無に等しいだろう。こんなものが,どうどうと中核競技の,それも別格として扱われている。それと同じように,馬術,射撃も,これらをスポーツとして楽しむことのできる人が,この地球上にどれだけいるのだろうか。わたしには疑問だ。

 ちなみに,2012年のロンドン五輪で実施された競技は以下の26競技である。
 陸上,水泳,アーチェリー,バドミントン,カヌー,ホッケー,バスケットボール,ボクシング,自転車,馬術,近代五種,フェンシング,サッカー,体操,ハンドボール,柔道,卓球,ボート,セーリング,射撃,テコンドー,テニス,トライアスロン,バレーボール,重量挙げ,レスリング。

 これらの実施競技をじっと眺めているだけでも,レスリングを外すのであれば,この競技がさきだろう,という競技がみえてくる。

 2016年のリオデジャネイロ五輪では,この26競技に,ゴルフとラグビー7人制を加えた計28競技が実施されることになっている。

 ところが,2020年五輪では,レスリングを外した25競技にゴルフとラグビー7人制を加えた27競技が決定していて,残りの1枠をめぐって7競技がしのぎを削ることになっている。その7競技は以下のとおり。
 レスリング,野球・ソフトボール統合,空手,スカッシュ,ローラースポーツ,スポーツクランミング,武術,水上スキー(ウェークボード)。

 しかし,この投票も密室で決まる。なにが生き残るのか,まったく予断を許さない。なぜなら,生き残るための論理的整合性が明示されていないからだ。だから,声高に言われていることは「ロビー活動」だ。まさに政治の世界と同じだ。こういう政治力が問われているのだ。このこと自体がオリンピック憲章に違反する行為ではないか。

 IOC理事会は,もはや,そういう良識のコントロールの外に飛び出してしまっているのだ。最終的な決定力は「カネ」。拝金主義がまかりとおっている。どれだけロビーで「おみやげ」を渡すことができるか。地獄の沙汰もカネ次第という。そういうところに堕してしまったのだ,IOC理事会という組織が。

 もう,いっそのこと,オリンピックで実施競技となるための条件を洗いざらい明確にすること,そして,その条件を満たすデータを各競技ごとに公表すること,その上で,各専門家の意見を聴取すること,さらに国際社会で承認を得られるような基準を設けること,IOC理事会は,そこから出直すしかない,とわたしは考える。

 なんだか,どこもかしこも組織が疲弊してしまって,箍が緩みっぱなし。余命いくばくもない命を惰性に委ねているだけ・・・・そんなイメージが浮かんでくる。いまこそ,大英断をくだすことができるかどうか,わたしたちはいま大きな岐路に立たされている。

2013年2月14日木曜日

レスリングを中核競技から除外。IOC理事会,暴走す。

 貢ぎ物が足りない。少々,お灸をすえておこうか。あわてて,どれだけの貢ぎ物を送り届けてくるか,様子をみてやろうか。それによって,これからのことも考えようか。そんな「影」の声がリアルに聞こえてくる。

 IOC理事会が中核競技からレスリングを排除するという決定を知り,唖然としてしまった。そして,そのつぎの瞬間,「ああ,オリンピック・ムーブメントのミッションもとうとう終わったなぁ」という感慨がわたしの脳裏をよぎった。いよいよもって葬送行進曲のはじまりだ。

 これから,いわゆるスポーツ評論家諸氏の出番で,いろいろの議論が闘わされることになるのだろう。しかし,どこまでオリンピック・ムーブメントの本質に迫る議論が持ちあがることになるのか,お手並み拝見というところ。もちろん,ほとんど期待はしていないが・・・。

 そこで,現段階でのわたしの感想を述べておけば,以下のとおり。

 オリンピック競技の中核競技からレスリングを排除するというシナリオを,どこの国のだれが,なにゆえに,用意したのだろうか。要するに仕掛け人はだれだったのか。そして,その意図はなんだったのか,ということだ。

 いま,伝えられている情報によれば,IOC理事15人の投票によって決めたという。それも3回,投票をくり返して,徐々に対象をしぼり,最後に3競技種目のなかからレスリングが選ばれたという。しかも,最初の投票のときからずっととおして,レスリングはワースト・ナンバー1だったという。この一点からして,あからさまな仕掛けがあった,ということがわかる。

 レスリング排除の理由は,ロンドン大会のときの入場者数,チケットの販売数,競技人口,競技運営コスト,男女比のバランス(レスリングは男子14種目,女子は4種目),放映権料,などが勘案されたのだろう,と言われている(現段階で推測されているかぎりでは)。ここにちらつくのは,経済的合理主義の考え方である。オリンピック・ムーブメントの精神や,オリンピックの理想,などというものは,どこかにかき消えてしまっている。のみならず,レスリングが,ほんとうに他の競技種目に比べてワーストだと判断できる根拠があったとも思えない。だから,なにゆえにレスリングが?という疑問は払拭できない。

 さらに驚くべきことに,レスリング関係者が異口同音に吐いたことばは,「ロビー活動が足りなかった」「不用意だった」というものであった。ということは,危ないと予想されていた競技団体は,そうとうに周到な「ロビー活動」が行われてきた,ということだ。わけても,接戦を制した韓国のテコンドー関係者の「ロビー活動の成果だ」と大見得を切った発言が印象に残る。なるほど,と。

 というのも,テコンドーがソウル・オリンピックで正式競技種目に決定したとき,相当のカネが動いたという情報が流れたことを記憶しているからだ。当時,わたしは日本のテコンドー関係者との接点があり,かなり詳しい情報もえていた。そして,オリンピックの開催国とはいえ,新しい競技種目を正式競技種目に加えるには,相当の政治とカネの力が不可欠なのだと知った。

 こういう裏情報のようなことを言い出すと際限がなくなるので,やめにしておく。大切なことは,いろいろの「力学」が働くとしても,最終的決定権はIOC理事会にある,ということだ。つまり,ひとえにIOC理事の見識にかかっているということだ。

 そこで,今回の決定をくだしたIOC理事のメンバーを確認してみて驚いたことがいくつかあった。
 ひとつは,15人の理事のなかに,ギリシア,フランス,アメリカ,ロシア,イタリア,などという主要国からの理事は一人もいない,ということだ。アジアでいえば,中国,日本,韓国からの理事もいない。まことに不思議なメンバー構成になっていることだ。
 もう一つは,競技経験のない理事が二人もいるという事実だ。そのうちの一人は,なんと,前会長のサラマンチの「ジュニア」だ。競技歴もない,ただ親の七光だけでIOC理事に選出されているというこの事実は不可解である。

 以前から,IOC理事になるには,強い「ボス」を中心とした「仲良しクラブ」の一員になることが先決だと言われていた。はっきり言っておけば,前会長サラマンチを中心とした「仲良しクラブ」だ。この連中がIOC理事会の主導権を握っているということだ。だから,アメリカもフランスもロシアも中国も,対等にものを言う国の代表は排除されてしまう。

 ちなみに,IOC理事会メンバーの国籍と競技歴とを列挙しておくと以下のとおり。
 ベルギー(セーリング),シンガポール(セーリング),ドイツ(フェンシング),モロッコ(陸上),英国(バドミントン),オーストラリア(ボート),南アフリカ(水泳),スェーデン(なし),スペイン(なし),ウクライナ(陸上),グアテマラ(野球),台湾(バスケットボール),スイス(アイスホッケー),アイルランド(柔道),ドイツ(フェンシング)。

 この一覧を眺めているだけで,思い当たることはたくさんある。
 が,これ以上のことは,ここでは控えておこう。
 あとは,読者のみなさんの想像力におまかせしよう。

 3月4日にはIOCの評価委員会のメンバーが大挙して日本に視察にやってくる。東京都はすでにその応対のためのリハーサルに入って,本番に備えているという。さて,このときの「ロビー活動」の戦略と手土産やいかに・・・・。オリンピック招致はそれ次第。以前には,それで失敗している。こんどはそのリベンジだという。いやはや,とんだ珍道中が展開されることになりそうだ。とりわけ,報道の姿勢には注目していたい。

 IOC理事会に,もはや,的確な思考力も判断力もない,とわたしは考えている。
 おまけに,アメリカもロシアも中国も,かつてのようなオリンピックに寄せる情熱は消え失せてしまっている。もはや,どうでもいいのである。そういう国がこれから増えていくことだろう。

 その意味で,オリンピック・ムーブメントのミッションは終わった,と言っておこう。
 その理由についても,このブログでもおいおい書いていこうと思う。

2013年2月13日水曜日

「ユエンタンカイクア」ということについて(李自力老師語録・その27.)

 降雪が心配された今日(13日)の太極拳の稽古でしたが,朝方には止んで,快晴の青空が広がりました。その上に李自力老師が久しぶりに指導にきてくださいました。みんなの緊張感が高まります。李老師の鋭いまなざしのもとで,わたしたちもふるえながらも集中して,レベルの高い稽古ができました。

 今日の李老師の教えのひとつは「ユエンタンカイクア」(yuan dang kai kua)というものでした。わたしのパソコンの漢字ソフトがレベルが低いために漢字表記ができません。したがって,いささかややこしい話になってしまいますが,ことばで説明します。

 ユエンは円という漢字の古い書体,タンは衣偏に当の旧漢字,カイは開,クアはにくづき偏に誇という字の右側(旁)を組み合わせた文字。

 つぎはその意味について。ユエンタンは「ズボンの股の内側のまち」,カイクアは「腰の両側と股との間の部分」。つまり,どちらのことばも同じことを意味しています。つまり,同語反復(トートロジー)です。しかし,厳密にいうと微妙に意味が違います。でも,ここは同語ということにしておきます。そして,このあたり全体を表現している,と理解することにしましょう。

 さて,ここからが肝腎なところです。このユエンタンカイクアにボールをはさんで,股関節をゆるめながら,そのボールをベアリングのようにして腰を回転させなさい,と。この腰の回転の仕方を,イエマフントゥンのゴンブ(弓歩)のあとの体重移動,すなわち,体重を前足加重から後ろ足加重に移しながら腰を回転させる,このときに行いなさい,と。このときの腰の運動は単なる回転ではなくて,回転に体重移動がともなうので,腰全体はゆるやかな「円運動」になります,とおっしゃる。そして,その動きを,少しオーバーにするとこうなります,と言って李老師が実際に垂範してくださいます。それはそれはみごとなゆるやかで,粘り強い円運動になっていました。

 そして,さらに重要な指摘をしてくださいました。それは,腰の回転の軸足となる後ろ足を,やや外側に開きなさい,と。同時に,前足もやや外側に開きなさい,と。つまり,がに股の姿勢を経過させなさい,と。すると,腰の回転と体重移動がじつに滑らかになり,腰全体がゆるやかな円運動になり,しかも,粘り強さがでてきます。その上,膝の負担もなくなります,と。

 太極拳をやって膝を痛める人が多いのは,この運動を理解し,マスターできていないからです,と。指導者の中にも,このことがわかっていない人は少なくありません,とも。ですから,このユエンタンカイクアを徹底的に稽古して,ただ頭で理解するだけでなく,からだにしみ込ませなさい,と。そうすれば,膝を痛めることはありません,とも。

 この稽古をとおして気づいたことは,これまでの股関節をゆるめるということの理解が浅かった,ということでした。言ってしまえば,円運動ではなくて,直線的で角張った運動で処理していた,という次第です。じつは,このことはうっすらと気づいていました。李老師の動きが,わたしたちのそれとは似て非なるものだ,と。しかし,どこが,どのように違うのか,必死で観察するのですが,理解不能でした。しかし,今日の稽古で,なるほど,と合点。

 早速,事務所にきておさらいをやってみました。すると,股関節をゆるめて「滑らせる」イメージが,これまでとまったく違うことがわかってきました。そして,ユエンタンカイクアの部分にボールをはさんだ感覚で,その部分全体をベアリングのようにして,滑らせながら体重移動とともに腰を回すと,ゆるやかで粘り強い腰全体の円運動が生まれる,ということも頭では理解することができました。あとは,この感覚をからだにしみ込ませるまで稽古をすること。

 なんとなく,手のとどきそうなところに新たな光明をみた思いがします。これまで,わけもわからないまま,見よう見まねで稽古してきた段階から一歩,前に踏み出せた,そういう充足感が湧いてきました。李老師のお蔭です。

 太極拳は奥が深い,としみじみ思います。何年かけても「24式」を卒業することはないでしょう。気の遠くなるような話ですが,だからこそ,面白いのだと思います。この面白さが感じられる間は,太極拳から離れることはないと思います。いや,それどころか,いまの生活のリズムのなかでは欠かすことのできない至福の時もあります。大事にしなくては・・・とみずからに言い聞かせています。李老師,Nさん,Kさん,Sさん,ありがとうございます。こころから感謝しています。

2013年2月12日火曜日

西谷修さんが「山口香」論をブログで展開しています。必読です。

 いま話題の「女三四郎」山口香さんの言動について,西谷修さんが注目し,ご自身のブログでとても魅力的な「山口香」論を展開されています。ぜひ,ご覧ください。お薦めします。

 www:tufs.ac.jp/blog/ts/p/gsl/
 西谷修-Global Studies Laboratory
  女三四郎・山口香の大技「自立」のやまあらし

 もともとはフランス現代思想を中心に活躍してこられた西谷さんですが,すでに,よくご存じのように戦争論や世界史論といった広い視野に立つ秀逸な著書も多く,最近では沖縄問題や経済に関するシンポジウムを仕掛け,それらをまとめた本もつぎつぎに刊行されています。まだ,本にはなっていませんが,医療思想史やアメリカ立国論などの講義もされています。そのほかにも,絵画論,写真論,舞踊論などの分野でも,多くの評論をされています。

 もともとスポーツ好きの人で,学生時代は空手部に所属,いまはライダーであり,太極拳の名手でもあり,マラソン・レースはテレビで欠かさず楽しんでいらっしゃるようです。わたしは西谷さんの学生時代からの知己で,親しくさせていただいてきましたが,長い間,ずっと「青白きインテリ」だと思い込んでいました。ところが,一緒に太極拳の稽古をはじめるようになって,驚くことが多々ありました。

 その一つは,西谷さんの大胸筋の発達具合はただものではないという発見。ふだん,やや猫背ですので気づかなかったのですが,太極拳の稽古の折に姿勢を正して立つ姿はみごとです。大胸筋がみごとに盛り上がっています。しかも,それだけではありません。床の上で,両腕で支えての脚前挙ができるのです。いまも。これは驚きでした。いろいろお尋ねしてみますと,中学生のころには鉄棒が好きで,よく友達と一緒に遊んでいたとのこと。なるほど,と納得。

 いやはや,西谷さんは肉体派であり,かつては体育会にも所属していた立派なスポーツマンでした。その西谷さんが,今回の女子柔道の暴力問題に強い関心を寄せたとしてもなんの不思議もありません。むしろ,武道つながりということでいえば,必然です。そこに「山口香」という立役者の登場です。そして,山口さんのインタヴュー記事に真っ正面から反応しての,今回のブログです。あっという間に山口香情報を収集して,みごとな「批評」を展開していらっしゃいます。

 西谷さんの書かれたブログにコメントする立場にはありませんが,ひとことだけ,ワンポイントの感想を書いておきたいと思います。

 それは山口香さんの主張する「自律・自立」というキー・ワードを西谷さんもことのほか重視していらっしゃるということです。それは,ひとり柔道界やスポーツ界に向けての呼び掛けではなく,日本国民全体に向けて檄をとばしているのだ,と。強い風が吹くと,なんの考えもなしにその風に流されていく,現代日本人に向けての「檄」でもあるのだ,と。その強い風のなかにはさまざまな「暴力」が秘匿されていることにも気づかないで,あるいは,気づいても見て見ぬふりをして,なんの考えもなしに,ただ,流されていく圧倒的多数の日本人に向けての「檄」なのだ,と。このあたりのことを,西谷さん独特の言いまわしで,みごとに説明してくれています。

 これからは,「スポーツ批評」の分野でも,西谷さんに大いに発言していただきたいものだ,といまさらのように思います。

 いささか余分なことまで書いてしまって,あとで,西谷さんに叱られそうですが,これはわたしからの畏敬の念をこめての西谷さんへのエールのつもりです。

 ぜひとも,西谷さんのブログを読んでみてください。必読です。

「いま,柔道界で起きていることは日本社会の縮図そのものだ」(Nさん)。

 スポーツ界になにかスキャンダラスなできごとが起きると,すぐにマス・メディアが反応して,寄ってたかってその「異常性」を叩く。この傾向はもうずいぶんむかしからつづいている。しかし,わたし自身はそんなに異常なことだとは考えてこなかった。なぜなら,日本社会のあちこちで日常的に起きている不祥事と,本質的にはなんの違いもないことだ,と考えてきたからである。つまり,同根異花にすぎない,と。しかし,そのことを支持してくれる人はほとんどいなかった。

 もちろん,だからといってスポーツ界に起きている不祥事(最近は多すぎる)を容認するつもりは毛頭ない。社会でおきている不祥事と同じように,なんとかして根絶すべき問題だと考えている。ただ,スポーツ界の不祥事だけが特異現象のように扱われることに異を唱えているにすぎない。しかし,社会一般に起きている不祥事と,スポーツ界での不祥事は別問題だ,という指摘をこのブログへのコメントとして匿名さんからしばしばいただいている。とりわけ,原発問題とスポーツ界の問題とを「混同するな」という罵声にも似たコメントをいただくことが多い。

 しかし,よくよく考えた末のわたしなりの結論なので,そんなにかんたんに譲歩するわけにはいかない。つまり,よりよい社会を構築するために考え出された近代論理(自由,平等,自由競争,優勝劣敗主義,科学的合理主義・・・等々)を,一生懸命に追求し,実践してきた必然的結果が,残念ながら,こんにちわたしたちが目の前にしているこの社会なのだ。近代スポーツ競技もまた,その必然の産物のひとつにすぎない,と。

 このことを,ここ数年,講演を頼まれるさきざきで主張してきたのだが,あまり芳しい反応はない。もちろん,わたしの話し方にも問題があるのだろうが,どうも,それは別のことだろうという一般の認識の方が強いようである。だから,どうしても違和感を拭いきることができないままで,話は終わってしまう。

 このブログでも,これまで,何回も話題を変えてはこの問題について言及してきたつもりである。しかし,どうも,いま一つ,いい反応がみられない。寂しいかぎりであるが・・・・。

 ところが,である。今日(11日)の昼下がりに,嬉しい人から電話があった。太極拳の兄弟弟子のNさんからである。わたしの思想・哲学の師匠でもあるNさんから,山口香は素晴らしいねぇ,さすがに「女三四郎」だけあって切れ味抜群だねぇ,と。彼女の主張を全面的に支持したい,とも。

 話はここからはじまって,女子柔道界に起きているさまざまなことがらから,全日本柔道連盟のあり方,JOC理事の橋本聖子の言動批判,さらには,スポーツとはなにか,といった普遍につながる大問題にも話が展開し,いくつもの考えるヒントをいただいた。まことにもって嬉しいかぎりである。

 その中の一つが「いま,柔道界で起きていることは日本社会の縮図そのものだ」というNさんの指摘だった。そして,「だから,柔道界の問題を特異現象として歪曲化しないで,社会全般のあり方の問題として,その本質に斬り込んでいく必要がある」とも。わたしは嬉しかった。一瞬,涙が出そうになったが必死でこらえた。

 なぜなら,そんな感傷的な気分に浸っている猶予もなく,Nさんの口からつぎつぎに重要なことばが繰り出されてくるからだ。たとえば,「いま,スポーツの問題を考えることはとても重要なことなのだ」からはじまって,「スポーツのスペクタクルは現代人の規範構築にとてつもなく大きな役割をはたしている」とか,「前近代までは,その役割は宗教が担っていたのだが,宗教なき時代にあっては,スポーツがその肩代わりをしている」とか,「山口香は平成日本のジャンヌ・ダルクだ」「だから,いかようにも利用可能だ」「でも,ジャンヌ・ダルクに終わらないようにしないと・・・」という具合である。こうした,指摘の一つひとつが,わたしにはとても刺激的で,重く響いた。

 これらの指摘の一つひとつは,とても重要な問題をはらんでいる。しかも,奥が深い。いずれ,それら問題のわたしなりの受けとめ方については,このブログをとおしてしっかりと考えてみたいと思っている。

 これから当分の間は,スポーツ界のスキャンダルの話題がつづくことになるだろう。3月にはIOCの理事たちが,また,遠からず国際柔道連盟の調査団が,そして,秋にはオリンピック招致運動の決着がつく。だから,どうしてもスポーツに固有の問題として,いま起きている「暴力」の問題が矮小化される傾向がある。

 しかし,そうであってはならない。なぜなら,
 「いま,スポーツ界で起きている問題は日本社会の縮図」なのだから。そして,同時にそれは「世界を写しだす鏡でもある」のだから。つまり,いま,スポーツ界について考えることは世界を考えることなのだから。

 だから,いまこそ,「スポーツ批評」を立ち上げる絶好のチャンスでもある。それも,しっかりとした思想・哲学に支えられ,武装した骨太の「スポーツ批評」を。そして,これをこそ,わたしのこれからの仕事の重要な柱のひとつにしていかなくてはなるまい。

 こんなことを考えさせられた今日のNさんからの電話であった。感謝あるのみ。

2013年2月11日月曜日

「自律と自立を併せ持つ人間を」(山口香・『毎日新聞』)。

 2月10日(日)・11日(月),二日つづけて山口香さんのインタヴュー記事を『毎日新聞』が報じています。7日の『朝日』,9日の『読売』につづく『毎日』のインタヴュー記事です。これで三役揃い踏み,といった感じです。

 これらの報道をとおして,はからずも新聞社の姿勢というか,取材した記者の実力というか,そういうものが露呈したという点でとても面白い記事でした。ひとことだけ,わたしの感想を書いておけば,最初だったということもあってか,『朝日』の記事がもっとも鮮烈で強烈なインパクトがありました。ついで,『毎日』。ここは無難に,しかし,かなり踏み込んで山口さんの主張を受け止めている姿勢がつたわってきました。『読売』は,残念なことに,もうすでに記憶がない程度の内容でした。断っておきますが,これはあくまでもわたしの個人的な感想にすぎません。

 『朝日』の記事に関するわたしの感想は8日のブログに書いたとおりです。かつての「女三四郎」の面目躍如といった切れ味抜群の発言内容に,こころから賛同し,全面的に支持したいというわたしの意志表明をしたものでした。で,今日(11日)は,『毎日』のなかに取り上げられていた山口さんの発言内容に注目してみたいと思います。なかでも,つぎの発言に,わたしの考えていることと大いに共鳴・共振するものがありましたので,それを取り上げてみたいと思います。まずは,その部分の引用から。

 欧州ではスポーツで何を学んでいるかといえば,自律です。やらされるとか,指導者が見ている,見ていないとかではなく,ルールは自分の中にあります。ゴルフがいい例で,スコアはセルフジャッジ。ラグビーやテニスも近くに監督はいません。自律と自立を併せ持つ人づくりにスポーツが有用とされており,それこそ成熟したスポーツと言えます。

 この中での,とりわけ,「自律と自立を併せ持つ人づくりにスポーツが有用とされており,それこそ成熟したスポーツと言えます」のくだりが,わたしのこころにいたく響いてきました。

 理由はかんたんです。2月4日のブログ「スポーツ界は挙げて『スポーツ的自立人間』の育成をめざそう」に書いたとおりです。このときのブログに少しだけ補足をさせていただきますと,以下のとおりです。

 いまから35年ほど前に「スポーツ的自立人間」という考え方に行きついたとき,わたしは,最初のうちは「スポーツ的自律人間」ということばを用いていました。まずは,「みずからを律することのできる人間」をめざすべきだ,と考えての造語でした。しかし,なかなか周囲に浸透していきません。その理由は,「スポーツ的自律人間」と言ったときの具体的なイメージがつかみにくい,というところにありました。そこで,では「スポーツ的自立人間」ではどうかと提案してみましたところ,この方がわかりやすいということになり,以後,こちらを用いることにしました。

 しかし,精確にいえば,「自立」するためには,みずからを律するこころの力,すなわち「自律心」が不可欠の前提条件になります。ですから,わたしが「スポーツ的自立人間」と言うときには,「自律心」をもった「自立人間」という意味を籠めていました。

 このあたりのことを,山口さんはしっかりと認識していらっしゃって,「自律と自立を併せ持つ人間」という表現をされています。ですから,わたしはすっかり嬉しくなって,「この人はわかっている人だ」とこころのうちで快哉を叫びました。さすがは,「女三四郎」の異名をとるだけのことはある,と。ふつうのアスリートたちとはレベルが違う,と。みえている世界が違う,と。

 そうなんです。すぐれたトップ・アスリートは,やはり,ふつうのレベルをはるかに超えた世界に突き抜けています。その世界こそが,「自律と自立を併せ持つ人間」の世界です。スポーツの目的はここに到達することにある,と山口さんは断言しています(『朝日新聞』のインタヴューのなかで)。

 もちろん,トップ・アスリートでなくても,「自律と自立を併せ持つ人間」に到達しているアスリートもたくさんいます。この世界をスポーツをとおして経験し,体得した人間は,どの世界にいっても通用する,という次第です。

 これと同じことをドイツの哲学者ハンス・レンクも言っています。かれはみずからの著作の多くのところでこのことを強調しています。かれ自身もオリンピック・ローマ大会の折にボートの選手として金メダルを獲得するトップ・アスリートのひとりでした。のちに,哲学の道に進み,大成しました。

 山口さんのいう「自律と自立を併せ持つ人間」を,そして,わたしのことばで言えば「スポーツ的自立人間」を,こういう人間の育成を目的とするスポーツ文化の確立に,いまこそ,舵を切るときではないか,と声を大にして言っておきたいと思います。

 わたしが5年前に設立した「21世紀スポーツ文化研究所」は,この「スポーツ的自立人間」の育成をめざす,新しい,「21世紀のスポーツ文化」の確立をめざしたいと考えています。ご支援のほどをよろしくお願いいたします。