2014年6月29日日曜日

日曜美術館:東松照明・沖縄に恋した写真家の謎を追って,をみる。

 毎週,楽しみにしている日曜美術館が,このところ雑用にまぎれて久しくみることができませんでした。が,今夜はうまくタイミングが合って,嬉しいかぎり。しかも,わたしの好きな写真家・東松照明さんの特集でした。

 午後8時はわたしの夕食の時間。しかし,食事をするのも忘れて,ノートにメモをとることに追われながらの鑑賞でした。冒頭から,顔なじみの仲里効さん(わたしの娘も可愛がってくださっている)が映像批評家という肩書で登場し,わたしなどの知らない東松照明さんの骨格というか,輪郭を,いつものように慎重にことばを選びながら語ってくれました。この入り方がわたしにはとても心地よく響いてきて,一気に番組にひきこまれていきました。

 東松照明を語る写真家・森山大道さん(『ブラジルのホモルーデンス』(今福龍太著の表紙カバーの写真を撮った人。なんと群衆の腰からしたの「足」ばかりを撮った傑作。サッカー批評原論の本ですので,まことにピッタリ)の話も,なるほどなぁ,と感じ入りました。「対象が醸しだすあいまいなものを写し撮る感性が写真の新しい時代を切り拓いていった」(名取洋之助を乗り越えて)や「自分が裸になることによって,対象もまた裸にみえてくる。そして,写真を撮らされていたのではないか」と語り,とりわけ,東松照明の写真集『太陽の鉛筆』をとりあげて,「写真の原質のようなものを感じる」と語ったことばが印象に残りました。

 番組の終わりの方では,今福龍太さん(この三月にわたしの研究会でお話をしてくださったばかり)が登場し,『太陽の鉛筆』の復刻版の編集作業の現場を背景にして,この東松照明の傑作のもつ意味を語ってくれました。近く復刻版が刊行されるようですので,楽しみです。この写真集に今福さんがどのような解説を加えるのか,いまからどきどきしています。

 とてもいい番組だったなぁ,と満足して,ふたたび食事にとりかかりました。が,突然,あっ,あの番組はどこか変だ,と気づきました。なぜか,わたしの理解していた東松照明のイメージの半分が欠落しているではないか,と。それは,沖縄の古くから伝承されている祭祀儀礼に注目し,そこになみなみならぬ情熱を傾けた東松照明の立ち位置とその評価です。たとえば,よく知られているように,いまは絶えてしまったという久高島のイザイホーの祭祀儀礼を撮った素晴らしい仕事には,この番組はひとことも触れていないのです。12年に一度の,それこそ沖縄の原初の信仰形態であり,ウチナンチュの原質をかたどっているともいわれる,海のかなたからやってくるカミとそこに生きる人間との関係,折り合いのつけ方,あるいは,母系社会の残像といえばいいのだろうか,いわばウチナンチュの「根っこ」となっているもの,ここにこそ東松照明の「恋した沖縄」の純粋無垢の対象があったのではないか,とわたしはひとりで納得していたのですが・・・・。わたしにとっては,そのもっとも重要だと思われるウチナンチュのこころの支えの問題が,この番組ではすっぽりと抜け落ちてしまっているではないか,と。

 ディレクターがだれであったのか,控えるのを忘れてしまったことが悔やまれる。もちろん,いまから調べればわかることではありますが・・・。

 なにを言いたいのか。

 NHKの報道の,最近の目にあまる偏向ぶり(政府の圧力とNHKの自発的隷従による思想コントロール)が,こんな番組にまで浸透しているのか,と気づかされたことにいまさらながらびっくり仰天している,ということを。こんなところにまで触手をのばして,情報コントロールをし,国民を無意識のうちに「洗脳」しようという許されざる公共放送の,これはもはや「犯罪」としかいいようのない恐るべき悪魔の手を,そこに垣間見てしまった,ということを。

 もうすでに,戦前の治安維持法の時代が,さきどりしたかたちではじまっている,としみじみ思った次第です。3・11を通過することによって,日本はそれまでの過去を清算し,まったく新しい国へと向かうものとばかり思っていたら,気づいてみれば,一気に戦前への転向でした。その悪魔の手が,こんなアートの世界を鑑賞する番組にまで,すでに伸びてきているとは・・・・。

 折角の番組の感動が,いつのまにか色あせたものになってしまいました。そして,東松照明さんを傷つけ,この番組に登場し,丁寧な解説をしてくださった仲里効さん,森山大道さん,今福龍太さんまで巻き込んで,傷つけてしまっていることに,わたしとしては複雑な気持でいっぱいです。

 これからのテレビへの対応に苦慮することになりそうです。そして,その恐ろしい時代の足音が次第に現実となりつつあります。困ったものです。のみならず,サブイボが立ちます。

2014年6月28日土曜日

ついに党是を捨てた公明党。結党の志を放棄してまで権力に寄り添いたいのか。

 とうとう公明党は党是を放棄してしまった。もはや,「反戦・平和」をかかげた公明党は存在しない。こんな転び方があっていいのだろうか。恐るべき騙りとしかいいようがない。

 ならば,いっそのこと党名も変更すべきではないのか。「平和を守るための戦争を是とする」混迷党,とでも。

 それが嫌なら,第二自民党を名乗ればいい。わかりやすい。

 ああ,もういい。冷静に公明党批判を書こうとしたが,もういい。あまりにも馬鹿馬鹿しい猿芝居に批判する気概も失せてしまった。

 だから,今日はこれでお終い。

※こうなったら,なにがなんでも6月30日(月)18:30,首相官邸前に出かけるしか方法はない。
 

2014年6月27日金曜日

「予言のパラドックス」と「システム的破局」について(西谷修)。

 西谷修さんの近著『アフター・フクシマ・クロニクル』(ぷねうま舎,2014年6月20日刊)の終章 ここにある未来──ジャン=ピエール・デュピュイとの対話──の冒頭の書き出しはつぎのようになっています。

 破局(カタストロフィ)の予言はいつも受け容れられない。なぜなら,災厄(さいやく)はただでさえ信じたくないことだし,たしかなのは,いまはまだきていないということでしかないから。人びとは現在の現実的関係のなかで生きており,不確かな予言にたばかられたくはないのだ。だから予言は,それが現実になったときにしか人びとに信じられない。だが,それでは遅すぎるのだ。予言には意味がなかったことになる。予言は人びとに災厄を免れさせるためにこそなされるのだが,それが現実になってしまっては,予言はその役目をはたせなかったことになる。
 この「予言のパラドックス」から,人はどうしたら抜け出すことができるのか? それがこの本,ジャン=ピエール・デュピュイ『ツナミの小形而上学』(嶋崎正樹訳,岩波書店,2011年)のテーマである。冒頭に引用されたのは,旧約聖書の預言者ノア(箱舟によって大洪水を脱したノア)に仮託したエピソードだが,この本が念頭に置いている「破局」(災厄)は神話的なものばかりではない。もちろん自然災害もある。だが,この本が扱うのは,とりわけ科学技術や産業経済の仕組みとグローバル化とが条件づけている,人間社会全体の「システム的破局」である。

 この書き出しからはじまるこの終章は,わたしにとっては電撃的なショックをともなうものでした。なぜなら,「3・11」とはなにか,その意味するところはなにか,とりわけ,わたしたちが「生きる」という基本的な営みにとって,なにをつきつけたのか,そして,その人間の「生」とはいったいなんなのか,ひいてはその「生」と深く切り結んでいるはずの「スポーツ」という文化装置はこのままでいいのか,どこかでとんでもない間違いを犯していたのではないか,ボタンの掛け違いのような,気づいたときにはすでに手遅れのような,そんなことをずーっと考えつづけていたからです。

 ついでに,もう少しだけ加えておけば,以下のとおりです。

 わたしはかなり若いときから,なにかが変だ,なにかが大きく変化しはじめている,という予感癖・思考癖をもっていました。当然のことながら,スポーツのあり方にも同じような疑念をいだいていました。しかし,その「なにか」がわからない。しかし,人間の「生」の根源的なところに,その「なにか」がひそんでいるにちがいない,とは思っていました。

 そして,かなりのちになってから,ようやくそれがハイデガーのいう「存在不安」(Sorge)につながっているということがわかってきました。では,わたしの存在不安はどこからくるのか,と漠然と考えつづけていました。が,ある日,突然,これもまた電撃的な直観が降りてきました。それは「核」(当時の認識では原子爆弾)だ,と。人類が「核」を保有する以前と以後とでは,人類の存在様態がまったく異なるのだ,と。

 この直観がはたらいたときに到達した新しい時代区分としての概念装置が「後近代」ということばでした。そうして,早速,わたしはみずからのスポーツ史研究にこの概念を持ち込むことにしました。当初はほとんどの人が認めようとはしてくれませんでした。でも,わたしはこれで新しいスポーツ史研究の地平を切り拓くことができると確信しました。

 そうして,つぎに提案した概念装置が「下降志向のスポーツ」というものでした。ことわるまでもなく,勝利至上主義を追求するあまりに過剰な競争原理によって著しく奇形化していく競技スポーツの限界を意識してのものでした。わたしとしては,上昇志向のスポーツ=近代競技スポーツに対して,その逆をいく下降志向のスポーツ=後近代のスポーツ,ということでなんの矛盾も感じませんでした。しかし,これもまた,大きな抵抗に会いました。もう少し表現の仕方がなんとかならないのか,と。

 こんなことを考えながらも,まだ,その「なにか」を適切に説明するロジックを欠いていました。なんとかならないものか,とずっと考えてきました。ですが,こころの底から自分で納得のできるロジックを構築することはできませんでした。しかし,「科学技術や産業経済とグローバル化とが条件づけている,人間社会全体の「システム的破局」である」という指摘が,わたしのこころの奥底まですとんと落ちていきました。まるで,電撃のように。そして,限りない快感をともなって。

 終章のこの西谷さんの文章に出会うまでには,多くの伏線があったことは隠しようもありません。が,その伏線のおかげで,西谷さんのこの文章に接して,一気にわたしの疑念が瓦解してしまいました。もう,この終章を何回,読み返していることでしょう。短い文章ですが,一分のすきもない,簡潔で,ピンポイントのように問題の所在を指摘してくれていて,いま現在のわたしにはバイブルにも等しい存在です。

 さきの引用文のあとに,つづけて西谷さんはつぎのように書いています。

 そこでは大文字の「破局」つまりいわゆる「人類の滅亡」も想定されるが,局地的「破局」もある。前者は後者の積み重ねからも起こりうる。日本を襲った自然災害が引き起こしたのもこのような「破局」である。
 破局はいつも「まだ起こっていない」ものとして「未来」にある。だが,いまその「未来」がここにある。それが「大洪水のあと」ということだ。その「大洪水のあと」,われわれはもはやいままでのように生きることはできない,目先にかまけて「未来」を無視するようにしては。むしろ,ここに現実化してしまった「未来」を基準に,この「未来」の全面化を退けるようにしてしか,「これから」を思い描くことはできないということだ。

 末尾の文章をもう一度,引いておきます。

 この「未来」の全面化を退けるようにしてしか,「これから」を思い描くことはできないということだ。

 「予言のパラドックス」から抜け出す道はここにしかないのでしょう。さて,この教訓をスポーツ史・スポーツ文化論の世界に持ち込むと,どういうことになるのでしょう。また,ひとつ仕事が増えてしまいました。でも,この仕事こそ,喫緊の課題です。喜んで,取り組んでいきたいと思います。

 それにしても,こんどの西谷修さんの講演が楽しみです。

2014年6月26日木曜日

「集団的自衛権に反対する記者会見」に海外のメディアが反応。西谷発言に注目。

 集団的自衛権の閣議決定に向けての自民党と公明党との間で議論が大詰めを迎えています。が,どう考えてみても公明党は党是として集団的自衛権は認められるはずはありません。ましてや,そのバックにある創価学会の考え方からも,集団的自衛権は認められるはずもありません。なのに,なぜか(裏取引か,豹変か,ボケか)池田大作はそれを認めたといいます。それを受けて,公明党の党内の議論に,日本のメディアは釘付けになっています。

 ところが,海外では,インターネットで検索してみたかぎりでも,集団的自衛権の問題が相当に話題になっています。にもかかわらず,国内のメディアは海外の反応をほとんど取り上げようとはしません。なぜでしょう? そこにはいろいろの憶測がなされていますが,やはり,政権からの圧力,あるいは自発的隷従,さらには無思考,保身,などの要素がからんでのことだと思われます。情けないことに。

 もう,すでに,ずいぶん前のことですが,わたしの耳に直接とどいた情報だけでも,中国とドイツの二カ国のテレビが「集団的自衛権に反対する記者会見」をとりあげ,どちらも西谷修さんのコメントに注目していた,とのことです。

 そのポイントは二つ。一つは,世界に類のない憲法9条は日本の宝であり,国際社会が日本を評価する根拠の最たるものだ,その日本の財産と国際的な信用を一気に失うことになる,という西谷発言。そして,もう一つは,近くの隣人を敵にまわしてはいけない,という指摘。まずは,隣人を友人にすべきだ,という西谷コメント。

 中国の情報は,わたしの古くからの中国の友人から(日本に長く在住)。わたしも面識のあるその友人のご両親が,息子に電話で伝えてきたというものです。もちろん,ご両親は西谷さんとも面識があってのことです。ですから,ご両親はびっくりして,しっかりとテレビに注目したとのことです。そして,その内容に感動した,とも。こういう良識のある知識人が日本で声を挙げているという事実を知り,とても親近感を覚えた,とも。そして,親戚や友人たちとも,しばしば話題になっていて,とても誇りに思っている,とも。

 もう一つは,ドイツの友人から。この友人も日本に留学していたころに,西谷さんと接した経験をもっています。ドイツ・スポーツ大学ケルンの卒業生で,わたしがその大学の客員教授として半年間,勤務したときにたいへんお世話になった友人です。その彼から,メールで,テレビで見たよ,そして,感動したよ,と知らせがありました。その彼によれば,憲法9条をもっている日本は尊敬に値する,と。ドイツはその理想には遠く及ばない,とも。そして,「隣人を友人にすべき」という西谷コメントに感動した,と。

 この彼は日本人女性と結婚し(留学中に),生まれた二人の息子には日本人の名前をつけたほどの親日派ですので,ドイツ人のすべてがこのように反応しているかどうかはわかりません。が,ドイツのテレビが取り上げ,西谷発言に注目し,報道したという事実は重要です。

 この二つの経験から,インターネットを流れている「集団的自衛権」に対する各国の反応は相当に高いものだ,と言っていいと思います。にもかかわらず,集団的自衛権に反対する人びとの言説はどのメディアも腰が引けていて,大きく取り上げることはありません。こういう偏向したメディア情報のもとで日本人の圧倒的多数は日々,洗脳されていることの重大さを,わたしたちは声を大にして周辺の友人たちに伝えていく必要があります。

 ましてや,地方自治体や大学までもが,集団的自衛権に反対するシンポジウムの開催を拒否する,というとんでもない情況が,いまや,当たり前になりつつあります。これは恐ろしいことです。いまこそ,賛否両論が,正々堂々と議論を闘わし,日本という国家の骨格のあるべき姿を国民的議論に引き上げていくことこそが,地方自治体や大学の使命ではないのか,そして,なによりメディアの仕事ではないのか,と歯がゆい思いをしています。

 わたしは西谷さんの主張に全面的に賛成です。もっとも近くの隣人から順に友人になれるような外交努力をしていけば,集団的自衛権は不要です。そして,憲法9条を護持していくことも可能です。その意味でも,いま羽振りを効かせているアベ政権は,文字どおりの「アベコベ政権」といわねばなりません。

 朝日新聞の最新の世論調査によれば,ついに,アベ政権支持が50%を割り,43%に激減,そして,反対が26%から33%に上昇した,と伝えています。ようやく良識が作動しはじめたか,とわたしは大いに期待をしています。国会での矢継ぎ早の,膨大な量の法案が,ほとんどまともな議論もないまま通過していった異常な事実に,やはり,多くの国民が不安をいだきはじめたということなのでしょう。

 こういう流れを受けて,公明党がどこまで集団的自衛権に抵抗できるのか,ひっぱればひっぱるほどに公明党の株があがります。そして,多くの国民も考えるようになります。たとえ,最終的に自民党と手を握り合うことになろうとも・・・・。とにかく,いまは「慎重審議」を建て前だけでも構わない,公明党内での議論を一日でも長くつづけること・・・・。現に,日替わりメニューのようにして自民党が小手先の「修正案」を提示しています。この自民党の醜態をさらけださせるだけでも,意味があります。情けない希望ではありますが・・・。

 集団的自衛権は,日本という国家の骨格にかかわる重大事です。

 ことの推移をしっかりと見届けながら,みずからの姿勢を明確にしていきたいと思います。海外の動向も視野に入れて。 

2014年6月24日火曜日

西谷修講演・J=P.デュピュイの『聖なるものの刻印』をどう読むか,を企画しました。

 第84回・「ISC・21」7月東京例会で,西谷修先生にご講演をしていただけることになりました。「ISC・21」というのは,わたしの主宰しています「21世紀スポーツ文化研究所」のことです。この研究所が主催する月1回の研究会を月例会と名づけ,東京,名古屋,大阪,神戸,奈良,などを巡回しながら開催しています。

 で,今回は7月に東京で開催しますので,「7月東京例会」という次第です。この月例会は,原則として一般に公開しています。どなたでも参加は自由です。ただし,参加を希望される方はわたし宛にご連絡ください。座席に制限がありますので,若干の調整をさせていただきます。会費はありません。が,懇親会は実費(頭割り)です。当日,清算します。

 さて,前置きが長くなってしまいましたが,第84回「ISC・21」7月東京例会」の開催要領は以下のとおりです。

 日時:2014年7月19日(土)午後1時~午後6時。
 場所:青山学院大学総研ビル(正門を入ってすぐ右の建物)4階,14404教室。
 プログラム:
  第一部:情報交換会(午後1時~午後2時45分)
       会員の活動報告,ショート・プレゼンテーション,ブック・レヴュー,論文紹介,など。
  第二部:講演会(午後3時~午後6時)
   演者:西谷修先生(立教大学大学院特任教授)
   演目:『聖なるものの刻印』──科学的合理性はなぜ盲目なのか(J=P.デュピュイ著,西谷 修,森元庸介,渡名喜庸哲訳,以文社,2014年刊)をどう読むか。
 
   司会:稲垣正浩(「ISC・21」主幹研究員・神戸市外国語大学特別研究員)
   質疑応答・・・代表質問(会員)ののち,一般参加者に公開。
 以上。

 なお,一般で参加を希望される方は第二部からお願いします。当然のことですが,事前にテクストをよく読んできてください。かなり難解ですので,そのつもりで。できれば,デュピュイの著作はたくさん翻訳されていますので,そちらにも触手をのばしておいてください。西谷先生のお話のなかに,当然,それらの著作についても触れられると思いますので。

 それから,講演会終了後,会費制による懇親会を予定しています。参加希望者はわたし宛に申し込みをしてください。こちらも座席数に限りがありますので,オーバーした場合には調整をさせていただきます。アドレスは,「ISC・21」のHPにあります。

 以上が,開催要領です。

 講演会開催の趣旨は,わたしの個人的な強い要望によるものです。それは以下のとおりです。

 「スポーツ評論」なるものは世に氾濫していますが,いわゆる「スポーツ批評」なるものはほんのわずかしか存在しません。つまり,スポーツの表層に咲く徒花を「評論」することばかり多くして,スポーツとはなにかという問いを根底にもつ「批評」精神が欠落している,というのがわたしの現状認識です。すなわち,スポーツの語りに偏りがあって,スポーツの内実とは縁遠い騙りものが多すぎるという,わたしの反省が根底にあります。これではスポーツのあるべき姿を見失ってしまいます。つまり,スポーツ本来の互酬性に富んだ攻防や,贈与にも等しい美しさや感動からは遠のいてしまいます。そして,ひたすら勝ち負けだけを追求する勝利至上主義ばかりが闊歩することになってしまいます。

 なぜ,そのようになってしまったのか。スポーツもまた「科学的合理性」を追求するあまりに,スポーツのもつ遊戯性やスポーツ全体を見渡す視力を失ってしまったことに由来する,とわたしは考えています。しかも,科学的合理性から導き出されるロジックのほとんどは「盲目」に等しい,ということを見抜くだけの力量を,こんにちのわたしたちは失ってしまったからだ,とわたしは考えています。その最大の理由は,デュピュイのいう「聖なるもの」に対するまなざしや配慮を,非科学的という名のもとに否定してきた近代合理主義の考え方にある,とわたしは考えています。

 しかし,人間は「聖なるもの」を無視して,あるいは,完全に否定して生きることはほとんど不可能です。むしろ,極限情況の最後の最後のところでは,人間は,まず,間違いなく「聖なるもの」のなにかに向かって「祈り」ます。この「祈り」ともいうべき「自己超越」の「場」こそ,スポーツの原初の姿が立ち現れる「場」ではないか,とわたしは考えています。

 ですから,デュピュイのこのテクストを熟読すればするほど,ことばの正しい意味での「スポーツ批評」の源泉をそこに読み取ることができます。

 デュピュイの主張する「破局」論は,そっくりそのままこんにちのスポーツ競技が陥っている破局(臨界点)にも当てはまります。

 こんなことを考えているわたし(および,わたしの研究者仲間たち)に対して,西谷修先生がなにを語りかけてくださるのか,それが最大の関心事です。デュピュイ自身がそうでありますように,アカデミズムの専門分化した狭い視野から抜け出し,西谷修先生が主張される「チョー哲学」から繰り出される「聖なるもの」の読解はいかなるものなのか,全身を耳にして聞いてみたい,といまから楽しみです。

 そこで,ある意味でのわたし自身の踏ん切りがつけば,これからのわたしの「スポーツ批評」を展開するための土俵ができあがる,と考えています。それはまた,デュピュイも西谷先生も強調されますように,目の前に迎えてしまった「破局」(カタストロフィ)を,少しでも「先送り」するための最後の,そして,唯一の方法であり手段ではないか,とわたしは考えています。

 ですから,わたしは,いまから,ドキドキです。夜も眠れないほど興奮しています。かつて,真島一郎先生が語ってくださった「力としかいいようのない空恐ろしいもの」に間違いなく通底する「聖なるもの」の存在,そして,それがこんにちの科学的合理性の網の目をかいくぐって,現代社会の隅々にまで「刻印」されているというデュピュイの指摘・・・・。

 はたして,西谷修先生は,なにを,どのように語ってくださるのか,期待に胸がいっぱいです。

 こんな関心をお持ちの方がたくさん集まってくださると,とてもありがたい,と仕掛け人としては願っているところです。取り急ぎ,私見のご紹介を兼ねて,7月東京例会のご案内まで。

6月23日・沖縄慰霊の日に思うこと。

 第二次世界大戦で,日本がどんな戦争を行い,どんな結末だったのかという,いわゆる戦争の記憶(反省)をもつ人が年々減っていく。これはある意味で仕方のないことではある。しかし,この記憶(反省)をしっかりとつぎの世代に継承していくことをわたしたちの世代は忘れてはならない。が,現実は寂しいかぎりである。

 たとえば,6月23日・沖縄慰霊の日を,わたしたちはどの程度に骨肉化しているだろうか。つまり,この日を迎えたとき,わたしたちはどのようにこの記憶をふり返り,そこから導き出された教訓を胸に刻み,これからの生き方に結びつけていくことができているのか,という反省である。そのことは同時に,多くの人が支持しているという現政権が目指しているものとの大いなる齟齬を,どのように考えているかという問題でもある。

 沖縄で多くの人びとの命が奪われた6月23日の激戦(沖縄島民の3人にひとりが犠牲になった)を迎えるはるか以前から,すでに日本の敗戦は明らかだった。にもかかわらず,猪突猛進して行った当時の政府および軍部の動向を止めることはできなかった。だから,このあとも,ヒロシマ,ナガサキの原爆による,まったく無駄な多くの犠牲者を出すことになってしまった。そして,ついにはポツダム宣言を受諾して「無条件降伏」という屈辱の事態を招くことになった。(少なくとも,早めに手を打てば,「条件付き降伏」というレベルで治めることができたはず。後の祭り。)

 その延長線上に,戦後の沖縄の歴史ははじまる。というより,沖縄にはいまも戦後はない。つまり,戦争がつづいているのである。ポツダム宣言後のアメリカによる統治(1972年まで,沖縄の人びとはパスポートをもたなければ本土にわたることもできなかった,つまり,日本国ではなかった),朝鮮戦争,ベトナム戦争,アフガンからはじまる中東の騒乱(アメリカによる一方的な介入),そしてこんにちの基地移転問題へと,息継ぐいとまもないほどの緊張が,いまもつづいている。

 こうした事態の連続を,沖縄の人びとはひたすら耐え,そして,ときには闘い,こんにちを迎えている。いまもこの厳しい状況がつづいている元凶は,わたしたちヤマトンチュにあるとわたしは受け止めている。つまり,ヤマトンチュのほとんどの人間が,この厳しい現状を「みてみぬふり」をしてやりすごしてきた,というやりきれない慙愧の念がわたしのこころの片隅に巣くっている。

 日米安保条約も,そしてそれよりもっと恐ろしいと言われる日米地位協定も,米軍基地も,そのほとんどを沖縄に「おんぶにだっこ」してもらって,ヤマトンチュはのうのうとみせかけの「平和」に酔い痴れている。日本の国土の0.7%しかない沖縄に米軍基地の70%以上もの負担を押しつけておいて,なおかつ,「みてみぬふり」をしている。のみならず,半永久的に米軍基地を沖縄に押しつけたまま,平然としている。

 そんな現政権のリーダーであるアベ君が,「沖縄のためになることならなんでもやる」と,こともあろうに沖縄慰霊の日に参列し,なみいる沖縄島民を前にして,いつもの,そして,得意の大嘘を,平然と言ってのけた。「金目」をちらつかせれば,沖縄県知事ですら「転ぶ」。このことに大いなる自信をもってしまった,いまや「病」としかいいようのない暴言である。

 アべ君は,沖縄に米軍基地を置くことが沖縄県民のためになる,と信じて疑わない。だって,これまでも「金目」で潤ってきたではないか,と。そのことを声高らかに宣言したようなものだ。このことは,原発設置のときの地域住民を説得してきた手法と同じだ。原発は地域住民のためになる,なぜなら「金目」がついてくる。だから,イシハラ君までも「金目」という本音をついうっかりもらしてしまった。この人たちは,人間の命を「金目」で交換することができると信じているらしい。

 勢いあまって,いささか脱線してしまった。

 いわずもがなではあるが,人間にとって一番大事なものは「命」だ。戦争は,この一番大事なものを,遠慮会釈なく奪い去る。だから,なにがなんでも戦争だけは回避しなくてはならない。その教訓を現政権はすっかり忘れてしまっている。のみならず,日本国は第二次世界大戦で「無条件降伏」をした敗戦国であるということまでも,忘れてしまったかのようだ。もっと言っておけば,中国はポツダム宣言に署名した戦勝国であるということも,すっかり忘れてしまったようだ。

 中国に喧嘩を売るということは,アメリカに喧嘩を売るということと同義だ。そんなことも忘れて,尖閣諸島で,わざわざ「ことを構え」ようとしている。集団的自衛権の問題に関して,もっとも緊張感をもって見守っているのは沖縄の人びとだ。その沖縄県民に向かっての,あのアベ君の宣言(暴言)である。「沖縄慰霊の日」がどういう「日」であるのか,アベ君が一番わかってはいない。そのアベ君を支持する多くの国民もまた重篤なる「病」に犯されているとしかいいようがない。

 沖縄県民に会ったら抱きつきたい,とあるシンポジウムで発言した知識人がいたが,けだし名言。しかし,だからといって問題が解決するわけではない。それはあくまでも個人的な情緒の問題だ。沖縄慰霊の日にあたって,この発言をした知識人はいったいなにをいま思っているのだろうか,と考えてしまった。

 沖縄慰霊の日は,たった一日だけ,多くのメディアも反応したが(ケネディ大使が参列したことに反応したというのが本音ではないか),それが終わればまたもとの木阿弥。メディアは朝からサッカーW杯関連の情報ばかりを垂れ流し。現政権の意をくんで(自発的隷従),国民を「無思考」にするために大奮闘。もちろん,フクシマには目もくれず。

 かくして,日本国は「破局」(カタストロフィ)に向かって一直線。臭いものには蓋。

 わたしたちがいま最優先して考えなくてはならないことは,フクシマとオキナワである。たぶん,こんなことはみんな知っていることだ。問題は,「みてみぬふり」をする「病」の方だろう。アベ君を筆頭に,この「病」にかかった人びとを強制的に「入院」させなくてはならない。そのために,わたしたちは,いま,なにができるかを考えなくてはならない。

 沖縄慰霊の日をきっかけに,オキナワとフクシマをセットにして,これからも考えていきたいと思う。それが,悲惨な「戦争」から学んだ教訓を生かす道だと信ずるから。すなわち,「命」の大切さを基準にして,ものごとをリセットすること。そのことが,いま,ここにきてしまった「未来」(西谷修)を,少しでも押し返すための,第一歩だと信じて。

2014年6月23日月曜日

抗ガン剤治療,少しペースダウンしましょう(主治医)。やれやれ,少し安心(わたし)。

 6月23日(月)午前9時。予約どおりにT病院へ。外来による診察で,セカンド・クールの抗ガン剤治療の診断(治療計画)が下る日。ファースト・クールは,3週間にわたる錠剤+点滴(4泊5日の入院)による抗ガン剤の投与・注入により治療を行ったあと,2週間の休息期間(錠剤を飲まないで,からだを休める)。この休息期間の最終日が25日(水)。ですから,セカンド・クールは26日(木)から開始予定でした。

 今日(23日)は,いつものように採血をして,血液検査,その結果の診断にもとづくセカンド・クールの治療計画を立てること。その結果は,「抗ガン剤が強すぎたようなので,少しペースダウンして,弱い抗ガン剤(錠剤)を7月1日から2週間飲んで,そのあとお休みにして様子をみることにしましょう」「つぎも8月1日から2週間飲んで,そのあとお休み,という展開で様子をみましょう」「そうしながら,一番,からだに合う治療のレベルを探っていきましょう」ということでした。

 この診断結果に,じつは,わたしは大満足。やれやれ,これでよかった,と少し安心です。

 といいますのは,ファースト・クールのときに,入院して点滴による抗ガン剤の注入のあと,退院してからいろいろの副作用が現れ,苦しんだ経験があったからです。これを,当初の予定では,5週間ワンサイクル(3週間の投与+2週間の休息)で,数年にわたり繰り返します,と言われていたからです。いやぁ,これは参った,というのがワン・クールを終えたあとの正直な感想。

 ですから,今日(23日)の診断で,予定どおり「繰り返します」と言われたら,患者の側からの異議申し立てをして,少し緩和してもらえないかと直訴するつもりでいました。そのためには理詰めでいくか,情緒に訴えるか,それでも駄目なら・・・・といろいろ作戦を立てていました。しかし,恐ろしいものです。血液検査の数値だけで,わたしの苦しんだ副作用のおおよそのところを,主治医はすでに把握していました。ですから,わたしの方からはなにも言う前に,診断結果と治療計画が告げられました。そして,それはわたしが大満足する内容だったのです。

 もう少しだけ詳しく書いておきますと,以下のような,いささか不安な時間を過ごすことがありました。

 採血を終えて,あとは診察の順番待ち。血液検査の結果がでるまでは,あとからきた人でもどんどん診察室に呼ばれて入っていきます。これはいつものことなので,承知の上で,本を読んでいました。すると,看護師がやってきて「血液検査の結果はでたのですが,少し時間をください,と主治医が言ってます」という。「おやっ?」とよくない予感が走りました。それは重要な診断を下すときには,それぞれの専門の医師が集まって合議することになっている,と聞いていたからです。ですから,なにか良くない数値がでているのでは・・・・と悪い方に予感が走っていきます。

 それから小一時間ほど経ったころに,同じ看護師がやってきて,薬剤師さんの都合で,あと10分ほど待ってほしいという。そうか,やはり「合議」をやっていたのだ,そして,最終的にどの「薬剤」にするのか薬剤師の意見を聞くことになったのだな,と推測。でも,最後に薬剤師の判断を求めるとしたら,これはわたしが恐れていた最悪の予感とは少し違うな,と気づきました。

 でも,一抹の不安を残したまま,診察室に入りました。ところが主治医さんの顔がケロリとしていました。その瞬間,ああ,よかった,と直感しました。大したことではなかったようだ,と。そして,淡々と,最初に書いたような診断結果が告げられました。すべて,わたしはなんの不満もなく納得。これで安心,という次第でした。

 以上,今日の診断結果のご報告まで。しばらくは,錠剤だけの治療で様子をうかがう,ということになりました。やれやれ,と少しだけ安心。

2014年6月22日日曜日

全身を脱力してユルユルにしなさい。そこから無理のない動作が生まれます。李自力老師語録・その47.

 最近の李老師は,わたしのからだのことを気遣って,高い姿勢でいい,まじめにやらなくてもいい,もっとリラックスして太極拳を気楽に楽しみなさい,と仰る。そして,全身の筋肉を弛緩させてユルユルにしなさい,と。そうすれば,そこから無理のない自然な動作が生まれます,と。「わたしの父がやっているような太極拳を・・・・」と仰る。

 ここに至って,ハッと気づくことがありました。
 李老師の父上は,たった一度だけ,わたしたちの稽古に参加され,最後に表演をしてくださいました。それも,李老師が父上に懇願されてのことでした。父上はわたしより少しだけ年上ですが,ほぼ,同年代の方です。細身のすらりとしたからだから繰り出される太極拳は,これまでに見たこともない,まったく別次元の太極拳でした。体幹の軸がぴたりと決まり,脚の動きはじつにしなやか,しかも腕の力はほとんど抜けていて,極端な言い方をすれば「へろんへろん」に動かされているように見えました。動作の内容も,わたしたちの見たことのない動作の連続でした。しかも,ずいぶん長い表演でした。そして,途中で,「この辺で・・・」と言って終わりになりました。

 あとで,李老師に伺ったところでは,父上の弟さん(つまり,叔父さん)が太極拳の先生で,李老師も子どものときからこの叔父さんから手ほどきを受けたとのことです。その叔父さんと一緒に父上は長い間,太極拳を楽しんでこられたとのこと。ですから,いまでは,特別の形式にこだわることなく,アドリブで,その日の気分,からだの調子に合わせて,意識に「引導」されるままに動作を繰り出すことを楽しんでいる,とのこと。

 この父上の自由自在の太極拳もさることながら,それを見ていた李老師の目の「光」ぐあいが尋常ではなかったことが,いまも鮮烈に思い出されます。李老師はそこになにを見ていたのだろうか,といまもときおり考えることがあります。

 世阿弥のことばに「時分の華」というものがあります。奥の深いことばだそうですが,わかりやすく意訳してしまえば,年齢相応の「華」の咲かせ方があるので,そのことをわきまえて稽古をしなさい,ということになるでしょうか。だとすれば,李老師は父上の太極拳に,その年齢にならなければできない太極拳の境地を見届けていたのでしょうか。それにしても,滅多にみせない李老師のキラリと光るまなざしは忘れられません。

 この李老師の父上のような太極拳には遠く及ばないまでも,いつまでも若い人たちと同じ太極拳を目指すのではなくて,年齢相応に枯淡の色合いを楽しんだ方がいいのですよ,その方が太極拳の本質(奥義)により接近することになるのですよ,と李老師はわたしに語りかけてくださっているように思います。ですが,いかんせん,まだまだ若気の抜けないわたしは,大まじめに若者と同じような太極拳を目指そうとしています。

 書道でいえば,楷書です。どの世界でも基本が大事だと考えていますので,まずは,太極拳も楷書から入るべし,というわけです。そして,ある程度,楷書の太極拳ができるようになれば,やがて,無駄な力も抜けて,行書の世界に入り,最終的には草書の太極拳に到達するだろう,と自分で勝手に考えていました。ですから,そろそろ行書の太極拳をめざしてもいいのかな,とは密かに考えていました。

 ですから,李老師から,もっと全身の力を抜いてユルユルにしなさい,と言われたときに「よし,いよいよお許しがでたのだから,行書の世界に一歩踏み込もう」と決心しました。ところが,この「ユルユル」がとんでもなくむつかしいことである,ということを知りました。やろうとしてもそんなに簡単にはユルユルにはならないのです。李老師が見ていると意識したとたんに,わたしのからだは硬直してしまいます。

 そうか,わたしの身体は,そのむかし体操競技をやっていたころのヨーロッパ近代の身体のままなのだ,と。体操競技は最初から最後まで緊張の連続です。でも,ほんとうにトップに躍り出てくるような名手の演技は,不思議なことに演技に「余裕」が感じられます。たぶん,そういう感覚はまったく同じなのだろうなぁ,と理解はできても,それを実施できるかどうかということとは別問題なのでしょう。

 おそらく体操競技を行う身体と,太極拳を行う身体とはまったく別の身体なのでしょう。この壁を乗り越えないと,たぶん,太極拳を行う身体には到達しないのではないか,といまごろになってようやく気づいた次第です。もう少し精確に言っておけば,このことは頭のなかではかなり前から承知はしていました。しかし,実際に本気で取り組むというまでにはいたっていませんでした。

 この両者の間にある壁は,たぶん,こころの置き所の違いではないか,と考えています。ですから,このこころの置き所をつかむことが,これまた至難の業だということのようです。

 からだの全身の筋肉を弛緩させてユルユルにする,という大きな壁に向かって,これからさらなる挑戦のはじまりです。どこまでできるかはともかく,そこを目指してみたいと思います。それが,「時分の華」につながるのだとすれば・・・・。

 それにしても,李老師の父上のあの太極拳はなんだったのだろうか,といまさらのように驚いています。いつかまた,拝見させていただける恩恵に浴することを夢みながら,気持を新たにして取り組んでみたいと思います。

2014年6月20日金曜日

『アフター・フクシマ・クロニクル』(西谷修著,ぷねうま舎,2014年6月20日刊)を読む。

 今日(6月20日),書店にならぶ予定の本を3日前の18日に,著者の西谷さんから直接,手わたしでいただきました。ありがたいことです。いつも,西谷さんは新刊がでるとすぐにプレゼントしてくださいます。それも,著者見本として印刷・製本されたばかりのほやほやの本が出版社から著者にとどいたばかりの,とっておきの本のおすそ分けです。なんと栄誉なことか。

 『アフター・フクシマ・クロニクル』。これまでに書きためたものに書き下ろしを加えて一冊にまとめてみました,というのが西谷さんの第一声でした。それが下の写真の本です。


 そういえば,3・11以後,西谷さんは足しげく被災地に通い,現場に立ち,肌で風を感じ,自分の眼で確かめ,自分の耳で被災者の声を聞き,そして自らの思考を重ねてこられたことを,わたしは身近にいて知っていました。そして,主として月刊誌『世界』に論考をしばしば寄せられ,それを読むたびに,そのつど深く考えさせられたこともまだ記憶に新しいところです。加えて,ブログをとおして,こまめにそのときどきの思考の進み行きを吐露されていました。それを読むのも,わたしの日課になっていました。そのころのブログに「何だか毎日書くはめに」というタイトルのものがあって,ニンマリと笑ってしまったことを覚えています。そのブログもこの本のなかに収載されています。その日付をみると〔2011.4.19.〕となっています。

 この本のタイトルとなった第二章は,「烈震,日本を変える未曾有の危機」〔2011.3.15.〕からはじまり,「原発維持のあらゆる口実は破綻」〔2011.7.28. 〕までの4カ月余の,まさに「クロニクル」として書き綴られた断章からなっています。そこに,「すべて世はこともなし」〔2011.11.20.〕を加えて,第二章だけで100ページ余を占めています。一人の思想家が,日々,どのようにして思考を深め,格闘しながら,みずからのスタンスを模索し,確立させていくのか,その足跡が手にとるように伝わってきます。

 わたしは,この「クロニクル」のほとんどをすでに読んでいたはずなのに,こうしてまとまって提示されると,ふたたび新たな命を吹き込まれた(「ぷねうま(舎)」)かのように,これらの文章が躍動し,新たな意味を帯びてわたしに迫ってきます。そして,同じ時間を過ごしたはずのわたしの「クロニクル」はどうだったのか,と深く反省を迫られもします。

 この本は,この第二章をメインに据えていますが,序章 「未来」はどこにあるのか,第一章 文明の最前線から,で西谷さんの立ち位置が明確に示されています。その上で,第二章を置き,つづいて第三章 核技術のゆくえ,第四章 地震に破られた時間,または手触りのある未来,終章 ここにある未来──ジャン=ピエール・デュピュイとの対話,という具合に展開しています。こうして,わたしたちが,いま,どのような情況のもとに生きているのか,をもののみごとに分析してみせてくれています。そして,遠いさきにあるべきはずの「未来」が「破局(カタストロフィ)」という姿で目の前に出現してしまった「いま」,わたしたちに残された道は,この「破局」をいかにして「さきのばし」にすることができるか,ここに全知全能を傾けるべきではないか,と西谷さんは主張されているように,わたしは受け止めました。

 お薦めの一冊です。ぜひ,書店で手にとってみてください。今日(20日)発売です。

 最後に,表紙カバーの折り返し(内側)のところにあるコピーを引いておきたいと思います。

 大洪水があらわにしたもの,それは隠されていた社会と文化の根だった。
 逃げず,囚われず,全力で破局と対決する,危機の思考。

 あのとき,社会はどう動き,政治は何をし,文化はどんな顔をしてみせたか。
 刻々と移ろう状況と真剣に向き合うこと,それがそのまま思想の崖っぷちに
 立つことだった。見る間に決壊したのは,豊かな資本主義,科学文明の進歩,
 明るい未来という幻想だ。そして人びとは,瓦礫となった世界像を前に,
 新しい価値を手探りしなければならない。

 千年の曲がり角の由来と,生きることの意味を探す。破局のドキュメント。

 以上です。

2014年6月19日木曜日

新国立競技場の基本設計の説明資料に「誤記」とJSCが公表。ほんまかいな?

 政権が暴走をはじめたせいか,いよいよ国としての骨格がぐらつきはじめている。それはなにも今に始まったことではないが・・・・。あえて指摘するまでもなく,経済産業省・東電を筆頭に,官庁も病院も大学も,ありえない「誤り」の事後報告が相次いでいる。かつては,ほんの例外でしかなかった不祥事が,いまや日常化してしまっている。もはや,どこもかしこも信用できない世の中になってしまった。情けないことに・・・。

 いま話題になっている新国立競技場の建造をめぐる「疑惑」もまた同様である。とりわけ,コンペの審査段階からこんにちまでの審議の過程も疑惑だらけである。そのことが,専門家たちの監視のもとで,つぎつぎに明らかになってきている。詳細ははぶくが,もはや,ありえないことが堂々と表通りを闊歩している。しかも,この案件は文部科学省の下部組織であるJSC(日本スポーツ振興センター)が取り扱っており,そこでの不祥事の連鎖である。

 今回は,新国立競技場の基本設計の説明資料に「誤記」があったと,その資料作成責任者であるJSCが18日に公表した,と東京新聞が報じている。しかも,その「誤記」が取り壊しが予定されている現国立競技場の「高さ」の表記にあった,というのである。それも,表記の誤りを見つけた建築史家の松隈洋京都工芸繊維大学教授の指摘を受けて,JSCは調査し,測量の結果,訂正した,というのである。

 もう,あきれ果ててものも言えません,という気分である。いな,怒り心頭に発する思いだ。


 なぜなら,この「誤記」には確信犯的な匂いがふんぷんとしているからだ。
 それは,上の新聞の切り抜き写真を見ていただければ,だれの眼にも明らかだ。

 たとえば,新国立競技場の高さは「約62m」と表記されていること。これが審議資料として用いられたというのである。いま,一般に公表されている高さは「約70m」。

 もっと酷いのは,現国立競技場の高さ表記である。訂正前の約56mが訂正後は52.32m(照明塔),そして,スタンドの高さは訂正前約31m,訂正後は27.76m。

 これが「誤記」だというのである。JSCの説明は,「過去の資料を基に3年前に作製した図面にミスがあり,今回も見逃した」というのである。

 まるで,「3年前に作製した図面」のせいだ,といわぬばかりである。では,3年前にだれが,どういう目的でその図面を作製したのか,それをだれもチェックしていなかったのか。しかも,3年間,その図面がなんらかの目的で用いられてきたというのであれば,その責任をこそ追求すべきではないのか。しかも,今回もまた,審議資料として使用済だ。この間違った資料にもとづいてくだされた判断は御破算にして,もう一度,審議をやり直すべきではないのか。

 それにしても,訂正前と訂正後の「誤差」が大きすぎる。こんな杜撰な図面管理がなされてきたとすれば,それこそ大問題だ。しかも,基本設計の承認を求めるための説明資料の「誤記」である。そこには,どう考えてみても「意図的な改竄の意志が働いていた」としか思えない。それを隠すために,過去の図面の誤りに責任を転嫁しているのではないか,と。

 もし,ほんとうに過去の図面作製の誤りだとしたら,そんな杜撰な管理しかできないJSCという組織そのものの能力が問われることになる。こんな杜撰な組織体が東京五輪開催のために,きわめて重要な役割をはたすことになっているのだ。しかも,文部科学省の直下の組織体である。こんなことでは,東京五輪開催もお先真っ暗としかいいようがない。

 ここは,やはり,振り出しに戻って,現国立競技場の改築案で治めるべきではないか。新宿区と渋谷区の「景観審議会」が良識を発揮し,しっかりとした議論を積み上げていく,その踏ん張りを期待したい。しかも,その議論は公表して欲しい。つまり,公表できるような内容のある議論を積み上げて欲しい,ということだ。

 これからも見張りをつづけたい。

「古代ローマのキルクス(戦車競技場)」。

 隔月で『SF』(Sports Facility)に連載している「絵画にみるスポーツ施設の原風景」の第32回目に取り上げたのが,この「古代ローマのキルクス(戦車競技場)」。


 この図像につけたキャプションは以下のとおりです。

 「パンとサーカスを!」というよく知られたキャッチ・フレーズがあります。古代ローマの帝政時代に,ローマ市民が,時の皇帝に向かって要求した言葉だと言われています。パンとは食料のこと,サーカスとは娯楽のこと,すなわち,”食べ物と娯楽をわれらに与えよ!”と要求したというわけです。

 サーカスという言葉の語源は,前回触れましたように,キルクス(circus)というラテン語を英語読みしたことから始まります。そのキルクスの原点が,今回取り上げた図像です。すなわち,戦車競技場。精確に言えば,4頭立ての戦車競走を行う専用競技場ということです。図像をよくご覧ください。競技場の中央に横一列にさまざまなモニュメントを飾った仕切りがあります。この仕切りの周囲を4頭立ての戦車が7周して,その速さを競う競技,それがキルクス競技です。

 このキルクス競技の見どころは,この仕切りの両端を鋭角に廻るコーナリングにあります。4台の戦車が走りますので,このコーナーは大変なことになります。そこをなんとか凌ぎきることが腕の見せどころというわけです。

 コーナーでは大変なデッドヒートが展開されます。この両端の空間(スペース)のことをアリーナ(arena)と呼んでいました。アリーナというラテン語は「砂」という意味です。このコーナリングで鎬を削るスペースに砂をまいて,さらにコーナリングを困難にしたのでしょう。これが,こんにちのアリーナの語源です。

 4頭立ての戦車は,当時の最先端技術の粋を結集した戦闘用の武具でした。この4頭立て戦車の性能と操作技術が,古代ローマ帝国の圧倒的な戦力となっていました。ですから,時の皇帝は,一方では「パンとサーカスを!」という市民の欲望に応えつつ,賭け金で巨大な収益を手にし,他方では,優秀な戦士の養成と性能のいい戦車の開発に勤しんでいた,というわけです。

 このように両者の利害が一致していましたので,キルクス(戦車競技場)はローマ帝国の力の及ぶ広大な植民地の隅々にまで建造され,盛んに行われていました。まさに,キルクス競技,恐るべしです。同時に,古代のスポーツとはそういうものだったのだ,とも言えます。

 以上です。

2014年6月18日水曜日

太極拳の呼吸法は逆呼吸です。李自力老師語録・その46.

 一般的に呼吸法には順呼吸と逆呼吸のふたとおりの方法がよく知られています。順呼吸は,いわゆる腹式呼吸のことで,吸い込んだ吸気を丹田にため込んでいき,いっぱいになったところでそれを吐き出します。逆呼吸は,文字通りその逆で,吸い込んだ吸気を丹田よりも上のところにため込んでおき,それを吐き出すときに丹田をふくらませていきます。つまり吸気のときに丹田をへこませて,呼気のときに丹田をふくらませる,というわけです。

 なぜ,太極拳はこの逆呼吸をするのか。その理由は以下のとおりです。

 太極拳は,断るまでもなく,武術です。武術は技を仕掛けたり,力を出すときには丹田の力が必要です。ですから,技を仕掛ける前の段階で吸気を行いながら,丹田を空っぽにしていき,技を仕掛けるときに呼気とともに一気に丹田に力を籠めます。そして,切れ味の鋭い技が繰り出されるという次第です。

 しかし,24式のようなゆったりとした動作で行う太極拳の場合には,この吸気と呼気を,その動作に合わせてゆっくりと行います。24式の動作も,必ず,技を仕掛ける前の段階の準備局面と直接技を繰り出す主要局面とが交互に組み合わさっています。ですから,この動作に合わせて吸気と呼気をゆっくりと行うことになります。

 この際に重要なことは全身の力をできるだけ抜いてリラックスさせることです。からだの無駄な力みが抜けないとこの逆呼吸をスムーズに行うことはできません。ですから,逆呼吸を身につける前提は「脱力」です。ということは,筋肉の力を頼りに動作を行うのではなく,意識(イメージ)に導かれるようにして動作を行うことが重要になってきます。

 このようにして逆呼吸を身につけると,太極拳の動作が一変します。

 動作全体が大きくみえるようになると同時に,動作のメリハリがはっきりしてきます。つまり,吸気のときの動作と呼気のときの動作のメリハリです。すなわち,技の切れ味です。ゆったりとした動作なのに,力強さが浮き彫りになってきます。これが武術である太極拳の本来の動作である,というわけです。

 如是我聞。

2014年6月17日火曜日

「IWJ」で集団的自衛権に反対する記者会見(山口二郎,小森陽一,西谷修さんほか)を視聴することができます。

 少し前の話になりますが,6月13日に「立憲デモクラシーの会」(代表・山口二郎)が東京都内で記者会見を行ったときの映像が「IWJ」を検索すると視聴することができます。

 冒頭で,山口代表が集団的自衛権のどこが問題なのかということについての総論を展開,そのあと,西谷修さんを筆頭に,着席の順番にひとことずつコメントがありました。こういう記者会見のときのコメントの仕方というものは難しいものだなぁ,とあとになって気づきました。というのも,数日するとだれがどんな話をしたのか,ほとんど忘れてしまうからです。

 ところが,西谷修さんと小森陽一さんのお話は,とても鮮烈に記憶に残るものでした。やはり,役者が違うという印象を受けました。ものごとの本質をずばりと見抜く力,それを伝える弁舌の切れ味,情熱的な魂,などさまざまな要素が組み合わさって,聞く人のこころを捉え,動かすものなのだということがよくわかりました。そんなことも兼ねてぜひ視聴してみてください。

 さて,集団的自衛権容認・行使のなにがいけないのか。

 トップを切ってお話された西谷修さんの論旨のなかで,わたしの脳裏に深く刻まれたのは以下のような内容でした。

 第二次世界大戦の敗戦国日本が,国際社会から高く評価され,信頼される国となりえたのは,ひとえに戦争をしない国としての姿勢を貫いてきたことにある。つまり,憲法第9条の精神をしっかりと受け止め,守り,いかなる戦争にも参加しないという強い決意が国際社会のすみずみにまで浸透したからである。しかし,集団的自衛権の容認・行使ということになれば,これは憲法9条の精神を無視して戦争ができる国家へと大きく転身することを意味する。となれば,この世界に類をみない国家としての貴重な財産を,一夜にして失うことになる。そして,これまでの威信を失い,アジアの片隅に位置するごくふつうの俗なる国家へと転落していく。となれば,もはや世界から無視され,近隣諸国からも敵対視され,孤立化への道をたどるしかなくなるだろう。
 もう一点は,近くに友人をつくらないで敵にまわし,遠くの友人のために戦争をするという愚挙をどんなことがあっても排除しなくてはならない。地理的にもっとも近くて,歴史的にももっとも交流の深い韓国・中国をなぜ敵にまわさなくてはならないのか。集団的自衛権の容認・行使は,その姿勢をより鮮明にするものでしかない。しかも,そのことをアメリカは望んではいない。むしろ,危惧している。にもかかわらず,安倍政権は戦争のできる国家への道をまっしぐらである。
 そうではなくて,これまでどおり憲法9条を護持し,近隣の友人を大事にする外交努力を展開していくことこそが喫緊の課題ではないか。
 この集団的自衛権という考え方そのものが本末転倒もはなはだしい,とんでもないものであり,戦後の日本の歴史を一気に逆転させる暴挙としかいいようがない。したがって,なにがなんでもこの暴挙を認めるわけにはいかない。

 というような内容にわたしの耳には聞こえました。あとは,「IWJ」でご確認ください。

 もう一人の小森陽一さんのお話もインパクトの強いものでした。こちらは残念ながら割愛させていただきます。どうぞ「IWJ」でご覧になってみてください。時間は全体でほぼ1時間です。

「パニックの由来である牧人(パン)たちの神パンは,半人半獣(山羊),素晴らしい音楽家,分け隔てなき者,大のニンフ好き」(J.P.デュピュイ)。

 表記の文章は,J.P.デュピュイのテクストからわたしが切り取って手を加えていますので,もともとの文章をその前の部分も含めて転記しておきたいと思います。

 ヒエラルキー的秩序の崩壊に伴う危機には,ギリシア神話から伝わるひとつの名前がある。パニックという。神話はもちろんのこと外部性しか見ておらず,暴力的な解体の科(とが)をパンという神に負わせる。だからパニックの原因はパンだということにされる。その名の由来でもある牧人(パン)たちの神パンは,半人半獣(山羊),すばらしい音楽家,分け隔てなき者,大のニンフ好きで,かれが藪の陰から現れると,それが不意の恐慌を引き起したと伝えられる。(P.12.)

 「ヒエラルキー的秩序」については,きわめて重要な概念ですので機会をあらためて考えることにして,ここでは「パニック」に焦点を充ててみたいと思います。

 「パニック」の語源がギリシア神話に登場する神パンにあることは,恥ずかしながら,知りませんでした。ですので,そのあとにでてきます「神パンは,半人半獣(山羊),すばらしい音楽家,分け隔てなき者,大のニンフ好き」という紹介に,目が釘付けにされてしまいました。「半人半獣」は多くの絵に描かれていますので,これは承知していました。それと「大のニンフ好き」というのもなんとなく承知していました。しかし,「すばらしい音楽家」と「分け隔てなき者」ということは不覚にも承知していませんでした。とりわけ,「分け隔てなき者」という説明には「ギクリ」とさせられました。これはいったいどういうことを意味しているのか,と。

 そこで,はたと思い出したのは,画家のピカソが絵のモチーフの一つとして「半人半獣」を好んで登場させ,多くの作品を残していることでした。そうして,そればなぜだろう,とぼんやり考えてみました。すると突然,あっ,そうか,ピカソは「半人半獣」の神パンが大好きで,ある特別のシンパシーを感じ取っていたのに違いない,と気づきました。そして,同時に,ひょっとしたらピカソ自身がみずからを「半人半獣」だと自覚していたのではないか,と。だとしたら,「半人半獣(=人間),素晴らしき画家,分け隔てなき者,大のニンフ好き」=パブロ・ピカソ,という等式が成立することになります。つまり,神パンは自分自身の分身だ,とピカソは認識していたのではないか,と。

 ということは,「半人半獣,素晴らしき〇〇〇(学者,企業家,宗教家,アスリート,などなんでも可),分け隔てなき者,大のニンフ好き」という具合に普遍に開いていくことができるのではないでしょうか。ということは,神パンとは,人間の剥き出しの姿であり,ある意味での人間の「理想」の姿を「外部化」した象徴ではないか,というように見えてきます。

 ということは,わたしたち人間は,「分け隔てなき者」にはなかなかなれませんが,少なくとも「素晴らしき〇〇〇」にはなりたいと日々努力を惜しみません。近代社会は「素晴らしき〇〇〇」になるべく,努力せよと教え,「勤勉のエートス」(マックス・ウェーバー)なるものに価値をおいてきました。その結果が,こんにちのわたしたちの姿(=人間の姿をした脱け殻)以外のなにものでもありません。なぜ,そうなってしまったのか。

 それは,第一には,わたしたち近代人はすべからく「半人半獣」であることを恥ずべきこととしてひた隠しにしてきたこと,第二には,「大のニンフ好き」であるにもかかわらず,さもそうではないかのように振る舞うことを美徳としてきました。第三には,「分け隔てなき者」は口では高く評価しつつも,それを実現し,讃える文化装置をどこかに置き忘れてきてしまいました。それは科学的合理性とは相容れない要素だったからです。

 しかし,この事態はどうも近代にはじまったことではなく,ギリシア神話の時代にすでに,人間は本来のありのままの姿をどこかにひた隠しにする習性をいつのまにか身につけていたのではないかと思います。ですから,人間本来の剥き出しの姿=「半人半獣」の姿のまま,それをひた隠しにして慎み深く生きている人びとの前に突然現れると,人びとはびっくり仰天して,恐慌状態になり,パニックを起こした,ということなのでしょう。

 この習性はこんにちのわたしたちにも「刻印」され,継承されているといっていいでしょう。しかし,わたしたち自身もまた本来は「半人半獣」であることをすっかり忘れてしまって(あるいは,けしてそんな存在ではないと信じているかもしれません),野蛮で,獰猛な,変な生きものとして,つまり,完全なる「他者」として,自己から排除し,隠蔽してしまっている,といっていいでしょう。ですから,こんにちでも「半人半獣」がそのままの姿で目の前に突然現れたら「パニック」になるでしょう。

 つまり,パニックとは,人間の内なる他者,すなわち「獣性」が剥き出しのまま,ある打撃を加えられることによって,みずからの「獣性」が喚起され,一気に噴出すること,そういう経験の謂いだということになります。この問題はここではこの程度にして収めておき,また,いつか,スポーツの場面に引きつけて,もっと躯体的に深く考えてみたいと思います。

 ここでは,わたしたち自身が「半人半獣」であるということを包み隠さず認識し,可能なかぎりありのままの自分を生きることを心がける人でないかぎり「分け隔てなき者」にはなれないのだ,ということを強調しておきたいと思います。ピカソもまた,その意味で,ぴったりの人物だったということもできるのではないでしょうか。

 わたしたち人間は,どこまでいっても,半分は「獣」であることから解放されることはありません。ですから,「全人」と「全獣」との間を人目をはばかりながら,往復しつつ「生」を営んでいるというのが正直な姿なのでしょう。つまり,人間は「人」と「獣」という相容れない要素を「含みもつ」(contenir)存在である,というわけです。「含みもつ」(cotenir)というフランス語には「くい止める」「抑え込む」という意味内容があるということですので(デュピュイ),わたしたち人間としての存在様態を表現することばとして,みごとなまでにぴったりであることがますます明瞭になってきます。

 ここまで考えてきますと,なんだか,喉にひっかかっていた魚の骨がポロリと取れたような爽快感にひたることができるのではないでしょうか。

 じつは,この「含みもつ」ことが,デュピュイが重視するデュモンの「ヒエラルキー」の概念の中核をなしていて,人間の社会を安定的に構成するためのキー概念である,ということのようです。この問題については,稿をあらためて考えてみたいと思います。

2014年6月16日月曜日

新国立競技場にストップをかけるための関門のひとつは「景観審議会」(新宿区と渋谷区)。

 昨日(15日)の神戸からの帰えりの新幹線の中でうとうとしていたら,突然,携帯が「ホウホケキョ」と鳴きました。友人のNさんから。「いま,どこ?」「新幹線のなか」「どの辺?」「琵琶湖の辺り」「新国立競技場に関するシンポジウムがあるので,詳しい情報はメールで。ネットで流れるはず」「あ,ありがとう」。

 帰宅してすぐパソコンを立ち上げ,Nさんからのメールを確認。アドレスが書かれていたので,すぐにクリック。前半はすでに終わっていましたが,後半を視聴することができました。前半の槙文彦さんと森山高志さんが視聴できなかったのは残念ですが,後半だけでもたいへんいい勉強になりました。司会は森まゆみさん。

 主催は市民団体「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」。今日(16日)の新聞によれば,このシンポの概要は「会」のホームページで閲覧できる,とのことです。ネットでこのシンポを中継したのは「IWJ」。たぶん,しばらく経てば(整理がつけば),IWJのホームページから,シンポの全容を流してくれるのではないかと思います。これまでの重要な記者会見やシンポのほとんどがこのホームページで視聴することがてきます。

 さて,わたしが視聴できた範囲でのツボを紹介しておきたいと思います。

 一つは,新国立競技場の基本設計を承認するかどうかを決める最後の関門は「景観審議会」だということ。この「景観審議会」は新宿区と渋谷区の両方の区に設置されていて,それぞれに審議が行われるとのこと。これまでは,東京都が「景観審議会」を設けて,新しく建てる大きな建造物についてはすべて「景観チェック」をしてきたのですが,いまは,それが各区に下ろされて,個別に審議を行うのだそうです。で,この新国立競技場の建設予定の敷地が,新宿区と渋谷区の二つの区にまたがっているために,両方の区の「景観審議会」でそれぞれに審議する,というのです。

 さて,そこで問題になるのは,神宮外苑の風致地区の高さ制限が15mから75mに変更になった手続が,コンペ結果のあとに行われた「後追い」変更であった,という点。しかも,一気に「5倍」もの高さを承認したことの異常さです。せめて「倍」の30mくらいならまだしも,いきなり75mまで引き上げる根拠は,少なくとも「景観」という観点からはでてきません。ここのところを「景観審議会」はどのように判断するか,というきわめて常識的な厳正さが求められているというわけです。ごくふつうの「常識」を最優先にして審議していただきたいものだと思います。

 もう一点は,地域住民がどのようにこの「景観」問題を受け止めているのか,ということが大きなポイントになるとのこと。ここで大きな住民反対運動が起きると,IOCも慎重を期することになる,ということです。その理由はあとで触れます。ですから,まずは,地域住民の反対運動がこれからどのように立ち上がってくるか,これが大きなキー・ポイントとなるということです。ここはなにがなんでも,新宿区と渋谷区の区民のみなさんに頑張ってもらいたいところです。方法は,区および区長,区議会および議員,景観審議会委員あてに,嘆願書を提出すること,そして,区民集会を開き,意志表明の行動を起こすことだ,とのことです。もちろん,区民以外の人も個別に,あるいは,団体として,嘆願書を提出することも必要です。

 もう一点は,IOCへの働きかけです。IOC憲章は,1990年に策定したアジェンダで「スポーツ・文化・環境」の三つを重視することを決定し,公開され,このIOC憲章のアジェンダがこれまでも大きな力をもってきました。このアジェンダに違反する場合には,積極的にIOCが関与し,改変を求めてきたという実績をもっています。しかも,今回の新国立競技場の基本設計は,このアジェンダで指摘している「環境」に違反しているとシンポジストの一人,原科幸彦さんは主張しています。のみならず,原科さんはIOC会長宛に,抗議文を送ったと発言されていました。そして,これからも新しい事実が明らかにされ次第,その事実をIOC会長に直訴するつもりだと断言していました。

 ここにはとてもすべてを書くことはできませんが,あとは,IWJの流すこのシンポジウムの全容をご確認ください。新国立競技場の建造をめぐっては,まことに信じられないような手続の隠蔽やごまかしや,常識はずれの会議(議事録)やが入り乱れている実態も,このような専門家集団の調査・研究をとおして明らかになってきています。「めちゃくちゃなプロセス」(原科)に怒りを覚えるとも。その根拠に,愛知万博のときに深くかかわり,徹底して手続論を主張し,議論を何回もやり直し,みんなが合意にいたるまで全員が努力した,そのときはこういう経過をたどったというサンプルを提示されています。

 まずは,わたしたちも一人ひとりのレベルから意思表明をしていくことが肝要だと,このシンポを視聴して思いました。そして,まずは,両区の「景観審議会」にプレッシャーをかけることからはじめることだ,と。

 まもなく,IWJでこのシンポが流れると思いますので,わたしも,もう一度,全容を確認したいと思っています。みなさんもぜひ視聴してみて,考えをまとめてください。その上で,どのような行動をとるかは一人ひとりの自由です。少なくとも,考えるところまではお願いいたします。

2014年6月14日土曜日

「スポーツ大会は,それを活気づかせている競争熱がある限界を超えてしまうと大混乱になる」(J.P.デュピュイ)。

 表題にかかげたJ.P.デュピュイの文章はいささか圧縮してあるので,もう一度,テクストどおりの文章をここに引いておきたい。

 スポーツ大会は,地震に襲われてもパニックに抵抗するが,それを活気づけている競争熱がある限界を超えてしまうと,死者が出るような大混乱になるはずだ。(P.13.)

 以上がデュピュイの書いた地の文章である。かれは,デュモンの提示した「ヒエラルキー」(聖なる秩序)について詳細に分析したのちに,パニックが起こるのは「ヒエラルキー」(聖なる秩序)の崩壊にその原因があると指摘した上で,そのサンプルとして「スポーツ大会」の折にしばしば起こるパニックについてとりあげている。

 この文章で興味深いのは,スポーツ大会が地震に襲われたときのパニックにはかなりのレベルで抵抗する能力を人びと(人間集団)は持っているが,スポーツ大会を活気づけている競争熱(熱狂)がある限界を超えてしまうと,もはや,手のつけられない(死者がでるような)大混乱になるはずだ,と推理している点である。

 このことは,いまはじまったばかりのサッカーW杯のことを念頭におくだけで,容易に理解することができる。サッカー場では,これまでにも観客を定員以上に入れてしまったためにスタンドが崩落して大混乱になった,というような事例はいくらでもある。しかし,この場合の混乱はその場でなんとか収めようとする人間集団の力学がはたらく。しかし,過剰な競争熱や熱狂がある限界を超えてしまうと,これはもはや押さえがきかなくなり,コントロール不能に陥る。その上,しばしば,サッカー場の外にでてからもつづき,さらに街頭にまで広まっていくことも少なくない。フーリガンと呼ばれる人たちの行動がそれである。

 では,なぜ,フーリガン的な無秩序な振る舞いが,ある日,突如として現出することになるのか。その引き金を引くきっかけはなにか,これまでにもさまざまな研究があり,諸説が並び立っている。しかし,なるほどと得心のいく説明にまだ出会ったことがない。その点,デュモンの「ヒエラルキー」(聖なる秩序)の考え方を援用したJ.P.デュピュイの思考のレベルまで掘り下げていくと,これまでとはまったく違ったフーリガン問題に関する新たな知の地平が浮かび上がってくる,ということがわかり,いささか興奮してしまう。

 以下は,J.P.デュピュイの言説に寄り添いながら,わたしなりの解釈とそれに基づく推論を展開してみたものである。

 パニックを引き起こす要因は,それを封じ込むための法秩序のなかに,あらかじめ「含み抑えられて」いる。だから,ひとたび,熱狂がある限界を超えてしまうと,法秩序のなかに「含み抑えられ」ていた「内的な悪」が一気に噴出してくる。しかも,それは「全幅の破壊的力をもって広がるのだ」という。そして,ついには「死者の出るような大混乱」になるはずだ,とデュピュイはいう。「魔物が瓶から飛び出したのだ」と。

 そして,さらにデュピュイはつぎのように論を展開していく。

 「それぞれの人間の混乱した振る舞いと出現する秩序とのあいだで,関係は自己超越のかたちをとる」。(P.13.)

 つまり,出現途上の秩序は個々人の振る舞いをみかけ上の外部から統御するように見受けられるけれども,じつは,それは同じ個々人の振る舞いが協働した結果なのだ,という。つまり,人びとの無秩序な振る舞いは自己超越のかたちをとる,と同時に,出現する秩序もまた自己超越のかたちをとる,というのである。別の言い方をすれば,個々人の振る舞いは無秩序そのものであるけれども,新たに生まれつつある秩序はそれをも「含みもつ」というのである。この場合の「含みもつ」には二重の意味がある。一つは,「くい止める」,もう一つは「抑え込む」(すべて,contenir という同じフランス語)という意味である。つまり,秩序は無秩序をも「含みもつ」,このとき起きていることは自己超越である。

 しかも,そこで起きていることは,「自分とは反対の無秩序を含んだ秩序なのではなく,規制されるべく自分から距離をとった無秩序,自分の外部に身を置いた無秩序なのである」(P.13.)という具合である。ここまでくると,無秩序が単なる無秩序ではなく,自己超越した無秩序であることがわかってくる。そして,この自己超越した無秩序に,デュピュイは「聖なるもののかたち」を見届けている。

 一般に祝祭空間で繰り広げられる「馬鹿騒ぎ」のような,一見したところ無秩序(カオス)にみえるものも,その内実は,じつは,カオスとノモスのせめぎ合いであると同時に,お互いに自己超越しながら「協働」している,そういう関係なのだということがわかってくる。「聖なるものの刻印」の奥は深い。

 近代の法秩序は,前近代までの「聖なるもの」の力を全面的に否定して成立しているかにみえるけれども,じつは,前近代の「聖なるもののかたち」をしっかりと引き継いでいるということなのだ。もっと言ってしまえば,むかしから人間の考えること,やることは,根源的にはなにひとつ変わってはいない,ということのようだ。

2014年6月13日金曜日

人間集団の特性は,アルキメデスの物理学よりはミュンヒハウゼン男爵の離れ業に類している(J.P.デュピュイ)。

 人間集団の特性とはなにか,と問われて即答できる人はそんなに多くはいないと思います。さしずめ,わたしならしばらく考えて,集団心理のようなものを想定しながら,個を超えたなにかとんでもない力を生みだすこと,と答えるでしょう。つまり,個を超越した熱狂のようなものに身を寄せていくこと,というように。

 しかし,J.P.デュピュイは,みずから問いをたてて「人間集団の特性は,アルキメデスの物理学よりはミュンヒハウゼン男爵の離れ業に類している」ともののみごとにバッサリと断言します。かんたんに言ってしまえば,人間集団の特性は,アルキメデスの物理学のように理路整然とした論理のもとにコントロールされるというよりは,ミュンヒハウゼン男爵の冒険のように現実ばなれした離れ業の方に類している,というわけです。

 もう少し踏み込んで考えてみましょう。
 アルキメデスといえば,お風呂に入るときに浴槽から溢れでる水からヒントを得たといわれる浮力の原理(アルキメデスの原理)やてこの原理がよく知られています。つまり,ものごとにはかならずきちんとした因果関係がある,ということを追求した人というわけです。

 それに引き換え,ミュンヒハウゼン男爵の冒険は,日本では『ほら吹き男爵の冒険』(ビュルガー編,新井訳,岩波文庫)としてよく知られているように,現実にはありえない奇想天外な冒険譚を集めた「ほら話」です。たとえば,一直線の隊形をとって飛んでいた8羽の雁をたった一発の銃弾で全部撃ち落とした,というような調子です。つまり,このような話のことをJ.P.デュピュイは「離れ業」と呼んでいるわけです。

 ここからみえてくることは,アルキメデスの追求した合理性の世界よりも,ミュンヒハウゼン男爵の冒険譚で語られる非合理的な「離れ業」の方に,人間集団の特性は類している,とJ.P.デュピュイが言っているということです。

 デュピュイ自身はつぎのように説明をしています。

 アルキメデスは世界を自分の腕力だけで持ち上げることができると考えたが,ただしその場合には梃子と外部の支点が必要だった。ところがミュンヒハウゼン男爵のほうは,沼にはまって,自分の髪の毛を引っぱって体を引き上げたとか,また別のヴァージョンによればブーツの紐を引っぱって,首尾よく窮地を脱したというのである。かれはきっと分身の術でも使って,自分のいわばアルター・エゴの体の一部をつかむ手を見つけたのだろう。このような奇術はもちろん不可能だ。とはいえやはり,人間の集団はこれと同じような離れ業をやってのけることができた。それがおそらくは,この集団が社会となるための条件だったのだ。

 この引用文の最後のところで,はっと虚をつかれるような文章がでてきます。それは,不可能な離れ業を,人間集団はやってのけることができた,と断言した上で,「それがおそらくは,この集団が社会となるための条件だったのだ」というくだりです。

 ここは慎重を要するところです。つまり,人間は集団になると「不可能な離れ業」をやってのけることができるということ,そして,この「離れ業」こそが,人間の集団が「社会」になるための条件だった,というのです。つまり,個々の人間があつまって集団を形成すれば,そのままそれが「社会」になるという単純な話ではない,ということです。そこには「離れ業」が必須の条件として機能していたのだ,とJ.P.デュピュイは言っているのです。

 そして,このような発想はわたしの専売特許というわけではないとした上で,以下のような哲学者たちの名前とキー概念を提示しています。

 ヘーゲル=「自己外化」(Entaeusserung)
 マルクス=「疎外」(Entfremdung)
 ハイエク=「自己超越」(self-transcendence)
 ルイ・デュモン=「ヒエラルキー」(聖なる秩序)

 ここにわたしとしては,以下のような人物の名前とキー概念を挙げておきたいと思います。
 ハイデガー=「脱自」「脱存」(Ekstase)
 バタイユ=「恍惚」(extase),「横滑り」
 ル・クレジオ=「物質的恍惚」
 西田幾多郎=「絶対矛盾的自己同一」
 老子=「無為自然」(むいじねん)
 道元=「只管打坐」「禅定」
 釈迦=「解脱」
 以下,割愛。

 さて,このさきJ.P.デュピュイはどのような展開をみせようとしているのでしょうか。これからの楽しみに。

2014年6月12日木曜日

早くも「国立競技場解体工事入札不調」とか。お先,真っ暗。

 もうかなり前から新国立競技場の建造を引き受けるゼネコンはいないのではないか,という噂が流れていました。それは繰り返すまでもなく資材不足と人材不足のために,入札時のコストで完成させることは不可能だというわけです。しかも,新国立競技場のような巨大な建造物を完成させるには4年も5年もかかるといわれています。その間にも,資材も人材も不足し,経費も高騰していくのは目にみえているわけです。

 だから,ゼネコンの腰が引けている・・・と。

 と思っていたら,今朝の東京新聞は以下のように報じています。短い記事ですので,全文引用しておきましょう。

 「国立競技場の解体入札不調」
 「工事遅れも」
 2020年東京五輪・パラリンピックの主会場として改築される東京・国立競技場の解体工事の一般競争入札が,予定価格を上回ったため不調に終わっていたことが11日,分かった。
 国立競技場を運営する日本スポーツ振興センター(JSC)が9日付で公表した。7月に開始予定だった取り壊し作業が遅れる可能性が高まった。
 東日本大震災の復興工事などで工事費は高騰の傾向にあり,JSC関係者は「7月のできるだけ早い時期に再入札を図る見通し。条件を若干緩和してより広い事業者を対象にすることも考える」と話した。

 この記事から透けてみえてくることは,大手ゼネコンに限定して「一般競争入札」をしたが,いずれも「予定価格を上回った」ため,落札にいたらなかったこと。だから,もう少し「予定価格」を引き上げ,業者の枠も広げて,もう一度,再入札をする,ということ。

 もうすでにして,JSCの試算にもとづく予定価格とゼネコンの現実的な対応から割り出される予定価格との間には大きな誤差が生じている,ということでしょう。この誤差は年々大きくなっていくはず。だとしたら,JSCが,当初計算した予定価格は,とうのむかしに役に立たない数字になってしまっているということでしょう。

 東京都が予定している新築の会場建築費ですら,すでに倍増していることは昨日(11日)のブログに書いたとおりです。その高騰の速さは尋常でない現場の資材・人材不足が風雲急を告げていることのなによりの証拠。この流れはますます加速するとまでいわれています。いよいよ,外国人労働者の大量の雇用が視野に入ってきています。となると,現場はまたたいへんな負荷を背負うことになるでしょう。

 この調子では,なんとか苦労して国立競技場の解体は終わったものの,新国立競技場の建造の目処は立たない,などという事態も起こりかねません。

 この際,東京五輪開催計画の全体にわたって,抜本的な見直しをすることが喫緊の課題であることが,もののみごとに浮かび上がってきました。

 さて,どうする? 東京都,JSC,文部科学省,JOC,組織委員会,などなど・・・・・。

抗ガン剤治療,最初のワンクール(3週間)が終わる。後半の10日間がきつかった。

 昨日(10日)の夕食後の錠剤を飲んだところで,ようやく最初のワンクール(3週間)が終了。今日(11日)から抗ガン剤から解放されました。これから2週間が休息期間。そのあと2回目の予防治療に入ります。この間に,どこまで削り取られた体力(免疫力)をとりもどすことができるか,勝負どころということのようです。この2週間がうまくクリアできれば,つぎのワンクールにも自信をもって臨むことができるでしょう。

 振り返ってみますと,抗ガン剤を飲みはじめた1週間は,さほどの影響も出ず,この分なら大丈夫だと自信をもちました。そして,8日目に入院して,点滴による抗ガン剤の注入。このときも,意外に元気で,本ばかり読んでいました。担当のお医者さんからも,負荷が少ないようでよかったですね,と褒められてしまうほどでした。が,明日には退院していいですよ,と言われたその日の夕食から異変がはじまりました。

 まずは,極度の食欲の減退,下痢,頻尿。すぐに下痢止めの薬を飲んで,下痢は納まりました。が,翌日の朝も食欲の減退と頻尿は相変わらず。退院手続を済ませて,バス・電車と乗り継いで家へ。家に帰り着いたら頻尿は止まっていました。でも,食欲がありません。わたしとしたことが・・・と不思議でした。でも,無理にでもわずかばかりの食事はとるように努力しました。そして,気づいたのは味覚が鈍麻してしまっていること。

 それから,つぎつぎと抗ガン剤治療にともなうさまざまな症状が出現。まずは,顔の全体の色が黒ずんできたこと,とくに目のまわり。そして,以前からある顔の染みの色が黒ずんできたこと,額と鼻の頭のあたりの皮膚がヒリヒリすること,ときどき痒くなるので掻くと痛みを感ずること,難聴がすすんだこと,視力が落ちたこと,など。胃腸の調子も相当にレベルダウン。便秘と下痢を繰り返す。一番困ったことは,薬を飲んでしばらくすると頭がぼーっとしてくること,そして,なにもしたくなくなってしまうこと,などなど。

 この退院してからの10日間ほどは,じっと耐える毎日でした。でも,家にいてはよくないと考え,天気がいい日にはパソコンを背負って鷺沼の事務所にでかけ,ごそごそとなにかをするように努力しました。往復,軽く汗もかき,脚力の鍛練にもなり,なにより気分転換になることがわかってきました。それだけでもいいことなので,鷺沼にはつとめて通うことにしました。

 11日の朝から薬を飲まなくてもよくなりましたので,これからどんな変化がからだに表れるのか,大いに期待しているところです。夕食には,缶ビールを飲んでみました。それが,な,なんと,まったくビールの味がしません。うまくもなんともありません。気の抜けたビールよりももっとひどい味しかしません。でも,捨てるわけにもいきませんので,なんとか1本は飲み干しました。が,すでに顔は真っ赤。ウーン,いまのからだの状態はこんなものなのか,と確認。

 まあ,これからの2週間,慌てず騒がず,心静かにからだと向き合って過ごしたいと思います。たぶん,今日よりは明日という具合に日々少しずつ体調もよくなってくるのではないか,と楽観的に考えることにしています。また,そうでないとやってはいられません。まずは,味覚がもどってきてくれることを祈りたいと思います。

 こんなところが抗ガン剤治療の最初のワンクールの感想です。
 ひとまず,ご報告まで。

2014年6月11日水曜日

東京都,五輪施設見直しへ。ただし,新国立競技場は「国」に預ける,と。

 東京都の舛添知事が都議会の所信表明演説(10日)で,「東京五輪招致時点で作成した会場計画全体を見直す」と表明した,という。理由は,建設資材や人件費の高騰,ならびに大会後の利用見通しなどへの対応を再検討するため,という。

 よしっ! よくぞその気になってくれた,と喜んだのも束の間,新国立競技場は「国がやるべきだ」との立場(都知事)で,対象とするかどうかは明らかにしていない,という。もし,見直し対象からはずすということになれば,その意味は半減してしまう。ぜひとも,ここは東京都民のみなさんが立ち上がって,見直し要求をして欲しいところ。そして,そのためには都民以外のわたしたちも積極的に支援をしていきたいところ。踏ん張りどころだ。

 とりわけ,新国立競技場については,これを契機にして,すでに強い見直し要求を表明している建築家集団(槙文彦氏を筆頭とする)や市民運動(森まゆみ氏を筆頭とする)などが,息を吹き返し,さらに活性化することを期待したい。五輪施設会場計画見直しの核心は,なにをおいても,この新国立競技場の建造計画の見直しにあるのだから。メディアもこの新国立競技場の建造計画にフォーカスして,いろいろの立場の人びとの声を伝え,国民的な議論にすべく,ここは踏ん張ってほしいところだ。

 やはり,東京五輪はできるだけ多くの国民の合意のもとに開催されるべく,あらゆる努力を惜しむべきではない。これまでの密室での準備の進め方に大きな風穴を開けたという意味で,ひとまず,舛添知事には拍手を送っておきたい。が,問題は,これからだ。国におもねることなく,どこまでも主催都市とそれを支える都民の側に立つ,勇気ある決断をこれからもしていってほしい。

 今日の東京新聞の報道の一部を転載しておく。

 「見直し対象は競技会場37カ所のうち都が新たに建設する水泳などの10会場と,大会組織委員会が整備する仮設の11会場が中心。都は10会場新設などで整備費1,538億円を見込んでいたが,資材価格や人件費の高騰の影響などで3,800億円余に倍増しかねないとの試算もあり,経費削減することにした。」

 「来年2月に国際オリンピック委員会(IOC)に提出する開催基本計画に盛り込む。開催都市決定後の会場変更は12年ロンドン五輪でも先例があるが,国際競技連盟などの了解が必要。」

 「自然破壊のおそれがあるとして反対運動のあるカヌー・スラローム会場の葛西臨海公園(江戸川区)などが再検討の対象になる。」

 前都知事が,4,000億円の準備金があるので,資金には不足はない,と豪語していたが,たった10会場を新設するだけで底をついてしまうのだ。しかし,こんなことは素人にも予測できたことだ。東日本大震災の復興費用が雪だるま式にふくらんでいく背景には,資材不足と人材不足がある,と早くから報じられていたのだから。ましてや,手も足も出せないフクイチの事後処理には,それこそまったく予測のつかない額の資材・人材費が必要であることも,だれの目にも明らかだ。そこに,加えて東京五輪施設の建造である。それもとてつもなく巨大な新国立競技場の建造が待っている。

 こうなると,これからも増税につぐ増税がつづくことだろう。

 そこまで国民の負担を強いてまでして,東京五輪を開催する意義があるのか,というのが3・11以後の五輪招致運動へのわたしの疑問だった。それが,わたしの予測をはるかに超えたかたちで,すでに現実化してしまっている。しかも,これからもっと費用は嵩んでいくことだろう。となると,もはや夢も希望もない東京五輪が待っているとしかいいようがない。

 日本のメディアはほとんど報道しようとはしていないが,海外のメディアでは,ブラジルのサッカーW杯開催に対する根強い反対運動が展開されていて,開催期間中になにが起きるかわからないと報道している。そして,そのあとに予定されている五輪開催にも国民の多くは強烈に反対しているという。そんな金を使うのなら,その金を国民の医療や教育など福祉に回すべきだ,と。つまり,まずは「生活」が第一だ,と。そして,五輪開催のための会場準備もほとんど停滞したままだ,という。すでに,IOCは相当に危機感をいだいていて,五輪返上案も検討されているという。

 東京も「他山の火事」と傍観しているときではない。明日はわが身だ。

 それくらいの危機意識をもって,五輪会場全体の見直しに取り組んでほしい。とりわけ,新国立競技場については・・・・。

 舛添知事の手腕やいかに。

2014年6月10日火曜日

解釈改憲「ごまかし」,反対の学者グループが批判(東京新聞6/10)。

 今朝(6月10日)の東京新聞に,表記のような見出しの記事が写真入りで掲載されていました。共同代表の山口二郎さんのほかにも,西谷修さん,小森陽一さんといった知人の顔が並び,ひさしぶりににんまり笑いながらこの記事を読みました。「よーしっ,応援していくぞ」,と。

 
たぶん,東京新聞以外の新聞には掲載されていないのではないかと思い,紹介させていただきます。もっとも,ネットには,共同通信配信の記事(6月9日19時12分配信)が流れていますので,そこですでにご存じだった方も少なくないと思います。同時に,一部の地方の新聞にも共同通信配信の記事として掲載されたのではないかと思います。使っている写真もまったく同じです。

 さてはて,このところ連日のようにトップ・ニュース扱いをされている解釈改憲による集団的自衛権の行使容認に関する議論。そのあまりのお粗末さにはあきれ返るしかありません。しかも,それに歯止めをかけることのできる政党もなく,まさに自民党の独演会。しかも,それは国民の目をあざむくための「猿芝居」。議論のポイントを「ごまかす」ための意図的・計画的な独演会。

 それをまたぞろ,NHKがサポートしている,というのですから始末が悪いこと限りなしです。ことしに入ってとくに顕著になっているのが,NHKのニュースの流し方。記者会見にしろ,国会討論にしろ,どういう「質問」に対して,アベ君がどのように「応答」しているのかという全体像がまったくみえてきません。そして,アベ君の一方的な主張だけが流されます。すると,一見,じつにまともなことを言っているように聞こえてしまいます。しかし,そうではありません。

 YouTubeなどのネットを流れているまともな情報(質疑のやりとりを全部,ひとまとめにした情報)をみますと,アベ君がいかにトンチンカンな「応答」をしているかが,はっきりとみてとれます。たとえば,集団的自衛権についての記者会見などでも,記者の質問に,いかにも真っ正面から応答しているかにみせかけて,途中から一気に脱線していき,自分のいいたいこと,自分の頭にしっかりと刷り込んである得意な主張を繰り返します。どんな質問に対しても,ほとんど同じ応答の繰り返しです。記者も記者で,答えになっていないとか,応答の矛盾を突っ込んでいこうとはしません。みんな優等生ばかりです。あるいは,自発的隷従者ばかりです。

 国会での討論の質問と応答とがセットになった映像はほとんど流れてきませんのでわかりませんが,たぶん,同じことを,手を替え品を替えしながら繰り返しているだけではないか,と思われます。それはNHKのニュースをみていて推測できます。NHKは,アベ君のもっとも際立った言説だけを切り取って,そこだけを流します。それも「繰り返し」,一日中,流します。すると,それをみている視聴者は無意識のうちに「首相のいうことは正しいのではないか」という具合に無意識のうちに刷り込まれてしまいます。いわゆるマインド・コントロールです。

 一説によれば,メディア・リテラシーを想定した特訓が,相当,徹底して行われているらしい,ということです。たしかに,中味はなにもないのに,場合によっては嘘八百であるにもかかわらず,威風堂々と,弁舌爽やかに「言い切る」ことによって,聞く人を圧倒してしまう場面が,このところ際立って多くなっているように思います。

 その典型的な例が,IOC総会でのプレゼンテーションです。世界に向けて,堂々と胸を張って「under control 」と言ってのけたのですから・・・。普通の神経ではとても言えません。「猿芝居」と言われようが,「ごまかし」と言われようが,多数の支持を得られればそれでよしとする,この神経はまともではありません。病気というか,ほんとうの「バカ」というか,救いようがありません。

 そんな人がいま,集団的自衛権などというとんでもない憲法違反を承知で,解釈改憲(「壊憲」という人もいます)という屁理屈で押しとおそうとしているのですから,恐ろしいかぎりです。しかも,お目付役であるはずの法制局も抱き込んでしまって・・・。

 この「猿芝居」を,この国会期間中に結末をつけるというのですから,困ったものです。
 これからも,いろいろのデモが計画されています。そういう場に勇んででかけることのできる「からだ」ではないことをこころから悔やんでいます・・・・。でも,調子のいいときには・・・・と虎視眈々と狙っています。でないとやってられません。

『これでわかった!〔超訳〕特定秘密保護法』(明日の自由を守る若手弁護士の会著,岩波書店,2014年6月5日刊)を読む。

 書店に並ぶ数日前にとどく雑誌『世界』(岩波書店,定期購読)の編集後記(編集長・清宮美稚子執筆)を読んでいたら,その末尾に面白い文章をみつけました。引用しておきましょう。

 「・・・とりわけ理解しにくい「特定秘密保護法」の文章(しばしば条文だけでは完結せず,参照項目が入れ子状態になっているところもあり,読んでいて頭が痛くなる)を,万人にわかりやすい日本語に翻訳してくれたのだ(小社刊『これでわかった!超訳 特定秘密保護法』)。たとえば第25条。

 ≪第二十三条第一項又は前条第一項に規定する行為の遂行を共謀し,教唆し,又は煽動した者は,五年以下の懲役に処する≫(原文)→≪「秘密」を知ろうとして何人かで相談した人(共謀),「秘密」を漏らすように働きかけた人(共謀),「秘密」を漏らすように働きかけた人(教唆),「秘密」を漏らすようにあおった人(煽動)は,最大で五年間刑務所にはいってもらいます≫(超訳)。

 わざとわかりにくくしたとしか思えないような条文を,もののみごとにわたしたちの日常のことばに置き換え,単純明解に提示してくれた〔超訳〕の素晴らしさに感動すら覚えてしまいました。

 この法案の全文が新聞に掲載されたとき,これだけはなんとしても読んでおかなくてはと思い,何時間もかけて赤線を入れながら苦労して読んだ経験のあるわたしは(このことはブログにも書きました),編集長の清宮さんですら「頭が痛くなる」文章だと知り,少し救われました。しかし,苦労して読んだわりには,理解の方はいまひとつでした。ですから,この難解な条文を「超訳」によってわかりやすくしてくれたと知り,書店に走りました。

 そして,わたしの一番知りたかったこと,特定秘密とはどういうもののことをいうのか(第2章 特定秘密の指定等 の第3条 特定秘密の指定),というところから読みはじめました。そうしたら,なんだ,こんなかんたんなことだったのか,とこれまたびっくりでした。ので,そこのところがどのように〔超訳〕されているか,引いておきましょう。

 まずは,条文の方から。

 (特定指定の秘密)
 第三条 行政機関の長(当該行政機関が合議制の機関である場合にあっては当該行政機関をいい,前条第四号及び第五号の政令で定める機関(合議制の機関を除く。)にあってはその機関ごとに政令で定める者をいう。第十一条第一号を除き,以下同じ。)は,当該行政機関の所掌事務に係る別表に掲げる事項に関する情報であっな,公になっていないもののうち,その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため,特に秘匿することが必要であるもの(日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(昭和二十九年法律百六十六号)第一条第三項に規定する特別防衛秘密に該当するものを除く。)を特定秘密として指定するものとする。ただし,内閣総理大臣が第十八条第二項に規定する者の意見を聴いて政令で定める行政機関の長については,この限りではない。

 この条文の〔超訳〕は以下のとおりです。

 (特定秘密の指定)
 第3条
 1項
 大臣とか(注1)は,その官庁がやる仕事に関係する情報の中で,下のようなA・B・Cのすべての条件が揃っているものを「特定秘密」(これ以降は,この「特定秘密」のことを「秘密」といいます)として指定します。
 A 別表であげた「外交」「防衛」「スパイっぽい活動防止」(注2)「テロ防止」(注3)に関係する情報
            +
 B 一般に公開されていないもの
            +
 C それが漏れちゃうと日本の安全保障に大打撃があるから特に秘密にしなきゃいけないっていうもの
 ただし,総理大臣が,専門家の意見を聴いて(「情報保全諮問会議」を開きます),各大臣との話し合いで決めた「秘密」についての基準で,ここの官庁に「秘密」って指定させる必要ないんじゃないの? となっていれば,その官庁の大臣とかは「秘密」を指定することはできません。

 以上です。なんとすっきりすることでしょう。こんな風に〔超訳〕できるのであれば,正式の条文ももう少しわかりやすく書くことはできるはずです。でも,法律というものの性質上,厳密な表現を求められることを考えれば,そして,長年の慣行にしたがえば,そこから抜け出すことは容易ではないのかもしれません。それにしても,正式の条文の方は,どう考えても国民には理解不能の表現になるように,意図的・計画的に仕組んであるのではないかと思わざるを得ません。

 まあ,そうした議論はともかくとして,「特定秘密保護法」をかくもわかりやすく〔超訳〕してくれた本書は,わたしにとってはまことにありがたいプレゼントでした。同時に,この本を読んでいくにつれて,なんと恐ろしい法律を仕組んだものかと空恐ろしくなってしまいます。わたしたちの日常の会話ですら,あるいは,噂話ですら,刑務所行きの犯罪とされかねません。わたしのこのブログだって,いともかんたんに「教唆」「煽動」の罪に問われ,最大5年間,刑務所行き,なんてこともありうるとなると,とてもとても他人事では済まされません。

 あな,恐ろしや,恐ろしや・・・・・。

2014年6月9日月曜日

「辺野古に基地はいらない」(沖縄・意見広告運動・第五期)。東京新聞に全面広告。

 6月8日(日)の東京新聞・朝刊に,下の写真のような全面広告が掲載されていました。見た瞬間,わたしのこころは凍りついてしまいました。なぜなら,辺野古のことがいつのまにか視野から消えていたからです。その意味でも,この全面広告はわたしにとっては衝撃的でした。

 
わたしたち本土に住んでいる人間(ヤマトンチュ)は,無意識のうちに沖縄の基地問題のことを忘れがちです。日常的に基地のことを考える必要に迫られていないからです。しかし,沖縄の人びと(ウチナンチュ)にとっては,自分たちの土地を奪われた上に,四六時中,頭の上を米軍機が飛び交っています。のみならず,米軍兵士たちによる不祥事が頻発しています。それも敗戦後(1945年),ずーっとこんにちまでつづいています。

 その根幹をなすものは,日米安全保障条約であり,それよりもっと恐ろしい日米地位協定です。この二つの約束事が存続するかぎり,沖縄に未来はない,ということはもはや動かしがたい事実となっています。この重大な事実についても,ヤマトンチュのほとんどの人は認識していません。ですから,ウチナンチュが「見殺し」状態のままで放置されていることも忘れて平然と日常生活を営んでいます。かく申すわたしも大同小異です。ですから,この全面広告を目にしたときに,一瞬,ドキッとし,しばらく凍りついてしまった,という次第です。

 いま,議論されている集団的自衛権の問題も,もとを糺せば,日米安全保障条約を護持していこうという前提での議論です。しかし,ウチナンチュウは,この日米安保こそが諸悪の根源にあることを身にしみて認識しています。ですから,ウチナンチュウは「日米安保条約をやめて,日米平和友好条約の締結」を求めています。それを実現させないかぎり,いつまで経っても日本はアメリカの戦争に巻き込まれ,ともに戦わなくてはならない,すなわち,集団的自衛権の行使が必要となってきます。

 ですから,この全面広告のなかにも書き込まれていますように,「軍事力に頼らない平和を!」と訴えているわけです。

 この意見広告を隅から隅まで読み,かつ,沖縄・意見広告運動(第五期)のホームページも確認し,貧者の一灯ですが,わずかばかりの賛助金を送金しようと思っています。上の全面広告の下のところにホームページのアドレスが載っていますので,ご確認ください。

 なお,この意見広告は,琉球新報,沖縄タイムス,毎日新聞,東京新聞の各朝刊(6月8日)に掲載されたそうです。なぜ,本土の新聞社がこの2社だけなのか,ということも考えさせられます。

 また,関東と関西で「6.14第五期沖縄意見広告運動報告集会が開催されます。開催要領は以下のとおりです。

 〇関東集会
  日時:6/14(土)午後6時より
  場所:連合会館2階大ホール
 〇関西集会
  日時:6/14(土)午後5時30分より
  場所:協同会館アソシエ3階ホール

 以上,お知らせまで。

「宗教的なものの学と人間に関する学とがじつはひとつの学だったとしたら」(J.P.デュピュイ)についての私的読解。

 昨日のブログにつづいて,J.P.デュピュイの言説について考えてみたいと思います。テクストも同じ『聖なるものの刻印』──科学的合理性はなぜ盲目なのか(J.P.デュピュイ著,西谷修,森元庸介・渡名喜庸哲訳,以文社,2014年刊)です。

 J.P.デュピュイは,このテクストの冒頭で「人間の集合体とは神々を造り出すマシンだ」と言い切った上で,つぎのように問いかけます。

 「なぜそういうことになるのか。そのマシンはどんなふうに機能するのか。このような問いが人間と社会に関する諸学の核心にあってしかるべきだろう。科学が非宗教的であろうとするならばなおのことである。」

 近代に入って驚異的な進展をみた科学が,徹底して宗教的なものを排除してきたことは周知のとおりです。つまり,宗教的なものはすべて迷信であり,科学的根拠はなにもない,という理由のもとに。それでもなお,「人類の歴史をざっと見渡してみたときにくっきりと浮かびあがる」のは「人間の集合体とは神々を造り出すマシンだ」という真理はゆるがない,とJ.P.デュピュイは主張します。
だとしたら,その理由を問うことが不可欠だとした上で,この問いこそが「人間と社会に関する諸学の核心」にあってしかるべきだろう,と言います。そして,つぎのようにつづけます。

 「ところがそうなってはいない。宗教的思考の名残と見まごうものは何でも捨てて顧みないという,実証的精神の頑迷なまでの決意が,研究に値すると判断される対象の選択にも浸透しているのだろう。この実証的精神によれば,世界を宗教的に見る見方は,今日では時代遅れの逸脱だというのである。そしてそこから,宗教学にはたいしたことは期待できないと結論づける。ところがそれが間違っているのだ」。

 近代科学がよりどころとする実証的精神は,研究対象までも数量的合理化が可能なかぎられた部分に限定してしまいます。その上,さらに,「世界を宗教的に見る見方」は「時代遅れの逸脱だ」と決めつけてやみません。こうして近代科学のよりどころである実証的精神は「宗教学」を排除してしまいます。しかし,「それが間違っているのだ」とJ.P.デュピュイは主張します。

 その上で,つぎのように問いかけます。

 「もし反対に,宗教的なものの学と人間に関する学とがじつはひとつの学にほかならないとしたらどうだろう。もし,人間とは何かを知るためには,人間が神を発明したのは──そうだとして──なぜなのかを理解することがぜひとも必要だとしたら」。

 この問いは読者の関心を惹きつけるために,そして,問題の本質をわかりやすく浮き彫りにするために,J.P.デュピュイが,きわめて意図的に仕掛けた問いである,とわたしは受け止めます。そして,同時に,この問いは答えをも包含している・・・と。すなわち,「宗教的なものの学と人間に関する学はひとつの学にほかならない」,と。そしてさらに,「人間とは何かを知るためには,人間が神を発明したのはなぜかを理解することが必要だ」,とJ.P.デュピュイは言い切っているのだ,とわたしは受け止めます。

 そして,このことを明らかにするためにこのテクストを書いた,とJ.P.デュピュイはつぎのように告白しています。

 「この本で示そうとするのは,われわれが理性と呼んでいるものがもとは宗教的経験に根差しており,その消しがたい痕跡をとどめているということだ」。

 そうして,最後に,つぎのように言い切っています。

 「理性が宗教に自分とは無縁なもののように向き合って,それを体よく切り捨てようとするか,あるいは逆にそれと平和的共存のかたちを考えようとするとき,理性はただ単に自己背信に陥っているだけなのだ」。

 「理性の自己背信」・・・・,ここまでたどり着いたとき,ようやくJ.P.デュピュイの意図した「つぼ」が,わたしにもはっきりと見えてきました。そして,この視座こそが,近代を通過して,わたしのことばでいえばつぎなる時代である「後近代」にむけて,いよいよ突き抜けていくために不可欠な新たな「知」の地平であるに違いない,ということも確信することができました。

 今日のところは,とりあえず,ここまで。

2014年6月8日日曜日

「人間の集合体とは神々を造り出すマシンだ」(J.P.デュピュイ)についての私的読解。

 『聖なるものの刻印』──科学的合理性はなぜ盲目なのか(J.P.デュピュイ著,西谷修,森元庸介,渡名喜庸哲訳,以文社,2014年刊)を折に触れ読み,かつ考えている。訳者のお一人である西谷修さんによれば「J.P.デュビュイの思想の総集編であり,決定版」であるとのこと。別の言い方をすれば,「いま,世界で起きていることの根幹にかかわるもっとも透徹した思考」がそこに展開されているということである。

 それは書名からも明らかなように,「聖なるものの刻印」が,宗教性を排除したはずの科学的合理性のなかにもしっかりと引き継がれており,そのなによりの証拠が「科学的合理性」の盲目性だ,というわけである。つまり,科学が明らかにしたことはすべて正しいのだ,とする新たな信仰をそこに認めることができる,と。しかし,それは「間違っているのだ」とJ.P.デュピュイは断言している(P.5.)。

 序章・聖なるもののかたち,の冒頭で著者はつぎのように書き出している。
 「人類の歴史をざっと見渡してみたときにくっきりと浮かびあがるひとつの真理があるとすれば,それはまちがいなくこのこと,人間の集合体とは神々を造り出すマシンだということだ。なぜそういうことになるのか。そのマシンはどんなふうに機能するのか。このような問いが人間と社会に関する諸学の核心にあってしかるべきだろう」。

 いきなりわたしは躓いてしまう。しかし,気を取り直して,待てよ,とじっと考えてみる。そうしているうちに脳裏に浮かんできたことは,ジョルジュ・バタイユの「宗教の理論」のなかで展開されている理性出現の契機であり,P,ルジャンドルの「ドグマ人類学」という考え方だった。この二つの思想を導きの糸として,J.P.デュピュイのこの考え方に分け入ってみる。

 たとえば,ヒトが人間になるとき,つまり,動物性(内在性)の世界から<横滑り>して,自他の区別に目覚めるとき,人間は他者の存在をとおして自己を考えはじめる。このとき以来,人間は,人間の生を導き,支える理性に軸足をおくようになる。しかし,みずからの理性だけでは解決しえない問題がつぎからつぎへと出現する。かくして,自己を超越する他者の存在に対して,いかんともしがたい「聖なるもの」を感知するようになる。やがて,それらの「聖なるもの」の存在を「神」と名づけ,自己の存在不安をその「神」によって救済することを学ぶ。

 このようにして展開していく思考の詳しいプロセスはここでは割愛せざるを得ないが,人間は根源的な存在不安を解消するためのひとつの方法として,さまざまな集合体を形成する。そして,この集合体が共有し,安心立命することのできる「神々」を,集合体ごとに造り出す。その神々も,時代や社会の変化とともに集合体も変化し,それぞれの集合体に対応する新たな神々へとさまざまに変化していくことになる。まさに,「人間の集合体とは神々を造り出すマシン」そのものであることがわかってくる。

 一足飛びに飛躍するが,科学的合理性もまた,前近代から近代へと移行する原動力としての役割を果たし,いつしかわたしたちを支配するあらたな信仰となって,こんにちのわたしたちを睥睨している。それは,前近代までの神々にとって代わる新しい「神」そのものだ。だから,科学的合理性は「盲目」になるしかないのだ。それはドグマ(教義)なのだから。

 とまあ,かなり強引に乱暴な私的読解をしてしまったが,このことの確認ができれば,あとの読解もそれなりの展望が開けてくるに違いないと信じたい。

 以上,この稿,未完。

2014年6月7日土曜日

原発の広告塔。事故前のワースト1位は増田明美。

 「原発・広告塔」でネットを検索していたら,わたしとしてはびっくり仰天するような情報にゆきつきましたので紹介しておきます。情報のソースは,My News Japan. 15:07 06/15.2011. データは東日本大震災の前の1年間を集計したものです。つまり,原発事故の前の1年間のこと。そこには,以下のようにありました。

 CM,雑誌に続き新聞の「原発広告」に登場し,原発マネーで稼いできた知識人タレントを調査したところ,ワースト1位は増田明美(元マラソンランナー)。調査対象は,全国紙の朝日,読売,毎日,日経,産経の1年間分(2010年4月1日~2011年3月31日)の「全面広告」。その結果,14人の文化人・タレントが原発広告に出ていたことがわかった。
 2位・橋本登代子,3位・森田正光,4位・辰巳琢郎,5位・住田裕子,6位・木本教子,福澤朗・・・以下省略。

 増田明美といえば,知らぬ人とてない女子マラソンのパイオニアの一人であり,いまもマラソン解説者として活躍中。新聞,雑誌にもかなりの量の原稿を書いている「文筆家」でもあります。しかも,大阪芸術大学教授の肩書までついています。

 女子マラソンの解説者としては,珍しくしっかりとした取材にもとづく豊富な情報を駆使して,きわめて的確な解説をする,一本筋のとおった立派な人です。文筆家としてもなかなかの才能を発揮していて,メディアでは重宝がられているようです。そうした実績が高く評価されたのでしょう。いまでは,大阪芸術大学教授です。

 これも正直に白状しておきますが,わたしは増田明美がランナーとして登場してきたときからのファンです。ストイックに自分を追い込んで猛練習をし,からだを限界まで切り詰め,とうとう競技中に貧血を起こして倒れてしまうこともありました。そのシーンはいまでも眼に浮かびます。ついでに触れておけば,仕事がらみで手紙のやりとりをしたこともあります。

 ですから,この情報に接したときは愕然としてしまいました。言ってしまえば,舞の海のとき以上の衝撃でした。こんなことも知らずにいたわたしが迂闊だったとしかいいようがありませんが・・・・。

 それにしても考えさせられてしまうのは,舞の海にしろ,増田明美にしろ,スポーツ界の知名度の高い,そして,イメージのいい人たちばかりが狙い撃ちのようにして原発マネーの標的にされ,しかも,撃ち落とされてしまうという現実です。無防備というか,無知というか,世間に対する思考停止というか,常識が欠落しているというか・・・・。言ってしまえば,自分の専門のこと以外は頭のなかは空っぽという人がスポーツ界には少なくありません。もっとも,東大教授にもそういう人がごろごろいる現実をみると,スポーツ界だけの現象とも言えません。いわゆる「専門バカ」と呼ばれている人たちは,どの世界にも存在するようです。

 原発事故後の舞の海は確信犯として,もはや救いようがありません。が,事故前の増田明美は,つい,うっかり(原発マネーに眼がくらんで・・・)ということもありえたでしょう。実際にも,ワースト6位の福澤朗は「つい,うっかりして・・・」と懺悔しています(これもネットで確認できます)。そして,以後は謹んでいる,とか。

 増田明美はこれからでもいい。原発マネーで得た金をフクシマの被災者救援のために寄付し,その上で,懺悔をし(公表し),脱原発運動の先頭に立ち,文筆業でもそれを支えていくことをしてほしい。過去は取り返すことはできません。が,未来の時間は自由に使うことができます。どうか,脱原発宣言をして,その姿勢を示してほしい。

 増田さん。あなたの言動はそれほどに大きな影響力をもっています。ひとりのファンとしての切実な願いです。もっとも,すでに政府関係の多くの専門委員を委嘱されているいま,手遅れなのかもしれませんが・・・・。それに,メディアにもがんじがらめの関係が構築されてしまっているでしょうし・・・。

 しかし,日本の未来がかかっているのです。勇気ある決断を・・・・。

 未練がましいことではありますが,ひとりのファンとして最後の一縷の期待を寄せたい・・・・。叶うべくもないでしょうが・・・。

2014年6月6日金曜日

舞の海よ,お前もか。ついに原発推進の広告塔に。

 舞の海よ,お前もか。とうとう原発推進の広告塔になってしまうなんて・・・・・。情けない。そして,残念の極み。

 わたしはむかしから小兵力士が大好きだった。小よく大を制す,そういう相撲のなんと清々しいことか。体力では勝てないのであらゆる智恵をしぼって勝つための戦略をねる。そのための技も磨く。わたし自身もからだが小さかったので,同級生のからだの大きい相手をいかにして倒すか,さまざまに工夫したものだ。だから,テレビで相撲観戦をするようになって,すぐにとりこになったのは小兵力士の活躍である。

 舞の海は,その何番目かの,わたしの大好きな力士のひとりだった。わたしの分身として活躍してくれる舞の海は,わたしの意表をつくような作戦を立てて,相手力士を翻弄させてくれた。ただ,それだけで嬉しかった。勝っても負けても,結果を度外視して,舞の海の相撲を堪能した。そして,かずかずの名勝負を残してくれた。

 引退後は,相撲解説者としてふたたびテレビに登場するようになり,理にかなった解説にじっと耳を傾けたものだ。まさに,舞の海の眼をとおしてみる相撲の醍醐味を楽しませてもらってきた。そんな楽しみもいっぺんに興ざめである。

 そういえば,並みいる解説者のなかでも,NHKの解説者として出演する回数が多いなぁ,とはかねがね思っていた。そして,それはたぶん筋のとおった解説が評価されてのことだろう,と勝手に推測していた。しかし,どうやらそうではなかったらしい。真相はよくわからないが,原子力ムラの強力な後押しがあったのではないか,といまごろになって気づく。

 今場所のNHKのサンデースポーツに,優勝した白鵬とならんでデーモン閣下が出演したのも,なんとなくわたしの中では違和感があった。このときだけではなく,しばしば相撲評論家としてデーモン閣下がメディアに登場する。これもおかしな話だと思っていた。そうしたら,なんのことはない,デーモン閣下は原発推進の広告塔として,他のタレントをダントツに引き離して大活躍しているのだそうである。

 その情報源を友人のNさんが教えてくれた。わたしは,まさかと思いつつ,その情報を探してみた。そうしたら,動かしがたい事実がそこには提示されていた。

 まずは,舞の海。

 Cybersho t  Tad さんのブログ(5月29日)。週刊新潮今週号に電事連の原発広告。今度は舞の海。原発を無くすと日本の成長が止まるらしいです。というコメントのあとに,その原発広告(2ページ)の写真がアップされている。2ページとも舞の海のにこやかな顔写真入りの記事になっていて,そこにはびっしりと舞の海のご高説が紹介されている。

 一見したところ,これが電事連の原発広告だとは気づきにくい。単なる舞の海を取材してまとめた記事のようにみえる。しかし,よくよくみると,囲み記事の外側に,それも小さな活字でなにか書かれている。そこには以下のように書かれていた。

 新潮人物文庫⑲ 「これからのエネルギー,私の視点」。

 そうか,もう19回目なんだと気づき,急いでコンビニに走り,週刊新潮の最新号を購入。今週はだれが登場しているのだろうとしっかりと全ページを確認してみた。ところが,今週号はお休みだったようで,そのページは見つからず(見落としているかも)。

 そこで,もう一度,上記のソースを確認し,さらにネット・サーフをしていくと,つぎつぎに関連の情報が流れていることがわかる。

 pic.twitter.com/jOIEoKApBo(本間龍)
 mynewsjapan.com/reports/2033

 これらのソースによれば,原発事故後の雑誌「原発・電力業界広告」で稼ぐワーストはデーモン閣下。媒体別では「ウェッジ」「週刊新潮」「プレジデント」。

 という具合に,つぎからつぎへと詳細な情報も見つけることができる。もちろん,がさネタも混じっているので,そこは慎重に。ぜひ,サーフしてみていただきたい。

 こうなると,もはや,舞の海を救う手だてはない。あちら側に行ってしまった舞の海。お気の毒だが,謹んで「サヨナラ」と言わせてもらう。

 ああ,なんとも後味が悪い。

 これからは「里山」を応援することにしよう。

2014年6月5日木曜日

もう一度問う。新国立競技場の建造は安藤忠雄氏ひとりの判断に委ねてしまっていいのか。

 建築関係の圧倒的多数の専門家たちが「異」を唱え,再考を促している新国立競技場の建造について,文部科学省およびその下部組織であり事業主体である日本スポーツ振興センター(JSC)は,たったひとりの建築の専門家安藤忠雄氏の判断にゆだねて,それを「是」とし,このまま突き進もうとしています。こんなことが平然と行われようとしているこの国はいったいどうなってしまったというのでしょうか。

 いったい,2020年の東京五輪はだれのためのものなのでしょう。

 東京都民の声も国民の声もいっさい無視して,権力の中枢にいる人びとの独断専行が,当たり前のような顔をしてまかりとおろうとしています。この手法は安倍晋三政権の強引なやり方と瓜二つです。取り返しのつかない「暴走」による「つけ」は,のちにおおきな負担となって全部,国民に跳ね返ってきます。そんなことが眼にみえているにもかかわらず,建築関係の専門家である「識者」たちの声はもとより,国民の声にもまったく耳を貸そうともしません。

 予定よりも大幅に遅れていた新国立競技場の基本設計案が「有識者会議」で承認され,決定し,発表されたのが,5月28日。これによってJSCのホームページに掲載され,初めて基本設計案なるものが閲覧可能となりました。そして,ふたたび,建築関係の専門家たちは,こんどは具体的な内容に踏み込んだ上で,問題点を指摘し,大いなる「異」を発信しはじめています。

 しかし,新聞・テレビといった大手のメディアのほとんどは,反対の声を取り上げようともしません。政府に「右へ倣え」(自発的隷従)をして,こちらもまた「無視」です。しかし,国民の側からの声を自由に発信できるインターネットはそうした「暴挙」を許してはいません。ためしに「新国立競技場」で検索をかけてみてください。驚くべき人びとが声を挙げている実情を知ることができます。しかも,著名な建築の専門家たちが「実名」で,どこに問題があるのかを具体的に,しかも微に入り細にわたって提示しています。ぜひ,ご覧になってみてください。

 そのなかのお一人である森山高至氏が,6月4日の東京新聞・夕刊に「新国立競技場」「基本設計発表を受けて」「開く屋根がはらむ問題」という見出しのもとで,限られた紙面にもかかわらずわかりやすく問題の所在を明らかにしてくれています。その森山氏の主張の「さわり」の部分だけでも,以下に紹介しておきたいと思います。

 「新競技場の基本設計は建築物の災害時安全性と法体系の根幹を脅かすものとなっている」。
 「大規模施設,災害拠点施設としては不適切どころか「屋根としては」建築基準法違反となってしまう。そのため,まったく屋根でありながら「開閉式遮音装置」という呼称をつけた。これは詐称ではないか」。
 「さらに問題なのは,「遮音装置」を名乗りながら,遮音性能など無きに等しい」。
 「そのような重大な問題をはらみながら,その点をまったく指摘せず,さらには承認したという有識者会議の唯一の建築専門家,安藤忠雄氏には猛省を促したい」。
 「有識者会議は今すぐにその承認を撤回するべきである」。

 この新聞記事はもとより,森山高至氏のホームページに入ってみると,この新国立競技場の基本設計案がいかにでたらめなものであるか,ということが素人のわたしにも読んでいて恐ろしくなるほど伝わってきます。こんな建造物が国家的事業として,これから展開しようとしているのです。

 しかも,ネット上を流れている情報によれば,良識あるゼネコンはどこも手を挙げないだろう,といいます。それほどに危険がいっぱい,違法がいっぱい,詐称がいっぱい,だから,まともな人間であれば近寄らないだろう,と。となると,下請けのまたその下請け・・・・という具合にどんどん「下」に押しつけられていくことになります。なんだか,原発の作業現場を彷彿とさせます。

 これがいま進行中の現実です。いまからでも遅くはない,なんとか声を大にして,わたしたちの声をとどける努力をしていかなければ・・・・と焦っています。

2014年6月4日水曜日

瞑想的太極拳ということについて。李自力老師語録・その45。

 先週につづいて今日(6月4日)の稽古での李老師のことばが,ようやくわたしのこころとからだにしみ込んできました。先週はこのブログにも紹介させていただきましたように,「意識引導動作」ということばでした。意識で動作を誘導していきなさい,とまあかんたんに言ってしまえばこういうことでした。それはことばとして頭のなかでは理解できても,実際に実行するとなるとこれはまた別ものです。まあ,そんなものなのだろうなぁ,とぼんやりと理解した程度でした。

 で,それだけではいけないと反省して,自分なりに考えて,もう少し深読みをするとこういうことになるのでは・・・・と解釈をしてみたものが先週のブログです。このブログについての李老師の感想はなにもありませんでしたが,その代わりに「瞑想的太極拳」ということについて諄々と説いてくださいました。たぶん,これがその応答なのだろう,とこれまたわたしの解釈です。

 それはおおよそつぎのようなことでした。
 まずはリラックスして全身を脱力させなさい。重心も高いまま,動作のことも気にしない,意識を瞑想状態にして,自分のなかにあるイメージに合わせて太極拳の「ふり」をしなさい。つまり,それらしい動作をしなさい。できばえの善し悪しはなにも考えない。できるだけ瞑想の世界に分け入っていって,こころとからだが融合する「場」を目指しなさい。そこにはなんとも表現のしようのない「心地よさ」が待っています。これを楽しみなさい。

 こういう話をされたのには,もちろん理由があります。それは,わたしの太極拳があまりに硬直したものであって,そこから抜け出せないでいる,これが第一の理由。もうひとつは,わたしの病気のことを李老師はことのほか気づかっていてくださり,消化器系の内蔵に負担をかけさせないで,しかも,治療に役立つ太極拳の方法を伝授すること,これが第二の理由。三つ目は,太極拳の最終ゴールはこの「瞑想的太極拳」にあることを気づかせること,これが第三の理由。

 こんなことが,李老師のお話をうかがいながら,わたしの頭のなかを経巡っていました。そうか,李老師はそこまでわたしのことを気遣ってお話をされているのだ,と。このことに気づいたときにはじめてこれまでとはまったく違う納得の仕方ができました。ひょっとしたら,李老師はわたしの病気を契機にして,太極拳の極意を一気に伝授しようとなさっているのではないか,と。これはまた大変なことになってきたなぁ,と嬉しくもあり,弟子としてそれなりの覚悟が必要だと身の引き締まる思いがしました。

 李老師はさらに,つぎのようにも話されました。
 なんにもしなくてもいい。椅子に座ったままでもいい。もっといいのは,ベッドの上に横になり,完全に脱力した状態です。その状態で瞑想的太極拳をしなさい。そうすれば,からだのすみずみまで気が流れ,心地よい状態に入ることができます。これがいまのあなたのからだにとって一番大事なことです。

 ああ,ついに「引導」を渡されてしまった,と思いました。
 これまでのような,気合を入れ,集中力を高めた太極拳の稽古はやってはいけません,と。

 もちろん,心優しい李老師はきつい言い方はなさいません。いつも,婉曲的に,やんわりと,これなら気づいてくれるかな,という探りを入れながら諄々と説いてくださいます。こと,ここにいたって,ようやく鈍感なわたしは気づいたということです。

 さあ,これからはもうひとつ別の次元の太極拳を目指して,心機一転,するりとその世界に入り込んでみようと思います。はたして,その結果やいかに。

2014年6月3日火曜日

『新版・古代の地形から「記紀」の謎を解く』(嶋恵著,海山社,2013年刊)を読む。

 入院中はたっぷりと時間がありましたので,本ばかり読んでいました。その中の一冊がこれ。この本は最初から最後まで一気に読んでしまいました。いつもですと,2,3冊,同時に,そのときの気分によってとっかえひっかえしながら読むのですが,この本は読み始めたらもう止まりませんでした。それほどに,意表をつく発想と,綿密なフィールドワークと,中国,朝鮮との交流史を視野に入れた分析と,それになにより並外れた直感的な推理力と,それを実証する洞察力と,そして豊富な読書量と,それらのすべてを束ねていく明解な文章力とが相まって,わたしを惹きつけて離しませんでした。

 略歴をみるかぎり,いわゆる古代史の専門家でもなんでもなく,民間の古代史愛好家の,それもとびきりの愛好家の方とお見受けしました。ですから,いわゆる古代史研究のアカデミズムの世界とはなんの関係もなく,ひたすら自分の興味・関心だけが原動力になっています。その謎解きの基本は,自分のなかに生まれる素朴な疑問を大切に守りながら,自分の納得のいく答えを素直に導きだすこと。他人がなんと言おうと,このわたしが納得できればいい・・・と。

 ですから,手段を選ばず,みずからの疑問の謎解きのためにはあらゆる方法を駆使します。それがまた,つぎからつぎへと面白い方法を見つけ出してきて,それを当てはめてみて,そこからまたつぎの発想を生みだしていきます。この柔軟な発想が,アカデミズムの世界を睥睨しながら,悠々と天空高く舞い上がり,古代史全体を俯瞰する世界を構築していきます。ですから,これまでの古代史研究とはまったく次元の異なる,みごとなまでの新しい世界を切り拓き,まったく新しい結論(新仮説)に到達します。そのすべてをここで紹介することはとてもできませんので,その中の冒頭にでてくる発想に注目してみたいと思います。

 著者はまず,古い神社(式内社)の多くが,どこもかしこも小高い山の中腹に建てられているのはなぜか,と疑問をいだきます。同時に,古代の奈良の古道として知られる「山辺の道」もまた山の中腹を縫うようにしてつづいていることに気づきます。ここからが,著者の面目躍如というところです。ひょっとしたら,古代の海はいまよりも海面が高かったのではないか,と思いつきます。そして,古代の地形を調べてみたら,たしかに,いまよりも海面が相当に高かったのではないか,という事実をつきとめます。

 この事実をもとに,現代の地図の海面を10m高くしたり,20m高くしてみたり,さらには60mも高くしたりしてシュミレーションしてみると,現代の平地はほとんどすべてが水浸しになり,あちこち入り江や干潟だらけになることがわかってきます。そして,古い神社が小高い山の中腹に存在することの謎が解けてきます。つまり,古い神社はその時代の海面に合わせて建てられていた,というわけです。

 この発想を,古代の奈良時代以前に応用してみると,なんとこんにちの大阪のほとんどは海に埋没してしまい,京都も奈良もみんな海につながっていたことがわかってきます。平地は海または干潟に,川筋は入り江に,そして,丘陵地帯が小さな島々となって転々とあちこちに浮かび上がってくることがわかってきます。

 このことを確認した上で,こんどは地名に着目します。すると,いまはほとんど山の中であるにもかかわらず,そんなところに海にかかわる地名が散在していることがわかってきます。ということは,かつてはそのあたりにまで海が入り組んでいたという,その痕跡をとどめているのだ・・・・と。

 こうした作業を重ねた上で,もう一度,奈良の「山辺の道」を確認してみますと,この道がつくられたころの奈良はいまよりも約60mも海面が高かったのではないか,と推定されます。これを前提にして,奈良の古代遺跡を確認してみますと,すべてこんにちの高台,あるいは山の中腹に散在していることがわかってきます。なるほど,奈良盆地は古代は海だったのだ,と。そして,やがて海面が下がるにしたがって海水が引いていき,やがて干潟となり,葦の生い茂る沼地となり,葦原の中つ国と呼ばれるようになっていく経緯もなっとくです。

 そして,豊葦原の瑞穂の国と呼ばれた謎もみごとに氷解してしまいます。そのころにはもう立派な水田が広がっていたことでしょう。こうして,ヤマトは古代日本の都として栄えていくことになります。しかも,このヤマトを最初に支配し,王宮を営んだ王がオオクニヌシというわけです。

 こうして,著者は「記紀」の謎解きに入ります。すると,これまでのアカデミックな手法では手も足もでなかった『古事記』に秘められた謎もつぎつぎに明らかにされていきます。その説得力にまずは感動してしまいます。

 そして,ついには,とうとう「オオクニヌシは6人いた」ということをつきとめています。しかも,その最後のオオクニヌシがトミノナガスネヒコである,と。

 ここにいたりついたとき,わたしの中に長い間,わだかまっていた大きな疑問のほとんどは瓦解してしまいました。やはり,そうだったのか,これまでトミノナガスネヒコという人物の存在に注目して,その痕跡を訪ね歩いたのは間違いではなかった,と。

 これからはこのテクストを軸にして,わたしなりの古代史の謎解きをつづけてみたいと思っています。その一部はこのブログにも書いてみたいと思います。いよいよ,さぐりを入れてきたわたしの「出雲幻視考」も佳境に入っていくことになりそうです。その意味で喜びもひとしおというところです。

 ということで,今日のところはここまで。
 

『美味しんぼ』の「鼻血」騒動を考える。

 こころやさしい友人のNさんが,入院生活の暇つぶしに,とにんまり笑って『美味しんぼ』の「福島の真実」23話と24話(最終回)をコピーして手渡してくださいました。世の中,大騒ぎをしているのに,わたしは読んでいなかったので,これはとても助かりました。

 作・雁屋哲,画・花咲アキラによる『美味しんぼ』は,この「福島の真実」で第604話(これだけて24回の連載)にもなる超ロングの連載であること,そして,この漫画にはしっかりとした思想・哲学の芯が一本とおっていること,さらに徹底した現場調査主義を貫いていること,こうした積み重ねの上での雁屋氏の最終的な結論=決断を導き出すという,みごとなまでの手法をとった作品であることを,まずは,念頭において考える必要があると思います。

 わたしは,ずいぶん前に(もう,何十年も前に),教え子(現在,中学校教師)から,ぜひ,これを読んで感想を聞かせてくれと段ボール箱いっぱいの『美味しんぼ』の単行本が送られてきて,そのとき,初めて大まじめに読みました。たかが漫画ではないか(当時はいまほど漫画の評価は高くなかった),くらいの軽い気持で読み始めましたら,とんでもない,きわめて重いテーマが重奏低音のように鳴り響いていることを知り,びっくり仰天した記憶がいまも鮮明に残っています。

 こうして何十年にもわたって雁屋氏が全体重をかけて取り組んできた作品を,たった一点だけ,重箱のすみをつつくようにして,「鼻血」が出た・出ないということだけを言挙げし,「風評被害」の名のもとに葬り去ろうとする,このなんともおぞましい歪んだヒューマニズムが台頭している現在の日本の風潮をこそ,恐ろしいと心底思っています。わたしは,ことばの正しい意味での「批評精神」に支えられた,しっかりとした「批評」のまなざしが欠落したまま,単なる上滑りなやすっぽい「評論」だけが一人歩きしている今回の騒動こそが,日本病という救いがたい大きな病の病根にある,と考えています。

 病室にいる間,それこそ「暇つぶし」に,何回も何回も読み返してみました。とりわけ,最終回に寄せられた識者,行政,団体などの文章をつぶさにチェックしてみました。もう,唖然とする以外にない,というのが率直なわたしの感想です。唯一,救われるとすれば,この「パンドラの箱」をひっくり返したような玉石混淆の「論調」こそが,現代日本の現実なのだ,ということを露呈させてくれた,ということでしょうか。それはそれは恐ろしいほどの「無責任」が,しかも稚拙な文章でつづられています。しかも,それが正しいと本人は信じて疑わない,この姿勢が恐ろしい。けれども,ピカリと光る識者の見解も掲載されていて,多少とも救われます。

 「鼻血」はでる人はでる,でない人はでない。線量の多寡に関係なく,低線量でも,でる人はでる,でない人はでない。たとえば,肥田舜太郎氏のいう「ペトカウ理論」や,チェルノブイリの「報告書」によれば,低線量による内部被曝の方がはるかに被害は甚大である,といいます。こういう事実を政府を筆頭に行政はひた隠しにして,年間10ミリシーベルト以下なら安全,と言い切ってはばかりません。そして,いつのまにか,わたしたちも「10ミリシーベルト」に慣らされてしまっています。しかし,この数字はとんでもない数値で,チェルノブイリでは考えられないといいます。

 一番驚いたのは,鼻血はストレスによるものであって放射能とはなんの関係もない,と言い切る識者があまりにも多いということでした。それを,わざわざ「心理的影響」とか「後づけバイアス」などということばを用いて,放射能との関係を切り離そうとしているのです。ストレスにはその原因となるストレッサーが存在します。そのストレッサーを取り除かないかぎりストレスは治癒しません。そのストレッサーこそが眼に見えない「放射能」なのですから,明らかにそこには因果関係が成立しています。ですから,それをあえて切り離そうとする識者の,意図的・計画的な「悪意」すら感じないではいられません。

 こんな事例を取り上げていくと際限がありません。一度,活字になったものは消えません。これからじっくりと時間をかけて議論していけばいいことです。

 それよりも絶対に見落としてはならないことは,雁屋氏が長年かけて,しかも全体重をかけて,「食」をとおして人間が「生きる」ということはどういうことなのかを考え,人間の「命」を守るということが,どれほど大事なことなのか,とりわけ,現代の日本において・・・,というこの視点です。そして,登場する中心人物のひとりにつぎのように言わせています。

 「福島の未来は日本の未来だ。
  これからの日本を考えるのに,まず福島が前提になる」。

 「福島を守ることは日本を守ることだ。
  であれば,俺の根っこは福島だ」。

 「風評被害」ということばは,だれかさんにとってまことに都合のいいことばなので,盛んに多用されます。なぜなら,「真実」かくしのための隠れ蓑としてまことに便利で,しかも,いともかんたんに世論を動かすことができるからです。一番大事なことは,ほんとうのことを明らかにすること,事実を確認すること,です。ここが問題解決の出発点です。ここを隠されてしまっては,どこまでいっても問題は解決しません。その最終的な被害者は国民であり,ついには,国民の「命」が犠牲になるのです。

 そこから脱出するための,一つの結論として,雁屋氏は決然として問題提起をしたのです。ですから,これだけ話題になったということは作者の思惑どおりと言っても過言ではないでしょう。問題は,それを受け止めるわたしたちの側にあります。

 どこかの雑誌が特集を組んで,さらに,議論を活性化させ,ほんとうの問題の所在を明らかにする努力をしてくれることを祈っています。そして,そこにはありとあらゆる立場の識者・経験者が登場することを。マンガ好きのアソウ君やナカザワ君も。