天智天皇はなぜ飛鳥ではなく大津に宮を移して天皇となったのか,これはわたしの長年の疑問でした。この疑問に真っ正面から応答してくれた初めての本がこれでした。この渡辺康則さんの主張がどこまで信頼できるのか,はひとまずおくとして,いささか驚きの新説が飛び出したものだと半ばあきれながら,また,あらたな想像をたくましくしています。
日本の古代史は面白い,と。なかでも,歴史の中から忽然と消された出雲族と蘇我一族をめぐる推理が,です。諸説紛々とするなかで,根拠と想像力の入り交じった推理が,ある意味では自由自在の世界です。そうであるとも言えないけれども,そうでないとも言えない世界,この狭間で揺れ動く推理,と言ったら言い過ぎでしょうか。
その新手の,意表をつく,実証を試みたのがこのテクストと言っていいでしょう。
書名のタイトルにも明らかなように,天皇・天智は捏造されたとする仮説を,『万葉集』のなかに埋め込まれた万葉コード,あるいは万葉史観をとおして『日本書紀』を,ありのまま読み解くという方法を徹底することによって,これまでとはまったく違う解釈・世界が立ち現れる・・・。この方法論を著者の渡辺康則さんは徹底して貫きます。
そして,とうとう天智天皇は中大兄時代から生涯にわたって飛鳥に居住した痕跡はない,と渡辺さんは結論づけています。では,どこに居たのか。九州の筑紫王朝に居て,そこから勢力を伸ばし,やがて大津宮に遷都した,つまり,「東征」してきたのだ,といいます。
その謎を解く,最大の鍵が『万葉集』の冒頭を飾る倭三山歌にあるとして,詳細にその分析を展開しています。つまり,倭三山を引き合いに出して歌った天智,天武,額田王の「三角関係」にある,というのです。とりわけ,額田王の歌はいかようにも解釈可能な意味深長な内容になっていて,そこに「万葉コード」や「万葉史観」のヒントが隠されている,と渡辺さんは説いています。
そして,この『万葉集』と『日本書紀』は連動していて,『万葉集』の立場に立って『日本書紀』を読み解くと,これまでのアカデミズムのとってきた立場とはまったく異なる解釈が可能になる,というのです。そして,それを実践してみせていきます。
これまでの『日本書紀』読解は,本居宣長以来,つじつまの合わない記述については,ことごとく「転記ミス」「誤記」「誤字」「脱字」として取り扱い,無理矢理つじつま合わせをしてきましたが,それが,そもそもの間違いなのだ,と渡辺さんは強調します。そうではなくて,「つじつまの合わない記述」こそが『日本書紀』を読み解くためのヒントになっているのだ,と。つまり,当時の伝承や資料そのものが乱れていて,その実態を反映しているのだから,それはそのまま受け止めて,なぜ,そのような乱れが生じているのかを読み解くことが重要なのだ,というわけです。
わけても,謎だらけの中大兄・天智の足跡をたどる上では不可欠だ,と。その謎解きの,最大の鍵となっているのが額田王が中大兄に返した歌だといい,額田王は中大兄をこけにしている,つまり,皇太子としては扱っていない,と渡辺さんは解釈しています。くわしくは,テクストでご確認ください。この部分が,このテクストの冒頭を飾る圧巻の部分でもあります。
この本を読んでのわたしの感想は,長年の疑問だった中大兄と大海人はほんとうに兄弟だったのか,という謎が一気に晴れて,すっきりしたというものにつきます。そして,同時に,新たな,とてつもなく大きな疑問が立ち上がってきました。それは,では,いったい,皇極・斉明天皇とはなにものだったのか,という疑問です。そして,なにゆえに中大兄と大海人を兄弟にしつらえ,斉明天皇の息子にして,まったく別の歴史を捏造しなくてはならなかった藤原不比等の企みは,いったい,なんだったのか。
おそらくは,乙巳の乱と大化改新(聖徳太子の捏造もふくめて)の正当性を主張するための,歴史の改ざんが,どうしても必要だったのでしょう。のちの天皇制の土台を固めるための歴史修正主義の権化,それが藤原不比等であったことは明らかですが,ならばこそ,そこに隠された歴史の真実はなにであったのか,知りたいところです。
わたしの幻視によれば,ここにも,出雲族の陰がちらついているようにおもえてなりません。詳しくは,いずれまた。今回は,とりあえず,このテクストのご紹介まで。
日本の古代史は面白い,と。なかでも,歴史の中から忽然と消された出雲族と蘇我一族をめぐる推理が,です。諸説紛々とするなかで,根拠と想像力の入り交じった推理が,ある意味では自由自在の世界です。そうであるとも言えないけれども,そうでないとも言えない世界,この狭間で揺れ動く推理,と言ったら言い過ぎでしょうか。
書名のタイトルにも明らかなように,天皇・天智は捏造されたとする仮説を,『万葉集』のなかに埋め込まれた万葉コード,あるいは万葉史観をとおして『日本書紀』を,ありのまま読み解くという方法を徹底することによって,これまでとはまったく違う解釈・世界が立ち現れる・・・。この方法論を著者の渡辺康則さんは徹底して貫きます。
そして,とうとう天智天皇は中大兄時代から生涯にわたって飛鳥に居住した痕跡はない,と渡辺さんは結論づけています。では,どこに居たのか。九州の筑紫王朝に居て,そこから勢力を伸ばし,やがて大津宮に遷都した,つまり,「東征」してきたのだ,といいます。
その謎を解く,最大の鍵が『万葉集』の冒頭を飾る倭三山歌にあるとして,詳細にその分析を展開しています。つまり,倭三山を引き合いに出して歌った天智,天武,額田王の「三角関係」にある,というのです。とりわけ,額田王の歌はいかようにも解釈可能な意味深長な内容になっていて,そこに「万葉コード」や「万葉史観」のヒントが隠されている,と渡辺さんは説いています。
そして,この『万葉集』と『日本書紀』は連動していて,『万葉集』の立場に立って『日本書紀』を読み解くと,これまでのアカデミズムのとってきた立場とはまったく異なる解釈が可能になる,というのです。そして,それを実践してみせていきます。
これまでの『日本書紀』読解は,本居宣長以来,つじつまの合わない記述については,ことごとく「転記ミス」「誤記」「誤字」「脱字」として取り扱い,無理矢理つじつま合わせをしてきましたが,それが,そもそもの間違いなのだ,と渡辺さんは強調します。そうではなくて,「つじつまの合わない記述」こそが『日本書紀』を読み解くためのヒントになっているのだ,と。つまり,当時の伝承や資料そのものが乱れていて,その実態を反映しているのだから,それはそのまま受け止めて,なぜ,そのような乱れが生じているのかを読み解くことが重要なのだ,というわけです。
わけても,謎だらけの中大兄・天智の足跡をたどる上では不可欠だ,と。その謎解きの,最大の鍵となっているのが額田王が中大兄に返した歌だといい,額田王は中大兄をこけにしている,つまり,皇太子としては扱っていない,と渡辺さんは解釈しています。くわしくは,テクストでご確認ください。この部分が,このテクストの冒頭を飾る圧巻の部分でもあります。
この本を読んでのわたしの感想は,長年の疑問だった中大兄と大海人はほんとうに兄弟だったのか,という謎が一気に晴れて,すっきりしたというものにつきます。そして,同時に,新たな,とてつもなく大きな疑問が立ち上がってきました。それは,では,いったい,皇極・斉明天皇とはなにものだったのか,という疑問です。そして,なにゆえに中大兄と大海人を兄弟にしつらえ,斉明天皇の息子にして,まったく別の歴史を捏造しなくてはならなかった藤原不比等の企みは,いったい,なんだったのか。
おそらくは,乙巳の乱と大化改新(聖徳太子の捏造もふくめて)の正当性を主張するための,歴史の改ざんが,どうしても必要だったのでしょう。のちの天皇制の土台を固めるための歴史修正主義の権化,それが藤原不比等であったことは明らかですが,ならばこそ,そこに隠された歴史の真実はなにであったのか,知りたいところです。
わたしの幻視によれば,ここにも,出雲族の陰がちらついているようにおもえてなりません。詳しくは,いずれまた。今回は,とりあえず,このテクストのご紹介まで。
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