2014年10月31日発行,と奥付にありますので,ちょうど今日あたりに書店に並んだのではないかと思います。『山口昌男 人類学的思考の沃野』真島一郎・川村伸秀編,東京外国語大学出版会,定価:本体3400円+税,ISBN 987-4-904575-42-0。わたしのいただいたのは,東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所発行の非売品で,編者の真島一郎さんのご好意によるものです。いつものことながら,ありがたいことです。
昨年3月に亡くなられた山口昌男さんの追悼企画本が相次いで何冊も出版されましたが,今回のこの本もその流れのものと言っていいでしょう。しかし,よくよくみると,いささか趣が異なります。というか,本家本元の本格的な追悼企画本というべきでしょう。その特色は,編集をよくみればわかります。たとえば,山口昌男さんの文章の再録は最小限に抑え,山口昌男さんと深いかかわりのあった人びとによる文章を主体にしている点に現れています。
そして,その中核をなしているのは,書名と同じタイトルでなされた追悼シンポジウムの記録であること。わたしも拝聴させていただいたシンポジウムですので,はっきりと記憶しています。青木保さんが「基調講演」をなさり,つづいて渡辺公三さん,真島一郎さん,落合一泰さん,栗本英世さん,船曳建夫さん,そして今福龍太さんが登壇され,それぞれの立場から山口昌男さんを追悼するお話をされました。とても印象に残ったのは真島一郎さんと今福龍太さんのお話でした。そのときのお話がここに再録されたことは,わたしにとってはとても嬉しいことでした。
この本はめくればめくるほど,その面白さにずるずると引き込まれてしまう不思議な構成・編集になっています。たとえば,本書の真ん中あたりに上質紙のカラーページが織り込まれています。そこは,「越境する視線──山口昌男のスケッチによせて」というタイトルのもとに,山口昌男さんの得意のスケッチがふんだんに登場します(上の写真は,表紙扉で,「ヘルメスをイメージして描かれた山口昌男による自画像)。これまでにもちらほらとあちこちで散見されましたが,これだけまとまって山口さんのスケッチが見られるのは初めての経験です。一つひとつ楽しみながら拝見しているうちに,そこはかとなく達意の絵心がつたわってきます。このスケッチの筆力は只者ではないと気づき,ほかのページをめくっていたら,東大入学と同時に二紀会の画家・黒田頼綱さんのアトリエで「クロッキー・デッサン,ヌード・デッサンを学んだ」とあります。なるほど,山口さんの絵心は単なる物好きからくるものとは次元が違います。
しかも,山口さんにとってスケッチは単なる遊びではなかった,ということもわかってきます。ここに寄せられた真島一郎さんの「顔──記録と記憶のあわい」という文章を読むとよくわかります。じっと対象をみつめる力,全体を見わたし,なおかつ細部にまでとどくまなざし,こうした力こそが文化人類学者としての基本要件ではないか,とこれはわたしの推測。つまり,全体と細部,その両方をみずからの眼と手で確認しながらその本質をつかまえ,自分の頭をとおして紙の上に再現する力。山口さんはそういう能力の達人でもあったのだ,といまさらのように思いました。
その他には面白い仕掛けがあちこちになされているのですが,その全部を紹介することはできませんので割愛させていただきます。最後に,「Ⅳ.資料編」が折り込んであって,そこには「学術研究の記録」(佐久間寛)と「山口昌男年譜・著作目録」(川村伸秀)が掲載されています。ここはことのほか便利で,これまでの類書にはない素晴らしい内容になっています。少なくともわたしにとってはまことにありがたい情報が満載です。
この年譜などをめくっていましたら,ふと,わたしと山口さんとの不思議な関係もまた蘇ってきて,なんだか妙な気持になっています。たとえば,本書のP.395には「アジア・アフリカにおける象徴と世界観の比較研究」(第二期)の共同研究員としてわたしの名前が掲載されています。たしかに,在外研究員としてウィーンに滞在したあとのことで,奈良から何回も通って研究会に参加させていただいたことを思い出します。山口さんは,このころ,テニスに熱中しておられ,そのプレイ・スタイルも拝見させていただきました。テニス・コートでの山口さんは童心そのもの。こころのそこから楽しんでいらっしゃいました。
また同じように年譜をめくっていましたら,1951(昭和26)年 20歳のところに(P.431),「クラスは文科Ⅱ類7D。同クラスには,宇波彰,子安宣邦,三善晃・・・・・」といったわたしにも馴染みのある人びとの名前があがっています。ここに,じつは,わたしの従兄弟の故稲垣瑞雄(作家・詩人)も入っていたのです。本人の口から直接にも,「山口昌男はおれと同じクラスだった。おれも山口もほとんど大学の授業は受けていなかった。三善晃とは卒業後も仲良くしていて,のちにおれの詩に曲をつけてくれたから聞きにこい」と言って呼び出され,一緒に音楽鑑賞をしたこともあります。法事などで会うたびに,「おれの同級生にはこんな奴がいたんだよ」といって,山口昌男さんの話もよくされていました。
とまあ,こんなことを数え上げていきますと際限がなくなってしまいそうです。そんな,不思議な記憶を蘇らせるような仕掛けが,この本にはあちこちに散在しています。ですから,めくりはじめるとやめられなくなる,そういう魅力的な本になっています。真島一郎さんは,こういう仕掛けの本も編集される人なのだと知り,ますます好きになってしまいました。また,いつかチャンスをみつけてお礼のご挨拶に伺いたいと思っています。
山口昌男さんについて,いささかなりとも関心をお持ちの方には,絶好の「総集編」になっていると思います。素晴らしい本です。こころからお薦めします。
昨年3月に亡くなられた山口昌男さんの追悼企画本が相次いで何冊も出版されましたが,今回のこの本もその流れのものと言っていいでしょう。しかし,よくよくみると,いささか趣が異なります。というか,本家本元の本格的な追悼企画本というべきでしょう。その特色は,編集をよくみればわかります。たとえば,山口昌男さんの文章の再録は最小限に抑え,山口昌男さんと深いかかわりのあった人びとによる文章を主体にしている点に現れています。
そして,その中核をなしているのは,書名と同じタイトルでなされた追悼シンポジウムの記録であること。わたしも拝聴させていただいたシンポジウムですので,はっきりと記憶しています。青木保さんが「基調講演」をなさり,つづいて渡辺公三さん,真島一郎さん,落合一泰さん,栗本英世さん,船曳建夫さん,そして今福龍太さんが登壇され,それぞれの立場から山口昌男さんを追悼するお話をされました。とても印象に残ったのは真島一郎さんと今福龍太さんのお話でした。そのときのお話がここに再録されたことは,わたしにとってはとても嬉しいことでした。
この本はめくればめくるほど,その面白さにずるずると引き込まれてしまう不思議な構成・編集になっています。たとえば,本書の真ん中あたりに上質紙のカラーページが織り込まれています。そこは,「越境する視線──山口昌男のスケッチによせて」というタイトルのもとに,山口昌男さんの得意のスケッチがふんだんに登場します(上の写真は,表紙扉で,「ヘルメスをイメージして描かれた山口昌男による自画像)。これまでにもちらほらとあちこちで散見されましたが,これだけまとまって山口さんのスケッチが見られるのは初めての経験です。一つひとつ楽しみながら拝見しているうちに,そこはかとなく達意の絵心がつたわってきます。このスケッチの筆力は只者ではないと気づき,ほかのページをめくっていたら,東大入学と同時に二紀会の画家・黒田頼綱さんのアトリエで「クロッキー・デッサン,ヌード・デッサンを学んだ」とあります。なるほど,山口さんの絵心は単なる物好きからくるものとは次元が違います。
しかも,山口さんにとってスケッチは単なる遊びではなかった,ということもわかってきます。ここに寄せられた真島一郎さんの「顔──記録と記憶のあわい」という文章を読むとよくわかります。じっと対象をみつめる力,全体を見わたし,なおかつ細部にまでとどくまなざし,こうした力こそが文化人類学者としての基本要件ではないか,とこれはわたしの推測。つまり,全体と細部,その両方をみずからの眼と手で確認しながらその本質をつかまえ,自分の頭をとおして紙の上に再現する力。山口さんはそういう能力の達人でもあったのだ,といまさらのように思いました。
その他には面白い仕掛けがあちこちになされているのですが,その全部を紹介することはできませんので割愛させていただきます。最後に,「Ⅳ.資料編」が折り込んであって,そこには「学術研究の記録」(佐久間寛)と「山口昌男年譜・著作目録」(川村伸秀)が掲載されています。ここはことのほか便利で,これまでの類書にはない素晴らしい内容になっています。少なくともわたしにとってはまことにありがたい情報が満載です。
この年譜などをめくっていましたら,ふと,わたしと山口さんとの不思議な関係もまた蘇ってきて,なんだか妙な気持になっています。たとえば,本書のP.395には「アジア・アフリカにおける象徴と世界観の比較研究」(第二期)の共同研究員としてわたしの名前が掲載されています。たしかに,在外研究員としてウィーンに滞在したあとのことで,奈良から何回も通って研究会に参加させていただいたことを思い出します。山口さんは,このころ,テニスに熱中しておられ,そのプレイ・スタイルも拝見させていただきました。テニス・コートでの山口さんは童心そのもの。こころのそこから楽しんでいらっしゃいました。
また同じように年譜をめくっていましたら,1951(昭和26)年 20歳のところに(P.431),「クラスは文科Ⅱ類7D。同クラスには,宇波彰,子安宣邦,三善晃・・・・・」といったわたしにも馴染みのある人びとの名前があがっています。ここに,じつは,わたしの従兄弟の故稲垣瑞雄(作家・詩人)も入っていたのです。本人の口から直接にも,「山口昌男はおれと同じクラスだった。おれも山口もほとんど大学の授業は受けていなかった。三善晃とは卒業後も仲良くしていて,のちにおれの詩に曲をつけてくれたから聞きにこい」と言って呼び出され,一緒に音楽鑑賞をしたこともあります。法事などで会うたびに,「おれの同級生にはこんな奴がいたんだよ」といって,山口昌男さんの話もよくされていました。
とまあ,こんなことを数え上げていきますと際限がなくなってしまいそうです。そんな,不思議な記憶を蘇らせるような仕掛けが,この本にはあちこちに散在しています。ですから,めくりはじめるとやめられなくなる,そういう魅力的な本になっています。真島一郎さんは,こういう仕掛けの本も編集される人なのだと知り,ますます好きになってしまいました。また,いつかチャンスをみつけてお礼のご挨拶に伺いたいと思っています。
山口昌男さんについて,いささかなりとも関心をお持ちの方には,絶好の「総集編」になっていると思います。素晴らしい本です。こころからお薦めします。