今日も朝から晴れ。気分よし。太陽の日差しも元気がいい。鷺沼の駅を降りると,さらにまわりの景色が明るくなり,日差しのぬくぬく感が心地よい。パソコンを背負って歩く足どりもいつもよりは軽い。たんなる気持の問題だが,それが重要。
「消化器系の内臓は脳より賢い」と,なにかの本に書いてあった。それを読んだときには「へーえ,そんなもんなの?」という程度の認識だった。
しかし,今回の経験で,そのことの意味がよくわかった。
抗ガン剤治療は体質的に合う人と合わない人とがあり,その個人差は大きいという。わたしは,合わない側の人間だったらしく,まことに苦労した。それも,極端に合わない人だったらしい。いまになって,冷静に考えてみると,からだが徹底的に拒否していたようだ。最初から猛烈に拒否反応を示していたということ。しかし,経験がないので,こんなものなのかなぁ,という程度の認識しかない。だから,しばらく様子をみることに。
しかし,5カ月を経過したところで,決断した。これはいけない,これ以上つづけていたら,健全なからだの本体までやられてしまう。それではもとも子もないではないか,と。
それから5カ月が経過。抗ガン剤はしつこくからだの中に残留していて,なかなか抜けてくれない。でも,わずかずつではあるが,抜けていくのがわかる。なぜなら,からだが喜んでいるからだ。とくに,今朝のように天気がいいと,はっきりわかる。もう,鷺沼に行きたくて行きたくてうずうずするのだ。元気だったころのあの感覚。あの鷺沼の高台から東京方面を見渡しながら坂道をくだる,この快感がたまらない。
そのもっとも顕著な兆候は「胃袋」である。気分がいいと胃袋さんもご機嫌である。
そのむかし,学生時代に杉靖三郎先生から「ストレス学説」なるものを教えてもらった。そのときに,ストレスと胃袋は直結している,脳がストレスを感知するよりずっと早く胃袋は反応している,と。つまり,胃袋はこころの映し鏡である,と。
今回の胃潰瘍から胃ガンへの進展の主要因も,ストレスだったらしい。しかし,わたしの脳は気づかなかった。背中が痛い,変だなぁ,という程度のものでしかなかった。しかし,胃袋さんはとっくに悲鳴を挙げていたのだ。それに気づかなかったわたしの脳はアホだった。
つい,最近になって,胃袋さんが元気をとりもとしてきた,と気づく。その基になっているのは,どうやら「味覚」さん。まだ,完璧ではない。自己観察では7割くらいはもどってきたようだ。それとともに胃袋さんも,なにかと情報を発信てしくれるようになってきた。
第一に,下痢をしなくなった。その最大の理由は,食べ過ぎをコントロールできるようになったことにある。胃袋さんが,もう十分だよ,というサインをはっきり出すようになった。つい,この間までは,満腹なのか,まだ,足りないのか,その区別がつかない。だから,いくらでも食べてしまう。つまり,胃袋さんもマヒしていたのだ。ところが,そのマヒという呪縛から徐々に解き放たれてくると,胃袋さんも「もう十分」というサインをくれるようになった。
ところが,脳はまだ食べたいと言ってきかない。あるいは,眼が食べたいと言う。一瞬の葛藤があるが,いまは,胃袋さんの判定にしたがうことにしている。その方が間違いなく調子がいい。
と同時に,胃袋さんが喜ぶ食べものもわかってきた。
いま,定番にしている朝食。リンゴとにんじんのミックス・ジュース。どんぶりに一杯。ジュースといっても,ふつうの水分たっぷりのジュースではない。ジューサーでこなれる程度の,最小限の水を加えただけの,ドロドロのもの。だから,飲めないので,スプーンで食べる。これを,わたしの胃袋さんはことのほか喜ぶ。それが手にとるようにわかる。
食べ終わったときには「これで十分」というサインがくる。しかも,スッキリ感がさわやかだ。ただし,すぐに空腹感がやってくる。そこで,間食を少しだけつまみ食いをする。いま,一番気に入っているのが,赤ちゃんの離乳食用のビスケット(できるだけ,プレーンなものがよい),あるいは,むかしからある「乾パン」。こちらは山を歩いていたころ,いつも,ポケットにしのばせておいて,空腹を感じたら食べることにしていた。胃袋さんの負担にならずに,空腹感をごまかすことができる。
いま,一番いけない,つまり,胃袋さんが喜ばない間食は油系のもの。こちらは見た目には食べたがる。味覚的にも悪くない。しかし,胃袋さんは喜ばない。しかも,食べすぎると気持が悪くり,すぐに下痢をしてしまう。それはみごとなほどだ。
ことほどさように,いまは,胃袋さんのいうなり。
夕食もごはんと梅干しと豆腐の味噌汁が一番。おかずは,野菜なり,肉なり,魚なり,ともかく現物を自分で調理したもの。加工食品は駄目。これもみごとなものだ。たぶん,加工食品のなかに含まれている化学添加物が駄目らしい。
からだは嘘をつかない。
「消化器系の内臓は脳より賢い」と,なにかの本に書いてあった。それを読んだときには「へーえ,そんなもんなの?」という程度の認識だった。
しかし,今回の経験で,そのことの意味がよくわかった。
抗ガン剤治療は体質的に合う人と合わない人とがあり,その個人差は大きいという。わたしは,合わない側の人間だったらしく,まことに苦労した。それも,極端に合わない人だったらしい。いまになって,冷静に考えてみると,からだが徹底的に拒否していたようだ。最初から猛烈に拒否反応を示していたということ。しかし,経験がないので,こんなものなのかなぁ,という程度の認識しかない。だから,しばらく様子をみることに。
しかし,5カ月を経過したところで,決断した。これはいけない,これ以上つづけていたら,健全なからだの本体までやられてしまう。それではもとも子もないではないか,と。
それから5カ月が経過。抗ガン剤はしつこくからだの中に残留していて,なかなか抜けてくれない。でも,わずかずつではあるが,抜けていくのがわかる。なぜなら,からだが喜んでいるからだ。とくに,今朝のように天気がいいと,はっきりわかる。もう,鷺沼に行きたくて行きたくてうずうずするのだ。元気だったころのあの感覚。あの鷺沼の高台から東京方面を見渡しながら坂道をくだる,この快感がたまらない。
そのもっとも顕著な兆候は「胃袋」である。気分がいいと胃袋さんもご機嫌である。
そのむかし,学生時代に杉靖三郎先生から「ストレス学説」なるものを教えてもらった。そのときに,ストレスと胃袋は直結している,脳がストレスを感知するよりずっと早く胃袋は反応している,と。つまり,胃袋はこころの映し鏡である,と。
今回の胃潰瘍から胃ガンへの進展の主要因も,ストレスだったらしい。しかし,わたしの脳は気づかなかった。背中が痛い,変だなぁ,という程度のものでしかなかった。しかし,胃袋さんはとっくに悲鳴を挙げていたのだ。それに気づかなかったわたしの脳はアホだった。
つい,最近になって,胃袋さんが元気をとりもとしてきた,と気づく。その基になっているのは,どうやら「味覚」さん。まだ,完璧ではない。自己観察では7割くらいはもどってきたようだ。それとともに胃袋さんも,なにかと情報を発信てしくれるようになってきた。
第一に,下痢をしなくなった。その最大の理由は,食べ過ぎをコントロールできるようになったことにある。胃袋さんが,もう十分だよ,というサインをはっきり出すようになった。つい,この間までは,満腹なのか,まだ,足りないのか,その区別がつかない。だから,いくらでも食べてしまう。つまり,胃袋さんもマヒしていたのだ。ところが,そのマヒという呪縛から徐々に解き放たれてくると,胃袋さんも「もう十分」というサインをくれるようになった。
ところが,脳はまだ食べたいと言ってきかない。あるいは,眼が食べたいと言う。一瞬の葛藤があるが,いまは,胃袋さんの判定にしたがうことにしている。その方が間違いなく調子がいい。
と同時に,胃袋さんが喜ぶ食べものもわかってきた。
いま,定番にしている朝食。リンゴとにんじんのミックス・ジュース。どんぶりに一杯。ジュースといっても,ふつうの水分たっぷりのジュースではない。ジューサーでこなれる程度の,最小限の水を加えただけの,ドロドロのもの。だから,飲めないので,スプーンで食べる。これを,わたしの胃袋さんはことのほか喜ぶ。それが手にとるようにわかる。
食べ終わったときには「これで十分」というサインがくる。しかも,スッキリ感がさわやかだ。ただし,すぐに空腹感がやってくる。そこで,間食を少しだけつまみ食いをする。いま,一番気に入っているのが,赤ちゃんの離乳食用のビスケット(できるだけ,プレーンなものがよい),あるいは,むかしからある「乾パン」。こちらは山を歩いていたころ,いつも,ポケットにしのばせておいて,空腹を感じたら食べることにしていた。胃袋さんの負担にならずに,空腹感をごまかすことができる。
いま,一番いけない,つまり,胃袋さんが喜ばない間食は油系のもの。こちらは見た目には食べたがる。味覚的にも悪くない。しかし,胃袋さんは喜ばない。しかも,食べすぎると気持が悪くり,すぐに下痢をしてしまう。それはみごとなほどだ。
ことほどさように,いまは,胃袋さんのいうなり。
夕食もごはんと梅干しと豆腐の味噌汁が一番。おかずは,野菜なり,肉なり,魚なり,ともかく現物を自分で調理したもの。加工食品は駄目。これもみごとなものだ。たぶん,加工食品のなかに含まれている化学添加物が駄目らしい。
からだは嘘をつかない。
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