勝みなみさん。15歳。鹿児島高校1年生。
二日目のラウンドは「六甲おろし」(阪神タイガースの応援歌)を口ずさみながら回ったという。この記事を読んで,すぐに新聞の切り抜きを始めたわたし。
テレビのニュースも新聞も,みんな「15歳 勝選手ツアー最年少V」を大きく取り上げ,過去の記録との比較をする。その相変わらずのメディアの報道姿勢にうんざりしながら,今日の東京新聞を読んでいたら,あちこちに「勝みなみ」さんの人柄についての記事が掲載されているのを見つけ,少しく安心する。そして,わたしの関心はそちらに吸いつけられていく。
世間をアッと言わせるような偉業をなしとげるアスリートがどのようにして育ってきたのか,と考える。すると意外なことが少しずつわかってくる。たとえば,持って生まれた性格そのままに,じつにのびのびと育っているということ。
勝みなみさんのコーチはゴルフ好きの祖父。まだ小さかったころは近所の体操教室に通っていたという。だから,バック転も側転もできるそうだ。が,あるころからおじいちゃんのやっているゴルフに興味を示す。おじいちゃんも孫可愛さに手ほどきをする。みるみる上達するので,おじいちゃんの指導にも熱が入る。かなりの腕前になっても(日本ゴルフ協会のナショナル・チームに所属),コーチはおじいちゃん。
高校進学も,ゴルフの強豪校に留学することは考えず,迷わず地元の鹿児島高校に進学。まずは高校を卒業することが第一の目標で,プロになることはそのつぎの問題だ,という。もちろん,プロになるには「18歳以上」という年齢制限がある。が,優勝もしたので単年登録という方法もあるが,いまは考えない。プロは将来の夢として残しておくという。
わたしが記事のなかで興味をもったのは,「ドキドキしなかった」という彼女の性格。ついでに,興味深かった記事をもう少し拾ってみると以下のとおり。
「生まれてから緊張したことがほとんどないんです」。
「ドキドキしなかった。自分なら(優勝)できると思っていた」。
「が,自分の体じゃないなとも思いました」。
「これは,みなみなら優勝すると確信していた」(おじいちゃん)。
「コーチは必要だと思うが,理想は自分で全部やるべきだと思う」。
「将来はオリンピックで金メダルを取りたい」。
「しかりつけても,次の瞬間には忘れてケロッとしている。怒りがいがまるでない子です」(母親)。
緊張しない性格,(最終ラウンドは二位発進ながら)優勝できるという自信(おじいちゃんをも確信させるなにかをもっている),自分を超え出る経験(を自覚している),理想は自立・自律だという考え方,(叱られてもすぐに忘れる)打たれ強さ・・・・など。
アスリートにはいろいろの個人差があるので,ひとくくりにして一般論を語るのはむつかしいが,それでもやはりなにか共通するものがあるように思う。それは,もって生まれた<持ち合わせ>が違うということだ。加えて,その<持ち合わせ>がうまく「引き出される」僥倖に恵まれるかどうか,がつぎの問題。別の言い方をすれば,才能と環境。最終的には,アスリートとコーチの「マッチング」の問題。
結果論とはいえ,勝みなみ選手とおじいちゃんとは最強のコンビ。おじいちゃんは名伯楽。孫の性格を見抜いた上で,その良さを引き出すために指導・助言をしてきたはずだ。だから,「6年早かった」(いま,74歳のおじいちゃんが80歳になるころには優勝できる選手になってほしいと期待していたので,おじいちゃんの口からでてきたことば),というほどの成果が上がったということだ。祖父と孫という距離感も抜群。これが両親だとそうはいかない。お互いにわがままがでる。
「私の能力,知識では教えることはもうできない」とおじいちゃんの談話。そんなことはない。おじいちゃんにしかできない指導・助言がある。ベテラン・コーチにもできない祖父の目からみた孫のとらえ方がある。みなみさんの自立・自律のためには,まだまだ,おじいちゃんの出番がたくさんあるはず。このコンビでさらなる高みをめざしてほしい。
「自分の体じゃないな」と感じられる境地にどのようにして到達したのか。わたしの興味・関心はこの一点に集中する。つまり,自分を「超え出て」いく体験こそが,トップ・アスリートにとっての不可欠の条件だから。しかも,断るまでもなく,その境地を維持することはたやすいことではない。やはり,名伯楽のおじいちゃんとの二人三脚がいいのでは・・・・。ちょうどいい緊張のバランス。そして,「六甲おろし」を口ずさみながら(おじいちゃんも阪神タイガースのファン)プレイを楽しむことのできる才能。そこから最高のパフォーマンスが生まれる。
〔付言〕
このブログを書きたかった動機のひとつは,女子柔道で起きた「コーチと選手」の「主人と奴隷」の関係にも等しい不祥事がある。しかも,それはスポーツ界にあっては「氷山の一角」にすぎないということ。ゴルフ界にもきな臭い話がないわけではない。とりわけ,女子ゴルフ界にあっては・・・。こういう話には触れずに書く・・・を目指したつもり。
二日目のラウンドは「六甲おろし」(阪神タイガースの応援歌)を口ずさみながら回ったという。この記事を読んで,すぐに新聞の切り抜きを始めたわたし。
テレビのニュースも新聞も,みんな「15歳 勝選手ツアー最年少V」を大きく取り上げ,過去の記録との比較をする。その相変わらずのメディアの報道姿勢にうんざりしながら,今日の東京新聞を読んでいたら,あちこちに「勝みなみ」さんの人柄についての記事が掲載されているのを見つけ,少しく安心する。そして,わたしの関心はそちらに吸いつけられていく。
世間をアッと言わせるような偉業をなしとげるアスリートがどのようにして育ってきたのか,と考える。すると意外なことが少しずつわかってくる。たとえば,持って生まれた性格そのままに,じつにのびのびと育っているということ。
勝みなみさんのコーチはゴルフ好きの祖父。まだ小さかったころは近所の体操教室に通っていたという。だから,バック転も側転もできるそうだ。が,あるころからおじいちゃんのやっているゴルフに興味を示す。おじいちゃんも孫可愛さに手ほどきをする。みるみる上達するので,おじいちゃんの指導にも熱が入る。かなりの腕前になっても(日本ゴルフ協会のナショナル・チームに所属),コーチはおじいちゃん。
高校進学も,ゴルフの強豪校に留学することは考えず,迷わず地元の鹿児島高校に進学。まずは高校を卒業することが第一の目標で,プロになることはそのつぎの問題だ,という。もちろん,プロになるには「18歳以上」という年齢制限がある。が,優勝もしたので単年登録という方法もあるが,いまは考えない。プロは将来の夢として残しておくという。
わたしが記事のなかで興味をもったのは,「ドキドキしなかった」という彼女の性格。ついでに,興味深かった記事をもう少し拾ってみると以下のとおり。
「生まれてから緊張したことがほとんどないんです」。
「ドキドキしなかった。自分なら(優勝)できると思っていた」。
「が,自分の体じゃないなとも思いました」。
「これは,みなみなら優勝すると確信していた」(おじいちゃん)。
「コーチは必要だと思うが,理想は自分で全部やるべきだと思う」。
「将来はオリンピックで金メダルを取りたい」。
「しかりつけても,次の瞬間には忘れてケロッとしている。怒りがいがまるでない子です」(母親)。
緊張しない性格,(最終ラウンドは二位発進ながら)優勝できるという自信(おじいちゃんをも確信させるなにかをもっている),自分を超え出る経験(を自覚している),理想は自立・自律だという考え方,(叱られてもすぐに忘れる)打たれ強さ・・・・など。
アスリートにはいろいろの個人差があるので,ひとくくりにして一般論を語るのはむつかしいが,それでもやはりなにか共通するものがあるように思う。それは,もって生まれた<持ち合わせ>が違うということだ。加えて,その<持ち合わせ>がうまく「引き出される」僥倖に恵まれるかどうか,がつぎの問題。別の言い方をすれば,才能と環境。最終的には,アスリートとコーチの「マッチング」の問題。
結果論とはいえ,勝みなみ選手とおじいちゃんとは最強のコンビ。おじいちゃんは名伯楽。孫の性格を見抜いた上で,その良さを引き出すために指導・助言をしてきたはずだ。だから,「6年早かった」(いま,74歳のおじいちゃんが80歳になるころには優勝できる選手になってほしいと期待していたので,おじいちゃんの口からでてきたことば),というほどの成果が上がったということだ。祖父と孫という距離感も抜群。これが両親だとそうはいかない。お互いにわがままがでる。
「私の能力,知識では教えることはもうできない」とおじいちゃんの談話。そんなことはない。おじいちゃんにしかできない指導・助言がある。ベテラン・コーチにもできない祖父の目からみた孫のとらえ方がある。みなみさんの自立・自律のためには,まだまだ,おじいちゃんの出番がたくさんあるはず。このコンビでさらなる高みをめざしてほしい。
「自分の体じゃないな」と感じられる境地にどのようにして到達したのか。わたしの興味・関心はこの一点に集中する。つまり,自分を「超え出て」いく体験こそが,トップ・アスリートにとっての不可欠の条件だから。しかも,断るまでもなく,その境地を維持することはたやすいことではない。やはり,名伯楽のおじいちゃんとの二人三脚がいいのでは・・・・。ちょうどいい緊張のバランス。そして,「六甲おろし」を口ずさみながら(おじいちゃんも阪神タイガースのファン)プレイを楽しむことのできる才能。そこから最高のパフォーマンスが生まれる。
〔付言〕
このブログを書きたかった動機のひとつは,女子柔道で起きた「コーチと選手」の「主人と奴隷」の関係にも等しい不祥事がある。しかも,それはスポーツ界にあっては「氷山の一角」にすぎないということ。ゴルフ界にもきな臭い話がないわけではない。とりわけ,女子ゴルフ界にあっては・・・。こういう話には触れずに書く・・・を目指したつもり。
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