20日締め切りの原稿があって,この原稿をどのように書こうかと18日の真夜中まで考えていました。そうして,だいたいの方針が決まり,よし,明日(19日)の朝から集中して一気に書こうと思って眠りました。粗削りでもいいから,とにかく書き上げておけば,20日,一日かけて推敲すればなんとかなるだろう,と考えていました。20日締め切りとは,わたしの頭のなかでは,20日の深夜12時前までと了解しています。
19日朝,気合十分に,さあ,原稿を書くぞ,と自分に言い聞かせてパソコンに向かいました。ところが,です。パソコンがいつものようには立ち上がりません。ブルーの画面に白抜きの文字がでてきて,パソコンが壊れている,Ctrl+Alt+Delを押して,Restartせよ,と書いてある。指示どおりにこれをやってみる。しかし,何回やってみても,すぐに同じ表示がでてきます。その繰り返しだけ。
時間がどんどん過ぎていきます。なんとか早く回復させて,一刻も早く原稿にとりかかりたい。でも,どうにもなりません。わずかしかないパソコンの知識を総動員して,あれこれ試してみますが,埒があきません。そういえば,最近になって,「パソコンが危険な状態です」という表示がしばしば現れて,「おやっ?」とは思っていたのですが,無視して使いつづけていました。が,とうとう,動かなくなってしまった,というのが実情です。やはり,パソコンの指示にはしたがって,早めに直しに出さなくてはいけなかったようです。
そんな反省もこめ,とうとうあきらめて,新しいパソコンを買おう,と決心したのは昼近くでした。わたしの場合は,Fujitsuの親指シフト,という特殊事情があります。ですから,ふつうの量販店には置いてありません。それに,すでに生産は中止していて,特注だということも聞いていました。でも,たった一軒だけ(たぶん,そうだと思います),Fujitsuと特約して,わたしが愛用している「親指シフト」を特注して扱っている店があります。それは表参道の駅近くです。以前にも,持ち運びのできる小型のノートを買ったことがあります。
もう,迷うことなく一直線にその店(Access)に向かいました。若い男性の,とても親切な店員さんが応対してくれました。壊れたパソコンも持っていきましたので,みてもらいました。よく使い込んでありますねぇ,キーボードの文字が消えていますねぇ,この型のパソコンは近頃見かけたことがありません。ああ,2006年の製品ですねぇ。いや,これだけ使ってもらえたら,パソコンも喜んでいるでしょう。などといいながらコードをつなぎ電源をいれたら,すぐに見慣れた画面が現れました。店員さんは,「あっ,これはハード・ディスクの寿命ですね。直りません。」という。
じゃあ,新しいのを買います,とわたし。幸いなことに3台ほど店に置いてありました。機種も機能も選択肢はなし。これでよければ・・・と店員さん。もちろん,発注すればいろいろの機種があります。が,お急ぎであれば,この機種だけになります,と店員さん。わたしの方は,すぐに帰って仕事をしなくてはならないので,ここにあるもので結構です。セットアップして使えるようにしてください,とお願い。
壊れたパソコンのハード・ディスクから,どのくらい修復できるかどうかはわかりませんが,やれるだけのことをやってみます。2時間ほど時間をください,と店員さん。
時間をみたら午後1時。久しぶりだから,スパイラルで昼食でもしながら,原稿のメモでもとっていれば,2時間はすぐだろう,と考えながら歩きはじめました。青山通りを挟んで向かい側です。目的のスパイラルに入ってみましたら,内装が変わって,以前の,あの天井が抜けるような空間がありません。わたしからすれば,余分としかいいようのない吊り天井がぶら下がっていて,照明もやや暗くなっています。
これは違うと直感。すぐ近くに青山学院大学があります。ここは,しばしば研究会で使わせてもらっているので,学生食堂の空間もメニューもよく知っています。この時間ならたぶんすいているだろう,と考え直行。予想どおり。一番奥の四人掛けのテーブルを独占して,食事をし,メモをとりました。とても静かで,空間も広くて,快適です。
午後3時に,店にもどりましたら,もう,しばらく時間をくださいとのこと。で,そのパソコンに仕事をさせながら,別の画面を開いて,いろいろ説明をしてくれました。わたしの知りたかったことをいろいろと教えてくれましたので,とても助かりました。これからちょくちょく訪ねてくるので,よろしくとご挨拶。店員さんが名刺をくれました。
店をでたときには午後4時を過ぎていました。大急ぎで帰宅して,すぐに原稿にとりかかろうとしましたが落ち着きません。いつもチェックするメールをみると,こういうときに限ってよくあることですが,大事なメールが入っていました。その応答をしたり,ブログをチェックしたりしているうちに,落ち着いてきました。
まあ,とにかく原稿を書かないことにははじまりません。一区切りつくところまで,と書き始めたら止まりません。気がついたら夜中の12時を過ぎていました。慌てて,夕食を済ませて,とにかく眠ることに。
翌日(20日)も朝から奮闘。まあ,とにかく書けたところを推敲しては,つぎを書く,全体の流れを確認しながら推敲しては,つぎを書く,これの繰り返し。なんとか結末まで書けたのが夜の9時。そこから,最後の推敲(事実確認のための校閲もかねて)を終えたのが夜の12時直前。ここで目をつむって,直ちに,編集者宛に送信。
それから,夕食(好物の麻婆豆腐)。ビールを少々。
なんとか責任をはたすことができて,やれやれ。熟睡でした。いや,バク睡でした。
19日朝,気合十分に,さあ,原稿を書くぞ,と自分に言い聞かせてパソコンに向かいました。ところが,です。パソコンがいつものようには立ち上がりません。ブルーの画面に白抜きの文字がでてきて,パソコンが壊れている,Ctrl+Alt+Delを押して,Restartせよ,と書いてある。指示どおりにこれをやってみる。しかし,何回やってみても,すぐに同じ表示がでてきます。その繰り返しだけ。
時間がどんどん過ぎていきます。なんとか早く回復させて,一刻も早く原稿にとりかかりたい。でも,どうにもなりません。わずかしかないパソコンの知識を総動員して,あれこれ試してみますが,埒があきません。そういえば,最近になって,「パソコンが危険な状態です」という表示がしばしば現れて,「おやっ?」とは思っていたのですが,無視して使いつづけていました。が,とうとう,動かなくなってしまった,というのが実情です。やはり,パソコンの指示にはしたがって,早めに直しに出さなくてはいけなかったようです。
そんな反省もこめ,とうとうあきらめて,新しいパソコンを買おう,と決心したのは昼近くでした。わたしの場合は,Fujitsuの親指シフト,という特殊事情があります。ですから,ふつうの量販店には置いてありません。それに,すでに生産は中止していて,特注だということも聞いていました。でも,たった一軒だけ(たぶん,そうだと思います),Fujitsuと特約して,わたしが愛用している「親指シフト」を特注して扱っている店があります。それは表参道の駅近くです。以前にも,持ち運びのできる小型のノートを買ったことがあります。
もう,迷うことなく一直線にその店(Access)に向かいました。若い男性の,とても親切な店員さんが応対してくれました。壊れたパソコンも持っていきましたので,みてもらいました。よく使い込んでありますねぇ,キーボードの文字が消えていますねぇ,この型のパソコンは近頃見かけたことがありません。ああ,2006年の製品ですねぇ。いや,これだけ使ってもらえたら,パソコンも喜んでいるでしょう。などといいながらコードをつなぎ電源をいれたら,すぐに見慣れた画面が現れました。店員さんは,「あっ,これはハード・ディスクの寿命ですね。直りません。」という。
じゃあ,新しいのを買います,とわたし。幸いなことに3台ほど店に置いてありました。機種も機能も選択肢はなし。これでよければ・・・と店員さん。もちろん,発注すればいろいろの機種があります。が,お急ぎであれば,この機種だけになります,と店員さん。わたしの方は,すぐに帰って仕事をしなくてはならないので,ここにあるもので結構です。セットアップして使えるようにしてください,とお願い。
壊れたパソコンのハード・ディスクから,どのくらい修復できるかどうかはわかりませんが,やれるだけのことをやってみます。2時間ほど時間をください,と店員さん。
時間をみたら午後1時。久しぶりだから,スパイラルで昼食でもしながら,原稿のメモでもとっていれば,2時間はすぐだろう,と考えながら歩きはじめました。青山通りを挟んで向かい側です。目的のスパイラルに入ってみましたら,内装が変わって,以前の,あの天井が抜けるような空間がありません。わたしからすれば,余分としかいいようのない吊り天井がぶら下がっていて,照明もやや暗くなっています。
これは違うと直感。すぐ近くに青山学院大学があります。ここは,しばしば研究会で使わせてもらっているので,学生食堂の空間もメニューもよく知っています。この時間ならたぶんすいているだろう,と考え直行。予想どおり。一番奥の四人掛けのテーブルを独占して,食事をし,メモをとりました。とても静かで,空間も広くて,快適です。
午後3時に,店にもどりましたら,もう,しばらく時間をくださいとのこと。で,そのパソコンに仕事をさせながら,別の画面を開いて,いろいろ説明をしてくれました。わたしの知りたかったことをいろいろと教えてくれましたので,とても助かりました。これからちょくちょく訪ねてくるので,よろしくとご挨拶。店員さんが名刺をくれました。
店をでたときには午後4時を過ぎていました。大急ぎで帰宅して,すぐに原稿にとりかかろうとしましたが落ち着きません。いつもチェックするメールをみると,こういうときに限ってよくあることですが,大事なメールが入っていました。その応答をしたり,ブログをチェックしたりしているうちに,落ち着いてきました。
まあ,とにかく原稿を書かないことにははじまりません。一区切りつくところまで,と書き始めたら止まりません。気がついたら夜中の12時を過ぎていました。慌てて,夕食を済ませて,とにかく眠ることに。
翌日(20日)も朝から奮闘。まあ,とにかく書けたところを推敲しては,つぎを書く,全体の流れを確認しながら推敲しては,つぎを書く,これの繰り返し。なんとか結末まで書けたのが夜の9時。そこから,最後の推敲(事実確認のための校閲もかねて)を終えたのが夜の12時直前。ここで目をつむって,直ちに,編集者宛に送信。
それから,夕食(好物の麻婆豆腐)。ビールを少々。
なんとか責任をはたすことができて,やれやれ。熟睡でした。いや,バク睡でした。
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