「これからも稽古に精進し,お客さまに喜んでもらえるような相撲を取れるよう努力します。」
大関昇進を伝える使者のことばを受けて,新大関鶴竜が述べた口上である。わたしが記憶しているかぎりでは,このような口上を述べた新大関を知らない。大関も横綱も,みんな四文字熟語を軸にして,口上を述べるのがある種の慣例になっていた。その慣例を賢い鶴竜が知らないはずはない。ましてや,親方もその周囲の後援会の人びとも,これまでどのように口上が述べられてきたかは熟知しているはず。にもかかわらず,それを度外視して,このような口上を述べるに至ったほんとうの経緯が知りたい。わたしのアンテナでは,まったく知るよしもない。しかし,わたしの観測では,鶴竜の強い意思だったのではないか,と思う。
バスケットボールが大好きだったモンゴルの少年が,日本の大相撲に「ビビッ」と感ずるところがあって,みずから手紙を書いて,大相撲の門を叩いた。そのとき,少年は16歳。名前はマンガラジャラブ・アナンダ。父親はモンゴルの大学教授。専門は再生エネルギー(これもなんだか奇縁というべきか)。
その手紙を受け取った井筒親方(元関脇逆鉾)はとりあえず面接してみる。細くて小さくて,これは無理かなぁ,と思ったという。しかし,じっとこちらを見つめてくるまなざしが16歳の少年とは思えなかったという。それをみて意思の強そうな子だから,ひょっとして・・・と考えたという。それから10年。臥薪嘗胆。ほんとうによく耐えたと井筒親方はいう。ずいぶん厳しいことを言ったが,かれはすべて真っ正面から受け止め,それを稽古する姿勢で示してきたという。その芯の強さに驚き,これは?と考えるようになった,とか。
同世代で大活躍しているモンゴル出身の力士たち(白鵬,日馬富士,など)を横目でみながら,いつかは自分も・・・とじっとこらえたという。そして,とうとう,大関の地位を獲得した。しかも,文句なしの成績で。横綱白鵬とは本割で勝ち,優勝決定戦では対等の勝負をし,もはや実力は五分。いまや,一番,白鵬を脅かす存在は鶴竜だ(とわたしは確信している)。
28日の夕刊(『東京新聞』)には,大関昇進伝達式のときの写真が大きく載っている。みると使者は元関脇寺尾。鶴竜の親方は元関脇の逆鉾。なんと兄弟ではないか。しかも,寺尾は鶴竜の兄弟子でもある。新弟子のころ,稽古をつけてもらった人だ。粋なはからいというか,たまたまの偶然というか,縁とは不思議なものだ。実弟の述べる口上を,じっと頭を下げて聞いている実兄の兄逆鉾。そして,その兄弟子である寺尾に,冒頭の口上を述べる鶴竜。相撲好きの人間にとっては,たまらない場面。そのまま映画にもなりそうな・・・・。
大関昇進のお祝いには,ご両親もかけつけ,テレビにもさまざまな映像が流れた。なかでも,新聞に載っていた写真をみて,わたしは涙した。鶴竜を真ん中にしてお父さんが右側,お母さんが左側に立っている。そのお母さんが,右手で鶴竜の頬に触れている。鶴竜は嬉しそうに正面を向いて笑っている。その会見が終って,歩きはじめたら,お母さんの左手がすっとのびて行って鶴竜の右手をつかんだ,と書いてある。またまた,わたしは涙した。いいなぁ,いいなぁ,とむせび泣きながら。これを書きながら,わたしはふたたび涙している。共感の涙,そして,幸せの涙。こういう場面に涙することができる自分自身を幸せだと思う。
鶴竜は強くなる。そして,必ずや横綱になる。そういう意思の強さが顔にでている。いや,それをわたしは感じる。感じ取れる。立派な,味のある横綱になるだろう。白鵬とはまったく違った横綱に。気の早い話ではあるが,わたしはその日を心待ちにしている。そして,そのときもまた,ちょっと恥じらいながら,哀愁を帯びた笑顔をみせてくれるだろう。
そして,横綱昇進の口上も,まったく同じことを述べるのではないか。
「これからも稽古に精進し,お客さまに喜んでもらえるような相撲を取れるように努力します」と。
なぜなら,この口上は完璧だから。すなわち,大相撲が興業であることを熟知していて,お客さまあっての稼業であることをしっかりと自覚している。そして,そのために「稽古に精進する」と高らかに宣言しているのだ。そのことを,ごくふつうの日常語で語ったところが偉い。
マンガラジャラブ・アナンダさん。そして,鶴竜さん。
井筒一門に伝わる双差しの名人ワザ。それは,親方の逆鉾から学び,突き押し,離れてとる相撲のワザは兄弟子の寺尾から学び,あなたにはいかなる相撲にも対応できる素地がある。しかも,それらをきちんと身につけている。これらのすべてが調和して,あるひとつの型ができあがったとき,それがあなたが横綱になるとき。
ああ,これは釈迦に説法でした。あなたは,こうしたことはすでに熟知している。あとは,それを実行に移し,それらを身に叩き込む稽古あるのみ。あなたならできる。あなたの顔をみていてそう思う。たぶん,親方の逆鉾さんも,そう確信しているに違いない。あなたの,16歳のときの真剣なまなざしをまともに受け止めてくれた親方は,すべてをお見通しだったのだ。
新大関鶴竜,おめでとう。
こころからお慶びを申しあげます。
あなたの相撲をそのまま積み上げていってください。横綱はその結果です。
迷わず,地道に。こつこつと。
理想的な横綱の姿が眼に浮かぶ。あくまでも自分であること。そして,その自分を超えでること。しかも,その連続であること。そここそユートピア。
大関昇進を伝える使者のことばを受けて,新大関鶴竜が述べた口上である。わたしが記憶しているかぎりでは,このような口上を述べた新大関を知らない。大関も横綱も,みんな四文字熟語を軸にして,口上を述べるのがある種の慣例になっていた。その慣例を賢い鶴竜が知らないはずはない。ましてや,親方もその周囲の後援会の人びとも,これまでどのように口上が述べられてきたかは熟知しているはず。にもかかわらず,それを度外視して,このような口上を述べるに至ったほんとうの経緯が知りたい。わたしのアンテナでは,まったく知るよしもない。しかし,わたしの観測では,鶴竜の強い意思だったのではないか,と思う。
バスケットボールが大好きだったモンゴルの少年が,日本の大相撲に「ビビッ」と感ずるところがあって,みずから手紙を書いて,大相撲の門を叩いた。そのとき,少年は16歳。名前はマンガラジャラブ・アナンダ。父親はモンゴルの大学教授。専門は再生エネルギー(これもなんだか奇縁というべきか)。
その手紙を受け取った井筒親方(元関脇逆鉾)はとりあえず面接してみる。細くて小さくて,これは無理かなぁ,と思ったという。しかし,じっとこちらを見つめてくるまなざしが16歳の少年とは思えなかったという。それをみて意思の強そうな子だから,ひょっとして・・・と考えたという。それから10年。臥薪嘗胆。ほんとうによく耐えたと井筒親方はいう。ずいぶん厳しいことを言ったが,かれはすべて真っ正面から受け止め,それを稽古する姿勢で示してきたという。その芯の強さに驚き,これは?と考えるようになった,とか。
同世代で大活躍しているモンゴル出身の力士たち(白鵬,日馬富士,など)を横目でみながら,いつかは自分も・・・とじっとこらえたという。そして,とうとう,大関の地位を獲得した。しかも,文句なしの成績で。横綱白鵬とは本割で勝ち,優勝決定戦では対等の勝負をし,もはや実力は五分。いまや,一番,白鵬を脅かす存在は鶴竜だ(とわたしは確信している)。
28日の夕刊(『東京新聞』)には,大関昇進伝達式のときの写真が大きく載っている。みると使者は元関脇寺尾。鶴竜の親方は元関脇の逆鉾。なんと兄弟ではないか。しかも,寺尾は鶴竜の兄弟子でもある。新弟子のころ,稽古をつけてもらった人だ。粋なはからいというか,たまたまの偶然というか,縁とは不思議なものだ。実弟の述べる口上を,じっと頭を下げて聞いている実兄の兄逆鉾。そして,その兄弟子である寺尾に,冒頭の口上を述べる鶴竜。相撲好きの人間にとっては,たまらない場面。そのまま映画にもなりそうな・・・・。
大関昇進のお祝いには,ご両親もかけつけ,テレビにもさまざまな映像が流れた。なかでも,新聞に載っていた写真をみて,わたしは涙した。鶴竜を真ん中にしてお父さんが右側,お母さんが左側に立っている。そのお母さんが,右手で鶴竜の頬に触れている。鶴竜は嬉しそうに正面を向いて笑っている。その会見が終って,歩きはじめたら,お母さんの左手がすっとのびて行って鶴竜の右手をつかんだ,と書いてある。またまた,わたしは涙した。いいなぁ,いいなぁ,とむせび泣きながら。これを書きながら,わたしはふたたび涙している。共感の涙,そして,幸せの涙。こういう場面に涙することができる自分自身を幸せだと思う。
鶴竜は強くなる。そして,必ずや横綱になる。そういう意思の強さが顔にでている。いや,それをわたしは感じる。感じ取れる。立派な,味のある横綱になるだろう。白鵬とはまったく違った横綱に。気の早い話ではあるが,わたしはその日を心待ちにしている。そして,そのときもまた,ちょっと恥じらいながら,哀愁を帯びた笑顔をみせてくれるだろう。
そして,横綱昇進の口上も,まったく同じことを述べるのではないか。
「これからも稽古に精進し,お客さまに喜んでもらえるような相撲を取れるように努力します」と。
なぜなら,この口上は完璧だから。すなわち,大相撲が興業であることを熟知していて,お客さまあっての稼業であることをしっかりと自覚している。そして,そのために「稽古に精進する」と高らかに宣言しているのだ。そのことを,ごくふつうの日常語で語ったところが偉い。
マンガラジャラブ・アナンダさん。そして,鶴竜さん。
井筒一門に伝わる双差しの名人ワザ。それは,親方の逆鉾から学び,突き押し,離れてとる相撲のワザは兄弟子の寺尾から学び,あなたにはいかなる相撲にも対応できる素地がある。しかも,それらをきちんと身につけている。これらのすべてが調和して,あるひとつの型ができあがったとき,それがあなたが横綱になるとき。
ああ,これは釈迦に説法でした。あなたは,こうしたことはすでに熟知している。あとは,それを実行に移し,それらを身に叩き込む稽古あるのみ。あなたならできる。あなたの顔をみていてそう思う。たぶん,親方の逆鉾さんも,そう確信しているに違いない。あなたの,16歳のときの真剣なまなざしをまともに受け止めてくれた親方は,すべてをお見通しだったのだ。
新大関鶴竜,おめでとう。
こころからお慶びを申しあげます。
あなたの相撲をそのまま積み上げていってください。横綱はその結果です。
迷わず,地道に。こつこつと。
理想的な横綱の姿が眼に浮かぶ。あくまでも自分であること。そして,その自分を超えでること。しかも,その連続であること。そここそユートピア。
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