2014年4月24日木曜日

「外三合」「内三合」ということについて。李自力老師語録・その43.

 太極拳の動作は,それが武術の技の連鎖であることを忘れさせてしまうほど,ゆったりと動いていきます。しかし,李老師の動作をよくよく観察してみると一瞬たりともとどまることなく,流れるように,それでいてゆるぎない力強さも伝わってきます。要するにどこにもスキがないのです。やはり,武術だなぁ,と納得してしまいます。

 そこで,どのような稽古をすれば李老師のような太極拳の境地に近づくことができるのでしょうか,と尋ねてみました。すると,太極拳の教えのなかに「外三合」「内三合」ということばがあります,と仰る。これらがうまく融合して一つになるように心がけなさい,と。

 「外三合」とは,腕で言えば「手首,肘,肩」の関節のこと,脚でいえば「足首,膝,股」の関節のこと。これら三つの関節をうまく同調させ,融合させることによって動作が滑らかになっていく。一つひとつの関節をそれぞればらばらに動かすのではなく,三つの関節がほとんど同時に,連動するように動かすところに「コツ」がある。そうすれば,流れるような動作が生まれてきます,と。

 しかし,それだけでは舞踊と変わりがなくなってしまう。太極拳がしばしば舞踊的だと批判されるのはこの点にある。そこで,太極拳が舞踊とは異なることを明確にするために「内三合」ということばがある。

 「内三合」とは,「こころと意識」「意識と気」「気と力」の三つをいう。
 「こころと意識」は,まずは「こころ」の緊張を解き放ち,軽く笑みを浮かべられるようなこころの状態を確保した上で,一つひとつの動作に意識を集中すること。つづいて「意識と気」は,こころが解き放たれてわざに意識が集中していけば,そこにおのずからなる気が生ずる。この気の流れを生みだすこと,これが「意識と気」。最後の「気と力」は,気が生ずることによって力強さが生まれてくること。つまり,筋力による力強さではなく,気に支えられた力,これが太極拳のめざす力となる。

 この三つは,個々バラバラに存在し,機能するわけではない。それとは正反対に,この三つの機能が一つに合一し,この三つの機能の間を自在に往来する境地に到達することが肝要である。この境地は,いまのバイオメカニックスのことばを借りれば「自己組織化」ということになる。すなわち,「自動化」。気持をそこに向けるだけで,からだがおのずから反応する,そういう境地。からだが勝手に動く世界。

 さらに,「外三合」と「内三合」は表裏一体のものである。もちろん,主従の関係もない。この両者が完全に融合すると,さらに別次元の世界が広がってくる。いつしかからだの中心の芯から湧き出ずるような「心地よさ」がつたわってくる。その「心地よさ」が,またまた「外三合」と「内三合」の関係を増幅させ,太極拳の理想的な動作が生まれてくる。そうなると,それを見る人のこころをもうっとりさせつつ,悠揚迫らざる圧倒的な「力」を伝えることにもなる。

 以上は,李老師がこれまで折にふれわたしに語ってくださったことを,わたしなりにアレンジして文章化したものです。ですから,間違った解釈や余分な解釈も含まれているかもしれません。ほんとうは,李老師の校閲を経たものをブログにアップすべきだとは思いますが,その時間が待てません。と同時に,このようなブログをアップするのも勇気のいることです。李老師に叱られるのではないか,と内心怯えています。ですから,ある意味で「覚悟」をしています。これもまたわたしの太極拳「修行」の一環である,と。ということで,どうぞご寛容のほどを。

 以上,「如是我聞」まで。
 

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