茹でガエルとは,ひとくちで言ってしまえば,文明化の産物です。それも,つい最近の,日本での現象です。もっと象徴的にわかりやすくするとすれば,東京五輪1964以後の現象である,と断言しておきましょう。しかも,それは「生きもの」としては明らかに退化現象である,ということです。このことについて,今回は少し考えてみたいとおもいます。
東京五輪1964は,単純に計算して51年前のイベントでした。いまや,日本人の圧倒的多数は,東京五輪1964以後に生まれた人たちです。ですから,生まれながらにして東京五輪1964以後の日本の文明化社会を空気のようにして成長しています。つまり,それが当たり前。
しかし,このとき,日本は大きく様変わりをしました。まずは,なによりも東京五輪を茶の間で観戦したいという期待に応えて,テレビが全国的に普及していきました。それまでのラジオ,新聞といったマス・メディアにとって代わったのがテレビでした。リアル・タイムで東京五輪の映像を茶の間でみることができるようになりました。ということは同時に世界中のニュースもリアル・タイムでヴィジュアル化されることになりました。これは画期的なできごとでした。わたしが26歳のときでしたので,この当時のことはいまも鮮明に記憶しています。
わたしは残念ながら,まだ定職につくこともなく,大学院に籍をおき,アルバイトをしながらほそぼそと自炊生活をしていました。ですから,テレビにはとても手がとどきませんでした。つまり,極貧の生活に甘んじていました。ナショナルに勤務した友人のひとりがみるにみかねて電気炊飯器をプレゼントしてくれました。が,この電気炊飯器も,ほかの友人のひとりが泊まり込みで遊びにきた日の朝に,その友人とともに消えてなくなっていました。つまり,家電製品がまだとても物珍しい時代だったわけです。
文明の利器が日本の家庭のなかに浸透しはじめた時代でした。このあと,いわゆる家電革命が起きて,日本の家庭生活はつぎつぎに変革を強いられていくことになります。テレビを筆頭に,電気炊飯器,冷蔵庫,洗濯機,掃除機,電気毛布,電気カーペット,そして,エアコンへといった具合に,日本の家庭のなかにあっという間に家電製品が侵入してくることになりました。わたしは結婚後も貧乏生活をしていましたので,それらの家電製品を羨望のまなざしで眺めていました。ですから,なおさら強烈な印象となっていまもそれらの家電製品のことを記憶しています。
こうした家電製品が,じつは,わたしたちの「からだ」にも大きな影響を及ぼすことになりました。言ってしまえば,「からだ革命」のはじまりでした。つまり,それまでの「からだ」は,少なくとも「自立/自律」していました。つまり,なにをするにしても自分の「からだ」を使うのが当たり前でした。しかし,家電製品の浸透は,それまで「からだ」が受け持っていた多くの「はたらき」を奪い去っていくことになりました。要するに,「からだ」を働かせる場面がどんどん減少していった,ということです。「からだ」はなにもしなくても,家電製品がすべて代行してくれる,そういう時代に突入していくことになりました。
20代から30代にかけてのわたしにとっては,その一つひとつが,まさに「革命」でした。そのすべてが便利で,ありがたいものばかりでした。助かりました。が,その代わりに「からだ」は横着になり,本来持っていたはずの機能を失っていくことになりました。そのことには早くから気づいていたわたしは,エアコンだけは最後まで抵抗しました。取り付けたのは60代に入ってからでした。それでも,できるだけ使わない,できるだけエアコンに頼らない生活を心がけてきました。完全にエアコンを解禁にしたのは,昨年の大病後のことでした。76歳。もう,からだに頑張らせる必要はないだろう,と。いや,頑張るだけの力を失ってしまっただろう,と。むしろ,擁護してやる必要がある,と考えるようになりました。
こうして,わたしも,いよいよ茹でガエルの仲間入りという次第です。
それよりも,なによりも,問題なのは,東京五輪1964以後に生まれ,育った人たちの大半は,生まれながらにして茹でガエルとなるべく運命付けられていた,という事実です。ものごころがついたころには,もう,すでに立派な茹でガエルになりはてていたのですから。このことを非難したり,批判したりする資格はわたしにはありません。ただ,こういう情況に無意識のうちに置かれてしまっているということに警鐘を鳴らし,茹でガエルに成りきってしまわないよう,なんらかの対策を講ずる必要がありますよ,と提言したいだけです。
なぜなら,茹でガエルは,「生きもの」としては明らかに退化現象であるからです。その最たるものは免疫力の低下です。病気になりやすい体質の人が年々増大しているために,病人もまた,年々増加しているというのが現状です。このままでは病院がいくつあっても足りません。ですから,免疫力の低下を,いかにして防ぐか,その対策を講じないことには,これからの時代を生きていく人たちは救われません。それどころか,国家としての存続すら危ぶまれることになります。
ここが,「茹でガエル亡国論」の出発点です。
今回は家電製品に話題を絞り込みましたが,じつは,東京五輪1964はもっともっと多くの点で大きな変革をもたらしました。たとえば,新幹線の開通,高速道路の開通,自家用車の普及,など交通手段にも大きな変化が起きました。その結果,なにが起きたのかは,みなさんもよくおわかりのとおりです。
このように,茹でガエルは一朝一夕にして誕生したわけではありません。わたしの認識では,東京五輪1964をひとつの大きな転機として,一気に,一億総茹でガエル化への道を歩みはじめた,と考えています。
その3.以後は,さらに細部にわたる各論を展開してみたいとおもいます。
東京五輪1964は,単純に計算して51年前のイベントでした。いまや,日本人の圧倒的多数は,東京五輪1964以後に生まれた人たちです。ですから,生まれながらにして東京五輪1964以後の日本の文明化社会を空気のようにして成長しています。つまり,それが当たり前。
しかし,このとき,日本は大きく様変わりをしました。まずは,なによりも東京五輪を茶の間で観戦したいという期待に応えて,テレビが全国的に普及していきました。それまでのラジオ,新聞といったマス・メディアにとって代わったのがテレビでした。リアル・タイムで東京五輪の映像を茶の間でみることができるようになりました。ということは同時に世界中のニュースもリアル・タイムでヴィジュアル化されることになりました。これは画期的なできごとでした。わたしが26歳のときでしたので,この当時のことはいまも鮮明に記憶しています。
わたしは残念ながら,まだ定職につくこともなく,大学院に籍をおき,アルバイトをしながらほそぼそと自炊生活をしていました。ですから,テレビにはとても手がとどきませんでした。つまり,極貧の生活に甘んじていました。ナショナルに勤務した友人のひとりがみるにみかねて電気炊飯器をプレゼントしてくれました。が,この電気炊飯器も,ほかの友人のひとりが泊まり込みで遊びにきた日の朝に,その友人とともに消えてなくなっていました。つまり,家電製品がまだとても物珍しい時代だったわけです。
文明の利器が日本の家庭のなかに浸透しはじめた時代でした。このあと,いわゆる家電革命が起きて,日本の家庭生活はつぎつぎに変革を強いられていくことになります。テレビを筆頭に,電気炊飯器,冷蔵庫,洗濯機,掃除機,電気毛布,電気カーペット,そして,エアコンへといった具合に,日本の家庭のなかにあっという間に家電製品が侵入してくることになりました。わたしは結婚後も貧乏生活をしていましたので,それらの家電製品を羨望のまなざしで眺めていました。ですから,なおさら強烈な印象となっていまもそれらの家電製品のことを記憶しています。
こうした家電製品が,じつは,わたしたちの「からだ」にも大きな影響を及ぼすことになりました。言ってしまえば,「からだ革命」のはじまりでした。つまり,それまでの「からだ」は,少なくとも「自立/自律」していました。つまり,なにをするにしても自分の「からだ」を使うのが当たり前でした。しかし,家電製品の浸透は,それまで「からだ」が受け持っていた多くの「はたらき」を奪い去っていくことになりました。要するに,「からだ」を働かせる場面がどんどん減少していった,ということです。「からだ」はなにもしなくても,家電製品がすべて代行してくれる,そういう時代に突入していくことになりました。
20代から30代にかけてのわたしにとっては,その一つひとつが,まさに「革命」でした。そのすべてが便利で,ありがたいものばかりでした。助かりました。が,その代わりに「からだ」は横着になり,本来持っていたはずの機能を失っていくことになりました。そのことには早くから気づいていたわたしは,エアコンだけは最後まで抵抗しました。取り付けたのは60代に入ってからでした。それでも,できるだけ使わない,できるだけエアコンに頼らない生活を心がけてきました。完全にエアコンを解禁にしたのは,昨年の大病後のことでした。76歳。もう,からだに頑張らせる必要はないだろう,と。いや,頑張るだけの力を失ってしまっただろう,と。むしろ,擁護してやる必要がある,と考えるようになりました。
こうして,わたしも,いよいよ茹でガエルの仲間入りという次第です。
それよりも,なによりも,問題なのは,東京五輪1964以後に生まれ,育った人たちの大半は,生まれながらにして茹でガエルとなるべく運命付けられていた,という事実です。ものごころがついたころには,もう,すでに立派な茹でガエルになりはてていたのですから。このことを非難したり,批判したりする資格はわたしにはありません。ただ,こういう情況に無意識のうちに置かれてしまっているということに警鐘を鳴らし,茹でガエルに成りきってしまわないよう,なんらかの対策を講ずる必要がありますよ,と提言したいだけです。
なぜなら,茹でガエルは,「生きもの」としては明らかに退化現象であるからです。その最たるものは免疫力の低下です。病気になりやすい体質の人が年々増大しているために,病人もまた,年々増加しているというのが現状です。このままでは病院がいくつあっても足りません。ですから,免疫力の低下を,いかにして防ぐか,その対策を講じないことには,これからの時代を生きていく人たちは救われません。それどころか,国家としての存続すら危ぶまれることになります。
ここが,「茹でガエル亡国論」の出発点です。
今回は家電製品に話題を絞り込みましたが,じつは,東京五輪1964はもっともっと多くの点で大きな変革をもたらしました。たとえば,新幹線の開通,高速道路の開通,自家用車の普及,など交通手段にも大きな変化が起きました。その結果,なにが起きたのかは,みなさんもよくおわかりのとおりです。
このように,茹でガエルは一朝一夕にして誕生したわけではありません。わたしの認識では,東京五輪1964をひとつの大きな転機として,一気に,一億総茹でガエル化への道を歩みはじめた,と考えています。
その3.以後は,さらに細部にわたる各論を展開してみたいとおもいます。
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