身にあまる光栄というべきか,この本は,わたしの喜寿記念論集として刊行されました。
まずは,編著者をはじめとする喜寿記念論集刊行委員会のみなさんにこころからお礼を申しあげます。わたしごときの人間にこのような最高のプレゼント(=ギフト=「贈与」)をしてくださり,感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
「贈与」となれば,それなりの応答をしなくてはなりません。いわゆる「贈与経済」でいうところの応答です。贈与(=Gift)には「毒がある」といいます。この「毒」は「薬」にもなります。まずは,この「贈与」を「薬」としていただきたいとおもいます。そして,この「贈与」はなによりも,わたしの術後のからだにとっての最高の「良薬」にしたいとおもいます。
つまり,元気になって,毎月の例会に出席し,みなさんからの「スポーツ学」的な挑発を受け止めつつ,こちらからも投げ返す(返礼=贈与を返す)ことができるようになること。養生につとめながら,この道をまっしぐらに歩みたいとおもいます。
重ねてお礼を申しあげます。ありがとうございました。
このテクストは,総勢18名の研究者が顔をそろえ,それぞれの専門領域の研究成果のエキスを論考としてまとめ,寄稿してくださっています。ざっと拾い読みをさせていただきましたが,いずれも「力作」ばかりで,感動しました。やはり活字になりますと,いつもの例会での議論とはまた違った側面が明確になり,ありがたいことです。と同時に,それぞれの研究者の方たちの研究の「深み」を知ることができ,教えられることがたくさんあります。これからじっくりと拝読させていただこうとおもいます。
ここでは,とりあえず,目次を紹介させていただき,このテクストの紹介に代えさせていただきます。表紙カバーの折り返しの部分のコピーと一緒に。
スポーツを,既存の見方に捉われない視点より追究し,知的冒険に誘う18の論考。
『スポーツ学の射程──「身体」のリアリティへ』
Ⅰ章 <競争>を問う
1.スポーツにおける判定を考える
2.「無気力試合」を「問題」とする問題
3.レースは過酷だったのか
4.スポーツと国家
Ⅱ章 <歴史>を紐解く
1.体罰の起源を探る
2.軟式庭球の名づけ
3.戦時下のプロ野球
4.集団体操時代の「変な体操」
5.学校体育に初めて正式採用された体操
6.20世紀初頭の体操改革運動が残したもの
Ⅲ章 <民俗>をみつめる
1.野見宿禰は河童なのか
2.舞台における<武>からなにが見えてくるのか
3.ヨーロッパ球戯考
4.バスク地方のペロタ球戯と教会
Ⅳ章 <身体>を感じる
1.生きる/動く,からだ
2.身体という盲点と出会うために
3.「からだ」の探求者
4.「生きもの」としてのからだといのちを考える
ご覧のとおりの,とても魅力的なテーマが並んでいます。ぜひ,手にとって内容をご確認いただければ幸いです。
なお,一つだけわたしからのコメントを付しておけば,以下のとおりです。
冒頭論文の「スポーツにおける判定を考える」と末尾を飾る論文「『生きもの』としてのからだといのちを考える」は,いずれも近年のわたしの問題関心に対して,それをみごとに投げ返す構成になっていて,すみずみにまで気配りの効いた,素晴らしいテクストになっている,ということです。この二つの論考の間にも,わたしの問題意識にもろに跳ねかえってくる論考が満載です。
この点については,いつか,合評会の折にでも・・・と考えています。
それから,最後に,つぎの点も触れておきたいとおもいます。
思い返せば,わたしが定年で退職するときにも,このメンバーの多くの人が参集して,「退職記念論集」=『スポーツ学の冒険──スポーツを読み解く<知>とはなにか』(船井廣則,松本芳明,三井悦子,竹谷和之編著,黎明書房,2008年刊)を刊行し,「贈与」してくださいました。こんどのテクストは,その意味では,「続編」に相当します。しかも,編著者も前回は,毎月開催しています例会の世話人の4人(船井,松本,三井,竹谷」が担当してくださり,今回は,そのつぎの世代の4人(井上,松浪,竹村,瀧元)が頑張ってくださいました。これで,「21世紀スポーツ文化研究所」が主催する月例会「ISC・21」も,少しずつバトン・タッチがなされ,つぎの時代への扉が開かれていく,とこころの底から喜んでいます。
この意味でも,今回のこのテクストの刊行は意味深いものだ,とこころから感謝しています。
最後に,重ねてお礼を申しあげます。
編著者のみなさん,そして喜寿記念論集刊行委員会のみなさん,ありがとうございました。
まずは,編著者をはじめとする喜寿記念論集刊行委員会のみなさんにこころからお礼を申しあげます。わたしごときの人間にこのような最高のプレゼント(=ギフト=「贈与」)をしてくださり,感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
「贈与」となれば,それなりの応答をしなくてはなりません。いわゆる「贈与経済」でいうところの応答です。贈与(=Gift)には「毒がある」といいます。この「毒」は「薬」にもなります。まずは,この「贈与」を「薬」としていただきたいとおもいます。そして,この「贈与」はなによりも,わたしの術後のからだにとっての最高の「良薬」にしたいとおもいます。
つまり,元気になって,毎月の例会に出席し,みなさんからの「スポーツ学」的な挑発を受け止めつつ,こちらからも投げ返す(返礼=贈与を返す)ことができるようになること。養生につとめながら,この道をまっしぐらに歩みたいとおもいます。
重ねてお礼を申しあげます。ありがとうございました。
ここでは,とりあえず,目次を紹介させていただき,このテクストの紹介に代えさせていただきます。表紙カバーの折り返しの部分のコピーと一緒に。
スポーツを,既存の見方に捉われない視点より追究し,知的冒険に誘う18の論考。
『スポーツ学の射程──「身体」のリアリティへ』
Ⅰ章 <競争>を問う
1.スポーツにおける判定を考える
2.「無気力試合」を「問題」とする問題
3.レースは過酷だったのか
4.スポーツと国家
Ⅱ章 <歴史>を紐解く
1.体罰の起源を探る
2.軟式庭球の名づけ
3.戦時下のプロ野球
4.集団体操時代の「変な体操」
5.学校体育に初めて正式採用された体操
6.20世紀初頭の体操改革運動が残したもの
Ⅲ章 <民俗>をみつめる
1.野見宿禰は河童なのか
2.舞台における<武>からなにが見えてくるのか
3.ヨーロッパ球戯考
4.バスク地方のペロタ球戯と教会
Ⅳ章 <身体>を感じる
1.生きる/動く,からだ
2.身体という盲点と出会うために
3.「からだ」の探求者
4.「生きもの」としてのからだといのちを考える
ご覧のとおりの,とても魅力的なテーマが並んでいます。ぜひ,手にとって内容をご確認いただければ幸いです。
なお,一つだけわたしからのコメントを付しておけば,以下のとおりです。
冒頭論文の「スポーツにおける判定を考える」と末尾を飾る論文「『生きもの』としてのからだといのちを考える」は,いずれも近年のわたしの問題関心に対して,それをみごとに投げ返す構成になっていて,すみずみにまで気配りの効いた,素晴らしいテクストになっている,ということです。この二つの論考の間にも,わたしの問題意識にもろに跳ねかえってくる論考が満載です。
この点については,いつか,合評会の折にでも・・・と考えています。
それから,最後に,つぎの点も触れておきたいとおもいます。
思い返せば,わたしが定年で退職するときにも,このメンバーの多くの人が参集して,「退職記念論集」=『スポーツ学の冒険──スポーツを読み解く<知>とはなにか』(船井廣則,松本芳明,三井悦子,竹谷和之編著,黎明書房,2008年刊)を刊行し,「贈与」してくださいました。こんどのテクストは,その意味では,「続編」に相当します。しかも,編著者も前回は,毎月開催しています例会の世話人の4人(船井,松本,三井,竹谷」が担当してくださり,今回は,そのつぎの世代の4人(井上,松浪,竹村,瀧元)が頑張ってくださいました。これで,「21世紀スポーツ文化研究所」が主催する月例会「ISC・21」も,少しずつバトン・タッチがなされ,つぎの時代への扉が開かれていく,とこころの底から喜んでいます。
この意味でも,今回のこのテクストの刊行は意味深いものだ,とこころから感謝しています。
最後に,重ねてお礼を申しあげます。
編著者のみなさん,そして喜寿記念論集刊行委員会のみなさん,ありがとうございました。
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