2013年2月24日日曜日

「丹田の下のボールを回しなさい(尾てい骨を巻き込むために)」(李自力老師語録・その28.)

 「尾てい骨を巻き込むようにして・・・」と,もう耳にたこができるほど李老師から注意を受けている。しかし,李老師がやってみせてくださる「尾てい骨を巻き込む」は,たしかにそのように動いているのが目にみえる。ならば,というので頑張ってやってみる。李老師はやさしいから,少しでも似ていれば「あー,そうそう」といって励ましてくださる。しかし,鏡に写るわが姿をみて,「似て非なるもの」でしかないことが歴然としている。しかも,自分の感覚として尾てい骨を巻き込んでいるという実感もない。

 ずーっと長い間,もう8年も考え,悩んできた。どうしてもわからないのだ。人体解剖学の本をめくって,尾てい骨を巻き込むための「筋肉」はどうなっているのだろうか,と必死で探す。しかし,どう考えてみても,解剖学的にはそのような「筋肉」は存在しない。でも,なぜ,李老師は尾てい骨を巻き込むことができるのか。しかも,ぐりぐりぐりともののみごとに巻き込まれていく。不思議なことだ。ひょっとしたら,子どものころから「尾てい骨を巻き込む」稽古をしているうちに,そのための筋肉がとくべつに発達しているのだろうか,と考える。しかし,それも解剖学的にはありえない。では,どうなっているのか。なにゆえに,李老師の尾てい骨は巻き込まれていくのか。

 仕方がないので,勇を起こして李老師に尋ねてみる。
 尾てい骨を巻き込むための方法を教えてください。自分の意識をどこに置けばいいのですか。

 すると意外なことばがかえってきた。
 しばらく,わたしの眼を見据えたあとで,「下腹部・丹田よりやや下のあたりにボールがあると思いなさい。このボールを回すのです」と仰る。そして,「とりあえずは,このボールを後ろに回しなさい。そうすれば尾てい骨は巻き込まれてきます」と。

 早速,やってみる。しかし,ボールはどこにもない。ないボールはまわせない。李老師,曰く。「ボールはそのうち意識できるようになります」と。「意識できるようになると,このボールを前後にまわしたり,左右回転させたりする稽古をします。すると,次第に,自在にまわせるようになります。そうしたら必要に応じて,好きなときに,好きなようにまわせばいいのです」と。

 わけがわからない。まるで禅問答のようだ。仰ることは,なんとなく理解することはできる。そうなのか,そういうものなのか,と。しかし,体感としてはさっぱりわからない。第一,ボールの存在が確認できないのだから。仕方がないのでさらにしつこく質問をつづける。いろいろと説明してくださるのだが,どうも要領を得ない。とうとう李老師も音をあげて「これはことばで説明できることではありません。感覚で理解できたら,ひたすらそこに意識を向けて稽古するのみです」,と。

 かくなる上は・・・と覚悟を決めて,事務所でひとり稽古をしてみる。とりあえずは,肛門のあたりをギュッと締めておいて,それを前に引っ張りだすように腹筋の一番下の部分を収縮させてみる。すると,骨盤がうしろに倒れていく感覚が伝わってくる。軸足に体重をかけたまま送り出される足とともに骨盤がうしろに倒れていくように感ずる。もし,この感覚どおりに骨盤がうしろに倒れていくとすれば,尾てい骨はおのずから巻き込まれていくはずだ。

 この感覚が正しいかどうかはわからない。しばらく稽古を重ねてみて,李老師にみてもらうしかない。しかし,いままでのように闇に向って尾てい骨を巻き込む努力をしているのとは,明らかに異なる。具体的な目標がはっきりしただけでも努力する甲斐があるというものだ。

 肛門から前立腺にむけて筋肉を締め上げていって,それを腹筋の一番下につなげて,ぐいと腹筋を収縮させてみる。すると,下腹部の丹田よりも少し下のあたりに空洞があるように感ずる。この空洞に感じられる部分にボールが感じられるようになるのだろうか,と勝手な想像をしてみる。しばらくは,ひとり旅だ。試行錯誤を繰り返しながら,模索していくしかないのだから。とりあえずは,その端緒にとりついたというところか。

 この方法でいいのかどうか,つぎに李老師が稽古にきてくださるのを待つのみ。それまでに,少しでもそれらしきことができるようにしておこう。この方法が,李老師の仰る「秘法」につながるものであることを祈りつつ。

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