2015年4月28日火曜日

毎日新聞・余祿から。漱石の『三四郎』の「運動会」で100分の1秒を計測。

 数日前に,毎日新聞社のO記者からメールと電話で取材があり,このような記事を書きたいという連絡がありました。O記者とは以前からの知己でしたので,快諾。でも,どんな記事になるのかはいささか不安はありました。以前,痛い思いをしたことがあるからです。でも,O記者なら大丈夫と信じて,記事の内容についてはお任せしました。

 それが下の写真のとおりです。とても面白い内容になっていて,よく調べて書いているなぁ,と感心してしまいました。さすがにO記者だなぁ,と。


 もう少しだけホットな話題を提供しておけば,以下のとおりです。
 4月25日(土)にわたしが主宰しています「ISC・21」(21世紀スポーツ文化研究所)の月例研究会を青山学院大学で開催しました。この案内をO記者にも流しておきましたところ,時間を割いて参加してくださいました。というより,ご縁があるのか,地下鉄の表参道から青山学院大学に向かって歩いていたら,その路上でばったりお会いしました。

 おやまあ奇縁ですねぇ,という話からはじめて歩きながら,今回のこの記事にまつわる雑談を交わしました。そのときのお話でとても興味深かったのは,新聞がスポーツ情報をいかに伝えるか,マンネリ化してしまっていて,記者はみんな頭を悩ましている,ということでした。つまり,スポーツ情報が,饅頭に例えれば,表層の薄皮の部分だけに集中していて,スポーツの肝ともいうべき「餡子」の部分を描ききれないでいる,というのです。もっと言ってしまえば,スポーツの「文化性」に触れる記事にできないでいる,と。

 わたしも,まったく同感でしたので,スポーツ記事が少しも面白くない,その理由などをあれこれ話しながら歩きました。少しきつい言い方をすれば,スポーツ担当記者の勉強不足。我田引水になってしまいますが,スポーツの歴史的なバックグラウンドに関する知識不足であったり,アスリートの人間性に触れるような情報不足にその原因があります,と。しかし,スポーツ担当記者の置かれている環境情況もきわめて劣化しているようです。もう,かなり以前からひどい情況になっている,というお話を元毎日新聞記者で『甲子園球場物語』などの著書もあり,いまは,わたしたちの研究者仲間になっているTさんから伺っています。

 つまり,むかしは野球担当,相撲担当,という具合にスポーツの担当部門がかなり専門分化されていたので,十分に時間をかけて取材もし,調査もし,じっくり熟成された記事を書くことができた,というのです。ところが,しばらく前から「合理化」の名のもとに,いわゆるスポーツ記者として特定される記者はほんのわずかな人数になってしまい,しかも,あれもこれもひとりで担当することになってしまったので,とても時間的な余裕がなくなってしまったというのです。ときには,手が足りなくなって,ほかの部局の記者の応援を頼むこともまれではない,といいます。

 そう言われてみれば,数年前に朝日新聞社の記者から取材を受けたときに担当してくださった女性記者は,所属部局は「政治部」だと言っていました。が,個人的にスポーツにも興味があるので,ときおり応援に引っぱりだされるのだ,と笑っていました。最近では,雑誌『世界』に女子プロレスの草創期の話を連載しており,そのみごとな描写に感動しています。人間性にあふれた温かなまなざしが文面の裏に感じ取られて,読者をぐいっと惹きつけます。

 やはり,書くべきものをきちんともったひとが書くといいものになる,これがわたしの現段階での結論です。それと共に思い出すのは,東京五輪1964のときには,各新聞社とも,一流の作家を動員して,見聞記を書いてもらっていたという事実です。三島由紀夫や井上靖といった錚々たる作家が名を連ねて,日替わりメニューのようにして登場していました。ですから,毎日,新聞でオリンピック見聞記を読むことがとても楽しみでした。

 今回の,この毎日新聞の「余祿」を読んで,こんなことを思い出していました。やはり,いろいろ事情はあるでしょうが,劣化した情況のなかにあっても,ピカリと光る記事を書く記者はいるのだ,と。だから,書き手次第だ,と。O記者もそのうちのひとりだ,と。

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