2015年5月4日月曜日

『聖地巡礼』─熊野紀行(内田樹×釈徹宗著,東京書籍,2015年3月刊)を読む。「聖なるもの」の力を語り合う。

 フランス現代思想・レヴィナスの研究者でエッセイスト・評論家でもある内田樹と宗教者の釈徹宗という,いささか異色の組み合わせがおもしろい。これまでのわたしのイメージからは,内田樹が「聖地巡礼」に興味をもち,みずから出向くなどとは考えにくかった。しかし,かれが武術家としても活動し,いまでは道場を建てて弟子を育てているという経緯を考えてみれば,なるほど,と納得である。レヴィナス研究者としても,そして武術の求道者としても,突き詰めていくと「聖なるもの」の領域にますます接近することになるのだし,ついには自己を超え出る「世界」,あるいは「聖なるもの」との接点が不可欠となるからである。

 
本書の企画は,どうやら,出版社の東京書籍がそそのかして,この二人が乗ったことにより成立したようだ。しかも,冒頭にわたしは異色の組み合わせと書いたが,そういえば,このお二人は『日本霊性論』(NHK出版新書)という本も共著で出しているので,もう,とっくに旧知の仲なのだ。言ってみればウマが合う間柄なのだ。

 そのことは,本書を読み始めればすぐにわかる。最初から,じつにくつろいだ会話がはじまるからだ。ということは,霊性とか,聖地に向き合う姿勢が,基本的なところで一致しているからに違いない。しかも,お互いにそれぞれのスタンスをスペクトしている。だから,読んでいてこころが安らぐし,心地よい。しかも,どちらかといえば内田樹が,童心に返ったかのように純粋にはしゃいでいる。というか,聖地のあちこちで「トランス」状態,あるいは,それに近い状態になり,その場ならではの極め付きのセリフを吐く。それを,釈徹宗が冷静に受け止め,その意味を深めていく。その点,このお二人はとてもいいコンビだというべきだろう。

 じつは,わたしも,もうずいぶん前から熊野詣でをしてみたいと思い描いていながら,いまだに実現できないでいる。やはり,きっかけは南方熊楠のことを知ったことがはじまりで,つづいて中上健次の小説世界にはまり,いよいよ熊野に行かねば・・・とこころに決めていた。その後,古代史や神社の系譜や仏教世界や,あるいはまた,神仏混淆の信仰形態や修験道の世界に引きずり込まれるにいたり,はやり「熊野だ」という思いはますます強くなっている。

 とりわけ,日本の古代史を考える上でも,熊野は特異な存在である。いわゆる日本史の本流からは距離を置いているものの,なにか大きなできごとが起きるときには,かならず熊野の存在が大きくクローズアップされることになる。しかし,それでいて主流には成りきれないままだ。つまり,ヤマト朝廷にとっては,むしろ,無視したいのだが,そうもいかない,というきわめてやっかいな場所なのだ。その傾向はいまも変わらない。いまだに謎だらけの地域であり,風土であり,どくとくの信仰形態を維持しつづけている。

 しかし,このお二人にとっては,そんなことはどうでもよくて,むしろ,その「場」のもつ「霊性」をいかに感じとるかが重要なのだ。内田樹は,もっぱら,みずからの感性をそこに向けていく。そして,その「場」の霊性との会話を楽しもうとする。そして,つい勢いあまって,童心の無邪気さをさらけ出す。そして,そのこころの赴くままに身をゆだねていく。そこで生まれるドラマが,この本のひとつの見せ場でもある。

 たとえば,第一日めは,滝尻王子⇨発心門王子⇨船玉神社⇨熊野古道⇨熊野本宮大社⇨大斎原を,そして,第二日めは,神倉神社⇨花の窟神社⇨産田神社⇨那智の滝(那智大社・青岸渡寺)⇨補陀落山寺,を順に尋ね歩いているのだが,それぞれの場所で,このお二人が意外な体験をしながら,そこから思いがけないことばが飛び出してくる。

 その内容については本書にゆずることにしよう。

 わたしは,このお二人とはまた違った興味・関心を「熊野」に寄せている。大雑把に言ってしまえば,ヤマト朝廷がなんとしても蓋をし,隠蔽しなくてはならなかった,大きな「謎」がこの地には隠されているに違いない・・・・,その「謎解き」をしてみたい・・・・。

 熊野に興味をもつ人にとってはたまらない一冊。なにより,その「場」の力に身をゆだねて,思いのままを語り合う,こんな本も珍しい。お薦めである。

2015年5月3日日曜日

戦争の記憶・その3.国民学校1年生。最初に学んだことは,整列,隊列行進,伏せ,匍匐前進。

 昭和19年(1944年),わたしは国民学校に入学した。いまでいうところの小学校だ。意味するところは,立派な「国民」を育成するための学校。つまり,小学校1年生から「国民」のはしくれに加えられ,そのための教育がなされた。もちろん,軍事訓練もあった。小さな子どもとはいえ,鬼畜米英が本土に上陸してきたら,兵隊の一員として戦うための技術を学んだのである。

 こんなこと,信じてもらえるだろうか。

 しかし,いまでも,戦乱がつづく弱小国の子どもたちは立派な兵士の一員として訓練を受け,前線に駆り出されている写真が報道されることがあり,びっくりする人が多い。なにを隠そう,いまから70年前のわが日本帝国が断末魔を迎えたときも,まったく同じことをやっていたのである。帝国婦人にいたっては,竹槍訓練をして,敵の戦車に竹槍で突っ込むのだ,と息巻いていたのである。しかも,みんな大まじめだった。

 国民学校1年生になった帝国少年ならぬ帝国児童が最初に学んだことは,隊列行進だった。すでに風雲急を告げており,空にはB29が隊列をなして飛来し,わたしたちが住んでいた町にも爆弾を落とした。いわゆる空襲警報がひっきりなしに発令され,そのたびに,防空壕に飛び込んで,息をひそめて身を固くして祈っていた。どうか,無事でありますように,と。死ぬことが怖かった。ほんとうに怖かった。

 「空襲警報発令!」が日常だった。だから,国民学校に登校するのも,町内ごとに集合して,6年生が隊長となって,隊列を組み,隊長の号令にしたがって学校まで行進して行った。隊列が乱れるとビンタがとんだ。1年生でも容赦はなかった。6年生にビンタをくらうと小さな1年生は2~3mはぶっとんだ。6年生が恐ろしく大きくみえたし,立派な大人にみえた。だから,絶対命令・絶対服従は理屈以前の問題だった。

 気をつけーッ! 前にならえーッ! 直れーッ! 右向けッ 右ーッ! 廻れ右ーッ! 前へ進めーッ! 全体ーッ 止まれーッ!

 これらはみんな6年生に教えてもらった。

 まだある。伏せーッ!というのがある。
 この号令がかかったら,ただちに地面に伏せる。ただ,地面に伏せるだけではなく,両手の親指で両耳を塞ぎ,人指し指・中指・薬指で両目を抑え,小指で鼻梁を押し込んで,じっと動かないでいなければならない。たとえ道路であろうと,水たまりがあろうと,構わず,直ちに「伏せ」の姿勢をとらなくてはならない。絶対命令だから。もたもたしていると,ビンタが飛んでくる。だから,だれよりも早く「伏せ」の姿勢をとらなくてはならない。

 「伏せーッ」が解除されると,つぎは「匍匐前進」である。夏の半袖シャツに半ズボンのときは,痛くて,辛かった。しかし,「痛い」などと言ってはならない。言えば,何回もやらされる。そして,「非国民!」と言って罵られる。これが一番恐ろしかった。「非国民!」と怒鳴られることは,「死ねッ!」というのと同義だった。

 下校時も同じだった。町内ごとに全員集合し,隊列を組んで行進である。町内の集合場所に到着すると,そこで解散である。しかし,その途中で,必ず1回は「伏せーッ!」の号令が掛かり,そのあとは「匍匐前進」の練習をした。だから,町内にたどりつき,「解散ッ!」の号令を聞くと同時に,みんな駆けだした。家に向かって一目散だ。

 家に到着すると,カバンと防空頭巾を投げ出して,仰向けに大の字になって横たわり,深呼吸をしたものである。やっと生きた心地がしたのは,このときだった。学校にいる間も緊張の連続だった。このことは,また,あらためて書くことにしよう。防空頭巾のことも。

 以上が,国民学校1年生になって,最初に学んだことだ。いま,思い出すだけで鳥肌が立つ。それほどに強烈な印象となって,いまも鮮明に残っている。だから,われわれの世代はビンタは日常茶飯のことで,別に驚くほどのことではなかった。敗戦後,小学校となり,中学校,高等学校,大学と進んで行っても,ビンタはあった。それは,ごく当たり前のこととしてあった。

 あまり,思い出したくはないが・・・・。

2015年5月2日土曜日

明らかに潮目は変わった。沖縄県民の意思に全国民が反応。辺野古基金(1億1900万円)の7割が本土から。

 今日(5月1日)の『沖縄タイムス』は一面トップの記事で,つぎのように報じています。この記事を読みながら,わたしの胸は高鳴りました。久しぶりのことです。

 まずは,大見出しを拾ってみましょう。
 「辺野古基金1億1900万円に」
 「7割が県外から」
 「辺野古評価せず 全国45%」
 「政府を評価 40%」
 「否定的世論が上回る」
 「全国4紙も同様」

 これらは共同通信がおこなった電話による調査結果であるとした上で,さらに詳しく分析・評論を加えています。これらの大見出しをみた瞬間に,「明らかに潮目は変わった」とわたしは直観しました。これは驚くべき結果以外のなにものでもありません。わたしの想定をはるかに超えるものだったからです。つまり,沖縄県民の意識は,はるか先にまで進んでいるにもかかわらず,本土の茹でガエルは漠然と政府の方針に従うに違いない,とわたしは踏んでいたからです。

 しかし,そうではありませんでした。辺野古基金1億1900万円という額にも驚きましたが,それ以上に「7割が県外から」という見出しにびっくりしました。じつは,わたしも「貧者の一灯」の精神のもとに,わずかばかりですが寄付をしました。しかし,この総額と県外から「7割」ということを知り,ならば毎月,少しずつでもいいから寄付をしていこう,と考えました。一時に大金を寄付することはできませんが,分割して,少しずつ支援の気持を持続させながら寄付することならできる,と。そして,継続的な支援こそ大事ではないか,と。わたしは,この記事を読んで勇気百倍。よし,これでいける,と元気がでてきました。

 いまこそ沖縄支援をするときがきた,と感慨無量です。昨年の夏に辺野古に二度ほど足を運び,その場に立ち,わたしなりの意思表明をして以来,なんとかできないものか,とずーっとアンテナを張りつづけていました。が,遅々として盛り上がらない本土の意識にいらいらしていました。そして,安倍政権支持率は高いまま。いったい,どうなっているんだ,この国は・・・,と苛立っていました。

 が,翁長知事と菅官房長官との対談が大きな転機となりました。これによって,翁長知事がじつに明瞭に民主主義の重要さと人権の否定を,全国民に提示することができたからです。メディアもこの問題を取り上げざるをえませんでした。そして,具合のいいことに,つづいて安倍首相も翁長知事との対談を行いました。そして,まったく稚拙で強引な論法しか政府にはない,ということも明るみにでました。この二つの対談を見届けたところで,多くの本土の国民も,ようやく「奇怪しい」と気づくことになりました。

 その結果が,この基金の総額となり,本土から「7割」という支持になった,とわたしは受け止めています。かくなる上は,持続的な寄付をとおして沖縄県民支持を表明していくことだ,これが本土の人間の良識ある行為だ,とわたしは信じています。そして,それこそが安倍政権退陣への道を切り拓くきっかけになる,とも信じています。

 天下分け目の「関が原」の戦いの幕が切って落とされました。いよいよこれからです。いまこそ,茹でガエルが眼を覚まし,人間として,生身の生きる人間として,「生」を肯定するための行動に立ち上がるときが到来しました。

 この記事の末尾には,もう一点,興味深い情報が提示されていました。

 日米両政府が合意した新たな防衛協力指針(ガイドライン)について,反対が47.9%,賛成が35.5%,という調査結果がでた,というものです。そうか,ようやく安倍政権の「暴走」に危機感をいだく国民が「47.9%」に達したか,と我が意をえた気分です。そして,政府支持よりも反対が上回った,と。これこそ良識というものです。

 まだまだ予断は許されませんが,それにしても,潮目は明らかに変わった,とわたしは感じ取っています。山が動いた,と。あとは「情報操作」に騙されないリテラシーをわがものとすること。これからは,ネット情報で頑張るしかないのかな,と分析しています。そこは若者たちの得意な分野ですので,その点も期待したいとおもいます。すでに,若者たちは全国平均よりもはるかに高いパーセンテージで「反対」の意思表明をしているとも,同紙は報じています。

 明らかに潮目は変わった。いざ,出陣!

茹でガエル亡国論・その2.文明化の産物。東京五輪1964が大きな転機。

 茹でガエルとは,ひとくちで言ってしまえば,文明化の産物です。それも,つい最近の,日本での現象です。もっと象徴的にわかりやすくするとすれば,東京五輪1964以後の現象である,と断言しておきましょう。しかも,それは「生きもの」としては明らかに退化現象である,ということです。このことについて,今回は少し考えてみたいとおもいます。

 東京五輪1964は,単純に計算して51年前のイベントでした。いまや,日本人の圧倒的多数は,東京五輪1964以後に生まれた人たちです。ですから,生まれながらにして東京五輪1964以後の日本の文明化社会を空気のようにして成長しています。つまり,それが当たり前。

 しかし,このとき,日本は大きく様変わりをしました。まずは,なによりも東京五輪を茶の間で観戦したいという期待に応えて,テレビが全国的に普及していきました。それまでのラジオ,新聞といったマス・メディアにとって代わったのがテレビでした。リアル・タイムで東京五輪の映像を茶の間でみることができるようになりました。ということは同時に世界中のニュースもリアル・タイムでヴィジュアル化されることになりました。これは画期的なできごとでした。わたしが26歳のときでしたので,この当時のことはいまも鮮明に記憶しています。

 わたしは残念ながら,まだ定職につくこともなく,大学院に籍をおき,アルバイトをしながらほそぼそと自炊生活をしていました。ですから,テレビにはとても手がとどきませんでした。つまり,極貧の生活に甘んじていました。ナショナルに勤務した友人のひとりがみるにみかねて電気炊飯器をプレゼントしてくれました。が,この電気炊飯器も,ほかの友人のひとりが泊まり込みで遊びにきた日の朝に,その友人とともに消えてなくなっていました。つまり,家電製品がまだとても物珍しい時代だったわけです。

 文明の利器が日本の家庭のなかに浸透しはじめた時代でした。このあと,いわゆる家電革命が起きて,日本の家庭生活はつぎつぎに変革を強いられていくことになります。テレビを筆頭に,電気炊飯器,冷蔵庫,洗濯機,掃除機,電気毛布,電気カーペット,そして,エアコンへといった具合に,日本の家庭のなかにあっという間に家電製品が侵入してくることになりました。わたしは結婚後も貧乏生活をしていましたので,それらの家電製品を羨望のまなざしで眺めていました。ですから,なおさら強烈な印象となっていまもそれらの家電製品のことを記憶しています。

 こうした家電製品が,じつは,わたしたちの「からだ」にも大きな影響を及ぼすことになりました。言ってしまえば,「からだ革命」のはじまりでした。つまり,それまでの「からだ」は,少なくとも「自立/自律」していました。つまり,なにをするにしても自分の「からだ」を使うのが当たり前でした。しかし,家電製品の浸透は,それまで「からだ」が受け持っていた多くの「はたらき」を奪い去っていくことになりました。要するに,「からだ」を働かせる場面がどんどん減少していった,ということです。「からだ」はなにもしなくても,家電製品がすべて代行してくれる,そういう時代に突入していくことになりました。

 20代から30代にかけてのわたしにとっては,その一つひとつが,まさに「革命」でした。そのすべてが便利で,ありがたいものばかりでした。助かりました。が,その代わりに「からだ」は横着になり,本来持っていたはずの機能を失っていくことになりました。そのことには早くから気づいていたわたしは,エアコンだけは最後まで抵抗しました。取り付けたのは60代に入ってからでした。それでも,できるだけ使わない,できるだけエアコンに頼らない生活を心がけてきました。完全にエアコンを解禁にしたのは,昨年の大病後のことでした。76歳。もう,からだに頑張らせる必要はないだろう,と。いや,頑張るだけの力を失ってしまっただろう,と。むしろ,擁護してやる必要がある,と考えるようになりました。

 こうして,わたしも,いよいよ茹でガエルの仲間入りという次第です。

 それよりも,なによりも,問題なのは,東京五輪1964以後に生まれ,育った人たちの大半は,生まれながらにして茹でガエルとなるべく運命付けられていた,という事実です。ものごころがついたころには,もう,すでに立派な茹でガエルになりはてていたのですから。このことを非難したり,批判したりする資格はわたしにはありません。ただ,こういう情況に無意識のうちに置かれてしまっているということに警鐘を鳴らし,茹でガエルに成りきってしまわないよう,なんらかの対策を講ずる必要がありますよ,と提言したいだけです。

 なぜなら,茹でガエルは,「生きもの」としては明らかに退化現象であるからです。その最たるものは免疫力の低下です。病気になりやすい体質の人が年々増大しているために,病人もまた,年々増加しているというのが現状です。このままでは病院がいくつあっても足りません。ですから,免疫力の低下を,いかにして防ぐか,その対策を講じないことには,これからの時代を生きていく人たちは救われません。それどころか,国家としての存続すら危ぶまれることになります。

 ここが,「茹でガエル亡国論」の出発点です。

 今回は家電製品に話題を絞り込みましたが,じつは,東京五輪1964はもっともっと多くの点で大きな変革をもたらしました。たとえば,新幹線の開通,高速道路の開通,自家用車の普及,など交通手段にも大きな変化が起きました。その結果,なにが起きたのかは,みなさんもよくおわかりのとおりです。

 このように,茹でガエルは一朝一夕にして誕生したわけではありません。わたしの認識では,東京五輪1964をひとつの大きな転機として,一気に,一億総茹でガエル化への道を歩みはじめた,と考えています。

 その3.以後は,さらに細部にわたる各論を展開してみたいとおもいます。

2015年5月1日金曜日

今日(5月1日)はたくさんの妊産婦に出会う特異日でした!?

 今日(5月1日)は朝から全国的に快晴,とテレビの天気予報。その予報どおりの青空が広がりました。ここ鷺沼の事務所の空は,いまも(午後4時30分),雲一つないみごとなブルーです。朝,家をでるときから気分も軽く,あちこち寄り道をしながら(いろいろなお屋敷の植え込みや花を眺めながら),事務所にくることができました。

 そんな中にあって,どういうわけか,今日はじつに多くの妊産婦さんに出会いました。最近,それとなく,ことしは子どもがたくさん産まれるに違いない,とはおもっていました。なぜなら,近年,まれにみる妊産婦の多さです。それが,今日はことのほか多く,思わず足を止めて見入ってしまいました。ここでも,あっ,あそこにも,という具合に出会いました。

 自宅から事務所までは,ドア・ツー・ドアで30分。徒歩10分+電車10分+徒歩10分。で,今日は寄り道をしてきましたので,最後の徒歩10分は20分くらいになったかとおもいます。この20分の間にも,つまり,住宅地の裏通りでも,なぜか,ゆったりと散策をしている妊婦さんに出会いました。それも複数です。溝の口の家をでて駅まで,そして,駅の構内,電車の中,それぞれにみごとなほどに多くの妊婦さんに出会いました。

 久しぶりに晴れ渡った上天気につられて妊婦さんも外に出てきたということなのでしょうか。それとも,遠距離の旅行は避けて,家の近くで楽しみましょう,という妊婦さんが多かったということなのでしょうか。あるいはまた,夫が休日で子どもたちと付き合ってくれている間にひとりで用足しに出たということなのでしょうか。意外なことに,今日,出会った妊婦さんはみんなひとり歩きでした。しかも,その平均年齢は比較的若い人が多かったのも印象的でした。

 少子化が叫ばれている割には,ことしの出生率は高くなるのでは・・・などとおもわず期待してしまいました。今日の印象だけですが,比較的若い世代の人たちが子どもを産んでくれるということであれば,これは期待できるのではないか・・・・と。

 あるいは,もうひとつ穿った見方をすれば,「貧乏人の子だくさん」とむかしからいいます。数字の上では景気がいいらしいですが,実感としては少しもいいとはおもえない,というアンケート結果もでています。ということは,高給取りや上流階層は,さっさと海外旅行にでかけるにしても,圧倒的多数の中・下層の庶民はそれも我慢して,身近な娯楽で済ませよう,というのが実態かもしれません。

 金持ちは子どもを産むよりも,贅沢な遊びにうつつを抜かしていることができるにしても,庶民は子どもに期待を寄せることくらいしか夢も希望もないのかもしれません。まあ,その内実はよくわかりませんが,今日はたくさんの妊産婦さんに出会いました。偶然にしては多すぎます。でも,わたしの主観的な見方では,とてもいいことだとおもいます。

 経済成長の数字だけがよくなったとしても,子どもの数がどんどん減少していくのだったら,その結果はみるも無惨な社会の到来しか考えられません。第一,社会としての機能を果たしません。なにもかもが崩壊していくしかありません。人が生きる基本要件は,やはり,親と子どもの数のバランスでしょう。そのバランスが崩れてしまったら,それはもはや人が生きる社会ではなくなってしまうでしょう。

 わたしは「貧乏人の子だくさん」の支持者です。みんな貧乏であれば,なんの不満もありません。わたしたちの世代が育ったときの,すなわち,敗戦後の,なにもかも不足だらけの時代は,みんな明るい未来を夢見て必死になって働き,子どもたちも親の仕事を手伝っていました。しかも,みんな貧乏でしたから,みんな仲良しで,仲違いなどしている暇もありませんでした。大流行した野球をやるにしても,みんなで力を合わせなくてはできませんでした。

 その逆に,みんな豊かになって子どもの数が減少していく傾向の方が恐ろしい。その結果,出現した殺伐とした,砂漠化した人間関係のお粗末さ。毎日のように,「だれでもよかった。人を殺したかった」などという,わけのわからない無差別殺人が報道されています。これは,どうみても格差社会が生みだす悲劇です。

 一握りの金持ちのための政治を,まるでアメリカを見習うかのようにして,日本でも繰り広げる現政権の「愚」を,どこかで断ち切らなくてはなりません。

 そんなことは百も承知だが,まずは子どもを産もうという女性が増えているとしたら,わたしはこちらの方に期待を寄せたい。そして,「人が生きる」ということがどういうことかを,地に足がついた視点からわかっている女性の感性こそが,いまの政治に対するもっとも重要なパワーになりうる,と考えるからです。

 ああ,こんなことを書くつもりではなかったのに,意外な展開となってしまいました。でも,やはり,書くということはいいことだ,いままで貘としていた思考がするりとその姿を現すから,とまずは自画自賛。

 妊産婦さん! バンザイ! 救世主! バンザイ!

又吉直樹著『火花』(文藝春秋,2015年2月刊)を読む。驚きの連続。お薦め。

 『文学界』に掲載されたときに,爆発的にヒットし,話題となり,とうとう何回にもわたって雑誌が増刷されたという話題作が単行本になりました。それも,もう,しばらく前のことで,そのころとても忙しくしていたために,とりあえず本だけ買っておきました。ようやく,一区切りついたので,つぎの仕事までの間を縫うようにして,大急ぎで読みました。

 
又吉直樹。お笑い芸人。この名前は知りませんでしたが,テレビで確認してみましたら,あの顔は覚えていました。あっ,そうか,あの男だったのか,と。一度,みたら忘れない個性的な顔であり,立ち居振る舞いです。長髪を真ん中で分けて両側に垂らし,ギャグを連発するだけの瞬発力もなく,どこか寂しげにお笑い芸人の中に溶け込んでいる男。わたしは,まだ,かれの漫才を聞いたことがありません。いったい,どんな漫才をやるのだろうか,とこの小説を読んで興味をもつようになりました。そうすれば,この小説のなかに隠された秘密のようなものが,もう少し,わかるのではないか,とおもいます。

 といいますのは,この小説の主人公は明らかに著者自身を想定していると考えられるからです。じつに冷めた眼で世の中を受け止めていますし,人物観察もそのままです。逆に,そういう人物がお笑い芸人を目指したことの方が不思議でもあります。が,この小説を読んでみますと,お笑い芸人の「ふところ」の深さをしみじみと感じないではいられません。人を笑わせるためなら,なんでもする,その覚悟のようなものを,ひしひしと感じさせられる,そういう説得力をもった小説になっています。

 わたしは明石家さんまのファンで,食事どきにテレビに登場する番組は,欠かさずみるようにしています。かれがつねづね口にする,お笑いの現場は「戦場」なのだ,というセリフは有名です。だから,だれよりも早く相手を「笑い」で打ち倒す,そういう格闘技のようなものなのだ,とかれはいう。したがって,間髪を入れずギャグを連発して,あらゆる人を笑いの渦のなかに巻き込まなくてはならない,とかれは主張します。ですから,かれのパフォーマンスをみていると,それはそれは恐ろしいまでの「芸」の深さに感動してしまいます。

 この小説のなかにも,つぎのようなセリフが登場します。

 「漫才は・・・・本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん」

 このように,主人公が尊敬する先輩のお笑い芸人に言わせています。しかも,この芸人こそ「本物の阿呆」の典型的な人物として描かれています。となると,「本物の阿呆」は,なろうとおもってもなれない,底抜けの「阿呆さ加減」が求められます。世間でいうところの「ボケ」と「ツッコミ」の関係は,そんなに単純なものではない,ということが透けてみえてきます。

 考えてみれば,人が笑う,ということはきわめて哲学的なテーマであるということに気づきます。少しオーバーに言ってしまえば,「笑い」というものは人間の存在論に深く根ざしたテーマでもあります。つまり,人が生きることと「笑い」は不可分のものなのだ,と。ですから,お笑い芸人たちの人間観察は尋常一様ではありません。その「芸」の底の奥深くには,鋭い人間洞察力が隠されているというわけです。

 この本の帯には,つぎのようなキャッチ・コピーが踊っています。

 この物語は,人の心の中心を貫き通す

 「文学界」を史上初の大増刷に導いた話題作。芸人の先輩・後輩が運命のように出会ってから劇は始まった。笑いとは何か,人間が生きるとは何なのか。

 お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷,彼を師と慕う後輩徳永。笑いの神髄について議論しながら,それぞれの道を歩んでいる。神谷は徳永に「俺の伝記を書け」と命令した。彼らの人生はどう変転していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶ!

 といった調子です。最初に,書店で手にとってこの帯を読んだとき,なんと大げさな・・・と苦笑してしまいました。が,中を読んでみて,こころの底から納得してしまいました。

 なるほど,お笑い芸人は作家のまなざしも持ち合わせているのだ,と。そういえば,司会,役者,歌手,MC,画家,などさまざまな分野で驚くべき才能を発揮しているお笑い芸人は少なくありません。なぜ,このような現象がいま起きているのかを考える一助にもなる,とおもいます。お薦めです。

 あのテレビに登場する,どこか焦点が定まらないような,あの又吉直樹が,ほんとうにこの小説を書いたのか,と疑問をいだいしてしまうほどの出来ばえのよさです。騙されたとおもって読んでみてください。

2015年4月30日木曜日

『スポートロジイ』第3号ができあがりました。感無量。こみ上げるものあり。

 待望の『スポートロジイ』第3号の見本刷りができあがってきました。実際に店頭に並ぶのは連休明けになる予定。表紙の色は,ややグリーン系の薄いものにしてみました。発生学的にいいますと,生命の始原はまだ,海水のなか。『スポートロジイ』の生命もまだ揺籃期。これから少しずつ確固たるものに向けて努力を積み上げ,やがて陸生の植物になることを目指します。そんなイメージを籠めてみました。

 
本来の予定としては,昨年の4月に第3号は誕生することになっていました。が,わたしの突然の病気により,それどころではなくなってしまいました。一時は,もう第3号を刊行することは不可能か,と絶望の淵に立たされました。緊急入院のときには胃潰瘍という診断でしたが,それから組織検査を経て胃ガンの診断に。ステージ「3-C」。要するに末期癌の一歩手前。宣告を受けて3日ほど考え抜き,これまでか,と腹をくくりました。

 胃を三分の二切除。そこから驚異的と担当医が言うほどの回復ぶりをみせ,術後,10日で退院。その後は,抗ガン剤治療でさんざん悩まされ,ついに抗ガン剤治療を放棄。再発・転移のリスクを背負ったまま,こんにちにいたっています。その詳しい経過については,この第3号の「編集後記」に書いておきました。そちらで,ご確認いただけると幸いです。

 いまは,残された命を精一杯生き切ることに専念。つまり,胃ガンのことは忘れて,面白いと思えることに全力投球をすること。その代わりに,世の中の義理を欠くことがあってもいい,と割り切ることにしました。ですから,いまでは,不義理をあちこちに残したまま,好き勝手な生活をさせてもらっています。ことしの3月で満77歳に突入しましたので,「惚けたふり」でもしているうちに,やがて立派に「惚けて」くるだろう・・・とそんなことを夢見たりしています。と同時に,もう,いつ死んでもいい,という覚悟もできてきました。

 サクセスフルエイジング。

 そんな経過をたどっての第3号の誕生でした。ですから,感無量。密かにこみ上げるものがありました。それには,もう一つの大きな理由がありました。

 かんたんに言ってしまえば,内容の充実ぶりです。西谷修さんの特別講演の採録内容が素晴らしく,それがこの第3号の中心をなす軸になっていて,それを二つの特集が側面から支えるような効果を発揮しているからです。つまり,第一特集のコートジボワールのダン族のすもうであり,第二特集の太極拳です。もう一歩,踏み込んでおけば,西谷さんの提起してくださったジャン=ピエール・デュピュイの「破局の思想」に対して,真島一郎さんの「ダン族のすもう」と劉志さんの「太極拳と道家思想」がみごとに応答しているからです。

 いささか我田引水的な語りになってしまいましたが,実際にどうであるかは,現物でご確認いただければ,とおもいます。入手方法は,できれば書店で,見つからない場合は,みやび出版への発注でご確認ください。いずれ,リーフレットができあがってくる予定です。それが手に入りましたら,このブログでも紹介させていただきます。

 ということで,今日のところは,とりあえず第3号が間もなく書店に並びます,というご案内まで。

2015年4月29日水曜日

「東京五輪2020は東京五輪1940の二の舞になるのではないか」(西谷修)。

 東京は,全部で3回も五輪を招致することに成功しています。その第一回目の五輪招致が「1940」年開催予定の第12大会でした。が,第二次世界大戦に向かってまっしぐらの日本は,五輪どころの騒ぎではなくなってしまいました。そして,あっさりと五輪返上を決めました。その結果,日本に代わって五輪を開催する国はなかったので,中止となりました。このあとの,1944年の第13大会も第二次世界大戦の真っ最中で,五輪など世界中のどの国も開催を口にできる状態ではありませんでした。

 こうして,国際平和の推進をかかげるオリンピック・ムーブメントは,2回連続で中断せざるをえない,屈辱の歴史を刻んでいます。この事実を知る人もいまでは少なくなってしまいました。しかし,オリンピックの歴史を考える上では,きわめて重大なできごとであり,オリンピック・ムーブメントの根幹にかかわるできごとでした。繰り返しておきますが,名誉あるオリンピック・ムーブメントに大きな穴を空けるという,この空前絶後の歴史に東京(日本)の名前が刻まれたということを肝に銘じておきたいとおもいます。

 もっとも,最初にオリンピック・ムーブメントを中断させたのは,ベルリン(ドイツ)です。1916年に予定されていた第6回大会です。こちらも第一次世界大戦の勃発が中止の理由です。五輪開催を招致しておいて,みずからの都合で返上・中止にしてしまったのは,ベルリンと東京の2都市だけです。しかも,いずれもみずから仕掛けた戦争にその原因がありました。ここにも不思議な奇縁を覚えずにはいられません。ついでに言っておけば,東京五輪1940は,これまたオリンピック史上にその名を刻むことになった1936年ベルリン大会のあとを引き受けての開催予定でした。

 この東京五輪1940の招致運動に全力を注いだ嘉納治五郎(当時のIOC委員)は,疲労困憊の末,招致が決まって帰国する途上の帰国船の上で亡くなってしまいました。嘉納治五郎がどれほどの苦労を重ねたかは,また,いつか詳しく書くことにします。いずれにしても,それほどの努力の結果が,戦争という理由であっさり返上しなければならないことになった,このむなしさは嘉納治五郎を筆頭とする関係者のこころに深く刻まれたことでしょう。

 「東京五輪2020は東京五輪1940の二の舞になるのではないか」。

 このことばは,4月25日(土)に開催された対談「東京五輪2020を考える」(西谷修×稲垣正浩,於・青山学院大学,主催・ISC・21,午後3時~6時)の席上,西谷修さんの口から飛び出したものです。しかも,これが対談の最後の締めくくりのことばでした。

 わたしは一瞬,虚をつかれ,ハッとしてしまいました。強烈な印象を与えるひとことでした。

 といいますのも,じつは,わたしも同じように,東京五輪2020の招致が決まってからのこんにちまでの推移を考え,このさき2020年までの5年間の展望を考えたとき,いずれは「返上」しなければならない情況に追い込まれていくに違いない,と考えていたからです。その最大のポイントは「フクシマ」です。厚顔無恥の安倍首相は,IOC総会で最終決定がなされる,あのプレゼンテーションで最大の不安材料であるべき「フクシマ」について「under control 」と言ってのけたことは,よく知られているとおりです。

 しかし,その「フクシマ」は手も足も出せないまま,いまもなお,なりゆきまかせにするしかありません。しかも,情況は日に日に悪化しています。小出しにされるフクシマ関連情報こそ「under cotrol 」にあって,精確な情報のほとんどが極秘とされたままです。それどころか,メルトダウンしたままの核物質がどのような情況になっているのか,ということもまったく把握できてはいません。一説によれば,いつ,臨界点に達して,大爆発が起きても奇怪しくはない,そういう情況下にある,とすら言われています。

 その一方で汚染水は海に向かって垂れ流し。空気の汚染も放置されたまま。汚染は日々,拡大していくばかりです。こうしたことも改善される目処はまったく立ってはいません。2020年に向けて,なにが,どのように改善されるのか,その具体的なプランもまったくみえてはきません。これらすべてを総合的に判断してみても,情況はますます悪化の一途をたどっているとしかいいようがありません。

 江戸川や隅田川を流れていく汚染水は,間違いなく東京湾に蓄積されていきます。そのデータも民間団体の調査(あるいは,新聞社の調査,など)によって,逐次,公表されています。このようなデータのことを考えると,ますます「絶望」的にならざるをえません。言ってしまえば,明るい材料はひとつもありません。

 が,そんなことは「みてみぬ」ふりをして,東京都も組織委員会も文部科学省も,足並みを揃えて東京五輪2020に向けてまっしぐら。にもかかわらず,新国立競技場を建造する資金が圧倒的に足りず,早くも頓挫しそうになっています。そこで,苦肉の策に打ってでようという話が取り沙汰されるようになってきています。それが,サッカーくじだけでは足りないので,野球くじを導入して,不足分を賄おうという,恐るべき案の登場です。つまり,文部科学省がなりふり構わず,国営の野球賭博をはじめよう,というのです。

 世も末というべきか,狂気の沙汰としかいいようがありません。が,そんなことが大まじめに,日本の権力の中枢で議論されているというのです。

 ここでは,もう,これ以上のことは割愛させていただきます。が,これに加えて「オキナワ」の問題に火が点きました。海外のメディアまでもが注目しはじめ,直接,取材をはじめています。アルジャジーラまでもが,乗り込んでいます。こうなってきますと,国際社会でも大きな議論が湧くことになりそうです。いや,すでに,そうなってきています。そうなりますと,日本という国家の信用問題になってきます。

 「フクシマ」と「オキナワ」の二つが引き金になって,これからますます外圧が強くなってくる可能性も,すでに視野のうちに入ってきました。

 おそらく,西谷修さんの頭のなかでは,もっともっと多くの要素が見え隠れしながら,このさきの展望はますます絶望的にならざるをえない,という判断がくだされているのではないか,とわたしは推測しています。その結論が,このブログの見出しのことばです。もう一度,おさらいをしておきましょう。すなわち,

 「東京五輪2020は東京五輪1940の二の舞になるのではないか」(西谷修)。

2015年4月28日火曜日

毎日新聞・余祿から。漱石の『三四郎』の「運動会」で100分の1秒を計測。

 数日前に,毎日新聞社のO記者からメールと電話で取材があり,このような記事を書きたいという連絡がありました。O記者とは以前からの知己でしたので,快諾。でも,どんな記事になるのかはいささか不安はありました。以前,痛い思いをしたことがあるからです。でも,O記者なら大丈夫と信じて,記事の内容についてはお任せしました。

 それが下の写真のとおりです。とても面白い内容になっていて,よく調べて書いているなぁ,と感心してしまいました。さすがにO記者だなぁ,と。


 もう少しだけホットな話題を提供しておけば,以下のとおりです。
 4月25日(土)にわたしが主宰しています「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の月例研究会を青山学院大学で開催しました。この案内をO記者にも流しておきましたところ,時間を割いて参加してくださいました。というより,ご縁があるのか,地下鉄の表参道から青山学院大学に向かって歩いていたら,その路上でばったりお会いしました。

 おやまあ奇縁ですねぇ,という話からはじめて歩きながら,今回のこの記事にまつわる雑談を交わしました。そのときのお話でとても興味深かったのは,新聞がスポーツ情報をいかに伝えるか,マンネリ化してしまっていて,記者はみんな頭を悩ましている,ということでした。つまり,スポーツ情報が,饅頭に例えれば,表層の薄皮の部分だけに集中していて,スポーツの肝ともいうべき「餡子」の部分を描ききれないでいる,というのです。もっと言ってしまえば,スポーツの「文化性」に触れる記事にできないでいる,と。

 わたしも,まったく同感でしたので,スポーツ記事が少しも面白くない,その理由などをあれこれ話しながら歩きました。少しきつい言い方をすれば,スポーツ担当記者の勉強不足。我田引水になってしまいますが,スポーツの歴史的なバックグラウンドに関する知識不足であったり,アスリートの人間性に触れるような情報不足にその原因があります,と。しかし,スポーツ担当記者の置かれている環境情況もきわめて劣化しているようです。もう,かなり以前からひどい情況になっている,というお話を元毎日新聞記者で『甲子園球場物語』などの著書もあり,いまは,わたしたちの研究者仲間になっているTさんから伺っています。

 つまり,むかしは野球担当,相撲担当,という具合にスポーツの担当部門がかなり専門分化されていたので,十分に時間をかけて取材もし,調査もし,じっくり熟成された記事を書くことができた,というのです。ところが,しばらく前から「合理化」の名のもとに,いわゆるスポーツ記者として特定される記者はほんのわずかな人数になってしまい,しかも,あれもこれもひとりで担当することになってしまったので,とても時間的な余裕がなくなってしまったというのです。ときには,手が足りなくなって,ほかの部局の記者の応援を頼むこともまれではない,といいます。

 そう言われてみれば,数年前に朝日新聞社の記者から取材を受けたときに担当してくださった女性記者は,所属部局は「政治部」だと言っていました。が,個人的にスポーツにも興味があるので,ときおり応援に引っぱりだされるのだ,と笑っていました。最近では,雑誌『世界』に女子プロレスの草創期の話を連載しており,そのみごとな描写に感動しています。人間性にあふれた温かなまなざしが文面の裏に感じ取られて,読者をぐいっと惹きつけます。

 やはり,書くべきものをきちんともったひとが書くといいものになる,これがわたしの現段階での結論です。それと共に思い出すのは,東京五輪1964のときには,各新聞社とも,一流の作家を動員して,見聞記を書いてもらっていたという事実です。三島由紀夫や井上靖といった錚々たる作家が名を連ねて,日替わりメニューのようにして登場していました。ですから,毎日,新聞でオリンピック見聞記を読むことがとても楽しみでした。

 今回の,この毎日新聞の「余祿」を読んで,こんなことを思い出していました。やはり,いろいろ事情はあるでしょうが,劣化した情況のなかにあっても,ピカリと光る記事を書く記者はいるのだ,と。だから,書き手次第だ,と。O記者もそのうちのひとりだ,と。

2015年4月27日月曜日

WHOが抗ガン剤の全面使用禁止を決議(2014年5月),加盟各国に勧告。日本政府はこれを封印。なぜ?

 「抗ガン剤を用いるガン化学療法は,極めて危険性が高く,加盟国政府に全面禁止を勧告する」と,2014年5月に開催されたWHO理事会で決議されました。考えてみれば,わたしが抗ガン剤治療をはじめたのも,同じ2014年5月。偶然の一致とはいえ,妙なご縁。

 それはともかくとして,日本政府(厚生省)はこのWHOの勧告を封印してしまいました。ですから,いまでもこの事実を知る人はほとんどいません。わたしもその一人でした。ですが,わたしは,友人がアップしたFBをみて,初めてこの事実を知りました。あわてて,WHOと抗ガン剤に関連する情報をチェックしてみました。

 驚いたことに,アメリカでは30年も前に,すでに抗ガン剤による化学療法は「無力である」ということが議会で報告され,確認されていました。それによると,アメリカ国立ガン研究所(NCI)の所長が,議会で詳細な報告をし,それが承認されていた,というのです。そして,いまでは,「抗ガン剤は,ごく一部の腫瘍は除去されるが,ガン細胞はみずからの遺伝子を変化させ,より凶暴なガン細胞になる」ということが広く認識され,共有されている,といいます。

 にもかかわらず,日本では抗ガン剤を用いる治療法は立派なセオリーとして承認され,医療の現場では大手を振って歩いています。ただし,患者が抗ガン剤治療に同意することが前提となっていることは,かなり広く知られています。けれども,一般的には,あまりしっかりとした認識もないまま,また,十分な説明もないまま(抗ガン剤治療とはどういうものであるのか,ということを説明した数ページの手引き書を渡され,よく読んでおくようにといわれ)同意書にサインをさせられる,というのが現状のようです。

 ですから,癌になると,当たり前のようにして抗ガン剤治療がはじまります。患者の方も,詳しい情報もないまま,そして,しっかりとした自覚もないまま,抗ガン剤治療を受けざるを得ないというのが現状だといっていいでしょう。

 わたしの場合は,一応,抗ガン剤治療を受けるかどうかは患者の側に選択権があるということは承知していましたし,主治医からもきちんと説明がありました。それでも,雰囲気としては,抗ガン剤治療を受けるのが,ごく当たり前のことのように,わたしには聞こえてきました。つまり,切除手術はうまくいったので,あとは,抗ガン剤を飲みながら転移・再発を予防しましょう,という流れでした。わたしは,やや疑問をいだきましたが,人によってはほとんど副作用はない,ということばに期待を寄せることにしました。

 しかし,その結果は惨憺たるものでした。そのお蔭で,わたしの決断も早く,抗ガン剤治療を放棄することができました。

 ですから,いまにして思えば,正解だったことを知り,ほっとしています。

 問題は,いまも厚生省は,WHOのこの勧告を公表していない,という事実にあります。そして,抗ガン剤治療が,いまも,ごく当たり前のように行われている,という事実にあります。

 なぜ,そういうことになるのか,ここには深い病根があるようです。あまり詳しいことは知りませんが,医薬共同体のようなものががっちりとできあがっていて,その癒着ぶりはひどいものだという情報はかなり広くしられているとおりです。その実態については,もう少し精確に調べた上で,書いてみたいとおもいます。

 一説によれば,抗ガン剤が大量に製造・保有されているので,抗ガン剤治療を放棄するわけにはいかないのだとか,抗ガン剤治療を否定してしまうと,大きな病院などは経営できなくなってしまうからだとか,言われています。これらの説が事実だとしたら,それはそれで恐ろしいことだ,と鳥肌が立ってきます。

 いずれにしても,WHOの勧告を,いつまでも秘密のままにしておくことなどできるわけがありません。だとすれば,そのうちに大きな議論が立ち上がってくることは間違いないでしょう。ひと波瀾ありそうです。

2015年4月26日日曜日

戦争の記憶・その2.「耐えがたきを耐え・・・」玉音放送を聞いた日のこと(1945年8月15日)。

 1945年8月15日。わたしは愛知県渥美郡杉山村(現・豊橋市杉山町)の宝林寺というお寺の広庭にいた。そこは母の実家で,わたしたち一家は豊橋市の空襲で焼け出され,疎開していた。大伯父のお世話になり,二家族が一緒に食事をし,仲良く暮らしていた。夏休みだったので,従姉妹たちと一緒に大きな楠の日陰にむしろを敷いて遊んでいた。昼近くになって,突然,寺の庫裡の中から大きな声で,みんな集まるように,と呼び込まれた。なにごとか,とおもって庫裡の中に入ると,大黒柱の周囲に大人たちがみんな真剣な顔をして座っている。ザーザーという雑音だらけのラジオが鳴っている。

 しばらくすると,突然,大人たちが立ち上がって直立する。お前たちも立ちなさい,といわれる。ザーザーという雑音にまじって,なにやら人の声がする。なにを言っているのかは,わたしにはよく聞き取れなかった。ずいぶん,長い間,立ったままでいたようにおもう。みんな真剣な顔をしているので,動くこともできなかった。

 これが,のちに知ることになる「玉音放送」だった。そして,その後も何回も,折あるごとに編集されて放送されたようで,わたしの頭には「耐えがたきを耐え,忍びがたきを忍び」というフレーズだけが強く印象に残った。天皇の声と,あのなんともいえない抑揚のある読み方を面白がって,よく,物真似をしたり,ジョークにもこのフレーズは用いられた。

 ラジオの放送が終わったところで,大伯父がひとこと「終わったな」と言った。みんな肩を落としたまま,黙り込んでいる。子どもたちのだれかが,「ほんとうに終わったの?」と聞く。そして,これもだれが答えたのか記憶にないが,「戦争は終わった」と言った。すると,子どもたちが一斉に声を挙げる。「じゃあ,もう,空襲警報はでないの?」「艦載機の攻撃はなくなるの?」「艦砲射撃はなくなるの?」「学校は始まるの?」と矢継ぎ早に問いがつづく。

 わたしは子どもたちの中でも小さい方だったので,みんなの会話を黙って聞いていた。そして,もう戦争は終わったのだ,B29も飛んでくることもなくなるんだ,ということだけがほんやりとわかったにすぎなかった。しかし,それで十分だった。なんだかこころの底から安堵した記憶だけは鮮明に残っている。もう,鬼畜米英に攻撃されて殺されることはないのだ,と。これが国民学校2年生(いまの小学校)の夏休みの最大のできごとだった。

 この日は朝から真っ青な空がひろがり,強い日差しが朝から照りつけていた。だから,子どもたちは広庭の木陰を選んでむしろを敷いて,そこで遊んでいた。あまりの空の青さが,なぜか強く印象に残っている。そして,むしろの上に仰向けにころがり,じっと空を見つめたことも覚えている。それ以外はなにをして遊んでいたのかも,昼食になにを食べたのかも記憶がない。

 それまでに,子どもごころを震え上がらせる,戦争の恐ろしい体験をいくつもしていたので,いつも怯えながら日々を送っていた。一般の国民に向けての艦載機の攻撃が頻繁に起こるようになり,子どもたちもしばしばそのターゲットにされた。登下校も危険だということになり,とうとう学校での授業は中断された。そして,字ごとの集会所に集まり,上級生がリーダーになって自習をしていた。先生が時折,巡回してきて,勉強をみてくれた。それ以外は「自習」とはいえ,みんなで遊んでいるのも同然だった。

 そんな,恐ろしい記憶のいくつかを取り出して,このブログで公表してみたいとおもう。そして,戦争だけはどんなことがあっても忌避すべきだ,と一人でも多くの人びとにわかってもらいたい。それは戦争の恐ろしさを肌で感じた人間に残された,いまもっとも大事な使命だ,とおもうから。

2015年4月25日土曜日

からだの「知」・その3.抗ガン剤を拒否するわたしのからだ。

 昨年の5月22日(木)から胃ガンの再発・転移予防のための化学療法,すなわち抗ガン剤治療に入りました。まず,最初は比較的弱い抗ガン剤(錠剤)から入り,様子をみることに。つまり,抗ガン剤の副作用は個人差が大きいので,まずはどんなものかテストするというわけです。飲み始めはそれほどでもなかったので,それならばということで,途中で,点滴による強い抗ガン剤注入(入院・2泊3日)治療が組み込まれました。が,これが強烈でした。あまりに効きすぎて(?),さすがのわたしも参りました。正直言ってへこたれてしまいました。三日目には食事も拒否するほどの強烈な副作用がでました。

 このとき,はっきりと抗ガン剤はわたしのからだには受け入れられない化学療法だと知りました。しかし,主治医が,もうしばらくつづけましょう,かならず,ぴったり合う抗ガン剤がみつかるはずだから,と丁寧に説明する。相性のいい抗ガン剤と出会えば,ほとんど日常生活に影響はでないから,ともいう。

 ならば,ということで相性のよさそうな抗ガン剤を試みることに。3週間飲んで,2週間お休み。これをワンクールとして,繰り返すことになる。こんごの見通しを聞いてみると「数年かかります」という。数年とは,1,2年のことか,それとも2,3年のことか,あるいは,それ以上か,とわたしは聞く。すると,やってみないことにはわからない,という。それもそうかなぁ,とおもう。

 かくして,一番弱い抗ガン剤で,2クール,3クール,4クール,とつづけてみる。最初のうちはまずまずでしたが,次第にからだの拒絶反応がきびしくなってきました。これはまずいと判断し,内緒で,朝晩2回飲むところを,朝をはずして晩だけにする。そうすれば,日中はいくらか仕事もできるからです。晩は早めに寝てしまえばいい。しかし,それでもからだは徐々に抗ガン剤を受け付けなくなる。飲まない日が次第に増えてくる。

 しかし,面白いことに,頭(理性)は飲め,と命ずるのに,からだ(知にあらざる知)は拒否します。この両者のせめぎ合いをじっと観察する,第三のわたし。不思議な光景ではある。が,なんといっても断然強いのはからだの拒絶反応。すなわち,自然に備わったからだの「知」。頭(理性)がいくら説得しても,からだは「NO!」を連発。

 これはいったいどういうことなのだろうか,と考えました。これほどまでに拒否するからだとはなにか,と。薬を飲まなくてはいけない,と理性が命令しても,からだはどこ吹く風とばかりに「横を向いた」ままです。最後は,強権を発動して,脳が手に命じて薬に手を伸ばさせます。すると,こんどは胃袋が吐き気を催します。いま食べたばかりの食べ物が,一気に逆流をはじめそうです。これをひとまずぐっと堪えて,しばらく様子をみることにしました。ところが,一向に改善される様子はありません。こんなことの繰り返し。

 そこで,とうとう,主治医にことの顛末を話し,抗ガン剤を中止することにしました。抗ガン剤をつづけるかどうかは患者の選択権だということは承知していましたが,こんなにあっさりと了解してくれるとはおもってもみませんでした。が,逆に助かりました。もし,主治医がNoと言ったらどうしようか,と。それが昨年の10月のことでした。

 以後は,抗ガン剤の呪縛から解放され,徐々に,からだが楽になってくるのが手にとるようにわかりました。が,抗ガン剤というものは不思議なもので,飲まなくなっても,その前に飲んだ抗ガン剤がからだの中に蓄積されていて,なにかと妙な症状が顔をみせます。いままで経験したことのない,不思議なからだの現象です。このことについては,また,いつか詳しく書くことにします。

 とにもかくにも,抗ガン剤から解放された,わたしのからだはほっと一息でした。そして,明らかに,からだが喜んでいるのがわかるのです。こんな体験は初めてでした。そうか,からだはいい条件が整うと喜ぶんだ,と知りました。以後,わたしは,なにごとも,みずからのからだに問いかけながら,その是非を判断するよう努めることにしました。このことの具体的なことがらも,これから書いていくことにします。

 いまにして思えば,このときのからだの拒絶反応が,いまのわたしをあらしめている,という以外にはありません。理性の命ずるがままにしていたら,いったい,わたしのからだはどうなっていたのだろうかと考えると,ゾッとしてしまいます。わたしのなかの,からだの「知」がわたしを救ってくれたと,いまも信じて疑いません。なんだか妙な気分ですが・・・・。

2015年4月24日金曜日

わたしたちは沖縄についてほとんどなにも知らないに等しい。

 わたくしごとながら,娘が沖縄に住むようになってかれこれ20年近くになる。それがきっかけとなって,わたしの眼もいつしか沖縄に向くことが多くなった。そして,沖縄を訪れるたびに新しい発見があって,かなりの情報通になったつもりでいた。しかし,それはとんでもない間違いであったことを知る。

 その理由は,沖縄2紙,つまり,『琉球新報』と『沖縄タイムス』のネット購読者となってみたら,日々,新しい沖縄の日常を知ることになり,わたしの沖縄認識がまったく表面的なものでしかなかったことが明らかになったからである。昨年の4月から購読をはじめたので,ちょうど一年になる。その間に,沖縄という土地・文化のもつ懐の深さと人間性が,本土のそれとは相当に異なるものである,ということをじっくりと学ぶことになった。それは驚くべき経験でもあった。

 ひとくちで言ってしまえば,沖縄には「人間が住んでいる」ということだ。つまり,生身の血も涙もある,人情味豊かな人間関係が,まだ生き生きと躍動している,という印象である。そして,その人間の生きざまを沖縄2紙はしっかりと報道している。それに引き換え,本土のわれわれは血も涙も枯れはてた「モノ化」してしまった人間があまりにも多くなってしまった,ということだ。その上,ジャーナリズムが形骸化してしまい,ことなかれ主義に逃避してしまったから,なおさらのことだ。この違いは天と地ほどもある。

 たとえば,沖縄には,いわゆる「芸能」が人びとの日常生活のなかに深く根を下ろしている。その根幹に三線(さんしん)がある。ちょっとした宴会があれば,すぐに男が三線を弾き始め,みんなが立ち上がってカチャーシーを踊りはじめる。宴会でなくても,嬉しいことがあれば,即興でカチャーシーが飛び出す。そこでは大人も子どもも,男も女も,区別はない。みんな,渾然一体となって,その場でみずからの気持を表現し,楽しむ。つまり,歌と踊りが日常的に根づいている,ということだ。こうして,嫌なことは一刻も早く忘れ,明日への希望につないでいく。これがむかしからのウチナンチュの慣習行動であり,原動力となっていて,それがいまも息づいている。

 この延長線上に,小さな居酒屋やカフェのわずかなスペースを利用してのささやかなライブがある。それも夕食後の午後8時とか,午後9時とかの開演だ。それがいたるところで行われている。それらの情報は,そのほとんどが口コミ情報だ。友だちから友だちへと伝えられ,都合のつく者だけが集まってくる。終わったあとも,演奏者とお客さんとで盛り上がる。つまり,みんな友だちなのだ。それで食べていかれるわけではないので,みんなそれぞれに仕事をもちながら,週末のライブに備えている。そんなライブがいたるところで行われている。

 こういう広い意味での芸能に代表されるように,小中学生のスポーツ大会や,地域の小さな祭りにいたるまで,じつに熱心に行われていて,みんながそれぞれに楽しんでいる。それらが事細かに紙面を飾っている。だから,いま,沖縄のどこでどんなことが行われていて,盛り上がっているかが,その気になれば新聞で知ることができる。本土で暮らしているウチナンチュも,多くの人がこの沖縄2紙を愛読している理由がよくわかる。それだけで故郷情報は完璧なのだ。

こうした人間味あふれる情報もさることながら,それよりなにより,圧巻は,真のジャーナリズムが生きている,ということだ。つねに,ウチナンチュの目線から,政治・経済を論じ,是々非々の姿勢を貫いている。それを2紙が競い合うようにして論戦を展開しているのだ。だから,両紙ともおざなりの情報提供ではすまされない。なぜなら,激しい読者獲得競争がその背景にある。だから,そのジャーナリスティックな議論のポイントは,政治も経済も,みんなウチナンチュの日常生活にとっていかなる意味をもつのか,という点に絞られている。だから,その論旨はじつに明快であり,しかも日常生活の細部にまで伸びていく。

 たとえば,米軍基地問題も,単に安全・騒音だけではなく,沖縄の経済を阻害している最大要因であることを,日々,詳細にデータを提示しながら論じている。そして,政府による沖縄振興予算などは,むしろ,ウチナンチュの経済的自立を阻害するばかりではなく,アイデンティティをも阻害するものであって,なんの役にも立たない,ということもきちんと説明している。そして,その目線の先は,基地を県外に移設したのちの,自律・自立した沖縄経済の活性化に向けられていて,着実にその基盤が構築されつつある。とりわけ,IT関連事業については確実にその基盤が整いつつある。そして,東南アジアや中国と本土とを結ぶ重要なハブ拠点となりつつある。しかもその成果は着実に上がっていて,経済も活性化の一途をたどっている。こういう情報・議論が毎日のように新聞紙上を賑わせている。だから,沖縄県民の意識は,本土のわれわれが知らないところで,はるか先に進んでおり,その実現に向かっている。

 翁長知事が中国や台湾に足を運ぶのは,こうした大きな流れの上に立ち,沖縄の経済的自立を視野に入れた上での政治活動だ。そのことを本土のメディアのほとんどは理解していない。のみならず,翁長知事の行動を疑問視するメディアも少なくない。それどころか,中国のスパイ呼ばわりさえする新聞も登場している。あきれ返ってものも言えない,とはこのことだ。自分たちの不勉強を棚に挙げて,自分たちに理解できない行動はすぐさま批判する。それも完全なる「上から目線」だ。しかも,劣悪なことばで。ここには悪意以外のなにも存在しない。ジャーナリズムの腐敗であり,死そのものだ。そのことに気づいている様子もない。最悪だ。

 沖縄2紙を読んでいて,しみじみと感じるのは,両紙ともに沖縄県民の「生」をしっかりと見つめ,これを擁護する姿勢に貫かれているということだ。辺野古新基地建設に反対する沖縄県民の意識の根っこはここにある。この点は,みごとに沖縄2紙ともに徹底している。そして,しのぎを削っている。だから,論旨はますます冴え渡ってくる。読んでいて,じつによくわかる。沖縄県民が選挙行動で示した「反基地建設」は,こうした磐石な論旨に支えられてのものだ。しかも,一朝一夕のうちにできあがったものではない。深い歴史過程と連動している。しかも,すでに,沖縄県民はそのさきを見据えている。

 日本政府はもはや当てにはならない。沖縄県として自立した立場で,直接,アメリカと折衝をするしかない,と。翁長知事はこうした県民の圧倒的な支持を受けて,いよいよアメリカ政府との直接交渉に向かう。83%の県民の支持を受けて。

 一昨日のブログにも紹介した『沖縄タイムス』の記事も,そうした流れの上に立つ,堂々たる論陣の張り方である。本土のメディアはとても太刀打ちはできないだろう。なぜか。ジャーナリズムの精神を放棄してしまっているから。すなわち,人間の「生」を肯定し,擁護する,人間として生きる原点をどこかに置き忘れてきてしまったから。

 わたしたちは「沖縄についてほとんどなにも知らないに等しい」と表題に掲げた。その理由は本土のジャーナリズムの腐敗・死にある。だから,わたしたちは沖縄のほんとうの姿をほとんどなにも知らないままなのだ。しかも,そこに政府自民党の圧力がかかっている。これから,ますます,沖縄情報は本土では忌避されてしまいかねない。これから最大のピークを迎えるというのに。

 わたしたちは,いまや,沖縄県民を師と仰ぎ,教えを請わなくてはならないところに立たされている。このことだけは,声を大にして叫びたい。われら「茹でガエル」たる同胞に向けて。

2015年4月23日木曜日

政権評価の潮目が変わったか。政府の沖縄対応に「No」,女性たちもアベ政権に「No」。

 新聞各社による政府の沖縄対応についてのアンケート調査の結果が,軒並み「No」をつきつけているという。読売,日経の読者ですら,「No」の方がわずかだが多いという。その他の毎日,朝日になるとかなり大きな差がついているという。沖縄2紙(『琉球新報』と『沖縄タイムス』)にいたっては,圧倒的な差だという。

 そのきっかけとなったのが,菅×翁長対談であり,さらに駄目だしをしたのが安倍×翁長対談だという。この二つの対談によって,沖縄の真実が,はじめて日の目をみたからだ。それまで,沖縄関連情報は,そのほとんどが政府の垂れ流し情報で埋めつくされていた。それに対する批評も評論もないままに。だから,国民の圧倒的多数は,沖縄についての精確な情報をほとんでなにも知らないままでいた。

 ところが,今回の二つの対談によって,いやでも沖縄の真実の声が公にならざるをえなかった。しかも,翁長知事の単刀直入な,わかりやすいことばが,ストレートに読者の胸に落ちた。それに引き換え,菅,安倍の両氏は,翁長発言に対して説得力のある応答はひとつもできなかった。そこには「丁寧な説明」はひとこともなかった。これで勝負あった,となった。

 以後,新聞各社は,温度差はともかくとしても,沖縄の「真実」を独自の取材をとおして書きつぐことになる。ここにきて沖縄情報が,それ以前にくらべたら,信じられないほど多くなってきた。これから,新しい事態がつぎつぎに起こることが予想されているので,ますます,沖縄情報は多くなるであろう。だとすれば,ますますピンチに陥るのは官邸の方だ。これまで一方的に沖縄情報を抑圧し,隠蔽し,排除してきた官邸の悪事が,つぎつぎに明るみにでてくるだろうから・・・。

 こうして沖縄情報が流れれば流れるほど,沖縄の真実は明らかになってくる。そして,これまで無知・無関心だった本土の人たちにも,少しずつ沖縄理解が深まってくる。これは,もはや,止めようのない流れとなってきた。となれば,その行き着く先もみえてくる。

 明らかに,政権評価の潮目が変わった,とみてよいだろう。

 加えて,女性週刊誌がこぞって女性の不安を取り上げ,多くの読者の支持をえているという(『毎日新聞』の特集)。こちらの引き金となっているのは,原発問題と生活不安。つまり,わたしたちの命と生活はこれでいいのか,という女性特有の鋭い感性に訴える記事が圧倒的支持をえているというのだ。この特集はなかなか説得力があって,いい記事になっている。

 ジャーナリズムが死んでしまったとわたしは嘆いてきたが,どっこい,女性週刊誌の世界ではしぶとく生き残っていたようだ。こういう女性たちの声を取材して書かれる記事に対しては,さすがの官邸も手も足も出せないのだろう。あるいは,盲点になっていたか。これからしばらくは女性週刊誌に注目である。

 詳しいことは毎日新聞にゆずるが,ひとつだけ,面白いとおもったことに触れておきたい。

 アベ君は,折あるごとに「女性の力を活用したい」と言ってきた。一見したところ,女性を大事にしていこうとする姿勢にみえるが,さにあらず。これが,上から目線であることに女性たちは反発しているというのだ。つまり,「女性の力を活用」するのはあくまでも「男」たちであって,女性はその道具でしかない,という姿勢が透けてみえてくる,というのだ。これは,菅長官が沖縄の辺野古新基地建設を「粛々と進める」と繰り返していることが「上から目線」だと批判されたのと,まったく同じ道理だ。

 官邸が気づいていない驕り,高圧的な姿勢が,女性たちの鋭い感性に見破られた,と言ってよいだろう。しかも,この姿勢は耐えられない,我慢ならない,というのだ。それが,戦争法案(福島瑞穂発言)の議論にも現れているし,原発再稼働の議論にも感じられるし,ましてや「戦争のできる国家」など,とんでもない,という次第だ。こうして,一度,気づくと,つぎからつぎへと官邸のやることなすことが不安になってくる,と女性たちはいい始めているという。この連鎖反応は大きい。

 女性の感性とは,すなわち,からだに支えられたものだ。女性の,とりわけ,母性からくるものだ。だから,母性本能に直結する「命」の安全への反応は,男の比ではない。ここが目覚め,ここから政権に疑問を感じ,批判が出はじめた,というのだとしたら,これはもう政権にとっては命取りのようなものだ。男は目の前のエサを追いかけることに必死で,森を見失うことが多いが,女性は,子どもたちの「命」がどうなるのか,という長いスパンで身構える。

 官邸はこの虚をつかれた格好だ。いずれにしても,女性たちによる政権党に対するきびしいまなざしが,徐々に頭をもたげはじめていることは事実のようだ。

 ここでも,潮目が変わった,とみるべきだろう。
 なにかがはじまろうとしている。それに期待したい。

2015年4月22日水曜日

茹でガエル亡国論・その1.茹でガエルとはなにか。総論。

 茹でガエル。

 だれがいい始めたのかは知らないが,どこかでみかけたとき,「うまいっ!」と感心し,以後,わたしも多用させてもらっている。まことに言い当てて妙。

 たしか,わたしの記憶では,「カエルは変温動物なので,周囲の温度の変化に,ほとんど抵抗なく適応していく。冬になれば冬眠まですることができる。そして,春になれば眼を覚まして,またもとどおりの生活をはじめる。これは優れて環境への適応能力というべきである」と持ち上げたうえで,つぎのようにつづられていたようにおもう。

 「最近の日本人は,快適な環境温度にどっぷりと順応し,いつのまにか温度が必要以上に高くなっているのも気づかないまま日常生活を送っているうちに,気づいたら筋肉が茹で上がってしまって,もはや身動きならないからだになってしまった。そして,国家権力のなすがまま,無抵抗。それどころか自発的に隷従している方が楽だという技をも無意識のうちに身につけ,ついには思考まで停止してしまった。もはや,完全に茹で上がったカエルも同然。かくして,国家権力は,あとは,邪魔にならない程度に飼い馴らしておけばいい。これで清き一票もやすやすと手に入る。妙に目覚めたままでいるカエルは脅すなり,排除するなり,あるいは,食すなり,掃いて棄てるなり,殺処分にすればいい。かくして盲目的多数派工作は完了である。」

 「それでもなお,しぶとく自己主張をする輩が生き残っているので,こちらは目立たないように恫喝をかけておけばいい。とりわけ,報道機関の垂れ流す情報のうち,国家権力にとって都合の悪い情報を流す報道機関に対してだけ,裏でこっそりと厳重に注意を与えればいい。それでも足りない場合には,堂々と調査委員会なるものに呼び出して,密室であからさまに恫喝すればいい。それでも,世間一般には,ただ事情を聴取しただけ,ととぼけておけばいい。」

 「かくして,メディア・コントロールも思いのまま。かくなるうえは,長年にわたって夢にまで見,思い描いてきた理想の国家づくりに励めばいい。そう,憲法9条という看板をはずし,戦える軍隊をもち,堂々と戦争のできる国家をめざして。いまや,準備万端整えり。いざや,いざ。」

 というようなことがつづられていたと記憶する。あまり自信はないが・・・・。

 以下はわたしの感想。

 しかしながら,茹でガエルを大量生産することには成功したものの,その一方で,茹でガエルになることを拒否しつづけている強力な分子も少なからずいる。この分子たちが,少しずつ,異議申し立てをしはじめている。それぞれのやり方で。それに反応して,なんとなく変だと気づきはじめた茹でガエルも,多くはないが出はじめている。

 国家権力が,唯一,展望を誤ったのがオキナワだ。沖縄にだけ特化した振興予算などというエサをほどほどにばらまいておけば,どうにでもなる,と甘く考えてきたオキナワだ。しかし,この手で何回も騙されつづけてきたウチナンチュも,こんどばかりは騙されなかった。長年にわたる艱難辛苦と向き合い,かつ,日常的な騒音と危険と向き合い,おまけに,約束を無視した巨大な「軍港」にも等しい辺野古新基地建設という,日米合意を楯に,日本国という権力による一方的な暴挙を目の当たりにするにつけ,ウチナンチュは立ち上がった。
 
 ウチナンチュを茹でガエルにしないように頑張ったのは,オキナワのジャーナリズムだ。とりわけ,沖縄2紙といわれる『沖縄タイムス』と『琉球新報』だ。この2紙が競い合うようにして,オキナワの置かれているありのままの現実を包み隠さず明らかにし,県民が重要な判断をくだすための情報を提供しつづけてきた。この功績は大きかった。わたしは,このことの重大さを,この一年間のネット購読者としての経験で知った。じつにわかりやすく,懇切丁寧に,しかも,何回にもわたって,辺野古新基地建設に関する経緯(歴史的事実)を説明しつづけてきているのだ。それは,いまも,つづいている。

 先日の翁長知事と首相との初の対談が終わった直後には『琉球新報』は号外を発行して,町行く人びとにばらまいた。翁長知事に与えられた5分という冒頭の発言時間を,約束を破って,たった3分で中断させ,報道陣を追い出しことや,全部で,たった35分の対談であったことや,それも官邸側が一方的に打ち切ったこと,などが報じられている。そして,翁長知事が「辺野古新基地建設は断じて許さない」と首相に迫ったことを,圧倒的に支持する声明文ともなっている。

 ついに,死んだふりをしていた獅子が眼を覚まし咆哮した。ウチナンチュはまったく新しい局面に向かって勇気ある第一歩を踏み出した。この沖縄県民の圧倒的支持に背中を押された翁長知事の決断に,慌てたのは官邸の方だ。それでもなお,,本土の思考停止した茹でガエルに支持されている政府自民党が,民主主義を無視してでも,押し切ろうとするのか。

 ことここにいたって,ついに,「茹でガエル」が恐るべき暴力装置として,新しい歴史の扉の前に立ちはだかり,沖縄県民の意思を踏みにじってしまうのか,きわめて重大な局面を迎えている。これを名づけて「茹でガエル亡国論」。

 次回からは,このテーマを少しずつかみ砕いて,各論を展開してみたいとおもう。ご批判をいただければ幸いである。

2015年4月21日火曜日

ママァ! AIIBは悪い高利貸しだって?  アベちゃんが言ってたよーッ。幼稚園児の会話。

 ママァ! AIIBは悪い高利貸しだって? アベちゃんが言ってたよーッ。
 ヘーェ,そうなの? ママはそうはおもわないけどねェ。アベちゃんのおじいちゃまがそう言ってたのかしらねェ。まさかねェ? そんなはずはないとおもうけどねェ?
 だって,アベちゃん,みんなにそういってたよーッ!

 幼稚園での子ども同士の会話を,家に帰ってきてさっそくママに報告しているような,そんな光景が眼に浮かびます。そんなレベルの話。

 頭脳が幼稚園児なみ。だれがこんな間抜けな智恵をアベちゃんにつけたのでしょうねぇ。それをそのまま鸚鵡返しにして,触れまわっているなんて・・・。まさか,アベちゃんが自分で考えたともおもえないし・・・・。第一,そんな思考力があるともおもえないし・・・。

 まことにもって,情けない話です。

 アベちゃんは,ヨーロッパ世界がアメリカ一極主義からシフトしたことに気づいていません。予想をはるかに超えて,57カ国が参加してスタート切ったAIIB。これは,中国がアメリカにつぐ第二極として国際世論が認知したなによりの証拠。

 なのに・・・・,アベちゃん,なんにもわかっていない。その取り巻きも・・・取り巻きだ。だれかが,ポロッと,悪い冗談でも言ったのを,小耳にはさんで,そのまま信じてしまったのでしょうか。だとしたら,真正のバカとしかいいようがありません。太田光君のいうとおりです。

 このところ考えつづけている「茹でガエル」君のモデル第一号はアベ君だった。その特性である「思考停止」,「自発的隷従」,「盲進・妄信」,ついでにもう一つ「猛進」,すべて当てはまってしまう。なんともはや恐ろしや。

 ドイツのメリケルちゃんですら,わざわざアベちゃんに声までかけて誘ってくれたのに・・・。「あーとーでー」だって。「つまんないなー」。ヤマグチさんちのツトム君じゃあないんだから・・・。だって,ツトム君は「このごろ少し変よ」と友だちも気づいていますが,アベちゃんは最初からずーっと「変よ」なんだから・・・。

 のっけから「♪狂っちまってンだからァー♪」。久間無視じゃないんだから。エッ? アッ,パソコンの変換ミス?・・・じゃあないよ。パソコンはミスしないもん。命令されたとおりに間違いなくはたらくだけだもん。操作している人間の変換ミスだよォ。無責任なんだからァ♪・・・。

 放火魔は,かならず火事の現場に姿をあらわす,といいます。「悪い高利貸し」なんていうセリフはやったことのない人には実感がないはず・・・。ということは,アベちゃんは,隠れて「悪い高利貸し」をやっているということ・・・・?!身からでた錆か。

 そういえば,あちこち,たいして意味もない,わけのわからない金をばらまいているもんねぇ。あの金も別のなにかで回収しようと企んでいるのだろうか。

 ここにきて,あまりにお粗末なボロが出すぎる。そろそろ幕引きのときが近づいてきたか。

からだの「知」・その2.免疫力=自然治癒力に秘められた「知」。

 赤ん坊や幼児は,興味・関心をいだくとすぐにそれを手にとり,口にもっていく。清潔であるか,汚れているかは問題ではない。とにかく手で触れて,口で確認する。これはもう遺伝子に刷り込まれたからだの「知」としかいいようがない。知や意識がはたらく以前のからだの,素のままの反応だ。いわゆる純粋経験。

 しかし,そのお蔭で,幼児は母親からもらった免疫力から自立して,自分の免疫力を獲得していく。その功労者は「汚れたもの」だ。つまり,非衛生的なものだ。ありとあらゆるからだにとっての「異物」,つまり,バイ菌を筆頭とするさまざまな「異物」(抗原)がからだの中に入り込むことによって,それに対抗する「抗体」をつくる。これが免疫力を高める基本原理だ。だから,一定の「異物」がからだの中に入ることによって,免疫力は維持され,さらに高められていく。

 いわゆる「抗原抗体反応」は,人間の理性とは別物だ。つまり,からだの自律的なはたらき以外のなにものでもない。これを,わたしは,からだの「知」と名づける。からだは理性とは関係なく,みずからの原理原則をもっている。そうして,その原理原則にもとづいて,その機能を高めたり,低めたりしている。だから,かんたんに言ってしまえば,一定の「汚れたもの」(異物)が,周期的にからだの中に入り込むことが免疫力を維持し,高めていく上では不可欠なのだ。

 にもかかわらず,世はあげて衛生管理主義が徹底している。つまり,「衛生的」ということばに弱い。衛生的によくない,と言われるとすぐにそれに従う習性が身についてしまっている。科学万能主義や科学神話が徹底した結果なのだ。だから,世の中の組織や制度も「衛生的」に構築されてしまっている。その最先端に学校教育が大きな役割を果たしている。

 外出から家にもどったら,すぐに「手を洗い」ましょう,「うがい」をしましょう,と教えられる。母親もそのように教える。だから,子どもたちは,みんな条件反射のようにして,なんの疑問もいだくことなく,「言われたとおり」に手を洗い,うがいをする。こうして,バイ菌をからだの中に入れないようにしているのだ。とても清潔で,衛生的で,よろしい,ということになる。

 名づけて「衛生帝国主義」。しかしながら,この結果は,免疫力の低下だ。だから,一年中,ちょっとしたことですぐに体調を崩す人間が激増している。というよりは,医療依存症というべきか。なにか,からだに少しでも変調がみられるとすぐに病院にいく。そして,医師に診てもらって処方をしてもらい,薬をもらって帰ってくる。医師も診療点数を稼ぐためにせっせと薬を処方する。患者の多くは,ただ,それだけで安心立命している。

 からだの異変が尋常ではない場合には,医師に診てもらう必要がある。しかし,ちょっとからだがだるい,その程度の異変でも,すぐに医師のところに行って薬を処方してもらって,それを飲む。あるいは,自分でそれらしき薬を買ってきて飲む。流行性感冒でもはやろうものなら,予防注射までしてもらうご時世だ。食品関係を直接扱うような特殊な職業の人であればともかくも,ごくふつうの生活をしている人も列をなして予防注射をしてもらう。

 これでは,折角の「抗原抗体反応」のしくみを稼働させる絶好のチャンスを,みずから放棄するに等しい。その結果は,免疫力の低下だ。だから,ますます風邪を引きやすくなる。そして,常時,医者のお世話になる,という悪循環に陥る。このことに気づいていない人は意外に多い。

 ここには多くの問題が隠されている。一つは,自分のからだと向き合って,考える機会をみずから放棄していること。つまり,「思考停止」。もう一つは,からたの「知」力を高める機会,つまり,免疫力を高める機会を放棄していること。もっと言っておけば「自然治癒力」の放棄である。その結果が,医師・薬依存症への道だ。すなわち,人間が人間であることを放棄して,人間ではなくなる,「事物化」への道だ。そして,医療費の高騰だ。ここからさきのことは,いずれまた機会を改めて書くことにしよう。

 いま,必要なのは,ひとりの人間として自立/自律して考える力だ。その基準は,医療の助けが必要かどうかの判断力だ。つまり,免疫力を高めるためのチャンスとみるか,あるいはその限界を超えていると判断するか,を見極める力だ。そうして,自分のからだの「知」力を高めていく心構えをしっかりともつことだ。つまり,免疫力=自然治癒力を高めていくために。

2015年4月20日月曜日

東京五輪2020批評・その1.東京五輪はだれのためのものか。国民無視の実態。

 東京五輪2020の招致運動からこんにちまで,国民の意思はほとんど無視されたまま,どこかの密室で着々と推し進められている。当該担当部局に議事録の開示を求めても,3カ月も6カ月も待たされた上に,開示される議事録は真っ黒に塗りつぶされたものがほとんどだ。読んでもなんの役にも立たない代物ばかりである。それでも議事録を開示している,としらを切る。

 東京五輪2020の招致・開催の主体は東京都である。しかし,その東京都が五輪招致のために作成した開催要領がどのような議論を経て作成されたのか,わたしたちは知るすべをもたない。詳しいことはだれも応答してくれないからだ。すべては密室でことが運ばれたということだ。それでも開催要領をよくよく分析すれば,だれが,なにを,企んで作成されたものであるかは,一目瞭然である。

 たとえば,東京湾岸を中心に「5キロ圏内」ですべての競技を行う,いわゆる「コンパクトなオリンピック」というキャッチ・フレーズの陰に隠された本音は,まるで子どもじみた理屈である。ごくかいつまんで書いておけば以下のとおりである。

 東京都が東京湾にゴミを棄てて埋め立てた土地が,大量に空き地のままになっている。だれも買い手がいないからだ。つまり,使えない土地なのだ。だから,その表面に芝を植え,植樹をして緑地公園にし,部分的にスポーツ施設をセットして,都民に解放されている。しかし,コストの上で採算がとれない。そこで飛び出した名案(迷案・明暗)が,オリンピックを招致して,全部,スポーツ関連施設にしてしまおう,というわけだ。それを「東京湾副都心計画」と銘打って,選手村やマンションも建造して,終わったら民間に払い下げればいい,と考えた。この案が都議会をとおして承認され,晴れて日の目をみた。この仕掛け人は石原慎太郎である。日本はこの案を引っさげてIOC総会に乗り込んだ。

 当時のIOCの考え方としては,経費のかからない,こじんまりとした大会の運営をよしとする機運が高まっていたので,この提案は高評価を受けた。そして,その他の手も使って,みごとに五輪招致を勝ち取った。フクシマは「under control 」という首相の名セリフのもとに,あからさまな嘘をつき,投票権をもつ委員たちを誑かした。その結果の五輪招致である。

 なぜか,最初から,五輪招致のための動機が不純である。政治家の弄びものの匂いがふんぷんとしている。

 のみならず,いよいよ五輪施設の建造にとりかかろうとしたら,建築資材費と人件費が急騰して,準備されていた「5000億円」ではとても賄いきれないということが判明した。当然である。東日本の復興,フクシマの応急処置,集中豪雨などによる災害,などが重なってあっという間に土木・建築費の高騰となった。こんなことは建築家の間では早くから指摘されていたことだった。それが現実となっただけの話である。このために,五輪が大きな壁にぶち当たっただけではなく,東日本の復興も,フクシマも,災害地の復興も,なにもかもが頓挫することになった。

 その典型的な例のひとつが,国立競技場を取り壊し,新国立競技場を建造するという計画である。このことについては,このブログでも何回もとりあげてきているので割愛する。が,その後のこと,つまり,現在進行形の話は少しだけ触れておこう。多くの専門家集団や市民団体がJSC(日本スポーツ振興センター)の計画に反対し,改善案まで提示したが,それらのすべてが無視されたまま,とうとう解体工事がはじまってしまった。まるで,沖縄の辺野古新基地建設と同じ手口だ。一切,聞く耳をもたない一方的な強行突破である。

 このことが,じつに象徴的にこんにちの国家権力の姿を浮き彫りにしている。すべてが万事,このやり方がまかりとおる不思議な国家に成り果ててしまった。いまや,言論の自由もままならず,新聞・テレビの報道までもが「放送法」などを無視して,政府自民党が公然とプレッシャーをかけてくる時代である。民主主義の憤死。

 ところが,五輪施設づくりに関しては,IOCから新しいアジェンダが発表され,開催都市の意向を最優先するということになった。そのとたんに,招致運動のときのキャッチ・フレーズであった「5キロ圏内」での五輪開催という原案はどこかに吹っ飛んでしまった。いまでは,広域開催に向けてせっせと裏工作がなされている。遠く愛知県まで開催地候補に名乗りを挙げるにいたっている。しかし,この段階にいたっても,計画・立案はすべて「密室」審議のままである。

 東京都民の意思は,議会が代行するとはいえ,ほとんど無視されたままである。少なくとも,都議会議員のなかに,オリンピックとはなにか,オリンピック・ムーブメントとはなにか,これまでの歴史過程でなにが問題となってきたのか,などについてきちんと判断できる議員がなんにんいるだろうか。心もとないかぎりである。言ってみればオリンピック・ムーブメントについては素人集団だ。だから,ここには,少なくとも専門家の意見を求める諮問委員会を設定し,議論すべきなのに,それすら十分に機能しているとはおもえない。

 この状態はいまもつづいている。少しずつ専門家と称する委員がいろいろの組織に追加されてはいるが,わたしの知るかぎりでは,みんな元オリンピック選手ばかりだ。少なくとも,オリンピックを「批評」できる専門家はひとりも加わってはいない。なぜ,加えないのか。加わってくれては困るからだ。都合の悪い人間は加えない。いまは,とくに,この傾向は顕著だ。

 長野の冬季オリンピックのころには,わたしのような人間でも,文部科学省の諮問委員会の委員として招聘され,何回かは意見を陳述する機会もあった。そして,多少なりとも,その意見は取り入れられた。あのころまでは,まだ,民意を尊重する姿勢が生きていた。いまや,皆無だ。政府が立ち上げるどの委員会もすべて「仲良しクラブ」のメンバーばかりだ。これではもはやなんの意味もない。ただ,形式と手続だけ整えれば,すべて合理化される,という詭弁にすぎない。それがまかり通っている。

 現段階での東京五輪2020の最大の問題点は,国民無視のまま突っ走っていく,権力の思いのままのまことに都合のいい道具と化してしまっていることだ。こんなことで東京五輪2020が国民のためになるとはとても考えられない。いったい,だれのための東京五輪2020なのか,根源的な問いを,いまからでもいい,発しなくてはならない。

 体育・スポーツ関連学会は無言のまま「自発的隷従」を貫こうとしているかにみえる。それを見過ごしているわれわれにも責任は重い。いまこそ,声を挙げるべきときではないのか。

2015年4月19日日曜日

我昔(がしゃく)所造(しょぞう)諸悪業(しょあくごう)・・・・。『修証義』第10節。

 我昔(がしゃく)所造(しょぞう)諸悪業(しょえくごう),皆由(かいゆう)無始(むし)貪〇痴(とんじんち),従身口意(しゅうしんくい)之(し)所生(しょしょう),一切(いっさい)我今(がこん)皆懺悔(かいざんげ),是(かく)の如(ごと)く懺悔(ざんげ)すれば必(かなら)ず仏祖(ぶっそ)の冥助(みょうじょ)あるなり,心念(しんねん)身儀(しんぎ)発露(ほっろ)白仏(びゃくぶつ)すべし,発露(ほっろ)の力(ちから)罪根(ざいこん)をして〇〇(しょういん)せしむるなり。

 以上で『修証義』の第二章懺悔滅罪の終わりです。要するに,仏さまの前で懺悔をすれば罪は消えてなくなりますよ,という教えを説いた章の最後の節(第10節)です。

 
この第10節の冒頭の四句は経文そのままが並んでいます。一見したところ,なんのことかさっぱりわからないように見えますが,不思議なことにじっと眼をこらして眺めていますと,なんとなく意味がわかってきます。そして,ある程度,意味が透けてみえてきましたら,こんどは声に出して何回も何回も読み上げてみましょう。すると,なんとなくわかったような気持にさせてくれます。

 実際にも,この四句の懺悔のための文言を唱えれば,お釈迦さまのあらたかなる助けの手が伸びてきますよ,とそのあとに書かれています。ですから,何回も何回も唱えつづけるだけでも,意味がおのずから通じてくるようです。でも,それだけではあまりにも不親切のようにおもわれますので,ここは参考書を手がかりにして,ひとまず読みくだし文にしてみましょう。

 「われ,むかしより造りしところのもろもろの悪業は,みな,無始の貪〇痴(とんじんち)に由る,身口意より生ずるところなり,一切われ今,みな懺悔したてまつる」となります。この読みくだし文を何回も何回も唱えるだけで,さらにその意味が次第に鮮明になってきます。

 この読みくだし文を,さらに現代語風に意訳をすれば以下のようになります。

 わたしがそのむかしに造りだしたところのもろもろの悪業は,どれもこれもみんな無始の貪〇痴(とんじんち)から生ずるものであります。(ここでいう貪〇痴の「貪」とは貪欲のこと,「〇」(じん)とは怒りのこと,「痴」とは愚痴のこと,つまり「おろかさ」のことです。)これらは身口意の三つの活動にしたがって生ずるところのものであります。(すなわち,「身」とは身業(殺生・盗み・邪淫)のこと,「口」とは口業(妄語・綺語・悪口・両舌)のこと,「意」とは意思による悪業(貪欲・怒り・邪見)のこと,です。)これらのすべてを,いま,懺悔いたします。

 というような具合になります。

 残された難関は,「冥助」と「心念身儀発露白仏」,の二つの文言だけでしょう。

 まず「冥助」とは,知らずしらずのうちにいただく仏さまの加護・助力というほどの意味です。
 つぎの「心念身儀」とは,心や意識の念想と,身体の威儀作法のこと,つまりは全身全霊のことです。「発露」とは,ありのままにすべてをさらけ出すこと,「白仏」とは,仏に告白すること,したがって,「発露白仏」とは,仏さまの前で自己の罪悪を包み隠さず,すべてをありのまま告白・懺悔することを意味します。

 これだけのことを頭に入れた上で,なんども声にして読み上げてみましょう。第10節の最後の文言もなんなく理解できることでしょう。

 さて,最後にわたしの意訳を挙げておきましょう。

 わたしがそのむかしになしたもろもろの悪業は,みな,はじまりもわからない貪欲と怒りと愚かさによるものであり,それらは身・口・意の悪業にしたがって生ずるところのものであります。わたしは,いま,ここでこれらすべてのことを懺悔いたします。と,このように懺悔すれば,かならず仏祖はそこはかとなく助けの手を差し伸べてくれます。ですから,誠心誠意,全身全霊をこめてありのままをすべて仏の前でさらけ出し,告白しなさい。そうすれば,告白・懺悔の力によって,これまでの罪根をすべて消し去ってくれるでしょう。

2015年4月18日土曜日

翁長知事・首相対談を『沖縄タイムス』で読む。この迫力。圧巻。

 昨日(17日)の翁長知事と首相との対談は,どのメディアもとりあげ,それぞれの立場から論評を加えている。しかし,そのとりあげ方の温度差・内容・視点・批評性のいずれもまったく異なる。当然といえば当然。しかし,そのあまりの落差には唖然とせざるをえない。

 たとえば,『産経新聞』などは「またまたゴネる沖縄」「金ゆすり対談」といった体たらくである。沖縄の民意が,いま,どのように「進化」しているかというその実態をなにも把握できていない。あまりに稚拙。なんともはや,あきれ返ってしまうばかり。まあ,ジャーナリズムとしては「赤っ恥」に類する取り扱いだ。

 今日の新聞は,ネットでヘッドラインだけでもチェックしてみるといい。各紙の特色がもののみごとに映し出されていて,それだけでも勉強になる。ひとくちに言ってしまえば,いずれも「腰砕け」である。その意味では,政府自民党による圧力が,そのまま表出しているとみていい。それに比べたら沖縄2紙の報道は気合が違う。その迫力たるや,これまたすさまじいばかりだ。そして,感動的ですらある。

 以下は『沖縄タイムス』のネット購読者用の紙面を,パソコンからじかに写真にしたものである。写真のとり方がまずいので恐縮だが,それでも,見出しを拾い読みすることはできるだろう。ぜひ,ひととおり眼をとおしていただきたい。

 あまりに面白い記事なので,いろいろコメントしたいことは山ほどあるが,ここは禁欲することにしよう。そして,ありのままの紙面を提示するにとどめ,あとはみなさんの判断にすべて委ねることにしよう。それが一番だとおもうから。