2013年2月25日月曜日

「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」(真島一郎)。

 第70回「ISC・21」3月東京例会の真島一郎(東京外国語大学大学院教授)さんのお話のタイトルが決まりました。慎重な真島さんはまだ仮のタイトルですが,という付帯条件付きで送られてきたタイトルが「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」です。わたしは思わず膝を打って,ウーン,と唸ってしまいました。

 じつは,わたしはお節介にも,こんなタイトルではいかがでしょうかという愚案を提示して,それに手を加えて適切なタイトルにしてください,とお願いがしてあったからです。その応答がこのタイトルです。目からうろこが落ちるとはこのことでしょう。わたしが研究室にお伺いして,わたしの方の研究会の蓄積や趣旨をお話して,こんなお話をしていただけると嬉しいという注文をいくつか出させていただきました。それらのすべてをみごとにクリアするタイトル,それがこれでした。

 このタイトルを眺めながら,日本語の表現力はすごいなぁ,と感じ入ってしまいました。それは<もの>ということばです。「からだにつく<もの>」といったときの<もの>です。日本人であれば,これだけで多くの人はピンときます。つまり,「つきもの」ということばが,ついこの間まで,わたしの子どもの時代を過ごした田舎では,ごく日常的に用いられていたからです。あるとき,突然,ある人のからだに「つきもの」がつく。

 わたしの田舎では「きつねがつく」ということばをよく耳にしました。「きつねがつく」とは,要するに「気がふれる」こと。ふつうの人ではなくなること。なにかが乗り移り,もとのその人ではなくなること。そこまではっきりしないときには,なにか<もの>がついたらしい,ときどき変なことを口走ったり,奇行に走る,といいます。これが「つきもの」です。

 漢字で書けば「憑き物」。このときの「物」が,すなわち,<もの>。広辞苑によれば,「人にのりうつったものの霊。もののけ。風姿花伝『仮令(けりょう)憑き物の品々,神・仏・生霊・死霊の咎めなどは』。『憑き物が落ちる』」とあります。それらのすべてを総称して<もの>。

 大国主命は多くの別名をもつが,そのひとつに大物主命というのがあります。大物主の「物」は「魂」を意味するとのこと。「魂」とは「鬼がものを云う」と書きます。鬼とは神のことですから,神がものを云う,それが「魂」です。国魂神,葦原醜男,八千矛神,などの大国主命の別名もまた神がかった「魂」を意味するとのこと。つまり,漢字で書けば「物」,ひらがなで書けば「もの」,というわけです。

 そのような日本の社会にもむかしから馴染んできた「つきもの」=「からだにつく<もの>」。それとまったく同じとはいえないまでも,かなりの部分で重なっているであろう,コートディヴォワール・ダン族の「からだにつく<もの>」,それを「力士と仮面」をとおしてお話してくださる,というようにわたしは受けとめたわけです。ですから,ずっしりと重くわたしのこころの奥底に「するり/すとん」と落ちたのです。

 「霊力でとるすもう・ゴン」,そのゴンをとる力士のからだは,ふつうの人とは違って霊力を受け入れる能力に秀でている,ということなのでしょう。そして,「仮面」についてはもはや説明するまでもなく,ふつうの日常のからだではなくなるための,自己を超えでるための装置。ですから,これもまた「からだにつく<もの>」であるわけです。さらには,秘密結社のシンボルともなる仮面。こうして,結社社会を構成するコートディヴォワールのダン族がトータルに語られるとしたら・・・。いまから,わたしの胸は高鳴ります。

 なぜなら,いまでは遠い過去のこととして忘れられてしまったスポーツの原風景をそこに見届けることができるからです。日本の力士も,いまの力士はともかくとして,雷電為右衛門らが活躍した江戸の勧進相撲の時代には,力士はとくべつの霊力をもつ人として崇められたものです。つまり,世俗の人間と神との中間に位置づく人,神との橋渡しをしてくれる人。力士のことを「醜男」とも呼ぶのも,桁外れに強く頑丈なからだをもつ男という意味であるし,梅ケ谷などという「醜名」も,並の人ではない強い力をもつ人という意味での力士の呼び名のことです。

 日本の力士は,髷を結い,締め込み(まわし,ふんどし)を身に帯びることによって力士に変身します。ましてや,化粧まわしをつけたときには,もう,ふつうの人ではありません。言ってしまえば,もうすでに,神がかっています。これもまた仮面と同じような役割をはたしているように,わたしには思われます。

 さあ,真島一郎さんの「からだにつく<もの>:コートディヴォワール・ダン族の力士と仮面」のお話はどんな展開になるのでしょうか。いまから楽しみです。

 3月9日(土)の午後3時から,青山学院大学を会場にして,第70回「ISC・21」3月東京例会が開催され,そこで真島一郎さんがこのお話をしてくださることになっています。詳しくは,「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)のホーム・ページの掲示板をご覧ください。開催要領が公開されています。一般にも公開されていますので,興味のある方はお出かけください。無料です。

2013年2月24日日曜日

11世紀・棺をかつぐ力士たち・中国遼寧省出土。

 月刊誌『SF(Sports Facilities)』(旧『月刊体育施設』)に隔月で連載しているシリーズの最新号を紹介します。題して「絵画にみるスポーツ施設の原風景」。今回は第24回目。出典は,図録『特別展 日中国交正常化40周年 中国王朝の至宝』(東京国立博物館,2012年)。

 これまで雑誌などに掲載された原稿をこのブログで紹介することはほとんどなかったのですが,今回は,いささか意図があって,とりあげておこうという次第です。断るまでもなく,「日中国交正常化40周年」を記念したイベントがあれこれ企画されていたのですが,それが一挙に消えてしまいました。たったひとつ,この企画だけはすでに「至宝」が日本に運び込まれていて,日本各地の博物館・美術館を巡回することが決まっていました。そんなわけで奇跡的にこの企画だけは実施されることになった,という次第です。

 この展覧会は,日本各地を巡回した最後,4月7日まで神戸市立博物館でみることができます。興味のある方はぜひご覧になってみてください。展示の素晴らしさはもとより,考古遺物が出土した中国の地方都市の現在の街の全景や,人びとの暮らしぶりが,各コーナーごとに上映されていて,これがわたしには強烈な印象となって残りました。なぜなら,中国の地方都市とはいえ,どこもかしこも日本の大都市とまったく遜色ありません。近代的な高層ビルが立ち並び,清潔な近代都市の街並みを,人びとは悠々と歩いています。中国はもはや立派な近代国家であって,わたしたちがイメージしている貧困にあえぐ僻地の農村はほんの一部でしかないということです。それを知っただけでも,この奇跡的に開催された展覧会の意味は十分にあったと思います。「日中国交正常化40周年」を寿ぐべき企画として,もっともっと多くのイベントが準備されていたのに残念でなりません。それらがすべて開催されていたら,わたしたち日本人の中国観も大いに変化したでしょうし,日中の関係ももっともっと親密になれたのに・・・・と。

 一昨年(2011年)の9月に,昆明から雲南省の山奥の古い街並みめぐりをしたときにも,その経済的発展に驚いたものです。まずは,あの山の中にある昆明が恐るべき大都会であることに度胆を抜かれました。翌日からの長時間かけてバスで山を越え,田園風景を走り,いわゆる観光旅行とは異なる,少数民族の人たちが多く住む土地を訪ねるという,とても地味な旅をしました。そこで眼にしたものは,中国はどこもかしこも建設ラッシュで,道路工事や鉄道建設が雲南省の山岳地帯で行われていた,という事実です。人びとはとても優しいことにも驚きました。最後に尋ねた北京は東京とどこも違いません。むしろ,道路の幅などは広く,よく整備されていて,車の数も多いのではないかとさえ思いました。

 わたしたち日本人は,中国に関する精確な情報を,ほとんど手にすることができません。なぜなら,日本のメディアが中国に関する偏見にみちた情報ばかりを流すからです。そのために,わたしたちもいつのまにか偏見だらけの中国観をもつはめになってしまうわけです。

 中国の良識ある人びとは,いまでも,きわめて冷静に日本をとらえています。そして,その子どもたちが日本に留学することになんのためらいもありません。その具体的な事例をわたし自身もいくつか知っています。市民レベルでは,いまも,お互いに信頼関係は崩れてはいません。それは「日中国交正常化40周年」という実績によるものです。その信頼関係を一挙に突き崩すような愚挙が,「棚上げ」になっていた尖閣諸島を,わざわざその約束を反故にして,突然の,しかも一方的な国有化宣言です。あきれはててものも言えません。そして,今日も,中国の船が領海を侵犯して入ってきた,とニュースが声高に報じています。日本が「だまし討ち」にしたことは,まるでなにもなかったかのように。それどころか,そんな約束はなかった,とまで言い切っています。ならば,「日中国交正常化40年」はいかにして可能だったのか,考えてみればすぐにわかることです。それすらも隠蔽して押し切ろうというのが,いまの日本の政府のやり方です。

 そんな気持ちが強くあるものですから,日中の文化交流の一端が,この険悪な情況のなかにあってなお,みごとに実行されていることは特筆に値すると考えています。本来ならば,メディアも,もっともっと大きくこの「中国王朝の至宝」展を報道するはずです。それすらも,日本のメディアは無視して,平然としています。

 そういう事態に対するアゲインストとして,わたしなりのやり方で,この連載を活用させてもらうことにしたという次第です。あっ,こんなことを書いてしまうと,この連載もストップされてしまうかもしれません。まさか,そんなことはないと信じていますが・・・・。

 さて,連載のテーマは「11世紀・棺を担ぐ力士・中国遼寧省出土」です。そして,この写真をかかげ,その下にかんたんな説明文を載せています。そのまま,転載しておきましょう。


 力士が棺を担ぐというイメージは,いまのわたしたちにはほとんどありません。しかし,時代を遡っていくと,なぜか,力士は葬送儀礼と深くかかわっていたということがわかってきます。これは洋の東西を問わず共通しています。力士は,ただ,相撲をとるだけではなく,相撲をとることによって鎮魂の役割もはたしていた,というのが実態だったようです。
 日本の古代では,野見宿禰がそうであったように,力士であると同時に葬送儀礼を取り仕切る専門職でもあったようです。天皇が亡くなると,お付きの者たちの多くが人身供犠として生き埋めにされるのが習わしになっていましたが,野見宿禰はそれに代えて埴輪を提唱しました。その埴輪のなかには力士埴輪もふくまれています。
 今回の図像は,中国遼寧省朝陽市から1992年に出土した10~11世紀の力士〇棺です。石製で,棺の大きさは縦55.5cm,幅16.5cmです。とても小さなものですので,火葬後の骨を納めたと考えられています。
 力士は上半身裸,下半身は短いパンツを穿き,長靴を履いて両手は腰帯(まわし)を掴んでいるように見えます。しかも,目を瞑って,深い瞑想のなかに入りこんでいるようにもみえます。
 詳しいことはわかっていませんが,力士は棺をかついで葬送の行列に加わり,その墳墓に棺を納めたあとに,相撲をとって鎮魂の儀礼を行ったようです。また,死後の法事の折にも相撲をとったのかもしれません。それらはすべて死者の鎮魂を目的としたものであったに違いありません。となれば,場所はいずれも墳墓や墓所の前の広場だった,ということになります。いわゆる奉納相撲です。
 この力士〇棺は,一種の骨壺ですので,力士もまた死者の骨と一緒に死後も連れ添い,死者の霊魂を守ったということを意味しています。となると,仏教的な慣習行動がこの地方にも広く普及していたということも意味します。

以上。

※この棺のなかに一刻も早く入ってもらいたい人がなんにんもいます。困ったものです。





「丹田の下のボールを回しなさい(尾てい骨を巻き込むために)」(李自力老師語録・その28.)

 「尾てい骨を巻き込むようにして・・・」と,もう耳にたこができるほど李老師から注意を受けている。しかし,李老師がやってみせてくださる「尾てい骨を巻き込む」は,たしかにそのように動いているのが目にみえる。ならば,というので頑張ってやってみる。李老師はやさしいから,少しでも似ていれば「あー,そうそう」といって励ましてくださる。しかし,鏡に写るわが姿をみて,「似て非なるもの」でしかないことが歴然としている。しかも,自分の感覚として尾てい骨を巻き込んでいるという実感もない。

 ずーっと長い間,もう8年も考え,悩んできた。どうしてもわからないのだ。人体解剖学の本をめくって,尾てい骨を巻き込むための「筋肉」はどうなっているのだろうか,と必死で探す。しかし,どう考えてみても,解剖学的にはそのような「筋肉」は存在しない。でも,なぜ,李老師は尾てい骨を巻き込むことができるのか。しかも,ぐりぐりぐりともののみごとに巻き込まれていく。不思議なことだ。ひょっとしたら,子どものころから「尾てい骨を巻き込む」稽古をしているうちに,そのための筋肉がとくべつに発達しているのだろうか,と考える。しかし,それも解剖学的にはありえない。では,どうなっているのか。なにゆえに,李老師の尾てい骨は巻き込まれていくのか。

 仕方がないので,勇を起こして李老師に尋ねてみる。
 尾てい骨を巻き込むための方法を教えてください。自分の意識をどこに置けばいいのですか。

 すると意外なことばがかえってきた。
 しばらく,わたしの眼を見据えたあとで,「下腹部・丹田よりやや下のあたりにボールがあると思いなさい。このボールを回すのです」と仰る。そして,「とりあえずは,このボールを後ろに回しなさい。そうすれば尾てい骨は巻き込まれてきます」と。

 早速,やってみる。しかし,ボールはどこにもない。ないボールはまわせない。李老師,曰く。「ボールはそのうち意識できるようになります」と。「意識できるようになると,このボールを前後にまわしたり,左右回転させたりする稽古をします。すると,次第に,自在にまわせるようになります。そうしたら必要に応じて,好きなときに,好きなようにまわせばいいのです」と。

 わけがわからない。まるで禅問答のようだ。仰ることは,なんとなく理解することはできる。そうなのか,そういうものなのか,と。しかし,体感としてはさっぱりわからない。第一,ボールの存在が確認できないのだから。仕方がないのでさらにしつこく質問をつづける。いろいろと説明してくださるのだが,どうも要領を得ない。とうとう李老師も音をあげて「これはことばで説明できることではありません。感覚で理解できたら,ひたすらそこに意識を向けて稽古するのみです」,と。

 かくなる上は・・・と覚悟を決めて,事務所でひとり稽古をしてみる。とりあえずは,肛門のあたりをギュッと締めておいて,それを前に引っ張りだすように腹筋の一番下の部分を収縮させてみる。すると,骨盤がうしろに倒れていく感覚が伝わってくる。軸足に体重をかけたまま送り出される足とともに骨盤がうしろに倒れていくように感ずる。もし,この感覚どおりに骨盤がうしろに倒れていくとすれば,尾てい骨はおのずから巻き込まれていくはずだ。

 この感覚が正しいかどうかはわからない。しばらく稽古を重ねてみて,李老師にみてもらうしかない。しかし,いままでのように闇に向って尾てい骨を巻き込む努力をしているのとは,明らかに異なる。具体的な目標がはっきりしただけでも努力する甲斐があるというものだ。

 肛門から前立腺にむけて筋肉を締め上げていって,それを腹筋の一番下につなげて,ぐいと腹筋を収縮させてみる。すると,下腹部の丹田よりも少し下のあたりに空洞があるように感ずる。この空洞に感じられる部分にボールが感じられるようになるのだろうか,と勝手な想像をしてみる。しばらくは,ひとり旅だ。試行錯誤を繰り返しながら,模索していくしかないのだから。とりあえずは,その端緒にとりついたというところか。

 この方法でいいのかどうか,つぎに李老師が稽古にきてくださるのを待つのみ。それまでに,少しでもそれらしきことができるようにしておこう。この方法が,李老師の仰る「秘法」につながるものであることを祈りつつ。

『週刊読書人』最新号(2月22日)の一面トップにシャモワゾーと肩を組む西谷修,星埜守之さんの写真をみつけて。

 「クレオールとは何か」という大きな文字の見出し語が躍る。そして,パトリック・シャモワゾー講演会in東京大学,とある。そして,かなり大きな写真が掲載されている。そのなかに,シャモワゾーを真ん中にして右側に西谷さん,左側に星埜さんが写っている。なんだか嬉しくなって,しばらく,この写真に見入っていた。

 シャモワゾーという人の写真をしげしげと眺めるのはこんどが初めて。ああ,こんな顔をした人なのか,と納得。西谷さんはいつもよりご機嫌か,とても柔和な顔で写っている。その反対側には星埜さんがいつもの表情で写っている。

 いつもの表情と書いたが,じつは,星埜さんはいつも同じような顔をしているからだ。無理して大まじめな顔をすることもなく,ごく,自然体で脱力された柔らかな笑顔である。ああ,こういうときも同じ顔だ,という意味で「いつもの表情」と書いた次第である。

 というのは,星埜さんとは,一昨年の奄美自由大学(今福龍太主宰)で初めてお目にかかった。初日の入島式(これから奄美大島の島巡りをさせてもらいます,という島の神様に許可をいただく式。島には聖なる場所がここかしこにあるので,そこに行って主宰者のご挨拶があり,島巡りの予定表を書いたリーフレットと笛(いずれも今福さんのゼミ生さんたちの手製)を分けてもらって,いよいよ行動開始)のときに,わたしは初めての参加だったので,まずは,わたしの方から星埜さんに声をかけ,これこれの者ですと自己紹介をした。が,星埜さんは,いつものにこにこした顔をして「ああ,そうですか。星埜です。よろしく」と言ったきりなにも仰らない。あれっ,と思って少し考えた。ああ,そうか,星埜さんのことは知らない人がいないとお考えかも・・・と思って,勇気を奮い起こして「失礼ですが,どういうお仕事をなさっていらっしゃるのですか」と問う。すると「大学でフランス語を教えています」とだけ。わたしは知らないから,ああ,そうか,フランス語の先生なのだ,とだけ記憶にとどめた。あとは,まったく不明。そして,奄美自由大学でご一緒した三日間,いつも,どこにいても,にこにことした笑顔で,飄々と歩いていらっしゃる。不思議な存在感のある人だなぁ,とは思ったが,それ以上のことはわからない。

 それっきりになっていた星埜さんが,突然,『週刊読書人』の一面トップの写真に現れたという次第。しかも,西谷さんと一緒だ。ええっ,と思って,急いで経歴を探した。そうしたら,東京大学教授とある。ふたたび,ええっ,である。人は見かけによらないもの。奄美大島で初めてお会いしたときには,どこで,なにをしていらっしゃる方かもわからないので,無精髭をのばしたどこかのおじさんだと思っていた。しかし,この写真をみると,いまも,その無精髭があるので,ああ,あれはおしゃれなんだと納得。そして,「クレオール」というところで西谷さんともつながっていることも納得。そうして,いまさらのように奄美自由大学に来られる人たちというのはたいへんな人たちばかりなのだ,とこれまた納得。わたしのような者がひょこひょこ顔を出していていいのだろうか,と考えてしまう。でも,今福さんから,来年また奄美で会いましょう,と言われると嬉しくなってまたいそいそとでかけてしまう。奄美大島という磁場のようなものがわたしを引きつけてやまない。なんなのだろう,あの島の発する雰囲気は。わたしが戦前の子ども時代に吸っていた空気と同じようなものをここかしこで感ずる。だから,いまでは完全に消え失せてしまった,わたしの子ども時代に味わった郷愁を感じ,懐かしくなるのだろう。そんな場で星埜さんとも出会った。そして,あの,ゆるい,なんともいえない味のあるにこにこした笑顔に。その笑顔を久し振りにこの『週刊読書人』で発見。やはり,懐かしい。いまも同じ笑顔だから。

 紙面は全面2ページにわたって,シャモワゾーの講演会が載録されている。このときの司会を星埜さんと塚本昌則さん(東京大学教授・フランス文学)がつとめていらっしゃる。講演会のタイトルは「戦士と反逆者 クレオール小説の美学」。この記事のつかみのところだけ転載しておくと以下のとおり。

 昨年11月13日,東京大学(文京区本郷)において,パトリック・シャモワゾーによる講演会「戦士と反逆者 クレオール小説の美学」が開かれた。シャモワゾー氏は,1992年に『テキサコ』(星埜守之訳,平凡社)でゴンクール賞を受賞し,国際的にその名が知られるようになった。また,ラファエル・コンフィアンとの共著『クレオールとは何か』(西谷修訳,平凡社)は世界中で読まれ,「クレオール」という言葉を定着させるきっかけを作った一冊である。この講演の模様を載録させてもらった。進行は星埜守之氏と,『カリブ海偽典』(紀伊国屋書店)の翻訳者である塚本昌則氏が担当した。

 わたしは,最初に今福さんの『クレオール主義』という本を読んだときに,なんのことかがよくわからないまま苦しんでいたが,西谷さんの『クレオールとは何か』がでて,その巻末に書かれた西谷さんの「解説」を読んではじめて「クレオール」ということの重大さを知った。そして,クレオール語ということばもそうだが,スポーツもまた民族の出会い・衝突によって新しいスポーツ文化を生み出す,その意味ではことばもスポーツも同じではないか,とあれこれ考えてきた。

 星埜さんがそういう方だったということがわかった以上は,『テキサコ』を読んでおいて,こんどお会いできるかも知れない奄美自由大学に備えておこう。星埜さんは,とくに,だれとも会話をされるわけでもなく,悠々とひとりで奄美の雰囲気を楽しんでいらっしゃる方だ。せめて,夜の宴会の折には『テキサコ』を話題にできるようにしておこう。そうすれば,奄美自由大学がもっともっと面白くなりそうだ。そして,同時に,わたしのやってきたスポーツ史やスポーツ文化論を考える上でもシャモワゾーの書いたものはとても重要なヒントを与えてくれるはずだ。その意味でも必読の書だ,とこの講演会載録を読んでますます強く感じた。

 わけても,スポーツ文化がヨーロッパ近代の呪縛から解き放たれるためにも。

2013年2月23日土曜日

久しぶりにロック・バンド Ain Figremin のライブを聞く。

  ふだんは大阪を拠点にして活動している Ain Figremin が東京でライブをするというので出かけてみた。21日(木)は高円寺で,22日(金)は府中でやるという。21日はすでに予定が入っていたので,22日に出かけた。

 もちろん,お目当てはリードヴォーカルの三井雄介だ。詳しいことははぶくが,個人的なある事情があって,かれの子どものころから,その成長過程をなぞることができるほどに雄介のことはよく知っている。だから,年々,成長していくその姿はいつも気がかりになっている,と同時に楽しみにもしている。

 今回,わたしが聞くのは,バンドのメンバーが変わってからの初めてのライブである。昨年の暮れにはこの新しいメンバーによるCDが制作されている。そして,その1枚がわたしのところにも届いていたので,すでに何回か聞いている。だから、以前とはだいぶ違う雰囲気になっているなぁ,と感じとってはいた。が,やはり,ライブはもっとその違いを鮮明にしてくれた。

 まずは,Ain Figremin というバンドが驚くほどにレベル・アップし,進化しているではないか。迫力がまるで違う。切れ味が鋭い。雄介のギター・テクニックも歌唱力も抜群によくなっている。しっかりとした目線がいい。たしかななにかをしっかりと見据えている目線だ。だから,引き寄せられる。魅力的だ。それからベースが面白かった。なにせ,裸足でステージに立ち,所狭しとばかりにギターをかかえて演奏しながらこんなパフォーマンスができるかという極限に迫る。本人は必死で,からだごと音をギターに埋め込んでいく。ときには祈っているようにもみえる。ドラムの顔がこれまた印象的だった。ときに泣いているような顔になり,ときには般若の顔になる。しかし,そのほとんどは髪の毛に隠れてみえない。能面アーティストの柏木さんの作品(創作面)に「心眼」という傑作面があり,それを思い浮かべていた。かれもまたドラムと一体化している。雄介の眼が余韻を残す。目力(めぢから)がついたというか,眼力がついたというか,眼がらんらんと輝くようになってきた。もはや,この世のものとは思えない雰囲気がでてきた。そのうち幽体離脱をするのではないか,といささか心配であると同時に楽しみでもある。

 なぜなら,ロックというのは,なにものにも束縛されることのない,そういう幽体離脱寸前の境界領域で遊んでいる音楽ではないか,とわたしは受けとめている。つまり,この世とあの世を自由に往来する音楽ではないか,と。そういうところから音が溢れ出てきて,ことばがそれに乗って天を駆けめぐる。天と地の交信・共鳴・共振。天なる存在に向かって裸足で大地からのエネルギーを吸い上げ天に送り込む(ベース)。すると,こんどは天から大地に雷鳴のごときドラムが響く。ボーカルが必死になって天と地の間に音とことばを繋ぎ止めるかのように,全身全霊を傾ける。このとき,聞く者たちとステージはひとつになる。

 以前,渋谷のライブで聞いたときよりも,はるかに骨太の,逞しいバンドに変身している。雄介も大人になってきたなぁ,としみじみおもう。この間までのひ弱さが消えた。もう,びくともしない,自分で納得のいく立ち位置が決まったという印象だ。さあ,いよいよこれからだ。

 この3人は,おそらく,まったく異なる個性の持ち主で,その音楽性も異なるのではないか,と聞きながらちらりとおもった。それでいて,不思議に噛み合っている。お互いがそれぞれの音楽性をリスペクトしつつ主張し合う,その上で,がっぷり四つに組み合っている。お互いに一歩も譲らないで個性をぶっつけ合うことによって,1+1+1=3,などという単純な和算の範囲を大きく超えでていく可能性を秘めている。3が,6にも9にもなりうる,そういう「大化け」の可能性を感ずる。

 これから面白くなりそうなバンドだ。

 Ain Figremin. 国籍不明の言語。もとをたどればドイツ語もどき。Ein とかけば立派なドイツ語になることを知っている雄介は,わざわざそれをはぐらかす。Figremin もどこかドイツ語にありそうでないことば。雄介のことだから,このことばにあるメッセージを籠めているはず。ありそうでない,なさそうだがあるような気もする,が,やはりない,怪しげなことばの創作。min で終わるところからの連想では「くすり」のイメージか。では,Figre はなにか。あるいは,Fig と re と分離するのか。ならば,こうも考えられる・・・・という具合にことば遊びも際限なくつづく。

 Ain.ひとつでもなくふたつでもない。ひとつから不特定多数まですべてをつつみこもうとでもしているのか。まさに,不定冠詞の王。かたちあるものはやがてくすりによってきえゆくのみか。きえゆくさきにこそりそうのおうこくがまちかまえている,か。

 自他の境界領域を超えでていくことは容易ではない。しかし,かつては自他の境界のない動物性(あるいは,内在性)を生きていたわれわれ人間は,どこかに動物性への回帰願望を抱え込んでいる。それはもはや人間である以上,どこまでいっても避けがたいことなのだ。不可避なのだ。だから,ひとたび,動物性(あるいは,内在性)に目覚めた人間は,動物性への回帰願望に揺さぶられながら,宙づりの「生」を生きることになる。それしかないのだ。

 こんな話を雄介をまじえて,このバンドのメンバーたちと,うまい酒でも酌み交わしながら語り合いたいものだ。その日もそんなに遠くはあるまい。楽しみにしよう。

2013年2月22日金曜日

ヤマトのアフリカニスト・真島一郎さんにお会いしてきました。

 笑顔の美しい人,これが今回お会いしてつよく印象に残った真島一郎さんのイメージでした。西谷修さんから「真島さんはまじめな人ですから」と何回も聞かされていましたので,失礼がないようにということだけはこころがけたつもりです。最初はとても緊張しましたが,真島さんの「お久し振りです」のひとことと,その瞬間に表れたさわやかな笑顔に接してどれほど気持ちが楽になったことか,はかりしれません。

 人は笑うとみんないい顔になります。が,ときには,笑ってもどこか冷たい印象を与える人もいます。しかし,真島さんの笑顔はとびきりでした。わたしの話を聞くときの真島さんの眼は鋭く光り,わたしの眼をじっとみつめて離しません。そして,わたしの眼の奥の奥まで見とおしていくような,そんな強いまなざしでした。ですから,わたしの方が目線をときおり外さないと圧倒されてしまうほどの迫力です。わたしはなにかを思い出そうとするふりをして天井に視線を向けたり,やや斜め下に目線を落してなにかを深く考えようとしているふりをしなければならないほどでした。こんな体験は久し振りでした。でも,真島さんの中でなにかが深く納得できたときには,パッと明るい笑顔に変わります。この落差なのでしょうか。それはそれはみごとな笑顔なのです。わたしの気持ちは,そのたびに,大いに救われました。

 とまあ,こんな具合にして,3月9日(土)に予定されている第70回「ISC・21」3月東京例会の打ち合わせが行われました。真島一郎さんのことを初めて知ったのは,『季刊民族学』(国立民族学博物館発行の機関誌)に掲載された,コートジボアール・ダン族のすもう「ゴン」に関する真島さんの論考でした。この論考はとても刺激的でした。なにせ,「霊」の力ですもうをとる,というお話ですから。詳しいことはここでは省略しておきますが(当日,お話をしてくださる予定),読んだ瞬間からこの真島さんという人にお会いしてお話を伺いたいとおもっていました。ところが,当時の真島さんは東京大学の大学院生で,ダン族の「結社社会」の研究のために現地に滞在中でした。そんなことで,いつか,どこかで,と楽しみにしていました。

 あれから何年になるでしょうか。その間,忘れていたわけではないのですが,そのままになっていました。が,偶然,そのチャンスはめぐってきました。それは,西谷さんが仕掛けるシンポジウムに真島一郎さんが,ほとんどレギュラーのようにしてシンポジストをつとめていらっしゃったからです。最初にプログラムで「真島一郎」という名前をみつけたときに,もしかしたら?と一瞬わたしの脳裏をよぎりました。しかし,シンポジウムのテーマは「沖縄問題」です。あるいは,もっと違うテーマであったりします。なにせ,西谷さんの守備範囲はきわめて広いので,シンポジウムのテーマは多岐にわたります。そんな中に,毎回のように「真島一郎」という名前があり,実際に発言を生で聞いてもいるわけです。しかし,真島さんの発言のなかにはアフリカのことはひとこともでてきません。ですから,同姓同名の別人だとおもっていました。

 ところが,です。目取真俊さんをお迎えしての,やはり,西谷さんが仕掛けた沖縄問題でのシンポジウムの折に,大きなチャンスが訪れました。壇上の真島さんが,発言の冒頭で「ヤマトのアフリカニストとしての自己否定をかけて・・・・・」と仰ったのです。わたしのからだに電撃が走りました。そして「アフリカニスト」のひとことで,確信しました。同姓同名の人はよくあることです。しかし,「アフリカニスト」という限定がついた以上,もう,同姓同名はありえない,と。同時に,「自己否定をかけて」発言をするという真島さんの覚悟のほどが,鮮烈な印象を残しました。このあたりのことを西谷さんは「まじめな人」と仰るのだろうなぁ,と思います。

 そこで,シンポジウムが終わったときに,勇気を奮い立たせて真島さんに声をかけさせていただきました。やはり,間違いありませんでした。真島さんは,いったい,どういう人なんだろうかと真剣なまなざしです。眼が光っていました。「ダン族のすもう・ゴンを『季刊民族学』に書かれた・・・・・」というところで,パッと笑顔になられ「はい,そうです」。あとはとんとん拍子で,いつか,わたしの主宰している研究会でお話を・・・・,「はい,わかりました。喜んで」と仰っていただきました。ですから,今回は二度目のミーティングという次第です。

 3月9日(土)の会の名前は,第70回「ISC・21」3月東京例会,というものです。この会は,一般公開されていますので,どなたも参加可能です。詳しい情報は「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)のHPの掲示板に掲載しますので,そちらでご確認ください。もし,興味をもたれて参加したいという方は,以下の文献などに目をとおして,予習をしておいてくださることを希望します。そういう前提で会を進行させます。

 真島一郎さんの書かれたテクストは以下のとおりです(こんどの研究会に関連するもののみ)。
 『20世紀<アフリカ>の固体形成』,平凡社,2010年。
 「装わねばならぬ力」,『季刊民族学』,第56号。
 「呪術と精霊のうずまくすもう・ゴン」,『季刊民族学』,第58号。
 「秘密 コートジボアール・ダン族の結社社会」,『季刊民族学』,第62号。
 ※『季刊民族学』に書かれた論考のタイトルは,わたしの記憶で書いていますので,あとで確認をして訂正をさせていただきます。お許しのほどを。

 なお,わたしも真島さんの論考に触発されて,以下のような文章を書いていますので,ご参考までに。今回の会の趣旨を手軽に知るには役立つと思います。
 「霊力を競うアフリカ・ダン族の『すもう』」,拙著『スポーツの後近代』,三省堂,1995年,P.34~41.

 映像も用いて,できるだけ楽しく,わかりやすくお話をしてくださるように,真島さんにはお願いをしてきました。もちろん,快諾してくださいましたので,いまから,3月9日が楽しみです。一般の方の傍聴は自由ですので,興味・関心のある方は,どうぞ,お出かけください。

2013年2月21日木曜日

第148回芥川賞作品・黒田夏子著『abさんご』を読む・その1.

 『abさんご』が単行本で刊行されているのは知っていたが,やはり,芥川賞選考委員の人たちの選評や受賞者のインタヴューなども合わせて読みたかったので,掲載誌が書店に並ぶのを待った。そうして,ようやく出た,と思って買ってきたところに別件の飛び込みの仕事が入ってしまった。だから,昨日までおあずけのまま机の上で眠っていた。

 前評判どおりの不思議な小説だった。でも,いちど読んだら忘れられない,こころの奥底に眠っていたものがつぎつぎに呼び起こされるような,どこか時空間がどんどんぼやけてしまいそんざいすらふたしかになっいくような,それでいてそこはかとなく寂寥感がただよいはじめる不思議な小説だった。そう,ひとくちで言ってしまえば,今福龍太が『薄墨色の文法』のなかで展開した世界を彷彿とさせるような,そんな作品だと思った。あるいは,記憶というものの危うさ,つまり,aであったともいえるし,bであったかもしれないし,そういうあやういものが入れ子状態になってもやもやとうごめいているようなもの,そういうもののちくせきが記憶というもののじったいなのだ,と主張しているような・・・・。そして,それが人生なのかも・・・・。というような印象をもった。おやおや,すでに,作者・黒田夏子の文体にかぶれはじめている自分が表出している。

 とにかく,わたしのとおい記憶のそこにうずもれてしまっていて,にどとよみがえってくることはなかろうと思われるような,そんなやみよにしずんでしまっていたふかくてとおい記憶が,このさくひんをよみながらつぎつぎに浮かんでくるから不思議だ。

 それをもっともらしくせつめいすれば,作者の黒田夏子とわたしは年齢が同じだから,というのがひとつある。そのほかにもいくつも似たようなところがあって,いちいちなっとくしてしまうので,どんどんかのじょの小説世界にひきこまれていく。それらについては,これから,たぶん,なんかいにもわけて書くことになるだろう。

 つまり,同世代として,おなじじだいやしゃかいのくうきをすって生きてきた。そうしていまをいきている。だから,作品のぎょうかんにしょうりゃくされてしまっているようなことがらまでが,このまかふしぎなしょうせつをよまされる者たちのひとりであるわたしには,そのきょをつくようにしてひょこひょことおもいだされてくることになる。ああ,もう,ほとんど黒田夏子菌にかんせんしてしまっている者たちのひとりになりきっている。

 この作品はみじかいフラグメントのような記憶をとりだしてきて,それをつぎからつぎへとつみかさねていく,そんなしゅほうで書かれている。だから,ほとんどなんのみゃくらくもないようにみえるが,ふかいところにながれている通奏ていおんの音はとだえることはない。そして,その音がしだいになりひびきだすかとおもうと,つぎのしゅんかんにはするりとかわされてしまう。つまり,たしかな記憶というものはどこにもそんざいしないのだ,とばかりに。そうして,かぎりなく「む」のせかいにわたしをいざなっていく。

 たとえば,3さい児が母の死をどのように記憶し,そのご,どのように回想するのか,というモチーフがひとつながれている。ほとんど,なにも記憶していない,とさしょに書く。しかし,いろいろの記憶をたどるうちに,じょじょにそのときのふんいきのようなものをおもだす,あるいは,おもいだしたつもりになっている。それでも母のデスマスクは記憶にないとだんげんする。にもかかわらず,このしょうせつのおわりのほうでは,かなりしょうさいに葬儀のひとつひとつのばめんがかいそうとしてきじゅつされている。しかも,それらの記憶もまた,のちに,しゅういのいろいろの人たちからのはなしをつなぎあわせて,じぶんになっとくできるものがたりをこうちくしたにすぎないのかもしれない,ともいう。けっきょく,たしかなものはどこにもそんざいしない,といっているような・・・・。

 あまりかんたんにだんげんしてしまうことはつつしまなければならないが,たしかなものなどどこにもない,ふたしかなじょうたいのままちゅうづりにされて,じかんだけが流れ去っている,というていねんににたような世界にいざなっていく。こうしてじぶんのなかのたしかだとおもっている記憶をたどっていくとそんなふたしかなものしかうかんでこない。それでも,そんなふたしかな記憶をてがかりにしながら,どこかにみずからのよってたつ「ね」をさがしもとめているようにもよみとれる。

 もう,すっかり過去をふりかえるなどというせいかつからとおざかってしまっている,あるいは,ふれようとしていない,あるいはまた,てっていてきにきひしてにげているだけかもしれない,げんざいのわたしには虚をつかれたような不思議なけいけんとなった。

 そのことを,もっともしょうちょうてきに表現しているのがこの作品のタイトルである『abさんご』ではないか,と考えている。このことは「その2.」で書いてみることにしよう。

 今日のところはここまで。

2013年2月18日月曜日

グレコローマン・スタイルって? ウムッ? 史実に反するものはやめよう。

 グレコローマン・スタイルは史実に反する,と恩師の岸野雄三先生からわたしの学生時代に教わったことがある。岸野先生の古代・中世体育史という授業だった。いまから55年前の話である。岸野先生はギリシア語・ラテン語を駆使して,原著に分け入り,とくに古代ギリシアのスポーツの研究者として異彩を放っていた。大学2年生の学生を前にして,英語・ドイツ語・フランス語・ギリシア語を多用しながらの授業は一種異様な雰囲気があった。わたしは,ただ目を丸くして,呆然としながらお話を聞いていた。ノートがとれないのである。

 そんな授業のなかで,ときおり,とてもわかりやすいお話をされた。その一つが,「レスリングのグレコローマン・スタイル」という競技は史実に反する,というものだった。そうして,ギリシア時代のレスリングの仕方について,じつに詳細に話してくださった。その根拠はこれだ,と言って示されたのが,のちに先生の手によって翻訳出版されることになるガーディナーの『古代ギリシア競技史』である。そして,古代ギリシアのレスリングも,古代ローマのレスリングも,あんな形式ではやっていない,まったくのでっち上げにすぎない,と力説された。

 わたしも先生の薫陶をつよく受けて,卒業論文では「オリンピック起源論」をテーマに選んだ。当時のドイツの雑誌「Olympisches Feuer 」(直訳すれば「オリンピックの火」,すなわち『聖火』)に連載されていたUlrich Popplovの論文(Zur Ursprung der Olympischen Spiele:オリンピック競技の起源について)を翻訳し,紹介しながら,それまでのオリンピック起源論を批判したものだった。それがきっかけとなって,研究者の道に迷い込み,こんにちに至っている。ご縁というものは不思議なものである。

 こんな個人的な経緯もあって,以前からグレコローマン・スタイルなどというレスリングの方法を,後生大事に伝承していることに大いに疑問をもっていた。このレスリングのスタイルは近代になって,クーベルタンの周辺にいた人たちが捏造したものにすぎない。それをこともあろうに,古代ギリシアのオリンピック競技会に範をとった近代オリンピック競技会で営々と引き継がれてきたのだ。しかも,テレビの解説では,かならずと言っていいほどに「古代ギリシアと古代ローマのレスリングを再現したものである」と,間違った説明までしてくれる。こうしてご丁寧に,間違いの再生産まで行われ,いまでは,これが捏造された競技種目であるという事実を知る人はほとんどいない。

 こうした,もっとも本質的な議論はかけらもみられないまま,グレコローマン・スタイルという競技を面白くみせるためのルール改正に血道をあげている。ならば,男女比のアンバランスはどうするのか。女子にもグレコローマン・スタイルを加えるとでもいうのだろうか。それは無理だろう。かと言って,男子にだけグレコローマン・スタイルを残すというのもスジがとおらない。

 ここはいっそのこと,歴史上,存在したことのない、近代の捏造品であるグレコローマン・スタイルを廃止すべきだろう。そし,古代ギリシアで行われていたレスリングはこういうものではなかった,ということを国際レスリング連盟の名のもとで認めるべきだろう。その上で,世界的に広く伝承されてきた,さまざまな形式のレスリングの基本は,いま行われている「フリー・スタイル」なのだ,ということを宣言してほしい。

 そうした手続を経た上で,レスリングは男女とも4種目,と定めたらいかがか。

 スポーツ史家を名乗るわたしとしては,ぜひ,このような改正をしていただきたい。そして,レスリングを中核競技からはずすなどという愚挙には走らないでほしい。レスリングは,走・跳・投とならぶ人類の誕生以来からつづくもっとも古い競技の一つなのだから。

 オリンピックの中核競技については,この際,徹底的にその存続理由をチェックすること,このことを再度,提案しておきたい。

2013年2月16日土曜日

フランスの柔道指導者の国家資格免許について。最新情報。

太極拳仲間の若い院生さんが,いま,フランスに留学していますので,少しだけ時間を割いて調べてほしいと依頼をしました。もちろん,フランスの柔道指導者の国家資格免許の制度が,具体的にどんな内容のものであるのかを調べてもらいました。その第一報の返信がもどってきましたので,その概要をお知らせします。

フランスでは,1955年に,柔道指導者の国家資格を法律で定めたのが最初で,1972年には,具体的な国家資格制度が整備されました。それがBEES(Brevet dEtat dEducateur Sportif)〔※フランス語のソフトが入っていませんので,アクサンテギューなどの記号が抜けています。お許しのほどを〕です。

そのBEESの内容は以下のとおりです。
BEES 1級・・・18歳以上で2段以上・・・教育・組織(編成),基礎体力づくり,スポーツ活動の運営,各県やクラブでの指導。
BEES 2級・・・BEES1級を取得してから2年以上,3段以上・・・管理職としての技術の改良教育や訓練計画,運営を行う,レジョン,インターレジョン,国家レベルでの指導。
BEES 3級・・・BEES2級を取得してら4年以上・・・鑑定や研究業務,ナショナルレベルや国際大会レベルの指導。

もちろん,これだけではまだわからないことがたくさんありますが,それでも,おおよその制度の概要はわかります。きちんと組織立った試験制度になっていると思います。

この制度は2011年12月31日までで,2012年1月1日からは,BEESを改訂した新しい国家資格免許(資格試験証明書)が発行されている,とのことです。その内容は以下のとおりです。
DE JEPS(Diplome dEtat de la jeunesse,de leducation populaire er du sport)⇒BEESのレベル1.に対応。
DES JEPS(Diplome dEtat superieur de la jeunesse,de leducation populaire et du sport)⇒BEESのレベル2.に対応。
※BEESのレベル3.はフランス柔道連盟のホームページに公開されていない,とのこと。

そこで,このDE JEPSの試験内容をみてみると,大きく二種類の試験があることがわかります。
 1.formatif(一般教養試験)
 2.certificatif(能力証明試験)
の二本立てになっています。

さらに,ホームページに公開されている certificatif の参考例としては以下のような内容が示されているとのこと。
 1.「教育計画」をテーマに30ページほどのペーパーを作成し,20分で発表,その後20分の面接試験。
 2.「クラブの発展計画」をテーマに30ぺーじほどのペーパーを作成し,20分の発表,その後20分の面接試験。
 3.1時間ら1時間半の会議形式のセッションを行って,その後,20分の面接試験。
 4.技術試験。解説をしながら攻撃と防御のデモンストレーションと型の実演を行う。
というものです。

これを見るかぎりでは,さまざまな「計画」についてペーパーを作成する能力,そして,プレゼンテーションの能力,そして口頭試問に対する応答能力が,かなり厳密にチェックされるシステムであるということがわかります。

これがBEES 1級に相当する試験だというわけです。だとすると,レベル2.やレベル3.の試験内容がどんなものなのかが知りたくなってきます。いま,調べてもらったかぎりでは,ホームページに掲載されている内容はここまでだそうです。たぶん,国家資格試験を受験する人のための手引き書のようなものがあるはずなので,それを手に入れるよう依頼がしてあります。

いま,一番知りたいのは「一般教養試験」のレベルです。かなりレベルの高い内容らしく,柔道指導者の社会的ステータスが高いのも,ここに根拠があるようです。つまり,教養人としての評価が定着しているというのです。たとえば,文学や思想・哲学などの試験が,それもかなりレベルの高いものが課されているようです。

もう少し精確な情報が入ってきましたら,また,紹介したいと思います。
いまの段階で,あまり踏み込んだ論評はしない方がいいと思いますので,今回はこの程度の紹介ということで終わりにしておきます。

これだけでも,いろいろと考えさせられるものが多々ありますので,みなさんも,いろいろと考えてみてください。ではまた,次回の柔道情報まで。

2013年2月15日金曜日

オリンピック実施競技の総点検を。

 オリンピックの実施競技は時代とともに変化する。1896年以来の近代オリンピックもすでに113年を経過している。だから,実施競技もめまぐるしく変化してきている。その間に議論されてきたことの中核は,競技人口(世界的な普及度)が主たる目安になっていた。それがいつのまにか論理のすり替えが行われ,商業主義に乗っ取られてしまっているかにみえる。

 IOCの理事会が検討すべきは実施競技の精選である。すでに,時代にそぐわなくなってしまったと思われる実施競技がまだまだたくさん残っている。そこに蛮勇をふるってメスを入れることだろう。その対象が,さしあたってレスリングであったというのなら,それはそれでおみごと。ならば,レスリングを除外した理由をIOC会長は世界に向けて公開すべきだろう。しかし,それができない。やはり,公開できない理由があるのだ。だから,話はややこしい。

 レスリングを除外するなら,その前に,近代五種,馬術,射撃,などを除外対象として検討すべきではないか。とりわけ,近代五種については,相当に深く踏み込んで議論すべきではないのか。もはや,ほとんど無用の長物になりはてているのではないかとわたしは考えている。

 そもそも近代五種は1912年(オリンピック・ストックホルム大会)に新しく加えられた競技である。それも,古代ギリシアの五種競技に代わる近代の五種競技を考案してほしいというクーベルタンの意向を受けて,スウェーデン軍隊が将校の斥候を想定してつくったものである。

 競技内容は,ひとりの競技者が,射撃(ピストル),水泳(300m,女子は200m),フェンシング(エペ),馬術(障害飛越),陸上(4000mクロスカントリー,女子は2000m)の五種目を行い,その総合得点を競うというもの。当初は,一日一種目ずつおこなっていたが,1996年のアトランタ大会からは,一日で全種目を行う。2000年シドニー大会より女子種目が加わった。驚くべきことに,1948年のロンドン大会までは将校にのみに参加資格が与えられていた。

 言ってしまえば,軍隊の将校用に考案された競技を,たとえ一般男女に開いたとしても,いまも実施しなければならないとする根拠はもはやほとんどない。なのに,なんの疑問もなく,いまも安泰である。なぜなら,近代五種の国際連合副会長がサマランチ・ジュニアだから。しかも,かれはIOC理事でもある。だから,近代五種を除外するという話が持ち上がっても,最後の投票では生き残ることになる。現に,今回もそのプロセスを経ている。

 しかし,考えるまでもなく,近代五種を競技として楽しめる人たちというのは,世界広しといえども,ほんの一握りの人たちだけだ。日本では,皆無に等しいだろう。こんなものが,どうどうと中核競技の,それも別格として扱われている。それと同じように,馬術,射撃も,これらをスポーツとして楽しむことのできる人が,この地球上にどれだけいるのだろうか。わたしには疑問だ。

 ちなみに,2012年のロンドン五輪で実施された競技は以下の26競技である。
 陸上,水泳,アーチェリー,バドミントン,カヌー,ホッケー,バスケットボール,ボクシング,自転車,馬術,近代五種,フェンシング,サッカー,体操,ハンドボール,柔道,卓球,ボート,セーリング,射撃,テコンドー,テニス,トライアスロン,バレーボール,重量挙げ,レスリング。

 これらの実施競技をじっと眺めているだけでも,レスリングを外すのであれば,この競技がさきだろう,という競技がみえてくる。

 2016年のリオデジャネイロ五輪では,この26競技に,ゴルフとラグビー7人制を加えた計28競技が実施されることになっている。

 ところが,2020年五輪では,レスリングを外した25競技にゴルフとラグビー7人制を加えた27競技が決定していて,残りの1枠をめぐって7競技がしのぎを削ることになっている。その7競技は以下のとおり。
 レスリング,野球・ソフトボール統合,空手,スカッシュ,ローラースポーツ,スポーツクランミング,武術,水上スキー(ウェークボード)。

 しかし,この投票も密室で決まる。なにが生き残るのか,まったく予断を許さない。なぜなら,生き残るための論理的整合性が明示されていないからだ。だから,声高に言われていることは「ロビー活動」だ。まさに政治の世界と同じだ。こういう政治力が問われているのだ。このこと自体がオリンピック憲章に違反する行為ではないか。

 IOC理事会は,もはや,そういう良識のコントロールの外に飛び出してしまっているのだ。最終的な決定力は「カネ」。拝金主義がまかりとおっている。どれだけロビーで「おみやげ」を渡すことができるか。地獄の沙汰もカネ次第という。そういうところに堕してしまったのだ,IOC理事会という組織が。

 もう,いっそのこと,オリンピックで実施競技となるための条件を洗いざらい明確にすること,そして,その条件を満たすデータを各競技ごとに公表すること,その上で,各専門家の意見を聴取すること,さらに国際社会で承認を得られるような基準を設けること,IOC理事会は,そこから出直すしかない,とわたしは考える。

 なんだか,どこもかしこも組織が疲弊してしまって,箍が緩みっぱなし。余命いくばくもない命を惰性に委ねているだけ・・・・そんなイメージが浮かんでくる。いまこそ,大英断をくだすことができるかどうか,わたしたちはいま大きな岐路に立たされている。

2013年2月14日木曜日

レスリングを中核競技から除外。IOC理事会,暴走す。

 貢ぎ物が足りない。少々,お灸をすえておこうか。あわてて,どれだけの貢ぎ物を送り届けてくるか,様子をみてやろうか。それによって,これからのことも考えようか。そんな「影」の声がリアルに聞こえてくる。

 IOC理事会が中核競技からレスリングを排除するという決定を知り,唖然としてしまった。そして,そのつぎの瞬間,「ああ,オリンピック・ムーブメントのミッションもとうとう終わったなぁ」という感慨がわたしの脳裏をよぎった。いよいよもって葬送行進曲のはじまりだ。

 これから,いわゆるスポーツ評論家諸氏の出番で,いろいろの議論が闘わされることになるのだろう。しかし,どこまでオリンピック・ムーブメントの本質に迫る議論が持ちあがることになるのか,お手並み拝見というところ。もちろん,ほとんど期待はしていないが・・・。

 そこで,現段階でのわたしの感想を述べておけば,以下のとおり。

 オリンピック競技の中核競技からレスリングを排除するというシナリオを,どこの国のだれが,なにゆえに,用意したのだろうか。要するに仕掛け人はだれだったのか。そして,その意図はなんだったのか,ということだ。

 いま,伝えられている情報によれば,IOC理事15人の投票によって決めたという。それも3回,投票をくり返して,徐々に対象をしぼり,最後に3競技種目のなかからレスリングが選ばれたという。しかも,最初の投票のときからずっととおして,レスリングはワースト・ナンバー1だったという。この一点からして,あからさまな仕掛けがあった,ということがわかる。

 レスリング排除の理由は,ロンドン大会のときの入場者数,チケットの販売数,競技人口,競技運営コスト,男女比のバランス(レスリングは男子14種目,女子は4種目),放映権料,などが勘案されたのだろう,と言われている(現段階で推測されているかぎりでは)。ここにちらつくのは,経済的合理主義の考え方である。オリンピック・ムーブメントの精神や,オリンピックの理想,などというものは,どこかにかき消えてしまっている。のみならず,レスリングが,ほんとうに他の競技種目に比べてワーストだと判断できる根拠があったとも思えない。だから,なにゆえにレスリングが?という疑問は払拭できない。

 さらに驚くべきことに,レスリング関係者が異口同音に吐いたことばは,「ロビー活動が足りなかった」「不用意だった」というものであった。ということは,危ないと予想されていた競技団体は,そうとうに周到な「ロビー活動」が行われてきた,ということだ。わけても,接戦を制した韓国のテコンドー関係者の「ロビー活動の成果だ」と大見得を切った発言が印象に残る。なるほど,と。

 というのも,テコンドーがソウル・オリンピックで正式競技種目に決定したとき,相当のカネが動いたという情報が流れたことを記憶しているからだ。当時,わたしは日本のテコンドー関係者との接点があり,かなり詳しい情報もえていた。そして,オリンピックの開催国とはいえ,新しい競技種目を正式競技種目に加えるには,相当の政治とカネの力が不可欠なのだと知った。

 こういう裏情報のようなことを言い出すと際限がなくなるので,やめにしておく。大切なことは,いろいろの「力学」が働くとしても,最終的決定権はIOC理事会にある,ということだ。つまり,ひとえにIOC理事の見識にかかっているということだ。

 そこで,今回の決定をくだしたIOC理事のメンバーを確認してみて驚いたことがいくつかあった。
 ひとつは,15人の理事のなかに,ギリシア,フランス,アメリカ,ロシア,イタリア,などという主要国からの理事は一人もいない,ということだ。アジアでいえば,中国,日本,韓国からの理事もいない。まことに不思議なメンバー構成になっていることだ。
 もう一つは,競技経験のない理事が二人もいるという事実だ。そのうちの一人は,なんと,前会長のサラマンチの「ジュニア」だ。競技歴もない,ただ親の七光だけでIOC理事に選出されているというこの事実は不可解である。

 以前から,IOC理事になるには,強い「ボス」を中心とした「仲良しクラブ」の一員になることが先決だと言われていた。はっきり言っておけば,前会長サラマンチを中心とした「仲良しクラブ」だ。この連中がIOC理事会の主導権を握っているということだ。だから,アメリカもフランスもロシアも中国も,対等にものを言う国の代表は排除されてしまう。

 ちなみに,IOC理事会メンバーの国籍と競技歴とを列挙しておくと以下のとおり。
 ベルギー(セーリング),シンガポール(セーリング),ドイツ(フェンシング),モロッコ(陸上),英国(バドミントン),オーストラリア(ボート),南アフリカ(水泳),スェーデン(なし),スペイン(なし),ウクライナ(陸上),グアテマラ(野球),台湾(バスケットボール),スイス(アイスホッケー),アイルランド(柔道),ドイツ(フェンシング)。

 この一覧を眺めているだけで,思い当たることはたくさんある。
 が,これ以上のことは,ここでは控えておこう。
 あとは,読者のみなさんの想像力におまかせしよう。

 3月4日にはIOCの評価委員会のメンバーが大挙して日本に視察にやってくる。東京都はすでにその応対のためのリハーサルに入って,本番に備えているという。さて,このときの「ロビー活動」の戦略と手土産やいかに・・・・。オリンピック招致はそれ次第。以前には,それで失敗している。こんどはそのリベンジだという。いやはや,とんだ珍道中が展開されることになりそうだ。とりわけ,報道の姿勢には注目していたい。

 IOC理事会に,もはや,的確な思考力も判断力もない,とわたしは考えている。
 おまけに,アメリカもロシアも中国も,かつてのようなオリンピックに寄せる情熱は消え失せてしまっている。もはや,どうでもいいのである。そういう国がこれから増えていくことだろう。

 その意味で,オリンピック・ムーブメントのミッションは終わった,と言っておこう。
 その理由についても,このブログでもおいおい書いていこうと思う。

2013年2月13日水曜日

「ユエンタンカイクア」ということについて(李自力老師語録・その27.)

 降雪が心配された今日(13日)の太極拳の稽古でしたが,朝方には止んで,快晴の青空が広がりました。その上に李自力老師が久しぶりに指導にきてくださいました。みんなの緊張感が高まります。李老師の鋭いまなざしのもとで,わたしたちもふるえながらも集中して,レベルの高い稽古ができました。

 今日の李老師の教えのひとつは「ユエンタンカイクア」(yuan dang kai kua)というものでした。わたしのパソコンの漢字ソフトがレベルが低いために漢字表記ができません。したがって,いささかややこしい話になってしまいますが,ことばで説明します。

 ユエンは円という漢字の古い書体,タンは衣偏に当の旧漢字,カイは開,クアはにくづき偏に誇という字の右側(旁)を組み合わせた文字。

 つぎはその意味について。ユエンタンは「ズボンの股の内側のまち」,カイクアは「腰の両側と股との間の部分」。つまり,どちらのことばも同じことを意味しています。つまり,同語反復(トートロジー)です。しかし,厳密にいうと微妙に意味が違います。でも,ここは同語ということにしておきます。そして,このあたり全体を表現している,と理解することにしましょう。

 さて,ここからが肝腎なところです。このユエンタンカイクアにボールをはさんで,股関節をゆるめながら,そのボールをベアリングのようにして腰を回転させなさい,と。この腰の回転の仕方を,イエマフントゥンのゴンブ(弓歩)のあとの体重移動,すなわち,体重を前足加重から後ろ足加重に移しながら腰を回転させる,このときに行いなさい,と。このときの腰の運動は単なる回転ではなくて,回転に体重移動がともなうので,腰全体はゆるやかな「円運動」になります,とおっしゃる。そして,その動きを,少しオーバーにするとこうなります,と言って李老師が実際に垂範してくださいます。それはそれはみごとなゆるやかで,粘り強い円運動になっていました。

 そして,さらに重要な指摘をしてくださいました。それは,腰の回転の軸足となる後ろ足を,やや外側に開きなさい,と。同時に,前足もやや外側に開きなさい,と。つまり,がに股の姿勢を経過させなさい,と。すると,腰の回転と体重移動がじつに滑らかになり,腰全体がゆるやかな円運動になり,しかも,粘り強さがでてきます。その上,膝の負担もなくなります,と。

 太極拳をやって膝を痛める人が多いのは,この運動を理解し,マスターできていないからです,と。指導者の中にも,このことがわかっていない人は少なくありません,とも。ですから,このユエンタンカイクアを徹底的に稽古して,ただ頭で理解するだけでなく,からだにしみ込ませなさい,と。そうすれば,膝を痛めることはありません,とも。

 この稽古をとおして気づいたことは,これまでの股関節をゆるめるということの理解が浅かった,ということでした。言ってしまえば,円運動ではなくて,直線的で角張った運動で処理していた,という次第です。じつは,このことはうっすらと気づいていました。李老師の動きが,わたしたちのそれとは似て非なるものだ,と。しかし,どこが,どのように違うのか,必死で観察するのですが,理解不能でした。しかし,今日の稽古で,なるほど,と合点。

 早速,事務所にきておさらいをやってみました。すると,股関節をゆるめて「滑らせる」イメージが,これまでとまったく違うことがわかってきました。そして,ユエンタンカイクアの部分にボールをはさんだ感覚で,その部分全体をベアリングのようにして,滑らせながら体重移動とともに腰を回すと,ゆるやかで粘り強い腰全体の円運動が生まれる,ということも頭では理解することができました。あとは,この感覚をからだにしみ込ませるまで稽古をすること。

 なんとなく,手のとどきそうなところに新たな光明をみた思いがします。これまで,わけもわからないまま,見よう見まねで稽古してきた段階から一歩,前に踏み出せた,そういう充足感が湧いてきました。李老師のお蔭です。

 太極拳は奥が深い,としみじみ思います。何年かけても「24式」を卒業することはないでしょう。気の遠くなるような話ですが,だからこそ,面白いのだと思います。この面白さが感じられる間は,太極拳から離れることはないと思います。いや,それどころか,いまの生活のリズムのなかでは欠かすことのできない至福の時もあります。大事にしなくては・・・とみずからに言い聞かせています。李老師,Nさん,Kさん,Sさん,ありがとうございます。こころから感謝しています。

2013年2月12日火曜日

西谷修さんが「山口香」論をブログで展開しています。必読です。

 いま話題の「女三四郎」山口香さんの言動について,西谷修さんが注目し,ご自身のブログでとても魅力的な「山口香」論を展開されています。ぜひ,ご覧ください。お薦めします。

 www:tufs.ac.jp/blog/ts/p/gsl/
 西谷修-Global Studies Laboratory
  女三四郎・山口香の大技「自立」のやまあらし

 もともとはフランス現代思想を中心に活躍してこられた西谷さんですが,すでに,よくご存じのように戦争論や世界史論といった広い視野に立つ秀逸な著書も多く,最近では沖縄問題や経済に関するシンポジウムを仕掛け,それらをまとめた本もつぎつぎに刊行されています。まだ,本にはなっていませんが,医療思想史やアメリカ立国論などの講義もされています。そのほかにも,絵画論,写真論,舞踊論などの分野でも,多くの評論をされています。

 もともとスポーツ好きの人で,学生時代は空手部に所属,いまはライダーであり,太極拳の名手でもあり,マラソン・レースはテレビで欠かさず楽しんでいらっしゃるようです。わたしは西谷さんの学生時代からの知己で,親しくさせていただいてきましたが,長い間,ずっと「青白きインテリ」だと思い込んでいました。ところが,一緒に太極拳の稽古をはじめるようになって,驚くことが多々ありました。

 その一つは,西谷さんの大胸筋の発達具合はただものではないという発見。ふだん,やや猫背ですので気づかなかったのですが,太極拳の稽古の折に姿勢を正して立つ姿はみごとです。大胸筋がみごとに盛り上がっています。しかも,それだけではありません。床の上で,両腕で支えての脚前挙ができるのです。いまも。これは驚きでした。いろいろお尋ねしてみますと,中学生のころには鉄棒が好きで,よく友達と一緒に遊んでいたとのこと。なるほど,と納得。

 いやはや,西谷さんは肉体派であり,かつては体育会にも所属していた立派なスポーツマンでした。その西谷さんが,今回の女子柔道の暴力問題に強い関心を寄せたとしてもなんの不思議もありません。むしろ,武道つながりということでいえば,必然です。そこに「山口香」という立役者の登場です。そして,山口さんのインタヴュー記事に真っ正面から反応しての,今回のブログです。あっという間に山口香情報を収集して,みごとな「批評」を展開していらっしゃいます。

 西谷さんの書かれたブログにコメントする立場にはありませんが,ひとことだけ,ワンポイントの感想を書いておきたいと思います。

 それは山口香さんの主張する「自律・自立」というキー・ワードを西谷さんもことのほか重視していらっしゃるということです。それは,ひとり柔道界やスポーツ界に向けての呼び掛けではなく,日本国民全体に向けて檄をとばしているのだ,と。強い風が吹くと,なんの考えもなしにその風に流されていく,現代日本人に向けての「檄」でもあるのだ,と。その強い風のなかにはさまざまな「暴力」が秘匿されていることにも気づかないで,あるいは,気づいても見て見ぬふりをして,なんの考えもなしに,ただ,流されていく圧倒的多数の日本人に向けての「檄」なのだ,と。このあたりのことを,西谷さん独特の言いまわしで,みごとに説明してくれています。

 これからは,「スポーツ批評」の分野でも,西谷さんに大いに発言していただきたいものだ,といまさらのように思います。

 いささか余分なことまで書いてしまって,あとで,西谷さんに叱られそうですが,これはわたしからの畏敬の念をこめての西谷さんへのエールのつもりです。

 ぜひとも,西谷さんのブログを読んでみてください。必読です。

「いま,柔道界で起きていることは日本社会の縮図そのものだ」(Nさん)。

 スポーツ界になにかスキャンダラスなできごとが起きると,すぐにマス・メディアが反応して,寄ってたかってその「異常性」を叩く。この傾向はもうずいぶんむかしからつづいている。しかし,わたし自身はそんなに異常なことだとは考えてこなかった。なぜなら,日本社会のあちこちで日常的に起きている不祥事と,本質的にはなんの違いもないことだ,と考えてきたからである。つまり,同根異花にすぎない,と。しかし,そのことを支持してくれる人はほとんどいなかった。

 もちろん,だからといってスポーツ界に起きている不祥事(最近は多すぎる)を容認するつもりは毛頭ない。社会でおきている不祥事と同じように,なんとかして根絶すべき問題だと考えている。ただ,スポーツ界の不祥事だけが特異現象のように扱われることに異を唱えているにすぎない。しかし,社会一般に起きている不祥事と,スポーツ界での不祥事は別問題だ,という指摘をこのブログへのコメントとして匿名さんからしばしばいただいている。とりわけ,原発問題とスポーツ界の問題とを「混同するな」という罵声にも似たコメントをいただくことが多い。

 しかし,よくよく考えた末のわたしなりの結論なので,そんなにかんたんに譲歩するわけにはいかない。つまり,よりよい社会を構築するために考え出された近代論理(自由,平等,自由競争,優勝劣敗主義,科学的合理主義・・・等々)を,一生懸命に追求し,実践してきた必然的結果が,残念ながら,こんにちわたしたちが目の前にしているこの社会なのだ。近代スポーツ競技もまた,その必然の産物のひとつにすぎない,と。

 このことを,ここ数年,講演を頼まれるさきざきで主張してきたのだが,あまり芳しい反応はない。もちろん,わたしの話し方にも問題があるのだろうが,どうも,それは別のことだろうという一般の認識の方が強いようである。だから,どうしても違和感を拭いきることができないままで,話は終わってしまう。

 このブログでも,これまで,何回も話題を変えてはこの問題について言及してきたつもりである。しかし,どうも,いま一つ,いい反応がみられない。寂しいかぎりであるが・・・・。

 ところが,である。今日(11日)の昼下がりに,嬉しい人から電話があった。太極拳の兄弟弟子のNさんからである。わたしの思想・哲学の師匠でもあるNさんから,山口香は素晴らしいねぇ,さすがに「女三四郎」だけあって切れ味抜群だねぇ,と。彼女の主張を全面的に支持したい,とも。

 話はここからはじまって,女子柔道界に起きているさまざまなことがらから,全日本柔道連盟のあり方,JOC理事の橋本聖子の言動批判,さらには,スポーツとはなにか,といった普遍につながる大問題にも話が展開し,いくつもの考えるヒントをいただいた。まことにもって嬉しいかぎりである。

 その中の一つが「いま,柔道界で起きていることは日本社会の縮図そのものだ」というNさんの指摘だった。そして,「だから,柔道界の問題を特異現象として歪曲化しないで,社会全般のあり方の問題として,その本質に斬り込んでいく必要がある」とも。わたしは嬉しかった。一瞬,涙が出そうになったが必死でこらえた。

 なぜなら,そんな感傷的な気分に浸っている猶予もなく,Nさんの口からつぎつぎに重要なことばが繰り出されてくるからだ。たとえば,「いま,スポーツの問題を考えることはとても重要なことなのだ」からはじまって,「スポーツのスペクタクルは現代人の規範構築にとてつもなく大きな役割をはたしている」とか,「前近代までは,その役割は宗教が担っていたのだが,宗教なき時代にあっては,スポーツがその肩代わりをしている」とか,「山口香は平成日本のジャンヌ・ダルクだ」「だから,いかようにも利用可能だ」「でも,ジャンヌ・ダルクに終わらないようにしないと・・・」という具合である。こうした,指摘の一つひとつが,わたしにはとても刺激的で,重く響いた。

 これらの指摘の一つひとつは,とても重要な問題をはらんでいる。しかも,奥が深い。いずれ,それら問題のわたしなりの受けとめ方については,このブログをとおしてしっかりと考えてみたいと思っている。

 これから当分の間は,スポーツ界のスキャンダルの話題がつづくことになるだろう。3月にはIOCの理事たちが,また,遠からず国際柔道連盟の調査団が,そして,秋にはオリンピック招致運動の決着がつく。だから,どうしてもスポーツに固有の問題として,いま起きている「暴力」の問題が矮小化される傾向がある。

 しかし,そうであってはならない。なぜなら,
 「いま,スポーツ界で起きている問題は日本社会の縮図」なのだから。そして,同時にそれは「世界を写しだす鏡でもある」のだから。つまり,いま,スポーツ界について考えることは世界を考えることなのだから。

 だから,いまこそ,「スポーツ批評」を立ち上げる絶好のチャンスでもある。それも,しっかりとした思想・哲学に支えられ,武装した骨太の「スポーツ批評」を。そして,これをこそ,わたしのこれからの仕事の重要な柱のひとつにしていかなくてはなるまい。

 こんなことを考えさせられた今日のNさんからの電話であった。感謝あるのみ。

2013年2月11日月曜日

「自律と自立を併せ持つ人間を」(山口香・『毎日新聞』)。

 2月10日(日)・11日(月),二日つづけて山口香さんのインタヴュー記事を『毎日新聞』が報じています。7日の『朝日』,9日の『読売』につづく『毎日』のインタヴュー記事です。これで三役揃い踏み,といった感じです。

 これらの報道をとおして,はからずも新聞社の姿勢というか,取材した記者の実力というか,そういうものが露呈したという点でとても面白い記事でした。ひとことだけ,わたしの感想を書いておけば,最初だったということもあってか,『朝日』の記事がもっとも鮮烈で強烈なインパクトがありました。ついで,『毎日』。ここは無難に,しかし,かなり踏み込んで山口さんの主張を受け止めている姿勢がつたわってきました。『読売』は,残念なことに,もうすでに記憶がない程度の内容でした。断っておきますが,これはあくまでもわたしの個人的な感想にすぎません。

 『朝日』の記事に関するわたしの感想は8日のブログに書いたとおりです。かつての「女三四郎」の面目躍如といった切れ味抜群の発言内容に,こころから賛同し,全面的に支持したいというわたしの意志表明をしたものでした。で,今日(11日)は,『毎日』のなかに取り上げられていた山口さんの発言内容に注目してみたいと思います。なかでも,つぎの発言に,わたしの考えていることと大いに共鳴・共振するものがありましたので,それを取り上げてみたいと思います。まずは,その部分の引用から。

 欧州ではスポーツで何を学んでいるかといえば,自律です。やらされるとか,指導者が見ている,見ていないとかではなく,ルールは自分の中にあります。ゴルフがいい例で,スコアはセルフジャッジ。ラグビーやテニスも近くに監督はいません。自律と自立を併せ持つ人づくりにスポーツが有用とされており,それこそ成熟したスポーツと言えます。

 この中での,とりわけ,「自律と自立を併せ持つ人づくりにスポーツが有用とされており,それこそ成熟したスポーツと言えます」のくだりが,わたしのこころにいたく響いてきました。

 理由はかんたんです。2月4日のブログ「スポーツ界は挙げて『スポーツ的自立人間』の育成をめざそう」に書いたとおりです。このときのブログに少しだけ補足をさせていただきますと,以下のとおりです。

 いまから35年ほど前に「スポーツ的自立人間」という考え方に行きついたとき,わたしは,最初のうちは「スポーツ的自律人間」ということばを用いていました。まずは,「みずからを律することのできる人間」をめざすべきだ,と考えての造語でした。しかし,なかなか周囲に浸透していきません。その理由は,「スポーツ的自律人間」と言ったときの具体的なイメージがつかみにくい,というところにありました。そこで,では「スポーツ的自立人間」ではどうかと提案してみましたところ,この方がわかりやすいということになり,以後,こちらを用いることにしました。

 しかし,精確にいえば,「自立」するためには,みずからを律するこころの力,すなわち「自律心」が不可欠の前提条件になります。ですから,わたしが「スポーツ的自立人間」と言うときには,「自律心」をもった「自立人間」という意味を籠めていました。

 このあたりのことを,山口さんはしっかりと認識していらっしゃって,「自律と自立を併せ持つ人間」という表現をされています。ですから,わたしはすっかり嬉しくなって,「この人はわかっている人だ」とこころのうちで快哉を叫びました。さすがは,「女三四郎」の異名をとるだけのことはある,と。ふつうのアスリートたちとはレベルが違う,と。みえている世界が違う,と。

 そうなんです。すぐれたトップ・アスリートは,やはり,ふつうのレベルをはるかに超えた世界に突き抜けています。その世界こそが,「自律と自立を併せ持つ人間」の世界です。スポーツの目的はここに到達することにある,と山口さんは断言しています(『朝日新聞』のインタヴューのなかで)。

 もちろん,トップ・アスリートでなくても,「自律と自立を併せ持つ人間」に到達しているアスリートもたくさんいます。この世界をスポーツをとおして経験し,体得した人間は,どの世界にいっても通用する,という次第です。

 これと同じことをドイツの哲学者ハンス・レンクも言っています。かれはみずからの著作の多くのところでこのことを強調しています。かれ自身もオリンピック・ローマ大会の折にボートの選手として金メダルを獲得するトップ・アスリートのひとりでした。のちに,哲学の道に進み,大成しました。

 山口さんのいう「自律と自立を併せ持つ人間」を,そして,わたしのことばで言えば「スポーツ的自立人間」を,こういう人間の育成を目的とするスポーツ文化の確立に,いまこそ,舵を切るときではないか,と声を大にして言っておきたいと思います。

 わたしが5年前に設立した「21世紀スポーツ文化研究所」は,この「スポーツ的自立人間」の育成をめざす,新しい,「21世紀のスポーツ文化」の確立をめざしたいと考えています。ご支援のほどをよろしくお願いいたします。

2013年2月9日土曜日

柔道の指導者資格に国家試験(フランス)。

 フランスの柔道人気はとても高い,と聞いている。こどもたちなどは,日本人をみると「柔道ができるか」と聞くそうだ。「できるよ」と答えるととたんに尊敬される,という。

 わたしの経験では,アメリカでは空手だった。住んでいたアパートの近くの顔なじみになったこどもたちが,最初にわたしに声をかけてきたことは「空手ができるか」というものだった。「できない」というと失望の色を隠さなかった。あれっ?と思ったので「柔道ならできるよ」というと,一度に尊敬のまなざしに変わった。そのうちの何人かのこどもたちは親とも仲良しになったので,その家の芝生で柔道の初歩を教えたりした。教えたのはもっぱら「受け身」。「受け身」の上手な子でないと柔道は強くなれない,と教えた。子どもたちは真剣そのもの。親も興味津々。

 さて,フランスに柔道を伝えたのは講道館の門人たちである。その歴史は古い。かれらは徹底して嘉納治五郎の精神を説き,柔道の技を教えたという。立ち居振る舞い,礼儀作法,精力善用,自他共栄,等々。柔道は相手があってはじめて成立する。相手のお蔭で自己が存在し,柔道が成立する。その関係性を大事にすることが柔道の基本である。そのむかしに読んだ本の記憶を思い出しながら,この文章を書いている。

 フランスの柔道は,はじめにインテリ層に広まっていったらしい。そのため,柔道のもつ精神性に強い関心が向かい,東洋的なオリエンタリズムの助けもあって,じわじわと一般の人びとの間にも普及していった。

 毎日締める帯の色で区別する段級制度はとてもわかりやすかったようで,みんな一生懸命に昇段試験に挑戦したという。やがて指導者になりたいという人間が現れる。そのときの日本人指導者が,柔道は強いだけでは指導者にはなれない,と教えた。指導者は,高い教養と立派な人格者でなければならない,と。そうして,柔道指導者となるための試験制度が少しずつ整備されていったという。それがこんにちの国家試験につながっている,と。

 フランスでは,柔道の指導者になるには国家試験を受けて合格しなければならない。その試験はとてもむつかしくて,相当のインテリでもなかなか受からないという。なぜなら,段位は少し頑張ればなんとかなるが,教養の試験はかなりの広範囲にわたるからだ。しかも,柔道の指導者は一般の生活人の範となるレベルが求められている。さらに,指導法の巧拙が問われるからだ。指導法は,まずは,子どもたちに好かれ,信頼される人格者であるかどうか,その上で,子どもの興味・関心を上手に引き出せるかどうかが問われる,という。

 こうして,柔道指導者は国家試験をパスしてその資格をもつだけで,社会的ステータスが保証されるという。だから,柔道が好きになった人は,将来指導者になるかどうかは別にして,とりあえずは指導者資格取得をめざすそうである。こうして柔道の指導者資格をもった人たちが,いまも,増えつづけているという。

 こういう人たちが,道場に通ってくる柔道愛好家や子どもたちを指導し,あるいは,学校に派遣されて,子どもたちに柔道を教えている,という。だから,子どもたちはみんな一度は柔道に憧れる,という。しかも,柔道による事故はゼロ。日本では100人を越す死者がでている,という。もちろん,フランスでは,柔道指導者による体罰もなければ,暴力もない,パワハラもない。もし,そんなことをしたら社会的な信頼を失い,生きていくことすらままならなくなるという。

 柔道の本家であるはずの日本が率先垂範しなくてはならないことを,柔道移入国のフランスが行っている。全日本柔道連盟は,まずは,こういうところから手をつけていかなくてはならないのだろうと思う。柔道を必修化すればいいという問題ではない。柔道指導者としての資格のない先生が短期間の講習を受けて,にわかづくりの柔道の指導者で間に合わせていること自体が奇怪しい。その奇怪しさを文部科学省は目を瞑って,見て見ないふりをしている。いま,まさに向き合っているこの柔道指導者の不足をどのように解消していくのか,そこからはじめなくては。

 まずは,隗より始めよ,という。
 全日本柔道連盟の理事のみなさん。フランスの国家試験を受験することからはじめてみてはいかがですか。そして,それに合格した人のなかから監督・コーチを選んだらどうですか。そのくらいの思いきった改革でもしないかぎり,15人の「自立」した選手たちの要望に答えることにはならない。厳しいが,一度は通過しなくてはならない,きわめて重要な課題である。

 それくらいの勇気と決断をなしうる力量が,いま,全日本柔道連盟に問われている。

2013年2月8日金曜日

女子柔道・山口香さんの覚悟(朝日新聞インタヴュー記事)を全面的に支持。

 この前のブログ(女子柔道「悩み聞くシステムの導入を」(山口香)。そんな問題ではない)を読んでくれたある出版社の編集者から,個人的にメールをいただきました。それは,山口香さんの朝日新聞のインタヴュー記事を読んだか,というご指摘でした。

 わたしは「アッ」と思わず声を出してしまいました。少なくとも,大手3紙の記事くらいは確認してから書くべきでした。大急ぎで,インターネットでその情報を確認しました。とても立派な記事になっていて,読んでいて感動しました。山口さんがとてもしっかりした思考のできる人だと知ったからです。その意味では,わたしのブログは「勇み足」でした。

 朝日新聞のインタヴュー記事の詳しいことは割愛させていただきますが,わたしが同意する山口さんの発言のポイントは三つ。
 ひとつは,選手たちが「これは奇怪しい」と「気づいた」ことに山口さんは注目したこと。
 ふたつめは,「気づき」から告発へという行動にでる決意をしたとき,選手たちは「自立」への第一歩を踏み出した,という指摘です。しかも,これこそが嘉納治五郎の教えに則する行動なのだ,という指摘です。
 みっつめは,こうした選手たちから相談を受け,それを支持し,彼女たちのために全面的に「矢面」に立とうと決意した,ということです。

 これは日本のスポーツ史に残る画期的なことだ,とわたしは考えました。あるいは,女性スポーツの黎明期ではないか,と。もっと言ってしまえば,これはある意味で,立派な「クーデター」ではないか,と。

 つまり,女性スポーツは,これまでの男性中心の近代スポーツにあっては,副次的なもの,付け足し程度にしか扱われてきませんでした。しかし,最近になって,これではいけないという主張が,女性のスポーツ研究者の間からでてくるようになりました。が,まだまだ,無視されがちでした。そこに,今回の15人の女子柔道の,日本を代表する選手たちの決意と行動です。これは全日本柔道連盟を震撼させるできごととなりました。

 しかし,このできごとは,まだ,その端緒についたばかりです。その背景には,二重・三重の複雑な権力闘争が隠されているようにわたしは思えます。ですから,山口さんはそのことを十分に承知した上で「全面的に矢面に立つ」という決意をし,そのように発言しているのだと思います。今回の事態の全貌がまだわからないわたしの立場からは,山口さんの決意の真相・深層までは理解できませんが,それでもこの問題はただごとでは済まされないきわめて重大な問題をふくんでいることくらいは理解できます。

 たとえば,いまは政治家になった谷亮子さん(わたしの教え子でもありますが)が,柔道家としてこんごどのような発言をし,行動するのか,わたしは大いに注目しています。チャンスがあれば直接会って話を聞いてみたいと思っています。それから,スケート出身の橋本聖子さん。この人がどのような言動をとるのか。そして,その他のスポーツ出身の議員さんたちの言動にも注目したいと思います。

 なぜなら,3月にはIOC委員が来日します。これは予定されたスケジュールで,オリンピック招致に向けて東京がどのように準備を進めているかの現地調査です。当然のことながら,この騒動にも大きな関心を寄せていることは間違いありません。となると,柔道やスポーツの固有の議論では済まされなくなります。もっと大きな,政治的な力学がはたらくことになります。そのとき,スポーツ議員さんたちはどのような言動をとるのか,これはただごとでは済まされません。

 わたしが危惧するのは,いつもの手口「隠蔽体質」の作動です。

 そんなことも当然,視野のうちに入れた上で,山口香さんは女子柔道の「自立」のために「全面的に矢面に立つ」という覚悟を決めたという次第です。そして,なにがなんでも女性スポーツの「自立」のために,そして,女子柔道の「自立」のために全力をつくすという覚悟です。なんとして「隠蔽体質」を打破して,公明正大な体質へと,つぎなる選手たちのための道を切り開く,という覚悟が伝わってきます。ですから,わたしとしては,ここはなにがあっても山口香さんを支援していかなくてはならない,と覚悟を決めました。

 「スポーツ的自立人間」を,ひとりでも多く育成していくこと,これがわたしの長年の研究者としてのコンセプトであります。「21世紀スポーツ文化研究所」(ISC・21)を立ち上げたのも,「スポーツ的自立人間」の考え方を広めていくためでした。

 いま,ここに山口香さんという「自立」を目指す同志を知り,これを支援しないという手はありません。いまは山口さんは渦中の人でたいへんだと思いますが,わたしのこの志をなんらかの方法で伝えたいものです。

 とりあえず,前回のブログの訂正と補足まで。
 そして,山口香さんにこころからのエールを送ります。

女子柔道「悩み聞くシステムの導入を」(山口香)。そんな問題ではない。

 かつて「女三四郎」と異名をとった女子柔道の世界の女王,山口香さん(48歳)。現在は筑波大学で教鞭をとるかたわら,日本オリンピック委員会の女性スポーツ専門部会会長をつとめている。『女子柔道の歴史と可能性』という著書もある。

 その山口香さんが女性スポーツ専門部会の会議後に記者たちの取材に応じて,「選手たちの悩みや意見を吸い上げるシステムを迅速に構築する必要性」を訴えたという。この記事を読んで,わたしは唖然としてしまった。これでは,斎藤美奈子さんのいうとおり「隠蔽体質」から抜け出すことはできない,同じ穴の狢(むじな)そのものではないか。

 選手たちを悩ませたり,恐怖に陥れたりするような「指導」が行われているということ,そのことの異常性こそが問われているのに,そこには目が向かない。それも,オリンピック代表選手をめざす日本のトップクラスの選手たちばかりを集めた場の,最高の「指導」が行われなくてはならない現場での話だ。言ってみれば,オリンピック候補選手たちの最終段階の,ブラッシュ・アップするための,仕上げの場での「指導」だ。その最高の場で,選手たちを「悩ませ,恐怖に陥れ」ていることの,とんでもない実態には目を向けようとしていない。

 言ってみれば,同業者仲間の庇い合い体質が剥き出しだ。「見て見ぬふりをしている」か,あるいは,そういう「指導」が常態化しているために「気づかない」のか。

 名選手,かならずしも名監督ならず,という名言がある。名選手が名監督になるには,選手としての実績に+αが必要なのだ。プロ野球の監督は,シーズン・オフのキャンプをとおして選手たちを鍛え,チーム・ワークを構築していく。このプロセスもオープンにされている。密室で行われるのは「ミーティング」くらいのものだろう。あとは,何万人という大観衆の前で試合をし,その采配ぶりが,試合ごとにチェックされ,評価されていく。そうして厳しい淘汰を経て,名監督として名を残す人はほんの一握りの人になる。

 女子柔道のトップ選手たちを集めての,最終段階での「指導」は,かなり異質なものにみえる。第一,選手たちはそれぞれの指導者のもとで育ち,全日本のトップ選手として活躍できるところまで登りつめてきている。その育ての親ともいうべき指導者の手を離れたところで,まったく新たな別の指導者のもとに委ねられる。選手たちは,大きな夢や憧れと同時に大きな不安もかかえて,全日本の合宿練習にやってくるはずである。

 そこで待っていたものが,一方的で過剰な狂った愛,すなわち,地獄のようなしごきだったとなれば・・・・・。

 全日本の監督を選出し,それを引き受けさせるということが,どういうことなのか,全日本柔道連盟の幹部たちがわかっていない。園田監督にどれだけの指導実績があったというのか,あの年齢からは想像もつかない。そして,各選手たちを育ててきた各監督さんたちから,どれほどの信頼をされていたのか。園田監督の指導は公開されていたのか。それとも密室だったのか。監督選出のプロセスを透明化すること,練習を公開すること(少なくとも,選手を送り込んだ各監督さんや部員,そして,肉親,友人には),などなど。反省点は山ほどあるはずだ。

 その上で,ほんとうに人間的に信頼できる人に監督になってもらいたい。15人の選手たちが訴えていることは,そういうことではないのか。そのための「システム」をしっかりと構築することが求められている,とわたしは考えるのだが・・・・。

 「選手たちの悩みを聞くシステムの導入」は,これまでの指導体制はそのままで,選手たちの苦情を聞いてやろう,それでいいだろうというように聞こえる。それは,やはり隠蔽体質そのものでしかない。そこにメスを入れること。

 もっとも,いま,わたしたちにわかっていることは氷山の一角でしかないように思う。理事会内部の熾烈な派閥争いもちらほらと聞こえてくる。国際柔道連盟に,柔道の本家である日本から,たったひとりの理事も送り込めないという惨状もまた,もうひとつの隠された大問題である。全日本柔道連盟が抱え込んでいる問題の全容が明らかになるのは,まだまだ遠いさきのようだ。その前になんとか「まるく収めよう」という力学ばかりが先行する。

 山口香さん。「まるく収めよう」という力学を打破すること,JOCの女性スポーツ専門部会会長としての仕事はそこからはじまることを銘記しておいてほしい。

 3月にはIOC委員たちが日本のオリンピック招致に関する準備段階について調査にやってくる。それへの「影響が懸念」されるなどというケチな考え方をも打破すること。女子柔道の未来のために。ひいては日本柔道の未来のために。

女子柔道のパワハラ告発についての斎藤美奈子さんのコラムがみごと。

 2月6日(水)の東京新聞・本音のコラムに文芸評論家の斎藤美奈子さんがみごとなコメントを寄せている。この人の文芸評論は,一種独特の視点があって,わたしは以前から注目して読んできた隠れファンのひとり。その斎藤さんが,女子柔道の今回の告発問題について,じつに的確な評論をしていて,やはりさすがだなぁと感心している。

 このコラムは短い文章なので,そのまま,紹介してみたい。そして,熟読玩味の上,みなさんのご意見も聞いてみたい。斎藤さんの文章は以下のとおり。

 女子柔道の日本代表選手が監督のパワハラを告発した件で,東京五輪招致への「影響が懸念」されているという。
 関係各位は火消しに躍起だ。下村博文文部科学相は「IOCの現地調査が入る来月までに信頼回復に努めよ」と指示。JOCは「スポーツ現場から暴力を一掃する」との緊急声明を発表。猪瀬直樹東京都知事は「非常に不愉快」だが,「全体への影響はない」と懸念を振り払った。
 しかし「影響が懸念」って何だろう。日本では不祥事が発覚するたびに組織の隠蔽体質が問題になる。もみ消しが横行するのは「影響が懸念」されるためである。
 一月,ロンドンを訪れた猪瀬知事は「東京の放射線数値は平常値」などと述べ,安全性をPRした。が,東京電力福島第一原発の事故は収束しておらず,日本は脱原発へのかじも切れていない。加えてこのパワハラ事件である。それでも安全だ,暴力は一掃する,で押し切るのは隠蔽以外の何物でもない。
 原発事故もパワハラ問題も解決には長い時間がかかる。小手先の手当てで済む話ではない。東京都はこの際,立候補を取り下げてはどうか。
 「影響が懸念」とはそもそも外づら重視の思想である。本気で選手を案じ,信頼回復を目指すなら内側の立て直しが先。足元の火事を放置して,わが家にお客を呼べると思う?」

 このわずかなコラムの枠のなかに,これ以上のメッセージを盛り込むことは不可能と思われるほど,コンパクトにみごとに問題の本質を暴き出している。コラムを書くお手本のようなみごとさである。しかも,スポーツの専門家ではなく,名うての文芸評論家のまなざしを全開させて,問題の所在のど真ん中に踏み込んでいる。

 この斎藤美奈子さんのコラムを全日本柔道連盟の幹部の人たちはどのように読みとるのだろうか。そして,どのような対策をとろうとするのだろうか。いまのところ見えていることは,残念ながら,必死の「もみ消し」しかない。

 「外部調査委 設置へ」「暴力問題 来月にも再発防止策」(全柔連),「悩み聞くシステムを」(山口香),などという見出しが新聞紙上に躍っている。なんだか「いつかきた道」にそっくりだ。いや,「いつも来る道」そのものではないか。大相撲問題,原発問題,東京電力問題,体罰問題,家庭内DV問題・・・・等々,枚挙にいとまがない。

 斎藤さんが主張していることは,世の中,なにか起きるとすぐに「もみ消し」に躍起になる体質のこと。そして,トカゲの尻尾切りでことを片づけようとする体質。ここに日本社会がかかえこんでいる重大な病根のひとつが潜んでいるということだ。

 このことを全日本柔道連盟の幹部の人たちは,どこまで「自分たちの問題」として理解しているか,それが問われているのだ。

 この際,15人の勇気ある選手たちの声が無駄にならないよう祈りたい。そして,これからも柔道界をよくするために,ねばり強く主張を展開してほしい。この人たちもまた「スポーツ的自立人間」への第一歩を踏み出した,柔道界の魁として,これからも支援していきたいと思う。

2013年2月7日木曜日

尖閣諸島を「棚上げ」状態に戻せ。戦争を回避し,日中友好を深めるために。

戦争だけは絶対にやってはいけない。
こんなことはだれだってわかっている。
第一,日本は戦争を放棄した国ではないか。
なのに,いまにも戦争がはじまりそうな報道が飛び交っている。
尖閣諸島沖ではすでに一触即発の状態になっているという。

その上で,日本政府はその非を中国にあり,と主張する。
日本のメディアは,なんの疑問をいだくこともなく,そのまま「右へならえ」をする。
そうして,日本国民の圧倒的多数が「中国はけしからん」と刷り込まれていく。

尖閣諸島を日本政府が一方的に「国有化」してから,ずっと,この論調がつづく。
それに対して,「国有化」は間違っている,「棚上げ」にもどすべきだ,と発言すると「国賊」扱いにされてしまう。だから,いつのまにかだれも「棚上げ」を言う人がいなくなってしまった。いや,じつは,「棚上げ」にもどさなくてはいけないと主張する何人もの有識者はいるのだが,ほとんどのメディアは取り上げようともしない。

だから,圧倒的多数の日本人は,日中間に尖閣諸島「棚上げ」という約束があったことすら,すでに忘れてしまっている。あるいは,知っていても「知らぬふり」をしている。

日中国交回復後のこの「40年」間は,尖閣諸島「棚上げ」という約束を,日中ともに守ってきた。そして,「40周年記念」を祝う式典」や各種のイベントが準備されていた。日中両国ともに「40周年」を祝福することを楽しみにしていた。そして,一部のイベントは開催されてもいる(準備万端ととのってしまって,引くに引けなくなってしまったからだ:『日中国交正常化40周年・特別展 中国王朝の至宝』,東京国立博物館,ほか。4月7日まで神戸市立博物館で開催)。

これをぶち壊したのがイシハラ君だ。突然,東京都が民間所有者から尖閣諸島を買い取るといいだした。それに驚いた当時の首相のノダ君があわてて,それなら国が購入し,「国有化」すると宣言し,中国とはなんの相談もなしに,一方的に「日本固有の領土」にしてしまった。

中国からすれば,約束を反故にされ,「だまし討ち」に会ったようなものだ。
尖閣諸島の領有権についてはしばらく「棚上げ」にしておこう,それでも日本の「実効支配」は認めよう,という中国側のかなりの譲歩のもとで成立した「40年」前からの約束が,一瞬にして消えてしまったのだ。つまり,日本は,一方的に約束を破棄して,自分たちの領土にしてしまったのだ。国と国との関係のもとで,日本はこういうことをやってしまったのだ,という認識が欠落している。

こんなことをされて黙っているわけにはいかない,これが中国の立場だ。だから,あの手この手で日本に揺さぶりをかけてくる。その手はますますエスカレートしてくる。日本側になんの反省もないし,外交努力も怠っている。当然のことではないか。

その中国を「悪者」扱いにして,日本国民の関心を尖閣諸島に引きつけておいて,そのドサクサ紛れに,経済発展というエサをばらまきながら,憲法改正(改悪),再軍備(膨大な予算の確保),オスプレイの沖縄配備(追加),米軍基地の沖縄県内移転,原子力ムラの復権(原発推進)・・・・等々の恐るべき方向にまっしぐら。それに対して真っ向から異を唱える政治家も見当たらない。いったい,いまどきの政治家はなにをしているというのか。だから,マス・メディアをとおしての,まともな議論もわき起こらない。テレビのゴールデン・タイムは相も変わらず「バカ番組」だらけ。日本国民総白痴化のためにみごとな貢献をしている。いったい,この国はどうなってしまったというのだろうか。

このまま放置しておいたら,尖閣諸島をめぐる問題はますます悪化の一途をたどることになる。レーダー照射だけの話では収まらなくなってくる可能性が大だ。

これからの日本の行く末を考えたときに,隣国の一番大切な国・中国と,こんな馬鹿げたことで対立するメリットはなにもない。一刻も早く「固有の領土」論から「棚上げ」論に立ち返って,しばらくの間は「凍結」すると宣言すべきだ。そして,両国の友好関係を深めていくことが先決ではないか。

よく知られているように,ピンポン外交が日中間の冷えきった関係の突破口となったことを,日中両国ともに記憶している。それがきっかけとなって「日中国交正常化」が一気に進展した。

もう一度,「棚上げ」論から出直すこと。このことをあえて主張しておきたい。

「国賊」と言われようが,なんと言われようが,わたしはこの国に住みたい。住みたいからこそ,隣国とはできるだけ仲良くしたい。ただ,それだけのことだ。なにゆえに,「40年」間,守りつづけてきた約束ごとである「棚上げ」論を,いま,この時点で,一方的に破棄して「固有の領土」にしなくてはならないのか,その理由がわからない。そして,なにゆえに,これほどのリスクを背負ってでも日本という国のメンツを立てていかなければならないのか,わたしには理解不能である。

どなたか,わかりやすく,的確に説明していただけたら,とてもありがたいのだが・・・・。

2013年2月5日火曜日

「スポーツ的自立人間」のパイオニア,マラソンの川内優輝さんにこころから敬意を表します。

 「ぼくが尊敬するのは,家庭も仕事も大事にする市民ランナーです」と,川内優輝さんは断言しています。おみごと。こころの底から「おみごと」だと敬意を表したいと思います。なぜ,おみごとなのか,少し考えてみたいと思います。

 「市民ランナー」ということばが,川内さんの活躍とインタヴュー記事をとおして,新たな意味を帯びて,ますます輝きを増してきているように思います。わたしの記憶では,ジョギング・ブームが起きたころ,ジョギング出身の,一般市民がマラソン競技に参加しはじめたころから「市民ランナー」ということばが使われるようになりました。いわば,素人さんなのに偉いねぇ,というある種「上から目線」がありました。それは,いまでも基本的には変わりません。ですから,川内選手が活躍すると「市民ランナー」なのに偉い,立派だ,ということになります。

 しかし,それはちょっと違うのではないか,とわたしは考えています。
 なぜなら,マラソン・ランナーというものは,大学や企業の陸上競技部で,いわゆる科学的で専門的なトレーニングや指導を受けた人でなければなれないもの,という世間の通念ができあがっていて,それ以外の人は除外されている,という認識の仕方が間違っていると考えるからです。つまり,そこを通過しないで,自分で勝手に走っている素人さんの出る幕ではない,という暗黙の了解事項のようなものが前提となっている,そのことに異を唱えたいからです。

 たとえば,川内選手が活躍しはじめたころの日本陸上競技連盟の対応は,どこかぎくしゃくしていたことを記憶しています。記憶に新しいところでは,昨年のオリンピック代表選手選考にあたっての,日本陸上競技連盟の狼狽ぶりがありました。そして,結局は,代表選手からはずされてしまいました。あれだけの実績があるのに,なぜ? というのがわたしの実感でした。

 そのからくりは簡単です。単純に言ってしまえば,川内選手を支持する理事がいなかったということです。理事とは,それぞれの大学や企業のチームを率いている監督・コーチ,あるいは,そのOBたちで構成されています。ですから,川内選手は孤立無援だったわけです。言ってしまえば無視されてしまったということです。それでも,川内選手は「記録が悪かったのだから仕方がない。また,頑張ります」と,まことに潔かった印象があります。

 そんなことは百も承知です,と言わぬばかりのみごとなものでした。この人には「走る哲学がある」と感じました。これだ。これが,これまでのランナーには欠けていた,と。もちろん,これまでのマラソン・ランナーに「走る哲学」がなかったとはいいません。しかし,次元が異なります。たったひとりで,孤立無援のなかで,みずからの「走る哲学」を貫きとおして,その結果については一切コメントはしないという姿勢はただごとではありません。

 もう少し踏み込んで考えてみましょう。たとえば,公式のマラソン・レースに参加するには,どこかのクラブに所属し,日本陸上競技連盟の会員登録をしなければなりません。個人で登録することは,制度的にまったく考えられていませんでした。そんなことはありえないこととして無視されてきました。つまり,理事といわれる人たちがとおってきた道しか念頭にはなかったということです。それが当たり前と考えられてきました。ですから,それ以外の道からやってきた選手,つまり,異端者は排除されるという力学がはたらきます。

 つまり,マラソン・ランナーにかぎらず,トップ・アスリートというものは,優れた指導者によって育成されるものだという,一種の信仰のようなものが,現代社会でも支配しています。すなわち,科学的で,合理的で,専門的な指導を受けなければトップ・アスリートにはなれない,という信仰です。そのためには大学を卒業したら,レベルの高い,どこかの企業クラブに所属して,さらに専門的な指導を受けることが不可欠である,とみんな考えています。

 しかし,そこに大きな落とし穴が待ち受けている,ということに多くの人びとは気づいていません。ですから,選手たちはいつまで経っても「自立」しません。監督・コーチからの指導・助言にもとづいて,黙々と努力することになります。これが間違っているとは思ってもいません。むしろ,その方がいいと信じている選手たちが圧倒的多数を占めています。しかし,すべての選手たちをこのパターンにはめ込んでしまう,こんにちのこのシステムはそろそろ見直さなくてはならないのではないか,とわたしは考えています。

 今回の女子柔道でおきた園田監督辞任問題は,このケースの最悪の事態が起きていたということなのでしょう。ですから,もっともっと根の深いところまで見直さないかぎりは,女子選手15名の提起した問題が解決したことにはならないでしょう。それにしても,意を決して異議申立をした15名の女子柔道の選手たちには,こころからの拍手を送りたいと思います。この選手たちもまた,「自立」への第一歩を踏み出している,と考えるからです。

 話をもとにもどします。
 わたしはトップ・アスリートである前に,まずは,立派な「人間」,立派な「市民」であることが不可欠である(成年の場合)と考えています。トップ・アスリートだから,世間の常識が欠けていてもある程度は仕方がないのだ,という甘い考え方がどこかにあります。しかし,それは基本的なところで間違っているとわたしは考えています。

 いかなるスポーツであれ,柔道であれ,その道を極めるということは,最終的にはひとりの人間として「自立」すること,それもふつうの道をとおってきた人とは,一味もふた味も違う,味のある人間として「自立」することだ,というのがわたしの考えです。

 「スポーツ的自立人間」ということばは,このような意味を籠めて,わたしが創作したものです。

 その意味で,マラソンの川内優輝さんは,わたしの考える「スポーツ的自立人間」のパイオニアです。ですから,こころからの敬意を表したいと思います。

 科学的合理主義も自分で納得できることは取り入れる。しかし,それだけではない,という強い信念のようなものを,わたしは川内さんから感じます。人間は非合理な存在なのだ。そのことをしっかり認識した上で,みずからの「からだの声」に耳を傾けながら,日々,どのような練習をすべきか,どのタイミングでレースに出場するか,などなどをトータルに考えるランナー。いかなるものにも束縛されることなく,ひたすら自己と向き合いながら走るランナー。

 試合もまた練習の一環と位置づけ,目標を遠いところにしっかりとセットし,日々,走りつづけるランナー。だれからも干渉されることなく,みずからの信念を貫くランナー。これが「市民ランナー」の真の姿だと川内さんは信じているように思います。

 このように考えてきますと,逆に,企業に抱えられたランナーたちがみじめにみえてきてしまいます。ある一定の「しばり」のなかでの競技生活を送るしかありません。真に自由で,スポーツ的に自立している人間は,間違いなく「市民ランナー」の方です。

 川内優輝さんは,いろいろのことがらに絡め捕られている企業ランナーとは異なる,真の「スポーツ的自立人間」の理想を追求するパイオニアです。しかも,上から目線でみられる「市民ランナー」の位置を逆転させて,これこそが「自立」したランナーの真の姿なのだ,ということを周知させることに大きな貢献をしています。

 経済的な不安のない企業ランナーであるよりは,こころの豊さを求める「市民ランナー」の道を選んだ川内さんに,21世紀の新しいスポーツ文化の可能性をみる思いがします。

 そういうことも全部含めて,万感の思いを籠めて,川内優輝さんにこころからの敬意を表します。ありがとう。新しい21世紀のスポーツ文化の創造に向けて,これからも頑張ってください。こころから応援しています。

2013年2月4日月曜日

スポーツ界を挙げて「スポーツ的自立人間」の育成をめざそう。

 連日のように,スポーツ界の醜聞がつぎからつぎへと報道されて,すっかり気が滅入ってしまいます。暴力的な体罰とはまったく無縁のところで,クラブ活動や体育の授業に情熱をそそぎ,多くの生徒たちを喜ばせ,感動させ,圧倒的な人気をえている先生たちのことを考えると,残念でなりません。現実には,こういうまじめで,生徒たちをこよない愛し,気配りのできる先生たちが圧倒的多数であって,暴力をふるわなければ気がすまないという指導者はほんの一握りの人たちだということです。ですが,毎日の新聞やテレビで報道されるニュースを聞いていると,雨後の筍のように,いたるところで暴力が蔓延しているのではないかという錯覚を起こしてしまいます。

 わたしもかつては現場に立って指導に当たっていた人間のひとりですので,残念でなりません。

 それでもなお,体育・スポーツ界がある隘路にはまり込んでいるのではないか,という危惧は若いときからいだいていました。その危惧がますます増幅してきているように,いまは考えています。それは,「より速く,より高く,より強く」というオリンピックのモットーを旗印に指導が展開され,それが,いつのまにか,あらゆることがらが勝利至上主義に収斂してしまっている傾向のことを意味します。最近では「勝たなければなんの意味もない」と考える指導者も少なくないように思います。

 しかし,こうした傾向に対して日本体育学会でも,早くから危機感をいだき,そのための対策を講ずるべきではないかという動きがありました。たとえば,1976年の「体育学研究の成果をふまえた体育指導者養成のあり方について」(科学研究費・総合研究A・研究代表者前川峯雄)があります。2年間の継続研究で,事前に共同研究者の公募がありましたので,わたしも応募して仲間に入れていただきました。わたしがまだ38歳のときのことです。

 この課題研究はいくつかのワーキング・グループに分かれて,さらにテーマを絞り込んで研究に取組みました。わたしは第一課題「わが国における体育・スポーツの将来構想を描くための基礎的研究」に所属し,さらに,そのなかの第二ワーキング・グループのリーダーを委託されました。そこでの課題は,体育・スポーツをとおしていかなる人間を育成するのか,その理想像を模索せよ,というものでした。

 若さというものはすごいエネルギーを発揮するものです。このときも,たまたま,いいメンバーに恵まれて何回も合宿して議論を積み上げました。そのときに到達した結論のひとつが「スポーツ的自立人間」という考え方でした。つまり,「スポーツ的に自立した人間」を育成すること,これが当時の日本社会にあっては喫緊の課題である,と。

 当時はまだ,柔道や剣道の道場があちこちに残っていて,すぐれた指導者のもとで礼儀作法からはじまり,なにからなにまで「教えてもらう」ということが多くの日本人の伝統的な考え方になっていました。このパターンが戦後の学校体育やクラブ活動にも継承されていました。ですから,体育やスポーツは指導者がいないとできないもの,という固定観念が広がっていました。ここでは,指導者は絶対的な権力者でした。ですから,一方的に指導者が課題を提示し,それに従うというのが常識でした。つまり,「絶対命令」「絶対服従」という構造が当たり前となっていました。もちろん,その背景には,戦時中の軍隊の軍事訓練という名のもとでの厳しい規律訓練の悪しき慣習が大きな影を落としていました。

 ですから,この悪しき構造から抜け出すことが「わが国における体育・スポーツの将来構想を描くための基礎的研究」の最大のテーマである,とわたしは考えました。そうして,幾晩もの合宿研究会を重ねて,激論の末に到達した概念のひとつが「スポーツ的自立人間」というものでした。この考え方については,1977年4月23・24日の課題研究代表者会議(銀杏荘・渋谷)で発表したのが最初でした。つづけて,その年の日本体育学会の学会大会でも発表させていただきました。

 このときの反響は意外に強く,「スポーツ教育と指導法」──”スポーツ的自立人間”にむけて(『体育科教育』12月号/1977,大修館書店),「体育学研究と体育指導者養成」(『体育科教育』2月号/1978,大修館書店)など(あとは割愛)の多くの原稿を書かせていただきました。新聞社も注目してくれました。たとえば,「『スポーツ的自立人間』のすすめ」(共同通信社・文化欄,10月/1978年)の原稿が日本の多くの地方紙に掲載されました。

 そんなわけで,一時の話題にはなりましたが,残念なことに,いつのまにか消え去ってしまいました。いま,思えば,このときにもっと大きな運動に展開しておくべきだった,と悔やまれてなりません。それは,きちんとした報告書にまとめて世に訴えるということをしなかった日本体育学会の責任でもあります。

 そんな悔しさとともに,いまごろになって,わたしの記憶が蘇ってきたという次第です。

 ものごとに速い・遅いはありません。気づいたときが吉日。

 いまこそ,スポーツ界を挙げて「スポーツ的自立人間」の育成をめざすべきではないでしょうか。

 体罰批判も大事ですが,それに代わるべき新しい指導理念をもたないことには,現場は混乱するばかりです。上手にすること,強い選手を育成することも大事ですが,それ以前に,まずはひとりの人間として「自立」することが不可欠です。それでないと,遠い将来を見据えた立派なアスリートは育ちません。「スポーツ的に自立すること」,そのことのために指導者たちは創意工夫を重ね(マニュアル的なワンパターンではないということ),その実績を積み上げていくこと。これしか体罰地獄から脱出する手だてはない,とわたしは考えています。そして,スポーツの未来もない,と考えています。一人ひとりが自立して,それぞれのスポーツ・ライフをエンジョイできるようになること,これがわたしの考える「スポーツ的自立人間」の,ひとつのモデルです。

 長くなっていますので,この稿はひとまずここまで。いずれ,このつづきを書いてみたいと思っています。

2013年2月3日日曜日

今日は節分。太陽の光は春の気分。でも,暴走する政治はもう十分。だから,憂鬱な自分。

 日曜日だということも忘れて,自動機械のように鷺沼の事務所に「出勤」。いつも通り抜けるフードコートにこどもがいっぱい。このとき,あっ,日曜日だ,と気づく。のんきなものだ。

 溝の口ではそれほどとも思わなかったのに,鷺沼の駅を降りたら,太陽の光りがいっぱい。その強さが違う。ただ,明るいだけではない。まぶしいのだ。しかも,光が暖かい。あっ,もう春だ,と実感する。そういえば,今日は2月3日。節分だった。のんきなものだ。

 社会との接点がどんどん少なくなってきて,社会一般の生活のリズムとはまったく無縁のところで生きている。いまでは,週一回の太極拳の稽古の日だけが唯一の社会との接点となっている。このときだけ,それぞれに別の世界で仕事をしている人と接することができる。しかも,一流の人ばかり。いまのわたしにとっては,まことに貴重な社会との接点である。

 あとは,研究会か講演か,なにか特別なことでもないかぎり,毎日,ここ鷺沼に出勤して,好き勝手なことをして,日々の退屈をしのいでいる。

 鷺沼の駅近くの高台から,いつものように東京都心のビル群を眺める。スカイツリーも東京タワーも六本木ヒルズも,みんなみえる。しかし,真冬の透明な空は,もう,そこにはない。雲ひとつない晴天なのに,ぼんやりと霞がかかっている。やはり,春だなぁ,とおもう。

 途中の植木屋さんの植栽も,日々,春めいているのがわかる。ヒイラギの黄色の花が枝いっぱいに開いて,ひときわ目立っている。少しはなれたところには,サザンカの花が満開。葉っぱよりも花房の方が多い。みごとである。その少しさきには,コブシの花がもうかなり大きくふくらんでいる。もちろん,サクラの花芽も赤く色づき,日々,大きくなっている。しばらく立ち止まって眺めやる。地形的にも,ちょうど日溜まりになっているので,植栽には好都合なのだろう。太陽の光が燦々とふり注ぎ,からだにも温もりが伝わってくる。ああ,もう,すっかり春の気分。

 事務所は,北向きに窓がある。だから,外気とはまったく無縁で,冬真っ盛り。久しぶりに窓を開け放って空気を入れ換える。少しは春の空気が入ってくる。これでは不満とばかりに扇風機を回して,部屋のなかの冷たい空気を追い出す。

 その間に,いつものように,お湯を沸かし,コーヒーを挽いて,好みの味に挑戦。毎日,味が違う。だから,あたりはずれがある。あたりの日は嬉しいが,はずれの日はなんとなく一日中,憂鬱な気分。でも,今日は,まあまあの味がでた。だいたい今日のようなカラッとした上天気の日は,なぜか,おいしいコーヒーになる。どうも,湿度の関係らしい。厳密にいえば気温も微妙に影響する。まあ,コーヒーとは長年の付き合いだが,いまだに,思うようにはならない。まるで,こころの内に秘めた恋人のように。

 コーヒーを飲みながら,やおら,新聞を開く。気合を入れないと,近頃は新聞を読むこともできない。まじめに読めば読むほどに憂鬱になってしまうからだ。ああ,もう,世も末だ,というニュースばかり。

 支持率が上がったというのでアベ君の暴走はますます勢いづく。自民党のなかにも「それは違うよ」という勢力がいるはずなのに,表にはでてこない。じっと耐えているのだろうか。この我慢,どこまでつづくのか。そのうち大きな爆発が起きそうな予感(これは,たぶん,わたしの単なる願望にすぎないのだろうが・・・)。

 スポーツ界の醜聞はあとを絶たず。追い打ちをかけるように,役人が,警察官が,校長先生が・・・という人たちが,こともあろうに「下半身」の醜聞。かと思えば父親がこどもを殴り殺した,とくる。最後のとどめは,アベ君。沖縄まででかけて,カネをやるから命と不安を売り渡せ,と迫る。なんという政治家か。政治家の第一の使命は,国民の命を守ることではなかったか。なのに,戦争をはじめるから我慢せよ,その代わりにカネをやる,と。それもこどもだましの「はしたガネ」でしかない。おまけに,オスプレイの飛行訓練を本土にも展開するという。

 おうそうかい,そうかい。ならば,いっそのこと「立川基地」を復活させてはどうだい。いまも,広い公園のままだから,いつでも転用できる。国会議事堂の上も,皇居の上も,ブンブン飛ばせばいい。ビルの谷間を隠密のように飛行訓練するには,東京都心ほどすぐれた環境はない。

 やぶれかぶれにこれだけほざいても,やはり,憂鬱な自分に変わりはない。

 ああ,こんなことを考えていては,仕事も手につかない。いっそのこと「カッパーク」(以前のブログに書いたとおり。写真付き。広くて明るい公園)にでも出かけて,大の字になって日光浴でもしてくるか。それとも,こどもたちの仲間に入れてもらって,フットサルでもしてくるか。

 たまにはいいではないか。
 のんきなものだ。
 でも,憂鬱な気分は変わらない。春だというのに。

2013年2月2日土曜日

園田監督辞任,内柴被告判決。柔道界に激震が走る。それも国際柔道連盟からの「外圧」によって。

 桜宮高校バスケットボール部での事件をきっかけにして,同様の暴力的な体罰があちこちで起きていることが炙りだされ(駅伝の豊川工業高校,など),ついには,柔道界を震撼させる事件にまで進展し,とどまるところを知らない。まるでスポーツ界だけが駄目になってしまっている,といわぬばかりの報道が連日賑わせている。こういう報道がつづくと,スポーツ界だけがとてつもない病理に陥っているという印象を,多くの人びとに与え兼ねない。もちろん,いま,スポーツ界で起きている一連の暴力事件についてはなんの弁護の余地もないが,しかし,これはスポーツ界だけの特異な現象なのだろうか。

 昨日(1月31日)の園田監督辞任の報道につづいて,今日(2月1日)は,内柴被告の判決(懲役5年の実刑判決)が言い渡された。連日にわたる柔道界を震撼させる大事件である。柔道関係者のみならず,多くの人びとが,なんとも言えない複雑な感想をもったことと思う。かく申すわたし自身も,穏やかな気分ではいられない。あまりに根の深い問題だけに,軽々しくものを言うことはできないからだ。ここは慎重な言動を要する,と。

 そう考えていたら,夕刻には,ドイツの友人から「どういうことが起きているのか,お前の考えを知らせろ」というメールが入った。園田監督辞任も,内柴被告判決も,すでに世界を駆けめぐる重大なニュースになっているのだ。問題が「柔道」であるだけに,世界に及ぼす影響は測り知れない。

 ドイツの友人からのメールによれば,「ドイツでは考えられないことだ。われわれが理解している柔道とはまったく別世界のことが本家の日本で起きているように思う。いったい,なにが起きているのか,ことの真相を教えてくれ」という。

 困った。正直にいえば,日本社会全体が病んでいる,その一端が,たまたま柔道という場で表出した,というただそれだけだ,とわたしは考えている。しかし,このことをそのままドイツの友人に伝えるには相当の勇気と手間隙がかかる。かといってごまかすわけにもいかない。さあ,どうしよう,と考えあぐねているところに,別の情報が入ってきた。

 午後9時からのNHK「ニュース・ウォッチ9」で,国際柔道連盟が「嘉納治五郎の精神に反する事件だ。必要な措置をとる」という批難声明を出した,と報じたのだ。こうなると,もはや,日本国内だけの問題ではなくなってくる。さあ,全日本柔道連盟はどのような対応をするのだろうか。園田監督を訓戒処分にして,そのまま留任させる,という程度の認識しかなかった全柔連の「甘さ」がすでに露呈している。もちろん,このことを承知の上での国際柔道連盟の批難声明であろう。そこには,あまりに大きなズレというか,ギャップがある。

 場合によっては,国際柔道連盟から一時的に「除名」される可能性もある。あるいは,期限付きで,国際大会への出場停止処分,この可能性は大きい。少なくとも,国際柔道連盟による実態調査は行われるだろう。あるいは,最低でも,全柔連に調査報告を求めてくるだろう。

 断っておくが,これほどまでに堕落した日本の柔道界(あるいは,スポーツ界)の実態は,日本社会全体の単なる縮図にすぎない,ということだ。なにもかもが,なあなあ主義,ことなかれ主義,みてみぬふり主義,無責任主義,そして「声の大きな人」の意見に従う「自発的隷従」主義が,日本社会のすみずみまで浸透している,ということだ。その緩みきった体質からの「甘え」の一端が露呈したにすぎない。

 しかし,国際社会からすれば,まったく通用しない非常識もいいところ,とんでもない国,そして,なんとも不可思議な国・日本ということだ。そういう実態を,わたしたちですら「3・11」以後になって,その事後処理の,あまりの無責任さ,いい加減さを,連日のテレビ報道をとおして,初めて学び知ったにすぎない。そして,そのお粗末な実態はいまもつづいている。第一,だれひとりとして「責任」を問われることもなく,ましてや「被疑者」にも「犯人」にもされることなく,全体責任で逃げ切ろうとする姿勢が,政界・財界・官界・学会・報道界にまで浸透している。

 この体質と,柔道界の体質は,瓜二つである。ほとんどどこも違わない。

 これから日本の柔道界は国際社会のなかで,ある種の審判を仰ぐことになる。が,それでもその大本は大した痛手になることもなく,やり過ごすことになるのだろう。そして,まるで「トカゲの尻尾切り」のようなかたちで柔道界やスポーツ界がメディアの槍玉に挙げられ,世の集中攻撃を浴びることになるのだろう。まるで,見せしめの「さらし首」のようにされて。しかも,それを隠れ蓑にして,本家本元の巨悪は懲りることもなく生き延びていく。

 こんな図式がわたしの頭のなかに浮かび上がってくる。
 さて,このことをドイツの友人に,どのように伝えようか。

 いやいや,ドイツの友人は,おそらく,このブログを読んでいる。日本に2年間,留学していたので会話はほとんど不自由しない。しかも,このブログはグーグルをとおして多くの外国語に翻訳可能なシステムになっている。

 それだけに,わたしの責任は重い。覚悟が必要だ。

2013年2月1日金曜日

「力士だけじゃない。日本人全体が駄目になっているんだ」(納谷幸喜=元横綱大鵬)。

 名横綱大鵬さんが亡くなった。同世代の人が亡くなるというのはなんとも寂しいことである。個人的に思い出すことは山ほどあるが,ここでは控えめにしておこう。

 1月31日の東京新聞・朝刊に「取材ノート」という記名の囲み記事が載った(21ページ,高橋広史)。とてもいい記事だったので,その一部を紹介しておきたい。その書き出しは以下のようである。

 「2006年に相撲博物館館長だった大鵬さんを両国国技館内の館長室に訪ねた。モンゴル人ら外国勢が席巻する相撲界。どうしたら日本人横綱が誕生するのか。昭和の大横綱に聞くためだった。
 『力士だけじゃない。日本人全体が駄目になっているんだ』。話題はあらゆる方向に飛んでも,結局は飽食時代を生きる日本人への憤り,嘆きに行き着いた。『マスコミも,あなたも含めてだ。企業だって,社員を褒めておだてて使えという時代なんだから』と。」

 このあとにもいい話がでてくる。が,残念ながら割愛。

 それらの名言のなかで,とりわけ「力士だけじゃない。日本人全体が駄目になっているんだ」というこのことばにこころの底から共振・共鳴。納谷幸喜さんとは,一つ違い。だから,まったく同時代を生きた人間として,このことばにこころから共感する。

 「日本人全体が駄目になっている」という現実は,どの日の新聞でもいい,開いて読んでみればすぐにわかることだ。1面トップの記事から最後まで,「日本人全体が駄目になっている」ということを証明するような記事ばかりである。

 とりわけ,最近は,「駄目になっている」に輪をかけたように,加速度までつけて「盲進/猛進」している。このままいけば間違いなく日本に軍隊ができ,戦争に突入していく。それも,なんの役にも立たない軍隊ができる。駄目な日本人になってしまったいま,強い軍隊など望むべくもない。天皇のために,国家のために,命を捧げます,などという若者がどれだけいようか。

 「飽食時代を生きる日本人への憤り,嘆きに行き着いた」とあるように,まさに「飽食」が日本人を駄目にしている諸悪の根源だ,とわたしもまったく同じことを考えている。いつのころからか,テレビ番組の大半が,お笑いと食べ物番組で埋められるようになった。日本人は,このころから「思考停止」に慣れっこになってしまった。なにも考えない。見ても見ぬふりをする。惰性に流されている方が無難に生きられる。こんな楽な暮しはない,と思いはじめた。そして,それが「当たり前」となった。そんな日本人の姿を「茹でガエル」と命名した人がいた。このことばに痛く感動したわたしは,このブログでも多用している。

 そう「日本人全体が駄目」=「茹でガエル」になっている。

 政治も経済も,「人の命を守る」ことすら棚にあげて,ひたすら「カネ」ばかり追求する。そうすれば,「茹でガエル」は黙ってついてくる(票が集まる)。現に政権の支持率が上昇し,東京都民のオリンピック招致支持率も上がった。ほんとうなのか,とわが目を疑ったほどだ。東京都民とは,いったい,どういう人種なのか,と。「暴走老人」のワン・プレイで,一気に,日本を没落のシナリオに陥れてしまったというのに・・・。

 このさきは書きたくもないスポーツ界の腐敗。しかし,この構造は,政界や経済界とまったく同じ体質から吹き出したウミのようなものだ。そして,それを報じるマスコミの堕落。「マスコミも,あなたも含めてだ」という納谷幸喜さんのことばは正鵠を射ている。みんながみんな「茹でガエル」になってしまったために,己の堕落には気づかないまま,氷山の一角のような醜聞を寄ってたかった叩く。それが正義だとばかりに。ますます世の中を駄目にする「ポピュリズム」に支えられて。それもまた「儲かればいい」という経済原則に乗っ取られたままに。

 納谷さんに叱られて目が覚めたか,高橋記者はとてもいい記事を書いた。これから大相撲を批判するときにも,「飽食」の結果,「日本人全体が駄目になっている」という納谷さんのことばを念頭において,展開していただきたい。

 つまり,「飽食」によって「根こぎ」にされてしまった日本人のなかに,大地にしっかりと根を張ったモンゴル人がやってきて,横綱を輩出するのは当然のなりゆきだ,ということだ。

 納谷幸喜さんのご冥福をこころから祈りたい。


2013年1月31日木曜日

奈良県桜井市の「出雲」を歩く。野見宿禰塚・幻視・遊。

意外な発見があった。
いや,幻視があった。
その前に,ある種の直観が働いていた。
向こうからなにかがやってくる,と。
それがそのとおりになった。
つぎからつぎへと,向こうからやってきた。
どうにも受け止められないほどの情報となって。

奈良・桜井市の出雲は,野見宿禰が住んでいたところに,ほぼ間違いはない。
かの地に立って,ぐるりとまわりを見渡した瞬間に,まっさきに直観したことだった。
そして,それはもはやわたしの確信のようなものになっている。
野見宿禰は桜井の出雲に住んでいた──わたしの不動の確信。

しかも,野見宿禰が生きていたころの,桜井の出雲は,相当に大きな勢力を形成していたに違いない。それは,二上山を拠点として大きな勢力を張っていた当麻蹴速と拮抗するほどの大きな勢力を形成していたはずだ。いや,それ以上に大きな勢力を張っていたのではないか。
だから,この二大勢力が激突するのは必然だった。

わたしの直観は,さらに飛躍し,あらぬことを幻視する。
国譲り神話の舞台は,ここ桜井の出雲だったのではないのか,と。
さらには,いわゆる邪馬台国もここにあったのではないか,と。
そして,その邪馬台国を打ち立て,支配していたのも出雲族だったのではないか,と。

国譲りの神話は,邪馬台国の最後の支配者オオクニヌシを追い出して,父祖の地である島根の出雲に封じ籠めたのではないか。オオクニヌシの次男タケミナカタも,天孫族のタケミカヅチに追われて諏訪に封じ籠められたのではないか。

それでもなお,三輪山を守りつづけたのは出雲族。三輪山は御神体。
そこに祀られる大神神社(おおみわじんじゃ=大三輪神社)には出雲の神様が鎮座ましましている。
「おおみわ」の「み」は,「霊」「巳」。大神神社の境内には「卵」があちこちに。
その大神神社を守る拠点が桜井の出雲に住む人びとだったのでは。

野見宿禰はその地を守る,出雲族を代表する豪族の頭領(力士)だったのでは。
だから,当麻族の頭領だった蹴速との決闘は必然だった。
それに勝利することによって,垂仁天皇の目にとまり,召し抱えられることに。

野見宿禰塚跡という碑が小さな田んぼの中に,ぽつねんと建っている。
ここに直径10mに及ぶ塚があった,とある。
それが,野見宿禰の塚(お墓)であった,と。
その塚が,明治16年の農地整理によってつきくずされ,田んぼになった,と。

まことに,摩訶不思議な話である。
わけがわからない。
塚を崩して,猫の額のような田んぼを造成しなければならない理由が。

野見宿禰から菅原道真に連なる系譜は,なぜか,藤原一族から蔑視され,冷遇される。
「もとはスガワラ」などという蔑称が残るほどに。

野見一族は全国のかなり広い地域に広がって散在している。
やはり,国譲りの神話の陰に大きな「謎」が隠されているのか。

にもかかわらず,三輪山を手放すことはなかった。
なぜ,それが可能だったのか。
巨大な出雲大社を構築することと,深くかかわっていたのではなかったか。
そこには深い密約があったらしい。

三輪山の裏側の尾根つづきに「ダンノダイラ」と呼ばれるところがある,という。
まだ,そこには行っていない。
こんどは,そこに立ってみたい。

桜井の出雲の集落からは耳成山がみえる。
両側から迫る山並みの間の向こうにわずかに広がる大和平野の中央に。
その背景には,遠く金剛山・葛城山がみえる。

なんとも不思議なロケーションではある。
今回の野見宿禰塚・幻視・遊は,ここまで。

ことしの奈良の山焼きは最高のできばえ。

 毎年1月の第四土曜日は奈良・若草山の山焼きの日。ことしは26日(土)にあった。わたしの第二の故郷へのお里帰りの日でもある。奈良の地を離れてから毎年,欠かさず通っている。もうかれこれ17,8年くらいになろうか。その間,たった一回だけ,関ヶ原に大雪が降り,新幹線が止まってしまったことがある。その年だけは残念ながら欠席。

 奈良には19年間住んで,いろいろの人にお世話になった。その間も山焼きは欠かさず眺めていた。やはり,そのつど不思議な感興がわき上がってくるからだ。山に火を放って燃やす・・・。山全体が燃え上がる・・・・。山に炎が走る・・・,横に,斜めに,真上に。自然が演出する演劇空間の表出である。

 人間がいくら頑張っても少しも燃えない年もある。そうかと思えば,点火して,ものの数分で炎が走って,あっという間に終わることもある。山をどのように燃やすかは,長年かけたノウハウがいろいろあるそうだ。その道のベテランから話を聞いたことがある。それでも,うまくいかないことの方が多いという。それほどに自然界を支配する力は,とうてい人智,人力の及ばないものをふんだんに蓄えているということだ。

 その山焼きが,ことしはみごとだった。これまで眺めてきた山焼きのなかでは最高のできばえだった。少なくとも,35回以上は山焼きを,じっと眺めてきたわたしとしては大満足だった。ことしはいい年になりそうだ・・・・そんな予感につつまれた至福のひととき。寒さにふるえながら,奈良では最高の場所から眺め,感動を味わった。

 ことしは,いつも見慣れてきた山焼きとはいささか趣が異なっていた。まずは,山焼き行事のはじまりを告げる打ち上げ花火がすごかった。いつもはほんのお印程度に打ち上げ花火と仕掛け花火があって,すぐに山焼きの点火に入る。ところが,ことしは,延々と打ち上げ花火がつづいた。これで終わりだろうと思われる8寸玉が大きな音とともに大輪の菊花を咲かせても,しばらくするとまた打ち上げ花火がはじまる。こんなことを何回もくり返す。これをみていて,ああ,奈良は元気がでてきたんだ,としみじみ思う。

 JR奈良駅は見違えるほど立派な近代的な駅に生まれ変わり,駅の西側は再開発されて,さまざまな文化施設が充実している。新しいホテルも建っていて,かつての奈良駅からは大変身である。その奈良駅からまっすく春日大社に登っていくむかしのメイン・ストリートも,道路の拡幅工事とともに両側の商店街も一新する工事が進んでいる。むかしながらの古都奈良をしのばせる古い木造の商店街がほとんど取り壊され,まっさらな鉄筋コンクリートの建物のなかにしゃれた店構えの店が覇を競っている。まだ,工事半ばではあるが,その雰囲気から元気が伝わってくる。

 山焼きの打ち上げ花火は,原則として,この商店街の主たちの寄付で支えられている。だから,打ち上げ花火が延々とつづくということは,みんな頑張って寄付をしているということだ。そういえば,昼中の商店街を歩いている観光客の数もいつもより多いのではないかという印象を受けた。古都奈良の観光をじっくり堪能してもらう作戦がむかしから考えられていたが,なかなか定着しなくて苦労していたように思う。それがようやく効を奏しつつあるようだ。

 この景気のいい打ち上げ花火が終わると,ようやく山焼きの点火である。いつもだと,山全体を囲むように松明を持った人(奈良の消防関係者が総動員されていると聞いている)が,それぞれの松明に点火して,一斉に山に火を放つ。

 ことしは違った。まず最初に二つの集団が若草山の中央の麓から隊列を組んで登っていく。別名三笠山とも呼ばれる若草山の最初の笠の上のところで二手に分かれ,一つのグループは向かって左手(北側)に移動し,もう一つのグループはその場に円陣をつくっている。やがて,この小さな円陣の松明に火が灯され,真暗な山にぽっかりと炎の輪が浮かび上がっている。しばらく,この状態がつづいたところで,左手の山際(森と草原の境界)の下から上に並んだ人たちの松明に火がつく。そして,同時に,若草山の麓に横一線に並んだ人たちの松明にも火がつく。そして,おもむろに山に火を放つ。

 昼中はかなりの強風が吹いていたのに,それがまるで嘘のように,風が止んでいる。だから,放たれた火はあわてて山を走ることはしない。じつに静かに,まずは麓から横一線に,放たれた火が少しずつ草を燃やしながら上に上がっていく。そして,横(北側)からも,ゆっくりと炎が南側に移動していく。つまり,下側からと北側からの炎の線が,ほぼ直線状態で直角に交わったまま,ゆっくりと移動していく。徐々に,徐々に,この直角の二辺が右上に移動していく。こんな絵に描いたような燃え方をみるのは初めてだ。

 草の乾き具合,風向き,風力,などの条件によって,千変万化する山焼きは,火を放ってみないとどのような燃え方をするかはわからない。だから,面白いのだ。毎年,眺めていても飽きることはない。むかしの人はその年の占いにも用いたという。そうだろうなぁ,と思う。現代の山焼きの説明は,山にいる害虫を駆除するのが目的だ,などともっともらしい説明をする。最初にこの山焼きを行事にしようとした人たちが,そんな合理的な発想をもっていたとは考えられない。そんなことはどうでもいいのだ。ことしは,いったい,どんな燃え方をするのだろうか,とそこに神秘的ななにかを感じ取ればそれで十分。人智・人力をはるかに超えるカミと向き合う瞬間を堪能すればいい,とわたしは身を委ねている。だから,ことしも独り,ぽつねんと,立ちつくした。

 ことしはいい年になりそうだ。そして,なんらかの光明が見出せそうだ。

 いまもつづく憂鬱な日々。「3・11」後,連日,信じられないことばかりが,いまも起きている。人間の根幹にかかわるなにかが崩壊しつつある。やはり,「根をもつこと」(シモーヌ・ヴェイユ)を忘れてしまった人間の傲慢のつけが,ここにきて一気に噴出しているのだろう。それは,日本だけに限らず,世界中に。

 わけても,日本の,政治の貧困・無能・無策。いやいや,それどころか「暴走老人」が放った「火」が燎原に燃え広がって,日本人が一気に右傾化しつつある。そして,ついに,東京都民の73%がオリンピック東京招致に賛成だという。わたしのうつ病はますますひどくなるばかりだ。

 が,そんな憂さを,ことしの山焼きは晴らしてくれそうだ。そんな,藁にもすがりたい気分で,ことしの山焼きの結果にほんのわずかでもいい,なんらかの光明を見出したい。

 翌朝,若草山を眺めてみたら,もののみごとに黒い焼け肌をみせていた。虎刈りでもない,斑模様でもない,全面,くまなく広がる黒い山肌。真っ青に晴れ上がった紺碧のパックと好対照をなしていた。そして,この光景を眺めながら,山辺の道を南に車を走らせる。桜井市にある「出雲」をめざして。このときから,なにかが待っている,という予感につつまれていた。

2013年1月30日水曜日

神戸市外大の連続講演「スポーツとはなにか」,無事に終わる。花束贈呈があって感動。

 年4回の連続講演,無事(?)に終わりました。最終回でしたので,なんとか全体のまとめをしたかったのですが,とても時間が足りないまま,空中分解。残念。1時間30分という時間は,かつて講義をしていた時間と同じですので,慣れていたはずなのに,もう,すっかりそのペース配分を忘れてしまっていました。にもかかわらず,最後までご静聴くださり,お運びくださったみなさんにはこころから感謝しています。にもかかわらず,完結した話にならなかったこと,こころからお詫びを申しあげます。

 こんな講演をしてしまったあとには必ず襲われる慙愧の念というやつです。もう二度と引き受けてはいけない,と自戒するのですが,しばらくたつともう忘れてしまいます。だから生きていかれるのかもしれません。そんなことをくり返しているうちにこんにちまできてしまいました。が,いま,考えてみますと,講演を引き受けるたびにいつもとはまったく違った緊張の日々が何日間かはつづきます。そのつど,わたしの思考はかなり深まり,新しい知の地平がみえかくれしてきます。これが,半分はいやなのに,半分は楽しみでもあります。この二律背反なるものを積み重ねることが,生きることであり,思考を深める原動力ではないか,と最近では考えるようになってきました。

 でも,講演のあとは,やはり,なんともいえない寂寥感に襲われます。これはなんとも不思議な気分です。一生懸命に頑張ったのだから,それで仕方がないではないか,とも思うのですが,それを許さないもうひとりのわたしがいて,せせら笑っています。が,ありがたいことに,今回は4回の連続講演の最終回ということもあってか,花束の贈呈がありました。これは想定外でしたので,びっくりしつつも,嬉しいかぎりでした。終わってから,さらに,竹谷ゼミの学生さんたちが中心になって,懇親会まで開いてくださり涙がこぼれそうでした。

 講演のとおしテーマは「スポーツとはなにか」。それぞれ4回のテーマは,もう,このブログでも書いていますので,割愛。この講演をさせていただいたお蔭で,長年,構想してきたわたしなりの『スポーツとはなにか』という単行本の概要がみえてきました。あとは,細部を詰めて,文章化すれば,なんとか単行本になるという展望が開け,いまは,とても満足しています。お蔭で,すでに,本にしませんかと言ってくださる出版社も現れ,条件はととのいました。ありがたいことです。

 気候が暖かくなってきたら,早朝起床を習慣づけて,朝食前の執筆にとりかかりたいと思っています。いわゆる「朝飯前の一仕事」というやつです。以前から,これが一番なのだ,と聞いてはいましたし,納得もしているのですが,実行まではなかなか手がとどきませんでした。が,こんどというこんどは一念発起して,実行にとりかかろうと思います。

 なにごとも晩生で,もたもたした人生でしたが,やはりこの病は死ぬまで治らないようです。でも,気づいたときが「吉日」。そう思い立ったときがご縁。いまできること,そして,いま一番面白いと思うことに全力を投球すること。こんどこそは迷わず邁進したいと思います。

 こんな気持ちにさせてくれたのも,やはり,神戸市外国語大学で連続講演の機会を与えていただいたお蔭です。長い道のりでしたが,ようやく『スポーツとはなにか』という,わたしの長年の夢である単行本の執筆に向けて,「よし,やるぞ」という覚悟が決まりつつあります。

 今回の連続講演を,なにからなにまで支えてくださったのは神戸市外大の竹谷和之さんです。講演のための映像資料の準備や,わたしの書き送る粗雑なメモのようなレジュメを,きちんと編集し直し,だれの目にもわかりやすいものに推敲してくださり,印刷してくださったのも竹谷さんです。加えて,いつもにこやかに迎えてくださった,事務局のみなさんの心温まるサポートのお蔭です。こころから感謝したいと思います。

 連続講演を終えて,ひとつの大きな区切りができました。これからはさらなるつぎのステップをめざして頑張りたいと思います。聴講にきていただいたみなさんからも大きな力をいただきました。ありがとうございました。こころから感謝しています。

 それでは,『スポーツとはなにか』の刊行の日に,著作をとおしてまたお会いしたいと思います。それまで,ご機嫌よう。

わたしのブログについての訂正とお詫び。

 わたしの書いたブログにいただいたコメントに対する応答の仕方に,わたしの勘違いがあるのでは,という若い友人(3人)からご指摘がありました。あわてて確認してみましたところ,完全なるわたしの勘違いであることが判明しましたので,以下のように訂正とお詫びをさせていただきます。

 その経緯は以下のとおりです。
 1月13日付けで書いた,「体罰」ということばについて。大阪体育大学大学院の授業で議論,というブログに対して,6人の方からのコメントをいただきました。このうちお一人を除いて,あとのコメントはハンドル・ネームと匿名である,と勘違いしてしまいました。つまり,そのお一人が大阪体育大学学長の永吉宏英先生からのものである,と。わたしはあのご多忙な学長さんがみずから,わたしのような者のブログをお読みになって,わざわざコメントをくださったと勘違いして,嬉しさのあまりに,すぐにブログできちんと応答しなくては・・・・と考えた次第です。

 そのブログが,1月28日付けの,再び「体罰」ということばについて。大阪体育大学学長さんに,というものです。しかし,今日いただいた友人たちからの指摘に驚いて再度,確認してみましたところ,二人のハンドル・ネームの方とあとは全部匿名のコメントであることがわかりました。つまり,学長さんからじきじきのコメントではなかった,ということです。

 ですから,わたしはとんでもない勘違いをして,学長さん宛てのブログを1月28日に書いてしまったという次第です。ですので,あわててこのブログを読み返してみました。幸いなことに,このブログが学長さんの名誉を著しく傷つけるような内容のものではない,ということがわかり,少しだけ安堵いたしました。が,多くの読者の方に,なんだこのブログは?ととんでもない不信の念をいだかせてしまったことを,こころからお詫びし,訂正させていただきます。

 とりわけ,学長の永吉先生がこの事実をお知りになったら,さぞかし苦笑されることと思います。でも,わたしとしては,こころからのエールを送っているつもりですので,どうぞ,ご寛容に。

 こんご,こういう失態をくり返さないよう十分に注意しますので,こんごとも,このブログを追跡していただければ幸いです。そして,忌憚のないコメントを入れてくださることを期待しています。

 なお,原則として,いただいたコメントは全部,公開するつもりでいます。そして,みなさんでご議論していただければ,と考えています。また,原則として,匿名さんのコメントには応答しかねますので,お許しください。実名で,身元もしっかりわかっている方からのコメントには,誠心誠意,応答させていただきます。また,明らかに悪意を感ずるコメントは公開を差し控えさせていただきます。

 以上,訂正とお詫びまで。
 こんごともどうぞよろしくお願いいたします。

2013年1月28日月曜日

日馬富士時代の到来。全勝優勝は伊達ではない。白鵬に翳り?

 千秋楽の相撲をみて,いよいよ日馬富士時代の幕開けだ,と強く思った。今場所の日馬富士は一回りもふたまわりも,相撲内容がよくなった。スケールが大きくなった。それが今場所の日馬富士の相撲だった。とりわけ,千秋楽の相撲が。立ち合いから寄り切りまで,白鵬になすすべを与えなかった。それどころか,相撲内容に格の差さえみせつけた。もうひとつ上のレベルの世界に駆け上がった,そんな印象である。

 あの立ち合いの踏み込みの圧力で,すでに白鵬を圧倒していた。相手の土俵に一歩,攻め込んでいた。それほどの鋭い立ち合いだった。このときから白鵬はすでに受け身であった。その勢いに乗って,白鵬のあごの下に頭をつけて,あっという間に双差しを果たした。ここで勝負あり。白鵬は日馬富士の両腕をかかえて,防戦これあるのみ。たった一回だけ,腰を振って日馬富士の右の差し手を切って,つぎへの展開を見出そうとしたその瞬間に,日馬富士は,右で前まわしを引き直し,間髪を入れずに寄ってでた。右前まわしをぐいと引きつけた瞬間に白鵬の体が浮いてしまった。あとは,怒濤の寄りである。白鵬はなすすべもなく,持ち上げられるようにして土俵の外へ。立ち合いから真っ向勝負にでての,日馬富士の文句なしの圧勝。この一番のもつ意味はとてつもなく大きい。そのことは,日馬富士はもとより,白鵬が一番よく承知していることだろう。

 先場所の日馬富士の後半戦は両足首を痛めていて,パワーもスピードも半減。その結果の9勝6敗。相撲のなんたるかもわかっていない横綱審議委員長の情け容赦のない発言に,このわたしですら涙した。つまり,新横綱日馬富士の相撲を「横綱の資格はない」と唾棄したのだ。じゃあ,だれが横綱に推挙したのだ,とわたしはひとりで吼えた。なにか恨みでもあるのだろうか。二場所全勝優勝して,文句なしに横綱に登りつめた立派な力士だ。「どこか痛いところでもあったのか。だとしたら,早く治して,来場所に雪辱を。」くらいのことばがなぜ吐けぬ。いまのような横綱審議委員会なら必要ないない。もともと横綱というものは,外部委員会の合議制で決めるような,そんな存在ではないのだから。

 それにつけても今場所の日馬富士の相撲内容は素晴らしかった。立ち合いの鋭い踏み込みで,まずは,相手を圧倒していた。つねに,相手の土俵で相撲をとるべく努力していた。当たって,押し込んでおいてからの芸術的な変化技が冴え渡っていた。激しく当たって,突き立てておいてからの一瞬の変化わざ。そのスピードは,かつての横綱栃の海にも匹敵する,目の覚めるような芸術品だった。明らかに新境地を開く,みごとな場所だった。この今場所の日馬富士の相撲のすごさにどれだけの人が気づいているだろうか。

 わたしが確認したかぎりの新聞もテレビも,そして,ネットも,日馬富士の今場所の相撲のすごさについてはほとんど触れていない。解説する能力がないのかも知れない。ただ,星勘定だけして,全勝=素晴らしい,という程度の反応でしかない。ひょっとしたら,日馬富士の活躍を快しとしない輩がメディアには多いということなのだろうか。いやいや,そうではなくて相撲の醍醐味を伝えられるジャーナリストが少なくなったということなのだろう。あちこち掛け持ちで,いろいろの競技種目の記事を書いているようでは,相撲の醍醐味を理解し,解説し,記事にすることなど,まずは,不可能に近い。

 だからこそなおのこと,このブログでは強調しておこう。今場所の全勝優勝は,これまでにない内容のある相撲であった,と。つまりは,心技体の三拍子揃った,とてつもなく素晴らしい相撲内容を誇っている,と。日馬富士のこれまでの相撲歴のなかの頂点のひとつと言ってよいだろう。こんごも,つぎつぎに,そのレベルを上げていってくれるものと信じている。がしかし,そうそう簡単ではない。そのためには,両足首にかかえている時限爆弾を,一刻も早く完治させることだ。これを完全に克服したとき,日馬富士の相撲は完成するのだろう。そうなったら,もはや,天下無敵となる。日馬富士の黄金時代の到来である。

 その日のやってくることをこころから願ってやまない。それは,単なる日馬富士のファンとして,優勝記録を更新してほしいというよな単純な願望ではない。そうではなくて,これまでの大相撲のレベルを上げるために貢献してほしい。つまり,これまでの相撲史になかったような,まったく新しいスピードとパワーを兼ね備えた,きわめてレベルの高い,アーティスティックな相撲を見せてほしいからだ。それは日馬富士にしかできない芸だからだ。

 今場所にみせた,あのからだの切れのよさ,これこそ天下一品の芸だ。こんな芸をもっていた力士をわたしは知らない。日馬富士の相撲はこれからだ。円熟味がでてくるのは,これからだ。これから,ますます芸術的な相撲が完成していくことだろう。それをこれから楽しみにしたい。そのためには,まずは,なにをおいても両足首を完治させることだ。来場所は,まだ,その痛みを引きずりながらの相撲になるのかも知れない。そんな中でこそ,前人未到の相撲道を極めていくことができるのではないか。そんなことをこれからの日馬富士には期待している。

 そして,彼ならできる。そう,わたしは確信している。
 頑張れ,日馬富士!


再び「体罰」ということばについて。大阪体育大学学長さんに。

 関西方面へ,25,26,27日と出かけ,講演,研究会,フィールドワークを済ませてもどってきましたら,その間に,わたしのブログに6人の方からコメントをいただいていました。そのうちの5人の方は匿名でしたが,お一人だけ実名でコメントをいただきました。大阪体育大学学長永吉宏英先生です。このコメントにはなにをおいても応答しなければならないと考えました。コメントを寄せられたわたしのブログは,1月13日付けの「『体罰』ということばについて。大阪体育大学大学院の授業で議論」というものです。

 このブログに対して,永吉先生からいただいたコメントは以下のとおりです。

 「大阪体育大学の教育にかかわる宣言」
 大阪体育大学は,体育・スポーツや福祉の指導者養成に携わる大学としての伝統と社会的責任を踏まえ,クラブ活動を含むあらゆる教育の場において,体罰を行うことや体罰を是とする教育が行われることを断固として拒否します。
 平成25年1月24日
 大阪体育大学学長 永吉宏英

 大学の方針と食い違うように見受けられるのですが

 以上です。

 で,わたしの応答は以下のとおりです。

 「大阪体育大学の教育にかかわる宣言」を全面的に支持します。そして,わたしのブログは,この方針に食い違うことはない,と確信しています。もし,疑念をいだかれたとしたら,やはり,それは「体罰」ということばの概念をめぐる問題にあろうかと思います。若い高校生を死に追い詰めるような肉体的苦痛を与える暴力は断じて許されることではありません。しかし,残念ながら,このような暴力も含めて「体罰」ということばが世間で流布しいます。その意味では,すべての「体罰」を教育の現場から排除すべきだという考えに全面的に賛成です。

 しかし,先生もよくご存じのように,文部科学省も厳密な意味での「体罰」の概念規定をしていません。ですから,「体罰」の概念をめぐる議論も百花繚乱です。それは,恐ろしいほどの乱れ方です。その乱れに便乗したまま,メディアが濫用しますので,わたしたちはますます混乱してしまいます。その上,「体罰」問題が裁判沙汰になったときの法の裁きもまた,判例ごとに驚くほどの違いがあります。つまり,それほどに「体罰」ということばの概念規定は困難だということでもあります。

 たとえば,東京弁護士会のHPにはつぎのように書かれています。
 「体罰とは,懲戒として,殴る,蹴る,直立不動の姿勢をとらせるなどの肉体的苦痛を懲戒として与えることをいいます。トイレに行かせないといった行為も肉体的苦痛を伴うので,体罰にあたると考えられます。学校教育法11条は『校長及び教員は,教育上必要と認めるときは,文部科学大臣の定めるところにより,学生,生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし,体罰を加えることはできない。』と定めており,体罰は禁止されています。
 体罰にあたるかどうかの判断について,文部科学省は,『当該児童,生徒の年齢,健康,心身の発達状態,当該行為が行われた場所的及び時間的環境,懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え,個々の事案ごとに判断する必要がある』,『有形力(目に見える物質的な力)の行使により行われた懲戒は,その一切が体罰として許されないというものではない』などとしていますが(18文科初第1019号・平成19年2月5日),いずれにしても,肉体的苦痛を伴うようなものであれば体罰に当たる点に注意する必要があります。」

 こまかなことは省略しますが,要するに「体罰」ということばには大きなグレーゾーンがある,ということです。つまり,「体罰」と言った場合には,単なる暴力以外の意味もあることを文部科学省も認めているという次第です。そして,ここの部分に教育の根幹を形成する「教育愛」にかかわる重要な問題が潜んでいる,ということです。教育現場に携わった経験のある人であれば,みんな知っている事実です。ですから,このことを文部科学省もよく承知しているわけですので,その苦悩がこういう形で表現されているのだとわたしは考えています。

 このグレーゾーンの核心部分に触れる発言が院生さんからありましたので,ここは避けてとおるわけにはいかないと考えました。そこで,わたしの考えているところを正直に吐露したという次第です。たぶん,このあたりのことを,学長さんは「大学の方針と食い違うように見受けられるのですが」とコメントされたのでは・・・と推測しています。

 ここからは,いいわけになりますが・・・・。
 ブログは限られたスペースに,ほとんど結論的なことしか書けませんので,これまでにもしばしば同様な指摘を受けてきました。そこで,読者の方たちにお願いしていますことは,当該のブログに関連したブログをほかにも書いていますので,それらと合わせて,総合的な判断をしていただきたい,ということです。たとえば,今回のブログに直接関連するものだけでも,以下のものがありますので,参照していただければ幸いです。

 1月10日 桜宮高校バスケットボール部で起きたことは「事件」であって,「事案」ではない。
 1月15日 「新しい文化の誕生」。帝京大学ラグビー部,岩出監督のことばが素晴らしい。
 1月16日 橋下君,トンチンカンですよ。桜宮高校の生徒や受験生を犠牲にしてはいけません。
 1月17日 「涙する情動を取り戻せ」(トリン・ミンハ)。木下監督,山口良治監督,そして桜宮高校。
 1月20日 言論によるビンタは野放しのまま。これでいいのか。冗談じゃない。
 1月22日 桜宮高校の入試中止。受験生無視,在校生無視,教育委員会はだれのためのもの? 断じて許せない。
 1月22日 桜宮高校の生徒8人,記者会見で反論。素晴らしい。駄目なのは大人。

 ながながと書いてしまいました。これで学長さんへの応答を終わります。
 たいへん責任の重いポジションで,世間の荒波にもまれながらの対応,人には言えぬご苦労が多いことと思います。どうか,くじけずに,わが信ずるところを,一直線に進んでください。こころから応援しています。


〔お詫びと訂正〕
 大阪体育大学学長さんからコメントがあった,という前提で,このブログを書いてしまいました。が,学長さんからのコメントはありませんでした。それは,「匿名」さんが,「大阪体育大学の教育にかかわる宣言」をオープンにして,コメントしてくれたものでした。一度は,このブログを削除しようかと考えましたが,内容的には,前のブログを補完するものになっていると考えましたので,このまま掲載することにしました。とんだわたしの勘違いで,みなさんにはたいへんご迷惑をおかけしまた。お詫びして訂正させていただきます。ご寛容のほどを。








2013年1月24日木曜日

「有用性の限界」(バタイユ)とスポーツ文化について考える。

  明日(25日)に予定されている神戸市外大の講演の,最後の落しどころについて,いまごろになって考えている。テーマは「21世紀を生きるわたしたちのスポーツについて考える」。つまり,「21世紀を生きるわたしたちのスポーツ」が,いま,どのような情況に置かれているのかということを明確に位置づけなくてはならない。

 それを語るには,さまざまな前提条件を確認することが必要なのだが,それをこのブログで展開していると,落しどころに到達しないので,省略。で,いきなり,核心部分について,覚書風に書いてみたい。つまりは,わたしの頭の中を整理するために。

 今回の年4回の連続講演の第一回は「スポーツのルーツ(始原)について考える」というもので,そのときにスポーツなるものが「立ち現れる」きっかけはなにであったのか,という問題について考えてみた。そのときの論旨の根拠とした思想・哲学はジョルジュ・バタイユの『宗教の理論』であり,『有用性の限界 呪われた部分』である。

 バタイユの考えによると,動物の世界から<横滑り>して原初の「人間」が立ち現れたときに,その後のすべての人間にかかわる問題が発生したという。つまり,人間がたんなる動物であった時代には,動物と同じように内在性の世界を生きていればよかった。「水のなかに水があるように」自他の区別もなく存在していればよかった。しかし,そこから<横滑り>して,するりと動物性(内在性)の世界から抜け出してしまった原初の人間は,自分の頭で考えるということをはじめた。

 考えるためには,ものに名前をつけることが必要になる。つまり,ものをことばにすることによって新たな概念が生まれる。ここに,まずは,ものとことばの間に大きな断裂が生まれる。たとえば,石。大きな石も,小さな石も,みんな「石」と呼ばれることになる。そして,このことばが人間の世界を新たにつくりあげていくことになる。

 内在性(水のなかに水があるような存在の仕方)を生きていた時代には,自己と他者の区別がない。つまり,自己と石の区別がない。みんな同じ内在性を生きている。ところが,あるとき「もの」(オブジェ)の存在が突然意識にのぼりはじめる。この意識にのぼりはじめる瞬間が,すなわち,バタイユのいう<横滑り>のはじまりだ。つまり,他者の存在に気づくことによって,はじめて自己というものの意識が生まれる。つまり,そういうもの(オブジェ)に名前をつけるということは,自己と他者の区別をするということだ。

 この名づけが行われたもの(オブジェ)は,ふたつの種類に分類されていく。ひとつは,自己にとってつごうのいいもの,もうひとつは,自己にとってつごうの悪いもの,である。自己にとってつごうがいいということは,自己の役に立つということ,すなわち,有用性があるということ。たとえば,石にも役に立つ石と,なんの役にも立たない石とがある。この分類の基準が有用性。役に立つ石は,やがて道具となる。つまり,人間の所有物となる。これが事物(ショーズ)だ。

 おおざっぱに言ってしまえば,人間の進化は,オブジェに気づき,それらを有用性の視点から分類し,ショーズにしていく過程だ。その主役を演じたのが理性だ。そのうちに,その理性は,なぜ,どうして,という因果関係を考えるようになる。この理性の行き着いたところのひとつ分野が近代科学だ。やがて,ダイナマイトを発明し,核を手にいれ,原爆・原発へ,そして,ついにはiPS細胞にいたる。こんにちのわたしたちは,こういう近代科学の最先端の時代を生きている。ここにいたって,初めてわたしたちは「有用性の限界」ということに気づく。

 それだけではない。オブジェに気づき,それをショーズにし,自己の思いのままに役立てることができると信じていた自己もまた,気づいてみたら,ショーズとなりはてていたのだ。つまり,自己を見失い,だれかに利用されているだけの存在に。そして,ついには,だれからも相手にもされない,たんなるオブジェになりはててしまっている。これが,こんにちのわたしたちの偽らざる姿だ。「21世紀を生きる」ということはこういうことなのだ。このような情況のなかを生きる「わたしたち」にとってスポーツとはなにか。

 スポーツは「有用性の限界」を超克することができるのか。そのことを考えるヒントをふんだんに提供してくれているテクストが,やはりバタイユの『宗教の理論』である。このテクストについては,2010年,2011年の2年間にわたって神戸市外大の「スポーツ文化論・演習」の授業をとおして,詳細にスポーツ文化論的読解を試みている。その一部は,ブログにも書いたとおりである。さらには,『スポートロジイ』(21世紀スポーツ文化研究所紀要・創刊号,2012年刊)にも掲載してあるとおり。詳細については,いずれかの方法でご確認いただきたい。

 このバタイユの『宗教の理論』に加えて,マルセル・モースの『贈与論』をしっかりと読み込むことによって,スポーツの「謎解き」はまったく新しい地平に立つことができる。そこには,スポーツはもともと「贈与」だったという事実,そして,たんなる「消尽」にすぎなかったという事実を裏づける理論仮説がふんだんに詰まっている。

 もともと,贈与であり,消尽にすぎなかったスポーツもまた,いつのまにか「有用性」の原則に絡めとられてしまって,こんにちに至っている。たとえば,健康の保持増進のためにスポーツが役に立つという「スポーツ健康神話」がいまやピークに達しているといってよいだろう。しかし,この「スポーツ健康神話」もまた,その矛盾を露呈しはじめている。『スポーツはからだに悪い』などという題名の本もでているほどだ。これはひとつの極論にすぎないが,多くのトップ・アスリートたちのからだはぼろぼろである。ドーピング問題もその大きな壁である。そのようなことに,ようやく多くの人びとが気づきはじめている。しかし,まだまだ,圧倒的少数でしかないが・・・。

 その突破口は,有用性の原理に絡めとられてしまったスポーツを脱構築すること。すなわち,スポーツは贈与であり,消尽なのだというところから再出発すること。太陽が,だれのためでもない,ただひたすらエネルギーを消尽しつづけているように。そして,やがては消尽しつくすことを運命づけられているように。スポーツもまた,みずからに蓄えられたエネルギーを,感動体験のために消尽すること,そのための文化装置として位置づけること。ここでいう感動体験とは「自己を超えでる体験」を意味する。しかも,そこが人間が生きていることの証なのだ。

 若者たちがなりふりかまわず自己の能力の限界に挑戦していくのも,自己を超えでるときの感動体験がたまらない魅力だからだ。そして,そのようなパフォーマンスをみる観客もまた,自己を他者に重ね合わせて,同じように自己を超えでる感動体験をする。スポーツの本質はここにあるのであって,それ以外のなにものでもない。それこそが,贈与であり,消尽なのだ。

 それを,「カネ」のために,つまり,経済原則に絡めとられてしまってはならない。つまり,スポーツを商品化してはならない。アスリートがオブジェとなり,あるいは,ショーズとなり,巨額の契約金のもとに売り買いされている現実をどのようにして超克するか。あるいはまた,ドーピング問題をいかに解決させるのか。こんにちのわたしたちに突きつけられているスポーツの現実は重く,厳しい。しかし,ここを通過しないことには,未来はみえてこない。

 とはいえ,ここを通過するにはいくつもの高くて,厳しいハードルがある。その一つひとつをここで論じるいとまはない。が,大づかみに言っておけば,大量生産・大量消費というライフ・スタイルを根底から変えないかぎり解決策は見出せない,とわたしは考えている。つまり,贅沢な暮しの仕方に別れを告げることができるかどうか。地球資源や環境問題を考えても,そして,直近には電力の問題を考えても,すでに,臨界点に達している。無駄をはぶいた省エネ的なライフ・スタイルを確立すべきときにきている。

 スポーツもまた同様である。施設・設備が高度化してしまって,スポーツの大衆化を著しく阻害している。たとえば,体操競技を,クラブ活動として取り組むことのできる高校は全国で数校しか存在しない。体操競技をやってみたい高校生は全国に山ほどいる。しかし,あの施設・設備を整備できる高校は,少なくとも公立高校では不可能だ。だから,競技人口は著しく少ない。この事実をどう考えるのか。

 さて,長くなってしまったので,そろそろこの稿を終わりにしたい。

 スポーツには非難されるべき問題点,改善すべき課題が山ほどある。それでもなお,スポーツがわたしたちを魅了してやまないのはなぜか。それは,スポーツの本質である「感動体験」である。どんなにスポーツが腐敗し,頽廃しようとも,この「感動体験」だけは不思議に生きつづける。この「感動体験」こそが唯一の救いなのだ。だから,ここを起点にして,もう一度,スポーツのあり方を総点検していくことが求められている。大きな感動だけではなく,小さな感動でいい。大小さまざまな感動を,少しでも多くの人が体験できるような文化装置としてのスポーツを,わたしたちの手で取り戻すこと,これが喫緊の課題ではないか,とわたしは考える。

 こんな話を,明日は展開できれば・・・・と。あとは,祈るのみ。

2013年1月23日水曜日

ことし初めての李老師のレッスン「下半身は股関節,上半身は肩関節をゆるめること」(語録・その26.)

  いつものように稽古をはじめていたら,ひょっこり李老師が顔をみせてくださり,びっくり,そして,大喜び。ことし最初の李老師によるレッスンとなりました。それまでだらだらと準備運動をしていましたが,李老師が来られた瞬間から,みんなビシッとストレッチに取組みはじめました。そして,いつもとはまったく違う緊張感のもとでの稽古がはじまりました。ありがたいことです。

 そして,久しぶりの李老師のレッスンでしたので,わたしたちの自己流の悪いクセがでていたようで,いろいろと細かいところを指導していただきました。これまで気づいていなかったいくつものポイントも指導していただきましたので,これからの稽古の目標がより明確になってきました。

 そのなかでも,今日のポイントは「下半身は股関節,上半身は肩関節をゆるめること」というご指摘でした。これまでの稽古でも「股関節をゆるめる」ということばは何回も繰り返し言われてきましたので,それなりにわかったつもりでいました。が,まだまだ,道は遠く険しいということがわかってきました。そこに,今回は「肩関節をゆるめる」というご指摘がありました。これまでは「肩の力を抜いて」という注意でした。が,「抜く」と「ゆるめる」では大違いである,この差は大きいということが,わたしなりに理解できました。これは,ある意味で,驚きでした。

 このことを指摘されたのは,ダオジュアンゴンの稽古のときでした。たとえば,前に伸びている左腕をうしろに下がりながら引き戻し,引っ張られて出てきた相手の顔を右手で突き返す(攻撃する),この意識が足りないというご指摘でした。そして,このとき,上半身は肩関節をゆるめなさい,同時に,下半身は股関節をゆるめなさい,そうすれば無理な力を使うこともなく,流れるような身のこなしとともにダオジュアンゴンの技が完成します,と李老師は仰ったのです。

 最初,わたしにはなんのことを仰っているのかわからなくてキョトンとしていました。李老師は,すぐに,何回も何回も,みずから示範してくださって,説明をしてくださいます。それでも,まだ,理解できませんでした。そうしたら,Nさんが,こういうことですよね,といって実践してみせてくれました。李老師は「そうです!」と大きな声で応答。そこで,はじめて,わたしの理解の扉が開かれることになりました。

 どういうことなのかといいますと,以下のとおりです。Nさんは,李老師の言われたとおりに,前に伸びている左腕を引き戻す,そして,右腕で攻撃する,という意識を全面に表してやってみせてくれたのです。それで気づいたのは,李老師の示範は,あまりに滑らかすぎて,どこで,なにをしているのか,わたしの眼にはまったくとらえることができなかったのです。それを,Nさんが,技の防御と攻撃という意識を明確にして,見せてくれたというわけです。

 さあ,ここからが問題です。なるほど,意識してやらねばならないこと(技の意味)はわかったものの,どうしてもギクシャクしてしまって,動作がうまく流れていきません。つまり,ロボットが動くような,機械的な動きしかできません。そこで,飛びだした李老師のことばが「下半身は股関節,上半身は肩関節をゆるめなさい」というものでした。これで,すべてのことがらが,わたしの中で一気に氷解しました。なるほど,そういうことだったのか,と。

 わたしの理解は,ダオジュアンゴンの技の全体が,「ゆるめる」ことで成り立っている,ということでした。つまり,たとえば,肩の力を「抜く」のではなく,肩関節を「ゆるめる」こと,そして,同時に股関節を「ゆるめる」ということ,これらのすべてが同時に進行していく技,それがダオジュアンゴンだということです。そういえば,武術の技の基本は「ゆるめる」ことで成り立っている,ということを思い出しました。日本の古武術も原理はまったく同じです。

 ここまで理解できたら,あとは,稽古あるのみです。どこまで股関節をゆるめ,肩関節をゆるめることができるようになるか,意識的な反復練習しかないのでしょう。そして,気づいたら,全身がゆるんでいた,というのが理想でしょう。

 李老師は,わたしのやっている悪い見本をじつに上手に模倣してみせてくださいます。それはそれはみごとなものです。その上で,そうではなくて,こうです,といってやってくださる上手の見本になると,とたんに,なにをしているのかわたしの眼にはとらえることができません。この間に横たわる深い溝はいったいなんなのでしょう。

 そうか,太極拳の奥義への道は遠く,険しい,としみじみ思いました。が,なんとか手がかりはつかめたように思いますので,これから頑張って,李老師のような流れるようなみごとなダオジュアンゴンに挑戦してみたいと思います。太極拳の究極の理想は「行雲流水」だと李老師から教えてもらっています。その鍵を握っているのは「ゆるめる」ことなのだ,と今日,こころの底から納得しました。そして,この「ゆるめる」が,すべてにゆきわたったとき,たぶん「行雲流水」が表出してくるのだろうなぁ,と想像しています。

 つぎに,李老師が顔をみせてくださるときまでに,少しでも腕を上げておきたいのもです。
 李老師にこころから謝謝です。新年のお年玉をもらったような気分です。

戻ってきた日馬富士のパワーとスピード。この相撲は芸術だ。

 日馬富士の相撲がもどってきた。全勝優勝して横綱を手にしたときの相撲がもどってきた。心技体ともに申し分なし。今場所の日馬富士の相撲は,もはや,芸術の領域に入ったと言ってよいだろう。パワーあり,スピードあり。立ち会うまで,どんな相撲になるのかはだれにもわからない。おそらく,本人にもわからないだろう。からだが勝手に反応する,そういう域に入った,とわたしはみている。絶好調そのもの。

 白鵬も調子を上げてきた。こちらも心技体のバランスがいい。相撲に迷いがない。思いのままに相撲が取れている。前に出る圧力があるので,あの左からの上手だし投げが鮮やかに決まる。

 こうなると,千秋楽が楽しみだ。おそらくは,日馬富士が全勝で,白鵬が一敗という星勘定のまま千秋楽に激突することになるだろう。それほどに,この二人の相撲は群を抜いている。

 白鵬が右から張って,すばやく左上手をとるか,そうはさせじと日馬富士が立ち合い鋭く右のどわで攻めておいてから左上手をつかむか,ここらあたりが勝負の分かれ目になるだろう。

 できることなら,日馬富士の「後の先」の立ち合いがみたい。立ち合いに白鵬が右から張ってでてくるのを一瞬,遅く立って,空振りにさせ,白鵬の体が右に回転したところで,左上手をつかみそのまま出し投げを打ち,後ろに回って送り出し,という何場所か前にみせた相撲である。この相撲を初めてみたとき,あっ,日馬富士は白鵬を超えたと思った。以後,日馬富士が絶好調のときには白鵬はいつも後手にまわって負けている。

 しかし,日馬富士は両足首に時限爆弾をかかえこんでいる。この足首に問題が生じたときは,日馬富士の相撲が荒れる。そして,星勘定に苦労することになる。先場所がそうだった。後半戦はとくにひどかった。こういうときは,白鵬に完敗する。スピードもパワーも出せないからだ。しかし,今場所はどうやら大丈夫のようだ。

 横綱土俵入では両足首ともにテーピングなしで勤めているし,四股を踏むときもしっかりと足を踏み込んでいるが,本割の土俵では,ときおり左足首にテーピングがなされている。やや不安があるということなのか,いささか心配ではある。この不安さえなければ,今場所の千秋楽の激突は,白鵬も調子がいいだけに,面白くなりそうだ。どうか,お互いに絶好調で対決してほしいものだ。そうなると,歴史に残る名勝負になる。あの,横綱昇進を決定づけた白鵬との対戦のように。投げ勝ったにもかかわらず,日馬富士は疲労困憊でしばらくは立ち上がることすらできなかった。土俵を一周する投げの連続で,すべての力を出しきる,渾身の投げ。こんな相撲は二度とみられないと思うほどの強烈なものだった。それが,どうやら,今場所,ふたたび見ることができそうだ。

 残り5日間。4大関1横綱との対決がはじまる。今場所は珍しく稀勢の里が元気なので,この人が台風の目になるかもしれない。それも,かれの得意の型に持ち込むことができれば,という条件つきでの話である。相撲そのものの力でいえば,両横綱の次元にはまだまだ遠く及ばない。が,なにかの拍子で左からのおっつけが効を奏するようなことが起きると,一瞬,相撲が面白くなるだろう。しかし,それでも,いまの両横綱にはさばかれてしまうだろう。

 これからの5日間は目が離せない。時間があったら場所に通いつづけたいところだ。が,残念ながら,金曜日から関西へ出張である。仕方がない。関西のどこかでテレビ観戦することにしよう。

 日馬富士と白鵬の,歴史に残る,芸術的な,相撲の粋をすべて出し切るような熱戦を,千秋楽で期待しよう。

神戸市外国語大学の最終講演の日が迫ってくる。緊張の日々。

 神戸市外国語大学はとてもいい大学である。第一に,キャンパスのロケーションがいい。高台にあって空気がきれいでおいしい。背後には山があって,その山をかき分けて少し登れば素晴らしい眺望を楽しむこともできる。そこには古代の古墳もある。それでいて,最寄りの駅から徒歩1分。こじんまりとしたキャンパスはアットホームな雰囲気があって,学生さんたちも楽しそうだ。だから,たまにしか訪れないわたしなどにもとても居心地がいい。

 そんな神戸市外国語大学が,こんどの3月26日で満75歳を迎えるわたしを客員教授として3年間も雇ってくださった。ありがたい(=ありえない)ことである。最初の2年間は,集中講義で,学生さんたちと楽しく過ごさせてもらった。そして,最後の3年目は年に4回の講演をすることになった。これは学生さんだけではなく神戸市民にも公開で行われる。その最後の,第4回目の講演がこんどの金曜日(1月25日)に迫ってきている。いつもにもまして,早くも緊張が高まっている。やはり,有終の美を飾りたいと思うから。

 連続で4回の講演をさせていただけるということなので,ならば,通しテーマを立てて,一貫した話の組み立てにしようと考えた。通しテーマは「スポーツとはなにか」。じつは,このテーマはわたしが大学に入って,卒論を書くための研究室を決めるときから,わたしの中にはっきりと意識しはじめていたものである。「スポーツとはなにか」。この謎解きをするために,わたしは,まずは「歴史的」な観点から取り組んでみようと考えた。その結果が,恩師岸野雄三先生との出会いとなり,こんにちのわたしをあらしめてくださった。もう,かれこれ55年になんなんとしている。この間,ずっと「スポーツとはなにか」とわたしは自問自答してきた。長い長いトンネルだった。

 「スポーツとはなにか」。終わりのない問いでもあった。しかし,つい最近になって,ようやく「スポーツとはなにか」のわたしなりの「解」がみえてきた。よし,これを4回に分けて話をしてみよう,と決断。そして,講演が無事に終わったら,その内容を単行本にまとめてみよう,と。だから,最初から,かなりの気合が入っている。その最終回がこんどの25日(金)というわけである。だから,緊張感も一入である。

 ありがたいことに,「スポーツとはなにか」というタイトルの単行本企画も,引き受けてくれる出版社も,すでに決まっている。だから,なおのこと,こんどの最終講演には気合が入る。どのように展開して,どのように落とそうか,智慧の出しどころである。

 4回の連続講演のテーマは以下のとおりである。
 第一回目:スポーツのルーツ(始原)について考える。
 第二回目:伝統スポーツの存在理由について考える。
 第三回目:グローバル・スタンダードとしての近代スポーツについて考える。
 第四回目:21世紀を生きるわたしたちのスポーツについて考える。

 こうしてテーマを書きつらねてみると,いつのまにか,スポーツ史を語っていることがわかる。伝統的なアカデミズムに則れば,みごとに「古代」「中世」「近代」「現代」の4時代区分でテーマがかかげられている。しかし,わたしの意識としては,第一回目と第二回目は「前近代」,第三回目が「近代」,そして第四回目が「後近代」,というわたしの発想にもとづく3時代区分である。この時代区分にこだわり,提唱している理由は,あくまでも,「近代」という時代がいかに特異・特殊な時代であったかということをクローズアップさせることにある。

 わたしたちは,ようやくにして,「近代」という時代の奇怪しさに気づきはじめ,この時代がいまや臨界点に達しているという,つまりは,極限状態だということを認識しはじめている。となれば,この「近代」という時代をどのようにして超克していくのか,が問われていることになる。「近代」の極限状態とは,すなわち,スポーツの領域に持ち込めば,「近代スポーツ競技」の臨界点ということだ。この「近代スポーツ競技」がいま,どのような情況に追い込まれているのかということを突き詰めて考えていけば,つぎなる「後近代」への突破口がみえてくる。

 それも,スポーツのルーツを問い返し,伝統スポーツの存在理由を考えることによって,近代スポーツ競技が陥った隘路が浮き彫りにされ,やがては21世紀のスポーツ文化が,おのずからその姿をみせはじめる,というのがわたしのいま考えていることである。これを,こんどの講演会で論じてみたいと思う。


2013年1月22日火曜日

桜宮高校の3年生8人,記者会見で反論。素晴らしい。駄目なのは大人。

 さきほどのブログを書いてから,それとなくネット情報をサーフしていたら,ありました。ありました。桜宮高校の在校生による記者会見。まことにまっとうな発言に,まだまだ日本も捨てたものではない,と感動しました。

 詳しくは個別にご確認いただきたいが,概要は以下のとおり。ほとんどは引用。(22時35分,時事通信配信)

 21日夜,同校3年の男子生徒2人と女子生徒6人が記者会見に臨んだ。「私たちは納得がいかない」「学校を守りたい」。8人は「まだ結論を覆せるかも」と,橋下市長と市教委に対し,決意の反論を展開した。
 市役所5階の記者クラブで午後7時半から1時間余にわたって会見。8人はいずれも運動部の元キャプテン。制服のブレザー姿で横一列に並んだ。
 「体育科に魅力を感じて受験したいと思う生徒がほとんど。普通科に回されるのは,私たちは納得がいかない」。女子生徒が口火を切った。橋下市長が同日朝,全校生徒を前に説明したが,「具体的な理由がなく,私たちの声も十分に聞いてくれなかった。思いは1時間で話せるわけがない。「生徒,受験生のことを考えて」と何度も繰り返したが聞き入れてはもらえなかった。在校生や受験生のことを考えたらもっと違う結論がでたんじゃないか」と訴えた。
 橋下市長が体罰の背景に「生徒たちも容認していた」「勝利至上主義」などと発言していたのに対し,女子生徒は「容認していないし,勝つことだけが目標ではなく,礼儀など人として一番大切なことを教えてもらっている」と反論。
 自殺問題については「心の傷は深く,重く受け止めている。傷を癒せるのは先生」として教諭の総入れ換えにも反対し,「多くの生徒が学校を守りたいと思っている」と強調した。
 男子生徒は「今回の結果が覆せるのではないかと,強い思いをもってきた」と会見の動機を語った。別の女子生徒も「今まで続いている伝統は今でも正しいと思っている」と力説した。

 わたしは涙を流しながら,この配信を読みました。もちろん,記事としての書き方に異論もありますが,まずは,おしなべてよく書けていると思いました。これが生徒たちの「生の声」なのだということもよく伝わってきました。この勇気ある生徒たちにこころから拍手を送りたいとおもいます。こういう生徒たちがいるということを確信していましたので,さきほどのブログを書いた次第です。最後のところでわたしが呼びかけたわたしの教え子でもある桜宮高校の卒業生も,こういう記者会見にでてくる正義感の強い人間でした。

 ですから,桜宮高校のOB/OGのみなさん,みんな黙っていないで声を挙げてほしいと思います。声を挙げることが,亡くなった生徒への,せめてもの贐ではないかと思います。わたしは直接の関係者ではありませんが,同じ体育・スポーツノ世界に生きている人間の一人として,黙って見過ごすわけにはいきません。

 さあ,こんどは先生たちの発言が必要です。ほんとうのところを表明してください。場合によっては,教員会議で話し合ったこととして。あるいは,校長の所見として。どんな形式でもいい。やはり,教員の声が聴きたい,それも,ホンネの声が聴きたい,それがわたしのいまの希望です。さらには,父兄の声も。そうして,今回の入試中止という具体的な事態をとおして,ことの深層(真相)を知りたいと思っています。

 わたし自身は,「体罰」などという,うすっぺらなことばに翻弄されて,ことの実態を歪曲しているメディアの報道の仕方に大きな憤りを感じています。そして,それを鵜呑みにして,騒ぎ立てるポピュリズムにも腹を立てています。そうではなくて,ことの真相,問題の所在を,しっかりと見届けることが先決です。

 だからこそ,今回の生徒さん8人による記者会見にこころからのエールを送りたいと思います。やはり,若い人は素晴らしい。「納得いかない」と思ったことをきちんと言える。こういう生徒が育っているのも,桜宮高校体育科の厳しい教育の成果ではないでしょうか。

 まだまだ,わからないことだらけですが,少なくとも,これまでのメディアの報道の仕方はあまりにものごとを単純にとらえすぎているのではないか,というのがわたしの現段階での感想です。

 突破口は開かれました。勇気ある生徒たちによって。さあ,これからです。こんどは先生たちです。そして,関係者全員が声を挙げるときです。みんなでこの問題を考えるために。そして,亡くなった生徒の遺志に応えるために。

桜宮高校の入試中止。受験生無視,在校生無視,教育委員会はだれのためのもの?断じて許せない。

 ああ,ついにここまできてしまったか。世も末である。教育委員会は子どもたちの教育を守るための組織であるとわたしは長い間,そう信じてきた。なのに,教育委員会は子どもたちや親や教員を守るための組織ではなかったのか。その教育委員会が,あろうことか,なんの罪もない受験生を切り捨てた。その決定を文科相も認めた。いったい,だれを信じたらいいのか。

 無責任体制の権化。だれも責任をとろうとはしない。ひとり,気の狂った市長が,おれの言うことを聞かなければ予算執行を行わない,と脅しをかけた。そんなバカな発言にみんな怯えてしまったのか,それとも,自己保身に走ったのか,入試中止を決定してしまった。5人の委員のうち4人の,バカな委員のことだ。1人は,それに反対した。この委員を信じたい。が,形式民主主義は,多数決ですべてを決めてしまう。このたった1人の,わたしからすれば,まっとうな意見は無視されてしまう。教育の場でこのようなことがまかりとおってしまっていいのだろうか。なにゆえに反対なのか,その根拠に耳を傾けることがあってもいいではないか。このたった一人の反対意見について,もっと開かれ場で議論をしたっていいではないか(早い段階でのインターネット情報では,5人のうち3人が「中止」意見だった。途中から,もう一人が「中止」派になったということか)。

 が,大阪市教育委員会はそうはしなかった。いそいそと「入試中止」を決定してしまった。それはそれで意見はあろう。教育現場が混乱をきたす(入試までの日がない)。予算執行が行われないと,もっと大きな混乱をもたらすことになる。だから,小異を切り捨てて,大同につく,という立場もあろう。しかし,これは間違いだ。少ない受験生を切り捨てて,いままでどおりの予算を確保して,多くの受験生の利益を守る方がいい,と考えたとしたらそれは大間違いだ。でも,これが日本の,情けないことではあるが,ほんとうの姿なのだ。(原爆の被爆者,水俣病,原発被災者,などなど。みんな軽視されてきた。)

 「みてみぬふりをする」「ことなかれ主義」「無責任体制」,そして,「保身主義」。わが身可愛さに他者を切り捨てる。あとは「だんまり」。大阪市教育委員会の5人の委員さん。あなた方が(一人を除いて),そういう「無責任」な人たちだったとは,大阪市民の大多数の人は思っていなかったはず。でも,たった一人,良識のある委員さんがいた。この人にメディアは光を当ててほしい。でも,たぶん,どこのメディアも無視するのだろう。それが,いまの日本のメディアだ。少数意見はことごとく無視していく。そして,大衆を煽動する。多数に寄り掛かって。尖閣諸島の問題がそうだ。あれは日本が「盗み取った」のだ,と言えば「国賊」扱いにされてしまう(鳩山由紀夫君のように,そして,わたしも)。

 少数意見は,よほどのことがないかぎり,わたしは「正しい」と思っている。ただ,その「正しさ」を理解できない多数が押し切ってしまう。それが世の中というものだ。イエス,ソクラテス,コペルニクス,みんな多数決で殺されてしまった。民主主義の暴力。ポヒュリズム。

 いまは,桜宮高校を受験しようと夢見ていた純粋無垢の受験生たちが,その犠牲者だ。こんなこともわからない橋下市長,大阪市教育委員会委員,文部科学大臣。情けない。あなた方に生きる生身の人間の「血」が流れているとは思えない。弱者を切り捨てて保身に走る輩が世の中の中枢にいる。それも,けして少なくない。むしろ,多数だ。

 しかし,こんな決定を大阪市民が黙っているとは,わたしは思わない。大阪市民は人情の篤い人が多い。「受験生をどないしてくれんの,可哀相に」という人たちが立ち上がるに違いない。また,それを期待してもいる。

 在校生はもっとつらかろう。「ぼくたちはなにか悪いことをしたの?」と。なんで入試が中止になるねん,と。クラブは上級生が指導したっていいではないか,と。一時的に,別の一般教科の先生に肩代わりしてもらって。

 いま,「ことなかれ主義」に走ってはならない。いまこそ,からだを張って,自己主張をしよう。教育委員会委員を筆頭に。学校長,教員,父兄,生徒,受験生。そして,OB。さらには,良識ある大阪市民。橋下市長がなんと言おうと,予算執行を拒否しようと,わたしたちはこう考える,と。ありとあらゆる手段を用いて,意志表示をしていこうではないか。

 桜宮高校卒業生の君。わたしの教え子でもある君。そして,いまや立派な高校の体育教師となっている君。いまこそ,からだを張って,自己主張をしてほしい。場合によっては,わたしもからだを張って応援する。頑張れ。



2013年1月20日日曜日

大鵬さんが逝った。わたしと同時代を生きた人間として哀惜の念に耐えない。ご冥福を祈る。

 大鵬といえば柏戸。この二人はセットだった。柔の大鵬,剛の柏戸。このふたりの相撲は面白かった。どちらが得意の型にもちこむかで勝負は決まった。だから,組んずほぐれつの相撲が展開した。大鵬は柏戸をつかまえて四つに組みたい。柏戸は突っ張っておいて,大鵬をはずにあてがって一気に寄り切りたい。それを嫌って大鵬もあの手この手をくりだして,四つに組み止めてからじっくりと攻める。柏戸は立ち合いから一気に,一直線にがぶりたい。この攻防はみごとだった。だから,千秋楽の横綱対決は,立ち会うまでが大変だった。つまり,仕切り直しをしている間に息が詰まってしまって,息苦しくて仕方がなくなってしまう。これがまたたまらなかった。立ち上がってからの濃密な数秒間,呼吸を止めてテレビを見入ったものだ。

 その大鵬さんが逝った。万感迫るものがある。あの「昭和の大横綱」と呼ばれ,大記録をつぎつぎに打ち立て,日本相撲史に燦然と輝くその名を残した。しかし,運命のいたずらは容赦なし。36歳の若さで脳梗塞で倒れ,左半身が不自由になった。それから必死にリハビリをつづけながら,弟子を育て,日本相撲協会のために全力を投じて,こんにちまで生きてきた。伝え聴くところによれば,四六時中,相撲のことを考えていたという。立派な人であったとしみじみ思う。

 昭和35年,16歳で相撲界に入門。わたしは18歳。この同じ年に,体操競技でオリンピックにでたいという夢をいだいて,東京教育大学に進学。わたしは怪我をして,もろくも夢破れてしまう。大鵬は努力一筋,順調に昇進をつづけていった。

 もちろん,その当時,納屋幸喜の名前も知らない。納屋という醜名で相撲をとっていたことも知らない。しかし,記録破りのスピード出世をして,十両に昇進したときに「大鵬」という醜名になったニュースは大きく報じられたので記憶している。将来有望な若手力士の登場である。このときから,わたしのなかに「大鵬」という風変わりな力士名とともに,かれの相撲内容が記憶に残るようになる。しかし,そのころの大鵬はまだからだが細くてか弱く見えた。にもかかわらず,いくら攻められても,かんたんには土俵を割らない。そして,いつのまにか自分充分の組み手に持ち込み,じわじわと相手不利の情況をつくり,勝ち星につなげる。いわゆる,理詰めの,負けない相撲,というのがわたしの最初の印象である。

 それから,からだができてくると,あれよあれよという間に大鵬は幕内を駆け上がり,柏戸と競り合いながら,ふたり同時に横綱に昇進した。ここから「柏鵬時代」がはじまる。わたしは,どちらかといえば,柏戸が好きだった。自分の相撲の型をはっきりもっていて,その型にはまったら,だれにも負けない,そのわかりやすさが好きだった。相手を真っ正面にとらえて,一気に押し出す,この単純でわかりやすい型が好きだった。そのときの強さは,大鵬といえども,とうにもならなかった。相撲の型をもつ,ということの意味をはじめて知ったのが柏戸の相撲だった。だから,大鵬はこの柏戸の相撲をいかにはぐらかし,自分得意の型に持ち込むかをつねに工夫し,土俵で必死になった。この立ち合い一瞬の攻防を見届けることが,相撲好きのわたしには,なにものにも代えがたい大事な時間となった。

 数々の名勝負を,大鵬は柏戸との対戦で残してくれた。のちに,大鵬が書いた自伝を読んで知ったことだが,この二人は大の仲良しだった。柏戸が八百長疑惑に追い込まれて苦しんでいたころ,たまたまタクシーで柏戸と一緒に乗り合わせたときに「つらいだろう」と声をかけたら,柏戸が号泣したという。この話を読んで,わたしももらい泣きをしてしまったことがある。以後,大鵬と柏戸とはだれにも知られることもなく,こころの奥深くで強い絆で結ばれていた,という。こういうピンチに立たされたときの相手の気持ちを思いやるこころを大鵬はもっていた。それが大鵬なのだ。

 自己には厳しいが,他者には優しい,これが大きな仕事をなし遂げる人の特性だ。大鵬はその典型的な人だった。だから,現役の力士たちの多くが,連合稽古のときなどに大鵬親方に声をかけられ,大きな勇気をもらったという。相撲は基本が大事だ,と繰り返し教えてもらった人も多い。ことば数の少ない人だったようだが,発することばは多くの人のこころにとどいていた。核心をつくことしか言わなかったという。

 納屋少年は,相撲部屋の新弟子になってはじめてラーメンを食べて感動したという。16歳。わたしは,東京にでてきてはじめてラーメンを食べた。18歳。感動した。新宿駅近くのバラック建ての岐阜屋というラーメン屋さんで食べた。これが初体験。15円。公衆電話が一回10円。外食券食堂(米がまだ配給の時代だったので,実家のお米屋さんから外食券をもらってきて,それを店に出すと安くなる)があった時代。まだ,みんな空腹をかかえて生きていた時代の話。

 そういう記憶が,大鵬という名とともに思い出される。
 「巨人,大鵬,卵焼き」,こどもの好きなものの代名詞。しかし,このころの「卵焼き」は憧れの食べ物であったことを,いまの人たちは知らないだろう。いま,スーパーで売られている卵の値段をみるたびに,わたしは悲しくなる。あまりに安すぎる。わたしの子どものころには家で鶏を飼育していたが,卵は売るためのものであって,食べるためのものではなかった。事実,高く売れた。このお金で,野球のグローブやバットやボールを買った。だから,運動会の日の朝食に,「卵かけご飯」を食べさせてもらえたことが,どれほど嬉しかったことか。

 納屋幸喜少年は,わたしなどより,もっともっと苦しい生活を強いられて育っている。詳しいことは省略するが,その苦しい子ども時代にくらべれば,相撲部屋での苦労はなんでもなかった,という。なにより,腹一杯,食べることができたことが嬉しかったという。この空腹を満たすことのできる喜びは,わたしにもわかる。戦時中に焼け出されて疎開していた時代には,学校で昼食時になると家でしてくると言って嘘をつき,実際は昼食抜きだった。食べるものがなかったのである。あのひもじさに比べたら,その後の人生での大抵のことは我慢できた。

 大鵬さんの思い出は,どうしても,わたしの過去と重なってくる。同時代を生きた人間としての共感がある。そういう同時代人の英雄が,ひとり,逝ってしまった。寂しいかぎりである。

 こころからご冥福を祈り,こころからの哀悼の意を表したいと思う。
 大鵬さん,やすらかに。そして,ありがとう。


言論によるビンタは野放しのまま。これでいいのか。冗談じゃない。

 鳩山由紀夫が「国賊」ならば,わたしもまた立派な「国賊」である,と昨日(19日)のブログに書いた。その理由はすでに書いたとおりであるが,その他にもある。わたしは長い教職生活の間に,中国や韓国からの留学生をたくさん受け入れてきた。そのうちの何人かは,博士論文を書くためのお世話もしてきた。かれらは,みんな優秀で,その多くは中国や韓国に帰って大学の教授になっている。そのかれらとは,いまも,密接な交流がつづいている。時折,かれらが日本にもやってくるので,あるいはまた,わたしがあちらに出かけたりするので,そのつど,かなり踏み込んだ議論をする。お互いの信頼関係があるので,ホンネで話をする。

 当然のことながら,今回の「尖閣諸島」の問題についても意見の交換をしている。こちらは,いまのところメールでやりとりをしている。そして,みんな異口同音に「日本がだまし取った」という趣旨の意見を述べている。わたしも,まったく同感である,と応答している。そして,その根拠をポツダム宣言以後の連合国の処理の仕方に問題があったと指摘して,かれらの意見を尋ねみたりしている。そして,やはり,現段階では「棚上げ」にして,しかるべき「時」を待つのがベターである,と。もちろん,このわたしの意見に反対する中国人もないわけではない。たとえば,「実効支配」していること事態が間違っている,という意見の人もいる。しかし,それを言いはじめると日中国交回復の前提が崩れてしまうから,それはもう少し待ってほしい,とわたしは応答している。そして,なにより大事なことはお互いに「友人」になることだ,と。しかし,いまや,その前提すら日本が一方的に破棄してしまい,友人になることどころか,真っ向から「敵対」することになってしまっている。

 しかし,こういう民間でのやりとりもまた「国賊」だというのであれば,わたしはまぎれもなく「国賊」のひとりだ。このように言われることを覚悟した上で,でも,ほんとうのことは言っておこうと腹をくくることにしている。

 その一方で,わたしにも言い分はある。はっきり言っておこう。小野寺国防相の発言そのものが,わたしにとっては「言論によるビンタ」に等しい,ということだ。大臣の言論に対して,わたしたち庶民は,せいぜいこういうブログで対抗するしか方法はない。言ってみれば,ほとんど無抵抗の庶民にビンタをくらわしているのと変わりはない。現に,わたしは少なからず怯えている。そして,相当の覚悟をもって,このブログを書いている。

 この言論という名のビンタは,じつは,ずいぶん前から浸透している。たとえば,テレビ討論などをみていても,わたしのような意見を述べる論者には超党派で集中攻撃を浴びせてくる。ついには,わたしのような論者は,ひとりも登場させてもらえない情況ができあがってしまっている。あらかじめ,排除されているとしか思えない。そして,みんながみんな異口同音に「尖閣諸島」は日本の固有の領土だ,という前提の話しかしない。そうなると,日本の国民の圧倒的多数がそれをそのまま鵜呑みにして,信じることになる。そして,「早く軍隊をつくって,中国の船を追い出してしまえ」「竹島をとりもどせ」「北朝鮮をやっつけてしまえ」という暴論を吐く人が,日に日に増えている。恐ろしいことが,いま,水面下で進展している。

 それに輪をかけるようにして,新聞もテレビも「中国船が領海を侵犯した」「飛行機が領空侵犯」という報道をくり返す。

 これでは,言論による「往復ビンタ」ではないのか。

 庶民はいつのまにか,この「往復ビンタ」に順応してしまい,なんの抵抗もなく,ああ,そうなんだ,と思うようになる。そして,にわかに愛国主義者に変身する。そして,いとも短絡的に「軍隊をつくって,やっつけてしまえ」と吼えはじめる。そのくせ,自分の息子たちは絶対に兵隊には行かさない,と平然と言ってのける。じゃあ,だれが戦うのか。そんなことはそっちのけの愛国主義者が激増している。わたしの身のまわりにもうじゃうじゃいる。そして,自分の言動の矛盾に気づいてはいない。こういう庶民レベルの話が,いまでは,高学歴者で一流企業に勤めるエリート社員の間にも広がっている,という。わたしも,そのうちの何人かの人と話す機会があった。

 もう,びっくり仰天を通り越して,唖然としてしまって,茫然自失である。エリートもまた,「思考停止」「自発的隷従」の隘路に入り込んでしまっている。まわりの人がみんなそうなってしまうと,自分の奇怪しさに気づくこともなくなってしまう。

 こんなことが日常化しつつある。となると,どういうことが起こるのか。

 漫画家牧野圭一のデビュー当時のマンガにつぎのようなものがある。
 サラリーマンが,いつものように朝,バス停で新聞を読みながら立っている。そこに,どこかから鉄砲の弾が飛んできて新聞紙を突き抜けていく。サラリーマンはなにが起きたのかわけがわからなくて呆然と立ち尽くす。すると,そのバス停周辺はいつのまにか戦場になっている。そして,兵士たちが銃撃戦を繰り広げている。サラリーマンは急いで身構える。そのサラリーマンに銃が手渡される。最初は自分の身を守るために銃を構えているが,敵が目の前に現れると,もう,われを忘れて銃を撃ちつづける。いつのまにか立派な兵士に変身している・・・・というマンガである。

 熱心に新聞を読んでいたサラリーマンが,あっという間に,ひとりの兵士に成り果てる。
 言論による「往復ビンタ」をくらっているうちに,だれもが無抵抗のまま兵士となる可能性を予言しているようなマンガである。

2013年1月19日土曜日

鳩山由紀夫が「国賊」なら,わたしも立派な「国賊」だ。

 政府自民党サイドから恐ろしい発言が相次いでいる。ちょっとただごとではないところに向って猛進(盲進)していく,その勢いに,唖然としている。自民党には河野洋平というご意見番がいるが,蚊帳の外に放り出して無視である。まともなことを言う人は邪魔なのだ。そして,自民党右派の仲良しクラブが手を結んで,盲進(猛進)していく姿は,危なくて仕方がない。

 たとえば,小野寺五典防衛相の「国賊」発言,小池議員の「鳩は鳩小屋に」発言・・・・。それに呼応するかのようにネット右翼が,悦び勇んで,トンチンカンな発言をくり返している。惨憺たる情況がネットの世界で展開している。なるほど,安倍君がネットの世界をこよなく愛しているというのも,まことによく理解できる。しかし,間違ってはいけない。ネットの世界は,原則として,匿名発言である。都合がわるくなると雲散霧消してしまう,そういう人たちが主流である,ということを。

 もちろん,話題の中心は,鳩山由紀夫元総理の訪中時での「係争地」発言に対する批判である。そして,南京大虐殺に関する発言である。

 これまでの鳩山由紀夫の言動をとおして,メディアが作り上げてしまった「宇宙人」イメージがあまりに強烈なために,いまも,多くの誤解に晒されている。その意味ではまことに気の毒な人ではある。が,この人の根っこにある純粋さ,素直さ,まじめさは,捨てたものではないとわたしは思ってきた。ただ,政治家としての段取りのまずさ,根回しの稚拙さが命取りとなって,あえなく政界から追い出されてしまった(民主党・ノダが,意図的・計画的に居場所を奪ってしまった)。

しかし,わたしは,鳩山由紀夫というひとりの人間が導き出す結論(政治課題)には,不思議に一致することが多かった。「最低でも県外移転」「消費税増税反対」「TPP参加反対」,などなど。ただし,それにともなう言動には,首を捻らなくてはならないことも多かったが・・・・。

 たとえば,こんどの「係争地」発言。これは,要するに「棚上げ」論だ。日中国交回復いらい40年にわたって,日中両国が合意し,両国ともにその合意を守ってきた,ひとつの重要な了解事項だ。それを無視して,突然,日本が一方的に「わが国固有の領土」であるとして「国有化」してしまった。その経緯はよくご存じのとおりである。驚いたことに日本共産党まで同調している。あちゃーっ!?である。まるで,日本国中,お祭り騒ぎである。こうなると,もう,歯止めがきかなくなる。まるで熱病にかかったかのように。

 にもかかわらず,アメリカ政府は,尖閣諸島にかんして「安保条約の範囲内にはあるが,領土に関してはとちらにも与しない」という姿勢を崩していない。国際社会もじっと息をひそめて見守っているようだ。ということは「どちらにも与しない」というアメリカ政府の姿勢を支持しているようにみえる。というより,「棚上げ」論を支持している,というべきか。

 そして,とうとう,アメリカの新聞(社説)が「尖閣諸島は日本が盗み取った」という見出しの記事を掲載した,という。その詳細を確認していないので,あまり,ですぎたことは言えないが,わたしとしては「とうとう,このような意見がでてきたか」というのが正直な感想である。この手の議論は,一度,はじまると燎原の火のようにあっという間に広がっていく。日本が袋叩きに合い,国際社会から日本の信用は一気に失墜してしまうのではないか,とわたしは畏れる。

 すでに,従軍慰安婦に関する河野洋平談話(1993年)を見直すという日本政府発言に対して,アメリカ政府は素早く反応し,それはならぬ,と釘を刺している。尖閣諸島に関する河野洋平の主張もじつに明確である(『世界』参照のこと)。日中国交回復時に合意した「棚上げ」論だ。ここに戻ってやり直すべし,と。その河野洋平の声を,いまの自民党政府は,まったく聞く耳をもたない。情けないかぎりである。だから,アメリカ政府は安倍政権に期待と疑問という,「?」マークつきの姿勢をくずしていない。

 くり返すまでもなく,わたしも「棚上げ」論から出直すべきだ,と考えている。そうして,日中両国が,つぎのステップの合意にいたるまで,じっくりと時間をかけて理解を深めることである。しかも,これまでも日本の「実効支配」を中国は容認してきたのだから。小泉政権も模索したように,日中共同開発というような「友好」を前提にした道を切り開くべきではないか。一刻も速く,国際社会から「盗み取った」と言われないように,先手を打つべきだ。しかし,いまの安倍君にはその耳ももたないだろう。となると,自民党沈没のシナリオは,外からやってきそうだ。

 鳩山由紀夫が「国賊」だというのなら,わたしもまた「国賊」の一員に加えてもらいたいものだ。「国賊」は裏返せば「救国の士」にもなる。「たった一人の叛乱」のような話ではあるが,ここは黙っているわけにはいかぬ。わたしなりの決意表明である。

2013年1月17日木曜日

「涙する情動を取り戻せ」(トリン・ミンハ)。木下恵介監督,山口良治監督,そして桜宮高校。

 NHKのクローズアップ・現代で,今夜は,木下恵介監督の映画が取り上げられていました。えっ,どうして?と思いながら,ぼんやりと眺めていました。もちろん,夕食の時間ですから,片方で夕刊を眺めながら・・・。そうしたら,世界の4大映画祭のすべてで木下作品が取り上げられ,大きな話題になっているというのです。

 その瞬間に,ハッと脳裏に浮かんだのは,なぜか,シモーヌ・ヴェイユの「根をもつこと」,そして「魂の欲求」ということばでした。同時に,トリン・ミンハの「涙する情動を取り戻せ」ということばでした。

 木下恵介監督といっても,もはや知る人の方が少ないかもしれません。わたしたちの世代の人間は,みんな木下映画をみて「涙した」ものでした。もう,最初から最後までボロボロに泣いたものでした。ですから,映画館に向かうときから泣くことを覚悟して,ハンカチを何枚も用意してでかけたものです。たとえば,木下映画の代表作といわれる『喜びも悲しみも幾年月』。佐田啓二,高峰秀子主演の,いい映画でした。わたしが大学の2年生の夏休みと記憶していますので(間違っているかもしれません),昭和32年の作品です。夏休みに帰省したら,郷里の豊橋市の松竹映画館で上映していました。無理やり,母親を連れ出して,見に行きました。

 昭和20年が敗戦の年。その1年前にアメリカのB29の爆撃によって焼け出され,丸裸のまま母親の実家に駆け込みました。かろうじて命拾いをしてから,食べるものも,着るものもまともには手に入らない苦しい配給の時代を過ごしました。それから12年間,5人の子どもたちを育てるために両親は必死でした。そんな情況のなかでも,わたしはありがたいことに大学に進学させてもらいました。もちろん,東京での生活費の大半はアルバイトで稼ぎました。そうして2年目の夏休みで帰省したときの話です。

 母親はお金がないのでもったいない,と言って行こうとはしませんでした。わたしは,三日間ほどかけて母親を口説きました。この映画は,木下恵介監督の傑作と言われている映画なので,試しにみておいた方がいい,と。そうして,ようやく映画館にでかけました。でも,間違いなく泣いてしまう映画なので和タオルをもっていきました。予想どおり,わたしも泣きましたが,母親は嗚咽していました。母親は,途中から,わたしの左手を両手で握りしめて,離そうとはしませんでした。そうして,交代で和タオルをつかっていました。こんなにたくさんの涙を流した映画は,あとにもさきにもありません。それはそれは,たいへんな映画でした。そして,大満足しました。

 わたしの記憶している木下映画はみんなお涙頂戴ものばかりでした。それが,いま,日本の若い世代に注目されているだけではなくて,世界の映画ファンを魅了しているというのです。その理由について,何人かの映画監督さんが登場して解説をしていました。そのなかで,印象に残ったのは,「お互いに共感するこころ」が大事だという考え方が木下監督の根源にあって,それが映画となって表出しているのでは・・・という山田太一さんのことばでした。1950年代の映画ですから,みんな貧しく,世の中の矛盾に泣かされつづける弱者が,耐えに耐えて生きていく,そういう人物が主人公になっていました。そこでの人と人とを結び付ける力は,「共感するこころ」,そして「涙する情動」でした。

 他者と苦しみを分かち合う,共感し合う,そして涙する情動・・・・こういうものを現代の文明社会に生きるわたしたちはすっかり忘れてしまっています。そのことをいちはやく指摘したのがトリン・ミンハでした。「涙する情動を取り戻せ」という名言はトリン・ミンハの名前とともに記憶しています。

 「涙する情動」で思い出すのは「泣き虫先生」こと山口良治監督のことです。もはや,この人の名前を知る人も少なくなってしまったかもしれません。伏見工業高校ラグビー部監督として全国にその名をとどろかせ,映画やテレビでもおなじみになった『スクール☆ワォーズ』のモデルとなった人です。詳しい説明はたぶん不要でしょう。ツッパリや悪がきばかりが集まっていたラグビー部員を忍耐づよく指導して,全国優勝にまで導いた名監督です。この山口さんのあだ名が「泣き虫先生」。

 強いチームにしてやろうと思って対外試合を組むと,生徒たちはボイコットしてしまう,校内での生活の規律を守るように指導しても,学校の外で悪をする,さんざん苦労した挙句,とうとう先生はラグビー部員たちを前にして「涙する」。どうしてこんなことがわかってもらえないのか,と涙ながらにお説教。「先生が泣いている」。ここから生徒たちの態度に変化が現れはじめます。そして,ついには,試合に勝てるようになってきます。すると「いい試合をしてくれた」「ありがとう」と言って「涙する」。負けるとわたしの指導が悪かったと謝り「ごめん」と言って「涙する」。山口さんのキー・ワードは「感動」。人は感動することが大事だ,と。感動する経験が人を変える,と。山口さんはそれを地でいく人。生徒たちが,それに気づくとみるみるうちに変わっていく。山口監督は「気づかせる」ことの名人。

 生徒たちと苦しみを分かち合い,共感し合い,そして涙する,これが山口監督のセオリー。こういう監督のもとから多くの名選手,名コーチ,名監督が輩出したこともよく知られているとおりです。そのひとりが平尾誠ニ。

 そんな山口良治監督を義父にもつ人,それが桜宮高校バスケットボール部顧問の先生だ,と週刊誌が報じています。ほんとうか?とわが目を疑ってしまいます。もし,ほんとうだとしたら,この顧問の先生には「涙する情動」が欠けていたのだろうか,と考えてしまいます。同じ「熱血」先生でも,生徒の前で「涙する情動」を持ち合わせているかどうか,ここがおおきな分かれ目であり,決定的なポイントとなります。

 箱根駅伝でみごと総合優勝に導いた日体大の別府監督もまた,去年の惨敗のあと,初めて選手たちの前で「涙した」といいます。そこから「基本の基」,選手たちの生活態度からやり直すことによって,なにが大事なことかということに選手たちが「気づき」はじめたといいます。そうして,選手たちは生まれ変わったように走りはじめたといいます。

 「涙する情動を取り戻せ」というトリン・ミンハのことばが,これからふたたび注目されるようになるのでしょう。木下恵介監督作品がそのきっかけになるのでは,と今日のクローズアップ現代は教えてくれました。それは,とりもなおさず,シモーヌ・ヴェイユのいう「根をもつこと」であり,「魂の欲求」を大事にし,実現させることにもつながっていくはずです。近代という時代をとおして「根こぎ」にされてしまった「魂の欲求」(たとえば,「涙する情動」)を,もう一度,「根づき」させること(根づかせること)が,不可欠であるとシモーヌ・ヴェイユは言います。

 わたしたちは,いま,とても重要な転換期に立たされている,としみじみ思います。

2013年1月16日水曜日

橋下君,トンチンカンですよ。桜宮高校の生徒や受験生を犠牲にしてはいけません。

 あまりにバカバカしい話なので無視しようと決めていましたが,やはり,許せない,と考え直し,書くことにしました。今朝の新聞に,桜宮高「体育科の入試中止」,橋下市長 バスケ部 無期限停止,という記事がありました。唖然として,開いた口が塞がらない・・・・とはこのことです。

 橋下君,いったい,あなたはなにを考えているのでしょうか。
 今回の顧問教師による暴力事件での最大の犠牲者は桜宮高校の生徒たちです。一番ショックを受けて呆然としているのは生徒です。この生徒たちを,どのようにして安心させ,救済するか,それこそが喫緊の課題です。一刻も早く,その手当てをすることがなによりも優先させるべき,あなたの使命です。それを「体育科の入試中止」ときた。生徒たちがなにか過失を犯したとでもいうのでしょうか。

 生徒たちにはなにも過失はありません。

 「バスケ部 無期限停止」も,なるほどと思わせながらも,じつはこれもトンチンカンです。生徒に過失はなにもありません。暴力をふるった先生だけが問題なのです。たとえば,高校の野球部などで生徒たちが重大な過失を犯したときにとられる方法が「無期限活動停止」でした。ここにも問題がないわけではありません。いわゆる「連帯責任」という考え方と,それに基づく処分の仕方です。過失を犯した生徒だけを厳重に処分すればいいのであって,まじめに努力してきた生徒たちにはなんの咎もありません。しかも,今回の場合には,ただひたすら先生の問題です。先生の過失を生徒にかぶせてどうするのですか。わたしが生徒だったら,ただちに異議申立をします。

 ましてや,桜宮高校の体育科に入学しようと,これまで夢見て,努力してきた受験生まで犠牲にするようなことをしてはいけません。断じていけません。

 新聞記事によれば,橋下市長は「受験を希望していた生徒や保護者には申し訳ないが,過去の連続性を断ち切る必要がある。こんなことで募集を続けるとなれば大阪の恥だ」と語っています。「過去の連続性を断ち切る必要」はそのとおりです。そのために「募集を中止する」というのは違います。あまりにも安易な方法に堕してはいませんか。これでは受験生が犠牲になるだけです。冗談じゃありません。

 橋下君。「連続性を断ち切る」のはかんたんです。二人の暴力教師を桜宮高校の教育現場から去らせることです。その方法はおまかせします。とにかく,一刻も早く二人の暴力教師を教育現場から遠ざけることです。そして,その穴埋めを急ぐことです。この二人に代わるべき,信頼のおける体育教師を補充することです。あるいは,ショート・リリーフでもいい,スーパー・コーチを雇って,生徒たちを励ましてやることです。そして,少なくとも,来る4月からは新しいスタートが切れるよう,特別の行政措置をとるべきです。「連続性を断ち切る」にはこれで充分です。生徒も受験生もみんな救われます。

 なによりも,生徒を第一優先に考えてほしいものです。繰り返しまずが,かれらにはなんの咎もありません。あったとすれば,同僚の教師であり,校長であり,教育委員会です。ですから,生徒を犠牲にしてはいけません。必要最小限にとどめなくてはいけません。

 橋下君。あなたは「行政の責任だ」と断言しました。しかし,それに対して義家君は「行政の無責任だ」と言いました。この応酬もまたどこか狂っているとしか思えません。いかにももっともらしく聞こえますが,基本的なところで変だと思いませんか。この種の部活の教師による暴力は,つとに知られている事実です。言ってしまえば,みんな知っていることです。ですから,いまでも,どこかで起こっているに違いありません。ただ,表面化しないだけの話です。それを「みてみぬふり」をして放置してきたのは,教職員であり,校長であり,教育委員会です。その実態を把握できていない文部科学省の責任です。もっと言ってしまえば,どこもかしこも「無責任体質」に陥っている,ということです。このこともみんな充分に承知しているはずです。にもかかわらず,相も変わらず,それが平然と行われているという病理現象こそが大問題なのです。こここそが,大いなるメスを入れるべき対象だ,ということです。

 わたしはこんな風に考えています。