12月18日午後7時30分から放映されたNHK・にっぽん紀行「沖縄県・北大東島を巣立つ15歳 別れの親子相撲」を見ながら,なぜか,涙がながれて止まらなかった。いまはもう遠いどこかに置き忘れてきてしまった少年時代の素朴な情愛に満ちた人と人との交わりを思い出す。遠い過去の故郷の,なんとも表現のしようのない不思議な記憶が蘇ってくる。それがまた情動の古層をくすぐってくる。その強烈な「なにか」が,長く生きたこんにちの孤独なこころをホワーっと包み込んでくる。この情感に久しぶりに触れる。
そして,このドキュメンタリーに描かれた世界こそが「生きる」ということの素のままの姿であり,「根をもつ」ということの実態のひとつなのだ・・・と感慨にふける。
番組の内容はきわめて単純明快。中学を卒業したら北大東島を離れて沖縄本島の高校に進学する父親と息子,母親と娘の二組の親子にスポットを当てたドキュメンタリー。島の人びとが見守るなかで,父親と息子は相撲をとり,母親と娘は腕相撲をやって別れの儀礼を行う。ただ,これだけの話である。
しかしながら,沖縄県とはいえ,大東島諸島は沖縄本島から遠く離れた東の海に浮かぶ小さな島である。高校進学によって一度,島を離れたらそんなにかんたんには帰っては来られない。海人である父親は息子が小さいときから一緒に舟に乗せて漁にでて,手塩にかけて育ててきている。息子は父親を尊敬し,高校を卒業したら島に帰って父親と同じ海人になることを夢見ている。父親は海人で生計を立てるのは難しくなってきているから,できれば別の職業につくことも視野に入れながら,息子の将来に夢を馳せる。
そんな父と子が,これは島のしきたりとして,別れの親子相撲をみんなの前でとってみせる。父親は,まだまだ15歳の息子なんかに負けるわけがない,と固く信じている。だから,あっさりと投げ倒して,もっとしっかりせい,と檄を飛ばしたいと虎視眈々としている。いっぽう,息子は息子で,もはや父親にも勝てるほどに成長していることを,意地でも見せつけてやりたいとこころに決めている。そこには,いまの都会ではめったに見ることのない親と子の情愛に満ちた絆がある。その二人が真剣勝負の一番相撲をとる。
この相撲をよくみると,わたしたちが子どものころに村祭りでとった相撲とは違う。それは韓国でみたシルム(韓国相撲)とよく似ている。柔道着のようなものを着て,やや緩めの腰帯を結んでいる。土俵はなく砂場。最初に,お互いに「右四つ」にしっかりと組み合う。そのとき,右手首は相手の腰帯の内側に入れて,ひとひねりして手首に腰帯をまきつけてから腰帯をしっかりと握る。左手はそのまま相手の腰帯をつかむ。お互いに十分に組み合ったことを確認したところで,行司が両者の肩をポンと叩いて試合開始を告げる。
土俵はないので寄り切りはない。立ち合いのぶつかり合いもない。相手を投げて倒すまで,お互いに組んずほぐれつしながら,相撲をとりつづける。このシルム型の相撲はなかなか勝負がつかない。なぜなら,さまざまな投げ技に対して,それぞれに対応する防ぎ技があるので,片方が投げ技を繰り出すと,かならず他方は足を絡めて防御に入る。だから,勝負には時間がかかる。
この父と子も長い時間,組み合って,熱戦を繰り広げる。お互いに技をつぎつぎに繰り出す。すると,お互いにその防ぎ技でこらえる。父も子も真剣そのもの。父が強引な投げにでる。子は必死でこらえて,二人一緒に頭から土俵の砂に突っ込んでいく。行司は同体とみて,取り直し。
右手はお互いの腰帯を巻き付けてから握っているので,投げられても離せない。お互いに握ったまま倒れていく。だから,一緒に倒れていきながら,体を入れ換えるようにして上に乗った方が勝ち。下になった方が負け。この父と子の対決は,わずかに子の体が上になって倒れ込んでいき,決着がつく。息子の勝ちである。
この間,わたしの眼からはとめどもなく涙が流れる。そして,からだ全体が熱くなってくる。「いいなぁ」としみじみ思う。ふと,わたしが中学校を卒業するときに,父親と相撲をとったら,どんな風になっただろうか,と想像してみる。そう思い浮かべるだけで,父のからだの温もりを感じてしまう。このからだの触れ合いこそが,言ってみれば,自他の関係性のはじまり。それが父と子であれば,その感慨も一入であろう,と思う。
そういえば,南大東島出身のNさんは,からだは小柄だが,相撲は強かったと聞いている。そうか,なるほど,と納得がいった。本土の相撲のように土俵があって,立ち合いから激しく攻め合う相撲を思い描いていたので,どうして,あのNさんが強かったのか不思議だった。このシルム型の相撲なら合点がいく。おそらく,守って守って守り抜き,相手のスタミナが切れたころを見計らって,さっと投げに出て,相手に覆い被さっていったのだろう,と。そうか,Nさんのあのねばっこい文体は相撲からきている,とこちらも納得。
それはともかくとして,「別れの親子相撲」という,こんな相撲文化もあることを知り,いまさらながら相撲の奥は深いとしみじみ思いました。というところで,終わり。
そして,このドキュメンタリーに描かれた世界こそが「生きる」ということの素のままの姿であり,「根をもつ」ということの実態のひとつなのだ・・・と感慨にふける。
番組の内容はきわめて単純明快。中学を卒業したら北大東島を離れて沖縄本島の高校に進学する父親と息子,母親と娘の二組の親子にスポットを当てたドキュメンタリー。島の人びとが見守るなかで,父親と息子は相撲をとり,母親と娘は腕相撲をやって別れの儀礼を行う。ただ,これだけの話である。
しかしながら,沖縄県とはいえ,大東島諸島は沖縄本島から遠く離れた東の海に浮かぶ小さな島である。高校進学によって一度,島を離れたらそんなにかんたんには帰っては来られない。海人である父親は息子が小さいときから一緒に舟に乗せて漁にでて,手塩にかけて育ててきている。息子は父親を尊敬し,高校を卒業したら島に帰って父親と同じ海人になることを夢見ている。父親は海人で生計を立てるのは難しくなってきているから,できれば別の職業につくことも視野に入れながら,息子の将来に夢を馳せる。
そんな父と子が,これは島のしきたりとして,別れの親子相撲をみんなの前でとってみせる。父親は,まだまだ15歳の息子なんかに負けるわけがない,と固く信じている。だから,あっさりと投げ倒して,もっとしっかりせい,と檄を飛ばしたいと虎視眈々としている。いっぽう,息子は息子で,もはや父親にも勝てるほどに成長していることを,意地でも見せつけてやりたいとこころに決めている。そこには,いまの都会ではめったに見ることのない親と子の情愛に満ちた絆がある。その二人が真剣勝負の一番相撲をとる。
この相撲をよくみると,わたしたちが子どものころに村祭りでとった相撲とは違う。それは韓国でみたシルム(韓国相撲)とよく似ている。柔道着のようなものを着て,やや緩めの腰帯を結んでいる。土俵はなく砂場。最初に,お互いに「右四つ」にしっかりと組み合う。そのとき,右手首は相手の腰帯の内側に入れて,ひとひねりして手首に腰帯をまきつけてから腰帯をしっかりと握る。左手はそのまま相手の腰帯をつかむ。お互いに十分に組み合ったことを確認したところで,行司が両者の肩をポンと叩いて試合開始を告げる。
土俵はないので寄り切りはない。立ち合いのぶつかり合いもない。相手を投げて倒すまで,お互いに組んずほぐれつしながら,相撲をとりつづける。このシルム型の相撲はなかなか勝負がつかない。なぜなら,さまざまな投げ技に対して,それぞれに対応する防ぎ技があるので,片方が投げ技を繰り出すと,かならず他方は足を絡めて防御に入る。だから,勝負には時間がかかる。
この父と子も長い時間,組み合って,熱戦を繰り広げる。お互いに技をつぎつぎに繰り出す。すると,お互いにその防ぎ技でこらえる。父も子も真剣そのもの。父が強引な投げにでる。子は必死でこらえて,二人一緒に頭から土俵の砂に突っ込んでいく。行司は同体とみて,取り直し。
右手はお互いの腰帯を巻き付けてから握っているので,投げられても離せない。お互いに握ったまま倒れていく。だから,一緒に倒れていきながら,体を入れ換えるようにして上に乗った方が勝ち。下になった方が負け。この父と子の対決は,わずかに子の体が上になって倒れ込んでいき,決着がつく。息子の勝ちである。
この間,わたしの眼からはとめどもなく涙が流れる。そして,からだ全体が熱くなってくる。「いいなぁ」としみじみ思う。ふと,わたしが中学校を卒業するときに,父親と相撲をとったら,どんな風になっただろうか,と想像してみる。そう思い浮かべるだけで,父のからだの温もりを感じてしまう。このからだの触れ合いこそが,言ってみれば,自他の関係性のはじまり。それが父と子であれば,その感慨も一入であろう,と思う。
そういえば,南大東島出身のNさんは,からだは小柄だが,相撲は強かったと聞いている。そうか,なるほど,と納得がいった。本土の相撲のように土俵があって,立ち合いから激しく攻め合う相撲を思い描いていたので,どうして,あのNさんが強かったのか不思議だった。このシルム型の相撲なら合点がいく。おそらく,守って守って守り抜き,相手のスタミナが切れたころを見計らって,さっと投げに出て,相手に覆い被さっていったのだろう,と。そうか,Nさんのあのねばっこい文体は相撲からきている,とこちらも納得。
それはともかくとして,「別れの親子相撲」という,こんな相撲文化もあることを知り,いまさらながら相撲の奥は深いとしみじみ思いました。というところで,終わり。
0 件のコメント:
コメントを投稿