2012年11月24日土曜日

「ノリタケの森」に行ってきました。愛教大の元ゼミ生の会(48会)で。

  年に一回,定期的に集まっている愛知教育大学時代の教え子(ゼミ生)の会(48会)に行ってきました。ことしは瀬戸で教員をしているS君とUさんとが幹事をつとめてくれました。去年,幹事が決まるときの話では,瀬戸焼を中心に,というような話題もあって楽しみにしていました。が,最終案内をみましたら,瀬戸ではなく名古屋駅近くの「ノリタケの森」を中心にしたプランになっていました。カタカナで「ノリタケの森」とあったので,どういう森のことなのかなと考えてしまいましたが,よくみれば,陶磁器,セラミックの,あのNoritakeのことだとわかりました。そうか,焼き物つながり,というわけか,と納得でした。

あとで,幹事のS君の話を聞いてみましたら,地元の瀬戸で会をもつつもりでいろいろ計画をしてみたが,瀬戸焼の体験コーナーなども,去年までは無料でできたのにことしから有料になったりして,いろいろ不都合が生じたので,急遽,「ノリタケの森」にしたとのこと。なるほど,と納得。立案・計画はすべて幹事さんに一任ですので,そのときどきによっていろいろに変化します。それがまたそれぞれの個性的な味があって面白いところでもあります。

 11月23日(金)14時50分,名古屋駅集合。休日ということもあってか,駅周辺も人であふれ返っていました。予定されていた全員が揃ったところで,なごや観光ルートバス「メーグル」に乗車。すでに大勢の人がならんでいました。たまたまわたしのすぐ近くでチケットがどうのと,いささか焦ってせわしげにうろうろしているアジア系の若い女の子がいました。どこからきた女の子かわからないけれど英語でまわりの人に声をかけていました。外国旅行にでて乗り物のチケットを購入することでは苦労した経験がわたしにもありますので,こちらから声をかけてみました。すると,「メーグル」の案内パンフレットを握りしめ,「メーグル1DAYチケット」を購入したいのだ,という。ならば,乗るときに購入すればいい,とわたし。安心したようににっこり。バスに乗り込んでからも,わたしのとなりに坐ったので,少しだけかんたんな会話をしました。

 韓国ソウルからきた3人づれの友だちグループで3日間滞在すること,日本へは2回目,1回目は東京に行ったこと,そこには中央大学に留学している友だちがいて,とても楽しかったこと,などがわかりました。わたしへの質問もたくさんあって,それに応答するのは大変でした。突然の英語で,いやはや何年ぶりかであわててしまいましたが,なかなか賢い女の子で助かりました

 そんなハプニングがあって,あっという間に,目的地の「ノリタケの森」に到着。幹事さんからもらった資料によれば,Noritakeが操業当時の工場跡地をそのまま「ノリタケの森」として保存したところで,素晴らしい施設でした。イーストゲートから入っていくと,すぐ近くの噴水ひろばで消防署の吹奏楽団の演奏とバトンガールの実演が行われていました。まるで,わたしたちを歓迎してくれているかのように。しばらく見物。

 演奏終了後,まずは,クラフトセンターに移動。その途中でH君との雑談のなかで,「ぼくも定年まであと1年半を切りました」と聞き,びっくり。愛知県の教員の定年はたしか60歳だったはず。えっ,もう還暦を迎えるのだ,となにか妙な気分になってしまいました。冷静に考えれば,わたしだってもう74歳。来年春には四分の三世紀を生きることになるのですから,当たり前といえばそれまで。

 人間の人生経験の記憶というものは不思議なもので,点から点へと記憶が飛んでしまいます。そして,それらの点と点との前後関係もプロセスもなにもありません。突然,点となった記憶がよみがえってきて,そのことだけが鮮明に思い出されてきます。ですから,H君の話を聞きながら,大学の3年生だったH君の記憶に飛んでいきます。そして,2年間,ゼミ生としてともに過ごした時間。記憶は,ただ,それだけ。大学を卒業して教員となってからのH君のことは,わたしには白紙。そして,何十年ぶりかで再会するようになったときは,すでに校長先生。

 それはお互いさまで,わたしが愛知教育大学をわずか2年で去って,大阪大学に移り,そこでもたった2年で辞して奈良教育大学へ,といったその後のわたしの記憶はかれらにはなにもないわけです。にもかかわらず,そのお互いの空白をものともせずに,すぐに,ゼミ生だったころの雰囲気にもどっていくというのが,この会のいいところ。かれらが20歳のころ,そして,わたしが38歳。だから,いつのまにかわたしも赴任した当時の元気がもどってきます。しかも,わたしの初めてのゼミ生。ですから,気合が入っていました。お互いに若かったころの,元気いっぱいの,そのときの気分にもどっていくことのできる唯一の場,それが「48会」です。

 夜の宴会では,ひとりずつ順番にこの一年の経過報告がありました。やはり,みんな年齢相応の年輪を感じさせる密度の濃い一年だったことがみえてきます。学生だったころには考えられなかった,人間としての円熟味を増しています。一人ひとりの話を聞きながら,なるほどなぁ,と教えられることばかりです。なんだか,わたしだけがやんちゃなまま年齢が止まってしまったのではないか,と反省することしきりです。

 あと1,2年で,みんな定年を迎えます。そうなったら,いまの激務からも解放されて,いくらか時間の余裕もできてくることでしょう。また,違った雰囲気がでてくるのではないか,といまから楽しみにしているところです。場合によっては,どこかの温泉で一泊しながら・・・などというプランが生まれる可能性も。楽しいことを夢見て,その日の到来を待つことにしましょう。

 そのときには,日本国が原発ゼロに向けて,あらゆる努力を惜しまず,国民が一丸となっていることでしょう。もし,そうでなかったら,もはや,夢も希望ももてなくなってしまいます。なによりも,まずは「生きる」ということ,「命」を最優先する政治があって,それから経済でしょう。そんな話も,この「48会」ではさせてもらいました。みなさんがどのように聞いてくださったかまではわかりませんが・・・。

 みんな健康で,笑顔で再会できることを。今回,集まった人たちは大丈夫でしょう。そして,公務の都合でどうしても参加できなかった人たちとの再会を楽しみにしています。これがわたしの長生きのための最高の良薬。

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