2016年1月15日金曜日

「理念なき東京オリンピック」。『世界』2月号の特集。▽

 最近になって,どういう風の吹き回しか,「東京オリンピックについてどう考えますか」という問いがわたしのところに寄せられることが多くなってきました。そのたびに,わたしは「あなたはどう考えますか」と問い返すことにしています。すると,「だれが,なんのために東京オリンピックをやろうとしているのか,そこのところがわかりません」という答えが返ってくることが多いので,「わたしもまったく同感です」と答えます。

 みなさんは,どのようにお考えでしょうか。

 みんなで東京オリンピックを盛り上げよう,などという気運はもはやどこかへ消え失せてしまっている・・・・それがわたしの現段階での感想です。話題になったのは,新国立競技場,エンブレム,開催経費6倍に激増,の三つくらいなもので,肝心要の「東京オリンピックをこんな風にやろうよ」という雰囲気はまるでありません。みんなあきれ果ててしまって「なにやってんだか・・・・」という慨嘆の声ばかりが聞こえてきます。

 わたしは当初から,東京オリンピック招致反対の立場をとってきました。そして,アベ君がIOC総会で,フクシマ問題を問われ「under controll」と大嘘をついて,招致をもぎとった瞬間から,東京オリンピック返上論を展開してきました。そして,それは,いまでも「正解」だったと信じて疑いません。

 なぜなら,フクシマはますます悪化の一途をたどり,深刻の度を増すばかりです。つまり,放射能汚染が野放しのまま,拡散をつづけているからです。もはや,東京の空気も河川も低地の草むらも,危ないところだらけです。そのほんとうの姿を知らないでいるのは日本人だけです。ヨーロッパ人の方がはるかに精確な情報を把握しています。ドイツでは,新聞,テレビで,しばしばトップ・ニュースとしてフクシマが取り上げられ,日本政府の無責任さとそれを容認している日本人が批判の対象とされている,とドイツの友人がメールで知らせてくれています。

 いまからでも,遅いことはない,東京オリンピックを「返上」すべきだと考えています。それこそが,国際社会に対する日本としての,そして,日本人としての「責任」の取り方だ,と考えるからです。そうして,日本という国家のあり方をゼロから出直すべきだ,と信じて疑いません。なぜなら,東京オリンピックの取組は,いまの政権の政治姿勢と表裏一体になっている,と考えるからです。つまり,東京オリンピックの政治利用以外のなにものでもない,からです。

 この政治の流れを,一度,断ち切ること,そして,ゼロから仕切り直しをすること。政治も,経済も,教育も,そして,人間の「生き方」まで次元を下ろしてきて,ありとあらゆる分野のあり方をゼロからやり直すこと。それしかない,とわたしは考えています。

 東京オリンピックも,そちらの方向に舵を切るきっかけにする,というのであれば話は別です。わたしの胸はにわかにときめいてきます。が,そんなことは夢のまた夢にすぎません。

 そんな折も折,雑誌『世界』2月号が,「理念なき東京オリンピック」を特集しています。まことに時宜を得た企画だとエールを送りたいところです。しかも,内容を読んでみますと,わたしが忌避したいいわゆる「スポーツ評論家」の類の書き手はすべて排除し(若干1名含まれていますが),意表をつく執筆陣を揃えています。そして,わたしが知りたかった情報がてんこ盛りになっています。とてもありがたいことです。

 まずは,冒頭に掲げられた村嶋雄人(ジャーナリスト)の論考:ふたつの「利権」の正体──東京五輪の長い影,が秀逸です。いわゆる「利権」争いの舞台裏の世界。この世界だけは,これまでわたしの想像の域をでませんでしたが,それをみごとに浮き彫りにしてくれました。「代々木利権」と「臨海利権」の水面下での攻防。その中心人物は,森喜朗。詳しいことは本文にゆずることにして,なるほど,そういう図式であったか,と目からウロコでした。

 しかも,そこから導き出された結論は,わたしがこれまで主張してきたものとぴったり一致していました。諸悪の根源は「森喜朗」にあり。ただちに退陣すべし。この論考を読んでのわたしなりの感想は以下のとおり。まずは,こうした「利権」争いから,可能なかぎり無縁の文化人,あるいは元アスリート(外国では多い)を組織委員会会長に据えること,できることなら,東京オリンピックの「理念」を掲げられる人を,などと日本では実現不可能な夢を描いています。

 本誌の編集長・清宮美稚子さんが「編集後記」で,2月号の特集企画の趣旨を簡潔にまとめてくれていますので,それを最後に引いておきたいとおもいます。

 人々の暮らしにしわ寄せがくる中,2020年オリンピックを本当にやるのか。運営費は当初見込みの6倍の1兆8000億円になるという試算が発表された。当然,組織委員会の財源だけでは足りず,公的負担がかなりの額になるだろう。
 都市再開発と国威発揚ばかりが目立つが,オリンピックをやる意味をどうとらえているのか,スポーツ文化の底上げ・向上という視点がどれだけあるのか,「復興したした詐欺」の一翼を担うのではないか,など数々の疑義がある。本号特集をご一読いただきたい。

 わたしからも,ぜひ,ご一読を。
 なにも,雑誌『世界』のよいしょをするわけではありませんが,いわゆる「まともな雑誌」がどんどん姿を消していくいま,本誌だけが最後の砦になっているのではないか,とわたしは受け止めていますので,なんとしても死守したい,と考える次第です。

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