7月2日,『琉球新報』と『沖縄タイムス』の,いわゆる沖縄2紙の編集局長が揃って共同記者会見をし,その怒りを露わにした。その矛先はいわずとしれた自民党若手議員の勉強会「自由芸術懇話会」に講師として招かれた百田尚樹氏の「暴言」である。
「沖縄2紙はつぶれた方がいい」「普天間の米軍基地はむかしは田んぼで人が住んではいなかったところだ」「騒音保障費がもらえるというので基地の近くに移り住むようになって市街地になった」
「地主は巨額の土地使用料をもらって悠々自適の暮らしをしている」といったような一連の「暴言」を吐いた。それに呼応するようにして自民党の若手議員の間から「文化人に頼んで経団連に依頼し,新聞に広告を載せないようにしたらいい」というような沖縄2紙をつぶすための提案まであった,という。
編集局長の二人は,「沖縄県民の気持を逆撫でするような暴言だ」「沖縄県民を馬鹿にした発言だ」「新聞に認められた言論の自由・報道の自由を弾圧する発言だ」「百田氏は作家で自由人,かれがなにを言おうともたいした問題ではない。問題は,それに呼応した自民党の議員たち「公人」だ」「作家の発言と議員の発言とはその意味が違う」「自民党の議員が言論の自由・報道の自由を封殺するような発想をもっていることが露呈したこと,しかも,集団で。これこそが大問題だ」というような主張を展開した。
以上,記憶を頼りに書いているので,あまり精確ではないことをお許しいただきたい。が,わたしの耳に残ったことは以上のような内容だった。
さすがにこのたびの百田氏の発言には多くのメディアが反応し,言論の自由を冒涜するとんでもない発言だという点で足並みを揃えていたようだ。しかし,アベ君は公明党にはわざわざ出向いて行って謝罪したが,国民には「党のことなので,わたしがとやかく言うべき筋合いではない」(国会答弁)として謝罪を拒否した。
今日(7月3日)になると,複数の報道関係者の間から百田氏の発言を擁護する声があがっている,という情報が流れた。「沖縄2紙はつぶれた方がいい」という発言は百田氏のジョークのようなものなので(本人もそう釈明),「笑って済ませられる程度のもの」だ,という。だから目くじら立ててとやかく言うこと自体の方が言論の自由を封殺することになりかねない,と。
といった調子で,百田発言の是非論に論議が集中している。が,ここには『沖縄タイムス』の編集局長が指摘した「百田発言よりもそれを支持した自民党議員の存在そのものの方が重大だ」という論点は登場していない。どうやら,作家の言論の自由を擁護する立場を主張することによって,それを隠れ蓑にして,自民党議員の「暴言」を薮の中に封じこめてしまおうという意図が働いているようだ。これもまたアベ君の意図を受けた大手メディアの仕掛けた罠なのか。
言ってみれば,百田氏がなにを言おうと,いまさら驚くべきことではない。こんなレベルの低い作家を,自民党の議員さんたちが勉強会の講師として招いたこと,そして,その言説に同調して「沖縄2紙をつぶせ」の方向に流れたこと,しかも,そのなかにひとりとして「それは違う」と発言する議員はいなかったこと,つまり,自民党の議員は百田氏と足並みを揃える「愚者」ばかりだったということが露呈してしまったこと,こちらの方がはるかに大問題だ。
この重大な事態を取り上げる新聞・テレビが現れないこと,これこそがNHKを筆頭にした政府による「言論統制」のなによりの証拠だ。その逆に,SNSのネット上では,的確に問題の所在を提起しながら,鋭い「批評」が数多く展開している。しかも,新聞・テレビから排除され,発言を封じられている名だたる論者たちが実名で自論を展開している。こちらからは教えられることが多い。
自民党若手議員たちの勉強会「文化芸術懇話会」(このネーミングからしてナンセンス)は,要するに「アベ・ポチ」たちが主たるメンバーで,アベ君の応援団なのだ。その応援団が,あまりに愚かで稚拙なばかりに,ボスの背中から槍を突きつける結果になってしまったという次第だ。だから,大手メディアは急遽,問題の論点を「百田発言」にすり替え,作家の言論の自由を擁護する,という戦略に転じたのだろう。
この戦略はもののみごとに功を奏しているようだ。こうして,いまや,アベ政権による世論操作は自由自在だ。こうなってくると頼れるのはネットを流れる「上質な情報」だけだ。ネット情報は「ピンからキリまで」あるので,その見分けが重要だ。しかし,名だたる論客が実名で書いているものは一読に値する。それを怠ると,わたしたちもまた自民党の若手議員たち,すなわち「アベ・ポチ」と同じレベルに堕してしまう。
それだけは忌避しなくてはならない。要心しなくては・・・・。クワバラ,クワバラ・・・・。
「沖縄2紙はつぶれた方がいい」「普天間の米軍基地はむかしは田んぼで人が住んではいなかったところだ」「騒音保障費がもらえるというので基地の近くに移り住むようになって市街地になった」
「地主は巨額の土地使用料をもらって悠々自適の暮らしをしている」といったような一連の「暴言」を吐いた。それに呼応するようにして自民党の若手議員の間から「文化人に頼んで経団連に依頼し,新聞に広告を載せないようにしたらいい」というような沖縄2紙をつぶすための提案まであった,という。
編集局長の二人は,「沖縄県民の気持を逆撫でするような暴言だ」「沖縄県民を馬鹿にした発言だ」「新聞に認められた言論の自由・報道の自由を弾圧する発言だ」「百田氏は作家で自由人,かれがなにを言おうともたいした問題ではない。問題は,それに呼応した自民党の議員たち「公人」だ」「作家の発言と議員の発言とはその意味が違う」「自民党の議員が言論の自由・報道の自由を封殺するような発想をもっていることが露呈したこと,しかも,集団で。これこそが大問題だ」というような主張を展開した。
以上,記憶を頼りに書いているので,あまり精確ではないことをお許しいただきたい。が,わたしの耳に残ったことは以上のような内容だった。
さすがにこのたびの百田氏の発言には多くのメディアが反応し,言論の自由を冒涜するとんでもない発言だという点で足並みを揃えていたようだ。しかし,アベ君は公明党にはわざわざ出向いて行って謝罪したが,国民には「党のことなので,わたしがとやかく言うべき筋合いではない」(国会答弁)として謝罪を拒否した。
今日(7月3日)になると,複数の報道関係者の間から百田氏の発言を擁護する声があがっている,という情報が流れた。「沖縄2紙はつぶれた方がいい」という発言は百田氏のジョークのようなものなので(本人もそう釈明),「笑って済ませられる程度のもの」だ,という。だから目くじら立ててとやかく言うこと自体の方が言論の自由を封殺することになりかねない,と。
といった調子で,百田発言の是非論に論議が集中している。が,ここには『沖縄タイムス』の編集局長が指摘した「百田発言よりもそれを支持した自民党議員の存在そのものの方が重大だ」という論点は登場していない。どうやら,作家の言論の自由を擁護する立場を主張することによって,それを隠れ蓑にして,自民党議員の「暴言」を薮の中に封じこめてしまおうという意図が働いているようだ。これもまたアベ君の意図を受けた大手メディアの仕掛けた罠なのか。
言ってみれば,百田氏がなにを言おうと,いまさら驚くべきことではない。こんなレベルの低い作家を,自民党の議員さんたちが勉強会の講師として招いたこと,そして,その言説に同調して「沖縄2紙をつぶせ」の方向に流れたこと,しかも,そのなかにひとりとして「それは違う」と発言する議員はいなかったこと,つまり,自民党の議員は百田氏と足並みを揃える「愚者」ばかりだったということが露呈してしまったこと,こちらの方がはるかに大問題だ。
この重大な事態を取り上げる新聞・テレビが現れないこと,これこそがNHKを筆頭にした政府による「言論統制」のなによりの証拠だ。その逆に,SNSのネット上では,的確に問題の所在を提起しながら,鋭い「批評」が数多く展開している。しかも,新聞・テレビから排除され,発言を封じられている名だたる論者たちが実名で自論を展開している。こちらからは教えられることが多い。
自民党若手議員たちの勉強会「文化芸術懇話会」(このネーミングからしてナンセンス)は,要するに「アベ・ポチ」たちが主たるメンバーで,アベ君の応援団なのだ。その応援団が,あまりに愚かで稚拙なばかりに,ボスの背中から槍を突きつける結果になってしまったという次第だ。だから,大手メディアは急遽,問題の論点を「百田発言」にすり替え,作家の言論の自由を擁護する,という戦略に転じたのだろう。
この戦略はもののみごとに功を奏しているようだ。こうして,いまや,アベ政権による世論操作は自由自在だ。こうなってくると頼れるのはネットを流れる「上質な情報」だけだ。ネット情報は「ピンからキリまで」あるので,その見分けが重要だ。しかし,名だたる論客が実名で書いているものは一読に値する。それを怠ると,わたしたちもまた自民党の若手議員たち,すなわち「アベ・ポチ」と同じレベルに堕してしまう。
それだけは忌避しなくてはならない。要心しなくては・・・・。クワバラ,クワバラ・・・・。
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