全身麻酔をし,自呼吸を止められ,4時間にわたる手術を受け,麻酔から覚めて自呼吸にもどったものの,三日間は絶対安静・・・・この間にわたしのからだは完全に「0(ゼロ)」にリセットされてしまったらしい。まあ,「0」はオーバーにしても,からだの多くの機能が極端に低下してしまったことは間違いない。そのからだを復元するということはたいへんなことなのだ,ということを最近になってしみじみと理解しはじめている。つまり,かなり元気になってきて,初めて気づくのである。からだとは不思議なものだ。
術後三日目には,尿管をはずされ,自分でベッドから起き上がってトイレに行け,と命令される。腹筋のど真ん中を縦一直線に20㎝ほど切り開いて,胃の摘出手術を受けた,その傷も十分には癒えてはいないはず。でも,おおよそのところはくっついているらしい。だから,医者は自力で起き上がれと命ずる。でも,わたしの腹筋は激しく拒絶する。ほんの少し頭を持ち上げただけで,腹筋が痙攣を起こし,ひきつって硬直したまま,どうにもならない。それでも起き上がれという。このときの格闘ぶりは,いつかまた詳細に書いてみたいほどだ。
が,まあ,これもなんとかクリアして,腹筋の痙攣から解放されるには4日間を要している。つまり,術後一週間で腹筋も胃も,その接合部分がほぼ完治したらしい。そして,術後5日目には重湯を主体とした食事がはじまる。ほんの少し口にしただけで,胃はもういい,という。でも,ゆっくり時間をかけて,とにかく食べろと医者はいう。なんとか努力して,出された食事を平らげる。これは意思の力だ。味もそっけもない食事。味覚不在。
しかし,不思議なもので,食事をはじめて二日目には味覚がほんの少しだけもどってくる。こうして徐々に微妙な味覚がもどってくる。が,胃がはたらいているという感覚はまったくない。胃の三分の二は切り取ってしまったので,胃は斜めにぶらさがっているような状態だという。だから,食べたものはほとんど通過するだけで,すぐに十二指腸から小腸へと受け継がれていくらしい。
が,その腸にしたって,全身麻酔をかけられ,一時機能停止をして休業状態になっていたわけだ。そこにいきなり食べ物が流れてきても,さて,どうしようという状態らしい。なぜなら,最初に食べた重湯が通過していくときに,ところどころでえもいわれぬ痛みを感ずるのである。きたぞ,きたぞ,でもまだ準備ができていない,とでも言っているかのように。まさに通過儀礼そのものだ。
食事がはじまると,重湯,三分粥,五分粥というようにして一日ごとにランクが上がっていく。そのうち,下腹部の膨満感に襲われる。手で触ってみると,下腹部がぱんぱんに張っている。それもそのはず,術後,ガスも便もでないのである。医者に言うと,病院の廊下を歩けという。そうすれば代謝がよくなり,ガスも便もでる,と。この話は納得できたので,すぐに実行。この効き目は天下一品。すぐにその恩恵に浴することができた。ならば,と気をよくして毎日,せっせと歩く。
食事をしたあと,腹ごなしを兼ねて歩く。ゆっくりゆっくり歩く。が,わずかに200mほど歩いただけで(廊下を一往復),くたばり,病室にもどるとすぐにベッドに横になる。そして,あっという間に熟睡している。やはり,ゆっくり歩くだけで,相当にからだには負担になっているらしい。また,食べたものを消化するために全力をあげる消化器官も相当に負担になっているらしい。だから,ぐったりきてしまう。いま,考えてみれば,幼児が歩くことを覚えて嬉々として歩くが,すぐに疲れて眠ってしまうのと似ている。
しかも,自分の足で歩いているつもりなのに,どう考えてみても他人の足でしかない。それもゆっくりでしかない。姿勢も腰が引けている。鏡に写るおのれの姿をみて愕然とする。意識としては,まだ,若いつもりでいるのに,その姿は完璧な老人のそれである。これはショックだった。以後,虚勢をはって姿勢を正し,できるだけ大股で歩こうと努力する。が,足の感覚は他人の足だ。思うようにはいかない。情けなくなる。
でも,その努力は意外に早く報われる。またたくまに,姿勢もよくなり,歩く距離も長くなる。しかも,疲れも少なくなる。すっかり気をよくして歩いている姿を医者がみかけたらしい。翌日の朝の回診の折に,採血した検査結果の数値を確認しながら,突然,明日にも退院していいですよ,という。えっ,とわたし。そんな急に言われても困ります。少し考えさせてください,と懇願。
しかし不思議なもので,退院してもいい,という医者のことばもどうやら「薬効」のうちに入るらしい。わたしのからだは三段階くらいスキップして,急激に元気になる。廊下を歩いていても,元気なころとまったく同じではないか,といま考えると錯覚している。急に自信がつく。
翌朝の回診のときに,では,明日,退院させていただきます,とみずから宣言。もう,そう言い切れるからだになりきっている。実際はそうではなかった,ということをあとで知ることになるのだが・・・。空元気のまま退院。術後,10日目のことである。やはり,どう考えてみたって早すぎる。でも,そのときは暗示にかかったように元気そのものだった。からだというものは気持のもちようで,いかようなからだにもなりうるということを知る。どこも悪くないのに重体だと言われれば,一気に重体のからだの気分になり,からだもまた重体になってしまうのではないか,といまは思う。
退院はしてきたものの,自分で思ったほどにからだは回復してはいなかった。一度,壊れたからだがもとに復するということはたいへんなことなのだ,としみじみ考えた。病院にいるときは大船に乗った気分でなんの不安も感じなかったが,退院して,たったひとりで自分のからだと向き合うというのは,こんなにも不安なものなのか,とこれには驚いた。
退院するときに,薬もなにもくれなかった。あとは,栄養の管理を上手にやって,自力で回復させろ,ということらしい。退院のときの血液の量は,正常値の三分の二。まだ,だいぶ足りないとのこと。でも,あまり一気に輸血をするのもよくないので,あとは自力でとのこと。
ということで,ひとまず今日のところはここまで。また,日を改めてこのつづきを書くことにしよう。
術後三日目には,尿管をはずされ,自分でベッドから起き上がってトイレに行け,と命令される。腹筋のど真ん中を縦一直線に20㎝ほど切り開いて,胃の摘出手術を受けた,その傷も十分には癒えてはいないはず。でも,おおよそのところはくっついているらしい。だから,医者は自力で起き上がれと命ずる。でも,わたしの腹筋は激しく拒絶する。ほんの少し頭を持ち上げただけで,腹筋が痙攣を起こし,ひきつって硬直したまま,どうにもならない。それでも起き上がれという。このときの格闘ぶりは,いつかまた詳細に書いてみたいほどだ。
が,まあ,これもなんとかクリアして,腹筋の痙攣から解放されるには4日間を要している。つまり,術後一週間で腹筋も胃も,その接合部分がほぼ完治したらしい。そして,術後5日目には重湯を主体とした食事がはじまる。ほんの少し口にしただけで,胃はもういい,という。でも,ゆっくり時間をかけて,とにかく食べろと医者はいう。なんとか努力して,出された食事を平らげる。これは意思の力だ。味もそっけもない食事。味覚不在。
しかし,不思議なもので,食事をはじめて二日目には味覚がほんの少しだけもどってくる。こうして徐々に微妙な味覚がもどってくる。が,胃がはたらいているという感覚はまったくない。胃の三分の二は切り取ってしまったので,胃は斜めにぶらさがっているような状態だという。だから,食べたものはほとんど通過するだけで,すぐに十二指腸から小腸へと受け継がれていくらしい。
が,その腸にしたって,全身麻酔をかけられ,一時機能停止をして休業状態になっていたわけだ。そこにいきなり食べ物が流れてきても,さて,どうしようという状態らしい。なぜなら,最初に食べた重湯が通過していくときに,ところどころでえもいわれぬ痛みを感ずるのである。きたぞ,きたぞ,でもまだ準備ができていない,とでも言っているかのように。まさに通過儀礼そのものだ。
食事がはじまると,重湯,三分粥,五分粥というようにして一日ごとにランクが上がっていく。そのうち,下腹部の膨満感に襲われる。手で触ってみると,下腹部がぱんぱんに張っている。それもそのはず,術後,ガスも便もでないのである。医者に言うと,病院の廊下を歩けという。そうすれば代謝がよくなり,ガスも便もでる,と。この話は納得できたので,すぐに実行。この効き目は天下一品。すぐにその恩恵に浴することができた。ならば,と気をよくして毎日,せっせと歩く。
食事をしたあと,腹ごなしを兼ねて歩く。ゆっくりゆっくり歩く。が,わずかに200mほど歩いただけで(廊下を一往復),くたばり,病室にもどるとすぐにベッドに横になる。そして,あっという間に熟睡している。やはり,ゆっくり歩くだけで,相当にからだには負担になっているらしい。また,食べたものを消化するために全力をあげる消化器官も相当に負担になっているらしい。だから,ぐったりきてしまう。いま,考えてみれば,幼児が歩くことを覚えて嬉々として歩くが,すぐに疲れて眠ってしまうのと似ている。
しかも,自分の足で歩いているつもりなのに,どう考えてみても他人の足でしかない。それもゆっくりでしかない。姿勢も腰が引けている。鏡に写るおのれの姿をみて愕然とする。意識としては,まだ,若いつもりでいるのに,その姿は完璧な老人のそれである。これはショックだった。以後,虚勢をはって姿勢を正し,できるだけ大股で歩こうと努力する。が,足の感覚は他人の足だ。思うようにはいかない。情けなくなる。
でも,その努力は意外に早く報われる。またたくまに,姿勢もよくなり,歩く距離も長くなる。しかも,疲れも少なくなる。すっかり気をよくして歩いている姿を医者がみかけたらしい。翌日の朝の回診の折に,採血した検査結果の数値を確認しながら,突然,明日にも退院していいですよ,という。えっ,とわたし。そんな急に言われても困ります。少し考えさせてください,と懇願。
しかし不思議なもので,退院してもいい,という医者のことばもどうやら「薬効」のうちに入るらしい。わたしのからだは三段階くらいスキップして,急激に元気になる。廊下を歩いていても,元気なころとまったく同じではないか,といま考えると錯覚している。急に自信がつく。
翌朝の回診のときに,では,明日,退院させていただきます,とみずから宣言。もう,そう言い切れるからだになりきっている。実際はそうではなかった,ということをあとで知ることになるのだが・・・。空元気のまま退院。術後,10日目のことである。やはり,どう考えてみたって早すぎる。でも,そのときは暗示にかかったように元気そのものだった。からだというものは気持のもちようで,いかようなからだにもなりうるということを知る。どこも悪くないのに重体だと言われれば,一気に重体のからだの気分になり,からだもまた重体になってしまうのではないか,といまは思う。
退院はしてきたものの,自分で思ったほどにからだは回復してはいなかった。一度,壊れたからだがもとに復するということはたいへんなことなのだ,としみじみ考えた。病院にいるときは大船に乗った気分でなんの不安も感じなかったが,退院して,たったひとりで自分のからだと向き合うというのは,こんなにも不安なものなのか,とこれには驚いた。
退院するときに,薬もなにもくれなかった。あとは,栄養の管理を上手にやって,自力で回復させろ,ということらしい。退院のときの血液の量は,正常値の三分の二。まだ,だいぶ足りないとのこと。でも,あまり一気に輸血をするのもよくないので,あとは自力でとのこと。
ということで,ひとまず今日のところはここまで。また,日を改めてこのつづきを書くことにしよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿