12月8日(月)の今日の川崎は快晴無風の上天気。12月8日,と書いてから,アッと気付く。そうか,1941年,日本がハワイの真珠湾に攻撃を加え,無謀な戦争に突入していった日。それから4年足らずの間に,前途有望な若者たちの命が,無念のうちに犠牲になった。
雲ひとつない紺碧の空をじっと眺めていると,まるで時間が止まっているようにみえる。選挙戦真っ只中の世間の喧騒を忘れ,遠い過去の記憶の中を,まるで宇宙遊泳をしているような錯覚を覚えながら,駆けめぐっている。ただし,いい記憶はひとつもない。ここに書くことさえはばかられる無惨な記憶ばかりだ。
そんな戦争に,ふたたび足を踏み入れようとする政権党が,優位な選挙戦を戦っているとメディアが騒ぐ。このメディアもまた政権党に「脅されて」,せっせと政権党圧勝を報じている。とうとう,政権党はメディアにまでプレッシャーをかけて,選挙を操作しようとしている。こんな出鱈目な選挙があっていいのか,と空恐ろしくなる。これは政権党による明白なる犯罪ではないのか。そのことさえ,メディアは弾劾することができない。ジャーナリズムの「死」。世も末である。
あっ,いけない。いきなり躓いてしまった。本題にもどそう。
12月6日(土)・7日(日)の二日間にわたって開催されたスポーツ史学会第28回大会からもどってきた。ことしの会場は富山大学。寒波の襲来と重なり,間断なく雪が降りつづく。スポーツ史学会としては初めての雪国での開催となった。たまにはいい。スキーをやらなくなってから,雪国とは縁がなくなっていた。久しぶりの雪国を経験。
さて,そのスポーツ史学会もことしで第28回となる。思い起こせば,わたしが40代の後半にさしかかったころから,新たにスポーツ史学を設立したいという夢を描くようになっていた。当時は,日本体育学会体育史専門分科会が研究発表の唯一の場であった。しかし,その体育史研究の限界をひしひしと感じていたわたしは同志たちに声をかけ,「体育史」という呪縛から解き放たれた,新たなスポーツ史学会の設立を説いていた。
その夢がかなって,はや,28年の歳月が流れたことになる。スポーツ史学会,生みの親のひとりとして感慨無量である。そのときの同志たちも,それぞれの道に邁進し,いつしかわたしひとりが残った。それでも熱心な後継者たちに支えられて,スポーツ史学会は健在である。
ここ数年の間に,スポーツ史学会もかなり様変わりをしてきた。とりわけ,若手の研究者が続々と育っていて,その人たちの研究発表が多くなってきた。心強いばかりである。しかし,その現実は,ひとつには,制度的な事情があっての現象でもある。なぜなら,近年になって大学院の博士過程が体育・スポーツ系大学に急増したからだ。その結果,院生たちが博士論文を提出する前提条件として,学会発表をし,学会誌に論文を掲載されることが求められるようになった。だから,博士後期過程の院生たちが,こぞって研究発表をするようになってきた。
当然のことながら,研究のレベルでいえば,初心者が増えてくる。したがって,まだまだ稚拙な研究発表が,ときとして出現する。それをいい歳をした研究者が,真っ向から叩き潰すような発言も目立つ。そこには若い研究者を育てようという優しさがみられない。学会という場は,年齢に関係なく,ひとりの研究者として対等の立場に立つことが前提だ。だから,ダメなものはダメと言ってもいい。しかし,言い方が大事だ。自分もまた,かつてはそういう修羅場をかいくぐってきた過去があることを思い出してほしい。どこかに、若いころにやられたからやり返す,というなんとも貧しい心根がちらつく。少なくとも,歴史研究者のとるべき態度・姿勢ではない。過去を学び,その反省に立つ研究が求められているのだから。
学会で重要なことは,これぞと思われる研究者の発見であり,出会いである。そういう研究に出会ったら,即座に別室の休憩室に呼び出して,個別の意見の交換をすることだ。そこから,限られた発表時間のなかでは語られなかった,もっと突っ込んだ議論に入っていくことができる。ことしも,何人かの人に声をかけて,話をさせてもらった。また,逆に声をかけられて,ずいぶん長い時間,話し込みもした。じつは,こういう時間を過ごすことが学会のいいところだ。
来年は,群馬大学が当番校となって,第29回大会が開催される。スポーツ史学会の研究も,わたしの個人的な感想をいえば,ほとんどマンネリ化してしまっていて新鮮味に欠ける。分けても,新しい思想・哲学に支えられたスポーツ史研究という点では,情けないことに皆無と言ってよい。いつまでも旧態依然たる「資料実証主義」という近代アカデミズムの殻の中に閉じこもって安穏としているのではなく,そこから抜け出すような,ある種の冒険的な研究発表というものがそろそろでてきてほしいものだ。もっとも,そのきざしがないわけではないが・・・。
再来年には第30回大会が待っている。このときには,なにか,特別企画を立てて,スポーツ史学会の新たな第一歩を踏み出す契機になることが期待される。わたしもまた,いくつかのアイディアを新しい理事会に向けて提案してみたいと思っている。
以上,学会からもどって,今日のこの青空を眺めながらの,感想と反省まで。
雲ひとつない紺碧の空をじっと眺めていると,まるで時間が止まっているようにみえる。選挙戦真っ只中の世間の喧騒を忘れ,遠い過去の記憶の中を,まるで宇宙遊泳をしているような錯覚を覚えながら,駆けめぐっている。ただし,いい記憶はひとつもない。ここに書くことさえはばかられる無惨な記憶ばかりだ。
そんな戦争に,ふたたび足を踏み入れようとする政権党が,優位な選挙戦を戦っているとメディアが騒ぐ。このメディアもまた政権党に「脅されて」,せっせと政権党圧勝を報じている。とうとう,政権党はメディアにまでプレッシャーをかけて,選挙を操作しようとしている。こんな出鱈目な選挙があっていいのか,と空恐ろしくなる。これは政権党による明白なる犯罪ではないのか。そのことさえ,メディアは弾劾することができない。ジャーナリズムの「死」。世も末である。
あっ,いけない。いきなり躓いてしまった。本題にもどそう。
12月6日(土)・7日(日)の二日間にわたって開催されたスポーツ史学会第28回大会からもどってきた。ことしの会場は富山大学。寒波の襲来と重なり,間断なく雪が降りつづく。スポーツ史学会としては初めての雪国での開催となった。たまにはいい。スキーをやらなくなってから,雪国とは縁がなくなっていた。久しぶりの雪国を経験。
さて,そのスポーツ史学会もことしで第28回となる。思い起こせば,わたしが40代の後半にさしかかったころから,新たにスポーツ史学を設立したいという夢を描くようになっていた。当時は,日本体育学会体育史専門分科会が研究発表の唯一の場であった。しかし,その体育史研究の限界をひしひしと感じていたわたしは同志たちに声をかけ,「体育史」という呪縛から解き放たれた,新たなスポーツ史学会の設立を説いていた。
その夢がかなって,はや,28年の歳月が流れたことになる。スポーツ史学会,生みの親のひとりとして感慨無量である。そのときの同志たちも,それぞれの道に邁進し,いつしかわたしひとりが残った。それでも熱心な後継者たちに支えられて,スポーツ史学会は健在である。
ここ数年の間に,スポーツ史学会もかなり様変わりをしてきた。とりわけ,若手の研究者が続々と育っていて,その人たちの研究発表が多くなってきた。心強いばかりである。しかし,その現実は,ひとつには,制度的な事情があっての現象でもある。なぜなら,近年になって大学院の博士過程が体育・スポーツ系大学に急増したからだ。その結果,院生たちが博士論文を提出する前提条件として,学会発表をし,学会誌に論文を掲載されることが求められるようになった。だから,博士後期過程の院生たちが,こぞって研究発表をするようになってきた。
当然のことながら,研究のレベルでいえば,初心者が増えてくる。したがって,まだまだ稚拙な研究発表が,ときとして出現する。それをいい歳をした研究者が,真っ向から叩き潰すような発言も目立つ。そこには若い研究者を育てようという優しさがみられない。学会という場は,年齢に関係なく,ひとりの研究者として対等の立場に立つことが前提だ。だから,ダメなものはダメと言ってもいい。しかし,言い方が大事だ。自分もまた,かつてはそういう修羅場をかいくぐってきた過去があることを思い出してほしい。どこかに、若いころにやられたからやり返す,というなんとも貧しい心根がちらつく。少なくとも,歴史研究者のとるべき態度・姿勢ではない。過去を学び,その反省に立つ研究が求められているのだから。
学会で重要なことは,これぞと思われる研究者の発見であり,出会いである。そういう研究に出会ったら,即座に別室の休憩室に呼び出して,個別の意見の交換をすることだ。そこから,限られた発表時間のなかでは語られなかった,もっと突っ込んだ議論に入っていくことができる。ことしも,何人かの人に声をかけて,話をさせてもらった。また,逆に声をかけられて,ずいぶん長い時間,話し込みもした。じつは,こういう時間を過ごすことが学会のいいところだ。
来年は,群馬大学が当番校となって,第29回大会が開催される。スポーツ史学会の研究も,わたしの個人的な感想をいえば,ほとんどマンネリ化してしまっていて新鮮味に欠ける。分けても,新しい思想・哲学に支えられたスポーツ史研究という点では,情けないことに皆無と言ってよい。いつまでも旧態依然たる「資料実証主義」という近代アカデミズムの殻の中に閉じこもって安穏としているのではなく,そこから抜け出すような,ある種の冒険的な研究発表というものがそろそろでてきてほしいものだ。もっとも,そのきざしがないわけではないが・・・。
再来年には第30回大会が待っている。このときには,なにか,特別企画を立てて,スポーツ史学会の新たな第一歩を踏み出す契機になることが期待される。わたしもまた,いくつかのアイディアを新しい理事会に向けて提案してみたいと思っている。
以上,学会からもどって,今日のこの青空を眺めながらの,感想と反省まで。
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