『世界』10月号がとどいた。
恥ずかしながら「イチエフ」ということばを知らなかったので,一瞬とまどったが,すぐに「フクイチ」のことだとわかった。しかし,なぜ,『世界』の編集者たちは「イチエフ」というのか。
こういうときには,すぐに調べてみるにかぎる。
『ルポ イチエフ』福島第一原発レベル7の現場,布施祐仁著,岩波書店,2012年9月刊。
放射能汚染のなか,原発事故の現場で作業にあたる原発作業員が「イチエフ」と呼ぶ福島第一原発。なぜ,改善されない劣悪な労働環境,横行する違法派遣・請負,労災隠し,危険手当さえピンハネされる,それでもなぜ彼らは働くのか。「誰かがやらなければいけない仕事」にあたる作業員数十名の肉声を伝える。
東京新聞(2012年11月3日),朝日新聞(2012年12月9日)の両紙が書評で取り上げる。
第18回平和・協同ジャーナリスト基金賞(2012年),とある。
そういえば,ひところ話題になった本であったことを思い出す。読まなくては・・・と思いつつ,なにかにまぎれていつしか忘れてしまっていた。情けない。反省。
『世界』がとどくのを,じつは,毎月楽しみにしている。表紙をみただけで,今月はひときわ充実していると直観。特集の他にはつぎのような見出しが表紙に躍っている。
〇歴史認識問題と戦後補償──歴史の新しい舞台に立つために
〇対談・あらゆる知恵で「改憲」「身売り」をしのぎ生きぬく(西谷修・小森陽一)
〇レスター・ブラウン:ピーク・ウォーターという危機
とっくに締め切りのきている原稿をそっちのけにして,『世界』10月号にしがみつく。
まっさきに読むのは「編集後記」(編集長・清宮美稚子)。毎号,文体まで工夫したりして,きめ細やかな気配りと鋭い切れ味が心地よい。その清宮さんの文章のなかに,このブログの見出しのことばがでてきて,わたしのこころが凍りついた。
もう一度,挙げておこう。
汚染水問題は,海外でも”Emergency Without End” ”Neverending Crisis”などと大きく報じられている。──中略。国際的大問題になっていることに私たちはいまだ鈍感なのではないか。政府は,原発被災者の救済とともに,汚染水などイチエフの事故処理に全力で取り組むことが急務であり,そのための識者の提言(たとえば本号筒井氏)を真剣に受け止めるべきである。再稼働も原発輸出も「正気の沙汰ではない」のは言うまでもない。
その「正気の沙汰ではない」人たちが,「五輪招致レース」(このことば自体に,鳥肌の立つほどの違和感を覚える)に血眼になっている。その結果やいかに,とメディアも血眼になっている。日本時間の明日の早朝(8日午前5時ごろ)には投票結果が判明するとか。徹夜で報道の構えをみせているところもあるらしい。愚の骨頂。それに躍らされる国民の多くもまた困ったものだ。
自分の愚かさは必死で隠すし,忘れようとする防衛本能のようなものがあるので,ほとんどの人は気づかないでいる。しかし,他人の愚かさは,手にとるようにわかる。
ピエール・ルジャンドルの本に『西洋が西洋について見ないでいること』(森元庸介訳,以文社)という書名のものがある。ドグマ人類学を説くルジャンドルらしい,まことに当を得た書名である。しかし,ルジャンドルはフランス人として「西洋が西洋について見ないでいること」という,ある意味では自己批判として,この問題を提起している。残念ながら,日本の「正気の沙汰ではない」人たちは,イチエフ隠しのために,そして,国民を目隠しにするためのまことに都合のいいツールとして「五輪招致レース」に血眼になっている。
いずれ詳しく書くつもりでいるが,「五輪招致レース」なるまことに馬鹿げた狂想曲を演奏する管弦楽団の一員になることが,いかに「愚の骨頂」であるか,と書くとこれまた「国賊」として呼びすてにされてしまうに違いない。「正気の沙汰ではない」人たちが日本のトップに立つ,恐るべき時代を生きぬくために,では,わたしたちはどうすればいいのか。
西谷修・小森陽一対談:あらゆる知恵で「改憲」「身売り」をしのぎ生きぬく,から読みはじめるとするか。「あらゆる知恵」に期待して。
今夜,徹夜する人たちに告ぐ。今夜の狂想曲は,世界中の「正気の沙汰ではない」人たちによって演奏されるものであることを,じっくりと見届けていただきたい,と。
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