2012年7月5日木曜日

「安定が第一」「無理をしてはいけません」・李自力老師語録・その13.

 太極拳は「安定が第一」と李自力老師は力説されます。「無理をしてはいけません」とも。いまできる範囲でやればいいのです。そして,なによりも「安定」していることが大事なのです,と。

 人に見られていると思うとついつい無理をして,少しでも上手に見せようとしてしまいます。しかし,この心構えを早く捨てなさい,と李老師は戒めています。まずは,ゆったりと自分のこころと向き合いなさい。そして,心地よいところを探しなさい。上手・下手は関係ありません。どれだけ自分のからだやこころと向き合い,からだの声を聞き,こころの声に耳を傾けることができるかが重要なのです。そして,静かに集中することです。

 足を無理して高くあげようとしてふらふらするよりは,足は低くてもいい,安定させることが第一です。軸足にしっかりと体重を乗せ,安定しているかどうか,からだ全体をきちんとコントロールできているかどうかが大事です。

 見ている人に安心感を与えるような,安らぎを与えるような表演がいいのです。無理な力が抜けて,安定してくるとおのずからそういう雰囲気がでてきます。そして,いつしか他を圧倒するような迫力がにじみでてきます。それを待てばいいのです。高齢者のベテランになればなるほど,安定さえしていれば,とても味のある表演ができるようになってきます。

 と,李老師は繰り返しくりかえし仰います。ことばとしては,まったくなんの抵抗もなく,しっかりわかったつもりになっています。しかし,ことばのとおりにできるかと言えば,それは別問題です。人間はとてもデリケートなものです。わたしなどは,李老師にじっと見つめられただけで,もう,いつもの自分のからだではなくなっています。こころはもっと緊張してしまいます。すると,いつもはできていたことまでできなくなってしまい,自分のからだもこころも自分のものではなくなってしまいます。いま,表演をしているこの「わたし」はいったい「だれ」なのだろうか,と思ってしまいます。

 「自然体」とか,「無為自然」ということばは承知していても,それを実践するとなると簡単ではありません。まことに奥の深い,無限のひろがりをもったものである,ということが少しずつわかってきます。「安定が第一」「無理をしてはいけません」という李老師のことばは,じつは,『老子道徳経』のなかで説かれていることを,わたしたちにわかりやすく翻訳してくれているものだ,ということに気づきます。

 太極拳は最終的には,老子の世界,つまり,タオイズムの世界に分け入っていくことでもあります。ありのままの自分をそのまま認めること,そういう自分をまるごと他者の前に投げ出して泰然自若としていられるようになること,「行雲流水」をそのまま生きること,という次第です。

 いつも一緒にやってくださる李老師の「24式」は,どこにも無理がなく,ゆったりと,しかも,じつに安定していて,それでいていつもからだのどこかが動いていて,淀むことなく,止まるところを知りません。一分の無駄な動きもありません。しかも,一分のすきもありません。泰然自若とした堂々たるものです。

 どうやら,わたしに足りないものはこころの修行ではないか,と最近とみに思うようになってきました。坐禅でもしながら「あるがまま」という公案と向き合うことが必要なようです。

 道は遠く,険しい。でも,歩まねばならない。
 わたしの高校時代の校長先生がアルバムに書き残したことばです。いまごろになって,このことばの重さがわかるようになってきました。気づいたときが吉日。あとは励むのみ。

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