南三陸町の高台移転が,早い時期に住民の合意が得られたにもかかわらず,なかなか進まないのはなぜか,と問うNHKスペシャルの番組を,たったいま,見終わったところです。腹が立って,腹が立って,テレビに向かって吼えつづけていた1時間15分でした。
結論的な感想をさきに言っておきましょう。ひとことで言ってしまえば,政府・官庁が南三陸町の高台移転をまったくの他人事としてしか受け止めていないのではないか,ということです。もうちょっとだけ言っておけば,南三陸町の当面している危機意識がまったく欠落している,と。わたしは,このブログに以前にも書きましたように,「3・11」後は,ただちに「非常事態宣言」を出して,国を挙げて,全国民を挙げて,被災地・被災者の「復興」に全力で取り組むべきだ,と認識しています。そのための「特例」を認めるべきだ,と。
しかし,明日で丸一年が経過しようというのに,「3・11」以前の法律のまま,「みせかけの平和」を維持しつつ,思考停止したままの政府および中央省庁の姿勢が,被災者救済を無為のまま一日延ばしにしている,というのが今夜のNHKスペシャルを視聴したわたしの第一印象でした。
なぜ,もっと,町の実情に見合った形での復興に国は手をさしのべることができないのか,そのことだけがわたしを苛立たせました。高台に移転することに関しては,もっとも早く町民の合意をとりつけ,移転先の土地も確保して,いちはやく国に補助金の申請を出しているにもかかわらず,いまもなお,その展望は開けてはいない・・・・・その「壁」のあまりに非人間的な制度・組織・・・・ただ,ただ,唖然とするばかりです。
まずは,高台移転の補助金を申請するために,国の省庁に提出しなければならない書類が膨大な量になること(東電への被害届けも同じ)。町役場の職員もまた多くの犠牲者を出していて,いまは,たった39人しかいない。そこに,応援部隊がやってきて助けてくれてはいるものの,一定期間がすぎるとみんな帰っていく。それでも必死になって生き残った職員が命懸けで町民の合意形成・経過説明から書類作成,陳情にいたるまで不眠・不休で取り組んでいます。それでも,犠牲になった職員(しかも,いまも多くの職員の遺体がみつかっていない)の気持を考えると,生き残ったわれわれが町の復興を頑張らなくては許してもらえない,と涙ながらに胸中を訴えています。
そんな努力の中で,昨年11月には国庫補助による全額負担が決まり,大喜びをしたのもつかのま,こんどは,高台移転先に遺跡があるというので新たな調査が必要だという。その調査には3年かかるという。なにを馬鹿なことを言っているのか,と腹が立つ。どこかの企業が金儲けのために宅地造成をやって売り出そうというのではない。一刻を争う緊急事態のなかで,いかにして町を復興させるかという生きた人間の努力を,平和時につくられた既成の法律が立ちはだかっているのです。それこそ,町の住民の合意のもとで「特例法」を適用することだって,やろうと思えばできるはずです。それを「3・11」以前の「文化財保護法」が邪魔をしている,というわけです。
生きた人間を無視した「法律」の壁が,南三陸町の復興の前に大きく立ちふさがっているという次第です。それこそ,その遺跡に住んでいた人びとの子孫(だと思いたい)かもしれない人びとの生き方を,祖先ははたして望むだろうか。平和な,のどかな時代ならいざ知らず,こんな緊急事態にもかかわらず,「文化財保護法」に遮られてしまって,それでよしとする中央官庁の対応が,わたしには信じられません。
これを絵に描いたような場面がありました。復興庁の役人が南三陸町に聞き取り調査にやってきて,ひととおりの説明を聞いたあと,「みなさんの取り組みはじつに立派だと思います。しかし,われわれも,まだ,できたばかりの復興庁ですので,なにを,どのように進めたらいいのかよくわからないことがたくさんあります。これから戻ってよく検討した上で,返事をします」と言って立ち去るシーンがありました。これでは,なんのための復興庁なのか,わけがわかりません。もっと,迅速に現実に対応するための復興庁の設置ではなかったのか,と。
こうして,なにも現状が改善されないまま時間が経過するにしたがい,南三陸町に住みつづけたいと考えていた住民も,ほかの町への移住を考える人が増えてきている,といいます。最近の町の世論調査によれば,2割弱の人が移住を考えている,と。こういう人が増えてくれば,もはや,町の存続そのものが危ぶまれてきます。
具体的な展望がなにも得られないまま,いたずらに時間ばかりが過ぎていくと,移住する人が増えるばかりです。しかも,若い働き盛りの世代の移住希望者が増えている,というのです。
繰り返しになりますが,昨年11月に,高台移転のための費用を国庫補助金が全額負担するということを決定していながら,なにも前にすすまない「壁」の大きさに唖然とするばかりです。
もっと地域の実情に見合った補助金の使い方を認めるべきだ,そうしないと,折角の補助金が無駄になってしまう,とそんな印象を強くもった番組でした。
ほんとうはもっと書きたいことがあるのですが,とりあえずの感想まで。
〔追記〕
南三陸町へは,昨年の6月29日に,宮城県在住の友人につれて行ってもらった。そして,あの鉄骨だけが残った町役場の建物の前にも立ちました。そのときは,あの建物の屋上で町役場の人たちが必死になって津波に流されないように協力し合ったけれども,ほとんどの人は流されてしまったまま,行方不明になっているとは知りませんでした。その行方不明者のなかには,大津波が押し寄せてきているので早く避難してください,と津波が到着する寸前まで町内放送をつづけていた女性も含まれている,ということもこんどのテレビで知りました。
3階建ての鉄骨を眺めながら,これが4階建てであったら・・・・・屋上に避難した町の職員の人たちの命は助かっただろうに・・・・と恨めしくもなりました。
いまも必死になってつづけられている佐藤町長さんを筆頭とする町の復興に,こころから声援を送りたいと思います。これを書いている今日は3月11日。
結論的な感想をさきに言っておきましょう。ひとことで言ってしまえば,政府・官庁が南三陸町の高台移転をまったくの他人事としてしか受け止めていないのではないか,ということです。もうちょっとだけ言っておけば,南三陸町の当面している危機意識がまったく欠落している,と。わたしは,このブログに以前にも書きましたように,「3・11」後は,ただちに「非常事態宣言」を出して,国を挙げて,全国民を挙げて,被災地・被災者の「復興」に全力で取り組むべきだ,と認識しています。そのための「特例」を認めるべきだ,と。
しかし,明日で丸一年が経過しようというのに,「3・11」以前の法律のまま,「みせかけの平和」を維持しつつ,思考停止したままの政府および中央省庁の姿勢が,被災者救済を無為のまま一日延ばしにしている,というのが今夜のNHKスペシャルを視聴したわたしの第一印象でした。
なぜ,もっと,町の実情に見合った形での復興に国は手をさしのべることができないのか,そのことだけがわたしを苛立たせました。高台に移転することに関しては,もっとも早く町民の合意をとりつけ,移転先の土地も確保して,いちはやく国に補助金の申請を出しているにもかかわらず,いまもなお,その展望は開けてはいない・・・・・その「壁」のあまりに非人間的な制度・組織・・・・ただ,ただ,唖然とするばかりです。
まずは,高台移転の補助金を申請するために,国の省庁に提出しなければならない書類が膨大な量になること(東電への被害届けも同じ)。町役場の職員もまた多くの犠牲者を出していて,いまは,たった39人しかいない。そこに,応援部隊がやってきて助けてくれてはいるものの,一定期間がすぎるとみんな帰っていく。それでも必死になって生き残った職員が命懸けで町民の合意形成・経過説明から書類作成,陳情にいたるまで不眠・不休で取り組んでいます。それでも,犠牲になった職員(しかも,いまも多くの職員の遺体がみつかっていない)の気持を考えると,生き残ったわれわれが町の復興を頑張らなくては許してもらえない,と涙ながらに胸中を訴えています。
そんな努力の中で,昨年11月には国庫補助による全額負担が決まり,大喜びをしたのもつかのま,こんどは,高台移転先に遺跡があるというので新たな調査が必要だという。その調査には3年かかるという。なにを馬鹿なことを言っているのか,と腹が立つ。どこかの企業が金儲けのために宅地造成をやって売り出そうというのではない。一刻を争う緊急事態のなかで,いかにして町を復興させるかという生きた人間の努力を,平和時につくられた既成の法律が立ちはだかっているのです。それこそ,町の住民の合意のもとで「特例法」を適用することだって,やろうと思えばできるはずです。それを「3・11」以前の「文化財保護法」が邪魔をしている,というわけです。
生きた人間を無視した「法律」の壁が,南三陸町の復興の前に大きく立ちふさがっているという次第です。それこそ,その遺跡に住んでいた人びとの子孫(だと思いたい)かもしれない人びとの生き方を,祖先ははたして望むだろうか。平和な,のどかな時代ならいざ知らず,こんな緊急事態にもかかわらず,「文化財保護法」に遮られてしまって,それでよしとする中央官庁の対応が,わたしには信じられません。
これを絵に描いたような場面がありました。復興庁の役人が南三陸町に聞き取り調査にやってきて,ひととおりの説明を聞いたあと,「みなさんの取り組みはじつに立派だと思います。しかし,われわれも,まだ,できたばかりの復興庁ですので,なにを,どのように進めたらいいのかよくわからないことがたくさんあります。これから戻ってよく検討した上で,返事をします」と言って立ち去るシーンがありました。これでは,なんのための復興庁なのか,わけがわかりません。もっと,迅速に現実に対応するための復興庁の設置ではなかったのか,と。
こうして,なにも現状が改善されないまま時間が経過するにしたがい,南三陸町に住みつづけたいと考えていた住民も,ほかの町への移住を考える人が増えてきている,といいます。最近の町の世論調査によれば,2割弱の人が移住を考えている,と。こういう人が増えてくれば,もはや,町の存続そのものが危ぶまれてきます。
具体的な展望がなにも得られないまま,いたずらに時間ばかりが過ぎていくと,移住する人が増えるばかりです。しかも,若い働き盛りの世代の移住希望者が増えている,というのです。
繰り返しになりますが,昨年11月に,高台移転のための費用を国庫補助金が全額負担するということを決定していながら,なにも前にすすまない「壁」の大きさに唖然とするばかりです。
もっと地域の実情に見合った補助金の使い方を認めるべきだ,そうしないと,折角の補助金が無駄になってしまう,とそんな印象を強くもった番組でした。
ほんとうはもっと書きたいことがあるのですが,とりあえずの感想まで。
〔追記〕
南三陸町へは,昨年の6月29日に,宮城県在住の友人につれて行ってもらった。そして,あの鉄骨だけが残った町役場の建物の前にも立ちました。そのときは,あの建物の屋上で町役場の人たちが必死になって津波に流されないように協力し合ったけれども,ほとんどの人は流されてしまったまま,行方不明になっているとは知りませんでした。その行方不明者のなかには,大津波が押し寄せてきているので早く避難してください,と津波が到着する寸前まで町内放送をつづけていた女性も含まれている,ということもこんどのテレビで知りました。
3階建ての鉄骨を眺めながら,これが4階建てであったら・・・・・屋上に避難した町の職員の人たちの命は助かっただろうに・・・・と恨めしくもなりました。
いまも必死になってつづけられている佐藤町長さんを筆頭とする町の復興に,こころから声援を送りたいと思います。これを書いている今日は3月11日。
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