2015年4月17日金曜日

からだの「知」・その1.幼児は触覚をとおして学習する。

 熱いものに触れるとからだは条件反射的に反応して,その危険を回避する。脳に伝える前に,からだが反応する。そのあとで,脳に情報が伝えられ,なにが起きたのかの判断がなされる。つまり,脳が判断する前に,からだは独自の判断をし,いちはやく危険を回避する仕組みをもっているということだ。すなわち,意識以前のからだの反応。身体知。からだの「知」。

 どうやら皮膚感覚(触覚)の方が脳よりも先行して,さまざまな情報処理をしているらしい。だとしたら,この皮膚感覚(触覚)を上手に伸ばすことが肝要である。そのためにはどうしたらいいのか。たぶん,それは経験知とでも名づけるべきものなのだろう。

 あまり大きな声では言えないが,娘がまだはいはいをしているころに,我が家では石油ストーブのアラジンを使っていた。娘がはいはいをしながらアラジンに近づくと家内はあわてて抱き起こし,危ないから近づいては駄目だよ,と話しかけていた。しかし,何回も何回も同じことを繰り返し注意しても,興味のあるものには近づいていく。そして,触りたいのだ。幼児は,なにごとにつけ,まずは皮膚感覚でまわりの事物を学んでいく。だから,納得がいくまでは,どうしても触りたいのだ。だから,わたしは,「触らせてやればいい」と言っていたが,家内は「そんなことをしたら大火傷をしてしまう」と主張。

 ある日,わたしが留守番をしているとき,娘がアラジンに近づいていくことがあった。もちろん,わたしは止めはしない。どうするのだろう,とじっと観察する。そして,もし,危険だと判断されたときには,すぐに止めに入る体勢をとっていた。4~50㎝くらいの距離まで接近したところで,娘はじっとアラジンをみている。つまり,確実に暖かさを感じている。それから,しばらくして,さらにその距離を詰めていった。が,それでもじっとみつめている。なんだか熱いなぁ,とでもおもっているように。そして,とうとう意を決したかのようにさらに接近して,手を伸ばした。赤く炎が燃えているのがみえるところに手が触れた瞬間,のけ反りかえって横転した。それから一呼吸したところで烈火のごとく泣きだした。すぐに触れた手を確認。少し赤くなっているが,たいしたことはなさそうだ。それでも,一応,やけどの初期手当てとして,水道水で冷やしてやる。

 しばらくして泣き止んだ。手をみると,どうということもなさそうなので放置した。そして,娘はいつものようにはいはいをしながら,あちこち興味のあるところに移動していっては,面白そうなものをみつけると,それに手を触れ,口にくわえたりして,遊んでいる。いや,学習をしている。

 その後,娘はアラジンには4~50㎝の距離で折り合いがついたらしく,それより近くには寄っていかない。たぶん,ホワッとした暖気を感ずるだけで,熱かった記憶がよみがえり,それ以上は近づかない。これでよし,とわたしは大満足。家内はなにも知らない。自分が教えたから近づかなくなったと確信している。わたしは黙って見過ごす。それでいい。

 成長してから娘にそっとこの話をしてみたら,なにも覚えてはいない,という。そして,アラジンが危険なものだともおもってはいない,という。それでも「熱いもの」だから,「触れてはいけないもの」だ,とはおもっていた,という。やれやれ安心。

 一度,記憶したからだは,きちんと危険を回避させる能力を身につける。そして,やがては無意識のなかにしまい込まれていくようだ。このようにして,考える以前にからだが反応するという身体知が構築されていくらしい。

このシステムはなにも危険回避のためだけではなく,日常的な立ち居振る舞いといった所作もまた,同じようにして積み重ねられ,無意識のうちに構築されていく。あるいはまた,さまざまなお稽古ごとや遊び・スポーツなども同じだ。

 このような,からだの「知」とはいったいどういうものなのか,これから一つずつ事例を挙げて考えていってみたいとおもう。今回は,その第一回目。これからどんな話題が登場することになるのか,わたし自身も楽しみだ。乞う!ご期待!

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