重篤な病気にかかり,死線をさまようような状態に入ったことのある人たちの何人かにひとりは,死んだおじいさんやおばあさんが「おいで,おいで」とにっこり笑って手招きしてくれる,という話をこどものころに聞いた覚えがある。へぇ,そんなもんかなぁ,と不思議におもっている。そして,「絶対に向こう側に行っては駄目だよ」と強く大人たちにたしなめられた。「こっちにもどってこれなくなるから」と。
これと同じ話がきちんとした仏教書の中にも書かれていて読んだ記憶がある。たしか,インドの話だったようにおもう。ということは,これと同じような話があちこちに伝承されているらしい。手招きされたさきの方をみるときれいなお花畑が広がっている。ああ,なんてきれいなお花畑なんだろうとおもってついていってしまった。しばらく遊んだあとで,どうしても戻らなくてはならない用事を思い出したので,もどってきてしまった。戻ってから偉いお坊さんにその話をしたら,お前は黄泉の国につれていかれて,そのままあちらに居ついてしまえば,もう二度とこちらには戻れなかったんだよ。
そういえば,あの世から生還した,つまり,九死に一生をえた人のお話を集めた本にもそんなことがたくさん書いてあった。長いトンネルのようなところをくぐりぬけると,そこは綺麗なお花畑だった,と。科学的合理性の権化のような宇宙飛行士のひとりもそんな経験をしたことがある,と書いていたようにおもう。のみならず,宇宙飛行士をやめたあと,宗教者に転じて布教に励んでいるとか。
別に「あの世」があるとも信じてはいないし,来世願望が強いわけでもない。こんなことを思い出したにはわけがある。5時間半におよぶ手術を受けたのち,集中治療室で2日間をすごした。この間に不思議な体験をした。うつらうつらとまどろんでいたら,突然,パソコンの画面が目の前に現れだ。それも,桁外れに大きなディスプレイである。そこには,さまざまな記事がつぎつぎに現れては消えていく。大急ぎで読めばなんとか読める。すると,また,づきの画面が現れては消えていく。これは幻覚に違いないとおもいながらも,結構,楽しんでいる。
たとえば,まことにもっともらしい国会中継が流れてきた。みると,アベ君に野党議員のだれかに食いつかれている。いつものように意味不明の丁寧な説明を繰り返すアベ君。それでは説明になってはいない,と野党のだれかが食い下がる。じゃあ,もう一度,繰り返します,とアベ君。議場からは時間の無駄だ,と野次が飛ぶ。まるで,デジャヴュー。わが眼を疑う。
あるいは,この巨大画面でだれかのFBを夢中になって読んでいたときなどは,あまりに面白かったものだから,途中で消えてしまったときに,慌ててその画面を復元させようとして手を前に伸ばしたほどであった。するとわたしの手は空を切っているではないか。ここで,初めて,ああ,これは非現実のできことだと再確認。しかし,記事の内容はいずれも立派なもので,文章もしっかりてしいる。新聞の記事とはいえ,こんな文章が書ける記者がいるんだ,と感心までしていた。
それからあとは,いまみているパソコンの画面は非現実のものだということをはっきり意識しながらみている。それでも何回も手が空を切る。そのたびにはっと吾に帰り,ああそうだった,と気づく。こんなことが二晩つづいた。内容は,さもありそうなデモの話であったり,だれかのFBだったり,ブログであったりと,さまざまだ。
パソコンの画像は想像を絶するほどでかい。ベッドの向こう側の壁全体がディスプレイとなっている。これは非現実だと自分に言い聞かせながら,みて,楽しんでいる。意識も非現実と現実の境界領域を自在に出入りてしいるし,いつのまにか無意識そのものに埋没したりしている。慣れてくると面白い遊びだ。この技を身につけようとおもっているうちに,元気がでてきて,三日目の夜を最後に,この遊びは終わった。
しかし,この話にはつづきがある。
いったい,これはなんだったのだろうか,と考えている。
これと同じ話がきちんとした仏教書の中にも書かれていて読んだ記憶がある。たしか,インドの話だったようにおもう。ということは,これと同じような話があちこちに伝承されているらしい。手招きされたさきの方をみるときれいなお花畑が広がっている。ああ,なんてきれいなお花畑なんだろうとおもってついていってしまった。しばらく遊んだあとで,どうしても戻らなくてはならない用事を思い出したので,もどってきてしまった。戻ってから偉いお坊さんにその話をしたら,お前は黄泉の国につれていかれて,そのままあちらに居ついてしまえば,もう二度とこちらには戻れなかったんだよ。
そういえば,あの世から生還した,つまり,九死に一生をえた人のお話を集めた本にもそんなことがたくさん書いてあった。長いトンネルのようなところをくぐりぬけると,そこは綺麗なお花畑だった,と。科学的合理性の権化のような宇宙飛行士のひとりもそんな経験をしたことがある,と書いていたようにおもう。のみならず,宇宙飛行士をやめたあと,宗教者に転じて布教に励んでいるとか。
別に「あの世」があるとも信じてはいないし,来世願望が強いわけでもない。こんなことを思い出したにはわけがある。5時間半におよぶ手術を受けたのち,集中治療室で2日間をすごした。この間に不思議な体験をした。うつらうつらとまどろんでいたら,突然,パソコンの画面が目の前に現れだ。それも,桁外れに大きなディスプレイである。そこには,さまざまな記事がつぎつぎに現れては消えていく。大急ぎで読めばなんとか読める。すると,また,づきの画面が現れては消えていく。これは幻覚に違いないとおもいながらも,結構,楽しんでいる。
たとえば,まことにもっともらしい国会中継が流れてきた。みると,アベ君に野党議員のだれかに食いつかれている。いつものように意味不明の丁寧な説明を繰り返すアベ君。それでは説明になってはいない,と野党のだれかが食い下がる。じゃあ,もう一度,繰り返します,とアベ君。議場からは時間の無駄だ,と野次が飛ぶ。まるで,デジャヴュー。わが眼を疑う。
あるいは,この巨大画面でだれかのFBを夢中になって読んでいたときなどは,あまりに面白かったものだから,途中で消えてしまったときに,慌ててその画面を復元させようとして手を前に伸ばしたほどであった。するとわたしの手は空を切っているではないか。ここで,初めて,ああ,これは非現実のできことだと再確認。しかし,記事の内容はいずれも立派なもので,文章もしっかりてしいる。新聞の記事とはいえ,こんな文章が書ける記者がいるんだ,と感心までしていた。
それからあとは,いまみているパソコンの画面は非現実のものだということをはっきり意識しながらみている。それでも何回も手が空を切る。そのたびにはっと吾に帰り,ああそうだった,と気づく。こんなことが二晩つづいた。内容は,さもありそうなデモの話であったり,だれかのFBだったり,ブログであったりと,さまざまだ。
パソコンの画像は想像を絶するほどでかい。ベッドの向こう側の壁全体がディスプレイとなっている。これは非現実だと自分に言い聞かせながら,みて,楽しんでいる。意識も非現実と現実の境界領域を自在に出入りてしいるし,いつのまにか無意識そのものに埋没したりしている。慣れてくると面白い遊びだ。この技を身につけようとおもっているうちに,元気がでてきて,三日目の夜を最後に,この遊びは終わった。
しかし,この話にはつづきがある。
いったい,これはなんだったのだろうか,と考えている。
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