以前から暇があるとグーグルの地図をみて楽しんできました。グーグルの地図がどれほど面白い仕掛けになっているかは,いまさら,ここで説明する必要もないでしょう。そんな遊びをしていたら,おやっ?と思うことに出会いました。
それは,奈良・三輪山の山頂周辺の等高線がないのです。真っ白です。以前も,ちらっとみて「変だなぁ」とは思っていました。しかし,そのときは三輪山の山頂のあたりだけの,ほんの部分だけでした。ですから,なにかパソコンの方の不具合かなにかではないか,と勝手に思い込んでいました。しかし,今回,あれはなんだったのかなぁ,と思い返してもう一度トライしてみました。
すると,こんどは,三輪山山頂から巻向山にかけて,かなり広い範囲が真っ白です。いわゆる「ダンノダイラ」(出雲族の拠点だったという伝承がある)のあるあたりです。この等高線の地図を「写真」に変換すると,写真は全部でてきます。ただ,一面の「緑」の鳥瞰図です。しかし,拡大していくと,小さな社が点在しているのがわかります。なぜ,等高線が消えたのか。ひょっとしたら「出雲族」の伝承と関連しているのではないか,とげすの勘繰り。
ならば,というわけで,こんどは奈良・尼ヶ辻にある「菅原天満宮」を探してみました。このすぐ近くにある「喜光寺」という古寺は拡大する前からはやばやとその名前が地図に記載されています。が,「菅原天満宮」はなかなかでてきません。最後の最後の拡大図でようやくその名前の記載が登場します。こんなに有名な天満宮の名前が,なぜ,ここまで貶められているのか,わたしには不思議です。
グーグルになにか魂胆でもあるのだろうか,とまたまたげすの勘繰り。
そこで,こんどは交野市にある磐船神社を探してみました。この磐船神社の記載はリミットまで拡大しても出てきません。これはどうしたことでしょうか。わたしにはまったく理解できません。こうなると,なにか企みがあるのではないか,とどうしても勘繰りたくなってしまいます。
この磐船神社は,古事記にも登場するニギハヤヒが天の磐船に乗ってこの地に舞い降りたという伝承のあるチョー有名な神社です。もう少し付け加えておけば,このあたりから奈良にかけておおきな勢力を誇っていたトミノナガスネヒコの妹を妻にした天孫族です。トミノナガスネヒコは西から押し寄せてきたカムヤマトイワレヒコ(のちの神武天皇)の軍隊に徹底的に抵抗して,最後までヤマトの地に踏み入れさせませんでした。
この磐船神社は古くからある磐船街道に沿って流れる天野川をまたぐように鎮座している巨岩がご神体で,この地域では遠足の名所でもありました。磐船街道はそのまま南下していくと,こんどは富雄川に沿ってヤマトに入っていきます。古代の幹線道路であったわけです。この富雄川沿いにトミノナガスネヒコにまつわる神社が転々と存在しています。つまり,出雲族ゆかりの神社(村井康彦説)です。
もちろん,菅原天満宮もこの地域にあります。
もう,これ以上の深追いはしないことにしましょう。
いずれにしても,こうした背景には「なにかある」と勘繰りたくなってしまうのは,「出雲族」ファンのひとりとしては自然の成り行きではないでしょうか。
それは,奈良・三輪山の山頂周辺の等高線がないのです。真っ白です。以前も,ちらっとみて「変だなぁ」とは思っていました。しかし,そのときは三輪山の山頂のあたりだけの,ほんの部分だけでした。ですから,なにかパソコンの方の不具合かなにかではないか,と勝手に思い込んでいました。しかし,今回,あれはなんだったのかなぁ,と思い返してもう一度トライしてみました。
すると,こんどは,三輪山山頂から巻向山にかけて,かなり広い範囲が真っ白です。いわゆる「ダンノダイラ」(出雲族の拠点だったという伝承がある)のあるあたりです。この等高線の地図を「写真」に変換すると,写真は全部でてきます。ただ,一面の「緑」の鳥瞰図です。しかし,拡大していくと,小さな社が点在しているのがわかります。なぜ,等高線が消えたのか。ひょっとしたら「出雲族」の伝承と関連しているのではないか,とげすの勘繰り。
ならば,というわけで,こんどは奈良・尼ヶ辻にある「菅原天満宮」を探してみました。このすぐ近くにある「喜光寺」という古寺は拡大する前からはやばやとその名前が地図に記載されています。が,「菅原天満宮」はなかなかでてきません。最後の最後の拡大図でようやくその名前の記載が登場します。こんなに有名な天満宮の名前が,なぜ,ここまで貶められているのか,わたしには不思議です。
グーグルになにか魂胆でもあるのだろうか,とまたまたげすの勘繰り。
そこで,こんどは交野市にある磐船神社を探してみました。この磐船神社の記載はリミットまで拡大しても出てきません。これはどうしたことでしょうか。わたしにはまったく理解できません。こうなると,なにか企みがあるのではないか,とどうしても勘繰りたくなってしまいます。
この磐船神社は,古事記にも登場するニギハヤヒが天の磐船に乗ってこの地に舞い降りたという伝承のあるチョー有名な神社です。もう少し付け加えておけば,このあたりから奈良にかけておおきな勢力を誇っていたトミノナガスネヒコの妹を妻にした天孫族です。トミノナガスネヒコは西から押し寄せてきたカムヤマトイワレヒコ(のちの神武天皇)の軍隊に徹底的に抵抗して,最後までヤマトの地に踏み入れさせませんでした。
この磐船神社は古くからある磐船街道に沿って流れる天野川をまたぐように鎮座している巨岩がご神体で,この地域では遠足の名所でもありました。磐船街道はそのまま南下していくと,こんどは富雄川に沿ってヤマトに入っていきます。古代の幹線道路であったわけです。この富雄川沿いにトミノナガスネヒコにまつわる神社が転々と存在しています。つまり,出雲族ゆかりの神社(村井康彦説)です。
もちろん,菅原天満宮もこの地域にあります。
もう,これ以上の深追いはしないことにしましょう。
いずれにしても,こうした背景には「なにかある」と勘繰りたくなってしまうのは,「出雲族」ファンのひとりとしては自然の成り行きではないでしょうか。
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